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No. | 資料の名称(画像タイトル) | 内容(キャプション) | 撮影場所 | 撮影年(西暦) |
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1 | 菅島しろんご祭1-1 | 鳥羽市菅島町に祀られる白髭明神の祭礼として、数百年もの間続けられていると言う「しろんご祭」である。かつては旧暦6月11日に実施されてきたが近年では新暦7月11日に執り行われる。白髭明神社は全国に分布し、「猿田彦」とも言われることから山神・海神的意味が強く、ここ菅島では島の守護神として祀られる。「しろんご」の語源は、白髭(しろひげ)が訛ったものだとされるが、この日は村の海女全員が神域として禁漁区にされている白髭明神下の磯に潜り、一番早く雌雄一対の鮑を採った物を神社にお供えする。そして、その鮑を採った海女は、その年の海女頭として敬われる。参考文献:在中調査メモ「菅島のシロンゴ祭」/『ふるさと菅島』(以下キャプションは同文献を参照)。スライド枠には「63.7.11」と記される。 | 鳥羽市菅島町 | 1988.07.11 |
2 | 菅島しろんご祭1-2 | 白浜(シロンゴハマ)から磯場へと泳ぎ出る海女達。漁業組合の男が岩の上に立ちホラ貝を吹くと、海女達は雌雄一対の鮑を求めて一斉に沖の磯場へと泳ぎ出す。スライド枠には「63.7.11」と記される。 | 鳥羽市菅島町 | 1988.07.11 |
3 | 菅島しろんご祭1-3 | 白浜(シロンゴハマ)から磯場へと泳ぎ出る海女達。漁業組合の男が岩の上に立ちホラ貝を吹くと、海女達は雌雄一対の鮑を求めて一斉に沖の磯場へと泳ぎ出す。スライド枠には「63.7.11」と記される。 | 鳥羽市菅島町 | 1988.07.11 |
4 | 菅島しろんご祭1-4 | 白浜(シロンゴハマ)から磯場へと泳ぎ出る海女達。漁業組合の男が岩の上に立ちホラ貝を吹くと、海女達は雌雄一対の鮑を求めて一斉に沖の磯場へと泳ぎ出す。スライド枠には「63.7.11」と記される。 | 鳥羽市菅島町 | 1988.07.11 |
5 | 菅島しろんご祭1-5 | 白浜(シロンゴハマ)から磯場へと泳ぎ出る海女達。漁業組合の男が岩の上に立ちホラ貝を吹くと、海女達は雌雄一対の鮑を求めて一斉に沖の磯場へと泳ぎ出す。スライド枠には「63.7.11」と記される。 | 鳥羽市菅島町 | 1988.07.11 |
6 | 菅島しろんご祭1-6 | しろんご祭が行われる白鬚神社下の白浜。祭の日以外は禁漁区となっているが、祭りの日には県内外からも研究者や多くのカメラマンが訪れる。スライド枠には「63.7.11」と記される。 | 鳥羽市菅島町 | 1988.07.11 |
7 | 菅島しろんご祭1-7 | 菅島の白髭神社の一ノ鳥居。写真中央の小高い丘の山頂に白髭明神を祀る白鬚神社が建てられている。以前は、現在地より500m程離れた岬に祀られていたが、長い年月による風波の浸食で土砂が崩れ、今の場所に再建したのだと言う。以前の境内もそうであったが、今の神社もその両裾からは土器類が出土する。スライド枠には「63.7.11」と記される。 | 鳥羽市菅島町 | 1988.07.11 |
8 | 菅島しろんご祭1-8 | 菅島の白髭神社の一ノ鳥居。写真中央の小高い丘の山頂に白髭明神を祀る白鬚神社が建てられている。以前は、現在地より500m程離れた岬に祀られていたが、長い年月による風波の浸食で土砂が崩れ、今の場所に再建したのだと言う。以前の境内もそうであったが、今の神社もその両裾からは土器類が出土する。スライド枠には「63.7.11」と記される。 | 鳥羽市菅島町 | 1988.07.11 |
9 | 菅島しろんご祭1-9 | しろんご祭が行われる白鬚神社下の白浜。祭の日以外は禁漁区となっているが、祭りの日には県内外からも研究者や多くのカメラマンが訪れる。「白髭大明神」と記された幟の後ろは一ノ鳥居。この左上、小高い丘の山頂に白鬚神社が建てられている。スライド枠には「63.7.11」と記される。 | 鳥羽市菅島町 | 1988.07.11 |
10 | 菅島しろんご祭1-10 | 菅島の白髭神社の一ノ鳥居。写真中央の小高い丘の山頂に白髭明神を祀る白鬚神社が建てられている。以前は、現在地より500m程離れた岬に祀られていたが、長い年月による風波の浸食で土砂が崩れ、今の場所に再建したのだと言う。以前の境内もそうであったが、今の神社もその両裾からは土器類が出土する。スライド枠には「63.7.11」と記される。 | 鳥羽市菅島町 | 1988.07.11 |
11 | 菅島しろんご祭1-11 | しろんご祭が行われる白鬚神社下の白浜。祭の日以外は禁漁区となっているが、祭りの日には県内外からも研究者や多くのカメラマンが訪れる。「白髭大明神」と記された幟の後ろは一ノ鳥居。この左上、小高い丘の山頂に白鬚神社が建てられている。スライド枠には「63.7.11」と記される。スライド枠に「63.7.11」と記される。 | 鳥羽市菅島町 | 1988.07.11 |
12 | 菅島しろんご祭2-1 | 午前9時の祭の開始を待つ海女達。一年間、不孝事が無かった家の海女達は、白のシャツ、磯足袋、磯手拭いを身に付け、徒人は磯づたいの道を、舟人は夫がトマイをする船外機で白浜に集まる。年配の海女達の頭に被った磯手拭いには、魔除けとされる☆印(セーマン)が描かれ、海女の信仰深さが今も色濃く残されていることがわかる。スライド枠には「63.7.11」と記される。 | 鳥羽市菅島町 | 1988.07.11 |
13 | 菅島しろんご祭2-2 | 午前9時の祭の開始を待つ海女達。一年間、不孝事が無かった家の海女達は、白のシャツ、磯足袋、磯手拭いを身に付け、徒人は磯づたいの道を、舟人は夫がトマイをする船外機で白浜に集まる。年配の海女達の頭に被った磯手拭いには、魔除けとされる☆印(セーマン)が描かれ、海女の信仰深さが今も色濃く残されていることがわかる。スライド枠には「63.7.11」と記される。 | 鳥羽市菅島町 | 1988.07.11 |
14 | 菅島しろんご祭2-3 | 午前9時の祭の開始を待つ海女達。一年間、不孝事が無かった家の海女達は、白のシャツ、磯足袋、磯手拭いを身に付け、徒人は磯づたいの道を、舟人は夫がトマイをする船外機で白浜に集まる。年配の海女達の頭に被った磯手拭いには、魔除けとされる☆印(セーマン)が描かれ、海女の信仰深さが今も色濃く残されていることがわかる。スライド枠には「63.7.11」と記される。 | 鳥羽市菅島町 | 1988.07.11 |
15 | 菅島しろんご祭2-4 | 午前9時の祭の開始を待つ海女達。一年間、不孝事が無かった家の海女達は、白のシャツ、磯足袋、磯手拭いを身に付け、徒人は磯づたいの道を、舟人は夫がトマイをする船外機で白浜に集まる。年配の海女達の頭に被った磯手拭いには、魔除けとされる☆印(セーマン)が描かれ、海女の信仰深さが今も色濃く残されていることがわかる。スライド枠には「63.7.11」と記される。 | 鳥羽市菅島町 | 1988.07.11 |
16 | 菅島しろんご祭2-5 | 午前9時の祭の開始を待つ海女達。一年間、不孝事が無かった家の海女達は、白のシャツ、磯足袋、磯手拭いを身に付け、徒人は磯づたいの道を、舟人は夫がトマイをする船外機で白浜に集まる。年配の海女達の頭に被った磯手拭いには、魔除けとされる☆印(セーマン)が描かれ、海女の信仰深さが今も色濃く残されていることがわかる。スライド枠には「63.7.11」と記される。 | 鳥羽市菅島町 | 1988.07.11 |
17 | 菅島しろんご祭2-6 | 午前9時の祭の開始を待つ海女達。一年間、不孝事が無かった家の海女達は、白のシャツ、磯足袋、磯手拭いを身に付け、徒人は磯づたいの道を、舟人は夫がトマイをする船外機で白浜に集まる。年配の海女達の頭に被った磯手拭いには、魔除けとされる☆印(セーマン)が描かれ、海女の信仰深さが今も色濃く残されていることがわかる。スライド枠には「63.7.11」と記される。 | 鳥羽市菅島町 | 1988.07.11 |
18 | 菅島しろんご祭2-7 | 午前9時の祭の開始を待つ海女達。一年間、不孝事が無かった家の海女達は、白のシャツ、磯足袋、磯手拭いを身に付け、徒人は磯づたいの道を、舟人は夫がトマイをする船外機で白浜に集まる。年配の海女達の頭に被った磯手拭いには、魔除けとされる☆印(セーマン)が描かれ、海女の信仰深さが今も色濃く残されていることがわかる。スライド枠には「63.7.11」と記される。 | 鳥羽市菅島町 | 1988.07.11 |
19 | 菅島しろんご祭2-8 | 午前9時になると、海上安全と豊漁を祈願して菅島神社の宮司による祓いが行われる。祭事に参加する海女達は、砂浜に正座し豊漁と操業の安全を祈願する。 | 鳥羽市菅島町 | (1988.07.11) |
20 | 菅島しろんご祭2-9 | 午前9時になると、海上安全と豊漁を祈願して菅島神社の宮司による祓いが行われる。祭事に参加する海女達は、砂浜に正座し豊漁と操業の安全を祈願する。スライド枠に「63.7.11」と記される。 | 鳥羽市菅島町 | 1988.07.11 |
21 | 菅島しろんご祭2-10 | 午前9時になると、海上安全と豊漁を祈願して菅島神社の宮司による祓いが行われる。祭事に参加する海女達は、砂浜に正座し豊漁と操業の安全を祈願する。 | 鳥羽市菅島町 | (1988.07.11) |
22 | 菅島しろんご祭2-11 | 午前9時になると、海上安全と豊漁を祈願して菅島神社の宮司による祓いが行われる。祭事に参加する海女達は、砂浜に正座し豊漁と操業の安全を祈願する。 | 鳥羽市菅島町 | 1988.07.11 |
23 | 菅島しろんご祭2-12 | (不明・しろんご祭とは別の写真か?)。スライド枠には「63.7.11」と記される。 | 鳥羽市菅島町 | 1988.07.11 |
24 | 菅島しろんご祭2-13 | (不明・しろんご祭とは別の写真か?)。スライド枠に「63.7.11」と記される。 | 鳥羽市菅島町 | 1988.07.11 |
25 | 菅島しろんご祭2-14 | (不明・しろんご祭とは別の写真か?)。スライド枠には「63.7.11」と記される。 | 鳥羽市菅島町 | 1988.07.11 |
26 | 菅島しろんご祭2-15 | (不明・しろんご祭とは別の写真か?)。スライド枠には「63.7.11」と記される。 | 鳥羽市菅島町 | 1988.07.11 |
27 | 菅島しろんご祭3-1 | 大漁旗を立て白浜に集まった島の漁師船。海女の操業を沖合から見守る。 | 鳥羽市菅島町 | (1988.07.11) |
28 | 菅島しろんご祭3-2 | 白鬚神社に一番鮑(雌雄一対)を供える海女。かつては一番鮑を獲った海女は高々と片手を上げて名乗り出て、舟板に雄貝と雌貝をのせ濡れた磯着のまま鳥居をくぐり、白鬚明神に奉納した。これを「まねきアワビ」と称して、他のアワビをまねき、豊漁が約束されると伝えられている。現在は、青年部の女子が正装をしてお供えに行く。 | 鳥羽市菅島町 | (1988.07.11) |
29 | 菅島しろんご祭3-3 | 磯メガネを掛け、手袋をし、海に入る準備を進める海女。 | 鳥羽市菅島町 | (1988.07.11) |
30 | 菅島しろんご祭3-4 | 暖をとる海女達。白浜に集まった海女達は、気の合った仲間同士で「カマド」を囲み、焚火にあたって躰を温める。前には、磯桶や発泡スチロールで作った浮き輪の下にスカリを付けた「タンポ」や磯メガネが置かれている。昭和50年代初期は全て磯桶だったと言うが、撮影時期には発砲スチロール製のタンポが6割程を占めるとの事である。 | 鳥羽市菅島町 | (1988.07.11) |
31 | 菅島しろんご祭3-5 | 磯メガネの手入れをしながら海に入る準備を進める海女。眼鏡の曇り止めに、ツワブキの葉やヨモギ等が使われる。 | 鳥羽市菅島町 | (1988.07.11) |
32 | 菅島しろんご祭3-6 | 暖をとる海女達。白浜に集まった海女達は、気の合った仲間同士で「カマド」を囲み、焚火にあたって躰を温める。 | 鳥羽市菅島町 | (1988.07.11) |
33 | 菅島しろんご祭3-7 | 白浜(シロンゴハマ)から磯場へと泳ぎ出る海女達。漁業組合の男が岩の上に立ちホラ貝を吹くと、海女達は雌雄一対の鮑を求めて一斉に沖の磯場へと泳ぎ出す。磯メガネを掛け、手にはそれぞれ磯桶やタンポが抱えられている。昭和50年代初期は全て磯桶だったと言うが、撮影時期には発砲スチロール製のタンポが6割程を占めるとの事である。スライド枠には「シロンゴ 63.7.11」と記される。 | 鳥羽市菅島町 | 1988.07.11 |
34 | 菅島しろんご祭3-8 | 雌雄一対の鮑を求めて操業する海女達。徒人は水深6~7m程の磯場で、舟人はその沖の深いところを潜る。菅島の舟人は、他の地区とは異なり、引き上げの時滑車を使わず、引き竿を使用する。途中まで上がってきた海女は、夫の差し出す竿に掴まり手繰り寄せられる。一潜の操業は約1時間程である。スライド枠には「しろんご① 63.7.11」と記される。 | 鳥羽市菅島町 | 1988.07.11 |
35 | 菅島しろんご祭3-9 | 一潜目を終えたのか、祭事が終了したのか、磯桶を頭に頂き浜辺を移動する海女。 | 鳥羽市菅島町 | (1988.07.11) |
36 | 菅島しろんご祭3-10 | 獲ってきた鮑を組合員の秤にかける海女。この日獲った鮑は全て漁協組合員に差し出され、白髭神社の収入とされたが、近年は水揚げの3割~5割程度が神社資金として徴収され、残りは自分の収入になると言う。ただ、一番鮑を獲った海女だけは、その後潜水して獲った水揚げの全てが自分の収入になるという決め事は今も昔も同じだと言う。 | 鳥羽市菅島町 | (1988.07.11) |
37 | 菅島しろんご祭3-11 | 船上から見た菅島(佐田浜側から菅島を見る) | 鳥羽市菅島町 | (1988.07.11) |
38 | 菅島しろんご祭3-12 | 白鬚神社に一番鮑(雌雄一対)を供える海女。かつては一番鮑を獲った海女は高々と片手を上げて名乗り出て、舟板に雄貝と雌貝をのせ濡れた磯着のまま鳥居をくぐり、白鬚明神に奉納した。これを「まねきアワビ」と称して、他のアワビをまねき、豊漁が約束されると伝えられている。現在は、青年部の女子が正装をしてお供えに行く。 | 鳥羽市菅島町 | (1988.07.11) |
39 | 菅島しろんご祭3-13 | 一番鮑が奉納されると、氏子総代や漁協、町内会等、村の代表者達が正装をし居並ぶ中で、菅島神社の宮司による祝詞奏上、玉串奉奠が行なわれ、式典が挙行されていく。 | 鳥羽市菅島町 | (1988.07.11) |
40 | 菅島しろんご祭4-1 | 若者の子どもだろうか。法被姿で祭に参加した子ども。左手には紅白の餅、右手には七色の紙で作られた「シダレヤナギ」と呼ばれる縁起物が握られている。七色はそれぞれ天空・太陽・月光・雨水・草木・人間・土地を表す縁起物とされ、祭が終わると漁師達はこの「シダレヤナギ」を持ち帰り、家の床の間などに飾り置くと言う。スライド枠には「63.7.11」と記される。 | 鳥羽市菅島町 | 1988.07.11 |
41 | 菅島しろんご祭4-2 | 法被姿で祭に参加した子ども。左手には紅白の餅、右手には七色はそれぞれ天空・太陽・月光・雨水・草木・人間・土地を表す縁起物とされ、祭が終わると漁師達はこの「シダレヤナギ」を持ち帰り、家の床の間などに飾り置くと言う。スライド枠には「63.7.11」と記される。 | 鳥羽市菅島町 | 1988.07.11 |
42 | 菅島しろんご祭4-3 | 雄貝、雌貝一対の鮑を獲った海女が合図を送ると、役人船が出向いて一番鮑を受け取り、白布に包んで数人の青年代表に手渡す。青年は、それを大切に受け取り、浜で待つ白の磯着に☆印(セーマン)の磯手拭い被り正装した女子に届ける。娘は、その鮑を漁協役員の元に届け出た後、舟板に一対の鮑を乗せ、鳥居をくぐり白鬚神社の石段を登っていく。神社に着くと社殿前に設えた祭壇に鮑を供える。スライド枠には「63.7.11」と記される。 | 鳥羽市菅島町 | 1988.07.11 |
43 | 菅島しろんご祭4-4 | 雄貝、雌貝一対の鮑を獲った海女が合図を送ると、役人船が出向いて一番鮑を受け取り、白布に包んで数人の青年代表に手渡す。青年は、それを大切に受け取り、浜で待つ白の磯着に☆印(セーマン)の磯手拭い被り正装した女子に届ける。娘は、その鮑を漁協役員の元に届け出た後、舟板に一対の鮑を乗せ、鳥居をくぐり白鬚神社の石段を登っていく。神社に着くと社殿前に設えた祭壇に鮑を供える。スライド枠には「63.7.11」と記される。 | 鳥羽市菅島町 | (1988.07.11) |
44 | 菅島しろんご祭4-5 | 雄貝、雌貝一対の鮑を獲った海女が合図を送ると、役人船が出向いて一番鮑を受け取り、白布に包んで数人の青年代表に手渡す。青年は、それを大切に受け取り、浜で待つ白の磯着に☆印(セーマン)の磯手拭い被り正装した女子に届ける。娘は、その鮑を漁協役員の元に届け出た後、舟板に一対の鮑を乗せ、鳥居をくぐり白鬚神社の石段を登っていく。神社に着くと社殿前に設えた祭壇に鮑を供える。 | 鳥羽市菅島町 | (1988.07.11) |
45 | 菅島しろんご祭4-6 | 雄貝、雌貝一対の鮑を獲った海女が合図を送ると、役人船が出向いて一番鮑を受け取り、白布に包んで数人の青年代表に手渡す。青年は、それを大切に受け取り、浜で待つ白の磯着に☆印(セーマン)の磯手拭い被り正装した女子に届ける。娘は、その鮑を漁協役員の元に届け出た後、舟板に一対の鮑を乗せ、鳥居をくぐり白鬚神社の石段を登っていく。神社に着くと社殿前に設えた祭壇に鮑を供える。スライド枠には「63.7.11」と記される。 | 鳥羽市菅島町 | 1988.07.11 |
46 | 菅島しろんご祭4-7 | 午前9時の祭の開始を待つ海女達。一年間、不孝事が無かった家の海女達は、白のシャツ、磯足袋、磯手拭いを身に付け、徒人は磯づたいの道を、舟人は夫がトマイをする船外機で白浜に集まる。年配の海女達の頭に被った磯手拭いには、魔除けとされる☆印(セーマン)が描かれ、海女の信仰深さが今も色濃く残されていることがわかる。 | 鳥羽市菅島町 | (1988.07.11) |
47 | 菅島しろんご祭4-8 | 白鬚神社に一番鮑(雌雄一対)を供える海女。かつては一番鮑を獲った海女は高々と片手を上げて名乗り出て、舟板に雄貝と雌貝をのせ濡れた磯着のまま鳥居をくぐり、白鬚明神に奉納した。これを「まねきアワビ」と称して、他のアワビをまねき、豊漁が約束されると伝えられている。現在は、青年部の女子が正装をしてお供えに行く。スライド枠に「63.7.11」と記される。 | 鳥羽市菅島町 | 1988.07.11 |
48 | 菅島しろんご祭4-9 | 一番鮑が奉納されると、氏子総代や漁協、町内会等、村の代表者達が正装をし居並ぶ中で、菅島神社の宮司による祝詞奏上、玉串奉奠が行なわれ、式典が挙行されていく。スライド枠に「63.7.11」と記される。 | 鳥羽市菅島町 | 1988.07.11 |
49 | 菅島しろんご祭4-10 | 白鬚神社に一番鮑(雌雄一対)を供える海女。かつては一番鮑を獲った海女は高々と片手を上げて名乗り出て、舟板に雄貝と雌貝をのせ濡れた磯着のまま鳥居をくぐり、白鬚明神に奉納した。これを「まねきアワビ」と称して、他のアワビをまねき、豊漁が約束されると伝えられている。現在は、青年部の女子が正装をしてお供えに行く。スライド枠には「63.7.11」と記される。 | 鳥羽市菅島町 | 1988.07.11 |
50 | 菅島しろんご祭4-11 | 白鬚神社に一番鮑(雌雄一対)を供える海女。かつては一番鮑を獲った海女は高々と片手を上げて名乗り出て、舟板に雄貝と雌貝をのせ濡れた磯着のまま鳥居をくぐり、白鬚明神に奉納した。これを「まねきアワビ」と称して、他のアワビをまねき、豊漁が約束されると伝えられている。現在は、青年部の女子が正装をしてお供えに行く。 | 鳥羽市菅島町 | 1988.07.11 |
51 | 菅島しろんご祭4-12 | 白鬚神社に一番鮑(雌雄一対)を供える海女。かつては一番鮑を獲った海女は高々と片手を上げて名乗り出て、舟板に雄貝と雌貝をのせ濡れた磯着のまま鳥居をくぐり、白鬚明神に奉納した。これを「まねきアワビ」と称して、他のアワビをまねき、豊漁が約束されると伝えられている。現在は、青年部の女子が正装をしてお供えに行く。スライド枠には「63.7.11」と記される。 | 鳥羽市菅島町 | 1988.07.11 |
52 | 菅島しろんご祭4-13 | 白鬚神社に一番鮑(雌雄一対)を供える海女。かつては一番鮑を獲った海女は高々と片手を上げて名乗り出て、舟板に雄貝と雌貝をのせ濡れた磯着のまま鳥居をくぐり、白鬚明神に奉納した。これを「まねきアワビ」と称して、他のアワビをまねき、豊漁が約束されると伝えられている。現在は、青年部の女子が正装をしてお供えに行く。スライド枠には「63.7.11」と記される。 | 鳥羽市菅島町 | 1988.07.11 |
53 | 菅島しろんご祭4-14 | 白鬚神社に一番鮑(雌雄一対)を供える海女。かつては一番鮑を獲った海女は高々と片手を上げて名乗り出て、舟板に雄貝と雌貝をのせ濡れた磯着のまま鳥居をくぐり、白鬚明神に奉納した。これを「まねきアワビ」と称して、他のアワビをまねき、豊漁が約束されると伝えられている。現在は、青年部の女子が正装をしてお供えに行く。スライド枠に「63.7.11」と記される。 | 鳥羽市菅島町 | 1988.07.11 |
54 | 菅島しろんご祭5-1 | 暖をとる海女達。白浜に集まった海女達は、気の合った仲間同士で「カマド」を囲み、焚火にあたって躰を温める。スライド枠には「63.7.11」と記される。 | 鳥羽市菅島町 | 1988.07.11 |
55 | 菅島しろんご祭5-2 | 暖をとる海女達。白浜に集まった海女達は、気の合った仲間同士で「カマド」を囲み、焚火にあたって躰を温める。スライド枠には「63.7.11」と記される。 | 鳥羽市菅島町 | 1988.07.11 |
56 | 菅島しろんご祭5-3 | 暖をとる海女達。白浜に集まった海女達は、気の合った仲間同士で「カマド」を囲み、焚火にあたって躰を温める。スライド枠には「63.7.11」と記される。 | 鳥羽市菅島町 | 1988.07.11 |
57 | 菅島しろんご祭5-4 | 磯入り前に行われる、菅島神社の宮司による祓いの式典に出るのであろう。暖を取っていた海女達は、磯桶等の海女用具を置いて白鬚神社下の白浜へと急ぐ。スライド枠には「63.7.11」と記される。 | 鳥羽市菅島町 | 1988.07.11 |
58 | 菅島しろんご祭5-5 | 暖をとる海女達。白浜に集まった海女達は、気の合った仲間同士で「カマド」を囲み、焚火にあたって躰を温める。スライド枠には「63.7.11」と記される。 | 鳥羽市菅島町 | 1988.07.11 |
59 | 菅島しろんご祭5-6 | 暖をとる海女達。白浜に集まった海女達は、気の合った仲間同士で「カマド」を囲み、焚火にあたって躰を温める。スライド枠には「63.7.11」と記される。 | 鳥羽市菅島町 | 1988.07.11 |
60 | 菅島しろんご祭5-7 | 暖をとる海女達。白浜に集まった海女達は、気の合った仲間同士で「カマド」を囲み、焚火にあたって躰を温める。スライド枠には「63.7.11」と記される。 | 鳥羽市菅島町 | 1988.07.11 |
61 | 菅島しろんご祭5-8 | 磯入り前に行われる、菅島神社の宮司による祓いの式典に出るのであろう。暖を取っていた海女達は、磯桶等の海女用具を置いて白鬚神社下の白浜へと急ぐ。スライド枠には「63.7.11」と記される。 | 鳥羽市菅島町 | 1988.07.11 |
62 | 菅島しろんご祭5-9 | 獲った漁獲物を組合に差し出し、祭事を終えると海女達は来た時と同様に磯桶やフゴに道具を入れ、おもいおもいに帰途に着く。昔ながらの磯桶を使用する年配の海女達は、道具を入れた桶を頭上に乗せて運搬する。スライド枠には「63.7.11」と記される。 | 鳥羽市菅島町 | 1988.07.11 |
63 | 菅島しろんご祭5-10 | 暖をとる海女達。白浜に集まった海女達は、気の合った仲間同士で「カマド」を囲み、焚火にあたって躰を温め、各人それぞれ、磯メガネの曇り止めに使うツワブキをもんだり、磯手拭いを付けたり、磯タビを履いたりして磯入りの合図に供える。スライド枠には「63.7.11」と記される。 | 鳥羽市菅島町 | 1988.07.11 |
64 | 菅島しろんご祭5-11 | 暖をとる海女達。白浜に集まった海女達は、気の合った仲間同士で「カマド」を囲み、焚火にあたって躰を温め、各人それぞれ、磯メガネの曇り止めに使うツワブキをもんだり、磯手拭いを付けたり、磯タビを履いたりして磯入りの合図に供える。 | 鳥羽市菅島町 | (1988.07.11) |
65 | 菅島しろんご祭5-12 | 暖をとる海女達。白浜に集まった海女達は、気の合った仲間同士で「カマド」を囲み、焚火にあたって躰を温め、各人それぞれ、磯メガネの曇り止めに使うツワブキをもんだり、磯手拭いを付けたり、磯タビを履いたりして磯入りの合図に供える。スライド枠には「63.7.11」と記される。 | 鳥羽市菅島町 | 1988.07.11 |
66 | 菅島しろんご祭5-13 | 磯メガネの手入れをしながら海に入る準備を進める海女。眼鏡の曇り止めに、ツワブキの葉をやヨモギ等が使われる。スライド枠には「63.7.11」と記される。 | 鳥羽市菅島町 | 1988.07.11 |
67 | 菅島しろんご祭5-14 | 沖合で操業する海女。海面に出た海女は、磯桶に捕まりながら息を整え、次の潜水に備える。スライド枠には「63.7.11」と記される。 | 鳥羽市菅島町 | 1988.07.11 |
68 | 菅島しろんご祭5-15 | 磯入り前に行われる、菅島神社の宮司による祓いの式典に出るのであろう。暖を取っていた海女達は、磯桶等の海女用具を置いて白鬚神社下の白浜へと急ぐ。スライド枠には「63.7.11」と記される。 | 鳥羽市菅島町 | 1988.07.11 |
69 | 菅島しろんご祭5-16 | 磯入り前に行われる、菅島神社の宮司による祓いの式典に出るのであろう。暖を取っていた海女達は、磯桶等の海女用具を置いて白鬚神社下の白浜へと急ぐ。スライド枠には「63.7.11」と記される。 | 鳥羽市菅島町 | 1988.07.11 |
70 | 菅島しろんご祭5-17 | 磯入り前に行われる、菅島神社の宮司による祓いの式典に出るのであろう。暖を取っていた海女達は、磯桶等の海女用具を置いて白鬚神社下の白浜へと急ぐ。スライド枠には「63.7.11」と記される。 | 鳥羽市菅島町 | 1988.07.11 |
71 | 菅島しろんご祭5-18 | 操業を終え、磯桶を抱えて岸に上がってきた海女。スライド枠には「63.7.11」と記される。 | 鳥羽市菅島町 | 1988.07.11 |
72 | 菅島しろんご祭6-1 | 白鬚神社の社殿前に設えた祭壇に、奉納された一番鮑(雄貝・雌貝一対)。 | 鳥羽市菅島町 | (1988.07.11) |
73 | 菅島しろんご祭6-2 | 白鬚神社の社殿前に設えた祭壇に、奉納された一番鮑(雄貝・雌貝一対)。スライド枠には「63.7.11」と記される。 | 鳥羽市菅島町 | 1988.07.11 |
74 | 菅島しろんご祭6-3 | 白鬚神社の社殿前に設えた祭壇に、奉納された一番鮑(雄貝・雌貝一対)。スライド枠には「63.7.11」と記される。 | 鳥羽市菅島町 | 1988.07.11 |
75 | 菅島しろんご祭6-4 | 白鬚神社の境内からしろんご祭の海上を見る。海女達が潜く沖合を大漁旗を立てた漁船の船団が円を描くように走る。写真右手の遊覧船は、教護船や報道関係者、視察団、観光客用のものかと思われる。スライド枠には「63.7.11」と記される。 | 鳥羽市菅島町 | 1988.07.11 |
76 | 菅島しろんご祭6-5 | 白鬚神社の境内からしろんご祭の海上を見る。海女達が潜く沖合を大漁旗を立てた漁船の船団が円を描くように走る。写真右手の遊覧船は、教護船や報道関係者、視察団、観光客用のものかと思われる。スライド枠には「63.7.11」と記される。 | 鳥羽市菅島町 | 1988.07.11 |
77 | 菅島しろんご祭6-6 | 白鬚神社の境内からしろんご祭の海上を見る。海女達が潜く沖合を大漁旗を立てた漁船の船団が円を描くように走る。写真右手の遊覧船は、教護船や報道関係者、視察団、観光客用のものかと思われる。スライド枠には「63.7.11」と記される。 | 鳥羽市菅島町 | 1988.07.11 |
78 | 菅島しろんご祭6-7 | 獲ってきた鮑を組合員の秤にかける海女。この日獲った鮑は全て漁協組合員に差し出され、白髭神社の収入とされたが、近年は水揚げの3割~5割程度が神社資金として徴収され、残りは自分の収入になると言う。ただ、一番鮑を獲った海女だけは、その後潜水して獲った水揚げの全てが自分の収入になるという決め事は今も昔も同じだと言う。スライド枠には「63.7.11」と記される。 | 鳥羽市菅島町 | 1988.07.11 |
79 | 菅島しろんご祭6-8 | 一番鮑を運ぶのか?。沖から戻った役員船。紋付・羽織に正装した男達が乗り込んでいる。スライド枠には「63.7.11」と記される。 | 鳥羽市菅島町 | 1988.07.11 |
80 | 菅島しろんご祭6-9 | 一番鮑を運ぶのか?。沖から戻った役員船。紋付・羽織に正装した男達が乗り込んでいる。スライド枠には「63.7.11」と記される。 | 鳥羽市菅島町 | 1988.07.11 |
81 | 菅島しろんご祭6-10 | しろんご祭に参加するため、大漁旗と国旗を立てて白浜に集まった漁船団。スライド枠には「63.7.11」と記される。 | 鳥羽市菅島町 | 1988.07.11 |
82 | 菅島しろんご祭6-11 | しろんご祭に参加するため、大漁旗と国旗を立てて白浜に集まった漁船団。スライド枠には「63.7.11」と記される。 | 鳥羽市菅島町 | 1988.07.11 |
83 | 菅島しろんご祭6-12 | しろんご祭に参加するため、大漁旗と国旗を立てて白浜に集まった漁船団。スライド枠には「63.7.11」と記される。 | 鳥羽市菅島町 | 1988.07.11 |
84 | 菅島しろんご祭6-13 | しろんご祭に参加するため、大漁旗と国旗を立てて白浜に集まった漁船団。スライド枠には「63.7.11」と記される。 | 鳥羽市菅島町 | 1988.07.11 |
85 | 菅島しろんご祭6-14 | しろんご祭に参加するため、大漁旗と国旗を立てて白浜に集まった漁船団。スライド枠には「63.7.11」と記される。 | 鳥羽市菅島町 | 1988.07.11 |
86 | 菅島しろんご祭7-1 | 一番鮑が奉納されると、氏子総代や漁協、町内会等、村の代表者達が正装をし居並ぶ中で、菅島神社の宮司による祝詞奏上、玉串奉奠が行なわれ、式典が挙行されていく。スライド枠には「63.7.11」と記される。 | 鳥羽市菅島町 | 1988.07.11 |
87 | 菅島しろんご祭7-2 | 一番鮑が奉納されると、氏子総代や漁協、町内会等、村の代表者達が正装をし居並ぶ中で、菅島神社の宮司による祝詞奏上、玉串奉奠が行なわれ、式典が挙行されていく。 | 鳥羽市菅島町 | (1988.07.11) |
88 | 菅島しろんご祭7-3 | 一番鮑奉納の式典が終わると、村人達は挙って白鬚神社を訪れ、海上安全と豊漁を祈願する。スライド枠には「63.7.11」と記される。 | 鳥羽市菅島町 | 1988.07.11 |
89 | 菅島しろんご祭7-4 | 一番鮑奉納の式典が終わると、村人達は挙って白鬚神社を訪れ、海上安全と豊漁を祈願する。白浜の裾から白鬚神社までは急な石段が続く。スライド枠には「63.7.11」と記される。 | 鳥羽市菅島町 | 1988.07.11 |
90 | 菅島しろんご祭7-5 | 一番鮑奉納の式典が終わると、村人達は挙って白鬚神社を訪れ、海上安全と豊漁を祈願する。白浜の裾から白鬚神社までは急な石段が続く。スライド枠には「63.7.11」と記される。 | 鳥羽市菅島町 | 1988.07.11 |
91 | 菅島しろんご祭7-6 | 白鬚神社の境内から白浜を望む。普段は禁漁区で静かなこの浜も、11日のしろんご祭の日だけは、大漁旗が翻り、挙って村民がお参りに訪れ賑やかな一日となる。スライド枠には「63.7.11」と記される。 | 鳥羽市菅島町 | 1988.07.11 |
92 | 菅島しろんご祭7-7 | 操業を終え、浜に戻ってきた海女。手に持つタンポには、鮑の大きさを計測するスントリが付けられている。島の子供達にとって、海は生まれたときから格好の遊び場である。 | 鳥羽市菅島町 | (1988.07.11) |
93 | 菅島しろんご祭7-8 | 操業を終え、浜に戻ってきた海女。 | 鳥羽市菅島町 | (1988.07.11) |
94 | 菅島しろんご祭7-9 | 操業を終え浜に戻ってきた海女。右手に抱えているのは鮑だろうか。海から上がった海女は組合員の待つ集荷場所へと向かう。スライド枠には「63.7.11」と記される。 | 鳥羽市菅島町 | 1988.07.11 |
95 | 菅島しろんご祭7-10 | 操業を終え浜に戻ってきた海女。右手に抱えているのは鮑だろうか。海から上がった海女は組合員の待つ集荷場所へと向かう。スライド枠には「63.7.11」と記される。 | 鳥羽市菅島町 | 1988.07.11 |
96 | 菅島しろんご祭7-11 | 操業を終え、浜へと向かう海女。スライド枠には「63.7.11」と記される。 | 鳥羽市菅島町 | 1988.07.11 |
97 | 菅島しろんご祭7-12 | 操業を終え浜に戻ってきた海女。沖の方ではまだ操業を続けている海女達の姿も見える。スライド枠には「63.7.11」と記される。 | 鳥羽市菅島町 | 1988.07.11 |
98 | 菅島しろんご祭7-13 | 操業を終え浜に戻ってきた海女。左手で抱えたタンポのスカリには鮑か、栄螺が入っているようである。海から上がった海女は組合員の待つ集荷場所へと向かう。スライド枠には「63.7.11」と記される。 | 鳥羽市菅島町 | 1988.07.11 |
99 | 菅島しろんご祭7-14 | 操業を終え浜に戻ってきた海女。左手で抱えたタンポのスカリには鮑か、栄螺が入っているようである。海から上がった海女は組合員の待つ集荷場所へと向かう。スライド枠には「63.7.11」と記される。 | 鳥羽市菅島町 | 1988.07.11 |
100 | 菅島しろんご祭8-1 | 操業を終え浜に戻ってきた海女。左手で抱えたタンポのスカリには鮑か、栄螺が入っているようである。海から上がった海女は組合員の待つ集荷場所へと向かう。スライド枠には「63.7.11」と記される。 | 鳥羽市菅島町 | 1988.07.11 |
101 | 菅島しろんご祭8-2 | 操業を終え浜に戻ってきた海女。左手で抱えたタンポのスカリには鮑か、栄螺が入っているようである。海から上がった海女は組合員の待つ集荷場所へと向かう。スライド枠には「63.7.11」と記される。 | 鳥羽市菅島町 | 1988.07.11 |
102 | 菅島しろんご祭8-3 | 操業を終え浜に戻ってきた海女。左手で抱えたタンポのスカリには鮑か、栄螺が入っているようである。海から上がった海女は組合員の待つ集荷場所へと向かう。スカリには、鮑の大きさを計測する「スントリ」が付けられている。鮑は3寸5分(10.6㎝)以下のものは獲ってはいけない決まりになっている。スライド枠には「63.7.11」と記される。 | 鳥羽市菅島町 | 1988.07.11 |
103 | 菅島しろんご祭8-4 | 獲った漁獲物を組合に差し出し、祭事を終えると海女達は来た時と同様に磯桶やフゴに道具を入れ、おもいおもいに帰途に着く。スライド枠には「63.7.11」と記される。 | 鳥羽市菅島町 | 1988.07.11 |
104 | 菅島しろんご祭8-5 | 暖をとる海女達。白浜に集まった海女達は、気の合った仲間同士で「カマド」を囲み、焚火にあたって躰を温め、各人それぞれ、磯メガネの曇り止めに使うツワブキをもんだり、磯手拭いを付けたり、磯タビを履いたりして磯入りの合図に供える。スライド枠には「63.7.11」と記される。 | 鳥羽市菅島町 | 1988.07.11 |
105 | 菅島しろんご祭8-6 | 暖をとる海女達。白浜に集まった海女達は、気の合った仲間同士で「カマド」を囲み、焚火にあたって躰を温め、各人それぞれ、磯メガネの曇り止めに使うツワブキをもんだり、磯手拭いを付けたり、磯タビを履いたりして磯入りの合図に供える。スライド枠には「63.7.11」と記される。 | 鳥羽市菅島町 | 1988.07.11 |
106 | 菅島しろんご祭8-7 | 暖をとる海女達。白浜に集まった海女達は、気の合った仲間同士で「カマド」を囲み、焚火にあたって躰を温め、各人それぞれ、磯メガネの曇り止めに使うツワブキをもんだり、磯手拭いを付けたり、磯タビを履いたりして磯入りの合図に供える。手前にはタンポや菅島ではイソモンオコシと呼ぶカギノミ、磯桶、磯メガネ、眼鏡箱等が置かれている。スライド枠には「63.7.11」と記される。 | 鳥羽市菅島町 | 1988.07.11 |
107 | 菅島しろんご祭8-8 | 暖をとる海女達。白浜に集まった海女達は、気の合った仲間同士で「カマド」を囲み、焚火にあたって躰を温め、各人それぞれ、磯メガネの曇り止めに使うツワブキをもんだり、磯手拭いを付けたり、磯タビを履いたりして磯入りの合図に供える。手前にはタンポや菅島ではイソモンオコシと呼ぶカギノミ、磯桶、磯メガネ、眼鏡箱等が置かれている。スライド枠には「63.7.11」と記される。 | 鳥羽市菅島町 | 1988.07.11 |
108 | 菅島しろんご祭8-9 | 暖をとる海女達。白浜に集まった海女達は、気の合った仲間同士で「カマド」を囲み、焚火にあたって躰を温め、各人それぞれ、磯メガネの曇り止めに使うツワブキをもんだり、磯手拭いを付けたり、磯タビを履いたりして磯入りの合図に供える。手前にはタンポや菅島ではイソモンオコシと呼ぶカギノミ、磯桶、磯メガネ、眼鏡箱等が置かれている。スライド枠には「63.7.11」と記される。 | 鳥羽市菅島町 | 1988.07.11 |
109 | 菅島しろんご祭8-10 | 暖をとる海女達。白浜に集まった海女達は、気の合った仲間同士で「カマド」を囲み、焚火にあたって躰を温め、各人それぞれ、曇り止めのツワブキをもんだり、磯手拭いを付けたり、磯タビを履いたりして磯入りの合図に供える。磯桶やタンポには、獲った鮑の大きさを計測する「スントリ」と呼ばれる木製の用具が括り付けられている。鮑は、この「スントリ」の中に収まってしまうもの、3寸5分(10.6㎝)以下のものは獲ってはいけない決まりになっている。スライド枠に「63.7.11」と記される。スライド枠に「63.7.11」と記される。 | 鳥羽市菅島町 | 1988.07.11 |
110 | 菅島しろんご祭8-11 | 暖をとる海女達。白浜に集まった海女達は、気の合った仲間同士で「カマド」を囲み、焚火にあたって躰を温め、各人それぞれ、磯メガネの曇り止めに使うツワブキをもんだり、磯手拭いを付けたり、磯タビを履いたりして磯入りの合図に供える。磯桶やタンポには、獲った鮑の大きさを計測する「スントリ」と呼ばれる木製の用具が括り付けられている。鮑は、この「スントリ」の中に収まってしまうもの、3寸5分(10.6㎝)以下のものは獲ってはいけない決まりになっている。スライド枠には「63.7.11」と記される。 | 鳥羽市菅島町 | 1988.07.11 |
111 | 菅島しろんご祭8-12 | 暖をとる海女達。白浜に集まった海女達は、気の合った仲間同士で「カマド」を囲み、焚火にあたって躰を温め、各人それぞれ磯メガネの曇り止めに使うツワブキをもんだり、磯手拭いを付けたり、磯タビを履いたりして磯入りの合図に供える。前列左の海女は、獲った鮑の大きさを計測する「スントリ」と呼ばれる木製の用具を磯桶に括り付けている。鮑は3寸5分(10.6㎝)以下のものは獲ってはいけない決まりになっている。スライド枠には「63.7.11」と記される。 | 鳥羽市菅島町 | 1988.07.11 |
112 | 菅島しろんご祭8-13 | 暖をとる海女達。白浜に集まった海女達は、気の合った仲間同士で「カマド」を囲み、焚火にあたって躰を温め、各人それぞれ、磯メガネの曇り止めに使う曇り止めに使うツワブキをもんだり、磯手拭いを付けたり、磯タビを履いたりして磯入りの合図に供えるスライド枠には「63.7.11」と記される。 | 鳥羽市菅島町 | 1988.07.11 |
113 | 菅島しろんご祭8-14 | 暖をとる海女達。白浜に集まった海女達は、気の合った仲間同士で「カマド」を囲み、焚火にあたって躰を温め、各人それぞれ、磯メガネの曇り止めに使うツワブキをもんだり、磯手拭いを付けたり、磯タビを履いたりして磯入りの合図に供える。スライド枠には「63.7.11」と記される。 | 鳥羽市菅島町 | 1988.07.11 |
114 | 菅島しろんご祭9-1 | 獲った漁獲物を組合に差し出し、祭事を終えると海女達は来た時と同様に磯桶やフゴに道具を入れ、おもいおもいに帰途に着く。昔ながらの磯桶を使用する年配の海女達は、道具を入れた桶を頭上に乗せて運搬する。スライド枠には「63.7.11」と記される。 | 鳥羽市菅島町 | 1988.07.11 |
115 | 菅島しろんご祭9-2 | 獲った漁獲物を組合に差し出し、祭事を終えると海女達は来た時と同様に磯桶やフゴに道具を入れ、おもいおもいに帰途に着く。スライド枠には「63.7.11」と記される。 | 鳥羽市菅島町 | 1988.07.11 |
116 | 菅島しろんご祭9-3 | 獲った漁獲物を組合に差し出し、祭事を終えると海女達は来た時と同様に磯桶やフゴに道具を入れ、おもいおもいに帰途に着く。スライド枠には「63.7.11」と記される。 | 鳥羽市菅島町 | 1988.07.11 |
117 | 菅島しろんご祭9-4 | 操業を終え浜に戻ってきた海女。右手に磯メガネ、左手にはタンポが持たれている。スカリには鮑か、栄螺が入れられている。思っていた通りの水揚げがあったのか、如何にもうれしそうな笑顔である。スライド枠には「63.7.11」と記される。 | 鳥羽市菅島町 | 1988.07.11 |
118 | 菅島しろんご祭9-5 | 操業を終え浜に戻ってきた海女。右手に磯メガネ、左手にはタンポが持たれている。スカリには鮑か、栄螺が入れられている。思っていた通りの水揚げがあったのか、如何にもうれしそうな笑顔である。スライド枠には「63.7.11」と記される。 | 鳥羽市菅島町 | 1988.07.11 |
119 | 菅島しろんご祭9-6 | 獲ってきた鮑を点検する。鮑は「スントリ」と呼ばれる木製の計測用具で測られる。スントリの内寸は、3寸5分(10.6㎝)に作られており、それより小さい物は獲ってはいけない決まりになっている。スライド枠には「63.7.11」と記される。 | 鳥羽市菅島町 | 1988.07.11 |
120 | 菅島しろんご祭9-7 | 獲ってきた鮑を点検する。鮑は「スントリ」と呼ばれる木製の計測用具で測られる。スントリの内寸は、3寸5分(10.6㎝)に作られており、それより小さい物は獲ってはいけない決まりになっている。スライド枠には「63.7.11」と記される。 | 鳥羽市菅島町 | 1988.07.11 |
121 | 菅島しろんご祭9-8 | 獲ってきた鮑を点検する。鮑は「スントリ」と呼ばれる木製の計測用具で測られる。スントリの内寸は、3寸5分(10.6㎝)に作られており、それより小さい物は獲ってはいけない決まりになっている。スライド枠には「63.7.11」と記される。 | 鳥羽市菅島町 | 1988.07.11 |
122 | 菅島しろんご祭9-9 | 操業を終え浜に戻ってきた海女。左手に磯メガネ、左手にはタンポが持たれている。スカリには鮑か、栄螺が入れられているようだ。スライド枠には「63.7.11」と記される。 | 鳥羽市菅島町 | 1988.07.11 |
123 | 菅島しろんご祭9-10 | 操業を終え浜に戻ってきた海女。右手に磯メガネ、左手にはタンポが持たれている。スカリには鮑か、栄螺が入れられているようだ。スライド枠には「63.7.11」と記される。 | 鳥羽市菅島町 | 1988.07.11 |
124 | 菅島しろんご祭9-11 | 操業を終え浜に戻ってきた海女。左手で抱えたタンポのスカリには鮑か、栄螺が入っているようであるが、これから組合員の待つ集荷場所へと向かう。スライド枠には「63.7.11」と記される。 | 鳥羽市菅島町 | 1988.07.11 |
125 | 菅島しろんご祭9-12 | 操業を終え浜に戻ってきた海女。左手で抱えたタンポのスカリには鮑か、栄螺が入っているようであるが、これから組合員の待つ集荷場所へと向かう。スライド枠には「63.7.11」と記される。 | 鳥羽市菅島町 | 1988.07.11 |
126 | 菅島しろんご祭9-13 | 獲った漁獲物を組合に差し出し、祭事を終えると海女達は来た時と同様に磯桶やフゴに道具を入れ、おもいおもいに帰途に着く。スライド枠には「63.7.11」と記される。 | 鳥羽市菅島町 | 1988.07.11 |
127 | 菅島しろんご祭9-14 | 獲った漁獲物を組合に差し出し、祭事を終えると海女達は来た時と同様に磯桶やフゴに道具を入れ、おもいおもいに帰途に着く。スライド枠には「63.7.11」と記される。 | 鳥羽市菅島町 | 1988.07.11 |
128 | 菅島しろんご祭9-15 | 獲った漁獲物を組合に差し出し、祭事を終えると海女達は来た時と同様に磯桶やフゴに道具を入れ、おもいおもいに帰途に着く。スライド枠には「63.7.11」と記される。 | 鳥羽市菅島町 | 1988.07.11 |
129 | 菅島しろんご祭9-16 | 海女用具・磯桶。近年は発泡スチロールで作った浮き輪にスカリを付けるタンポが多くなってきたと言うが、徒人やノリアイの海女が使用する昔ながらの磯桶である。磯桶には、桶と海女をつなぐロープが付けられている。ロープはそれぞれの海女が潜る深さによって少しづつ長さが異なると言う。スライド枠には「63.7.11」と記される。 | 鳥羽市菅島町 | 1988.07.11 |
130 | 菅島しろんご祭10-1 | 暖をとる海女達。白浜に集まった海女達は、気の合った仲間同士で「カマド」を囲み、焚火にあたって躰を温め、各人それぞれ、磯メガネの曇り止めに使うツワブキをもんだり、磯手拭いを付けたり、磯タビを履いたりして磯入りの合図に供えるスライド枠には「63.7.11」と記される。 | 鳥羽市菅島町 | 1988.07.11 |
131 | 菅島しろんご祭10-2 | 暖をとる海女達。白浜に集まった海女達は、気の合った仲間同士で「カマド」を囲み、焚火にあたって躰を温め、各人それぞれ、磯メガネの曇り止めに使うツワブキをもんだり、磯手拭いを付けたり、磯タビを履いたりして磯入りの合図に供える。タンポには、獲った鮑の大きさを計測する「スントリ」と呼ばれる木製の用具が括り付けられている。鮑は、この「スントリ」の中に収まってしまうもの、●寸●分( ㎝)以下のものは獲ってはいけない決まりになっている。スライド枠には「63.7.11」と記される。 | 鳥羽市菅島町 | 1988.07.11 |
132 | 菅島しろんご祭10-3 | 漁業組合員による合図のホラ貝が吹き鳴らされると、海女達は雄・雌一対の鮑を求めて、一斉に沖合の磯場へと泳ぎ始める。徒人は水深6~7m程の磯場を潜水し、舟人はその沖の深い所を潜る。一回の潜水は平均45~50秒。約1時間の操業が続けられる。スライド枠には「63.7.11」と記される。 | 鳥羽市菅島町 | 1988.07.11 |
133 | 菅島しろんご祭10-4 | 漁業組合員による合図のホラ貝が吹き鳴らされると、海女達は雄・雌一対の鮑を求めて、一斉に沖合の磯場へと泳ぎ始める。徒人は水深6~7m程の磯場を潜水し、舟人はその沖の深い所を潜る。一回の潜水は平均45~50秒。約1時間の操業が続けられる。スライド枠には「63.7.11」と記される。 | 鳥羽市菅島町 | 1988.07.11 |
134 | 菅島しろんご祭10-5 | 漁業組合員による合図のホラ貝が吹き鳴らされると、海女達は雄・雌一対の鮑を求めて、一斉に沖合の磯場へと泳ぎ始める。徒人は水深6~7m程の磯場を潜水し、舟人はその沖の深い所を潜る。一回の潜水は平均45~50秒。約1時間の操業が続けられる。スライド枠には「63.7.11」と記される。 | 鳥羽市菅島町 | 1988.07.11 |
135 | 菅島しろんご祭10-6 | 漁業組合員による合図のホラ貝が吹き鳴らされると、海女達は雄・雌一対の鮑を求めて、一斉に沖合の磯場へと泳ぎ始める。徒人は水深6~7m程の磯場を潜水し、舟人はその沖の深い所を潜る。一回の潜水は平均45~50秒。約1時間の操業が続けられる。スライド枠には「63.7.11」と記される。 | 鳥羽市菅島町 | 1988.07.11 |
136 | 菅島しろんご祭10-7 | 漁業組合員による合図のホラ貝が吹き鳴らされると、海女達は雄・雌一対の鮑を求めて、一斉に沖合の磯場へと泳ぎ始める。徒人は水深6~7m程の磯場を潜水し、舟人はその沖の深い所を潜る。一回の潜水は平均45~50秒。約1時間の操業が続けられる。スライド枠には「63.7.11」と記される。 | 鳥羽市菅島町 | 1988.07.11 |
137 | 菅島しろんご祭10-8 | 漁業組合員による合図のホラ貝が吹き鳴らされると、海女達は雄・雌一対の鮑を求めて、一斉に沖合の磯場へと泳ぎ始める。徒人は水深6~7m程の磯場を潜水し、舟人はその沖の深い所を潜る。一回の潜水は平均45~50秒。約1時間の操業が続けられる。スライド枠には「63.7.11」と記される。 | 鳥羽市菅島町 | 1988.07.11 |
138 | 菅島しろんご祭10-9 | 漁業組合員による合図のホラ貝が吹き鳴らされると、海女達は雄・雌一対の鮑を求めて、一斉に沖合の磯場へと泳ぎ始める。徒人は水深6~7m程の磯場を潜水し、舟人はその沖の深い所を潜る。一回の潜水は平均45~50秒。約1時間の操業が続けられる。スライド枠には「63.7.11」と記される。 | 鳥羽市菅島町 | 1988.07.11 |
139 | 菅島しろんご祭10-10 | 漁業組合員による合図のホラ貝が吹き鳴らされると、海女達は雄・雌一対の鮑を求めて、一斉に沖合の磯場へと泳ぎ始める。徒人は水深6~7m程の磯場を潜水し、舟人はその沖の深い所を潜る。一回の潜水は平均45~50秒。約1時間の操業が続けられる。スライド枠には「63.7.11」と記される。 | 鳥羽市菅島町 | 1988.07.11 |
140 | 菅島しろんご祭10-11 | 漁業組合員による合図のホラ貝が吹き鳴らされると、海女達は雄・雌一対の鮑を求めて、一斉に沖合の磯場へと泳ぎ始める。徒人は水深6~7m程の磯場を潜水し、舟人はその沖の深い所を潜る。一回の潜水は平均45~50秒。約1時間の操業が続けられる。スライド枠には「63.7.11」と記される。スライド枠には「63.7.11」と記される。 | 鳥羽市菅島町 | 1988.07.11 |
141 | 菅島しろんご祭10-12 | 漁業組合員による合図のホラ貝が吹き鳴らされると、海女達は雄・雌一対の鮑を求めて、一斉に沖合の磯場へと泳ぎ始める。徒人は水深6~7m程の磯場を潜水し、舟人はその沖の深い所を潜る。一回の潜水は平均45~50秒。約1時間の操業が続けられる。スライド枠には「63.7.11」と記される。 | 鳥羽市菅島町 | 1988.07.11 |
142 | 菅島しろんご祭10-13 | 漁業組合員による合図のホラ貝が吹き鳴らされると、海女達は雄・雌一対の鮑を求めて、一斉に沖合の磯場へと泳ぎ始める。徒人は水深6~7m程の磯場を潜水し、舟人はその沖の深い所を潜る。一回の潜水は平均45~50秒。約1時間の操業が続けられる。スライド枠には「63.7.11」と記される。 | 鳥羽市菅島町 | 1988.07.11 |
143 | 菅島しろんご祭10-14 | 漁業組合員による合図のホラ貝が吹き鳴らされると、海女達は雄・雌一対の鮑を求めて、一斉に沖合の磯場へと泳ぎ始める。徒人は水深6~7m程の磯場を潜水し、舟人はその沖の深い所を潜る。一回の潜水は平均45~50秒。約1時間の操業が続けられる。スライド枠には「63.7.11」と記される。 | 鳥羽市菅島町 | 1988.07.11 |
144 | 菅島しろんご祭10-15 | 漁業組合員による合図のホラ貝が吹き鳴らされると、海女達は雄・雌一対の鮑を求めて、一斉に沖合の磯場へと泳ぎ始める。徒人は水深6~7m程の磯場を潜水し、舟人はその沖の深い所を潜る。一回の潜水は平均45~50秒。約1時間の操業が続けられる。スライド枠には「63.7.11」と記される。 | 鳥羽市菅島町 | 1988.07.11 |
145 | 菅島しろんご祭10-16 | 漁業組合員による合図のホラ貝が吹き鳴らされると、海女達は雄・雌一対の鮑を求めて、一斉に沖合の磯場へと泳ぎ始める。徒人は水深6~7m程の磯場を潜水し、舟人はその沖の深い所を潜る。一回の潜水は平均45~50秒。約1時間の操業が続けられる。スライド枠には「63.7.11」と記される。 | 鳥羽市菅島町 | 1988.07.11 |
146 | 菅島しろんご祭10-17 | 漁業組合員による合図のホラ貝が吹き鳴らされると、海女達は雄・雌一対の鮑を求めて、一斉に沖合の磯場へと泳ぎ始める。徒人は水深6~7m程の磯場を潜水し、舟人はその沖の深い所を潜る。一回の潜水は平均45~50秒。約1時間の操業が続けられる。スライド枠には「63.7.11」と記される。 | 鳥羽市菅島町 | 1988.07.11 |
147 | 菅島しろんご祭10-18 | 漁業組合員による合図のホラ貝が吹き鳴らされると、海女達は雄・雌一対の鮑を求めて、一斉に沖合の磯場へと泳ぎ始める。徒人は水深6~7m程の磯場を潜水し、舟人はその沖の深い所を潜る。一回の潜水は平均45~50秒。約1時間の操業が続けられる。スライド枠には「63.7.11」と記される。 | 鳥羽市菅島町 | 1988.07.11 |
148 | 菅島しろんご祭11-1 | 操業を終え浜に戻ってきた海女。お互いに獲った鮑や栄螺の話でもしているのだろうか。頭に被った磯手拭いには、ドーマン・セーマンの魔除けの印が描かれている。スライド枠には「63.7.11」と記される。 | 鳥羽市菅島町 | 1988.07.11 |
149 | 菅島しろんご祭11-2 | 操業を終え浜に戻ってきた海女。お互いに獲った鮑や栄螺の話でもしているのだろうか。頭に被った磯手拭いには、ドーマン・セーマンの魔除けの印が描かれている。スライド枠には「63.7.11」と記される。 | 鳥羽市菅島町 | 1988.07.11 |
150 | 菅島しろんご祭11-3 | 操業を終え浜に戻ってきた海女。タンポの横には鮑を計測する「スントリ」が付けられている。鮑は3寸5分(10.6㎝)以下のものは獲ってはいけない決まりになっている。スライド枠には「63.7.11」と記される。 | 鳥羽市菅島町 | 1988.07.11 |
151 | 菅島しろんご祭11-4 | 操業を終え浜に戻ってきた海女。右手で抱えたタンポのスカリには鮑か、栄螺が入っているようであるが、これから組合員の待つ集荷場所へと向かう。写真右の海女は、腰にもスカリを付けているようである。 | 鳥羽市菅島町 | 1988.07.11 |
152 | 菅島しろんご祭11-5 | 暖をとる海女達。白浜に集まった海女達は、気の合った仲間同士で「カマド」を囲み、焚火にあたって躰を温める。スライド枠には「63.7.11」と記される。 | 鳥羽市菅島町 | 1988.07.11 |
153 | 菅島しろんご祭11-6 | 暖をとる海女達。白浜に集まった海女達は、気の合った仲間同士で「カマド」を囲み、焚火にあたって躰を温める。スライド枠には「63.7.11」と記される。 | 鳥羽市菅島町 | 1988.07.11 |
154 | 菅島しろんご祭11-7 | 操業を終え浜に戻ってきた海女。左手にもったスカリには鮑か、栄螺が入っているようである。海から上がった海女は組合員の待つ集荷場所へと向かう。スライド枠には「63.7.11」と記される。 | 鳥羽市菅島町 | 1988.07.11 |
155 | 菅島しろんご祭11-8 | しろんご祭に参加するため、大漁旗と国旗を立てて白浜に集まった漁船団。スライド枠には「63.7.11」と記される。 | 鳥羽市菅島町 | 1988.07.11 |
156 | 菅島しろんご祭11-9 | しろんご祭に参加するため、大漁旗と国旗を立てて白浜に集まった漁船団。スライド枠には「63.7.11」と記される。 | 鳥羽市菅島町 | 1988.07.11 |
157 | 菅島しろんご祭11-10 | 獲った漁獲物を組合に差し出し、祭事を終えると海女達は来た時と同様に磯桶やフゴに道具を入れ、おもいおもいに帰途に着く。スライド枠には「63.7.11」と記される。 | 鳥羽市菅島町 | 1988.07.11 |
158 | 菅島しろんご祭11-11 | 獲った漁獲物を組合に差し出し、祭事を終えると海女達は来た時と同様に磯桶やフゴに道具を入れ、おもいおもいに帰途に着く。スライド枠には「63.7.11」と記される。 | 鳥羽市菅島町 | 1988.07.11 |
159 | 菅島しろんご祭11-12 | 式典に先立ち、米と小豆を混ぜた饌米を白髭神社に届ける青年。スライド枠には「63.7.11」と記される。 | 鳥羽市菅島町 | 1988.07.11 |
160 | 菅島しろんご祭11-13 | 式典に先立ち、神酒を白髭神社に届ける青年。スライド枠には「63.7.11」と記される。 | 鳥羽市菅島町 | 1988.07.11 |
161 | 菅島しろんご祭11-14 | 白鬚神社に一番鮑(雌雄一対)を供える海女。かつては一番鮑を獲った海女は高々と片手を上げて名乗り出て、舟板に雄貝と雌貝をのせ濡れた磯着のまま鳥居をくぐり、白鬚明神に奉納した。これを「まねきアワビ」と称して、他のアワビをまねき、豊漁が約束されると伝えられている。現在は、青年部の女子が正装をしてお供えに行く。スライド枠には「63.7.11」と記される。 | 鳥羽市菅島町 | 1988.07.11 |
162 | 菅島しろんご祭11-15 | 一番鮑が奉納されると、氏子総代や漁協、町内会等、村の代表者達が正装をし居並ぶ中で、菅島神社の宮司による祝詞奏上、玉串奉奠が行なわれ、式典が挙行されていく。スライド枠には「63.7.11」と記される。 | 鳥羽市菅島町 | 1988.07.11 |
163 | 菅島しろんご祭11-16 | 一番鮑が奉納されると、氏子総代や漁協、町内会等、村の代表者達が正装をし居並ぶ中で、菅島神社の宮司による祝詞奏上、玉串奉奠が行なわれ、式典が挙行されていく。スライド枠には「63.7.11」と記される。 | 鳥羽市菅島町 | 1988.07.11 |
164 | 菅島しろんご祭11-17 | 一番鮑が奉納されると、氏子総代や漁協、町内会等、村の代表者達が正装をし居並ぶ中で、菅島神社の宮司による祝詞奏上、玉串奉奠が行なわれ、式典が挙行されていく。スライド枠には「63.7.11」と記される。 | 鳥羽市菅島町 | 1988.07.11 |
165 | 菅島しろんご祭11- | 一番鮑が奉納されると、氏子総代や漁協、町内会等、村の代表者達が正装をし居並ぶ中で、菅島神社の宮司による祝詞奏上、玉串奉奠が行なわれ、式典が挙行されていく。スライド枠には「63.7.11」と記される。 | 鳥羽市菅島町 | 1988.07.11 |
166 | 菅島しろんご祭12-1 | 暖をとる海女達。白浜に集まった海女達は、気の合った仲間同士で「カマド」を囲み、焚火にあたって躰を温め、各人それぞれ、磯メガネの曇り止めに使うツワブキをもんだり、磯手拭いを付けたり、磯タビを履いたりして磯入りの合図に供える。菅島ではイソモンオコシと呼ぶカギノミを挟んだ磯桶や、タンポ等が置かれている。昭和50年代初期は全て磯桶だったと言うが、撮影時期には発砲スチロール製のタンポが6割程を占めるとの事である。スライド枠には「63.7.11」と記される。 | 鳥羽市菅島町 | 1988.07.11 |
167 | 菅島しろんご祭12-2 | 暖をとる海女達。白浜に集まった海女達は、気の合った仲間同士で「カマド」を囲み、焚火にあたって躰を温め、各人それぞれ、磯メガネの曇り止めに使うツワブキをもんだり、磯手拭いを付けたり、磯タビを履いたりして磯入りの合図に供える。スライド枠には「63.7.11」と記される。 | 鳥羽市菅島町 | 1988.07.11 |
168 | 菅島しろんご祭12-3 | 暖をとる海女達。白浜に集まった海女達は、気の合った仲間同士で「カマド」を囲み、焚火にあたって躰を温め、各人それぞれ、磯メガネの曇り止めに使うツワブキをもんだり、磯手拭いを付けたり、磯タビを履いたりして磯入りの合図に供える。 | 鳥羽市菅島町 | 1988.07.11 |
169 | 菅島しろんご祭12-4 | 暖をとる海女達。白浜に集まった海女達は、気の合った仲間同士で「カマド」を囲み、焚火にあたって躰を温め、各人それぞれ、磯メガネの曇り止めに使うツワブキをもんだり、磯手拭いを付けたり、磯タビを履いたりして磯入りの合図に供える。スライド枠には「63.7.11」と記される。 | 鳥羽市菅島町 | 1988.07.11 |
170 | 菅島しろんご祭12-5 | 暖をとる海女達。白浜に集まった海女達は、気の合った仲間同士で「カマド」を囲み、焚火にあたって躰を温め、各人それぞれ、磯メガネの曇り止めに使うツワブキをもんだり、磯手拭いを付けたり、磯タビを履いたりして磯入りの合図に供える。スライド枠には「63.7.11」と記される。 | 鳥羽市菅島町 | 1988.07.11 |
171 | 菅島しろんご祭12-6 | 獲った漁獲物を組合に差し出し、祭事を終えると海女達は来た時と同様に磯桶やフゴに道具を入れ、おもいおもいに帰途に着く。村へと続く小道の両側には、海浜植物のクマツヅラ科のハマゴウが生い茂る。スライド枠には「63.7.11」と記される。 | 鳥羽市菅島町 | 1988.07.11 |
172 | 菅島しろんご祭12-7 | 獲った漁獲物を組合に差し出し、祭事を終えると海女達は来た時と同様に磯桶やフゴに道具を入れ、おもいおもいに帰途に着く。村へと続く小道の両側には、海浜植物のクマツヅラ科のハマゴウが生い茂る。スライド枠には「63.7.11」と記される。 | 鳥羽市菅島町 | 1988.07.11 |
173 | 菅島しろんご祭12-8 | 獲った漁獲物を組合に差し出し、祭事を終えると海女達は来た時と同様に磯桶やフゴに道具を入れ、おもいおもいに帰途に着く。海女の頭の磯手拭いには、額の部分にドーマン・セーマンの印が描かれている。村へと続く小道の両側には、海浜植物のクマツヅラ科のハマゴウが生い茂る。スライド枠には「63.7.11」と記される。 | 鳥羽市菅島町 | 1988.07.11 |
174 | 菅島しろんご祭12-9 | 獲った漁獲物を組合に差し出し、祭事を終えると海女達は来た時と同様に磯桶やフゴに道具を入れ、おもいおもいに帰途に着く。昔ながらの磯桶を使用する年配の海女達は、道具を入れた桶を頭上に乗せて運搬する。スライド枠には「63.7.11」と記される。スライド枠には「63.7.11」と記される。 | 鳥羽市菅島町 | 1988.07.11 |
175 | 菅島しろんご祭12-10 | 獲った漁獲物を組合に差し出し、祭事を終えると海女達は来た時と同様に磯桶やフゴに道具を入れ、おもいおもいに帰途に着く。昔ながらの磯桶を使用する年配の海女達は、道具を入れた桶を頭上に乗せて運搬する。スライド枠には「63.7.11」と記される。スライド枠には「63.7.11」と記される。 | 鳥羽市菅島町 | 1988.07.11 |
176 | 菅島しろんご祭12-11 | 獲った漁獲物を組合に差し出し、祭事を終えると海女達は来た時と同様に磯桶やフゴに道具を入れ、おもいおもいに帰途に着く。昔ながらの磯桶を使用する年配の海女達は、道具を入れた桶を頭上に乗せて運搬する。スライド枠には「63.7.11」と記される。スライド枠には「63.7.11」と記される。 | 鳥羽市菅島町 | 1988.07.11 |
177 | 菅島しろんご祭13-1 | 漁業組合員による合図のホラ貝が吹き鳴らされると、海女達は雄・雌一対の鮑を求めて、一斉に沖合の磯場へと泳ぎ始める。徒人は水深6~7m程の磯場を潜水し、舟人はその沖の深い所を潜る。一回の潜水は平均45~50秒。約1時間の操業が続けられる。スライド枠には「63.7.11」と記される。 | 鳥羽市菅島町 | 1988.07.11 |
178 | 菅島しろんご祭13-2 | 漁業組合員による合図のホラ貝が吹き鳴らされると、海女達は雄・雌一対の鮑を求めて、一斉に沖合の磯場へと泳ぎ始める。徒人は水深6~7m程の磯場を潜水し、舟人はその沖の深い所を潜る。一回の潜水は平均45~50秒。約1時間の操業が続けられる。スライド枠には「63.7.11」と記される。 | 鳥羽市菅島町 | 1988.07.11 |
179 | 菅島しろんご祭13-3 | 漁業組合員による合図のホラ貝が吹き鳴らされると、海女達は雄・雌一対の鮑を求めて、一斉に沖合の磯場へと泳ぎ始める。徒人は水深6~7m程の磯場を潜水し、舟人はその沖の深い所を潜る。一回の潜水は平均45~50秒。約1時間の操業が続けられる。スライド枠には「63.7.11」と記される。 | 鳥羽市菅島町 | 1988.07.11 |
180 | 菅島しろんご祭13-4 | 漁業組合員による合図のホラ貝を待つ海女達。磯メガネの曇り止めや、用具の点検などに余念が無い。スライド枠には「63.7.11」と記される。 | 鳥羽市菅島町 | 1988.07.11 |
181 | 菅島しろんご祭13-5 | 漁業組合員による合図のホラ貝を待つ海女達。磯メガネの曇り止めや、用具の点検などに余念が無い。スライド枠には「63.7.11」と記される。 | 鳥羽市菅島町 | 1988.07.11 |
182 | 菅島しろんご祭13-6 | 漁業組合員による合図のホラ貝を待つ海女。曇り止めを施した磯メガネを顔に合わせる。スライド枠には「63.7.11」と記される。 | 鳥羽市菅島町 | 1988.07.11 |
183 | 菅島しろんご祭13-7 | 漁業組合員による合図のホラ貝を待つ海女。曇り止めを施した磯メガネを顔に付け手袋をはめる。スライド枠には「63.7.11」と記される。 | 鳥羽市菅島町 | 1988.07.11 |
184 | 菅島しろんご祭13-8 | 漁業組合員による合図のホラ貝を待つ海女。曇り止めを施した磯メガネを顔に付け手袋をはめる。 | 鳥羽市菅島町 | (1988.07.11) |
185 | 菅島しろんご祭13-9 | 漁業組合員による合図のホラ貝が吹き鳴らされると、海女達は雄・雌一対の鮑を求めて、一斉に沖合の磯場へと泳ぎ始める。徒人は水深6~7m程の磯場を潜水し、舟人はその沖の深い所を潜る。一回の潜水は平均45~50秒。約1時間の操業が続けられる。スライド枠には「63.7.11」と記される。 | 鳥羽市菅島町 | 1988.07.11 |
186 | 菅島しろんご祭13-10 | 漁業組合員による合図のホラ貝が吹き鳴らされると、海女達は雄・雌一対の鮑を求めて、一斉に沖合の磯場へと泳ぎ始める。徒人は水深6~7m程の磯場を潜水し、舟人はその沖の深い所を潜る。一回の潜水は平均45~50秒。約1時間の操業が続けられる。スライド枠には「63.7.11」と記される。 | 鳥羽市菅島町 | 1988.07.11 |
187 | 菅島しろんご祭13-11 | 漁業組合員による合図のホラ貝が吹き鳴らされると、海女達は雄・雌一対の鮑を求めて、一斉に沖合の磯場へと泳ぎ始める。徒人は水深6~7m程の磯場を潜水し、舟人はその沖の深い所を潜る。一回の潜水は平均45~50秒。約1時間の操業が続けられる。スライド枠には「63.7.11」と記される。 | 鳥羽市菅島町 | 1988.07.11 |
188 | 菅島しろんご祭13-12 | 漁業組合員による合図のホラ貝が吹き鳴らされると、海女達は雄・雌一対の鮑を求めて、一斉に沖合の磯場へと泳ぎ始める。徒人は水深6~7m程の磯場を潜水し、舟人はその沖の深い所を潜る。一回の潜水は平均45~50秒。約1時間の操業が続けられる。スライド枠には「63.7.11」と記される。 | 鳥羽市菅島町 | 1988.07.11 |
189 | 菅島しろんご祭14-1 | しろんご祭に参加するため、大漁旗と国旗を立てて白浜に集まった漁船団。スライド枠には「63.7.11」と記される。 | 鳥羽市菅島町 | 1988.07.11 |
190 | 菅島しろんご祭14-2 | しろんご祭に参加するため、大漁旗と国旗を立てて白浜に集まった漁船団。スライド枠には「63.7.11」と記される。 | 鳥羽市菅島町 | 1988.07.11 |
191 | 菅島しろんご祭14-3 | 沖合で操業する海女。海面に出た海女は、タンポに捕まりながら息を整え、次の潜水に備える。スライド枠には「63.7.11」と記される。 | 鳥羽市菅島町 | 1988.07.11 |
192 | 菅島しろんご祭14-4 | 沖合で操業する海女。海面に出た海女は、タンポに捕まりながら息を整え、次の潜水に備える。スライド枠には「63.7.11」と記される。 | 鳥羽市菅島町 | 1988.07.11 |
193 | 菅島しろんご祭14-5 | 操業を終え、浜に戻ってきた海女。スライド枠には「63.7.11」と記される。 | 鳥羽市菅島町 | 1988.07.11 |
194 | 菅島しろんご祭14-6 | 操業を終え、浜に戻ってきた海女。スライド枠には「63.7.11」と記される。 | 鳥羽市菅島町 | 1988.07.11 |
195 | 菅島しろんご祭14-7 | 操業を終え、浜に戻ってきた海女。スライド枠には「63.7.11」と記される。 | 鳥羽市菅島町 | 1988.07.11 |
196 | 菅島しろんご祭14-8 | 操業を終え、浜に戻ってきた海女。スライド枠には「63.7.11」と記される。 | 鳥羽市菅島町 | 1988.07.11 |
197 | 菅島しろんご祭14-9 | 操業を終え浜に戻ってきた海女。右手に磯メガネを持ち、左手のタンポのスカリには鮑か、栄螺が入っているようであるが、これから組合員の待つ集荷場所へと向かう。スライド枠には「63.7.11」と記される。 | 鳥羽市菅島町 | 1988.07.11 |
198 | 菅島しろんご祭14-10 | 操業を終え浜に戻ってきた海女。右手に磯メガネを持ち、左手のタンポのスカリには鮑か、栄螺が入っているようであるが、これから組合員の待つ集荷場所へと向かう。スライド枠には「63.7.11」と記される。 | 鳥羽市菅島町 | 1988.07.11 |
199 | 菅島しろんご祭14-11 | 操業を終え、浜に戻ってきた海女。スライド枠には「63.7.11」と記される。 | 鳥羽市菅島町 | 1988.07.11 |
200 | 菅島しろんご祭14-12 | 操業を終え、浜に戻ってきた海女。スライド枠には「63.7.11」と記される。 | 鳥羽市菅島町 | 1988.07.11 |
201 | 菅島しろんご祭14-13 | 操業を終え、浜に戻ってきた海女。これから組合員の待つ集荷場所へと向かう。スライド枠には「63.7.11」と記される。 | 鳥羽市菅島町 | 1988.07.11 |
202 | 菅島しろんご祭14-14 | 操業を終え、浜に戻ってきた海女。スライド枠には「63.7.11」と記される。 | 鳥羽市菅島町 | 1988.07.11 |
203 | 菅島しろんご祭14-15 | 操業を終え、浜に戻ってきた海女。これから組合員の待つ集荷場所へと向かう。スライド枠には「63.7.11」と記される。 | 鳥羽市菅島町 | 1988.07.11 |
204 | 菅島しろんご祭1-1 | 鳥羽市菅島町に祀られる白髭明神の祭礼として、数百年もの間続けられていると言う「しろんご祭」である。かつては旧暦6月11日に実施されてきたが近年では新暦7月11日に執り行われる。白髭明神社は全国に分布し、「猿田彦」とも言われることから山神・海神的意味が強く、ここ菅島では島の守護神として祀られる。「しろんご」の語源は、白髭(しろひげ)が訛ったものだとされるが、この日は村の海女全員が神域として禁漁区にされている白髭明神下の磯に潜り、一番早く雌雄一対の鮑を採った物を神社にお供えする。そして、その鮑を採った海女は、その年の海女頭として敬われる。参考文献:在中調査メモ「菅島のシロンゴ祭」/『ふるさと菅島』。スライド枠には「しろんご 海女 火にあたる 2010.7.13」と記される。 | 鳥羽市菅島町 | 2010.07.13 |
205 | 菅島しろんご祭1-2 | 暖をとる海女達。白浜に集まった海女達は、気の合った仲間同士で「カマド」を囲み、焚火にあたって躰を温める。頭に被った磯テヌグイには、魔除印とされる「急々如律令」の文字と、その左右に「ドーマン・セーマン」が記されている。スライド枠には「しろんご 2010.7.13」と記される。 | 鳥羽市菅島町 | 2010.07.13 |
206 | 菅島しろんご祭1-3 | 暖をとる海女達。白浜に集まった海女達は、気の合った仲間同士で「カマド」を囲み、焚火にあたって躰を温める。頭に被った磯テヌグイには、魔除印とされる「急々如律令」の文字と、その左右に「ドーマン・セーマン」が記されている。スライド枠には「しろんご 2010.7.13」と記される。 | 鳥羽市菅島町 | 2010.07.13 |
207 | 菅島しろんご祭1-4 | 操海女用具・磯桶。近年は発泡スチロールで作った浮き輪にスカリを付けるタンポが多くなってきたと言うが、徒人やノリアイの海女が使用する昔ながらの磯桶である。磯桶には、持ち主の屋号を示す焼き印が押され、桶と海女をつなぐロープが付けられている。ロープはそれぞれの海女が潜る深さによって少しづつ長さが異なると言う。スライド枠には「海女の道具 しろんご 2010.7.13」と記される。 | 鳥羽市菅島町 | 2010.07.13 |
208 | 菅島しろんご祭1-5 | 暖をとる海女達。白浜に集まった海女達は、気の合った仲間同士で「カマド」を囲み、焚火にあたって躰を温める。頭に被った磯テヌグイには、魔除印とされる「急々如律令」の文字と、その左右に「ドーマン・セーマン」が記されている。スライド枠には「しろんご 海女 2010.7.13」と記される。 | 鳥羽市菅島町 | 2010.07.13 |
209 | 菅島しろんご祭1-6 | 暖をとる海女達。白浜に集まった海女達は、気の合った仲間同士で「カマド」を囲み、焚火にあたって躰を温める。頭に被った磯テヌグイには、魔除印とされる「急々如律令」の文字と、その左右に「ドーマン・セーマン」が記されている。スライド枠には「しろんご 2010.7.13」と記される。 | 鳥羽市菅島町 | 2010.07.13 |
210 | 菅島しろんご祭1-7 | しろんご祭が行われる白浜。手前のテントと秤を乗せた船外機船は海女達が獲ってきた鮑等を受け取る漁業組合の集荷所。スライド枠には「しろんご 2010.7.13」と記される。 | 鳥羽市菅島町 | 2010.07.13 |
211 | 菅島しろんご祭1-8 | 年配の海女達と共に、浜の式典に参加する子供達。成人して海女を生業とする女性は希で有ろうが、この年代で曲がりなりにも潜水してサザエや貝類を拾うことが出来ると言うのは、祖母や母親の仕事を見て育ってきたこの島ならではの子供達と言えよう。スライド枠には「しろんご 浜の式典 2010.7.13」と記される。 | 鳥羽市菅島町 | 2010.07.13 |
212 | 菅島しろんご祭1-9 | 年配の海女達と共に、浜の式典に参加する子供達。成人して海女を生業とする女性は希で有ろうが、この年代で曲がりなりにも潜水してサザエや貝類を拾うことが出来ると言うのは、祖母や母親の仕事を見て育ってきたこの島ならではの子供達と言えよう。スライド枠には「しろんご 2010.7.13」と記される。 | 鳥羽市菅島町 | 2010.07.13 |
213 | 菅島しろんご祭1-10 | 午前9時になると、海上安全と豊漁を祈願して菅島神社の宮司による祓いが行われる。祭事に参加する海女達は、砂浜に正座し豊漁と操業の安全を祈願する。スライド枠には「しろんご 2010.7.13」と記される。 | 鳥羽市菅島町 | 2010.07.13 |
214 | 菅島しろんご祭1-11 | 祭事の前の祓いが終わると、海女達は「磯入り」の合図に備えて、身支度を調え準備を始める。かつては磯着だけであったが、今はウエットスーツを着込み、その上に白の磯着を身に付ける。スライド枠には「しろんご 2010.7.13」と記される。 | 鳥羽市菅島町 | 2010.07.13 |
215 | 菅島しろんご祭1-12 | 祭事の前の祓いが終わると、海女達は「磯入り」の合図に備えて、身支度を調え準備を始める。ウエットスーツの上に白の磯着を身に付け、腰には鉛の重りを付けたベルトを着ける。スライド枠には「しろんご 出漁前 2010.7.13」と記される。 | 鳥羽市菅島町 | 2010.07.13 |
216 | 菅島しろんご祭1-13 | 波打ち際で、「磯入り」の合図を待つ海女。腰には磯桶を結わえるためのロープも巻かれている。スライド枠には「しろんご 出漁前2010.7.13」と記される。 | 鳥羽市菅島町 | 2010.07.13 |
217 | 菅島しろんご祭1-14 | 波打ち際で、「磯入り」の合図を待つ海女。腰には磯桶を結わえるためのロープも巻かれている。スライド枠には「しろんご 2010.7.13」と記される。 | 鳥羽市菅島町 | 2010.07.13 |
218 | 菅島しろんご祭1-15 | 波打ち際で、「磯入り」の準備をする海女。腰には鉛のベルトや磯桶を結わえるためのロープが巻かれている。磯眼鏡の汚れを落とすために海水を掬おうとする海女。磯桶には、まだ付けてはいない足ヒレも見える。スライド枠には「しろんご 2010.7.13」と記される。 | 鳥羽市菅島町 | 2010.07.13 |
219 | 菅島しろんご祭1-16 | 波打ち際で、「磯入り」の合図を待つ海女。スライド枠には「しろんご 2010.7.13」と記される。 | 鳥羽市菅島町 | 2010.07.13 |
220 | 菅島しろんご祭1-17 | 波打ち際で、「磯入り」の合図を待つ海女。腰に鉛のベルトを着けている海女と付けていない海女が見られる。深い磯場に潜る海女と浅い磯場を潜る海女によっても、その身支度は異なるのかも知れない。スライド枠には「しろんご 2010.7.13」と記される。 | 鳥羽市菅島町 | 2010.07.13 |
221 | 菅島しろんご祭1-18 | 波打ち際で、「磯入り」の準備をする海女。磯眼鏡の曇りを蕗の葉を使って落とす。スライド枠には「しろんご 2010.7.13」と記される。 | 鳥羽市菅島町 | 2010.07.13 |
222 | 菅島しろんご祭1-19 | 波打ち際で、「磯入り」の合図を待つ海女。スライド枠には「しろんご 2010.7.13」と記される。 | 鳥羽市菅島町 | 2010.07.13 |
223 | 菅島しろんご祭2-1 | 波打ち際で、「磯入り」の合図を待つ海女。かつては徒人やノリアイの海女達は誰もが、このような木製の磯桶を使っていた。今は、ほとんどの海女達は、右手前に写るような発泡スチロール製の浮き輪にスカリを付けた「タンポ」と呼ぶ物を使っていると言う。スライド枠には「しろんご 2010.7.13」と記される。 | 鳥羽市菅島町 | 2010.07.13 |
224 | 菅島しろんご祭2-2 | 波打ち際で、「磯入り」の合図を待つ海女。磯眼鏡の吸い付き具合を確認する。顔にうまく合わないと、水中で眼鏡の中に海水が入り込んでくる。スライド枠には「しろんご 2010.7.13」と記される。 | 鳥羽市菅島町 | 2010.07.13 |
225 | 菅島しろんご祭2-3 | 波打ち際で、「磯入り」の合図を待つ海女。磯眼鏡の吸い付き具合を確認する。顔にうまく合わないと、水中で眼鏡の中に海水が入り込んでくる。頭に被った磯テヌグイには、魔除印とされる「急々如律令」の文字と、その左右に「ドーマン・セーマン」が記されている。スライド枠には「しろんご 2010.7.13」と記される。 | 鳥羽市菅島町 | 2010.07.13 |
226 | 菅島しろんご祭2-4 | 波打ち際で、「磯入り」の合図を待つ海女。スライド枠には「しろんご 2010.7.13」と記される。 | 鳥羽市菅島町 | 2010.07.13 |
227 | 菅島しろんご祭2-5 | 波打ち際で、「磯入り」の合図を待つ海女。スライド枠には「しろんご 2010.7.13」と記される。 | 鳥羽市菅島町 | 2010.07.13 |
228 | 菅島しろんご祭2-6 | 波打ち際で、「磯入り」の合図を待つ海女。スライド枠には「しろんご 出漁前 2010.7.13」と記される。 | 鳥羽市菅島町 | 2010.07.13 |
229 | 菅島しろんご祭2-7 | 波打ち際で、「磯入り」の合図を待つ海女。頭に被った磯テヌグイには、魔除印とされる「急々如律令」の文字と、その左右に「ドーマン・セーマン」が記されている。スライド枠には「しろんご 出漁前 2010.7.13」と記される。 | 鳥羽市菅島町 | 2010.07.13 |
230 | 菅島しろんご祭2-8 | 波打ち際で、「磯入り」の合図を待つ海女。スライド枠には「しろんご 2010.7.13」と記される。 | 鳥羽市菅島町 | 2010.07.13 |
231 | 菅島しろんご祭2-9 | 波打ち際で、「磯入り」の合図を待つ海女。スライド枠には「しろんご 2010.7.13」と記される。 | 鳥羽市菅島町 | 2010.07.13 |
232 | 菅島しろんご祭2-10 | 「磯入り」開始。しろんご祭の日以外は、止め磯(禁漁区)になっている白浜で操業する海女達。海面に浮かぶ磯桶の下では、海女達が操業を続ける。沖合の船は、祭を祝うため大漁旗を立ててパレードをする菅島の漁船団。スライド枠には「しろんご 2010.7.13」と記される。 | 鳥羽市菅島町 | 2010.07.13 |
233 | 菅島しろんご祭2-11 | 「磯入り」開始。しろんご祭の日以外は、止め磯(禁漁区)になっている白浜で操業する海女達。沖合の船は、祭を祝うため大漁旗を立ててパレードをする菅島の漁船団。スライド枠には「しろんご 海女潜る 2010.7.13」と記される。 | 鳥羽市菅島町 | 2010.07.13 |
234 | 菅島しろんご祭2-12 | 海女達が操業する間、白浜の海浜では菅島町内会祭典委員会や子供達による踊りが披露される。スライド枠はに「しろんご 踊り 2010.7.13」と記される。 | 鳥羽市菅島町 | 2010.07.13 |
235 | 菅島しろんご祭2-13 | 海女達が操業する間、白浜の海浜では菅島町内会祭典委員会や子供達、鳥羽市婦人会連合会等による踊りが披露される。スライド枠には「しろんご 踊り 2010.7.13」と記される。 | 鳥羽市菅島町 | 2010.07.13 |
236 | 菅島しろんご祭2-14 | 海女達が操業する間、白浜の海浜では菅島町内会祭典委員会や子供達、鳥羽市婦人会連合会等による踊りが披露される。スライド枠には「しろんご 婦人会の踊り 2010.7.13」と記される。 | 鳥羽市菅島町 | 2010.07.13 |
237 | 菅島しろんご祭2-15 | 海女達が操業する間、白浜の海浜では菅島町内会祭典委員会や子供達、鳥羽市婦人会連合会等による踊りが披露される。スライド枠には「しろんご 踊り 2010.7.13」と記される。 | 鳥羽市菅島町 | 2010.07.13 |
238 | 菅島しろんご祭2-16 | 海女達が操業する間、白浜の海浜では菅島町内会祭典委員会や子供達、鳥羽市婦人会連合会等による踊りが披露される。スライド枠には「しろんご 踊り 2010.7.13」と記される。 | 鳥羽市菅島町 | 2010.07.13 |
239 | 菅島しろんご祭2-17 | 一番鮑(雌雄一対)を供えるために白鬚神社に向かう海女。かつては一番鮑を獲った海女は高々と片手を上げて名乗り出て、舟板に雄貝と雌貝をのせ濡れた磯着のまま鳥居をくぐり、白鬚明神に奉納した。これを「まねきアワビ」と称して、他のアワビをまねき、豊漁が約束されると伝えられている。現在は、青年部の女子が正装をしてお供えに行く。スライド枠には「しろんご アワビ奉献 2010.7.13」と記される。 | 鳥羽市菅島町 | 2010.07.13 |
240 | 菅島しろんご祭2-18 | 「磯入り」開始。しろんご祭の日以外は、止め磯(禁漁区)になっている白浜で操業する海女達。沖合の船は、祭を祝うため大漁旗を立ててパレードをする菅島の漁船団。スライド枠には「しろんご 2010.7.13」と記される。 | 鳥羽市菅島町 | 2010.07.13 |
241 | 菅島しろんご祭3-1 | 「磯入り」開始。磯場に向かって泳ぎ出す海女達。スライド枠には「川口祐二氏撮」と記される。 | 鳥羽市菅島町 | 1993.07.11 |
242 | 菅島しろんご祭3-2 | 鰒は三重県の水産研究所等による長年の研究の末、完全養殖の技術が確立された。「とる漁業」から「つくり育てる漁業」へと、海女達による自主規制と合わせて、稚貝の放流も行われる。スライド枠には「川口祐二氏撮」と記される。 | 鳥羽市菅島町 | 1993.07.11 |
243 | 菅島しろんご祭3-3 | 鰒は三重県の水産研究所等による長年の研究の末、完全養殖の技術が確立された。「とる漁業」から「つくり育てる漁業」へと、海女達による自主規制と合わせて、稚貝の放流も行われる。スライド枠に「川口祐二氏撮」と記される。 | 鳥羽市菅島町 | 1993.07.11 |
244 | 菅島しろんご祭3-4 | 鰒は三重県の水産研究所等による長年の研究の末、完全養殖の技術が確立された。「とる漁業」から「つくり育てる漁業」へと、海女達による自主規制と合わせて、稚貝の放流も行われる。海藻はアラメ。鰒の主な餌として欠かせない。スライド枠には「川口祐二氏撮」と記される。 | 鳥羽市菅島町 | 1993.07.11 |
245 | 菅島しろんご祭3-5 | 波打ち際で、「磯入り」の合図を待つ海女。スライド枠には「川口祐二氏撮」と記される。 | 鳥羽市菅島町 | 1993.07.11 |
246 | 菅島しろんご祭3-6 | 祭の開始。海上安全と豊漁を祈願するため菅島神社の宮司による祓いが行われる。祭事に参加する海女達は、砂浜に正座し豊漁と操業の安全を祈願する。スライド枠には「川口祐二氏撮」と記される。 | 鳥羽市菅島町 | 1993.07.11 |
247 | 菅島しろんご祭3-7 | 祭の開始。海上安全と豊漁を祈願するため菅島神社の宮司による祓いが行われる。祭事に参加する海女達は、砂浜に正座し豊漁と操業の安全を祈願する。スライド枠には「川口祐二氏撮」と記される。 | 鳥羽市菅島町 | 1993.07.11 |
248 | 菅島しろんご祭3-8 | 祭事の前の祓いが終わると、海女達は「磯入り」の合図に備えて、身支度を調え準備を始める。ウエットスーツの上に白の磯着を身に付け、腰には鉛の重りを付けたベルトを着ける。頭に被った磯テヌグイには、魔除印とされる「急々如律令」の文字と、その左右に「ドーマン・セーマン」が記されている。スライド枠に「川口祐二氏撮」と記される。 | 鳥羽市菅島町 | 1993.07.11 |
249 | 菅島しろんご祭3-9 | 祭事の前の祓いが終わると、海女達は「磯入り」の合図に備えて、身支度を調え準備を始める。ウエットスーツの上に白の磯着を身に付け、腰には鉛の重りを付けたベルトを着ける。タンポにも神社のお守りが取付けられ、海女達の信仰心の強さが良く見て取れる。スライド枠には「川口祐二氏撮」と記される。 | 鳥羽市菅島町 | 1993.07.11 |
250 | 菅島しろんご祭3-10 | 一番鮑(雌雄一対)を供えるために白鬚神社に向かう海女。かつては一番鮑を獲った海女は高々と片手を上げて名乗り出て、舟板に雄貝と雌貝をのせ濡れた磯着のまま鳥居をくぐり、白鬚明神に奉納した。これを「まねきアワビ」と称して、他のアワビをまねき、豊漁が約束されると伝えられている。現在は、青年部の女子が正装をしてお供えに行く。スライド枠には「川口祐二氏撮」と記される。 | 鳥羽市菅島町 | 1993.07.11 |
251 | 菅島しろんご祭3-11 | 一番鮑(雌雄一対)を供えるために白鬚神社に向かう海女。かつては一番鮑を獲った海女は高々と片手を上げて名乗り出て、舟板に雄貝と雌貝をのせ濡れた磯着のまま鳥居をくぐり、白鬚明神に奉納した。これを「まねきアワビ」と称して、他のアワビをまねき、豊漁が約束されると伝えられている。現在は、青年部の女子が正装をしてお供えに行く。 | 鳥羽市菅島町 | 1993.07.11 |
252 | 菅島しろんご祭3-12 | 雌雄一対の一番鮑だろうか。漁協職員によって計量が行われる。スライド枠に「川口祐二氏撮」と記される。 | 鳥羽市菅島町 | 1993.07.11 |
253 | 菅島しろんご祭4-1 | 「89.7.11 しろんご祭」と記された、タイトル・スライド。鳥羽市菅島町に祀られる白髭明神の祭礼として、数百年もの間続けられていると言う「しろんご祭」である。かつては旧暦6月11日に実施されてきたが近年では新暦7月11日に執り行われる。白髭明神社は全国に分布し、「猿田彦」とも言われることから山神・海神的意味が強く、ここ菅島では島の守護神として祀られる。「しろんご」の語源は、白髭(しろひげ)が訛ったものだとされるが、この日は村の海女全員が神域として禁漁区にされている白髭明神下の磯に潜り、一番早く雌雄一対の鮑を採った物を神社にお供えする。そして、その鮑を採った海女は、その年の海女頭として敬われる。参考文献:在中調査メモ「菅島のシロンゴ祭」/『ふるさと菅島』 | 鳥羽市菅島町 | |
254 | 菅島しろんご祭4-2 | 菅島漁港。しろんご祭のために白浜へ向かう漁協の船かと思われる。右端の灯台らしき3階建ての建物は昭和59年に竣工した菅島小学校である。 | 鳥羽市菅島町 | (1989.07.11) |
255 | 菅島しろんご祭4-3 | 膝上まで海に入り、「磯入り」開始の合図を待つ海女達。 | 鳥羽市菅島町 | (1989.07.11) |
256 | 菅島しろんご祭4-4 | 膝上まで海に入り、「磯入り」開始の合図を待つ海女達。 | 鳥羽市菅島町 | (1989.07.11) |
257 | 菅島しろんご祭4-5 | 海女達が暖を取っていた焚火跡。焚火の回りに置かれているフゴは海女達が道具を入れてきたもの。 | 鳥羽市菅島町 | (1989.07.11) |
258 | 菅島しろんご祭4-6 | 白浜の裾に建てられた白鬚神社の一ノ鳥居。この鳥居の左上、小高い丘の上に社殿が建てられている。「奉納 白鬚大明神」と記された幟の「えびしま」は菅島町で営業をする旅館である。 | 鳥羽市菅島町 | (1989.07.11) |
259 | 菅島しろんご祭4-7 | 白鬚神社の一ノ鳥居横に置かれた立石には、シロンゴ祭で海女が奉納したという大きな雌雄のアワビの殻が貼り付けられている。 | 鳥羽市菅島町 | (1989.07.11) |
260 | 菅島しろんご祭4-8 | 白鬚神社の二ノ鳥居。 | 鳥羽市菅島町 | (1989.07.11) |
261 | 菅島しろんご祭4-9 | 一番鮑が奉納されると、氏子総代や漁協、町内会等、村の代表者達が正装をし居並ぶ中で、菅島神社の宮司による祝詞奏上、玉串奉奠が行なわれ、式典が挙行されていく。 | 鳥羽市菅島町 | (1989.07.11) |
262 | 菅島しろんご祭4-10 | スライド枠には「菅島の運こび 90.9」と記される。 | 鳥羽市菅島町 | 1990.09 |
263 | 菅島しろんご祭5-1 | 鳥羽市菅島町に祀られる白髭明神の祭礼として、数百年もの間続けられていると言う「しろんご祭」である。かつては旧暦6月11日に実施されてきたが近年では新暦7月11日に執り行われる。白髭明神社は全国に分布し、「猿田彦」とも言われることから山神・海神的意味が強く、ここ菅島では島の守護神として祀られる。「しろんご」の語源は、白髭(しろひげ)が訛ったものだとされるが、この日は村の海女全員が神域として禁漁区にされている白髭明神下の磯に潜り、一番早く雌雄一対の鮑を採った物を神社にお供えする。そして、その鮑を採った海女は、その年の海女頭として敬われる。参考文献:在中調査メモ「菅島のシロンゴ祭」/『ふるさと菅島』。この写真の撮影年代は不明であるが、操船に櫓が使用されていることと、全て磯桶が使用され、タンポは一つも使用されていない。昭和40年代末~昭和50年代初かと思われる№263~№265、№325~№326、№347~№360は同一時期の撮影かと思われる。 | 鳥羽市菅島町 | (1970年代) |
264 | 菅島しろんご祭5-2 | 操業を終え、磯桶を右脇に抱え浜辺に戻ってきた海女。№263~№265、№325~№326、№347~№360は同一時期の撮影かと思われる。 | 鳥羽市菅島町 | (1970年代) |
265 | 菅島しろんご祭5-3 | 操業を終え、浜辺に戻ってきた海女。№263~№265、№325~№326、№347~№360は同一時期の撮影かと思われる。 | 鳥羽市菅島町 | (1970年代) |
266 | 菅島しろんご祭5-4 | 操業を終え、浜辺に戻ってきた海女。タンポのスカリには獲ってきた鮑やサザエが入っている。この後、漁協職員の待つ集荷所へと向かう。 | 鳥羽市菅島町 | (不明) |
267 | 菅島しろんご祭5-5 | 海女用具・磯桶。近年は発泡スチロールで作った浮き輪にスカリを付けるタンポが多くなってきたと言うが、徒人やノリアイの海女が使用する昔ながらの磯桶である。磯桶には、桶と海女をつなぐロープが付けられている。ロープはそれぞれの海女が潜る深さによって少しづつ長さが異なると言う。 | 鳥羽市菅島町 | (不明) |
268 | 菅島しろんご祭5-6 | 海女達が操業する沖合を大漁旗を立ててパレードする菅島町の漁船団。 | 鳥羽市菅島町 | (不明) |
269 | 菅島しろんご祭5-7 | 一番鮑(雌雄一対)を供えるために白鬚神社に向かう海女。かつては一番鮑を獲った海女は高々と片手を上げて名乗り出て、舟板に雄貝と雌貝をのせ濡れた磯着のまま鳥居をくぐり、白鬚明神に奉納した。これを「まねきアワビ」と称して、他のアワビをまねき、豊漁が約束されると伝えられている。現在は、青年部の女子が正装をしてお供えに行く。 | 鳥羽市菅島町 | (不明) |
270 | 菅島しろんご祭5-8 | 一番鮑(雌雄一対)を白鬚神社に供える海女。 | 鳥羽市菅島町 | (不明) |
271 | 菅島しろんご祭5-9 | 一番鮑(雌雄一対)を白鬚神社に供え終えた海女。一番鮑が奉納されると、氏子総代や漁協、町内会等、村の代表者達が正装をし居並ぶ中で、菅島神社の宮司による祝詞奏上、玉串奉奠等、式典が挙行されていく。 | 鳥羽市菅島町 | (不明) |
272 | 菅島しろんご祭5-10 | 白鬚神社に奉納された雌雄一対の一番鮑。「まねきアワビ」とも呼ばれ、他のアワビをまねき、豊漁が約束されると伝えられている。 | 鳥羽市菅島町 | (不明) |
273 | 菅島しろんご祭5-11 | 操業を終え、右手に磯メガネ、左脇にタンポを抱えて浜辺に戻ってきた海女。この後、漁協職員の待つ集荷所へと向かう。 | 鳥羽市菅島町 | (不明) |
274 | 菅島しろんご祭5-12 | タンポには島の海女がイソモンオコシと呼ぶカギノミが挟み込まれている。祭事を終えた海女は道具を片付け、帰路につく。 | 鳥羽市菅島町 | (不明) |
275 | 菅島しろんご祭5-13 | タンポには島の海女がイソモンオコシと呼ぶカギノミが挟み込まれている。 | 鳥羽市菅島町 | (不明) |
276 | 菅島しろんご祭5-14 | タンポには島の海女がイソモンオコシと呼ぶカギノミが挟み込まれている。自分の顔に合わせた磯メガネは海女の大切な用具。使い終われば、割れないように眼鏡箱に入れ保管される。祭事を終えた海女は道具を片付け、帰路につく。 | 鳥羽市菅島町 | (不明) |
277 | 菅島しろんご祭5-15 | 冷えた躰を焚火で温める海女。祭事を終えた海女は道具を片付け、帰路につく。 | 鳥羽市菅島町 | (不明) |
278 | 菅島しろんご祭5-16 | 「スントリ」と呼ぶ鮑の大きさを計測する用具で、獲ってきた鮑を確認する海女。鮑は3寸5分(10.6㎝)以下のものは獲ってはいけない決まりになっている。 | 鳥羽市菅島町 | (不明) |
279 | 菅島しろんご祭5-17 | 沖合から見た、しろんご祭が行われている白浜。 | 鳥羽市菅島町 | (不明) |
280 | 菅島しろんご祭6-1 | 菅島の海女が獲ってきた鮑と栄螺。島の海女がイソモンオコシと呼ぶカギノミも入れられている。 | 鳥羽市菅島町 | (1990.06.08) |
281 | 菅島しろんご祭6-2 | 一番鮑(雌雄一対)を白鬚神社に供え終えた海女。一番鮑が奉納されると、氏子総代や漁協、町内会等、村の代表者達が正装をし居並ぶ中で、菅島神社の宮司による祝詞奏上、玉串奉奠等、式典が挙行されていく。 | 鳥羽市菅島町 | (1988.07.11) |
282 | 菅島しろんご祭6-3 | 操業を終え、右手に磯メガネ、左脇にタンポを抱えて浜辺に戻ってきた海女。この後、漁協職員の待つ集荷所へと向かう。 | 鳥羽市菅島町 | (1988.07.11) |
283 | 菅島しろんご祭6-4 | 菅島の海女が獲ってきた鮑と栄螺。島の海女がイソモンオコシと呼ぶカギノミや磯眼鏡も入れられている。スライド枠には「菅島の海女 捕獲アワビ 平成2.6.8」と記される。 | 鳥羽市菅島町 | 1990.06.08 |
284 | 菅島しろんご祭7-1 | しろんご祭の会場に飾られた七色の紙で作られた「シダレヤナギ」と呼ばれる縁起物。七色はそれぞれ天空・太陽・月光・雨水・草木・人間・土地を表す縁起物とされ、祭が終わると漁師達はこの「シダレヤナギ」を持ち帰り、家の床の間などに飾り置くと言う。スライド枠に「川口祐二氏撮」と記され、画像には「93.7.11」の撮影日が記録されている。 | 鳥羽市菅島町 | 1993.07.11 |
285 | 菅島しろんご祭7-2 | しろんご祭の会場に飾られた七色の紙で作られた「シダレヤナギ」と呼ばれる縁起物。七色はそれぞれ天空・太陽・月光・雨水・草木・人間・土地を表す縁起物とされ、祭が終わると漁師達はこの「シダレヤナギ」を持ち帰り、家の床の間などに飾り置くと言う。スライド枠に「川口祐二氏撮」と記され、画像には「93.7.11」の撮影日が記録されている。 | 鳥羽市菅島町 | 1993.07.11 |
286 | 菅島しろんご祭7-3 | しろんご祭の会場に飾られた七色の紙で作られた「シダレヤナギ」と呼ばれる縁起物。「しだれやなぎ・・・天地和合の理」と記されており、七色はそれぞれ天空・太陽・月光・雨水・草木・人間・土地を表す縁起物とされ、祭が終わると漁師達はこの「シダレヤナギ」を持ち帰り、家の床の間などに飾り置くと言う。スライド枠に「川口祐二氏撮」と記され、画像には「93.7.11」の撮影日が記録されている。 | 鳥羽市菅島町 | 1993.07.11 |
287 | 菅島しろんご祭7-4 | 白浜の裾に建てられた白鬚神社の一ノ鳥居。この鳥居の左上、小高い丘の上に社殿が建てられている。「奉納 白鬚大明神」と記された幟の「扇芳閣」は鳥羽樋の山で営業をする旅館である。祭の日には島外からも沢山の人々が見学に集まる。スライド枠に「川口祐二氏撮」と記され、画像には「93.7.11」の撮影日が記録されている。 | 鳥羽市菅島町 | 1993.07.11 |
288 | 菅島しろんご祭7-5 | 白鬚神社へと続く石段。海女も村人も海上安全と豊漁を祈願するために参詣する。スライド枠に「川口祐二氏撮」と記され、画像には「93.7.11」の撮影日が記録されている。 | 鳥羽市菅島町 | 1993.07.11 |
289 | 菅島しろんご祭7-6 | 白鬚神社へと続く石段。海女も村人も海上安全と豊漁を祈願するために参詣する。スライド枠に「川口祐二氏撮」と記され、画像には「93.7.11」の撮影日が記録されている。 | 鳥羽市菅島町 | 1993.07.11 |
290 | 菅島しろんご祭7-7 | 白鬚神社へと続く石段。海女も村人も海上安全と豊漁を祈願するために参詣する。スライド枠に「川口祐二氏撮」と記され、画像には「93.7.11」の撮影日が記録されている。 | 鳥羽市菅島町 | 1993.07.11 |
291 | 菅島しろんご祭7-8 | しろんご祭が行われる白浜。祭を終えたのであろう、それぞれが帰路につく。スライド枠に「川口祐二氏撮」と記され、画像には「93.7.11」の撮影日が記録されている。 | 鳥羽市菅島町 | 1993.07.11 |
293 | 菅島しろんご祭7-9 | 菅島漁港。しろんご祭の行われる前日である。祭当日は全ての操業が休みになる。数人の若者達が漁港に係留された漁船の船上で談笑する。スライド枠に「川口祐二氏撮」と記され、画像には「93.7.10」の撮影日が記録されている。 | 鳥羽市菅島町 | 1993.07.10 |
293 | 菅島しろんご祭7-10 | 菅島漁港の市場前である。漁から帰ってきたのか、バケツにはカツオかハマチらしき魚が入れられている。スライド枠に「川口祐二氏撮」と記され、画像には「93.7.10」の撮影日が記録されている。 | 鳥羽市菅島町 | 1993.07.10 |
294 | 菅島しろんご祭7-11 | 菅島漁港。カツオらしき魚を両手にぶら下げた漁師が歩いて行く。右端には、腰掛けた老人や手押し車を押す老婆等が陽だまりで談笑する。菅島の集落はこの道路の右側に位置する谷間に沿って広がっていく。正面の白い鉄筋コンクリートの建物は旅館「えびしま」である。スライド枠に「川口祐二氏撮」と記され、画像には「93.7.10」の撮影日が記録されている。 | 鳥羽市菅島町 | 1993.07.10 |
295 | 菅島しろんご祭7-12 | 海女達が暖をとるための焚火である。手前に置かれている蕗は海女達が磯眼鏡の曇り止めに利用する。スライド枠に「川口祐二氏撮」と記され、画像には「93.7.11」の撮影日が記録されている。 | 鳥羽市菅島町 | 1993.07.11 |
296 | 菅島しろんご祭7-13 | 暖をとる海女達。白浜に集まった海女達は、気の合った仲間同士で「カマド」を囲み、焚火にあたって躰を温め、各人それぞれ、磯メガネの曇り止めに使うツワブキをもんだり、磯手拭いを付けたり、磯タビを履いたりして磯入りの合図に供える。スライド枠に「川口祐二氏撮」と記され、画像には「93.7.11」の撮影日が記録されている。 | 鳥羽市菅島町 | 1993.07.11 |
297 | 菅島しろんご祭7-14 | 暖をとる海女達。白浜に集まった海女達は、気の合った仲間同士で「カマド」を囲み、焚火にあたって躰を温め、各人それぞれ、磯メガネの曇り止めに使うツワブキをもんだり、磯手拭いを付けたり、磯タビを履いたりして磯入りの合図に供える。スライド枠に「川口祐二氏撮」と記され、画像には「93.7.11」の撮影日が記録されている。 | 鳥羽市菅島町 | 1993.07.11 |
298 | 菅島しろんご祭7-15 | 暖をとる海女達。白浜に集まった海女達は、気の合った仲間同士で「カマド」を囲み、焚火にあたって躰を温め、各人それぞれ、磯メガネの曇り止めに使うツワブキをもんだり、磯手拭いを付けたり、磯タビを履いたりして磯入りの合図に供える。スライド枠に「川口祐二氏撮」と記され、画像には「93.7.11」の撮影日が記録されている。 | 鳥羽市菅島町 | 1993.07.11 |
299 | 菅島しろんご祭7-16 | 暖をとる海女達。白浜に集まった海女達は、気の合った仲間同士で「カマド」を囲み、焚火にあたって躰を温め、各人それぞれ、磯メガネの曇り止めに使うツワブキをもんだり、磯手拭いを付けたり、磯タビを履いたりして磯入りの合図に供える。スライド枠に「川口祐二氏撮」と記され、画像には「93.7.11」の撮影日が記録されている。 | 鳥羽市菅島町 | 1993.07.11 |
300 | 菅島しろんご祭7-17 | 暖をとる海女達。白浜に集まった海女達は、気の合った仲間同士で「カマド」を囲み、焚火にあたって躰を温め、各人それぞれ、磯メガネの曇り止めに使うツワブキをもんだり、磯手拭いを付けたり、磯タビを履いたりして磯入りの合図に供える。スライド枠に「川口祐二氏撮」と記され、画像には「93.7.11」の撮影日が記録されている。 | 鳥羽市菅島町 | 1993.07.11 |
301 | 菅島しろんご祭7-18 | 暖をとる海女達。白浜に集まった海女達は、気の合った仲間同士で「カマド」を囲み、焚火にあたって躰を温め、各人それぞれ、磯メガネの曇り止めに使うツワブキをもんだり、磯手拭いを付けたり、磯タビを履いたりして磯入りの合図に供える。スライド枠に「川口祐二氏撮」と記され、画像には「93.7.11」の撮影日が記録されている。 | 鳥羽市菅島町 | 1993.07.11 |
302 | 菅島しろんご祭7-19 | 暖をとる海女達。白浜に集まった海女達は、気の合った仲間同士で「カマド」を囲み、焚火にあたって躰を温め、各人それぞれ、磯メガネの曇り止めに使うツワブキをもんだり、磯手拭いを付けたり、磯タビを履いたりして磯入りの合図に供える。スライド枠に「川口祐二氏撮」と記され、画像には「93.7.11」の撮影日が記録されている。 | 鳥羽市菅島町 | 1993.07.11 |
303 | 菅島しろんご祭7-20 | 暖をとる海女達。白浜に集まった海女達は、気の合った仲間同士で「カマド」を囲み、焚火にあたって躰を温め、各人それぞれ、磯メガネの曇り止めに使うツワブキをもんだり、磯手拭いを付けたり、磯タビを履いたりして磯入りの合図に供える。スライド枠に「川口祐二氏撮」と記され、画像には「93.7.11」の撮影日が記録されている。 | 鳥羽市菅島町 | 1993.07.11 |
304 | 菅島しろんご祭8-1 | 白鬚神社に詣で、海上安全と豊漁を祈願する海女達。スライド枠に「川口祐二氏撮」と記され、画像には「93.7.11」の撮影日が記録されている。 | 鳥羽市菅島町 | 1993.07.11 |
305 | 菅島しろんご祭8-2 | 白鬚神社に詣で、海上安全と豊漁を祈願する海女達。スライド枠に「川口祐二氏撮」と記され、画像には「93.7.11」の撮影日が記録されている。 | 鳥羽市菅島町 | 1993.07.11 |
306 | 菅島しろんご祭8-3 | 雌雄一対の鮑を求めて操業する海女達。徒人は水深6~7m程の磯場で、舟人はその沖の深いところを潜ると言う。一潜の操業は約1時間程である。スライド枠に「川口祐二氏撮」と記され、画像には「93.7.11」の撮影日が記録されている。 | 鳥羽市菅島町 | 1993.07.11 |
307 | 菅島しろんご祭8-4 | しろんご祭が行われる日の前日である。漁を終え帰港する漁船。スライド枠に「川口祐二氏撮」と記され、画像には「93.7.10」の撮影日が記録されている。 | 鳥羽市菅島町 | 1993.07.10 |
308 | 菅島しろんご祭8-5 | 波で浸食された岩穴。菅島は正面の答志島が北風を遮り、比較的静かな海域に有るが、それでも岩に穴を開けてしまうほど海が荒れた日の風波はすさまじい。漁港が完備するまでの漁師達の苦労を推し量ることが出来る。スライド枠に「川口祐二氏撮」と記され、画像には「93.7.10」の撮影日が記録されている。 | 鳥羽市菅島町 | 1993.07.10 |
309 | 菅島しろんご祭8-6 | しろんご祭前日の所狭しと係留された菅島漁港の風景。菅島は一本釣り、刺網漁、蛸壺漁、海女漁など沿岸漁業が中心であるため、漁船はさほど大きくはない。翌日はしろんご祭で、全ての出漁が禁止になる。写真正面の「貯金は漁協へ」と書かれた建物はが菅島漁協、道路を挟んで右側が菅島漁協の市場である。スライド枠に「川口祐二氏撮」と記され、画像には「93.7.10」の撮影日が記録されている。 | 鳥羽市菅島町 | 1993.07.10 |
310 | 菅島しろんご祭8-7 | しろんご祭前日の所狭しと係留された菅島漁港の風景。菅島は一本釣り、刺網漁、蛸壺漁、海女漁など沿岸漁業が中心であるため、漁船はさほど大きくはない。翌日はしろんご祭で、全ての出漁が禁止になる。スライド枠に「川口祐二氏撮」と記され、画像には「93.7.10」の撮影日が記録されている。 | 鳥羽市菅島町 | 1993.07.10 |
311 | 菅島しろんご祭8-8 | しろんご祭が行われる日の前日である。「合成洗剤を追放し海をきれいにしよう」と記された看板。石油類を原料とする界面活性剤を含む合成洗剤は、鮑などの魚介類にも影響を与えると、島ぐるみでの運動が展開された。スライド枠に「川口祐二氏撮」と記され、画像には「93.7.10」の撮影日が記録されている。 | 鳥羽市菅島町 | 1993.07.10 |
312 | 菅島しろんご祭8-9 | しろんご祭が行われる日の前日である。「菅島青年娯楽部」と記された看板。スライド枠に「川口祐二氏撮」と記され、画像には「93.7.10」の撮影日が記録されている。 | 鳥羽市菅島町 | 1993.07.10 |
313 | 菅島しろんご祭8-10 | しろんご祭が行われる日の前日である。「菅島青年娯楽部」と記された看板。スライド枠に「川口祐二氏撮」と記され、画像には「93.7.10」の撮影日が記録されている。 | 鳥羽市菅島町 | 1993.07.10 |
314 | 菅島しろんご祭8-11 | しろんご祭前日の菅島市営定期船乗り場の風景。今、船が着いたものと思われる。観光客を出迎える旅館「えびしま」の従業員の姿も見える。スライド枠に「川口祐二氏撮」と記され、画像には「93.7.10」の撮影日が記録されている。 | 鳥羽市菅島町 | (不明) |
315 | 菅島しろんご祭8-12 | しろんご祭前日の菅島漁港の風景。市営定期船が着いたものと思われる。買い物袋を持った夫人や観光客らしき男性達海岸沿いを歩いて行く。右上の白い5階建ての建物は旅館「えびしま」である。スライド枠に「川口祐二氏撮」と記され、画像には「93.7.10」の撮影日が記録されている。 | 鳥羽市菅島町 | 1993.07.10 |
316 | 菅島しろんご祭8-13 | しろんご祭が行われる日の前日である。鳥羽佐田浜港市営定期船乗り場の風景。写真左の船舶は市営定期船、第21鳥羽丸。スライド枠に「川口祐二氏撮」と記され、画像には「93.7.10」の撮影日が記録されている。 | 鳥羽市鳥羽1丁目(佐田浜) | 1993.07.10 |
317 | 菅島しろんご祭8-14 | しろんご祭が行われる日の前日である。鳥羽佐田浜港市営定期船乗り場の風景。写真左の船舶は市営定期船、第21鳥羽丸。スライド枠に「川口祐二氏撮」と記され、画像には「93.7.10」の撮影日が記録されている。 | 鳥羽市鳥羽1丁目(佐田浜) | 1993.07.10 |
318 | 菅島しろんご祭8-15 | 雌雄一対の鮑を求めて操業する海女達。ここ白浜の磯場は、普段は止め磯(禁漁区)とされ、しろんご祭の日だけ操業が許される。徒人は水深6~7m程の磯場で、舟人はその沖の深いところを潜ると言う。大漁旗を立て、海女船の沖合を走る漁船は祭を盛り上げるための菅島の漁船団である。スライド枠に「川口祐二氏撮」と記され、画像には「93.7.11」の撮影日が記録されている。 | 鳥羽市菅島町 | 1993.07.11 |
319 | 菅島しろんご祭8-16 | 舳先の船梁に白鬚大明神の幟を立て、操業の開始と終了を合図する漁協の役員船。スライド枠に「川口祐二氏撮」と記され、画像には「93.7.11」の撮影日が記録されている。 | 鳥羽市菅島町 | 1993.07.11 |
320 | 菅島しろんご祭8-17 | 雌雄一対の鮑を求めて操業する海女達。ここ白浜の磯場は、普段は止め磯(禁漁区)とされ、しろんご祭の日だけ操業が許される。徒人は水深6~7m程の磯場で、舟人はその沖の深いところを潜ると言う。一潜の操業は約1時間程である。従来の磯桶よりも発砲スチロールの浮き輪にスカリを付けたタンポの方が多いようであるが、沖合の海女船はまだ櫓を使用している。スライド枠に「川口祐二氏撮」と記され、画像には「93.7.11」の撮影日が記録されている。 | 鳥羽市菅島町 | 1993.07.11 |
321 | 菅島しろんご祭8-18 | 「磯入り」の合図が出たのか、一斉に沖の磯場へと泳ぐ海女達。スライド枠に「川口祐二氏撮」と記され、画像には「93.7.11」の撮影日が記録されている。 | 鳥羽市菅島町 | 1993.07.11 |
322 | 菅島しろんご祭8-19 | 雌雄一対の鮑を求めて操業する海女達。ここ白浜の磯場は、普段は止め磯(禁漁区)とされ、しろんご祭の日だけ操業が許される。徒人は水深6~7m程の磯場で、舟人はその沖の深いところを潜ると言う。一潜の操業は約1時間程である。従来の磯桶よりも発砲スチロールの浮き輪にスカリを付けたタンポの方が多いようであるが、沖合の海女船はまだ櫓を使用している。スライド枠に「川口祐二氏撮」と記され、画像には「93.7.11」の撮影日が記録されている。 | 鳥羽市菅島町 | 1993.07.11 |
323 | 菅島しろんご祭8-20 | 雌雄一対の鮑を求めて操業する海女達。ここ白浜の磯場は、普段は止め磯(禁漁区)とされ、しろんご祭の日だけ操業が許される。徒人は水深6~7m程の磯場で、舟人はその沖の深いところを潜ると言う。一潜の操業は約1時間程である。従来の磯桶よりも発砲スチロールの浮き輪にスカリを付けたタンポの方が多いようであるが、沖合の海女船はまだ櫓を使用しており、舟人海女だろうか、菅島特有の磯竿らしきものを手にしている船頭も見える。スライド枠に「川口祐二氏撮」と記され、画像には「93.7.11」の撮影日が記録されている。 | 鳥羽市菅島町 | 1993.07.11 |
324 | 菅島しろんご祭9-1 | 操業を終え、左脇に鮑や栄螺の入ったタンポを抱えて浜辺に戻ってきた海女。この後、漁協職員の待つ集荷所へと向かう。 | 鳥羽市菅島町 | (不明) |
325 | 菅島しろんご祭9-2 | しろんご祭の操業風景である。まだ、海女船の操船に櫓が使用され、タンポは一つもなく全て磯桶が使用されているなど、昭和40年代末~昭和50年代初の撮影かと思われる。№263~№265、№326~№347~№360と同一撮影かと思われる。 | 鳥羽市菅島町 | (1970年代) |
326 | 菅島しろんご祭9-3 | 鳥羽市菅島町に祀られる白髭明神の祭礼として、数百年もの間続けられていると言う「しろんご祭」である。かつては旧暦6月11日に実施されてきたが近年では新暦7月11日に執り行われる。白髭明神社は全国に分布し、「猿田彦」とも言われることから山神・海神的意味が強く、ここ菅島では島の守護神として祀られる。「しろんご」の語源は、白髭(しろひげ)が訛ったものだとされるが、この日は村の海女全員が神域として禁漁区にされている白髭明神下の磯に潜り、一番早く雌雄一対の鮑を採った物を神社にお供えする。そして、その鮑を採った海女は、その年の海女頭として敬われる。参考文献:File.1在中の調査メモ「菅島のシロンゴ祭」/『ふるさと菅島』。№263~№265、№325~№326、№347~№360は同一時期の撮影かと思われる。スライド枠に「ノムラ氏」と記される。 | 鳥羽市菅島町 | (1970年代) |
327 | 菅島しろんご祭9-4 | しろんご祭で操業する海女達。アラメやカジメが海面に顔を出しており、豊かな磯場で有ることが推測できる。 | 鳥羽市菅島町 | (不明) |
328 | 菅島しろんご祭9-5 | しろんご祭の祭典委員から「磯入り」の合図が出て、一斉に沖の磯場へと泳ぐ海女達。 | 鳥羽市菅島町 | (不明) |
329 | 菅島しろんご祭9-6 | しろんご祭の祭典委員から「磯入り」の合図が出て、一斉に沖の磯場へと泳ぐ海女達。スライド枠に「しろんご祭り 63」と記される。 | 鳥羽市菅島町 | (1988) |
330 | 菅島しろんご祭9-7 | 雄貝、雌貝一対の鮑を獲った海女が合図を送ると、役人船が出向いて一番鮑を受け取り、白布に包んで数人の青年代表に手渡す。青年は、それを大切に受け取り、浜で待つ白の磯着に☆印(セーマン)の磯手拭い被り正装した女子に届ける。娘は、その鮑を漁協役員の元に届け出た後、舟板に一対の鮑を乗せ、鳥居をくぐり白鬚神社の石段を登っていく。神社に着くと社殿前に設えた祭壇に鮑を供える。 | 鳥羽市菅島町 | (1988.07.11) |
331 | 菅島しろんご祭9-8 | 暖をとる海女達。白浜に集まった海女達は、気の合った仲間同士で「カマド」を囲み、焚火にあたって躰を温め、祭典の開始を待つ。 | 鳥羽市菅島町 | (不明) |
332 | 菅島しろんご祭9-9 | 祭が始まると、菅島神社の宮司によって海上安全と豊漁を願う祓いが行われる。祭事に参加する海女達は、砂浜に正座し豊漁と操業の安全を祈願する。 | 鳥羽市菅島町 | (不明) |
333 | 菅島しろんご祭9-10 | 操業を終え、右脇に鮑や栄螺の入ったタンポを抱えて浜辺に戻ってきた海女。この後、漁協職員の待つ集荷所へと向かう。 | 鳥羽市菅島町 | (不明) |
334 | 菅島しろんご祭9-11 | 祭事を終えると海女達は来た時と同様に磯桶やフゴに道具を入れ、おもいおもいに帰途に着く。 | 鳥羽市菅島町 | (不明) |
335 | 菅島しろんご祭9-12 | 操業を終え、左脇に鮑や栄螺の入ったタンポを抱えて浜辺に戻ってきた海女。この後、漁協職員の待つ集荷所へと向かう。 | 鳥羽市菅島町 | (不明) |
336 | 菅島しろんご祭9-13 | 菅島の海女が獲ってきた鮑と栄螺。島の海女がイソモンオコシと呼ぶカギノミも入れられている。 | 鳥羽市菅島町 | (1990.06.08) |
337 | 菅島しろんご祭9-14 | 祭事を終えると海女達は来た時と同様に磯桶やフゴに道具を入れ、おもいおもいに帰途に着く。村へと続く小道の両側には、海浜植物のクマツヅラ科のハマゴウが生い茂る。 | 鳥羽市菅島町 | (1988.07.11) |
338 | 菅島しろんご祭10-1 | 船上から見た菅島の全景(佐田浜側から菅島を見る)。 | 鳥羽市菅島町 | (不明) |
339 | 菅島しろんご祭10-2 | 船上から見た菅島の全景(佐田浜側から菅島を見る)。 | 鳥羽市菅島町 | (不明) |
340 | 菅島しろんご祭10-3 | 船上から見た菅島の全景(佐田浜側から菅島を見る)。 | 鳥羽市菅島町 | (不明) |
341 | 菅島しろんご祭10-4 | 船上から見た菅島の全景(佐田浜側から菅島を見る)。 | 鳥羽市菅島町 | (不明) |
342 | 菅島しろんご祭10-5 | 船上から見た菅島の全景(佐田浜側から菅島を見る)。 | 鳥羽市菅島町 | (不明) |
343 | 菅島しろんご祭10-6 | 船上から見た菅島の全景(佐田浜側から菅島を見る)。 | 鳥羽市菅島町 | (不明) |
344 | 菅島しろんご祭10-7 | 船上から見た菅島の全景(佐田浜側から菅島を見る)。 | 鳥羽市菅島町 | (不明) |
345 | 菅島しろんご祭10-8 | 船上から見た菅島の全景(佐田浜側から菅島を見る)。 | 鳥羽市菅島町 | (不明) |
346 | 菅島しろんご祭10-9 | 菅島漁港。写真中央左端の建物は、菅島漁協の市場である。 | 鳥羽市菅島町 | (不明) |
347 | 菅島しろんご祭11-1 | 鳥羽市菅島町に祀られる白髭明神の祭礼として、数百年もの間続けられていると言う「しろんご祭」である。かつては旧暦6月11日に実施されてきたが近年では新暦7月11日に執り行われる。白髭明神社は全国に分布し、「猿田彦」とも言われることから山神・海神的意味が強く、ここ菅島では島の守護神として祀られる。「しろんご」の語源は、白髭(しろひげ)が訛ったものだとされるが、この日は村の海女全員が神域として禁漁区にされている白髭明神下の磯に潜り、一番早く雌雄一対の鮑を採った物を神社にお供えする。そして、その鮑を採った海女は、その年の海女頭として敬われる。参考文献:File.1在中の調査メモ「菅島のシロンゴ祭」/『ふるさと菅島』。スライド枠に「51.7.11」と記される。№263~№265、№325~№326、№347~№360は同一時期の撮影かと思われる。 | 鳥羽市菅島町 | 1976.07.11 |
348 | 菅島しろんご祭11-2 | しろんご祭の操業風景である。まだ、海女船の操船に櫓が使用され、タンポは一つもなく全て磯桶が使用されているなど、昭和40年代末~昭和50年代初の撮影かと思われる。スライド枠に「51.7.11」と記される。№263~№265、№325~№326、№347~№360は同一時期の撮影かと思われる。 | 鳥羽市菅島町 | 1976.07.11 |
349 | 菅島しろんご祭11-3 | しろんご祭の操業風景である。浜辺では菅島の町民による踊りなども披露されているようである。スライド枠に「51.7.11」と記される。№263~№265、№325~№326、№347~№360は同一時期の撮影かと思われる。 | 鳥羽市菅島町 | 1976.07.11 |
350 | 菅島しろんご祭11-4 | しろんご祭の操業風景である。まだ、海女船の操船に櫓が使用され、タンポは一つもなく全て磯桶が使用されている。スライド枠に「51.7.11」と記される。№263~№265、№325~№326、№347~№360は同一時期の撮影かと思われる。 | 鳥羽市菅島町 | 1976.07.11 |
351 | 菅島しろんご祭11-5 | しろんご祭の操業風景である。操業も終わりに近いのか、浜辺に戻る海女も見える。スライド枠に「51.7.11」と記される。№263~№265、№325~№326、№347~№360は同一時期の撮影かと思われる。 | 鳥羽市菅島町 | 1976.07.11 |
352 | 菅島しろんご祭11-6 | しろんご祭の操業風景である。操業が終わり、磯桶を右脇に抱え、浜辺に戻ってきて海女。スライド枠に「51.7.11」と記される。№263~№265、№325~№326、№347~№360は同一時期の撮影かと思われる。 | 鳥羽市菅島町 | 1976.07.11 |
353 | 菅島しろんご祭11-7 | しろんご祭の操業風景である。操業が終わり、獲ってきた鮑や栄螺を漁協の集荷所へ出す海女。スライド枠に「51.7.11」と記される。№263~№265、№325~№326、№347~№360は同一時期の撮影かと思われる。 | 鳥羽市菅島町 | 1976.07.11 |
354 | 菅島しろんご祭11-8 | しろんご祭の操業風景である。操業が終わり、獲ってきた鮑や栄螺を漁協の集荷所へ出す海女。スライド枠に「51.7.11」と記される。その鮑や栄螺を見ようと子供達も回りを取り囲む。№263~№265、№325~№326、№347~№360は同一時期の撮影かと思われる。 | 鳥羽市菅島町 | 1976.07.11 |
355 | 菅島しろんご祭11-9 | しろんご祭の操業風景である。操業が終わり、海女達が獲ってきた鮑や栄螺は漁協の集荷所に集められ計量される。スライド枠に「51.7.11」と記される。№263~№265、№325~№326、№347~№360は同一時期の撮影かと思われる。 | 鳥羽市菅島町 | 1976.07.11 |
356 | 菅島しろんご祭11-10 | しろんご祭の操業風景である。操業が終わり、海女達が獲ってきた鮑や栄螺は漁協の集荷所に集められ計量される。№263~№265、№325~№326、№347~№360は同一時期の撮影かと思われる。 | 鳥羽市菅島町 | 1976.07.11 |
357 | 菅島しろんご祭11-11 | しろんご祭の操業風景である。操業が終わり、海女達が獲ってきた鮑や栄螺は漁協の集荷所に集められ計量される。スライド枠に「51.7.11」と記される。№263~№265、№325~№326、№347~№360は同一時期の撮影かと思われる。 | 鳥羽市菅島町 | 1976.07.11 |
358 | 菅島しろんご祭11-12 | しろんご祭の操業風景である。祭が終わると海女達は、それぞれ荷物をまとめ帰路につく。写真右側の海女は腰スカリを、左側の海女の磯桶には鮑の大きさを計測するスントリが付けられている。スライド枠に「51.7.11」と記される。№263~№265、№325~№326、№347~№360は同一時期の撮影かと思われる。 | 鳥羽市菅島町 | 1976.07.11 |
359 | 菅島しろんご祭11-13 | 現在の鳥羽市鳥羽一丁目(岩崎町)、門野幾之進記念館前の十字路辺りから本町方面を撮影した岩崎道りである。通りの右側には名鉄観光の旅行案内書、旅館海月の看板が、左側には伊勢志摩土産西口商店(食堂)、石原珍海堂の看板が見える。スライド枠に「51.7.11」と記される。 | 鳥羽市鳥羽1丁目(岩崎町) | 1976.07.11 |
360 | 菅島しろんご祭11-14 | 現在の鳥羽市鳥羽一丁目(岩崎町)、門野幾之進記念館前の十字路辺りから本町方面を撮影した岩崎道りである。通りの右側には名鉄観光の旅行案内書、旅館海月の看板が、左側には伊勢志摩土産西口商店(食堂)、石原珍海堂の看板が見える。スライド枠に「51.7.11」と記される。 | 鳥羽市鳥羽1丁目(岩崎町) | 1976.07.11 |
361 | 神島ゴクアゲ(御供上げ)1-1 | 海女の祭事「ゴクアゲ」は、毎年6月11日と定められ、当番宮持によって執り行われるが、その前日からはじまる「弊立て」と一対の祭事として行われる。「弊立て」は前日の10日夕方から島内に係留される全ての船舶に「榊」を立てる神事から始まり、翌11日の早朝にアレガミ、キヤ島、コイロガミの三つの島に「御弊」を立てて海上安全を祈願する一連の祭事である。また、全船に立てられた「榊」は、翌日の「弊立て」後の初出漁の時、それぞれの漁師達がアレガミ又はキヤ島を通過する祭に海に流し操業の安全を祈る。写真は船揚場に引き揚げられた漁船に「榊」を立てる当番宮持の関係者。参考文献:三重県教育委員会編・発行『平成24・25年度調査 海女習俗基礎調査報告書』平成26年。スライド枠に「62.6.11」と記される。 | 鳥羽市神島町 | 1987.06.11 |
362 | 神島ゴクアゲ(御供上げ)1-2 | 船揚場に引き揚げられた漁船に「榊」を立てる当番宮持の関係者。榊は、集落の裏手、灯明山から切り出し、竹箕(タケミ)に入れて二人一組で島内の全ての船舶に立てていく。スライド枠に「62.6.11」と記される。 | 鳥羽市神島町 | 1987.06.11 |
363 | 神島ゴクアゲ(御供上げ)1-3 | 船揚場に引き揚げられた漁船に「榊」を立てる当番宮持の関係者。榊は、集落の裏手、灯明山から切り出し、竹箕(タケミ)に入れて二人一組で島内の全ての船舶に立てていく。スライド枠に「62.6.11」と記される。 | 鳥羽市神島町 | 1987.06.11 |
364 | 神島ゴクアゲ(御供上げ)1-4 | 船揚場に引き揚げられた漁船に「榊」を立てる当番宮持の関係者。榊は、集落の裏手、灯明山から切り出し、竹箕(タケミ)に入れて二人一組で島内の全ての船舶に立てていく。スライド枠に「62.6.11」と記される。 | 鳥羽市神島町 | 1987.06.11 |
