【フィールドワーク通信】42. 波切の堂の山

【フィールドワーク通信】では、調査などで見かけた漁村の一場面を書き残しています。砕けた内容が多いですが、漁村の暮らしが伝わればうれしいです。
フィールドワークは新型コロナウイルスの感染予防対策のもと、相手の許可をとって実施しています。

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前回盛り込みきれなかった、堂の山のスポットを紹介します。

薬師堂(奥)と庚申堂

薬師堂(奥)―堂の山の主尊です。鎌倉時代の作とされる薬師如来は、病気や怪我にご利益があるとされ、古くから波切の人びとの信仰を集めてきました。

「薬師さんに命を助けてもらったんや」と手を合わせるおばあさんに出会いました。

手前の小さなお堂が庚申堂です。

「長話は庚申の夜にせよ」と60日ごとに巡ってくる庚申の日の夜には、信者数軒が交替で務める宿元の床の間に庚申像の軸を掛け、きな粉餅とアズキのぼた餅を供え、朝まで歓談しました。

この庚申堂に参拝する信者もあり、年に五庚申と七庚申の年は終わりの庚申の日に、三カ寺住職と信者が集まって法要が営まれていました。

 

庚申堂を支える波切石工の技術

 

役行者

堂の山の南側の高台に高橋藤兵衛家が建てた木造の役行者堂がありました。

しかし伊勢湾台風(1959年9月21日)によって破壊され、1979(昭和54)年1月18日、高橋家によって再建されました。
「役行者大権現」と刻した碑を旧跡に安置し、今に至っています。

縁日は、1月18日。
1950(昭和25)年ころまでは高橋家の用人が、山伏の装束をして道中法螺貝を吹き、太鼓を打って行者縁日を修行していた、といいます。

大正初年頃までは市が立ち、多くの参詣者で賑わいました。

 

馬頭観世音堂

波切の岡寺。除厄仏。堂の山の一番高い東側に安置されています。

馬頭観世音とは、昔の僧が午と馬を結び付け、観音として憤怒相の悪魔を破砕する馬頭観音を除厄の本尊としたものです。

3月の初午を宵宮と呼び、宵宮の午後岡寺祠前で三カ寺住職により大般若の厄除祈祷を行い、数え年5歳の男女、25歳の男、33歳の女、42歳の男、61歳の男女が参詣します。

 

老の大日如来 

「老(おい)の浜」からいらっしゃったとてもおしゃれな「大日如来さん」(1980(昭和55年)6月「尊像新彫安置」)

撮影をした汗かき地蔵まつりの日、「昔のような賑わいがなくなった」と寂しそうに語られる年配の方もみえました。

しかしコロナ禍で開催された「汗かき地蔵まつり」に、波切の人びとの篤い信仰心はこれからもずっと変わらないのだろうと思いました。

汗かき地蔵まつりの後日、3月10日に訪れたさい、大慈寺の河津桜が満開でした。

(﨑川由美子)

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