365 | 神島ゴクアゲ(御供上げ)1-5 | 竹箕(タケミ)に入れられた榊。スライド枠に「62.6.11」と記される。 | 鳥羽市神島町 | 1987.06.11 |
366 | 神島ゴクアゲ(御供上げ)1-6 | 祭事に参加する当番宮持の親戚衆。宮持は親類縁者の中から、その年、家族に不孝事がなかった者数名を選び出し、祭事に携わらせる。スライド枠に「62.6.11」と記される。 | 鳥羽市神島町 | 1987.06.11 |
367 | 神島ゴクアゲ(御供上げ)1-7 | 祭事に参加する当番宮持の親戚衆。宮持は親類縁者の中から、その年、家族に不孝事がなかった者数名を選び出し、祭事に携わらせる。スライド枠に「62.6.11」と記される。 | 鳥羽市神島町 | 1987.06.11 |
368 | 神島ゴクアゲ(御供上げ)1-8 | 米と小豆を混ぜたもの。島の人達は「アライヤネ」と呼ぶ。スライド枠に「62.6.11」と記される。 | 鳥羽市神島町 | 1987.06.11 |
369 | 神島ゴクアゲ(御供上げ)1-9 | 当番宮持。道筋を清める「シオバナ」を手にし、弊立てに向かう準備を進める。スライド枠に「62.6.11」と記される。 | 鳥羽市神島町 | 1987.06.11 |
370 | 神島ゴクアゲ(御供上げ)1-10 | アレガミ、キヤ島、コイロガミの三つの島に「御弊」を立てに行くために用いられる小船。八代神社の鉢巻きを締め、「御弊」を立てる若い衆が乗り込む。スライド枠に「62.6.11」と記される。 | 鳥羽市神島町 | 1987.06.11 |
371 | 神島ゴクアゲ(御供上げ)1-11 | 11日の早朝、宮持は自宅で清めの祓いを受けた後、八代神社の宮司と共に祭船に乗り込む。「弊立て」には宮持の妻は乗り込まない。スライド枠に「62.6.11」と記される。 | 鳥羽市神島町 | 1987.06.11 |
372 | 神島ゴクアゲ(御供上げ)1-12 | 御幣を立てに行く小舟には、榊とアライヤネと神酒が積み込まれる。スライド枠に「62.6.11」と記される。 | 鳥羽市神島町 | 1987.06.11 |
373 | 神島ゴクアゲ(御供上げ)1-13 | 11日の早朝、宮持は自宅で清めの祓いを受けた後、八代神社の宮司と共に祭船に乗り込む。「弊立て」には宮持の妻は乗り込まない。スライド枠に「62.6.11」と記される。 | 鳥羽市神島町 | 1987.06.11 |
374 | 神島ゴクアゲ(御供上げ)1-14 | 11日早朝の「弊立て」。東のアレガミに到着した御幣を立てる船。祭船に乗り込んだ宮司が祝詞を奏上し、海上安全と大漁を祈願する中、若い衆は小舟を島に接岸し、御幣を立ててアライヤネを供え神酒を注ぐ。伊勢湾口に位置する神島は、少しでも天候が崩れると、風波が激しく、島に上陸出来ない年もあると言う。スライド枠に「62.6.11」と記される。 | 鳥羽市神島町 | 1987.06.11 |
375 | 神島ゴクアゲ(御供上げ)2-1 | 11日早朝、アレガミに御幣を立てた後、西の「キヤ島」に到着した小船。祭船に乗り込んだ宮司が祝詞を奏上し、海上安全と大漁を祈願する中、若い衆は小舟を島に接岸し、御幣を立ててアライヤネを供え神酒を注ぐ。スライド枠に「62.6.11」と記される。 | 鳥羽市神島町 | 1987.06.11 |
376 | 神島ゴクアゲ(御供上げ)2-2 | 11日早朝、アレガミに御幣を立てた後、西の「キヤ島」に到着した小船。祭船に乗り込んだ宮司が祝詞を奏上し、海上安全と大漁を祈願する中、若い衆は小舟を島に接岸し、御幣を立ててアライヤネを供え神酒を注ぐ。スライド枠に「62.6.11」と記される。 | 鳥羽市神島町 | 1987.06.11 |
377 | 神島ゴクアゲ(御供上げ)2-3 | 11日早朝、アレガミに御幣を立てた後、西の「キヤ島」に到着した小船。祭船に乗り込んだ宮司が祝詞を奏上し、海上安全と大漁を祈願する中、若い衆は小舟を島に接岸し、御幣を立ててアライヤネを供え神酒を注ぐ。この年も波が打ち寄せると、島は海中へと消えるほど海上は荒れた。スライド枠に「62.6.11」と記される。 | 鳥羽市神島町 | 1987.06.11 |
378 | 神島ゴクアゲ(御供上げ)2-4 | 11日早朝、アレガミに御幣を立てた後、西の「キヤ島」に到着した小船。祭船に乗り込んだ宮司が祝詞を奏上し、海上安全と大漁を祈願する中、若い衆は小舟を島に接岸し、御幣を立ててアライヤネを供え神酒を注ぐ。スライド枠に「62.6.11」と記される。 | 鳥羽市神島町 | 1987.06.11 |
379 | 神島ゴクアゲ(御供上げ)2-5 | 神島漁港の風景。刺網と堤防から引き揚げた活かし篭に手を入れる婦人が写される。スライド枠に「62.6.11」と記される。 | 鳥羽市神島町 | 1987.06.11 |
380 | 神島ゴクアゲ(御供上げ)2-6 | 11日早朝、宮持の家の台所では親戚の女性が集まり、「御供上げ」の海女や祭事関係者に振る舞うボタモチ(オハギ)が作られる。スライド枠に「62.6.11」と記される。 | 鳥羽市神島町 | 1987.06.11 |
381 | 神島ゴクアゲ(御供上げ)2-7 | 11日早朝、宮持の家の台所では親戚の女性が集まり、「御供上げ」の海女や祭事関係者に振る舞うボタモチ(オハギ)が作られる。スライド枠に「62.6.11」と記される。 | 鳥羽市神島町 | 1987.06.11 |
382 | 神島ゴクアゲ(御供上げ)2-8 | 「弊立て」の神事が終わった後、「ゴクアゲ」の操業に向かおうとする海女達だろうか。黒のウエットスーツを身に付けた二人の海女が漁協前を行く。スライド枠に「62.6.11」と記される。 | 鳥羽市神島町 | 1987.06.11 |
383 | 神島ゴクアゲ(御供上げ)2-9 | 「弊立て」の神事が終わった後、「ゴクアゲ」の操業に向かおうとする海女だろうか。黒のウエットスーツを身に付けている。スライド枠に「62.6.11」と記される。 | 鳥羽市神島町 | 1987.06.11 |
384 | 神島ゴクアゲ(御供上げ)2-10 | 宮持、八代神社の宮司など祭事者が乗り込む祭船。舳先の船梁には日の丸・大漁旗と共に榊が立てられ、艫には「祈海上安全 祈大漁満足 伊雑皇大神宮 神島磯部組」の幟が立てられる。スライド枠に「62.6.11」と記される。 | 鳥羽市神島町 | 1987.06.11 |
385 | 神島ゴクアゲ(御供上げ)2-11 | 宮持、八代神社の宮司など祭事者が乗り込む祭船。舳先の船梁には日の丸・大漁旗と共に榊が立てられ、艫には「祈海上安全 祈大漁満足 伊雑皇大神宮 神島磯部組」の幟が立てられる。スライド枠に「62.6.11」と記される。 | 鳥羽市神島町 | 1987.06.11 |
386 | 神島ゴクアゲ(御供上げ)2-12 | 11日早朝の「弊立て」から帰った宮持の家では、「ゴクアゲ」の祭船に乗り込む海女三人の盃事が執り行われる。祭船に乗る海女はその年の宮持が選出する。選出に当たっては、夫婦健在でその家に不幸事が無かったことが第一の条件になる。また、昔は祭船に乗る海女は「ドンボリ(オオカズキ)」の中から選ばれたと言う。スライド枠に「62.6.11」と記される。 | 鳥羽市神島町 | 1987.06.11 |
387 | 神島ゴクアゲ(御供上げ)3-1 | 11日早朝の「弊立て」。東のアレガミに到着すると、祭船に乗り込んだ宮司が祝詞を奏上し、海上安全と大漁を祈願する中、若い衆は小舟を島に接岸し、御幣を立ててアライヤネを供え神酒を注ぐ。伊勢湾口に位置する神島は、少しでも天候が崩れると、風波が激しく、島に上陸出来ない年もあると言う。スライド枠に「62.6.11」と記される。 | 鳥羽市神島町 | 1987.06.11 |
388 | 神島ゴクアゲ(御供上げ)3-2 | 11日早朝の「弊立て」。東のアレガミに到着すると、祭船に乗り込んだ宮司が祝詞を奏上し、海上安全と大漁を祈願する中、若い衆は小舟を島に接岸し、御幣を立ててアライヤネを供え神酒を注ぐ。伊勢湾口に位置する神島は、少しでも天候が崩れると、風波が激しく、島に上陸出来ない年もあると言う。スライド枠に「62.6.11」と記される。 | 鳥羽市神島町 | 1987.06.11 |
389 | 神島ゴクアゲ(御供上げ)3-3 | 11日早朝の「弊立て」。東のアレガミに到着すると、祭船に乗り込んだ宮司が祝詞を奏上し、海上安全と大漁を祈願する中、若い衆は小舟を島に接岸し、御幣を立ててアライヤネを供え神酒を注ぐ。伊勢湾口に位置する神島は、少しでも天候が崩れると、風波が激しく、島に上陸出来ない年もあると言う。 | 鳥羽市神島町 | 1987.06.11 |
390 | 神島ゴクアゲ(御供上げ)3-4 | 11日早朝の「弊立て」。東のアレガミに到着すると、祭船に乗り込んだ宮司が祝詞を奏上し、海上安全と大漁を祈願する中、若い衆は小舟を島に接岸し、御幣を立ててアライヤネを供え神酒を注ぐ。伊勢湾口に位置する神島は、少しでも天候が崩れると、風波が激しく、島に上陸出来ない年もあると言う。 | 鳥羽市神島町 | 1987.06.11 |
391 | 神島ゴクアゲ(御供上げ)3-5 | 11日の「弊立て」。東のアレガミに立てられた御幣。スライド枠に「62.6.11」と記される。 | 鳥羽市神島町 | 1987.06.11 |
392 | 神島ゴクアゲ(御供上げ)3-6 | 11日早朝の「弊立て」。アレガミに御幣を立てた後、西の「キヤ島」に到着した小船。祭船に乗り込んだ宮司が祝詞を奏上し、海上安全と大漁を祈願する中、若い衆は小舟を島に接岸し、御幣を立ててアライヤネを供え神酒を注ぐ。スライド枠に「62.6.11」と記される。 | 鳥羽市神島町 | 1987.06.11 |
393 | 神島ゴクアゲ(御供上げ)3-7 | 11日の「弊立て」。アレガミに御幣を立てた後、西の「キヤ島」に到着した小船。祭船に乗り込んだ宮司が祝詞を奏上し、海上安全と大漁を祈願する中、若い衆は小舟を島に接岸し、御幣を立ててアライヤネを供え神酒を注ぐ。スライド枠に「62.6.11」と記される。 | 鳥羽市神島町 | 1987.06.11 |
394 | 神島ゴクアゲ(御供上げ)3-8 | 11日の「弊立て」。西の「キヤ島」に立てられた御幣。スライド枠に「62.6.11」と記される。 | 鳥羽市神島町 | 1987.06.11 |
395 | 神島ゴクアゲ(御供上げ)4-1 | アレガミ、キヤ島、コイロガミの三つの島に「御弊」を立てに行くために用いられる小船。船の中程に日の丸と大漁旗を立てる準備を急ぐ。スライド枠に「62.6.11」と記される。 | 鳥羽市神島町 | 1987.06.11 |
396 | 神島ゴクアゲ(御供上げ)4-2 | アレガミ、キヤ島、コイロガミの三つの島に「御弊」を立てに行くために用いられる小船。船の中程に日の丸と大漁旗を立てる準備を急ぐ。スライド枠に「62.6.11」と記される。 | 鳥羽市神島町 | 1987.06.11 |
397 | 神島ゴクアゲ(御供上げ)4-3 | 宮持や宮司等が乗り込む祭船。11日の早朝、宮持は自宅で清めの祓いを受けた後、八代神社の宮司と共に祭船に乗り込む。「弊立て」には宮持の妻は乗り込まない。スライド枠に「62.6.11」と記される。 | 鳥羽市神島町 | 1987.06.11 |
398 | 神島ゴクアゲ(御供上げ)4-4 | 「弊立て」の神事に使う船の準備をする宮持の親戚衆。スライド枠に「62.6.11」と記される。 | 鳥羽市神島町 | 1987.06.11 |
399 | 神島ゴクアゲ(御供上げ)4-5 | 11日早朝の「弊立て」。シオバナを手に市営定期船桟橋に係留した祭船に乗り込む宮持ち。「弊立て」には宮持の妻は乗り込まない。スライド枠に「62.6.11」と記される。 | 鳥羽市神島町 | 1987.06.11 |
400 | 神島ゴクアゲ(御供上げ)4-6 | 11日早朝の「弊立て」。祭船に乗り込んだ八代神社の宮司。スライド枠に「62.6.11」と記される。 | 鳥羽市神島町 | 1987.06.11 |
401 | 神島ゴクアゲ(御供上げ)4-7 | 11日早朝の「弊立て」。宮持や宮司等祭事関係者を乗せた祭船は、まず東のアレガミに向かう。祭船の右手には、御幣を立てるために若い衆等が乗り込んだ小舟も写る。スライド枠に「62.6.11」と記される。 | 鳥羽市神島町 | 1987.06.11 |
402 | 神島ゴクアゲ(御供上げ)4-8 | 11日早朝の「弊立て」。東のアレガミに到着した、御幣を立てるために若い衆等が乗り込んだ小舟。スライド枠に「62.6.11」と記される。 | 鳥羽市神島町 | 1987.06.11 |
403 | 神島ゴクアゲ(御供上げ)4-9 | 11日早朝の「弊立て」。東のアレガミに到着すると、祭船に乗り込んだ宮司が祝詞を奏上し、海上安全と大漁を祈願する。若い衆等が乗り込んだ小舟はアレガミに接岸し、御幣を立ててアライヤネを供え、神酒を注ぐ。スライド枠に「62.6.11」と記される。 | 鳥羽市神島町 | 1987.06.11 |
404 | 神島ゴクアゲ(御供上げ)4-10 | 11日早朝の「弊立て」。東のアレガミに到着した、御幣を立てるために若い衆等が乗り込んだ小舟。スライド枠に「62.6.11」と記される。 | 鳥羽市神島町 | 1987.06.11 |
405 | 神島ゴクアゲ(御供上げ)4-11 | 11日早朝の「弊立て」の神事を終え、帰港した所だろうか。この後、宮持ちは一度自宅に戻り、「ゴクアゲ」の準備に取りかかる。スライド枠に「62.6.11」と記される。 | 鳥羽市神島町 | 1987.06.11 |
406 | 神島ゴクアゲ(御供上げ)4-12 | 11日早朝の「弊立て」の神事を終え、帰港した所だろうか。この後、宮持ちは一度自宅に戻り、「ゴクアゲ」の準備に取りかかる。スライド枠に「62.6.11」と記される。 | 鳥羽市神島町 | 1987.06.11 |
407 | 神島ゴクアゲ(御供上げ)4-13 | 「ゴクアゲ」の操業の準備をする船頭。船上にはいそだるとスカリが用意されている。スライド枠に「62.6.11」と記される。 | 鳥羽市神島町 | 1987.06.11 |
408 | 神島ゴクアゲ(御供上げ)5-1 | 海女の祭事「御供上げ」は、毎年6月11日と定められ、当番宮持によって執り行われる。鳥羽磯部漁協神島支所の『年中祭礼行事実施要項(改訂)』には、「御供上げの祭船には当番宮持夫妻、海女三名とその“とうめ”及び船頭等が乗り込む。一同は、宮持の家で出船盃を行った後、一般の海女船が祭場に到着した時刻を見計らって出港し、祭場のコイロガミを三回廻りながら三升三合三勺の米を撒き、鮑の豊漁を祈願する。祭船は祭を終えてから一旦港に戻り、祭船の海女三名はそれぞれ通常の操業船に乗換えて漁場へ向かい、宮持夫婦はそのまま祭船に乗って再び漁場へ向かう。祭船が到着後、海女漁の操業にかかる。当日は弁天さんより東側の漁場での操業は出来ない。また、操業は二潜で終了する。操業を終えた海女は取った鮑の中から1~2個を宮持に御供として献上し、お白餅と塩を肴に御酒を頂く。祭船に乗船した海女三名は操業終了後、宮持夫妻と共に神様磯と弁天様に鮑、お白餅を供え無事息災を感謝する」と記載されている。参考文献:三重県教育委員会編・発行『平成24・25年度調査 海女習俗基礎調査報告書』平成26年。写真は、「ゴクアゲ」に出発する前に宮持の家で行われる盃事。スライド枠に「62.6.11」と記される。 | 鳥羽市神島町 | 1987.06.11 |
409 | 神島ゴクアゲ(御供上げ)5-2 | 11日早朝の「弊立て」から帰った宮持の家では、「ゴクアゲ」の祭船に乗り込む海女三人の盃事が執り行われる。祭船に乗る海女はその年の宮持が選出する。選出に当たっては、夫婦健在でその家に不幸事が無かったことが第一の条件になる。また、昔は祭船に乗る海女は「ドンボリ(オオカズキ)」の中から選ばれたと言う。スライド枠に「62.6.11」と記される。 | 鳥羽市神島町 | 1987.06.11 |
410 | 神島ゴクアゲ(御供上げ)5-3 | 神島ではドンボリと呼ぶ舟人海女が用いる滑車(クリクリ)。この滑車に命綱を掛け、海女からの合図で一気に引き上げる。スライド枠に「62.6.11」と記される。 | 鳥羽市神島町 | 1987.06.11 |
411 | 神島ゴクアゲ(御供上げ)5-4 | 神島では舟人海女の事をドンボリと呼ぶが、潜水の時に用いる重りもドンボリと呼ぶ。かつては自然石で作られたと言うが、今は鉄や鉛で作られる。舟人海女はこの重りを持って、海底まで一気に潜って行く。ドンボリの横にはタコカギと呼ばれるカギノミが置かれている。スライド枠に「62.6.11」と記される。 | 鳥羽市神島町 | 1987.06.11 |
412 | 神島ゴクアゲ(御供上げ)5-5 | ゴクアゲの祭船に乗り込む宮持の妻。宮持の妻は紺の着物に紺の頭巾をを被り、赤い腰紐を締める。スライド枠に「62.6.11」と記される。 | 鳥羽市神島町 | 1987.06.11 |
413 | 神島ゴクアゲ(御供上げ)5-6 | 神島漁港の船揚場周辺で「ゴクアゲ」の操業に向け、準備をするノリアイ海女達。スライド枠に「62.6.11」と記される。 | 鳥羽市神島町 | 1987.06.11 |
414 | 神島ゴクアゲ(御供上げ)5-7 | 神島漁港の船揚場周辺で「ゴクアゲ」の操業に向け、準備をするノリアイ海女達。スライド枠に「62.6.11」と記される。 | 鳥羽市神島町 | 1987.06.11 |
415 | 神島ゴクアゲ(御供上げ)5-8 | 「ゴクアゲ」の操業に向け、神島漁港を出港する海女。船腹には「徳恵丸 ME3-47369」の文字が見える。スライド枠に「62.6.11」と記される。 | 鳥羽市神島町 | 1987.06.11 |
416 | 神島ゴクアゲ(御供上げ)6-1 | 神島漁港を出港し、「ゴクアゲ」の祭場となるコイロガミに到着した祭船。祭船には宮持夫婦と三人の海女、さらに祭事に関わる宮持の親戚衆が乗り込む。舳先の船梁には「富恵丸」の大漁旗と船腹に「ME3-41200」船籍登録番号が見える。スライド枠に「62.6.11」と記される。 | 鳥羽市神島町 | 1987.06.11 |
417 | 神島ゴクアゲ(御供上げ)6-2 | 祭船は、祭場のコイロガミを三回廻りながら三人の海女達が三升三合三勺の米を撒き、鮑の豊漁を祈願する。スライド枠に「62.6.11」と記される。 | 鳥羽市神島町 | 1987.06.11 |
418 | 神島ゴクアゲ(御供上げ)6-3 | 祭船は、祭場のコイロガミを三回廻りながら三人の海女達が三升三合三勺の米を撒き、鮑の豊漁を祈願する。スライド枠に「62.6.11」と記される。 | 鳥羽市神島町 | 1987.06.11 |
419 | 神島ゴクアゲ(御供上げ)6-4 | 「祭船」を見守る海女船。スライド枠に「62.6.11」と記される。 | 鳥羽市神島町 | 1987.06.11 |
420 | 神島ゴクアゲ(御供上げ)6-5 | 祭船は、祭場のコイロガミを三回廻りながら三人の海女達が三升三合三勺の米を撒き、鮑の豊漁を祈願する。祭船の艫には「祈海上安全 祈大漁満足 伊雑皇大神宮 神島磯部組」の幟が立てられている。スライド枠に「62.6.11」と記される。 | 鳥羽市神島町 | 1987.06.11 |
421 | 神島ゴクアゲ(御供上げ)6-6 | 祭船は、祭場のコイロガミを三回廻りながら三人の海女達が三升三合三勺の米を撒き、鮑の豊漁を祈願する。スライド枠に「62.6.11」と記される。 | 鳥羽市神島町 | 1987.06.11 |
422 | 神島ゴクアゲ(御供上げ)6-7 | 祭船は、祭場のコイロガミを三回廻りながら三人の海女達が三升三合三勺の米を撒き、鮑の豊漁を祈願する。スライド枠に「62.6.11」と記される。 | 鳥羽市神島町 | 1987.06.11 |
423 | 神島ゴクアゲ(御供上げ)6-8 | 祭船は、祭場のコイロガミを三回廻りながら三人の海女達が三升三合三勺の米を撒き、鮑の豊漁を祈願する。スライド枠に「62.6.11」と記される。 | 鳥羽市神島町 | 1987.06.11 |
424 | 神島ゴクアゲ(御供上げ)6-9 | 祭船は、祭場のコイロガミを三回廻りながら三人の海女達が三升三合三勺の米を撒き、鮑の豊漁を祈願する。スライド枠に「62.6.11」と記される。 | 鳥羽市神島町 | 1987.06.11 |
425 | 神島ゴクアゲ(御供上げ)6-10 | 祭船は、祭場のコイロガミを三回廻りながら三人の海女達が三升三合三勺の米を撒き、鮑の豊漁を祈願する。スライド枠に「62.6.11」と記される。 | 鳥羽市神島町 | 1987.06.11 |
426 | 神島ゴクアゲ(御供上げ)6-11 | 祭船は、祭場のコイロガミを三回廻りながら三人の海女達が三升三合三勺の米を撒き、鮑の豊漁を祈願する。スライド枠に「62.6.11」と記される。 | 鳥羽市神島町 | 1987.06.11 |
427 | 神島ゴクアゲ(御供上げ)6-12 | 祭船は、祭場のコイロガミを三回廻りながら三人の海女達が三升三合三勺の米を撒き、鮑の豊漁を祈願する。スライド枠に「62.6.11」と記される。 | 鳥羽市神島町 | 1987.06.11 |
428 | 神島ゴクアゲ(御供上げ)6-13 | 「祭船」を見守る海女船。スライド枠に「62.6.11」と記される。 | 鳥羽市神島町 | 1987.06.11 |
429 | 神島ゴクアゲ(御供上げ)6-14 | 「祭船」を見守る海女船。スライド枠に「62.6.11」と記される。 | 鳥羽市神島町 | 1987.06.11 |
430 | 神島ゴクアゲ(御供上げ)7-1 | 祭船の祭事が終わると、海女漁開始の合図が出され、舟人、ノリアイ、徒人の海女達が一斉に操業を始める。この日は弁天さんより東側の漁場での操業は出来ない。また、操業は二潜で終了し、操業を終えた海女は取った鮑の中から1~2個を宮持に御供として献上し、お白餅と塩を肴に御酒を頂く。写真は船縁から下ろされた竹につかまり息を整える海女。額の磯手拭いには、魔除けとされる「ドーマン・セーマン」が描かれている。スライド枠に「62.6.11」と記される。 | 鳥羽市神島町 | 1987.06.11 |
431 | 神島ゴクアゲ(御供上げ)7-2 | 島の人達が「サカナドリ」と呼ぶ、祭船に乗った三人の海女によってお供え用のアワビ採られるが、その操業風景かと思われる。スライド枠に「62.6.11」と記される。 | 鳥羽市神島町 | 1987.06.11 |
432 | 神島ゴクアゲ(御供上げ)7-3 | 島の人達は「サカナドリ」と呼ぶ。祭船に乗った三人の海女によってお供え用のアワビ採られるが、その操業風景かと思われる。船内には水揚げされた大きなアワビが写される。スライド枠に「62.6.11」と記される。 | 鳥羽市神島町 | 1987.06.11 |
433 | 神島ゴクアゲ(御供上げ)7-4 | 島の人達は「サカナドリ」と呼ぶ。祭船に乗った三人の海女によってお供え用のアワビ採られるが、その操業風景かと思われる。スライド枠に「62.6.11」と記される。 | 鳥羽市神島町 | 1987.06.11 |
434 | 神島ゴクアゲ(御供上げ)7-5 | 島の人達が「サカナドリ」と呼ぶ、祭船に乗った三人の海女によってお供え用のアワビ採られるが、その操業風景かと思われる。スライド枠に「62.6.11」と記される。 | 鳥羽市神島町 | 1987.06.11 |
435 | 神島ゴクアゲ(御供上げ)7-6 | 島の人達が「サカナドリ」と呼ぶ、祭船に乗った三人の海女によってお供え用のアワビ採られるが、その操業風景かと思われる。スライド枠に「62.6.11」と記される。 | 鳥羽市神島町 | 1987.06.11 |
436 | 神島ゴクアゲ(御供上げ)7-7 | 海女の操業風景。海面に顔を出した海女達は、息を整え次の潜水へと備える。スライド枠に「62.6.11」と記される。 | 鳥羽市神島町 | 1987.06.11 |
437 | 神島ゴクアゲ(御供上げ)7-8 | 一潜目の1時間が終わったのか、船上に上がる海女。スライド枠に「62.6.11」と記される。 | 鳥羽市神島町 | 1987.06.11 |
438 | 神島ゴクアゲ(御供上げ)7-9 | 神島の磯場風景。スライド枠に「62.6.11」と記される。 | 鳥羽市神島町 | 1987.06.11 |
439 | 神島ゴクアゲ(御供上げ)7-10 | 一潜目が終わると、舟人海女やノリアイの海女達は漁港へと戻り、1時間程の休憩を挟んで二潜目の出漁の合図を待つ。その間に宮持に御供を出す海女達も居る。御供を出した海女は宮持から肴として出された「お白餅・塩」を掌に受け取り、神酒をいただく。スライド枠に「62.6.11」と記される。 | 鳥羽市神島町 | 1987.06.11 |
440 | 神島ゴクアゲ(御供上げ)7-11 | 一潜目が終わると、舟人海女やノリアイの海女達は漁港へと戻り、1時間程の休憩を挟んで二潜目の出漁の合図を待つ。その間に宮持に御供を出す海女達も居る。御供を出した海女は宮持から肴として出された「お白餅・塩」を掌に受け取り、神酒をいただく。スライド枠に「62.6.11」と記される。 | 鳥羽市神島町 | 1987.06.11 |
441 | 神島ゴクアゲ(御供上げ)7-12 | 一潜目が終わると、舟人海女やノリアイの海女達は漁港へと戻り、1時間程の休憩を挟んで二潜目の出漁の合図を待つ。その間に宮持に御供を出す海女達も居る。御供を出した海女は宮持から肴として出された「お白餅・塩」を掌に受け取り、神酒をいただく。スライド枠に「62.6.11」と記される。 | 鳥羽市神島町 | 1987.06.11 |
442 | 神島ゴクアゲ(御供上げ)7-13 | 一潜目が終わると、舟人海女やノリアイの海女達は漁港へと戻り、1時間程の休憩を挟んで二潜目の出漁の合図を待つ。その間に宮持に御供を出す海女達も居る。御供を出した海女は宮持から肴として出された「お白餅・塩」を掌に受け取り、神酒をいただく。スライド枠に「62.6.11」と記される。 | 鳥羽市神島町 | 1987.06.11 |
443 | 神島ゴクアゲ(御供上げ)7-14 | 一潜目が終わると、舟人海女やノリアイの海女達は漁港へと戻り、1時間程の休憩を挟んで二潜目の出漁の合図を待つ。その間に宮持に御供を出す海女達も居る。御供を出した海女は宮持から肴として出された「お白餅・塩」を掌に受け取り、神酒をいただく。スライド枠に「62.6.11」と記される。 | 鳥羽市神島町 | 1987.06.11 |
444 | 神島ゴクアゲ(御供上げ)7-15 | 一潜目が終わると、舟人海女やノリアイの海女達は漁港へと戻り、1時間程の休憩を挟んで二潜目の出漁の合図を待つ。その間に宮持に御供を出す海女達も居る。御供を出した海女は宮持から肴として出された「お白餅・塩」を掌に受け取り、神酒をいただく。スライド枠に「62.6.11」と記される。 | 鳥羽市神島町 | 1987.06.11 |
445 | 神島ゴクアゲ(御供上げ)7-16 | 一潜目が終わると、舟人海女やノリアイの海女達は漁港へと戻り、1時間程の休憩を挟んで二潜目の出漁の合図を待つ。その間に宮持に御供を出す海女達も居る。御供を出した海女は宮持から肴として出された「お白餅・塩」を掌に受け取り、神酒をいただく。スライド枠に「62.6.11」と記される。 | 鳥羽市神島町 | 1987.06.11 |
446 | 神島ゴクアゲ(御供上げ)8-1 | 「ゴクアゲ」の操業のため、神島漁港を出港する海女船。出港した海女船は島の南側コイロガミで祭船が到着するのを待つ。スライド枠に「62.6.11」と記される。 | 鳥羽市神島町 | 1987.06.11 |
447 | 神島ゴクアゲ(御供上げ)8-2 | 「ゴクアゲ」の操業のため、神島漁港を出港する海女船。出港した海女船は島の南側コイロガミで祭船が到着するのを待つ。スライド枠に「62.6.11」と記される。 | 鳥羽市神島町 | 1987.06.11 |
448 | 神島ゴクアゲ(御供上げ)8-3 | 「ゴクアゲ」の祭事行うために、神島漁港市営定期船桟橋横の堤防に係留された祭船に乗り込む宮持夫婦と三人の海女達。スライド枠に「62.6.11」と記される。 | 鳥羽市神島町 | 1987.06.11 |
449 | 神島ゴクアゲ(御供上げ)8-4 | 「ゴクアゲ」の祭事行うために、神島漁港市営定期船桟橋横の堤防に係留された祭船に乗り込む宮持夫婦と三人の海女達。スライド枠に「62.6.11」と記される。 | 鳥羽市神島町 | 1987.06.11 |
450 | 神島ゴクアゲ(御供上げ)8-5 | 「ゴクアゲ」の祭事に参加する海女三人は、黒のウエットスーツの上から紺の磯着を身に付け、頭には魔除けとされる「ドーマン・セーマン」を描いた磯手拭いを被る。スライド枠に「62.6.11」と記される。 | 鳥羽市神島町 | 1987.06.11 |
451 | 神島ゴクアゲ(御供上げ)8-6 | 「ゴクアゲ」の祭事行うために、神島漁港を出航する祭船。舳先の船梁には日の丸や「富恵丸 池田勝造」と染められた大漁旗と共に榊が立てられ、艫には「祈海上安全 祈大漁満足 伊雑皇大神宮 神島磯部組」の幟が立てられる。スライド枠に「62.6.11」と記される。 | 鳥羽市神島町 | 1987.06.11 |
452 | 神島ゴクアゲ(御供上げ)8-7 | 「ゴクアゲ」の祭事行うために、神島漁港を出航する祭船。舳先の船梁には日の丸や「富恵丸 池田勝造」と染められた大漁旗と共に榊が立てられ、艫には「祈海上安全 祈大漁満足 伊雑皇大神宮 神島磯部組」の幟が立てられる。スライド枠に「62.6.11」と記される。 | 鳥羽市神島町 | 1987.06.11 |
453 | 神島ゴクアゲ(御供上げ)8-8 | 「ゴクアゲ」の祭事行うために、島の南側にあるコイロガミへと向かう祭船。舳先の船梁には日の丸や「富恵丸 池田勝造」と染められた大漁旗と共に榊が立てられ、艫には「祈海上安全 祈大漁満足 伊雑皇大神宮 神島磯部組」の幟が立てられる。スライド枠に「62.6.11」と記される。 | 鳥羽市神島町 | 1987.06.11 |
454 | 神島ゴクアゲ(御供上げ)8-9 | 「ゴクアゲ」の祭事行うために、島の南側にあるコイロガミへと向かう祭船。舳先の船梁には日の丸や「富恵丸 池田勝造」と染められた大漁旗と共に榊が立てられ、艫には「祈海上安全 祈大漁満足 伊雑皇大神宮 神島磯部組」の幟が立てられる。スライド枠に「62.6.11」と記される。 | 鳥羽市神島町 | 1987.06.11 |
455 | 神島ゴクアゲ(御供上げ)8-10 | 祭船は、祭場のコイロガミを三回廻りながら三人の海女達が三升三合三勺の米を撒き、鮑の豊漁を祈願する。スライド枠に「62.6.11」と記される。 | 鳥羽市神島町 | 1987.06.11 |
456 | 神島ゴクアゲ(御供上げ)8-11 | 祭船は、祭場のコイロガミを三回廻りながら三人の海女達が三升三合三勺の米を撒き、鮑の豊漁を祈願する。スライド枠に「62.6.11」と記される。 | 鳥羽市神島町 | 1987.06.11 |
457 | 神島ゴクアゲ(御供上げ)8-12 | 祭船は、祭場のコイロガミを三回廻りながら三人の海女達が三升三合三勺の米を撒き、鮑の豊漁を祈願する。スライド枠に「62.6.11」と記される。 | 鳥羽市神島町 | 1987.06.11 |
458 | 神島ゴクアゲ(御供上げ)8-13 | 祭船は、祭場のコイロガミを三回廻りながら三人の海女達が三升三合三勺の米を撒き、鮑の豊漁を祈願する。スライド枠に「62.6.11」と記される。 | 鳥羽市神島町 | 1987.06.11 |
459 | 神島ゴクアゲ(御供上げ)9-1 | 「祭船」を見守る海女船。スライド枠に「62.6.11」と記される。 | 鳥羽市神島町 | 1987.06.11 |
460 | 神島ゴクアゲ(御供上げ)9-2 | 「祭船」を見守る海女船。スライド枠に「62.6.11」と記される。 | 鳥羽市神島町 | 1987.06.11 |
461 | 神島ゴクアゲ(御供上げ)9-3 | 「祭船」を見守る海女船。スライド枠に「62.6.11」と記される。 | 鳥羽市神島町 | 1987.06.11 |
462 | 神島ゴクアゲ(御供上げ)9-4 | 「祭船」を見守る海女船。スライド枠に「62.6.11」と記される。 | 鳥羽市神島町 | 1987.06.11 |
463 | 神島ゴクアゲ(御供上げ)9-5 | 神島の弁天崎からニワの浜にかけての石灰岩が露頭している海岸風景。スライド枠に「62.6.11」と記される。 | 鳥羽市神島町 | 1987.06.11 |
464 | 神島ゴクアゲ(御供上げ)9-6 | 神島の弁天崎からニワの浜にかけての石灰岩が露頭している海岸風景。スライド枠に「62.6.11」と記される。 | 鳥羽市神島町 | 1987.06.11 |
465 | 神島ゴクアゲ(御供上げ)9-7 | 島の人達が「サカナドリ」と呼ぶ、お供え用のアワビを採る磯場へと移動する祭船。スライド枠に「62.6.11」と記される。 | 鳥羽市神島町 | 1987.06.11 |
466 | 神島ゴクアゲ(御供上げ)9-8 | 島の人達が「サカナドリ」と呼ぶ、お供え用のアワビを採る磯場へと移動する祭船。スライド枠に「62.6.11」と記される。 | 鳥羽市神島町 | 1987.06.11 |
467 | 神島ゴクアゲ(御供上げ)9-9 | 操業開始の合図を待つ舟人海女。スライド枠に「62.6.11」と記される。 | 鳥羽市神島町 | 1987.06.11 |
468 | 神島ゴクアゲ(御供上げ)9-10 | 操業開始の合図が出されたのだろう。それぞれの磯場へと泳ぐ海女達。スライド枠に「62.6.11」と記される。 | 鳥羽市神島町 | 1987.06.11 |
469 | 神島ゴクアゲ(御供上げ)9-11 | 操業開始の合図が出されたのだろう。それぞれの磯場へと泳ぐ海女達。スライド枠に「62.6.11」と記される。 | 鳥羽市神島町 | 1987.06.11 |
470 | 神島ゴクアゲ(御供上げ)9-12 | 島の人達が「サカナドリ」と呼ぶ、祭船に乗った三人の海女によってお供え用のアワビ採られるが、その操業風景かと思われる。スライド枠に「62.6.11」と記される。 | 鳥羽市神島町 | 1987.06.11 |
471 | 神島ゴクアゲ(御供上げ)9-13 | 島の人達が「サカナドリ」と呼ぶ、祭船に乗った三人の海女によってお供え用のアワビ採られるが、その操業風景かと思われる。スライド枠に「62.6.11」と記される。 | 鳥羽市神島町 | 1987.06.11 |
472 | 神島ゴクアゲ(御供上げ)9-14 | 島の人達が「サカナドリ」と呼ぶ、祭船に乗った三人の海女によってお供え用のアワビ採られるが、その操業風景かと思われる。スライド枠に「62.6.11」と記される。 | 鳥羽市神島町 | 1987.06.11 |
473 | 神島ゴクアゲ(御供上げ9-15 | 祭船の祭事を終え、海女漁開始の合図を受けて操業をする舟人海女。海底の海女から合図があると、船頭はクリクリと呼ぶ滑車に掛けた命綱を一気に引き上げる。スライド枠に「62.6.11」と記される。 | 鳥羽市神島町 | 1987.06.11 |
474 | 神島ゴクアゲ(御供上げ)9-16 | 祭船の祭事を終え、海女漁開始の合図を受けて操業をする舟人海女。海底の海女から合図があると、船頭はクリクリと呼ぶ滑車に掛けた命綱を一気に引き上げる。スライド枠に「62.6.11」と記される。 | 鳥羽市神島町 | 1987.06.11 |
475 | 神島ゴクアゲ(御供上げ)10-1 | 祭船の舳先の船梁に括り付けられた榊。スライド枠に「62.6.11」と記される。 | 鳥羽市神島町 | 1987.06.11 |
476 | 神島ゴクアゲ(御供上げ)10-2 | 神島漁港市営定期船桟橋横の堤防に係留される「ゴクアゲ」の祭船。舳先の船梁には、榊と共に大漁旗が取付けられている。スライド枠に「62.6.11」と記される。 | 鳥羽市神島町 | 1987.06.11 |
477 | 神島ゴクアゲ(御供上げ)10-3 | 神島漁港に積上げられた蛸壺。かつては写真中央左端の様な素焼きの蛸壺であったが、近年は写真中央に写されている様な旧来の蛸壺型をしたプラスチック製や落し蓋の付いた四角い蛸壺も使用されている。スライド枠に「62.6.11」と記される。 | 鳥羽市神島町 | 1987.06.11 |
478 | 神島ゴクアゲ(御供上げ)10-4 | 祭船は、祭場のコイロガミを三回廻りながら三人の海女達が三升三合三勺の米を撒き、鮑の豊漁を祈願する。スライド枠に「62.6.11」と記される。 | 鳥羽市神島町 | 1987.06.11 |
479 | 神島ゴクアゲ(御供上げ)10-5 | 島の人達が「サカナドリ」と呼ぶ、祭船に乗った三人の海女によってお供え用のアワビ採られるが、その操業風景かと思われる。スライド枠に「62.6.11」と記される。 | 鳥羽市神島町 | 1987.06.11 |
480 | 神島ゴクアゲ(御供上げ)10-6 | 神島の弁天崎からニワの浜にかけての石灰岩が露頭している海岸風景。スライド枠に「62.6.11」と記される。 | 鳥羽市神島町 | 1987.06.11 |
481 | 神島ゴクアゲ(御供上げ)10-7 | 島の南端に祀られる弁天さんへと続く山道。スライド枠に「62.6.11」と記される。 | 鳥羽市神島町 | 1987.06.11 |
482 | 神島ゴクアゲ(御供上げ)10-8 | 宮持の親戚衆によって神島漁協の市場横に長机が設えられる。二潜目を終へ漁から戻った海女達は獲ってきた鮑の中から1~2個をお供として提出し、宮持等から肴として出される「お白餅・塩」を掌に受け取り、神酒をいただく。スライド枠に「62.6.11」と記される。 | 鳥羽市神島町 | 1987.06.11 |
483 | 神島ゴクアゲ(御供上げ)10-9 | 祭船に乗船した海女。スライド枠に「62.6.11」と記される。 | 鳥羽市神島町 | 1987.06.11 |
484 | 神島ゴクアゲ(御供上げ)10-10 | 神様磯と弁天さんへの御供を済ませ、神島漁協横に祀られるコウシンさんにアワビとアライヤネと神酒を供える宮持夫妻と祭船に乗った三人の海女達。スライド枠に「62.6.11」と記される。 | 鳥羽市神島町 | 1987.06.11 |
485 | 神島ゴクアゲ(御供上げ)10-11 | 神島漁協横に祀られるコウシンさん。アワビとアライヤネが供えられ、神酒が注がれている。スライド枠に「62.6.11」と記される。 | 鳥羽市神島町 | 1987.06.11 |
486 | 神島ゴクアゲ(御供上げ)10-12 | 神島漁協横に祀られるコウシンさん。アワビとアライヤネが供えられ、神酒が注がれている。スライド枠に「62.6.11」と記される。 | 鳥羽市神島町 | 1987.06.11 |
487 | 神島ゴクアゲ(御供上げ)11-1 | 一潜目が終わると、舟人海女やノリアイの海女達は漁港へと戻り、1時間程の休憩を挟んで二潜目の出漁の合図を待つ。その間に宮持に御供を出す海女達も居る。御供を出した海女は宮持から肴として出された「お白餅・塩」を掌に受け取り、神酒をいただく。スライド枠に「62.6.11」と記される。 | 鳥羽市神島町 | 1987.06.11 |
488 | 神島ゴクアゲ(御供上げ)11-2 | 二潜目の漁を終え、漁港に戻ってきたノリアイ海女達。この後、海女達は漁協市場横の宮持のもとに御供に向かう。スライド枠に「62.6.11」と記される。 | 鳥羽市神島町 | 1987.06.11 |
489 | 神島ゴクアゲ(御供上げ)11-3 | 二潜目の漁を終え、漁港に戻ってきたノリアイ海女達。斜路の波打ち際には鮑や栄螺が入っていると思われるスカリが並べられている。この後、海女達は漁協市場横の宮持のもとに御供に向かう。スライド枠に「62.6.11」と記される。 | 鳥羽市神島町 | 1987.06.11 |
490 | 神島ゴクアゲ(御供上げ)11-4 | 二潜目の漁を終え、漁港に戻ってきたノリアイ海女達。斜路の波打ち際には鮑や栄螺が入っていると思われるスカリが並べられている。この後、海女達は漁協市場横の宮持のもとに御供に向かう。スライド枠に「62.6.11」と記される。 | 鳥羽市神島町 | 1987.06.11 |
491 | 神島ゴクアゲ(御供上げ)11-5 | 漁から戻り、アワビを御供に行く海女。後ろを歩く海女の左手には大きなアワビが3個程抱えられている。スライド枠に「62.6.11」と記される。 | 鳥羽市神島町 | 1987.06.11 |
492 | 神島ゴクアゲ(御供上げ)11-6 | 宮持の親戚衆によって神島漁協の市場横に長机が設えられる。二潜目を終へ漁から戻った海女達は獲ってきた鮑の中から1~2個をお供として提出し、宮持等から肴として出される「お白餅・塩」を掌に受け取り、神酒をいただく。スライド枠に「62.6.11」と記される。 | 鳥羽市神島町 | 1987.06.11 |
493 | 神島ゴクアゲ(御供上げ)11-7 | 弁天さん、神様磯、コウシンさんにお供えするためのアワビとアライヤネと神酒。スライド枠に「62.6.11」と記される。 | 鳥羽市神島町 | 1987.06.11 |
494 | 神島ゴクアゲ(御供上げ)11-8 | 宮持夫妻と祭船に乗った海女三人は、弁天さんと神様磯とコウシンさんに鮑を供えに向かう。まず、ジングウダイの神様磯に鮑一切とアライヤネ・御酒を供えた後、ゴリノハマ(祝ガ浜)で白石を1個~2個づつ拾って弁天様に向かう。拾ってきた白石を弁天さんの祠前に敷いた後、宮持は鮑一切とアライヤネ・御酒を供え。手を合わせて大漁と無事息災を感謝する。最期に、漁港前の荒神さんに鮑一切と残ったアライヤネ全部と御酒を供え祭事を終える。スライド枠に「62.6.11」と記される。 | 鳥羽市神島町 | 1987.06.11 |
495 | 神島ゴクアゲ(御供上げ)12-1 | 神様磯に御供を済ませた後、宮持ちと祭船に乗った三人の海女達は、祝ガ浜(古里の浜)で弁天さんへ持って行くための白石を拾う。スライド枠に「62.6.11」と記される。 | 鳥羽市神島町 | 1987.06.11 |
496 | 神島ゴクアゲ(御供上げ)12-2 | 弁天さんに到着した宮持夫妻。スライド枠に「62.6.11」と記される。 | 鳥羽市神島町 | 1987.06.11 |
497 | 神島ゴクアゲ(御供上げ)12-3 | 弁天さんの周囲に落ちている枯れ葉などの掃除をした後、持ってきた白石を祠前に敷く。赤い腰紐をした宮持ちの妻の後ろに立つ海女の手には、白石と鮑貝に入れられたアライヤネが持たれている。スライド枠に「62.6.11」と記される。 | 鳥羽市神島町 | 1987.06.11 |
498 | 神島ゴクアゲ(御供上げ)12-4 | 宮持ちは、弁天さんに鮑とアライヤネを供え、神酒を注ぎ、大漁と無事息災を感謝する。スライド枠に「62.6.11」と記される。 | 鳥羽市神島町 | 1987.06.11 |
499 | 神島ゴクアゲ(御供上げ)12-5 | 弁天さんに供えられた鮑。スライド枠に「62.6.11」と記される。 | 鳥羽市神島町 | 1987.06.11 |
500 | 神島ゴクアゲ(御供上げ)12-6 | 弁天さんに供えられた鮑。スライド枠に「62.6.11」と記される。 | 鳥羽市神島町 | 1987.06.11 |
501 | 神島ゴクアゲ(御供上げ)12-7 | 弁天さんに供えられた鮑。スライド枠に「62.6.11」と記される。 | 鳥羽市神島町 | 1987.06.11 |
502 | 神島ゴクアゲ(御供上げ)12-8 | 弁天さんに供えられた鮑。スライド枠に「62.6.11」と記される。 | 鳥羽市神島町 | 1987.06.11 |
503 | 神島ゴクアゲ(御供上げ)12-9 | 弁天さんに供えられた鮑。スライド枠に「62.6.11」と記される。 | 鳥羽市神島町 | 1987.06.11 |
504 | 神島ゴクアゲ(御供上げ)12-10 | 神様磯と弁天さんへの御供を済ませ、神島漁協横に祀られるコウシンさんにアワビとアライヤネと神酒を供える宮持夫妻と祭船に乗った三人の海女達。スライド枠に「62.6.11」と記される。 | 鳥羽市神島町 | 1987.06.11 |
505 | 神島ゲーター祭1-1 | スキャニングされていないがタイトルスライドには「ゲーター祭 神島 1月1日」と記され、スライド枠には「3」と記される。ゲーター祭を含めた神島の正月行事は12月8日の「事納め(ヤリマショブネ)」に始まり、11日の「神渡し(祷渡し)」、13日の「正月始め(正月の準備)」、31日の「モローモ配り・輪(アワ)作り」、1月1日の「波切不動掛け軸開帳・ゲーター祭・サバ取り・日向の祭」、2日の「船祭・磯祭・チョンナ始め」、4日の「獅子舞・年祝い」、6日の「八幡祭(六日祭)」と続き、ここで一区切りとされる。この内、ゲーター祭は、12月31日夕刻の豆まき、宮持のモローモ配り、輪(アワ)とサバ作りから、元旦の日の出前に東の浜で島中の男達が直径2m程のグミの輪を青竹で突き上げるアワツキまで、大晦日から元旦までの一連の行事をさす。祭の持つ意味は、悪を払う「祓い」の行為とする説、太陽を迎える太陽信仰と言う説、海の神の女神としての象徴に男の持つ竹を突き刺し豊穣と大漁を祈る性的儀礼とする説等諸説有るが不明とされる。祭が終わった後の輪(アワ)は八代神社に運ばれ、1年間境内で保管される。参考文献:鳥羽市教育委員会編・発行『ゲーター祭調査報告書』平成10年発行。写真は洋上から見た神島の集落景観である。 | 鳥羽市神島町 | (不明) |
506 | 神島ゲーター祭1-2 | スライド枠には「神島 4」と記される。正月の注連縄は「門松迎え」と言って12月28日に掛け替えられる。宮持の玄関に張られる注連縄はとりわけ大きく太い。シメウチと言って12月20日に作り、床の間に供えていたものをこの日に飾り、白紙で巻いた炭・ヨメゴジと呼ばれる人形・橙・ウラジロ・シメノ札・シデが取付けられる。シメノ札には、表に「蘇民将来子孫門」と書き、その左右に小さく「七難即滅/七福即生」、と記す。また裏には、中央に「急々如立令」と書き左右に魔除けの「ドーマン/セーマン」が描かれる。 | 鳥羽市神島町 | (不明) |
507 | 神島ゲーター祭1-3 | スライド枠には「神島 5」と記される。宮持の床の間に置かれた「輪(アワ)」。口米の爺と宮持と輪を担ぐ若い衆が、宮持の家で出発を待つ。 | 鳥羽市神島町 | (不明) |
508 | 神島ゲーター祭1-4 | スライド枠には「神島 6」と記される。元旦の午前5時過ぎ、若い衆に担がれて「輪(アワ)」は宮持の家から運び出される。 | 鳥羽市神島町 | (不明) |
509 | 神島ゲーター祭1-5 | スライド枠には「7」と記される。若い衆達によって宮持の家から運び出された「輪(アワ)」は、八代神社下の鳥居前へと向かう。 | 鳥羽市神島町 | (不明) |
510 | 神島ゲーター祭1-6 | スライド枠には「8」と記される。若い衆達によって宮持の家から運び出された「輪(アワ)」は、八代神社下の鳥居前へと向かう。 | 鳥羽市神島町 | (不明) |
511 | 神島ゲーター祭1-7 | スライド枠には「9」と記される。5~6m程の女竹の先に剣と呼ぶ御幣を取付けたゲーロー竹。その家の男の数だけ作られ、東の浜に行く午前5時頃まで玄関口に立てかけておく。 | 鳥羽市神島町 | (不明) |
512 | 神島ゲーター祭1-8 | スライド枠には「10」と記される。「輪(アワ)」が宮持の家を出発する前になると、5~6m程の女竹を用いたゲーロー竹の先に剣と呼ばれる御幣を取付け、東の浜でのアワツキに供える。 | 鳥羽市神島町 | (不明) |
513 | 神島ゲーター祭1-9 | スライド枠には「11」と記される。午前5時頃、「輪(アワ)」が宮持の家を出発すると、各家々からもゲーロー竹を持って東の浜へと向かう。 | 鳥羽市神島町 | (不明) |
514 | 神島ゲーター祭2-1 | スキャニングはされていないが、シート1枚目のタイトルスライドには「神島 神島ゲーター祭」と記される。「輪(アワ)」が宮持の家を出発する前になると、5~6m程の女竹を用いたゲーロー竹の先に剣と呼ばれる御幣を取付け、東の浜でのアワツキに供える。 | 鳥羽市神島町 | (不明) |
515 | 神島ゲーター祭2-2 | 元旦の午前5時過ぎ、若い衆に担がれて「輪(アワ)」は宮持の家から運び出される。 | 鳥羽市神島町 | (不明) |
516 | 神島ゲーター祭2-3 | と記される。元旦の午前5時過ぎ、若い衆に担がれて「輪(アワ)」は宮持の家から運び出される。 | 鳥羽市神島町 | (不明) |
517 | 神島ゲーター祭2-4 | 若い衆達によって宮持の家から運び出された「輪(アワ)」は、八代神社下の鳥居前へと向かう。 | 鳥羽市神島町 | (不明) |
518 | 神島ゲーター祭2-5 | 午前5時頃、「輪(アワ)」が宮持の家を出発すると、各家々からもゲーロー竹を持って東の浜へと向かう。 | 鳥羽市神島町 | (不明) |
519 | 神島ゲーター祭2-6 | 若い衆達によって宮持の家から運び出された「輪(アワ)」は、八代神社下の鳥居前へと向かう。 | 鳥羽市神島町 | (不明) |
520 | 神島ゲーター祭3-1 | スキャニングはされていないが、シート1枚目のタイトルスライドには「神島 48.1.30」と記される。洋上から見た神島の景観。ゲーター祭を調査するため神島に向かう市営定期船からの撮影かと思われる。 | 鳥羽市神島町 | (1973.01.30) |
521 | 神島ゲーター祭3-2 | 洋上から見た神島の景観。ゲーター祭を調査するため神島に向かう市営定期船からの撮影かと思われる。操業をする漁船は蛸壺漁の様である。 | 鳥羽市神島町 | (1973.01.30) |
522 | 神島ゲーター祭3-3 | 神島に向かう市営定期船からの撮影かと思われる。操業をする漁船は蛸壺漁の様である。 | 鳥羽市神島町 | (1973.01.30) |
523 | 神島ゲーター祭3-4 | 洋上から見た神島の景観。ゲーター祭を調査するため神島に向かう市営定期船からの撮影かと思われる。 | 鳥羽市神島町 | (1973.01.30) |
524 | 神島ゲーター祭3-5 | スライド枠には「48.1.30」と記される。神島の景観。山腹に写る白い建物は、神島灯台か?。 | 鳥羽市神島町 | 1973.01.30 |
525 | 神島ゲーター祭3-6 | 洋上から見た神島の景観。ゲーター祭を調査するため神島に向かう市営定期船からの撮影かと思われる。 | 鳥羽市神島町 | (1973.01.30) |
526 | 神島ゲーター祭3-7 | 神島に向かう市営定期船からの撮影かと思われる。操業をする漁船は蛸壺漁の様である。 | 鳥羽市神島町 | (1973.01.30) |
527 | 神島ゲーター祭3-8 | 洋上から見た神島の景観。ゲーター祭を調査するため神島に向かう市営定期船からの撮影かと思われる。 | 鳥羽市神島町 | (1973.01.30) |
528 | 神島ゲーター祭3-9 | 神島に向かう市営定期船からの撮影かと思われる。操業をする漁船は蛸壺漁の様である。 | 鳥羽市神島町 | (1973.01.30) |
529 | 神島ゲーター祭3-10 | 洋上から見た神島の景観。ゲーター祭を調査するため神島に向かう市営定期船からの撮影かと思われる。操業をする漁船は蛸壺漁の様である。 | 鳥羽市神島町 | (1973.01.30) |
530 | 神島ゲーター祭3-11 | スライド枠には「48.1.30」と記される。洋上から見た神島の景観。ゲーター祭を調査するため神島に向かう市営定期船からの撮影かと思われる。 | 鳥羽市神島町 | 1973.01.30 |
531 | 神島ゲーター祭3-12 | 撮影場所不明。神島町以外の場所か? | 不明 | 不明 |
532 | 神島ゲーター祭3-13 | 撮影場所不明。神島町以外の場所か? | 不明 | 不明 |
533 | 神島ゲーター祭3-14 | 撮影場所不明。神島町以外の場所か? | 不明 | 不明 |
534 | 神島ゲーター祭3-15 | スライド枠には「48.1.30」と記される。神島の海岸景観?。 | 鳥羽市神島町 | 1973.01.30 |
535 | 神島ゲーター祭3-16 | スライド枠には「48.1.30」と記される。神島灯台付近から見た洋上景観?。 | 鳥羽市神島町 | 1973.01.30 |
536 | 神島ゲーター祭3-17 | 撮影場所不明。神島町以外の場所か? | 不明 | 不明 |
537 | 神島ゲーター祭4-1 | 南の庚申塚をお参りして戻ってきた「輪(アワ)」は、島中の男達が待つ東の浜に運び込まれゲーロー竹で空中高く突き上げられる。輪は高く上がれば上がるほど、その年は豊漁だと言われる。 | 鳥羽市神島町 | (不明) |
538 | 神島ゲーター祭4-2 | 南の庚申塚をお参りして戻ってきた「輪(アワ)」は、島中の男達が待つ東の浜に運び込まれゲーロー竹で空中高く突き上げられる。輪は高く上がれば上がるほど、その年は豊漁だと言われる。 | 鳥羽市神島町 | (不明) |
539 | 神島ゲーター祭4-3 | 南の庚申塚をお参りして戻ってきた「輪(アワ)」は、島中の男達が待つ東の浜に運び込まれゲーロー竹で空中高く突き上げられる。輪は高く上がれば上がるほど、その年は豊漁だと言われる。 | 鳥羽市神島町 | (不明) |
540 | 神島ゲーター祭4-4 | 南の庚申塚をお参りして戻ってきた「輪(アワ)」は、島中の男達が待つ東の浜に運び込まれゲーロー竹で空中高く突き上げられる。輪は高く上がれば上がるほど、その年は豊漁だと言われる。 | 鳥羽市神島町 | (不明) |
541 | 神島ゲーター祭4-5 | 島中の男達が待つ東の浜に運び込まれた「輪(アワ)」は、ゲーロー竹で空中高く突き上げられる。輪は高く上がれば上がるほど、その年は豊漁だと言われる。 | 鳥羽市神島町 | (不明) |
542 | 神島ゲーター祭4-6 | 「輪(アワ)」が下ろされるのと同時に、漁業組合長が群衆の中に宝物と言われる「サバ」を投げ入れる。これを取った者は福があると言われ、男たちは必死で奪い合う。 | 鳥羽市神島町 | (不明) |
543 | 神島ゲーター祭4-7 | 「輪(アワ)」が下ろされるのと同時に、漁業組合長が群衆の中に宝物と言われる「サバ」を投げ入れる。これを取った者は福があると言われ、男たちは必死で奪い合う。 | 鳥羽市神島町 | (不明) |
544 | 神島ゲーター祭4-8 | 「輪(アワ)」が下ろされるのと同時に、漁業組合長が群衆の中に宝物と言われる「サバ」を投げ入れる。これを取った者は福があると言われ、男たちは必死で奪い合う。 | 鳥羽市神島町 | (不明) |
545 | 神島ゲーター祭4-9 | 「輪(アワ)」が下ろされるのと同時に、漁業組合長が群衆の中に宝物と言われる「サバ」を投げ入れる。これを取った者は福があると言われ、男たちは必死で奪い合う。 | 鳥羽市神島町 | (不明) |
546 | 神島ゲーター祭4-10 | 「輪(アワ)」が下ろされるのと同時に、漁業組合長が群衆の中に宝物と言われる「サバ」を投げ入れる。これを取った者は福があると言われ、男たちは必死で奪い合う。 | 鳥羽市神島町 | (不明) |
547 | 神島ゲーター祭4-11 | スライド枠には「8-1 ゲーター祭 12」と記される。島中の男達が待つ東の浜に運び込まれた「輪(アワ)」は、ゲーロー竹で空中高く突き上げられる。輪は高く上がれば上がるほど、その年は豊漁だと言われる。 | 鳥羽市神島町 | (不明) |
548 | 神島ゲーター祭4-12 | 「輪(アワ)」が下ろされるのと同時に、漁業組合長が群衆の中に宝物と言われる「サバ」を投げ入れる。これを取った者は福があると言われ、男たちは必死で奪い合う。 | 鳥羽市神島町 | (不明) |
549 | 神島ゲーター祭4-13 | 「輪(アワ)」が下ろされるのと同時に、漁業組合長が群衆の中に宝物と言われる「サバ」を投げ入れる。これを取った者は福があると言われ、男たちは必死で奪い合う。 | 鳥羽市神島町 | (不明) |
550 | 神島ゲーター祭4-14 | 「輪(アワ)」が下ろされるのと同時に、漁業組合長が群衆の中に宝物と言われる「サバ」を投げ入れる。これを取った者は福があると言われ、男たちは必死で奪い合う。 | 鳥羽市神島町 | (不明) |
551 | 神島ゲーター祭4-15 | 「輪(アワ)」が下ろされるのと同時に、漁業組合長が群衆の中に宝物と言われる「サバ」を投げ入れる。これを取った者は福があると言われ、男たちは必死で奪い合う。 | 鳥羽市神島町 | (不明) |
552 | 神島ゲーター祭4-16 | スライド枠には「15」と記される。「輪(アワ)」が下ろされるのと同時に、漁業組合長が群衆の中に宝物と言われる「サバ」を投げ入れる。これを取った者は福があると言われ、男たちは必死で奪い合う。 | 鳥羽市神島町 | (不明) |
553 | 神島ゲーター祭4-17 | スライド枠には「14」と記される。数分間、ゲーロー竹で空中高く突き上げられた輪はやがて降ろされ、口米の若者に受け止められると、そのまま担がれて一気に八代神社へと向かう。 | 鳥羽市神島町 | (不明) |
554 | 神島ゲーター祭4-18 | スライド枠には「13」と記される。数分間、ゲーロー竹で空中高く突き上げられた輪はやがて降ろされ、口米の若者に受け止められると、そのまま担がれて一気に八代神社へと向かう。 | 鳥羽市神島町 | (不明) |
555 | 神島ゲーター祭4-19 | スライド枠には「16」と記される。「輪(アワ)」が下ろされるのと同時に、漁業組合長が群衆の中に宝物と言われる「サバ」を投げ入れる。これを取った者は福があると言われ、男たちは必死で奪い合う。 | 鳥羽市神島町 | (不明) |
556 | 神島ゲーター祭5-1 | スライド枠には「ゲーター祭(神島) 29」と記される。島中の男達が待つ東の浜に運び込まれた「輪(アワ)」は、ゲーロー竹で空中高く突き上げられる。輪は高く上がれば上がるほど、その年は豊漁だと言われる。 | 鳥羽市神島町 | (不明) |
557 | 神島ゲーター祭5-2 | 船に取付けられた注連飾り。ツボキには炊きたての白米が供えられる。 | 鳥羽市神島町 | (不明) |
558 | 神島ゲーター祭5-3 | 神島では大晦日の夕刻になると、その年の宮持の家と前年の宮持であった口米の家では錐火で火をおこし、その神聖な火で豆が煎られる。そして宮持は海へ行き、口米の爺は漁業組合に行って金庫に向い「福は内」と豆をまく。これが終わってはじめて一般の豆まきが許されると言う。各戸では一家の主人か長男がバチバチの木と呼ぶトベラの小枝と、ザーザーの木と呼ぶヤブニッケイを燃やしながら、杉の串に田作りを刺したアクサバシと共に豆を煎り上げる。 | 鳥羽市神島町 | (不明) |
559 | 神島ゲーター祭5-4 | スライド枠には「あらくさ(鰯)」と記される。煎った豆は福の豆と鬼の豆に分けて床の間に供える。豆まきは床の間とねずみ窓に向かって「福は内」と3回まき、次に玄関から外に向かって「鬼は外」と2回、最後に外から玄関に向かい「福は内」と3回まいた後、戸口を閉める。外の主人はその足で海・コウシンサン・持ち船・神社前・薬師堂と豆まきをして家に戻る。主人は戸口で「モローモ」と呼ぶと、家の者が「ドーレ」と言い、次に「福の神が参りました」と応答して家に入る。アクサバシは魔除けと称して玄関や門松などに飾られる。 | 鳥羽市神島町 | (不明) |
560 | 神島ゲーター祭5-5 | スライド枠には「ゲーター」と記される。宮持の床の間に置かれた「輪(アワ)」。口米の爺と宮持と輪を担ぐ若い衆等が、出発を待つ。 | 鳥羽市神島町 | (不明) |
561 | 神島ゲーター祭5-6 | スライド枠には「豆」と記される。八代神社下の鳥居の前で豆をまく。 | 鳥羽市神島町 | (不明) |
562 | 神島ゲーター祭5-7 | スライド枠には「ゲーター」と記される。「輪(アワ)」作り。グミの木を絡げて輪を作り、その上にモローモを配ったときに各家からいただいた祝儀を包んでいた半紙を巻き、更にその上から美濃紙の巻紙を巻いて仕上げられていく。 | 鳥羽市神島町 | (不明) |
563 | 神島ゲーター祭5-8 | スライド枠には「ゲーター」と記される。大漁旗をなびかせる神島漁港。 | 鳥羽市神島町 | (不明) |
564 | 神島ゲーター祭5-9 | スライド枠には「神島ゲーター」と記される。大漁旗をなびかせる神島漁港。 | 鳥羽市神島町 | (不明) |
565 | 神島ゲーター祭5-10 | スライド枠には「ゲーター」と記される。モローモ配り。ミカンに昆布の切ったものを乗せ、宮持が12月の吉日に刈った茅(かや)で6筋に縛った宝物(縁起物)を子供達が島の各戸に配る。モローモは宮持と口米の爺の家で作られたもので、「モローモ、福の神が参りました」と言って回り、子供達はお礼に祝儀のおひねりをいただいて帰ってくる。忌まれの掛かった家には、玄関の門飾りのツボケの上に載せて置いてくると言う。 | 鳥羽市神島町 | (不明) |
566 | 神島ゲーター祭5-11 | スライド枠には「ゲーター」と記される。「輪(アワ)」作り。グミの木を絡げて輪を作る若い衆達。途中何回となくワッショイ、ワッショイのかけ声で輪を引っ張り合い、輪の形を整え木の締まりをよくする。 | 鳥羽市神島町 | (不明) |
567 | 神島ゲーター祭5-12 | 午前5時頃、若い衆達によって宮持の家から運び出された「輪(アワ)」は、八代神社下の鳥居前へと向かう。 | 鳥羽市神島町 | (不明) |
568 | 神島ゲーター祭(神島の景観)6-1 | スライド枠には「61.12.8 神島の女」と記される。神島の島内風景である。背負い篭を背負った女性が行き交う。 | 鳥羽市神島町 | 1986.12.08 |
569 | 神島ゲーター祭(神島の景観)6-2 | スライド枠には「61.12 アミほどき」と記される。神島漁港で刺網をさばく漁師。この時期だとエビ網かと思われる。 | 鳥羽市神島町 | 1986.12.08 |
570 | 神島ゲーター祭(神島の景観)6-3 | スライド枠には「神島 巻網船」と記される。神島漁港風景。 | 鳥羽市神島町 | (1986.12.08) |
571 | 神島ゲーター祭(神島の景観)6-4 | スライド枠には「61.12.8 神島エイのヒレ」と記される。エイのヒレの干物。 | 鳥羽市神島町 | 1986.12.08 |
572 | 神島ゲーター祭(神島の景観)6-5 | スライド枠には「61.12 神島エビス魚づくり」と記される。赤魚とかガシラとも呼ばれる磯魚。スライド枠には「61.12 神島エビス魚づくり」と記される。 | 鳥羽市神島町 | 1986.12.08 |
573 | 神島ゲーター祭(神島の景観)6-6 | スライド枠には「61.12 神島薬師堂」と記される。 | 鳥羽市神島町 | (1986.12.08) |
574 | 神島ゲーター祭(神島の景観)7-1 | スライド枠には「62.1.7 神島」と記される。神島市営定期船発着桟橋での風景。市営定期船が桟橋を離れたのか、手を振る婦人達の姿が見える。 | 鳥羽市神島町 | 1987.01.07 |
575 | 神島ゲーター祭(神島の景観)7-2 | スライド枠には「62.1.7 神島」と記される。市営定期船から見た神島の街並み。まだ、漁は休みなのか20艘近い巻網船が係留されている。 | 鳥羽市神島町 | 1987.01.07 |
576 | 神島ゲーター祭(神島の景観)7-3 | スライド枠には「62.1.7 神島」と記される。市営定期船から見た神島の街並み。まだ、漁は休みなのか20艘近い巻網船が係留されている。スライド枠には「62.1.7 神島」と記される。 | 鳥羽市神島町 | 1987.01.07 |
577 | 神島ゲーター祭(神島の景観)7-4 | スライド枠には「62.1.7 神島」と記される。市営定期船から見た神島の街並み。まだ、漁は休みなのか20艘近い巻網船が係留されている。 | 鳥羽市神島町 | 1987.01.07 |
578 | 神島ゲーター祭(神島の景観)7-5 | スライド枠には「62.1.7 神島宮持の玄関」と記される。正月の注連縄は「門松迎え」と言って12月28日に掛け替えられる。玄関両脇には門松が飾られる。 | 鳥羽市神島町 | 1987.01.07 |
579 | 神島ゲーター祭(神島の景観)7-6 | スライド枠には「神島宮持の玄関」と記される。正月の注連縄は「門松迎え」と言って12月28日に掛け替えられる。宮持の玄関に張られる注連縄はとりわけ大きく太い。シメウチと言って12月20日に作り、床の間に供えていたものをこの日に飾り、白紙で巻いた炭・ヨメゴジと呼ばれる人形・橙・ウラジロ・シメノ札・シデが取付けられる。シメノ札には、表に「蘇民将来子孫門」と書き、その左右に小さく「七難即滅/七福即生」、と記す。また裏には、中央に「急々如立令」と書き左右に魔除けの「ドーマン/セーマン」が描かれる。 | 鳥羽市神島町 | (1987.01.07) |
580 | 神島ゲーター祭(神島の景観)7-7 | スライド枠には「62.1.7 神島」と記される。ツボキには魔除けとされるトベラの小枝とアクサバシが飾られている。 | 鳥羽市神島町 | 1987.01.07 |
581 | 神島ゲーター祭(宮持家集合)1-1 | スライドシートの一コマ目に「4時 宮持家集合1」と記される。ゲーター祭を含めた神島の正月行事は12月8日の「事納め(ヤリマショブネ)」に始まり、11日の「神渡し(祷渡し)」、13日の「正月始め(正月の準備)」、31日の「モローモ配り・輪(アワ)作り」、1月1日の「波切不動掛け軸開帳・ゲーター祭・サバ取り・日向の祭」、2日の「船祭・磯祭・チョンナ始め」、4日の「獅子舞・年祝い」、6日の「八幡祭(六日祭)」と続き、ここで一区切りとされる。この内、ゲーター祭は、12月31日夕刻の豆まき、宮持のモローモ配り、輪(アワ)とサバ作りから、元旦の日の出前に東の浜で島中の男達が直径2m程のグミの輪を青竹で突き上げるアワツキまで、大晦日から元旦までの一連の行事をさす。祭の持つ意味は、悪を払う「祓い」の行為とする説、太陽を迎える太陽信仰と言う説、海の神の女神としての象徴に男の持つ竹を突き刺し豊穣と大漁を祈る性的儀礼とする説等諸説有るが不明とされる。祭が終わった後の輪(アワ)は八代神社に運ばれ、1年間境内で保管される。参考文献:鳥羽市教育委員会編・発行『ゲーター祭調査報告書』平成10年発行。 | 鳥羽市神島町 | (1989.12.31) |
582 | 神島ゲーター祭(宮持家集合)1-2 | 夕刻になると八代神社と染め抜いた手拭いを鉢巻きにした白装束の男衆が宮持の家に集まってくる。 | 鳥羽市神島町 | (1989.12.31) |
583 | 神島ゲーター祭(宮持家集合)1-3 | 夕刻になると八代神社と染め抜いた手拭いを鉢巻きにした白装束の男衆が宮持の家に集まってくる。 | 鳥羽市神島町 | (1989.12.31) |
584 | 神島ゲーター祭(宮持家集合)1-4 | 宮持の妻。 | 鳥羽市神島町 | (1989.12.31) |
585 | 神島ゲーター祭(宮持家集合)1-5 | 31日の夕刻、モローモ配りの子供達・若者・サバ作りの大工・漁業組合長・宮持夫婦・口米の爺・宮司等が集合する。若者・大工は白装束で、漁業組合長は紋付羽織、宮持と去年宮持を務めた口米の爺は丸に八の字を染め抜いた青の素襖烏帽子を身に付ける。 | 鳥羽市神島町 | (1989.12.31) |
586 | 神島ゲーター祭(宮持家集合)1-6 | 丸に八の字を染め抜いた青の素襖烏帽子を身に付けた宮持。 | 鳥羽市神島町 | (1989.12.31) |
587 | 神島ゲーター祭(宮持家集合)1-7 | 丸に八の字を染め抜いた青の素襖烏帽子を身に付けた口米の爺。 | 鳥羽市神島町 | (1989.12.31) |
588 | 神島ゲーター祭(宮持家集合)2-1 | 祭事は、綿津見大神、天照皇大神宮の掛け軸を掛けた宮持家の床の間の前に、宮持夫婦、口米の爺、漁業組合長、若い衆が正座をし、八代神社の宮司による祓いと祝詞奏上から始められる。祓いが終了すると次は盃事で、宮持・宮司・宮持の妻・一同の順で神酒が振る舞われる。 | 鳥羽市神島町 | (1989.12.31) |
589 | 神島ゲーター祭(宮持家集合)2-2 | 祭事は、綿津見大神、天照皇大神宮の掛け軸を掛けた宮持家の床の間の前に、宮持夫婦、口米の爺、漁業組合長、若い衆が正座をし、八代神社の宮司による祓いと祝詞奏上から始められる。祓いが終了すると次は盃事で、宮持・宮司・宮持の妻・一同の順で神酒が振る舞われる。 | 鳥羽市神島町 | (1989.12.31) |
590 | 神島ゲーター祭(宮持家集合)2-3 | 綿津見大神、天照皇大神宮の掛け軸を掛けた宮持家の床の間。 | 鳥羽市神島町 | (1989.12.31) |
591 | 神島ゲーター祭(宮持家集合)2-4 | 綿津見大神、天照皇大神宮の掛け軸を掛けた宮持家の床の間。写真手前左端には「アワビもち」が供えられている。 | 鳥羽市神島町 | (1989.12.31) |
592 | 神島ゲーター祭(宮持家集合)2-5 | 盃事に出された肴。カツオの刺身、茹タコ、小イカの煮付け。 | 鳥羽市神島町 | (1989.12.31) |
593 | 神島ゲーター祭(宮持家集合)2-6 | 祓いが終了すると次は盃事で、宮持・宮司・宮持の妻・一同の順で神酒が振る舞われる。 | 鳥羽市神島町 | (1989.12.31) |
594 | 神島ゲーター祭(宮持家集合)2-7 | 祓いが終了すると次は盃事で、宮持・宮司・宮持の妻・一同の順で神酒が振る舞われる。 | 鳥羽市神島町 | (1989.12.31) |
595 | 神島ゲーター祭(宮持家集合)2-8 | 祓いが終了すると次は盃事で、宮持・宮司・宮持の妻・一同の順で神酒が振る舞われる。 | 鳥羽市神島町 | (1989.12.31) |
596 | 神島ゲーター祭(宮持家集合)2-9 | スライド枠には「集合2」と記されている。祓いが終了すると次は盃事で、宮持・宮司・宮持の妻・一同の順で神酒が振る舞われる。 | 鳥羽市神島町 | (1989.12.31) |
597 | 神島ゲーター祭(宮持家集合)2-10 | 祓いが終了すると次は盃事で、宮持・宮司・宮持の妻・一同の順で神酒が振る舞われる。 | 鳥羽市神島町 | (1989.12.31) |
598 | 神島ゲーター祭(宮持家集合)2-11 | 祓いが終了すると次は盃事で、宮持・宮司・宮持の妻・一同の順で神酒が振る舞われる。 | 鳥羽市神島町 | (1989.12.31) |
599 | 神島ゲーター祭(宮持家集合)2-12 | 祓いが終了すると次は盃事で、宮持・宮司・宮持の妻・一同の順で神酒が振る舞われる。 | 鳥羽市神島町 | (1989.12.31) |
600 | 神島ゲーター祭(宮持家集合)2-13 | 祓いが終了すると次は盃事で、宮持・宮司・宮持の妻・一同の順で神酒が振る舞われる。 | 鳥羽市神島町 | (1989.12.31) |
601 | 神島ゲーター祭(宮持家集合)2-14 | 祓いが終了すると次は盃事で、宮持・宮司・宮持の妻・一同の順で神酒が振る舞われる。 | 鳥羽市神島町 | (1989.12.31) |
602 | 神島ゲーター祭(宮持家集合)3-1 | 祭事に参加する男衆が履く藁草履。 | 鳥羽市神島町 | (1989.12.31) |
603 | 神島ゲーター祭(宮持家集合)3-2 | 綿津見大神、天照皇大神宮の掛け軸を掛けた宮持家の床の間。 | 鳥羽市神島町 | (1989.12.31) |
604 | 神島ゲーター祭(宮持家集合)3-3 | この座敷で「輪(アワ)」や「サバ」が作られるが、神聖な場として座敷の周囲には注連縄が張られる。 | 鳥羽市神島町 | (1989.12.31) |
605 | 神島ゲーター祭(宮持家集合)3-4 | 座敷に運び込まれた「輪(アワ)」作りの材料。グミの木の枝は12月吉日に切り出され、薬師堂裏に置かれていたものを当日365尋の縄や麻苧の束、白紙と共に宮持の家に運び込まれ、宮司のお祓いを受け盃事の後、作業が開始される。 | 鳥羽市神島町 | (1989.12.31) |
606 | 神島ゲーター祭(宮持家集合)3-5 | 座敷に運び込まれた「輪(アワ)」作りの材料。グミの木の枝は12月吉日に切り出され、薬師堂裏に置かれていたものを当日365尋の縄や麻苧の束、白紙と共に宮持の家に運び込まれ、宮司のお祓いを受け盃事の後、作業が開始される。 | 鳥羽市神島町 | (1989.12.31) |
607 | 神島ゲーター祭(宮持家集合)3-6 | 宮持が身に付けた烏帽子。 | 鳥羽市神島町 | (1989.12.31) |
608 | 神島ゲーター祭(宮持家集合)3-7 | 祓いが終了すると次は盃事で、宮持・宮司・宮持の妻・一同の順で神酒が振る舞われる。 | 鳥羽市神島町 | (1989.12.31) |
609 | 神島ゲーター祭(宮持家集合)3-8 | 隠居衆か?(要調査) | 鳥羽市神島町 | (1989.12.31) |
610 | 神島ゲーター祭(宮持家集合)3-9 | (要調査) | 鳥羽市神島町 | (1989.12.31) |
611 | 神島ゲーター祭(宮持家集合)3-10 | (要調査) | 鳥羽市神島町 | (1989.12.31) |
612 | 神島ゲーター祭(宮持家集合)3-11 | 祓いが終了し盃事が終わると、「輪(アワ)」作りと「サバ」作りが開始される。 | 鳥羽市神島町 | (1989.12.31) |
613 | 神島ゲーター祭(宮持家集合)3-12 | 綿津見大神、天照皇大神宮の掛け軸を掛けた宮持家の床の間。この座敷で「輪(アワ)」や「サバ」が作られるが、神聖な場として座敷の周囲には注連縄が張られる。 | 鳥羽市神島町 | (1989.12.31) |
614 | 神島ゲーター祭(宮持家集合)3-13 | (要調査) | 鳥羽市神島町 | (1989.12.31) |
615 | 神島ゲーター祭(宮持家集合)3-14 | (要調査) | 鳥羽市神島町 | (1989.12.31) |
616 | 神島ゲーター祭(宮持家集合)3-15 | (要調査) | 鳥羽市神島町 | (1989.12.31) |
617 | 神島ゲーター祭(宮持家集合)3-16 | 輪(アワ)の出発準備をする男衆。 | 鳥羽市神島町 | (1990.01.01) |
618 | 神島ゲーター祭(宮持家集合)3-17 | 輪(アワ)の出発準備をする男衆。宮本の長男とその子供達かと思われる。後ろの床の間の前にはできあがった輪が置かれている。 | 鳥羽市神島町 | (1990.01.01) |
619 | 神島ゲーター祭(アワ・浜へ出発)4-1 | スキャニングはされていないがタイトルスライドには「神島 1日5時 アワ・浜へ出発」と記される。ワカド水で作ったカンノモン(ぜんざい)を宮持と口米の爺がいただいた後、元旦の午前5時過ぎ、若い衆に担がれて輪は宮持の家を出る。 | 鳥羽市神島町 | (1990.01.01) |
620 | 神島ゲーター祭(アワ・浜へ出発)4-2 | 輪は宮持の家を出ると八代神社の鳥居前に向かう。 | 鳥羽市神島町 | (1990.01.01) |
621 | 神島ゲーター祭(アワ・浜へ出発)4-3 | 輪は宮持の家を出ると八代神社の鳥居前に向かう。 | 鳥羽市神島町 | (1990.01.01) |
622 | 神島ゲーター祭(アワ・浜へ出発)4-4 | 輪は宮持の家を出ると八代神社の鳥居前に向かう。 | 鳥羽市神島町 | (1990.01.01) |
623 | 神島ゲーター祭(アワ・浜へ出発)4-5 | スキャニングはされていないがタイトルスライドには「鳥居前のアワねり 1日5時10分頃」と記される。八代神社の鳥居前に着くと、「ヨイサ、ヨイサ」の掛け声のもと宮司が来るまで何回となく練りが行われる。 | 鳥羽市神島町 | (1990.01.01) |
624 | 神島ゲーター祭(アワ・浜へ出発)4-6 | スライド枠には「18」と記される。八代神社の鳥居前に着くと、「ヨイサ、ヨイサ」の掛け声のもと宮司が来るまで何回となく練りが行われる。 | 鳥羽市神島町 | (1990.01.01) |
625 | 神島ゲーター祭(アワ・浜へ出発)4-7 | 八代神社の鳥居前に着くと、「ヨイサ、ヨイサ」の掛け声のもと宮司が来るまで何回となく練りが行われる。 | 鳥羽市神島町 | (1990.01.01) |
626 | 神島ゲーター祭(アワ・浜へ出発)4-8 | 八代神社の鳥居前に着くと、「ヨイサ、ヨイサ」の掛け声のもと宮司が来るまで何回となく練りが行われる。 | 鳥羽市神島町 | (1990.01.01) |
627 | 神島ゲーター祭(アワ・浜へ出発)4-9 | しばらくすると宮司が現れ、その後いよいよ輪は東の浜に繰り出すが、途中スズの浜の上に有る明神跡の広場に来ると、その由緒ある場所に敬意を払ってそこで一練する。写真左から口米の爺、宮持、宮司。 | 鳥羽市神島町 | (1990.01.01) |
628 | 神島ゲーター祭(アワ・浜へ出発)4-10 | ゲーター祭を一目見ようと集まった島の人々。 | 鳥羽市神島町 | (1990.01.01) |
629 | 神島ゲーター祭(アワ・浜へ出発)4-11 | しばらくすると宮司が現れ、その後いよいよ輪は東の浜に繰り出すが、途中スズの浜の上に有る明神跡の広場に来ると、その由緒ある場所に敬意を払ってそこで一練する。写真左から口米の爺、宮持、宮司。 | 鳥羽市神島町 | (1990.01.01) |
630 | 神島ゲーター祭(アワ・浜へ出発)4-12 | 浜の通りに着いた輪。ここで輪は、口米(前年の宮持)の若者に引き渡される。口米の若者に渡された輪は、二手に分かれて青竹(ゲーロー竹)で叩き合う中を駆け潜り南の庚申塚にお参りに向かう。この時、男達は通る輪を「お天とう様の虫下し」等と言って青だけで叩き合う。 | 鳥羽市神島町 | (1990.01.01) |
631 | 神島ゲーター祭(アワ・浜へ出発)4-13 | 浜の通りに着いた輪。ここで輪は、口米(前年の宮持)の若者に引き渡される。口米の若者に渡された輪は、二手に分かれて青竹(ゲーロー竹)で叩き合う中を駆け潜り南の庚申塚にお参りに向かう。この時、男達は通る輪を「お天とう様の虫下し」等と言って青だけで叩き合う。 | 鳥羽市神島町 | (1990.01.01) |
632 | 神島ゲーター祭(アワ・浜へ出発)4-14 | 5~6m程の青竹にケンと呼ばれる御幣を取付けた「ゲーロー竹」を作り、「輪(アワ)」を突き上げる準備を進める。 | 鳥羽市神島町 | (1990.01.01) |
633 | 神島ゲーター祭(アワ・浜へ出発)4-15 | スライド枠には「19」と記される。5~6m程の青竹にケンと呼ばれる御幣を取付けた「ゲーロー竹」を作り、「輪(アワ)」を突き上げる準備を進める。 | 鳥羽市神島町 | (1990.01.01) |
634 | 神島ゲーター祭(アワ・浜へ出発)4-16 | 東の浜での祭事が終わり、輪とサバが八代神社に揃うと、島の人達は一斉に石段を登り初詣に向かう。初詣に訪れた人々は、拝殿に置かれたサバを打ちつけ一年の無事と大漁を祈って手を合わせていく。 | 鳥羽市神島町 | (1990.01.01) |
635 | 神島ゲーター祭(神島アワ作り1-1)5-1 | スキャニングされていないがタイトルスライドには「神島 アワ作り1-1」と記される。大晦日の午後7時頃、宮持家の座敷ではグミの木を使って直径2m程の「輪(アワ)」作りが始まる。輪を作る座敷は神聖な場所として注連縄が張られ女性は立ち入る事が出来ない。グミの木の自然のカーブを利用しながら適当な長さに切って藁縄でからげ、途中「ヨイサ、ヨイサ」の掛け声で何回となく輪を締めながら形を整え、太さ20㎝位までにする。 | 鳥羽市神島町 | (1989.12.31) |
636 | 神島ゲーター祭(神島アワ作り1-1)5-2 | 大晦日の午後7時頃、宮持家の座敷ではグミの木を使って直径2m程の「輪(アワ)」作りが始まる。輪を作る座敷は神聖な場所として注連縄が張られ女性は立ち入る事が出来ない。グミの木の自然のカーブを利用しながら適当な長さに切って藁縄でからげ、途中「ヨイサ、ヨイサ」の掛け声で何回となく輪を締めながら形を整え、太さ20㎝位までにする。タイトルスライドには「神島 アワ作り1-1」と記される。 | 鳥羽市神島町 | (1989.12.31) |
637 | 神島ゲーター祭(アワ作り1-1)5-3 | 大晦日の午後7時頃、宮持家の座敷ではグミの木を使って直径2m程の「輪(アワ)」作りが始まる。輪を作る座敷は神聖な場所として注連縄が張られ女性は立ち入る事が出来ない。グミの木の自然のカーブを利用しながら適当な長さに切って藁縄でからげ、途中「ヨイサ、ヨイサ」の掛け声で何回となく輪を締めながら形を整え、太さ20㎝位までにする。 | 鳥羽市神島町 | (1989.12.31) |
638 | 神島ゲーター祭(神島アワづくり1-1)5-4 | 大晦日の午後7時頃、宮持家の座敷ではグミの木を使って直径2m程の「輪(アワ)」作りが始まる。輪を作る座敷は神聖な場所として注連縄が張られ女性は立ち入る事が出来ない。グミの木の自然のカーブを利用しながら適当な長さに切って藁縄でからげ、途中「ヨイサ、ヨイサ」の掛け声で何回となく輪を締めながら形を整え、太さ20㎝位までにする。 | 鳥羽市神島町 | (1989.12.31) |
639 | 神島ゲーター祭(アワ作り1-1)5-5 | 材料となるグミの木の枝は12月吉日に切り出され、薬師堂裏に置かれていたものを当日365尋の縄や麻苧の束、白紙と共に宮持の家に運び込まれ、宮司のお祓いを受け盃事の後、作業が開始される。 | 鳥羽市神島町 | (1989.12.31) |
640 | 神島ゲーター祭(アワ作り1-1)5-6 | 輪は今年の宮持の若い衆が作り始め、途中から口米の爺(去年の宮持)の若い衆らが景気づけに参加する。宮持の者は景気よく大きく作ろうとするし、旧宮持の者は神社に駆け上がらなければならないこともあって軽くしようとせめぎ合いがおこる。 | 鳥羽市神島町 | (1989.12.31) |
641 | 神島ゲーター祭(神島アワ作り1-1)5-7 | 大晦日の午後7時頃、宮持家の座敷ではグミの木を使って「輪(アワ)」作りが始まる。輪を作る座敷は神聖な場所として注連縄が張られ女性は立ち入る事が出来ない。グミの木の自然のカーブを利用しながら適当な長さに切って藁縄でからげ太さ約20㎝、直径2m程に仕上げられていく。 | 鳥羽市神島町 | (1989.12.31) |
642 | 神島ゲーター祭(神島アワ作り1-1)5-8 | スライド枠には「アワつくり」と記される。大晦日の午後7時頃、宮持家の座敷ではグミの木を使って「輪(アワ)」作りが始まる。輪を作る座敷は神聖な場所として注連縄が張られ女性は立ち入る事が出来ない。グミの木の自然のカーブを利用しながら適当な長さに切って藁縄でからげ太さ約20㎝、直径2m程に仕上げられていく。 | 鳥羽市神島町 | (1989.12.31) |
643 | 神島ゲーター祭(神島アワ作り1-1)5-9 | 大晦日の午後7時頃、宮持家の座敷ではグミの木を使って「輪(アワ)」作りが始まる。輪を作る座敷は神聖な場所として注連縄が張られ女性は立ち入る事が出来ない。グミの木の自然のカーブを利用しながら適当な長さに切って藁縄でからげ太さ約20㎝、直径2m程に仕上げられていく。 | 鳥羽市神島町 | (1989.12.31) |
644 | 神島ゲーター祭(神島アワ作り1-1)5-10 | 大晦日の午後7時頃、宮持家の座敷ではグミの木を使って「輪(アワ)」作りが始まる。輪を作る座敷は神聖な場所として注連縄が張られ女性は立ち入る事が出来ない。グミの木の自然のカーブを利用しながら適当な長さに切って藁縄でからげ太さ約20㎝、直径2m程に仕上げられていく。 | 鳥羽市神島町 | (1989.12.31) |
645 | 神島ゲーター祭(神島アワ作り1-1)5-11 | 大晦日の午後7時頃、宮持家の座敷ではグミの木を使って「輪(アワ)」作りが始まる。輪を作る座敷は神聖な場所として注連縄が張られ女性は立ち入る事が出来ない。グミの木の自然のカーブを利用しながら適当な長さに切って藁縄でからげ太さ約20㎝、直径2m程に仕上げられていく。 | 鳥羽市神島町 | (1989.12.31) |
646 | 神島ゲーター祭(神島アワ作り1-1)5-12 | 大晦日の午後7時頃、宮持家の座敷ではグミの木を使って「輪(アワ)」作りが始まる。輪を作る座敷は神聖な場所として注連縄が張られ女性は立ち入る事が出来ない。グミの木の自然のカーブを利用しながら適当な長さに切って藁縄でからげ太さ約20㎝、直径2m程に仕上げられていく。 | 鳥羽市神島町 | (1989.12.31) |
647 | 神島ゲーター祭(神島アワ作り1-1)5-13 | 大晦日の午後7時頃、宮持家の座敷ではグミの木を使って「輪(アワ)」作りが始まる。輪を作る座敷は神聖な場所として注連縄が張られ女性は立ち入る事が出来ない。グミの木の自然のカーブを利用しながら適当な長さに切って藁縄でからげ太さ約20㎝、直径2m程に仕上げられていく。 | 鳥羽市神島町 | (1989.12.31) |
648 | 神島ゲーター祭(神島アワ作り1-1)5-14 | 大晦日の午後7時頃、宮持家の座敷ではグミの木を使って「輪(アワ)」作りが始まる。輪を作る座敷は神聖な場所として注連縄が張られ女性は立ち入る事が出来ない。グミの木の自然のカーブを利用しながら適当な長さに切って藁縄でからげ太さ約20㎝、直径2m程に仕上げられていく。 | 鳥羽市神島町 | (1989.12.31) |
649 | 神島ゲーター祭(アワ作り1-1)5-15 | 大晦日の午後7時頃、宮持家の座敷ではグミの木を使って「輪(アワ)」作りが始まる。輪を作る座敷は神聖な場所として注連縄が張られ女性は立ち入る事が出来ない。グミの木の自然のカーブを利用しながら適当な長さに切って藁縄でからげ太さ約20㎝、直径2m程に仕上げられていく。 | 鳥羽市神島町 | (1989.12.31) |
650 | 神島ゲーター祭(アワ作り1-1)5-16 | 大晦日の午後7時頃、宮持家の座敷ではグミの木を使って「輪(アワ)」作りが始まる。輪を作る座敷は神聖な場所として注連縄が張られ女性は立ち入る事が出来ない。グミの木の自然のカーブを利用しながら適当な長さに切って藁縄でからげ、途中「ヨイサ、ヨイサ」の掛け声で何回となく輪を締めながら形を整え、太さ約20㎝、直径2m程に仕上げられていく。 | 鳥羽市神島町 | (1989.12.31) |
651 | 神島ゲーター祭(アワ作り1-1)5-17 | 大晦日の午後7時頃、宮持家の座敷ではグミの木を使って「輪(アワ)」作りが始まる。輪を作る座敷は神聖な場所として注連縄が張られ女性は立ち入る事が出来ない。グミの木の自然のカーブを利用しながら適当な長さに切って藁縄でからげ太さ約20㎝、直径2m程に仕上げられていく。 | 鳥羽市神島町 | (1989.12.31) |
652 | 神島ゲーター祭(神島アワづくり1-1)5-18 | スライド枠には「8-2 ゲーター祭」と記される。大晦日の午後7時頃、宮持家の座敷ではグミの木を使って「輪(アワ)」作りが始まる。輪を作る座敷は神聖な場所として注連縄が張られ女性は立ち入る事が出来ない。グミの木の自然のカーブを利用しながら適当な長さに切って藁縄でからげ、途中「ヨイサ、ヨイサ」の掛け声で何回となく輪を締めながら形を整え、太さ約20㎝、直径2m程に仕上げられていく。 | 鳥羽市神島町 | (1989.12.31) |
653 | 神島ゲーター祭(アワ作り1-1)5-19 | 大晦日の午後7時頃、宮持家の座敷ではグミの木を使って「輪(アワ)」作りが始まる。輪を作る座敷は神聖な場所として注連縄が張られ女性は立ち入る事が出来ない。グミの木の自然のカーブを利用しながら適当な長さに切って藁縄でからげ太さ約20㎝、直径2m程に仕上げられていく。 | 鳥羽市神島町 | (1989.12.31) |
654 | 神島ゲーター祭神島アワづくり1-2)6-1 | スキャニングされていないがタイトルスライドには「アワつくり1-2」と記される。大晦日の午後7時頃、宮持家の座敷ではグミの木を使って「輪(アワ)」作りが始まる。輪を作る座敷は神聖な場所として注連縄が張られ女性は立ち入る事が出来ない。グミの木の自然のカーブを利用しながら適当な長さに切って藁縄でからげ太さ約20㎝、直径2m程に仕上げられていく。 | 鳥羽市神島町 | (1989.12.31) |
655 | 神島ゲーター祭(神島アワつくり1-2)6-2 | 大晦日の午後7時頃、宮持家の座敷ではグミの木を使って「輪(アワ)」作りが始まる。輪を作る座敷は神聖な場所として注連縄が張られ女性は立ち入る事が出来ない。グミの木の自然のカーブを利用しながら適当な長さに切って藁縄でからげ太さ約20㎝、直径2m程に仕上げられていく。 | 鳥羽市神島町 | (1989.12.31) |
656 | 神島ゲーター祭(神島アワつくり1-2)6-3 | 豆まき。床の間とねずみ窓に向かって「福は内」と3回まき、次に玄関から外に向かって「鬼は外」と2回、最後に外から玄関に向かい「福は内」と3回まいた後、戸口を閉める。外の主人はその足で海・コウシンサン・持ち船・神社前・薬師堂と豆まきをして家に戻る。主人は戸口で「モローモ」と呼ぶと、家の者が「ドーレ」と言い、次に「福の神が参りました」と応答して家に入る。アクサバシは魔除けと称して玄関や門松などに飾られる。 | 鳥羽市神島町 | (1989.12.31) |
657 | 神島ゲーター祭(神島アワつくり1-2)6-4 | 豆まき。床の間とねずみ窓に向かって「福は内」と3回まき、次に玄関から外に向かって「鬼は外」と2回、最後に外から玄関に向かい「福は内」と3回まいた後、戸口を閉める。外の主人はその足で海・コウシンサン・持ち船・神社前・薬師堂と豆まきをして家に戻る。主人は戸口で「モローモ」と呼ぶと、家の者が「ドーレ」と言い、次に「福の神が参りました」と応答して家に入る。アクサバシは魔除けと称して玄関や門松などに飾られる。 | 鳥羽市神島町 | (1989.12.31) |
658 | 神島ゲーター祭(モローモ配り)7-1 | スキャニングされていないがスライド枠には「31日7:00~ モローモ配り」と記される。モローモ配り。ミカンに昆布の切ったものを乗せ、宮持が12月の吉日に刈った茅(かや)で6筋に縛った宝物(縁起物)を子供達が島の各戸に配る。モローモは宮持(新宮持)と口米の爺(旧宮持)の両方の家で作られ、これを白木の盆にのせ「モローモ、福の神が参りました」と言って回り、子供達はお礼に祝儀のおひねりをいただいて帰ってくる。忌まれの掛かった家には、玄関の門飾りのツボケの上に載せて置いてくると言う。 | 鳥羽市神島町 | (1989.12.31) |
659 | 神島ゲーター祭(モローモ配り)7-2 | モローモ配り。ミカンに昆布の切ったものを乗せ、宮持が12月の吉日に刈った茅(かや)で6筋に縛った宝物(縁起物)を子供達が島の各戸に配る。モローモは宮持(新宮持)と口米の爺(旧宮持)の両方の家で作られ、これを白木の盆にのせ「モローモ、福の神が参りました」と言って回り、子供達はお礼に祝儀のおひねりをいただいて帰ってくる。忌まれの掛かった家には、玄関の門飾りのツボケの上に載せて置いてくると言う。 | 鳥羽市神島町 | (1989.12.31) |
660 | 神島ゲーター祭(モローモ配り)7-3 | モローモ配り。ミカンに昆布の切ったものを乗せ、宮持が12月の吉日に刈った茅(かや)で6筋に縛った宝物(縁起物)を子供達が島の各戸に配る。モローモは宮持(新宮持)と口米の爺(旧宮持)の両方の家で作られ、これを白木の盆にのせ「モローモ、福の神が参りました」と言って回り、子供達はお礼に祝儀のおひねりをいただいて帰ってくる。忌まれの掛かった家には、玄関の門飾りのツボケの上に載せて置いてくると言う。 | 鳥羽市神島町 | (1989.12.31) |
661 | 神島ゲーター祭(モローモ配り)7-4 | モローモ配り。ミカンに昆布の切ったものを乗せ、宮持が12月の吉日に刈った茅(かや)で6筋に縛った宝物(縁起物)を子供達が島の各戸に配る。モローモは宮持(新宮持)と口米の爺(旧宮持)の両方の家で作られ、これを白木の盆にのせ「モローモ、福の神が参りました」と言って回り、子供達はお礼に祝儀のおひねりをいただいて帰ってくる。忌まれの掛かった家には、玄関の門飾りのツボケの上に載せて置いてくると言う。 | 鳥羽市神島町 | (1989.12.31) |
662 | 神島ゲーター祭(モローモ配り)7-5 | 「モローモ」といって各戸の玄関に入る子供達。各家からは「どーれ」と声が掛かり、次に子どもが「福の神が参りました」と答えると、家側から「おっとめでたい」と応じる。モローモと引き換えに半紙で包んだ祝儀をいただき、半紙はまとめて宮持の「輪(アワ)」作りの会場に届けられる。 | 鳥羽市神島町 | (1989.12.31) |
663 | 神島ゲーター祭(モローモ配り)7-67 | 「モローモ」といって各戸の玄関に入る子供達。各家からは「どーれ」と声が掛かり、次に子どもが「福の神が参りました」と答えると、家側から「おっとめでたい」と応じる。モローモと引き換えに半紙で包んだ祝儀をいただき、半紙はまとめて宮持の「輪(アワ)」作りの会場に届けられる。 | 鳥羽市神島町 | (1989.12.31) |
664 | 神島ゲーター祭(モローモ配り)7-7 | モローモ配り。ミカンに昆布の切ったものを乗せ、宮持が12月の吉日に刈った茅(かや)で6筋に縛った宝物(縁起物)を子供達が島の各戸に配る。モローモは宮持(新宮持)と口米の爺(旧宮持)の両方の家で作られ、これを白木の盆にのせ「モローモ、福の神が参りました」と言って回り、子供達はお礼に祝儀のおひねりをいただいて帰ってくる。忌まれの掛かった家には、玄関の門飾りのツボケの上に載せて置いてくると言う。 | 鳥羽市神島町 | (1989.12.31) |
665 | 神島ゲーター祭(モローモ配り)7-8 | モローモ配り。ミカンに昆布の切ったものを乗せ、宮持が12月の吉日に刈った茅(かや)で6筋に縛った宝物(縁起物)を子供達が島の各戸に配る。モローモは宮持(新宮持)と口米の爺(旧宮持)の両方の家で作られ、これを白木の盆にのせ「モローモ、福の神が参りました」と言って回り、子供達はお礼に祝儀のおひねりをいただいて帰ってくる。忌まれの掛かった家には、玄関の門飾りのツボケの上に載せて置いてくると言う。 | 鳥羽市神島町 | (1989.12.31) |
666 | 神島ゲーター祭(サバ作り)8-1 | スキャニングされていないがタイトルスライドには「神島 サバ作り」と記される。サバとはモチの木で作った宝の事で、浜でグミの輪を突き上げるゲーター祭が終わろうとする頃、宮持から漁業組合長に手渡され群衆に投げ込まれる。これを取った者はその年幸運に恵まれるという縁起物である。サバは宮持の座敷で製作され、宮持と関係の深い大工が日の丸と八代神社の文字が染め抜かれた手拭いの鉢巻きを締め製作する。 | 鳥羽市神島町 | (1989.12.31) |
667 | 神島ゲーター祭(サバ作り)8-2 | スライド枠には「31日、サバ作り アワつくりと同時」と記される。サバは島の南の弁天崎から切り出したモチの木を用い、1年12ヶ月を表す12面柱に削り出す。 | 鳥羽市神島町 | (1989.12.31) |
668 | 神島ゲーター祭(サバ作り)8-3 | サバは島の南の弁天崎から切り出したモチの木を用い、直径6.5㎝、長さ24㎝、1年12ヶ月を表す12面柱(略式の6角柱に作る年も有る)に削り出す。 | 鳥羽市神島町 | (1989.12.31) |
669 | 神島ゲーター祭(サバ作り)8-4 | 12角柱に削り出されると、その一面に1ヶ月の日数分だけ切り目を入れ、全体で1年の日数分の切り目を入れる。製作は大大工1人の指導のもと若い2人の大工が当り、7時から始めて10頃までかかると言う。 | 鳥羽市神島町 | (1989.12.31) |
670 | 神島ゲーター祭(サバ作り)8-5 | 12角柱に削り出されると、その一面に1ヶ月の日数分だけ切り目を入れ、全体で1年の日数分の切り目を入れる。製作は大大工1人の指導のもと若い2人の大工が当り、7時から始めて10頃までかかると言う。 | 鳥羽市神島町 | (1989.12.31) |
671 | 神島ゲーター祭(サバ作り)8-6 | 12角柱に削り出されると、その一面に1ヶ月の日数分だけ切り目を入れ、全体で1年の日数分の切り目を入れる。製作は大大工1人の指導のもと若い2人の大工が当り、7時から始めて10頃までかかると言う。 | 鳥羽市神島町 | (1989.12.31) |
672 | 神島ゲーター祭(サバ作り)8-7 | サバが彫り上がると半紙を巻き、紅白の水引をかけ、漁業組合長が「上」と墨書して仕上る。仕上がったサバは、白木の盆にのせ宮持の座敷の綿津見大神の掛け軸が掛けられた床の間に輪と共に供えられる。 | 鳥羽市神島町 | (1989.12.31) |
673 | 神島ゲーター祭(サバ作り)8-8 | サバが彫り上がると半紙を巻き、紅白の水引をかけ、漁業組合長が「上」と墨書して仕上る。仕上がったサバは、白木の盆にのせ宮持の座敷の綿津見大神の掛け軸が掛けられた床の間に輪と共に供えられる。 | 鳥羽市神島町 | (1989.12.31) |
674 | 神島ゲーター祭(掛魚・汐酒)9-1 | スキャニングされていないがタイトルスライドには「神島 掛魚・汐酒」と記される。出来上がった輪「アワ」は頭を上にして綿津見大神の掛け軸が掛けられた床の間に置かれ、仕上がったサバは、白木の盆にのせ同様に床の間に供えられる。アワツキの準備が整うと一同に祝杯が振る舞われる。 | 鳥羽市神島町 | (1989.12.31) |
675 | 神島ゲーター祭(掛魚・汐酒)9-2 | 出来上がった輪「アワ」は頭を上にして綿津見大神の掛け軸が掛けられた床の間に置かれ、仕上がったサバは、白木の盆にのせ同様に床の間に供えられる。アワツキの準備が整うと一同に祝杯が振る舞われる。 | 鳥羽市神島町 | (1989.12.31) |
676 | 神島ゲーター祭(掛魚・汐酒)9-3 | 赤魚を腹合わせにして乾燥させた掛の魚。 | 鳥羽市神島町 | (1989.12.31) |
677 | 神島ゲーター祭(掛魚・汐酒)9-4 | (要調査) | 鳥羽市神島町 | (1989.12.31) |
678 | 神島ゲーター祭(掛魚・汐酒)9-5 | 赤魚を腹合わせにして乾燥させた掛の魚。 | 鳥羽市神島町 | (1989.12.31) |
679 | 神島ゲーター祭(掛魚・汐酒)9-6 | 赤魚を腹合わせにして乾燥させた掛の魚。 | 鳥羽市神島町 | (1989.12.31) |
680 | 神島ゲーター祭(掛魚・汐酒)9-7 | 赤魚を腹合わせにして乾燥させた掛の魚。 | 鳥羽市神島町 | (1989.12.31) |
681 | 神島ゲーター祭(掛魚・汐酒)9-8 | 赤魚を腹合わせにして乾燥させた掛の魚。 | 鳥羽市神島町 | (1989.12.31) |
682 | 神島ゲーター祭(掛魚・汐酒)9-9 | 赤魚を腹合わせにして乾燥させた掛の魚。 | 鳥羽市神島町 | (1989.12.31) |
683 | 神島ゲーター祭(掛魚・汐酒)9-10 | 出来上がった輪「アワ」は頭を上にして綿津見大神の掛け軸が掛けられた床の間に置かれ、仕上がったサバは、白木の盆にのせ同様に床の間に供えられる。アワツキの準備が整うと一同に祝杯が振る舞われる。 | 鳥羽市神島町 | (1989.12.31) |
684 | 神島ゲーター祭(掛魚・汐酒)9-11 | 出来上がった輪「アワ」は頭を上にして綿津見大神の掛け軸が掛けられた床の間に置かれ、仕上がったサバは、白木の盆にのせ同様に床の間に供えられる。アワツキの準備が整うと一同に祝杯が振る舞われる。 | 鳥羽市神島町 | (1989.12.31) |
685 | 神島ゲーター祭(薬師さんの開扉)10-1 | スキャニングされていないがタイトルスライドには「1日0時 薬師さんの開扉」と記される。「輪(アワ)」が出来上がり、除夜の鐘が鳴って年が明けると、八代神社鳥居から東に入った薬師堂で年一度の波切不動の掛け軸の開帳が有る。掛け軸は大小2本あり、海難に遭ったときこれに祈願すれば助かるという霊験あらたかな不動様で、危険と背中合わせに生活している神島の人々にとって絶大な信仰力を持っている。漁協役員等によって薬師堂に灯明がともされ、法螺貝が吹き鳴らされると、島の人々は薬師堂の前に押し寄せ、賽銭を投げ入れ一年の家内安全と無病息災を祈ってお参りをしていく。 | 鳥羽市神島町 | (1990.01.01) |
686 | 神島ゲーター祭(薬師さんの開扉)10-2 | 「輪(アワ)」が出来上がり、除夜の鐘が鳴って年が明けると、八代神社鳥居から東に入った薬師堂で年一度の波切不動の掛け軸の開帳が有る。掛け軸は大小2本あり、海難に遭ったときこれに祈願すれば助かるという霊験あらたかな不動様で、危険と背中合わせに生活している神島の人々にとって絶大な信仰力を持っている。漁協役員等によって薬師堂に灯明がともされ、法螺貝が吹き鳴らされると、島の人々は薬師堂の前に押し寄せ、賽銭を投げ入れ一年の家内安全と無病息災を祈ってお参りをしていく。 | 鳥羽市神島町 | (1990.01.01) |
687 | 神島ゲーター祭(薬師さんの開扉)10-3 | 「輪(アワ)」が出来上がり、除夜の鐘が鳴って年が明けると、八代神社鳥居から東に入った薬師堂で年一度の波切不動の掛け軸の開帳が有る。掛け軸は大小2本あり、海難に遭ったときこれに祈願すれば助かるという霊験あらたかな不動様で、危険と背中合わせに生活している神島の人々にとって絶大な信仰力を持っている。漁協役員等によって薬師堂に灯明がともされ、法螺貝が吹き鳴らされると、島の人々は薬師堂の前に押し寄せ、賽銭を投げ入れ一年の家内安全と無病息災を祈ってお参りをしていく。 | 鳥羽市神島町 | |
688 | 神島ゲーター祭(薬師さんの開扉)10-4 | 「輪(アワ)」が出来上がり、除夜の鐘が鳴って年が明けると、八代神社鳥居から東に入った薬師堂で年一度の波切不動の掛け軸の開帳が有る。掛け軸は大小2本あり、海難に遭ったときこれに祈願すれば助かるという霊験あらたかな不動様で、危険と背中合わせに生活している神島の人々にとって絶大な信仰力を持っている。漁協役員等によって薬師堂に灯明がともされ、法螺貝が吹き鳴らされると、島の人々は薬師堂の前に押し寄せ、賽銭を投げ入れ一年の家内安全と無病息災を祈ってお参りをしていく。 | 鳥羽市神島町 | (1990.01.01) |
689 | 神島ゲーター祭(薬師さんの開扉)10-5 | 「輪(アワ)」が出来上がり、除夜の鐘が鳴って年が明けると、八代神社鳥居から東に入った薬師堂で年一度の波切不動の掛け軸の開帳が有る。掛け軸は大小2本あり、海難に遭ったときこれに祈願すれば助かるという霊験あらたかな不動様で、危険と背中合わせに生活している神島の人々にとって絶大な信仰力を持っている。漁協役員等によって薬師堂に灯明がともされ、法螺貝が吹き鳴らされると、島の人々は薬師堂の前に押し寄せ、賽銭を投げ入れ一年の家内安全と無病息災を祈ってお参りをしていく。 | 鳥羽市神島町 | (1990.01.01) |
690 | 神島ゲーター祭(薬師さんの開扉)10-6 | 「輪(アワ)」が出来上がり、除夜の鐘が鳴って年が明けると、八代神社鳥居から東に入った薬師堂で年一度の波切不動の掛け軸の開帳が有る。掛け軸は大小2本あり、海難に遭ったときこれに祈願すれば助かるという霊験あらたかな不動様で、危険と背中合わせに生活している神島の人々にとって絶大な信仰力を持っている。漁協役員等によって薬師堂に灯明がともされ、法螺貝が吹き鳴らされると、島の人々は薬師堂の前に押し寄せ、賽銭を投げ入れ一年の家内安全と無病息災を祈ってお参りをしていく。 | 鳥羽市神島町 | (1990.01.01) |
691 | 神島ゲーター祭(薬師さんの開扉)10-7 | 「輪(アワ)」が出来上がり、除夜の鐘が鳴って年が明けると、八代神社鳥居から東に入った薬師堂で年一度の波切不動の掛け軸の開帳が有る。掛け軸は大小2本あり、海難に遭ったときこれに祈願すれば助かるという霊験あらたかな不動様で、危険と背中合わせに生活している神島の人々にとって絶大な信仰力を持っている。漁協役員等によって薬師堂に灯明がともされ、法螺貝が吹き鳴らされると、島の人々は薬師堂の前に押し寄せ、賽銭を投げ入れ一年の家内安全と無病息災を祈ってお参りをしていく。 | 鳥羽市神島町 | (1990.01.01) |
692 | 神島ゲーター祭(薬師さんの開扉)10-8 | 「輪(アワ)」が出来上がり、除夜の鐘が鳴って年が明けると、八代神社鳥居から東に入った薬師堂で年一度の波切不動の掛け軸の開帳が有る。掛け軸は大小2本あり、海難に遭ったときこれに祈願すれば助かるという霊験あらたかな不動様で、危険と背中合わせに生活している神島の人々にとって絶大な信仰力を持っている。漁協役員等によって薬師堂に灯明がともされ、法螺貝が吹き鳴らされると、島の人々は薬師堂の前に押し寄せ、賽銭を投げ入れ一年の家内安全と無病息災を祈ってお参りをしていく。 | 鳥羽市神島町 | (1990.01.01) |
693 | 神島ゲーター祭(薬師さんの開扉)10-9 | 「輪(アワ)」が出来上がり、除夜の鐘が鳴って年が明けると、八代神社鳥居から東に入った薬師堂で年一度の波切不動の掛け軸の開帳が有る。掛け軸は大小2本あり、海難に遭ったときこれに祈願すれば助かるという霊験あらたかな不動様で、危険と背中合わせに生活している神島の人々にとって絶大な信仰力を持っている。漁協役員等によって薬師堂に灯明がともされ、法螺貝が吹き鳴らされると、島の人々は薬師堂の前に押し寄せ、賽銭を投げ入れ一年の家内安全と無病息災を祈ってお参りをしていく。 | 鳥羽市神島町 | (1990.01.01) |
694 | 神島ゲーター祭(薬師さんの開扉)10-10 | 薬師さんに向かって手を合わせ、一年の家内安全と無病息災を一心に祈る島の人達。 | 鳥羽市神島町 | (1990.01.01) |
695 | 神島ゲーター祭(薬師さんの開扉)10-11 | 薬師さんに向かって手を合わせ、一年の家内安全と無病息災を一心に祈る島の人達。 | 鳥羽市神島町 | (1990.01.01) |
696 | 神島ゲーター祭(薬師さんの開扉)10-12 | 「輪(アワ)」が出来上がり、除夜の鐘が鳴って年が明けると、八代神社鳥居から東に入った薬師堂で年一度の波切不動の掛け軸の開帳が有る。掛け軸は大小2本あり、海難に遭ったときこれに祈願すれば助かるという霊験あらたかな不動様で、危険と背中合わせに生活している神島の人々にとって絶大な信仰力を持っている。漁協役員等によって薬師堂に灯明がともされ、法螺貝が吹き鳴らされると、島の人々は薬師堂の前に押し寄せ、賽銭を投げ入れ一年の家内安全と無病息災を祈ってお参りをしていく。 | 鳥羽市神島町 | (1990.01.01) |
697 | 神島ゲーター祭(アワ作り2)11-1 | スキャニングされていないがタイトルスライドには「神島 アワ作り2」、スライド枠には「頭しばり」と記される。大晦日の午後7時頃、宮持家の座敷ではグミの木を使って「輪(アワ)」作りが始まる。グミの木の自然のカーブを利用しながら適当な長さに切って藁縄でからげ、途中「ヨイサ、ヨイサ」の掛け声で何回となく輪を締めながら形を整え、その上にモローモを配ったときに各家からいただいた祝儀を包んでいた半紙を巻き、更にその上から美濃紙の巻紙を巻いて太さ約20㎝、直径2m程に仕上げられていく。 | 鳥羽市神島町 | (1989.12.31) |
698 | 神島ゲーター祭(アワ作り2)11-2 | 大晦日の午後7時頃、宮持家の座敷ではグミの木を使って「輪(アワ)」作りが始まる。グミの木の自然のカーブを利用しながら適当な長さに切って藁縄でからげ、途中「ヨイサ、ヨイサ」の掛け声で何回となく輪を締めながら形を整え、その上にモローモを配ったときに各家からいただいた祝儀を包んでいた半紙を巻き、更にその上から美濃紙の巻紙を巻いて太さ約20㎝、直径2m程に仕上げられていく。 | 鳥羽市神島町 | (1989.12.31) |
699 | 神島ゲーター祭(アワ作り2)11-3 | 大晦日の午後7時頃、宮持家の座敷ではグミの木を使って「輪(アワ)」作りが始まる。グミの木の自然のカーブを利用しながら適当な長さに切って藁縄でからげ、途中「ヨイサ、ヨイサ」の掛け声で何回となく輪を締めながら形を整え、その上にモローモを配ったときに各家からいただいた祝儀を包んでいた半紙を巻き、更にその上から美濃紙の巻紙を巻いて太さ約20㎝、直径2m程に仕上げられていく。タイトルスライドには「神島 アワ作り2」と記される。 | 鳥羽市神島町 | (1989.12.31) |
700 | 神島ゲーター祭(アワ作り2)11-4 | 大晦日の午後7時頃、宮持家の座敷ではグミの木を使って「輪(アワ)」作りが始まる。グミの木の自然のカーブを利用しながら適当な長さに切って藁縄でからげ、途中「ヨイサ、ヨイサ」の掛け声で何回となく輪を締めながら形を整え、その上にモローモを配ったときに各家からいただいた祝儀を包んでいた半紙を巻き、更にその上から美濃紙の巻紙を巻いて太さ約20㎝、直径2m程に仕上げられていく。 | 鳥羽市神島町 | (1989.12.31) |
701 | 神島ゲーター祭(アワ作り2)11-5 | 大晦日の午後7時頃、宮持家の座敷ではグミの木を使って「輪(アワ)」作りが始まる。グミの木の自然のカーブを利用しながら適当な長さに切って藁縄でからげ、途中「ヨイサ、ヨイサ」の掛け声で何回となく輪を締めながら形を整え、その上にモローモを配ったときに各家からいただいた祝儀を包んでいた半紙を巻き、更にその上から美濃紙の巻紙を巻いて太さ約20㎝、直径2m程に仕上げられていく。 | 鳥羽市神島町 | (1989.12.31) |
702 | 神島ゲーター祭(アワ作り2)11-6 | 大晦日の午後7時頃、宮持家の座敷ではグミの木を使って「輪(アワ)」作りが始まる。グミの木の自然のカーブを利用しながら適当な長さに切って藁縄でからげ、途中「ヨイサ、ヨイサ」の掛け声で何回となく輪を締めながら形を整え、その上にモローモを配ったときに各家からいただいた祝儀を包んでいた半紙を巻き、更にその上から美濃紙の巻紙を巻いて太さ約20㎝、直径2m程に仕上げられていく。 | 鳥羽市神島町 | (1989.12.31) |
703 | 神島ゲーター祭(アワ作り2)11-7 | 大晦日の午後7時頃、宮持家の座敷ではグミの木を使って「輪(アワ)」作りが始まる。グミの木の自然のカーブを利用しながら適当な長さに切って藁縄でからげ、途中「ヨイサ、ヨイサ」の掛け声で何回となく輪を締めながら形を整え、その上にモローモを配ったときに各家からいただいた祝儀を包んでいた半紙を巻き、更にその上から美濃紙の巻紙を巻いて太さ約20㎝、直径2m程に仕上げられていく。 | 鳥羽市神島町 | (1989.12.31) |
704 | 神島ゲーター祭(アワ作り2)11-8 | 大晦日の午後7時頃、宮持家の座敷ではグミの木を使って「輪(アワ)」作りが始まる。グミの木の自然のカーブを利用しながら適当な長さに切って藁縄でからげ、途中「ヨイサ、ヨイサ」の掛け声で何回となく輪を締めながら形を整え、その上にモローモを配ったときに各家からいただいた祝儀を包んでいた半紙を巻き、更にその上から美濃紙の巻紙を巻いて太さ約20㎝、直径2m程に仕上げられていく。 | 鳥羽市神島町 | (1989.12.31) |
705 | 神島ゲーター祭(アワ作り2)11-9 | 大晦日の午後7時頃、宮持家の座敷ではグミの木を使って「輪(アワ)」作りが始まる。グミの木の自然のカーブを利用しながら適当な長さに切って藁縄でからげ、途中「ヨイサ、ヨイサ」の掛け声で何回となく輪を締めながら形を整え、その上にモローモを配ったときに各家からいただいた祝儀を包んでいた半紙を巻き、更にその上から美濃紙の巻紙を巻いて太さ約20㎝、直径2m程に仕上げられていく。 | 鳥羽市神島町 | (1989.12.31) |
706 | 神島ゲーター祭(アワ作り2)11-10 | 大晦日の午後7時頃、宮持家の座敷ではグミの木を使って「輪(アワ)」作りが始まる。グミの木の自然のカーブを利用しながら適当な長さに切って藁縄でからげ、途中「ヨイサ、ヨイサ」の掛け声で何回となく輪を締めながら形を整え、その上にモローモを配ったときに各家からいただいた祝儀を包んでいた半紙を巻き、更にその上から美濃紙の巻紙を巻いて太さ約20㎝、直径2m程に仕上げられていく。 | 鳥羽市神島町 | (1989.12.31) |
707 | 神島ゲーター祭(アワ作り2)11-11 | 大晦日の午後7時頃、宮持家の座敷ではグミの木を使って「輪(アワ)」作りが始まる。グミの木の自然のカーブを利用しながら適当な長さに切って藁縄でからげ、途中「ヨイサ、ヨイサ」の掛け声で何回となく輪を締めながら形を整え、その上にモローモを配ったときに各家からいただいた祝儀を包んでいた半紙を巻き、更にその上から美濃紙の巻紙を巻いて太さ約20㎝、直径2m程に仕上げられていく。 | 鳥羽市神島町 | (1989.12.31) |
708 | 神島ゲーター祭(アワ作り2)11-12 | 大晦日の午後7時頃、宮持家の座敷ではグミの木を使って「輪(アワ)」作りが始まる。グミの木の自然のカーブを利用しながら適当な長さに切って藁縄でからげ、途中「ヨイサ、ヨイサ」の掛け声で何回となく輪を締めながら形を整え、その上にモローモを配ったときに各家からいただいた祝儀を包んでいた半紙を巻き、更にその上から美濃紙の巻紙を巻いて太さ約20㎝、直径2m程に仕上げられていく。 | 鳥羽市神島町 | (1989.12.31) |
709 | 神島ゲーター祭(神島アワツキ)12-1 | スキャニングされていないがタイトルスライドには「神島 アワツキ」と記される。南の庚申塚をお参りして戻ってきた「輪(アワ)」は、島中の男達が待つ東の浜に運び込まれゲーロー竹で空中高く突き上げられる。輪は高く上がれば上がるほど、その年は豊漁だと言われる。 | 鳥羽市神島町 | (1990.01.01) |
710 | 神島ゲーター祭(神島アワツキ)12-2 | 南の庚申塚をお参りして戻ってきた「輪(アワ)」は、島中の男達が待つ東の浜に運び込まれゲーロー竹で空中高く突き上げられる。輪は高く上がれば上がるほど、その年は豊漁だと言われる。 | 鳥羽市神島町 | (1990.01.01) |
711 | 神島ゲーター祭(神島アワツキ)12-3 | 南の庚申塚をお参りして戻ってきた「輪(アワ)」は、島中の男達が待つ東の浜に運び込まれゲーロー竹で空中高く突き上げられる。輪は高く上がれば上がるほど、その年は豊漁だと言われる。 | 鳥羽市神島町 | (1990.01.01) |
712 | 神島ゲーター祭(神島アワツキ)12-4 | 南の庚申塚をお参りして戻ってきた「輪(アワ)」は、島中の男達が待つ東の浜に運び込まれゲーロー竹で空中高く突き上げられる。輪は高く上がれば上がるほど、その年は豊漁だと言われる。 | 鳥羽市神島町 | (1990.01.01) |
713 | 神島ゲーター祭(神島アワツキ)12-5 | 南の庚申塚をお参りして戻ってきた「輪(アワ)」は、島中の男達が待つ東の浜に運び込まれゲーロー竹で空中高く突き上げられる。輪は高く上がれば上がるほど、その年は豊漁だと言われる。 | 鳥羽市神島町 | (1990.01.01) |
714 | 神島ゲーター祭(神島アワツキ)12-6 | 南の庚申塚をお参りして戻ってきた「輪(アワ)」は、島中の男達が待つ東の浜に運び込まれゲーロー竹で空中高く突き上げられる。輪は高く上がれば上がるほど、その年は豊漁だと言われる。 | 鳥羽市神島町 | (1990.01.01) |
715 | 神島ゲーター祭(神島アワツキ)12-7 | 南の庚申塚をお参りして戻ってきた「輪(アワ)」は、島中の男達が待つ東の浜に運び込まれゲーロー竹で空中高く突き上げられる。輪は高く上がれば上がるほど、その年は豊漁だと言われる。 | 鳥羽市神島町 | (1990.01.01) |
716 | 神島ゲーター祭(神島アワツキ)12-8 | 南の庚申塚をお参りして戻ってきた「輪(アワ)」は、島中の男達が待つ東の浜に運び込まれゲーロー竹で空中高く突き上げられる。輪は高く上がれば上がるほど、その年は豊漁だと言われる。 | 鳥羽市神島町 | (1990.01.01) |
717 | 神島ゲーター祭(神島アワツキ)12-9 | アワツキから降ろされた「輪(アワ)」は口米の爺に渡された後、直ぐさま八代神社に運ばれ「頭」を上に安置される。 | 鳥羽市神島町 | (1990.01.01) |
718 | 神島ゲーター祭(神島アワツキ)12-10 | アワツキから降ろされた「輪(アワ)」は口米の爺に渡された後、直ぐさま八代神社に運ばれ「頭」を上に安置される。 | 鳥羽市神島町 | (1990.01.01) |
719 | 神島ゲーター祭(舟玉しんぜ)13-1 | スキャニングされていないがタイトルスライドには「神島 舟玉しんぜ」と記される。 | 鳥羽市神島町 | (1989.12.31) |
720 | 神島ゲーター祭(舟玉しんぜ)13-2 | スキャニングされていないがタイトルスライドには「神島 舟玉しんぜ」と記される。 | 鳥羽市神島町 | (1989.12.31) |
721 | 神島ゲーター祭(舟玉しんぜ)13-3 | スキャニングされていないがタイトルスライドには「神島 舟玉しんぜ」と記される。 | 鳥羽市神島町 | (1989.12.31) |
722 | 神島ゲーター祭(舟玉しんぜ)13-4 | スキャニングされていないがタイトルスライドには「神島 舟玉しんぜ」と記される。 | 鳥羽市神島町 | (1989.12.31) |
723 | 神島ゲーター祭(舟玉しんぜ)13-5 | スキャニングされていないがタイトルスライドには「神島 舟玉しんぜ」と記される。 | 鳥羽市神島町 | (1989.12.31) |
724 | 神島ゲーター祭(舟玉しんぜ)13-6 | スキャニングされていないがタイトルスライドには「神島 舟玉しんぜ」と記される。 | 鳥羽市神島町 | (1989.12.31) |
725 | 神島ゲーター祭(舟玉しんぜ)13-7 | スキャニングされていないがタイトルスライドには「神島 舟玉しんぜ」と記される。 | 鳥羽市神島町 | (1989.12.31) |
726 | 神島ゲーター祭(舟玉しんぜ)13-8 | スキャニングされていないがタイトルスライドには「神島 舟玉しんぜ」と記される。 | 鳥羽市神島町 | (1989.12.31) |
727 | 神島ゲーター祭(舟玉しんぜ)13-9 | 手に持っているのはトベラの小枝、木桶には田作りを刺したアクサバシが写されている。タイトルスライドには「舟玉しんぜ」と記される。 | 鳥羽市神島町 | (1989.12.31) |
728 | 神島ゲーター祭(舟玉しんぜ)13-10 | スキャニングされていないがタイトルスライドには「神島 舟玉しんぜ」と記される。 | 鳥羽市神島町 | (1989.12.31) |
729 | 神島ゲーター祭(舟玉しんぜ)14-1 | 玄関前に飾られた松とシデとツボキ。 | 鳥羽市神島町 | (1989.12.31) |
730 | 神島ゲーター祭(舟玉しんぜ)14-2 | 玄関前に飾られた松・トベラ・シデ・ツボキ・モローモ。 | 鳥羽市神島町 | (1989.12.31) |
731 | 神島ゲーター祭(舟玉しんぜ)14-3 | コウシンサンに供えられたトベラ、アクサバシ、豆。 | 鳥羽市神島町 | (1989.12.31) |
732 | 神島ゲーター祭(舟玉しんぜ)14-4 | コウシンサンに供えられたトベラ、アクサバシ、豆。 | 鳥羽市神島町 | (1989.12.31) |
733 | 神島ゲーター祭(舟玉しんぜ)14-5 | コウシンサンに供えられた白米と大根の膾。 | 鳥羽市神島町 | (1989.12.31) |
734 | 神島ゲーター祭(舟玉しんぜ)14-6 | コウシンサンに供えられた白米と大根の膾。 | 鳥羽市神島町 | (1989.12.31) |
735 | 神島ゲーター祭(舟玉しんぜ)14-7 | スライド枠に「2.1.1」と記される。 | 鳥羽市神島町 | (1989.12.31) |
736 | 神島ゲーター祭(舟玉しんぜ)14-8 | 「海上安全大漁満足 東支部」と記された幟が立つコウシンサンに白米と大根の膾を供える。 | 鳥羽市神島町 | (1989.12.31) |
737 | 神島ゲーター祭(舟玉しんぜ)14-9 | コウシンサンに供えられた白米と大根の膾。 | 鳥羽市神島町 | (1989.12.31) |
738 | 神島ゲーター祭(舟玉しんぜ)14-10 | コウシンサンに白米と大根の膾を供える。 | 鳥羽市神島町 | (1989.12.31) |
739 | 神島ゲーター祭(舟玉しんぜ)14-11 | コウシンサンに白米と大根の膾を供える。 | 鳥羽市神島町 | (1989.12.31) |
740 | 神島ゲーター祭(舟玉しんぜ)14-12 | 持ち船に供え物をする。 | 鳥羽市神島町 | (1989.12.31) |
741 | 神島ゲーター祭(舟玉しんぜ)14-13 | 持ち船にも松とシデとツボキの正月飾りを付け、供え物をする。 | 鳥羽市神島町 | (1989.12.31) |
742 | 神島ゲーター祭(舟玉しんぜ)14-14 | 持ち船にも松とシデとツボキの正月飾りを付け、供え物をする。 | 鳥羽市神島町 | (1989.12.31) |
743 | 神島ゲーター祭(舟玉しんぜ)14-15 | 持ち船にも松とシデとツボキの正月飾りを付け、供え物をする。 | 鳥羽市神島町 | (1989.12.31) |
744 | 神島ゲーター祭(舟玉しんぜ)14-16 | コウシンサンに白米と大根の膾を供える。 | 鳥羽市神島町 | (1989.12.31) |
745 | 神島ゲーター祭(舟玉しんぜ)14-17 | 海岸(堤防)で海に向かって白米や膾などの供え物をかする。 | 鳥羽市神島町 | (1989.12.31) |
746 | 神島ゲーター祭(舟玉しんぜ)14-18 | 持ち船にも松とシデとツボキの正月飾りを付け、アクサバシや豆うちの豆等の供え物をする。 | 鳥羽市神島町 | (1989.12.31) |
747 | 神島ゲーター祭(アラクサ・豆うち)15-1 | スキャニングされていないがタイトルスライドには「神島 アラクサ・豆うち 12.31 17:00頃 宮持→一般」と記される。写真は、トベラの小枝とアクサバシと豆をコウシンサンに供える島民。神島では大晦日の夕刻になると、その年の宮持の家と前年の宮持であった口米の家では錐火で火をおこし、その神聖な火で豆が煎られる。そして宮持は海へ行き、口米の爺は漁業組合に行って金庫に向い「福は内」と豆をまく。これが終わってはじめて一般の豆まきが許されると言う。各戸では一家の主人か長男がバチバチの木と呼ぶトベラの小枝と、ザーザーの木と呼ぶヤブニッケイを燃やしながら、杉の串に田作りを刺したアクサバシと共に豆を煎り上げる。 | 鳥羽市神島町 | (1989.12.31) |
748 | 神島ゲーター祭(アラクサ・豆うち)15-2 | 大晦日の夕刻、宮持の家と前年の宮持であった口米の家の豆まきが終わると、一般の家での豆まきが始まる。各戸では一家の主人か長男が、バチバチの木と呼ぶトベラの小枝と、ザーザーの木と呼ぶヤブニッケイを燃やしながら、杉の串に田作りを刺したアクサバシと共に豆を煎り上げる。 | 鳥羽市神島町 | (1989.12.31) |
749 | 神島ゲーター祭(アラクサ・豆うち)15-3 | 大晦日の夕刻、宮持の家と前年の宮持であった口米の家の豆まきが終わると、一般の家での豆まきが始まる。各戸では一家の主人か長男が、バチバチの木と呼ぶトベラの小枝と、ザーザーの木と呼ぶヤブニッケイを燃やしながら、杉の串に田作りを刺したアクサバシと共に豆を煎り上げる。 | 鳥羽市神島町 | (1989.12.31) |
750 | 神島ゲーター祭(アラクサ・豆うち)15-4 | 豆まきの豆を煎るホウロクを掴むための鍋つかみ。各戸では一家の主人か長男が、バチバチの木と呼ぶトベラの小枝と、ザーザーの木と呼ぶヤブニッケイを燃やしながら、杉の串に田作りを刺したアクサバシと共に豆を煎り上げる。 | 鳥羽市神島町 | (1989.12.31) |
751 | 神島ゲーター祭(アラクサ・豆うち)15-5 | バチバチの木と呼ぶトベラの小枝を燃しながら、杉の串に田作りを刺したアクサバシを作る一家の主人。 | 鳥羽市神島町 | (1989.12.31) |
752 | 神島ゲーター祭(アラクサ・豆うち)15-6 | バチバチの木と呼ぶトベラの小枝を燃しながら、杉の串に田作りを刺したアクサバシを作る。 | 鳥羽市神島町 | (1989.12.31) |
753 | 神島ゲーター祭(アラクサ・豆うち)15-7 | スライド枠には「豆↑」と記される。持ち船に豆をまく。煎った豆は福の豆と鬼の豆に分けて床の間に供える。豆まきは床の間とねずみ窓に向かって「福は内」と3回まき、次に玄関から外に向かって「鬼は外」と2回、最後に外から玄関に向かい「福は内」と3回まいた後、戸口を閉める。外の主人はその足で海・コウシンサン・持ち船・神社前・薬師堂と豆まきをして家に戻る。主人は戸口で「モローモ」と呼ぶと、家の者が「ドーレ」と言い、次に「福の神が参りました」と応答して家に入る。アクサバシは魔除けと称して玄関や門松などに飾られる。 | 鳥羽市神島町 | (1989.12.31) |
754 | 神島ゲーター祭(アラクサ・豆うち)15-8 | 豆をまきに持ち船へと向かう。煎った豆は福の豆と鬼の豆に分けて床の間に供える。豆まきは床の間とねずみ窓に向かって「福は内」と3回まき、次に玄関から外に向かって「鬼は外」と2回、最後に外から玄関に向かい「福は内」と3回まいた後、戸口を閉める。外の主人はその足で海・コウシンサン・持ち船・神社前・薬師堂と豆まきをして家に戻る。主人は戸口で「モローモ」と呼ぶと、家の者が「ドーレ」と言い、次に「福の神が参りました」と応答して家に入る。アクサバシは魔除けと称して玄関や門松などに飾られる。 | 鳥羽市神島町 | (1989.12.31) |
755 | 神島ゲーター祭(アラクサ・豆うち)15-9 | 豆をまきに持ち船へと向かう。煎った豆は福の豆と鬼の豆に分けて床の間に供える。豆まきは床の間とねずみ窓に向かって「福は内」と3回まき、次に玄関から外に向かって「鬼は外」と2回、最後に外から玄関に向かい「福は内」と3回まいた後、戸口を閉める。外の主人はその足で海・コウシンサン・持ち船・神社前・薬師堂と豆まきをして家に戻る。主人は戸口で「モローモ」と呼ぶと、家の者が「ドーレ」と言い、次に「福の神が参りました」と応答して家に入る。アクサバシは魔除けと称して玄関や門松などに飾られる。 | 鳥羽市神島町 | (1989.12.31) |
756 | 神島ゲーター祭(アラクサ・豆うち)15-10 | タイトルスライドには「神島 アラクサ・豆うち 12.31 17:00頃 宮持→一般」と記される。 | 鳥羽市神島町 | (1989.12.31) |
757 | 神島ゲーター祭(アラクサ・豆うち)15-11 | 煎った豆は福の豆と鬼の豆に分けて床の間に供える。豆まきは床の間とねずみ窓に向かって「福は内」と3回まき、次に玄関から外に向かって「鬼は外」と2回、最後に外から玄関に向かい「福は内」と3回まいた後、戸口を閉める。外の主人はその足で海・コウシンサン・持ち船・神社前・薬師堂と豆まきをして家に戻る。主人は戸口で「モローモ」と呼ぶと、家の者が「ドーレ」と言い、次に「福の神が参りました」と応答して家に入る。アクサバシは魔除けと称して玄関や門松などに飾られる。 | 鳥羽市神島町 | (1989.12.31) |
758 | 神島ゲーター祭(アラクサ・豆うち)15-12 | スライド枠には「アワビもち 2.1.1」と記される。 | 鳥羽市神島町 | (1989.12.31) |
759 | 神島ゲーター祭(アラクサ・豆うち)15-13 | スライド枠には「豆まき」と記される。薬師堂に豆を供える。煎った豆は福の豆と鬼の豆に分けて床の間に供える。豆まきは床の間とねずみ窓に向かって「福は内」と3回まき、次に玄関から外に向かって「鬼は外」と2回、最後に外から玄関に向かい「福は内」と3回まいた後、戸口を閉める。外の主人はその足で海・コウシンサン・持ち船・神社前・薬師堂と豆まきをして家に戻る。主人は戸口で「モローモ」と呼ぶと、家の者が「ドーレ」と言い、次に「福の神が参りました」と応答して家に入る。アクサバシは魔除けと称して玄関や門松などに飾られる。 | 鳥羽市神島町 | (1989.12.31) |
760 | 神島ゲーター祭(アラクサ・豆うち)15-14 | (不明) | 鳥羽市神島町 | (1989.12.31) |
761 | 神島ゲーター祭(アラクサ・豆うち)15-15 | スライド枠には「豆」と記される。コウシンサンの前で豆をまく。煎った豆は福の豆と鬼の豆に分けて床の間に供える。豆まきは床の間とねずみ窓に向かって「福は内」と3回まき、次に玄関から外に向かって「鬼は外」と2回、最後に外から玄関に向かい「福は内」と3回まいた後、戸口を閉める。外の主人はその足で海・コウシンサン・持ち船・神社前・薬師堂と豆まきをして家に戻る。主人は戸口で「モローモ」と呼ぶと、家の者が「ドーレ」と言い、次に「福の神が参りました」と応答して家に入る。アクサバシは魔除けと称して玄関や門松などに飾られる。 | 鳥羽市神島町 | (1989.12.31) |
762 | 神島ゲーター祭(アラクサ・豆うち)15-16 | スライド枠には「豆」と記される。コウシンサンの前で豆をまく。煎った豆は福の豆と鬼の豆に分けて床の間に供える。豆まきは床の間とねずみ窓に向かって「福は内」と3回まき、次に玄関から外に向かって「鬼は外」と2回、最後に外から玄関に向かい「福は内」と3回まいた後、戸口を閉める。外の主人はその足で海・コウシンサン・持ち船・神社前・薬師堂と豆まきをして家に戻る。主人は戸口で「モローモ」と呼ぶと、家の者が「ドーレ」と言い、次に「福の神が参りました」と応答して家に入る。アクサバシは魔除けと称して玄関や門松などに飾られる。 | 鳥羽市神島町 | (1989.12.31) |
763 | 神島ゲーター祭(神島)16-1 | スキャニングされていないがタイトルスライドには「90.1.1 神島 12.31」と記される。神島に帰省する島民だろうか。写真右上端の表示から推測すると市営定期船「第23鳥羽丸」かと思われる。 | 鳥羽市神島町 | (1989.12.31) |
764 | 神島ゲーター祭(神島)16-2 | 島に帰省する島民だろうか。神島に向かう市営定期船の船内風景かと思われる。 | 鳥羽市神島町 | (1989.12.31) |
765 | 神島ゲーター祭(神島)16-3 | 島に帰省する島民だろうか。神島に向かう市営定期船の船上風景かと思われる。 | 鳥羽市神島町 | (1989.12.31) |
766 | 神島ゲーター祭(神島)16-4 | 島に帰省する島民だろうか。神島に向かう市営定期船の船上風景かと思われる。 | 鳥羽市神島町 | (1989.12.31) |
767 | 神島ゲーター祭(神島)16-5 | 市営定期船から見た神島の景観。写真中央左端の鉄筋三階建の建物は離島開発センター。その奥に定期船桟橋が造られている。 | 鳥羽市神島町 | (1989.12.31) |
768 | 神島ゲーター祭(神島)16-6 | 市営定期船から見た神島の景観。正月を間近に控え、操業は全て終えたのだろう。漁港内には隙間のないほど漁船が係留されている。 | 鳥羽市神島町 | (1989.12.31) |
769 | 神島ゲーター祭(神島)16-7 | 神島市営定期船の桟橋風景。現在のような浮桟橋方式ではなく、固定式の桟橋であったため、潮の干満によって1m以上の落差が生じた。大潮の干潮時などには、船の2階デッキから乗り降りをしたものである。 | 鳥羽市神島町 | (1989.12.31) |
770 | 神島ゲーター祭(神島)16-8 | 神島の定期船桟橋に到着。定期船の船上デッキから桟橋の様子を見る親子。 | 鳥羽市神島町 | (1989.12.31) |
771 | 神島ゲーター祭(神島)16-9 | 市営定期船のデッキから桟橋を見る。正月の帰省客か定期船桟橋にはあふれるほどの人々が家路へと向かう。 | 鳥羽市神島町 | (1989.12.31) |
772 | 神島ゲーター祭(神島大漁旗)17-1 | スキャニングされていないがタイトルスライドには「神島 大漁旗」と記される。正月の神島漁港風景。全ての操業を終え港に係留された漁船は、船主等によって洗い清められ注連飾りが飾られ、大漁旗を立てて新年を迎える。 | 鳥羽市神島町 | (1989.12.31) |
773 | 神島ゲーター祭(神島大漁旗)17-2 | 正月の神島漁港風景。全ての操業を終え港に係留された漁船は、船主等によって洗い清められ注連飾りが飾られ、大漁旗を立てて新年を迎える。 | 鳥羽市神島町 | (1989.12.31) |
774 | 神島ゲーター祭(神島大漁旗)17-3 | 正月の神島漁港風景。全ての操業を終え港に係留された漁船は、船主等によって洗い清められ注連飾りが飾られ、大漁旗を立てて新年を迎える。 | 鳥羽市神島町 | (1989.12.31) |
775 | 神島ゲーター祭(神島大漁旗)17-4 | 正月の神島漁港風景。全ての操業を終え港に係留された漁船は、船主等によって洗い清められ注連飾りが飾られ、大漁旗を立てて新年を迎える。 | 鳥羽市神島町 | (1989.12.31) |
776 | 神島ゲーター祭(神島大漁旗)17-5 | 正月の神島漁港風景。全ての操業を終え港に係留された漁船は、船主等によって洗い清められ注連飾りが飾られ、大漁旗を立てて新年を迎える。 | 鳥羽市神島町 | (1989.12.31) |
777 | 神島ゲーター祭(神島大漁旗)17-6 | スライド枠には「2.1.1 野村史隆」と記される。正月の神島漁港風景。全ての操業を終え港に係留された漁船は、船主等によって洗い清められ注連飾りが飾られ、大漁旗を立てて新年を迎える。 | 鳥羽市神島町 | (1989.12.31) |
778 | 神島ゲーター祭(神島大漁旗)17-7 | スライド枠には「神島ゲーター 2.1.1 野村史隆」と記される。正月の神島漁港風景。全ての操業を終え港に係留された漁船は、船主等によって洗い清められ注連飾りが飾られ、大漁旗を立てて新年を迎える。 | 鳥羽市神島町 | (1989.12.31) |
779 | 神島ゲーター祭(神島大漁旗)17-8 | スライド枠には「2.1.1 野村史隆」と記される。正月の神島漁港風景。全ての操業を終え港に係留された漁船は、船主等によって洗い清められ注連飾りが飾られ、大漁旗を立てて新年を迎える。 | 鳥羽市神島町 | (1989.12.31) |
780 | 神島ゲーター祭(神島大漁旗)17-9 | 正月の神島漁港風景。全ての操業を終え港に係留された漁船は、船主等によって洗い清められ注連飾りが飾られ、大漁旗を立てて新年を迎える。 | 鳥羽市神島町 | (1989.12.31) |
781 | 神島ゲーター祭(神島大漁旗)17-10 | スライド枠には「2.1.1 野村史隆」と記される。正月の神島漁港風景。全ての操業を終え港に係留された漁船は、船主等によって洗い清められ注連飾りが飾られ、大漁旗を立てて新年を迎える。 | 鳥羽市神島町 | (1989.12.31) |
782 | 神島ゲーター祭(神島大漁旗)17-11 | 神島漁港の港内景観。写真中央の突堤は神島漁協市場で、その奥の突堤は市営定期船乗場である。 | 鳥羽市神島町 | (1989.12.31) |
783 | 神島ゲーター祭(神島大漁旗)17-12 | スライド枠には「2.1.1 野村史隆」と記される。神島の島内風景。 | 鳥羽市神島町 | (1989.12.31) |
784 | 神島ゲーター祭(日向の神事)18-1 | スライド枠には「日向の神事」と記される。日向の祭は、ゲーター祭の直会の行事で、元旦8時から東の塚前に莚を敷き、宮持・口米・漁協組合長・漁協役員・宮司・町内会長・隠居衆が出席しサバとモローモを肴に盃事を行う。 | 鳥羽市神島町 | (1990.01/01) |
785 | 神島ゲーター祭(日向の神事)18-2 | (要調査) | 鳥羽市神島町 | (1990.01/01) |
786 | 神島ゲーター祭(日向の神事)18-3 | (要調査) | 鳥羽市神島町 | (1990.01/01) |
787 | 神島ゲーター祭(日向の神事)18-4 | (要調査) | 鳥羽市神島町 | (1990.01/01) |
788 | 和具の海女1-1-1 | アルバムのデータ記載欄には「人家 48.9.7」と記される。志摩町和具の集落景観。和具村は志摩半島南端、通称先志摩半島のほぼ中央部に位置し、北は英虞湾に面する。集落は石ヶ、城山、岡、里東、西札、矢浦、太田、大山、離島の間崎に分かれる。昭和29年の町村合併で志摩町和具となり、平成16年の市町村合併で志摩市志摩町和具となる。参考文献:『角川日本地名大辞典 第24巻三重県』昭和58年、角川書店発行。 | 志摩市志摩町和具 | 1973.09.07 |
789 | 和具の海女1-1-2 | アルバムのデータ記載欄には「海女小屋 48.9.7」と記される。日除けのシートを張っただけの簡易な海女小屋である。和具地区における夏の海女漁は3月中旬~9月中旬までであるから、小屋が使用されるのも後わずかである。 | 志摩市志摩町和具 | 1973.09.07 |
790 | 和具の海女1-1-3 | アルバムのデータ記載欄には「風景 48.9.7」と記される。日除けのシートを張っただけの簡易な海女小屋であろう。竹竿にはゴム製のウエットスーツが干されている。 | 志摩市志摩町和具 | 1973.09.07 |
791 | 和具の海女1-1-4 | アルバムのデータ記載欄には「海女達のよく使う車 48.9.7」と記される。 | 志摩市志摩町和具 | 1973.09.07 |
792 | 和具の海女1-1-5 | アルバムのデータ記載欄には「海女達のよく使う車 48.9.7」と記される。 | 志摩市志摩町和具 | 1973.09.07 |
793 | 和具の海女1-1-6 | アルバムのデータ記載欄には「和具沖のタンカー 48.9.7」と記される。 | 志摩市志摩町和具 | 1973.09.07 |
794 | 和具の海女1-2-1 | アルバムのデータ記載欄には「作業 48.9.7」と記される。少しわかりづらいが、タンカー船の手前十数隻の小型船は、舟人海女の様にも見える。 | 志摩市志摩町和具 | 1973.09.07 |
795 | 和具の海女1-2-2 | アルバムのデータ記載欄には「作業 48.9.7」と記される。少しわかりづらいが、タンカー船の手前十数隻の小型船は、舟人海女の様にも見える。 | 志摩市志摩町和具 | 1973.09.07 |
796 | 和具の海女1-2-3 | アルバムのデータ記載欄には「海辺 48.9.7」と記される。和具の波打際風景。 | 志摩市志摩町和具 | 1973.09.07 |
797 | 和具の海女1-2-4 | アルバムのデータ記載欄には「48.9.7」と記される。和具の波打際風景。 | 志摩市志摩町和具 | 1973.09.07 |
798 | 和具の海女1-2-5 | アルバムのデータ記載欄には「48.9.7」と記される。和具の波打際風景。 | 志摩市志摩町和具 | 1973.09.07 |
799 | 和具の海女1-2-6 | アルバムのデータ記載欄には「48.9.7」と記される。和具の波打際風景。 | 志摩市志摩町和具 | 1973.09.07 |
800 | 和具の海女1-3-1 | アルバムのデータ記載欄には「48.9.7」と記される。撮影場所不明。 | 志摩市志摩町和具 | 1973.09.07 |
801 | 和具の海女2-1-1 | アルバムのデータ記載欄には「和具 48.4.6」と記される。ノリアイ海女の海女船であろう。和具地区における夏の海女漁は3月中旬~9月中旬までである。船上には十個程の磯桶が積み込まれている。 | 志摩市志摩町和具 | 1974.04.06 |
802 | 和具の海女2-1-2 | アルバムのデータ記載欄には「和具 48.4.6」と記される。何れの漁船もノリアイ海女の海女船であろう。和具地区における夏の海女漁は3月中旬~9月中旬までである。船上には複数の磯桶が積み込まれている。 | 志摩市志摩町和具 | 1974.04.06 |
803 | 和具の海女2-1-3 | アルバムのデータ記載欄には何も記されていないが、何れの漁船もノリアイ海女の海女船であろう。和具地区における夏の海女漁は3月中旬~9月中旬までである。船上には複数の磯桶が積み込まれている。 | 志摩市志摩町和具 | 1974.04.06 |
804 | 和具の海女2-1-4 | アルバムのデータ記載欄には何も記されていないが、何れの漁船もノリアイ海女の海女船であろう。和具地区における夏の海女漁は3月中旬~9月中旬までである。船上には複数の磯桶が積み込まれている。 | 志摩市志摩町和具 | 1974.04.06 |
805 | 和具の海女2-1-5 | 和具漁港の風景。刺網の一種のように見えるが、浮子を見る限りかなり大きな網である。 | 志摩市志摩町和具 | 1974.04.06 |
806 | 和具の海女2-1-6 | 和具漁港の風景。刺網の一種のように見えるが、浮子を見る限りかなり大きな網である。 | 志摩市志摩町和具 | 1974.04.06 |
807 | 和具の海女2-2-1 | アルバムのデータ記載欄には「和具 48.4.6」と記される。刺網の一種のように見えるが、浮子を見る限りかなり大きな網である。 | 志摩市志摩町和具 | 1974.04.06 |
808 | 和具の海女2-2-2 | 和具浦漁港での網干の風景である。漁から戻ると網に掛かった海藻やゴミを取り除き、破れた部分はアバリを使って繕っていく。 | 志摩市志摩町和具 | 1974.04.06 |
809 | 和具の海女2-2-3 | 海女の磯手拭いかと思われる。「浅間神社 奥宮」と染め抜かれ、左上に持ち主であろう「山本とし江」の名が見える。 | 志摩市志摩町和具 | 1974.04.06 |
810 | 和具の海女2-2-4 | 海女小屋であろう。上下のウエットスーツやスカリが干されている。 | 志摩市志摩町和具 | 1974.04.06 |
811 | 和具の海女2-4-1 | アルバムのデータ記載欄には「48.8.28」と記される。海女小屋であろう。写真中央左端には磯桶とイジコのような物が写されている。和具地区における夏の海女漁は3月中旬~9月中旬までで行われる。 | 志摩市志摩町和具 | 1972.08.28 |
812 | 和具の海女2-4-2 | 和具漁港の船揚場である。後ろに並ぶトタン葺きの小屋は海女小屋かと思われる。 | 志摩市志摩町和具 | 1972.08.28 |
813 | 和具の海女2-4-3 | 海女のウエットスーツと磯着。 | 志摩市志摩町和具 | 1972.08.28 |
814 | 和具の海女2-5-1 | アルバムのデータ記載欄には「出漁」と記される。ノリアイ海女の出漁風景である。1艘に8人の海女が乗り込む。時期的に一番暑い頃である。着替えは船上で行うのか、海女達は磯着のまま乗り込んでいる。 | 志摩市志摩町和具 | 1972.08.28 |
815 | 和具の海女2-5-2 | ノリアイ海女の出漁風景。出漁する海女達の船上風景。 | 志摩市志摩町和具 | 1972.08.28 |
816 | 和具の海女2-5-3 | 磯場へと向かう海女船の船上風景。ウエットスーツを取り出し着替えの準備を急ぐ。 | 志摩市志摩町和具 | 1972.08.28 |
817 | 和具の海女2-5-4 | 磯場へと向かう海女船の船上風景。ウエットスーツを取り出し着替えの準備を急ぐ。 | 志摩市志摩町和具 | 1972.08.28 |
818 | 和具の海女2-5-5 | 磯場へと急ぐ舟人海女。船上には船頭と海女の姿が写る。船縁には地元で「ハイカラ」と呼ぶ、命綱を手繰上げる滑車が取付けられている。 | 志摩市志摩町和具 | 1972.08.28 |
819 | 和具の海女2-5-6 | ノリアイ海女の操業風景。わかりづらいが、海面に磯桶と海女が見える。 | 志摩市志摩町和具 | 1972.08.28 |
820 | 和具の海女2-6-1 | アルバムのデータ記載欄には「船下し」と記される。漁港整備が不十分な時代、漁を終えた漁船は人力で陸へと引き揚げられた。特に砂浜が中心で船を係留する吃水域を持たない漁村は、その都度村人が協力し合って船の上げ下ろしを行ってきた。写真は、ノリアイの海女達であろう。コロを使って出漁の為の船下しをする風景である。 | 志摩市志摩町和具 | 1972.08.28 |
821 | 和具の海女2-6-2 | 漁港整備が不十分な時代、漁を終えた漁船は人力で陸へと引き揚げられた。特に砂浜が中心で船を係留する吃水域を持たない漁村は、その都度村人が協力し合って船の上げ下ろしを行ってきた。写真は、ノリアイの海女達であろう。船頭と共にコロを使って出漁の為の船下しをする風景である。 | 志摩市志摩町和具 | 1972.08.28 |
822 | 和具の海女2-6-3 | 漁港整備が不十分な時代、漁を終えた漁船は人力で陸へと引き揚げられた。特に砂浜が中心で船を係留する吃水域を持たない漁村は、その都度村人が協力し合って船の上げ下ろしを行ってきた。写真は、ノリアイの海女達であろう。船頭と共にコロを使って出漁の為の船下しをする風景である。 | 志摩市志摩町和具 | 1972.08.28 |
823 | 和具の海女2-6-4 | アルバムのデータ記載欄には「アラメ」と記される。船揚場に干されたアラメである。乾燥させて食材としても重宝される。 | 志摩市志摩町和具 | 1972.08.28 |
824 | 和具の海女2-6-5 | 船揚場に干されたアラメである。乾燥させて食材としても重宝される。 | 志摩市志摩町和具 | 1972.08.28 |
825 | 和具の海女2-6-6 | 船揚場に干されたアラメである。乾燥させて食材としても重宝される。 | 志摩市志摩町和具 | 1972.08.28 |
826 | 和具の海女3-1-1 | アルバムのデータ記載欄には「S47.8.28 大島付近」と記される。操業を終え帰港したのか、ウエットスーツを身に付け、磯桶を手に船から下りるノリアイ海女達。 | 志摩市志摩町和具 | 1972.08.28 |
827 | 和具の海女3-1-2 | 操業を終え帰港したのか、ウエットスーツを身に付け、磯桶を手に船から下りるノリアイ海女達。 | 志摩市志摩町和具 | 1972.08.28 |
828 | 和具の海女3-1-3 | 操業を終え帰港したのか、ウエットスーツを身に付け、磯桶を手に浜にあがるノリアイ海女達。波打ち際の海女が手にするのは大量のアラメだろうか。 | 志摩市志摩町和具 | 1972.08.28 |
829 | 和具の海女3-1-4 | アルバムのデータ記載欄には「船上」と記される。ウエットスーツに着替え磯場へと向かうノリアイ海女達である。 | 志摩市志摩町和具 | 1972.08.28 |
830 | 和具の海女3-1-5 | ノリアイ海女の船上風景である。磯場へ到着したのであろう。船は停泊し、潜水の準備をする海女達。 | 志摩市志摩町和具 | 1972.08.28 |
831 | 和具の海女3-1-6 | ノリアイ海女の船上風景である。まもなく操業開始の指示が出されるのか、海女達は鉛の腰ベルトを付け、先頭の海女は磯桶を海面に出す準備をしている。この辺りは良い磯場なので有ろう。この船の少し後にも7~8名の海女を乗せた海女船が写されている。 | 志摩市志摩町和具 | 1972.08.28 |
832 | 和具の海女3-2-1 | ノリアイ海女の船上風景である。まもなく操業開始の指示が出されるのか、海女達は鉛の腰ベルトを付け、磯桶の桶綱を外すなど海中に入る準備を進める。 | 志摩市志摩町和具 | 1972.08.28 |
833 | 和具の海女3-2-2 | ノリアイ海女の船上風景である。まもなく操業開始の指示が出されるのか、海女達は白い磯手拭いで頬被りをした上から磯メガネを掛け、鉛の腰ベルトと桶綱を腰に付けるなど海中に入る準備を進める。後方にも一隻、7~8人のノリアイ海女を乗せた海女船が写されている。 | 志摩市志摩町和具 | 1972.08.28 |
834 | 和具の海女3-2-3 | ノリアイ海女の船上風景である。まもなく操業開始の指示が出されるのであろう。一人の海女は磯手拭い、磯メガネ、ウエットスーツに足ヒレ、鉛の腰ベルト、磯桶等、水中に入る全ての準備を終えた後、「操業の安全と大漁を願って」か、カギノミを手に両手を合わせる仕草を見せる。後方にも一隻、7~8人のノリアイ海女を乗せた海女船が写されている。 | 志摩市志摩町和具 | 1972.08.28 |
835 | 和具の海女3-2-4 | ノリアイ海女の船上風景である。先に磯桶を海面に投げ入れた海女は、カギノミを右手に持ち、足から海へと飛び込む。 | 志摩市志摩町和具 | 1972.08.28 |
836 | 和具の海女3-2-5 | ノリアイ海女の操業風景。海中に入った海女は、磯桶に掴まり時折海底を覗き込みながら、潜水する磯場へと泳いでいく。 | 志摩市志摩町和具 | 1972.08.28 |
837 | 和具の海女3-2-6 | アルバムのデータ記載欄には「仕事開始」と記される。ノリアイ海女の船上風景である。先に磯桶を海面に投げ入れた海女は、右手にカギノミ、左手に桶綱を束ねて持ち、足から海へと飛び込む。 | 志摩市志摩町和具 | 1972.08.28 |
838 | 和具の海女3-3-1 | ノリアイ海女の操業風景。海中に入った海女は、磯桶に掴まり時折海底を覗き込みながら、潜水する磯場へと泳いでいく。 | 志摩市志摩町和具 | 1972.08.28 |
839 | 和具の海女3-3-2 | アルバムのデータ記載欄には「トマエ」と記される。ノリアイ海女の海女船の船頭である。全員の海女を海中に降ろした船頭は、少し離れたところで船を停泊させ、操業が終わるまで待機をする。平成22年度の調査では、和具浦の海女漁の操業時間は、午前一潜、午後一潜でそれぞれ1時間30分と定められている(『海女習俗基礎調査報告書 平成22・23年度調査』)。その間、船頭は海女達に異常が無いか、全員の海女の動きに目を配るのも大切な仕事となる。 | 志摩市志摩町和具 | 1972.08.28 |
840 | 和具の海女3-3-3 | ノリアイ海女の海女船の船頭である。全員の海女を海中に降ろした船頭は、少し離れたところで船を停泊させ、操業が終わるまで待機をする。平成22年度の調査では、和具浦の海女漁の操業時間は、午前一潜、午後一潜でそれぞれ1時間30分と定められている(『海女習俗基礎調査報告書 平成22・23年度調査』)。その間、船頭は海女達に異常が無いか、全員の海女の動きに目を配るのも大切な仕事となる。 | 志摩市志摩町和具 | 1972.08.28 |
841 | 和具の海女3-3-4 | ノリアイ海女の操業風景。海中に入った海女は、潜水して浮上する事に磯桶に掴まり、息を整え次の潜水へと備える。 | 志摩市志摩町和具 | 1972.08.28 |
842 | 和具の海女3-3-5 | アルバムのデータ記載欄には「トマエ」と記される。ノリアイ海女の海女船の船頭である。全員の海女を海中に降ろした船頭は、少し離れたところで船を停泊させ、操業が終わるまで待機をする。平成22年度の調査では、和具浦の海女漁の操業時間は、午前一潜、午後一潜でそれぞれ1時間30分と定められている(『海女習俗基礎調査報告書 平成22・23年度調査』)。その間、船頭は海女達に異常が無いか、全員の海女の動きに目を配るのも大切な仕事となる。 | 志摩市志摩町和具 | 1972.08.28 |
843 | 和具の海女3-3-6 | ノリアイ海女の操業風景。海中に入った海女は、磯桶に掴まり時折海底を覗き込みながら、潜水する磯場を確認していく。 | 志摩市志摩町和具 | 1972.08.28 |
844 | 和具の海女3-4-1 | アルバムのデータ記載欄には「S47.8.28 志摩町和具」と記される。ノリアイ海女の操業風景。海中に入った海女は、磯桶に掴まり時折海底を覗き込みながら、潜水する磯場を確認していく。 | 志摩市志摩町和具 | 1972.08.28 |
845 | 和具の海女3-4-2 | ノリアイ海女の海女船の船頭である。全員の海女を海中に降ろした船頭は、少し離れたところで船を停泊させ、操業が終わるまで待機をする。平成22年度の調査では、和具浦の海女漁の操業時間は、午前一潜、午後一潜でそれぞれ1時間30分と定められている(『海女習俗基礎調査報告書 平成22・23年度調査』)。その間、船頭は海女達に異常が無いか、全員の海女の動きに目を配るのも大切な仕事となる。 | 志摩市志摩町和具 | 1972.08.28 |
846 | 和具の海女3-4-3 | ノリアイ海女の海女船の船頭である。全員の海女を海中に降ろした船頭は、少し離れたところで船を停泊させ、操業が終わるまで待機をする。平成22年度の調査では、和具浦の海女漁の操業時間は、午前一潜、午後一潜でそれぞれ1時間30分と定められている。船頭がのぞき込むのは時計か、方位計か、気圧計か。 | 志摩市志摩町和具 | 1972.08.28 |
847 | 和具の海女3-4-4 | ノリアイ海女の操業風景。一潜目が終わったのであろう、船上に上がった海女達。 | 志摩市志摩町和具 | 1972.08.28 |
848 | 和具の海女3-4-5 | ノリアイ海女の海女小屋での休憩風景。一潜が終わると海女達は、海女小屋に戻り磯着に着替えて躰を温め、昼食をとる。ウエットスーツは午後の操業に備え干されている。 | 志摩市志摩町和具 | 1972.08.28 |
849 | 和具の海女3-5-1 | アルバムのデータ記載欄には「一くら後の休憩」と記される。ノリアイ海女の海女小屋での休憩風景。一潜が終わると海女達は、海女小屋に戻り磯着に着替えて躰を温め、昼食をとる。写真左端の女性は、アルマイト製の弁当箱を手にしている。ウエットスーツは午後の操業に備え干されている。 | 志摩市志摩町和具 | 1972.08.28 |
850 | 和具の海女3-5-2 | ノリアイ海女の海女小屋での休憩風景。一潜が終わると海女達は、海女小屋に戻り磯着に着替えて躰を温め、昼食をとる。浜辺に柱を立て、大漁旗や白布の様な物で夏の日差しを遮るために作られた簡易な海女小屋である。写真左端の女性は、アルマイト製の弁当箱を手にしている。 | 志摩市志摩町和具 | 1972.08.28 |
851 | 和具の海女3-5-3 | ノリアイ海女の海女小屋での休憩風景。一潜が終わると海女達は、海女小屋に戻り磯着に着替えて躰を温め、昼食をとる。海女が昼食に使ったアルマイト製の弁当箱。イソカゴには「海上安全・大島神社ご守護」と記されたお守りが下げられている。常に危険にさらされる海女達の信仰心の深さが良くわかる。 | 志摩市志摩町和具 | 1972.08.28 |
852 | 和具の海女3-5-4 | ノリアイ海女の海女小屋での休憩風景。浜辺に柱を立て、大漁旗や白布の様な物で夏の日差しを遮るために作られた簡易な海女小屋である。海女小屋の側には、午後からの操業に備えてウエットスーツや足ヒレ、磯桶、磯手拭いなどが干されている。 | 志摩市志摩町和具 | 1972.08.28 |
853 | 和具の海女3-5-5 | ノリアイ海女の海女小屋での休憩風景。浜辺に柱を立て、大漁旗や白布の様な物で夏の日差しを遮るために作られた簡易な海女小屋である。海女小屋の側には、午後からの操業に備えてウエットスーツや足ヒレ、磯桶、磯手拭いなどが干されている。 | 志摩市志摩町和具 | 1972.08.28 |
854 | 和具の海女3-5-6 | ノリアイ海女の海女小屋での休憩風景。浜辺に柱を立て、大漁旗や白布の様な物で夏の日差しを遮るために作られた簡易な海女小屋である。海女小屋の側には、午後からの操業に備えてウエットスーツや足ヒレ、磯桶、磯手拭いなどが干されている。 | 志摩市志摩町和具 | 1972.08.28 |
855 | 和具の海女3-6-1 | ノリアイ海女の海女小屋での休憩風景。ヒドコの回りでは、鮑や栄螺、ウニ、イノカイ等が焼かれている。キズが付いてしまったり、売れそうもない漁獲物は、海女達の小腹を満たすご馳走となる。子供や孫や町内の出来事、漁の話など小屋での海女達の話は明るく尽きる事が無い。この屈託のない連帯感が、海底で常に危険と背中合わせに働く海女達が、お互いに気を配り合い、助け合って身を守る共同体としての意識を作り上げているのかと思える。 | 志摩市志摩町和具 | 1972.08.28 |
856 | 和具の海女3-6-2 | ノリアイ海女の海女小屋での休憩風景。ヒドコの回りでは、鮑や栄螺、ウニ、イノカイ等が焼かれている。キズが付いてしまったり、売れそうもない漁獲物は、海女達の小腹を満たすご馳走となる。子供や孫や町内の出来事、漁の話など小屋での海女達の話は明るく尽きる事が無い。この屈託のない連帯感が、海底で常に危険と背中合わせに働く海女達が、お互いに気を配り合い、助け合って身を守る共同体としての意識を作り上げているのかと思える。 | 志摩市志摩町和具 | 1972.08.28 |
857 | 和具の海女3-6-3 | ノリアイ海女の海女小屋での休憩風景。ヒドコの回りでは、鮑や栄螺、ウニ、イノカイ等が焼かれている。キズが付いてしまったり、売れそうもない漁獲物は、海女達の小腹を満たすご馳走となる。子供や孫や町内の出来事、漁の話など小屋での海女達の話は明るく尽きる事が無い。この屈託のない連帯感が、海底で常に危険と背中合わせに働く海女達が、お互いに気を配り合い、助け合って身を守る共同体としての意識を作り上げているのかと思える。 | 志摩市志摩町和具 | 1972.08.28 |
858 | 和具の海女3-6-4 | ノリアイ海女の海女小屋での休憩風景。ヒドコの回りで背中を温める海女達。 | 志摩市志摩町和具 | 1972.08.28 |
859 | 和具の海女3-6-5 | ノリアイ海女の海女小屋での休憩風景。ヒドコの回りで背中を温める海女達。ヒドコの回りでは、鮑や栄螺、ウニ、イノカイ等が焼かれている。キズが付いてしまったり、売れそうもない漁獲物は、海女達の小腹を満たすご馳走となる。 | 志摩市志摩町和具 | 1972.08.28 |
860 | 和具の海女3-6-6 | ノリアイ海女の海女小屋での休憩風景。海女小屋の側には、午後からの操業に備えてウエットスーツや足ヒレ、磯桶、磯手拭いなどが干されている。 | 志摩市志摩町和具 | 1972.08.28 |
861 | 和具の海女4-1-1 | アルバムのデータ記載欄には「S47.8.28 和具大島 昼の休み大島で」と記される。ノリアイ海女の海女小屋での休憩風景。ヒドコの回りで背中を温める海女達。子供や孫や町内の出来事、漁の話など小屋での海女達の話は明るく尽きる事が無い。この屈託のない連帯感が、海底で常に危険と背中合わせに働く海女達が、お互いに気を配り合い、助け合って身を守る共同体としての意識を作り上げているのかと思える。 | 志摩市志摩町和具 | 1972.08.28 |
862 | 和具の海女4-1-2 | ノリアイ海女の海女小屋での休憩風景。海女小屋の側には、午後からの操業に備えてウエットスーツや足ヒレ、磯桶、磯眼鏡などが干されている。 | 志摩市志摩町和具 | 1972.08.28 |
863 | 和具の海女4-1-3 | ノリアイ海女の海女小屋での休憩風景。海女小屋の側には、午後からの操業に備えてウエットスーツや足ヒレ、磯桶などが干されている。 | 志摩市志摩町和具 | 1972.08.28 |
864 | 和具の海女4-1-4 | ノリアイ海女の海女小屋での休憩風景。午後からの操業に備えてヒドコの回りで躰を温める海女達。 | 志摩市志摩町和具 | 1972.08.28 |
865 | 和具の海女4-1-5 | ノリアイ海女の海女小屋での休憩風景。和具浦における夏の海女漁の操業時間は、午前9時30分~11時、午後2時~3時30分までと定められている(『海女習俗基礎調査報告書 平成22・23年度調査』)。昼は3時間ほどの休憩時間が取られることから、躰を温め食事をしたあと一眠りする海女達も少なくない。 | 志摩市志摩町和具 | 1972.08.28 |
866 | 和具の海女4-1-6 | ノリアイ海女の海女小屋での休憩風景。和具浦における夏の海女漁の操業時間は、午前9時30分~11時、午後2時~3時30分までと定められている(『海女習俗基礎調査報告書 平成22・23年度調査』)。昼は3時間ほどの休憩時間が取られることから、躰を温め食事をしたあと一眠りする海女達も少なくない。 | 志摩市志摩町和具 | 1972.08.28 |
867 | 和具の海女4-2-1 | 志摩町和具大島の景観。写真左隅に磯桶が見えることから、のりあい海女の海女小屋の近くの景観かと思われる。 | 志摩市志摩町和具 | 1972.08.28 |
868 | 和具の海女4-2-2 | 志摩町和具大島の景観。写真左隅に磯桶が見えることから、のりあい海女の海女小屋の近くの景観かと思われる。 | 志摩市志摩町和具 | 1972.08.28 |
869 | 和具の海女4-2-3 | 志摩町和具大島の景観。写真左隅に磯桶が見えることから、のりあい海女の海女小屋の近くの景観かと思われる。 | 志摩市志摩町和具 | 1972.08.28 |
870 | 和具の海女4-2-4 | ノリアイ海女の海女小屋での休憩風景。午後からの操業が始まるのか、磯桶やイソカゴを肩に掛け海女小屋を出るノリアイ海女達。 | 志摩市志摩町和具 | 1972.08.28 |
871 | 和具の海女4-2-5 | ノリアイ海女の出漁風景。海女小屋での休憩を終え、午後からの操業に向けて磯桶やイソカゴを手に海女船へと向かう海女達。 | 志摩市志摩町和具 | 1972.08.28 |
872 | 和具の海女4-2-6 | ノリアイ海女の出漁風景。海女小屋での休憩を終え、午後からの操業に向けて海女船に乗り込む海女達。 | 志摩市志摩町和具 | 1972.08.28 |
873 | 和具の海女4-3-1 | ノリアイ海女の出漁風景。海女小屋での休憩を終え、午後からの操業に向けて海女船に乗り込む海女達。 | 志摩市志摩町和具 | 1972.08.28 |
874 | 和具の海女4-3-2 | ノリアイ海女の出漁風景。海女小屋での休憩を終え、午後からの操業に向け海女達を乗せて和具大島を離れる海女船。 | 志摩市志摩町和具 | 1972.08.28 |
875 | 和具の海女4-3-3 | ノリアイ海女の出漁風景。海女小屋での休憩を終え、午後からの操業に向け海女達を乗せて和具大島を離れる海女船。 | 志摩市志摩町和具 | 1972.08.28 |
876 | 和具の海女4-3-4 | ノリアイ海女の出漁風景。海女小屋での休憩を終え、午後からの操業に向け海女達を乗せて和具大島を離れる海女船。 | 志摩市志摩町和具 | 1972.08.28 |
877 | 和具の海女4-3-5 | ノリアイ海女の出漁風景。海女小屋での休憩を終え、午後からの操業に向け海女達を乗せて和具大島を離れる海女船。 | 志摩市志摩町和具 | 1972.08.28 |
878 | 和具の海女4-4-1 | アルバムのデータ記載欄には「S49.9.20 和具村内」と記される。「ゴミをすてるな、神社」の立札が見える。 | 志摩市志摩町和具 | 1974.09.20 |
879 | 和具の海女4-4-2 | 志摩町和具の街並み景観である。海岸に沿って民家が密集する。 | 志摩市志摩町和具 | 1974.09.20 |
880 | 和具の海女4-4-3 | 石碑。「文政元寅八月廿四日」と記される。 | 志摩市志摩町和具 | 1974.09.20 |
881 | 和具の海女4-4-4 | 石碑。「文政元寅八月廿四日」と記される。 | 志摩市志摩町和具 | 1974.09.20 |
882 | 和具の海女4-4-5 | 志摩町和具の舟人海女が使用するイソグルマ。地元ではハイカラグルマと呼んだりもする。船縁に取付け、海女の命綱を手繰上げる時に使用する。 | 志摩市志摩町和具 | 1974.09.20 |
883 | 和具の海女4-4-6 | 船縁に取付けられているが呼称、用途共不明。イマメ(ウバメガシ)の枝で作られた同様の物で、船の艫に取付けられた物は、ヘタミ漁(見突き漁)の時に用いるサザエツキやナマコカギ等を置くのに用いたりする。 | 志摩市志摩町和具 | 1974.09.20 |
884 | 和具の海女4-5-1 | 船揚場での漁船の修理風景。 | 志摩市志摩町和具 | 1974.09.20 |
885 | 和具の海女4-5-2 | 「和具漁協水産荷捌所」の文字が見える。施設内での組合員による網の修繕風景である。 | 志摩市志摩町和具 | 1974.09.20 |
886 | 和具の海女4-5-3 | 和具漁協の市場風景である。 | 志摩市志摩町和具 | 1974.09.20 |
887 | 和具の海女4-6-1 | 和具漁港の浚渫工事写真かと思われる。作業を進める浚渫船に「SKK404SH」の文字が見える。台風や潮流の変化などで港内に砂や泥が堆積したり、漁船の大型化が進むとこれまで以上に港内を深く掘り下げる必要が出てくる。 | 志摩市志摩町和具 | 1974.09.20 |
888 | 和具の海女4-6-2 | 和具漁港の浚渫工事写真かと思われる。作業を進める浚渫船に「SKK404SH」の文字が見える。台風や潮流の変化などで港内に砂や泥が堆積したり、漁船の大型化が進むとこれまで以上に港内を深く掘り下げる必要が出てくる。 | 志摩市志摩町和具 | 1974.09.20 |
889 | 和具の海女4-6-3 | 志摩町和具の海女小屋である。和具の海女漁は9月中旬で終わる。海女小屋は翌年の春先まで閉ざされる。 | 志摩市志摩町和具 | 1974.09.20 |
890 | 和具の海女4-6-4 | 和具漁港の浚渫工事写真かと思われる。作業を進める浚渫船に「SKK404SH」の文字が見える。台風や潮流の変化などで港内に砂や泥が堆積したり、漁船の大型化が進むとこれまで以上に港内を深く掘り下げる必要が出てくる。斜路に引き揚げられた漁船では防腐用のペンキ塗りだろうか漁師の婦人らしき人物が作業をしている。その横にはイソグルマを付けた舟人の海女船も引き揚げられている。 | 志摩市志摩町和具 | 1974.09.20 |
891 | 和具の海女4-6-5 | 海女漁を終え、夏の漁が一段落したのか、斜路に漁船を引き揚げ、防腐用のペンキ塗りだろうか漁師達が船の手入れに忙しそうである。 | 志摩市志摩町和具 | 1974.09.20 |
892 | 和具の海女4-6-6 | 昭和49年9月の撮影であるが、魚探だろうか。当時としては最新の装置だったのかも知れない。 | 志摩市志摩町和具 | 1974.09.20 |
893 | 和具の海女5-1-1 | 昭和49年9月の撮影であるが、魚探だろうか。当時としては最新の装置だったのかも知れない。 | 志摩市志摩町和具 | 1974.09.20 |
894 | 和具の海女5-1-2 | 和具漁港の海面風景。ナイロン袋や浮き子、紐や新聞紙などが浮かぶ。 | 志摩市志摩町和具 | 1974.09.20 |
895 | 和具の海女5-1-3 | 和具漁港の港内風景かと思われる。漁船は丸太のコロを使って陸に引き揚げられている。漁船の後に建ち並ぶトタン葺きの小屋は、漁具などを入れる漁師小屋や海女小屋であろう。 | 志摩市志摩町和具 | 1974.09.20 |
896 | 和具の海女5-1-4 | 志摩町和具の海岸風景。遠くに見える島は和具大島かと思われる。 | 志摩市志摩町和具 | 1974.09.20 |
897 | 和具の海女5-1-5 | 志摩町和具の海岸風景。波間に岩礁が顔を出す。 | 志摩市志摩町和具 | 1974.09.20 |
898 | 和具の海女5-1-6 | 志摩町和具の海岸風景。波間に岩礁が顔を出す。 | 志摩市志摩町和具 | 1974.09.20 |
899 | 和具の海女5-2-1 | 志摩町和具の海岸風景。波間に岩礁が顔を出す。 | 志摩市志摩町和具 | 1974.09.20 |
900 | 和具の海女5-2-2 | 志摩町和具の海岸風景。波間に岩礁が顔を出す。 | 志摩市志摩町和具 | 1974.09.20 |
901 | 和具の海女5-2-3 | 志摩町和具の海岸風景。波間に岩礁が顔を出す。 | 志摩市志摩町和具 | 1974.09.20 |
902 | 和具の海女5-2-4 | 志摩町和具の海岸風景。漁港の堤防に漁師が一人立つ。 | 志摩市志摩町和具 | 1974.09.20 |
903 | 和具の海女5-2-5 | 志摩町和具の海岸、波打際の風景。 | 志摩市志摩町和具 | 1974.09.20 |
904 | 和具の海女5-2-6 | 志摩町和具の海岸風景。砂浜に張られた簡易なテントの中で、漁師らしき男が一人、あぐらを組み海を見つめる。 | 志摩市志摩町和具 | 1974.09.20 |
905 | 和具の海女(複写写真)6-4-1 | アルバムのデータ記載欄には「91.3月複写。和具、河村まさの、三郎 舟人海女。S15~20頃の写真。和具沖にて」と記される。個人が所有する紙焼き写真を、博物館資料として複写した物である。 | 志摩市志摩町和具 | 1940~1945 |
906 | 石鏡の海女1-1-1 | イソマゲは海女が潜水する時の髪型で、頭髪を上に引きつめ小さく巻き結んだもの。イソグル、サンテマゲとも呼ばれたりする。石鏡の女性は髪を伸ばし、椿油でなでつけて結っていた。観音髷と呼ばれ、海中でもほどけない結い方だった。潜るのに邪魔なので、次第に髪を短くしてパーマをあてるようになったが、最後まで髪が長かったのがこの女性。写真は海女の後ろを写したもの。(「浜の遠声 石鏡の暮らし写真展」報告書より) アルバムのデータ記載欄には「石鏡 48.7.11 イソマゲ」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1973.07.11 |
907 | 石鏡の海女1-1-2 | イソマゲは海女が潜水する時の髪型で、頭髪を上に引きつめ小さく巻き結んだもの。イソグル、サンテマゲとも呼ばれたりする。石鏡の女性は髪を伸ばし、椿油でなでつけて結っていた。観音髷と呼ばれ、海中でもほどけない結い方だった。潜るのに邪魔なので、次第に髪を短くしてパーマをあてるようになったが、最後まで髪が長かったのがこの女性。写真は海女の正面を写したもの。(「浜の遠声 石鏡の暮らし写真展」報告書より) アルバムのデータ記載欄には「石鏡 48.7.11 イソマゲ」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1973.07.11 |
908 | 石鏡の海女1-1-3 | アルバムのデータ記載欄には「石鏡 ネガネカゴ」と記される。磯メガネの保管には一般的には木製の眼鏡箱が多く用いられていると思われるが、これは竹篭で木製の蓋が付けられている。 | 鳥羽市石鏡町 | 1973.07.11 |
909 | 石鏡の海女1-1-4 | アルバムのデータ記載欄には「石鏡 ネガネカゴ」と記される。鳥羽志摩地域の磯眼鏡の導入は明治22年頃(三重県答志郡漁業組合規約)とされる。ここ石鏡町には磯眼鏡の製作に携わる城山巳治男氏がおり、ゴム枠の両側に針金をあてがい、きつい労働で顔が痩せてもその針金で枠を補強し顔に合わせられるように工夫した「城山式メガネ」と呼ばれる物が広く普及したと言う。参考文献:『鳥羽市史 下巻<民俗>』平成3年・鳥羽市発行 | 鳥羽市石鏡町 | 1973.07.11 |
910 | 石鏡の海女1-1-5 | 海女漁で使われた漁具である。竹で編まれており、漁の間は船上に置いておく。磯眼鏡の導入は明治22年頃(三重県答志郡漁業組合規約)とされる。ここ石鏡町には磯眼鏡を製作する城山巳治男氏がおり、ゴム枠の両側に針金をあてがい、きつい労働で顔が痩せてもその針金で枠を補強し顔に合わせられるように工夫した「城山式メガネ」と呼ばれる物が広く普及したと言う。アルバムのデータ記載欄には「石鏡 ネガネカゴ」と記される。 参考文献:『鳥羽市史 下巻<民俗>』平成3年・鳥羽市発行 | 鳥羽市石鏡町 | 1973.07.11 |
911 | 石鏡の海女1-1-6 | 石鏡町の海女の出漁風景である。海女の用具を入れた磯篭や袋を肩に船揚場の斜路を歩く海女達が写される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1973.07.11 |
912 | 石鏡の海女1-2-1 | 石鏡町の海女の出漁風景である。ノリアイや舟人と思われる海女船が石鏡漁港を出港する。 | 鳥羽市石鏡町 | 1973.07.11 |
913 | 石鏡の海女1-2-2 | 石鏡町の海女の出漁風景である。一斉に船が出るところ。船の大群が走る姿を子どもながらに壮観だと思った、という語りがあった。写真左奥や、右奥の崖下に連なる小さな建物は海女小屋(かまど、あたり小屋とも呼ぶ)。写真中央右の帆のある船は、釣り漁や網漁、海女漁などに使ったとみられる。海女漁の際、手漕ぎが大変だったので風のある日は帆を張って進行を助けたという話があった。(「浜の遠声 石鏡の暮らし写真展」報告書より) | 鳥羽市石鏡町 | 1973.07.11 |
914 | 石鏡の海女1-2-3 | 写真は石鏡漁港を出港する海女船の景観である。海上安全と豊漁を願うのか、一人の海女が沖に向かって手を合わせる。アルバムのデータ記載欄には「出漁に拝む海女」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1973.07.11 |
915 | 石鏡の海女1-2-4 | 石鏡町の海女の出漁風景である。ノリアイや舟人と思われる海女船が石鏡漁港を出港する。 | 鳥羽市石鏡町 | 1973.07.11 |
916 | 石鏡の海女1-2-5 | 石鏡町の海女の出漁風景である。ノリアイや舟人と思われる海女船が石鏡漁港を出港する。 | 鳥羽市石鏡町 | 1973.07.11 |
917 | 石鏡の海女1-2-6 | 石鏡町の海女の出漁風景である。ノリアイの海女を乗せた海女船が港内で出港の準備を進める。 | 鳥羽市石鏡町 | 1973.07.11 |
918 | 石鏡の海女1-3-1 | 石鏡町の海女の帰港風景である。午前の操業を終えたのであろう、石鏡漁港に帰港する海女船。平成22年の調査では、石鏡の夏の海女漁は午前午後各一潜、70分の操業と定められている。参考文献:『平成23・24年度調査 海女習俗基礎調査報告書』三重県教育委員会編・平成26年発行 | 鳥羽市石鏡町 | 1973.07.11 |
919 | 石鏡の海女1-3-2 | 鳥羽から磯部町的矢に至る海岸線に点在する集落は、何処も陸の孤島と呼ばれるほど交通の便が悪い。鳥羽~石鏡間の市営定期船が廃止されるのは、パールロードの陸路が整備される昭和50年に入ってからであった。写真は昭和48年7月の石鏡町の集落景観である。集落の前の湾は「前浜」と呼ばれるが、今は公有水面の埋め立てが行われて漁港が整備され、漁業組合が建ち周囲は荷上場となっている。ただ、今もこの堤防の一部は残され、集落と前浜の境には村の人達が「海の神様が祀られている」とか「村を守る神様が海に向かって立っている」と言う石柱が立てられており、海女の祭事「イソオリアワセ」や「カズキオリ」の祭には海女達が供え物を欠かさない。写真手前の崖と海にある道(海岸道路と呼ばれた)がとても狭く、よく波がかかるため、住民は波が引いたタイミングで一気に走り抜けた。写真中央手前の桟橋は巡航船が停泊する場所で、桟橋の左側にある小さな白いコンクリートの小屋が、巡航船の待合室である。写真中央の浜は今は埋め立てられているが、子どもが海水浴をし、禁漁区ではあるがおやつ用のアワビやサザエを獲ることがあった。ヒジキも群生し、豊かな浜だった。(「浜の遠声 石鏡の暮らし写真展」報告書より) | 鳥羽市石鏡町 | 1973.07.11 |
920 | 石鏡の海女1-3-3 | 石鏡町の海女の帰港風景である。海女漁から帰還するところ。この写真では「子どもの頃、左の堤防から右の堤防まで泳いだ」という話で大いに盛り上がった。写真のように堤防の間を船が通り、白い波が立ったときに合わせて飛び込み、泳ぐのがスリリングで楽しかったが、よく船上の大人に「危ない!」と怒られた。「毎日が海水浴やった」と笑う声もあった。中学校入学までに堤防間を泳ぎきれないと一人前とみなされない、という子どものしきたりもあったようだ。灯台下の大きな船は大敷網の船である。写真中央にある小舟は、岸から船まで移動するのに用いた。(「浜の遠声 石鏡の暮らし写真展」報告書より) | 鳥羽市石鏡町 | 1973.07.11 |
921 | 石鏡の海女1-3-4 | 石鏡町の海女の帰港風景である。午前の操業を終えたのであろう、石鏡漁港に帰港すた海女船。午後からの操業が残されているからであろう。船は碇を打って艫綱で岸辺に係留されている。 | 鳥羽市石鏡町 | 1973.07.11 |
922 | 石鏡の海女1-3-5 | 一潜目を終え、漁港に戻った海女達はウエットスーツを脱ぎ、潮の躰を真水で洗い午後の二潜目に備えて食事と休息を取る。写真は海女達が躰を洗う共同の水浴場の風景である。石鏡ではウエットスーツの数の制限はなかったが、経済的な事情で、全員が着られるまでには時間がかかった。そんな時期は姑が優先してウエットスーツを着用し、嫁は寒い磯着のままだった。海女さんが着るナカネは着物をばらしたり、布を買ったりして作った。(「浜の遠声 石鏡の暮らし写真展」報告書より)アルバムのデータ記載欄には「水浴場」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1973.07.11 |
923 | 石鏡の海女1-3-6 | 石鏡町のノリアイ海女の出漁風景である。船頭が櫓を漕ぎ、海女がサオを構えて着岸の角度調整の準備をしている。基本的には夫婦で出漁したが、右の船のように複数人で乗り合わせることもあった。(「浜の遠声 石鏡の暮らし写真展」報告書より) | 鳥羽市石鏡町 | 1973.07.11 |
924 | 石鏡の海女1-4-1 | 石鏡漁港の景観。 船が浜に到着すると、海女は海女小屋で火にあたる。その間男性たちが船を揚げるが、1隻に5?6人必要だったため互いに助け合った。船の数が多いため1日がかりの仕事だったという。(「浜の遠声 石鏡の暮らし写真展」報告書より) アルバムのデータ記載欄には「石鏡 48.7.11」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1973.07.11 |
925 | 石鏡の海女1-4-2 | 二潜目を終え、帰港した漁船を陸へ引き揚げる準備作業の風景である。外洋に面した石鏡の海は台風は無論、少しの気象の変化でも海はうねり、風波をまともに受ける。船の陸揚げは大切な漁船を守る欠かせない漁師の作業の一つである。石畳の上で男性が拾い上げようとしている丸太は、船を揚げるために敷くコロ(コロバカシともいう)。石畳の黒ずみは油汚れである。左奥の船の近くでは、男性たちがタバコを吸い休憩している。中央の海女さんは上半身裸だが、当時は男女ともに平気で裸で歩いた。(「浜の遠声 石鏡の暮らし写真展」報告書より) | 鳥羽市石鏡町 | 1973.07.11 |
926 | 石鏡の海女1-4-3 | イソマゲは海女が潜水する時の髪型で、頭髪を上に引きつめ小さく巻き結んだもの。イソグル、サンテマゲとも呼ばれたりする。石鏡の女性は髪を伸ばし、椿油でなでつけて結っていた。観音髷と呼ばれ、海中でもほどけない結い方だった。潜るのに邪魔なので、次第に髪を短くしてパーマをあてるようになったが、最後まで髪が長かったのがこの女性。写真は海女の左側面を写したもの。(「浜の遠声 石鏡の暮らし写真展」報告書より) アルバムのデータ記載欄には「石鏡 48.7.11 イソマゲ」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1973.07.11 |
927 | 石鏡の海女1-4-4 | イソマゲは海女が潜水する時の髪型で、頭髪を上に引きつめ小さく巻き結んだもの。イソグル、サンテマゲとも呼ばれたりする。石鏡の女性は髪を伸ばし、椿油でなでつけて結っていた。観音髷と呼ばれ、海中でもほどけない結い方だった。潜るのに邪魔なので、次第に髪を短くしてパーマをあてるようになったが、最後まで髪が長かったのがこの女性。写真は海女の正面を写したもの。(「浜の遠声 石鏡の暮らし写真展」報告書より) アルバムのデータ記載欄には「石鏡 48.7.11 イソマゲ」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1973.07.11 |
928 | 石鏡の海女1-5-1 | (要調査) | 鳥羽市石鏡町 | 1973.07.11 |
929 | 石鏡の海女1-5-2 | 海女を海中から引き上げるためのヒキザオ。先端につけられているのは、海女が海中からヒキザオを視認するための目印。(「浜の遠声 石鏡の暮らし写真展」報告書より) | 鳥羽市石鏡町 | 1973.07.11 |
930 | 石鏡の海女1-5-3 | 石鏡漁港の船揚場・斜路の海女。まだ、ウエットを身に付け、漁獲物か海女の用具か網袋に入れた物を足下に置いている所を見ると二潜目を終え港に戻り、これから水浴場か市場か自宅に戻るところであろうか。 | 鳥羽市石鏡町 | 1973.07.11 |
931 | 石鏡の海女1-5-4 | フナド(舟人)海女が使うクリイカラ(オモリ石=分銅)。通常、重さは15キロ程。フナドの海女が重りの綱を手に海底までイッキに潜る時に用いる。分銅は石から鉄や鉛製の物へと移り変わっていくが、ここ石鏡町では「トウシイカリ」と呼んだりもするようである。参考文献:『漁の図鑑』海の博物館・1988年発行 | 鳥羽市石鏡町 | 1973.07.11 |
932 | 石鏡の海女1-5-5 | 海女を海中から引き上げるためのヒキザオ。先端につけられているのは、海女が海中からヒキザオを視認するための目印。目立つように白色であることが多かった。(「浜の遠声 石鏡の暮らし写真展」報告書より) | 鳥羽市石鏡町 | 1973.07.11 |
933 | 石鏡の海女1-5-6 | トトカカ船(フナド)の海女が使うクリイカラ(オモリ石=分銅)。重さは15キロほどで、海女が重りの綱を手に持ち海底まで一気に潜る。分銅は石から鉄や鉛製の物へと移り変わっていくが、ここ石鏡町では「トウシイカリ」と呼んだりもする。参考文献:『漁の図鑑』海の博物館・1988年発行 | 鳥羽市石鏡町 | 1973.07.11 |
934 | 石鏡の海女1-6-1 | 石鏡の漁師船(海女船)。エンジンは据え付けられているが、木造船で艪が積み込まれている。 | 鳥羽市石鏡町 | 1973.07.11 |
935 | 石鏡の海女1-6-2 | 石鏡町の集落の最上部付近から石鏡の海域を見た景観である。写真右下に石鏡漁港の防波堤が見える。海上に点在する漁船はこれから出漁する海女船かも知れない。 | 鳥羽市石鏡町 | 1973.07.11 |
936 | 石鏡の海女1-6-3 | 石鏡町の集落の最上部付近から石鏡の海域を見た景観である。写真右下に石鏡漁港の防波堤が見える。海上に点在する漁船はこれから出漁する海女船かも知れない。 | 鳥羽市石鏡町 | 1973.07.11 |
937 | 志島(の風景)2-1-1 | アルバムのデータ記載欄には「48.3.18 志島」と記される。ヒシやタモ等、漁船に積まれた見突き漁の漁具。一連の写真を見ると、タモを使ったナマコ漁の道具かも知れない。 | 志摩市阿児町志島 | 1973.03.18 |
938 | 志島(の風景)2-1-2 | ヒシやタモ等、漁船に積まれた見突き漁の漁具。一連の写真を見ると、タモを使ったナマコ漁の道具かも知れない。 | 志摩市阿児町志島 | 1973.03.18 |
939 | 志島(の風景)2-1-3 | ナマコ。マナマコ(真海鼠)科に分類され、鳥羽・志摩地域では、色によってアカナマコ(アカコ)、アオナマコ(アオコ・ドロコ)、クロナマコ(クロコ)と呼んだりするが、アカナマコが最も喜ばれ高値で取引がされる。産卵期は春~初秋で、体長は20~30㎝程に成長する。本市では夏は禁漁、冬期に海女漁や箱メガネで覗きながら長い竿の先に付けた鉄鉤で引っかけるコガケ漁が主である。アオナマコやクロナマコは煎海鼠(イリコ)に加工されるものもあるが、アカナマコはその殆どが生食として消費される。また、海鼠腸(コノワタ)を塩漬けにした塩辛や、乾燥させたクチコは珍味中の珍味として酒の肴に重宝される。【参考文献】『海の図鑑』海の博物館編・1988年発行 | 志摩市阿児町志島 | 1973.03.18 |
940 | 志島(の風景)2-1-4 | 水揚げされたナマコ。マナマコ(真海鼠)科に分類され、鳥羽・志摩地域では、色によってアカナマコ(アカコ)、アオナマコ(アオコ・ドロコ)、クロナマコ(クロコ)と呼んだりするが、アカナマコが最も喜ばれ高値で取引がされる。 | 志摩市阿児町志島 | 1973.03.18 |
941 | 志島(の風景)2-1-5 | 水揚げされたナマコ。マナマコ(真海鼠)科に分類され、鳥羽・志摩地域では、色によってアカナマコ(アカコ)、アオナマコ(アオコ・ドロコ)、クロナマコ(クロコ)と呼んだりするが、アカナマコが最も喜ばれ高値で取引がされる。 | 志摩市阿児町志島 | 1973.03.18 |
942 | 志島(の風景)2-1-6 | アラメかカジメに類するものだろうか、海藻が生える磯場の風景。 | 志摩市阿児町志島 | 1973.03.18 |
943 | 志島(の風景)2-2-1 | 見突き漁の漁船。漁を一終えしたのだろう、船外機のエンジンをかける漁師の側に見突き漁の用具が、舳先の方には箱メガネと思われる物も写されている。 | 志摩市阿児町志島 | 1973.03.18 |
944 | 志島(の風景)2-2-2 | 見突き漁の漁船。漁を一終えしたのだろう、船外機のエンジンをかけ、漁場を移動する漁師。側に見突き漁の用具が、舳先の方には箱メガネと思われる物も写されている。 | 志摩市阿児町志島 | 1973.03.18 |
945 | 志島(の風景)2-2-3 | ナマコを運ぶ漁師。№940に写るナマコの入った木桶と一斗缶であろう。両手に持って出荷先へ向かうのか自宅へ戻るのか堤防を急ぐ漁師。 | 志摩市阿児町志島 | 1973.03.18 |
946 | 志島(の風景)2-2-4 | 志島の集落景観か? 浜辺から消波ブロックと配水口と堤防を経て人家を望む。 | 志摩市阿児町志島 | 1973.03.18 |
947 | 志島(の風景)2-2-5 | 志島の海岸風景?消波ブロックの前に二人の人物を乗せた小舟が一艘写されているが、見突き漁ではなさそうである。(要調査) | 志摩市阿児町志島 | 1973.03.18 |
948 | 志島(の風景)2-2-6 | 志島の集落景観か? 海岸線のすぐ前から斜面に沿って人家が密集して建ち並ぶ。 | 志摩市阿児町志島 | 1973.03.18 |
949 | 志島(の風景)2-3-1 | 水揚げされたナマコ。マナマコ(真海鼠)科に分類され、鳥羽・志摩地域では、色によってアカナマコ(アカコ)、アオナマコ(アオコ・ドロコ)、クロナマコ(クロコ)と呼んだりするが、アカナマコが最も喜ばれ高値で取引がされる。 | 志摩市阿児町志島 | 1973.03.18 |
950 | 石鏡の海女(複写写真)2-4-1 | ウエットスーツが導入される前の、白い磯着で海女漁をしていた時期である。裸や磯着で潜るととても寒く、気を失う人もいたそうだ。トトカカ船(フナドとも呼ばれる、夫婦での出漁)が一般的だった。木製の無動力船や、船尾の操作棒を上下させプロペラを回すしくみの動力船がみられる。海女が腰に着用しているのはナカネ(ターナカネともいう)。写真後方の、海に突き出した足場は巡航船乗り場である。また写真左の崖は現在(2023年)コンクリートで整備されているが、当時の子どもは崖の道をつたって白浜方面まで歩いて遊ぶこともあった。(「浜の遠声 石鏡の暮らし写真展」報告書より) アルバムのデータ記載欄には「S30年代の石鏡海女の出漁/平成3.6月市立図書館より複写」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1955~1964年頃 |
951 | 石鏡の海女(複写写真)2-4-2 | ウエットスーツが国崎で着用され始めるのは昭和39年頃(『鳥羽市史 下巻』)からとされるが、まだ海女達は全員磯着姿である。アルバムのデータ記載欄には「S30年代の石鏡海女の出漁/平成3.6月市立図書館より複写」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1955~1964年頃 |
952 | 石鏡の海女(複写写真)2-4-3 | ウエットスーツが国崎で着用され始めるのは昭和39年頃(『鳥羽市史 下巻』)からとされるが、まだ海女達は全員磯着姿である。アルバムのデータ記載欄には「S30年代の石鏡海女の出漁/平成3.6月市立図書館より複写」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1955~1964年頃 |
953 | 菅島(しろんご祭)3-4-1 | アルバムのデータ記載欄には「48.7.10 菅島」と記される。麦藁帽子を被る男性は漁協の職員だろうか、手には鮑の大きさを測るスントリが握られている。「しろんご祭」は、例年旧暦6月11日に菅島町で行われてきた海女の祭事である。現在は菅島神社に合祀されているが、字白浜に祀られていた「白の宮(シロノゴさん)」の祭事で、白髭大明神祭とも言い竜神信仰の祭とされる。700年ほどの昔、菅島に現れた白蛇を竜神の使いと崇め、以来大漁と海上安全を祈願したのが始まりと言われる。祭日の朝、禁漁区とされている白浜に島内の海女が集まり、ホラ貝の合図で一斉に海に入り鮑をとる。黒・赤つがいの鮑が「掛けの魚」として神前に供えられるが、このつがいの鮑を最初にとった海女は「海女頭」として一年中尊敬される。鳥羽市の無形民俗文化財に指定されている。参考文献:鳥羽市編・発行『鳥羽市史 下巻』平成3年発行 | 鳥羽市菅島町 | 1973.07.10 |
954 | 菅島(しろんご祭)3-4-2 | 漁を終え浜に上がってきた海女。ウエットスーツは着けずに磯着のままである。磯桶には獲ってきた鮑が少しだけ顔を出している。この後しろんご祭の集荷場へと向かう。 | 鳥羽市菅島町 | 1973.07.10 |
955 | 菅島(しろんご祭)3-4-3 | 漁を終え浜に上がってきた海女。ウエットスーツは着けずに磯着のままである。磯桶には磯眼鏡と手袋、鮑が入れられている。この後しろんご祭の集荷場へと向かう。 | 鳥羽市菅島町 | 1973.07.10 |
956 | 菅島(しろんご祭)3-4-4 | 漁を終え磯桶を抱えて浜に上がってきた海女。ウエットスーツは着けずに磯着のままである。この後しろんご祭の集荷場へと向かう。 | 鳥羽市菅島町 | 1973.07.10 |
957 | 菅島(しろんご祭)3-4-5 | この日は、県内外からも多くのカメラマンや民俗調査を志す人々が集まる。島の人達にとっても年一度の祭りで、踊りの披露や振る舞い、神社への参拝など島の子供達も集まり、賑やかな一日となる。 | 鳥羽市菅島町 | 1973.07.10 |
958 | 菅島(しろんご祭)3-4-6 | この日は、県内外からも多くのカメラマンや民俗調査を志す人々が集まる。島の人達にとっても年一度の祭りで、踊りの披露や振る舞い、神社への参拝など島の子供達も集まり、賑やかな一日となる。 | 鳥羽市菅島町 | 1973.07.10 |
959 | 菅島(しろんご祭)3-5-1 | この日は、県内外からも多くのカメラマンや民俗調査を志す人々が集まる。島の人達にとっても年一度の祭りで、踊りの披露や振る舞い、神社への参拝など島の子供達も集まり、賑やかな一日となる。神社の登り口には「奉納 白髭大明神 菅島町惣助丸/奉納 白髭大明神 鳥羽樋の山扇芳閣」の幟が立てられている。 | 鳥羽市菅島町 | 1973.07.10 |
960 | 菅島(しろんご祭)3-5-2 | 漁を終え、祭の集荷場へ鮑や栄螺を持ってきた海女。この日獲った鮑や栄螺は全て漁協組合に差し出され、白髭神社の収入とされたが、近年は水揚げの何割かを神社資金として差し出す形に変化してきていると言う。 | 鳥羽市菅島町 | 1973.07.10 |
961 | 菅島(しろんご祭)3-5-3 | 漁を終え、祭の集荷場へ鮑や栄螺を持ってきた海女。この日獲った鮑や栄螺は全て漁協組合に差し出され、白髭神社の収入とされたが、近年は水揚げの何割かを神社資金として差し出す形に変化してきていると言う。 | 鳥羽市菅島町 | 1973.07.10 |
962 | 菅島(しろんご祭)3-5-4 | 漁を終え、祭の集荷場へ鮑や栄螺を持ってきた海女。この日獲った鮑や栄螺は全て漁協組合に差し出され、白髭神社の収入とされたが、近年は水揚げの何割かを神社資金として差し出す形に変化してきていると言う。 | 鳥羽市菅島町 | 1973.07.10 |
963 | 菅島(しろんご祭)3-5-5 | 漁を終え、磯眼鏡を手に磯桶を抱えて浜に上がってきた海女。ウエットスーツは着けずに磯着のままである。この後しろんご祭の集荷場へと向かう。 | 鳥羽市菅島町 | 1973.07.10 |
964 | 菅島(しろんご祭)3-5-6 | この日は、県内外からも多くのカメラマンや民俗調査を志す人々が集まる。島の人達にとっても年一度の祭りで、踊りの披露や振る舞い、神社への参拝など島の子供達も集まり、賑やかな一日となる。 | 鳥羽市菅島町 | 1973.07.10 |
965 | 菅島(しろんご祭)3-6-1 | 漁を終え、浜へと帰ってくる海女達。ウエットスーツは着けずに磯着のままである。この後しろんご祭の集荷場へと向かう。 | 鳥羽市菅島町 | 1973.07.10 |
966 | 菅島(しろんご祭)3-6-2 | 漁を終え、浜へと帰ってきた海女。磯手拭いの額の部分には、海女達が魔除けと信じる「セーマン」の文様が縫い込まれている。 | 鳥羽市菅島町 | 1973.07.10 |
967 | 菅島(しろんご祭)3-6-3 | 海女が使用するノミと手袋。ノミの柄の部分には、海女達が魔除けと信じる「セーマン」の文様が彫り込まれている。 | 鳥羽市菅島町 | 1973.07.10 |
968 | 菅島(しろんご祭)3-6-4 | 海女が使用するノミと手袋。ノミの柄の部分に彫り込まれた「セーマン」の裏側には「ドーマン」の文様が彫り込まれている。 | 鳥羽市菅島町 | 1973.07.10 |
969 | 菅島(しろんご祭)4-2-1 | 漁を終え磯桶を抱えて浜に上がってきた海女。この後しろんご祭の集荷場へと向かう。 | 鳥羽市菅島町 | (不明) |
970 | 菅島(しろんご祭)4-2-2 | 漁を終え磯桶を抱えて浜に上がってきた海女。この後しろんご祭の集荷場へと向かう。磯桶には獲ってはいけない鮑の大きさを計測するスントリが結わえられている。 | 鳥羽市菅島町 | (不明) |
971 | 菅島(しろんご祭)4-2-3 | 祭事を終えると海女達は来た時と同様に磯桶道具を入れ、おもいおもいに帰途に着く。昔ながらの磯桶を使用する年配の海女達は、道具を入れた桶を頭上に乗せて運搬する。 | 鳥羽市菅島町 | (不明) |
972 | 菅島(しろんご祭)4-2-4 | 祭事を終えると海女達は来た時と同様に磯桶道具を入れ、おもいおもいに帰途に着く。 | 鳥羽市菅島町 | (不明) |
973 | 菅島(しろんご祭)4-2-5 | 祭事を終えると海女達は帰途の準備を進める。足下には磯桶と磯眼鏡を保管する木製の眼鏡箱が写されている。 | 鳥羽市菅島町 | (不明) |
974 | 菅島(しろんご祭)4-2-6 | 大漁旗を立てた菅島の漁船。しろんご祭りが行われる白浜の沖合で、これらの漁船が海女達の操業を見守る。 | 鳥羽市菅島町 | (不明) |
975 | 菅島(しろんご祭)4-3-1 | 漁を終え、浜へと帰ってきた海女。磯手拭いの額の部分には、海女達が魔除けと信じる「セーマン」が縫い込まれている。 | 鳥羽市菅島町 | (不明) |
976 | 菅島(しろんご祭)4-3-2 | 漁を終え、浜へと帰ってきた海女。磯手拭いの額の部分には、海女達が魔除けと信じる「セーマン」が縫い込まれている。 | 鳥羽市菅島町 | (不明) |
977 | 菅島(しろんご祭)4-3-3 | 漁を終え、浜へと帰ってきた海女。磯手拭いの額の部分には、海女達が魔除けと信じる「セーマン」が縫い込まれている。 | 鳥羽市菅島町 | (不明) |
978 | 菅島(しろんご祭)4-3-4 | 漁を終え、浜へと帰ってきた海女。磯手拭いの額の部分には、海女達が魔除けと信じる「セーマン」が縫い込まれている。 | 鳥羽市菅島町 | (不明) |
979 | 菅島(しろんご祭)4-3-5 | 漁を終え、浜へと帰ってきた海女。磯手拭いの額の部分には、海女達が魔除けと信じる「セーマン」が縫い込まれている。 | 鳥羽市菅島町 | (不明) |
980 | 菅島(しろんご祭)4-3-6 | 漁を終え、祭の集荷場へ鮑や栄螺を持ってきた海女達。この日獲った鮑や栄螺は全て漁協組合に差し出され、白髭神社の収入とされたが、近年は水揚げの何割かを神社資金として差し出す形に変化してきていると言う。 | 鳥羽市菅島町 | (不明) |
981 | 菅島(しろんご祭)4-4-1 | 白浜の裾に建てられた白鬚神社の一ノ鳥居。この鳥居の左上、小高い丘の上に社殿が建てられている。「奉納 白鬚大明神」と記された幟が立てられている。 | 鳥羽市菅島町 | (不明) |
982 | 菅島(しろんご祭)4-4-2 | 大漁旗を立てた菅島の漁船。しろんご祭りが行われる白浜の沖合で、これらの漁船が海女達の操業を見守る。 | 鳥羽市菅島町 | (不明) |
983 | 菅島(しろんご祭)4-4-3 | しろんご祭の操業風景。 | 鳥羽市菅島町 | (不明) |
984 | 菅島(しろんご祭)4-4-4 | しろんご祭の操業風景。 | 鳥羽市菅島町 | (不明) |
985 | 菅島(しろんご祭)4-4-5 | しろんご祭の海女。ウエットスーツは付けず、磯着姿である。 | 鳥羽市菅島町 | (不明) |
986 | 菅島(しろんご祭)4-4-6 | しろんご祭の海女。ウエットスーツは付けず、磯着姿である。 | 鳥羽市菅島町 | (不明) |
987 | 菅島取材4-5-1 | 海女が使用するノミ。ノミの柄の部分には、海女達が魔除けと信じる「ドーマン」の文様が彫り込まれている。 | 鳥羽市菅島町 | 1975.11.17 |
988 | 菅島取材4-5-2 | 海女が使用するノミ。ノミの柄の部分に彫り込まれた「ドーマン」の裏側には「セーマン」の文様が彫り込まれている。 | 鳥羽市菅島町 | 1975.11.17 |
989 | 菅島取材4-5-3 | 海女が使用するノミ。ノミの柄の部分に彫り込まれた「ドーマン」の裏側には「セーマン」の文様が彫り込まれている。 | 鳥羽市菅島町 | 1975.11.17 |
990 | 菅島取材4-5-4 | 海女が使用するノミと磯手拭い。ノミの柄の部分に彫り込まれた「セーマン」。磯手拭いにも丁度額に来る部分に「セーマン」の文様が縫い込まれている。 | 鳥羽市菅島町 | 1975.11.17 |
991 | 菅島取材4-5-5 | 海女が使用するノミと磯手拭い。ノミの柄の部分に彫り込まれた「セーマン」。磯手拭いにも丁度額に来る部分に「セーマン」の文様が縫い込まれている。 | 鳥羽市菅島町 | 1975.11.17 |
992 | 菅島取材4-5-6 | アルバムのデータ記載欄には「呪符のノミ、手拭をもつ海女」と記される。ノミと磯手拭いを手にする婦人。かなりの年配であるが、長い間使い続けてきた道具であろう、まだ現役の海女かも知れない。 | 鳥羽市菅島町 | 1975.11.17 |
993 | 菅島取材4-5-7 | アルバムのデータ記載欄には「呪符のノミ、手拭をもつ海女」と記される。ノミと磯手拭いを手にする婦人。かなりの年配であるが、長い間使い続けてきた道具であろう、まだ現役の海女かも知れない。 | 鳥羽市菅島町 | 1975.11.17 |
994 | 菅島取材4-6-1 | 海女が使用する磯手拭い。磯手拭いの丁度額に来る部分に「セーマン」の文様が縫い込まれている。 | 鳥羽市菅島町 | 1975.11.17 |
995 | 菅島取材4-6-2 | 海女が使用する磯手拭い。磯手拭いの丁度額に来る部分に「セーマン」の文様が縫い込まれている。 | 鳥羽市菅島町 | 1975.11.17 |
996 | 菅島取材4-6-3 | 海女が使用するノミ。ノミの柄の部分には、海女達が魔除けと信じる「セーマン」の文様が彫り込まれている。 | 鳥羽市菅島町 | 1975.11.17 |
997 | 菅島取材4-6-4 | 海女が使用するノミと磯手拭い。ノミの柄の部分に彫り込まれた「ドーマン」。磯手拭いにも丁度額に来る部分に「セーマン」の文様が縫い込まれている。 | 鳥羽市菅島町 | 1975.11.17 |
998 | 菅島取材4-6-5 | 海浜に打ち寄せられた木臼だろうか?。(要調査) | 鳥羽市菅島町 | 1975.11.17 |
999 | 菅島取材4-6-6 | 海浜に打ち寄せられた木臼だろうか?。(要調査) | 鳥羽市菅島町 | 1975.11.17 |
1000 | 菅島取材5-1-1 | 菅島漁港の船揚場に引き揚げられた漁船。 | 鳥羽市菅島町 | 1975.11.17 |
1001 | 菅島取材5-1-2 | 注連縄。セーマン、ドーマンの文様を描いた木札、ウラジロ、ホンダワラ等の海藻が付けられた菅島の注連縄。 | 鳥羽市菅島町 | 1975.11.17 |
1002 | 菅島取材5-1-3 | 菅島の島内風景。磯の帰りか、畑からの帰りか年配の婦人がフゴ(イジコ)を背負い、路地を行く。 | 鳥羽市菅島町 | 1975.11.17 |
1003 | 菅島取材5-1-4 | 玄関の上に貼られたお札。「年祭御祈祷■■ 青峯山正福寺」/「奉轉讀大般若六百軸家内安全如意吉祥攸 金洞山冷泉寺」/「■■鈴木圓蔵」/「護摩供養札 成田山新勝寺」/「■・・・■諸縁吉利祈攸」/「奉祈念不動明王守護攸 金洞山冷泉寺」等のお札が貼られる。 | 鳥羽市菅島町 | 1975.11.17 |
1004 | 菅島取材5-1-5 | 玄関の上に貼られたお札。「年祭御祈祷■■ 青峯山正福寺」/「奉轉讀大般若六百軸家内安全如意吉祥攸 金洞山冷泉寺」/「■■鈴木圓蔵」/「護摩供養札 成田山新勝寺」/「■・・・■諸縁吉利祈攸」/「奉祈念不動明王守護攸 金洞山冷泉寺」等のお札が貼られる。 | 鳥羽市菅島町 | 1975.11.17 |
1005 | 菅島取材5-1-6 | 玄関の上に貼られたお札。「年祭御祈祷■■ 青峯山正福寺」/「奉轉讀大般若六百軸家内安全如意吉祥攸 金洞山冷泉寺」/「■■鈴木圓蔵」/「護摩供養札 成田山新勝寺」/「■・・・■諸縁吉利祈攸」/「奉祈念不動明王守護攸 金洞山冷泉寺」等のお札が貼られる。 | 鳥羽市菅島町 | 1975.11.17 |
1006 | 菅島取材5-2-1 | コウナゴの抄い網漁に用いる鵜竿(ウザオ)。この伝統漁法を「エースキィ」と言うが、漁期は厳冬から春3月いっぱいまで。島近くに寄ってきたコウナゴが、海鳥の襲来に驚いて団子状になったところを長径2m程もある大ダマで抄い獲る。この漁で欠かせないのが、コウナゴを一カ所に集めてくれる海鳥と、魚群に接近してから脅しに使う「鵜竿」で、竿の先に鵜の羽をしばり付けた道具である。【参考文献】『海の図鑑』海の博物館編・1988年発行 | 鳥羽市菅島町 | 1975.11.17 |
1007 | 菅島取材5-2-2 | 刺網を繕う漁師。岩礁域に仕掛ける刺網は、引き揚げるときに岩に引っかかって切れたり、蟹が鋏で網糸を傷つけたりすることから、常に修繕が必要になる。漁師達は仕事の合間を縫って、「アバリ」と呼ぶ独特の道具を使って破れた網を繕っていく。写真の漁師が右手に持つのが「アバリ」である。 | 鳥羽市菅島町 | 1975.11.17 |
1008 | 菅島取材5-2-3 | 今では見ることも少なくなってきた首くくり式の素焼きのタコツボである。地域によっては「タコガメ」と呼んだりもするが、常滑や三州製のものが多く、大・中・小の大きさがある。タコはきれいな住処を好むと言われ、海中から引き揚げられたタコツボは、海藻やフジツボ等を取り除く作業が行われる。今は壊れにくいプラスチック製のタコツボや、タコ以外の漁獲物も獲れるタコ篭などを使う漁師が多くなっていると言う。【参考文献】『海の図鑑』海の博物館編・1988年発行 | 鳥羽市菅島町 | 1975.11.17 |
1009 | 菅島取材5-2-4 | 今では見ることも少なくなってきた首くくり式の素焼きのタコツボである。地域によっては「タコガメ」と呼んだりもするが、常滑や三州製のものが多く、大・中・小の大きさがある。タコはきれいな住処を好むと言われ、海中から引き揚げられたタコツボは、海藻やフジツボ等を取り除く作業が行われる。今は壊れにくいプラスチック製のタコツボや、タコ以外の漁獲物も獲れるタコ篭などを使う漁師が多くなっていると言う。【参考文献】『海の図鑑』海の博物館編・1988年発行 | 鳥羽市菅島町 | 1975.11.17 |
1010 | 菅島取材5-2-5 | 注連縄。各家庭の注連縄は「年神様」を祀るための依り代(目印)となるもので、邪気を払い神域を示す紙垂(しで)、子孫繁栄を象徴するダイダイやユズリハ、誠実・清廉潔白を象徴するウラジロ等が添えられることが多い。全国的には小正月の後に外されることが多いようであるが、鳥羽では一年中飾られるところが多く、その家に不幸事が起こるまで毎年新しい注連縄を重ねられていく所もある。最近は、市販されている物を飾る家が多くなったが、以前はどこの家でも家人が思いを込めて作ったものである。木札の表には「七福即生 七難即滅 蘇民将来子孫門」、裏には「急々如律令」と「魔除印=ドーマン・セーマン」が記される。 | 鳥羽市菅島町 | 1975.11.17 |
1011 | 菅島取材5-2-6 | (要調査) | 鳥羽市菅島町 | 1975.11.17 |
1012 | 菅島しろんご祭(複写写真)5-3-1 | 写真は紙焼き写真からの複写写真であるが、旧所蔵者及び撮影年代、撮影者などは明らかにされていない。「しろんご祭」は、例年旧暦6月11日に菅島町で行われてきた海女の祭事である。現在は菅島神社に合祀されているが、字白浜に祀られていた「白の宮(シロノゴさん)」の祭事で、白髭大明神祭とも言い竜神信仰の祭とされる。700年ほどの昔、菅島に現れた白蛇を竜神の使いと崇め、以来大漁と海上安全を祈願したのが始まりと言われる。祭日の朝、禁漁区とされている白浜に島内の海女が集まり、ホラ貝の合図で一斉に海に入り鮑をとる。黒・赤つがいの鮑が「掛けの魚」として神前に供えられるが、このつがいの鮑を最初にとった海女は「海女頭」として一年中尊敬される。鳥羽市の無形民俗文化財に指定されている。参考文献:鳥羽市編・発行『鳥羽市史 下巻』平成3年発行 | 鳥羽市菅島町 | (不明) |
1013 | 菅島しろんご祭(複写写真)5-3-2 | 菅島のシロンゴ祭。操業開始の合図が出され、一年間止め磯になっていた白浜(通称シロンゴの浜)から一斉に海に入る海女達。写真は紙焼き写真からの複写写真であるが、旧所蔵者及び撮影年代、撮影者などは明らかにされていない。 | 鳥羽市菅島町 | (不明) |
1014 | 菅島しろんご祭(複写写真)5-3-3 | 白い磯着が濡れている所を見ると、一潜目を終えたところだろうか。菅島は鳥羽でも、最もウエットスーツの着用が遅かった地域である。写真は紙焼き写真からの複写写真であるが、旧所蔵者及び撮影年代、撮影者などは明らかにされていない。 | 鳥羽市菅島町 | (不明) |
1015 | 菅島しろんご祭(複写写真)5-3-4 | 白い磯着が濡れている所を見ると、一潜目を終えたところだろうか。菅島は鳥羽でも、最もウエットスーツの着用が遅かった地域である。写真は紙焼き写真からの複写写真であるが、旧所蔵者及び撮影年代、撮影者などは明らかにされていない。 | 鳥羽市菅島町 | (不明) |
1016 | 菅島しろんご祭(複写写真)5-3-5 | 菅島しろんご祭。写真は紙焼き写真からの複写写真であるが、旧所蔵者及び撮影年代、撮影者などは明らかにされていない。 | 鳥羽市菅島町 | (不明) |
1017 | 菅島しろんご祭(複写写真)5-3-6 | 菅島しろんご祭。写真は紙焼き写真からの複写写真であるが、旧所蔵者及び撮影年代、撮影者などは明らかにされていない。 | 鳥羽市菅島町 | (不明) |
1018 | 菅島しろんご祭(複写写真)5-4-1 | 菅島しろんご祭。海上安全と大漁を祈る。写真は紙焼き写真からの複写写真であるが、旧所蔵者及び撮影年代、撮影者などは明らかにされていない。 | 鳥羽市菅島町 | (不明) |
1019 | 菅島しろんご祭(複写写真)5-4-2 | 菅島しろんご祭。写真は紙焼き写真からの複写写真であるが、旧所蔵者及び撮影年代、撮影者などは明らかにされていない。 | 鳥羽市菅島町 | (不明) |
1020 | 菅島しろんご祭(複写写真)5-4-3 | 菅島しろんご祭。写真は紙焼き写真からの複写写真であるが、旧所蔵者及び撮影年代、撮影者などは明らかにされていない。 | 鳥羽市菅島町 | (不明) |
1021 | 菅島しろんご祭(複写写真)5-4-4 | 菅島しろんご祭。写真は紙焼き写真からの複写写真であるが、旧所蔵者及び撮影年代、撮影者などは明らかにされていない。 | 鳥羽市菅島町 | (不明) |
1022 | 菅島しろんご祭(複写写真)5-4-5 | 菅島しろんご祭。祭が終わると、海女達は海女の用具を磯桶に入れ、頭に頂いて帰宅する。写真は紙焼き写真からの複写写真であるが、旧所蔵者及び撮影年代、撮影者などは明らかにされていない。 | 鳥羽市菅島町 | (不明) |
1023 | 菅島しろんご祭(複写写真)5-4-6 | 菅島しろんご祭。焚火を囲み冷えた躰を温める。写真は紙焼き写真からの複写写真であるが、旧所蔵者及び撮影年代、撮影者などは明らかにされていない。 | 鳥羽市菅島町 | (不明) |
1024 | 菅島しろんご祭(複写写真)5-5-1 | 菅島しろんご祭。写真は紙焼き写真からの複写写真であるが、旧所蔵者及び撮影年代、撮影者などは明らかにされていない。 | 鳥羽市菅島町 | (不明) |
1025 | 菅島しろんご祭(複写写真)5-5-2 | 菅島しろんご祭。焚火を囲み冷えた躰を温める。写真は紙焼き写真からの複写写真であるが、旧所蔵者及び撮影年代、撮影者などは明らかにされていない。 | 鳥羽市菅島町 | (不明) |
1026 | 菅島しろんご祭(複写写真)5-5-3 | 菅島しろんご祭。祭を終えたのだろう。帰宅の準備をする海女達。写真は紙焼き写真からの複写写真であるが、旧所蔵者及び撮影年代、撮影者などは明らかにされていない。 | 鳥羽市菅島町 | (不明) |
1027 | 菅島しろんご祭(複写写真)5-5-4 | 菅島しろんご祭。海女達が獲ってきた鮑や栄螺を集める祭の集荷場。写真は紙焼き写真からの複写写真であるが、旧所蔵者及び撮影年代、撮影者などは明らかにされていない。 | 鳥羽市菅島町 | (不明) |
1028 | 菅島しろんご祭(複写写真)5-6-1 | 菅島のシロンゴ祭。操業開始の合図が出され、一年間止め磯になっていた白浜(通称シロンゴの浜)から一斉に海に入る海女達。写真は紙焼き写真からの複写写真であるが、旧所蔵者及び撮影年代、撮影者などは明らかにされていない。 | 鳥羽市菅島町 | (不明) |
1029 | 石鏡の進水式様子11-2-1 | 船上には「祝大漁 鳥羽市石鏡町漁業協同組合」/「大漁 第五三忠丸 本浦大工村田正一」/「大漁 鳥羽市石鏡町 己徳造船所」/「祝 三忠丸 鳥羽市桃取町小浦嘉三」等と記された大漁旗が見える。アルバムのデータ記載欄には「石鏡 49.1.20」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1974.01.20 |
1030 | 石鏡の進水式様子11-2-2 | 船上には「祝大漁 鳥羽市石鏡町漁業協同組合」/「大漁 第五三忠丸 本浦大工村田正一」/「大漁 鳥羽市石鏡町 己徳造船所」/「祝 三忠丸 鳥羽市桃取町小浦嘉三」等と記された大漁旗が見える。アルバムのデータ記載欄には「49.1.20」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1974.01.20 |
1031 | 石鏡の進水式様子11-2-3 | 船上には「祝大漁 鳥羽市石鏡町漁業協同組合」/「大漁 第五三忠丸 本浦大工村田正一」/「大漁 鳥羽市石鏡町 己徳造船所」/「祝 三忠丸 鳥羽市桃取町小浦嘉三」等と記された大漁旗が見える。アルバムのデータ記載欄には「49.1.20」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1974.01.20 |
1032 | 石鏡の進水式様子11-2-4 | 船上には「祝大漁 鳥羽市石鏡町漁業協同組合」/「大漁 第五三忠丸 本浦大工村田正一」/「大漁 鳥羽市石鏡町 己徳造船所」/「祝 三忠丸 鳥羽市桃取町小浦嘉三」等と記された大漁旗が見える。アルバムのデータ記載欄には「49.1.20」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1974.01.20 |
1033 | 石鏡の進水式様子11-3-1 | 漁港で遊ぶ子供達。アルバムのデータ記載欄には「石鏡の進水式様子 49.1.20」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1974.01.20 |
1034 | 石鏡の進水式様子11-3-2 | 石鏡漁港の堤防から見た集落景観。写真右側の手前に広がる海は、今は埋め立てられて漁港の荷上場となっている。アルバムのデータ記載欄には「49.1.20」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1974.01.20 |
1035 | 石鏡の進水式様子11-3-3 | 船上には「祝大漁 鳥羽市石鏡町漁業協同組合」/「大漁 第五三忠丸 本浦大工村田正一」/「大漁 鳥羽市石鏡町 己徳造船所」/「祝 三忠丸 鳥羽市桃取町小浦嘉三」等と記された大漁旗が見える。アルバムのデータ記載欄には「石鏡の進水式様子 49.1.20」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1974.01.20 |
1036 | 石鏡の進水式様子11-3-4 | 船上には「祝大漁 鳥羽市石鏡町漁業協同組合」/「大漁 第五三忠丸 本浦大工村田正一」/「大漁 鳥羽市石鏡町 己徳造船所」/「祝 三忠丸 鳥羽市桃取町小浦嘉三」等と記された大漁旗が見える。アルバムのデータ記載欄には「石鏡の進水式様子 49.1.20」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1974.01.20 |
1037 | 石鏡の進水式様子11-3-5 | 船上には「祝大漁 鳥羽市石鏡町漁業協同組合」/「大漁 第五三忠丸 本浦大工村田正一」/「大漁 鳥羽市石鏡町 己徳造船所」/「祝 三忠丸 鳥羽市桃取町小浦嘉三」等と記された大漁旗が見える。アルバムのデータ記載欄には「石鏡の進水式様子 49.1.20」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1974.01.20 |
1038 | 石鏡11-4-1 | 海を眺める年配の男性。アルバムのデータ記載欄には「石鏡」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | (不明) |
1039 | 石鏡11-4-2 | 石鏡の海岸堤防。(具体的な場所は要調査) アルバムのデータ記載欄には「石鏡」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | (不明) |
1040 | 石鏡11-4-3 | 画像№1039と同じ石鏡の海岸堤防である。崖と浜の間の狭い道路を歩く住民。写真左にあるのはゴミの焼却炉である。男性が担いでいるのは、木製のトロ箱(海産物を入れる箱)。子どもたちはこの狭い堤防沿いを走り回り、ときに危ないと怒られることがあった。(「浜の遠声 石鏡の暮らし写真展」報告書より) | 鳥羽市石鏡町 | (不明) |
1041 | 石鏡11-4-4 | 女性の首から提げられた真鍮製らしきお守りには「三重縣志摩國本尊十一面観世音 青峯山正福寺」と記されている。青峯山正福寺は真言宗高野山派の寺院であるが、地元では「あおのみねさん」の愛称で親しまれ、海女や漁業者をはじめ海と係わる人々からは海上安全の祈願寺として深く信仰される。開基は天武天皇天平勝宝年中に僧行基が伊勢神宮に参詣したおり、神託を受けこの地に伽藍を築いたのが始まりだと伝えられる。本尊は相差村白浜の海中から鯨が運んできたという十一面観世音菩薩である。アルバムのデータ記載欄には「石鏡 おまもり」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | (不明) |
1042 | 石鏡11-4-5 | 女性の首から提げられた木製のお守りは、長い間使い続けているのか摩耗して図柄や文字は判読しずらいが、海女や海を生業とする人々の信仰の深さがわかる。アルバムのデータ記載欄には「石鏡 お守り」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | (不明) |
1043 | 石鏡11-4-6 | 石鏡漁港の南側に位置する港内風景である。船揚げが終わり、すべての船がきれいに並んだ状態。当時は一家に1?3隻(海女船、網船、ノリ養殖をしていた家はノリ用の船)あったため「とんでもない船の多さ」だった。子どもたちは船の間でかくれんぼをして遊ぶことがあった。ウエットスーツが干された船もみえる。写真右にあるコンクリートの建物は市場で、その背後、崖沿いに並ぶのが海女小屋。(「浜の遠声 石鏡の暮らし写真展」報告書より) アルバムのデータ記載欄には「石鏡港」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | (不明) |
1044 | 石鏡の進水式様子11-5-1 | 船上には「祝大漁 鳥羽市石鏡町漁業協同組合」/「大漁 第五三忠丸 本浦大工村田正一」/「大漁 鳥羽市石鏡町 己徳造船所」/「祝 三忠丸 鳥羽市桃取町小浦嘉三」等と記された大漁旗が見える。アルバムのデータ記載欄には「石鏡 船下ろし 49.1.20」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1974.01.20 |
1045 | 石鏡の進水式様子11-5-2 | 船上には「祝大漁 鳥羽市石鏡町漁業協同組合」/「大漁 第五三忠丸 本浦大工村田正一」/「大漁 鳥羽市石鏡町 己徳造船所」/「祝 三忠丸 鳥羽市桃取町小浦嘉三」等と記された大漁旗が見える。アルバムのデータ記載欄には「石鏡 船下ろし 49.1.20」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1974.01.20 |
1046 | 石鏡の進水式様子11-5-3 | 船上には「祝大漁 鳥羽市石鏡町漁業協同組合」/「大漁 第五三忠丸 本浦大工村田正一」/「大漁 鳥羽市石鏡町 己徳造船所」/「祝 三忠丸 鳥羽市桃取町小浦嘉三」等と記された大漁旗が見える。アルバムのデータ記載欄には「石鏡 船下ろし 49.1.20」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1974.01.20 |
1047 | 石鏡の進水式様子11-5-4 | 新造船の家族だろうか。男の子が堤防から立ち小便をしている。アルバムのデータ記載欄には「石鏡 船下ろし 49.1.20」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1974.01.20 |
1048 | 石鏡の進水式様子11-5-5 | 船上には「祝大漁 鳥羽市石鏡町漁業協同組合」/「大漁 第五三忠丸 本浦大工村田正一」/「大漁 鳥羽市石鏡町 己徳造船所」/「祝 三忠丸 鳥羽市桃取町小浦嘉三」等と記された大漁旗が見える。アルバムのデータ記載欄には「石鏡 船下ろし 49.1.20」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1974.01.20 |
1049 | 石鏡の進水式様子11-5-6 | 船上には「祝大漁 鳥羽市石鏡町漁業協同組合」/「大漁 第五三忠丸 本浦大工村田正一」/「大漁 鳥羽市石鏡町 己徳造船所」/「祝 三忠丸 鳥羽市桃取町小浦嘉三」等と記された大漁旗が見える。アルバムのデータ記載欄には「石鏡 船下ろし 49.1.20」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1974.01.20 |
1050 | 石鏡の進水式様子11-6-1 | 船上には「祝大漁 鳥羽市石鏡町漁業協同組合」/「大漁 第五三忠丸 本浦大工村田正一」/「大漁 鳥羽市石鏡町 己徳造船所」/「祝 三忠丸 鳥羽市桃取町小浦嘉三」等と記された大漁旗が見える。アルバムのデータ記載欄には「船下ろし 石鏡 49.1.20」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1974.01.20 |
1051 | 石鏡の進水式様子11-6-2 | 石鏡の集落景観であるが、写真中央左寄りに「清酒多聞 料理旅館江本屋」の看板が見える。アルバムのデータ記載欄には「船下ろし 49.1.20」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1974.01.20 |
1052 | 石鏡の進水式様子11-6-3 | アルバムのデータ記載欄には「伊豆の模型船 49.1.20」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1974.01.20 |
1053 | 石鏡の進水式様子11-6-4 | アルバムのデータ記載欄には「49.1.20」と記される。伊豆の模型船。№1052と同じ。 | 鳥羽市石鏡町 | 1974.01.20 |
1054 | 石鏡の進水式様子11-6-5 | アルバムのデータ記載欄には「49.1.20」と記される。伊豆の模型船。№1052と同じ。 | 鳥羽市石鏡町 | 1974.01.20 |
1055 | 石鏡の進水式様子11-6-6 | アルバムのデータ記載欄には「49.1.20」と記される。漁港で遊ぶ子供。№1033と同じ。 | 鳥羽市石鏡町 | 1974.01.20 |
1056 | 石鏡海女の出漁12-1-1 | 鳥羽市商工観光課の昭和48年11月1日現在(2023年)『鳥羽市海女就業者綴』によれば、石鏡の海女人数は241人。舟人71人、徒人160人、ノリアイ10人と記載されている。アルバムのデータ記載欄には「48.7.11 石鏡海女の出漁柄 ニコンF 榊原」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1973.07.11 |
1057 | 石鏡海女の出漁12-1-3 | 海女達が着替えを済ませて港に来る前に、船頭達は出漁の準備を済ませる。石鏡漁港の北側から南側を撮影した写真であるが、今は漁港整備によって埋め立てられ、手前の船揚場や海面部分は石鏡漁港の荷上場になっている。 | 鳥羽市石鏡町 | 1973.07.11 |
1058 | 石鏡海女の出漁12-1-4 | 石鏡漁港の港内風景。市営定期船が廃止されるのは、パールロードが整備された昭和50年に入ってからである。カメラを手に持って女性が立つ突堤は、市営定期船の発着場かも知れない。 | 鳥羽市石鏡町 | 1973.07.11 |
1059 | 石鏡海女の出漁12-1-5 | 石鏡漁港の港内風景。市営定期船が廃止されるのは、パールロードが整備された昭和50年に入ってからである。写真左上の突堤は、市営定期船の発着場かも知れない。 | 鳥羽市石鏡町 | 1973.07.11 |
1060 | 石鏡海女の出漁12-1-6 | 石鏡漁港の港内風景。市営定期船が廃止されるのは、パールロードが整備された昭和50年に入ってからである。写真左上の突堤は、市営定期船の発着場かも知れない。 | 鳥羽市石鏡町 | 1973.07.11 |
1061 | 石鏡海女の出漁12-2-1 | 石鏡漁港の港内風景。市営定期船が廃止されるのは、パールロードが整備された昭和50年に入ってからである。写真中央左の突堤は、市営定期船の発着場かも知れない。 | 鳥羽市石鏡町 | 1973.07.11 |
1062 | 石鏡海女の出漁12-2-2 | 石鏡漁港の港内風景。市営定期船が廃止されるのは、パールロードが整備された昭和50年に入ってからである。写真中央左の突堤は、市営定期船の発着場かも知れない。 | 鳥羽市石鏡町 | 1973.07.11 |
1063 | 石鏡海女の出漁12-2-3 | 石鏡漁港の南側に位置する港内風景である。石鏡漁港は昭和9年度に時局匡救事業で船溜を造成し、同13・14両年度で東防波堤と北防波堤の築造と船曳場の造成・浚渫を行い漁港としての形を整え、同26年12月に第1種漁港に指定されている。その後、同31・32年度で東防波堤の延長と船揚場を造成したが、漁船の増加と大型化が進み船揚場が狭くなったことから、同42~47年度に物揚場と船揚場を造成し泊地の浚渫を実施した。また、同48年からは整備計画漁港(第五次計画)の指定を受け、防波堤の築造、物揚場の造成、漁港用地の造成を続け平成5年度に終えた第8次整備計画で、ほぼ現在(2023年)の石鏡漁港が完成した。参考文献:『三重の漁港-第9次漁港整備長期計画』三重県漁港協会・平成7年発行 | 鳥羽市石鏡町 | 1973.07.11 |
1064 | 石鏡海女の出漁12-2-4 | 石鏡漁港の南側に位置する港内風景である。海女漁に出漁する準備をしているのであろう。多くの船は波打際まで降ろされているが、一艘の漁船は数人の漁師達によって、斜路の上から降ろされようとしている。何人かの漁師が手にしているのはコロと呼ばれる丸太や板材で、船底を痛めないように船の下に敷いて、その上に船を乗せて移動させていく。 | 鳥羽市石鏡町 | 1973.07.11 |
1065 | 石鏡海女の出漁12-2-5 | 石鏡漁港の南側に位置する港内風景である。海女漁に出漁する準備をしているのであろう。多くの船は波打際まで降ろされているが、一艘の漁船は数人の漁師達によって、今、斜路の上から降ろされたところである。 | 鳥羽市石鏡町 | 1973.07.11 |
1066 | 石鏡海女の出漁12-2-6 | 石鏡漁港の南側に位置する港内風景である。海女漁に出漁する準備をしているのであろう。多くの船は波打際まで降ろされているが、斜路の上に揚げられている船は、漁師達によって順次降ろされていく。 | 鳥羽市石鏡町 | 1973.07.11 |
1067 | 石鏡海女の出漁12-3-1 | 石鏡漁港の風景。海から潮を汲んで運ぶ様子。担い棒は、かまどで沸かすための水や、畑の肥料用の糞尿を運ぶためにも用いた。畑が遠方にあるため、重い糞尿をかついで長い距離を歩くこともしばしばだった。当時は写真にあるような笠をよく被っていたという。海女漁の前後に畑仕事や家事をしたりと、昔も今も忙しい。(「浜の遠声 石鏡の暮らし写真展」報告書より) | 鳥羽市石鏡町 | 1973.07.11 |
1068 | 石鏡海女の出漁12-3-2 | 石鏡漁港の風景。一斗缶程の丸い缶を二つ、担い棒で運ぶ女性。塩水をくみに来たのであろうか?。(要調査) | 鳥羽市石鏡町 | 1973.07.11 |
1069 | 石鏡海女の出漁12-3-3 | 石鏡漁港の風景。一斗缶程の丸い缶を二つ、担い棒で運ぶ女性。塩水をくみに来たのであろうか?。(要調査) | 鳥羽市石鏡町 | 1973.07.11 |
1070 | 石鏡海女の出漁12-3-4 | 石鏡漁港の風景。一斗缶程の丸い缶を二つ、担い棒で運ぶ女性。塩水をくみに来たのであろうか?。(要調査) | 鳥羽市石鏡町 | 1973.07.11 |
1071 | 石鏡海女の出漁12-3-5 | 石鏡漁港の南側に位置する港内風景である。海女漁に出漁する準備をしているのであろう。多くの船は波打際まで降ろされているが、まだ斜路の上に揚げられていた漁船の一艘が、数人の漁師達によって降ろされたところである。 | 鳥羽市石鏡町 | 1973.07.11 |
1072 | 石鏡海女の出漁12-3-6 | 石鏡漁港の南側に位置する港内風景である。 | 鳥羽市石鏡町 | 1973.07.11 |
1073 | 石鏡海女の出漁12-4-1 | 石鏡漁港の南側に位置する港内風景である。海女達はウエットスーツに着替え、港で待つ漁船へと急ぐ。 | 鳥羽市石鏡町 | 1973.07.11 |
1074 | 石鏡海女の出漁12-4-2 | 石鏡漁港の南側に位置する港内風景である。海女達はウエットスーツに着替え、港で待つ漁船へと急ぐ。手には竹篭やナイロン袋等が握られているが、海女漁に用いる用具類が入れられている物と思われる。 | 鳥羽市石鏡町 | 1973.07.11 |
1075 | 石鏡海女の出漁12-4-3 | 石鏡漁港の南側に位置する港内風景である。海女達はウエットスーツに着替え、港で待つ漁船へと急ぐ。手には竹篭やナイロン袋等が握られているが、海女漁に用いる用具類が入れられている物と思われる。 | 鳥羽市石鏡町 | 1973.07.11 |
1076 | 石鏡海女の出漁12-4-4 | 石鏡漁港の南側に位置する港内風景である。海女達はウエットスーツに着替え、港で待つ漁船へと急ぐ。手には竹篭やナイロン袋等が握られているが、海女漁に用いる用具類が入れられている物と思われる。 | 鳥羽市石鏡町 | 1973.07.11 |
1077 | 石鏡海女の出漁12-4-5 | 石鏡漁港の南側に位置する港内風景である。海女達はウエットスーツに着替え、港で待つ漁船へと急ぐ。写真中央右下の海女の腰にはスカリらしきものも付けられている。 | 鳥羽市石鏡町 | 1973.07.11 |
1078 | 石鏡海女の出漁12-4-6 | 石鏡漁港の南側に位置する港内風景である。海女達はウエットスーツに着替え、港で待つ漁船へと急ぐ。写真中央右下の海女の腰にはスカリらしきものも付けられている。 | 鳥羽市石鏡町 | 1973.07.11 |
1079 | 石鏡海女の出漁12-5-1 | 石鏡漁港の南側に位置する港内風景である。写真の至るところに海女と船頭がいて、浜の活気が伝わる。石鏡では昭和40年(1965年)代前半にウエットスーツが導入されたという。見た目が当時流行していたダッコちゃん人形に似ていたという理由で、ウエットスーツは「ダッコちゃん」とも呼ばれた。発泡スチロールのタンポではなく、木製の桶を使用している。写真左奥の、長方形の建物はアワビの蓄養施設である。(「浜の遠声 石鏡の暮らし写真展」報告書より) | 鳥羽市石鏡町 | 1973.07.11 |
1080 | 石鏡海女の出漁12-5-2 | 石鏡漁港の南側に位置する港内風景である。海女達はウエットスーツに着替え、磯桶を小脇に抱えて港で待つ漁船へと急ぐ。 | 鳥羽市石鏡町 | 1973.07.11 |
1081 | 石鏡海女の出漁12-5-3 | 石鏡漁港の南側に位置する港内風景である。海女達はウエットスーツに着替え、磯桶を小脇に抱えて港で待つ漁船へと急ぐ。 | 鳥羽市石鏡町 | 1973.07.11 |
1082 | 石鏡海女の出漁12-5-4 | 石鏡漁港の南側に位置する港内風景である。海女達はウエットスーツに着替え、磯桶を小脇に抱えて港で待つ漁船へと急ぐ。 | 鳥羽市石鏡町 | 1973.07.11 |
1083 | 石鏡海女の出漁12-5-5 | 石鏡漁港の南側に位置する港内風景である。いざ海女船に乗り込むところ。現在(2023年)は、漁がある日は「本日は海女に行きます」と町内放送があるが、当時はクチマエと呼ばれる海女の取りまとめ役の男性が「出てこいよー!」と声をかけた。石鏡の船は地元にあった2軒の造船所(巳徳(みとく)造船と協生(きょうせい)造船)で製造され、この時期は動力なしの木造船と動力つきの木造船が混在していた。写真右奥、電信柱の後ろの建物周辺に木造の映画館があった。石鏡に映画館があったことを誇らしげに話す住民が何人もおり、子ども時代に勉強をさぼって映画館に行き怒られたという話もあった。映画は内容によって値段が20?50円程度と異なり、美空ひばりが出演する映画や忠臣蔵などが人気だった。中は土間で、長椅子の代わりに板が渡してあった。廃業後、子どもたちは建物の不気味さに「お化け屋敷」と呼んでいたという。(「浜の遠声 石鏡の暮らし写真展」報告書より) | 鳥羽市石鏡町 | 1973.07.11 |
1084 | 石鏡海女の出漁12-5-6 | 石鏡漁港の南側に位置する港内風景である。ウエットスーツに着替えた海女達が、それぞれの海女舟へと乗り込む。 | 鳥羽市石鏡町 | 1973.07.11 |
1085 | 石鏡海女の出漁12-6-1 | 石鏡漁港の南側に位置する港内風景である。これから港の海女船へと向かうのであろう。カンゴ(竹篭)やスカリを手にする海女。昭和期、ウエットスーツは石鏡町内でつくられていた。背中にファスナーがあるものだけでなく、写真のように前にファスナーがついたものも使用されていた。ウエットスーツを着脱しやすい、中に入り込んだ水を出しやすいというメリットがあった。(「浜の遠声 石鏡の暮らし写真展」報告書より) | 鳥羽市石鏡町 | 1973.07.11 |
1086 | 石鏡海女の出漁12-6-2 | 石鏡漁港の南側に位置する港内風景である。ウエットスーツに着替えた海女達が、それぞれの海女舟へと乗り込む。 | 鳥羽市石鏡町 | 1973.07.11 |
1087 | 石鏡海女の出漁12-6-3 | 石鏡漁港の南側に位置する港内風景である。ウエットスーツに着替えた海女達が、それぞれの海女舟へと乗り込む。 | 鳥羽市石鏡町 | 1973.07.11 |
1088 | 石鏡海女の出漁12-6-4 | 石鏡漁港の南側に位置する港内風景である。舟人の海女で、男性は船頭だろうか。カンゴとよぶ竹篭やスカリを手に話をする海女。 | 鳥羽市石鏡町 | 1973.07.11 |
1089 | 石鏡海女の出漁12-6-5 | 石鏡漁港の南側に位置する港内風景である。ウエットスーツに着替えを済ませた海女が乗り込み、準備の終わった海女船から出港していく。 | 鳥羽市石鏡町 | 1973.07.11 |
1090 | 石鏡海女の出漁12-6-6 | 石鏡漁港の南側に位置する港内風景である。ウエットスーツに着替えを済ませた海女が乗り込み、準備の終わった海女船から出港していく。 | 鳥羽市石鏡町 | 1973.07.11 |
1091 | 国崎の海女1-2-1 | 国崎漁港の風景。新年を迎えるためか陸揚げされた漁船に「久吉丸」の大漁旗が立つ。また、船舶登録番号「ME3-33499/ME3-34245」の記号も見える。アルバムのデータ記載欄には「49.1.2」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1974.01.02 |
1092 | 国崎の海女1-2-2 | 崖を背にしながら浜辺に近く風が最も当たりにくい場所を選んで、竹で周囲を囲った海女小屋だと思われる。アルバムのデータ記載欄には「49.1.2」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1974.01.02 |
1093 | 国崎の海女1-2-4 | 通称大津浜(オオツハマ)と呼ばれる国崎漁港とその周辺の集落景観である。国崎の海域は「伊勢の神前、国崎の鎧、波切大王なけりゃよい」とまで船乗り達に恐れられた海の難所である。写真は昭和48年度から始まった第5次整備計画の修築事業中で、まだ漁船は直接係留がされず陸に揚げられている。参考文献:『三重の漁港1971/1995』 写真の船には正月の大漁旗が掲げられており、写真手前には網を干す竿や広げられた網が写り込んでいる。写真右手(浜の向こう側)には、設置前の消波ブロックがあり、写真中央にはブロック造りの海女小屋がある。その近くには網干竿があり、後ろには笹で作った塀のような風よけが立てられている。漁港整備前は大津浜によく強風が吹きつけたため、このような風よけを作った。(「海辺の毎日 国崎の暮らし写真展」報告書より)アルバムのデータ記載欄には「49.1.2」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1974.01.02 |
1094 | 国崎の海女1-2-5 | 崖を背にしながら浜辺に近く風が最も当たりにくい場所を選んで、竹で周囲を囲った海女小屋だと思われる。アルバムのデータ記載欄には「49.1.2」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1974.01.02 |
1095 | 国崎の海女1-2-6 | 崖を背にしながら浜辺に近く風が最も当たりにくい場所を選んで、竹で周囲を囲った海女小屋だと思われる。アルバムのデータ記載欄には「49.1.2」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1974.01.02 |
1096 | 国崎の海女1-3-1 | 徒人の海女具だろうか、フゴやイソカゴにメガネ箱や磯着などが入れられている。アルバムのデータ記載欄には「国崎海女具49.5.9」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1974.05.09 |
1097 | 国崎の海女1-3-2 | 陸に引き揚げられた「■信丸」と記された漁船の前を老婦人が一人歩く。アルバムのデータ記載欄には「S49年 国崎」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1974.05.09 |
1098 | 国崎の海女1-3-3 | 徒人及びノリアイ海女の操業風景。アルバムのデータ記載欄には「S49年 国崎」と記される。アルバムのデータ記載欄には「S49年 国崎」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1974.05.09 |
1099 | 国崎の海女1-3-4 | 徒人及びノリアイ海女の操業風景。アルバムのデータ記載欄には「S49年 国崎」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1974.05.09 |
1100 | 国崎の海女1-3-5 | 徒人及びノリアイ海女の操業風景。アルバムのデータ記載欄には「S49年 国崎」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1974.05.09 |
1101 | 国崎の海女1-3-6 | 徒人及びノリアイ海女の操業風景。アルバムのデータ記載欄には「S49年 国崎」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1974.05.09 |
1102 | 国崎の海女1-4-1 | 徒人及びノリアイ海女の操業風景。アルバムのデータ記載欄には「S49.5.9 AM 鳥羽市国崎」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1974.05.09 |
1103 | 国崎の海女1-4-2 | 徒人及びノリアイ海女の操業風景。アルバムのデータ記載欄には「S49.5.9 AM 鳥羽市国崎」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1974.05.09 |
1104 | 国崎の海女1-4-3 | 徒人及びノリアイ海女の操業風景。アルバムのデータ記載欄には「S49.5.9 AM 鳥羽市国崎」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1974.05.09 |
1105 | 国崎の海女1-4-4 | 磯着や日除けの帽子が入れられたフゴ、水筒の入ったイソカゴと共にメガネ箱や担い棒などが写される。アルバムのデータ記載欄には「S49.5.9 AM 鳥羽市国崎」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1974.05.09 |
1106 | 国崎の海女1-4-5 | フゴ、イソカゴ、メガネ箱、薪などが写される。アルバムのデータ記載欄には「S49.5.9 AM 鳥羽市国崎」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1974.05.09 |
1107 | 国崎の海女1-4-6 | 国崎の街角風景。ドラム缶の横で、子供を背負い日傘を差す女性が写される。アルバムのデータ記載欄には「S49.5.9 AM 鳥羽市国崎」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1974.05.09 |
1108 | 国崎の海女1-5-1 | 浜辺で暖をとる海女達。AMと記されていることから午前の一潜を終え、午後からの二潜目に備えた休息の風景である。写真左端にウエットスーツのゴム帽子が干されているが、磯着に着替えカマドを囲んで冷えた躰を温める。アルバムのデータ記載欄には「S49.5.9 AM 鳥羽市国崎」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1974.05.09 |
1109 | 国崎の海女1-5-2 | 浜辺で暖をとる海女達。AMと記されていることから午前の一潜を終え、午後からの二潜目に備えた休息の風景である。写真左端にウエットスーツのゴム帽子が干されているが、磯着に着替えカマドを囲んで冷えた躰を温める。アルバムのデータ記載欄には「S49.5.9 AM 鳥羽市国崎」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1974.05.09 |
1110 | 国崎の海女1-5-3 | 浜辺で暖をとる海女達。AMと記されていることから午前の一潜を終え、午後からの二潜目に備えた休息の風景である。濡れたウエットスーツを干し、磯着に着替えてカマドを囲んで冷えた躰を温める。周囲にはタンポやフゴ、イソカゴ、メガネ箱などが置かれている。アルバムのデータ記載欄には「S49.5.9 AM 鳥羽市国崎」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1974.05.09 |
1111 | 国崎の海女1-5-4 | 午前の一潜(ひとかづき)を終え、午後からの二潜(ふたかづき)目に備えた休息の風景である。周囲にはタンポやフゴ、イソカゴ、メガネ箱などが置かれている。ウエットスーツがかけられているのは、網の干場を転用したものではないかという。海女が着用している絣のナカネは、現在(2023年)ではほぼ見られなくなった。保温性に優れ、美しい絣だったという。「ヨウノマエカケ」とも呼ばれていた。アルバムのデータ記載欄には「S49.5.9 AM 鳥羽市国崎」と記される。(「海辺の毎日 国崎の暮らし写真展」報告書より) | 鳥羽市国崎町 | 1974.05.09 |
1112 | 国崎の海女1-5-5 | 浜辺で暖をとる海女達。AMと記されていることから午前の一潜を終え、午後からの二潜目に備えた休息の風景である。濡れたウエットスーツを干し、磯着に着替えてカマドを囲んで冷えた躰を温める。周囲にはタンポやフゴ、イソカゴ、メガネ箱などが置かれている。アルバムのデータ記載欄には「S49.5.9 AM 鳥羽市国崎」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1974.05.09 |
1113 | 国崎の海女1-5-6 | 浜辺で暖をとる海女達。AMと記されていることから午前の一潜を終え、午後からの二潜目に備えた休息の風景である。濡れたウエットスーツを干し、磯着に着替えてカマドを囲んで冷えた躰を温める。周囲にはタンポやフゴ、イソカゴ、メガネ箱などが置かれている。アルバムのデータ記載欄には「S49.5.9 AM 鳥羽市国崎」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1974.05.09 |
1114 | 国崎の海女1-6-1 | アルバムのデータ記載欄には「S49.5.9 AM 鳥羽市国崎」と記される。浜辺で暖をとる海女達。AMと記されていることから午前の一潜を終え、午後からの二潜目に備えた休息の風景である。濡れたウエットスーツを干し、磯着に着替えてカマドを囲んで冷えた躰を温める。周囲にはタンポやフゴ、イソカゴ、メガネ箱などが置かれている。 | 鳥羽市国崎町 | 1974.05.09 |
1115 | 国崎の海女1-6-2 | AMと記されていることから午前の一潜を終え、午後からの二潜目に備えた休息の風景である。濡れたウエットスーツが干され、周囲にはタンポやフゴ、イソカゴ、メガネ箱などが置かれている。アルバムのデータ記載欄には「S49.5.9 AM 鳥羽市国崎」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1974.05.09 |
1116 | 国崎の海女1-6-3 | 浜辺で暖をとる海女達。AMと記されていることから午前の一潜を終え、午後からの二潜目に備えた休息の風景である。濡れたウエットスーツを干し、磯着に着替えてカマドを囲んで冷えた躰を温める。周囲にはタンポやフゴ、イソカゴ、メガネ箱などが置かれている。アルバムのデータ記載欄には「S49.5.9 AM 鳥羽市国崎」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1974.05.09 |
1117 | 国崎の海女1-6-4 | 浜辺で暖をとる海女達。AMと記されていることから午前の一潜を終え、午後からの二潜目に備えた休息の風景である。濡れたウエットスーツを干し、磯着に着替えてカマドを囲んで冷えた躰を温める。周囲にはフゴやイソカゴなどが置かれている。アルバムのデータ記載欄には「S49.5.9 AM 鳥羽市国崎」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1974.05.09 |
1118 | 国崎の海女1-6-5 | 浜辺で暖をとる海女達。AMと記されていることから午前の一潜を終え、午後からの二潜目に備えた休息の風景である。濡れたウエットスーツを干し、磯着に着替えてカマドを囲んで冷えた躰を温める。周囲にはフゴやイソカゴなどが置かれている。アルバムのデータ記載欄には「S49.5.9 AM 鳥羽市国崎」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1974.05.09 |
1119 | 国崎の海女1-6-6 | 浜辺で暖をとる海女達。AMと記されていることから午前の一潜を終え、午後からの二潜目に備えた休息の風景である。濡れたウエットスーツを干し、磯着に着替えてカマドを囲んで冷えた躰を温める。周囲にはフゴやイソカゴなどが置かれている。アルバムのデータ記載欄には「S49.5.9 AM 鳥羽市国崎」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1974.05.09 |
1120 | 国崎の海女2-1-1 | 徒人海女の操業風景かと思われる。アルバムのデータ記載欄には「S49.5.9 AM 国崎」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1974.05.09 |
1121 | 国崎の海女2-1-2 | 徒人海女の操業風景かと思われる。アルバムのデータ記載欄には「S49.5.9 AM 国崎」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1974.05.09 |
1122 | 国崎の海女2-1-3 | 徒人海女の操業風景かと思われる。発泡スチロールになる以前の木製のタンポに掴まり、息を整える海女。アルバムのデータ記載欄には「S49.5.9 AM 国崎」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1974.05.09 |
1123 | 国崎の海女2-1-4 | 徒人海女の操業風景かと思われる。ハッポースチロールになる以前の木製のタンポに掴まり、息を整える海女。手前には発泡スチロールのタンポも浮かぶ。アルバムのデータ記載欄には「S49.5.9 AM 国崎」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1974.05.09 |
1124 | 国崎の海女2-1-5 | 徒人海女の操業風景かと思われる。ハッポースチロールになる以前の木製のタンポと、手前には発泡スチロールのタンポも浮かぶ。アルバムのデータ記載欄には「S49.5.9 AM 国崎」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1974.05.09 |
1125 | 国崎の海女2-1-6 | 徒人海女の操業風景かと思われる。アルバムのデータ記載欄には「S49.5.9 AM 国崎」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1974.05.09 |
1126 | 国崎の海女2-2-1 | 徒人海女の操業風景かと思われる。潜水中の海女の前方に発泡スチロールのタンポが浮かぶ。アルバムのデータ記載欄には「S49.5.9 AM 国崎」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1974.05.09 |
1127 | 国崎の海女2-2-2 | 徒人海女の操業風景かと思われる。発泡スチロールのタンポに掴まり息を整える。アルバムのデータ記載欄には「S49.5.9 AM 国崎」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1974.05.09 |
1128 | 国崎の海女2-2-3 | 徒人海女の操業風景かと思われる。潜水中の海女。アルバムのデータ記載欄には「S49.5.9 AM 国崎」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1974.05.09 |
1129 | 国崎の海女2-2-4 | 徒人海女の操業風景かと思われる。浮上中の海女。アルバムのデータ記載欄には「S49.5.9 AM 国崎」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1974.05.09 |
1130 | 国崎の海女2-2-5 | 徒人海女の操業風景かと思われる。潜水中の海女の前方に発泡スチロールのタンポが浮かぶ。アルバムのデータ記載欄には「S49.5.9 AM 国崎」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1974.05.09 |
1131 | 国崎の海女2-2-6 | 国崎の漁港風景。小型の定置網だろうか、漁師達が錨と網の修繕を進める。アルバムのデータ記載欄には「S49.5.9 AM 国崎」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1974.05.09 |
1132 | 国崎の海女2-3-1 | 徒人海女の操業風景かと思われる。潜水中の海女の前方に発泡スチロールのタンポが浮かぶ。アルバムのデータ記載欄には「S49.5.9 AM 国崎」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1974.05.09 |
1133 | 国崎の海女2-3-2 | 徒人海女の操業風景かと思われる。発泡スチロールになる以前の木製のタンポが浮かぶ。アルバムのデータ記載欄には「S49.5.9 AM 国崎」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1974.05.09 |
1134 | 国崎の海女2-3-3 | 徒人海女の操業風景かと思われる。アルバムのデータ記載欄には「S49.5.9 AM 国崎」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1974.05.09 |
1135 | 国崎の海女2-3-4 | 国崎の街角風景。男児が一人菓子袋を手に歩く。アルバムのデータ記載欄には「S49.5.9 AM 国崎」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1974.05.09 |
1136 | 国崎の海女2-3-5 | 国崎の街角風景。男児が一人菓子袋を手に歩く。アルバムのデータ記載欄には「S49.5.9 AM 国崎」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1974.05.09 |
1137 | 国崎の海女2-4-1 | 国崎の海女漁の出漁風景。「ME3-27285」船舶登録番号が読み取れる。アルバムのデータ記載欄には「国崎 49.8.10」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1974.08.10 |
1138 | 国崎の海女2-4-2 | 国崎の海女漁の出漁風景。「ME3-33241」船舶登録番号が読み取れる。アルバムのデータ記載欄には「国崎 49.8.10」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1974.08.10 |
1139 | 国崎の海女2-4-3 | 国崎の海女漁の出漁風景。船尾に「佐栄(丸)」及び「清宝(丸)」の船名が読み取れる。アルバムのデータ記載欄には「国崎 49.8.10」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1974.08.10 |
1140 | 国崎の海女2-4-4 | 国崎の海女の船上風景。ウエットスーツを着込み、磯手拭いを頭に被り、腰には鉛のベルトとスカリを付けている。アルバムのデータ記載欄には「国崎 49.8.10」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1974.08.10 |
1141 | 国崎の海女2-4-5 | 国崎の海女の船上風景。ウエットスーツを着込み、磯手拭いを頭に被り、スカリを付ける準備を進める。アルバムのデータ記載欄には「国崎 49.8.10」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1974.08.10 |
1142 | 国崎の海女2-4-6 | 国崎の舟人海女の船上風景。ウエットスーツを着込み、頭に被った磯手拭いの上から磯メガネをかけて操業開始の合図を待つ。船頭は艪で海女が潜る磯場に船を留める。アルバムのデータ記載欄には「国崎 49.8.10」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1974.08.10 |
1143 | 国崎の海女2-5-1 | 国崎の舟人海女の船上風景。海底から浮上した海女は船縁に掴まり息を整える。岸に近い陸では数人の徒人海女が操業を続ける。写真右手は国崎の集落で、二階建ての民家の右横の道路は山腹に見えるパールロードへと続く取り付け道路。民家の左手は国崎の墓地で相差町へと続く市道である。アルバムのデータ記載欄には「国崎 49.8.10」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1974.08.10 |
1144 | 国崎の海女2-5-2 | 国崎の舟人海女の操業風景。海底の海女から合図があったのだろう。船頭は懸命に命綱をたぐり上げる。アルバムのデータ記載欄には「国崎 49.8.10」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1974.08.10 |
1145 | 国崎の海女2-5-3 | 国崎の舟人海女の操業風景。船縁で息を整える海女と、次の潜水のタイミングをはかる船頭。船上の竿には「丸に青」の字を染め抜いた海上安全の祈願寺・青峯山正福寺の旗が取付けられている。アルバムのデータ記載欄には「国崎 49.8.10」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1974.08.10 |
1146 | 国崎の海女2-5-4 | 国崎の舟人海女の操業風景。海底から浮上した海女。船上の竿には「丸に青」の字を染め抜いた海上安全の祈願寺・青峯山正福寺の旗が取付けられている。アルバムのデータ記載欄には「国崎 49.8.10」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1974.08.10 |
1147 | 国崎の海女2-5-5 | 国崎の舟人海女の操業風景。船縁で息を整える海女。写真右端に見える灯台は国崎の鎧崎灯台である。この灯台は、昭和38年2月27日点灯。八角形のコンクリート造りで高さ9.61m、平均水面からの高さ26.06m。灯質は明暗白光・明3秒暗3秒。実効光度110カンデラ。光達距離は5.5海里とされる。【参考文献】第四管区海上保安本部編・発行『航路標識一覧表』平成23年発行 アルバムのデータ記載欄には「国崎 49.8.10」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1974.08.10 |
1148 | 国崎の海女2-5-6 | 国崎の舟人海女の操業風景。海底の海女から合図を待つ船頭。アルバムのデータ記載欄には「国崎 49.8.10」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1974.08.10 |
1149 | 国崎の海女2-6-1 | 国崎の海女用具。写真右からメガネ箱と磯メガネ、カギノミ、コノミ、オオザシ(エノミ)。アルバムのデータ記載欄には「国崎 49.8.10」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1974.08.10 |
1150 | 国崎の海女2-6-2 | 国崎の海女用具。写真右からメガネ箱と磯メガネ鏡、カギノミ、コノミ、オオザシ(エノミ)。アルバムのデータ記載欄には「国崎 49.8.10」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1974.08.10 |
1151 | 国崎の海女2-6-3 | 国崎の海女用具。写真右からイソカゴ、スカリ。アルバムのデータ記載欄には「国崎 49.8.10」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1974.08.10 |
1152 | 国崎の海女2-6-5 | 崖を背にしながら浜辺に近く風が最も当たりにくい場所を選んで、竹で周囲を囲って作られた海女小屋。アルバムのデータ記載欄には「国崎の海女小屋 49.12.14」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1974.08.10 |
1153 | 国崎の海女2-6-6 | 崖を背にしながら浜辺に近く風が最も当たりにくい場所を選んで、竹で周囲を囲って作られた海女小屋。アルバムのデータ記載欄には「国崎の海女小屋 49.12.14」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1974.08.10 |
1154 | 国崎の海女3-1-1 | 国崎の八幡祭の弓引き神事の祭場か? | 鳥羽市国崎町 | (不明) |
1155 | 国崎の海女3-1-2 | 国崎の集落風景。 | 鳥羽市国崎町 | (不明) |
1156 | 国崎の海女3-1-3 | 国崎町の集落の背後にある、地元の人達が「小富士山」とか「浅間山」と呼ぶ山か?。山の山頂付近には「浅間社」の社が建てられている。 | 鳥羽市国崎町 | (不明) |
1157 | 国崎の海女3-1-4 | 国崎の集落風景。 | 鳥羽市国崎町 | (不明) |
1158 | 国崎の海女3-2-1 | 二十数隻の海女船が国崎の大津浜(オオツハマ)から出漁する風景である。フナド(舟人)海女やノリアイの海女船が写される。木造船からプラスチック船への過渡期で、この写真は木造船、プラスチック船、船外機、沿岸漁業(クルマエビなど)用の船舶という、当時国崎にあったすべての種類の船が写っている貴重な1枚だという。船上では海女がハリザオで船の角度調整をしている。船が大きいとハリザオが使いづらくなるため、海女船は大型化されなかった。浜辺には、船の上げ下ろしに用いた丸太のコロが並べられている。コロを「スベリ」と呼ぶ人もいた。(「海辺の毎日 国崎の暮らし写真展」報告書より)アルバムのデータ記載欄には「S54.6.11 口明 磯に向かう船」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1979.06.11 |
1159 | 国崎の海女3-2-2 | 二十数隻の海女船が国崎のオオツハマ(大津浜)から出漁する風景である。舟人海女やノリアイの海女船が写される。浜辺には船の上げ下ろしに用いたと思われる丸太のコロが並べられている。アルバムのデータ記載欄には「S54.6.11 口明 磯に向かう船」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1979.06.11 |
1160 | 国崎の海女3-3-1 | 崖を背にしながら浜辺に近く風が最も当たりにくい場所を選んで、竹で周囲を囲って作られた海女小屋。アルバムのデータ記載欄には「56.1.17」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1981.01.17 |
1161 | 国崎の海女3-3-2 | 現在(2023年)の鳥羽磯部漁協国崎支所の市場の向かいにあった、笹で作られた海女小屋。海女のお手製で、複数の囲いを重ねるため風はほとんど通さなかった。風除として、入り口に筵をかけることもあった。 海女小屋の立地は、風が当たりにくい崖の下が選ばれている。昭和中期頃まではこのような笹の海女小屋があちこちにあった。写真の海女小屋の近くにはタコカゴが積まれ、その後ろには、当時中間育成をしていた蓄養所の建物の一部が見えている。アルバムのデータ記載欄には「56.1.17」と記される。(「海辺の毎日 国崎の暮らし写真展」報告書より) | 鳥羽市国崎町 | 1981.01.17 |
1162 | 国崎の海女3-3-3 | 宴席。男性、女性各1名。要調査 | 鳥羽市国崎町 | (1981.01.17) |
1163 | 国崎の海女3-3-4 | 宴席。男性、女性各1名。要調査 | 鳥羽市国崎町 | (1981.01.17) |
1164 | 国崎の海女3-3-5 | 男性、女性各1名。男性は野村史隆氏か?要調査 | 鳥羽市国崎町 | (1981.01.17) |
1165 | 国崎の海女3-3-6 | 海女の操業風景。 | 鳥羽市国崎町 | (1981.01.17) |
1166 | 国崎の海女3-3-7 | 海女の操業風景。右手にはカギノミを持つ。 | 鳥羽市国崎町 | (1981.01.17) |
1167 | 国崎の海女3-3-8 | 操業を終えて帰港した海女船の船上げ風景。船頭と二人の海女が船を陸へと上げる。浜辺には丸太のコロが並べられている。船尾には「漁昌(丸)」の船名が記される。 | 鳥羽市国崎町 | (1981.01.17) |
1168 | 国崎の海女3-3-9 | 操業を終えて帰港した海女船の船上げ風景。船頭と二人の海女が船を陸へと上げる。浜辺には丸太のコロが並べられている。船尾には「漁昌(丸)」の船名が記される。 | 鳥羽市国崎町 | (1981.01.17) |
1169 | 国崎海女 ウニ取り 世古昌男の舟3-4-3 | 舟人海女の操業風景。アルバムのデータ記載欄には「S53.9.20AM 国崎海女 ウニ取り・世古昌男の船」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1978.09.20 |
1170 | 国崎海女 ウニ取り 世古昌男の舟3-4-4 | 舟人海女の操業風景。船縁に取付けられたイソグルマの下に吊されたイソカゴにはウニが入れられている。アルバムのデータ記載欄には「S53.9.20AM 国崎海女 ウニ取り・世古昌男の船」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1978.09.20 |
1171 | 国崎海女 ウニ取り 世古昌男の舟3-4-5 | 舟人海女の操業風景。命綱を右手に浮上した海女。イソカゴにはウニが入れられている。アルバムのデータ記載欄には「S53.9.20AM 国崎海女 ウニ取り・世古昌男の船」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1978.09.20 |
1172 | 国崎海女 ウニ取り 世古昌男の舟3-4-6 | 舟人海女の操業風景。船縁で息を整え、次の潜水に備える海女。船縁に取付けられたイソグルマの下に吊されたイソカゴにはウニが入れられている。アルバムのデータ記載欄には「S53.9.20AM 国崎海女 ウニ取り・世古昌男の船」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1978.09.20 |
1173 | 国崎海女 ウニ取り 世古昌男の舟3-5-1 | 舟人海女の操業風景。船縁で息を整え、次の潜水に備える海女。船縁に取付けられたイソグルマの下に吊されたイソカゴにはウニが入れられている。船頭は左手で艪を操り、海女の潜水を待つ。アルバムのデータ記載欄には「S53.9.20AM 国崎海女 ウニ取り・世古昌男の船」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1978.09.20 |
1174 | 国崎海女 ウニ取り 世古昌男の舟3-5-2 | 舟人海女の操業風景。船縁で息を整え、次の潜水に備える海女。船縁に吊されたイソカゴにはウニが入れられている。アルバムのデータ記載欄には「S53.9.20AM 国崎海女 ウニ取り・世古昌男の船」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1978.09.20 |
1175 | 国崎海女 ウニ取り 世古昌男の舟3-5-3 | 舟人海女の操業風景。船縁で息を整えた後、潜水を始めようとする海女。船縁に取付けられたイソグルマの下に吊されたイソカゴにはウニが入れられている。アルバムのデータ記載欄には「S53.9.20AM 国崎海女 ウニ取り・世古昌男の船」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1978.09.20 |
1176 | 国崎海女 ウニ取り 世古昌男の舟3-5-4 | 舟人海女の操業風景。右手にカギノミを握り、命綱で海面へと引き上げられた海女。船縁に取付けられたイソグルマの下に吊されたイソカゴにはウニが入れられている。アルバムのデータ記載欄には「S53.9.20AM 国崎海女 ウニ取り・世古昌男の船」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1978.09.20 |
1177 | 国崎海女 ウニ取り 世古昌男の舟3-5-5 | 舟人海女の操業風景。午前の一潜目の操業も終わりなのか、ウニが入れられたイソカゴは船頭によって船上に上げられている。イソグルマもすでに船頭の後に取り外されている。アルバムのデータ記載欄には「S53.9.20AM 国崎海女 ウニ取り・世古昌男の船」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1978.09.20 |
1178 | 国崎海女 ウニ取り 世古昌男の舟3-5-6 | 舟人海女の操業風景。午前の一潜目の操業が終わったようである。ウニが入れられたイソカゴは船上に上げられ、イソグルマもすでに取り外されている。海女が左舷側から船上へと上がる。アルバムのデータ記載欄には「S53.9.20AM 国崎海女 ウニ取り・世古昌男の船」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1978.09.20 |
1179 | 国崎海女 ウニ取り 世古昌男の舟3-6-1 | 舟人海女の操業風景。午前の一潜目の操業が終わったようである。ウニが入れられたイソカゴは船上に上げられ、イソグルマもすでに取り外されている。海女が左舷側から船上へと上がる。船頭は艪を仕舞い、梶を用意しエンジンをかける準備を進める。アルバムのデータ記載欄には「S53.9.20AM 国崎海女 ウニ取り・世古昌男の船」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1978.09.20 |
1180 | 国崎海女 ウニ取り 世古昌男の舟3-6-2 | 舟人海女の操業風景。午前の一潜目の操業が終わったようである。ウニが入れられたイソカゴは船上に上げられ、イソグルマもすでに取り外されている。海女が左舷側から船上へと上がる。船頭は艪を仕舞い、梶を用意しエンジンをかける準備を進める。アルバムのデータ記載欄には「S53.9.20AM 国崎海女 ウニ取り・世古昌男の船」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1978.09.20 |
1181 | 国崎海女 ウニ取り 世古昌男の舟3-6-3 | 舟人海女の操業風景。午前の一潜目の操業が終わったようである。ウニが入れられたイソカゴは船上に上げられ、イソグルマもすでに取り外されている。海女が左舷側から船上へと上がる。船頭は艪を仕舞い、梶を用意しエンジンをかける準備を進める。アルバムのデータ記載欄には「S53.9.20AM 国崎海女 ウニ取り・世古昌男の船」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1978.09.20 |
1182 | 国崎海女 ウニ取り 世古昌男の舟3-6-4 | 舟人海女の操業風景。午前の一潜目の操業が終わったようである。ウニが入れられたイソカゴは船上に上げられ、イソグルマもすでに取り外されている。海女が左舷側から船上へと上がる。船頭は艪を仕舞い、梶を用意しエンジンをかける準備を進める。アルバムのデータ記載欄には「S53.9.20AM 国崎海女 ウニ取り・世古昌男の船」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1978.09.20 |
1183 | 国崎海女 ウニ取り 世古昌男の舟3-6-5 | 舟人海女の操業風景。午前の一潜目の操業が終わったようである。ウニが入れられたイソカゴは船上に上げられ、イソグルマもすでに取り外されている。海女が左舷側から船上へと上がる。船頭は艪を仕舞い、梶を用意しエンジンをかける準備を進める。アルバムのデータ記載欄には「S53.9.20AM 国崎海女 ウニ取り・世古昌男の船」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1978.09.20 |
1184 | 国崎海女 ウニ取り 世古昌男の舟3-6-6 | 舟人海女の操業風景。午前の一潜目を終え、船上に上がった海女。磯メガネを外し、ウエットスーツのゴム帽子を脱ぎ、帰り支度を始める。アルバムのデータ記載欄には「S53.9.20AM 国崎海女 ウニ取り・世古昌男の船」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1978.09.20 |
1185 | 国崎海女 ウニ取り 世古昌男の舟4-1-1 | 舟人海女の操業風景。午前の一潜目を終え、船上に上がった海女。磯メガネを外し、ウエットスーツのゴム帽子を脱ぎ、帰り支度を始める。アルバムのデータ記載欄には「S53.9.20AM 国崎海女 ウニ取り・世古昌男の船」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1978.09.20 |
1186 | 国崎海女 ウニ取り 世古昌男の舟4-1-2 | 舟人海女の操業風景。午前の一潜目を終え、船上に上がった海女。磯メガネを外し、ウエットスーツのゴム帽子を脱ぎ、帰り支度を始める。アルバムのデータ記載欄には「S53.9.20AM 国崎海女 ウニ取り・世古昌男の船」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1978.09.20 |
1187 | 国崎海女 ウニ取り 世古昌男の舟4-1-3 | 舟人海女の操業風景。午前の一潜目を終え、船上に上がった海女。磯メガネを外し、ウエットスーツのゴム帽子を脱ぎ、腰に巻いた鉛のベルトを外して帰り支度を始める。アルバムのデータ記載欄には「S53.9.20AM 国崎海女 ウニ取り・世古昌男の船」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1978.09.20 |
1188 | 国崎海女 ウニ取り 世古昌男の舟4-1-4 | 舟人海女の操業風景。午前の一潜目を終え、船上に上がった海女。磯メガネを外し、ウエットスーツのゴム帽子を脱ぎ、腰に巻いた鉛のベルトを外して帰り支度を始める。アルバムのデータ記載欄には「S53.9.20AM 国崎海女 ウニ取り・世古昌男の船」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1978.09.20 |
1189 | 国崎海女 ウニ取り 世古昌男の舟4-1-5 | 舟人海女の操業風景。午前の一潜目を終え、船上に上がった海女。磯メガネを外し、ウエットスーツのゴム帽子を脱ぎ、腰に巻いた鉛のベルトを外して帰り支度を始める。アルバムのデータ記載欄には「S53.9.20AM 国崎海女 ウニ取り・世古昌男の船」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1978.09.20 |
1190 | 国崎海女 ウニ取り 世古昌男の舟4-1-6 | 舟人海女の操業風景。午前の一潜目を終え、船上に上がった海女。磯メガネを外し、ウエットスーツのゴム帽子を脱ぎ、腰に巻いた鉛のベルトを外して帰り支度を進める。アルバムのデータ記載欄には「S53.9.20AM 国崎海女 ウニ取り・世古昌男の船」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1978.09.20 |
1191 | 国崎海女 ウニ取り 世古昌男の舟4-2-1 | 舟人海女の操業風景。午前の一潜目を終え帰港する船上の海女。アルバムのデータ記載欄には「S53.9.20AM 国崎海女 ウニ取り・世古昌男の船」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1978.09.20 |
1192 | 国崎海女 ウニ取り 世古昌男の舟4-2-2 | 舟人海女の操業風景。午前の一潜目を終え帰港する船上の海女。アルバムのデータ記載欄には「S53.9.20AM 国崎海女 ウニ取り・世古昌男の船」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1978.09.20 |
1193 | 国崎海女 ウニ取り 世古昌男の舟4-2-3 | 舟人海女の操業風景。午前の一潜目を終え帰港する船上の海女。アルバムのデータ記載欄には「S53.9.20AM 国崎海女 ウニ取り・世古昌男の船」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1978.09.20 |
1194 | 国崎海女 ウニ取り 世古昌男の舟4-2-4 | 午前の一潜目を終え、前の浜に戻ってきた舟人の海女船。写真左手は国崎町の集落、右手は鎧崎で船揚場斜路のすぐ横に海女小屋が、その斜め上には熨斗鰒調製所が建てられている。アルバムのデータ記載欄には「S53.9.20AM 国崎海女 ウニ取り・世古昌男の船」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1978.09.20 |
1195 | 国崎海女 ウニ取り 世古昌男の舟4-2-5 | 午前の一潜目を終え、前の浜に戻ってきた舟人の海女船。写真右上の小さな建物は海女小屋である。その斜め上には熨斗鰒調製所が建てられている。隣に付けられている漁船には「廣栄丸」の船名が見える。アルバムのデータ記載欄には「S53.9.20AM 国崎海女 ウニ取り・世古昌男の船」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1978.09.20 |
1196 | 国崎海女 ウニ取り 世古昌男の舟4-2-6 | 午前の一潜目を終え、次々と前の浜に戻ってくる海女船。写真左は鎧崎で、この斜路の上には海女小屋と熨斗鰒調製所が建てられている。アルバムのデータ記載欄には「S53.9.20AM 国崎海女 ウニ取り・世古昌男の船」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1978.09.20 |
1197 | 国崎海女 ウニ取り 世古昌男の舟4-3-1 | 午前の一潜目を終え、次々と前の浜に戻ってくる海女船。午後からも二潜目があるのか、海女船は引き揚げられずに波打際に係留されていく。写真左は鎧崎で、この斜路の上には海女小屋と熨斗鰒調製所が建てられている。アルバムのデータ記載欄には「S53.9.20AM 国崎海女 ウニ取り・世古昌男の船」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1978.09.20 |
1198 | 国崎海女 ウニ取り 世古昌男の舟4-3-2 | 午前の一潜目を終え、次々と前の浜に戻ってくる海女船。午後からも二潜目があるのか、海女船は引き揚げられずに波打際に係留されていく。写真左は鎧崎で、この斜路の上には海女小屋と熨斗鰒調製所が建てられている。アルバムのデータ記載欄には「S53.9.20AM 国崎海女 ウニ取り・世古昌男の船」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1978.09.20 |
1199 | 国崎海女 ウニ取り 世古昌男の舟4-3-3 | 午前の一潜目を終え、前の浜に戻ってきた海女。写真左上のブロック積みの建物は海女小屋である。これから暖をとり食事をすませ休憩した後二潜目へと向かう。海女小屋の左上は熨斗鰒調製所である。アルバムのデータ記載欄には「S53.9.20AM 国崎海女 ウニ取り・世古昌男の船」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1978.09.20 |
1200 | 国崎海女 ウニ取り 世古昌男の舟4-3-4 | 午前の一潜目を終え、前の浜の海女小屋へと向かう海女達。海女小屋の左手の建物は漁船を陸へと引き揚げる為に使うウインチ小屋である。アルバムのデータ記載欄には「S53.9.20AM 国崎海女 ウニ取り・世古昌男の船」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1978.09.20 |
1201 | 国崎海女 ウニ取り 世古昌男の舟4-3-5 | 午前の一潜目を終え、前の浜の海女小屋へと向かう海女。海女小屋の左手の建物は漁船を陸へと引き揚げる為に使うウインチ小屋である。アルバムのデータ記載欄には「S53.9.20AM 国崎海女 ウニ取り・世古昌男の船」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1978.09.20 |
1202 | 国崎ウニとり4-4-4 | 舟人海女の操業風景。アルバムのデータ記載欄には「S53.9.20AM 国崎ウニとり」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1978.09.20 |
1203 | 国崎ウニとり4-4-5 | 舟人海女の操業風景。船縁で息を整え、次の潜水準備をする海女。採ったウニを入れるイソカゴが吊されている。アルバムのデータ記載欄には「S53.9.20AM 国崎ウニとり」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1978.09.20 |
1204 | 国崎ウニとり4-4-6 | 舟人海女の操業風景。船縁で息を整え、次の潜水準備をする海女。採ったウニを入れるイソカゴが吊されている。アルバムのデータ記載欄には「S53.9.20AM 国崎ウニとり」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1978.09.20 |
1205 | 国崎ウニとり4-5-1 | 舟人海女の操業風景。アルバムのデータ記載欄には「S53.9.20AM 国崎ウニとり」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1978.09.20 |
1206 | 国崎ウニとり4-5-2 | 舟人海女の操業風景。命綱を握り浮上した海女。アルバムのデータ記載欄には「S53.9.20AM 国崎ウニとり」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1978.09.20 |
1207 | 国崎ウニとり4-5-3 | 舟人海女の操業風景。採ってきたウニを入れるイソカゴ。赤ウニらしきウニが入れられている。アルバムのデータ記載欄には「S53.9.20AM 国崎ウニとり」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1978.09.20 |
1208 | 国崎ウニとり4-5-4 | 舟人海女の操業風景。採ってきたウニを入れるイソカゴ。赤ウニらしきウニが入れられている。アルバムのデータ記載欄には「S53.9.20AM 国崎ウニとり」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1978.09.20 |
1209 | 国崎ウニとり4-5-5 | 舟人海女の操業風景。採ってきたウニを入れるイソカゴ。赤ウニらしきウニが入れられている。アルバムのデータ記載欄には「S53.9.20AM 国崎ウニとり」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1978.09.20 |
1210 | 国崎ウニとり4-5-6 | 舟人海女の操業風景。命綱を握り浮上した海女。アルバムのデータ記載欄には「S53.9.20AM 国崎ウニとり」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1978.09.20 |
1211 | 国崎ウニとり4-6-1 | 舟人海女の操業風景。海底から浮上して息を整える海女。船縁には採ってきたウニを入れるイソカゴが吊されている。アルバムのデータ記載欄には「S53.9.20AM 国崎ウニとり」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1978.09.20 |
1212 | 国崎ウニとり4-6-2 | 舟人海女の操業風景。海底から浮上して息を整える海女。船縁には採ってきたウニを入れるイソカゴが吊されている。アルバムのデータ記載欄には「S53.9.20AM 国崎ウニとり」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1978.09.20 |
1213 | 国崎ウニとり4-6-3 | 舟人海女の操業風景。海底から浮上して息を整える海女。船縁には採ってきたウニを入れるイソカゴが吊されている。アルバムのデータ記載欄には「S53.9.20AM 国崎ウニとり」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1978.09.20 |
1214 | 国崎ウニとり4-6-4 | 海女の操業風景。海底から浮上して息を整える海女。船縁には採ってきたウニを入れるイソカゴが吊されている。アルバムのデータ記載欄には「S53.9.20AM 国崎ウニとり」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1978.09.20 |
1215 | 国崎ウニとり4-6-5 | 舟人海女の操業風景。右手にカギノミを握り、海底から命綱で引き上げられ浮上した海女。アルバムのデータ記載欄には「S53.9.20AM 国崎ウニとり」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1978.09.20 |
1216 | 国崎ウニとり4-6-6 | 舟人海女の操業風景。左手で艪を操りながら、海女の操業を見守る船頭。船腹には「ME3-28824」の船舶登録番号と「(廣)栄丸」の船名が見える。アルバムのデータ記載欄には「S53.9.20AM 国崎ウニとり」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1978.09.20 |
1217 | 国崎ウニとり5-1-1 | 舟人海女の操業風景。命綱を握り浮上した海女。アルバムのデータ記載欄には「S53.9.20AM 国崎ウニとり」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1978.09.20 |
1218 | 国崎ウニとり5-1-2 | 舟人海女の操業風景。命綱を握り浮上した海女。アルバムのデータ記載欄には「S53.9.20AM 国崎ウニとり」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1978.09.20 |
1219 | 国崎ウニとり5-1-3 | 舟人海女の操業風景。命綱を握り浮上した海女。アルバムのデータ記載欄には「S53.9.20AM 国崎ウニとり」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1978.09.20 |
1220 | 国崎ウニとり5-1-4 | 舟人海女の操業風景。船縁で息を整え次の潜水に備える海女。船縁には、採ってきたウニを入れるイソカゴが吊されている。船腹には「ME3-31857」の船舶登録番号が見える。アルバムのデータ記載欄には「S53.9.20AM 国崎ウニとり」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1978.09.20 |
1221 | 国崎ウニとり5-1-5 | 舟人海女の操業風景。船縁で息を整え次の潜水に備える海女。船縁には、採ってきたウニを入れるイソカゴが吊されている。船腹には「ME3-31857」の船舶登録番号が見える。アルバムのデータ記載欄には「S53.9.20AM 国崎ウニとり」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1978.09.20 |
1222 | 国崎ウニとり5-2-3 | 陸に揚げた漁船の片付けをする婦人。アルバムのデータ記載欄には「S53.9.20AM 国崎ウニとり」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1978.09.20 |
1223 | 国崎ウニとり5-2-4 | 漁船の船揚げ風景。船底に丸太のコロを敷いてウインチで巻き上げる。アルバムのデータ記載欄には「S53.9.20AM 国崎ウニとり」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1978.09.20 |
1224 | 国崎ウニとり5-2-5 | 海女漁から戻ってきたのか、ウエットスーツを脱ぎ磯着に着替える海女。アルバムのデータ記載欄には「S53.9.20AM 国崎ウニとり」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1978.09.20 |
1225 | 国崎ウニ漁5-3-1 | 海女のネガネ箱。アルバムのデータ記載欄には「S53.9.20AM 国崎ウニ漁」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1978.09.20 |
1226 | 国崎ウニ漁5-3-2 | ウニ漁の出漁を前に、鎧崎の前の浜の波打際に留めた船上で休憩を取る船頭達。一隻の船腹には「ME3-28824」の船舶登録番号が見て取れる。アルバムのデータ記載欄には「S53.9.20AM 国崎ウニ漁」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1978.09.20 |
1227 | 国崎ウニ漁5-3-3 | ウニ漁の出漁を前に、鎧崎の前の浜の波打際に留めた船上で休憩を取る船頭達。一隻の船腹には「ME3-28824」の船舶登録番号が見て取れる。アルバムのデータ記載欄には「S53.9.20AM 国崎ウニ漁」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1978.09.20 |
1228 | 国崎ウニ漁5-3-4 | ウニ漁の出漁を前に、鎧崎の前の浜の波打際に留めた船上で休憩を取る船頭達。船腹に「ME3-■7682 大和丸」、「ME3-28824」、「ME3-27285 廣栄丸」、「ME3-24125 初浪丸」、「ME3-33448」等の船舶登録番号や船名が見て取れる。アルバムのデータ記載欄には「S53.9.20AM 国崎ウニ漁」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1978.09.20 |
1229 | 国崎ウニ漁5-3-5 | ウニ漁の出漁を前に、鎧崎の前の浜の波打際に留めた船上で休憩を取る船頭達。船腹に「ME3-■7682 大和丸」、「ME3-28824」、「ME3-27285 廣栄丸」、「ME3-24125 初浪丸」、「ME3-33448」等の船舶登録番号や船名が見て取れる。アルバムのデータ記載欄には「S53.9.20AM 国崎ウニ漁」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1978.09.20 |
1230 | 国崎ウニ漁5-3-6 | 漁船のエンジンルームの前に張られた「(海上)安全 青(峯山)」の御札。アルバムのデータ記載欄には「S53.9.20AM 国崎ウニ漁」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1978.09.20 |
1231 | 国崎ウニ漁5-4-1 | これから出漁するのか、鎧崎の前の浜の波打際に留めた船上で休憩を取る船頭達。アルバムのデータ記載欄には「S53.9.20AM 国崎ウニ漁」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1978.09.20 |
1232 | 国崎ウニ漁5-4-2 | これから出漁するのかウエットスーツに着替え、磯手拭いを頭に被って海女小屋を出る海女達。アルバムのデータ記載欄には「S53.9.20AM 国崎ウニ漁」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1978.09.20 |
1233 | 国崎ウニ漁5-4-3 | 鎧崎の前の浜から出漁する海女船。アルバムのデータ記載欄には「S53.9.20AM 国崎ウニ漁」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1978.09.20 |
1234 | 国崎ウニ漁5-4-4 | 鎧崎の前の浜から出漁する海女船。船腹には「ME3-33448」の船舶登録番号が見える。アルバムのデータ記載欄には「S53.9.20AM 国崎ウニ漁」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1978.09.20 |
1235 | 国崎ウニ漁5-4-5 | 鎧崎の前の浜から出漁するノリアイ海女達。アルバムのデータ記載欄には「S53.9.20AM 国崎ウニ漁」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1978.09.20 |
1236 | 国崎ウニ漁5-4-6 | ノリアイ海女の出漁風景。船上では海女達が磯メガネの曇りを取る。アルバムのデータ記載欄には「S53.9.20AM 国崎ウニ漁」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1978.09.20 |
1237 | 国崎ウニ漁5-5-1 | ノリアイ海女の出漁風景。船上では海女達がメガネ鏡の曇りを取る。アルバムのデータ記載欄には「S53.9.20AM 国崎ウニ漁」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1978.09.20 |
1238 | 国崎ウニ漁5-5-2 | 舟人海女の操業風景。腰に鉛のベルトを巻き、操業の合図を待つ。船腹には「ME3-32688」の船舶登録番号と、船尾には「福平(丸)」の船名が見える。アルバムのデータ記載欄には「S53.9.20AM 国崎ウニ漁」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1978.09.20 |
1239 | 国崎ウニ漁5-5-3 | 沖の消波ブロック。アルバムのデータ記載欄には「S53.9.20AM 国崎ウニ漁」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1978.09.20 |
1240 | 国崎ウニ漁5-5-4 | 海女の出漁風景。アルバムのデータ記載欄には「S53.9.20AM 国崎ウニ漁」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1978.09.20 |
1241 | 国崎ウニ漁5-5-5 | 海女の操業風景。梶棒を手に漁を見守る船頭。写真左上の灯台は、国崎の鎧崎灯台である。アルバムのデータ記載欄には「S53.9.20AM 国崎ウニ漁」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1978.09.20 |
1242 | 国崎ウニ漁5-5-6 | 海女の操業風景。海士か?アルバムのデータ記載欄には「S53.9.20AM 国崎ウニ漁」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1978.09.20 |
1243 | 国崎ウニ漁5-6-1 | 海女の操業風景。海士か?アルバムのデータ記載欄には「S53.9.20AM 国崎ウニ漁」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1978.09.20 |
1244 | 国崎ウニ漁5-6-2 | 海女の操業風景。アルバムのデータ記載欄には「S53.9.20AM 国崎ウニ漁」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1978.09.20 |
1245 | 国崎ウニ漁5-6-3 | 海女の操業風景。アルバムのデータ記載欄には「S53.9.20AM 国崎ウニ漁」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1978.09.20 |
1246 | 国崎ウニ漁5-6-4 | 海女の操業風景。アルバムのデータ記載欄には「S53.9.20AM 国崎ウニ漁」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1978.09.20 |
1247 | 国崎ウニ漁5-6-5 | 舟人海女の操業風景。海女は手にカギノミを持って船縁に足を置き、船頭は左手で艪を操り、右手に旗竿を持って操業の合図を待つ。船腹には「ME3-28824」の船舶登録番号が読み取れる。写真左端の白い建造物は国崎の鎧崎灯台である。アルバムのデータ記載欄には「S53.9.20AM 国崎ウニ漁」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1978.09.20 |
1248 | 国崎ウニ漁5-6-6 | 舟人海女の操業風景。海女は手にカギノミを持って船縁に足を置き、船頭は左手で艪を操り、右手に旗竿を持って操業の合図を待つ。船腹には「ME3-28824」の船舶登録番号が読み取れる。写真左端の白い建造物は国崎の鎧崎灯台である。アルバムのデータ記載欄には「S53.9.20AM 国崎ウニ漁」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1978.09.20 |
1249 | 国崎ウニ漁女6-1-1 | 舟人海女の操業風景。海女は手にカギノミを持って船縁に足を置き、船頭は左手で艪を操り、右手に旗竿を持って操業の合図を待つ。船腹には「ME3-28824」の船舶登録番号が読み取れる。写真左上部の白い建造物は国崎の鎧崎灯台である。アルバムのデータ記載欄には「S53.9.20AM 国崎ウニ漁」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1978.09.20 |
1250 | 国崎ウニ漁6-1-2 | 舟人海女の操業風景。海女は手にカギノミを持って船縁に足を置き、船頭が操業開始の旗竿を立てる。船腹には「ME3-28824」の船舶登録番号が読み取れる。写真左上部の白い建造物は国崎の鎧崎灯台である。アルバムのデータ記載欄には「S53.9.20AM 国崎ウニ漁」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1978.09.20 |
1251 | 国崎ウニ漁6-1-3 | 舟人海女の操業風景。船頭が操業開始の旗竿を立て、艪を操って磯場を確認しこれから操業に入る。船腹には「ME3-28824」の船舶登録番号が読み取れる。写真左上部の白い建造物は国崎の鎧崎灯台である。アルバムのデータ記載欄には「S53.9.20AM 国崎ウニ漁」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1978.09.20 |
1252 | 国崎ウニ漁6-1-4 | 海女の操業場所の背後に迫る山の景観。鳥羽志摩地域における海岸線の植生は自生するウバメガシが多い。こうした海岸線の植物群は魚付林として陸と海の生態系を考える上で重要だという。要調査。アルバムのデータ記載欄には「S53.9.20AM 国崎ウニ漁」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1978.09.20 |
1253 | 国崎ウニ漁6-1-5 | 舟人海女の操業風景。船頭に命綱で引き上げられた海女。右手にはカギノミを、左手にはウニを持っている。ウニの実入りを調べたのかエンジンの煙突の横に割られたウニが乗せられている。船頭が指にはめているのは命綱を手繰上げる時の滑り止めか?アルバムのデータ記載欄には「S53.9.20AM 国崎ウニ漁」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1978.09.20 |
1254 | 国崎ウニ漁6-1-6 | 舟人海女の操業風景。船縁で息を整え次の潜水に備える海女。右手にはカギノミが握られている。イソグルマの下には採ってきたウニを入れるイソカゴが吊されている。アルバムのデータ記載欄には「S53.9.20AM 国崎ウニ漁」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1978.09.20 |
1255 | 国崎ウニ漁6-2-1 | 舟人海女の操業風景。海底から海女の合図があったのだろう。船上で船頭は懸命に命綱を手繰上げる。アルバムのデータ記載欄には「S53.9.20AM 国崎ウニ漁」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1978.09.20 |
1256 | 国崎ウニ漁6-2-2 | 舟人海女の操業風景。命綱を手繰上げる船頭によって海面に浮上した海女。アルバムのデータ記載欄には「S53.9.20AM 国崎ウニ漁」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1978.09.20 |
1257 | 国崎ウニ漁6-2-3 | 舟人海女の操業風景。命綱を手繰上げる船頭によって海面に浮上した海女。アルバムのデータ記載欄には「S53.9.20AM 国崎ウニ漁」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1978.09.20 |
1258 | 国崎ウニ漁6-3-1 | 海女船の船降ろし風景。波打際まで丸太のコロを敷き、ウインチを使って斜路に引き揚げられていた船を降ろす。船尾には「初漁丸」、「しんせい(丸)」等の船名が読み取れる。アルバムのデータ記載欄には「S53.9.20AM 国崎ウニ漁」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1978.09.20 |
1259 | 国崎ウニ漁6-3-2 | 海女船の船降ろし風景。波打際まで丸太のコロを敷き、ウインチを使って斜路に引き揚げられていた船を降ろす。船尾には「漁昌(丸)」、船腹からは「ME3-31857」の船舶登録番号が読み取れる。アルバムのデータ記載欄には「S53.9.20AM 国崎ウニ漁」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1978.09.20 |
1260 | 国崎ウニ漁6-3-3 | 海女船の出漁風景。国崎の船揚場を出漁する舟人とノリアイの海女船。船尾には「しんせい(丸)」、船腹からは「ME3-33448」の船舶登録番号が読み取れる。アルバムのデータ記載欄には「S53.9.20AM 国崎ウニ漁」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1978.09.20 |
1261 | 国崎ウニ漁6-3-4 | ノリアイ海女の操業準備風景。国崎の前の浜を出漁したノリアイ海女の船上での準備風景である。船腹には「ME3-28312」の船舶登録番号が読み取れる。アルバムのデータ記載欄には「S53.9.20AM 国崎ウニ漁」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1978.09.20 |
1262 | 国崎の海女作業 ウニ漁6-4-1 | 舟人海女やノリアイ海女の操業準備風景。国崎の船揚場を出漁したノリアイ海女の船上での準備風景である。船腹には「ME3-28312」の船舶登録番号が読み取れる。アルバムのデータ記載欄には「S53.9.20 国崎海女作業 ウニ漁」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1978.09.20 |
1263 | 国崎の海女作業 ウニ漁6-4-2 | アノリアイ海女の操業準備風景。国崎の船揚場を出漁したノリアイ海女の船上での準備風景である。ルバムのデータ記載欄には「S53.9.20 国崎海女作業 ウニ漁」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1978.09.20 |
1264 | 国崎の海女作業 ウニ漁6-4-3 | 舟人海女やノリアイ海女の操業準備風景。国崎の船揚場を出漁した海女達の船上での準備風景である。写真上部右手は鎧崎、左手は船揚場と国崎の集落景観である。一隻の船腹からは「福平丸」の船名が読み取れる。アルバムのデータ記載欄には「S53.9.20 国崎海女作業 ウニ漁」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1978.09.20 |
1265 | 国崎の海女作業 ウニ漁6-4-4 | 舟人海女やノリアイ海女の操業準備風景。国崎の船揚場を出漁した海女達の船上での準備風景である。写真上部右手は船揚場と鎧崎、中央は国崎の集落景観である。アルバムのデータ記載欄には「S53.9.20 国崎海女作業 ウニ漁」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1978.09.20 |
1266 | 国崎の海女作業 ウニ漁6-4-5 | 鎧崎の前の浜で、フナドやノリアイの海女たちが操業準備をする風景。 海岸線の後背地は国崎の集落景観で「かどや」の民宿名や、海上に並んだ海女船からは「福平丸」や「大和丸」と書かれた船名が確認できる。背後の山には浅間さんと荒神さんがあり、現在も町民がお参りしている。アルバムのデータ記載欄には「S53.9.20 国崎海女作業 ウニ漁」と記される。(「海辺の毎日 国崎の暮らし写真展」報告書より) | 鳥羽市国崎町 | 1978.09.20 |
1267 | 国崎の海女作業 ウニ漁6-4-6 | 国崎の船揚場を出漁した海女船での準備風景である。黒のウエットスーツを着込み、腰に鉛のベルトとスカリを付け、カギノミを持ち手袋をはめる海女の姿が写される。船縁には、イソカゴが一つ置かれている。アルバムのデータ記載欄には「S53.9.20 国崎海女作業 ウニ漁」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1978.09.20 |
1268 | 国崎の海女作業 ウニ漁6-5-1 | 舟人海女の磯場へと向かう出漁風景である。写真中央の白い建造物は国崎の鎧崎灯台である。アルバムのデータ記載欄には「S53.9.20 国崎海女作業 ウニ漁」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1978.09.20 |
1269 | 国崎の海女作業 ウニ漁6-5-2 | 国崎の船揚場を出漁した海女船での準備風景である。黒のウエットスーツと足ヒレを身に付け、腰には鉛のベルトとスカリを巻き、磯メガネの曇り止めを施す海女の姿が写される。アルバムのデータ記載欄には「S53.9.20 国崎海女作業 ウニ漁」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1978.09.20 |
1270 | 国崎の海女作業 ウニ漁6-5-3 | 舟人海女の磯場へと向かう出漁風景である。写真右上の白い建造物は国崎の鎧崎灯台である。アルバムのデータ記載欄には「S53.9.20 国崎海女作業 ウニ漁」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1978.09.20 |
1271 | 国崎の海女作業 ウニ漁6-5-4 | 舟人海女の磯場へと向かう船上風景である。黒のウエットスーツを着込み、腰には鉛のベルトと命綱を付けた海女が写される。船縁には採ったウニを入れると思われるイソカゴが一つ置かれている。アルバムのデータ記載欄には「S53.9.20 国崎海女作業 ウニ漁」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1978.09.20 |
1272 | 国崎の海女作業 ウニ漁6-5-5 | 舟人海女の操業風景。磯場に到着したのだろう。全ての準備を終えた海女が磯メガネを洗っているのか、船縁から身を乗り出して海面をのぞき込む。アルバムのデータ記載欄には「S53.9.20 国崎海女作業 ウニ漁」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1978.09.20 |
1273 | 国崎の海女作業 ウニ漁6-5-6 | 舟人海女の操業風景。海底から海女の合図があったのだろう。磯グルマにかけた命綱を船頭が懸命に手繰上げる。命綱を掛けた磯グルマからも潮吹雪が飛ぶ。アルバムのデータ記載欄には「S53.9.20 国崎海女作業 ウニ漁」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1978.09.20 |
1274 | 国崎の海女作業 ウニ漁6-6-1 | 舟人海女の操業風景。船頭が手繰上げた命綱で、勢いよく浮上した海女。ほぼ腰の辺りまで海面から飛び出す。磯グルマの下には採ってきたウニを入れるイソカゴが吊されている。アルバムのデータ記載欄には「S53.9.20 国崎海女作業 ウニ漁」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1978.09.20 |
1275 | 国崎の海女作業 ウニ漁6-6-2 | 舟人海女の操業風景。海底の海女からの合図を待っているのか、磯グルマに掛けた命綱を持つ手に全神経をとがらせる。アルバムのデータ記載欄には「S53.9.20 国崎海女作業 ウニ漁」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1978.09.20 |
1276 | 国崎の海女作業 ウニ漁6-6-3 | 舟人海女の操業風景。船頭が手繰上げた命綱で、勢いよく浮上した海女。ほぼ腰の辺りまで海面から飛び出す。アルバムのデータ記載欄には「S53.9.20 国崎海女作業 ウニ漁」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1978.09.20 |
1277 | 国崎の海女作業 ウニ漁6-6-4 | 舟人海女の操業風景。船縁に取付けられた、命綱を手繰上げる磯グルマ。取り外しが出来るようになっていて、漁が終わると外して仕舞う。アルバムのデータ記載欄には「S53.9.20 国崎海女作業 ウニ漁」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1978.09.20 |
1278 | 国崎の海女作業 ウニ漁6-6-5 | 舟人海女の操業風景。船頭が手繰上げた命綱で、勢いよく浮上した海女。ほぼ腰の辺りまで海面から飛び出す。磯グルマの下には採ってきたウニを入れるイソカゴが吊されている。アルバムのデータ記載欄には「S53.9.20 国崎海女作業 ウニ漁」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1978.09.20 |
1279 | 国崎の海女作業 ウニ漁6-6-6 | 舟人海女の操業風景。船頭が手繰上げた命綱で、勢いよく浮上した海女。ほぼ腰の辺りまで海面から飛び出す。磯グルマの下には採ってきたウニを入れるイソカゴが吊されている。アルバムのデータ記載欄には「S53.9.20 国崎海女作業 ウニ漁」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1978.09.20 |
1280 | 国崎の海女作業 ウニ漁7-1-1 | 舟人海女の操業風景。船頭が手繰上げた命綱で、勢いよく浮上した海女。ほぼ腰の辺りまで海面から飛び出す。磯グルマの下には採ってきたウニを入れるイソカゴが吊されている。アルバムのデータ記載欄には「S53.9.20 国崎海女作業 ウニ漁」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1978.09.20 |
1281 | 国崎の海女作業 ウニ漁7-1-2 | 舟人海女の操業風景。船頭が手繰上げた命綱で、勢いよく浮上した海女。ほぼ腰の辺りまで海面から飛び出す。アルバムのデータ記載欄には「S53.9.20 国崎海女作業 ウニ漁」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1978.09.20 |
1282 | 国崎の海女作業 ウニ漁7-1-3 | 舟人海女の操業風景。船頭が手繰上げた命綱で、勢いよく浮上した海女。ほぼ腰の辺りまで海面から飛び出す。アルバムのデータ記載欄には「S53.9.20 国崎海女作業 ウニ漁」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1978.09.20 |
1283 | 国崎の海女作業 ウニ漁7-1-4 | 海女の操業場所の背後に迫る山の景観。鳥羽志摩地域における海岸線の植生は自生するウバメガシが多い。こうした海岸線の植物群は魚付林として陸と海の生態系を考える上で重要だという。要調査。アルバムのデータ記載欄には「S53.9.20 国崎海女作業 ウニ漁」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1978.09.20 |
1284 | 国崎の海女作業 ウニ漁7-2-3 | 舟人海女の操業風景。右手にカギノミを持ち、船縁に掴まって息を整え、次の潜水に備える海女。磯グルマに掛けられているのは分銅であろう。船上の船頭は艪を操りながら海女の潜水合図を待つ。船腹には「ME3-28824」の船舶登録番号が見える。アルバムのデータ記載欄には「S53.9.20 国崎海女作業 ウニ漁」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1978.09.20 |
1285 | 国崎の海女作業 ウニ漁7-2-4 | 舟人海女の操業風景。右手にカギノミを持ち、船縁に掴まって息を整え、次の潜水に備える海女。磯グルマに掛けられているのは分銅であろう。船上の船頭は艪を操りながら海女の潜水合図を待つ。アルバムのデータ記載欄には「S53.9.20 国崎海女作業 ウニ漁」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1978.09.20 |
1286 | 国崎の海女作業 ウニ漁7-2-5 | 舟人海女の操業風景。右手にカギノミを持ち、船縁に掴まって息を整え、次の潜水に備える海女。磯グルマに掛けられているのは分銅であろう。船上の船頭は艪を操りながら海女の潜水合図を待つ。船腹には「ME3-28824」の船舶登録番号が見える。アルバムのデータ記載欄には「S53.9.20 国崎海女作業 ウニ漁」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1978.09.20 |
1287 | 国崎の海女作業 ウニ漁7-2-6 | 舟人海女の操業風景。右手にカギノミを持ち、船縁に掴まって息を整え、次の潜水に備える海女。磯グルマに掛けられているのは分銅であろう。船縁には海女が採ってきたウニを入れるイソカゴも吊されている。アルバムのデータ記載欄には「S53.9.20 国崎海女作業 ウニ漁」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1978.09.20 |
1288 | 国崎の海女作業 ウニ漁7-3-1 | 舟人海女の操業風景。右手にカギノミを持ち、船縁に掴まって息を整え、次の潜水に備える海女。磯場によっても異なるが、潜水に備えて海面から海底の状況を確認したりもする。アルバムのデータ記載欄には「S53.9.20 国崎海女作業 ウニ漁」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1978.09.20 |
1289 | 国崎の海女作業 ウニ漁7-3-2 | 舟人海女の操業風景。船上で海女の合図を待つ船頭。海女が操業する上や反対側に船が流されないように、命綱で海底の海女の動きを予測しながら船を操る船頭。一つ間違えば命に関わるだけに、綱一本に託す夫婦のやりとりは真剣である。アルバムのデータ記載欄には「S53.9.20 国崎海女作業 ウニ漁」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1978.09.20 |
1290 | 国崎の海女作業 ウニ漁7-3-3 | ノリアイ又は徒人の海女の操業風景。岸辺の近くに発泡スチロール製のタンポとその横に海女の足ヒレが見える。アルバムのデータ記載欄には「S53.9.20 国崎海女作業 ウニ漁」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1978.09.20 |
1291 | 国崎の海女作業 ウニ漁7-3-4 | 船縁に吊されたイソカゴに入れられたウニ。赤ウニかと思われる。アルバムのデータ記載欄には「S53.9.20 国崎海女作業 ウニ漁」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1978.09.20 |
1292 | 国崎の海女作業 ウニ漁7-3-5 | 船縁に吊されたイソカゴに入れられたウニ。赤ウニかと思われる。アルバムのデータ記載欄には「S53.9.20 国崎海女作業 ウニ漁」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1978.09.20 |
1293 | 国崎の海女作業 ウニ漁7-3-6 | ノリアイ海女の操業風景。タンポを抱えて息を整えているところか? 前方には十数隻の海女船が見える。アルバムのデータ記載欄には「S53.9.20 国崎海女作業 ウニ漁」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1978.09.20 |
1294 | 国崎二船祭 殿入祭(小舟づくり)のオオフネ7-4-1 | 毎年11月21日~23日に行われる二船祭の内、22日の殿入祭(小舟づくり)で作られるオオブネである。オオブネはミズの木を削り、それに見押と帆柱と、椎の木の皮を12枚つないだ帆を取付け全長43㎝程にした舟で神前に供えられる。参考文献:『国崎の熨斗鰒づくり調査報告書』国崎町内会 2011年発行 アルバムのデータ記載欄には「S53.10.12 国崎/大舟」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1978.10.12 |
1295 | 国崎二船祭 殿入祭(小舟づくり)のオオフネ7-4-2 | 毎年11月21日~23日に行われる二船祭の内、22日の殿入祭(小舟づくり)で作られるオオブネである。オオブネはミズの木を削り、それに見押と帆柱と、椎の木の皮を12枚つないだ帆を取付け全長43㎝程にした舟で神前に供えられる。参考文献:『国崎の熨斗鰒づくり調査報告書』国崎町内会 2011年発行 アルバムのデータ記載欄には「S53.10.12 国崎/大舟」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1978.10.12 |
1296 | 国崎の街並み景観7-4-3 | 国崎町鎧崎の船揚場斜路の上である乾燥させたアラメかカジメの様な海藻が積上げられている。写されてはいないが写真右手には海女小屋があり、さらにその斜め上には熨斗鰒調製所が建てられている。アルバムのデータ記載欄には「S53.10.12 国崎」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1978.10.12 |
1297 | 国崎の街並み景観7-4-4 | アラメ切り(アラメの収獲)の様子を、鎧崎の船揚場近くで撮影したものである。 写真には乾燥アラメを背負って運ぶ年配女性が写っている。画像№1299、1300参照(「海辺の毎日 国崎の暮らし写真展」報告書より)アルバムのデータ記載欄には「S53.10.12 国崎」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1978.10.12 |
1298 | 国崎の街並み景観7-4-5 | 年配の婦人が左手に鎌を持ち乾燥させたアラメかカジメらしき海藻を背負って運ぶ。アルバムのデータ記載欄には「S53.10.12 国崎」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1978.10.12 |
1299 | 国崎の街並み景観7-5-1 | アラメ切り(アラメの収獲)の様子を、鎧崎の船揚場近くで撮影したものである。 国崎町鎧崎の船揚場斜路の上である乾燥させたアラメが積上げられ、年配女性が背負って運んでいる。写ってはいないが、写真右手には海女小屋があり、さらにその斜め上には熨斗鰒調製所が建てられていた。斜路に引き揚げられた漁船の船腹には「ME3-31857」の船舶登録番号が確認できる。画像№1297、1300参照 アルバムのデータ記載欄には「S53.10.12 国崎」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1978.10.12 |
1300 | 国崎の街並み景観7-5-2 | 乾燥アラメを積んだ「アラメ塚」である。共同刈りのアラメの売上は、町内会の運営費や漁港整備の地元負担金になった。1世帯2人ずつ参加し、不参加の世帯は罰金を支払った。時期としては、8月の土用前後に数回アラメを切り(収穫し)、10月の受け取りまでアラメ塚にして置いていた。近年では台風を警戒し受け取りが早まっている。暑い時期の作業で、アラメをかつぐと色が移って肌や衣類が真っ黒になった。(「海辺の毎日 国崎の暮らし写真展」報告書より) | 鳥羽市国崎町 | 1978.10.12 |
1301 | 国崎の街並み景観7-5-3 | 国崎町鎧崎の船揚場斜路の上である。シートをかぶせられたドーム状の物は、食材用の乾燥アラメではないかと思われる。アルバムのデータ記載欄には「S53.10.12 国崎」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1978.10.12 |
1302 | 国崎の街並み景観7-5-4 | 和服を着た年配の婦人が三人街中の道を歩く。要調査。アルバムのデータ記載欄には「S53.10.12 国崎」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1978.10.12 |
1303 | 国崎の街並み景観7-5-5 | 和服を着た年配の婦人が三人街中の道を歩く。要調査。アルバムのデータ記載欄には「S53.10.12 国崎」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1978.10.12 |
1304 | 国崎の注連縄7-5-6 | 国崎町の注連縄の木札である。各家庭の注連縄は邪気を払い神域を示す紙垂(しで)、子孫繁栄を象徴するダイダイやユズリハ、誠実・清廉潔白を象徴するウラジロ等が添えられることが多い。全国的には小正月の後に外されることが多いようであるが、鳥羽では一年中飾られ、その家に不幸事が起こるまで毎年新しい注連縄が重ねられていく地域もある。最近は、市販されている物を飾る家が多くなったが、かつては家人が思いを込めて注連縄を作ったもので、木札の表には「七福即生 七難即滅 蘇民将来子孫家門」、裏には「急々如律令」と「魔除印=ドーマン・セーマン」が記される。アルバムのデータ記載欄には「S53.10.12 国崎」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1978.10.12 |
1305 | 国崎の注連縄7-6-1 | 国崎町の注連縄の木札である。裏側には裏には「急々如律令」と「魔除印=ドーマン・セーマン」の略字が記されている。アルバムのデータ記載欄には「S53.10.12 国崎」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1978.10.12 |
1306 | 国崎の注連縄7-6-2 | 国崎町の注連縄の木札である。裏側には裏には「急々如律令」と「魔除印=ドーマン・セーマン」の略字が記されている。アルバムのデータ記載欄には「S53.10.12 国崎」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1978.10.12 |
1307 | 国崎の注連縄7-6-4 | 国崎町の注連縄の木札である。木札の表には「七福即生 七難即滅 蘇民将来子孫家門」、裏には「急々如律令」と「魔除印=ドーマン・セーマン」が記される。アルバムのデータ記載欄には「S53.10.12 国崎」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1978.10.12 |
1308 | 国崎熨斗鰒づくり8-1-1 | 伊勢神宮の神饌として納められる国崎の熨斗鰒作りである。熨斗鰒は国崎の海女達が採ったアワビを鎧崎の調製所で熨斗にして毎年6月と12月の月次祭と10月の神嘗祭に納めるもので、2千年もの長きにわたって続けられてきたと言う。写真は身取鰒を作る作業風景である。参考文献:『国崎の熨斗鰒づくり調査報告書』国崎町内会 2011年発行 | 鳥羽市国崎町 | (不明) |
1309 | 国崎熨斗鰒づくり8-1-2 | 伊勢神宮の神饌として納められる国崎の熨斗鰒作りである。熨斗鰒は国崎の海女達が採ったアワビを鎧崎の調製所で熨斗にして毎年6月と12月の月次祭と10月の神嘗祭に納めるもので、2千年もの長きにわたって続けられてきたと言う。写真は身取鰒を作る作業風景である。参考文献:『国崎の熨斗鰒づくり調査報告書』国崎町内会 2011年発行 | 鳥羽市国崎町 | (不明) |
1310 | 国崎熨斗鰒づくり8-1-3 | 伊勢神宮の神饌として納められる国崎の熨斗鰒作りである。熨斗鰒は国崎の海女達が採ったアワビを鎧崎の調製所で熨斗にして毎年6月と12月の月次祭と10月の神嘗祭に納めるもので、2千年もの長きにわたって続けられてきたと言う。写真は身取鰒を作る作業風景である。参考文献:『国崎の熨斗鰒づくり調査報告書』国崎町内会 2011年発行 | 鳥羽市国崎町 | (不明) |
1311 | 国崎熨斗鰒づくり8-1-4 | 伊勢神宮の神饌として納められる国崎の熨斗鰒作りである。熨斗鰒は国崎の海女達が採ったアワビを鎧崎の調製所で熨斗にして毎年6月と12月の月次祭と10月の神嘗祭に納めるもので、2千年もの長きにわたって続けられてきたと言う。写真は身取鰒を作る作業風景である。参考文献:『国崎の熨斗鰒づくり調査報告書』国崎町内会 2011年発行 | 鳥羽市国崎町 | (不明) |
1312 | 国崎熨斗鰒づくり8-1-5 | 伊勢神宮の神饌として納められる国崎の熨斗鰒作りである。熨斗鰒は国崎の海女達が採ったアワビを鎧崎の調製所で熨斗にして毎年6月と12月の月次祭と10月の神嘗祭に納めるもので、2千年もの長きにわたって続けられてきたと言う。写真は身取鰒を作る作業風景である。参考文献:『国崎の熨斗鰒づくり調査報告書』国崎町内会 2011年発行 | 鳥羽市国崎町 | (不明) |
1313 | 国崎熨斗鰒づくり8-1-6 | 伊勢神宮の神饌として納められる国崎の熨斗鰒作りである。熨斗鰒は国崎の海女達が採ったアワビを鎧崎の調製所で熨斗にして毎年6月と12月の月次祭と10月の神嘗祭に納めるもので、2千年もの長きにわたって続けられてきたと言う。写真は身取鰒を作る作業風景である。参考文献:『国崎の熨斗鰒づくり調査報告書』国崎町内会 2011年発行 | 鳥羽市国崎町 | (不明) |
1314 | 国崎の熨斗鰒づくり8-2-1 | 伊勢神宮の神饌として納められる国崎の熨斗鰒作りである。熨斗鰒は国崎の海女達が採ったアワビを鎧崎の調製所で熨斗にして毎年6月と12月の月次祭と10月の神嘗祭に納めるもので、2千年もの長きにわたって続けられてきたと言う。写真は貝殻付きのアワビを並べておくセイロと貝から外したアワビのヌメリをとる洗い桶と手桶である。参考文献:『国崎の熨斗鰒づくり調査報告書』国崎町内会 2011年発行 | 鳥羽市国崎町 | (不明) |
1315 | 国崎熨斗鰒づくり8-2-2 | 伊勢神宮の神饌として納められる国崎の熨斗鰒作りである。熨斗鰒は国崎の海女達が採ったアワビを鎧崎の調製所で熨斗にして毎年6月と12月の月次祭と10月の神嘗祭に納めるもので、2千年もの長きにわたって続けられてきたと言う。写真は貝殻付きのアワビを並べておくセイロと貝から外したアワビのヌメリをとる洗い桶と手桶である。参考文献:『国崎の熨斗鰒づくり調査報告書』国崎町内会 2011年発行 | 鳥羽市国崎町 | (不明) |
1316 | 国崎長浜の海士8-4-1 | 手前はノリアイ海女、奥は舟人海女かと思われる。出漁風景である。アルバムのデータ記載欄には「S54.6.11 国崎長浜の海士/大津浜(オオツハマ)の船人 出発」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1979.06.11 |
1317 | 国崎長浜の海士8-4-2 | 手前はノリアイ海女、奥は舟人海女かと思われる。出漁風景である。アルバムのデータ記載欄には「S54.6.11 国崎長浜の海士/大津浜(オオツハマ)の船人 出発」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1979.06.11 |
1318 | 国崎長浜の海士8-4-3 | 火を焚き暖をとっている海士達の回りにはタンポやスカリ、イソカゴやフゴ等が置かれている。白のスーツは海士で有ろうが、黒のスーツに磯手拭いを被るのは海女ではないかと思われる。アルバムのデータ記載欄には「S54.6.11 国崎長浜の海士/カチドのカマド」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1979.06.11 |
1319 | 国崎長浜の海士8-4-4 | 火を焚き暖をとっている海士達の回りにはタンポやスカリ、イソカゴやフゴ等が置かれている。白のスーツの海士と共に、黒のスーツに磯手拭いを被るのは海女ではないかと思われる。アルバムのデータ記載欄には「S54.6.11 国崎長浜の海士/操業前」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1979.06.11 |
1320 | 国崎長浜の海士8-4-5 | 操業開始の時間が来たのであろう。発泡スチロール製のタンポとスカリ、カギノミを持ち波打際で磯メガネを洗う。アルバムのデータ記載欄には「S54.6.11 国崎長浜の海士/泳ぎ出し」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1979.06.11 |
1321 | 国崎長浜の海士8-4-6 | 操業開始の時間が来たのであろう。発泡スチロール製のタンポとスカリ、カギノミを置いて、波打際で磯メガネを洗い足ヒレを付ける。磯場に向かって泳ぎ始めたアマの姿も見える。アルバムのデータ記載欄には「S54.6.11 国崎長浜の海士」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1979.06.11 |
1322 | 国崎長浜の海士8-5-1 | 波打際で白のウエットスーツと白い磯手拭いを身に付け、左手に発泡スチロール製のタンポとスカリ、右手にカギノミを持つアマと、その横で磯メガネを洗う白いウエットスーツ姿のアマは年配の海女ではないかと思われる。アルバムのデータ記載欄には「S54.6.11 国崎長浜の海士/カチドの姿」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1979.06.11 |
1323 | 国崎長浜の海士8-5-2 | カマドの回りで暖をとる海士達。回りには、メガネ箱やスカリ、イソカゴ、フゴ等が置かれている。アルバムのデータ記載欄には「S54.6.11 国崎長浜の海士/30人位はいる海士(若者)」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1979.06.11 |
1324 | 国崎長浜の海士8-5-3 | 「長間」という磯場で漁を終え、浜で火を囲んで暖をとる海士たち(左は海女)。海女と同じ磯場で潜る。周囲には、メガネ箱やスカリ、イソカゴ、フゴ等が置かれている。彼らは国崎町内外で仕事に就いており、専業海士ではない。この写真は、休日に海士をした時のもの。ウエットスーツが1世帯1着のため着衣で出漁している。この磯場は周辺が崖や岩場に囲まれており、足場が悪いため集落からの移動が大変な場所。崖のわずかな突起や窪みに四肢をかけて伝い下りる。皆、足腰が強く、崖からの落下事故は全くなかった。担い棒をかつげない場所は、まず地面に荷物を放り投げてから崖を下りていった。(「海辺の毎日 国崎の暮らし写真展」報告書より) アルバムのデータ記載欄には「S54.6.11 国崎長浜の海士/海士の格好」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1979.06.11 |
1325 | 国崎長浜の海士8-5-4 | 波打際に立つ手前の海士は左手に磯メガネ、右手にカギノミと発泡スチロール製のタンポとスカリを持つが、タンポにはアワビの大きさを計測するスンポとエノミが括り付けられている。アルバムのデータ記載欄には「S54.6.11 国崎長浜の海士/海士の姿」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1979.06.11 |
1326 | 国崎長浜の海士8-5-5 | 右手にカギノミを握り発泡スチロール製のタンポに掴まって磯場へと泳ぎ出す海士(海女)。アルバムのデータ記載欄には「S54.6.11 国崎長浜の海士」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1979.06.11 |
1327 | 国崎長浜の海士8-5-6 | 右手に発泡スチロール製のタンポとスカリを抱え、左手にカギノミを握って磯場へと向かう海士。アルバムのデータ記載欄には「S54.6.11 国崎長浜の海士」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1979.06.11 |
1328 | 国崎長浜の海士8-6-1 | 右手に発泡スチロール製のタンポとスカリを持ち、左手にカギノミを握って磯場へと向かう海士。アルバムのデータ記載欄には「S54.6.11 国崎長浜の海士」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1979.06.11 |
1329 | 国崎長浜の海士8-6-2 | これから磯場へと向かうのであろうが、波打際に発泡スチロール製のタンポとスカリ、カギノミと足ヒレを置いて、磯メガネをかける海士。アルバムのデータ記載欄には「S54.6.11 国崎長浜の海士」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1979.06.11 |
1330 | 国崎長浜の海士8-6-3 | これから磯場へと向かうのであろうが、波打際で磯メガネの点検をする。アルバムのデータ記載欄には「S54.6.11 国崎長浜の海士」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1979.06.11 |
1331 | 国崎長浜の海士8-6-4 | 右手にカギノミを握り、発泡スチロール製のタンポに掴まって海底をのぞき込む。アルバムのデータ記載欄には「S54.6.11 国崎長浜の海士/水深3mくらい。海士(カチド)」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1979.06.11 |
1332 | 国崎長浜の海士8-6-5 | 右手にカギノミを握り、発泡スチロール製のタンポに掴まって磯場を移動する。アルバムのデータ記載欄には「S54.6.11 国崎長浜の海士」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1979.06.11 |
1333 | 国崎長浜の海士8-6-6 | 足の立つ深さのようある。磯場を確認しながら移動をする海士。アルバムのデータ記載欄には「S54.6.11 国崎長浜の海士」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1979.06.11 |
1334 | 国崎長浜の海士9-1-1 | 一潜目の操業を終えたのであろう。ウエットスーツを脱ぎ、磯着に着替える海女達。傍らには着替えなどが入れられているのであろうフゴが置かれている。アルバムのデータ記載欄には「S54.6.11 国崎長浜の海士/海から上がって着替えをするカチド海女」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1979.06.11 |
1335 | 国崎長浜の海士9-1-2 | 「長間」で撮影された海士の写真。この写真も仕事の休みに潜りに来ていた時のもの。後ろで着替えているのは海女である。この磯場は崖や岩場に囲まれており、浜が狭いため、男女とも同じ場所で着替えや休憩をしていた。画像№1324参照(「海辺の毎日 国崎の暮らし写真展」報告書より) アルバムのデータ記載欄には「S54.6.11 国崎長浜の海士/若いカマド」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1979.06.11 |
1336 | 国崎長浜の海士9-1-3 | カマドの回りで暖をとるのは海士であるが、その奥で着替えをするのは海女達の様に見える。ここ国崎では、若い海士も海女も同じ磯場で操業をし、同じカマドを使って暖をとるようである。アルバムのデータ記載欄には「S54.6.11 国崎長浜の海士/若いカマド」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1979.06.11 |
1337 | 国崎長浜の海士9-1-4 | 一潜目を終え、濡れたウエットスーツを脱いで磯着に着替えた海女。アルバムのデータ記載欄には「S54.6.11 国崎長浜の海士/若いカチド海女」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1979.06.11 |
1338 | 国崎長浜の海士9-1-5 | 一潜目を終え、濡れたウエットスーツを脱いで磯着に着替えた海女。傍らには、発泡スチロール製のタンポやスカリ、フゴなどが置かれている。アルバムのデータ記載欄には「S54.6.11 国崎長浜の海士/若いカチド海女」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1979.06.11 |
1339 | 国崎長浜の海士9-2-1 | アルバムのデータ記載欄には「S54.6.11 国崎長浜の海士/海士の操業→水深3メートルの所で約40分もぐった。1回の息は20~30秒」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1979.06.11 |
1340 | 国崎長浜の海士9-2-2 | 年配の海女か?アルバムのデータ記載欄には「S54.6.11 国崎長浜の海士」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1979.06.11 |
1341 | 国崎長浜の海士9-2-3 | 年配の海女か?アルバムのデータ記載欄には「S54.6.11 国崎長浜の海士」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1979.06.11 |
1342 | 国崎長浜の海士9-2-4 | 年配の海女か?アルバムのデータ記載欄には「S54.6.11 国崎長浜の海士」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1979.06.11 |
1343 | 国崎長浜の海士9-2-5 | アルバムのデータ記載欄には「S54.6.11 国崎長浜の海士/45分の海士」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1979.06.11 |
1344 | 国崎長浜の海士9-2-6 | アルバムのデータ記載欄には「S54.6.11 国崎長浜の海士」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1979.06.11 |
1345 | 国崎長浜の海士9-3-1 | カマドで暖をとる若い海女。左端は海士かと思われる。アルバムのデータ記載欄には「S54.6.11 国崎長浜の海士」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1979.06.11 |
1346 | 国崎長浜の海士9-3-2 | 『昭和48年11月1日現在 鳥羽市海女就業者綴り』によれば、国崎町における20歳代の徒人海女は19名と記されている。アルバムのデータ記載欄には「S54.6.11 国崎長浜の海士/ウニのトゲをとってもらう海士。1㎝ほどのトゲが刺さっていた」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1979.06.11 |
1347 | 国崎長浜の海士9-3-3 | 『昭和48年11月1日現在鳥羽市海女就業者綴り』によれば、国崎町における20歳代の徒人海女は19名と記されている。アルバムのデータ記載欄には「S54.6.11 国崎長浜の海士/ウニのトゲをとってもらう海士。1㎝ほどのトゲが刺さっていた」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1979.06.11 |
1348 | 国崎(徒人海女)9-4-1 | 一潜目を終えた徒人海女達であろう。少し遅れて上がってきたのか、ウエットスーツを脱いでいる海女や、すでに磯着に着替えてカマドで暖をとる海女など10人ほどが写される。傍らにはイソカゴやフゴ、担い棒などが置かれている。カマドでは海女達の小腹を満たすための、丸餅やサツマイモと思われるものが焼かれているようである。アルバムのデータ記載欄には「S54.6.20 国崎」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1979.06.20 |
1349 | 国崎(徒人海女)9-4-4 | アルバムのデータ記載欄には「S54.6.20 国崎」と記される。一潜目を終えた徒人海女だろう。右手にカギノミ、左手で発泡スチロール製のタンポとスカリを肩に掛け浜辺に上がってきたところである。スカリにはアワビらしき物が入れられている。 | 鳥羽市国崎町 | 1979.06.20 |
1350 | 国崎(徒人海女)9-4-5 | 一潜目を終えた徒人海女であろう。まだウエットスーツ姿であるが磯メガネを外し、磯着に着替えようとするところである。傍らには、発砲スチロール製のタンポやスカリにイソカゴ、着替えが入っているのか布製の手提袋などが見える。アルバムのデータ記載欄には「S54.6.20 国崎」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1979.06.20 |
1351 | 国崎(徒人海女)9-4-6 | 一潜目を終えた徒人海女であろう。まだウエットスーツ姿であるが磯メガネを外し、磯着に着替えようとするところである。傍らには、発砲スチロール製のタンポやスカリにイソカゴ、着替えが入っているのか布製の手提袋などが見える。アルバムのデータ記載欄には「S54.6.20 国崎」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1979.06.20 |
1352 | 国崎(徒人海女)9-5-1 | カマドで暖をとる徒人海女。一潜目を終えたのだろう。濡れたウエットスーツを脱いで磯着に着替え、カマドの火を背に暖をとる。アルバムのデータ記載欄には「S54.6.20 国崎」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1979.06.20 |
1353 | 国崎(徒人海女)9-5-2 | 徒人海女の海女用具である。発泡スチロール製のタンポとスカリ、磯メガネ、カギノミ、手袋(軍手)が確認できる。アルバムのデータ記載欄には「S54.6.20 国崎」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1979.06.20 |
1354 | 国崎(徒人海女)9-5-3 | 一潜目を終え、カマドへと向かう徒人海女だろう。右手に発泡スチロール製のタンポを、左手にスカリと足ヒレを小脇に挟んでいる。スカリにはアワビやサザエらしき物が入れられている。アルバムのデータ記載欄には「S54.6.20 国崎」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1979.06.20 |
1355 | 国崎(徒人海女)9-5-4 | 一潜目を終えた徒人海女達であろう。ウエットスーツを脱ぎ磯着に着替える海女達や、すでに磯着に着替えてカマドで暖をとる海女など7人ほどが写される。傍らにはイソカゴやフゴ、カギノミ、メガネ箱などが置かれている。アルバムのデータ記載欄には「S54.6.20 国崎」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1979.06.20 |
1356 | 国崎(徒人海女)9-5-5 | 一潜目を終えた徒人海女達であろう。ウエットスーツを脱ぎ磯着に着替える海女達や、すでに磯着に着替えてカマドで暖をとる海女など7人ほどが写される。傍らにはイソカゴやフゴ、メガネ箱、カギノミなどが置かれている。アルバムのデータ記載欄には「S54.6.20 国崎」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1979.06.20 |
1357 | 国崎(徒人海女)9-5-6 | 一潜(ひとかづき)目を終え、休息をとる10人ほどの海女。ウエットスーツ姿でカギノミと磯メガネを持つ海女や、ナカネに着替えて暖をとる海女がみられる。周囲にはイソカゴやフゴ、カギノミ、メガネ箱、担い棒などが置かれている。海女小屋が建てられない立地では、このように岩場の陰で火を焚いていた。火場では小腹を満たすための、丸餅やサツマイ モと思われるものが焼かれている。当時は髪の長い海女は珍しかった。(「海辺の毎日 国崎の暮らし写真展」報告書より)アルバムのデータ記載欄には「S54.6.20 国崎」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1979.06.20 |
1358 | 磯部のり場1-1-1 | アルバムのデータ記載欄には「1~4 磯部のり場」と記される。支柱網張り式のアオサ養殖風景である。アオサはアオサ目アオサ科の緑藻の総称であるが、流通しているアオサの多くはヒトエグサ(ヒトエグサ科)だと言われる。潮の満ち引きのある浅い海で育つため、波の静かな浅瀬に竹ソダを立てて網を張り養殖をする。 | 志摩市磯部町坂崎(伊雑浦) | (不明) |
1359 | 磯部のり場1-1-2 | アルバムのデータ記載欄には「1~4 磯部のり場」と記される。支柱網張り式のアオサ養殖風景である。アオサはアオサ目アオサ科の緑藻の総称であるが、流通しているアオサの多くはヒトエグサ(ヒトエグサ科)だと言われる。潮の満ち引きのある浅い海で育つため、波の静かな浅瀬に竹ソダを立てて網を張り養殖をする。 | 志摩市磯部町坂崎(伊雑浦) | (不明) |
1360 | 磯部のり場1-1-3 | 谷惣瓦店の瓦を焼く釜と思われる。 | 志摩市磯部町坂崎(伊雑浦) | (不明) |
1361 | 磯部のり場1-1-4 | アルバムのデータ記載欄には「1~4 磯部のり場」と記される。支柱網張り式のアオサ養殖風景である。アオサはアオサ目アオサ科の緑藻の総称であるが、流通しているアオサの多くはヒトエグサ(ヒトエグサ科)だと言われる。潮の満ち引きのある浅い海で育つため、波の静かな浅瀬に竹ソダを立てて網を張り養殖をする。 | 志摩市磯部町坂崎(伊雑浦) | (不明) |
1362 | 徒人海女1-1-5 | これから漁に行くのか海女用具を入れた磯桶を頭に乗せ、鉛のベルトを腰に巻いた二人の海女が急な坂道を歩く。 | 不明 | 不明 |
1363 | 徒人海女1-1-6 | これから漁に行くのか海女用具を入れた磯桶を肩に乗せ、波打際を二人の海女が歩く。 | 不明 | 不明 |
1364 | 大王・波切の海女1-4-1 | アルバムのデータ記載欄には「48.5.9 大王・波切の海女」と記される。大王崎の難所として知られるこの海域は、岩礁に富む豊かな漁場でもあることから、早くから避難港を兼ねた漁港としての整備が強く望まれてきた。波切漁港の整備は、大正7年に着工。昭和26年に漁港指定がなされ、同44年に整備計画漁港の指定を受けて第4次計画のもとで改修事業が進められてきた。写真の昭和48年は第5次の修築事業へと移行する年である。写真上部、やや右寄りの白い建造物は波切灯台かと思われる。参考文献:『三重の漁港1971/1995』 | 志摩市大王町波切 | 1973.05.09 |
1365 | 大王・波切の海女(波切の街並み景観)1-4-2 | アルバムのデータ記載欄には「48.5.9 大王・波切の海女/くり石」と記される。船の錨(アンカー)か、舟人海女が用いる古い形の分銅かと思われる。要調査 | 志摩市大王町波切 | 1973.05.09 |
1366 | 大王・波切の海女(波切の街並み景観)1-5-1 | アルバムのデータ記載欄には「48.5.9 大王・波切の海女」と記される。大王町波切の海岸線と街並景観である。写真左端に「たから荘」、中央やや右寄りに波切灯台と「奥志摩観光センター」の文字が確認できる。 | 志摩市大王町波切 | 1973.05.09 |
1367 | 大王・波切の海女(波切の街並み景観)1-5-2 | アルバムのデータ記載欄には「48.5.9 大王・波切の海女」と記される。大王町波切の街並景観である。大王町は石工を職業とする人達が多い町として知られるが、まるで城壁の様な石組みと斜面に軒を連ねる波切独特の街並みが写される。 | 志摩市大王町波切 | 1973.05.09 |
1368 | 大王・波切の海女(波切の街並み景観)1-5-3 | アルバムのデータ記載欄には「48.5.9 大王・波切の海女」と記される。大王町波切の海岸線と街並景観である。写真、中央やや右寄りに波切灯台と「奥志摩観光センター」、その下に「ミヤサキ真珠店」の文字が確認できる。 | 志摩市大王町波切 | 1973.05.09 |
1369 | 大王・波切の海女(波切の街並み景観)1-5-4 | アルバムのデータ記載欄には「48.5.9 大王・波切の海女」と記される。大王町波切の街並景観である。写真、中央に波切灯台と「奥志摩観光センター」、その下に「ミヤサキ真珠店」の文字が確認できる。 | 志摩市大王町波切 | 1973.05.09 |
1370 | 大王・波切の海女(波切の街並み景観)1-6-1 | アルバムのデータ記載欄には「48.5.9 大王・波切の海女」と記される。大王町波切の街並景観である。写真、中央に波切灯台と「奥志摩観光センター」、その下に「ミヤサキ真珠店」の文字が確認できる。モルタル造りの家の前では老人が一人、木々の片付けを続ける。 | 志摩市大王町波切 | 1973.05.09 |
1371 | 大王・波切の海女(波切の街並み景観)1-6-2 | アルバムのデータ記載欄には「48.5.9 大王・波切の海女」と記される。大王町波切の街並景観である。写真、中央に波切灯台と「奥志摩観光センター」、その下に「ミヤサキ真珠店」の文字が確認できる。海岸の防波堤から道路一つを隔てて、斜面に石垣を組上げながら民家が建ち並ぶ波切特有の景観である。 | 志摩市大王町波切 | 1973.05.09 |
1372 | 大王・波切の海女(波切の街並み景観)1-6-3 | アルバムのデータ記載欄には「48.5.9 大王・波切の海女」と記される。大王町波切の海岸線と街並景観である。海の難所として知られる海域である。打ち寄せる波を和らげるための改修工事が進められているのか、浜辺には真新しい消波ブロックが積上げられている。 | 志摩市大王町波切 | 1973.05.09 |
1373 | 大王・波切の海女(波切の街並み景観)1-6-4 | アルバムのデータ記載欄には「48.5.9 大王・波切の海女」と記される。大王町波切の街並景観である。石垣を組上げ、つづら折りに取付けられた階段状の小道を、子供を背負った婦人や漁師らしき男性が降りてくる。 | 志摩市大王町波切 | 1973.05.09 |
1374 | 大王・波切の海女(波切の街並み景観)1-6-5 | アルバムのデータ記載欄には「48.5.9 大王・波切の海女」と記される。大王町の波切漁港に作られた市場風景である。係留船からは「松和海事(株)」の作業船や、「ME3-30687」の船舶登録番号を付けた漁船が、市場には「港内スロー」の文字や「波切漁港」と記されたトロ箱が確認できる。写真上部の白い建造物は波切灯台である。 | 志摩市大王町波切 | 1973.05.09 |
1375 | 大王・波切の海女(波切の街並み景観)1-6-6 | アルバムのデータ記載欄には「48.5.9 大王・波切の海女」と記される。大王町波切漁港の景観である。係留船からは船尾に「■光丸」、「政丸」、「大黒丸」、「」壽和丸」、「三重波切港正栄丸」と記された漁船が確認できる。写真中央上部の白い建造物は波切灯台である。 | 志摩市大王町波切 | 1973.05.09 |
1376 | 国崎(海女)3-1-1 | れから磯へ行くのか、磯の帰りなのか、手拭いで頬被りをしてイナイボウの前にアラメらしき海藻を、後にはイソカゴを掛けた女性が海浜を歩く姿が写される。アルバムのデータ記載欄には「国崎」と記される。こ | 鳥羽市国崎町 | (1972) |
1377 | 国崎(海女)3-1-2 | 国崎の街角風景である。トラックの側に三人の婦人が話し込む。手拭いで頬被りをし、白の磯着を身に付ける女性は海女の様に見える。アルバムのデータ記載欄には「国崎」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | (1972) |
1378 | 国崎(海女)3-1-3 | 国崎の街角風景である。トラックの側に三人の婦人が話し込む。手拭いで頬被りをし、白の磯着を身に付ける女性は海女の様に見える。アルバムのデータ記載欄には「国崎」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | (1972) |
1379 | 国崎(海女)3-1-4 | 海女小屋で暖をとる海女達。これから一潜目に出漁するのか、一潜目を終えた後の休憩なのか不明であるが、カマドの火に背を向けて暖をとる。手前の女性は小腹を満たすためか、餅かオニギリのような物を手にする。アルバムのデータ記載欄には「国崎」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | (1972) |
1380 | 国崎(海女)3-1-5 | 女小屋の中であろう、磯手拭いでほおかぶりをした海女。側には幼児の姿も写る。アルバムのデータ記載欄には「国崎」と記される。海 | 鳥羽市国崎町 | (1972) |
1381 | 国崎(海女)3-1-6 | カギノミかと思われる。ノミの持ち方を写したもの。アルバムのデータ記載欄には「国崎」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | (1972) |
1382 | 国崎(海女)3-1-7 | 場所は国崎の鎧崎にある船揚場斜路の上。写されては居ないが、写真の右手に海女小屋と熨斗鰒調製所が、左側には国崎の集落がある。アラメらしき海藻が干されているが、その先を後ろ手を組んだ婦人が集落に向かって歩いて行く。アルバムのデータ記載欄には「国崎」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | (1972) |
1383 | 国崎(海女)3-1-8 | 国崎の前の浜と集落の風景である。国崎の人々にとってこの前の浜は神聖な所で、ノット正月や二舟祭を始め、海女達が海の神様に供え物をする場所でもある。アルバムのデータ記載欄には「国崎」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | (1972) |
1384 | 国崎(海女)3-2-1 | 婦人と子 供と犬。孫だろうか、白の手拭いで頬被りをした婦人が幼児を膝に乗せて微笑む。アルバムのデータ記載欄には「国崎」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | (1972) |
1385 | 国崎(海女)3-2-2 | 国崎鎧崎の船揚場に設置されている巻上機小屋の前である。白の磯手拭いを被り、白の磯着を身に付けた女性が陸に揚げた漁船の片付けをする。海女だろうか、傍らには黒のウエットスーツが置かれている。アルバムのデータ記載欄には「国崎」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | (1972) |
1386 | 国崎(海女)3-2-3 | 鎧崎の船揚場斜路の山際に置かれた蛸壺。素焼きのタコツボが徐々に姿を消していく中、プラスチック製のものや写真のようなコンクリート製のタコツボが使われるようになってきた。アルバムのデータ記載欄には「国崎」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | (1972) |
1387 | 国崎(海女)3-2-4 | 海女だろうか、白の手拭いで頬被りをした婦人が石垣の前の険しい道を歩む。アルバムのデータ記載欄には「国崎」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | (1972) |
1388 | 国崎(海女)3-2-5 | 鎧崎の方向から集落へと入った所である。アラメらしき海藻をはみ出るほど入れたフゴを背負った婦人が集落へと向かう。アルバムのデータ記載欄には「国崎」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | (1972) |
1389 | 国崎(海女)3-2-6 | 集落から鎧崎へと向かう婦人達。一人は担い棒でイソカゴを担ぎ、もう一人は幼児を背負う。アルバムのデータ記載欄には「国崎」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | (1972) |
1390 | 国崎(海女)3-3-1 | 鎧崎の船揚場近くにある海女小屋の風景である。カマドでは火が焚かれているのか、磯着を身に付け戸口に立つ海女の間から白い煙が漏れ出している。戸口の側には、発泡スチロール製のタンポやスカリ、ウエットスーツなどが置かれている。アルバムのデータ記載欄には「国崎」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | (1972) |
1391 | 国崎(海女)3-3-2 | 鎧崎の船揚場近くにある海女小屋の風景である。カマドでは火が焚かれ、磯着を身に付けた海女達が暖をとる。戸口近くに立つ海女は小腹を満たすのか、甘藷らしき物を口にする。小屋の入り口近くにはは、流木などの薪が積まれ、発泡スチロール製のタンポ木製の浮樽(磯樽)、スカリ、イソカゴ、フゴ、ウエットスーツなどが置かれている。(緑色の斑紋など劣化の兆候が見受けられる)アルバムのデータ記載欄には「国崎」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | (1972) |
1392 | 国崎(海女)3-3-3 | 鎧崎の船揚場近くにある海女小屋の風景である。カマドでは火が焚かれ、磯着を身に付けた海女達が暖をとる。小屋の入り口近くにはは、発泡スチロール製のタンポ、スカリ、イソカゴ、フゴ、ウエットスーツなどが置かれている。(緑色の斑紋など劣化の兆候が見受けられる)アルバムのデータ記載欄には「国崎」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | (1972) |
1393 | 国崎(海女)3-3-4 | 海女だろうか、鎧崎の船揚場の斜路を頬被りをした婦人が先を急ぐ。(緑色の斑紋など劣化の兆候が見受けられる)アルバムのデータ記載欄には「国崎」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | (1972) |
1394 | 国崎(海女)3-3-5 | 木製の浮樽(磯樽)とアワビの大きさを計測するスンポ、鉛のベルトである。(緑色の斑紋など劣化の兆候が見受けられる)アルバムのデータ記載欄には「国崎」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | (1972) |
1395 | 国崎(海女)3-3-6 | 鎧崎の船揚場近くにある海女小屋で暖をとる海女達。磯着を身に付けた海女達がカマドの火を背にして暖をとる。写真手前の海女は小腹を満たすのか、甘藷らしき物を口にする。(緑色の斑紋など劣化の兆候が見受けられる)アルバムのデータ記載欄には「国崎」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | (1972) |
1396 | 国崎(海女)3-4-1 | 国崎町鎧崎の船揚場の斜路である。丸太のコロに乗せて引き揚げられた漁船にはウエットスーツが干され、その傍らに海女らしき婦人が一人、周囲の様子を伺う。(緑色の斑紋など劣化の兆候が見受けられる) | 鳥羽市国崎町 | (1972) |
1397 | 国崎(海女)3-4-2 | 国崎町鎧崎の船揚場である。頬被りをした年配の婦人が天日干しされたアラメらしき海藻を段ボールに入れて運んでいる。婦人の後には漁船を揚げるための巻上機が写されている。写されてはいないが、写真の左側は国崎町の集落、右側は海女小や熨斗鰒調製所が建つ鎧崎である。(緑色の斑紋など劣化の兆候が見受けられる) | 鳥羽市国崎町 | (1972) |
1398 | 国崎(海女)3-4-3 | 国崎町鎧崎の船揚場である。頬被りをした年配の婦人が天日干しされたアラメの様な海藻を段ボールに入れて運んでいる。すれ違う様に漁から戻ってきたのか発泡スチロール製のタンポとスカリを肩に掛けた海女らしき婦人が集落へと向かう。その前方には漁船を揚げるための巻上機が写されている。 | 鳥羽市国崎町 | (1972) |
1399 | 国崎(海女)3-4-4 | 国崎町鎧崎の船揚場である。頬被りをした年配の婦人が集落へと向かう。その前方には漁船を揚げるための巻上機が写されている。 | 鳥羽市国崎町 | (1972) |
1400 | 国崎(海女)3-4-5 | 国崎町の船揚場と前の浜の景観である。二船祭りやノット正月の祭場として使われるなど、町の人達はこの浜を神聖な場所として大切にしている。写真右上に見える民家は国崎町の集落へと続き、手前の船揚場は海女小屋や熨斗鰒調製所が建つ鎧崎へと続く。 | 鳥羽市国崎町 | (不明) |
1401 | 国崎(海女)3-4-6 | 休憩をする海女。海女用具を入れるフゴを前に磯着を身に付けた海女が寛いでいるが、海女小屋の中での撮影かと思われる。 | 鳥羽市国崎町 | (不明) |
1402 | 国崎(海女)3-5-1 | かつては海女を生業としていたのだろうか。老婆が部屋で洗濯物をたたんでいる。孫か曽孫の物なのか、オシメの様である。(緑色の斑紋など劣化の兆候が見受けられる) | 鳥羽市国崎町 | (1972) |
1403 | 国崎(海女)3-5-2 | かつては海女を生業としていたのだろうか。老婆が部屋で洗濯物をたたんでいる。孫か曽孫の物なのか、オシメの様である。(緑色の斑紋など劣化の兆候が見受けられる) | 鳥羽市国崎町 | (1972) |
1404 | 国崎(海女)3-5-3 | かつては海女を生業としていたのだろうか。老婆が部屋で洗濯物をたたんでいる。孫か曽孫の物なのか、オシメの様である。(緑色の斑紋など劣化の兆候が見受けられる) | 鳥羽市国崎町 | (1972) |
1405 | 国崎(海女)3-5-4 | かつては海女を生業としていたのだろうか。老婆が部屋で洗濯物をたたんでいる。孫か曽孫の物なのか、オシメの様である。(緑色の斑紋など劣化の兆候が見受けられる) | 鳥羽市国崎町 | (1972) |
1406 | 国崎(海女)3-5-5 | かつては海女を生業としていたのだろうか。老婆が部屋で洗濯物をたたんでいる。孫か曽孫の物なのか、オシメの様である。(緑色の斑紋など劣化の兆候が見受けられる) | 鳥羽市国崎町 | (1972) |
1407 | 国崎(海女)3-5-6 | 国崎町の街並み景観。木箱を担いだ村人が一人、鎧崎の船揚場方面から堤防沿いの道路を集落へと向かう。(緑色の斑紋など劣化の兆候が見受けられる) | 鳥羽市国崎町 | (1972) |
1408 | 国崎(海女)3-6-1 | 国崎町鎧崎の船揚場の上に建てられている海女小屋の側であろう。漁を終え自宅へと帰るのか、これから漁に出かけるのか、磯着姿の海女がイナイボウにフゴとイソカゴを吊し出かけようとするところである。フゴには浮樽(磯樽)とスカリ、イソカゴにはメガネ箱とカギノミが入れられている。まだ、他にも海女達が居るのか傍らには浮樽や発泡スチロール製のタンポ、カギノミ等が置かれている。 | 鳥羽市国崎町 | (不明) |
1409 | 国崎(海女)3-6-2 | 国崎町鎧崎の船揚場の上に建てられている海女小屋で暖をとる海女達。 | 鳥羽市国崎町 | (不明) |
1410 | 国崎(海女)3-6-3 | 国崎町鎧崎の船揚場の上に建てられている海女小屋で暖をとる海女達。(手にしている物は何か=要調査) | 鳥羽市国崎町 | (不明) |
1411 | 国崎(海女)3-6-4 | 国崎町鎧崎の船揚場の上に建てられている海女小屋で暖をとる海女達。(手にしている物は何か=要調査) | 鳥羽市国崎町 | (不明) |
1412 | 国崎(海女)3-6-5 | 国崎町の街並み景観である。漁村特有の、家々が軒を連ねる。路地の奥へと向かう一匹の犬と、右手には「清酒神鷹 奥田酒店」の看板が見て取れる。 | 鳥羽市国崎町 | (不明) |
1413 | 国崎(海女)4-2-1 | 試し撮り、路面。(緑色の斑紋など劣化の兆候が見受けられる) アルバムのデータ記載欄には「国崎 47.8.25」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.08.25 |
1414 | 国崎(海女)4-2-2 | 徒人の海女達であろう。10人ほどの海女達が砂浜で焚火をし、暖をとりながら磯着へと着替える。周囲にはフゴやイソカゴ、発泡スチロール製のタンポ、スカリ等が置かれている。写真右下には数人の子供達が写る。(緑色の斑紋など劣化の兆候が見受けられる) アルバムのデータ記載欄には「国崎 47.8.25」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.08.25 |
1415 | 国崎(海女)4-2-3 | 徒人の海女達であろう。10人ほどの海女達が砂浜で焚火をし、暖をとりながら磯着へと着替える。周囲にはフゴやイソカゴ、発泡スチロール製のタンポ、スカリ等が置かれている。写真右下には数人の子供達が写る。(緑色の斑紋など劣化の兆候が見受けられる) アルバムのデータ記載欄には「国崎 47.8.25」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.08.25 |
1416 | 国崎(海女)4-3-1 | 徒人の海女達であろう。10人ほどの海女達が砂浜で焚火をし、暖をとりながら磯着へと着替える。周囲にはフゴやイソカゴ、発泡スチロール製のタンポ、スカリ等が置かれている。その手前では、学校教育の一環だろうか、教師らしき男性と8人の子供達がタンポやスカリの側で、同じ様に暖をとる。(緑色の斑点など劣化の兆候が見受けられる) アルバムのデータ記載欄には「国崎 47.8.25」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.08.25 |
1417 | 国崎(海女)4-3-2 | 徒人の海女達であろう。10人ほどの海女達が砂浜で焚火をし、暖をとりながら磯着へと着替える。周囲にはフゴやイソカゴ、発泡スチロール製のタンポ、スカリ等が置かれている。その手前では、学校教育の一環だろうか、教師らしき男性と8人の子供達がタンポやスカリの側で、同じ様に暖をとる。アルバムのデータ記載欄には「国崎 47.8.25」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.08.25 |
1418 | 国崎(海女)4-3-3 | 徒人の海女達であろう。12人ほどの海女達が砂浜で焚火をし、暖をとる。周囲にはフゴやイソカゴ、発泡スチロール製のタンポ、木製の浮樽(磯樽)、スカリ、イナイボウ等が置かれている。(緑色の斑紋など劣化の兆候が見受けられる) アルバムのデータ記載欄には「国崎 47.8.25」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.08.25 |
1419 | 国崎(海女)4-3-4 | 徒人の海女達であろう。12人ほどの海女達が砂浜で焚火をし、暖をとる。周囲にはフゴやイソカゴ、発泡スチロール製のタンポ、木製の浮樽(磯樽)、スカリ、イナイボウ等が置かれている。(緑色の斑紋など劣化の兆候が見受けられる) アルバムのデータ記載欄には「国崎 47.8.25」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.08.25 |
1420 | 国崎(海女)4-3-5 | 国崎漁港の港内風景である。出漁の準備か、漁師が一人船のエンジンを点検している様である。(緑色の斑紋など劣化の兆候が見受けられる) アルバムのデータ記載欄には「国崎 47.8.25」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.08.25 |
1421 | 国崎(海女)4-3-6 | 国崎漁港の港内風景で、20艘ほどの海女船の出漁と、写真右下には徒人であろうか、磯メガネの曇り止めをする海女や磯メガネをかける海女達が見て取れる。(緑色の斑紋など劣化の兆候が見受けられる) アルバムのデータ記載欄には「国崎 47.8.25」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.08.25 |
1422 | 国崎(海女)4-4-1 | 国崎漁港から磯場へと向かう海女船の出漁風景である。17~18艘程の海女船が写されているが、ノリアイの海女船は見当たらず、全てが舟人海女のようである。(緑色の斑紋など劣化の兆候が見受けられる) アルバムのデータ記載欄には「国崎 47.8.25」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.08.25 |
1423 | 国崎(海女)4-4-2 | 国崎漁港から磯場へと向かう海女船の出漁風景である。(青色の斑紋など劣化の兆候が見受けられる) アルバムのデータ記載欄には「国崎 47.8.25」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.08.25 |
1424 | 国崎(海女)4-4-3 | 国崎漁港から磯場へと向かう海女船の出漁風景である。(青色の斑紋など劣化の兆候が見受けられる) アルバムのデータ記載欄には「国崎 47.8.25」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.08.25 |
1425 | 国崎(海女)4-4-4 | 磯場に到着し、操業の合図を待つ海女船。アルバムのデータ記載欄には「国崎 47.8.25」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.08.25 |
1426 | 国崎(海女)4-4-5 | 海女の操業風景。写真上部には舟人海女であろう数隻の海女船が見える。写真下部の海女は徒人海女であろう。木製の浮樽(磯樽)にスカリを付けている。アルバムのデータ記載欄には「国崎 47.8.25」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.08.25 |
1427 | 国崎(海女)4-5-2 | 国崎町の海女の操業風景。徒人の海女かと思われる。発泡スチロール製のタンポに掴まり、息を整え次の潜水に備える。腰に鉛のベルトを付けているが、ウエットスーツは着用していないように見える。 | 鳥羽市国崎町 | (1972) |
1428 | 国崎(海女)4-5-3 | 国崎町の舟人海女の操業風景。良い磯場なのか、4隻の海女船は今にも船縁が当たりそうである。船頭達は右手でイソグルマの命綱を、左手で艪を操り、海底の海女達の動きに神経を尖らせる。 | 鳥羽市国崎町 | (1972) |
1429 | 国崎(海女)4-5-4 | 国崎町の舟人海女の操業風景。良い磯場なのか、3隻の海女船は今にも船縁が当たりそうである。船頭達は右手でイソグルマの命綱を、左手で艪を操り、海底の海女達の動きに神経を尖らせる。船腹には「ME3-28824」の船舶登録番号が見て取れる。 | 鳥羽市国崎町 | (1972) |
1430 | 国崎(海女)4-5-5 | 国崎町の舟人海女の操業風景。良い磯場なのか、3隻の海女船は今にも船縁が当たりそうである。船頭達は右手でイソグルマの命綱を、左手で艪を操り、海底の海女達の動きに神経を尖らせる。真ん中の船頭は、海女からの合図があったのか、命綱を手繰上げる手に力が入る。船腹には「ME3-28824」の船舶登録番号が見て取れる。(緑色の斑紋など劣化の兆候が見受けられる) | 鳥羽市国崎町 | (1972) |
1431 | 国崎(海女)4-5-6 | 国崎町の舟人海女の操業風景。20隻ほどの海女船が岩礁の沖合で操業を続ける。(緑色の斑紋など劣化の兆候が見受けられる) | 鳥羽市国崎町 | (1972) |
1432 | 国崎(海女)4-6-1 | 国崎町の舟人海女の操業風景。良い磯場なのか、3隻の海女船は今にも船縁が当たりそうである。船頭達は右手でイソグルマの命綱を、左手で艪を操り、海底の海女達の動きに神経を尖らせる。船腹には「ME3-28824/ME3-25851」の船舶登録番号が見て取れる。(緑色の斑紋など劣化の兆候が見受けられる) | 鳥羽市国崎町 | (1972) |
1433 | 国崎(海女)4-6-2 | 国崎町の舟人海女の操業風景。良い磯場なのか、3隻の海女船は今にも船縁が当たりそうである。船頭達は右手でイソグルマの命綱を、左手で艪を操り、海底の海女達の動きに神経を尖らせる。船腹には「ME3-28824/ME3-25851」の船舶登録番号が見て取れる。(緑色の斑紋など劣化の兆候が見受けられる) | 鳥羽市国崎町 | (1972) |
1434 | 国崎(海女)4-6-3 | 国崎町の舟人海女の操業風景。良い磯場なのか、2隻の海女船は今にも船縁が当たりそうである。船頭達は右手でイソグルマの命綱を、左手で艪を操り、海底の海女達の動きに神経を尖らせる。船腹には「ME3-25851」の船舶登録番号が見て取れる。(緑色の斑紋など劣化の兆候が見受けられる) | 鳥羽市国崎町 | (1972) |
1435 | 国崎(海女)4-6-4 | 国崎町の舟人海女の操業風景。良い磯場なのか、2隻の海女船は今にも船縁が当たりそうである。船頭達は右手でイソグルマの命綱を、左手で艪を操り、海底の海女達の動きに神経を尖らせる。沖側の船頭は、海女からの合図があったのか、命綱を手繰上げる手に力が入る。船腹には「ME3-2585■」の船舶登録番号が見て取れる。(緑色の斑紋など劣化の兆候が見受けられる) | 鳥羽市国崎町 | (1972) |
1436 | 国崎(海女)4-6-5 | 国崎町の徒人海女の操業風景。発泡スチロール製のタンポの綱を握り海底の様子を伺う海女も写るが、ウエットスーツは身につけていないようである。(緑色の斑紋など劣化の兆候が見受けられる) | 鳥羽市国崎町 | (1972) |
1437 | 国崎(海女)4-6-6 | 国崎町の徒人海女の操業風景。発泡スチロール製のタンポに掴まり息を整え次の潜水に備える。ウエットスーツは身につけていないようである。(緑色の斑紋など劣化の兆候が見受けられる) | 鳥羽市国崎町 | (1972) |
1438 | 国崎(海女)5-1-1 | 国崎町の徒人海女の操業風景。発泡スチロール製のタンポに掴まり息を整え次の潜水に備える。ウエットスーツは身につけていないようである。(緑色の斑紋など劣化の兆候が見受けられる) | 鳥羽市国崎町 | (1972) |
1439 | 国崎(海女)5-1-2 | 国崎町の徒人海女の操業風景。木製の浮樽(磯樽)や発泡スチロール製のタンポに掴まり、海底の様子を確認しながら磯場を移動していく。白の磯着だけで、ウエットスーツは身につけていないように思われる。(緑色の斑紋など劣化の兆候が見受けられる) | 鳥羽市国崎町 | (1972) |
1440 | 国崎(海女)5-1-3 | 国崎漁港の港内風景。海女漁の操業を終え帰港したところであろう、数隻の海女船が港内の浜辺へと向かう。 | 鳥羽市国崎町 | (1972) |
1441 | 国崎(海女)5-1-4 | 国崎漁港の港内風景。海女漁の操業を終え帰港したのであろう、十隻程の海女船が波打際に艫から留められている。海女達は船が波で動いてしまわないように棒で船上から操る。写真上部に道路が見えるか、右手は国崎町の集落、左手は相差町へと続く。 | 鳥羽市国崎町 | (1972) |
1442 | 国崎(海女)5-1-5 | 国崎漁港の港内風景。海女漁の操業を終え帰港したのであろう、十隻程の海女船が波打際に艫から留められている。海女達は船が波で動いてしまわないように棒で船上から操る。写真上部に道路が見えるか、右手は国崎町の集落、左手は相差町へと続く。 | 鳥羽市国崎町 | (1972) |
1443 | 国崎(海女)5-1-6 | 国崎町鎧崎の船揚場かと思われる。海女漁の操業を終え帰港したのであろう、漁船の引揚げ作業風景である。漁港整備が十分でない時代には、漁を終えればその都度、丸太のコロを船底に敷き村人達が共同で陸へと引き揚げた。また、木造船の場合は船底に着く貝や海藻を取り除き、防虫を兼ねて藁や茅等で船底を焼く「フナダテ」も行われた。(緑色の斑紋など劣化の兆候が見受けられる) | 鳥羽市国崎町 | (1972) |
1444 | 国崎(海女)5-2-1 | 国崎町鎧崎の船揚場である。海女漁の操業を終え帰港したのであろう、漁船の引揚げ作業風景である。漁港整備が十分でない時代には、漁を終えればその都度、丸太のコロを船底に敷き村人達が共同で陸へと引き揚げた。写されてはいないが、写真右手に海女小屋や熨斗鰒の調製所がある。左手堤防沿いの道路を行けば国崎町の集落である。(緑色の斑紋など劣化の兆候が見受けられる) | 鳥羽市国崎町 | (1972) |
1445 | 国崎(海女)5-2-2 | 国崎町鎧崎の船揚場である。写真中下段の右端には、海女達が採ってきた漁獲物をイソカゴに入れて畜養する姿が写る。中央の赤い旗は、海女漁の操業開始と終了を合図する時に使われる物かと思われる。 | 鳥羽市国崎町 | (1972) |
1446 | 国崎(海女)5-2-3 | 海女漁の操業開始と終了を合図する時に使われる旗竿かと思われる。 | 鳥羽市国崎町 | (1972) |
1447 | 国崎(海女)5-2-4 | 海女漁の操業開始と終了を合図する時に使われる旗竿かと思われる。 | 鳥羽市国崎町 | (1972) |
1448 | 国崎(海女)5-2-5 | 海女漁の操業開始と終了を合図するサイレンかと思われる(要調査)。 | 鳥羽市国崎町 | (1972) |
1449 | 国崎(海女)5-2-6 | 海女漁等に関する張り紙。「告知:本日は鮑採の予定 場所 棚波瀬・みじもの・とおり・ぼんぼ 一回磯/要望 時間はお互いに守ってください、稚貝は愛護致しませう、エンジンは使用に注意しませう/八月二十五日/各位/国崎漁業協同組合」、「告示:皆様方のご協力によりまして諸海藻の値段は下記の通りです。今後共にお願い致します。上天草10K 5,320円原価/青天草10K 4,880円原価/長■10K ■■■」、「■■十六日(旧十八日) ■会式(御盆会) ■峯 青峯山」、「■・・・■老の浜にお願いします。目鏡其の他は禁止、事故防止の為御協力をお願い致します。/各位/国崎漁業協同組合」の張り紙が確認できる。 | 鳥羽市国崎町 | (1972) |
1450 | 国崎(海女)5-3-1 | 海女漁等に関する張り紙。「告知:本日は鮑採の予定 場所 棚波瀬・みじもの・とおり・ぼんぼ 一回磯/要望 時間はお互いに守ってください、稚貝は愛護致しませう、エンジンは使用に注意しませう/八月二十五日/各位/国崎漁業協同組合」、「告示:皆様方のご協力によりまして諸海藻の値段は下記の通りです。今後共に■■■」、「■■■六日(旧十八日) ■■■」の張り紙が確認できる。 | 鳥羽市国崎町 | (1972) |
1451 | 国崎(海女)5-3-2 | 国崎町の海女用具。フゴ、イソカゴ、メガネ箱等 | 鳥羽市国崎町 | (1972) |
1452 | 国崎(海女)5-3-3 | かつては海女を生業としていたのだろうか。玄関先で孫の守をしながら豆を剥く老婆。 | 鳥羽市国崎町 | (1972) |
1453 | 国崎(海女)5-3-4 | 国崎町の街並み景観である。これから海女漁に出かけるのか磯手拭に菅笠を被り、薪とイソカゴを前に、浮樽(磯樽)を入れたフゴを後に掛けたイナイボウを担ぐ婦人が集落内の路地を歩いて行く。少し分かり難いが路地の奥にも同様の婦人が見える。 | 鳥羽市国崎町 | (1972) |
1454 | 国崎(海女)5-3-5 | 国崎町の街並み景観である。これから海女漁に出かけるのか磯手拭を被った婦人が、薪らしき物を入れたフゴを肩に、その後を発砲スチロール製のタンポとイソカゴ、スカリを吊したイナイボウを担ぐ婦人達が海岸方面へと急ぐ。(緑色の斑紋など劣化の兆候が見受けられる) | 鳥羽市国崎町 | (1972) |
1455 | 国崎(海女)5-3-6 | 国崎町の堤防道路の光景である。孫だろうか、子供を背負い煙草をくわえた老人の横を、これから海女漁に出かけるのか発泡スチロール製のタンポとイソカゴ、スカリを吊したイナイボウを担ぐ婦人と右手に木製の浮樽(磯樽)とスカリ、左肩に薪らしき物を入れたフゴを担いだ婦人が、鎧崎方面から国崎漁港方面へと堤防道路を歩いて行く。(緑色の斑紋など劣化の兆候が見受けられる) | 鳥羽市国崎町 | (1972) |
1456 | 国崎6-3-1 | 今では見ることも少なくなってきた蛸壺漁に用いる首くくり式の素焼きのタコツボである。地域によっては「タコガメ」と呼んだりもするが、常滑や三州製のものが多く、大・中・小の大きさがある。タコはきれいな住処を好むと言われ、海中から引き揚げられたタコツボは、海藻やフジツボ等を取り除く作業が行われる。【参考文献】『海の図鑑』海の博物館編・1988年発行 アルバムのデータ記載欄には「S47.8.17 国崎」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.08.17 |
1457 | 国崎6-3-2 | 蛸壺漁に用いる首くくり式の素焼きのタコツボである。地域によっては「タコガメ」と呼んだりもするが、常滑や三州製の素焼きの物に取って代わって出てきたコンクリート製やプラスチック製のタコツボである。【参考文献】『海の図鑑』海の博物館編・1988年発行 アルバムのデータ記載欄には「S47.8.17 国崎」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.08.17 |
1458 | 国崎6-3-3 | 国崎町の海女用具、イソカゴである。アルバムのデータ記載欄には「S47.8.17 国崎」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.08.17 |
1459 | 国崎6-3-4 | 国崎町の海女用具、イソカゴと発泡スチロール製のタンポとスカリである。アルバムのデータ記載欄には「S47.8.17 国崎」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.08.17 |
1460 | 国崎(海女)6-3-5 | 国崎町の海女用具、フゴである。地域によっては「イジコ」と呼ばれたりする。海女漁に出かけるとき、着替えや弁当、お茶などを入れ、イナイボウで担いだり、肩に掛けたりして持って行く。アルバムのデータ記載欄には「S47.8.17 国崎」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.08.17 |
1461 | 国崎6-3-6 | 放流鮑の稚貝標本。各々の鮑貝の下に「ふ化後7か月放流時40.6.1/放流後1か月/放流後2か月/放流後9か月/放流後11か月」と記された表記カードが入れられている。アルバムのデータ記載欄には「S47.8.17 国崎」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.08.17 |
1462 | 国崎6-4-1 | 国崎の海域は「伊勢の神前、国崎の鎧、波切大王なけりゃよい」とまで船乗り達に恐れられた海の難所である。ひとたび海が荒れ始めると打ち寄せる波はなんなく堤防を乗り越えてくる。漁師達にとって漁港の整備は長年の悲願でもあった。アルバムのデータ記載欄には「S47.8.17 国崎」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.08.17 |
1463 | 国崎6-4-2 | 国崎の海域は「伊勢の神前、国崎の鎧、波切大王なけりゃよい」とまで船乗り達に恐れられた海の難所である。ひとたび海が荒れ始めると打ち寄せる波はなんなく堤防を乗り越えてくる。漁師達にとって漁港の整備は長年の悲願でもあった。アルバムのデータ記載欄には「S47.8.17 国崎」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.08.17 |
1464 | 国崎6-4-3 | 国崎町の船揚場へと続く前の浜と海岸沿いの集落景観である。二船祭りやノット正月の祭場として使われるなど、町の人達はこの浜を神聖な場所として大切にしている。写真に写されてはいないが、右側は船揚場と海女小屋、熨斗鰒調製所が建つ鎧崎である。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.08.17 |
1465 | 国崎6-4-4 | 伊勢神宮の神饌として納められる国崎の熨斗鰒作りである。熨斗鰒は国崎の海女達が採ったアワビを鎧崎の調製所で熨斗にして毎年6月と12月の月次祭と10月の神嘗祭に納めるもので、2千年もの長きにわたって続けられてきたと言う。写真は身取鰒を作る作業風景で、アワビの汚れを洗い落とす。参考文献:『国崎の熨斗鰒づくり調査報告書』国崎町内会 2011年発行 | 鳥羽市国崎町 | 1972.08.17 |
1466 | 国崎6-4-5 | 放流鮑の稚貝標本。各々の鮑貝の下に「ふ化後7か月放流時40.6.1/放流後1か月/放流後2か月/放流後9か月/放流後11か月」と記された表記カードが入れられている。アルバムのデータ記載欄には「S47.8.17 国崎」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.08.17 |
1467 | 国崎6-4-6 | 国崎町鎧崎近辺の景観。家屋の横に止められている軽トラックには「鳥羽市国崎町 世古建設」の名前が見て取れる。(緑色の斑紋など劣化の兆候が見受けられる) | 鳥羽市国崎町 | (不明) |
1468 | 国崎7-1-1 | 国崎町鎧崎の船揚場横に建てられている海女小屋の内部である。ブロックで囲われた小屋のほぼ中央には土を掘ってカマドが作られ、壁には発泡スチロール製のタンポやスカリ、ウエットスーツ、磯着等が掛けられている。アルバムのデータ記載欄には「S47 国崎」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972 |
1469 | 国崎7-1-2 | 国崎町鎧崎の船揚場横に建てられている海女小屋の外観である。周囲をブロックで囲い、屋根はトタン葺きである。小屋の外には流木と思われるカマド用の薪が積まれている。アルバムのデータ記載欄には「S47 国崎」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972 |
1470 | 国崎7-1-3 | 国崎町鎧崎の熨斗鰒調製所から見た船揚場風景。調製所の外には漁師らしき老人が腰を下ろしている。漁は休みなのか、老人の視線の先にある船揚場には、二重、三重に陸揚げされた漁船が並ぶ。アルバムのデータ記載欄には「S47 国崎」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972 |
1471 | 国崎7-1-4 | 熨斗鰒調製所で寛ぐ古老達。平成14年の漁業協同組合合併までは、国崎漁協が中心となって熨斗づくりが行われてきた。熨斗鰒づくりが一段落したのか、窓際に並べられた手桶やノシガタナの側で4人の古老達が休息を取る。アルバムのデータ記載欄には「S47 国崎」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972 |
1472 | 国崎7-1-5 | 熨斗鰒調製所で寛ぐ古老達。平成14年の漁業協同組合合併までは、国崎漁協が中心となって熨斗づくりが行われてきた。熨斗鰒づくりが一段落したのか、古老達が休息を取る。窓際に手桶やノシガタナが並べられている。アルバムのデータ記載欄には「S47 国崎」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972 |
1473 | 国崎7-1-6 | 国崎の海岸風景。アルバムのデータ記載欄には「S47 国崎」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972 |
1474 | 国崎7-2-1 | 国崎町の集落景観。集落内の市道から海側を望む。 | 鳥羽市国崎町 | (不明) |
1475 | 国崎7-2-2 | 国崎町鎧崎の船揚場近辺であろうか。錨が積まれた小屋の前で、イソカゴに道具を入れ傍らに鍬を置いた婦人が畑仕事へでも行くのか、何やら作業をしている。その側に犬が一匹座っている。 | 鳥羽市国崎町 | (不明) |
1476 | 国崎7-2-3 | 国崎町鎧崎の船揚場横に建てられている海女小屋の入り口付近から見た風景である。海女小屋で暖をとるために使う薪の上にはウエットスーツが干されている。 | 鳥羽市国崎町 | (不明) |
1477 | 国崎7-2-4 | 国崎町鎧崎の船揚場横に建てられている海女小屋付近の風景である。小屋の外には刺網や素焼きのタコツボ、プラスチックのタンポ等が積まれている。写真の鳥居をくぐって階段を上って行くと山の神を祀る祠が建てられている。 | 鳥羽市国崎町 | (不明) |
1478 | 国崎7-2-5 | 国崎町の海女用具。発泡スチロール製のタンポとスカリ、カギノミ、メガネ箱と磯メガネである。左端の鉄製の釜は不明(要調査)。(緑色の斑紋など劣化の兆候が見受けられる) | 鳥羽市国崎町 | (不明) |
1479 | 国崎7-2-6 | 国崎町鎧崎の船揚場横に建てられている海女小屋の内部である。ブロックで囲われた小屋のほぼ中央には土を掘ってカマドが作られ、壁際にはフゴやイソカゴが置かれている。(緑色の斑紋など劣化の兆候が見受けられる) | 鳥羽市国崎町 | (不明) |
1480 | 国崎7-3-1 | 国崎町の海女用具。カマドで暖をとるために使用する流木などの薪の上にウエットスーツが干されている。(緑色の斑紋など劣化の兆候が見受けられる) | 鳥羽市国崎町 | (不明) |
1481 | 国崎7-3-2 | 国崎町鎧崎の船揚場近辺の景観黒く塗られた瓦葺きの小さな家屋は、漁具などを保管する漁師小屋かと思われる。(緑色の斑紋など劣化の兆候が見受けられる) | 鳥羽市国崎町 | (不明) |
1482 | 国崎7-3-3 | 国崎町鎧崎の船揚場の風景である。漁に出ているのか陸に揚げられた漁船はわずかである。写真の右手堤防沿いに進めば国崎町の集落。写されてはいないが左側には海女小屋や熨斗鰒調製所が建てられている。(緑色の斑紋など劣化の兆候が見受けられる) | 鳥羽市国崎町 | (不明) |
1483 | 国崎7-3-4 | 国崎町の集落景観である。道路左側の建物は漁具等を保管する漁師小屋で戸口には屋号が記されている。子供を背負った老婦人が歩く先は鎧崎である。(緑色の斑紋など劣化の兆候が見受けられる) | 鳥羽市国崎町 | (不明) |
1484 | 国崎7-3-5 | かつては海女を生業としていたのだろうか。老婆が部屋で洗濯物をたたんでいる。孫か曽孫の物なのか、オシメの様である。(緑色の斑紋など劣化の兆候が見受けられる)(№1402に写される老婆と同一人物) アルバムのデータ記載欄には「S46」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | (不明) |
1485 | 国崎7-3-6 | かつては海女を生業としていたのだろうか。老婆が部屋で洗濯物をたたんでいる。孫か曽孫の物なのか、オシメの様である。(緑色の斑紋など劣化の兆候が見受けられる)(№1402に写される老婆と同一人物) アルバムのデータ記載欄には「S46」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | (不明) |
1486 | 国崎アラメ拾い7-4-1 | 国崎町鎧崎の前の浜であろう。昔から海の難所として恐れられてきた海域である。少しの気圧の変化でも海はうねり、海底を揺すり白波が岩場を洗う。アラメや天草などの海藻類も岩から剥がれたり千切れたりして海岸へ打ち寄せられるが、漁村地域ではそれらを拾い集めて、食材や田畑の肥料として活用してきた。 アルバムのデータ記載欄には「S47年不明 国崎アラメ拾い」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972 |
1487 | 国崎アラメ拾い7-4-2 | 国崎町鎧崎の前の浜であろう。昔から海の難所として恐れられてきた海域である。少しの気圧の変化でも海はうねり、海底を揺すり白波が岩場を洗う。アラメや天草などの海藻類も岩から剥がれたり千切れたりして海岸へ打ち寄せられるが、漁村地域ではそれらを拾い集めて、食材や田畑の肥料として活用してきた。 アルバムのデータ記載欄には「S47年不明 国崎アラメ拾い」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972 |
1488 | 国崎アラメ拾い7-4-3 | 国崎漁港を相差町寄りの浜からみた風景である。昔から海の難所として恐れられてきた海域である。少しの気圧の変化でも海はうねり、海底を揺すり白波が岩場を洗う。アラメや天草などの海藻類も岩から剥がれたり千切れたりして浜辺や海岸に打ち寄せられるが、漁村地域ではそれらを拾い集めて、食材や田畑の肥料として活用してきた。アルバムのデータ記載欄には「S47年不明 国崎アラメ拾い」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972 |
1489 | 国崎アラメ拾い7-4-4 | 国崎漁港を相差町寄りの浜からみた風景である。昔から海の難所として恐れられてきた海域である。少しの気圧の変化でも海はうねり、海底を揺すり白波が岩場を洗う。アラメや天草などの海藻類も岩から剥がれたり千切れたりして浜辺や海岸に打ち寄せられるが、漁村地域ではそれらを拾い集めて、食材や田畑の肥料として活用してきた。アルバムのデータ記載欄には「S47年不明 国崎アラメ拾い」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972 |
1490 | 国崎アラメ拾い7-4-5 | 昔から海の難所として恐れられてきた海域である。少しの気圧の変化でも海はうねり、海底を揺すり白波が岩場を洗う。アラメや天草などの海藻類も岩から剥がれたり千切れたりして浜辺や海岸に打ち寄せられるが、漁村地域ではそれらを拾い集めて、食材や田畑の肥料として活用してきた。アルバムのデータ記載欄には「S47年不明 国崎アラメ拾い」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972 |
1491 | 国崎アラメ拾い7-4-6 | 国崎漁港を相差町寄りの浜からみた風景である。昔から海の難所として恐れられてきた海域である。少しの気圧の変化でも海はうねり、海底を揺すり白波が岩場を洗う。アラメや天草などの海藻類も岩から剥がれたり千切れたりして浜辺や海岸に打ち寄せられるが、漁村地域ではそれらを拾い集めて、食材や田畑の肥料として活用してきた。アルバムのデータ記載欄には「S47年不明 国崎アラメ拾い」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972 |
1492 | 国崎アラメ拾い7-5-1 | 国崎漁港を相差町寄りの浜からみた風景である。昔から海の難所として恐れられてきた海域である。少しの気圧の変化でも海はうねり、海底を揺すり白波が岩場を洗う。アラメや天草などの海藻類も岩から剥がれたり千切れたりして浜辺や海岸に打ち寄せられるが、漁村地域ではそれらを拾い集めて、食材や田畑の肥料として活用してきた。アルバムのデータ記載欄には「S47年不明 国崎アラメ拾い」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972 |
1493 | 国崎アラメ拾い7-5-2 | 海が荒れるとアラメや天草などの海藻類が岩から剥がれたり千切れたりして浜辺に打ち寄せられる。漁村地域では昔からそれらの海藻類が打ち寄せられるのを拾い集めて、食材や田畑の肥料として活用してきた。アルバムのデータ記載欄には「S47年不明 国崎アラメ拾い」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972 |
1494 | 国崎アラメ拾い7-5-3 | 海が荒れるとアラメや天草などの海藻類が岩から剥がれたり千切れたりして浜辺に打ち寄せられる。漁村地域では昔からそれらの海藻類が打ち寄せられるのを拾い集めて、食材や田畑の肥料として活用してきた。アルバムのデータ記載欄には「S47年不明 国崎アラメ拾い」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972 |
1495 | 国崎アラメ拾い7-5-4 | 海が荒れるとアラメや天草などの海藻類が岩から剥がれたり千切れたりして浜辺に打ち寄せられる。漁村地域では昔からそれらの海藻類が打ち寄せられるのを拾い集めて、食材や田畑の肥料として活用してきた。アルバムのデータ記載欄には「S47年不明 国崎アラメ拾い」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972 |
1496 | 国崎アラメ拾い7-5-5 | 海が荒れるとアラメや天草などの海藻類が岩から剥がれたり千切れたりして浜辺に打ち寄せられる。漁村地域では昔からそれらの海藻類が打ち寄せられるのを拾い集めて、食材や田畑の肥料として活用してきた。アルバムのデータ記載欄には「S47年不明 国崎アラメ拾い」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972 |
1497 | 国崎アラメ拾い7-5-5 | 海が荒れるとアラメや天草などの海藻類が岩から剥がれたり千切れたりして浜辺に打ち寄せられる。漁村地域では昔からそれらの海藻類が打ち寄せられるのを拾い集めて、食材や田畑の肥料として活用してきた。アルバムのデータ記載欄には「S47年不明 国崎アラメ拾い」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972 |
1498 | 鳥羽市国崎町(舟人海女)8-1-1 | 国崎町では舟人海女の事を夫婦で操業する事から「ととかか舟」とも呼ぶ。磯手拭いを被り、ウエットスーツに鉛のベルトを巻き、命綱を付けた海女が磯場へと向かう船上風景である。アルバムのデータ記載欄には「48.7.31 AM 鳥羽市国崎町(舟人海女)」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.07.31 |
1499 | 鳥羽市国崎町(舟人海女)8-1-2 | 国崎町では舟人海女の事を夫婦で操業する事から「ととかか舟」とも呼ぶ。磯場へと向かう出漁風景である。アルバムのデータ記載欄には「48.7.31 AM 鳥羽市国崎町(舟人海女)」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.07.31 |
1500 | 鳥羽市国崎町(舟人海女)8-1-3 | 国崎町鎧崎灯台。鳥羽市国崎町の鎧崎に建つ。昭和38年2月27日点灯。八角形のコンクリート造りで高さ9.61m、平均水面からの高さ26.06m。灯質は明暗白光・明3秒暗3秒。実効光度110カンデラ。光達距離は5.5海里である。【参考文献】第四管区海上保安本部編・発行『航路標識一覧表』平成23年発行 アルバムのデータ記載欄には「48.7.31 AM 鳥羽市国崎町(舟人海女)」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.07.31 |
1501 | 鳥羽市国崎町(舟人海女)8-1-4 | ノリアイ海女であろう。船縁にはイソグルマが取付けられているが、船には3人の海女が乗り込んでいる。船頭は船縁からイソカゴを降ろしている。アルバムのデータ記載欄には「48.7.31 AM 鳥羽市国崎町(舟人海女)」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.07.31 |
1502 | 鳥羽市国崎町(舟人海女)8-1-5 | 国崎町では舟人海女の事を夫婦で操業する事から「ととかか舟」とも呼ぶ。磯場へ到着し、操業開始の合図を待つ海女と船頭。アルバムのデータ記載欄には「48.7.31 AM 鳥羽市国崎町(舟人海女)」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.07.31 |
1503 | 鳥羽市国崎町(舟人海女)8-1-6 | ノリアイ海女であろう。船には磯手拭いを被り、ウエットスーツに着替えて磯メガネの曇り止めをする海女等3人が乗り込んでいる。船縁には発泡スチロール製のタンポとスカリが置かれているのが見て取れる。アルバムのデータ記載欄には「48.7.31 AM 鳥羽市国崎町(舟人海女)」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.07.31 |
1504 | 鳥羽市国崎町(舟人海女)8-2-1 | 国崎町では舟人海女の事を夫婦で操業する事から「ととかか舟」とも呼ぶ。磯場へ到着し、操業開始の合図を待つ海女と船頭。白い建造物は、鎧崎灯台である。アルバムのデータ記載欄には「48.7.31 AM 鳥羽市国崎町(舟人海女)」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.07.31 |
1505 | 鳥羽市国崎町(舟人海女)8-2-2 | 国崎町では舟人海女の事を夫婦で操業する事から「ととかか舟」とも呼ぶ。磯場へと向かう出漁風景である。アルバムのデータ記載欄には「48.7.31 AM 鳥羽市国崎町(舟人海女)」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.07.31 |
1506 | 鳥羽市国崎町(舟人海女)8-2-3 | 国崎町では舟人海女の事を夫婦で操業する事から「ととかか舟」とも呼ぶ。磯手拭いを被りウエットスーツに着替え鉛のベルトを巻き、コシスカリと命綱を付け、磯メガネの曇り止めを施す海女の船上風景である。アルバムのデータ記載欄には「48.7.31 AM 鳥羽市国崎町(舟人海女)」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.07.31 |
1507 | 鳥羽市国崎町(舟人海女)8-2-4 | 国崎町では舟人海女の事を夫婦で操業する事から「ととかか舟」とも呼ぶ。磯手拭いを被りウエットスーツに着替え鉛のベルトを巻き、コシスカリと命綱を付け、磯メガネの曇り止めを施す海女の船上風景である。船頭の側にはイソカゴも置かれている。アルバムのデータ記載欄には「48.7.31 AM 鳥羽市国崎町(舟人海女)」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.07.31 |
1508 | 鳥羽市国崎町(舟人海女)8-2-5 | 国崎町では舟人海女の事を夫婦で操業する事から「ととかか舟」とも呼ぶ。国崎町と石鏡町の磯境に近い磯場へと向かう出漁風景である。写真の上部白い帯の様に見えるのは、パールロード、山腹に点在する白い建物は「サンレポータウン」の名称で宅地開発された別荘地である。アルバムのデータ記載欄には「48.7.31 AM 鳥羽市国崎町(舟人海女)」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.07.31 |
1509 | 鳥羽市国崎町(舟人海女)8-2-6 | 国崎町では舟人海女の事を夫婦で操業する事から「ととかか舟」とも呼ぶ。国崎町と石鏡町の磯境に近い磯場に到着し操業開始の合図を待つ海女船。写真右上の丸い建造物はパールロード箱田山展望台のレストハウス、その下をパールロードが走り、左中央部の山腹に点在する白い建物は「サンレポータウン」の名称で宅地開発された別荘地である。 パールロードは、自衛隊の協力を得て昭和37年11月に着工。同39年6月に安楽島~浦村町今浦間の幅員6m、総延長約3.8㎞の工事が完成した。その後、麻生浦大橋の建設工事が進められ、磯部町三ヶ所までの18.2㎞の第一期工事は昭和48年に完成した。アルバムのデータ記載欄には「48.7.31 AM 鳥羽市国崎町(舟人海女)」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.07.31 |
1510 | 鳥羽市国崎町(舟人海女)8-3-1 | 国崎町では舟人海女の事を夫婦で操業する事から「ととかか舟」とも呼ぶ。国崎町と石鏡町の磯境に近い磯場に到着し操業開始の合図を待つ。写真右上の丸い建造物はパールロード箱田山展望台のレストハウス、その下をパールロードが走り、左中央部の山腹に点在する白い建物は「サンレポータウン」の名称で宅地開発された別荘地である。左端の漁船の船尾には「清宝」の船名が確認できる。アルバムのデータ記載欄には「48.7.31 AM 鳥羽市国崎町(舟人海女)」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.07.31 |
1511 | 鳥羽市国崎町(舟人海女)8-3-2 | 男のアマ「海士」の様である。磯メガネをかけ、右手にカギノミと発泡スチロール製のタンポにスカリ、左手にタンポに付けた石の重りを持って船縁を歩く。間もなく操業が開始されそうである。アルバムのデータ記載欄には「48.7.31 AM 鳥羽市国崎町(舟人海女)」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.07.31 |
1512 | 鳥羽市国崎町(舟人海女)8-3-3 | 国崎町では舟人海女の事を夫婦で操業する事から「ととかか舟」とも呼ぶ。国崎町と石鏡町の磯境に近い磯場に到着し操業開始の合図を待つ。漁船の船尾には「清宝」の船名が確認できる。アルバムのデータ記載欄には「48.7.31 AM 鳥羽市国崎町(舟人海女)」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.07.31 |
1513 | 鳥羽市国崎町(舟人海女)8-3-4 | 国崎町では舟人海女の事を夫婦で操業する事から「ととかか舟」とも呼ぶ。磯手拭いを被り磯メガネをかけ、ウエットスーツにコシスカリを付けたアマが船縁に腰掛け業開始の合図を待つ。船には2本のイソグルマが取付けられている。梶は引き揚げられて船頭が艪をつかって船を操る。船縁のイソカゴには「○に正」の屋号が記されている。アルバムのデータ記載欄には「48.7.31 AM 鳥羽市国崎町(舟人海女)/旗合図まち」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.07.31 |
1514 | 鳥羽市国崎町(舟人海女)8-3-5 | 国崎町では舟人海女の事を夫婦で操業する事から「ととかか舟」とも呼ぶ。磯手拭いを被り磯メガネをかけ、ウエットスーツにコシスカリを付け、手にはカギノミを持ったアマが船縁に腰掛け業開始の合図を待つ。船にはイソグルマが取付けられ、梶は引き揚げられて船頭が艪をつかって船を操る。船縁からはイソカゴが吊り下げられている。アルバムのデータ記載欄には「48.7.31 AM 鳥羽市国崎町(舟人海女)」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.07.31 |
1515 | 鳥羽市国崎町(舟人海女)8-3-6 | 国崎町では舟人海女の事を夫婦で操業する事から「ととかか舟」とも呼ぶ。磯手拭いを被り磯メガネをかけ、ウエットスーツにコシスカリを付け、手にはカギノミを持ったアマが船縁に腰掛け業開始の合図を待つ。船にはイソグルマが取付けられ、梶は引き揚げられて船頭が艪をつかって船を操る。船縁からはイソカゴが吊り下げられている。アルバムのデータ記載欄には「48.7.31 AM 鳥羽市国崎町(舟人海女)」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.07.31 |
1516 | 鳥羽市国崎町(舟人海女)8-4-1 | 国崎町では舟人海女の事を夫婦で操業する事から「ととかか舟」とも呼ぶ。舟人海女の操業風景である。船頭が命綱を引き揚げ海面に浮上した海女は、磯笛と呼ばれる独特の呼吸法で息を整える。アルバムのデータ記載欄には「48.7.31~1 AM 鳥羽市国崎町(舟人海女)」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.07.31~1 |
1517 | 鳥羽市国崎町(舟人海女)8-4-2 | 国崎町では舟人海女の事を夫婦で操業する事から「ととかか舟」とも呼ぶ。舟人海女の操業風景である。海底から海女の合図があったのか船頭は一気に命綱を手繰上げる。(船縁に取付けられた2本のイソグルマの使い分けは不明である) アルバムのデータ記載欄には「48.7.31~1 AM 鳥羽市国崎町(舟人海女)」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.07.31~1 |
1518 | 鳥羽市国崎町(舟人海女)8-4-3 | 国崎町では舟人海女の事を夫婦で操業する事から「ととかか舟」とも呼ぶ。舟人海女の操業風景である。船頭が命綱を引き揚げ海面に浮上した海女は、磯笛と呼ばれる独特の呼吸法で息を整え、船縁に掴まって次の潜水に備える。(船縁に取付けられた2本のイソグルマの使い分けは不明である) アルバムのデータ記載欄には「48.7.31~1 AM 鳥羽市国崎町(舟人海女)」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.07.31~1 |
1519 | 鳥羽市国崎町(舟人海女)8-4-4 | 国崎町では舟人海女の事を夫婦で操業する事から「ととかか舟」とも呼ぶ。舟人海女の操業風景である。船頭が命綱を引き揚げ海面に浮上した海女は、磯笛と呼ばれる独特の呼吸法で息を整える。海女が採ってきたウニやアワビ等を入れるためにイソグルマの下にはイソカゴが吊されている。 アルバムのデータ記載欄には「48.7.31~1 AM 鳥羽市国崎町(舟人海女)」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.07.31~1 |
1520 | 鳥羽市国崎町(舟人海女)8-4-5 | 国崎町では舟人海女の事を夫婦で操業する事から「ととかか舟」とも呼ぶ。舟人海女の操業風景である。海底から海女の合図があったのか船頭は一気に命綱を手繰上げる。海面に浮上した海女は、磯笛と呼ばれる独特の呼吸法で息を整える。アルバムのデータ記載欄には「48.7.31~1 AM 鳥羽市国崎町(舟人海女)」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.07.31~1 |
1521 | 鳥羽市国崎町(舟人海女)8-4-6 | 国崎町と石鏡町の磯境に近いところで操業する舟人海女の船団。写真山頂の丸い建造物はパールロード箱田山展望台のレストハウス、その下をパールロードが走り、山腹に点在する白い建物は「サンレポータウン」の名称で宅地開発された別荘地である。アルバムのデータ記載欄には「48.7.31~1 AM 鳥羽市国崎町(舟人海女)」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.07.31~1 |
1522 | 鳥羽市国崎町(舟人海女)8-5-1 | 国崎町では舟人海女の事を夫婦で操業する事から「ととかか舟」とも呼ぶ。舟人海女の操業風景である。船頭が命綱を引き揚げ海面に浮上した海女は、磯笛と呼ばれる独特の呼吸法で息を整える。海女が採ってきたウニやアワビ等を入れるためにイソグルマの下にはイソカゴが吊されている。アルバムのデータ記載欄には「48.7.31~1 AM 鳥羽市国崎町(舟人海女)」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.07.31~1 |
1523 | 鳥羽市国崎町(舟人海女)8-5-2 | 国崎町では舟人海女の事を夫婦で操業する事から「ととかか舟」とも呼ぶ。舟人海女の操業風景である。海底から海女の合図があったのか船頭は一気に命綱を手繰上げる。海面に浮上した海女は、磯笛と呼ばれる独特の呼吸法で息を整える。海女が採ってきたウニやアワビ等を入れるためにイソグルマの下にはイソカゴが吊されている。アルバムのデータ記載欄には「48.7.31~1 AM 鳥羽市国崎町(舟人海女)」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.07.31~1 |
1524 | 鳥羽市国崎町(舟人海女)8-5-3 | 国崎町では舟人海女の事を夫婦で操業する事から「ととかか舟」とも呼ぶ。舟人海女の操業風景である。海面に浮上した海女は、採ってきたウニやアワビ等をイソグルマの下に吊されたイソカゴに入れ、船縁に掴まりながら息を整え次の潜水に備える。アルバムのデータ記載欄には「48.7.31~1 AM 鳥羽市国崎町(舟人海女)」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.07.31~1 |
1525 | 鳥羽市国崎町(舟人海女)8-5-4 | 国崎町では舟人海女の事を夫婦で操業する事から「ととかか舟」とも呼ぶ。舟人海女の操業風景である。海底から海女の合図があったのか船頭は一気に命綱を手繰上げる。海面に浮上した海女は、磯笛と呼ばれる独特の呼吸法で息を整える。船頭は梶を上げ右手で命綱を、左手で艪を操りながら海女の作業を助ける。アルバムのデータ記載欄には「48.7.31~1 AM 鳥羽市国崎町(舟人海女)」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.07.31~1 |
1526 | 鳥羽市国崎町(舟人海女)8-5-5 | 国崎町では舟人海女の事を夫婦で操業する事から「ととかか舟」とも呼ぶ。舟人海女の操業風景である。海底から海女の合図があったのか船頭は一気に命綱を手繰上げる。海面に浮上した海女は、磯笛と呼ばれる独特の呼吸法で息を整える。海女が採ってきたウニやアワビ等を入れるためにイソグルマの下にはイソカゴが吊されている。アルバムのデータ記載欄には「48.7.31~1 AM 鳥羽市国崎町(舟人海女)」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.07.31~1 |
1527 | 鳥羽市国崎町(舟人海女)8-5-6 | 国崎町では舟人海女の事を夫婦で操業する事から「ととかか舟」とも呼ぶ。舟人海女の操業風景である。海底から海女の合図があると船頭はイソグルマに掛けた命綱を一気に手繰上げる。海面に浮上した海女は、磯笛と呼ばれる独特の呼吸法で息を整える。アルバムのデータ記載欄には「48.7.31~1 AM 鳥羽市国崎町(舟人海女)」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.07.31~1 |
1528 | 鳥羽市国崎町(舟人海女)8-6-1 | 国崎町では舟人海女の事を夫婦で操業する事から「ととかか舟」とも呼ぶ。舟人海女の操業風景である。海底から海女の合図があると船頭は命綱を一気に手繰上げる。海面に浮上した海女は、磯笛と呼ばれる独特の呼吸法で息を整える。イソグルマの下には採ってきたウニやアワビ等を入れるためのイソカゴが吊されている。アルバムのデータ記載欄には「48.7.31~1 AM 鳥羽市国崎町(舟人海女)」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.07.31~1 |
1529 | 鳥羽市国崎町(舟人海女)8-6-2 | 国崎町と石鏡町の磯境に近いところで操業する舟人海女の船団。写真山頂の丸い建造物はパールロード箱田山展望台のレストハウス、その下をパールロードが走る。写真左下の海女船からは「ME-33241」の船舶登録番号が確認できる。アルバムのデータ記載欄には「48.7.31~1 AM 鳥羽市国崎町(舟人海女)」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.07.31~1 |
1530 | 鳥羽市国崎町(舟人海女)8-6-3 | 国崎町では舟人海女の事を夫婦で操業する事から「ととかか舟」とも呼ぶ。舟人海女の操業風景である。海底から海女の合図があると船頭は命綱を一気に手繰上げる。海面に浮上した海女は、磯笛と呼ばれる独特の呼吸法で息を整える。アルバムのデータ記載欄には「48.7.31~1 AM 鳥羽市国崎町(舟人海女)」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.07.31~1 |
1531 | 鳥羽市国崎町(舟人海女)8-6-4 | 国崎町では舟人海女の事を夫婦で操業する事から「ととかか舟」とも呼ぶ。舟人海女の操業風景である。海底から海女の合図があると船頭は命綱を一気に手繰上げる。海面に浮上した海女は、磯笛と呼ばれる独特の呼吸法で息を整える。イソグルマの下には採ってきたウニやアワビ等を入れるためのイソカゴが吊されている。アルバムのデータ記載欄には「48.7.31~1 AM 鳥羽市国崎町(舟人海女)」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.07.31~1 |
1532 | 鳥羽市国崎町(舟人海女)8-6-5 | 国崎町では舟人海女の事を夫婦で操業する事から「ととかか舟」とも呼ぶ。舟人海女の操業風景である。海底から浮上した海女は、船縁に掴まりながら息を整え次の潜水へと備える。船頭は海流や風で磯場から船が流されないように、艪を使いヤマテを見ながら船を操る。アルバムのデータ記載欄には「48.7.31~1 AM 鳥羽市国崎町(舟人海女)」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.07.31~1 |
1533 | 国崎 ととかか舟9-1-3 | 国崎町と石鏡町の磯境に近いところで操業する舟人海女の船団。山腹の白い帯状のものはパールロード、その下に点在する白い建物は「サンレポータウン」の名称で宅地開発された別荘地である。アルバムのデータ記載欄には「48.7.31~8.1 AM 国崎 ととかか舟/世古昌生<夫婦>」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.07.31~8.1 |
1534 | 国崎 ととかか舟9-1-4 | 国崎町と石鏡町の磯境に近いところで操業する舟人海女の船団。山頂の丸い建造物はパールロード箱田山展望台のレストハウス、その下をパールロードが走る。アルバムのデータ記載欄には「48.7.31~8.1 AM 国崎 ととかか舟/世古昌生<夫婦>」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.07.31~8.1 |
1535 | 国崎 ととかか舟9-1-5 | 舟人海女の操業風景である。海底から海女の合図があると船頭は命綱を一気に手繰上げる。海面に浮上した海女は、磯笛と呼ばれる独特の呼吸法で息を整える。アルバムのデータ記載欄には「48.7.31~8.1 AM 国崎 ととかか舟/世古昌生<夫婦>」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.07.31~8.1 |
1536 | 国崎 ととかか舟9-1-6 | 国崎町と石鏡町の磯境に近いところで操業する舟人海女の船団。山腹の白い帯状のものはパールロード、その下に点在する白い建物は「サンレポータウン」の名称で宅地開発された別荘地である。アルバムのデータ記載欄には「48.7.31~8.1 AM 国崎 ととかか舟/世古昌生<夫婦>」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.07.31~8.1 |
1537 | 国崎 ととかか舟9-2-1 | 舟人海女の操業風景である。海底から海女の合図があると船頭は命綱を一気に手繰上げる。海面に浮上した海女は、磯笛と呼ばれる独特の呼吸法で息を整える。アルバムのデータ記載欄には「48.7.31~8.1 AM 国崎 ととかか舟/世古昌生<夫婦>」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.07.31~8.1 |
1538 | 国崎 ととかか舟9-2-2 | 舟人海女の操業風景である。海底から海女の合図があると船頭は命綱を一気に手繰上げる。海面に浮上した海女は、磯笛と呼ばれる独特の呼吸法で息を整える。アルバムのデータ記載欄には「48.7.31~8.1 AM 国崎 ととかか舟/世古昌生<夫婦>」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.07.31~8.1 |
1539 | 国崎 ととかか舟9-2-3 | 舟人海女の操業風景である。海底から海女の合図があると船頭はイソグルマに掛けた命綱を一気に手繰上げる。海面に浮上した海女は、磯笛と呼ばれる独特の呼吸法で息を整える。アルバムのデータ記載欄には「48.7.31~8.1 AM 国崎 ととかか舟/世古昌生<夫婦>」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.07.31~8.1 |
1540 | 国崎 ととかか舟9-2-4 | 舟人海女の操業風景である。船頭は左手で艪を漕ぎ船の位置を調整しながら、右手は海底から海女の合図に神経を研ぎ澄ませる。アルバムのデータ記載欄には「48.7.31~8.1 AM 国崎 ととかか舟/世古昌生<夫婦>」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.07.31~8.1 |
1541 | 国崎 ととかか舟9-2-5 | 舟人海女の操業風景である。海底から海女の合図があると船頭はイソグルマに掛けた命綱を一気に手繰上げる。海面に浮上した海女は、磯笛と呼ばれる独特の呼吸法で息を整える。アルバムのデータ記載欄には「48.7.31~8.1 AM 国崎 ととかか舟/世古昌生<夫婦>」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.07.31~8.1 |
1542 | 国崎 ととかか舟9-2-6 | 舟人海女の操業風景である。浮上した海女は採ってきた漁獲物をイソグルマの下に吊されイソカゴに入れ、船縁に掴まりながら息を整え次の潜水に備える。アルバムのデータ記載欄には「48.7.31~8.1 AM 国崎 ととかか舟/世古昌生<夫婦>」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.07.31~8.1 |
1543 | 国崎 ととかか舟9-3-1 | 舟人海女の操業風景である。海底から海女の合図があると船頭はイソグルマに掛けた命綱を一気に手繰上げる。海面に浮上する直前の海女の姿である。イソグルマの下にはイソカゴが吊されている。アルバムのデータ記載欄には「48.7.31~8.1 AM 国崎 ととかか舟/世古昌生<夫婦>」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.07.31~8.1 |
1544 | 国崎 ととかか舟9-3-2 | 舟人海女の操業風景である。海底から海女の合図があると船頭はイソグルマに掛けた命綱を一気に手繰上げる。手にカギノミを持ち、海面に浮上した海女は、磯笛と呼ばれる独特の呼吸法で息を整える。アルバムのデータ記載欄には「48.7.31~8.1 AM 国崎 ととかか舟/世古昌生<夫婦>」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.07.31~8.1 |
1545 | 国崎 ととかか舟9-3-3 | 舟人海女の操業風景である。浮上した海女は採ってきた漁獲物をイソグルマの下に吊されイソカゴに入れ、船縁に掴まりながら息を整え次の潜水に備える。アルバムのデータ記載欄には「48.7.31~8.1 AM 国崎 ととかか舟/世古昌生<夫婦>」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.07.31~8.1 |
1546 | 国崎 ととかか舟9-3-4 | 舟人海女の操業風景である。海底から海女の合図があると船頭はイソグルマに掛けた命綱を一気に手繰上げる。海面に浮上した海女は、磯笛と呼ばれる独特の呼吸法で息を整える。アルバムのデータ記載欄には「48.7.31~8.1 AM 国崎 ととかか舟/世古昌生<夫婦>」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.07.31~8.1 |
1547 | 国崎 ととかか舟9-3-5 | 舟人海女の操業風景である。海底から海女の合図があると船頭はイソグルマに掛けた命綱を一気に手繰上げる。海面に浮上した海女は、磯笛と呼ばれる独特の呼吸法で息を整える。アルバムのデータ記載欄には「48.7.31~8.1 AM 国崎 ととかか舟/世古昌生<夫婦>」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.07.31~8.1 |
1548 | 国崎 ととかか舟9-3-6 | ノリアイ海女の操業風景だろうか。頭から潜水し海面に残った海女の足ヒレの先に木製の浮樽(磯樽)が見て取れる。アルバムのデータ記載欄には「48.7.31~8.1 AM 国崎 ととかか舟/世古昌生<夫婦>」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.07.31~8.1 |
1549 | 国崎(海女)9-4-1 | 国崎町舟人海女の出漁風景である。鎧崎灯台近辺から海上を撮影したものかと思われる。アルバムのデータ記載欄には「48.9.18 国崎(海女)」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1973.09.18 |
1550 | 国崎(海女)9-4-2 | 国崎町舟人海女の操業風景である。写真左下に写される三人の海女達はノリアイの海女か徒人の海女かと思われる。鎧崎灯台近辺から海上を撮影したものであろう。アルバムのデータ記載欄には「48.9.18 国崎(海女)」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1973.09.18 |
1551 | 国崎(海女)9-4-3 | 国崎町の徒人海女である。漁を終えたのか、右手に足ヒレ、左手に発泡スチロール製のタンポとスカリ、スンポ、磯メガネを持っている。アワビ・サザエ・ウニ等が入っているのか手にするスカリは重そうである。アルバムのデータ記載欄には「48.9.18 国崎(海女)」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1973.09.18 |
1552 | 国崎(海女)9-4-4 | 漁を終え鎧崎の船揚場へ戻った海女船。船は波打際に規則正しく艫から着けられ、ウインチと人力で陸へと引き揚げられる。奥の船はすでに引き揚げを始めたのか、船頭と海女が船縁を押している。アルバムのデータ記載欄には「48.9.18 国崎(海女)」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1973.09.18 |
1553 | 国崎(海女)9-4-5 | 鎧崎船揚場の船揚げ風景である。漁を終え、鎧崎の船揚場に戻った海女船は、波打際に規則正しく艫から着けられ、丸太のコロを船底に敷き順次陸へと引き揚げられる。艫のロープはすでにウインチに結わえられているのであろう、船頭が左手を高々と上げて巻揚げ開始の合図を送っている。アルバムのデータ記載欄には「48.9.18 国崎(海女)」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1973.09.18 |
1554 | 国崎(海女)9-4-6 | 漁を終え鎧崎の船揚場へ戻った海女船。鎧崎の船揚場に戻った海女船は波打際に規則正しく艫から着けられ、ウインチと人力で陸へと引き揚げられる。艫に「しんせい」書かれた船名が確認できる。アルバムのデータ記載欄には「48.9.18 国崎(海女)」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1973.09.18 |
1555 | 国崎(海女)9-5-1 | 漁を終え鎧崎の船揚場へ戻った海女船。鎧崎の船揚場に戻った海女船は、波打際に規則正しく艫から着けられ、ウインチと人力で陸へと引き揚げられる。船頭や海女は、引き上げの順番が来るまでにコロの準備をし、風や波で船が動かないようにするなど、船揚作業が終わるまで気を抜くことが出来ない。アルバムのデータ記載欄には「48.9.18 国崎(海女)/船上げ」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1973.09.18 |
1556 | 国崎(海女)9-5-2 | 漁を終え鎧崎の船揚場へ戻った海女船。鎧崎の船揚場に戻った海女船は、波打際に規則正しく艫から着けられ、ウインチと人力で陸へと引き揚げられる。船頭や海女は、引き上げの順番が来るまでにコロの準備をし、風や波で船が動かないようにするなど、船揚作業が終わるまで気を抜くことが出来ない。アルバムのデータ記載欄には「48.9.18 国崎(海女)」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1973.09.18 |
1557 | 国崎(海女)9-5-3 | 国崎町海岸沿いの山腹で「サンレポータウン」の名称で行われた別荘地を中心とした大規模開発である。この開発地の直ぐ下は海女漁などの重要な磯場になっており、開発工事に伴う土砂の流出や建築物から排出される生活雑排水の問題など、漁業権を持つ地元漁民との間で幾多の協議が交わされた。アルバムのデータ記載欄には「48.9.18 国崎(海女)/開発」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1973.09.18 |
1558 | 国崎(海女)9-5-4 | 国崎町海岸沿いの山腹で「サンレポータウン」の名称で行われた別荘地を中心とした大規模開発である。この開発地の直ぐ下は海女漁などの重要な磯場になっており、開発工事に伴う土砂の流出や建築物から排出される生活雑排水の問題など、漁業権を持つ地元漁民との間で幾多の協議が交わされた。アルバムのデータ記載欄には「48.9.18 国崎(海女)」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1973.09.18 |
1559 | 国崎(海女)9-5-5 | 国崎町徒人海女の操業風景である。発砲スチロール製のタンポを持つ海女と、木製の浮樽(磯樽)を持つ海女が見て取れる。アルバムのデータ記載欄には「48.9.18 国崎(海女)」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1973.09.18 |
1560 | 国崎(海女)9-5-6 | 浜辺で暖をとる国崎町の徒人海女。イソカゴの数から見ると数人の海女グループの様である。これから漁に出るのか、一潜目を終え早く上がってきた海女が焚火の準備をしているのか、周囲にはフゴやイソカゴ、イナイボウ、メガネ箱等が並べられている。アルバムのデータ記載欄には「48.9.18 国崎(海女)」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1973.09.18 |
1561 | 国崎(海女)9-6-1 | 国崎町徒人海女の操業風景である。発砲スチロール製のタンポを持つ海女と、木製の浮樽(磯樽)を持つ海女が見て取れる。アルバムのデータ記載欄には「48.9.18 国崎(海女)」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1973.09.18 |
1562 | 国崎(海女)10-1-1 | 国崎町舟人海女の操業風景である。海底から海女の合図があると船頭はイソグルマに掛けた命綱を一気に手繰上げる。海面に浮上した海女は、磯笛と呼ばれる独特の呼吸法で息を整える。アルバムのデータ記載欄には「48.7.31~8.1 AM 国崎舟人/世古昌生」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.07.31~8.1 |
1563 | 国崎(海女)10-1-2 | 国崎町舟人海女の操業風景である。海底から海女の合図があると船頭はイソグルマに掛けた命綱を一気に手繰上げる。海面に浮上した海女は、磯笛と呼ばれる独特の呼吸法で息を整える。アルバムのデータ記載欄には「48.7.31~8.1 AM 国崎舟人/世古昌生」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.07.31~8.1 |
1564 | 国崎(海女)10-1-3 | 国崎町舟人海女の操業風景である。海底から海女の合図があると船頭はイソグルマに掛けた命綱を一気に手繰上げる。海面に浮上した海女は、磯笛と呼ばれる独特の呼吸法で息を整える。アルバムのデータ記載欄には「48.7.31~8.1 AM 国崎舟人/世古昌生」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.07.31~8.1 |
1565 | 国崎(海女)10-1-4 | 国崎町舟人海女の操業風景である。海底から海女の合図があると船頭はイソグルマに掛けた命綱を一気に手繰上げる。海面に浮上した海女は、磯笛と呼ばれる独特の呼吸法で息を整える。アルバムのデータ記載欄には「48.7.31~8.1 AM 国崎舟人/世古昌生」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.07.31~8.1 |
1566 | 国崎(海女)10-2-1 | 国崎町舟人海女の操業風景である。海底から海女の合図があると船頭はイソグルマに掛けた命綱を一気に手繰上げる。海面に浮上した海女は、磯笛と呼ばれる独特の呼吸法で息を整える。アルバムのデータ記載欄には「48.7.31~8.1 AM 国崎舟人/世古昌生」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.07.31~8.1 |
1567 | 国崎(海女)10-2-2 | 国崎町舟人海女の操業風景である。操業終了の合図が出たのか、黒のウエットスーツに磯手拭いを被り磯メガネを掛けた海女が船縁に手を掛け船上に上がろうとしている。ノミを持つ時、特に親指に力が入るのか右手の軍手が破けているのが見て取れる。アルバムのデータ記載欄には「48.7.31~8.1 AM 国崎舟人/世古昌生」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.07.31~8.1 |
1568 | 国崎(海女)10-2-3 | 国崎町舟人海女の操業風景である。操業終了の合図が出たのか、黒のウエットスーツに磯手拭いを被り磯メガネを掛け、腰には鉛のベルトを巻いた海女が船縁に手を掛け船上に上がろうとしている。平成22年の調査では、国崎の一潜は1時間30分とされているが、決して楽な労働ではないのだろう、船縁に身を置くその姿からも見て取れるように思える。アルバムのデータ記載欄には「48.7.31~8.1 AM 国崎舟人/世古昌生」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.07.31~8.1 |
1569 | 国崎(海女)10-2-4 | 国崎町舟人海女の操業風景である。操業終了の合図が出たのか、黒のウエットスーツに磯手拭いを被り磯メガネを掛け、腰には鉛の重りを巻いた海女が船上に上がって来たところである。アルバムのデータ記載欄には「48.7.31~8.1 AM 国崎舟人/世古昌生」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.07.31~8.1 |
1570 | 国崎(海女)10-2-5 | 国崎町舟人海女の船上風景である。一潜を終え、港へ帰るところであろう。イソカゴを前に磯メガネと腰の鉛のベルトを外し、濡れた磯手拭いを直している所である。写真上部左端の山腹にパールロードとサンレポータウンが見て取れる。アルバムのデータ記載欄には「48.7.31~8.1 AM 国崎舟人/世古昌生」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.07.31~8.1 |
1571 | 国崎(海女)10-2-6 | 国崎町舟人海女の船上風景である。一潜を終え、港へ帰るところであろう。イソカゴを前に磯メガネと腰の鉛のベルトを外し、濡れた磯手拭いを直している所である。写真上部左端の山腹にパールロードとサンレポータウンが見て取れる。アルバムのデータ記載欄には「48.7.31~8.1 AM 国崎舟人/世古昌生」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.07.31~8.1 |
1572 | 国崎(海女)10-3-1 | 国崎町舟人海女の船上風景である。一潜を終え、港へ帰るところであろう。イソカゴを前に磯メガネと腰の鉛のベルトを外し、濡れた磯手拭いを直している所である。写真上部左端の山腹にパールロードとサンレポータウンが見て取れる。アルバムのデータ記載欄には「48.7.31~8.1 AM 国崎舟人/世古昌生」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.07.31~8.1 |
1573 | 国崎(海女)10-3-2 | 国崎町舟人海女の船上風景である。一潜を終え、港へ帰るところであろう。イソカゴを前に磯メガネと腰の鉛のベルトを外し、濡れた磯手拭いを直している所である。船頭は命綱か分銅のロープを巻き取っている。腹にパールロードとサンレポータウンが見て取れる。アルバムのデータ記載欄には「48.7.31~8.1 AM 国崎舟人/世古昌生」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.07.31~8.1 |
1574 | 国崎(海女)10-3-3 | 国崎町舟人海女の船上風景である。一潜を終え、港へ帰るところであろう。イソカゴを前に腰の鉛のベルトを外し、磯メガネの汚れを拭き取る。海女達はノミやメガネ等の用具を大切にする。かつては親から子へと何代も使われた来た物も有ると聞く。アルバムのデータ記載欄には「48.7.31~8.1 AM 国崎舟人/世古昌生」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.07.31~8.1 |
1575 | 国崎(海女)10-3-4 | 国崎町舟人海女の船上風景である。一潜を終え、港へ帰るところであろう。イソカゴを前に腰の鉛のベルトを外し、磯メガネの汚れを拭き取る。海女達はノミやメガネ等の用具を大切にする。かつては親から子へと何代も使われた来た物も有ると聞く。アルバムのデータ記載欄には「48.7.31~8.1 AM 国崎舟人/世古昌生」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.07.31~8.1 |
1576 | 国崎(海女)10-3-5 | 漁を終え、港へと帰る舟人海女の船団。写真右上山頂の丸い建造物はパールロード箱田山展望台のレストハウス、その下をパールロードが走り、山腹に点在する白い建物は「サンレポータウン」の名称で宅地開発された別荘地である。アルバムのデータ記載欄には「48.7.31~8.1 AM 国崎舟人/世古昌生」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.07.31~8.1 |
1577 | 国崎(海女)10-3-6 | 漁を終え、港へと帰る舟人海女の船団。写真右上山頂の丸い建造物はパールロード箱田山展望台のレストハウス、その下をパールロードが走り、山腹に点在する白い建物は「サンレポータウン」の名称で宅地開発された別荘地である。アルバムのデータ記載欄には「48.7.31~8.1 AM 国崎舟人/世古昌生」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.07.31~8.1 |
1578 | 国崎(海女)10-4-1 | 国崎町舟人海女の船上風景である。写真の船頭は世古昌生さんかと思われる。アルバムのデータ記載欄には「48.7.31~1 AM 国崎」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.07.31~1 |
1579 | 国崎(海女)10-4-2 | 国崎町舟人海女の船上風景である。黒のウエットスーツを着込み、白い磯手拭いを被る写真の海女は世古昌生夫妻の海女船かと思われる。アルバムのデータ記載欄には「48.7.31~1 AM 国崎」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.07.31~1 |
1580 | 国崎(海女)10-4-3 | 国崎町舟人海女の船上風景である。黒のウエットスーツを着込み、白い磯手拭いを被る写真の海女は世古昌生夫妻の海女船かと思われる。アルバムのデータ記載欄には「48.7.31~1 AM 国崎」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.07.31~1 |
1581 | 国崎(海女)10-4-4 | 国崎町舟人海女の船上風景である。命綱か分銅のロープを手繰る写真の船頭は世古昌生さんかと思われる。アルバムのデータ記載欄には「48.7.31~1 AM 国崎」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.07.31~1 |
1582 | 国崎(海女)10-4-5 | 国崎町舟人海女の船上風景である。命綱か分銅のロープを手繰る写真の船頭は世古昌生さんかと思われる。アルバムのデータ記載欄には「48.7.31~1 AM 国崎」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.07.31~1 |
1583 | 国崎(海女)10-4-6 | 国崎町舟人海女の船上風景である。黒のウエットスーツを着込み、白い磯手拭いを被る写真の海女は世古昌生夫妻の海女船かと思われる。アルバムのデータ記載欄には「48.7.31~1 AM 国崎」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.07.31~1 |
1584 | 国崎(海女)10-5-1 | 国崎町舟人海女の船上風景である。命綱か分銅のロープを手繰る写真の船頭は世古昌生さんかと思われる。アルバムのデータ記載欄には「48.7.31~1 AM 国崎」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.07.31~1 |
1585 | 国崎(海女)10-5-2 | 国崎町舟人海女の船上風景である。命綱か分銅のロープを手繰る写真の船頭は世古昌生さんかと思われる。アルバムのデータ記載欄には「48.7.31~1 AM 国崎」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.07.31~1 |
1586 | 国崎(海女)10-5-3 | 国崎町舟人海女の船上風景である。磯場に着き、操業開始の合図を待っているのであろう。写真右上山腹に白く写るのはパールロードである。アルバムのデータ記載欄には「48.7.31~1 AM 国崎」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.07.31~1 |
1587 | 国崎(海女)10-5-4 | 国崎熨斗鰒づくり。白装束に身を包んだ老人が乾燥した熨斗アワビを束ねているが、「身取鰒」づくりかと思われる。「身取鰒」は片連10枚、双連20枚にした「大身取鰒」と、片連3枚と2枚、合わせて5枚を藁紐で綴って1連とした「小身取鰒」がある。参考文献:『国崎の熨斗鰒づくり調査報告書』国崎町内会 2011年発行 アルバムのデータ記載欄には「48.7.31~1 AM 国崎/10.10」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | (1973.10.10) |
1588 | 国崎(海女)10-5-5 | 国崎熨斗鰒づくり。白装束に身を包んだ老人が乾燥した熨斗アワビを束ねているが、「玉貫鰒」づくりかと思われる。「玉貫鰒」は乾燥させた鰒の小片を編んだ藁紐に片連12枚、双連24枚を梯子のように横に挟んで一連とした物である。参考文献:『国崎の熨斗鰒づくり調査報告書』国崎町内会 2011年発行 アルバムのデータ記載欄には「48.7.31~1 AM 国崎/10.10」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | (1973.10.10) |
1589 | 国崎(海女)10-6-1 | 男性のポートレート当時の国崎漁協専務かと思われる(要調査)。アルバムのデータ記載欄には「48.7.31~1 AM 国崎」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.07.31~1 |
1590 | 国崎(海女)10-6-2 | 若い女性のポートレート(要調査)。アルバムのデータ記載欄には「48.7.31~1 AM 国崎」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.07.31~1 |
1591 | 国崎(海女)10-6-3 | 鉢巻を締め、斧らしき物を手にする年配の男性が写る(要調査)。アルバムのデータ記載欄には「48.7.31~1 AM 国崎」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.07.31~1 |
1592 | 国崎(海女)10-6-4 | 石鏡漁港の南側に位置する港内風景かと思われる。特に石鏡地区は外海に面し、風波の影響が大きいことから、漁港整備が完備されるまでは、このように漁を終えた漁船は全て陸へと引き揚げられた。写真右端の木柱には「釣船 新屋」の看板が見て取れる。アルバムのデータ記載欄には「48.7.31~1 AM 国崎」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1972.07.31~1 |
1593 | 国崎(海女)10-6-5 | 女児2人、男児1人のポートレート(要調査)。アルバムのデータ記載欄には「48.7.31~1 AM 国崎」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.07.31~1 |
1594 | 国崎(海女)10-6-6 | 男児のポートレート(要調査)。アルバムのデータ記載欄には「48.7.31~1 AM 国崎」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.07.31~1 |
1595 | 国崎(海女)10-6-7 | 女児3人、男児1人のポートレート(要調査)。アルバムのデータ記載欄には「48.7.31~1 AM 国崎」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.07.31~1 |
1596 | 国崎(海女)10-6-8 | 漁業協同組合の市場風景かと思われる。順番を待つ十数人の女性達は海女を生業とする人々かも知れない(要調査)。アルバムのデータ記載欄には「48.7.31~1 AM 国崎」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.07.31~1 |
1597 | 国崎(海女)10-6-9 | 男性のポートレート。当時の国崎漁協組合長太田ヤスオさん。アルバムのデータ記載欄には「48.7.31~1 AM 国崎」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.07.31~1 |
1598 | 国崎11-1-1 | 通称「オオツハマ(大津浜)」と呼ばれる国崎漁港の景観である。国崎の海域は「伊勢の神前、国崎の鎧、波切大王なけりゃよい」とまで船乗り達に恐れられた海の難所である。昭和28年に漁港指定がされ、昭和38年度に整備計画漁港の指定を受けて第3、4次計画で防波堤・物揚場・船揚場等を造成。昭和48年度からは第5次整備計画の基で修築事業が進められた。係留船舶からは「■勝丸」、「寿洋丸/ME3-34425」等の船名が確認できる。(参考文献:『三重の漁港1971/1995』) アルバムのデータ記載欄には「48.10.10 国崎」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1973.10.10 |
1599 | 国崎11-1-2 | 通称「オオツハマ(大津浜)」と呼ばれる国崎漁港の景観である。引き揚げられた漁船の側で子供達が遊ぶ。アルバムのデータ記載欄には「48.10.10 国崎」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1973.10.10 |
1600 | 国崎11-1-3 | 通称「オオツハマ(大津浜)」と呼ばれる国崎漁港の景観である。丸太のコロを敷いて引き揚げられた漁船の側で、漁師が刺網(要調査)の破れを繕う。波打際では、これから漁に出るのか、小船が一艘その準備を進めている。アルバムのデータ記載欄には「48.10.10 国崎」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1973.10.10 |
1601 | 国崎11-1-4 | 国崎漁港の船揚場の景観である。丸太のコロを敷いて引き揚げられた漁船の側で、引き揚げ用のロープを手にした漁師が忙しそうに働く。足下には船の修理に使う道具箱らしき物と、一本釣り用の釣箱などが置かれている。アルバムのデータ記載欄には「48.10.10 国崎」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1973.10.10 |
1602 | 国崎11-1-5 | 国崎漁港の船揚場の景観である。丸太のコロを敷いて引き揚げられた漁船の側に夫婦と思われる漁師が佇む。写真右上端の漁船からは「HAKURYU」の船名が読み取れる。アルバムのデータ記載欄には「48.10.10 国崎」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1973.10.10 |
1603 | 国崎11-1-6 | 国崎町鎧崎に建つ伊勢神宮の神饌を作る熨斗鰒調製所である。調製所は昭和10年に神宮司庁によって、この鎧崎に御料鰒調整所が建設されることになり、翌11年1月に竣工したと言う。熨斗鰒づくりの作業は毎年5月から6月の2か月間で行われ、6月の月次祭、10月の神嘗祭、12月の月次祭と神宮の三節祭に合わせて献上されるが、一回に使われる鰒は100㎏と言われる。なお、平成16年に三重県無形民俗文化財に指定されている。参考文献:『国崎の熨斗鰒づくり調査報告書』国崎町内会 2011年発行 アルバムのデータ記載欄には「48.10.10 国崎」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1973.10.10 |
1604 | 国崎11-2-1 | 国崎町の前の浜と集落の風景である。国崎の人々にとってこの前の浜は神聖な場所で、ノット正月や二舟祭を始め、海女達が海の神様に供え物をする場所でもある。写真右手は船揚場である。集落の左側、本瓦葺きの建物は曹洞宗鳥羽常安寺の末寺、宝剣山常福寺である。アルバムのデータ記載欄には「48.10.10 国崎」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1973.10.10 |
1605 | 国崎11-2-2 | ノシガタナを使って剥かれ、乾燥を終えた熨斗鰒である。これから身取鰒や玉貫鰒が作られていく。アルバムのデータ記載欄には「48.10.10 国崎」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1973.10.10 |
1606 | 国崎11-2-3 | 国崎町鎧崎の熨斗鰒調製所で作業が行われる熨斗鰒づくりである。乾燥を終えた鰒を、片連10枚、双連20枚にした「大身取鰒」と、片連3枚と2枚、合わせて5枚を藁紐で綴って1連とした「小身取鰒」、さらに鰒の小片を編んだ藁紐に片連12枚、双連24枚を梯子のように横に挟んで一連とした「玉貫鰒」が作られ、6月の月次祭、10月の神嘗祭、12月の月次祭と神宮の三節祭に合わせて献上される。アルバムのデータ記載欄には「48.10.10 国崎」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1973.10.10 |
1607 | 国崎11-2-4 | 国崎町鎧崎の熨斗鰒調製所で作業が行われる熨斗鰒づくりである。寸法切りと呼ばれる作業で、裁ち板の上に、伸ばしたアワビを乗せ身取用寸法である9寸(27㎝)又は玉貫用の寸法である2寸2分(6.6㎝)の長さに切り揃えていく。アルバムのデータ記載欄には「48.10.10 国崎」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1973.10.10 |
1608 | 国崎11-2-5 | 写真の老人が右手に持つ物は直径6㎝ほどの真竹を輪切りにした物で「コロ竹」と呼ばれる。乾燥させた長熨斗を一度水に浸し、水分を与えてコロ竹に巻き付け、タチイタの上で転がしてシワを伸ばしていく。アルバムのデータ記載欄には「48.10.10 国崎」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1973.10.10 |
1609 | 国崎11-2-6 | 写真の老人が右手に持つ物は直径6㎝ほどの真竹を輪切りにした物で「コロ竹」と呼ばれる。乾燥させた長熨斗を一度水に浸し、水分を与えてコロ竹に巻き付け、タチイタの上で転がしてシワを伸ばしていく。アルバムのデータ記載欄には「48.10.10 国崎」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1973.10.10 |
1610 | 国崎(海女)12-1-1 | 国崎町の海浜風景。写真手前には船を陸に揚げる時に用いる丸太のコロ、海上沖合に小さく写る10隻程の漁船は舟人の海女船かも知れない。アルバムのデータ記載欄には「48.9.18 国崎」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1973.09.18 |
1611 | 国崎(海女)12-1-2 | 国崎町徒人海女の操業風景である。鎧崎の近辺であろうか。黒のウエットスーツを着込み、白い磯手拭いと磯メガネを付け、タンポに掴まって磯場を移動する数名の海女達が見て取れる。アルバムのデータ記載欄には「48.9.18 国崎」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1973.09.18 |
1612 | 国崎(海女)12-1-3 | 国崎町の集落景観である。写真上部の山腹に山肌を見せているのはパールロード。その右端に少しだけ本瓦葺の屋根を見せているのは曹洞宗鳥羽常安寺の末寺、宝剣山常福寺である。海上には徒人海女が操業しているのが見て取れる。アルバムのデータ記載欄には「48.9.18 国崎」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1973.09.18 |
1613 | 国崎(海女)12-1-4 | 国崎町前の浜の背後に広がる集落景観である。写真中央上部、本瓦葺の屋根の建物は曹洞宗鳥羽常安寺の末寺、宝剣山常福寺である。海上には徒人海女が操業しているのが見て取れる。アルバムのデータ記載欄には「48.9.18 国崎」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1973.09.18 |
1614 | 国崎(海女)12-1-5 | 国崎町の集落景観である。ここ国崎町も漁村特有の海岸線の後背地の斜面に軒を連ねるように家々が密集する。写真上部の山腹に山肌を見せているのはパールロード。海上には徒人海女が操業しているのが見て取れる。アルバムのデータ記載欄には「48.9.18 国崎」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1973.09.18 |
1615 | 国崎(海女)12-1-6 | 国崎町徒人海女の操業風景である。鎧崎の近辺であろうか。黒のウエットスーツを着込み、白い磯手拭いと磯メガネを付け、浮樽(磯樽)に掴まって磯場を移動する海女の姿が見て取れる。アルバムのデータ記載欄には「48.9.18 国崎」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1973.09.18 |
1616 | 国崎(海女)12-2-1 | 国崎町徒人海女の操業風景である。鎧崎の近辺であろうか。潜水の直後で有る。海面には黒のウエットスーツを着込んだ海女の足ヒレと、浮樽(磯樽)が見て取れる。アルバムのデータ記載欄には「48.9.18 国崎」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1973.09.18 |
1617 | 国崎(海女)12-2-2 | 国崎町鎧崎に立てられている御影石の石柱で「海上安全/大漁満足」の文字が刻まれる。アルバムのデータ記載欄には「48.9.18 国崎」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1973.09.18 |
1618 | 国崎(海女)12-2-3 | 国崎町鎧崎灯台。鳥羽市国崎町の鎧崎に建つ。昭和38年2月27日点灯。八角形のコンクリート造りで高さ9.61m、平均水面からの高さ26.06m。灯質は明暗白光・明3秒暗3秒。実効光度110カンデラ。光達距離は5.5海里である。【参考文献】第四管区海上保安本部編・発行『航路標識一覧表』平成23年発行 アルバムのデータ記載欄には「48.9.18 国崎」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1973.09.18 |
1619 | 国崎(海女)12-2-4 | 国崎町徒人海女が暖をとる風景である。午後からの操業なのか、二人の海女が暖をとる傍らにはフゴやイソカゴ、弁当箱らしき物が置かれ、焚火には甘藷や干物等が焼かれている。アルバムのデータ記載欄には「48.9.18 国崎」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1973.09.18 |
1620 | 国崎(海女)12-2-5 | 国崎町徒人海女が暖をとる風景である。傍らにはフゴやイソカゴ、スカリ、イナイボウ等が置かれている。アルバムのデータ記載欄には「48.9.18 国崎」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1973.09.18 |
1621 | 国崎(海女)12-2-6 | 国崎町徒人海女が暖をとる風景である。右側の白い磯着を身に付けた海女の左手には、焚火で焼いた干物らしき物が持たれている。アルバムのデータ記載欄には「48.9.18 国崎」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1973.09.18 |
1622 | 国崎(海女)12-3-1 | 国崎町徒人海女が暖をとる風景である。右側の白い磯着を身に付けた海女の左手には、焚火で焼いた干物らしき物が持たれている。アルバムのデータ記載欄には「48.9.18 国崎」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1973.09.18 |
1623 | 国崎(海女)12-3-2 | 国崎町徒人海女が暖をとる風景である。右側の白い磯着を身に付けた海女は、焚火で焼いたのか、サザエらしき物の身をカギノミで取り出そうとしている。アルバムのデータ記載欄には「48.9.18 国崎」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1973.09.18 |
1624 | 国崎(海女)12-3-3 | 国崎町徒人海女が暖をとる風景である。アルバムのデータ記載欄には「48.9.18 国崎」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1973.09.18 |
1625 | 国崎(海女)12-3-4 | 国崎町徒人海女が暖をとる風景である。左手にはカギノミが握られている。アルバムのデータ記載欄には「48.9.18 国崎」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1973.09.18 |
1626 | 国崎(海女)12-3-5 | 国崎町徒人海女が暖をとる風景である。アルバムのデータ記載欄には「48.9.18 国崎」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1973.09.18 |
1627 | 国崎(海女)12-3-6 | 国崎町舟人海女の操業風景である。沖合に十数隻の海女船と思われる漁船が見て取れる。アルバムのデータ記載欄には「48.9.18 国崎」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1973.09.18 |
1628 | 甲賀(海女)12-4-1 | アルバムのデータ記載欄には「甲賀 48.5.9」と記される。甲賀の浜で乾燥させた天草かと思われる海藻のゴミを取る老婦人。 | 志摩市阿児町甲賀 | 1973.05.09 |
1629 | 甲賀(海女)12-4-2 | アルバムのデータ記載欄には「火ばち 甲賀 48.5.9」と記される。海女が暖をとるときに用いる物で甲賀地域では「火鉢<ヒバチ>」と呼ばれている。 | 志摩市阿児町甲賀 | 1973.05.09 |
1630 | 甲賀(海女)12-4-3 | アルバムのデータ記載欄には「天草もみ 甲賀 48.5.9」と記される。船の錨として使っていた物だろうか、舟人海女のフンドウ(甲賀地区ではハイカラと呼んだりする)として用いていた物だろうか、穴を開けロープを付けた平たい円形の石の上で老婦人が天草のゴミを取る。傍らには乳母車が、陸に引き揚げられた漁船からは「堀口俊雄 ME3-29854」の船舶登録番号等が見て取れる。 | 志摩市阿児町甲賀 | 1973.05.09 |
1631 | 甲賀(海女)12-4-4 | アルバムのデータ記載欄には「老女の天草もみ 甲賀 48.5.9」と記される。船の錨として使っていた物だろうか、舟人海女のフンドウ(甲賀地区ではハイカラと呼んだりする)として用いていた物だろうか、穴を開け、ロープを付けた平たい円形の石の上で老婦人が天草のゴミを取る。乾燥させた天草に付着する汚れや根の部分に付いた小石等を木槌で叩いて取り除いていく。 | 志摩市阿児町甲賀 | 1973.05.09 |
1632 | 甲賀(海女)12-4-5 | アルバムのデータ記載欄には「老女の天草もみ 甲賀 48.5.9」と記される。船の錨として使っていた物だろうか、舟人海女のフンドウ(甲賀地区ではハイカラと呼んだりする)として用いていた物だろうか、穴を開け、ロープを付けた平たい円形の石の上で老婦人が天草のゴミを取る。乾燥させた天草に付着する汚れや根の部分に付いた小石等を木槌で叩いて取り除いていく。 | 志摩市阿児町甲賀 | 1973.05.09 |
1633 | 甲賀(海女)12-4-6 | アルバムのデータ記載欄には「老女の天草もみ 甲賀 48.5.9」と記される。船の錨として使っていた物だろうか、舟人海女のフンドウ(甲賀地区ではハイカラと呼んだりする)として用いていた物だろうか、穴を開け、ロープを付けた平たい円形の石の上で老婦人が天草のゴミを取る。乾燥させた天草に付着する汚れや根の部分に付いた小石等を木槌で叩いて取り除いていく。 | 志摩市阿児町甲賀 | 1973.05.09 |
1634 | 甲賀(海女)12-5-1 | アルバムのデータ記載欄には「海女小屋 48.5.9」と記される。堤防の真下に作られたいくつもの海女小屋、大半は古材やトタンで作られた簡易な物で、個人や数人のグループで使用される。 | 志摩市阿児町甲賀 | 1973.05.09 |
1635 | 甲賀(海女)12-5-2 | アルバムのデータ記載欄には「海女小屋 48.5.9」と記される。堤防の真下に作られたいくつもの海女小屋、大半は古材やトタンで作られた簡易な物で、個人や数人のグループで使用される。 | 志摩市阿児町甲賀 | 1973.05.09 |
1636 | 甲賀(海女)12-5-3 | アルバムのデータ記載欄には「老女の天草もみ 甲賀 48.5.9」と記される。船の錨として使っていた物だろうか、舟人海女のフンドウ(甲賀地区ではハイカラと呼んだりする)として用いていた物だろうか、穴を開け、ロープを付けた平たい円形の石の上で老婦人が天草のゴミを取る。乾燥させた天草に付着する汚れや根の部分に付いた小石等を木槌で叩いて取り除いていく。 | 志摩市阿児町甲賀 | 1973.05.09 |
1637 | 国崎1-1-1 | 国崎町鎧崎の景観である。写真手前は船揚場の斜路で引き揚げられている漁船からは「福平丸」の船名が確認できる。中央左のブロック塀の建物は海女小屋でその右側の鳥居の奥には山の神か祀られ、その右手階段を上れば伊勢神宮の神饌をつくる熨斗鰒調製所である。アルバムのデータ記載欄には「63.1.6」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1988.01.06 |
1638 | 国崎鎧崎と護岸工事初1-2-1 | 鎧崎の船揚場の裏側に位置する。工事が開始された直後かと思われるが、手前の土が掘られている場所から岬の先端を回り込み、鎧崎灯台の真下まで護岸工事が進められた。工事が完成した現在(2023年)ではこの海岸線を見ることは出来ない。アルバムのデータ記載欄には「63.1.6 国崎鎧崎と護岸工事初」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1988.01.06 |
1639 | 国崎鎧崎と護岸工事初1-2-2 | 鎧崎の船揚場の裏側に位置する。工事が開始された直後かと思われるが、手前の土が掘られている場所から岬の先端を回り込み、鎧崎灯台の真下まで護岸工事が進められた。工事が完成した現在(2023年)ではこの海岸線を見ることは出来ない。アルバムのデータ記載欄には「63.1.6 国崎鎧崎と護岸工事初」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1988.01.06 |
1640 | 国崎鎧崎と護岸工事初1-2-3 | 鎧崎の船揚場の裏側に位置する。工事が開始された直後かと思われるが、手前の土が掘られている場所から岬の先端を回り込み、鎧崎灯台の真下まで護岸工事が進められた。工事が完成した現在(2023年)ではこの海岸線を見ることは出来ない。アルバムのデータ記載欄には「63.1.6 国崎鎧崎と護岸工事初」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1988.01.06 |
1641 | 国崎の油タンカーもれ1-3-1 | 昭和48年5月3日、伊勢湾口を航行中のタンカー「日聖丸」が西独の大型貨物船と衝突、沈没した事件で、積載していた重油1,865トンが流出。流れ出した重油は同6日になって渥美湾から知多半島へと漂着。9日には鳥羽湾内にも侵入し、ワカメやノリ等にも壊滅的な打撃を与えた。写真は国崎町鎧崎の船揚場横の風景であるが、海女がイソカゴを手にして歩く堤防の下はゴミと共に流れ着いた重油が一面に浮かび、海藻も油にまみれている。アルバムのデータ記載欄には「S48年5月12日 油タンカーもれ<国崎の油>」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1973.05.12 |
1642 | 国崎の油タンカーもれ1-3-2 | 昭和48年5月3日、伊勢湾口を航行中のタンカー「日聖丸」が西独の大型貨物船と衝突、沈没した事件で、積載していた重油1,865トンが流出。流れ出した重油は同6日になって渥美湾から知多半島へと漂着。9日には鳥羽湾内にも侵入し、ワカメやノリ等にも壊滅的な打撃を与えた。写真は国崎町鎧崎の海女小屋の下の海岸風景であるが、岩場に張り付いた重油が見て取れる。アルバムのデータ記載欄には「S48年5月12日 油タンカーもれ<国崎の油>」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1973.05.12 |
1643 | 国崎の油タンカーもれ1-3-3 | 昭和48年5月3日、伊勢湾口を航行中のタンカー「日聖丸」が西独の大型貨物船と衝突、沈没した事件で、積載していた重油1,865トンが流出。流れ出した重油は同6日になって渥美湾から知多半島へと漂着。9日には鳥羽湾内にも侵入し、ワカメやノリ等にも壊滅的な打撃を与えた。写真は国崎町鎧崎の船揚場横の風景であるが、畜養する為のイソカゴを手にした海女が立つ堤防下の水面は、流れ着いた重油で真っ黒である。アルバムのデータ記載欄には「S48年5月12日 油タンカーもれ<国崎の油>/油の中での海女」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1973.05.12 |
1644 | 国崎の油タンカーもれ1-3-4 | 昭和48年5月3日、伊勢湾口を航行中のタンカー「日聖丸」が西独の大型貨物船と衝突、沈没した事件で、積載していた重油1,865トンが流出。流れ出した重油は同6日になって渥美湾から知多半島へと漂着。9日には鳥羽湾内にも侵入し、ワカメやノリ等にも壊滅的な打撃を与えた。写真は国崎町鎧崎の海女小屋の下の海岸風景であるが、岩場一面にに張り付いた重油が見て取れる。アルバムのデータ記載欄には「S48年5月12日 油タンカーもれ<国崎の油>」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1973.05.12 |
1645 | 国崎の油タンカーもれ1-3-5 | 昭和48年5月3日に発生したタンカー「日聖丸」の沈没に伴う重油の流出事件で、9日になって鳥羽湾内にも重油が侵入。ここ国崎町にも重油が流れ着いたが、それを防ぐ術はなく、畜養のイソカゴも油の海に入れられたままである。アルバムのデータ記載欄には「S48年5月12日 油タンカーもれ<国崎の油>/油の海に生かされたアワビカゴ」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1973.05.12 |
1646 | 国崎の油タンカーもれ1-3-6 | 海岸に置かれた発泡スチロール製のタンポとスカリ。アルバムのデータ記載欄には「S48年5月12日 油タンカーもれ<国崎の油>/タンポとスカリ」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1973.05.12 |
1647 | 国崎2-1-1 | 漁具等を入れる小屋だろうか。オートバイの奥にイソカゴや長靴、アルミのタライ等が見て取れる。アルバムのデータ記載欄には「S48.1.18 国崎」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1973.01.18 |
1648 | 国崎2-1-2 | 漁具等を入れる小屋だろうか。「鳥羽212」のナンバープレートを付けたリヤカーの上にイナイボウや竹篭が乗せられ、天井近くの物干し竿には衣類等が干されている。アルバムのデータ記載欄には「S48.1.18 国崎」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1973.01.18 |
1649 | 国崎2-2-1 | 国崎町の街並み景観である。急傾斜の石垣の横に鉄骨の手すりを作り、鉄板を敷いて歩道が作られている。漁村の狭い集落地内を最大限有効に使おうとする工夫が見て取れる。アルバムのデータ記載欄には「S48.1.18 国崎」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1973.01.18 |
1650 | 国崎2-2-2 | 国崎町の街並み景観である。急傾斜の石垣の横に鉄骨の手すりを作り、鉄板を敷いて歩道が作られている。漁村の狭い集落地内を最大限有効に使おうとする工夫が見て取れる。アルバムのデータ記載欄には「S48.1.18 国崎」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1973.01.18 |
1651 | 国崎2-2-3 | 前年の注連縄かと思われる。まだ、紙垂(しで)やウラジロ、ユズリハ、ヒイラギ、松、「久々■■」の紙札等が見て取れる。アルバムのデータ記載欄には「S48.1.18 国崎」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1973.01.18 |
1652 | 国崎2-2-4 | 五輪塔の様であるが不明(要調査)。アルバムのデータ記載欄には「S48.1.18 国崎」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1973.01.18 |
1653 | 国崎2-2-5 | 国崎町の街並み景観である。「コカコーラ」の看板が取付けられた雨に濡れたブロック造りの平屋根の向こう側に、白波の立つ海が見える。アルバムのデータ記載欄には「S48.1.18 国崎」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1973.01.18 |
1654 | 国崎2-2-6 | 井戸枠をレンガで積上げ、4本柱を立てた瓦葺きの屋根を設えた外井戸である。梁に取付けられた滑車にロープが掛けられているところを見ると水のくみ上げは釣瓶のようである。餅でも搗いたのか、傍らに蒸し器、バケツ、ザルなどが置かれている。アルバムのデータ記載欄には「S48.1.18 国崎」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1973.01.18 |
1655 | 国崎2-3-1 | 国崎町鎧崎と船揚場の景観である。写真左端の堤防は集落から鎧崎へと続く海岸道路で、その前のブロック造りの建物は海女小屋、隣の鳥居は山の神、その右手は伊勢神宮の神饌をつくる熨斗鰒調製所である。アルバムのデータ記載欄には「S48.1.18 国崎」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1973.01.18 |
1656 | 国崎2-3-2 | 国崎町鎧崎と船揚場の景観である。写真左端の堤防は集落から鎧崎へと続く海岸道路で、その前のブロック造りの建物は海女小屋、隣の鳥居は山の神、その右手は伊勢神宮の神饌をつくる熨斗鰒調製所である。アルバムのデータ記載欄には「S48.1.18 国崎」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1973.01.18 |
1657 | 国崎2-3-3 | 何処へと続く道路なのか(要調査)。アルバムのデータ記載欄には「S48.1.18 国崎」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1973.01.18 |
1658 | 国崎2-3-4 | 国崎町の集落景観であるが、斜面を宅地として利用するため石垣が多用される。アルバムのデータ記載欄には「S48.1.18 国崎」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1973.01.18 |
1659 | 国崎2-3-5 | 国崎町の集落景観であるが、斜面を宅地として利用するため石垣が多用される。アルバムのデータ記載欄には「S48.1.18 国崎」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1973.01.18 |
1660 | 国崎2-3-6 | 国崎町の集落景観である。海女を生業とする漁家であろうか、軒の下にはハッポースチロール製のタンポとスカリ、イソカゴが吊されている。アルバムのデータ記載欄には「S48.1.18 国崎」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1973.01.18 |
1661 | 国崎2-4-2 | アルバムのデータ記載欄には「S48.1.18 国崎」と記される。昭和46年12月7日に鳥羽市鳥羽1-23-11に開館した旧海の博物館である。写されてはいないが、写真の右手に本館、手前に展示棟と喫茶「あらみ」の建物が建つ。小浜町に面した海側は、起伏のある野外施設で鰹釣りの疑似体験ができる漁船や、生簀篭等が配置されていた。 | 鳥羽市鳥羽 | 1973.01.18 |
1662 | 国崎2-4-3 | 昭和46年12月7日に鳥羽市鳥羽1-23-11に開館した旧海の博物館である。写されてはいないが、写真の右手に本館、手前に展示棟と喫茶「あらみ」の建物が建つ。小浜町に面した海側は、起伏のある野外施設で鰹釣りの疑似体験ができる漁船や、生簀篭等が配置されていた。アルバムのデータ記載欄には「S48.1.18 国崎」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1973.01.18 |
1663 | 国崎2-4-4 | 昭和46年12月7日に鳥羽市鳥羽1-23-11に開館した旧海の博物館である。ピントが合っていないために判りづらいが、施設内の展示スペースか売店かと思われる。アルバムのデータ記載欄には「S48.1.18 国崎」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1973.01.18 |
1664 | 国崎2-4-5 | 昭和46年12月7日に鳥羽市鳥羽1-23-11に開館した旧海の博物館である。ピントが合っていないために判りづらいが、施設内の展示スペースか売店かと思われる。アルバムのデータ記載欄には「S48.1.18 国崎」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1973.01.18 |
1665 | 国崎2-4-6 | 国崎町の集落景観である。海女を生業とする漁家であろうか、軒の下にはハッポースチロール製のタンポとスカリ、イソカゴが吊されている。アルバムのデータ記載欄には「S48.1.18 国崎」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1973.01.18 |
1666 | 国崎2-5-1 | 国崎町の集落景観である。漁業を生業とする漁家の納屋であろう。明けられた戸口にはスカリらしき物とイソカゴが吊されている。小屋の中には薪も多く入れられているようである。アルバムのデータ記載欄には「S48.1.18 国崎」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1973.01.18 |
1667 | 国崎2-5-2 | 国崎町の正月飾りである。松・榊・アセビ・柊・ユズリハ等を「蘇民将来子孫家門」と記した紙札やツボキと共に括りつける。アルバムのデータ記載欄には「S48.1.18 国崎」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1973.01.18 |
1668 | 国崎2-5-3 | 国崎町の正月飾りである。松・榊・アセビ・柊・ユズリハ等を「蘇民将来子孫家門」と記した紙札やツボキと共に括りつける。アルバムのデータ記載欄には「S48.1.18 国崎」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1973.01.18 |
1669 | 国崎2-5-4 | 国崎町の集落景観である。「国崎漁業協同組合」の看板が掛けられている所を見ると、旧国崎漁協の建物であろう。現在(2023年)は国崎漁港の道路を挟んだ集落側に鉄筋コンクリート2階建ての事務所が建てられている。アルバムのデータ記載欄には「S48.1.18 国崎」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1973.01.18 |
1670 | 国崎2-5-5 | 「御潜神事関船乗組ノ着衣」の図である。写真の出典は不明であるが、酒井錠吉郎著『増補国崎神戸誌』昭和10年発行には、同図が掲載されている。アルバムのデータ記載欄には「S48.1.18 国崎」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1973.01.18 |
1671 | 国崎2-5-6 | 「御潜神事関船乗組ノ着衣(二)」の図である。写真の出典は不明であるが、酒井錠吉郎著『増補国崎神戸誌』昭和10年発行には、同図が掲載されている。アルバムのデータ記載欄には「S48.1.18 国崎」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1973.01.18 |
1672 | 国崎2-6-1 | 国崎町の集落景観である。海女を生業とする漁家であろうか、軒の下にはハッポースチロール製のタンポとスカリ、イソカゴが吊されている。アルバムのデータ記載欄には「S48.1.18 国崎」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1973.01.18 |
1673 | 国崎2-6-2 | 国崎町の集落景観である。斜面に石垣を組み家々が密集する集落は、わずかな用地を道路として共有しているようである。アルバムのデータ記載欄には「S48.1.18 国崎」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1973.01.18 |
1674 | 国崎2-6-3 | 国崎町の集落景観である。石垣で道路より一段高く設えた敷地には母屋と漁具等を入れる小屋が建てられ、母屋の戸口には、まだ正月飾りが飾られている。アルバムのデータ記載欄には「S48.1.18 国崎」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1973.01.18 |
1675 | 国崎2-6-4 | 国崎町の集落景観である。風呂場だろうか、土台をレンガで組上げ、煙突を付け外に焚場が設けられている。通路横には薪が積上げられている。台所も竃が作られているのか、軒下から出ている煙突が見て取れる。アルバムのデータ記載欄には「S48.1.18 国崎」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1973.01.18 |
1676 | 国崎2-6-5 | 国崎町の集落景観である。鳥避けなのが瓦屋根の上に網が掛けられている。アルバムのデータ記載欄には「S48.1.18 国崎」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1973.01.18 |
1677 | 国崎3-1-1 | ノット正月は正月神を藁船に乗せて送り出す行事である。この日、国崎の家々では表に「咄□□(ダテンコウ)鬼神」、裏に「急々□□(セーマン・ドーマン)」と墨で書き込んだ「ツメの札」と呼ばれる木札を10枚~20枚程作る。その「ツメの札」と饌米・神酒・赤飯・ナマス・タツクリ・和紙に包んだ小銭(オヒネリ)を白木の膳に入れ藁一束を持って前の浜に集まる。まず、掌程の石を波打ち際に置き、その上に膳に入れて持ってきた赤飯・ナマス・タツクリを供え、ツメの札を立てて神酒を注ぎ竜宮様に手を合わせ拝む。それが終わると、持ち寄った藁を使って、180㎝ほどの藁船作りが始まる。藁船には舳先に「歳徳丸」と記した紙で作った幟を立て、艫には御幣を立て藁で作った人形を括り付ける。更に各戸が持ち寄ったオヒネリの和紙で紙縒りを作りそれを繋ぎ合わせて帆綱にして張り渡すと藁船が出来上がる。この藁船に饌米、赤飯・ナマス・タツクリ等を乗せ神酒を注ぎ、火を付けて海に送り出す。この行事が終わると浜に立てたツメの札以外は家に持ち帰り、神棚等に供える。また、家々の正月飾りを外し前の浜で焼く。【参考文献】浜荻文庫編『国崎の熨斗鰒づくり報告書』国崎町内会発行・2011年発行 アルバムのデータ記載欄には「平元.1.17 国崎前の浜<ノット正月のツメの札が立てられた況>」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1989.01.17 |
1678 | 国崎3-1-2 | アルバムのデータ記載欄には「平元.1.17 国崎前の浜<ノット正月のツメの札が立てられた況>/咄□□(ダテンコウ)鬼神札を立て龍神を拝んだあと」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1989.01.17 |
1679 | 国崎3-1-3 | アルバムのデータ記載欄には「平元.1.17 国崎前の浜<ノット正月のツメの札が立てられた況>/咄□□(ダテンコウ)鬼神札を立て龍神を拝んだあと」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1989.01.17 |
1680 | 国崎3-1-4 | アルバムのデータ記載欄には「平元.1.17 国崎前の浜<ノット正月のツメの札が立てられた況>/咄□□(ダテンコウ)鬼神札を立て龍神を拝んだあと」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1989.01.17 |
1681 | 国崎3-1-5 | アルバムのデータ記載欄には「平元.1.17 国崎前の浜<ノット正月のツメの札が立てられた況>/咄□□(ダテンコウ)鬼神札を立て龍神を拝んだあと」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1989.01.17 |
1682 | 国崎3-1-6 | アルバムのデータ記載欄には「平元.1.17 国崎前の浜<ノット正月のツメの札が立てられた況>/咄□□(ダテンコウ)鬼神札を立て龍神を拝んだあと」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1989.01.17 |
1683 | 石鏡潜き下り1-1 | 毎年、海女漁が始まる前に海上安全と豊漁を祈願して行われる海女の神事である。午後12時過ぎ、代表海女等が、漁協2階の天照皇太神宮の「海上安全・大漁満足」の祈祷札と石鏡海女組として青峯山正福寺で受けた祈祷札・旗が祀られている祭壇の前に集まり、赤飯(アズキ飯)とタツクリ、御酒等をお供する。午後2時前、「カズキオリを始める」旨の町内放送が流されると、白木の膳と一升枡を手にした海女達がそれぞれ、かつては集落前の海浜であったであろう前浜の堤防で、重ね餅と小石の上に赤飯・タツクリ等を供え神酒を注ぎ、アワビオコシで一升枡の角を二三度叩いてから海に向かって手を合わせて海上安全と大漁満足を祈願する。前浜での御供えが終わると、漁協一階に設けられた八大龍神の祭壇に、同様の重ね餅や小石、アズキ飯等を供え、膳に載せられた黒・赤一対のアワビをアワビオコシ(磯ノミ)で起こす仕草をし、八大龍神に手を合わせ操業の安全と大漁を祈願する。その後、集落の入口近くに立つ石柱、三界萬霊塔、六地蔵に供え物を済ませた後、海女船を持つ海女達は自家船にも御供をして回る。写真は、石鏡漁協一階に設えた八代竜神の祭壇にお供えをする海女。左上に八大竜神の掛け軸、その下には膳に載せられた赤と黒の鰒一対が見て取れる。スライド枠には「'10.2.17 石鏡かずき下り(石鏡潜き下り)」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1998.2.17 |
1684 | 石鏡潜き下り1-2 | 「潜き下りを始める」旨の町内放送が流されると、海女達は家々から白木の膳に赤飯(小豆飯)やタツクリ等、一升枡に小石や餅等を入れて前浜の堤防へと集まってくる。スライド枠には「'10.2.17 石鏡かずき下り(石鏡潜き下り)」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1998.2.17 |
1685 | 石鏡潜き下り1-3 | 前浜の堤防での御供が終わると、石鏡漁協一階に設えた八大龍神の祭壇にお供えをし、膳に載せられた赤・黒一対の鮑をノミで起こす仕草をし、一升枡の隅を2~3回叩いてから手を合わせ、海上安全と大量満足を祈願する。スライド枠には「'10.2.17 石鏡かずき下り(石鏡潜き下り)」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1998.2.17 |
1686 | 石鏡潜き下り1-4 | 前浜の堤防での御供が終わると、石鏡漁協一階に設えた八大龍神の掛け軸を掛けた祭壇に小石や重ね餅、赤飯(小豆飯)等を供え膳に載せられた赤・黒一対の鮑をノミで起こす仕草をし、一升枡の隅を2~3回叩いてから手を合わせ、海上安全と大漁満足を祈願する。スライド枠には「'10.2.17 石鏡かずき下り(石鏡潜き下り)」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1998.2.17 |
1687 | 石鏡潜き下り1-5 | 前浜の堤防での御供の後、八大龍神の掛け軸を掛けた祭壇に小石や重ね餅、赤飯(小豆飯)等を供え膳に載せられた赤・黒一対の鮑をノミで起こす仕草をし、一升枡の隅を2~3回叩いてから手を合わせ、海上安全と大漁満足を祈願する海女たち。この写真では掛け軸を掛けた祭壇が石鏡漁協施設内に変更していることがわかる。現在(2023年)もこの施設内で行われているが、これは「風雨の日だと大変だから」「これまで掛け軸を設置していた建物が取り壊されたから」といった理由によるもの。(「浜の遠声 石鏡の暮らし写真展」報告書より) スライド枠には「'10.2.17 石鏡かずき下り(石鏡潜き下り)」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1998.2.17 |
1688 | 石鏡潜き下り1-6 | 前浜の堤防での御供が終わると、石鏡漁協一階に設えた八大龍神の祭壇に小石や重ね餅、赤飯(小豆飯)等を供え膳に載せられた赤・黒一対の鮑をノミで起こす仕草をし、一升枡の隅を2~3回叩いてから手を合わせ、海上安全と大量満足を祈願する。スライド枠には「'10.2.17 石鏡かずき下り(石鏡潜き下り)」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1998.2.17 |
1689 | 石鏡潜き下り1-7 | 前浜の堤防での御供が終わると、石鏡漁協一階に設えた八大龍神の祭壇に小石や重ね餅、赤飯(小豆飯)等を供え膳に載せられた赤・黒一対の鮑をノミで起こす仕草をし、一升枡の隅を2~3回叩いてから手を合わせ、海上安全と大量満足を祈願する。スライド枠には「'10.2.17 石鏡かずき下り(石鏡潜き下り)」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1998.2.17 |
1690 | 石鏡潜き下り1-8 | 前浜の堤防での御供が終わると、石鏡漁協一階に設えた八大龍神の祭壇に小石や重ね餅、赤飯(小豆飯)等を供え膳に載せられた赤・黒一対の鮑をノミで起こす仕草をし、一升枡の隅を2~3回叩いてから手を合わせ、海上安全と大量満足を祈願する。スライド枠には「'10.2.17 石鏡かずき下り(石鏡潜き下り)」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1998.2.17 |
1691 | 石鏡潜き下り1-9 | 前浜の堤防での御供が終わると、石鏡漁協一階に設えた八大龍神の祭壇に小石や重ね餅、赤飯(小豆飯)等を供え膳に載せられた赤・黒一対の鮑をノミで起こす仕草をし、一升枡の隅を2~3回叩いてから手を合わせ、海上安全と大量満足を祈願する。写真中央右奥の男性は毎日新聞社の林記者。スライド枠には「'10.2.17 石鏡かずき下り(石鏡潜き下り)」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1998.2.17 |
1692 | 石鏡潜き下り1-10 | 前浜の堤防での御供が終わると、石鏡漁協一階に設えた八大龍神の祭壇に小石や重ね餅、赤飯(小豆飯)等を供え膳に載せられた赤・黒一対の鮑をノミで起こす仕草をし、一升枡の隅を2~3回叩いてから手を合わせ、海上安全と大量満足を祈願する。写真中央右奥の男性は毎日新聞社の林記者。スライド枠には「'10.2.17 石鏡かずき下り(石鏡潜き下り)」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1998.2.17 |
1693 | 石鏡潜き下り1-11 | 前浜の堤防での御供が終わると、石鏡漁協一階に設えた八大龍神の祭壇に小石や重ね餅、赤飯(小豆飯)等を供え膳に載せられた赤・黒一対の鮑をノミで起こす仕草をし、一升枡の隅を2~3回叩いてから手を合わせ、海上安全と大量満足を祈願する。重ね餅は丸餅だけではなく、四角の重ね餅も見て取れる。スライド枠には「'10.2.17 石鏡かずき下り(石鏡潜き下り)」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1998.2.17 |
1694 | 石鏡潜き下り1-12 | 前浜の堤防での御供が終わると、石鏡漁協一階に設えた八大龍神の祭壇に小石や重ね餅、赤飯(小豆飯)等を供え膳に載せられた赤・黒一対の鮑をノミで起こす仕草をし、一升枡の隅を2~3回叩いてから手を合わせ、海上安全と大量満足を祈願する。重ね餅は丸餅だけではなく、四角の重ね餅も見て取れる。スライド枠には「'10.2.17 石鏡かずき下り(石鏡潜き下り)」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1998.2.17 |
1695 | 石鏡潜き下り1-13 | 前浜の堤防での御供が終わると、石鏡漁協一階に設えた八大龍神の掛け軸を掛けた祭壇に小石や重ね餅、赤飯(小豆飯)等を供え膳に載せられた赤・黒一対の鮑をノミで起こす仕草をし、一升枡の隅を2~3回叩いて手を合わせ、海上安全と大漁満足を祈願する。重ね餅は丸餅や四角の餅も見て取れる。スライド枠には「'10.2.17 石鏡かずき下り(石鏡潜き下り)」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1998.2.17 |
1696 | 石鏡潜き下り1-14 | 前浜の堤防での御供が終わると、石鏡漁協一階に設えた八大龍神の祭壇に小石や重ね餅、赤飯(小豆飯)等を供え膳に載せられた赤・黒一対の鮑をノミで起こす仕草をし、一升枡の隅を2~3回叩いてから手を合わせ、海上安全と大量満足を祈願する。重ね餅は丸餅だけではなく、四角の重ね餅も見て取れる。スライド枠には「'10.2.17 石鏡かずき下り(石鏡潜き下り)」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1998.2.17 |
1697 | 石鏡潜き下り1-15 | 前浜の堤防での御供が終わると、石鏡漁協一階に設えた八大龍神の祭壇に小石や重ね餅、赤飯(小豆飯)等を供え膳に載せられた赤・黒一対の鮑をノミで起こす仕草をし、一升枡の隅を2~3回叩いてから手を合わせ、海上安全と大量満足を祈願する。重ね餅は丸餅だけではなく、四角の重ね餅も見て取れる。スライド枠には「'10.2.17 石鏡かずき下り(石鏡潜き下り)」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1998.2.17 |
1698 | 石鏡潜き下り1-16 | 前浜の堤防での御供が終わると、石鏡漁協一階に設えた八大龍神の祭壇に小石や重ね餅、赤飯(小豆飯)等を供え膳に載せられた赤・黒一対の鮑をノミで起こす仕草をし、一升枡の隅を2~3回叩いて手を合わせ、海上安全と大量満足を祈願する。重ね餅は丸餅だけではなく、四角の重ね餅も見て取れる。スライド枠には「'10.2.17 石鏡かずき下り(石鏡潜き下り)」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1998.2.17 |
1699 | 石鏡潜き下り1-17 | 前浜の堤防での御供が終わると、石鏡漁協一階に設えた八大龍神の掛け軸を掛けた祭壇に小石や重ね餅、赤飯(小豆飯)等を供え膳に載せられた赤・黒一対の鮑をノミで起こす仕草をし、一升枡の隅を2~3回叩いてから手を合わせ、海上安全と大漁満足を祈願する。重ね餅は丸餅や四角の餅も見て取れる。スライド枠には「'10.2.17 石鏡かずき下り(石鏡潜き下り)」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1998.2.17 |
1700 | 石鏡潜き下り1-18 | 前浜の堤防での御供が終わると、石鏡漁協一階に設えた八大龍神の祭壇に小石や重ね餅、赤飯(小豆飯)等を供え膳に載せられた赤・黒一対の鮑をノミで起こす仕草をし、一升枡の隅を2~3回叩いてから手を合わせ、海上安全と大量満足を祈願する。重ね餅は丸餅だけではなく、四角の重ね餅も見て取れる。スライド枠には「'10.2.17 石鏡かずき下り(石鏡潜き下り)」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1998.2.17 |
1701 | 石鏡(潜き下り)2-1 | デジタル化がされていないが、このスライドの前に「石鏡 90.2.16 ⑤」と記されたタイトルスライド1枚が挟み込まれている。スライド枠には「2.2.16 (石鏡潜き下り)」と記される。潜き下りに来た老海女。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.02.16 |
1702 | 石鏡(潜き下り)2-2 | スライド枠には「2.2.16 (石鏡潜き下り)」と記される。潜き下りに前浜に来た海女。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.02.16 |
1703 | 石鏡(潜き下り)2-3 | 町内放送でかづきおりの開始が知らされると、海女はまず前浜の堤防で、海に向かって重ね餅と小石の上に赤飯(小豆飯)・タツクリ等を供える。神酒を注ぎ、イソノミでカミノゼンをカンカンカンと3回叩いたり、「チュッチュッ」「ツイツイ」などと声を出したりして海に向かって手を合わせ、海上安全と大漁満足を祈願する。(「浜の遠声 石鏡の暮らし写真展」報告書より) スライド枠には「2.2.16 石鏡(石鏡潜き下り)」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.02.16 |
1704 | 石鏡(潜き下り)2-4 | 潜き下りに前浜に来た海女。スライド枠には「2.2.16 (石鏡潜き下り)」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.02.16 |
1705 | 石鏡(潜き下り)2-5 | 潜き下りに前浜に来た海女。スライド枠には「2.2.16 (石鏡潜き下り)」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.02.16 |
1706 | 石鏡(潜き下り)2-6 | 「潜き下りを始める」旨の町内放送が流されると、海女達は家々から白木の膳に赤飯(小豆飯)やタツクリ等、一升枡に小石や餅等を入れて前浜の堤防へと集まってくる。スライド枠には「90.2.16 石鏡(石鏡潜き下り)」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.02.16 |
1707 | 石鏡(潜き下り)2-7 | 潜き下りに前浜に来た海女。スライド枠には「2.2.16 (石鏡潜き下り)」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.02.16 |
1708 | 石鏡(潜き下り)2-8 | 「カズキオリを始める」旨の町内放送が流されると、白木の膳と一升枡を手にした海女達がそれぞれ、前浜の堤防で、重ね餅と小石の上にアズキ飯・タツクリ等を供え神酒を注ぐ。そしてアワビオコシで一升枡の角を二三度叩いてから海に向かって手を合わせて海上安全と大漁満足を祈願する。スライド枠には「'10.2.17 石鏡潜き下り、旧堤防で祈るアマ」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1998.2.17 |
1709 | 石鏡(潜き下り)2-9 | 「カズキオリを始める」旨の町内放送が流されると、白木の膳と一升枡を手にした海女達がそれぞれ、かつては集落前の海浜であったであろう前浜の堤防で、重ね餅と小石の上にアズキ飯・タツクリ等を供え神酒を注ぎ、アワビオコシで一升枡の角を二三度叩いてから海に向かって手を合わせて海上安全と大漁満足を祈願する。スライド枠には「'10.2.17 石鏡潜き下り、旧堤防で祈るアマ」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1998.2.17 |
1710 | 石鏡(潜き下り)2-10 | 石鏡漁港の船舶係留堤防前の風景である。撮影が2月であることから、伊勢エビ漁の為の刺網であろう。伊勢エビ漁は前日の夕方仕掛けられ、翌日の早朝に網が引揚げげられる。刺網は伊勢エビを外し、ゴミ等が取り除かれた後、次の仕掛けに出港するまで干される。スライド枠には「'10.2.17 石鏡港」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1998.2.17 |
1711 | 石鏡(潜き下り)2-11 | 石鏡漁港の船舶係留堤防前の風景である。撮影が2月であることから、伊勢エビ漁の為の刺網であろう。伊勢エビ漁は前日の夕方仕掛けられ、翌日の早朝に網が引揚げげられる。刺網は伊勢エビを外し、ゴミ等が取り除かれた後、次の仕掛けに出港するまで干される。スライド枠には「'10.2.17 石鏡港」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1998.2.17 |
1712 | 石鏡(潜き下り)2-12 | 石鏡漁港の船舶係留堤防前の風景である。撮影が2月であることから、伊勢エビ漁の為の刺網であろう。伊勢エビ漁は前日の夕方仕掛けられ、翌日の早朝に網が引揚げげられる。刺網は伊勢エビを外し、ゴミ等が取り除かれた後、次の仕掛けに出港するまで干される。スライド枠には「'10.2.17 石鏡港」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1998.2.17 |
1713 | 石鏡かづきおり(潜き下り)3-1 | 「カズキオリを始める」旨の町内放送が流されると、白木の膳と一升枡を手にした海女達はそれぞれ、かつては集落前の海浜であったであろう前浜の堤防で、重ね餅と小石の上に赤飯(小豆飯)・タツクリ等を供え神酒を注ぎ、アワビオコシで一升枡の角を二三度叩いてから海に向かって手を合わせて海上安全と大漁満足を祈願する。デジタル化がされていないが、このスライドの前に「石鏡かづきおり90.2.16 ②」と記されたタイトルスライド1枚が挟み込まれている。スライド枠には「2.2.16 (石鏡潜き下り)」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.02.16 |
1714 | 石鏡かづきおり(潜き下り)3-2 | 町内放送でかづきおりの開始が知らされると、海女はまず前浜の堤防で、海に向かって重ね餅と小石の上に赤飯(小豆飯)・タツクリ等を供える。神酒を注ぎ、イソノミでカミノゼンをカンカンカンと3回叩いたり、「チュッチュッ」「ツイツイ」などと声を出したりして海に向かって手を合わせ、海上安全と大漁満足を祈願する。(「浜の遠声 石鏡の暮らし写真展」報告書より) スライド枠には「2.2.16 石鏡(石鏡潜き下り)」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.02.16 |
1715 | 石鏡かづきおり(潜き下り)3-3 | 八大龍神の掛軸の前に莚を敷いた祭壇が設えられ、膳には赤・黒一対の鮑が載せられる。海女達は、赤飯(小豆飯)等の御供をした後、手を合わせて海上安全と大量満足を祈願する。スライド枠には「2.2.16 (石鏡潜き下り)」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.02.16 |
1716 | 石鏡かづきおり(潜き下り)3-4 | 町内放送でかづきおりの開始が知らされると、海女はまず前浜の堤防で、海に向かって重ね餅と小石の上に赤飯(小豆飯)・タツクリ等を供える。神酒を注ぎ、イソノミでカミノゼンをカンカンカンと3回叩いたり、「チュッチュッ」「ツイツイ」などと声を出したりして海に向かって手を合わせ、海上安全と大漁満足を祈願する。(「浜の遠声 石鏡の暮らし写真展」報告書より) スライド枠には「2.2.16 石鏡(石鏡潜き下り)」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.02.16 |
1717 | 石鏡かづきおり(潜き下り)3-5 | 頬被りをし、潜き下りに前浜に来た老海女。長年、海女を生業としてきたのであろう、顔は赤銅色に日焼けしているが、優しい眼差しを向ける。スライド枠には「2.2.16 (石鏡潜き下り)」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.02.16 |
1718 | 石鏡かづきおり(潜き下り)3-6 | 潜き下りに前浜に来た海女。スライド枠には「2.2.16 (石鏡潜き下り)」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.02.16 |
1719 | 石鏡かづきおり(潜き下り)3-7 | 潜き下りに前浜に来た海女。スライド枠には「2.2.16 (石鏡潜き下り)」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.02.16 |
1720 | 石鏡かづきおり(潜き下り)3-8 | 「潜き下りを始める」旨の町内放送が流されると、海女達は家々から白木の膳に赤飯(小豆飯)やタツクリ等、一升枡に小石や餅等を入れて前浜の堤防へと集まってくる。スライド枠には「2.2.16 (石鏡潜き下り)」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.02.16 |
1721 | 石鏡かづきおり(潜き下り)3-9 | 潜き下りに前浜に来た海女。スライド枠には「2.2.16 (石鏡潜き下り)」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.02.16 |
1722 | 石鏡かづきおり(潜き下り)3-10 | 潜き下りに前浜に来た海女。手には赤飯(小豆飯)やタツクリ、小石等を入れた白木の膳が持たれている。スライド枠には「2.2.16 (石鏡潜き下り)」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.02.16 |
1723 | 石鏡かづきおり(潜き下り)3-11 | 潜き下りに前浜に来た海女。スライド枠には「2.2.16 (石鏡潜き下り)」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.02.16 |
1724 | 石鏡かづきおり(潜き下り)3-12 | 潜き下りに前浜に来た老海女。長年、海女を生業としてきたのであろう、顔は赤銅色に日焼けしているが、石鏡の海女達は屈託無くいつも明るい。スライド枠には「2.2.16 (石鏡潜き下り)」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.02.16 |
1725 | 石鏡(潜き下り)4-1 | 八大龍神の掛軸の前に莚を敷いた祭壇が設えられ、膳には赤・黒一対の鮑が載せられる。海女達は、重ね餅や赤飯(小豆飯)等の御供をした後、手を合わせて海上安全と大量満足を祈願する。デジタル化がされていないが、このスライドの前に「石鏡 90.2.16 ④」と記されたタイトルスライド1枚が挟み込まれている。スライド枠には「2.2.16 (石鏡潜き下り)」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.02.16 |
1726 | 石鏡(潜き下り)4-2 | 八大龍神の掛軸の前に莚を敷いた祭壇が設えられ、膳には赤・黒一対の鮑が載せられる。海女達は、重ね餅や赤飯(小豆飯)等の御供をした後、手を合わせて海上安全と大漁満足を祈願する。写真の頃は石鏡町内の保育園児が参加していたが、現在(2023年)では少子化のため参加していない。餅まきをして園児が拾うのが楽しみのひとつだった。(「浜の遠声 石鏡の暮らし写真展」報告書より) スライド枠には「2.2.16 石鏡(石鏡潜き下り)」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.02.16 |
1727 | 石鏡(潜き下り)4-3 | 八大龍神の掛軸の前に莚を敷いた祭壇が設えられ、膳には赤・黒一対の鮑が載せられる。海女達は、重ね餅や赤飯(小豆飯)、タツクリ等の御供をした後、手を合わせて海上安全と大漁満足を祈願する。スライド枠には「2.2.16 石鏡(石鏡潜き下り)」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.02.16 |
1728 | 石鏡(潜き下り)4-4 | 八大龍神の掛軸の前に莚を敷いた祭壇が設えられ、膳には赤・黒一対の鮑が載せられる。海女達は、重ね餅や赤飯(小豆飯)、タツクリ等の御供をした後、手を合わせて海上安全と大量満足を祈願する。スライド枠には「2.2.16 石鏡(石鏡潜き下り)」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.02.16 |
1729 | 石鏡(潜き下り)4-5 | 前浜の堤防での御供が終わると、石鏡漁協一階に設えた八大龍神の掛け軸を掛けた祭壇に小石や重ね餅、赤飯(小豆飯)等を供え、膳に載せられた赤・黒一対の鮑をノミで起こす仕草をした後、一升枡の隅を2~3回叩いて手を合わせ、海上安全と大漁満足を祈願する。重ね餅は丸餅だけではなく、四角の重ね餅も見て取れる。このスライドの前段のスライド枠には「潜き下り '10.2.17 ②つづき」と記される。本スライド枠には「 '10.2.17 かずき下り(石鏡潜き下り)」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1998.2.17 |
1730 | 石鏡(潜き下り)4-6 | 前浜の堤防での御供が終わると、石鏡漁協一階に設えた八大龍神の掛け軸を掛けた祭壇に小石や重ね餅、赤飯(小豆飯)等を供え、膳に載せられた赤・黒一対の鮑をノミで起こす仕草をした後、一升枡の隅を2~3回叩いて手を合わせ、海上安全と大漁満足を祈願する。重ね餅は丸餅や四角の餅も見て取れる。スライド枠には「 '10.2.17 かずきおり(石鏡潜き下り)」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1998.2.17 |
1731 | 石鏡(潜き下り)4-7 | 前浜の堤防での御供が終わると、石鏡漁協一階に設えた八大龍神の祭壇に小石や重ね餅、赤飯(小豆飯)等を供え、膳に載せられた赤・黒一対の鮑をノミで起こす仕草をした後、一升枡の隅を2~3回叩いて手を合わせ、海上安全と大量満足を祈願する。重ね餅は丸餅だけではなく、四角の重ね餅も見て取れる。スライド枠には「 '10.2.17 石鏡かずきおり(石鏡潜き下り)」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1998.2.17 |
1732 | 石鏡(潜き下り)4-8 | 前浜の堤防での御供が終わると、石鏡漁協一階に設えた八大龍神の祭壇に小石や重ね餅、赤飯(小豆飯)等を供え、膳に載せられた赤・黒一対の鮑をノミで起こす仕草をした後、一升枡の隅を2~3回叩いて手を合わせ、海上安全と大量満足を祈願する。重ね餅は丸餅だけではなく、四角の重ね餅も見て取れる。スライド枠には「 '10.2.17 かずきおり(石鏡潜き下り)」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1998.2.17 |
1733 | 石鏡(潜き下り)4-9 | 前浜の堤防での御供が終わると、石鏡漁協一階に設えた八大龍神の掛け軸を掛けた祭壇に小石や重ね餅、赤飯(小豆飯)等を供え、膳に載せられた赤・黒一対の鮑をノミで起こす仕草をした後、一升枡の隅を2~3回叩いて手を合わせ、海上安全と大漁満足を祈願する。重ね餅は丸餅や四角い餅も見て取れる。スライド枠には「 '10.2.17 石鏡かずき下り(石鏡潜き下り)」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1998.2.17 |
1734 | 石鏡(潜き下り)4-10 | 石鏡漁協一階に設えた八大龍神の祭壇に供えられた小石や重ね餅、赤飯(小豆飯)やタツクリ等。膳には黒・赤一対の鮑が載せられている。スライド枠には「 '10.2.17 かずきおり(石鏡潜き下り)」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1998.2.17 |
1735 | 石鏡(潜き下り)4-11 | 石鏡漁協一階に設えられた八大龍神の祭壇。柱には「八大龍神」の掛軸が掛けられ、その下には黒・赤一対の鮑が膳に載せられ、神酒を注ぐ陶器の器を置いた祭壇が組まれる。石鏡の海女達は、前浜での御供を終えるとここでも小石や重ね餅、タツクリ等の御供をし、海上安全と大量満足の祈願をする。スライド枠には「90.2.16 潜き下り(石鏡潜き下り)」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1998.2.17 |
1736 | 石鏡(潜き下り)4-12 | 石鏡漁協一階に設えた八大龍神の祭壇に供えられた小石や重ね餅、赤飯(小豆飯)やタツクリ等。膳には黒・赤一対の鮑が載せられている。スライド枠には「 '10.2.17 石鏡潜き下り」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1998.2.17 |
1737 | 石鏡かずきおり(潜き下り)5-1 | 石鏡では3月からワカメ漁、4月からはヒジキ漁やアワビ漁など、本格的に海女漁が始まる。その前の2月16日(日にちは固定)に、大漁満足、海上安全、無病息災(石鏡では豆息災といわれる)を祈るためかづきおり(潜き下り)が行われる。海藻漁のための年中行事だという。この行事では、海女が一升枡に餅と小石、カミノゼンと呼ばれる白木の膳に小豆飯、生の米と小豆、ナマス、タツクリ、干し柿、神酒を入れ、町内の各所に供えて回る。なおカミノゼンにはイソノミと、供え物をするための箸も置かれる。小石は、自分たちが潜る浜(恵比寿さんがいるとされる特定のエリア)で5個前後拾ってくる。町内放送でかづきおりの開始が知らされると、海女達は家々から白木の膳に赤飯(小豆飯)やタツクリ等、一升枡に小石や餅等を入れて前浜の堤防へと集まってくる。(「浜の遠声 石鏡の暮らし写真展」報告書より) スライド枠には平成2(1990)年2月16日と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.02.16 |
1738 | 石鏡かずきおり(潜き下り)5-2 | 潜き下りに前浜に来た老海女。手には赤飯(小豆飯)や重ね餅等を入れた白木の膳が持たれている。スライド枠には「2.2.16(石鏡潜き下り)」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.02.16 |
1739 | 石鏡かずきおり(潜き下り)5-3 | 潜き下りに前浜に来た老海女。手には赤飯(小豆飯)や重ね餅等を入れた白木の膳が持たれている。スライド枠には「2.2.16(石鏡潜き下り)」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.02.16 |
1740 | 石鏡かずきおり(潜き下り)5-4 | 潜き下りに前浜に来た海女。スライド枠には「2.2.16(石鏡潜き下り)」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.02.16 |
1741 | 石鏡かずきおり(潜き下り)5-5 | 頬被りをし、潜き下りに前浜に来た老海女。長年、海女を生業としてきたのであろう、顔は赤銅色に日焼けしているが、優しい眼差しを向ける。スライド枠には「2.2.16(石鏡潜き下り)」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.02.16 |
1742 | 石鏡かずきおり(潜き下り)5-6 | 頬被りをし、潜き下りに前浜に来た老海女。長年、海女を生業としてきたのであろう、顔は赤銅色に日焼けしているが、優しい眼差しを向ける。スライド枠には「2.2.16(石鏡潜き下り)」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.02.16 |
1743 | 石鏡かずきおり(潜き下り)5-7 | 頬被りをし、潜き下りに前浜に来た老海女。長年、海女を生業としてきたのであろう、顔は赤銅色に日焼けしているが、優しい眼差しを向ける。スライド枠には「2.2.16(石鏡潜き下り)」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.02.16 |
1744 | 石鏡かずきおり(潜き下り)5-8 | 潜き下りに前浜に来た老海女。スライド枠には「2.2.16(石鏡潜き下り)」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.02.16 |
1745 | 石鏡かずきおり(潜き下り)5-9 | 潜き下りに前浜に来た老海女達。今は埋め立てられ漁港用地となっているが、老海女達が目にする先は、彼女達が若かりし頃にはまだ砂浜で青い渚が広がっていたはずである。スライド枠には「2.2.16(石鏡潜き下り)」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.02.16 |
1746 | 石鏡かずきおり(潜き下り)5-10 | 潜き下りに前浜に来た老海女達。今は埋め立てられ漁港用地となっているが、老海女達が目にする先は、彼女達が若かりし頃にはまだ砂浜で青い渚が広がっていたはずである。スライド枠には「2.2.16 石鏡かずきおり(石鏡潜き下り)」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.02.16 |
1747 | 石鏡3-4-5 | 当時は家で葬式が執り行われていたので、葬儀関係者の食事や精進落し等の料理は親戚や隣近所の人々が作ったものである。写真のテントの下では、手拭いを被った女性たちが、煮崩れを防ぐための、竹を薄く剥ぎ組み合わせた笊状の道具を使って大鍋で煮物をしている。傍らには「ヤマ吉」の屋号が記された桶や、隣の建物には「名物荒磯料理/釣舟案内/浜乃家旅館」の看板が見られる。女性たちは朝の4?5時くらいから準備をし、賑やかな声が町内に響いた。(「浜の遠声 石鏡の暮らし写真展」報告書より) アルバムのデータ記載欄には「S52.7.1 石鏡/葬式共同調理場」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1977.7.1 |
1748 | 石鏡3-4-6 | 「水」は集落の生活に必要不可欠なものの一つであるが、急峻な背後地に家々が密集する石鏡では生活用水を川に依存することは難しい。そのため、幾つもの共同井戸が作られ、一年に一度は村人が協働で井戸の水替え等が行われてきた。当時は井戸に近い家しか風呂を設置できなかったので、風呂は屋外におかれ、「もらい湯」として近所の人も使っていた。奥山川の表流水を使って石鏡町に簡易水道が竣工したのは昭和38年。上水道が整備され、簡易水道が廃止されるのは昭和47年である。参考文献:『鳥羽市史 下巻』平成3年発行。(「浜の遠声 石鏡の暮らし写真展」報告書より) アルバムのデータ記載欄には「S52.7.1 石鏡/共同井戸」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1977.7.1 |
1749 | 石鏡3-5-1 | 全国的には小正月の後に外されることが多いようであるが、鳥羽志摩地域地では一年中飾る所が多く、石鏡町ではその家に不幸事が起こるまで毎年新しい注連縄が重ねられていく。また、最近は、市販されている物を飾る家も多くなったが、ここでは今も家人が思いを込めて作った注連縄を見ることができ、木札の表には「七福即生 七難即滅 蘇民将来子孫門」、裏には「急々如律令」と「魔除印=ドーマン・セーマン」が記される。アルバムのデータ記載欄には「S52.7.1 石鏡/玄関〆縄」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1977.7.1 |
1750 | 石鏡3-5-2 | 現在(2023年)ではメモリアルホールの様な商業施設が多く利用されるが、それまで農山漁村では何処とも自宅で通夜が営まれ、翌日行列を組んで寺院へと向かい葬儀を行うのが通例であった。通夜の準備か出棺の用意か不明であるが、玄関口に置かれた生花からは「御供 福井賢■/田畑起■/鳥羽市老人クラブ連合会」等の名前が読み取れる。アルバムのデータ記載欄には「S52.7.1 石鏡/生花」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1977.7.1 |
1751 | 石鏡3-5-3 | 『鳥羽市史 下巻 民俗編』には、明治から昭和期に至る「鳥羽市の鍛冶屋一覧表」が記載されるが、これらの農具も本市域で作られてきた物だろうか(要調査)。アルバムのデータ記載欄には「S52.7.1 石鏡/クワ・農具」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1977.7.1 |
1752 | 石鏡3-5-4 | 臼には「挽き臼」と「搗き臼」があるが、写真は御影石製の搗き臼である。今はもう使われていない様であるが、かつては年の暮れになると、村のあちこちで餅米を蒸す湯気が上がり、餅を搗く杵の音が聞こえた物である。アルバムのデータ記載欄には「S52.7.1 石鏡/石ウス」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1977.7.1 |
1753 | 石鏡3-5-5 | 臼には「挽き臼」と「搗き臼」があるが、写真は御影石製の挽き臼であろう。我が国には奈良時代に伝わり、室町時代から江戸時代にかけて普及したとも言われるようであるが、かつてはアワやヒエ、コメやムギ等を粉にするために、多くの家に備えられていた生活必需品であった。アルバムのデータ記載欄には「S52.7.1 石鏡/ヒキウス」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1977.7.1 |
1754 | 石鏡3-5-6 | 海女が海底で獲った獲物を入れるための用具である。浮樽(磯樽)に取付けたり、腰スカリ等は体に括り付けたりして使用する。網漁で用いる網の糸で編まれている。 アルバムのデータ記載欄には「S52.7.1 石鏡/スカリ(漁具)」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1977.7.1 |
1755 | 石鏡3-6-1 | 自宅での葬儀風景である。玄関口に並ぶ生花からは「御供 海野 大西忠/大王町波切 旅館東洋一■・モヘジ■・大王荘」等の名前が見て取れる。アルバムのデータ記載欄には「S52.7.1 石鏡」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1977.7.1 |
1756 | 石鏡3-6-2 | 下から2/3程の所に穴が開けられ、ローブが括り付けられるように加工されているが、御影石製の物と思われる。アルバムのデータ記載欄には「S52.7.1 石鏡/おもり(漁具)」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1977.7.1 |
1757 | 石鏡3-6-3 | 御影石製の石柱であるが、何かの供養塔かと思われる(要調査)。アルバムのデータ記載欄には「S52.7.1 石鏡」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1977.7.1 |
1758 | 石鏡3-6-4 | 煮崩れや取り出すときに形が壊れないように、竹を薄く剥いで十字に組み合わせた笊状の道具にサンマを重ね合わせ、落し蓋をし、鉄製の簡易竈で大鍋を使って煮る。数十匹程が入っていそうである。アルバムのデータ記載欄には「S52.7.1 石鏡/葬式料理・サンマの煮つけ」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1977.7.1 |
1759 | 石鏡3-6-5 | 煮崩れや取り出すときに形が壊れないように、竹を薄く剥いで十字に組み合わせたザル状の道具にサンマを重ね合わせ、落し蓋をし、鉄製の簡易竈で大鍋を使って煮る。数十匹程が入っていそうである。 アルバムのデータ記載欄には「S52.7.1 石鏡」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1977.7.1 |
1760 | 石鏡3-6-6 | 盛り付けの煮崩れを防ぐために、炊き上がった煮付けのサンマは、しばらく冷まされる。サンマの下に敷かれているのは、焦げつきや取り出し時の型崩れを防止するのため竹を薄く剥いで十字に組み合わせた笊状の道具。他には豆の煮物やがんもどき、こんにゃくと豆腐の白和えもあったそう。(「浜の遠声 石鏡の暮らし写真展」報告書より)アルバムのデータ記載欄には「S52.7.1 石鏡」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1977.7.1 |
1761 | 石鏡4-1-1 | 葬儀関係者や精進落しとして振る舞われる煮物類は、親戚や近所の人達の出会いで大鍋や大釜を使って作られた。煮豆もそのうちの一品で、インゲン豆に属する金時豆を使う事が多かったようである。 | 鳥羽市石鏡町 | 1977.7.1 |
1762 | 石鏡4-1-2 | かつては人が亡くなると、親戚や隣近所の人々が精進落し等の葬儀用の料理を作ったものである。テントの下では、手拭いでアネサンかぶりをした女性たちがその準備を進める。 アルバムのデータ記載欄には「S52.7.1 石鏡/共同作業」と記される。アルバムのデータ記載欄には「S52.7.1 石鏡/煮まめ作り」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1977.7.1 |
1763 | 石鏡4-1-3 | 女性たちが大釜で出合い(協働)によって作られた煮豆とがんもどきで、葬式の料理である。(「浜の遠声 石鏡の暮らし写真展」報告書より) アルバムのデータ記載欄には「S52.7.1 石鏡/出来た煮まめ」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1977.7.1 |
1764 | 石鏡4-1-4 | イケホリ(イケボリ、ハカホリ)が履いた草履が脱ぎ捨てられた様子。(「浜の遠声 石鏡の暮らし写真展」報告書より) アルバムのデータ記載欄には「S52.7.1 石鏡/葬式にはくぞうり」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1977.7.1 |
1765 | 石鏡4-1-5 | 公民館か老人憩いの家の会議室かと思われる。老人会等の会合であろうか(要調査)。アルバムのデータ記載欄には「S61.2.4/老人海女の」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1986.02.04 |
1766 | 石鏡4-1-6 | 公民館か老人憩いの家の会議室かと思われる。老人会等の会合であろうか(要調査)。アルバムのデータ記載欄には「S61.2.4/老人海女の」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1986.02.04 |
1767 | 石鏡4-2-1 | 石鏡は平成初期まで両墓制で、遺体を埋葬する墓地(埋め墓)と墓参のための墓地(参り墓)の2つが設けられていた。現在(2023年)は火葬で、以前埋め墓だった場所にて1つに統合されている。この写真は円照寺の前にあった参り墓で、ダントとも呼ばれた。(「浜の遠声 石鏡の暮らし写真展」報告書より) アルバムのデータ記載欄には「S61.2.4」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1986.02.04 |
1768 | 石鏡4-2-2 | 男性6人、女性8人、合計14人による記念撮影である。アルバムのデータ記載欄には「S61.2.4/老人会の記念撮影」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1986.02.04 |
1769 | 石鏡4-2-3 | 男性6人、女性9人、男児1人、16人による記念撮影である。アルバムのデータ記載欄には「S61.2.4/老人会の記念撮影」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1986.02.04 |
1770 | 石鏡4-2-4 | 男性6人、女性9人、男児1人、16人による記念撮影である。アルバムのデータ記載欄には「S61.2.4/老人会の記念撮影」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1986.02.04 |
1771 | 石鏡4-2-5 | 老人会の会合等を終えた後かと思われる。かつては海女を生業としていた女性達であろう。アルバムのデータ記載欄には「S61.2.4 老海女」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1986.02.04 |
1772 | 石鏡4-2-6 | 老人会の会合等を終えた後かと思われる。かつては海女を生業としていた女性達であろう。アルバムのデータ記載欄には「S61.2.4 老海女」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1986.02.04 |
1773 | 石鏡4-3-1 | 老人会の会合等を終えた後かと思われる。かつては海女を生業としていた女性達であろう。アルバムのデータ記載欄には「S61.2.4 老海女」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1986.02.04 |
1774 | 石鏡の門神4-4-1 | アルバムのデータ記載欄には「S61.1.2 石鏡の門神/ツボキ、ヒンナイサンのついた、三ツ足のついた飾り」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1986.01.02 |
1775 | 石鏡の門神4-4-2 | アルバムのデータ記載欄には「S61.1.2 石鏡の門神/(ツボキ、ヒンナイサンのついた、三ツ足のついた飾り)」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1986.01.02 |
1776 | 石鏡の門神4-4-3 | 玄関先に立てかける魔除け札である。アルバムのデータ記載欄には「S61.1.2 石鏡の門神/門神、ダテンコー」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1986.01.02 |
1777 | 石鏡の門神4-4-4 | 玄関先に立てかける魔除け札である。アルバムのデータ記載欄には「S61.1.2 石鏡の門神/(門神、ダテンコー)」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1986.01.02 |
1778 | 石鏡の門神4-4-5 | アルバムのデータ記載欄には「S61.1.2 石鏡の門神/南無阿弥陀仏と記した恵比須神の塔。海に出るとき必ず拝んでゆく」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1986.01.02 |
1779 | 石鏡の門神4-4-6 | 海に出るとき必ず拝んでゆく」と記される。アルバムのデータ記載欄には「S61.1.2 石鏡の門神/南無阿弥陀仏と記した恵比須神の塔。 | 鳥羽市石鏡町 | 1986.01.02 |
1780 | 石鏡の門神4-5-1 | 古い注連縄や白木の膳、宅内で飾られていた神棚等が積まれる。アルバムのデータ記載欄には「S61.1.2 石鏡の門神/石鏡神社の廃神仏」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1986.01.02 |
1781 | 石鏡の門神4-5-2 | 石鏡神社の敷地内には、古い注連縄や白木の膳(カミノゼン)、家で飾られていた神棚などを捨てる一画がある。年に一度、祈祷して処分される。(「浜の遠声 石鏡の暮らし写真展」報告書より) アルバムのデータ記載欄には「S61.1.2 石鏡の門神/石鏡神社の廃神仏」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1986.01.02 |
1782 | 石鏡の門神4-5-3 | 全国的には小正月の後に外されることが多いようであるが、鳥羽志摩地域地では一年中飾る所が多く、石鏡町ではその家に不幸事が起こるまで毎年新しい注連縄が重ねられていく。また、最近は、市販されている物を飾る家も多くなったが、ここでは今も家人が思いを込めて作った注連縄を見ることができ、紙垂と共にヒイラギや椎の小枝、ウラジロ、橙などが取付けられ、木札の表には「七福即生 七難即滅 蘇民将来子孫門」、裏には「急々如律令」と「魔除印=ドーマン・セーマン」が記される。アルバムのデータ記載欄には「S61.1.2 石鏡の門神/石鏡の大戸注連縄」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1986.01.02 |
1783 | 石鏡の門神4-5-4 | 12月13日の三合松札書きが終わると正月の準備が始まる。各家々では日柄の良い日を選んで、玄関口にイマメ(ウバメガシ)とアセビ・椎・松、ヒイラギの枝、ウラジロ等を注連縄で絡げ、庶民将来子孫の門と記した木札とツボキを括り付けた門飾りを飾る。アルバムのデータ記載欄には「S61.1.2 石鏡の門神/門神飾り」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1986.01.02 |
1784 | 石鏡の門神4-5-5 | アルバムのデータ記載欄には「S62.1.2日(石鏡の門神)/三ッ足に刺すドノト」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1987.01.02 |
1785 | 石鏡の門神4-5-6 | アルバムのデータ記載欄には「S62.1.2日(石鏡の門神)/三ッ足に刺すドノト」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1987.01.02 |
1786 | 石鏡の門神4-6-1 | 各家々では玄関口の門飾りと合わせて、持ち船にもアセビ・椎・松、ヒイラギの枝、ウラジロ等を注連縄で絡げ、庶民将来子孫■と記された木札とツボキを括り付けた飾りを取付ける。アルバムのデータ記載欄には「S62.1.2日(石鏡の門神)/舟玉飾り」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1987.01.02 |
1787 | 石鏡の門神4-6-2 | 12月13日の三合松札書きが終わると正月の準備が始まる。各家々では日柄の良い日を選んで、玄関口にイマメ(ウバメガシ)とアセビ・椎・松、ヒイラギの枝、ウラジロ等を注連縄で絡げ、庶民将来子孫の門と記した木札とツボキを括り付けた門飾りを飾る。アルバムのデータ記載欄には「S62.1.2日(石鏡の門神)/ドノトが刺された門飾り」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1987.01.02 |
1788 | 石鏡の門神4-6-3 | 12月13日の三合松札書きが終わると正月の準備が始まる。各家々では日柄の良い日を選んで、玄関口にイマメ(ウバメガシ)とアセビ・椎・松、ヒイラギの枝、ウラジロ等を注連縄で絡げ、庶民将来子孫の門と記した木札とツボキを括り付けた門飾りを飾る。アルバムのデータ記載欄には「S62.1.2日(石鏡の門神)/ドノトが刺された門飾り」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1987.01.02 |
1789 | 石鏡の門神4-6-4 | 12月13日の三合松札書きが終わると正月の準備が始まる。各家々では日柄の良い日を選んで、玄関口にイマメ(ウバメガシ)とアセビ・椎・松、ヒイラギの枝、ウラジロ等を注連縄で絡げ、庶民将来子孫の門と記した木札とツボキを括り付けた門飾りを飾る。アルバムのデータ記載欄には「S62.1.2日(石鏡の門神)」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1987.01.02 |
1790 | 石鏡の門神4-6-5 | 玄関口に飾られる門飾りと共に、半紙など和紙の上に小石、洗米、赤飯(小豆飯)、豆まきに使用した大豆等を供え玄関先に立てかける魔除け札である。アルバムのデータ記載欄には「S62.1.2日(石鏡の門神)/ダテンコー」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1987.01.02 |
1791 | 石鏡の門神4-6-6 | 玄関口に飾られる門飾りと共に、半紙など和紙の上に小石、洗米、赤飯(小豆飯)、豆まきに使用した大豆等を供え玄関先に立てかける魔除け札である。アルバムのデータ記載欄には「S62.1.2日(石鏡の門神)/ダテンコー」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1987.01.02 |
1792 | 石鏡の門神5-1-1 | 各家々では玄関口の門飾りと合わせて、持ち船にもアセビ・椎・松、ヒイラギの枝、ウラジロ等を注連縄で絡げ、庶民将来子孫■と記された木札とツボキを括り付けた飾りを取付ける。アルバムのデータ記載欄には「S62.1.2日(石鏡の門神)/舟玉かざり」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1987.01.02 |
1793 | 石鏡の門神5-1-2 | 各家々では玄関口の門飾りと合わせて、持ち船にもアセビ・椎・松、ヒイラギの枝、ウラジロ等を注連縄で絡げ、庶民将来子孫■と記された木札とツボキを括り付けた飾りを取付ける。アルバムのデータ記載欄には「S62.1.2日(石鏡の門神)/舟玉かざり」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1987.01.02 |
1794 | 石鏡(後産)5-1-5 | 後産(あとざん・のちざん)の処理の方法は鳥羽市でも集落によって差があり、神島・浦村・国崎・相差・答志の様に決められた浜に埋ける所と加茂地区・石鏡・桃取の様に井戸や専用の瓶が埋めてあってその中に捨てる所があったと言う。参考文献:『鳥羽市史 下巻』平成3年発行。 写真中央の松の背後にある蓋のついた瓶(かめ)は、後産(産後に出た胎盤)を捨てるために使われた。埋め墓下の広場の片隅に置かれていたが、平成初期の墓地の整備工事とともになくなった。後産だけでなく、水子やへその緒も捨てられた。瓶(かめ)の底はなく、地面に接しており、捨てられたものは腐って土に還った。(「浜の遠声 石鏡の暮らし写真展」報告書より) アルバムのデータ記載欄には「S62.6月 石鏡後産/後産を捨てた井戸」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1987.06 |
1795 | 石鏡(後産)5-1-6 | 後産(あとざん・のちざん)の処理の方法は本市でも集落によって差があり、神島・浦村・国崎・相差・答志の様に決められた浜に埋ける所と加茂地区・石鏡・桃取の様に井戸や専用の瓶が埋めてあってその中に捨てる所があったと言う。参考文献:『鳥羽市史 下巻』平成3年発行。アルバムのデータ記載欄には「S62.6月 石鏡後産/後産を捨てた井戸」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1987.06 |
1796 | 石鏡(民具)5-2-1 | 一輪車に乗せられた二つのフゴに入れられているのは甘藷である。集落は海へと落ちる急峻な山腹に密集するが、浦村町へと続く県道沿いにわずかながら農地が広がる。栽培される農作物は自家用の物が中心であるが、中でも甘藷は煮て乾燥させたキンコや薄切りにして乾燥させ、芋粉にした物を小麦粉等と混ぜて蒸す芋餅等の保存食の食材としても重宝された。アルバムのデータ記載欄には「S62.11.12(石鏡)」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1987.11.12 |
1797 | 石鏡(民具)5-2-2 | 背中に背負う竹製の運搬具で、背負子(ショイカゴとも言う)である。昭和50年頃に、石鏡から伊豆への出稼ぎによって導入されたので、鳥羽市内の他の地域には伝わっておらず、画像№1804のようなショイコが用いられることが一般的だった。石鏡には竹製のオンビカゴ(アワビカゴ)を編む人もいたが、この背負いカゴは当時の金額で1万円ほどした。伊豆から送ってもらうには当時の金額で2,000?3,000円ほどしたそうだ。参考文献:『鳥羽市史 下巻 第3章交易・開運・運搬』平成3年発行。(「浜の遠声 石鏡の暮らし写真展」報告書より)。アルバムのデータ記載欄には「S62.11.12(石鏡)」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1987.11.12 |
1798 | 石鏡(民具)5-2-3 | 写真の女性は木村春枝さん、海女である。海女小屋で手拭いの巻き方を教わった写真。ホッカブリ(ホオカムリ)と地元では呼ばれた。(「浜の遠声 石鏡の暮らし写真展」報告書より) アルバムのデータ記載欄には「S62.11.12(石鏡)/ホッカブリ<冬>」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1987.11.12 |
1799 | 石鏡(民具)5-2-4 | 写真の女性は木村春枝さん、海女である。海女小屋で手拭いの巻き方を教わった写真。アネサンと地元では呼ばれた。(「浜の遠声 石鏡の暮らし写真展」報告書より) アルバムのデータ記載欄には「S62.11.12(石鏡)/ホッカブリ<冬>」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1987.11.12 |
1800 | 石鏡(民具)5-2-5 | 写真の女性は木村春枝さん、海女である。海女小屋で手拭いの巻き方を教わった写真。ハチマキと地元では呼ばれた。(「浜の遠声 石鏡の暮らし写真展」報告書より) アルバムのデータ記載欄には「S62.11.12(石鏡)/ホッカブリ<冬>」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1987.11.12 |
1801 | 石鏡(民具)5-2-6 | 出漁風景であるが詳細は不明(要調査)。アルバムのデータ記載欄には「S62.11.12(石鏡)」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1987.11.12 |
1802 | 石鏡(民具)5-3-1 | 防寒具として使用されるが、海女地区では夏冬問わず、海から上がって体を温めるために火に当たる時に着用したと言う。アルバムのデータ記載欄には「S63.1月(石鏡)/ヨッチ<綿入ハンテンのこと>」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1988.1 |
1803 | 石鏡(民具)5-3-2 | 防寒具として使用されるが、海女地区では夏冬問わず、海から上がって体を温めるために火に当たる時に着用したと言う。アルバムのデータ記載欄には「S63.1月(石鏡)/ヨッチ<綿入ハンテンのこと>」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1988.1 |
1804 | 石鏡(民具)5-3-3 | 背中に背負って物を運ぶ運搬用具である。乾燥アラメを運ぶ様子。後方の、藁がかかっているのがアラメ塚である。この海女さんは木製のショイコを使ってアラメを背負っているが、昔はよく頭に載せて物を運んだ。乾燥アラメを頭に載せることもあったという。現在(2023年)でも、浜などで拾った木や竹を海女が杖代わりにして歩く姿がみられる。(「浜の遠声 石鏡の暮らし写真展」報告書より) アルバムのデータ記載欄には「(S63.1月 石鏡)/ショイコ<運搬>」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | (1988.01) |
1805 | 石鏡(民具)5-3-4 | 全国的には小正月の後に外されることが多いようであるが、鳥羽志摩地域地では一年中飾る所が多く、石鏡町ではその家に不幸事が起こるまで毎年新しい注連縄が重ねられていく。また、最近は、市販されている物を飾る家も多くなったが、ここでは今も家人が思いを込めて作った注連縄を見ることができ、木札の表には「七福即生 七難即滅 蘇民将来子孫門」、裏には「急々如律令」と「魔除印=ドーマン・セーマン」が記される。表札からは「寺本重平」の名前が確認できる。アルバムのデータ記載欄には「(S63.1月 石鏡)/〆縄<重ねがけ>」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | (1988.01) |
1806 | 石鏡木村弁助宅出土鯨骨5-4-1 | 海の博物館の旧館における民具の整理作業風景である。一点一点清掃、修復、計測、撮影が行われ目録が作製されていく。アルバムのデータ記載欄には「S50.5月 石鏡/木村弁助宅出土鯨骨」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | (1975.05) |
1807 | 石鏡木村弁助宅出土鯨骨5-4-2 | 志摩の突取り捕鯨の歴史は古く、本市域では相差、石鏡、国崎にその痕跡が残されている。ここ石鏡町には市の文化財に指定されている慶安二(1649)年の「鯨船他もやい申定之事」の文書が残され、また「延宝九(1681)年目録之控」(石鏡漁協文書)によれば石鏡村は4隻の鯨船を所持していたと記されるが、宝永四(1707)年の大津波で大被害を受け、国崎村は同六年に廃絶。石鏡村も鰹船に転化していったとされる。写真は、昭和50年に工事が進められた石鏡町・木村弁助氏宅の基礎工事であるが、土中から鯨の骨が発見された。参考文献:『鳥羽市史 下巻』平成3年発行。アルバムのデータ記載欄には「S50.5月 石鏡/木村弁助宅出土鯨骨」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | (1975.05) |
1808 | 石鏡木村弁助宅出土鯨骨5-4-3 | 写真は、昭和50年に工事が進められた石鏡町・木村弁助氏宅の基礎工事であるが、土中から鯨の骨が発見された。アルバムのデータ記載欄には「S50.5月 石鏡/木村弁助宅出土鯨骨」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | (1975.05) |
1809 | 石鏡木村弁助宅出土鯨骨5-4-4 | 写真は、昭和50年に工事が進められた石鏡町・木村弁助氏宅の基礎工事であるが、土中から鯨の骨が発見された。アルバムのデータ記載欄には「S50.5月 石鏡/木村弁助宅出土鯨骨」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | (1975.05) |
1810 | 石鏡木村弁助宅出土鯨骨5-4-5 | 写真は、昭和50年に工事が進められた石鏡町・木村弁助氏宅の基礎工事であるが、土中から鯨の骨が発見された。アルバムのデータ記載欄には「S50.5月 石鏡/木村弁助宅出土鯨骨」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | (1975.05) |
1811 | 石鏡木村弁助宅出土鯨骨5-4-6 | 写真は、昭和50年に工事が進められた石鏡町・木村弁助氏宅の基礎工事であるが、土中から鯨の骨が発見された。アルバムのデータ記載欄には「S50.5月 石鏡/木村弁助宅出土鯨骨」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | (1975.05) |
1812 | 石鏡木村弁助宅出土鯨骨5-5-1 | 写真は、昭和50年に工事が進められた石鏡町・木村弁助氏宅の基礎工事であるが、土中から鯨の骨が発見された。写真上部には、石鏡の漁港と太平洋へと続く海域が見える。アルバムのデータ記載欄には「S50.5月 石鏡/木村弁助宅出土鯨骨」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | (1975.05) |
1813 | 石鏡木村弁助宅出土鯨骨5-5-2 | 写真は、昭和50年に工事が進められた石鏡町・木村弁助氏宅の基礎工事であるが、土中から鯨の骨が発見された。写真上部には、石鏡の漁港と太平洋へと続く海域が見える。アルバムのデータ記載欄には「S50.5月 石鏡/木村弁助宅出土鯨骨」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | (1975.05) |
1814 | 石鏡木村弁助宅出土鯨骨5-5-3 | 写真は、昭和50年に工事が進められた石鏡町・木村弁助氏宅の基礎工事であるが、土中から鯨の骨が発見された。写真上部には、石鏡の漁港と太平洋へと続く海域が見える。アルバムのデータ記載欄には「S50.5月 石鏡/木村弁助宅出土鯨骨」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | (1975.05) |
1815 | 石鏡木村弁助宅出土鯨骨5-5-4 | 写真は、昭和50年に工事が進められた石鏡町・木村弁助氏宅の基礎工事であるが、土中から鯨の骨が発見された。アルバムのデータ記載欄には「S50.5月 石鏡/木村弁助宅出土鯨骨」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | (1975.05) |
1816 | 石鏡木村弁助宅出土鯨骨5-5-5 | 写真は、昭和50年に工事が進められた石鏡町・木村弁助氏宅の基礎工事であるが、土中から鯨の骨が発見された。アルバムのデータ記載欄には「S50.5月 石鏡/木村弁助宅出土鯨骨」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | (1975.05) |
1817 | 石鏡木村弁助宅出土鯨骨5-5-6 | 写真は、昭和50年に工事が進められた石鏡町・木村弁助氏宅の基礎工事であるが、土中から鯨の骨が発見された。アルバムのデータ記載欄には「S50.5月 石鏡/木村弁助宅出土鯨骨」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | (1975.05) |
1818 | 石鏡木村弁助宅出土鯨骨5-6-1 | 写真は、昭和50年に工事が進められた石鏡町・木村弁助氏宅の基礎工事であるが、土中から鯨の骨が発見された。アルバムのデータ記載欄には「S50.5月 石鏡/木村弁助宅出土鯨骨」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | (1975.05) |
1819 | 石鏡木村弁助宅出土鯨骨5-6-2 | 写真は、昭和50年に工事が進められた石鏡町・木村弁助氏宅の基礎工事中に土中から発見された鯨の骨。アルバムのデータ記載欄には「S50.5月 石鏡/木村弁助宅出土鯨骨」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | (1975.05) |
1820 | 石鏡木村弁助宅出土鯨骨5-6-3 | 写真は、昭和50年に工事が進められた石鏡町・木村弁助氏宅の基礎工事中に土中から発見された鯨の骨。アルバムのデータ記載欄には「S50.5月 石鏡/木村弁助宅出土鯨骨」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | (1975.05) |
1821 | 石鏡木村弁助宅出土鯨骨5-6-4 | 写真は、昭和50年に工事が進められた石鏡町・木村弁助氏宅の基礎工事中に土中から発見された鯨の骨。アルバムのデータ記載欄には「S50.5月 石鏡/木村弁助宅出土鯨骨」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | (1975.05) |
1822 | 石鏡木村弁助宅出土鯨骨5-6-5 | 写真は、昭和50年に工事が進められた石鏡町・木村弁助氏宅の基礎工事中に土中から発見された鯨の骨。アルバムのデータ記載欄には「S50.5月 石鏡/木村弁助宅出土鯨骨」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | (1975.05) |
1823 | 石鏡木村弁助宅出土鯨骨5-6-6 | 写真は、昭和50年に工事が進められた石鏡町・木村弁助氏宅の基礎工事中に土中から発見された鯨の骨。アルバムのデータ記載欄には「S50.5月 石鏡/木村弁助宅出土鯨骨」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | (1975.05) |
1824 | 石鏡木村弁助宅出土鯨骨6-1-1 | 写真は、昭和50年に工事が進められた石鏡町・木村弁助氏宅の基礎工事中に土中から発見された鯨の骨。アルバムのデータ記載欄には「S50.5月 石鏡/木村弁助宅出土鯨骨」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | (1975.05) |
1825 | 石鏡木村弁助宅出土鯨骨6-1-2 | 写真は、昭和50年に工事が進められた石鏡町・木村弁助氏宅の基礎工事中に土中から発見された鯨の骨。アルバムのデータ記載欄には「S50.5月 石鏡/木村弁助宅出土鯨骨」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | (1975.05) |
1826 | 石鏡木村弁助宅出土鯨骨6-1-3 | 写真は、昭和50年に工事が進められた石鏡町・木村弁助氏宅の基礎工事中に土中から発見された鯨の骨。アルバムのデータ記載欄には「S50.5月 石鏡/木村弁助宅出土鯨骨」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | (1975.05) |
1827 | 石鏡木村弁助宅出土鯨骨6-1-4 | 写真は、昭和50年に工事が進められた石鏡町・木村弁助氏宅の基礎工事中に土中から鯨の骨と一緒にアワビやニシ等の貝殻類も発見された。アルバムのデータ記載欄には「S50.5月 石鏡/木村弁助宅出土鯨骨」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | (1975.05) |
1828 | 石鏡木村弁助宅出土鯨骨6-1-5 | 写真は、昭和50年に工事が進められた石鏡町・木村弁助氏宅の基礎工事中に土中から鯨の骨と一緒にアワビやニシ等の貝殻類も発見された。アルバムのデータ記載欄には「S50.5月 石鏡/木村弁助宅出土鯨骨」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | (1975.05) |
1829 | 石鏡木村弁助宅出土鯨骨6-1-6 | アルバムのデータ記載欄には「S50.5月 石鏡/木村弁助宅出土鯨骨」と記される。写真は曹洞宗鳥羽常安寺の末寺である鳥羽市浦村町本浦の生浦山清岩庵である。開山は祖麟和尚とされるが、安政五(1858)年の火災で寺宝、記録、その他の什器に至るまで消失したと言う。参考文献:『鳥羽市史 下巻』平成3年発行。 | 鳥羽市浦村町本浦 | (1975.05) |
1830 | 石鏡辻札・正月始6-2-1 | 古来から辻は現世と来世の境界になっているとの説があり、魔物の「辻神」が住みつきやすいと言われる。ここ石鏡町では御堂・山の坂・西口ドラシ・バンタガ坂の四ヶ所には悪霊が集落の中に入り込むのを防ぐために「大般若経宝牘守護」と書かれた紙札と「ダテンコウ札」が「辻の札」として立てられる。アルバムのデータ記載欄には「S63.12.13 (石鏡)/辻札・正月始・札書」/辻札立」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1988.12.13 |
1831 | 石鏡辻札・正月始6-2-2 | 古来から辻は現世と来世の境界になっているとの説があり、魔物の「辻神」が住みつきやすいと言われる。ここ石鏡町では御堂・山の坂・西口ドラシ・バンタガ坂の四ヶ所には悪霊が集落の中に入り込むのを防ぐために「大般若経宝牘守護」と書かれた紙札と「ダテンコウ札」が「辻の札」として立てられる。アルバムのデータ記載欄には「S63.12.13 (石鏡)/辻札・正月始・札書」/ダテンコウ鬼主 場所ミド」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1988.12.13 |
1832 | 石鏡辻札・正月始6-2-3 | 古来から辻は現世と来世の境界になっているとの説があり、魔物の「辻神」が住みつきやすいと言われる。ここ石鏡町では御堂・山の坂・西口ドラシ・バンタガ坂の四ヶ所には悪霊が集落の中に入り込むのを防ぐために「大般若経宝牘守護」と書かれた紙札と「ダテンコウ札」が「辻の札」として立てられる。アルバムのデータ記載欄には「S63.12.13 (石鏡)/辻札・正月始・札書」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1988.12.13 |
1833 | 石鏡木村弁助宅資料6-4-1 | 木村家に残されてきた史料で「仕切状 一、生貝 三百八十七籠・・・」と記され、軸装がされている。アルバムのデータ記載欄には「64.1.3日 石鏡/木村弁助宅資料」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1989.01.03 |
1834 | 石鏡木村弁助宅資料6-4-2 | 木村家に残されてきた史料で「仕切状 一、生貝 三百八十七籠・・・」と記され、軸装がされている。アルバムのデータ記載欄には「64.1.3日 石鏡/木村弁助宅資料」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1989.01.03 |
1835 | 石鏡木村弁助宅資料6-4-3 | 用途は不明であるが楕円形に形取られた木表には「安政三丙辰年 石鏡村 木村弁助用」と彫られる。アルバムのデータ記載欄には「64.1.3日 石鏡/木村弁助宅資料」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1989.01.03 |
1836 | 石鏡木村弁助宅資料6-5-1 | 木村家に残されてきた史料で「文化十三子十一月 往来一札之事 一、鮑四百籠・・・」と記され、軸装がされている。アルバムのデータ記載欄には「64.1.3日 石鏡/木村弁助宅資料」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1989.01.03 |
1837 | 石鏡木村弁助宅資料6-5-2 | 木村家に残されてきた史料で「文化十三子十一月 往来一札之事 一、鮑四百籠・・・」と記され、軸装がされている。アルバムのデータ記載欄には「64.1.3日 石鏡/木村弁助宅資料」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1989.01.03 |
1838 | 石鏡木村弁助宅資料6-5-3 | 木村家に残されてきた史料で「大正9年旧6月4日 富士浅間大権現」と記される幟旗である。アルバムのデータ記載欄には「64.1.3日 石鏡/木村弁助宅資料/富士講の旗 大正9年6月4日」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1989.01.03 |
1839 | 石鏡木村弁助宅資料6-5-4 | 木村家に残されてきた史料で「嘉永七年とら霜月四日 此可心得也」と記される。アルバムのデータ記載欄には「64.1.3日 石鏡/木村弁助宅資料/嘉永七年津波記録」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1989.01.03 |
1840 | 石鏡木村弁助宅資料6-5-5 | 木村家に残されてきた史料の内№1839の中身で「覚 嘉永七年とら年霜月四日ひる四ツ時大志しんすぐにつなみ・・・・・」と記される。アルバムのデータ記載欄には「64.1.3日 石鏡/木村弁助宅資料/嘉永七年津波記録」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1989.01.03 |
1841 | 石鏡木村弁助宅資料6-5-6 | 木村家に残されてきた史料の内№1839の中身で「今浦本浦のこらずながれたり・・・」と記される。アルバムのデータ記載欄には「64.1.3日 石鏡/木村弁助宅資料/嘉永七年津波記録」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1989.01.03 |
1842 | 石鏡木村弁助宅資料6-6-1 | 木村家に残されてきた史料の内№1839の中身で「なみたかし六月七月八月廿一日大しけ也・・・・・」と記される。アルバムのデータ記載欄には「64.1.3日 石鏡/木村弁助宅資料/嘉永七年津波記録」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1989.01.03 |
1843 | 石鏡木村弁助宅資料6-6-2 | 8月16日に新亡の霊や祖先の霊を送る石鏡町の精霊送り「アミダーボ」で大老等年寄衆が太鼓と鉦を打ち鳴らしながら唱える「ミダタノム」の文句である。「ヒトワアワヨノ月ナリヤー クモハレネエド ニシユク アミダーボー・・・・・」の文句が記される。アルバムのデータ記載欄には「64.1.3日 石鏡/木村弁助宅資料」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1989.01.03 |
1844 | 石鏡木村弁助宅資料6-6-3 | アルバムのデータ記載欄には「64.1.3日 石鏡/木村弁助宅資料/エビス貝 この変形貝をとった時、6貫のアワビの大漁だった。その後祀っている」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1989.01.03 |
1845 | 石鏡木村弁助宅資料6-6-4 | アルバムのデータ記載欄には「64.1.3日 石鏡/木村弁助宅資料/エビス貝 この変形貝をとった時、6貫のアワビの大漁だった。その後祀っている」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1989.01.03 |
1846 | 石鏡木村弁助宅資料6-6-5 | 辻札である。古来から辻は現世と来世の境界になっているとの説があり、魔物の「辻神」が住みつきやすいと言われる。ここ石鏡町では御堂・山の坂・西口ドラシ・バンタガ坂の四ヶ所には悪霊が集落の中に入り込むのを防ぐために「大般若経宝牘守護」と書かれた紙札と「ダテンコウ札」が「辻の札」として立てられる。アルバムのデータ記載欄には「64.1.3日 石鏡/木村弁助宅資料」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1989.01.03 |
1847 | 石鏡木村弁助宅資料6-6-6 | 辻札である。古来から辻は現世と来世の境界になっているとの説があり、魔物の「辻神」が住みつきやすいと言われる。ここ石鏡町では御堂・山の坂・西口ドラシ・バンタガ坂の四ヶ所には悪霊が集落の中に入り込むのを防ぐために「大般若経宝牘守護」と書かれた紙札と「ダテンコウ札」が「辻の札」として立てられる。アルバムのデータ記載欄には「64.1.3日 石鏡/木村弁助宅資料」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1989.01.03 |
1848 | 石鏡木村弁助宅資料7-1-1 | 辻札である。古来から辻は現世と来世の境界になっているとの説があり、魔物の「辻神」が住みつきやすいと言われる。ここ石鏡町では御堂・山の坂・西口ドラシ・バンタガ坂の四ヶ所には悪霊が集落の中に入り込むのを防ぐために「大般若経宝牘守護」と書かれた紙札と「ダテンコウ札」が「辻の札」として立てられる。アルバムのデータ記載欄には「64.1.3日 石鏡/木村弁助宅資料」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1989.01.03 |
1849 | 石鏡木村弁助宅資料7-1-2 | 辻札である。古来から辻は現世と来世の境界になっているとの説があり、魔物の「辻神」が住みつきやすいと言われる。ここ石鏡町では御堂・山の坂・西口ドラシ・バンタガ坂の四ヶ所には悪霊が集落の中に入り込むのを防ぐために「大般若経宝牘守護」と書かれた紙札と「ダテンコウ札」が「辻の札」として立てられる。アルバムのデータ記載欄には「64.1.3日 石鏡/木村弁助宅資料」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1989.01.03 |
1850 | 石鏡木村弁助宅資料7-1-3 | 辻札である。古来から辻は現世と来世の境界になっているとの説があり、魔物の「辻神」が住みつきやすいと言われる。ここ石鏡町では御堂・山の坂・西口ドラシ・バンタガ坂の四ヶ所には悪霊が集落の中に入り込むのを防ぐために「大般若経宝牘守護」と書かれた紙札と「ダテンコウ札」が「辻の札」として立てられる。アルバムのデータ記載欄には「64.1.3日 石鏡/木村弁助宅資料」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1989.01.03 |
1851 | 石鏡木村弁助宅資料7-1-4 | 全国的には小正月の後に外されることが多いようであるが、鳥羽志摩地域地では一年中飾る所が多く、石鏡町ではその家に不幸事が起こるまで毎年新しい注連縄が重ねられていく。また、最近は、市販されている物を飾る家も多くなったが、ここでは今も家人が思いを込めて作った注連縄を見ることができ、木札の表には「七福即生 七難即滅 蘇民将来子孫門」、裏には「急々如律令」と「魔除印=ドーマン・セーマン」が記される。アルバムのデータ記載欄には「64.1.3日 石鏡/木村弁助宅資料」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1989.01.03 |
1852 | 石鏡海女の潜き下り7-1-5 | 毎年、海女漁が始まる前に海上安全と豊漁を祈願して行われる海女の神事である。当日午後「カズキオリを始める」旨の町内放送が流されると、白木の膳と一升枡を手にした海女達がそれぞれ、かつては集落前の海浜であったであろう前浜の堤防で、小石の上に赤飯・タツクリ等を供え神酒を注ぎ、アワビオコシで一升枡の角を二三度叩いてから海に向かって手を合わせて海上安全と大漁満足を祈願する。前浜での御供えが終わると、八大龍神の祭壇に、重ね餅や小石、アズキ飯等を供え、膳に載せられた黒・赤一対のアワビをアワビオコシ(磯ノミ)で起こす仕草をし、手を合わせて操業の安全と大漁を祈願する。その後、集落の入口近くに立つ石柱、三界萬霊塔、六地蔵に供え物を済ませた後、海女船を持つ海女達は自家船にも御供をして回る。写真は、八大龍神の掛軸である。アルバムのデータ記載欄には「90.2.16 (石鏡)海女の潜きおり(潜き下り)」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.02.16 |
1853 | 石鏡海女の潜き下り7-1-6 | 八大龍神の掛軸である。重ね餅や小石、赤飯・タツクリ等を供え海上安全と豊漁を祈願する。アルバムのデータ記載欄には「90.2.16 (石鏡)海女の潜きおり(潜き下り)」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.02.16 |
1854 | 石鏡海女の潜き下り7-2-1 | 八大龍神の掛軸を掛け、その下に膳に入れられた黒と赤一対の鮑と、神酒を注ぐための器、アワビを起こす仕草に使うノミ(アワビオコシ)が置かれた祭壇が設えられる。アルバムのデータ記載欄には「90.2.16 (石鏡)海女の潜きおり(潜き下り)」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.02.16 |
1855 | 石鏡海女の潜き下り7-2-2 | 八大龍神の掛軸を掛け、その下に膳に入れられた黒と赤一対の鮑と、神酒を注ぐための器、アワビを起こす仕草に使う磯ノミ(アワビオコシ)が置かれた祭壇が設えられる。アルバムのデータ記載欄には「90.2.16 (石鏡)海女の潜きおり(潜き下り)」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.02.16 |
1856 | 石鏡海女の潜き下り7-2-3 | 八大龍神の掛軸の下に設えられる祭壇である。膳に入れられた黒と赤一対の鮑と、神酒を注ぐための器、アワビを起こす仕草に使う磯ノミ(アワビオコシ)が置かれている。アルバムのデータ記載欄には「90.2.16 (石鏡)海女の潜きおり(潜き下り)」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.02.16 |
1857 | 石鏡海女の潜き下り7-2-4 | 白木の膳と一升枡を手にした海女達が前浜の堤防で、小石の上に赤飯・タツクリ等を供え終えた後、八大龍神の祭壇に、重ね餅や小石、アズキ飯等を供え、膳に載せられた黒・赤一対のアワビをアワビオコシ(磯ノミ)で起こす仕草をし、手を合わせて操業の安全と大漁を祈願する。アルバムのデータ記載欄には「90.2.16 (石鏡)海女の潜きおり(潜き下り)」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.02.16 |
1858 | 石鏡海女の潜き下り7-2-5 | 白木の膳と一升枡を手にした海女達が前浜の堤防で、小石の上に赤飯・タツクリ等を供え終えた後、八大龍神の祭壇に、重ね餅や小石、アズキ飯等を供え、膳に載せられた黒・赤一対のアワビをアワビオコシ(磯ノミ)で起こす仕草をし、手を合わせて操業の安全と大漁を祈願する。アルバムのデータ記載欄には「90.2.16 (石鏡)海女の潜きおり(潜き下り)」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.02.16 |
1859 | 石鏡海女の潜き下り7-2-6 | 八大龍神の祭壇に供えられた重ね餅や小石、赤飯(小豆飯)、タツクリなど。アルバムのデータ記載欄には「90.2.16 (石鏡)海女の潜きおり(潜き下り)」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.02.16 |
1860 | 石鏡海女の潜き下り7-3-1 | 白木の膳と一升枡を手にした海女達が前浜の堤防で、小石の上に赤飯・タツクリ等を供え終えた後、八大龍神の祭壇に、重ね餅や小石、アズキ飯等を供え、膳に載せられた黒・赤一対のアワビをアワビオコシ(磯ノミ)で起こす仕草をし、手を合わせて操業の安全と大漁を祈願する。アルバムのデータ記載欄には「90.2.16 (石鏡)海女の潜きおり(潜き下り)」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.02.16 |
1861 | 石鏡海女の潜き下り7-3-2 | 白木の膳と一升枡を手にした海女達が前浜の堤防で、小石の上に赤飯・タツクリ等を供え終えた後、八大龍神の祭壇に、重ね餅や小石、アズキ飯等を供え、膳に載せられた黒・赤一対のアワビをアワビオコシ(磯ノミ)で起こす仕草をし、手を合わせて操業の安全と大漁を祈願する。アルバムのデータ記載欄には「90.2.16 (石鏡)海女の潜きおり(潜き下り)」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.02.16 |
1862 | 石鏡海女の潜き下り7-3-3 | かつては集落前の海浜であったであろう前浜の堤防に供えられた、小石や赤飯・タツクリ、神酒等である。海女達はお供えを終えると、アワビオコシで一升枡の角を二三度叩いてから海に向かって手を合わせて海上安全と大漁満足を祈願する。アルバムのデータ記載欄には「90.2.16 (石鏡)海女の潜きおり(潜き下り)」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.02.16 |
1863 | 志摩町和具(ノリアイ海女)A-1-1 | このスライドの前にはめ込まれるタイトルスライド枠には「和具 A1 栗原達男」と記され、スライド枠には「47.8.28/ウエットスーツへの着替え」と記される。志摩町和具のノリアイ海女の船上風景である。5人の海女が写されるが、全員が黄色のウエットスーツを身に着ける。傍らには磯桶が積まれている。 | 志摩市志摩町和具 | 1973.08.28 |
1864 | 志摩町和具(ノリアイ海女)A-1-2 | スライド枠には「47.8.28」と記される。志摩町和具のノリアイ海女の船上風景である。黄色のウエットスーツへと着替えをする海女が写されるが、左前の海女はスーツの綻びを接着剤で補修している。傍らにはイソカゴが置かれ、スカリらしき物も見受けられる。 | 志摩市志摩町和具 | 1973.08.28 |
1865 | 志摩町和具(ノリアイ海女)A-1-3 | スライド枠には「47.8.28」と記される。志摩町和具のノリアイ海女の船上風景である。黄色のウエットスーツへと着替え、ゴム製の足袋を履く海女や髪を結ぶ海女達が写される。傍らには磯桶やスカリらしき物が置かれている。 | 志摩市志摩町和具 | 1973.08.28 |
1866 | 志摩町和具(ノリアイ海女)A-1-4 | スライド枠には「47.8.28」と記される。志摩町和具のノリアイ海女の船上風景である。黄色のウエットスーツへと着替える海女や、髪を整える海女等5人が写される。傍らにはイソカゴや磯桶やスカリらしき物が置かれている。 | 志摩市志摩町和具 | 1973.08.28 |
1867 | 志摩町和具(ノリアイ海女)A-1-5 | スライド枠には「和具 S47/47.8.28/ウエットスーツヒレ」と記される。志摩町和具のノリアイ海女の船上風景である。磯場へと到着し、操業開始の合図が出されたのであろう。艫の後方の海上には4個の磯桶が浮かんでいる。船上では黄色のウエットスーツに磯メガネと黒の足ヒレを付け、桶綱を手にした海女が海へ入る準備を進める。すでに磯桶は海面に浮いている。 | 志摩市志摩町和具 | 1973.08.28 |
1868 | 志摩町和具(ノリアイ海女)A-1-6 | スライド枠には「和具 S47/47.8.28/ウエットスーツヒレ」と記される。志摩町和具のノリアイ海女の船上風景である。磯場へと到着し、操業開始の合図が出されたのであろう。艫側の海上には磯桶に掴まる二人の海女が、船上では左手に桶綱を持ち、足から海に飛び込む瞬間の海女や桶綱を腰のベルトに結ぶ海女達が写される。 | 志摩市志摩町和具 | 1973.08.28 |
1869 | 志摩町和具(ノリアイ海女)A-1-7 | スライド枠には「和具 47.8.28」と記される。志摩町和具のノリアイ海女達の休憩風景である。場所は和具大島かと思われる。浜辺に柱を立て、白布の様な物で夏の日差しを遮るために作られた簡易な海女小屋である。一潜目が終わると海女達は、海女小屋に戻り磯着に着替えて躰を温め、昼食をとる。写真中央の海女はアルマイト製の弁当箱に白米を入れ、干物をおかずに昼食をとる。和具では海女達が暖をとるために薪を燃やすところをヒドコと呼ぶが、傍らにはイソカゴやフゴが置かれ、外には二潜目に備えてウエットスーツが干されている。 | 志摩市志摩町和具 | 1973.08.28 |
1870 | 志摩町和具(ノリアイ海女)A-1-8 | スライド枠には「47.8.28」と記される。志摩町和具のノリアイ海女達の休憩風景である。場所は和具大島かと思われる。浜辺に柱を立て、白布の様な物で夏の日差しを遮るために作られた簡易な海女小屋である。一潜目が終わると海女達は、海女小屋に戻り磯着に着替えて躰を温め、昼食をとる。和具における夏の海女漁の操業時間は、午前9時30分~11時、午後2時~3時30分までと定められている(『海女習俗基礎調査報告書 平成22・23年度調査』)。昼は3時間ほどの休憩時間が取られることから、食事の後ヒドコの回りで一眠りする海女達も少なくない。傍らにはイソカゴやスカリ等が置かれている。 | 志摩市志摩町和具 | 1973.08.28 |
1871 | 志摩町和具(ノリアイ海女)A-1-9 | スライド枠には「47.8.28」と記される。志摩町和具のノリアイ海女達の休憩風景である。場所は和具大島かと思われる。浜辺に柱を立て、白布の様な物で夏の日差しを遮るために作られた簡易な海女小屋である。一潜目が終わると海女達は、海女小屋に戻り磯着に着替えて躰を温め、昼食をとる。写真中央の海女はアルマイト製の弁当箱に白米を入れ、干物をおかずに昼食をとる。和具では海女達が暖をとるために薪を燃やすところをヒドコと呼ぶが、傍らにはイソカゴやフゴが置かれ、外には二潜目に備えてウエットスーツが干されている。 | 志摩市志摩町和具 | 1973.08.28 |
1872 | 志摩町和具(ノリアイ海女)A-1-10 | スライド枠には「47.8.28」と記される。志摩町和具のノリアイ海女達の休憩風景である。場所は和具大島かと思われる。浜辺に柱を立て、白布の様な物で夏の日差しを遮るために作られた簡易な海女小屋である。一潜目が終わると海女達は、海女小屋に戻り磯着に着替えて躰を温め、昼食をとる。和具における夏の海女漁の操業時間は、午前9時30分~11時、午後2時~3時30分までと定められている(『海女習俗基礎調査報告書 平成22・23年度調査』)。昼は3時間ほどの休憩時間が取られることから、食事の後ヒドコの回りで一眠りする海女達も少なくない。傍らにはイソカゴやスカリ等が置かれている。 | 志摩市志摩町和具 | 1973.08.28 |
1873 | 志摩町和具(ノリアイ海女)A-1-11 | スライド枠には「和具 47.8.28」と記される。刺網の修繕風景である。岩礁域に仕掛ける刺網は岩や貝殻等で破れる事も多い。漁師達は漁の合間をぬってアバリと呼ばれる修理道具で破れた部分を一目一目修繕していく。写真はアバリを口にくわえ、刺網を修繕する漁師。 | 志摩市志摩町和具 | 1973.08.28 |
1874 | 志摩町和具(ノリアイ海女)A-1-12 | スライド枠には「和具 47.8.28」と記される。刺網の修繕風景である。岩礁域に仕掛ける刺網は岩や貝殻等で破れる事も多い。漁師達は漁の合間をぬってアバリと呼ばれる修理道具で破れた部分を一目一目修繕していく。 | 志摩市志摩町和具 | 1973.08.28 |
1875 | (国崎町の舟人海女)A-2-1 | 国崎漁港は昭和28年に漁港指定を受け、昭和38年度以降、整備計画漁港として修築事業を進めてきた。この撮影年次は、第4次計画が終了し、翌48年度から第5次計画に基づく漁港整備が始まる年であるが、まだ漁船を直接係留する程の漁港整備はされておらず、漁船は丸太のコロを使って陸へ引揚げられた。写真は、漁を終え帰港した海女船を陸へと引揚げる作業風景であろう。左上の建物は熨斗鮑調製所で、写されてはいないがその左側には海女小屋が建てられている。スライド枠には「47.8.17」と記される。国崎町鎧崎の船揚場風景である。 | 鳥羽市国崎町 | 1973.08.17 |
1876 | (国崎町の舟人海女)A-2-2 | 国崎町では舟人海女の事を夫婦で操業をする事から「ととかか舟」とも呼ぶが、海底の海女から合図があったのであろう、船上の船頭はイソグルマにかけた命綱を一気に手繰上げる。スライド枠には「47.8.17」と記される。国崎町舟人海女の操業風景である。 | 鳥羽市国崎町 | 1973.08.17 |
1877 | (国崎町の舟人海女)A-2-3 | 漁を終え帰港した国崎町の舟人海女達。鎧崎の船揚場、前の浜であろう。黒のウエットスーツを着け、磯手拭いを被り、左手にスカリ、右手でイソカゴを肩に掛けた海女が波打際から陸へと向かう。波打際で艫綱を持つ海女は、これから船の引揚げ作業かも知れない。スライド枠には「47.8.17」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1973.08.17 |
1878 | (国崎町の舟人海女)A-2-4 | 漁を終え帰港した国崎町の舟人海女達。鎧崎の船揚場、前の浜であろう。磯黒のウエットスーツを着け、磯手拭いを被り、イソカゴを手にする海女が波打際から陸へと向かう。スライド枠には「47.8.17/ウエットスーツ」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1973.08.17 |
1879 | (国崎町の舟人海女)A-2-5 | 国崎町舟人海女が磯場へと向かう船上風景である。黒のウエットスーツを身につけ、鉛のベルトと命綱を腰に巻き磯場へと向かう。傍らには、イカシカゴやメガネ箱に入った磯メガネ、軍手等が置かれている。スライド枠には「47.8.17/頭かぶりつきウエットスーツ」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1973.08.17 |
1880 | (国崎町の舟人海女)A-2-6 | 漁を終え帰港した海女達は、採ってきた鮑を漁業協同組合に出荷する。アワビは種類や大きさ、キズ等の点検が行われた後、職員によって計量され、記録されていく。海女が頭に被る磯手拭いからは「国崎町」の文字が読み取れる。スライド枠には「47.8.17」と記される。国崎町の海女の出荷風景である。 | 鳥羽市国崎町 | 1973.08.17 |
1881 | (志摩町和具の海女)A-2-7 | スライド枠には「47.8.24」と記される。海女小屋の火床で薪を燃し、暖を取る海女達の風景である。一潜目の漁を終えた後だろうか。磯着に着替え暖をとる海女の傍らに置かれた新聞紙の上には、傷が付いて出荷が出来ないのか、焼かれた鮑がのせられている。何を話すのか、笑顔で話す海女達の顔は明るい。 | 志摩市志摩町和具 | 1973.08.24 |
1882 | (志摩町和具の海女)A-2-8 | スライド枠には「47.8.28」と記される。海女小屋で暖を取る海女の風景である。漁を終えたのか、磯着に着替え暖をとる海女の周囲にはウエットスーツや磯着等が所狭しと干されている。ウエットスーツの色から、志摩町和具の海女では無いかと思われる。 | 志摩市志摩町和具 | 1973.08.28 |
1883 | 志摩町和具(ノリアイ海女)A-3-1 | このスライドの前にはめ込まれる紙製のタイトルスライドには「和具 A3 47.8.28」と記される。和具漁港の船揚場風景かと思われる。写真手前下にはアラメやカジメらしき海藻の間に船を引き揚げる為の丸太のコロが並べられている。引揚げられた漁船の前を、これから出漁するのか数人の海女達がウエットスーツやイソカゴを手に歩いて行く。 | 志摩市志摩町和具 | 1973.08.28 |
1884 | 志摩町和具(ノリアイ海女)A-3-2 | スライド枠には「和具 47.8.28」と記される。和具のノリアイ海女の操業風景である。磯オケに掴まり体を休めながら、次に潜水する場所を見極めるために海底を探る。右手にはカギノミが握られている。 | 志摩市志摩町和具 | 1973.08.28 |
1885 | 志摩町和具(ノリアイ海女)A-3-3 | スライド枠には「和具 47.8.28」と記される。和具の海女の操業風景である。ウエットスーツの上から白の磯着を着た海女が、タンポに掴まりながら、次の潜水の為に息を整える。 | 志摩市志摩町和具 | 1973.08.28 |
1886 | 志摩町和具(ノリアイ海女)A-3-4 | スライド枠には「和具 47.8.28」と記される。志摩町和具のノリアイ海女の船上風景である。黄色のウエットスーツへと着替えた海女達が操業の準備を進める。傍らには磯桶やスカリらしき物が置かれている。 | 志摩市志摩町和具 | 1973.08.28 |
1887 | 志摩町和具(ノリアイ海女)A-3-5 | スライド枠には「和具 47.8.28」と記される。志摩町和具のノリアイ海女の船上風景である。黄色のウエットスーツへと着替える海女等5人が写される。傍らにはイソカゴや磯桶等が置かれている。 | 志摩市志摩町和具 | 1973.08.28 |
1888 | 志摩町和具(ノリアイ海女)A-3-6 | スライド枠には「和具 47.8.28」と記される。和具漁港の船揚場かと思われる。打ち上げられている海藻は、アラメかカジメのようであるが、これらの海藻は鮑や栄螺の餌となり、海女漁が行われる海域の豊かさを示すバロメーターとも言われる。 | 志摩市志摩町和具 | 1973.08.28 |
1889 | 志摩町和具(ノリアイ海女)A-3-7 | スライド枠には「和具 47.8.28」と記される。採ってきた海藻を天日干しさせているのであろうか。アラメやヒジキ等の海藻は集落の人々の食材として活用され、また半農半漁の集落ではホンダワラ等の海藻は畑の肥料としても利用される。 | 志摩市志摩町和具 | 1973.08.28 |
1890 | 志摩町和具(ノリアイ海女)A-3-8 | スライド枠には「和具 47.8.28」と記される。採ってきた海藻を天日干しさせているのであろうか。アラメやヒジキ等の海藻は集落の人々の食材として活用され、また半農半漁の集落ではホンダワラ等の海藻は畑の肥料としても利用される。 | 志摩市志摩町和具 | 1973.08.28 |
1891 | 志摩町和具(ノリアイ海女)A-3-9 | スライド枠には「47.8.28」と記される。志摩町和具のノリアイ海女の船上風景である。黄色のウエットスーツへと着替える海女等が写される。傍らにはイソカゴや磯桶等が置かれている。 | 志摩市志摩町和具 | 1973.08.28 |
1892 | 志摩町和具(ノリアイ海女)A-3-10 | スライド枠には「47.8.28」と記される。志摩町和具のノリアイ海女達である。一潜目を終えて休憩に入るものと思われる。浜辺に着けた海女船から海女達が磯桶やイソカゴを持って陸へと上がる。 | 志摩市志摩町和具 | 1973.08.28 |
1893 | 志摩町和具(ノリアイ海女)A-3-11 | スライド枠には「47.8.28」と記される。志摩町和具のノリアイ海女達である。一潜目を終えて休憩に入るものと思われる。磯桶やイソカゴを持って陸に上がり、これから海女小屋へと向かうのであろう。波打際には、海藻取りに出かけていたのか、ウエットスーツの上から白の磯着を身に付け、足ヒレと大量のアラメらしき海藻を持つ海女が写されている。 | 志摩市志摩町和具 | 1973.08.28 |
1894 | 志摩町和具(ノリアイ海女)A-3-12 | スライド枠には「和具 47.8.28/ウエットスーツのアマ」と記される。志摩町和具のノリアイ海女の船上風景である。黄色のウエットスーツへと着替え、ゴム製の足袋を履く海女や髪を整えようとする海女達が写される。傍らには磯桶が積まれている。 | 志摩市志摩町和具 | 1973.08.28 |
1895 | 志摩町和具(ノリアイ海女)A-3-13 | スライド枠には「和具 47.8.28」と記される。志摩町和具のノリアイ海女の船上風景である。これから操業に入るのか、磯場を見つめるノリアイ海女達であるが、磯メガネをかける海女、磯メガネの曇り止めをする海女、鉛の腰ベルトを持つ海女等が写される。 | 志摩市志摩町和具 | 1973.08.28 |
1896 | 志摩町和具(ノリアイ海女)A-3-14 | スライド枠には「和具 47.8.28」と記される。志摩町和具のノリアイ海女の船上風景である。磯場に到着したのであろう。黄色のウエットスーツに着替える海女や、すでに磯メガネをかけ、磯桶を船縁に出して準備を終えた海女達が写される。足下には黒の足ヒレが置かれている。 | 志摩市志摩町和具 | 1973.08.28 |
1897 | 志摩町和具(ノリアイ海女)A-3-15 | スライド枠には「和具 47.8.28」と記される。志摩町和具のノリアイ海女の船上風景である。一潜目を終えて船上に上がってきたところだろうか。黄色のウエットスーツも頭に巻いた磯手拭いも濡れている。 | 志摩市志摩町和具 | 1973.08.28 |
1898 | (志摩町)和具の海女A-4-1 | このスライドの前にはめ込まれる紙製のタイトルスライドには「和具の海女 栗原達男 A-4 47.8.28」と記される。志摩町和具のノリアイ海女の船上風景である。これから磯場へと向かう船上で、黄色のウエットスーツに着替える海女や、操業の準備をする海女達が写される。 | 志摩市志摩町和具 | 1973.08.28 |
1899 | (志摩町)和具の海女A-4-2 | スライド枠には「47.8.28」と記される。和具漁港の堤防だろうか。乾燥されたと思われるアラメらしき海藻を、女性が担い棒で運ぶ。 | 志摩市志摩町和具 | 1973.08.28 |
1900 | (志摩町)和具の海女A-4-3 | スライド枠には「47.8.28」と記される。和具漁港の堤防だろうか。乾燥されたと思われるアラメらしき海藻を、男性が丸太を担い棒代わりにして運ぶ。 | 志摩市志摩町和具 | 1973.08.28 |
1901 | (志摩町)和具の海女A-4-4 | スライド枠には「47.8.28」と記される。和具漁港の堤防だろうか。乾燥されたと思われるアラメらしき海藻を、女性が丸太を担い棒代わりにして運ぶ。 | 志摩市志摩町和具 | 1973.08.28 |
1902 | (志摩町)和具の海女A-4-5 | スライド枠には「47.8.28」と記される。和具漁港の堤防だろうか。乾燥されたと思われるアラメらしき海藻を、女性が丸太を担い棒代わりにして運ぶ。 | 志摩市志摩町和具 | 1973.08.28 |
1903 | (志摩町)和具の海女A-4-6 | スライド枠には「47.8.28」と記される。和具漁港の堤防下の浜辺だろうか。乾燥されたと思われるアラメらしき海藻を女性がワラ縄で括り、積上げている。 | 志摩市志摩町和具 | 1973.08.28 |
1904 | (志摩町)和具の海女A-4-7 | スライド枠には「47.8.28」と記される。海女小屋の風景である。すでに漁を終え、暖も取り終えたのであろう、火床<ヒドコ>の火は消され金属製のタライが被されている。操業から戻ると、ウエットスーツや脚ヒレ、磯メガネ、ノミ、磯オケ、タンポ、スカリ等は水洗いされ、次の操業に備えて乾燥させる。 | 志摩市志摩町和具 | 1973.08.28 |
1905 | (志摩町)和具の海女A-4-8 | スライド枠には「47.8.28」と記される。海女小屋の風景である。すでに漁を終え、暖も取り終えたのであろう、火床<ヒドコ>の火は消され、後始末でもしているのか海女が一人しゃがみこむ。小屋の天井に作られた物干竿には、ウエットスーツや磯手拭い、スカリ等が干されている。 | 志摩市志摩町和具 | 1973.08.28 |
1906 | (志摩町)和具の海女A-4-9 | スライド枠には「47.8.28」と記される。海女小屋の風景である。一潜目を終えた後であろう、磯着に着替えた海女達が、丸太を立て白布などで日除けの天井を設えた簡易な小屋で暖を取り休憩している。周囲には黄色のウエットスーツや、黒の足ヒレ、磯桶等か干されている。 | 志摩市志摩町和具 | 1973.08.28 |
1907 | (志摩町)和具の海女A-4-10 | スライド枠には「47.8.28」と記される。海女小屋の風景である。すでに漁を終え、暖も取り終えたのであろう、火床<ヒドコ>の火は消されているようにも見えるが、後始末でもしているのか海女が一人座っている。小屋の天井に作られた物干竿には、ウエットスーツや磯着、スカリ等が所狭しと干されている。 | 志摩市志摩町和具 | 1973.08.28 |
1908 | (志摩町)和具の海女A-4-11 | スライド枠には「47.8.28」と記される。船揚げ風景である。和具の港は明治の中期頃まで深い湾形を保ち天然の良港であったが、明治末から大正中期にかけて打続く台風により浜洲が体積。漁港機能が全く果たし得ない状態になったという。昭和14年から県営事業として修築事業が着工され、戦中に一時中断はしたものの第1次整備計画以降、毎年漁港整備が続けられてきた。現在と違って、漁港整備がまだ十分でなかった時代は漁から戻った漁船は陸へと引き揚げられた。丸太のコロを船底に敷いて、船に乗り合わせた海女や村人達が協力し人力で引き揚げたものである。(参考文献:『三重の漁港1971/1995』) | 志摩市志摩町和具 | 1973.08.28 |
1909 | (志摩町)和具の海女A-4-12 | スライド枠には「47.8.28」と記される。船揚げ風景である。船の引き上げを終えたのであろう、海女小屋か自宅へと戻る海女達。漁港が十分に整備されていない時代、漁から戻った漁船は陸へと引き揚げられた。丸太のコロを船底に敷いて、船に乗り合わせた海女や村人達が協力し人力で引き揚げたものである。 | 志摩市志摩町和具 | 1973.08.28 |
1910 | (志摩町)和具の海女A-4-13 | スライド枠には「47.8.28」と記される。船揚げ風景である。船の引き上げを終えたのであろう、海女小屋か自宅へと戻る海女達。漁港が十分に整備されていない時代、漁から戻った漁船は陸へと引き揚げられた。丸太のコロを船底に敷いて、船に乗り合わせた海女や村人達が協力し人力で引き揚げたものである。 | 志摩市志摩町和具 | 1973.08.28 |
1911 | (志摩町)和具の海女A-4-14 | スライド枠には「47.8.28」と記される。丸太のコロを敷き、陸に引揚げられた船影で寛ぐ海女達。傍らには黄色のウエットスーツが入ったイソカゴが置かれている。 | 志摩市志摩町和具 | 1973.08.28 |
1912 | (志摩町)和具の海女A-4-15 | スライド枠には「47.8.28」と記される。和具漁港の船揚場に作られた海女小屋かと思われる。古材を柱に、トタン葺きの小屋が長屋の様に並ぶ。小屋の前には一輪車や磯桶と共に海女らしき女性が一人見て取れる。写真手前下にはアラメやカジメらしい海藻の間に船を引き揚げる為の丸太のコロが並べられている。 | 志摩市志摩町和具 | 1973.08.28 |
1913 | (志摩町)和具の海女A-4-16 | スライド枠には「47.8.28」と記される。和具漁港の船揚場風景かと思われる。写真手前下にはアラメやカジメらしき海藻の間に船を引き揚げる為の丸太のコロが置かれている。引揚げられた漁船の前を、これから出漁するのか海女達がウエットスーツやイソカゴを手に歩いて行く。 | 志摩市志摩町和具 | 1973.08.28 |
1914 | (志摩町)和具の海女A-4-17 | スライド枠には「47.8.28」と記される。一潜目を終え、海女船から降り立ったノリアイ海女か、もしくは徒人の海女だろうか。波打際で黄色のウエットスーツを脱ぎ磯着へと着替える海女達。傍らには、イソカゴやスカリ、薪等が見て取れる。 | 志摩市志摩町和具 | 1973.08.28 |
1915 | 和具の海女(舟人)A-5-1 | このスライドの前にはめ込まれるタイトルスライドには「和具の海女(舟人) A-5」と記され、スライド枠には「和具浦 2.3.30」と記される。志摩町和具の漁港風景かと思われる。和具の海女漁の口開けは3月中旬からとされるので、撮影時には、すでに漁は始まっているのであろうが、接岸されている新盛丸と書かれた漁船の前には刺網の束が置かれている。(『海女習俗基礎調査報告書 平成22・23年度調査』) | 志摩市志摩町和具 | 1990.03.30 |
1916 | 和具の海女(舟人)A-5-2 | スライド枠には「和具浦 2.3.30」と記される。志摩町和具の漁港風景かと思われる。刺網の破れを夫婦の漁師が繕っている。特に伊勢海老や磯魚を獲る刺網は、岩礁近くに仕掛けるため網が破れる事が多い。網はナルにかけられ、少しずつ横にずらしながら点検をし、破れた箇所はアバリと呼ばれる道具を使って一目一目手で繕っていく。 | 志摩市志摩町和具 | 1990.03.30 |
1917 | 和具の海女(舟人)A-5-3 | スライド枠には「和具浦 2.3.30」と記される。志摩町和具の漁港風景かと思われる。刺網の破れを夫婦の漁師が繕っている。特に伊勢海老や磯魚を獲る刺網は、岩礁近くに仕掛けるため網が破れる事が多い。網はナルにかけられ、少しずつ横にずらしながら点検をし、破れた箇所はアバリと呼ばれる道具を使って一目一目手で繕っていく。 | 志摩市志摩町和具 | 1990.03.30 |
1918 | 和具の海女(舟人)A-5-4 | スライド枠には「和具浦 2.3.30」と記される。漁師の夫婦だろうか。№1927の写真と合わせて見てみると、女性はまだ現役の海女のようである。 | 志摩市志摩町和具 | 1990.03.30 |
1919 | 和具の海女(舟人)A-5-5 | スライド枠には「和具浦 2.3.30」と記される。網の修理道具である。破れた網を繕うための「アバリ」や糸を切るための小刀、けがをしたときの為の絆創膏などが入れられている。アバリは糸の太さや、色などによって幾種類も用意される。また、アバリは孟宗竹等を割って作られるが、以前は使い勝手がいいように、それぞれの漁師が自作したという。 | 志摩市志摩町和具 | 1990.03.30 |
1920 | 和具の海女(舟人)A-5-6 | スライド枠には「和具浦 2.3.30」と記される。網の修理道具。破れた網を繕うための「アバリ」や糸を切るための小刀、けがをしたときの為の絆創膏などが入れられている。アバリは糸の太さや、色などによって幾種類も用意される。また、アバリは孟宗竹等を割って作られるが、以前は使い勝手がいいように、それぞれの漁師が自作したという。 | 志摩市志摩町和具 | 1990.03.30 |
1921 | 和具の海女(舟人)A-5-7 | スライド枠には「和具浦 2.3.30」と記される。破れた網を繕うためのアバリと小刀等。アバリは孟宗竹等を割って作られるが、以前は使い勝手がいいように、それぞれの漁師が自作したという。 | 志摩市志摩町和具 | 1990.03.30 |
1922 | 和具の海女(舟人)A-5-8 | スライド枠には「和具浦 2.3.30」と記される。破れた網を繕うためのアバリと小刀等。アバリは孟宗竹等を割って作られるが、以前は使い勝手がいいように、それぞれの漁師が自作したという。 | 志摩市志摩町和具 | 1990.03.30 |
1923 | 和具の海女(舟人)A-5-9 | スライド枠には「和具浦 2.3.30」と記される。志摩町和具の漁港風景かと思われる。刺網が干されている。 | 志摩市志摩町和具 | 1990.03.30 |
1924 | 和具の海女(舟人)A-5-10 | スライド枠には「和具浦 2.3.30」と記される。海女小屋の外観。外壁も屋根もトタンで張られている。志摩町和具における海女漁の口開けは3月中旬とされることから、撮影時にはすでに海女漁が始まっていたと思われる。 | 志摩市志摩町和具 | 1990.03.30 |
1925 | 和具の海女(舟人)A-5-11 | スライド枠には「和具浦 2.3.30」と記される。海女小屋の内部である。火床にはアルミニュウムの洗面器がかぶせられてはいるが、薪か積上げられ、ヤカンや火バサミ、黒のウエットスーツの帽子、サンダルが置かれ、磯着等が干されているのが見て取れる。 | 志摩市志摩町和具 | 1990.03.30 |
1926 | 和具の海女(舟人)A-5-12 | スライド枠には「和具浦 2.3.30」と記される。海女小屋の内部である。火床にはアルミニュウムの洗面器がかぶせられてはいるが、薪か積上げられ、ヤカンや火バサミ、黒のウエットスーツの帽子、サンダルが置かれ、磯着等が干されているのが見て取れる。 | 志摩市志摩町和具 | 1990.03.30 |
1927 | 和具の海女(舟人)A-5-13 | スライド枠には「和具浦 2.3.30」と記される。海女小屋の戸口で、海女漁に用いる木綿の布を縫い合わせた帽子を手に取る海女。後にはイソカゴがぶら下げられている。№1918の女生と同一人物であると思われる。 | 志摩市志摩町和具 | 1990.03.30 |
1928 | 和具の海女(舟人)A-5-14 | スライド枠には「和具浦 2.3.30」と記される。海女漁に用いる木綿の布を縫い合わせた帽子を被る海女。頭の上に来る部分に「南■■■地蔵菩薩」の文字が朱で記されている。 | 志摩市志摩町和具 | 1990.03.30 |
1929 | 和具の舟人A-6-1 | このスライドの前にはめ込まれるタイトルスライドには「和具の舟人 A-6」と記され、スライド枠には「和具 2.4.11」と記される。海女達が頭に被る磯手拭いである。海上安全を祈る「青峯山」、「南■■■地蔵菩薩」、「千手院」、「海上守護■■■■」等の朱印が押され、トモカズキから身を守るとされる呪符(六芒星)が縫い込まれている。 | 志摩市志摩町和具 | 1990.04.11 |
1930 | 和具の舟人A-6-2 | スライド枠には「和具 2.4.11」と記される。海女達が頭に被る磯手拭いである。海上安全を祈る「青峯山」、「南■■■地蔵菩薩」、「信貴山千手院」、「海上守護■■■■」等の朱印が押され、トモカズキから身を守るとされる呪符(六芒星)が黒糸で縫い込まれている。 | 志摩市志摩町和具 | 1990.04.11 |
1931 | 和具の舟人A-6-3 | スライド枠には「和具 2.4.11」と記される。干されているのは海女達が頭に被る磯手拭いである。海上安全を祈る「青峯山」、「南■■■地蔵菩薩」、「信貴山千手院」、「海上守護■■■■」等の朱印が押され、トモカズキから身を守るとされる呪符(六芒星)が黒糸で縫い込まれている。 | 志摩市志摩町和具 | 1990.04.11 |
1932 | 和具の舟人A-6-4 | スライド枠には「和具 2.4.11」と記される。志摩町和具の舟人海女の船上風景である。黒のウエットスーツの上から白の磯着を身に付け、磯手拭いを被った老海女が、操業の合図を待つ。磯手拭いには、海上安全を祈る青峯山の朱印が押され、トモカズキから身を守るとされる呪符(六芒星)が黒糸で縫い込まれている。 | 志摩市志摩町和具 | 1990.04.11 |
1933 | 和具の舟人A-6-5 | スライド枠には「和具 2.4.11」と記される。志摩町和具の舟人海女の船上風景である。黒のウエットスーツの上から白の磯着を身に付け、磯手拭いを被った老海女が、操業の合図を待つ。磯手拭いには、海上安全を祈る青峯山の朱印が押され、トモカズキから身を守るとされる呪符(六芒星)が黒糸で縫い込まれている。 | 志摩市志摩町和具 | 1990.04.11 |
1934 | 和具の舟人A-6-6 | スライド枠には「和具 2.4.11」と記される。志摩町和具の舟人海女の船上風景である。黒のウエットスーツの上から白の磯着を身に付け、磯手拭いを被った老海女が、操業の合図を待つ。磯手拭いには、海上安全を祈る青峯山の朱印が押され、トモカズキから身を守るとされる呪符(六芒星)が黒糸で縫い込まれている。 | 志摩市志摩町和具 | 1990.04.11 |
1935 | 和具の舟人A-6-7 | スライド枠には「和具 2.4.11」と記される。操業を終え、漁業協同組合の市場に出荷する海女達。この日はテレビ取材があったのか、写真右上にカメラやマイクを持った人々も写り込んでいる。 | 志摩市志摩町和具 | 1990.04.11 |
1936 | 和具の舟人A-6-8 | スライド枠には「和具 2.4.11」と記される。操業を終え、漁業協同組合の市場に出荷する海女達。鮑は、種類や傷の有無など一個一個の検品と計量が行われていく。出荷する海女も、それを受け取る組合員も真剣である。 | 志摩市志摩町和具 | 1990.04.11 |
1937 | 和具の舟人A-6-9 | スライド枠には「和具 2.4.11」と記される。海女小屋の火床で薪を焚き、普段着姿の海女が体を温める。小屋の隅には薪が積上げられ、傍らには海女の用具を入れたフゴやヤカン、火バサミ等が見て取れる。 | 志摩市志摩町和具 | 1990.04.11 |
1938 | 神島A-7-1 | このスライドの前にはめ込まれるタイトルスライド枠には「神島 A-7 栗原ネガ 47.8.4」と記され、スライド枠には「神島」と記される。神島では「ノセノセ」とも呼ばれるノリアイ海女の船上風景である。一艘の船に何人かの海女を乗せ、磯場まで行き操業をする海女達であるが白の磯着が濡れているとこるからすると、操業を終え帰港する所かも知れない。撮影は昭和47年であるが、まだ櫓漕ぎの木造船で、船上にはハッポースチロール製のタンポが見て取れる。 | 鳥羽市神島町 | 1972.08.04 |
1939 | 神島A-7-2 | 市営定期船の神島発着桟橋の風景である。右端の船は「中ノ郷~佐田浜~神島」を就航する鳥羽市営定期船第十六鳥羽丸である。当時の桟橋はまだ固定式の桟橋で、潮の干満によっては甲板と桟橋に2m近い段差ができ、荷物の積み下ろしや人々の乗降には大層苦労したものである。桟橋にはビールやミエライスと書かれて米袋が積上げられているが、島の日常生活に必要な物資の大半はこの定期船で運び込まれる。 | 鳥羽市神島町 | 1972.08.04 |
1940 | 神島A-7-3 | 市営定期船の神島発着桟橋の風景である。右端の船は「中ノ郷~佐田浜~神島」を就航する鳥羽市営定期船第十六鳥羽丸である。当時の桟橋はまだ固定式の桟橋で、潮の干満によっては甲板と桟橋に2m近い段差ができ、荷物の積み下ろしや人々の乗降には大層苦労したものである。桟橋にはビールやミエライスと書かれて米袋が積上げられているが、島の日常生活に必要な物資の大半はこの定期船で運び込まれる。 | 鳥羽市神島町 | 1972.08.04 |
1941 | 神島A-7-4 | 市営定期船の神島発着桟橋の風景である。右端の船は「中ノ郷~佐田浜~神島」を就航する鳥羽市営定期船第十六鳥羽丸である。当時の桟橋はまだ固定式の桟橋で、潮の干満によっては甲板と桟橋に2m近い段差ができ、荷物の積み下ろしや人々の乗降には大層苦労したものである。桟橋にはビールやミエライスと書かれて米袋が積上げられているが、島の日常生活に必要な物資の大半はこの定期船で運び込まれる。 | 鳥羽市神島町 | 1972.08.04 |
1942 | 神島A-7-5 | 神島町船揚場の風景である。神島漁港は、昭和7~8年度に時局匡救事業で50mの突堤と取付護岸を造成。更に9年度以降は県営の修築事業として継続され、また村営事業としても船溜設置工事が行われている。昭和28年度には第2次整備計画漁港の指定を受けると共に、離島振興法の制定に伴う適用も受ける事になった。昭和40年度以降は第3次整備計画~第6次整備計画の適用で南・北防波堤、同消波工、離岸堤、岸壁、物揚場、漁港用地の整備等が進められ、漁港としての基本的な形をつくり上げた。写真は、海女漁の操業を終えて港に戻ってきたところであろう。濡れた磯着を着る女性や、舟人海女が使用するイソグルマ<地元ではクリクリと呼ぶ>を取付けた漁船が確認できる。参考文献:『三重の漁港1971』三重県漁港協会・1971年発行 | 鳥羽市神島町 | 1972.08.04 |
1943 | 神島A-7-6 | 神島町船揚場の風景である。操業を終えて港に戻ってきた漁船を、家族や村人の協力で陸へと引き揚げる。子供たちも、幼子を背負った主婦も家族総出となる。船腹には「ME3-12621」の船舶登録番号が見て取れる。 | 鳥羽市神島町 | 1972.08.04 |
1944 | 神島A-7-7 | 神島町船揚場の風景である。操業を終えて港に戻ってきた漁船は、斜路に板や丸太を敷いて家族や村人の協力で陸へと引き揚げられる。 | 鳥羽市神島町 | 1972.08.04 |
1945 | 神島A-7-8 | 神島町船揚場の風景である。海女漁の操業を終えて港に戻ってきたところであろう。濡れた磯着を着る女性や、着替えをする女性などが見て取れる。 | 鳥羽市神島町 | 1972.08.04 |
1946 | 神島A-7-9 | 場所は神島町の船揚場である。海女漁から戻ってきたところか、船揚場に引揚げられた漁船の上で、漁師の夫婦がアワビやサザエをスカリから出している。傍らには畜養のためのイカシカゴが見て取れる。 | 鳥羽市神島町 | 1972.08.04 |
1947 | 神島A-7-10 | 神島町の漁港風景である。船曳用の網だろうか。網を繕う漁師達。 | 鳥羽市神島町 | 1972.08.04 |
1948 | 神島A-7-11 | 神島町の漁港風景である。船曳用の網だろうか。網を繕う漁師達。 | 鳥羽市神島町 | 1972.08.04 |
1949 | 神島A-7-12 | 神島町漁の港風景である。船曳用の網だろうか。網を繕う漁師達。 | 鳥羽市神島町 | 1972.08.04 |
1950 | 神島A-7-13 | 神島町の漁港風景である。船曳用の網だろうか。網を繕う漁師達。 | 鳥羽市神島町 | 1972.08.04 |
1951 | 神島A-7-14 | 神島町市営定期船桟橋近くの漁港風景である。子供たちにとっては船舶用具も格好の遊び道具である。遊びの中から、漁師としての資質を育んでいくのかもしれない。写真上部には、鳥羽中ノ郷~佐田浜~神島間を就航する市営定期船「第十六鳥羽丸」が着岸している。 | 鳥羽市神島町 | 1972.08.04 |
1952 | 神島A-7-15 | 神島町の漁港風景である。市営定期船が到着したのか、缶ビールの入った段ボールを二輪車で運ぶ女性。島の生活用品は、市営定期船で桟橋に下ろされる。あとは、人力での運搬となるが、灯明山の山腹に密集する集落の路地の大半は階段で、このような運搬具を用いる事が出来るのはほんの一部である。。 | 鳥羽市神島町 | 1972.08.04 |
1953 | 神島A-7-16 | 神島町の漁港風景である。子供たちにとっては船舶用具も格好の遊び道具である。遊びの中から、漁師としての資質を育んでいくのかもしれない。左の婦人は、海女漁から戻ったところか、両手にもつスカリには栄螺らしき物が入れられている。 | 鳥羽市神島町 | 1972.08.04 |
1954 | 神島A-7-17 | 神島町の漁港風景である。道を行く二人の女性は磯着が濡れている所を見ると、海女漁から帰ってきたところであろうか。その左横の老女が背負う紙袋の中身が米なら、30㎏を超える重さがあると思われる。 | 鳥羽市神島町 | 1972.08.04 |
1955 | 神島A-7-18 | 海水浴を楽しむ家族。沖に見える島影は、答志島と大築・小築かと思われる。 | 鳥羽市神島町 | 1972.08.04 |
1956 | 神島A-7-19 | 海水浴を楽しむ家族。沖に見える島影は、答志島と大築・小築かと思われる。 | 鳥羽市神島町 | 1972.08.04 |
1957 | 神島A-8-1 | このスライドの前にはめ込まれた紙製のタイトルスライドには「神島 A-8 栗原達男 47.8.4」と記され、スライド枠には「47.8.4」と記される。神島漁港の船揚場風景である。漁を終え、船揚場に引揚げられた漁船の側を歩く婦人の手には、スカリらしきものが持たれている。 | 鳥羽市神島町 | 1972.08.04 |
1958 | 神島A-8-2 | スライド枠には「47.8.4」と記される。神島漁港の市営定期船桟橋と船揚場近辺の風景である。多くの船が港に戻せってきている、時刻は夕刻だろうか。港は子供達や婦人達で賑わっている。 | 鳥羽市神島町 | 1972.08.04 |
1959 | 神島A-8-3 | スライド枠には「47.8.4」と記される。市営定期船の最終便で降り立った人達だろうか、夕闇が迫る神島の路地の風景である。 | 鳥羽市神島町 | 1972.08.04 |
1960 | 神島A-8-4 | スライド枠には「47.8.4」と記される。市営定期船の最終便で降り立った人達だろうか、夕闇が迫る神島の路地の風景である。 | 鳥羽市神島町 | 1972.08.04 |
1961 | 神島A-8-5 | スライド枠には「47.8.4」と記される。夕闇が迫る神島の街並み景観である。(赤色の斑紋など劣化の兆候が見受けられる) | 鳥羽市神島町 | 1972.08.04 |
1962 | 神島A-8-6 | スライド枠には「47.8.4」と記される。夕闇が迫る神島の街並み景観である。 | 鳥羽市神島町 | 1972.08.04 |
1963 | 神島A-8-7 | スライド枠には「47.8.4」と記される。夕闇が迫る神島の船揚場から答志島方面を望む風景である。答志島の大築の上に月がかかる。 | 鳥羽市神島町 | 1972.08.04 |
1964 | 神島A-8-8 | スライド枠には「47.8.4」と記される。八代神社の一ノ鳥居近辺から見た神島の町並み景観である。赤や緑、黒の瓦で葺かれた民家の屋根越しに神島漁港と防波堤が見える。沖を走る船舶は伊勢湾フェリーかと思われる。 | 鳥羽市神島町 | 1972.08.04 |
1965 | 神島A-8-9 | スライド枠には「47.8.4」と記される。八代神社方面から見た神島の町並み景観である。外海の影響を避けやすい神島の集落は、北側の入り江に密集し、標高170.9mの灯明山を背に海岸線から山頂にかけて階段状に家々が密集する独特の村落形成を見せている。狭い敷地を最大限有効に活用するためか、家々のほとんどは2階建てで、軒と軒の間をまるで迷路のように路地が張り巡らされる。 | 鳥羽市神島町 | 1972.08.04 |
1966 | 神島A-8-10 | スライド枠には「47.8.4」と記される。八代神社の一ノ鳥居近辺から見た神島の町並み景観である。赤や緑、黒の瓦が葺かれた民家の屋根越しに神島漁港と防波堤が見える。沖を走る船舶は伊勢湾フェリーかと思われる。 | 鳥羽市神島町 | 1972.08.04 |
1967 | 神島A-8-11 | スライド枠には「47.8.4」と記される。八代神社方面から見た神島の町並み景観である。外海の影響を避けやすい神島の集落は、北側の入り江に密集し、標高170.9mの灯明山を背に海岸線から山頂にかけて階段状に家々が密集する独特の村落形成を見せている。狭い敷地を最大限有効に活用するためか、家々のほとんどは2階建てで、軒と軒の間をまるで迷路のように路地が張り巡らされる。 | 鳥羽市神島町 | 1972.08.04 |
1968 | 神島A-8-12 | スライド枠には「47.8.4」と記される。神島町の集落風景である。敷地いっぱいに建てられた家々は軒を連ね、手押し車程度しか通ることが出来ない複雑な路地を構成する。それらの路地は公道であるのと同時に、洗濯物が干され、村人が憩い、子供たちが遊び、料理の下拵えさえする島の人たちの生活の場でもある。 | 鳥羽市神島町 | 1972.08.04 |
1969 | 神島A-8-13 | スライド枠には「47.8.4」と記される。神島町の集落風景である。敷地いっぱいに建てられた家々は軒を連ね、手押し車程度しか通ることが出来ない複雑な路地を構成する。それらの路地は公道であるのと同時に、洗濯物が干され、村人が憩い、子供たちが遊び、料理の下拵えさえする島の人たちの生活の場でもある。 | 鳥羽市神島町 | 1972.08.04 |
1970 | 神島A-8-14 | スライド枠には「47.8.4」と記される。神島町の集落風景である。敷地いっぱいに建てられた家々は軒を連ね、手押し車程度しか通ることが出来ない複雑な路地を構成する。路地の横では、今ではもう見ることも少なくなったイノ貝の下拵えをする婦人がいる。 | 鳥羽市神島町 | 1972.08.04 |
1971 | 神島A-8-15 | スライド枠には「47.8.4」と記される。神島町の集落風景である。敷地いっぱいに建てられた家々は軒を連ね、手押し車程度しか通ることが出来ない複雑な路地を構成する。路地の横では、今ではもう見ることも少なくなったイノ貝の下拵えをする婦人がいる。 | 鳥羽市神島町 | 1972.08.04 |
1972 | 神島A-8-16 | スライド枠には「47.8.4」と記される。神島町の集落風景である。今日は、漁が休みなのか、漁師が大きなアバリを手に網の繕いをする。その傍らでは、女児が紙風船を膨らませ、老人が寛ぎ、婦人達が談笑する。 | 鳥羽市神島町 | 1972.08.04 |
1973 | 神島A-8-17 | スライド枠には「47.8.4」と記される。神島町の集落風景である。今日は、漁が休みなのか、漁師が大きなアバリを手に網の繕いをする。その傍らでは、女児が紙風船を膨らませ、老人が寛ぎ、婦人達が談笑する。 | 鳥羽市神島町 | 1972.08.04 |
1974 | 神島A-8-18 | スライド枠には「47.8.4」と記される。神島町の集落風景である。子供のパンツを着替えさせる婦人。市道とは言え、島民にとって路地は日常の生活空間の場である。消防車など用をなさない離島では、島民によって結成されている消防団だけで頼りである。それだけに島の人達は火の始末に厳しい。写真の路地の奥にも、軒先に「消化器」と書かれた箱が見て取れる。 | 鳥羽市神島町 | 1972.08.04 |
1975 | 神島 灯台・風俗A-9-1 | このスライドの前にはめ込まれた紙製のタイトルスライドには「神島 灯台・風俗 A-9 47.8.4」と記され、スライド枠には「47.8.4」と記される。神島町の集落風景である。敷地いっぱいに建てられた家々は軒を連ね、手押し車程度しか通ることが出来ない複雑な路地を構成する。それらの路地は公道であるのと同時に、村人が憩い、子供たちが遊び、料理の下拵えさえする島の人たちの生活の場でもある。 | 鳥羽市神島町 | 1972.08.04 |
1976 | 神島 灯台・風俗A-9-2 | スライド枠には「47.8.4」と記される。島民にとって生活用水の確保は、切実な願いの一つであった。唯一の生活用水は集落に掘られた幾つかの共同井戸であったが、島の漂流水を濾過し1日120立方メートルの飲料水を確保する簡易水道が昭和29年に完成。昭和54年には答志~神島間の海底送水管が完成した。また、水道が完備するまでは貴重な水を大切に使うため、洗濯は島のほぼ中央を流れる表流水を利用し、足でもみ洗いする姿がよく見受けられた。 | 鳥羽市神島町 | 1972.08.04 |
1977 | 神島 灯台・風俗A-9-3 | スライド枠には「47.8.4」と記される。島民にとって生活用水の確保は、切実な願いの一つであった。唯一の生活用水は集落に掘られた幾つかの共同井戸であったが、島の漂流水を濾過し1日120立方メートルの飲料水を確保する簡易水道が昭和29年に完成。昭和54年には答志~神島間の海底送水管が完成した。また、水道が完備するまでは貴重な水を大切に使うため、洗濯は島のほぼ中央を流れる表流水を利用し、足でもみ洗いする姿がよく見受けられた。 | 鳥羽市神島町 | 1972.08.04 |
1978 | 神島 灯台・風俗A-9-4 | スライド枠には「47.8.4」と記される。島民にとって生活用水の確保は、切実な願いの一つであった。唯一の生活用水は集落に掘られた幾つかの共同井戸であったが、島の漂流水を濾過し1日120立方メートルの飲料水を確保する簡易水道が昭和29年に完成。昭和54年には答志~神島間の海底送水管が完成した。また、水道が完備するまでは貴重な水を大切に使うため、洗濯は島のほぼ中央を流れる表流水を利用し、足でもみ洗いする姿がよく見受けられた。 | 鳥羽市神島町 | 1972.08.04 |
1979 | 神島 灯台・風俗A-9-5 | スライド枠には「47.8.4」と記される。集落から灯明山に向かう山道を登っていくと、「神島灯台」と記された門柱が見えてくる。伊良湖水道は日本の三海門の一つと言われ、昔から海の難所と言われてきた。明治41年7月、軍艦「朝日」が接礁して朝日礁が発見され、これを明示するために強力な副灯を設置する必要が生じ、明治42年に建設が始まり翌43年5月1日に点灯した。当時の灯台光源は石油灯が主力であったが、この灯台は明治34年に点灯した青森県の尻屋崎灯台に次ぐ第2号として自家発電による画期的な電気灯台であった。また、32ワットのタングステン・フィラメントの白熱電球を用いた我が国最初の灯台でもある。昭和42年3月に一部改築されている。 | 鳥羽市神島町 | 1972.08.04 |
1980 | 神島 灯台・風俗A-9-6 | スライド枠には「47.8.4」と記される。集落から灯明山に向かう山道を登っていくと、「神島灯台」と記された門柱が見えてくる。伊良湖水道は日本の三海門の一つと言われ、昔から海の難所と言われてきた。明治41年7月、軍艦「朝日」が接礁して朝日礁が発見され、これを明示するために強力な副灯を設置する必要が生じ、明治42年に建設が始まり翌43年5月1日に点灯した。当時の灯台光源は石油灯が主力であったが、この灯台は明治34年に点灯した青森県の尻屋崎灯台に次ぐ第2号として自家発電による画期的な電気灯台であった。また、32ワットのタングステン・フィラメントの白熱電球を用いた我が国最初の灯台でもある。昭和42年3月に一部改築されている。 | 鳥羽市神島町 | 1972.08.04 |
1981 | 神島 灯台・風俗A-9-7 | スライド枠には「47.8.4」と記される。灯台の方向から集落へと帰る婦人達である。現在の神島灯台は無人島台であるが、この当時は灯台長を始め、何人かの職員が勤務していた。灯台の一段下がったところには官舎も建てられていた。 | 鳥羽市神島町 | 1972.08.04 |
1982 | 神島 灯台・風俗A-9-8 | スライド枠には「47.8.4」と記される。昭和42年3月に一部改築がされた後の神島灯台である。明治42年に建設が始まり翌43年5月1日に点灯。当時の灯台光源は石油灯が主力であったが、この灯台は明治34年に点灯した青森県の尻屋崎灯台に次ぐ第2号として自家発電による画期的な電気灯であった。また、32ワットのタングステン・フィラメントの白熱電球を用いた我が国最初の灯台でもあった。 | 鳥羽市神島町 | 1972.08.04 |
1983 | 神島 灯台・風俗A-9-9 | スライド枠には「47.8.4」と記される。昭和42年3月に一部改築がされた後の神島灯台である。明治42年に建設が始まり翌43年5月1日に点灯。当時の灯台光源は石油灯が主力であったが、この灯台は明治34年に点灯した青森県の尻屋崎灯台に次ぐ第2号として自家発電による画期的な電気灯であった。また、32ワットのタングステン・フィラメントの白熱電球を用いた我が国最初の灯台でもあった。 | 鳥羽市神島町 | 1972.08.04 |
1984 | 神島 灯台・風俗A-9-10 | スライド枠には「47.8.4」と記される。昭和42年3月に一部改築がされた後の神島灯台の屋根上に取付けられた風向計である。明治42年に建設が始まり翌43年5月1日に点灯。当時の灯台光源は石油灯が主力であったが、この灯台は明治34年に点灯した青森県の尻屋崎灯台に次ぐ第2号として自家発電による画期的な電気灯であった。また、32ワットのタングステン・フィラメントの白熱電球を用いた我が国最初の灯台でもあった。 | 鳥羽市神島町 | 1972.08.04 |
1985 | 神島 灯台・風俗A-9-11 | スライド枠には「47.8.4」と記される。昭和42年3月に一部改築がされた後の神島灯台である。明治42年に建設が始まり翌43年5月1日に点灯。当時の灯台光源は石油灯が主力であったが、この灯台は明治34年に点灯した青森県の尻屋崎灯台に次ぐ第2号として自家発電による画期的な電気灯であった。また、32ワットのタングステン・フィラメントの白熱電球を用いた我が国最初の灯台でもあった。写真、左の建物は旧神島無線方位信号所である。 | 鳥羽市神島町 | 1972.08.04 |
1986 | 神島 灯台・風俗A-9-12 | スライド枠には「47.8.4」と記される。昭和42年3月に一部改築がされた後の神島灯台である。明治42年に建設が始まり翌43年5月1日に点灯。当時の灯台光源は石油灯が主力であったが、この灯台は明治34年に点灯した青森県の尻屋崎灯台に次ぐ第2号として自家発電による画期的な電気灯であった。また、32ワットのタングステン・フィラメントの白熱電球を用いた我が国最初の灯台でもあった。写真、左の建物は旧神島無線方位信号所である。 | 鳥羽市神島町 | 1972.08.04 |
1987 | 神島 灯台・風俗A-9-13 | スライド枠には「47.8.4」と記される。集落を一望する高台に建てられていた旧神島小学校の跡地である。神島小学校は、明治9年に島内の廃寺を校舎として創設された。校舎は昭和45年に集落の南側・古里の浜近くに小・中を合わせた新校舎が完成し移転するが、跡地はバレーボールなど島民の憩いの場として利用されてきた。 | 鳥羽市神島町 | 1972.08.04 |
1988 | 神島 灯台・風俗A-9-14 | スライド枠には「47.8.4」と記される。集落を一望する高台に建てられていた旧神島小学校の跡地である。神島小学校は、明治9年に島内の廃寺を校舎として創設された。校舎は昭和45年に集落の南側・古里の浜近くに小・中を合わせた新校舎が完成し移転するが、跡地はバレーボールなど島民の憩いの場として利用されてきた。 | 鳥羽市神島町 | 1972.08.04 |
1989 | 5神島 灯台・風俗A-9-15 | スライド枠には「47.8.4」と記される。集落を一望する高台に建てられていた旧神島小学校の跡地である。神島小学校は、明治9年に島内の廃寺を校舎として創設された。校舎は昭和45年に集落の南側・古里の浜近くに小・中を合わせた新校舎が完成し移転するが、跡地はバレーボールなど島民の憩いの場として利用されてきた。 | 鳥羽市神島町 | 1972.08.04 |
1990 | 神島 灯台・風俗A-9-16 | スライド枠には「47.8.4」と記される。集落を一望する高台に建てられていた旧神島小学校の跡地である。神島小学校は、明治9年に島内の廃寺を校舎として創設された。校舎は昭和45年に集落の南側・古里の浜近くに小・中を合わせた新校舎が完成し移転するが、跡地はバレーボールなど島民の憩いの場として利用されてきた。 | 鳥羽市神島町 | 1972.08.04 |
1991 | 神島 灯台・風俗A-9-17 | スライド枠には「47.8.4」と記される。神島町の集落風景である。子供のパンツを着替えさせる婦人。市道とは言え、島民にとって路地は日常の生活空間の場である。消防車など用をなさない離島では、島民によって結成されている消防団だけで頼りである。それだけに島の人達は火の始末に厳しい。写真の路地の奥にも、軒先に「消化器」と書かれた箱が見て取れる。 | 鳥羽市神島町 | 1972.08.04 |
1992 | 神島A-10-1 | このスライドの前にはめ込まれる紙製のタイトルスライドには「神島 A-10 47.8.4」と記される。神島町の集落風景である。灯明山を背に、その山肌に張り付くように形成される集落は、家々が軒を連ね、階段と路地とで構成される。海浜に近い一部を除いて多くの家の人々は、この階段の上り下りが日常の生活である。 | 鳥羽市神島町 | 1972.08.04 |
1993 | 神島A-10-2 | 神島町の集落風景である。灯明山を背に、その山肌に張り付くように形成される集落は、家々が軒を連ね、階段と路地とで構成される。海浜に近い一部を除いて多くの家の人々は、この階段の上り下りが日常の生活である。 | 鳥羽市神島町 | 1972.08.04 |
1994 | 神島A-10-3 | 神島町の集落風景である。神島の朝刊は、朝一番の市営定期船で運ばれる。家々に新聞が届くのは午前9時頃であろうか。配達をする女性は、毎日何百段という階段を上り下りする。 | 鳥羽市神島町 | 1972.08.04 |
1995 | 神島A-10-4 | 神島町の集落風景である。鳥羽~答志~神島の海底送水管が完成するのは昭和54年である。その水道が完備するまでは貴重な水を大切に使うため、洗濯は島のほぼ中央を流れる表流水を利用した。写真は映画「潮騒」にも出てくるが、島で唯一の洗濯場である。左の階段を新聞の束を小脇に抱えた女性が上っていく。 | 鳥羽市神島町 | 1972.08.04 |
1996 | 神島A-10-5 | 神島町の集落風景である。神島の朝刊は、朝一番の市営定期船で運ばれる。家々に新聞が届くのは午前9時頃であろうか。配達をする女性は、毎日何百段という階段を上り下りする。 | 鳥羽市神島町 | 1972.08.04 |
1997 | 神島A-10-6 | 神島町の集落風景である。神島の朝刊は、朝一番の市営定期船で運ばれる。家々に新聞が届くのは午前9時頃であろうか。配達をする女性は、毎日何百段という階段を上り下りする。 | 鳥羽市神島町 | 1972.08.04 |
1998 | 神島A-10-7 | 神島町の集落風景である。斜面に建てられた家には、台形の半地下のような空間が出来る。その空間を、漁具などの物置として利用している家が多く見られる。 | 鳥羽市神島町 | 1972.08.04 |
1999 | 神島A-10-8 | 神島町の集落風景である。鳥羽~答志~神島の海底送水管が完成するのは昭和54年である。その水道が完備するまでは貴重な水を大切に使うため、洗濯は島のほぼ中央を流れる表流水を利用した。写真は映画「潮騒」にも出てくるが、島で唯一の洗濯場である。子守や洗濯、家事の手伝い等、子供達も大切な労働力であった、 | 鳥羽市神島町 | 1972.08.04 |
2000 | 神島A-10-9 | 神島町の集落風景である。鳥羽~答志~神島の海底送水管が完成するのは昭和54年である。その水道が完備するまでは貴重な水を大切に使うため、洗濯は島のほぼ中央を流れる表流水を利用した。写真は映画「潮騒」にも出てくるが、島で唯一の洗濯場である。島での生活はまだ手洗いが中心なのであろう、足でもみ洗いする姿を良く見かけた。 | 鳥羽市神島町 | 1972.08.04 |
2001 | 神島A-10-10 | 神島町の集落風景である。散髪をする親子。父親であろうか子供の髪の毛をバリカンで刈っている。庭先や縁側でバリカンを使った散髪は、かつてはどこででも見られた光景であった。 | 鳥羽市神島町 | 1972.08.04 |
2002 | 神島A-10-11 | 神島町の集落風景である。散髪をする親子。父親であろうか子供の髪の毛をバリカンで刈っている。庭先や縁側でバリカンを使った散髪は、かつてはどこででも見られた光景であった。 | 鳥羽市神島町 | 1972.08.04 |
2003 | 神島A-10-12 | 神島の海岸風景である。波打際の岩間に麦藁帽子を被った男性が見て取れる。 | 鳥羽市神島町 | 1972.08.04 |
2004 | 神島A-10-13 | 神島から対岸を望む。神島灯台に向かう山道か、灯台付近からの景観と思われる。写真上部、遠方に見える建造物は伊良湖ビューホテルかと思われる。 | 鳥羽市神島町 | 1972.08.04 |
2005 | 神島A-10-14 | 神島から対岸を望む。神島灯台に向かう山道か、灯台付近からの景観と思われる。 | 鳥羽市神島町 | 1972.08.04 |
2006 | 神島A-10-15 | 神島から対岸を望む。神島灯台に向かう山道か、灯台付近からの景観と思われる。 | 鳥羽市神島町 | 1972.08.04 |
2007 | 神島A-11-1 | このスライドの前にはめ込まれた紙製のタイトルスライドには「神島 栗原達男 A-11 47.8.4」と記され、スライド枠には「47.8.4」と記される。神島から対岸を望む。写真上部、遠方に見える建造物は伊良湖ビューホテルかと思われる。。 | 鳥羽市神島町 | 1972.08.04 |
2008 | 神島A-11-2 | スライド枠には「47.8.4」と記される。神島から対岸を望む。写真上部、遠方に見える建造物は伊良湖ビューホテルかと思われる。 | 鳥羽市神島町 | 1972.08.04 |
2009 | 神島A-11-3 | スライド枠には「47.8.4」と記される。神島から対岸を望む。神島灯台に向かう山道か、灯台付近からの景観と思われる。 | 鳥羽市神島町 | 1972.08.04 |
2010 | 神島A-11-4 | スライド枠には「47.8.4」と記される。神島町の集落風景。鳥羽~答志~神島の海底送水管が完成するのは昭和54年である。その水道が完備するまでは貴重な水を大切に使うため、洗濯は島のほぼ中央を流れる表流水を利用した。写真は島で唯一の洗濯場である。 | 鳥羽市神島町 | 1972.08.04 |
2011 | 神島A-11-5 | スライド枠には「47.8.4」と記される。神島町の集落風景。鳥羽~答志~神島の海底送水管が完成するのは昭和54年である。その水道が完備するまでは貴重な水を大切に使うため、洗濯は島のほぼ中央を流れる表流水を利用した。写真は島で唯一の洗濯場である。 | 鳥羽市神島町 | 1972.08.04 |
2012 | 神島A-11-6 | スライド枠には「47.8.4」と記される。八代神社方面から見た神島の町並み景観である。集落の屋根越しに神島漁港の防波堤が見える。 | 鳥羽市神島町 | 1972.08.04 |
2013 | 神島A-11-7 | スライド枠には「47.8.4」と記される。母親と女児三人が玄関前で作業をする光景が写される。 | 鳥羽市神島町 | 1972.08.04 |
2014 | 神島A-11-8 | スライド枠には「47.8.4」と記される。母親と女児三人が玄関前で作業をする光景が写される。 | 鳥羽市神島町 | 1972.08.04 |
2015 | 神島A-11-9 | スライド枠には「47.8.4」と記される。担い棒の代わりなのか、竹や細い丸太を持った婦人達が、砂浜の波打際へと列をつくって歩いて行く。詳細は不明であるが、出合いによる運搬作業の様である。 | 鳥羽市神島町 | 1972.08.04 |
2016 | 神島A-11-10 | スライド枠には「47.8.4」と記される。夕立か?。神島漁港の船揚場前の道路を傘をさして急ぐ老婆。 | 鳥羽市神島町 | 1972.08.04 |
2017 | 神島A-11-11 | スライド枠には「47.8.4」と記される。夕立か?。傘をさす子供達。神島開発センター付近から、桂光院側の港を見た風景である。島では数少ない四輪自動車が写されている。 | 鳥羽市神島町 | 1972.08.04 |
2018 | 神島A-11-12 | スライド枠には「47.8.4」と記される。夕立か?。傘をさす子供達。神島開発センター付近から、桂光院側の港を見た風景である。島では数少ない四輪自動車が写されている。 | 鳥羽市神島町 | 1972.08.04 |
2019 | 神島A-11-13 | スライド枠には「47.8.4」と記される。夕立か?。神島漁港の船揚場前である。傘をさして遊ぶ子供達。 | 鳥羽市神島町 | 1972.08.04 |
2020 | 神島A-11-14 | スライド枠には「47.8.4」と記される。夕立か?。神島漁港の船揚場前である。傘をさして遊ぶ子供達。 | 鳥羽市神島町 | 1972.08.04 |
2021 | 神島A-11-15 | スライド枠には「47.8.4」と記される。神島の街並み景観である。神島漁業協同組合近辺からヒガシノハマの方向を見た風景である。写真左の鉄筋三階建ての建物は民宿だろうか、道路を挟んだ左側は船揚場である。 | 鳥羽市神島町 | 1972.08.04 |
2022 | 神島A-11-16 | スライド枠には「47.8.4」と記される。神島の街並み景観である。神島市営定期船の桟橋を降りて集落へと入った近辺であろう。軒を連ねた二階建ての家々が連なる。両手に荷物を持った婦人が家路を急ぐ。 | 鳥羽市神島町 | 1972.08.04 |
2023 | 神島A-11-17 | スライド枠には「47.8.4」と記される。神島ヒガシノハマの防波堤から鳥羽方面を見た街並み景観である。写真左端が船揚場、その上の白い建物は神島漁協、その右係留される漁船の奥が市営定期船の発着桟橋である。 | 鳥羽市神島町 | 1972.08.04 |
2024 | 神島A-12-1 | スライドシート下段右端のスライド枠には「A-12」と記される。神島漁港防波堤の外側に設置された消波ブロックと太平洋の水平線である。消波ブロックは防波堤の保全と同時に、魚介類の生息場所としての役割も果たしているようである。 | 鳥羽市神島町 | 1972.08.04 |
2025 | 神島A-12-2 | 神島漁港の防波堤の風景である。防波堤の外側には消波ブロックが設置されるが、魚介類の格好の生息地となるため、ここ神島には県内外からの釣り客が絶えない。写真上部の水平線には、答志島と大築海島・小築海島が写されている。 | 鳥羽市神島町 | 1972.08.04 |
2026 | 神島A-12-3 | 神島漁港防波堤の風景。防波堤の外側には消波ブロックが設置されるが、魚介類の格好の生息地となるため、ここ神島には県内外からの釣り客が絶えない。 | 鳥羽市神島町 | 1972.08.04 |
2027 | 神島A-12-4 | 神島漁港防波堤の風景。防波堤の外側には消波ブロックが置かれるが、魚介類の格好の生息地となるため、ここ神島には県内外からの釣り客が絶えない。 | 鳥羽市神島町 | 1972.08.04 |
2028 | 神島A-12-5 | 神島漁港の防波堤から見た集落風景。神島は佐田浜港から北東約14.9km、市営定期船で約35分の距離にある。総面積は0.76?。周囲 3.9km。本市4有人離島のうち最も遠い島で、外海本土近接型の離島に分類される。また、伊勢湾口部で外海と接しており、特に太平洋側からの強い風波等の自然的災害を受けやすく、集落は標高170.9mの灯明山の北部に位置する港から山頂にかけて階段状に家々が軒を連ねた特有の集落形態を形成している。島の南端は市の天然記念物に指定されている石灰石のカルスト地形をはじめ、弁天岬一体は本市でも数少ない自然公園法第1種特別地域に指定されている。参考文献:鳥羽市編・発行『新鳥羽市離島振興計画』2017年発行。写真右下の港内を航行する船舶は、個人が運営する伊良湖~神島間の就航船である。 | 鳥羽市神島町 | 1972.08.04 |
2029 | 神島A-12-6 | 神島ヒガシノハマの高台で、神島漁港を背に寛ぐ老人。この日は休漁日なのか、船揚場にも漁港にも多くの漁船が係留されている。 | 鳥羽市神島町 | 1972.08.04 |
2030 | 神島A-12-7 | 場所は神島ヒガシノハマの高台である。煙草を手に沖を見る男性。遠方に写るのは伊良湖崎で、山頂の建物は伊良湖ビューホテルかと思われる。 | 鳥羽市神島町 | 1972.08.04 |
2031 | 神島A-12-8 | 場所は神島ヒガシノハマの高台である。煙草を手に沖を見る男性。遠方に写るのは伊良湖崎で、山頂の建物は伊良湖ビューホテルかと思われる。 | 鳥羽市神島町 | 1972.08.04 |
2032 | 神島A-12-9 | 神島漁港堤防の子供達。女児2人、男児1人が微笑む。 | 鳥羽市神島町 | 1972.08.04 |
2033 | 神島A-12-10 | 船揚場で艫綱を引く女性。漁を終えて帰港し、今から船を引き揚げようとするのだろうか。船揚場の斜路で艫綱を曳く女性の傍らには船底にしく、板が並べられている。多少海が時化たのか、波打際には流木やゴミが多数流れ着いているのが見て取れる。 | 鳥羽市神島町 | 1972.08.04 |
2034 | 神島A-12-11 | 神島ヒガシノハマの堤防かと思われる。写真からは判読しにくいが、調理の残渣を捨てているように見える。魚を調理した後の骨や内臓等を海に捨てるのは、漁村地域ではよく見かけた光景である。漁師達は「魚の餌になる」とか「海に戻す」と言ったりしたが、自然の浄化作用の範囲内だと考えていたのかもしれない。 | 鳥羽市神島町 | 1972.08.04 |
2035 | 神島A-12-12 | 神島ヒガシノハマの堤防かと思われる。写真からは判読しにくいが、島民か島外からの釣り客か突端で釣りを楽しんでいる。堤防下のコンクリートの状態を見れば、神島近辺の波の荒さが見てと取れる。 | 鳥羽市神島町 | 1972.08.04 |
2036 | 神島A-12-13 | 神島ヒガシノハマの堤防かと思われる。写真からは判読しにくいが、調理の残渣を捨てているように見える。魚を調理した後の骨や内臓等を海に捨てるのは、漁村地域ではよく見かけた光景である。漁師達は「魚の餌になる」とか「海に戻す」と言ったりしたが、自然の浄化作用の範囲内だと考えていたのかもしれない。 | 鳥羽市神島町 | 1972.08.04 |
2037 | 神島A-12-14 | 神島ヒガシノハマの堤防かと思われる。写真からは判読しにくいが、調理の残渣を捨てているように見える。魚を調理した後の骨や内臓等を海に捨てるのは、漁村地域ではよく見かけた光景である。漁師達は「魚の餌になる」とか「海に戻す」と言ったりしたが、自然の浄化作用の範囲内だと考えていたのかもしれない。 | 鳥羽市神島町 | 1972.08.04 |
2038 | 神島A-12-15 | 神島八代神社の一の鳥居近辺からの撮影かと思われる。神島漁港の風景。ヒガシノハマ側の船揚場と漁港の風景であるが、休漁日なのか沢山の漁船が見て取れる。 | 鳥羽市神島町 | 1972.08.04 |
2039 | 神島A-13-1 | このスライドの前にはめ込まれた紙製のタイトルスライドには「神島 栗原達男 A-13 47.8.4」と記され、スライド枠には「神島 47.8.4」と記される。密集する赤い屋根瓦の向こうには、伊良湖水道を航行するタンカー船が写される。 | 鳥羽市神島町 | 1972.08.04 |
2040 | 神島A-13-2 | スライド枠には「神島 47.8.4」と記される。神島漁港の船揚場と北防波堤の沖合を伊勢湾フェリーが鳥羽港へと向かう。 | 鳥羽市神島町 | 1972.08.04 |
2041 | 神島A-13-3 | スライド枠には「神島 47.8.4」と記される。神島町の町並み。神島は、太平洋に面する東岸・南岸は四季を通じて風波が激しく外海の影響を受けやすい。北側の入り江に密集する集落は、背後の灯明山の山頂に向かって家々が階段状に軒を連ねる。写真は島の東側、ヒガシノハマ近くの村落景観かと思われる。 | 鳥羽市神島町 | 1972.08.04 |
2042 | 神島A-13-4 | スライド枠には「神島 47.8.4」と記される。曹洞宗・月照山桂光院側から見た神島町の集落景観である。沖合は伊良湖水道で、四日市港や名古屋港へ出入りする大型船舶が絶えない。 | 鳥羽市神島町 | 1972.08.04 |
2043 | 神島A-13-5 | スライド枠には「神島 47.8.4」と記される。神島の街並み景観である。神島漁業協同組合近辺からヒガシノハマの方向を見た風景である。写真左の鉄筋三階建ての建物は民宿だろうか、道路を挟んだ左側は船揚場である。 | 鳥羽市神島町 | 1972.08.04 |
2044 | 神島A-13-6 | スライド枠には「神島 47.8.4」と記される。神島漁港の船揚場付近の風景であるが、今にも降り出しそうな空模様の中を、老人が前を急ぐ。 | 鳥羽市神島町 | 1972.08.04 |
2045 | 神島A-13-7 | スライド枠には「神島 47.8.4」と記される。蛸壺の掃除をする親子。かつては島内に蛸壺組合と言う組織が有り、タコツボ漁だけで生活ができると言われるほど盛んであった。鮹漁は、年間を通じて行われるが、最盛期は春先から夏にかけての「ノボリダコ」と、秋から冬にかけての「オチダコ」と呼ばれる時期の2回である。タコガメは近年プラスチックのものが多くなってきたが、この頃はまだ素焼きの瓶が使用されている。伊良湖水道の激しい海流の中で生息するタコは身が引き締まり、現在では島の女性達が加工した「潮騒タコ」は隠れた島の特産品として人気が高い。 | 鳥羽市神島町 | 1972.08.04 |
2046 | 神島A-13-8 | スライド枠には「神島 47.8.4」と記される。神島の海岸風景である。波打際の岩間に麦藁帽子を被った男性が見て取れる。 | 鳥羽市神島町 | 1972.08.04 |
2047 | 神島A-13-9 | スライド枠には「神島 47.8.4」と記される。洗濯物を干す女性。平地の少ない神島では敷地一杯に家が建てられ、家々が軒を連ねて密集する。そのわずかな空間を利用して、物干し用の竿が渡される。 | 鳥羽市神島町 | 1972.08.04 |
2048 | 神島A-13-10 | 神島漁港の景観である。神島漁港は、昭和7~8年度に時局匡救事業で50mの突堤と取付護岸を造成。更に9年度以降は県営の修築事業として継続され、また村営事業としても船溜設置工事が行われている。昭和28年度には第2次整備計画漁港の指定を受けると共に、離島振興法の制定に伴う適用も受ける事になった。昭和40年度以降は第3次整備計画~第6次整備計画の適用で南・北防波堤、同消波工、離岸堤、岸壁、物揚場、漁港用地の整備等が進められ、漁港としての基本的な形をつくり上げた。写真は第4次計画の最終年度の頃かと思われる。参考文献:『三重の漁港1971』三重県漁港協会・1971年発行 | 鳥羽市神島町 | 1972.08.04 |
2049 | 神島A-13-11 | 神島漁港の景観である。神島漁港は、昭和7~8年度に時局匡救事業で50mの突堤と取付護岸を造成。更に9年度以降は県営の修築事業として継続され、また村営事業としても船溜設置工事が行われている。昭和28年度には第2次整備計画漁港の指定を受けると共に、離島振興法の制定に伴う適用も受ける事になった。昭和40年度以降は第3次整備計画~第6次整備計画の適用で南・北防波堤、同消波工、離岸堤、岸壁、物揚場、漁港用地の整備等が進められ、漁港としての基本的な形をつくり上げた。写真は第4次計画の最終年度の頃かと思われる。参考文献:『三重の漁港1971』三重県漁港協会・1971年発行 | 鳥羽市神島町 | 1972.08.04 |
2050 | 神島A-13-12 | 神島漁港の景観である。神島漁港は、昭和7~8年度に時局匡救事業で50mの突堤と取付護岸を造成。更に9年度以降は県営の修築事業として継続され、また村営事業としても船溜設置工事が行われている。昭和28年度には第2次整備計画漁港の指定を受けると共に、離島振興法の制定に伴う適用も受ける事になった。昭和40年度以降は第3次整備計画~第6次整備計画の適用で南・北防波堤、同消波工、離岸堤、岸壁、物揚場、漁港用地の整備等が進められ、漁港としての基本的な形をつくり上げた。写真は第4次計画の最終年度の頃かと思われる。参考文献:『三重の漁港1971』三重県漁港協会・1971年発行 | 鳥羽市神島町 | 1972.08.04 |
2051 | 神島A-13-13 | 八代神社へと続く階段付近からの撮影かと思われる。神島町の街並みと神島漁港の景観である。集落は北側に面し、海の向こう側は伊勢湾、名古屋港へと続く。 | 鳥羽市神島町 | 1972.08.04 |
2052 | 神島A-13-14 | 中ノ郷~佐田浜~神島を就航する市営定期船の船上と神島の集落景観である。本土と神島を結ぶ唯一の公共交通機関である定期船は、旧神島村の村営航路を昭和29年の町村合併に伴って市営航路として引継いだ。かつては神島~鳥羽間を1時間近くかかったものだが、船が新しくなる度に時間も短縮され、現在では1日4便(和具・菅島寄港3便、直通1便)、時間も35分程に短縮されている。写真のほぼ中央、船揚場の後に建つ鉄筋2階建ての建物は右が神島開発センター、左が神島漁協である。その中程に市営定期船の固定桟橋が設けられている。 | 鳥羽市神島町 | 1972.08.04 |
2053 | 神島A-14-1 | このスライドの前にはめ込まれるタイトルスライド枠には「神島 A-14 47.8.4」と記され、スライド枠には「47.8.4」と記される。家の軒下には木製の樽や木箱等が置かれている2階の窓から、老婆が一人顔を出し微笑む。 | 鳥羽市神島町 | 1972.08.04 |
2054 | 神島A-14-2 | スライド枠には「47.8.4」と記される。家の軒下には木製の樽や木箱等が置かれている2階の窓から、老婆が一人顔を出し微笑む。 | 鳥羽市神島町 | 1972.08.04 |
2055 | 神島A-14-3 | スライド枠には「47.8.4」と記される。海上から見た鳥羽港。昭和45年7月21日、佐田浜海岸68,000㎡を埋め立てて造成した用地に鉄筋コンクリート2階建て、延べ床面積2,200㎡の鳥羽港湾センタービルがオープン。田川副知事等を招いてセレモニーが催された。施設には志摩勝浦観光船、名鉄海上観光船、伊勢湾自動車航送船、鳥羽湾めぐり小型観光船、市営定期船等が事務所を開設。新しい鳥羽の海の玄関口としての業務が開始された。なお、鳥羽パールビルも同日オープンした。 | 鳥羽市神島町 | 1972.08.04 |
2056 | 神島A-14-4 | スライド枠には「47.8.4」と記される。海上から見た鳥羽港。昭和45年7月21日、佐田浜海岸68,000㎡を埋め立てて造成した用地に鉄筋コンクリート2階建て、延べ床面積2,200㎡の鳥羽港湾センタービルがオープン。田川副知事等を招いてセレモニーが催された。施設には志摩勝浦観光船、名鉄海上観光船、伊勢湾自動車航送船、鳥羽湾めぐり小型観光船、市営定期船等か事務所を開設。新しい鳥羽の海の玄関口としての業務が開始された。なお、鳥羽パールビルも同日オープンした。 | 鳥羽市神島町 | 1972.08.04 |
2057 | 神島A-14-5 | スライド枠には「47.8.4」と記される。市営定期船で神島に向かう。写真左下は市営定期船、上部正面の島は神島である。本土と神島を結ぶ唯一の公共交通機関である定期船は、旧神島村の村営航路を昭和29年の町村合併に伴って市営航路として引継ぎ、現在神島~中之郷16.9㎞の定期航路として、1日4便の運航が行われている。 | 鳥羽市神島町 | 1972.08.04 |
2058 | 神島A-14-6 | スライド枠には「47.8.4」と記される。神島漁港の景観である。神島漁港は、昭和7~8年度に時局匡救事業で50mの突堤と取付護岸を造成。更に9年度以降は県営の修築事業として継続され、また村営事業としても船溜設置工事が行われている。昭和28年度には第2次整備計画漁港の指定を受けると共に、離島振興法の制定に伴う適用も受ける事になった。昭和40年度以降は第3次整備計画~第6次整備計画の適用で南・北防波堤、同消波工、離岸堤、岸壁、物揚場、漁港用地の整備等が進められ、漁港としての基本的な形をつくり上げた。写真は第4次計画の最終年度の頃かと思われる。参考文献:『三重の漁港1971』三重県漁港協会・1971年発行 | 鳥羽市神島町 | 1972.08.04 |
2059 | 神島A-14-7 | スライド枠には「47.8.4」と記される。神島漁港の船揚場近辺の景観である。写真下中央に段ボール箱を背負う女子学生が写される。階段の多い神島では、車は無論、リヤカーや一輪車さえ使えない家屋が多く、このような運搬方法が多く見られる。陸に引揚げられている漁船からは「大漁丸/八代丸/晴栄丸」等の船名が見て取れる。 | 鳥羽市神島町 | 1972.08.04 |
2060 | 神島A-14-8 | スライド枠には「47.8.4」と記される。神島漁港の東側の防波堤だろうか。延長工事が進められている。沖合を伊勢湾フェリーが鳥羽港へと向かう。 | 鳥羽市神島町 | 1972.08.04 |
2061 | 神島A-14-9 | スライド枠には「47.8.4」と記される。神島漁港の東側の船揚場と船留場の景観である。 | 鳥羽市神島町 | 1972.08.04 |
2062 | 神島A-14-10 | スライド枠には「47.8.4」と記される。曹洞宗・桂光院側から見た神島町の集落景観である。沖合は伊良湖水道で、四日市港や名古屋港へ出入りする大型の船舶が絶えない。 | 鳥羽市神島町 | 1972.08.04 |
2063 | 神島A-14-11 | スライド枠には「47.8.4」と記される。曹洞宗・桂光院側から見た神島町の集落景観である。沖合は伊良子水道で、四日市港や名古屋港へ出入りする大型の船舶が絶えない。 | 鳥羽市神島町 | 1972.08.04 |
2064 | 神島A-14-12 | スライド枠には「47.8.4」と記される。神島町の墓地付近から漁港を見下ろす。写真中央左側に砂浜が写されているが、今は漁港用地として埋め立てられて、その痕跡も見ることが出来なくなっている。 | 鳥羽市神島町 | 1972.08.04 |
2065 | 神島A-14-13 | スライド枠には「47.8.4」と記される。神島町の墓地付近から漁港を見下ろす。写真中央左側に砂浜が写されているが、今は漁港用地として埋め立てられて、その痕跡も見ることが出来なくなっている。 | 鳥羽市神島町 | 1972.08.04 |
2066 | 神島A-14-14 | スライド枠には「47.8.4」と記される。神島の船揚場の風景である。船揚場に引揚げられた漁船に腰掛けた漁師らしき男性5人と老婆が一人、誰かを待っているのか、夕涼みなのか、いずれにしても共同体として生きる島の人々の暖かいつながりが伝わってくる。 | 鳥羽市神島町 | 1972.08.04 |
2067 | 神島A-14-15 | スライド枠には「47.8.4」と記される。神島の船揚場の風景である。船揚場に引揚げられた漁船に腰掛けた漁師らしき男性6人と稚児を抱く女性が一人、誰かを待っているのか、夕涼みなのか、いずれにしても共同体として生きる島の人々の暖かいつながりが伝わってくる。 | 鳥羽市神島町 | 1972.08.04 |
2068 | 神島A-14-16 | スライド枠には「47.8.4」と記される。神島の船揚場の風景である。船揚場に引揚げられた漁船に腰掛けた漁師らしき男性5人と老婆が1人、稚児を抱く女性が一人、誰かを待っているのか、夕涼みなのか、いずれにしても共同体として生きる島の人々の暖かいつながりが伝わってくる。 | 鳥羽市神島町 | 1972.08.04 |
2069 | 神島A-14-17 | スライド枠には「47.8.4」と記される。神島の船揚場の風景である。船揚場に引揚げられた漁船に腰掛けた漁師らしき男性6人と老婆が1人、稚児を抱く女性が一人、誰かを待っているのか、夕涼みなのか、いずれにしても共同体として生きる島の人々の暖かいつながりが伝わってくる。 | 鳥羽市神島町 | 1972.08.04 |
2070 | 神島A-14-18 | スライド枠には「47.8.4」と記される。船に腰掛ける老人とその後にはコウシンさんが写される。 | 鳥羽市神島町 | 1972.08.04 |
2071 | 神島A-14-19 | スライド枠には「47.8.4」と記される。民家の前には長椅子や腰掛けが置かれ、下駄を履いた漁師らしき男性2人と老婆4人が、夕涼みだろうか座っている。ここは、天気が良ければ毎日、年老いた人々が誰彼となく集まってきては世間話に興じる場所なのだろう。漁村の集落では良く見かける風景である。 | 鳥羽市神島町 | 1972.08.04 |
2072 | 国崎(海女)B-1-1 | 海女漁を終えての帰途であろう。肩に担ぐ担い棒(天秤棒)の前には、フゴに入れられたウエットスーツ等の海女道具が、後ろには鉛の腰ベルト・浮樽・スカリ等が掛けられている。このスライドの前にはめ込まれた紙製のタイトルスライドには「国崎 栗原達男 B-1 47.8.17」と記され、スライド枠には「47.8.17」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.08.17 |
2073 | 国崎(海女)B-1-2 | 刺網を点検する婦人。漁場から揚げられた刺網は、魚をはずした後、海藻やゴミ等を取り除き破れた所は繕って干される。スライド枠には「47.8.17」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.08.17 |
2074 | 国崎(海女)B-1-3 | 刺網を点検する婦人。漁場から揚げられた刺網は、魚をはずした後、海藻やゴミ等を取り除き破れた所は繕って干される。スライド枠には「47.8.17」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.08.17 |
2075 | 国崎(海女)B-1-4 | アワビの出荷風景である。海女漁を終えると採った鮑は出荷されるが、鮑の種類・大きさ・重さ、キズ等が丹念に調べられ、記録されていく。スライド枠には「47.8.17」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.08.17 |
2076 | 国崎(海女)B-1-5 | アワビの出荷風景である。海女漁を終えると採った鮑は出荷されるが、鮑の種類・大きさ・重さ、キズ等が丹念に調べられ、記録されていく。オンビカゴ(アワビカゴ)とも呼ばれるが、鮑を入れたカゴを担い棒で担いだ海女や、出荷風景を興味深そうに見つめる子供達も写される。後の入り江は国崎漁港で小高い丘の向こう側に集落が広がる。スライド枠には「47.8.17」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.08.17 |
2077 | 国崎(海女)B-1-6 | アワビの出荷風景である。海女漁を終えると採った鮑は出荷されるが、鮑の種類・大きさ・重さ、キズ等が丹念に調べられ、記録されていく。着替えを済ませた海女達が、鮑を入れたオンビカゴ(アワビカゴ)を持って出荷場所へと集まってくる。スライド枠には「47.8.17」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.08.17 |
2078 | 国崎(海女)B-1-7 | アワビの出荷風景である。海女漁を終えると採った鮑は出荷されるが、鮑の種類・大きさ・重さ、キズ等が丹念に調べられ、記録されていく。着替えを済ませた海女達が、鮑を入れたオンビカゴ(アワビカゴ)を持って出荷場所へと集まってくる。スライド枠には「47.8.17」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.08.17 |
2079 | 国崎(海女)B-1-8 | アワビの出荷風景である。海女漁を終えると採った鮑は出荷されるが、鮑の種類・大きさ・重さ、キズ等が丹念に調べられ、記録されていく。着替えを済ませた海女達が、鮑を入れたオンビカゴ(アワビカゴ)を持って出荷場所へと集まってくる。台秤と合わせてボウバカリ(棒秤)も私用されている。スライド枠には「47.8.17」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.08.17 |
2080 | 国崎(海女)B-1-9 | アワビの出荷風景である。海女漁を終えると採った鮑は出荷されるが、鮑の種類・大きさ・重さ、キズ等が丹念に調べられ、記録されていく。着替えを済ませた海女達が、鮑を入れたオンビカゴ(アワビカゴ)を持って出荷場所へと集まってくる。スライド枠には「47.8.17」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.08.17 |
2081 | 国崎(海女)B-1-10 | アワビの出荷風景である。海女漁を終えると採った鮑は出荷されるが、鮑の種類・大きさ・重さ、キズ等が丹念に調べられ、記録されていく。着替えを済ませた海女達が、鮑を入れたオンビカゴ(アワビカゴ)を持って出荷場所へと集まってくる。スライド枠には「47.8.17」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.08.17 |
2082 | 国崎(海女)B-1-11 | 海女漁で採ってきた鮑や栄螺を畜養する海女達。その日に出荷しない鮑や栄螺、イノカイ等をイソカゴ(イカシカゴとも言う)に入れて、堤防から吊し生かしておく。大半は子供や孫など身内のための食材として、自家消費される事が多いと言う。スライド枠には「47.8.17」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.08.17 |
2083 | 国崎(海女)B-1-12 | 海女漁で採ってきた鮑や栄螺を畜養する海女達。その日に出荷しない鮑や栄螺、イノカイ等をイソカゴ(イカシカゴとも言う)に入れて、堤防から吊し生かしておく。大半は子供や孫など身内のための食材として、自家消費される事が多いと言う。スライド枠には「47.8.17」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.08.17 |
2084 | 国崎(海女)B-1-13 | 海女漁で採ってきた鮑や栄螺を畜養する海女達。その日に出荷しない鮑や栄螺、イノカイ等をイソカゴ(イカシカゴとも言う)に入れて、堤防から吊し生かしておく。大半は子供や孫など身内のための食材として、自家消費される事が多いと言う。スライド枠には「47.8.17」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.08.17 |
2085 | 国崎(海女)B-1-14 | 鮑や栄螺を畜養する堤防付近の海面写真である。自然分解しない、ナイロン袋やプラスチック類が目に付く。写真上部は国崎漁港で、昭和47年は第4次整備計画の最終年度であるが、漁船の多くはまだ岸壁に直接係留されず、陸に引揚げられている。国崎の集落は写真右上の小高い丘の谷間と丘の上に広がり、写真左端は相差町へと繋がる市道である。スライド枠には「47.8.17」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.08.17 |
2086 | 国崎(海女)B-1-15 | 海女漁で採ってきた鮑や栄螺を畜養する海女達。その日に出荷しない鮑や栄螺、イノカイ等をカゴの口に網が取り付けられているイソカゴ(イカシカゴとも言う)に入れて、堤防から吊し生かしておく。大半は子供や孫など身内のための食材として、自家消費される事が多いと言う。写真上部の堤防の上は市道で、左へ行けば相差町へと向かう。スライド枠には「47.8.17」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.08.17 |
2087 | 国崎(海女)B-1-16 | 海女漁で採ってきた鮑や栄螺を畜養する海女達。その日に出荷しない鮑や栄螺、イノカイ等をカゴの口に網が取り付けられているイソカゴ(イカシカゴとも言う)に入れて、堤防から吊し生かしておく。大半は子供や孫など身内のための食材として、自家消費される事が多いと言う。写真上右端は鮑の出荷風景かと思われる。スライド枠には「47.8.17」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.08.17 |
2088 | 国崎(海女)B-1-17 | 国崎町の海女小屋かと思われる。しゃがみ込む婦人の足下には薪に火が付けられようとしているようである。スライド枠には「47.8.17」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.08.17 |
2089 | 国崎(海女)B-2-1 | 海女漁で採ってきた鮑や栄螺をカゴの口に網が取り付けられているイソカゴ(イカシカゴとも言う)に入れて畜養する海女達。漁から戻ったばかりなのか、まだ濡れた磯手拭いを被りウエットスーツ姿のままである。国崎町鎧崎の前の浜での風景である。このスライドの前にはめ込まれるタイトルスライド枠には「国崎海女 栗原達男 B-2 47.8.17」と記され、スライド枠には「47.8.17」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.08.17 |
2090 | 国崎(海女)B-2-2 | 海女漁で採ってきた鮑や栄螺をカゴの口に網が取り付けられているイソカゴ(イカシカゴとも言う)に入れて畜養する海女達。漁から戻ったばかりなのか、まだ濡れた磯手拭いを被りウエットスーツ姿のままである。国崎町鎧崎の前の浜での風景である。スライド枠には「ウエットスーツ 47.8.17」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.08.17 |
2091 | 国崎(海女)B-2-3 | 海女漁で採ってきた鮑や栄螺をカゴの口に網が取り付けられているイソカゴ(イカシカゴとも言う)に入れて畜養する海女達。漁から戻ったばかりなのか、まだ濡れた磯手拭いを被りウエットスーツ姿のままである。国崎町鎧崎の前の浜での風景である。スライド枠には「47.8.17」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.08.17 |
2092 | 国崎(海女)B-2-4 | 海女漁で採ってきた鮑や栄螺をカゴの口に網が取り付けられているイソカゴ(イカシカゴとも言う)に入れて畜養する海女達。漁から戻ったばかりなのか、まだ濡れた磯手拭いを被りウエットスーツ姿のままである。国崎町鎧崎の前の浜での風景である。スライド枠には「47.8.17」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.08.17 |
2093 | 国崎(海女)B-2-5 | 採ってきたアワビの品定めだろうか、5~6人のウエットスーツ姿の海女達が、イソカゴ(イカシカゴとも言う)を取り囲む。足下には大きなアワビが十数個も置かれている。国崎町鎧崎の船揚場、前の浜での風景である。写真右上のブロック作りの小屋は海女小屋で、その丘の上には熨斗鮑調製所が建てられている。スライド枠には「47.8.17」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.08.17 |
2094 | 国崎(海女)B-2-6 | 採ってきたアワビの品定めだろうか、数人のウエットスーツ姿の海女達が、イソカゴ(イカシカゴとも言う)を取り囲む。足下には大きなアワビが十数個も置かれている。国崎町鎧崎の船揚場、前の浜での風景である。スライド枠には「47.8.17」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.08.17 |
2095 | 国崎(海女)B-2-7 | 採ってきたアワビの品定めだろうか、3人のウエットスーツ姿の海女達が、イソカゴ(イカシカゴとも言う)を取り囲む。足下には大きなアワビが十数個も置かれている。国崎町鎧崎の船揚場、前の浜での風景である。スライド枠には「47.8.17」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.08.17 |
2096 | 国崎(海女)B-2-8 | 採ってきたアワビの品定めだろうか、3人のウエットスーツ姿の海女達が、イソカゴ(イカシカゴとも言う)を取り囲む。足下には大きなアワビが十数個も置かれている。国崎町鎧崎の船揚場、前の浜での風景である。スライド枠には「47.8.17」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.08.17 |
2097 | 国崎(海女)B-2-9 | 採ってきたアワビの品定めだろうか、3人のウエットスーツ姿の海女達が、イソカゴ(イカシカゴとも言う)を取り囲む。足下には大きなアワビが十数個も置かれている。国崎町鎧崎の船揚場、前の浜での風景である。スライド枠には「47.8.17」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.08.17 |
2098 | 国崎(海女)B-2-10 | 海女漁で採ってきた鮑や栄螺をカゴの口に網が取り付けられているイソカゴ(イカシカゴとも言う)に入れて畜養する海女達。漁から戻ったばかりなのか、まだ濡れた磯手拭いを被りウエットスーツ姿のままである。国崎町鎧崎の前の浜での風景である。スライド枠には「47.8.17」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.08.17 |
2099 | 国崎(海女)B-2-11 | 海女漁で採ってきた鮑や栄螺をカゴの口に網が取り付けられているイソカゴ(イカシカゴとも言う)に入れて畜養する海女達。漁から戻ったばかりなのか、まだ濡れた磯手拭いを被りウエットスーツ姿のままである。手前の海女が背負うイカシカゴには、「マル」に「宗」の字を描いた屋号が見て取れる。国崎町鎧崎の前の浜での風景である。スライド枠には「47.8.17」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.08.17 |
2100 | 国崎(海女)B-2-12 | 海女漁で採ってきた鮑や栄螺をカゴの口に網が取り付けられているイソカゴ(イカシカゴとも言う)に入れて畜養する海女達。漁から戻ったばかりなのか、まだ濡れた磯手拭いを被りウエットスーツ姿のままである。国崎町鎧崎の前の浜での風景である。スライド枠には「47.8.17」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.08.17 |
2101 | 国崎(海女)B-2-13 | 海女漁で採ってきた鮑や栄螺をカゴの口に網が取り付けられているイソカゴ(イカシカゴとも言う)に入れて畜養する海女達。漁から戻ったばかりなのか、まだ濡れた磯手拭いを被りウエットスーツ姿のままである。国崎町鎧崎の前の浜での風景である。スライド枠には「47.8.17」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.08.17 |
2102 | 国崎(海女)B-2-14 | 国崎町鎧崎の前の浜の漁師達。漁から戻り、船の引揚作業かと思われる。後ろに引き揚げられた漁船が写されているが、国崎町の海岸線は太平洋に面し、波は荒く潮の流れも速い。漁港の整備が万全でない時代は、漁を終えればその都度船は陸に引き揚げられた。スライド枠には「47.8.17」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.08.17 |
2103 | 国崎(海女)B-2-15 | 国崎町の集落景観である。国崎村はかつて大津波で集落が流され、新たに高台に集落を築いたと言われる。前の浜の堤防から集落へと続く坂道で遊ぶ子供達。スライド枠には「47.8.17」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.08.17 |
2104 | 国崎(海女)B-2-16 | 国崎町の集落景観である。国崎村はかつて大津波で集落が流され、新たに高台に集落を築いたと言われる。前の浜の堤防から集落へと続く坂道で遊ぶ子供達。スライド枠には「47.8.17」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.08.17 |
2105 | 国崎(海女)B-2-17 | 国崎町の集落景観である。国崎村はかつて大津波で集落が流され、新たに高台に集落を築いたと言われる。前の浜の堤防から集落へと続く坂道で遊ぶ子供達。スライド枠には「47.8.17」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.08.17 |
2106 | 国崎の海女B-3-1 | 国崎町舟人海女の出漁風景である。数隻の船上にはそれぞれトマイと、磯手拭いを被り黒のウエットスーツを着込んだ海女一人が写されている所を見ると、国崎では夫婦で海女漁をするトトカカ舟かと思われる。このスライドの前にはめ込まれるタイトルスライド枠には「国崎の海女 栗原達男 B-3 47.8.17」と記され、スライド枠には「国崎(栗原) 47.8.17」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.08.17 |
2107 | 国崎の海女B-3-2 | 国崎町舟人海女の出漁風景である。船上にはそれぞれトマイと、磯手拭いを被り黒のウエットスーツを着込んだ海女一人が写されている所を見ると、国崎では夫婦で海女漁をするトトカカ舟かと思われる。スライド枠には「47.8.17」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.08.17 |
2108 | 国崎の海女B-3-3 | 国崎町舟人海女の出漁風景である。数隻の船上にはそれぞれトマイと、磯手拭いを被り黒のウエットスーツを着込んだ海女一人が写されている所を見ると、国崎では夫婦で海女漁をするトトカカ舟かと思われる。スライド枠には「47.8.17」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.08.17 |
2109 | 国崎の海女B-3-4 | 国崎町舟人海女の出漁風景である。数隻の船上にはそれぞれトマイと、磯手拭いを被り黒のウエットスーツを着込んだ海女一人が写されている所を見ると、国崎では夫婦で海女漁をするトトカカ舟かと思われる。写真手前の海女船には蛸壺のロープを手繰上げるローラーが取付けられている。この漁家の主となる生業は蛸壺漁(蛸瓶漁)かと思われる。スライド枠には「47.8.17」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.08.17 |
2110 | 国崎の海女B-3-5 | 国崎町舟人海女の出漁風景である。磯場へと急ぐ船上にはイソテヌグイを被り、ウエットスーツを着込み、腰には鉛のベルト、コシスカリ、命ヅナを付け、イソメガネを手にした海女が写される。写真上部、右よりの丘の上に見える建造物は鎧崎灯台である。スライド枠には「47.8.17」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.08.17 |
2111 | 国崎の海女B-3-6 | 国崎町舟人海女の出漁風景である。磯場へと急ぐ船上の海女はイソテヌグイを被り、ウエットスーツを着込み、腰には鉛のベルト、コシスカリ、命綱を付け、手にはイソメガネが握られている。スライド枠には「47.8.17」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.08.17 |
2112 | 国崎の海女B-3-7 | 国崎町鎧崎の前の浜の海女小屋である。小屋の戸口からは着替えをする海女達が見える。下の船揚場ではこれから出漁するのか漁師達が作業を続ける。船には刺網が積み込まれている。写真上部やや右側に鳥居が見えるが、この奥には山の神が祀られ、その横には熨斗鰒調製所が建てられている。スライド枠には「国崎 47.8.17」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.08.17 |
2113 | 国崎の海女B-3-8 | 国崎町舟人海女の船上風景である。磯手拭いやウエットスーツの上から着た磯着が濡れている所を見ると、操業を終え船上へと戻った所のようである。スライド枠には「47.8.17」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.08.17 |
2114 | 国崎の海女B-3-9 | 国崎町舟人海女の操業風景である。船頭が、船縁からイソカゴを引揚げようとしているが、左手の海面には、まだ操業する2~3人の海女の姿が見て取れる。スライド枠には「47.8.17」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.08.17 |
2115 | 国崎の海女B-3-10 | 操業を終え、帰路につく国崎町の舟人海女である。写真上部右寄りの建造物はパールロード箱田山展望台である。パールロードは昭和39年6月に安楽島~浦村町今浦間の総延長約3.8㎞の工事が完成。その後、麻生浦大橋の建設を始とする工事が進められ、磯部町三ヶ所までの18.2㎞の第一期工事が昭和48年に完成した。スライド枠には「47.8.17」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.08.17 |
2116 | 国崎の海女B-3-11 | 海上から見たパールロード箱田山展望台である。パールロードは昭和39年6月に安楽島~浦村町今浦間の総延長約3.8㎞の工事が完成。その後、麻生浦大橋の建設を始とする工事が進められ、磯部町三ヶ所までの18.2㎞の第一期工事が昭和48年に完成した。スライド枠には「47.8.17」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.08.17 |
2117 | 国崎の海女B-3-12 | 海女漁で採ってきた鮑や栄螺を国崎漁港の堤防に畜養する海女達。その日に出荷しない鮑や栄螺はイソカゴに入れて、堤防から吊し生かしておく。スライド枠には「47.8.17」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.08.17 |
2118 | 国崎の海女B-3-13 | 20人を超える海女達が、採ってきた鮑や栄螺を国崎漁港の堤防で畜養する。その日に出荷しない鮑や栄螺、イノカイ等をカゴの口に網が取り付けられているイソカゴ(イカシカゴとも言う)に入れて、堤防から吊し生かしておく。大半は子供や孫など身内のための食材として、自家消費される事が多いと言う。スライド枠には「47.8.17」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.08.17 |
2119 | 国崎の海女B-3-14 | 20人を超える海女達が、採ってきた鮑や栄螺を国崎漁港の堤防で畜養する。その日に出荷しない鮑や栄螺、イノカイ等をカゴの口に網が取り付けられているイソカゴ(イカシカゴとも言う)に入れて、堤防から吊し生かしておく。大半は子供や孫など身内のための食材として、自家消費される事が多いと言う。スライド枠には「47.8.17」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.08.17 |
2120 | 国崎の海女B-3-15 | アワビの出荷風景である。海女漁を終えると採った鮑は出荷されるが、鮑の種類・大きさ・重さ、キズ等が丹念に調べられ、記録されていく。稚児を背負い、鮑の出荷をする海女。中央左端には鰒の計量記録をする職員、後ろにはイソカゴをイナイボウ(天秤棒)で担ぐ海女の姿が写される。スライド枠には「47.8.17」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.08.17 |
2121 | 国崎の海女B-3-16 | アワビの出荷風景である。海女漁を終えると採った鮑は出荷されるが、鮑の種類・大きさ・重さ、キズ等が丹念に調べられ、記録されていく。稚児を背負い、鮑の出荷をする海女。中央下左端には鰒の検品をする職員と海女の姿が写されている。スライド枠には「47.8.17」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.08.17 |
2122 | 国崎の海女B-3-17 | アワビの出荷風景である。海女漁を終えると採った鮑は出荷されるが、鮑の種類・大きさ・重さ、キズ等が丹念に調べられ、記録されていく。稚児を背負い、鮑の出荷を見守る海女や、海女が並べた鰒の検品と検量をする職員達の姿が写される。写真中央右端の鰒を計量する男性の後ろに置かれたイカシカゴには、「マル」に「仙」の字を描いた屋号が見て取れる。スライド枠には「47.8.17」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.08.17 |
2123 | 国崎の海女B-3-18 | アワビの出荷風景である。海女漁を終えると採った鮑は出荷されるが、鮑の種類・大きさ・重さ、キズ等が丹念に調べられ、記録されていく。稚児を背負い、鮑の出荷を見守る海女や、海女が並べた鰒の検品と検量をする職員達の姿が写される。スライド枠には「47.8.17」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.08.17 |
2124 | 国崎の海女B-3-19 | アワビの出荷風景である。海女漁を終えると採った鮑は出荷されるが、鮑の種類・大きさ・重さ、キズ等が丹念に調べられ、記録されていく。稚児を背負い、鮑の出荷を見守る海女や、海女が並べた鰒の検品と検量をする職員達の姿が写される。写真手前に置かれたイカシカゴには、「マル」に「仙」の字を描いた屋号が見て取れる。スライド枠には「47.8.17」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.08.17 |
2125 | 国崎の海女B-4-1 | ウエットスーツを着込みイソテヌグイで頭を包んだ海女の姿が見て取れる。このスライドの前にはめ込まれた紙製のタイトルスライドには「国崎の海女 栗原達男 B-4 47.8.17」と記される。国崎漁港(大津の浜)から一斉に出漁する舟人海女の風景である。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.08.17 |
2126 | 国崎の海女B-4-2 | 国崎漁港から出漁する舟人海女の風景である。ウエットスーツを着込みイソテヌグイで頭を包んだ海女の姿が見て取れる。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.08.17 |
2127 | 国崎の海女B-4-3 | 国崎漁港から一斉に出漁する舟人海女の風景である。ウエットスーツを着込みイソテヌグイで頭を包んだ海女の姿が見て取れる。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.08.17 |
2128 | 国崎の海女B-4-4 | 国崎漁港(大津の浜)から一斉に出漁する舟人海女の風景である。ウエットスーツを着込みイソテヌグイで頭を包んだ海女の姿が見て取れる。写真上部中央やや左寄りの建造物は鳥羽市立国崎小学校の校舎である。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.08.17 |
2129 | 国崎の海女B-4-5 | 国崎町舟人海女の船上風景である。操業開始の合図を待っているのか、イソ手拭いを被りウエットスーツを着込んだ海女の腰には分銅となる鉛のベルトとコシスカリが付けられている。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.08.17 |
2130 | 国崎の海女B-4-6 | 国崎町舟人海女の操業風景である。海底の海女から合図があると、船上にいるトマエはイソグルマに掛けたイキヅナ(イノチヅナ)を一気に手繰上げる。浮上した海女は磯笛と呼ばれる独特の呼吸法で息を整え、船縁に掴まって体を休め次の潜水に備える。船縁には採ってきたアワビやサザエを入れるためのイソカゴが吊されている。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.08.17 |
2131 | 国崎の海女B-4-7 | 夕闇に包まれた国崎町の集落(画像不鮮明)。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.08.17 |
2132 | 国崎の海女B-4-8 | 夕闇に包まれた国崎町の集落。外灯の下で夕涼みをする二人の姉妹。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.08.17 |
2133 | 国崎の海女B-4-9 | 国崎町鎧崎の船揚場で出漁の準備をする海女達。イソ手拭いを被り、ウエットスーツを身に付け、腰にはスカリが付けられている。船揚場では、トマエやウエットスーツ姿の海女達が船下しを始めている。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.08.17 |
2134 | 国崎の海女B-4-10 | 国崎町鎧崎の船揚場で出漁の準備をする海女達。イソ手拭いを被り、ウエットスーツを身に付け、腰にはスカリが付けられている。船揚場では、トマエやウエットスーツ姿の海女達が船下しを始めている。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.08.17 |
2135 | 国崎の海女B-4-11 | 国崎町鎧崎の船揚場方向から集落へと続く堤防道路である。稚児を背負い、左手には新幹線の玩具を手に帰宅する婦人。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.08.17 |
2136 | 国崎の海女B-4-12 | 国崎町鎧崎の船揚場方向から集落へと続く堤防道路である。稚児を背負い、左手には新幹線の玩具を手に帰宅する婦人。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.08.17 |
2137 | 国崎の海女B-4-13 | 国崎町漁港近辺の海岸風景である。昭和47年は第4次整備計画の最終年次で、防波堤は大分沖まで伸びてきているようである。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.08.17 |
2138 | 国崎の海女B-4-14 | 今は、あまり見ることも無くなった乳母車である。車にはイソカゴやスカリらしき物等、海女の用具と思われる物が積み込まれている。スライド枠には「47.8.17」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.08.17 |
2139 | (国崎の海女)B-5-1 | 海女漁の操業を終え帰港する舟人海女の船上風景である。海が荒れ始めたのか、うねりと白波が立ち始めている。イソ手拭いを被り、黒のウエットスーツを着用して座る海女の前には、イソカゴが、左横にはスカリが、右横には軍手が置かれている。スライド枠には「47.8.17」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.08.17 |
2140 | (国崎の海女)B-5-2 | 海女漁の操業を終え帰港する舟人海女の船上風景である。海が荒れ始めたのか、うねりと白波が立ち始めている。イソ手拭いを被り、黒のウエットスーツを着用して座る海女の前には、イソカゴが、左横にはスカリが、右横には軍手が置かれている。スライド枠には「47.8.17」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.08.17 |
2141 | (国崎の海女)B-5-3 | 海女漁の操業を終え帰港する舟人海女の船上風景である。海が荒れ始めたのか、うねりと白波が立ち始めている。イソ手拭いを被り、黒のウエットスーツを着用して座る海女の前には、イソカゴが、左横にはスカリが、右横には軍手が置かれている。スライド枠には「47.8.17」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.08.17 |
2142 | (国崎の海女)B-5-4 | 海女漁の操業を終え帰港する舟人海女の船上風景である。海が荒れ始めたのか、うねりと白波が立ち始めている。イソ手拭いを被り、黒のウエットスーツを着用して座る海女の前には、イソカゴが、左横にはスカリが、右横には軍手が置かれている。スライド枠には「47.8.17」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.08.17 |
2143 | (国崎の海女)B-5-5 | 海女漁の操業を終え帰港する舟人海女の船上風景である。海が荒れ始めたのか、うねりと白波が立ち始めている。イソ手拭いを被り、黒のウエットスーツを着用して座る海女の前には、イソカゴが、左横にはスカリが、右横には軍手が置かれている。舳先に当たった波か、雨か、横殴りの飛沫が海女と船頭を襲う。スライド枠には「47.8.17」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.08.17 |
2144 | (国崎の海女)B-5-6 | 海女漁の操業を終え帰港する舟人海女の船上風景である。海が荒れ始めたのか、うねりと白波が立ち始めている。イソ手拭いを被り、黒のウエットスーツを着用して座る海女の前には、イソカゴが、左横にはスカリが、右横には軍手が置かれている。真夏とは言え、如何にも寒そうである。スライド枠には「47.8.17」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.08.17 |
2145 | (国崎の海女)B-5-7 | 海女漁の操業を終え、国崎町鎧崎の船揚場(前の浜)に次々と着岸する海女船。海は大分荒れてきたようである。船は艫から着けられ、丸太のコロを敷いて陸に引き揚げられる。スライド枠には「47.8.17」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.08.17 |
2146 | (国崎の海女)B-5-8 | 海女漁の操業を終え、国崎町鎧崎の船揚場(前の浜)に次々と着岸する海女船。海は大分荒れてきたようである。船は艫から着けられ、丸太のコロを敷いて陸に引き揚げられる。スライド枠には「47.8.17」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.08.17 |
2147 | (国崎の海女)B-5-9 | 海女漁の操業を終え、国崎町鎧崎の船揚場(前の浜)に次々と着岸する海女船。船は艫から着けられ、丸太のコロを敷いて陸に引き揚げられる。かなり風波が出てきたのか、船が横になるのを防ごうと船上で棒を操る海女の腕にも力が入る。スライド枠には「47.8.17」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.08.17 |
2148 | (国崎の海女)B-5-10 | 海女漁の操業を終え、国崎町鎧崎の船揚場(前の浜)に次々と着岸する海女船。船は艫から着けられ、丸太のコロを敷いて陸に引き揚げられる。かなり風波が出てきたのか、船が横になるのを防ごうと船上で棒を操る海女の腕にも力が入る。スライド枠には「47.8.17」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.08.17 |
2149 | (国崎の海女)B-5-11 | 海女漁の操業を終え、国崎町鎧崎の前の浜に次々と着岸する海女船。船は艫から着けられ、丸太のコロを敷いて陸に引き揚げられる。船を引き揚げるためのコロの準備をする海女やトマエの姿が見える。写真左上に半分ほど写る建物は熨斗鰒調製所である。その下には海女小屋が建てられている。スライド枠には「47.8.17」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.08.17 |
2150 | (国崎の海女)B-5-12 | 海女漁の操業を終え、国崎町鎧崎の前の浜に次々と着岸する海女船。船は艫から着けられ、丸太のコロを敷いて陸に引き揚げられる。船を引き揚げるためのコロの準備をする海女やトマエの姿が見える。スライド枠には「47.8.17」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.08.17 |
2151 | (国崎の海女)B-5-13 | 海女漁の操業を終え、国崎町鎧崎の船揚場(前の浜)に引き揚げられた海女船。スライド枠には「47.8.17」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.08.17 |
2152 | (国崎の海女)B-5-14 | 国崎町神事。「金刀比羅宮」と記された幟や神輿を担いだ一行が町内を練り歩く。(神事名は不明。要調査) スライド枠には「47.8.17」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.08.17 |
2153 | (国崎の海女)B-5-15 | 国崎町神事。「金刀比羅宮」と記された幟や神輿を担いだ一行が町内を練り歩く。(神事名は不明。要調査) スライド枠には「47.8.17」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.08.17 |
2154 | 国崎B-6-1 | 窓から見る国崎町の街並みと海。(窓に張り付く蛙) このスライドの前にはめ込まれた紙製のタイトルスライドには「国崎 栗原達男 B-6 47.8.17」と記され、スライド枠には「47.8.17」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.08.17 |
2155 | 国崎B-6-2 | 窓から見る国崎町の街並みと海。(窓に張り付く蛙) スライド枠には「47.8.17」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.08.17 |
2156 | 国崎B-6-3 | 窓から見る国崎町の街並みと海。(窓に張り付く蛙) スライド枠には「47.8.17」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.08.17 |
2157 | 国崎B-6-4 | 窓から見る国崎町の街並みと海。(窓に張り付く蛙) スライド枠には「47.8.17」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.08.17 |
2158 | 国崎B-6-5 | 窓から見る国崎町の街並みと海。(窓に張り付く蛙) スライド枠には「47.8.17」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.08.17 |
2159 | 国崎B-6-6 | 窓から見る国崎町の街並みと海。(窓に張り付く蛙) スライド枠には「47.8.17」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.08.17 |
2160 | 国崎B-6-7 | 窓から見る国崎町の街並みと海。(窓に張り付く蛙) スライド枠には「47.8.17」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.08.17 |
2161 | 国崎B-6-8 | 窓から見る国崎町の街並みと海。(窓に張り付く蛙) スライド枠には「47.8.17」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.08.17 |
2162 | 国崎B-6-9 | 窓から見る国崎町の街並みと海。(窓に張り付く蛙) スライド枠には「47.8.17」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.08.17 |
2163 | 国崎B-6-10 | 窓から見る国崎町の街並みと海。(窓に張り付く蛙) スライド枠には「47.8.17」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.08.17 |
2164 | 国崎B-6-11 | 窓から見る国崎町の街並みと海。(窓に張り付く蛙) スライド枠には「47.8.17」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.08.17 |
2165 | 国崎B-6-12 | 窓から見る国崎町の街並みと海。(窓に張り付く蛙) スライド枠には「47.8.17」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.08.17 |
2166 | 国崎B-6-13 | 国崎町神事。資料番号B-5-14~15から続く一連の写真と思われる。(神事名は不明。要調査) スライド枠には「47.8.17」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.08.17 |
2167 | 国崎B-6-14 | 国崎町神事。資料番号B-5-14~15から続く一連の写真と思われる。(神事名は不明。要調査) スライド枠には「47.8.17」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.08.17 |
2168 | 国崎B-6-15 | 国崎町神事。資料番号B-5-14~15から続く一連の写真と思われる。「金刀比羅宮行在所」と記された横幕と国旗及び国崎漁業協同組合の大漁旗が見える。(神事名は不明。要調査) スライド枠には「47.8.17」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.08.17 |
2169 | 国崎B-6-16 | 国崎町神事。資料番号B-5-14~15から続く一連の写真と思われる。「金刀比羅宮行在所」と記された横幕と国旗及び国崎漁業協同組合の大漁旗が見える。(神事名は不明。要調査) スライド枠には「47.8.17」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.08.17 |
2170 | 国崎B-6-17 | 国崎町神事。資料番号B-5-14~15から続く一連の写真と思われる。「金刀比羅宮行在所」と記された横幕と国旗及び国崎漁業協同組合の大漁旗が見える。(神事名は不明。要調査) スライド枠には「47.8.17」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.08.17 |
2171 | 国崎B-6-18 | 国崎町神事。資料番号B-5-14~15から続く一連の写真と思われる。行列が来るのを待っているのか、正装をした老人が一人、杖をつき佇む。(神事名は不明。要調査) スライド枠には「47.8.17」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.08.17 |
2172 | 国崎B-6-19 | 国崎町神事。資料番号B-5-14~15から続く一連の写真と思われる。(神事名は不明。要調査) スライド枠には「47.8.17」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.08.17 |
2173 | 国崎の海女B-7-1 | アワビの出荷風景である。海女漁を終え、採ってきた鮑を出荷する国崎町の海女達。稚児を背負い出荷の状況を見守る婦人、イソカゴを結わえたイナイボウ(天秤棒)を担ぐ婦人の先で、アワビの点検と計量が行われている。鮑は、その種類・大きさ・重さ、キズ等が丹念に調べられ記録されていく。写真右端には○に仙と記されたイカシカゴが見て取れる。このスライドの前にはめ込まれた紙製のタイトルスライドには「国崎の海女 栗原達男 B-7 47.8.17」と記され、スライド枠には「47.8.17」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.08.17 |
2174 | 国崎の海女B-7-2 | アワビの出荷風景である。海女漁を終え、採ってきた鮑を出荷する国崎町の海女達。鮑は、その種類・大きさ・重さ、キズ等が丹念に調べられ記録されていく。手前に積まれたイカシカゴ○に仙と記されたイカシカゴが見て取れる。写真上部の右端に白いガードレールが写されているが、左へ行けば相差町、右に坂を下れば国崎漁港の船揚場である。スライド枠には「47.8.17」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.08.17 |
2175 | 国崎の海女B-7-3 | アワビの出荷風景である。海女漁を終え、採ってきた鮑を出荷する国崎町の海女達。莚の上に丸仙と記された台秤が置かれ、その横には30~40個程のアワビが並べられている。アワビは種類や大きさ、キズ等の点検が行われた後、計量され、記録されていく。スライド枠には「47.8.17」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.08.17 |
2176 | 国崎の海女B-7-4 | アワビの出荷風景である。海女漁を終え、採ってきた鮑を出荷する国崎町の海女達。アワビは種類や大きさ、キズ等の点検が行われた後、計量され、記録されていく。莚の上には20個程のアワビが並べられ、丸仙と記された台秤にはカゴに入れられた山積みのアワビが計量されている。スライド枠には「47.8.17」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.08.17 |
2177 | 国崎の海女B-7-5 | アワビの出荷風景である。海女漁を終え、採ってきた鮑を出荷する国崎町の海女達。アワビは種類や大きさ、キズ等の点検が行われた後、計量され、記録されていく。稚児を背負い出荷する海女が被る手拭いには「鳥羽市国崎町 丸吉」、奥の女性は「鳥羽市国崎町 浜口」の文字が見て取れる。周囲には、台秤、算盤、アワビカゴ、丸仙と記されたイカシカゴ、担い棒等が置かれている。スライド枠には「47.8.17」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.08.17 |
2178 | 国崎の海女B-7-6 | アワビの出荷風景である。海女漁を終え、採ってきた鮑を出荷する国崎町の海女達。アワビは種類や大きさ、キズ等の点検が行われた後、計量され、記録されていく。稚児を背負い出荷する海女が被る手拭いには「鳥羽市国崎町 丸吉」、奥の女性は「鳥羽市国崎町 浜口」の文字が見て取れる。周囲には、台秤、算盤、アワビカゴ、丸仙と記されたイカシカゴ、担い棒等が置かれている。スライド枠には「47.8.17」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.08.17 |
2179 | 国崎の海女B-7-7 | アワビの出荷風景である。海女漁を終え、稚児を背負い採ってきた鮑を出荷する国崎町の海女。アワビは種類や大きさ、キズ等の点検が行われた後、計量され、記録されていく。スライド枠には「47.8.17」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.08.17 |
2180 | 国崎の海女B-7-8 | アワビの出荷風景である。海女漁を終え、採ってきた鮑を出荷する国崎町の海女達。アワビは種類や大きさ、キズ等の点検が行われた後、計量され、記録されていく。莚の横に置かれた台秤には国崎と記され、稚児を背負い出荷する海女が被る手拭いには「鳥羽市国崎町 丸吉」の文字が見て取れる。スライド枠には「47.8.17」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.08.17 |
2181 | 国崎の海女B-7-9 | アワビの出荷風景である。海女漁を終え、採ってきた鮑を出荷する国崎町の海女達。アワビは種類や大きさ、キズ等の点検が行われた後、計量され、記録されていく。莚の横に置かれた台秤には国崎と記され、稚児を背負い出荷する海女が被る手拭いには「鳥羽市国崎町 丸吉」の文字が見て取れる。スライド枠には「47.8.17」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.08.17 |
2182 | 国崎の海女B-7-10 | アワビの出荷風景である。海女漁を終え、採ってきた鮑を出荷する国崎町の海女達。アワビは種類や大きさ、キズ等の点検が行われた後、計量され、記録されていく。これから出荷をするのか、3個のイソカゴを吊したイナイボウ(天秤棒)を担ぐ婦人も見て取れる。スライド枠には「47.8.17」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.08.17 |
2183 | 国崎の海女B-7-11 | アワビの出荷風景である。海女漁を終え、採ってきた鮑を出荷する国崎町の海女達。アワビは種類や大きさ、キズ等の点検が行われた後、計量され、記録されていく。スライド枠には「47.8.17」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.08.17 |
2184 | 国崎の海女B-7-12 | アワビの出荷風景である。海女漁を終え、採ってきた鮑を出荷する国崎町の海女達。アワビは種類や大きさ、キズ等の点検が行われた後、計量され、記録されていく。出荷する海女も、受け取る側も真剣そのものである。スライド枠には「47.8.17」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.08.17 |
2185 | 国崎の海女B-7-13 | アワビの出荷風景である。海女漁を終え、採ってきた鮑を出荷する国崎町の海女達。アワビは種類や大きさ、キズ等の点検が行われた後、計量され、記録されていく。これから出荷するのか、二つのイソカゴを担い棒で担ぎ、堤防沿いに向かってくる海女も見て取れる。スライド枠には「47.8.17」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.08.17 |
2186 | 国崎の海女B-7-14 | 国崎町の街並み景観である。家の塀には「強力殺虫剤 ハイアース」のホーロー製看板が貼られている。 スライド枠には「47.8.17」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.08.17 |
2187 | 国崎の海女B-7-15 | 国崎町の街並み景観である。家の塀には「強力殺虫剤 ハイアース」のホーロー製看板が貼られている。スライド枠には「47.8.17」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.08.17 |
2188 | 国崎の海女B-7-16 | アワビの出荷風景である。海女漁を終え、採ってきた鮑を出荷する国崎町の海女達。アワビは種類や大きさ、キズ等の点検が行われた後、計量され、記録されていく。出荷を終えたのか、稚児を背負う海女の傍らにはイソカゴや丸仙と記されたイカシカゴが置かれている。スライド枠には「国崎 47.8.17」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.08.17 |
2189 | 国崎の海女B-8-1 | 国崎町舟人海女の操業風景である。海底の海女から合図があると、船上にいるトマエが、イソグルマに掛けたイキヅナ(イノチヅナ)を一気に手繰上げる。海面に顔を出した海女達は磯笛と呼ばれる独特の呼吸法で息を継ぐ。このスライドの前にはめ込まれた紙製のタイトルスライドには「国崎の海女 栗原達男 B-8 47.8.17」と記され、スライド枠には「47.8.17」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.08.17 |
2190 | 国崎の海女B-8-2 | 国崎町舟人海女の操業風景である。海底の海女から合図があると、船上にいるトマエが、イソグルマに掛けたイキヅナ(イノチヅナ)を一気に手繰上げる。海面に顔を出した海女達は磯笛と呼ばれる独特の呼吸法で息を継ぐ。スライド枠には「47.8.17」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.08.17 |
2191 | 国崎の海女B-8-3 | 磯場に着くとトマイは艪で船を操り、海底の海女から合図があると、イソグルマに掛けたイキヅナ(イノチヅナ)を一気に手繰上げる。海面に顔を出した海女達は磯笛と呼ばれる独特の呼吸法で息を継ぐ。スライド枠には「47.8.17」と記される。国崎町舟人海女の操業風景である。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.08.17 |
2192 | 国崎の海女B-8-4 | 国崎町の舟人海女の操業風景である。トマイは、風や波で船が移動してしまわないように艪で船を操り、海面に引き揚げられた海女は、船縁に掴まり次の潜水に備えて躰を休め息を整える。スライド枠には「47.8.17」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.08.17 |
2193 | 国崎の海女B-8-5 | 国崎町舟人海女の操業風景である。磯場に着くとトマイは艪で船を操り、海底の海女から合図があると、イソグルマに掛けたイキヅナ(イノチヅナ)を一気に手繰上げる。海面に顔を出した海女達は磯笛と呼ばれる独特の呼吸法で息を継ぐ。スライド枠には「47.8.17」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.08.17 |
2194 | 国崎の海女B-8-6 | 国崎町の舟人海女の操業風景である。トマイは、風や波で船が移動してしまわないように艪で船を操り、海面に引き揚げられた海女は、船縁に掴まり次の潜水に備えて躰を休め息を整える。スライド枠には「47.8.17」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.08.17 |
2195 | 国崎の海女B-8-7 | 舟人海女の操業風景である。海底の海女から合図があると、船上にいるトマエが、イソグルマに掛けたイキヅナ(イノチヅナ)を一気に手繰上げる。海面に顔を出した海女達は磯笛と呼ばれる独特の呼吸法で息を継ぐ。右手には、地元の海女がオオザシと呼ぶ「ノミ」が握られている。スライド枠には「47.8.17」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.08.17 |
2196 | 国崎の海女B-8-8 | 国崎町の舟人海女の操業風景である。トマイは、風や波で船が移動してしまわないように艪で船を操り、海面に引き揚げられた海女は、船縁に掴まり次の潜水に備えて躰を休め息を整える。右手には、地元の海女がオオザシと呼ぶ「ノミ」が握られている。スライド枠には「47.8.17」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.08.17 |
2197 | 国崎の海女B-8-9 | 舟人海女の操業風景である。海底の海女から合図があると、船上にいるトマエが、イソグルマに掛けたイキヅナ(イノチヅナ)を一気に手繰上げる。海面に顔を出した海女は磯笛と呼ばれる独特の呼吸法で息を継ぐ。スライド枠には「47.8.17」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.08.17 |
2198 | 国崎の海女B-8-10 | 舟人海女の操業風景である。海底の海女から合図があると、船上にいるトマエが、イソグルマに掛けたイキヅナ(イノチヅナ)を一気に手繰上げる。海面に顔を出した海女達は磯笛と呼ばれる独特の呼吸法で息を継ぐ。右手には、地元の海女がオオザシと呼ぶ「ノミ」が握られている。スライド枠には「47.8.17」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.08.17 |
2199 | 国崎の海女B-8-11 | 舟人海女の操業風景である。海底の海女から合図があると、船上にいるトマエが、イソグルマに掛けたイキヅナ(イノチヅナ)をたぐり揚げる。海面に顔を出した海女達は磯笛と呼ばれる独特の呼吸法で息を継ぐ。船縁には海女が採ったアワビやサザエを入れるイソカゴが吊されている。スライド枠には「舟人<ふなど> 47.8.17」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.08.17 |
2200 | 国崎の海女B-8-12 | 舟人海女の操業風景である。海底の海女から合図があると、船上にいるトマエが、イソグルマに掛けたイキヅナ(イノチヅナ)をたぐり揚げる。海面に顔を出した海女達は磯笛と呼ばれる独特の呼吸法で息を継ぐ。船縁には海女が採ったアワビやサザエを入れるイソカゴが吊されている。スライド枠には「47.8.17」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.08.17 |
2201 | 国崎の海女B-8-13 | 舟人海女の操業風景である。操業終了の合図が出されたのであろう、漁を終え船上に上がった海女。傍らにはイソカゴや眼鏡箱が置かれている。スライド枠には「47.8.17」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.08.17 |
2202 | 国崎の海女B-8-14 | 舟人海女の操業風景である。操業終了の合図が出されたのであろう、漁を終え船上に上がった海女。傍らにはイソカゴや眼鏡箱が置かれている。スライド枠には「47.8.17」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.08.17 |
2203 | 国崎の海女B-8-15 | 舟人海女の操業風景である。海底の海女から合図があると、船上にいるトマエが、イソグルマに掛けたイキヅナ(イノチヅナ)を一気に手繰上げる。海面に顔を出した海女は磯笛と呼ばれる独特の呼吸法で息を継ぐ。船縁には海女が採ったアワビやサザエを入れるイソカゴが吊されている。スライド枠には「47.8.17」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.08.17 |
2204 | 国崎のトトカカ舟B-9-1 | 今は、あまり見ることも無くなった乳母車である。車にはイソカゴやスカリ等、海女の用具と思われる物が積み込まれている。このスライドの前にはめ込まれた紙製のタイトルスライドには「国崎のトトカカ舟 栗原達男 B-9 47.8.17」と記され、スライド枠には「47.8.17」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.08.17 |
2205 | 国崎のトトカカ舟B-9-2 | 舟人海女の出漁風景である。国崎町鎧崎の前の浜に引き揚げてあった海女船を船底に丸太のコロを敷いて波打ち際まで下ろし、出漁の準備を進める。トトカカ船と呼ばれる、夫婦で操業をする海女船の様である。スライド枠には「47.8.17」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.08.17 |
2206 | 国崎のトトカカ舟B-9-3 | 舟人海女の出漁風景である。国崎町鎧崎の前の浜に引き揚げてあった海女船を船底に丸太のコロを敷いて波打ち際まで下ろし、出漁の準備を進める。トトカカ船と呼ばれる、夫婦で操業をする海女船の様である。スライド枠には「47.8.17」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.08.17 |
2207 | 国崎のトトカカ舟B-9-4 | 舟人海女の船上風景である。磯場に到着し、出漁の合図を待っているのだろうか、船縁にイソカゴを取付ける船頭の姿が見て取れる。また、ノリアイの海女船なのか、一艘に3人の海女を乗せた船も見うけられる。スライド枠には「47.8.17」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.08.17 |
2208 | 国崎のトトカカ舟B-9-5 | 舟人海女の船上風景である。出漁の合図を待っているのだろうか、トマエとウエットスーツ姿の海女3人が乗り込んでいる。ノリアイと呼ばれる海女船かと思われる。傍らには発泡スチロール製のタンポとスカリが見える。スライド枠には「47.8.17」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.08.17 |
2209 | 国崎のトトカカ舟B-9-6 | 舟人海女の船上風景である。出漁の合図を待っているのだろうか、5隻程の海女船が沖停泊をする。トトカカ船と呼ばれる夫婦で操業をする海女船の他に、トマエと複数の海女を乗せたノリアイと呼ばれる海女船も見うけられる。スライド枠には「47.8.17」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.08.17 |
2210 | 国崎のトトカカ舟B-9-7 | 舟人海女の船上風景である。出漁の合図を待っているのだろうか、トマエとウエットスーツ姿の海女3人が乗り込んでいる。ノリアイと呼ばれる海女船かと思われる。傍らには発泡スチロール製のタンポやスカリが見える。スライド枠には「47.8.17」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.08.17 |
2211 | 国崎のトトカカ舟B-9-8 | 舟人海女の船上風景である。出漁の合図を待っているのだろうか、5隻程の海女船が沖停泊をする。トトカカ船と呼ばれる夫婦で操業をする海女船のようである。スライド枠には「47.8.17」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.08.17 |
2212 | 国崎のトトカカ舟B-9-9 | 磯場へと急ぐ舟人海女の出漁風景である。写真の山腹に走る帯状のものはパールロードである。パールロードは昭和39年6月に安楽島~浦村町今浦間の総延長約3.8㎞の工事が完成。その後、麻生浦大橋の建設を始とする工事が進められ、磯部町三ヶ所までの18.2㎞の第一期工事が昭和48年に完成している。スライド枠には「47.8.17」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.08.17 |
2213 | 国崎のトトカカ舟B-9-10 | 磯場へと急ぐ舟人海女の出漁風景である。写真の山腹に走る帯状のものはパールロードである。パールロードは昭和39年6月に安楽島~浦村町今浦間の総延長約3.8㎞の工事が完成。その後、麻生浦大橋の建設を始とする工事が進められ、磯部町三ヶ所までの18.2㎞の第一期工事が昭和48年に完成している。スライド枠には「47.8.17」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.08.17 |
2214 | 国崎のトトカカ舟B-9-11 | 磯場に到着し、操業の準備を進める海女船。写真中央左端の岩場に十数人の白い磯着姿の人々が写されているが、徒人海女かと思われる。後ろの山腹をパールロードが走る。その下に点在する白い建造物は、「サンレポータウン」の名称で宅地開発された別荘地である。スライド枠には「47.8.17」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.08.17 |
2215 | 国崎のトトカカ舟B-9-12 | 磯場に到着し、操業の準備を進める海女船。トマエは船のエンジンを切り、艪で船を操る。後ろの山腹をパールロードが走る。その下に点在する白い建造物は、「サンレポータウン」の名称で宅地開発された別荘地である。スライド枠には「47.8.17」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.08.17 |
2216 | 国崎のトトカカ舟B-9-13 | 磯場に到着し、操業の準備を進める海女船。トマエは船のエンジンを切り、艪で船を操る。写真中央左側の岩場に十数人の白い磯着姿の人々が写されているが、徒人海女かと思われる。後ろの山腹をパールロードが走る。その下に点在する白い建造物は、「サンレポータウン」の名称で宅地開発された別荘地である。スライド枠には「47.8.17」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.08.17 |
2217 | 国崎のトトカカ舟B-9-14 | 磯場に到着し、操業の準備を進める海女船。トマエは船のエンジンを切り、艪で船を操る。写真中央左側の岩場に十数人の白い磯着姿の人々が写されているが、徒人海女かと思われる。後ろの山腹をパールロードが走る。その下に点在する白い建造物は、「サンレポータウン」の名称で宅地開発された別荘地である。スライド枠には「47.8.17」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.08.17 |
2218 | 国崎のトトカカ舟B-9-15 | 磯場に到着し、操業の準備を進める海女船。トマエは船のエンジンを切り、艪で船を操る。写真中央左側の岩場に十数人の白い磯着姿の人々が写されているが、徒人海女かと思われる。後ろの山腹をパールロードが走る。その下に点在する白い建造物は、「サンレポータウン」の名称で宅地開発された別荘地である。スライド枠には「47.8.17」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.08.17 |
2219 | 国崎のトトカカ舟B-9-16 | 舟人海女の磯場へと急ぐ出漁風景である。ここ国崎町ではトトカカ船と呼ぶ、夫婦で操業をする海女船の様である。スライド枠には「47.8.17」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.08.17 |
2220 | 国崎のトトカカ舟B-9-17 | 舟人海女の磯場へと向かう出漁風景である。ここ国崎町ではトトカカ船と呼ぶ、夫婦で操業をする海女船の様である。スライド枠には「47.8.17」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.08.17 |
2221 | 国崎のトトカカ舟B-9-18 | 磯場に到着し、操業の準備を進める海女船。写真中央左の岩場に十数人の白い磯着姿の人々が写されているが、徒人海女かと思われる。後ろの山腹をパールロードが走る。その下に点在する白い建造物は、「サンレポータウン」の名称で宅地開発された別荘地である。スライド枠には「47.8.17」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.08.17 |
2222 | 国崎の海女B-10-1 | 舟人海女の操業風景である。海底の海女から合図があると、船上にいるトマエが、イソグルマに掛けたイキヅナ(イノチヅナ)を一気に手繰上げる。海面に顔を出した海女は磯笛と呼ばれる独特の呼吸法で息を継ぐ。右手にはカギノミが握られている。このスライドの前にはめ込まれた紙製のタイトルスライドには「国崎の海女 栗原達男 B-10 47.8.17」と記され、スライド枠には「国崎 47.8.17」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.08.17 |
2223 | 国崎の海女B-10-2 | アワビの出荷風景である。海女漁を終え、採ってきた鮑を出荷する国崎町の海女達。アワビは種類やキズ等の点検が行われた後、計量され、記録されていく。また、スンポと呼ばれる木製の計測器で測り、基準に見たない小さなアワビは海に帰される。スライド枠には「国崎 47.8.17」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.08.17 |
2224 | 国崎の海女B-10-3 | 海女漁で採ってきた鮑や栄螺を国崎漁港の堤防に畜養する海女達。その日に出荷しない鮑や栄螺等、イソカゴに入れて堤防から吊し生かしておく。子供や孫達に食べさす自家消費用の物が多いと言う。スライド枠には「国崎 47.8.17」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.08.17 |
2225 | 国崎の海女B-10-4 | 海女漁で採ってきた鮑や栄螺を国崎漁港の堤防に畜養する海女達。漁から戻って間もないのか、まだウエットスーツの姿である。その日に出荷しない鮑や栄螺等、イソカゴに入れて堤防から吊し生かしておく。子供や孫達に食べさす自家消費用の物が多いと言う。スライド枠には「国崎 47.8.17」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.08.17 |
2226 | 国崎の海女B-10-5 | 刺網を点検する婦人。漁場から揚げられた刺網は、魚をはずした後、海藻やゴミ等を取り除き破れた所は繕って干される。スライド枠には「国崎 47.8.17」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.08.17 |
2227 | 国崎の海女B-10-6 | 出荷を終えて帰宅するところなのか、イソカゴを吊したイナイボウ(天秤棒)代わりの木の枝や板を担いで堤防道路を歩く海女達。鳥羽市商工観光課の「昭和48年11月現在 鳥羽市海女就業者綴」によれば、国崎町の海女就業者数は153人(徒人海女:100人/舟人海女:53人)と記されている。スライド枠には「国崎 47.8.17」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.08.17 |
2228 | 国崎の海女B-10-7 | 軒先に干された黒のウエットスーツ。海女漁から戻るとウエットスーツは水で洗い乾燥させる。スライド枠には「国崎 47.8.17」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.08.17 |
2229 | 国崎の海女B-10-8 | 夕闇に包まれた国崎町の集落景観。夕涼みでもしているのだろうか、軒先の外灯の下には2人の子供の姿が見られる。スライド枠には「国崎 47.8.17」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.08.17 |
2230 | 国崎の海女B-10-9 | 舟人海女の操業風景である。海底の海女から合図があると、船上にいるトマエが、イソグルマに掛けたイキヅナ(イノチヅナ)を一気に手繰上げる。海面に顔を出した海女は磯笛と呼ばれる独特の呼吸法で息を継ぐ。右手には、地元の海女がオオザシと呼ぶ「ノミ」が握られ、船縁には海女が採ったアワビやサザエを入れるイソカゴが吊されている。スライド枠には「国崎 47.8.17」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.08.17 |
2231 | 国崎の海女B-11-1 | これから出漁するのか、操業を終えて帰港した所なのか、国崎の舟人海女である。漁港が十分に整備されていない時代、操業を終えた漁船はその都度陸に引き揚げられた。艫の近くには船の上げ下ろしに使用するコロ(丸太)が見える。スライド枠には「国崎の海女 48.7.31」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1973.07.31 |
2232 | 国崎の海女B-11-2 | アワビの出荷風景である。子供を背負い、採ってきた鮑を出荷する国崎町の海女。アワビは種類や大きさ、キズ等の点検が行われた後、計量され記録される。計量器の側面には「組合№2」の文字が見える。スライド枠には「48.7.31」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1973.07.31 |
2233 | 国崎の海女B-11-3 | これから出漁するのか、操業を終えて帰港した所なのか、国崎の舟人海女である。漁港が十分に整備されていない時代、操業を終えた漁船はその都度陸に引き揚げられた。艫の近くには船の上げ下ろしに使用するコロ(丸太)が見える。スライド枠には「48.7.31」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1973.07.31 |
2234 | 国崎の海女B-11-4 | 網を繕う漁師。海が荒れ出漁できない日などには、網の繕いや漁の準備が行われる。口に咥えているのはアバリと呼ばれる、網を繕うための道具である。アバリは竹を削って作られる物が多いが、網の種類によってその大きさも様々である。スライド枠には「48.7.31」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1973.07.31 |
2235 | 国崎の海女B-11-5 | アワビの出荷風景である。海女漁を終え、採ってきた鮑を出荷する国崎町の海女達。アワビは種類や大きさ、キズ等の点検が行われた後、計量され、記録されていく。また、スンポと呼ばれる木製の計測器で測り、基準に見たない小さなアワビは海に帰される。スライド枠には「48.7.31」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1973.07.31 |
2236 | 国崎の海女B-11-6 | 畑仕事にでも行くのか、手拭いを被り、肩に篭を掛けた婦人が堤防を歩いて行く。道路には、アラメかカジメが干されている。国崎町の生業は漁業が中心であるが、半農半漁の町である。海女達は、海女漁を終えた後や、休漁日には家事や子育てをしながら畑仕事にも精を出す。スライド枠には「48.7.31」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1973.07.31 |
2237 | 安乗(海女)C-1-1 | ニワの浜で、ビニールシートで日陰を作り、ホウサイエビ(クルマエビ)の網の補修をする漁師とその家族。妻も補修に加わることがあった。乳母車には孫らしき子どもが乗せられ、そばに居る女性に話しかけているようだ。テントの日陰では、作業だけでなく昼食をとるなど様々な過ごし方があった。写真の後方には、エビ網を干す十字状のハサが並んでいる。磯で使ったのだろうか、えんじ色のジャージも干されている。現在(2023年)は化学繊維の網に変わったため、ハサで干さずにカゴに入れているが、当時は昼過ぎに乾いた網を取り込み、たたんで収納小屋へ運んでいた。ハサは安乗の各浜にあった。(「岬に響く 安乗の暮らし写真展」報告書より)タイトルスライド枠には「安乗(海女) 栗原達男 C-1 47.8.24」と記され、スライド枠には「47.8.24」と記される。 | 志摩市阿児町安乗 | 1972.08.24 |
2238 | 安乗(海女)C-1-2 | スライド枠には「47.8.24」と記される。阿児町安乗の海であろう。 | 志摩市阿児町安乗 | 1972.08.24 |
2239 | 安乗(海女)C-1-3 | スライド枠には「47.8.24」と記される。安乗ノリアイ海女の磯場へと向かう出漁風景である。船頭の前には、白の磯手拭と磯着を身に付けた7人の海女達が乗り込んでいる。手元には発泡スチロール製のタンポや、地元でノミと呼ばれるカギノミが見て取れる。ここ安乗地区では、ウエットスーツの着用が禁止されている様である。(参考:『海女習俗基礎調査報告書-平成22.23年度調査』) | 志摩市阿児町安乗 | 1972.08.24 |
2240 | 安乗(海女)C-1-4 | スライド枠には「47.8.24」と記される。安乗ノリアイ海女の船上風景である。磯場近くに到着したのであろう、白の磯手拭と磯着を身に着けた海女達が操業開始の合図を待つ。ここ安乗地区では、ウエットスーツの着用が禁止されている様である。(参考:『海女習俗基礎調査報告書-平成22.23年度調査』) | 志摩市阿児町安乗 | 1972.08.24 |
2241 | 安乗(海女)C-1-5 | スライド枠には「47.8.24」と記される。安乗ノリアイ海女の操業風景である。磯場に着くと、海女達は海中に降り、操業を始める。その間、海女船は近くの海上で待機をし、一潜(操業)が終わると海女達を船上に揚げる。平成23年における安乗の一潜は、夏場1時間、冬場30分である。(参考:『海女習俗基礎調査報告書-平成22.23年度調査』) | 志摩市阿児町安乗 | 1972.08.24 |
2242 | 安乗(海女)C-1-6 | スライド枠には「47.8.24」と記される。安乗ノリアイ海女の操業風景である。海女船から降りた海女は、タンポに掴まり息を整え潜水に備える。右手に握られているのはノミ(カギノミ)である。 | 志摩市阿児町安乗 | 1972.08.24 |
2243 | 安乗(海女)C-1-7 | スライド枠には「47.8.24」と記される。安乗ノリアイ海女の操業風景である。潜水した瞬間である。海面には発砲スチロール製のタンポと海女の足が見えるが、足ヒレは付けられていない。一回の潜水時間は約30秒~50秒。若い海女なら一潜(操業)に60回程これを繰り返すと言う。主な採取物は、アワビ・サザエ・トコブシ・ウニなどである。(参考:『海女習俗基礎調査報告書-平成22.23年度調査』) | 志摩市阿児町安乗 | 1972.08.24 |
2244 | 安乗(海女)C-1-8 | スライド枠には「47.8.24」と記される。安乗ノリアイ海女の操業風景である。海面に上がると、磯笛と呼ばれる独特の呼吸法で息を整え、次の潜水に備えてタンポに掴まって体を休める。タンポは発泡スチロール製ではなく、木製の浮樽を使用しているようである。 | 志摩市阿児町安乗 | 1972.08.24 |
2245 | 安乗(海女)C-1-9 | スライド枠には「47.8.24」と記される。安乗ノリアイ海女の操業風景である。海面に上がると、磯笛と呼ばれる独特の呼吸法で息を整え、次の潜水に備えてタンポに掴まって体を休める。タンポは発泡スチロール製ではなく、木製の浮樽を使用しているようである。浮樽に取り付けられたスカリの網も見て取れる。 | 志摩市阿児町安乗 | 1972.08.24 |
2246 | 安乗(海女)C-1-10 | スライド枠には「47.8.24」と記される。安乗ノリアイ海女の操業風景である。潜水した瞬間である。海面には発砲スチロール製のタンポと海女の足が見えるが、足ヒレは付けられていない。平成23年における安乗の一潜は、夏場1時間、冬場30分である。(参考:『海女習俗基礎調査報告書-平成22.23年度調査』) | 志摩市阿児町安乗 | 1972.08.24 |
2247 | 安乗(海女)C-1-11 | スライド枠には「47.8.24」と記される。安乗ノリアイ海女の操業風景である。海面に顔を出した海女達は磯笛と呼ばれる独特の呼吸法で息を継ぐ。浮樽が二つ浮いている所を見るとすぐ側で操業するもう1人の海女はまだ海底のようである。 | 志摩市阿児町安乗 | 1972.08.24 |
2248 | 安乗(海女)C-1-12 | スライド枠には「47.8.24」と記される。安乗ノリアイ海女の操業風景である。海面に顔を出した海女達は磯笛と呼ばれる独特の呼吸法で息を継ぐ。海女達は浮樽に掴って体を休め、磯場を少しづつ移動しながら次の潜水に備える。 | 志摩市阿児町安乗 | 1972.08.24 |
2249 | 安乗(海女)C-1-13 | スライド枠には「47.8.24」と記される。安乗ノリアイ海女の操業風景である。海女達はタンポに掴って体を休めながら、磯場を少しづつ移動し次の潜水に備える。使っているのは木製の浮樽である。 | 志摩市阿児町安乗 | 1972.08.24 |
2250 | 安乗(海女)C-1-14 | スライド枠には「47.8.24」と記される。安乗ノリアイ海女の操業風景である。海女達はタンポに掴って体を休めながら、磯場を少しづつ移動し次の潜水に備える。使っているのは木製の浮樽である。 | 志摩市阿児町安乗 | 1972.08.24 |
2251 | 安乗(海女)C-1-15 | スライド枠には「47.8.24」と記される。安乗ノリアイ海女の操業風景である。海底へと潜る瞬間である。海面に浮樽と海女の足が見えるが、足ヒレは付けられておらず、素足のままである。一回の潜水時間は約30秒~50秒で、若い海女なら一操業に60回程これを繰り返すと言う。主な採取物は、アワビ・サザエ・トコブシ・ウニなどである。(参考:『海女習俗基礎調査報告書-平成22.23年度調査』) | 志摩市阿児町安乗 | 1972.08.24 |
2252 | 安乗(海女)C-1-16 | ノリアイ海女の操業風景である。上体を海面に出し、タンポ(磯樽)に掴まって休む海女。後ろの灯台は安乗埼灯台である。現在(2023年)ではこのような波の日は出漁しない。(「岬に響く 安乗の暮らし写真展」報告書より)スライド枠には「47.8.24」と記される。 | 志摩市阿児町安乗 | 1972.08.24 |
2253 | 安乗(海女)C-1-17 | ノリアイ海女のニワの浜での操業風景である。現在(2023年)はウエットスーツと足ヒレを着用するため、足ヒレなしでの潜水の瞬間をとらえた貴重な写真である。傍らには磯樽が浮いている。奥に写る岩場の周辺は、地元で「おしゃかさん」と呼ばれる。(「岬に響く 安乗の暮らし写真展」報告書より) スライド枠には「47.8.24」と記される。 | 志摩市阿児町安乗 | 1972.08.24 |
2254 | 安乗(海女)C-1-18 | スライド枠には「47.8.24」と記される。操業を終え、漁港へと戻ってきたところで有ろう。船縁から降りた二人は海士かと思われる。 | 志摩市阿児町安乗 | 1972.08.24 |
2255 | 安乗の海女C-2-1 | このスライドの前にはめ込まれるタイトルスライド枠には「安乗の海女 栗原達男 C-2 47.8.24」と記され、スライド枠には「47.8.24」と記される。安乗海女の操業風景で、潜水した瞬間である。海面には木製の浮樽と海女の足が見えるが、足ヒレは付けられていない。一回の潜水時間は約30秒~50秒で、若い海女なら一潜(操業)に60回程これを繰り返すと言う。主な採取物は、アワビ・サザエ・トコブシ・ウニなどである。(参考:『海女習俗基礎調査報告書-平成22.23年度調査』) | 志摩市阿児町安乗 | 1972.08.24 |
2256 | 安乗の海女C-2-2 | スライド枠には「47.8.24」と記される。安乗海女の操業風景である。海面に上がった海女は、タンポに掴まって体を休め、少しずつ磯場を移動しながら次の潜水に備える。 | 志摩市阿児町安乗 | 1972.08.24 |
2257 | 安乗の海女C-2-3 | スライド枠には「安乗 47.8.24」と記される。安乗海女の操業風景である。海面に上がった海女は、タンポに掴まって体を休め、少しずつ磯場を移動しながら次の潜水に備える。手にはノミ(カギノミ)が握られている。 | 志摩市阿児町安乗 | 1972.08.24 |
2258 | 安乗の海女C-2-4 | スライド枠には「47.8.24」と記される。安乗海女の操業風景である。海面に上がった海女は、タンポに掴まって体を休め、少しずつ磯場を移動しながら次の潜水に備える。後ろの灯台は安乗崎灯台かと思われる。 | 志摩市阿児町安乗 | 1972.08.24 |
2259 | 安乗の海女C-2-5 | スライド枠には「47.8.24」と記される。安乗海女の操業風景である。海面に上がった海女は、タンポに掴まって体を休め、少しずつ磯場を移動しながら次の潜水に備える。 | 志摩市阿児町安乗 | 1972.08.24 |
2260 | 安乗の海女C-2-6 | スライド枠には「安乗 47.8.24」と記される。安乗海女の操業風景である。海面に上がった海女は、タンポに掴まって体を休め、少しずつ磯場を移動しながら次の潜水に備える。 | 志摩市阿児町安乗 | 1972.08.24 |
2261 | 安乗の海女C-2-7 | スライド枠には「47.8.24」と記される。安乗海女の操業風景で、潜水した瞬間である。海面には海女の足が見えるが、足ヒレは付けられていない。一回の潜水時間は約30秒~50秒で、若い海女なら一操業に60回程これを繰り返すと言う。主な採取物は、アワビ・サザエ・トコブシ・ウニなどである。(参考:『海女習俗基礎調査報告書-平成22.23年度調査』) | 志摩市阿児町安乗 | 1972.08.24 |
2262 | 安乗の海女C-2-8 | スライド枠には「47.8.24」と記される。安乗海女の操業風景である。海面に上がった海女は、タンポに掴まって体を休め、少しずつ磯場を移動しながら次の潜水に備える。写真上部には、堤防と安乗の集落が写る。 | 志摩市阿児町安乗 | 1972.08.24 |
2263 | 安乗の海女C-2-9 | スライド枠には「安乗 47.8.24」と記される。安乗海女の操業風景である。海面に上がった海女は、タンポに掴まって体を休め、少しずつ磯場を移動しながら次の潜水に備える。写真上部には、堤防と安乗の集落が写る。 | 志摩市阿児町安乗 | 1972.08.24 |
2264 | 安乗の海女C-2-10 | スライド枠には「安乗 47.8.24」と記される。安乗舟人海女の船上風景である。船上に座る海女の紺の着衣や軍手が濡れている所を見ると、一潜目を終え戻ったところで有ろうか。傍らには、浮樽やスカリが置かれている。帰港のためにエンジンを回転数を上げたのだろう、艫で舵を握るトマエの横に黒い煙が上がる。 | 志摩市阿児町安乗 | 1972.08.24 |
2265 | 安乗の海女C-2-11 | スライド枠には「47.8.24」と記される。安乗海女の操業風景である。海面に上がった海女は、タンポに掴まって体を休め、少しずつ磯場を移動しながら次の潜水に備える。タンポは木製の浮樽を使用している様である。 | 志摩市阿児町安乗 | 1972.08.24 |
2266 | 安乗の海女C-2-12 | スライド枠には「安乗 47.8.24」と記される。安乗海女の操業風景である。海面に上がった海女は、タンポに掴まって体を休め、少しずつ磯場を移動しながら次の潜水に備える。右手にはノミ(カギノミ)が握られている。写真上部には、消波ブロックと堤防、その向こう側に山並みが見える | 志摩市阿児町安乗 | 1972.08.24 |
2267 | 安乗の海女C-3-1 | このスライドの前にはめ込まれた紙製のタイトルスライドには「安乗の海女 C-3 47.8.24」と記され、スライド枠には「47.8.24」と記される。海女小屋で暖をとる海女達。安乗地区では海女小屋のことを「カマド」と呼ぶ。出漁する前にはここで薪を焚き躰を温める。漁の様子や家族、村の出来事など世間話に花を咲かせ、小腹を満たすための食事をとる等、海女達の憩いの場でもある。この海女小屋は、周囲も屋根も全て波トタンを使用しているようである。 | 志摩市阿児町安乗 | 1972.08.24 |
2268 | 安乗の海女C-3-2 | スライド枠には「47.8.24」と記される。海女小屋で暖をとる海女達。安乗地区では海女小屋のことを「カマド」と呼ぶ。出漁する前にはここで薪を焚き躰を温める。漁の様子や家族、村の出来事など世間話に花を咲かせ、小腹を満たすための食事をとる等、海女達の憩いの場でもある。 | 志摩市阿児町安乗 | 1972.08.24 |
2269 | 安乗の海女C-3-3 | スライド枠には「47.8.24」と記される。海女小屋で暖をとる海女達。安乗地区では海女小屋のことを「カマド」と呼ぶ。出漁する前にはここで薪を焚き躰を温める。漁の様子や家族、村の出来事など世間話に花を咲かせ、小腹を満たすための食事をとる等、海女達の憩いの場でもある。子供か孫だろうか、女児の姿も見て取れる。 | 志摩市阿児町安乗 | 1972.08.24 |
2270 | 安乗の海女C-3-4 | スライド枠には「47.8.24」と記される。海女小屋で暖をとる海女達。安乗地区では海女小屋のことを「カマド」と呼ぶ。出漁する前にはここで薪を焚き躰を温める。漁の様子や家族、村の出来事など世間話に花を咲かせ、小腹を満たすための食事をとる等、海女達の憩いの場でもある。子供か孫だろうか、女児の姿も見て取れる。 | 志摩市阿児町安乗 | 1972.08.24 |
2271 | 安乗の海女C-3-5 | スライド枠には「47.8.24」と記される。堤防から沖を眺める海女。浜のすぐ前にはノリアイの海女船らしき漁船が待機をしている。 | 志摩市阿児町安乗 | 1972.08.24 |
2272 | 安乗の海女C-3-6 | 堤防に座り、ニワの浜を見下ろす海女。上衣は白い襦袢のようで、袖口にレース加工が見える。鳥羽志摩地域では白い木綿の磯着が一般的ではあったが、この写真のような服装やジャージなど身近な衣服を着用して潜ることも少なくなかった。長髪の海女もしばしば見られ、漁のときは手ぬぐいやタオルをしっかり巻き、潜水中に髪が邪魔にならないようにしていた。浜のすぐ前にはノリアイの海女船らしき漁船が待機をしており、うち 1 隻は日よけのテントを張っているのが見える。(「岬に響く 安乗の暮らし写真展」報告書より)スライド枠には「47.8.24」と記される。 | 志摩市阿児町安乗 | 1972.08.24 |
2273 | 安乗の海女C-3-7 | スライド枠には「47.8.24」と記される。浜辺での海藻干し。アラメ、カジメ、ヒジキ、テングサか、種類は定かでないが、海女と思われる婦人達が浜辺の砂利の上で海草の天日干しをしている。 | 志摩市阿児町安乗 | 1972.08.24 |
2274 | 安乗の海女C-3-8 | ニワの浜で海藻を干す様子が写されている。海藻はテングサと思われる。当時はテングサがよく採れた。写真左側に上衣を脱いだ女性が、スカリからテングサを出して浜に広げており、その後方にはテングサとスカリ、潜水時に使った衣服も並べて干しているのが見える。また、写真右側には、テングサや漁具などを干したかたわらで休息をとる海女らしき女性たちが写っている。海藻漁のときのみ出漁する人たちもいて、海女小屋をもたない場合はこのように浜で休息をとったそうだ。当時のニワの浜は広かったが、現在(2023年)は随分狭くなっている。(「岬に響く 安乗の暮らし写真展」報告書より)スライド枠には「47.8.24」と記される。 | 志摩市阿児町安乗 | 1972.08.24 |
2275 | 安乗の海女C-3-9 | スライド枠には「47.8.24」と記される。浜辺での海藻干し。アラメやカジメ、ヒジキ、テングサなのか、種類は定かでないが婦人が浜辺の砂利の上で海草の天日干しをしている。写真右上には、イナイボウやイソカゴを傍らに置き、手拭いを被って座る海女らしき女性数人も見て取れる。 | 志摩市阿児町安乗 | 1972.08.24 |
2276 | 安乗の海女C-3-10 | スライド枠には「47.8.24」と記される。浜辺での海藻干し。アラメやカジメ、ヒジキ、テングサなのか、種類は定かでないが婦人が浜辺の砂利の上で海草の天日干しをしている。写真右上には、イナイボウやイソカゴを傍らに置き、手拭いを被って座る海女らしき女性数人も見て取れる。 | 志摩市阿児町安乗 | 1972.08.24 |
2277 | 安乗の海女C-3-11 | スライド枠には「47.8.24」と記される。海女小屋を出てノリアイ船へと向かうのだろう。磯タヌグイを被り、手にスカリを持った海女達が、堤防の階段を降り、消波ブロックの間を通って海辺へと向かう。 | 志摩市阿児町安乗 | 1972.08.24 |
2278 | 安乗の海女C-3-12 | スライド枠には「47.8.24」と記される。海女小屋を出て海女船へと向かうのだろう。磯タヌグイを被り、手にスカリを持った安乗のノリアイ海女達が、堤防の階段を降り、消波ブロックの間を通って海辺へと向かう。 | 志摩市阿児町安乗 | 1972.08.24 |
2279 | 安乗の海女C-3-13 | 海女小屋から海女船へと向かうのだろう。磯テヌグイを被り、手にスカリを持った安乗のノリアイ海女達が、堤防の階段を降り、消波ブロックの間を通って海辺へと向かう。 ウエットスーツに見えるが、彼女たちが着用しているのはジャージである。孫や親戚の子などから中学校のジャージのお古をもらっていた。写真上部の波打ち際には子どもが立っている。当時の子どもたちは危険だと大人から怒られつつも消波ブロックで遊んでいた。(「岬に響く 安乗の暮らし写真展」報告書より)スライド枠には「47.8.24」と記される。 | 志摩市阿児町安乗 | 1972.08.24 |
2280 | 安乗の海女C-3-14 | スライド枠には「47.8.24」と記される。消波ブロックの先に待機していた海女船に乗り込む安乗のノリアイ海女達。磯着を着た9人の海女が見て取れる。ノリアイ船には、船上の海女達を風から守るためか、左右の船縁には風除けの板が取り付けられている。 | 志摩市阿児町安乗 | 1972.08.24 |
2281 | 安乗の海女C-3-15 | エビ網のハサやその周辺にある石の上に、出漁で着た衣服を干す様子。夏は強い日差しで石が高温になり、衣服が乾きやすかったと思われる。シャツやジャージ、手ぬぐい、磯ナカネなどがほぼ等間隔に並べられている。カラー撮影のため、衣服が黒や紺、青、赤、ピンク、白など色とりどりに写っている。ハサには波状の溝がある。この溝は網のズレ防止のためのものである。(「岬に響く 安乗の暮らし写真展」報告書より)スライド枠には「47.8.24」と記される。 | 志摩市阿児町安乗 | 1972.08.24 |
2282 | 安乗の海女C-3-16 | スライド枠には「47.8.24」と記される。安乗の海女小屋の風景である。わずかに開いた扉の向こう側に、漁を終えた後の暖をとる海女の姿が見える。躰を温め、着替えた後、帰宅するのであろう。カマドの回りには莚が敷かれているようである | 志摩市阿児町安乗 | 1972.08.24 |
2283 | 安乗の海女C-3-17 | スライド枠には「47.8.24」と記される。安乗の海女小屋の風景である。わずかに開いた扉の向こう側に、漁を終えた後の暖をとる海女の姿が見える。躰を温め、着替えた後、帰宅するのであろう。カマドの回りには莚が敷かれているようである | 志摩市阿児町安乗 | 1972.08.24 |
2284 | 安乗の海女C-3-18 | スライド枠には「47.8.24」と記される。トタン葺きの安乗の海女小屋である。小屋の外には、磯着のズボンや上着、磯手拭が竿に干されている。安乗地区ではウエットスーツの着用が禁止されていることから、磯着の色も様々である。水洗いをしているのか、干された磯着の陰に2~3人の婦人の姿が見て取れる。 | 志摩市阿児町安乗 | 1972.08.24 |
2285 | 安乗の海女C-3-19 | スライド枠には「47.8.24」と記される。トタン葺きの安乗の海女小屋である。小屋の外には、磯着のズボンや上着、磯手拭が竿に干されている。安乗地区ではウエットスーツの着用が禁止されていることから、磯着の色も様々である。水洗いをしているのか、干された磯着の陰に2~3人の婦人の姿が見て取れる。 | 志摩市阿児町安乗 | 1972.08.24 |
2286 | 安乗(海女)C-4-1 | このスライドの前にはめ込まれるタイトルスライド枠には「安乗(海女) 栗原達男 C-4 47.8.24」と記され、スライド枠には「47.8.24」と記される。志摩町安乗の堤防風景である。かつては海女だったかも知れない老婆が、海岸堤防の道路を日傘を差して乳母車を押す。履物は藁草履である。 | 志摩市阿児町安乗 | 1972.08.24 |
2287 | 安乗(海女)C-4-2 | スライド枠には「47.8.24」と記される。海女小屋で暖をとる海女達。磯手拭を被り、磯着に着替えている所を見ると出漁する前であろう。海女達はここで薪を焚いて躰を温め、出漁の身繕いをする。漁の様子や家族、村の出来事など世間話に花を咲かせ、小腹を満たすための食事をとる等、海女達の憩いの場でもある。 | 志摩市阿児町安乗 | 1972.08.24 |
2288 | 安乗(海女)C-4-3 | スライド枠には「47.8.24」と記される。海女小屋で暖をとる海女達。磯手拭を被り、磯着に着替えている所を見ると出漁する前であろう。海女達はここで薪を焚いて躰を温め、出漁の身繕いをする。漁の様子や家族、村の出来事など世間話に花を咲かせ、小腹を満たすための食事をとる等、海女達の憩いの場でもある。 | 志摩市阿児町安乗 | 1972.08.24 |
2289 | 安乗(海女)C-4-4 | スライド枠には「47.8.24」と記される。海女小屋で暖をとる海女達。磯手拭を被り、磯着に着替えている所を見ると出漁する前であろう。海女達はここで薪を焚いて躰を温め、出漁の身繕いをする。海女達に混じって、子供の姿も見えるが、子供達はこうした海女達の姿や会話を見聞きする事で、自然と海女としての資質を身につけていくのかも知れない。 | 志摩市阿児町安乗 | 1972.08.24 |
2290 | 安乗(海女)C-4-5 | スライド枠には「47.8.24」と記される。海女小屋で暖をとる海女達。磯手拭を被り、磯着に着替えている所を見ると出漁する前であろう。海女達はここで薪を焚いて躰を温め、出漁の身繕いをする。海女達に混じって、子供の姿も見えるが、子供達はこうした海女達の姿や会話を見聞きする事で、自然と海女としての資質を身につけていくのかも知れない。 | 志摩市阿児町安乗 | 1972.08.24 |
2291 | 安乗(海女)C-4-6 | スライド枠には「47.8.24」と記される。海女小屋で暖をとる海女達。磯手拭を被り、磯着に着替えている所を見ると出漁する前であろう。海女達はここで薪を焚いて躰を温め、出漁の身繕いをする。漁の様子や家族、村の出来事など世間話に花を咲かせ、小腹を満たすための食事をとる等、海女達の憩いの場でもある。 | 志摩市阿児町安乗 | 1972.08.24 |
2292 | 安乗(海女)C-4-7 | スライド枠には「47.8.24」と記される。海女小屋で暖をとる海女達。磯手拭を被り、磯着に着替えている所を見ると出漁する前であろう。海女達はここで薪を焚いて躰を温め、小腹を満たし、出漁の身繕いをする。海女達に混じって、子供の姿も見えるが、子供達はこうした海女達の姿や会話を見聞きする事で、自然と海女としての資質を身につけていくのかも知れない。 | 志摩市阿児町安乗 | 1972.08.24 |
2293 | 安乗(海女)C-4-8 | スライド枠には「47.8.24」と記される。磯場へと向かうノリアイ海女の船上風景である。ここ安乗地区では、ウエットスーツの着用が禁止されているため、海女達は磯手拭のボウシと磯着姿である。艫の船頭が見つめる先には、絶好の磯場と思える海面から顔を出し岩礁帯が広がる。(参考:『海女習俗基礎調査報告書-平成22.23年度調査』) | 志摩市阿児町安乗 | 1972.08.24 |
2294 | 安乗(海女)C-4-9 | 漁場へと向かうノリアイ海女の船上風景である。当時、安乗地区ではウエットスーツの着用が禁止されていた。黒っぽい着衣はジャージで、他にも白シャツや股引などの衣服をまとっている。船上で寒さを感じる場合は、木綿の「テッポウソデ」や「うわっぱり」と呼ばれる膝まである上着を羽織っていた。頭部の手ぬぐいは、水中で外れないようしっかりと巻かれている。安乗では磯桶ではなく、磯樽につけたスカリに獲物を入れていた。磯樽につないだ白い綱は、海女の腰で何重にも巻かれている。(「岬に響く 安乗の暮らし写真展」報告書より)スライド枠には「47.8.24」と記される。 | 志摩市阿児町安乗 | 1972.08.24 |
2295 | 安乗(海女)C-4-10 | スライド枠には「47.8.24」と記される。漁場へと向かうノリアイ海女の船上風景である。ここ安乗地区では、ウエットスーツの着用が禁止されているため、海女達は磯手拭のボウシと磯着姿である。 | 志摩市阿児町安乗 | 1972.08.24 |
2296 | 安乗(海女)C-4-11 | スライド枠には「47.8.24」と記される。漁場へと向かうノリアイ海女の船上風景である。安乗地区では頭を磯手拭で包む事をボウシと呼んでいるが、その手拭の中心を魔除けと称して黒糸で縫い目を作る。写真の海女の手拭にもその黒糸の縫い目が見られる | 志摩市阿児町安乗 | 1972.08.24 |
2297 | 安乗(海女)C-4-12 | スライド枠には「47.8.24」と記される。漁場へと向かうノリアイ海女の船上風景である。ここ安乗地区では、ウエットスーツの着用が禁止されているため、海女達は磯手拭のボウシと磯着姿である。写真上部中央に写る白い建造物は安乗崎灯台かと思われる。 | 志摩市阿児町安乗 | 1972.08.24 |
2298 | 安乗(海女)C-4-13 | 漁場へと向かうノリアイ海女の船上風景である。当時、安乗地区ではウエットスーツの着用が禁止されていた。黒っぽい着衣はジャージで、他にも白シャツや股引などの衣服をまとっている。頭部の手ぬぐいは、水中で外れないようしっかりと巻かれている。足元には磯樽や磯メガネ、スカリなどが置かれている。安乗では磯桶ではなく、磯樽につけたスカリに獲物を入れていた。磯樽につないだ白い綱は、海女の腰で何重にも巻かれている。安乗では磯桶ではなく、磯樽につけたスカリに獲物を入れていた。磯樽につないだ白い綱は、海女の腰で何重にも巻かれている。(「岬に響く 安乗の暮らし写真展」報告書より)スライド枠には「47.8.24」と記される。 | 志摩市阿児町安乗 | 1972.08.24 |
2299 | 安乗(海女)C-4-14 | スライド枠には「47.8.24」と記される。ノリアイ海女の操業風景である。船上から身を投じた瞬間であろうか、海面には浮樽と、浮樽と海女をつなぐロープと大きな水飛沫が写る。 | 志摩市阿児町安乗 | 1972.08.24 |
2300 | 安乗(海女)C-4-15 | スライド枠には「47.8.24」と記される。ノリアイ海女の操業風景である。浮樽に掴まって目当ての磯場へと移動する。足ヒレは無く素足である。 | 志摩市阿児町安乗 | 1972.08.24 |
2301 | 安乗(海女)C-4-16 | ノリアイ海女の操業風景である。海底へと潜水したところであろう、海面には海女の素足が見て取れる。一回の潜水時間は約30秒~50秒で、若い海女なら一操業に60回程これを繰り返すと言う。主な採取物は、アワビ・サザエ・トコブシ・ウニなどである。(参考:『海女習俗基礎調査報告書-平成22.23年度調査』) | 志摩市阿児町安乗 | 1972.08.24 |
2302 | 安乗(海女)C-4-17 | スライド枠には「安乗 47.8.24」と記される。磯場へと向かうノリアイ海女の船上風景である。安乗地区では頭を磯手拭で包む事をボウシと呼んでいるが、そのテヌグイの中心を魔除けと称して黒糸で縫い目を作る。写真の海女のテヌグイにもその黒糸の縫い目が見られる。(参考:『海女習俗基礎調査報告書-平成22.23年度調査』) | 志摩市阿児町安乗 | 1972.08.24 |
2303 | 安乗(海女)C-4-18 | スライド枠には「47.8.24」と記される。海女小屋を出てノリアイ船へと向かう海女達。海女小屋で暖を採り、磯着へと着替えた後、堤防の階段から浜辺へ降り、消波ブロックの間を通ってノリアイ船へと向かう。 | 志摩市阿児町安乗 | 1972.08.24 |
2304 | 安乗(海女)C-4-19 | スライド枠には「47.8.24」と記される。ノリアイ海女の船上風景である。操業を終え、船上に戻った海女達。ノリアイ船には、船上の海女達を風から守るためか、左右の船縁には1メートル程の高さの板が取り付けられている。その陰で、濡れた磯着を脱ぎ、採った漁獲物をスカリからアワビカゴに移し、帰港の準備をはじめる。 | 志摩市阿児町安乗 | 1972.08.24 |
2305 | 安乗・海女C-5-1 | このスライドの前にはめ込まれるタイトルスライド枠には「安乗・海女 栗原達男 C-5 47.8.24」と記され、スライド枠には「47.8.24」と記される。ノリアイ海女の船上風景である。操業を終え、船上に戻った海女達。ノリアイ船には、船上の海女達を風から守るためか、左右の船縁に1メートル程の高さの板が取り付けられている。その陰で、濡れた磯着を脱ぎ、採った漁獲物をスカリからアワビカゴに移し、帰港の準備をはじめる。 | 志摩市阿児町安乗 | 1972.08.24 |
2306 | 安乗・海女C-5-2 | スライド枠には「47.8.24」と記される。ノリアイ海女の船上風景である。操業を終え、船上に戻った海女達。ノリアイ船には、船上の海女達を風から守るためか、左右の船縁には1メートル程の高さの板が取り付けられている。その陰で、濡れた磯着を脱ぎ、獲った漁獲物をスカリから取り出しアワビカゴへと移し、帰港の準備を始める。 | 志摩市阿児町安乗 | 1972.08.24 |
2307 | 安乗・海女C-5-3 | スライド枠には「47.8.24」と記される。ノリアイ海女の船上風景である。操業を終え、船上に戻った海女達。ノリアイ船には、船上の海女達を風から守るためか、左右の船縁には1メートル程の高さの板が取り付けられている。その陰で、濡れた磯着を脱ぎ、採った漁獲物をスカリからアワビカゴに移し、帰港の準備をはじめる。 | 志摩市阿児町安乗 | 1972.08.24 |
2308 | 安乗・海女C-5-4 | スライド枠には「47.8.24」と記される。ノリアイ海女の船上風景である。操業を終え、船上に戻った海女達。ノリアイ船には、船上の海女達を風から守るためか、左右の船縁には1メートル程の高さの板が取り付けられている。その陰で、濡れた磯着を脱ぎ、採った漁獲物をスカリからアワビカゴに移し、帰港の準備をはじめる。 | 志摩市阿児町安乗 | 1972.08.24 |
2309 | 安乗・海女C-5-5 | スライド枠には「47.8.24」と記される。ノリアイ海女の船上風景である。操業を終え、船上に戻った海女達。ノリアイ船には、船上の海女達を風から守るためか、左右の船縁には1メートル程の高さの板が取り付けられている。その陰で、濡れた磯着を脱ぎ、採った漁獲物をスカリからアワビカゴに移し、帰港の準備をはじめる。 | 志摩市阿児町安乗 | 1972.08.24 |
2310 | 安乗・海女C-5-6 | スライド枠には「47.8.24」と記される。ノリアイ海女の船上風景である。操業を終え、船上に戻った海女達。ノリアイ船には、船上の海女達を風から守るためか、左右の船縁には1メートル程の高さの板が取り付けられている。その陰で、濡れた磯着を脱ぎ、採った漁獲物をスカリからアワビカゴに移し、帰港の準備をはじめる。 | 志摩市阿児町安乗 | 1972.08.24 |
2311 | 安乗・海女C-5-7 | スライド枠には「47.8.24」と記される。ノリアイ海女の船上風景である。操業を終え、船上に戻った海女達。ノリアイ船には、船上の海女達を風から守るためか、左右の船縁には1メートル程の高さの板が取り付けられている。その陰で、濡れた磯着を脱ぎ、採った漁獲物をスカリからアワビカゴに移し、帰港の準備をはじめる。 | 志摩市阿児町安乗 | 1972.08.24 |
2312 | 安乗・海女C-5-8 | スライド枠には「47.8.24」と記される。操業を終え、帰港したノリアイ海女達。海女船からスカリを持って海女小屋へと向かう。 | 志摩市阿児町安乗 | 1972.08.24 |
2313 | 安乗・海女C-5-9 | スライド枠には「47.8.24」と記される。ノリアイ海女の海女小屋風景である。海女達は操業を終えると海女小屋で着替えをし、暖を取る。濡れた磯着は海女小屋の前で干される。写真中央に三軒の海女小屋らしき小屋が写されているが、何れもトタン造りである。 | 志摩市阿児町安乗 | 1972.08.24 |
2314 | 安乗・海女C-5-10 | スライド枠には「47.8.24」と記される。ノリアイ海女の海女小屋風景である。海女達は操業を終えると海女小屋で着替えをし、暖を取る。濡れた磯着や磯手拭は海女小屋の前で砂利の上に並べて干される。 | 志摩市阿児町安乗 | 1972.08.24 |
2315 | 安乗・海女C-5-11 | スライド枠には「47.8.24」と記される。ノリアイ海女の海女小屋風景である。海女達は操業を終えると海女小屋で着替えをし、暖を取る。濡れた磯着や磯手拭は海女小屋の前で砂利の上に並べて干される。 | 志摩市阿児町安乗 | 1972.08.24 |
2316 | 安乗・海女C-5-12 | スライド枠には「47.8.24」と記される。ノリアイ海女の海女小屋風景である。海女達は操業を終えると海女小屋で着替えをし、暖を取る。濡れた磯着は海女小屋の前の砂利の上に並べて干される。ウエットスーツの着用は禁止されているが、磯着には特段の決まりはないのか木綿やナイロン系と思われる様々な磯着が見受けられる。 | 志摩市阿児町安乗 | 1972.08.24 |
2317 | 安乗・海女C-5-13 | スライド枠には「47.8.24」と記される。ノリアイ海女の海女小屋風景である。海女達は操業を終えると海女小屋で着替えをし、暖を取る。濡れた磯着は海女小屋の前の砂利の上に並べて干される。ウエットスーツの着用は禁止されているが、磯着には特段の決まりはないのか木綿やナイロン系と思われる様々な磯着が見受けられる。 | 志摩市阿児町安乗 | 1972.08.24 |
2318 | 安乗・海女C-5-14 | スライド枠には「47.8.24」と記される。ノリアイ海女の海女小屋風景である。海女達は操業を終えると海女小屋で着替えをし、暖を取る。濡れた磯着は海女小屋の前の砂利の上に並べて干される。ウエットスーツの着用は禁止されているが、磯着には特段の決まりはないのか木綿やナイロン系と思われる様々な磯着が見受けられる。 | 志摩市阿児町安乗 | 1972.08.24 |
2319 | 安乗・海女C-5-15 | スライド枠には「47.8.24」と記される。ノリアイ海女の海女小屋風景である。海女達は操業を終えると海女小屋で着替えをし、暖を取る。濡れた磯着は海女小屋の前の砂利の上に並べて干される。ウエットスーツの着用は禁止されているが、磯着には特段の決まりはないのか木綿やナイロン系と思われる様々な磯着が見受けられる。 | 志摩市阿児町安乗 | 1972.08.24 |
2320 | 安乗・海女C-5-16 | スライド枠には「47.8.24」と記される。ノリアイ海女の海女小屋風景である。海女達は操業を終えると海女小屋で着替えをし、暖を取る。濡れた磯着は海女小屋の前の砂利の上に並べて干される。ウエットスーツの着用は禁止されているが、磯着には特段の決まりはないのか木綿やナイロン系と思われる様々な磯着が見受けられる。 | 志摩市阿児町安乗 | 1972.08.24 |
2321 | 安乗・海女C-5-17 | スライド枠には「47.8.24」と記される。ノリアイ海女の海女小屋風景である。海女達は操業を終えると海女小屋で着替えをし、暖を取る。濡れた磯着は海女小屋の前の砂利の上に並べて干される。ウエットスーツの着用は禁止されているが、磯着には特段の決まりはないのか木綿やナイロン系と思われる様々な磯着が見受けられる。 | 志摩市阿児町安乗 | 1972.08.24 |
2322 | 安乗の海女C-6-1 | 漁場へと向かうノリアイ海女の船上風景である。当時、安乗地区ではウエットスーツの着用が禁止されていた。黒っぽい着衣はジャージで、他にも白シャツや股引などの衣服をまとっている。頭部の手ぬぐいは、水中で外れないようしっかりと巻かれている。磯樽につないだ白い綱は、海女の腰で何重にも巻かれている。外海に面する海域のためか、海女船には左右の船縁に1メートル程の高さの風除けが取付けられている。(「岬に響く 安乗の暮らし写真展」報告書より)タイトルスライド枠には「安乗の海女 栗原達男 C-6 S47.8.24」と記され、スライド枠には「47.8.24」と記される。 | 志摩市阿児町安乗 | 1972.08.24 |
2323 | 安乗の海女C-6-2 | スライド枠には「47.8.24」と記される。ノリアイ海女の船上風景である。まだ、磯着が濡れていないところを見ると磯場へと向かう途中であろうか。ここ安乗地区では、ウエットスーツの着用が禁止されているため、海女達は磯着に白テヌグイのボウシ姿である。また、外海に面する海域のためか、海女船には左右の船縁に1メートル程の高さの風除けが取付けられている。 | 志摩市阿児町安乗 | 1972.08.24 |
2324 | 安乗の海女C-6-3 | スライド枠には「47.8.24」と記される。ノリアイ海女の操業風景である。磯場に到着した海女達は海面に浮樽を投げ入れた後、ノリアイ船から海中へと身を投じる。海面には浮樽と、浮樽と海女をつなぐロープと水飛沫が写る。 | 志摩市阿児町安乗 | 1972.08.24 |
2325 | 安乗の海女C-6-4 | スライド枠には「47.8.24」と記される。ノリアイ海女の操業風景である。タンポに掴まって海底の磯場を確認しながら移動し、潜水する場所決めていく。 | 志摩市阿児町安乗 | 1972.08.24 |
2326 | 安乗の海女C-6-5 | スライド枠には「47.8.24」と記される。ノリアイ海女の船上風景である。操業を終えたのであろうか、船上に戻った海女達は、濡れた磯着を脱ぎ、採った漁獲物をスカリからアワビカゴに移し、帰港の準備をはじめる。 | 志摩市阿児町安乗 | 1972.08.24 |
2327 | 安乗の海女C-6-6 | スライド枠には「47.8.24」と記される。ノリアイ海女の操業風景である。操業を終えたのであろうか、船上に戻った海女達は、濡れた磯着を脱ぎ、採った漁獲物をスカリからアワビカゴに移し、帰港の準備をはじめる。 | 志摩市阿児町安乗 | 1972.08.24 |
2328 | 安乗の海女C-6-7 | スライド枠には「47.8.24」と記される。ノリアイ海女の操業風景である。操業を終えたのであろうか、船上に戻った海女達は、濡れた磯着を脱ぎ、採った漁獲物をスカリからアワビカゴに移し、帰港の準備をはじめる。 | 志摩市阿児町安乗 | 1972.08.24 |
2329 | 安乗の海女C-6-8 | スライド枠には「47.8.24」と記される。帰港したノリアイ海女。岸壁に係留された漁船や、民家の前に佇む子供の姿も見える。 | 志摩市阿児町安乗 | 1972.08.24 |
2330 | 安乗の海女C-6-9 | スライド枠には「47.8.24」と記される。帰港したノリアイ海女。岸壁に係留された漁船や、民家の前で刺網の準備をする漁師の姿も見える。 | 志摩市阿児町安乗 | 1972.08.24 |
2331 | 安乗の海女C-6-10 | スライド枠には「47.8.24」と記される。ノリアイ海女の海女小屋風景である。一潜が終わると海女達は海女小屋で暖をとる。海女達の前の新聞紙の上には焼かれたトコブシが置かれている。よく見ると火の傍の炭火の上には干物も焼かれているようである。整理されている写真の順序では、操業を終えた後という事になるが、海女達の磯着姿からは操業前の様にも思われる。 | 志摩市阿児町安乗 | 1972.08.24 |
2332 | 安乗の海女C-6-11 | スライド枠には「47.8.24」と記される。ノリアイ海女の出漁風景かと思われる。乾いた磯手拭や磯着から見ると、これから出漁するために海女達がノリアイ船に乗り込む風景であろう。 | 志摩市阿児町安乗 | 1972.08.24 |
2333 | 安乗の海女C-6-12 | トタン製の海女小屋の内部。同じノリアイ船を利用する海女たちが火を囲み、身体を温め暖をとる様子である。小屋の中央あたりに、石の上に簡易的な火場をつくり、その周囲にムシロを敷いて座っている。タンカー船関連の文字が書かれたタオルを頭に巻く海女もいる。火場には、フクダメ(トコブシ)の殻やサザエのフタ、タバコの吸い殻などが見える。前後に撮られた他の写真では、かたわらに白米を詰めた弁当箱が置かれていたり、貝類や干物、野菜を直火で焼いたりする姿もあった。(「岬に響く 安乗の暮らし写真展」報告書より)スライド枠には「47.8.24」と記される。 | 志摩市阿児町安乗 | 1972.08.24 |
2334 | 安乗の海女C-6-13 | スライド枠には「47.8.24」と記される。ノリアイ海女の海女小屋風景である。炭火の上でトコブシが焼かれている。海女小屋は周囲も屋根も波トタンが使用され、壁際にはスカリが掛けられている。焚火の周囲には莚が敷かれその上に海女達が座る。整理されている写真の順序では、操業を終えた後という事になるが、海女達の磯着姿からは操業前の様にも思われる。 | 志摩市阿児町安乗 | 1972.08.24 |
2335 | 安乗の海女C-6-14 | スライド枠には「47.8.24」と記される。ノリアイ海女の海女小屋風景である。炭火の上でトコブシが焼かれている。海女小屋は周囲も屋根も波トタンが使用され、壁際にはスカリが掛けられている。焚火の周囲には莚が敷かれその上に海女達が座る。整理されている写真の順序では、操業を終えた後という事になるが、海女達の磯着姿からは操業前の様にも思われる。 | 志摩市阿児町安乗 | 1972.08.24 |
2336 | 安乗の海女C-6-15 | スライド枠には「47.8.24」と記される。ノリアイ海女の海女小屋風景である。炭火の上でトコブシが焼かれている。海女小屋は周囲も屋根も波トタンが使用され、壁際にはスカリが掛けられている。焚火の周囲には莚が敷かれその上に海女達が座る。整理されている写真の順序では、操業を終えた後という事になるが、海女達の磯着姿からは操業前の様にも思われる。 | 志摩市阿児町安乗 | 1972.08.24 |
2337 | 安乗(海女)C-7-1 | このスライドの前にはめ込まれた紙製のタイトルスライドには「安乗(海女) C-7 S47.8.24」と記され、スライド枠には「安乗 47.8.24」と記される。ノリアイ海女の海女小屋風景である。出漁する前であろうか。海女達はここで薪を焚き躰を温め、出漁の身繕いをする。海女達に混じって、子供の姿も見えるが、子供達はこうした海女達の姿や会話を見聞きする事で、自然と海女としての資質を身につけていくのかも知れない。 | 志摩市阿児町安乗 | 1972.08.24 |
2338 | 安乗(海女)C-7-2 | スライド枠には「安乗 47.8.24」と記される。ノリアイ海女の海女小屋風景である。海女達はここで薪を焚き躰を温め、小腹を満たし、出漁の身繕いをする。炭火の回りではトコブシや甘藷らしき物が焼かれている。新聞紙の上に置かれているのは干物の様である。海女達に混じって、子供の姿も見えるが、子供達はこうした海女達の姿や会話を見聞きする事で、自然と海女としての資質を身につけていくのかも知れない。 | 志摩市阿児町安乗 | 1972.08.24 |
2339 | 安乗(海女)C-7-3 | トタン製の海女小屋の内部。同じノリアイ船を利用する海女たちが火を囲み身体を温め暖をとる様子である。小屋の中央あたりに、石の上に簡易的な火場をつくり、その周囲にムシロを敷いて座っている。壁にはスカリなどの漁具が掛けられているのが見える。タンカー船関連の文字が書かれたタオルを頭に巻く海女もいる。火場には、フクダメ(トコブシ)の殻やサザエのフタ、タバコの吸い殻などが見える。前後に撮られた他の写真では、かたわらに白米を詰めた弁当箱が置かれていたり、貝類や干物、野菜を直火で焼いたりする姿もあった。(「岬に響く 安乗の暮らし写真展」報告書より)スライド枠には「安乗47.8.24」と記される。 | 志摩市阿児町安乗 | 1972.08.24 |
2340 | 安乗(海女)C-7-4 | スライド枠には「安乗 47.8.24」と記される。海女小屋を出てノリアイ船へと向かう海女達。海女小屋で暖を採り、磯着へと着替えた後、海女の用具を入れたスカリを肩に堤防の階段から浜辺へ降り、消波ブロックの間を通ってノリアイ船へと向かう。 | 志摩市阿児町安乗 | 1972.08.24 |
2341 | 安乗(海女)C-7-5 | スライド枠には「安乗 47.8.24」と記される。消波ブロックの先に待機していたノリアイ船に乗り込む海女達。磯着を着た9人の海女が確認できる。また、外海に面する海域のためか、海女船には左右の船縁に1メートル程の高さの風除けが取付けられている。 | 志摩市阿児町安乗 | 1972.08.24 |
2342 | 安乗(海女)C-7-6 | ノリアイ海女の海中での操業風景である。服装は白い磯着に磯手拭を被った上から磯メガネをかけ、下半身は股引を着用している。素足の海女が海底へと向かう様子が写されている。足の周りのロープは、海上に浮かぶ浮樽と海女をつなぐ樽綱である。鳥羽志摩の漁村では 1960 年代以降順次ウエットスーツや足 ヒレが使われるようになったが、安乗は最も導入が遅かったといわれる。(「岬に響く 安乗の暮らし写真展」報告書より)スライド枠には「安乗 47.8.24」と記される。 | 志摩市阿児町安乗 | 1972.08.24 |
2343 | 安乗(海女)C-7-7 | スライド枠には「安乗 47.8.24」と記される。ノリアイ海女の海中操業風景である。海底の磯場に生える海藻の中へと入っていく。水中に漂うロープは、海上に浮かぶ浮樽と海女をつなぐ樽綱である。 | 志摩市阿児町安乗 | 1972.08.24 |
2344 | 安乗(海女)C-7-8 | スライド枠には「安乗 47.8.24」と記される。ノリアイ海女の船上風景である。操業を終えたのであろうか、船上に戻った海女達は、採った採取物をスカリからアワビカゴに移し、帰港の準備をはじめる。 | 志摩市阿児町安乗 | 1972.08.24 |
2345 | 安乗(海女)C-7-9 | スライド枠には「安乗 47.8.24」と記される。港へと戻ったノリアイ海女達。これから海女小屋へと向かうのであろう、スカリを手に、濡れた磯着を小脇に抱えている。獲ってきたのか右手にはタコも手にしている。 | 志摩市阿児町安乗 | 1972.08.24 |
2346 | 安乗(海女)C-7-10 | スライド枠には「安乗 47.8.24」と記される。ノリアイ海女の海女小屋風景である。海女達は操業を終えると海女小屋で着替えをし、暖を取る。濡れた磯着は海女小屋の前の砂利の上に並べて干される。ウエットスーツの着用は禁止されているが、磯着には特段の決まりはないのか木綿やナイロン系と思われる様々な磯着が見受けられる。 | 志摩市阿児町安乗 | 1972.08.24 |
2347 | 安乗(海女)C-7-11 | スライド枠には「安乗 47.8.24」と記される。ノリアイ海女の海女小屋風景である。海女達は操業を終えると海女小屋で着替えをし、暖を取る。濡れた磯着は海女小屋の前の砂利の上に並べて干される。ウエットスーツの着用は禁止されているが、磯着には特段の決まりはないのか木綿やナイロン系と思われる様々な磯着が見受けられる。 | 志摩市阿児町安乗 | 1972.08.24 |
2348 | 安乗(海女)C-7-12 | スライド枠には「安乗 47.8.24」と記される。安乗海女の操業風景である。海面に上がった海女は、浮樽に掴まって体を休め、少しずつ磯場を移動しながら次の潜水に備える。右手にはノミ(カギノミ)が握られている。写真上部には、消波ブロックと堤防、その向こう側に山並みが見える。 | 志摩市阿児町安乗 | 1972.08.24 |
2349 | 和具の海女D-1-1 | このスライドの前にはめ込まれたタイトルスライドには「和具の海女 アニメーションスタッフルーム 水中 D-1」と記され、スライド枠には「1 '90.4 海中操業シーン 志摩町和具」と記される。舟人海女の海中操業風景であろう。海底から海女船の船底を見上げる。写真右端に海女の命綱が見える。 | 志摩市志摩町和具 | 1990.04 |
2350 | 和具の海女D-1-2 | スライド枠には「2 '90.4 海中操業シーン 志摩町和具」と記される。舟人海女の海中操業風景である。白い磯着を身に着けた海女が、海底の岩場に生えるアラメやカジメをかき分け、鮑やサザエを探す。平成22年の調査では、和具の海女漁は3月中旬に口開けが行われ、9月の中旬まで操業が続けられる。操業は午前と午后に各1時間、二潜。ウエットスーツの着用も認められている。ただ、この時点で、命綱を付け夫婦で操業する舟人海女は見当たらないとの記述がされている。参考文献:三重県教育委員会編・発行『平成22・23年度調査 海女習俗基礎調査報告書』平成24年 | 志摩市志摩町和具 | 1990.04 |
2351 | 和具の海女D-1-3 | スライド枠には「3 '90.4 海中操業シーン 志摩町和具」と記される。舟人海女の海中操業風景である。白い磯着を身に着けた海女が、海底の岩場に生えるアラメやカジメをかき分け、鮑やサザエを探す。腰には命綱が付けられている。 | 志摩市志摩町和具 | 1990.04 |
2352 | 和具の海女D-1-4 | スライド枠には「4 '90.4 海中操業シーン 志摩町和具」と記される。船頭と海女が一組になって海女漁をする人達を「舟人海女」とか「夫婦海女」と呼んだりする。腰に命綱を付け、フンドと呼ばれる鉄や鉛の分銅を使って徒人海女より一段深い海域で操業をする。海底で息が限界に達すると海女は命綱を引っ張って船頭に合図を送り、船頭はその合図を待ってハイカラグルマと呼ぶ滑車に命綱を掛け一気に手繰り上げる。 | 志摩市志摩町和具 | 1990.04 |
2353 | 和具の海女D-1-5 | スライド枠には「5 '90.4 海中操業シーン 志摩町和具」と記される。船頭と海女が一組になって海女漁をする人達を「舟人海女」とか「夫婦海女」と呼んだりする。腰に命綱を付け、フンドと呼ばれる鉄や鉛の分銅を使って徒人海女より一段深い海域で操業をする。海底で息が限界に達すると海女は命綱を引っ張って船頭に合図を送り、船頭はその合図を待ってハイカラグルマと呼ぶ滑車に命綱を掛け一気に手繰り上げる。 | 志摩市志摩町和具 | 1990.04 |
2354 | 和具の海女D-1-6 | スライド枠には「6 '90.4 海中操業シーン 志摩町和具」と記される。海女の目線で見た海女船の船底と海面。右手にはカギノミが握られ、腰にはスカリが付けられている。海底から引き揚げられる海女の目には、間近に迫る海面がこのように見えるのであろう。 | 志摩市志摩町和具 | 1990.04 |
2355 | 和具の海女D-1-7 | スライド枠には「7 '90.4 海中操業シーン 志摩町和具」と記される。海女の目線で見た海女船の船底と海面。海底から引き揚げられる海女の目には、間近に迫る海面がこのように見えるのであろう。 | 志摩市志摩町和具 | 1990.04 |
2356 | 和具の海女D-1-8 | スライド枠には「8 '90.4 海中操業シーン 志摩町和具」と記される。分銅を右手に持って、一気に海底へと向かう海女。海底での操業時間を伸ばすために、海女達は余分な力を抜き少しでも早く海底の磯場に辿り着こうとする。 | 志摩市志摩町和具 | 1990.04 |
2357 | 和具の海女D-1-9 | スライド枠には「9 '90.4 海中操業シーン 志摩町和具」と記される。舟人海女の海中操業風景である。白い磯着を身に着けた海女が、海底の岩場に生えるアラメやカジメをかき分け、鮑やサザエを探す。腰には命綱が付けられている。磯手拭には、セーマンと呼ばれる魔除けの印が縫い込まれているが、一般的な☆印ではなく五芒星が用いられている。 | 志摩市志摩町和具 | 1990.04 |
2358 | 和具の海女D-1-10 | スライド枠には「10 '90.4 海中操業シーン 志摩町和具」と記される。舟人海女の海中操業風景である。白い磯着を身に着けた海女が、海底の岩場に生えるアラメやカジメをかき分け、鮑やサザエを探す。軍手をはめた右手にはカギノミが握られている。磯手拭には、セーマンと呼ばれる魔除けの印が縫い込まれているが、一般的な☆印ではなく五芒星が用いられている。 | 志摩市志摩町和具 | 1990.04 |
2359 | 和具の海女D-1-11 | スライド枠には「11 '90.4 海中操業シーン 志摩町和具」と記される。舟人海女の海中操業風景である。白い磯着を身に着けた海女が、海底の岩場に生えるアラメやカジメをかき分け、鮑やサザエを探す。軍手をはめた右手にはカギノミが握られている。磯手拭には、セーマンと呼ばれる魔除けの印が縫い込まれているが、一般的な☆印ではなく五芒星が用いられている。 | 志摩市志摩町和具 | 1990.04 |
2360 | 和具の海女D-1-12 | スライド枠には「12 '90.4 海中操業シーン 志摩町和具」と記される。舟人海女の海中操業風景である。白い磯着を身に着けた海女が、海底の岩場に生えるアラメやカジメをかき分け、鮑やサザエを探す。磯手拭には、セーマンと呼ばれる魔除けの印が縫い込まれているが、一般的な☆印ではなく五芒星が用いられている。 | 志摩市志摩町和具 | 1990.04 |
2361 | 和具の海女D-1-13 | スライド枠には「13 '90.4 海中操業シーン 志摩町和具」と記される。舟人海女の海中操業風景である。海底で息が限界に達すると海女は命綱を引っ張って船頭に合図を送る。船頭はその合図を待って、ハイカラグルマと呼ぶ滑車に命綱を掛け一気に手繰り上げる。 | 志摩市志摩町和具 | 1990.04 |
2362 | 和具の海女D-1-14 | スライド枠には「14 '90.4 海中操業シーン 志摩町和具」と記される。舟人海女の海中操業風景である。海底で息が限界に達すると海女は命綱を引っ張って船頭に合図を送る。船頭はその合図を待って、ハイカラグルマと呼ぶ滑車に命綱を掛け一気に手繰り上げる。 | 志摩市志摩町和具 | 1990.04 |
2363 | 和具の海女D-1-15 | スライド枠には「15 '90.4 海中操業シーン 志摩町和具」と記される。舟人海女の海中操業風景である。海女の目線で見た海女船の船底と海面。海底から引き揚げられる海女の目には、間近に迫る海面がこのように見えるのであろう。 | 志摩市志摩町和具 | 1990.04 |
2364 | 和具の海女D-1-16 | スライド枠には「16 '90.4 海中操業シーン 志摩町和具」と記される。舟人海女の海中操業風景である。海女の目線で見た海女船の船底と海面風景である。船底左舷艫側に海女影らしきものと、海女が海底に降りるためのフンドが見て取れる。 | 志摩市志摩町和具 | 1990.04 |
2365 | 和具の海女D-1-17 | スライド枠には「17 '90.4 海中操業シーン 志摩町和具」と記される。舟人海女の海中操業風景である。海面で息を整えた海女は、左手にカギノミ、右手に分銅を持って一気に海底へと向かう。海底での操業時間を伸ばすために、海女達は体力の消耗を減らし、少しでも早く海底の磯場に辿り着こうとする。 | 志摩市志摩町和具 | 1990.04 |
2366 | 和具の海女D-1-18 | スライド枠には「18 '90.4 海中操業シーン 志摩町和具」と記される。舟人海女の海中操業風景である。海面で息を整えた海女は、左手にカギノミ、右手に分銅を持って一気に海底へと向かう。海底での操業時間を伸ばすために、海女達は体力の消耗を減らし、少しでも早く海底の磯場に辿り着こうとする。 | 志摩市志摩町和具 | 1990.04 |
2367 | 和具の海女D-1-19 | スライド枠には「19 '90.4 海中操業シーン 志摩町和具」と記される。舟人海女の海中操業風景である。海底の磯場に着いた海女は、岩の割れ目や岩の裏側などを丹念に探っていく。主な採取物はアワビ、サザエ、トコブシ、ウニなどである。軍手をはめた右手にはカギノミが握られている。 | 志摩市志摩町和具 | 1990.04 |
2368 | 和具の海女D-2-1 | スライド枠には「20 '90.4 海中操業シーン 志摩町和具」と記される。舟人海女の海中操業風景である。海底の磯場に着いた海女は、岩の割れ目や岩の裏側などを丹念に探っていく。主な採取物はアワビ、サザエ、トコブシ、ウニ等である。右手にはカギノミが握られている。アワビを採るには「エノミ」や「コノミ」が良く用いられるが、このカギノミはアワビ以外にも岩場の奥に潜むサザエやウニ等を掻き出すのに重宝するのだと言う。腰には採った採取物を入れるスカリが結び付けられており、その横には海底に降りるときに用いる分銅も見て取れる。 | 志摩市志摩町和具 | 1990.04 |
2369 | 和具の海女D-2-2 | スライド枠には「21 '90.4 海中操業シーン 志摩町和具」と記される。舟人海女の海中操業風景である。海底の磯場に着いた海女は、岩の割れ目や岩の裏側などを丹念に探っていく。主な採取物はアワビ、サザエ、トコブシ、ウニ等である。右手にはカギノミが握られている。アワビを採るには「エノミ」や「コノミ」が良く用いられるが、このカギノミはアワビ以外にも岩場の奥に潜むサザエやウニ等を掻き出すのに重宝するのだと言う。腰には採った漁獲物を入れるスカリが結び付けられている。 | 志摩市志摩町和具 | 1990.04 |
2370 | 和具の海女D-2-3 | スライド枠には「22 '90.4 海中操業シーン 志摩町和具」と記される。舟人海女の海中操業風景である。海底の磯場に着いた海女は、岩の割れ目や岩の裏側などを丹念に探っていく。主な採取物はアワビ、サザエ、トコブシ、ウニ等である。右手にはカギノミが握られている。アワビを採るには「エノミ」や「コノミ」が良く用いられるが、このカギノミはアワビ以外にも岩場の奥に潜むサザエやウニ等を掻き出すのに重宝するのだと言う。腰には採った漁獲物を入れるスカリが結び付けられている。 | 志摩市志摩町和具 | 1990.04 |
2371 | 和具の海女D-2-4 | スライド枠には「23 '90.4 海中操業シーン 志摩町和具」と記される。舟人海女の海中操業風景である。海底の磯場に着いた海女は、岩の割れ目や岩の裏側などを丹念に探っていく。主な採取物はアワビ、サザエ、トコブシ、ウニ等である。腰には採った漁獲物を入れるスカリが結び付けられている。 | 志摩市志摩町和具 | 1990.04 |
2372 | 和具の海女D-2-5 | スライド枠には「24 '90.4 海中操業シーン 志摩町和具」と記される。舟人海女の海中操業風景である。海女の目線で見た海女船の船底と海面風景である。船底左舷艫側に海女影らしきものが見て取れる。 | 志摩市志摩町和具 | 1990.04 |
2373 | 和具の海女D-2-6 | スライド枠には「25 '90.4 海中操業シーン 志摩町和具」と記される。舟人海女の海中操業風景である。海面で息を整えた海女は、左手にカギノミ、右手に分銅を持って一気に海底へと向かう。海底での操業時間を伸ばすために、海女達は体力の消耗を減らし、少しでも早く海底の磯場に辿り着こうとする。 | 志摩市志摩町和具 | 1990.04 |
2374 | 和具の海女D-2-7 | スライド枠には「26 '90.4 海中操業シーン 志摩町和具」と記される。舟人海女の海中操業風景である。海面で息を整えた海女は、左手にカギノミ、右手に分銅を持って一気に海底へと向かう。海底での操業時間を伸ばすために、海女達は体力の消耗を減らし、少しでも早く海底の磯場に辿り着こうとする。写真を見る限り足ヒレは付けられていないようである。 | 志摩市志摩町和具 | 1990.04 |
2375 | 和具の海女D-2-8 | スライド枠には「27 '90.4 海中操業シーン 志摩町和具」と記される。舟人海女の海中操業風景である。海底の磯場に着いた海女は、岩の割れ目や岩の裏側などを丹念に探っていく。主な採取物はアワビ、サザエ、トコブシ、ウニ等である。腰には命綱と採った漁獲物を入れるスカリが結び付けられている。足下に写るロープの先にはは、海底に下りるときに用いる分銅が取付けられている。 | 志摩市志摩町和具 | 1990.04 |
2376 | 和具の海女D-2-9 | スライド枠には「28 '90.4 海中操業シーン 志摩町和具」と記される。舟人海女の海中操業風景である。海底の磯場に着いた海女は、岩の割れ目や岩の裏側などを丹念に探っていく。主な採取物はアワビ、サザエ、トコブシ、ウニ等である。腰には命綱と採った漁獲物を入れるスカリが結び付けられている。 | 志摩市志摩町和具 | 1990.04 |
2377 | 和具の海女D-2-10 | スライド枠には「29 '90.4 海中操業シーン 志摩町和具」と記される。舟人海女の海中操業風景である。海底の磯場に着いた海女は、岩の割れ目や岩の裏側などを丹念に探っていく。主な採取物はアワビ、サザエ、トコブシ、ウニ等である。体が流されないように左手で海藻を掴み、軍手をはめた右手にはカギノミが握られている。腰には命綱と採った漁獲物を入れるスカリが結び付けられている。 | 志摩市志摩町和具 | 1990.04 |
2378 | 和具の海女D-2-11 | スライド枠には「30 '90.4 海中操業シーン 志摩町和具」と記される。舟人海女の海中操業風景である。海底で息が限界に達すると海女は命綱を引っ張って船頭に合図を送る。船頭はその合図を待って、ハイカラグルマと呼ぶ滑車に命綱を掛け一気に手繰り上げる。右手にはカギノミと命綱が握られ、腰にはサザエらしき物が入れられたスカリが付けられている。 | 志摩市志摩町和具 | 1990.04 |
2379 | 和具の海女D-2-12 | スライド枠には「31 '90.4 海中操業シーン 志摩町和具」と記される。舟人海女の海中操業風景である。海底で息が限界に達すると海女は命綱を引っ張って船頭に合図を送る。船頭はその合図を待って、ハイカラグルマと呼ぶ滑車に命綱を掛け一気に手繰り上げる。腰にはサザエらしき物が入れられたスカリが付けられている。 | 志摩市志摩町和具 | 1990.04 |
2380 | 和具の海女D-2-13 | スライド枠には「32 '90.4 海中操業シーン 志摩町和具」と記される。舟人海女の海中操業風景である。海面に顔を出した海女は船上に上がるための「足かけ」と呼ばれる用具に乗って躰を休め、息を整える。その間にスカリの採取物は、トマエによって船のカンコに移される。足かけの側には海女が海底に降りるために用いる円筒形のフンド(分銅)が写る。 | 志摩市志摩町和具 | 1990.04 |
2381 | 和具の海女D-2-14 | スライド枠には「33 '90.4 海中操業シーン 志摩町和具」と記される。舟人海女の海中操業風景である。海面に顔を出した海女は船上に上がるための「足かけ」と呼ばれる用具に乗って躰を休め、息を整える。その間にスカリの採取物は、トマエによって船のカンコに移される。足かけの側には海女が海底に降りるために用いる円筒形のフンド(分銅)が写る。 | 志摩市志摩町和具 | 1990.04 |
2382 | 和具の海女D-2-15 | スライド枠には「34 '90.4 海中操業シーン 志摩町和具」と記される。舟人海女の海中操業風景である。海面に顔を出した海女は船上に上がるための「足かけ」と呼ばれる用具に乗って躰を休め、息を整える。その間にスカリの採取物は、トマエによって船のカンコに移される。足かけの側には海女が海底に降りるために用いる円筒形のフンド(分銅)が写る。 | 志摩市志摩町和具 | 1990.04 |
2383 | 和具の海女D-2-16 | スライド枠には「35 '90.4 海中操業シーン 志摩町和具」と記される。舟人海女の海中操業風景である。海面に顔を出した海女は船上に上がるための「足かけ」と呼ばれる用具に乗って躰を休め、息を整える。その間にスカリの採取物は、トマエによって船のカンコに移される。足かけの側には海女が海底に降りるために用いる円筒形のフンド(分銅)が写る。 | 志摩市志摩町和具 | 1990.04 |
2384 | 和具の海女D-2-17 | スライド枠には「36 '90.4 海中操業シーン 志摩町和具」と記される。舟人海女の海中操業風景である。海面に顔を出した海女は船上に上がるための「足かけ」と呼ばれる用具に乗って躰を休め、息を整える。その間にスカリの採取物は、トマエによって船のカンコに移される。足かけの側には海女が海底に降りるために用いる円筒形のフンド(分銅)が写る。 | 志摩市志摩町和具 | 1990.04 |
2385 | 和具の海女D-2-18 | スライド枠には「37 '90.4 海中操業シーン 志摩町和具」と記される。舟人海女の海中操業風景である。海面に顔を出した海女は船上に上がるための「足かけ」と呼ばれる用具に乗って躰を休め、息を整える。その間にスカリの採取物は、トマエによって船のカンコに移される。足かけの側には海女が海底に降りるために用いる円筒形のフンド(分銅)が写る。 | 志摩市志摩町和具 | 1990.04 |
2386 | 和具の海女D-3-1 | このスライドの前にはめ込まれたタイトルスライドには「和具の海女 上映ビデオ 水中 D-3 1989.9.20撮影」と記される。ウエットスーツを着込まずに、白の磯着を身に着けた海女の海中操業風景である。一連の写真の中に舟人海女では使用しない磯桶が写されていることから、徒人海女かノリアイ海女であろう。海底の磯場へと潜水する海女の姿である。また、ウエットスーツを着用しない白の磯着姿であることと、わずかではあるが撮影日が海女の操業期間を過ぎていることから、プロモーション用に撮影された画像かも知れない。 | 志摩市志摩町和具 | 1989.09.20 |
2387 | 和具の海女D-3-2 | ウエットスーツは着用していない。白の磯着を身に着けた海女の海中操業風景である。徒人海女かノリアイ海女であろう。一連の写真の中に舟人海女では使用しない、磯桶が写されている。海底の磯場へと潜水する海女の姿である。左手にはカギノミが持たれ、腰にはオケヅナがくくりつけられている。 | 志摩市志摩町和具 | 1989.09.20 |
2388 | 和具の海女D-3-3 | ウエットスーツは着用していない。白の磯着を身に着けた海女の海中操業風景である。海底の磯場に着いた海女は、岩の割れ目や岩の裏側などを丹念に探っていく。主な採取物はアワビ、サザエ、トコブシ、ウニ等である。 | 志摩市志摩町和具 | 1989.09.20 |
2389 | 和具の海女D-3-4 | ウエットスーツは着用していない。白の磯着を身に着けた海女の海中操業風景である。海底の磯場に着いた海女は、岩の割れ目や岩の裏側などを丹念に探っていく。主な採取物はアワビ、サザエ、トコブシ、ウニ等である。 | 志摩市志摩町和具 | 1989.09.20 |
2390 | 和具の海女D-3-5 | ウエットスーツは着用していない。白の磯着を身に着けた海女の海中操業風景である。海底の磯場に着いた海女は、岩の割れ目や岩の裏側などを丹念に探っていく。主な採取物はアワビ、サザエ、トコブシ、ウニ等である。腰のロープ(桶綱)は海上の磯桶に結わえられている。 | 志摩市志摩町和具 | 1989.09.20 |
2391 | 和具の海女D-3-6 | ウエットスーツは着用していない。白の磯着を身に着けた海女の海中操業風景である。海面に出た海女は磯笛と呼ばれる独特の呼吸法で息を整え、磯桶に掴まって体を休め、次の潜水に備える。写真右側の水中にいる海女の左手には鮑らしき物が握られている。 | 志摩市志摩町和具 | 1989.09.20 |
2392 | 和具の海女D-3-7 | ウエットスーツは着用していない。白の磯着を身に着けた海女の海中操業風景である。磯桶に掴まり息を整えた海女は、右手にカギノミを持ち海底の磯場へと潜水する。海面には磯桶と、磯桶に掴まるもう一人の海女の姿が見て取れる。 | 志摩市志摩町和具 | 1989.09.20 |
2393 | 和具の海女D-3-8 | ウエットスーツは着用していない。白の磯着を身に着けた海女の海中操業風景である。海面に出た海女は磯笛と呼ばれる独特の呼吸法で息を整え、磯桶に掴まって体を休め、次の潜水に備える。写真では一人の海女は桶綱を付けておらず、また1つの磯桶を二人で使用しているように見えるが、一般的にはあまり見られない光景かと思われる。 | 志摩市志摩町和具 | 1989.09.20 |
2394 | 和具の海女D-3-9 | ウエットスーツは着用していない。白の磯着を身に着けた海女の海中操業風景である。海面に出た海女は磯笛と呼ばれる独特の呼吸法で息を整え、磯桶に掴まって体を休め、次の潜水に備える。写真では一人の海女は桶綱を付けておらず、また1つの磯桶を二人で使用しているように見えるが、一般的にはあまり見られない光景かと思われる。 | 志摩市志摩町和具 | 1989.09.20 |
2395 | 和具の海女D-3-10 | ウエットスーツは着用していない。白の磯着を身に着けた海女の海中操業風景である。海面に出た海女は磯笛と呼ばれる独特の呼吸法で息を整え磯桶に掴まって体を休め、次の潜水に備える。写真では一人の海女は桶綱を付けておらず、また1つの磯桶を二人で使用しているように見えるが、一般的にはあまり見られない光景かと思われる。 | 志摩市志摩町和具 | 1989.09.20 |
2396 | 和具の海女D-3-11 | ウエットスーツは着用していない。白の磯着を身に着けた海女の海中操業風景である。磯桶に掴まり息を整えた海女は、海底の磯場へと潜水する。 | 志摩市志摩町和具 | 1989.09.20 |
2397 | 和具の海女D-3-12 | ウエットスーツは着用していない。白の磯着を身に着けた海女の海中操業風景である。磯桶に掴まり息を整えた海女は、海底の磯場へと潜水する。 | 志摩市志摩町和具 | 1989.09.20 |
2398 | 和具の海女D-3-13 | ウエットスーツは着用していない。白の磯着を身に着けた海女の海中操業風景である。海底の磯場に着いた海女は、岩の割れ目や岩の裏側などを丹念に探っていく。主な採取物はアワビ、サザエ、トコブシ、ウニ等である。 | 志摩市志摩町和具 | 1989.09.20 |
2399 | 和具の海女D-3-14 | ウエットスーツは着用していない。白の磯着を身に着けた海女の海中操業風景である。海底の磯場に着いた海女は、岩の割れ目や岩の裏側などを丹念に探っていく。主な採取物はアワビ、サザエ、トコブシ、ウニ等である。 | 志摩市志摩町和具 | 1989.09.20 |
2400 | 和具の海女D-3-15 | ウエットスーツは着用していない。白の磯着を身に着けた海女の海中操業風景である。海面に出た海女は磯笛と呼ばれる独特の呼吸法で息を整え、磯桶に掴まって体を休め、次の潜水に備える。写真では一人の海女は桶綱を付けておらず、また1つの磯桶を二人で使用しているように見えるが、一般的にはあまり見られない光景かと思われる。 | 志摩市志摩町和具 | 1989.09.20 |
2401 | 和具の海女D-3-16 | ウエットスーツは着用していない。白の磯着を身に着けた海女の海中操業風景である。海面に出た海女は磯笛と呼ばれる独特の呼吸法で息を整え、磯桶に掴まって体を休め、次の潜水に備える。 | 志摩市志摩町和具 | 1989.09.20 |
2402 | 和具の海女D-3-17 | ウエットスーツは着用していない。白の磯着を身に着けた海女の海中操業風景である。磯桶に掴まり息を整えた海女は、海底の磯場へと一気に潜水していく。写真左側には海面で磯桶に掴まるもう一人の海女の姿が見て取れる。 | 志摩市志摩町和具 | 1989.09.20 |
2403 | 和具の海女D-3-18 | ウエットスーツは着用していない。白の磯着を身に着けた海女の海中操業風景である。海面に出た海女は磯笛と呼ばれる独特の呼吸法で息を整え、磯桶に掴まって体を休め、次の潜水に備える。写真では一人の海女は桶綱を付けておらず、また1つの磯桶を二人で使用しているように見えるが、一般的にはあまり見られない光景かと思われる。 | 志摩市志摩町和具 | 1989.09.20 |
2404 | 和具の海女D-3-19 | ウエットスーツは着用していない。白の磯着を身に着けた海女の海中操業風景である。海女の海中操業風景。海底の磯場から採取物を持って浮上しようとする海女の姿が写される。 | 志摩市志摩町和具 | 1989.09.20 |
2405 | 和具の舟人海女D-4-1 | このスライドの前にはめ込まれたタイトルスライドには「和具の舟人海女 D-4」と記され、スライド枠には「和具 2.4.11」と記される。海女達が頭に被る磯手拭いである。大漁や海上安全、魔除けと称して青峯山や海上守護等の朱印か押されているが、海女達の間で良く使われる☆印のセーマンではなく、五芒星が記されている。 | 志摩市志摩町和具 | 1990.04.11 |
2406 | 和具の舟人海女D-4-2 | スライド枠には「和具 2.4.11」と記される。年配の婦人が手にするのは海女船の大漁旗だろうか。「宝栄(丸)」と記されている。 | 志摩市志摩町和具 | 1990.04.11 |
2407 | 和具の舟人海女D-4-3 | スライド枠には「和具 2.4.11」と記される。志摩町和具における磯場へと向かう舟人海女の船上風景である。海女は黒のウエットスーツの上に白の磯着を身に着け、船縁にはトマイ(船頭)が海女を海底から引き揚げる際に使用するハイカラグルマが取り付けられている。三重県教育委員会編・発行『平成22・23年度調査 海女習俗基礎調査報告書』(平成24年発行)では、すでに志摩町和具地区の舟人海女は存在しないとの報告がされている。和具地区における最後の舟人海女の操業風景かも知れない。 | 志摩市志摩町和具 | 1990.04.11 |
2408 | 和具の舟人海女D-4-4 | スライド枠には「和具 2.4.11」と記される。志摩町和具における磯場へと向かう舟人海女の船上風景である。海女は黒のウエットスーツの上に白の磯着を身に着け、船縁にはトマイ(船頭)が海女を海底から引き揚げる際に使用するハイカラグルマが取り付けられている。三重県教育委員会編・発行『平成22・23年度調査 海女習俗基礎調査報告書』(平成24年発行)では、すでに志摩町和具地区の舟人海女は存在しないとの報告がされている。和具地区における最後の舟人海女の操業風景かも知れない。 | 志摩市志摩町和具 | 1990.04.11 |
2409 | 和具の舟人海女D-4-5 | スライド枠には「和具 2.4.11」と記される。志摩町和具における磯場へと向かう舟人海女の船上風景である。海女は黒のウエットスーツの上に白の磯着を身に着け、船縁にはトマイ(船頭)が海女を海底から引き揚げる際に使用するハイカラグルマが取り付けられている。三重県教育委員会編・発行『平成22・23年度調査 海女習俗基礎調査報告書』(平成24年発行)では、すでに志摩町和具地区の舟人海女は存在しないとの報告がされている。和具地区における最後の舟人海女の操業風景かも知れない。 | 志摩市志摩町和具 | 1990.04.11 |
2410 | 和具の舟人海女D-4-6 | スライド枠には「和具 2.4.11」と記される。磯場へと向かう舟人海女の出漁風景である。海女船にはトマイ(船頭)や海女と一緒に、カメラを構えるスタッフ達も写されており、テレビの取材か海女の調査が行われた時のものかと思われる。 | 志摩市志摩町和具 | 1990.04.11 |
2411 | 和具の舟人海女D-4-7 | スライド枠には「和具 2.4.11」と記される。志摩町和具の大島かと思われる。この島から続く海底の岩場は海女漁の磯場でもある。 | 志摩市志摩町和具 | 1990.04.11 |
2412 | 和具の舟人海女D-4-8 | スライド枠には「和具 2.4.11」と記される。舟人海女の船上風景である。磯場に到着したのであろう、黒のウエットスーツの上から白の磯着を着た海女が、磯メガネの準備を始める。曇り止めには、ヨモギやフキの葉等が良く使われると言う。頭に被った磯手拭には海上安全の各種の朱印が押され、額の部分には魔除けと称する五芒星(一般的にはセーマンと呼ばれる☆印を用いる所が多い)が黒糸で縫い込まれている。 | 志摩市志摩町和具 | 1990.04.11 |
2413 | 和具の舟人海女D-4-9 | スライド枠には「和具 2.4.11」と記される。舟人海女の船上風景である。磯場に到着したのであろう、黒のウエットスーツの上から白の磯着を着た海女が、磯メガネの準備を始める。曇り止めには、ヨモギやフキの葉等が良く使われると言う。頭に被った磯手拭には海上安全の各種の朱印が押され、額の部分には魔除けと称する五芒星(一般的にはセーマンと呼ばれる☆印を用いる所が多い)が黒糸で縫い込まれている。 | 志摩市志摩町和具 | 1990.04.11 |
2414 | 和具の舟人海女D-4-10 | スライド枠には「和具 2.4.11」と記される。舟人海女の船上風景である。磯場に到着したのであろう、黒のウエットスーツの上から白の磯着を着た海女が操業の準備を始める。頭に被った磯手拭には海上安全の各種の朱印が押され、額の部分には魔除けと称する五芒星(一般的にはセーマンと呼ばれる☆印を用いる所が多い)が黒糸で縫い込まれている。 | 志摩市志摩町和具 | 1990.04.11 |
2415 | 和具の舟人海女D-4-11 | スライド枠には「和具 2.4.11」と記される。舟人海女の船上風景である。磯場に到着したのであろう、黒のウエットスーツの上から白の磯着を着た海女が、磯メガネの準備を始める。曇り止めには、ヨモギやフキの葉等が良く使われると言う。頭に被った磯手拭には海上安全の各種の朱印が押され、額の部分には魔除けと称する五芒星(一般的にはセーマンと呼ばれる☆印を用いる所が多い)が黒糸で縫い込まれている。 | 志摩市志摩町和具 | 1990.04.11 |
2416 | 和具の舟人海女D-4-12 | スライド枠には「和具 2.4.11」と記される。舟人海女の船上風景である。磯場に到着したのであろう、黒のウエットスーツの上から白の磯着を着た海女が、磯メガネの準備を始める。曇り止めには、ヨモギやフキの葉等が良く使われると言う。頭に被った磯手拭には海上安全の各種の朱印が押され、額の部分には魔除けと称する五芒星(一般的にはセーマンと呼ばれる☆印を用いる所が多い)が黒糸で縫い込まれている。 | 志摩市志摩町和具 | 1990.04.11 |
2417 | 和具の舟人海女D-4-13 | スライド枠には「和具 2.4.11」と記される。舟人海女の船上風景である。磯場に着くとトマエ(船頭)は艪を用いて船を操る。海女が潜る場所では、耳障りとなるエンジン音やスクリューによる怪我を防ぐためだと言う。すでに艫の舵は引揚げられ、船縁には命綱を手繰上げるためのイソグルマが付けられている。 | 志摩市志摩町和具 | 1990.04.11 |
2418 | 和具の舟人海女D-4-14 | スライド枠には「和具 2.4.11」と記される。舟人海女の船上風景である。海女は腰スカリを付け磯メガネの曇り止めを施す。トマエ(船頭)は船のエンジンを止め、艪を用いて船を操る。船縁のイソグルマにはフンド(分銅)のロープが掛けられている。 | 志摩市志摩町和具 | 1990.04.11 |
2419 | 和具の舟人海女D-4-15 | スライド枠には「和具 2.4.11」と記される。海女達が頭に被る磯手拭いである。青峯山や海上守護等の朱印が幾つも押されている。一般的に海女達は魔除けと称して鉛筆か薄墨で書かれているようなセーマンと呼ばれる☆印を用いるが、黒糸では五芒星が縫い込まれている。 | 志摩市志摩町和具 | 1990.04.11 |
2420 | 和具の舟人海女D-4-16 | スライド枠には「和具 2.4.11」と記される。海女達が頭に被る磯手拭いである。青峯山や海上守護等の朱印が幾つも押されている。一般的に海女達は魔除けと称して鉛筆か薄墨で書かれているようなセーマンと呼ばれる☆印を用いるが、黒糸では五芒星が縫い込まれている。 | 志摩市志摩町和具 | 1990.04.11 |
2421 | 菅島の海女D-5-1 | このスライドの前にはめ込まれたタイトルスライドには「菅島の海女 90.6.8 ノムラ撮 D-5」と記され、スライド枠には「2.6.8」と記される。鳥羽市菅島町の海女の操業風景である。海面に足だけが見える潜水直後の海女の姿も写されるが、足ヒレは付けておらず、ウエットスーツも身に着けていないように見える。平成22年の調査では、菅島町の海女漁は、6月中旬に口開けが行われ、8月末頃まで操業が続けられる。操業は1日1回約90分。徒人海女とノリアイ海女が中心であるが舟人海女もわずかに残っているとの報告がなされている。参考文献:三重県教育委員会編・発行『平成22・23年度調査 海女習俗基礎調査報告書』(平成24年発行) | 鳥羽市菅島町 | 1990.06.08 |
2422 | 菅島の海女D-5-2 | スライド枠には「2.6.8」と記される。菅島町の海女の操業風景である。徒人海女かと思われるが、海女達は磯桶に掴まり、息を整え体を休めて、次の潜水へと備える。海面に浮かぶ磯桶と海女は桶綱と呼ばれるロープで結ばれ、海底から浮上した海女のすぐ近くに磯桶が来るようにロープの長さが調整される。磯桶のロープに挟まれている切り込みが入れられた木片は、ここではスントリと呼ばれる鮑の大きさを計測する海女用具である。スントリの切り込みは3寸5分と定められ、10.5㎝以下の鮑は採取出来ない規則になっている。 | 鳥羽市菅島町 | 1990.06.08 |
2423 | 菅島の海女D-5-3 | スライド枠には「2.6.8」と記される。菅島町の海女の操業風景である。徒人海女かと思われるが、海女達はオケに掴まって息を整え体を休める。また、海面から海底の磯場を確認し、次の潜水に備える。磯桶のロープに挟まれている切り込みが入れられた木片は、ここではスントリと呼ばれる鮑の大きさを計測する海女用具である。スントリの切り込みは3寸5分と定められ、10.5㎝以下の鮑は採取出来ない規則になっている。 | 鳥羽市菅島町 | 1990.06.08 |
2424 | 菅島の海女D-5-4 | スライド枠には「2.6.8」と記される。菅島町の海女の操業風景である。徒人海女かと思われるが、海女達は海底から浮上すると磯笛と呼ばれる独特の呼吸法で息を整え、磯桶に掴まりながら体を休めて、次の潜水に備える。磯桶のロープに挟まれている木片は、ここではスントリと呼ばれる鮑の大きさを計測する海女用具である。スントリの切り込みは3寸5分と定められ、10.5㎝以下の鮑は採取出来ない規則になっている。 | 鳥羽市菅島町 | 1990.06.08 |
2425 | 菅島の海女D-5-5 | スライド枠には「2.6.8」と記される。菅島町の海女の操業風景である。徒人海女かと思われるが、海女達は海底から浮上すると磯笛と呼ばれる独特の呼吸法で息を整え、磯桶に掴まりながら体を休めて、次の潜水に備える。 | 鳥羽市菅島町 | 1990.06.08 |
2426 | 菅島の海女D-5-6 | スライド枠には「2.6.8」と記される。菅島町の海女の操業風景である。徒人海女かと思われるが、海女達は海底から浮上すると磯笛と呼ばれる独特の呼吸法で息を整え、磯桶に掴まりながら体を休めて、次の潜水に備える。鮑か栄螺か、採った採取物を磯桶に入れようとしている。 | 鳥羽市菅島町 | 1990.06.08 |
2427 | 菅島の海女D-5-7 | スライド枠には「2.6.8」と記される。菅島町の海女の操業風景である。徒人海女かと思われるが、潜水直後である。磯桶の横に水飛沫と共に海女の足だけが見えるが、足ヒレは付けておらずウエットスーツも身に着けていないようである。 | 鳥羽市菅島町 | 1990.06.08 |
2428 | 菅島の海女D-5-8 | スライド枠には「2.6.8」と記される。菅島町の海女の操業風景である。徒人海女かと思われるが、海女達は海底から浮上すると磯笛と呼ばれる独特の呼吸法で息を整え、磯桶に掴まりながら体を休めて、次の潜水に備える。 | 鳥羽市菅島町 | 1990.06.08 |
2429 | 菅島の海女D-5-9 | スライド枠には「2.6.8」と記される。菅島町の海女の操業風景である。徒人海女かと思われるが、潜水直後である。磯桶の横に水飛沫と共に海女の足だけが見える。 | 鳥羽市菅島町 | 1990.06.08 |
2430 | 菅島の海女D-5-10 | スライド枠には「2.6.8」と記される。徒人やノリアイ海女が使用するオケ(磯桶)とその漁獲物である。菅島地区の海女漁の主な漁獲物は、アワビ、サザエ、天草である。オケの中には、取ったばかりのアワビやサザエと一緒に、ノミとイソモンオコシと呼ぶカギノミが入れられている。ノミには「ヤマ(ヤネ)に中」の屋号が入れられている。 | 鳥羽市菅島町 | 1990.06.08 |
2431 | 菅島の海女D-5-11 | スライド枠には「2.6.8」と記される。徒人やノリアイ海女が使用するオケ(磯桶)とその漁獲物である。菅島地区の海女漁の主な採取物は、アワビ、サザエ、天草である。オケの中には、取ったばかりのアワビやサザエと一緒に、イソモンオコシと呼ぶカギノミや磯メガネが入れられている。カギノミには「マルに五の屋号」と西村あい子、「マルに兵」の屋号等が見て取れる。 | 鳥羽市菅島町 | 1990.06.08 |
2432 | 菅島の海女D-5-12 | スライド枠には「2.6.8」と記される。徒人やノリアイ海女が使用するオケ(磯桶)とその漁獲物である。菅島地区の海女漁の主な採取物は、アワビ、サザエ、天草である。オケの中には、取ったばかりのアワビやサザエと一緒に、イソモンオコシと呼ぶカギノミや磯メガネが入れられている。カギノミやノミには「マルに五の屋号」と西村あい子、「マルに兵」の屋号、「ヤマ(ヤネ)に中」の屋号等が見て取れる。 | 鳥羽市菅島町 | 1990.06.08 |
2433 | 菅島の海女D-5-13 | スライド枠には「2.6.8」と記される。菅島の徒人海女である。徒人は単独で漁をすることはほとんど無く、何人かの海女仲間と共に徒歩や自転車・単車・軽トラック等で磯場の近くまで行き、海岸から泳いで磯場へと向かう海女達の事である。スカリは使わず、採った漁獲物はオケ(磯桶)に入れる海女が多いようである。一潜目を終えたのであろう、砂浜で焚火をし暖をとる海女達が写される。ここ菅島地区では海女小屋を作らず、浜辺等で直に焚火をし暖をとる海女達が多いという。 | 鳥羽市菅島町 | 1990.06.08 |
2434 | 菅島の海女D-5-14 | スライド枠には「2.6.8」と記される。菅島の徒人海女である。徒人は単独で漁をすることはほとんど無く、何人かの海女仲間と共に徒歩や自転車・単車・軽トラック等で磯場の近くまで行き、海岸から泳いで磯場へと向かう海女達の事である。スカリは使わず、採った採取物はオケ(磯桶)に入れる海女が多いようである。一潜目を終えたのであろう、写真には砂浜で焚火をし暖をとる五人の海女達が写される。ここ菅島地区では海女小屋を作らず、浜辺等で直に焚火をし暖をとる海女達が多いという。 | 鳥羽市菅島町 | 1990.06.08 |
2435 | 菅島の海女D-5-15 | スライド枠には「2.6.8」と記される。菅島の徒人海女である。徒人は単独で漁をすることはほとんど無く、何人かの海女仲間と共に徒歩や自転車・単車・軽トラック等で磯場の近くまで行き、海岸から泳いで磯場へと向かう海女達の事である。スカリは使わず、採った採取物はオケ(磯桶)に入れる海女が多いようである。一潜目を終えたのであろう、写真には砂浜で焚火をし暖をとる五人の海女達が写される。ここ菅島地区では海女小屋を作らず、浜辺等で直に焚火をし暖をとる海女達が多いという。 | 鳥羽市菅島町 | 1990.06.08 |
2436 | 菅島の海女D-5-16 | スライド枠には「2.6.8」と記される。アワビを採るためのノミである。持ち手の木の部分には、海女達が魔除けと称する「ドーマン・セーマン」が刻み込まれている。写真に写されるのは「ドーマン」と呼ばれるマークで、持ち主の名前かと思われる「カズ」の文字も見て取れる。 | 鳥羽市菅島町 | 1990.06.08 |
2437 | 海女水中写真D-6-1 | このスライドの前にはめ込まれるタイトルスライド枠には「海女水中写真 栗原達男 D-6 47.8月」と記される。水中から海面を見た写真である。 | 不明 | 1972.08 |
2438 | 海女水中写真D-6-2 | 海女の海中操業風景である。ノリアイ海女か徒人海女か不明であるが、腰には桶綱を付け、右手にカギノミを持った海女が海底の磯場へと潜水をして行く。 | 不明 | 1972.08 |
2439 | 海女水中写真D-6-3 | 海女の海中操業風景である。ノリアイ海女か徒人海女か不明であるが、腰には桶綱を付け、右手にカギノミを持った海女が海底の磯場へと潜水をして行く。白の磯着を着け、素足である。 | 不明 | 1972.08 |
2440 | 海女水中写真D-6-4 | 海女の海中操業風景である。ノリアイ海女か徒人海女か不明であるが、白の磯着を着け、腰には桶綱を付けた素足の海女が海底の磯場へと潜水して行く。 | 不明 | 1972.08 |
2441 | 海女水中写真D-6-5 | 海女の海中操業風景である。ノリアイ海女か徒人海女か不明であるが、白の磯着を着け、腰には桶綱を付けた素足の海女が海底の磯場へと潜水して行く。 | 不明 | 1972.08 |
2442 | 海女水中写真D-6-6 | 海女の海中操業風景である。ノリアイ海女か徒人海女か不明であるが、白の磯着を着け、腰には桶綱を付けた素足の海女が海底の磯場へと潜水して行く。 | 不明 | 1972.08 |
2443 | 海女水中写真D-6-7 | 海女の海中操業風景である。海底の磯場に着いた海女は、アワビやサザエ、ウニ等を求めて海藻の根本や岩場等を丹念に探っていく。 | 不明 | 1972.08 |
2444 | 海女水中写真D-6-8 | 海女の海中操業風景である。海底から浮上した海女は、磯笛という独特の呼吸法で息を整え、浮樽に掴まって体を休め次の潜水へと備える。 | 不明 | 1972.08 |
2445 | 海女水中写真D-6-9 | 海女の海中操業風景である。ノリアイ海女か徒人海女か不明であるが、白の磯着を着け、腰には桶綱を付けた素足の海女が海底の磯場へと潜水して行く。 | 不明 | 1972.08 |
2446 | 海女水中写真D-6-10 | 海女の海中操業風景である。ノリアイ海女か徒人海女か不明であるが、白の磯着を着け、腰には桶綱を付けた素足の海女が海底の磯場へと潜水して行く。 | 不明 | 1972.08 |
2447 | 海女水中写真D-6-11 | 海女の海中操業風景である。海底の磯場へと潜水する海女。浮樽に括り付けられたスカリの中にアワビらしき採取物が入れられているのが見て取れる。 | 不明 | 1972.08 |
2448 | 海女水中写真D-6-12 | 海女の海中操業風景である。海底の磯場へと潜水する海女。浮樽に括り付けられたスカリの中にアワビらしき採取物が入れられているのが見て取れる。 | 不明 | 1972.08 |
2449 | 海女水中写真D-6-13 | 海女の海中操業風景である。海底の磯場に着いた海女は、アワビやサザエ、ウニ等を求めて海藻の根本や岩場等を丹念に探っていく。右手にはカギノミが握られている。足下のロープは海面の浮樽と海女をつなぐ桶綱である。 | 不明 | 1972.08 |
2450 | 海女水中写真D-6-14 | 海女の海中操業風景である。海底の磯場に着いた海女は、アワビやサザエ、ウニ等を求めて海藻の根本や岩場等を丹念に探っていく。足下のロープは海面の浮樽と海女をつなぐ桶綱である。 | 不明 | 1972.08 |
2451 | 海女水中写真D-6-15 | 海女の海中操業風景である。海底の磯場に着いた海女は、アワビやサザエ、ウニ等を求めて海藻の根本や岩場等を丹念に探っていく。足下のロープは海面の浮樽と海女をつなぐ桶綱である。 | 不明 | 1972.08 |
2452 | 海女水中写真D-6-16 | 海女の海中操業風景。海底の磯場に着いた海女は、海藻の根元や岩場の割目、岩の裏側などを丹念に探っていく。主な採取物はアワビ、サザエ、トコブシ、ウニ等である。 | 不明 | 1972.08 |
2453 | 海女水中写真D-6-17 | 海女の海中操業風景である。ノリアイ海女か徒人海女か不明であるが、白の磯着を着け、腰には桶綱を付けた素足の海女が海底の磯場へと潜水して行く。 | 不明 | 1972.08 |
2454 | 海女水中写真D-6-18 | 海女の海中操業風景である。海底から浮上した海女は、磯笛という独特の呼吸法で息を整え、浮樽に掴まって体を休め次の潜水へと備える。 | 不明 | 1972.08 |
2455 | 海女水中写真D-7-1 | このスライドの前にはめ込まれるタイトルスライド枠には「海女水中 栗原達男 D-7 47.8月」と記される。海女の海中操業風景である。海面で息を整えた海女は、海底の磯場へと一気に潜っていく。 | 不明 | 1972.08 |
2456 | 海女水中写真D-7-2 | 海女の海中操業風景。海底の磯場に着いた海女は、海藻の根元や岩場の割目、岩の裏側などを丹念に探っていく。主な採取物はアワビ、サザエ、トコブシ、ウニ等である。 | 不明 | 1972.08 |
2457 | 海女水中写真D-7-3 | 海女の海中操業風景。海底の磯場に着いた海女は、海藻の根元や岩場の割目、岩の裏側などを丹念に探っていく。主な採取物はアワビ、サザエ、トコブシ、ウニ等である。 | 不明 | 1972.08 |
2458 | 海女水中写真D-7-4 | 海女の海中操業風景。海底の磯場に着いた海女は、海藻の根元や岩場の割目、岩の裏側などを丹念に探っていく。主な採取物はアワビ、サザエ、トコブシ、ウニ等である。 | 不明 | 1972.08 |
2459 | 海女水中写真D-7-5 | 海女の海中操業風景。海底の磯場に着いた海女は、海藻の根元や岩場の割目、岩の裏側などを丹念に探っていく。主な採取物はアワビ、サザエ、トコブシ、ウニ等である。 | 不明 | 1972.08 |
2460 | 海女水中写真D-7-6 | 海女の海中操業風景。海底の磯場に着いた海女は、海藻の根元や岩場の割目、岩の裏側などを丹念に探っていく。主な採取物はアワビ、サザエ、トコブシ、ウニ等である。 | 不明 | 1972.08 |
2461 | 海女水中写真D-7-7 | 海女の海中操業風景。海底の磯場に着いた海女は、海藻の根元や岩場の割目、岩の裏側などを丹念に探っていく。主な採取物はアワビ、サザエ、トコブシ、ウニ等である。 | 不明 | 1972.08 |
2462 | 海女水中写真D-7-8 | 海女の海中操業風景。海底の磯場に着いた海女は、海藻の根元や岩場の割目、岩の裏側などを丹念に探っていく。主な採取物はアワビ、サザエ、トコブシ、ウニ等である。 | 不明 | 1972.08 |
2463 | 海女水中写真D-7-9 | 海女の海中操業風景。海底の磯場に着いた海女は、海藻の根元や岩場の割目、岩の裏側などを丹念に探っていく。主な採取物はアワビ、サザエ、トコブシ、ウニ等である。 | 不明 | 1972.08 |
2464 | 海女水中写真D-7-10 | 海女の海中操業風景。海底の磯場に着いた海女は、海藻の根元や岩場の割目、岩の裏側などを丹念に探っていく。主な採取物はアワビ、サザエ、トコブシ、ウニ等である。 | 不明 | 1972.08 |
2465 | 海女水中写真D-7-11 | 海女の海中操業風景。海底の磯場に着いた海女は、海藻の根元や岩場の割目、岩の裏側などを丹念に探っていく。主な採取物はアワビ、サザエ、トコブシ、ウニ等である。 | 不明 | 1972.08 |
2466 | 海女水中写真D-7-12 | 海女の海中操業風景である。海底から浮上した海女は、磯笛という独特の呼吸法で息を整え、浮樽に掴まって体を休め次の潜水へと備える。 | 不明 | 1972.08 |
2467 | 菅島(海女)D-8-1 | このスライドがはめ込まれた右端のスライド枠には「D-8」と記され、スライド枠には「菅島 2.6.8」と記される。菅島の徒人海女の操業風景である。白の磯手拭を被り白の磯着を身に着けた数人の海女仲間で操業がされているようである。オケに掴まって息を整え、海底の磯場を確認しながら潜水を繰り返す。潜水直後の海女の足には足ヒレは付けられていない。 | 鳥羽市菅島町 | 1990.06.08 |
2468 | 菅島(海女)D-8-)2 | スライド枠には「菅島 2.6.8」と記される。菅島の徒人海女の操業風景である。白の磯手拭を被り白の磯着を身に着けた数人の海女仲間で操業がされているようである。オケに掴まって息を整え、海底の磯場を確認しながら潜水を繰り返す。 | 鳥羽市菅島町 | 1990.06.08 |
2469 | 菅島(海女)D-8-3 | スライド枠には「菅島 2.6.8 カチドアマ」と記される。菅島の徒人海女の操業風景である。白の磯手拭を被り白の磯着を身に着けた数人の海女仲間で操業がされているようである。オケに掴まって息を整え、海底の磯場を確認しながら潜水を繰り返す。 | 鳥羽市菅島町 | 1990.06.08 |
2470 | 菅島(海女)D-8-4 | スライド枠には「菅島 2.6.8」と記される。菅島町のしろんご浜かと思われる。写真中央右端の浜辺に、白髭神社へと向かう鳥居らしき物と階段が見て取れる。 | 鳥羽市菅島町 | 1990.06.08 |
2471 | 菅島(海女)D-8-5 | スライド枠には「菅島 2.6.8」と記される。菅島町のしろんご浜かと思われる。白の磯着を身につけた徒人海女、数人の姿が見て取れる。 | 鳥羽市菅島町 | 1990.06.08 |
2472 | 海女船・和具(海女)D-9-1 | このスライドシートの下段右端のスライド枠には「D-9」と記され、スライド枠には「海女船・和具 48.5.9」と記される。志摩町の和具漁港かと思われる。係留されたノリアイ海女の海女船である。船には9個の磯桶が積み込まれ、磯桶の上には海女が船と海を上り下りするための、鉄製の「足かけ」と呼ばれる用具が置かれている。 | 志摩市志摩町和具 | 1973.05.09 |
2473 | 海女船・和具(海女)D-9-2 | スライド枠には「和具の海女船 48.5.9」と記される。志摩町の和具漁港かと思われる。係留されたノリアイ海女の海女船である。船には9個の磯桶が積み込まれ、磯桶の上には海女が船と海を上り下りするための、鉄製の「足かけ」と呼ばれる用具が置かれている。 | 志摩市志摩町和具 | 1973.05.09 |
2474 | 海女船・和具(海女)D-9-3 | スライド枠には「海女船・和具 48.5.9」と記される。志摩町の和具漁港かと思われる。係留されたノリアイ海女の海女船である。船には7個の磯桶と多数のスカリが積み込まれている。 | 志摩市志摩町和具 | 1973.05.09 |
2475 | 海女船・和具(海女)D-9-4 | スライド枠には「港風景 和具 48.5.9」と記される。志摩町の和具漁港の風景である。夕刻であろうか、漁から戻ったと思われる漁船が岸壁に舳先を並べて係留されている。船を片付ける漁師の姿も見られるが、漁港用地には子供を背負った婦人や漁師らしい十人程の村人が家路へと向かう。写真右上の白い建物は、漁業組合の製氷施設かと思われる。 | 志摩市志摩町和具 | 1973.05.09 |
2476 | 海女船・和具(海女)D-9-5 | スライド枠には「和具の村 48.5.9」と記される。海上から見た志摩町和具の集落景観である。風波によって徐々に浸食されていく岬をコンクリートの護岸堤防が守る。堤防の直ぐ上の狭い道路に沿って民家が建ち並ぶ。 | 志摩市志摩町和具 | 1973.05.09 |
2477 | 海女船・和具(海女)D-9-6 | スライド枠には「和具」と記される。和具の海女の操業風景である。ノリアイの海女だろうか。浮樽に掴まっているのか、海底の磯場を覗く。足ヒレを付けておらず素足のままである。対岸には灯台が写る。 | 志摩市志摩町和具 | (不明) |
2478 | 国崎(海女)D-10-1 | 国崎町の鎧崎・前の浜に建てられている海女小屋の風景である。写真上部に写るブロック造りでトタン屋根の建物が海女小屋である。煙が上がっている所を見ると、中では薪が燃され暖をとる海女達が居るのであろう。外で着替えをする海女や船揚場の斜路で談笑する数人の漁師達も見て取れる。海女小屋の後ろの鳥居は山の神で、その右側には伊勢神宮に奉納する熨斗鰒の調製所がある。このスライドがはめ込まれた前のスライド枠には「国崎 栗原ネガ 47.8.17 D-10」と記され、スライド枠には「47.8.17」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.08.17 |
2479 | 国崎(海女)D-10-2 | 磯場へ向かう舟人海女の船上風景である。国崎町ではトトカカ船とも言い、徒人やノリアイの海女よりも一段と深い海域で、夫婦一組で操業をする海女漁である。黒のウエットスーツを身につけ、腰には分銅となる鉛のベルトと命綱が付けられている。傍らには、アワビ篭とカギノミ、メガネ箱に入れられた磯メガネが置かれている。平成22年の調査では、国崎のアワビ漁は漁場を7地区に分け輪番制で口開けが行われ、操業時間は1日に一回、1時間30分。ウエットスーツは一家に一着と決められているという。参考文献:三重県教育委員会編・発行『平成22・23年度調査 海女習俗基礎調査報告書』平成24年 スライド枠には「47.8.17」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.08.17 |
2480 | 国崎(海女)D-10-3 | 国崎町舟人海女の操業風景である。海底の海女から合図があるとトマエ(船頭)は、イソグルマと呼ぶ滑車に命綱を掛け、一気に引き揚げる。船縁には海女が取ってきた採取物を入れるアワビ篭が括り付けられ、船の艫からは艪が出されている。スライド枠には「47.8.17」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.08.17 |
2481 | 国崎(海女)D-10-4 | 国崎町舟人海女の操業風景である。海底の海女から合図があるとトマエ(船頭)は、イソグルマと呼ぶ滑車に命綱を掛け、一気に引き揚げる。海面に顔を出した海女は、磯笛と呼ばれる独特の呼吸法で息を整え、船縁に掴まって体を休め、次の潜水に備える。船縁には海女が取ってきた採取物を入れるアワビ篭が括り付けられ、船の艫からは艪が出されている。海女が右手に持っているのはカギノミである。スライド枠には「47.8.17」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.08.17 |
2482 | 国崎(海女)D-10-5 | 国崎町舟人海女の操業風景である。海上に引揚げられた海女は、手にカギノミを持ち船縁に掴まって体を休め、次の潜水に備える。船縁には海女が取ってきた採取物を入れるアワビ篭が括り付けられている。また、トマエ(船頭)は、海女にとって耳障りとなるエンジン音やスクリューによる怪我を避けるために、風や海流で流される船を艪を使って操ると言う。スライド枠には「47.8.17」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.08.17 |
2483 | 国崎(海女)D-10-6 | 国崎町舟人海女の操業風景である。海底の海女から合図があるとトマエ(船頭)は、イソグルマと呼ぶ滑車に命綱を掛け、一気に引き揚げる。海面に顔を出した海女は、磯笛と呼ばれる独特の呼吸法で息を整える。船縁には海女が取ってきた海産物を入れるアワビ篭が括り付けられている。スライド枠には「47.8.17」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.08.17 |
2484 | 国崎(海女)D-10-7 | 国崎町舟人海女の操業風景である。海底の海女から合図があるとトマエ(船頭)は、イソグルマと呼ぶ滑車に命綱を掛け、一気に引き揚げる。海面に顔を出した海女は、磯笛と呼ばれる独特の呼吸法で息を整える。艫には風や海流で流され船を操るための艪が出されている。スライド枠には「47.8.17」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.08.17 |
2485 | 国崎(海女)D-10-8 | 国崎町舟人海女の操業風景である。海面に顔を出した海女は、磯笛と呼ばれる独特の呼吸法で息を整え、船縁に掴まりながら体を休め、次の潜水に備える。スライド枠には「47.8.17」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.08.17 |
2486 | 国崎(海女)D-10-9 | 国崎町舟人海女の操業風景である。海女船と思われる数隻の漁船が見て取れる。何れもエンジン船であるが、艪が使用されている。スライド枠には「47.8.17」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.08.17 |
2487 | 国崎(海女)D-10-10 | 国崎町舟人海女の操業風景である。海女船と思われる数隻の漁船が見て取れる。国崎は、熊野灘の外海に面し、船乗り達には「伊勢の神前、国崎の鎧、波切大王がなけりゃよい」とまで恐れられた海の難所である。空には雲が掛かりはじめ、風波も出てきたようである。トマエ達の長年の経験と勘が海女の生命と漁獲量を左右する。スライド枠には「47.8.17」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.08.17 |
2488 | 国崎(海女)D-10-11 | 国崎町の鎧崎・前の浜に建てられた海女小屋の風景である。写真上部に写るブロック造りでトタン屋根の建物が海女小屋である。煙が上がっている所を見ると、中では薪が燃されて暖をとる海女達が居るのであろう。外では着替えをする海女や数人の漁師達が船揚場の斜路で談笑する姿も見て取れる。海女小屋の後ろの鳥居は山の神で、その右側には伊勢神宮に奉納する熨斗鰒の調製所がある。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.08.17 |
2489 | 国崎(海女)D-10-12 | 国崎町舟人海女の操業風景である。海底の海女から合図があるとトマエ(船頭)は、イソグルマと呼ぶ滑車に命綱を掛け、一気に引き揚げる。海面に顔を出した海女は、磯笛と呼ばれる独特の呼吸法で息を整え、カギノミを手に船縁に掴まり体を休め、次の潜水に備える。船縁には海女が取ってきた採取物を入れるアワビ篭が括り付けられている。篭の綱に付けられている木片は、アワビの大きさを測るスンポと呼ばれる物で、3寸5分(10.5㎝)以下のアワビは採取が禁じられており海に戻される。スライド枠には「国崎 朝日ジャーナル10/6」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.08.17 |
2490 | 国崎(海女)D-10-13 | 国崎町鎧崎・前の浜の船揚場の風景である。操業を終え帰港したのか波打際に立つ海女が、船の艫綱を引く。漁港が十分に整備されていない時代、操業を終えた漁船はその都度陸に引き揚げられた。船底にはコロと呼ぶ丸太等を敷いて、斜路から陸へと引揚げられる。スライド枠には「国崎? S47.8月」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.08.17 |
2491 | 国崎(海女)D-10-14 | 国崎町舟人海女の操業風景である。海底の海女から合図があると、トマエ(船頭)はイソグルマと呼ぶ滑車に命綱を掛け、一気に引き揚げる。海面に顔を出した海女は、磯笛と呼ばれる独特の呼吸法で息を整える。船縁には海女が取ってきた海産物を入れるイソカゴが括り付けられ、篭の綱には、アワビの大きさを測るスンポと呼ばれる木製の計量器が付けられている。アワビは3寸5分(10.5㎝)以下のアワビは採取が禁じられており、スンポの切り込みに収ってしまう物は海に戻される。スライド枠には「国崎 47.8.17」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.08.17 |
2492 | 国崎(海女)D-10-15 | 舟人海女の操業風景。海底の海女から合図があるとトマエ(船頭)は、イソグルマと呼ぶ滑車に命綱を掛け、一気に引き揚げる。海面に顔を出した海女は、磯笛と呼ばれる独特の呼吸法で息を整える。船縁には海女が取ってきた海産物を入れるイソカゴが括り付けられている。スライド枠には「国崎 47.8.17」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.08.17 |
2493 | 国崎(海女)D-10-16 | 国崎町舟人海女の操業風景である。1時間30分の操業を終え、帰港するのであろうか。船上には艪を操るトマエ(船頭)と海女の姿が見える。また、船腹には「ME3-27125」の船舶登録番号が見て取れる。スライド枠には「国崎 栗原」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.08.17 |
2494 | 国崎(海女)D-10-17 | スライド枠には「3.7.25 志島」と記される。志島の海女小屋風景かと思われる。小屋では天井から吊された大鍋の下で火が燃され、数人の海女が暖を取る。 | 志摩市阿児町志島 | 1991.07.25 |
2495 | 船越の海女E-1-1 | このスライドの前にはめ込まれたタイトルスライドには「船越の海女 59.3.28 E-1」と記される。船越海女の操業風景である。海面でタンポ(船越ではブイとかウキワと呼ぶ)に掴まり息を整え、潜水に備える海女。大王町船越の海女漁は2月初旬から9月中旬まで操業が行われ、ウエットスーツの着用は自由で、操業時間は1日2回、それぞれ1時間~1時間30分(季節によって変化)と定められている。主な漁獲物はアワビ・サザエ・トコブシ(フクダメ)・ナマコの他、天草・アラメ・ヒジキ・フノリ等の海藻類も採取される。参考文献:三重県教育委員会編・発行『平成22・23年度調査 海女習俗基礎調査報告書』平成24年 | 志摩市大王町船越 | 1984.03.28 |
2496 | 船越の海女E-1-2 | 船越海女の操業風景である。スカリを取付けた発泡スチロール製のタンポ(船越ではブイとかウキワと呼ぶ)に掴まって、息を整えながら少しずつ磯場を移動していく。黄色のウエットスーツの上から白の磯着を見に着け、白の磯手拭を被り、軍手をはめ、カギノミを手にしている。 | 志摩市大王町船越 | 1984.03.28 |
2497 | 船越の海女E-1-3 | 船越海女の操業風景である。スカリを取付けた発泡スチロール製のタンポ(船越ではブイとかウキワと呼ぶ)に掴まって、息を整えながら少しずつ磯場を移動していく。黄色のウエットスーツの上から白の磯着を見に着け、白の磯手拭を被り、軍手をはめている。 | 志摩市大王町船越 | 1984.03.28 |
2498 | 船越の海女E-1-4 | 木桶に入れられた山盛りのアワビ。操業を終えた海女達が運搬用に用いる木桶である。かつてはアワビを入れたこの木桶を天秤棒の前と後ろに吊して、漁協の出荷場まで何回も往復したものだと言う。 | 志摩市大王町船越 | 1984.03.28 |
2499 | 船越の海女E-1-5 | 海女小屋の外観風景である。浜辺から山の斜面に階段状の小径を作り、僅かな谷の平地を利用して小さな小屋が建てられている。外には白の磯着らしき物が何着か干されているが、徒人海女達が使う海女小屋かと思われる。 | 志摩市大王町船越 | 1984.03.28 |
2500 | 船越の海女E-1-6 | 徒人海女達が使う海女小屋だろうか。山道の向こうにトタン屋根の小さな小屋が見える。小屋の手前には端材が積まれているが、小屋で暖を取るために薪として使われる物かと思われる。その向こうは海である。 | 志摩市大王町船越 | 1984.03.28 |
2501 | 船越の海女E-1-7 | 漁場へと向かう出漁途中で撮影されたものか、消波ブロック(テトラポット)である。消波ブロックは、港内の波除け様に設置される物と、風波による海岸の浸食を防ぐ為に設置される物とがある。これらのテトラポットはイワガキやアワビ等魚介類の魚礁の役割を果たす場合も多いが、時には海流の変化を引き起こし、思いもしないところに砂浜が現れたり、逆に砂浜が無くり、持ち去られた砂が磯場を埋め尽くしてしまう漁場被害を引き起こす事も指摘されている。 | 志摩市大王町船越 | 1984.03.28 |
2502 | 船越の海女E-1-8 | 風波から海岸の浸食を防ぐ事を目的に設置された消波ブロック(テトラポット)である。イワガキやアワビ等魚介類の魚礁の役割を果たす場合も多いが、時には海流の変化を引き起こし、思いもしないところに砂浜が現れたり、逆に砂浜が無くり、持ち去られた砂が磯場を埋め尽くしてしまう漁場被害を引き起こす事も指摘されている。 | 志摩市大王町船越 | 1984.03.28 |
2503 | 船越の海女E-1-9 | 船越舟人海女の操業風景である。艪を使って船を操るトマエ(船頭)は、海底の海女から合図があると、磯グルマ(船越地区ではハイカラモチとかタイコと呼ぶ)に掛けた命綱を一気に手繰上げる。右手にカギノミを持った海女が浮上した瞬間である。船腹には「ME3-43904」の船舶登録番号が見て取れる。 | 志摩市大王町船越 | 1984.03.28 |
2504 | 船越の海女E-1-10 | 船越舟人海女の操業風景である。艪を使って船を操るトマエ(船頭)は、海底の海女から合図があると磯グルマ(船越地区ではハイカラモチとかタイコと呼ぶ)に掛けた命綱を一気に手繰上げる。海面に浮上した海女は、磯笛と呼ばれる独特の呼吸法で息を整え、船縁に掴まって体を休め、次の潜水に備える。海女が右手に持っているのはカギノミである。また、船上には海上安全の護符として漁師達に信仰の深い「青峯正福寺」の旗が立てられ、船腹には「ME3-31485」の船舶登録番号が見て取れる。 | 志摩市大王町船越 | 1984.03.28 |
2505 | 船越の海女E-1-11 | 船越舟人海女の操業風景である。海面に浮上した海女は、磯笛と呼ばれる独特の呼吸法で息を整え、船縁に掴まって体を休め、次の潜水に備える。船頭は風や海流で磯場から船が離れないように艪を使って船を操る。船腹には「ME3-43904」の船舶登録番号が見て取れる。 | 志摩市大王町船越 | 1984.03.28 |
2506 | 船越の海女E-1-12 | 船越舟人海女の操業風景である。海女が潜水した後、船頭(トマエ)は命綱で海底の海女の動きを予測しながら、引き上げの合図に神経を研ぎ澄ます。同時に、風や波で流される船を、海底の海女が最も作業のしやすい場所へと艪を使って移動させていく。船腹には「ME3-43904」の船舶登録番号が見て取れる。 | 志摩市大王町船越 | 1984.03.28 |
2507 | 船越の海女E-1-13 | 船越舟人海女の操業風景である。艪を使って船を操るトマエ(船頭)は、海底の海女から合図があると磯グルマ(船越地区ではハイカラモチとかタイコと呼ぶ)に掛けた命綱を一気に手繰上げる。海面に浮上した海女は、磯笛と呼ばれる独特の呼吸法で息を整え、船縁に掴まって体を休め、次の潜水に備える。また、船上には海上安全の護符として漁師達に信仰の深い「青峯正福寺」の旗が立てられ、船腹には「ME3-43904」の船舶登録番号が見て取れる。 | 志摩市大王町船越 | 1984.03.28 |
2508 | 船越の海女E-1-14 | 船越舟人海女の操業風景である。艪を使って船を操るトマエ(船頭)は、海底の海女から合図があると磯グルマ(船越地区ではハイカラモチとかタイコと呼ぶ)に掛けた命綱を一気に手繰上げる。海面に浮上した海女は、磯笛と呼ばれる独特の呼吸法で息を整え、船縁に掴まって体を休め、次の潜水に備える。また、船上には海上安全の護符として漁師達に信仰の深い「青峯正福寺」の旗が立てられ、船腹には「ME3-43904」の船舶登録番号が見て取れる。 | 志摩市大王町船越 | 1984.03.28 |
2509 | 船越の海女E-1-15 | 船越舟人海女の操業風景である。操業を終えたのか、磯手拭を被り、白の磯着を身に着けて海女達が船上に見て取れる。また、船上には海上安全の護符として漁師達に信仰の深い「青峯正福寺」の旗が立てられ、船腹には「ME3-29128」の船舶登録番号等が見て取れる。 | 志摩市大王町船越 | 1984.03.28 |
2510 | 船越の海女E-1-16 | 船越の海女小屋の外観風景である。浜辺から山の斜面に階段状の小径を作り、僅かな谷の平地を利用して小さな小屋が建てられている。外には白の磯着らしき物が何着か干されているが、徒人海女達が使う海女小屋かと思われる。 | 志摩市大王町船越 | 1984.03.28 |
2511 | 船越の海女E-1-17 | 船越舟人海女の船上風景である。操業を終え帰港するところだろうか、船上に白の磯着姿の海女と、スカリを付けたウキワが見て取れる。また、船腹には「ME3-24000」の船舶登録番号等が確認できる。 | 志摩市大王町船越 | 1984.03.28 |
2512 | 船越の海女E-1-18 | 船越舟人海女の操業風景である。艪を使って船を操るトマエ(船頭)は、海底の海女から合図があると磯グルマ(船越地区ではハイカラモチとかタイコと呼ぶ)に掛けた命綱を一気に手繰上げる。海面に浮上した海女は、磯笛と呼ばれる独特の呼吸法で息を整え、船縁に掴まって体を休め、次の潜水に備える。また、船上には海上安全の護符として漁師達に信仰の深い「青峯正福寺」の旗が立てられ、船腹には「ME3-43904」の船舶登録番号が見て取れる。 | 志摩市大王町船越 | 1984.03.28 |
2513 | 布施田(海女)E-2-1 | スライドシートの最下段には「船越・布施田 E-2」と記され、スライド枠には「1.8.21 野呂純子 布施田」と記される。布施田舟人海女の出漁風景かと思われる。布施田の海女漁は2月下旬から9月中旬まで操業が行われ、ウエットスーツの着用は自由で、操業時間は1日2回、1時間~2時間(季節によって変化)と定められている。主な漁獲物はアワビ・サザエ・トコブシ(フクダメ)の他、天草・アラメ・ヒジキ等の海藻類も採取される。参考文献:三重県教育委員会編・発行『平成22・23年度調査 海女習俗基礎調査報告書』平成24年 | 志摩市志摩町布施田 | 1989.08.21 |
2514 | 布施田(海女)E-2-2 | スライド枠には「1.8.21 野呂純子 布施田」と記される。布施田の海女小屋風景である。操業を終え海女小屋へと戻ってきた所であろう。周囲をトタンで囲まれた海女小屋の前で、黒のウエットスーツの上に濡れた白の磯着を着る海女の手にはスカリが握られている。手前には発泡スチロール製のウキワや腰に巻く鉛のベルト、潜水用の黄色の足ヒレ等が見て取れる。 | 志摩市志摩町布施田 | 1989.08.21 |
2515 | 布施田(海女)E-2-3 | スライド枠には「1.8.21 野呂純子 布施田」と記される。海女船から降りるノリアイの海女達である。午前中の一潜目を終えたのか、砂浜の波打ち際に着けた海女船から6人の海女達が少しばかりの手荷物を持って腰まで海に浸かって降り立つ。これから海女小屋えと向かうものと思われる。 | 志摩市志摩町布施田 | 1989.08.21 |
2516 | 布施田(海女)E-2-4 | スライド枠には「1.8.21 野呂純子 布施田」と記される。海女船から降りるノリアイの海女達である。午前中の一潜目を終えたのか、砂浜の波打ち際に着けた海女船から6人の海女達が少しばかりの手荷物を持って腰まで海に浸かって降り立つ。後方をもう一艘、7~8人の海女を乗せた海女船が消波ブロックの内側を走り来るのが見て取れる。降り立った海女達はこの後海女小屋えと向かうものと思われる。 | 志摩市志摩町布施田 | 1989.08.21 |
2517 | 布施田(海女)E-2-5 | スライド枠には「1.8.21 野呂純子 布施田」と記される。海女船から降り立ったノリアイの海女達。午前中の一潜目を終えたのか、砂浜の波打ち際に6人の海女達が少しばかりの手荷物を持って降り立つ。これから海女小屋へと向かうのであろうが、移動する海女船の船上にはまだウキワは積まれたままである。 | 志摩市志摩町布施田 | 1989.08.21 |
2518 | 布施田(海女)E-2-6 | スライド枠には「1.8.21 野呂純子 布施田」と記される。海女船から降りたノリアイの海女達。午前中の一潜目を終えたのか、磯手拭を被り、黒のウエットスーツの上から白の磯着を身に着けた6人の海女達が、少しばかりの手荷物を持って海女小屋へと向かう。 | 志摩市志摩町布施田 | 1989.08.21 |
2519 | 布施田(海女)E-2-7 | スライド枠には「1.8.21 野呂純子 布施田」と記される。海女小屋へと向かうノリアイの海女達。午前中の一潜目を終えたのか、磯手拭を被り、黒のウエットスーツの上から白の磯着を身に着けた海女達が、少しばかりの手荷物を持って海女小屋へと向かう。 | 志摩市志摩町布施田 | 1989.08.21 |
2520 | 布施田(海女)E-2-8 | スライド枠には「1.8.21 野呂純子 布施田」と記される。海女小屋へと向かうノリアイの海女達。浜から続く陸の平地にはトタン作りの海女小屋が何軒か建てられているようである。周囲には畑らしきものも見受けられる。 | 志摩市志摩町布施田 | 1989.08.21 |
2521 | 布施田(海女)E-2-9 | スライド枠には「1.8.21 野呂純子 布施田」と記される。布施田の海女小屋風景である。トタンやブルーシートでつくられた海女小屋に着いた海女達は、濡れたウエットスーツを脱いで磯着に着替え、薪を燃やし暖を取る。 | 志摩市志摩町布施田 | 1989.08.21 |
2522 | 布施田(海女)E-2-10 | スライド枠には「1.8.21 野呂純子 布施田」と記される。布施田の海女達の出荷風景である。二潜目の漁を終え帰港すると、漁業組合への出荷が始まる。海女達は、その日に取った漁獲物を持って漁協の市場へと出向く。 | 志摩市志摩町布施田 | 1989.08.21 |
2523 | 布施田(海女)E-2-11 | スライド枠には「1.8.21 野呂純子 布施田」と記される。布施田の海女達の出荷風景である。二潜目の漁を終え帰港すると、漁業組合への出荷が始まる。海女達は、その日に取った漁獲物を持って漁協の市場へと出向く。 | 志摩市志摩町布施田 | 1989.08.21 |
2524 | 布施田(海女)E-2-12 | スライド枠には「1.8.21 野呂純子 布施田」と記される。布施田の海女達の出荷風景である。二潜目の漁を終え帰港すると、漁業組合への出荷が始まる。海女達は、その日に取った漁獲物を持って漁協の市場へと出向く。 | 志摩市志摩町布施田 | 1989.08.21 |
2525 | 布施田(海女)E-2-13 | スライド枠には「1.8.21 野呂純子 布施田」と記される。布施田の海女達の出荷風景である。アワビは、その種類や大きさ、重さ、キズ等が丹念に調べられ、漁協職員によって出荷した海女名と共に記録されていく。また、スンポと呼ばれる木製の計測器で測り、基準に見たない小さなアワビは海に戻される。 | 志摩市志摩町布施田 | 1989.08.21 |
2526 | 布施田(海女)E-2-14 | スライド枠には「1.8.21 野呂純子 布施田」と記される。布施田の海女達の出荷風景である。アワビは、その種類や大きさ、重さ、キズ等が丹念に調べられ、漁協職員によって出荷した海女名と共に記録されていく。また、スンポと呼ばれる木製の計測器で測り、基準に見たない小さなアワビは海に戻される。 | 志摩市志摩町布施田 | 1989.08.21 |
2527 | 布施田(海女)E-2-15 | スライド枠には「1.8.21 野呂純子 布施田」と記される。この日の出荷も無事終えたのだろうか。缶ジュースを手に一息つく老海女。白い髪の毛と刻まれたシワ、赤銅色の肌は、海女として生きてきた逞しさを滲ませる。 | 志摩市志摩町布施田 | 1989.08.21 |
2528 | 布施田(海女)E-2-16 | スライド枠には「1.8.21 野呂純子 布施田」と記される。この日の出荷も無事終えたのだろうか。缶ジュースを手に一息つく老海女。白い髪の毛と刻まれたシワ、赤銅色の肌は、海女として生きてきた逞しさを滲ませる。 | 志摩市志摩町布施田 | 1989.08.21 |
2529 | 布施田「海女」E-3-1 | このスライドがはめ込まれた前のタイトルスライドには「布施田「海女」 89.8.21 E-3」と記され、スライド枠には「1.8.21 野呂純子 布施田」と記される。布施田の海女の出漁(船下し)風景である。陸に引揚げられていた海女船を、船底に丸太のコロなどを敷いて、船頭や海女達全員で船下しをする。布施田の海女漁は2月下旬から9月中旬まで操業が行われ、ウエットスーツの着用は自由で、操業時間は1日2回、1時間~2時間(季節によって変化)と定められている。主な採取物はアワビ・サザエ・トコブシ(フクダメ)の他、天草・アラメ・ヒジキ等の海藻類も採取される。参考文献:三重県教育委員会編・発行『平成22・23年度調査 海女習俗基礎調査報告書』平成24年 | 志摩市志摩町布施田 | 1989.08.21 |
2530 | 布施田「海女」E-3-2 | スライド枠には「1.8.21 野呂純子 布施田」と記される。海女の出漁(船下し)風景である。漁港整備が不十分な時代、風波を遮る湾内の多くは船を係留するだけの吃水域が無く、漁を終えた漁船はその都度、人力で陸へと引き揚げられた。写真は、出漁のための船下し作業である。船底に丸太等のコロを敷き、船頭や海女達が総出で波打際まで船を下していく。船下しに携わる船頭や海女の数は20人程もいる。船縁には磯グルマ(布施田地区ではハイカラ車とも呼ぶ)が取付けられている。また、隣の漁船の船腹には「ME3-47320」の船舶登録番号が見て取れる。 | 志摩市志摩町布施田 | 1989.08.21 |
2531 | 布施田「海女」E-3-3 | スライド枠には「1.8.21 野呂純子 布施田」と記される。海女の出漁(船下し)風景である。漁港整備が不十分な時代、風波を遮る湾内の多くは船を係留するだけの吃水域が無く、漁を終えた漁船はその都度、人力で陸へと引き揚げられた。写真は、出漁のための船下し作業である。船底に丸太等のコロを敷き、船頭や海女達が総出で波打際まで船を下し終えたところである。船下しに携わる船頭や海女の数は20人程もいる。 | 志摩市志摩町布施田 | 1989.08.21 |
2532 | 布施田「海女」E-3-4 | スライド枠には「1.8.21 野呂純子 布施田」と記される。海女の出漁(船下し)風景である。漁港整備が不十分な時代、風波を遮る湾内の多くは船を係留するだけの吃水域が無く、漁を終えた漁船はその都度、人力で陸へと引き揚げられた。写真は、出漁のための船下し作業である。船底に丸太等のコロを敷き、船頭や海女達が総出で波打際まで船を下し終え、船頭が棒を使って更に沖へと船を出そうとしている。少し沖には先に降ろされたのであろう三艘程の海女船が待機している。 | 志摩市志摩町布施田 | 1989.08.21 |
2533 | 布施田「海女」E-3-5 | スライド枠には「1.8.21 野呂純子 布施田」と記される。海女の出漁(船下し)風景である。漁港整備が不十分な時代、風波を遮る湾内の多くは船を係留するだけの吃水域が無く、漁を終えた漁船はその都度、人力で陸へと引き揚げられた。写真は、出漁のための船下し作業である。船底に丸太等のコロを敷き、船頭や海女達が総出で波打際まで船を下し終え、船頭が棒を使って更に沖へと船を出そうとしている。少し沖には先に降ろされたのであろう三艘程の海女船が待機している。 | 志摩市志摩町布施田 | 1989.08.21 |
2534 | 布施田「海女」E-3-6 | スライド枠には「1.8.21 野呂純子 布施田」と記される。海女の出漁(船下し)風景である。漁港整備が不十分な時代、風波を遮る湾内の多くは船を係留するだけの吃水域が無く、漁を終えた漁船はその都度、人力で陸へと引き揚げられた。写真は、出漁のための船下し作業である。船底に丸太等のコロを敷き、船頭や海女達が総出で波打際まで船を下していく。船下しに携わる船頭や海女の数は20人程もいる。船縁には磯グルマ(布施田地区ではハイカラ車とも呼ぶ)が取付けられている。また、「ME3-■5371」の船舶登録番号が見て取れる。 | 志摩市志摩町布施田 | 1989.08.21 |
2535 | 布施田「海女」E-3-7 | スライド枠には「1.8.21 野呂純子 布施田」と記される。海女の出漁風景である。漁港整備が不十分な時代、風波を遮る湾内の多くは船を係留するだけの吃水域が無く、漁を終えた漁船はその都度、人力で陸へと引き揚げられた。写真は、船底に丸太等のコロを敷き、船頭や海女達が総出で波打際まで降ろした船にノリアイの海女達が乗り込もうとしている。 | 志摩市志摩町布施田 | 1989.08.21 |
2536 | 布施田「海女」E-3-8 | スライド枠には「1.8.21 野呂純子 布施田」と記される。海女の出漁風景である。漁港整備が不十分な時代、風波を遮る湾内の多くは船を係留するだけの吃水域が無く、漁を終えた漁船はその都度、人力で陸へと引き揚げられた。写真は、船底に丸太等のコロを敷き、船頭や海女達が総出で波打際まで降ろした船にノリアイの海女達が乗り終えたところである。 | 志摩市志摩町布施田 | 1989.08.21 |
2537 | 布施田「海女」E-3-9 | スライド枠には「1.8.21 野呂純子 布施田」と記される。海女の出漁風景である。海女船の船下しを終えたのであろう。徒人の海女達かと思われるが、海女船が出漁した後、波打際に置かれたコロか流されてしまわないように、潮が満ちてこない所まで片付けておく。コロの先には移動をさせやすいように、2m程のロープが取付けられている。 | 志摩市志摩町布施田 | 1989.08.21 |
2538 | 布施田「海女」E-3-10 | スライド枠には「1.8.21 野呂純子 布施田」と記される。船を係留するための石柱かと思われる。その回りには、船を降ろしために脱いだ海女達の履物であろう、ゴム製のツッカケが多い。傍らには海女具が入れられているのか、口元をきつく結んだ黒いナイロン製の袋も置かれている。 | 志摩市志摩町布施田 | 1989.08.21 |
2539 | 布施田「海女」E-3-11 | スライド枠には「1.8.21 野呂純子 布施田」と記される。徒人の海女だろうか。船を降ろし終えたあと波打ち際を磯場へと向かう海女達。白い磯手拭を被りウエットスーツの上に白の磯着を身に付けた海女の手には、磯メガネとタンポ(布施田地区ではウキワとも呼ぶ)、潜水用の足ヒレ等が持たれている。 | 志摩市志摩町布施田 | 1989.08.21 |
2540 | 布施田「海女」E-3-12 | スライド枠には「1.8.21 野呂純子 布施田」と記される。徒人の海女だろうか。船を降ろし終えたあと波打ち際を磯場へと向かう海女。白い磯手拭を被りウエットスーツの上に白の磯着を身に付けた海女の手には、磯メガネとタンポ(布施田地区ではウキワとも呼ぶ)、潜水用の足ヒレ等が持たれている。 | 志摩市志摩町布施田 | 1989.08.21 |
2541 | 布施田「海女」E-3-13 | スライド枠には「1.8.21 野呂純子 布施田」と記される。徒人の海女だろうか。船を降ろし終えたあと波打ち際を磯場へと向かう海女。白い磯手拭を被りウエットスーツの上に白の磯着を身に付けた海女の手には、磯メガネとタンポ(布施田地区ではウキワとも呼ぶ)、潜水用の足ヒレ等が持たれている。 | 志摩市志摩町布施田 | 1989.08.21 |
2542 | 布施田「海女」E-3-14 | スライド枠には「1.8.21 野呂純子 布施田」と記される。徒人の海女だろうか。波打ち際を磯場へと向かう海女達。白い磯手拭を被りウエットスーツの上に白の磯着を身に着けた海女の手には、磯メガネとタンポ(布施田地区ではウキワとも呼ぶ)、潜水用の足ヒレ等が持たれている。また、海女達が向かう岬の端には磯場らしき岩礁帯も見える。写真下の浜辺に置かれた沢山の丸太は、船の上げ下ろしに使用するコロかと思われる。 | 志摩市志摩町布施田 | 1989.08.21 |
2543 | 布施田「海女」E-3-15 | スライド枠には「1.8.21 野呂純子 布施田」と記される。布施田の海女小屋の外観である。周囲をトタンで囲った小屋の前にブルーシートが張られている。その下には御座が敷かれ、海女の用具が入っていると思われるフゴやビニール製のカゴが四つほど置かれている。 | 志摩市志摩町布施田 | 1989.08.21 |
2544 | 船越・海女E-4-1 | このスライドがはめ込まれた前のタイトルスライドには「船越・海女 59.3.28 E-4」と記される。船越舟人海女の船上風景である。操業のための準備をする海女と船頭の姿が見て取れる。船は磯場へと到着したのであろう、船頭は艪で船を操り、船縁には磯グルマ(布施田地区ではハイカラ車とも呼ぶ)が取り付けられている。船腹には「ME3-29128」の船舶登録番号が確認できる。 | 志摩市大王町船越 | 1984.03.28 |
2545 | 船越・海女E-4-2 | 船外機と艪を備えた漁船。海女漁やヘタミ漁(見突き漁)、釣漁などに用いる志摩地方の小漁師船(磯漁船)である。船縁からはみ出した艪枕は、ヘタミ漁で用いる鉤針を付けた竿を置いたり、イソカゴを下げたりする時にも使用する。 | 志摩市大王町船越 | 1984.03.28 |
2546 | 船越・海女E-4-3 | 船越舟人海女の操業風景である。海底の海女から合図があるとトマエ(船頭)は磯グルマ(布施田地区ではハイカラ車とも呼ぶ)に掛けた命綱を一気に手繰上げる。引き揚げられた海女は、磯笛と呼ばれる独特の呼吸法で息を整え、船縁につかまりながら、次の潜水に整える。 | 志摩市大王町船越 | 1984.03.28 |
2547 | 船越・海女E-4-4 | 箱メガネと採貝具を使って漁をするヘタミ漁(見突き漁)である。トマエをするのは女性のようにも見えるが、夫婦での操業かも知れない。船腹には「ME3-31241」の船舶登録番号が見て取れる。 | 志摩市大王町船越 | 1984.03.28 |
2548 | 船越・海女E-4-5 | スライド枠には「S59 船越エビ網」と記される。海老網の修繕風景である。夕方仕掛けられたエビ網は、翌日早朝に引き揚げられる。網から漁獲物をはずし、ゴミや海藻類を取り除いたあと干され、破けた部分は漁師達の手でアバリと呼ばれる道具を使って繕われる。 | 志摩市大王町船越 | 1984 |
2549 | 船越・海女E-4-6 | 海女の操業風景である。白い磯手拭を被り白の磯着を身に着けた海女が、海底の磯場を確認しながら移動していく。腰には桶綱が結ばれ、傍らには磯桶が浮かぶ。写真からは船越地区の海女漁では無いようにも思える。場所や年代は不明である。 | 不明 | 不明 |
2550 | 船越・海女E-4-7 | 海女の操業風景である。白い磯手拭を被り白の磯着を身に着けた海女4名の姿が写される。二人の海女の手にはカギノミが持たれ、潜水直後で海面に足だけが見える海女の足は素足である。写真からは船越地区の海女漁では無いようにも思える。場所や年代は不明である。 | 不明 | 不明 |
2551 | 布施田(海女)E-5-1 | スライド枠には「1.8.21 野呂純子 布施田 E-5」と記される。海女小屋(布施田地区では磯人小屋とも呼ぶ)の室内風景である。小屋の中には「ヒドコ」と呼ばれる、薪を燃やし海女達が暖をとる場所が作られる。後ろには、薪が積上げられている。 | 志摩市志摩町布施田 | 1989.08.21 |
2552 | 布施田(海女)E-5-2 | スライド枠には「1.8.21 野呂純子 布施田 E-5」と記される。海女小屋(布施田地区では磯人小屋とも呼ぶ)の室内風景である。小屋の中には「ヒドコ」と呼ばれる、薪を燃やし海女達が暖をとる場所が作られる。後ろには、薪が積上げられている。 | 志摩市志摩町布施田 | 1989.08.21 |
2553 | 布施田(海女)E-5-3 | スライド枠には「1.8.21 野呂純子 布施田 E-5」と記される。海女小屋(布施田地区では磯人小屋とも呼ぶ)の室内風景である。小屋の中には「ヒドコ」と呼ばれる、薪を燃やし海女達が暖をとる場所が作られる。後ろには、薪が積上げられている。 | 志摩市志摩町布施田 | 1989.08.21 |
2554 | 布施田(海女)E-5-4 | スライド枠には「1.8.21 野呂純子 布施田」と記される。布施田の海岸線風景である。浜辺の少し沖に消波ブロックが設置されている。消波ブロックはイワガキやアワビ等魚介類の魚礁の役割を果たす場合も多いが、時には海流の変化を引き起こし、思いもしないところに砂浜が現れたり、逆に砂浜が無くり、持ち去られた砂が磯場を埋め尽くしてしまう漁場被害を引き起こす事も指摘されている。 | 志摩市志摩町布施田 | 1989.08.21 |
2555 | 布施田(海女)E-5-5 | スライド枠には「1.8.21 野呂純子 布施田」と記される。海女小屋の外観である。堤防の内側にトタン屋根の小屋とその前にブルーシートで日除けを施した海女小屋が何軒か建ち並ぶ。海女であろうか、堤防の上から沖を眺める三人の婦人の姿が見て取れる。 | 志摩市志摩町布施田 | 1989.08.21 |
2556 | 布施田(海女)E-5-6 | スライド枠には「1.8.21 野呂純子 布施田」と記される。海女小屋の外観である。堤防の内側にトタン屋根の小屋とその前にブルーシートで日除けを施した海女小屋が何軒か建ち並ぶ。海女であろうか、堤防の上から沖を眺める三人の婦人の姿が見て取れる。 | 志摩市志摩町布施田 | 1989.08.21 |
2557 | 布施田(海女)E-5-7 | スライド枠には「1.8.21 野呂純子 布施田」と記される。海女の操業風景である。見た目には砂地の海浜が沖へと続いているように見えるが、海底には磯場となる岩礁帯があると思われる。海女が使うタンポ(布施田地区ではウキワとも呼ぶ)とその沖には海女船らしき漁船も見える。 | 志摩市志摩町布施田 | 1989.08.21 |
2558 | 布施田(海女)E-5-8 | スライド枠には「1.8.21 野呂純子 布施田」と記される。海女の操業風景である。見た目には砂地の海浜が沖へと続いているように見えるが、海底には磯場となる岩礁帯があると思われる。海女が使うタンポ(布施田地区ではウキワとも呼ぶ)とその沖には海女船らしき漁船も見える。 | 志摩市志摩町布施田 | 1989.08.21 |
2559 | 布施田(海女)E-5-9 | スライド枠には「1.8.21 野呂純子 布施田」と記される。海女の操業風景である。沖の消波ブロックの手前に海女が使うタンポ(布施田地区ではウキワとも呼ぶ)と潜水の位置を示す赤い小旗が見える。見た目には砂地の海浜が沖へと続いているように見えるが、海底には磯場となる岩礁帯があると思われる。 | 志摩市志摩町布施田 | 1989.08.21 |
2560 | 布施田(海女)E-5-10 | スライド枠には「1.8.21 野呂純子 布施田」と記される。海女の操業風景である。沖の消波ブロックの手前に海女が使うタンポ(布施田地区ではウキワとも呼ぶ)と潜水の位置を示す赤い小旗が見える。見た目には砂地の海浜が沖へと続いているように見えるが、海底には磯場となる岩礁帯があると思われる。 | 志摩市志摩町布施田 | 1989.08.21 |
2561 | 布施田(海女)E-5-11 | スライド枠には「1.8.21 野呂純子 布施田」と記される。海女の操業風景である。漁を終えたのか、波打ち際に赤い小旗を立てたタンポ(布施田地区ではウキワとも呼ぶ)と胸元まで浸かった海女の姿が見える。 | 志摩市志摩町布施田 | 1989.08.21 |
2562 | 布施田(海女)E-5-12 | スライド枠には「1.8.21 野呂純子 布施田」と記される。漁を終え、スカリを取付けたタンポ(布施田地区ではウキワとも呼ぶ)や足ヒレを手に、海女小屋へと向かう海女。沖にはノリアイの海女船も見て取れる。 | 志摩市志摩町布施田 | 1989.08.21 |
2563 | 布施田(海女)E-5-13 | スライド枠には「1.8.21 野呂純子 布施田」と記される。漁を終え、スカリを付けたタンポ(布施田地区ではウキワとも呼ぶ)を肩に、足ヒレを手にした海女達が海女小屋へと向かう。顔の磯メガネはまだ付けたままである。沖には、磯グルマを取付けた舟人の海女船も見て取れる。 | 志摩市志摩町布施田 | 1989.08.21 |
2564 | 布施田(海女)E-5-14 | スライド枠には「1.8.21 野呂純子 布施田」と記される。漁を終え、スカリを付けたタンポ(布施田地区ではウキワとも呼ぶ)を肩に、足ヒレを手にした海女達が海女小屋へと向かう。顔の磯メガネはまだ付けたままである。 | 志摩市志摩町布施田 | 1989.08.21 |
2565 | 布施田(海女)E-5-15 | スライド枠には「1.8.21 野呂純子 布施田」と記される。漁を終え、スカリを付けたタンポ(布施田地区ではウキワとも呼ぶ)を肩に、足ヒレを手にした海女達が海女小屋へと向かう。顔の磯メガネはまだ付けたままである。 | 志摩市志摩町布施田 | 1989.08.21 |
2566 | 布施田(海女)E-5-16 | スライド枠には「1.8.21 野呂純子 布施田」と記される。漁を終え、海女小屋に着いた海女。黒のウエットスーツの上から白の磯着を身に付けている。右肩にはスカリを付けたタンポ(布施田地区ではウキワとも呼ぶ)を、右手には足ヒレや磯メガネが持たれている。日除けのブルーシートの下に敷かれた茣蓙の上にはフゴやビニール製のカゴ等が置かれている。 | 志摩市志摩町布施田 | 1989.08.21 |
2567 | 布施田(海女)E-5-17 | 漁を終え、海女小屋へと向かう海女が、堤防の階段を上って行く。白い磯手拭を被り黒のウエットスーツの上から白の磯着を身に付けている。右肩にはスカリを取付けたタンポ(布施田地区ではウキワとも呼ぶ)を、左手には足ヒレが持たれている。磯メガネはまだ顔に付けたままである。 | 志摩市志摩町布施田 | 1989.08.21 |
2568 | 布施田(海女)E-5-18 | スライド枠には「1.8.21 野呂純子 布施田」と記される。漁を終え、海女小屋に戻った海女。これから着替えて、暖を取り一休みするのであろう。海女は白い磯手拭を被り黒のウエットスーツの上から白の磯着を身に付けている。右肩にはスカリを付けたタンポ(布施田地区ではウキワとも呼ぶ)を掛けている。傍らには、潜水に用いる黄色の足ヒレが置かれている。 | 志摩市志摩町布施田 | 1989.08.21 |
2569 | 布施田(海女)E-5-19 | スライド枠には「1.8.21 野呂純子 布施田」と記される。海女が使用する大小のカギノミと、ノリアイの海女や徒人の海女が使用する、発泡スチロール製の浮き輪にスカリを取付けたタンポ(布施田地区でウキワとも呼ぶ)である。ウキワには海女の腰に結ぶ綱が取り付けられていて、海面に上がった海女は綱をたぐり寄せ、取ってきた海産物をスカリに入れる。また、ウキワに掴まって息を整えながら、海底の磯場を覗き込み、次の潜水場所へと移動するのにも利用する。カギノミは、ステンレス製と鉄製の様である。 | 志摩市志摩町布施田 | 1989.08.21 |
2570 | 布施田(海女)E-5-20 | スライド枠には「1.8.21 野呂純子 布施田」と記される。出荷の準備だろうか。取ってきたアワビやサザエをスカリに移す海女。その傍らで、興味深そうに二人の少女が覗き込んでいる。何気ない会話の中で、子供達は海で採れる海産物や海女に対する知識を自然と身に付けていくものと思われる。 | 志摩市志摩町布施田 | 1989.08.21 |
2571 | 志島の石経おらし1-1 | このスライドの前のスライド枠には「志島の石経おらし 96.3.18」と記される。また、スライドファイルのポケットには「志島の石経/1996年3月18日 午後3時30分~4時/調査員平賀大藏」と記された調査記録が添えられている。写真は海藻が寄りついた志島の砂浜風景である。海の荒れた日や台風の翌日などは、海底の岩礁から剥がれた海藻類が打ち寄せられる。化学肥料が簡単に手に入らない時代は、これらの海藻類も貴重な田畑の肥料として利用された。 | 志摩市阿児町志島 | 1996.03.18 |
2572 | 志島の石経おらし1-2 | 海藻を拾い集める婦人。胴長靴を身に付け流れ寄った海藻を拾い集める。写真手前の女性が集めているのは天草又はホンダワラ、波打際の女性が集めているのは若布の様に見える。天草は石花菜とも書かれ、心太(トコロテン)や寒天の材料として利用される。 | 志摩市阿児町志島 | 1996.03.18 |
2573 | 志島の石経おらし1-3 | モカケと呼ばれる藻採具である。海岸の波打ち際に打ち寄せる海藻類を拾う道具で、竹の先に松の木の枝を括り付けて作られている。 | 志摩市阿児町志島 | 1996.03.18 |
2574 | 志島の石経おらし1-4 | 般若心経が墨書された石経。「石経おらし」は志島の海女が、魚貝藻類の霊を供養し海の安全を祈願する行事である。海女達は朝から松尾町の青峯山正福寺に集まってゴマ祈祷を受けた後、地元住職が般若心経を墨書した262個の石と海女達が使う命綱や磯手拭いを志島の浜に設えた祭壇に置き、読経の中、香をあげ海に向かって手を合わせて操業の安全と豊漁を祈願する。読経が終わると、海女達は石経の石を一個ずつ手に持って海に投げ入れ、残った石経は漁船に積み込み志島の海岸に撒いていく。かつては旧暦2月18日の行事であったと言う。参考文献:平賀大藏調査「志島の石経」 | 志摩市阿児町志島 | 1996.03.18 |
2575 | 志島の石経おらし1-5 | スライド枠には「志島の石経」と記される。浜辺に設えた祭壇の上には、海女達が使う命綱や磯手拭いが並べられ、その上に石経が一個ずつ置かれる。 | 志摩市阿児町志島 | 1996.03.18 |
2576 | 志島の石経おらし1-6 | 石経おらしの準備をする。地元住職の支持で浜に机を運び出した海女達は、命綱や磯手拭いを並べ、その上に石経を一個づつ置いていく。 | 志摩市阿児町志島 | 1996.03.18 |
2577 | 志島の石経おらし1-7 | 海に向かって作られた祭壇である。住職が墨書した262個の石経は、青いプラスチック製のケースに入れられて祭壇前に置かれ、机中央には香炉、その左右には石経が載せられたメガネ箱、命綱、磯手拭等が置かれている。また、祭壇手前下には線香立が置かれている。 | 志摩市阿児町志島 | 1996.03.18 |
2578 | 志島の石経おらし1-8 | 海に向かって作られた祭壇である。住職が墨書した262個の石経は、青いプラスチック製のケースに入れられて祭壇前に置かれ、机中央には香炉、その左右には石経が載せられたメガネ箱、命綱、磯手拭等が置かれている。 | 志摩市阿児町志島 | 1996.03.18 |
2579 | 志島の石経おらし1-9 | スライド枠には「志島石経沈め」と記される。準備が整うと住職が祭壇の中央に立ち、海に向かって読経を始める。組合長以下漁協関係者は住職の右後ろに、海女達は左後ろに座り読経を見守る。 | 志摩市阿児町志島 | 1996.03.18 |
2580 | 志島の石経おらし1-10 | 準備が整うと住職が祭壇の中央に立ち、海に向かって読経を始める。組合長以下漁協関係者は住職の右後ろに、海女達は左後ろに座り読経を見守る。 | 志摩市阿児町志島 | 1996.03.18 |
2581 | 志島の石経おらし1-11 | 準備が整うと住職が祭壇の中央に立ち、海に向かって読経を始める。組合長以下漁協関係者は住職の右後ろに、海女達は左後ろに座り読経を見守る。 | 志摩市阿児町志島 | 1996.03.18 |
2582 | 志島の石経おらし1-12 | 準備が整うと住職が祭壇の中央に立ち、海に向かって読経を始める。組合長以下漁協関係者は住職の右後ろに、海女達は左後ろに座り読経を見守る。 | 志摩市阿児町志島 | 1996.03.18 |
2583 | 志島の石経おらし1-13 | 準備が整うと住職が祭壇の中央に立ち、海に向かって読経を始める。組合長以下漁協関係者は住職の右後ろに、海女達は左後ろに座り読経を見守る。 | 志摩市阿児町志島 | 1996.03.18 |
2584 | 志島の石経おらし1-14 | 準備が整うと住職が祭壇の中央に立ち、海に向かって読経を始める。組合長以下漁協関係者は住職の右後ろに、海女達は左後ろに座り読経を見守る。 | 志摩市阿児町志島 | 1996.03.18 |
2585 | 志島の石経おらし1-15 | 準備が整うと住職が祭壇の中央に立ち、海に向かって読経を始める。組合長以下漁協関係者は住職の右後ろに、海女達は左後ろに座り読経を見守る。 | 志摩市阿児町志島 | 1996.03.18 |
2586 | 志島の石経おらし1-16 | 準備が整うと住職が祭壇の中央に立ち、海に向かって読経を始める。組合長以下漁協関係者は住職の右後ろに、海女達は左後ろに座り読経を見守る。 | 志摩市阿児町志島 | 1996.03.18 |
2587 | 志島の石経おらし1-17 | 準備が整うと住職が祭壇の中央に立ち、海に向かって読経を始める。組合長以下漁協関係者は住職の右後ろに、海女達は左後ろに座り読経を見守る。 | 志摩市阿児町志島 | 1996.03.18 |
2588 | 志島の石経おらし1-18 | スライド枠には「志島の石経」と記される。準備が整うと住職が祭壇の中央に立ち、海に向かって読経を始める。組合長以下漁協関係者は住職の右後ろに、海女達は左後ろに座り読経を見守る。 | 志摩市阿児町志島 | 1996.03.18 |
2589 | 志島の石経おらし1-19 | 準備が整うと住職が祭壇の中央に立ち、海に向かって読経を始める。組合長以下漁協関係者は住職の右後ろに、海女達は左後ろに座り読経を見守る。 | 志摩市阿児町志島 | 1996.03.18 |
2590 | 志島の石経おらし2-1 | スライドシート下段のスライド枠には「2」と記される。読経の途中、住職はリンを取り出し、祭壇の上に置かれたメガネ箱や命綱、磯手拭いの上でリンを振り鳴らしながら読経を続ける。 | 志摩市阿児町志島 | 1996.03.18 |
2591 | 志島の石経おらし2-2 | スライド枠には「石経・志島」と記される。読経の途中、住職はリンを取り出し、祭壇の上に置かれたメガネ箱や命綱、磯手拭いの上でリンを振り鳴らしながら読経を続ける。 | 志摩市阿児町志島 | 1996.03.18 |
2592 | 志島の石経おらし2-3 | 読経の途中、住職はリンを取り出し、祭壇の上に置かれたメガネ箱や命綱、磯手拭いの上でリンを振り鳴らしながら読経を続ける。 | 志摩市阿児町志島 | 1996.03.18 |
2593 | 志島の石経おらし2-4 | 読経の途中、住職はリンを取り出し、祭壇の上に置かれたメガネ箱や命綱、磯手拭いの上でリンを振り鳴らしながら読経を続ける。 | 志摩市阿児町志島 | 1996.03.18 |
2594 | 志島の石経おらし2-5 | その後、住職は祭壇右側に立って読経を続けると、まず組合長が祭壇の中央に進み出て香を焚き、海に向かって手を合わせ、海上安全と豊漁を祈願する。 | 志摩市阿児町志島 | 1996.03.18 |
2595 | 志島の石経おらし2-6 | 組合長の祈りが済むと参列した海女達は順次祭壇の前に進み出て、香を焚き海に向かって手を合わせ、操業の安全と豊漁を祈願する。 | 志摩市阿児町志島 | 1996.03.18 |
2596 | 志島の石経おらし2-7 | 組合長の祈りが済むと参列した海女達は順次祭壇の前に進み出て、香を焚き海に向かって手を合わせ、操業の安全と豊漁を祈願する。 | 志摩市阿児町志島 | 1996.03.18 |
2597 | 志島の石経おらし2-8 | 組合長の祈りが済むと参列した海女達は順次祭壇の前に進み出て、香を焚き海に向かって手を合わせ、操業の安全と豊漁を祈願する。 | 志摩市阿児町志島 | 1996.03.18 |
2598 | 志島の石経おらし2-9 | 組合長の祈りが済むと参列した海女達は順次祭壇の前に進み出て、香を焚き海に向かって手を合わせ、操業の安全と豊漁を祈願する。 | 志摩市阿児町志島 | 1996.03.18 |
2599 | 志島の石経おらし2-10 | 組合長の祈りが済むと参列した海女達は順次祭壇の前に進み出て、香を焚き海に向かって手を合わせ、操業の安全と豊漁を祈願する。 | 志摩市阿児町志島 | 1996.03.18 |
2600 | 志島の石経おらし2-11 | 組合長の祈りが済むと参列した海女達は順次祭壇の前に進み出て、香を焚き海に向かって手を合わせ、操業の安全と豊漁を祈願する。 | 志摩市阿児町志島 | 1996.03.18 |
2601 | 志島の石経おらし2-12 | 組合長の祈りが済むと参列した海女達は順次祭壇の前に進み出て、香を焚き海に向かって手を合わせ、操業の安全と豊漁を祈願する。 | 志摩市阿児町志島 | 1996.03.18 |
2602 | 志島の石経おらし2-13 | 組合長の祈りが済むと参列した海女達は順次祭壇の前に進み出て、香を焚き海に向かって手を合わせ、操業の安全と豊漁を祈願する。 | 志摩市阿児町志島 | 1996.03.18 |
2603 | 志島の石経おらし2-14 | 組合長の祈りが済むと参列した海女達は順次祭壇の前に進み出て、香を焚き海に向かって手を合わせ、操業の安全と豊漁を祈願する。 | 志摩市阿児町志島 | 1996.03.18 |
2604 | 志島の石経おらし2-15 | 参列者全員の祈りが済み、住職の読経が終わると、海女達は操業の安全と豊漁を祈って石経の石を一個ずつ手に取って海に投げ入れる。 | 志摩市阿児町志島 | 1996.03.18 |
2605 | 志島の石経おらし2-16 | 参列者全員の祈りが済み、住職の読経が終わると、海女達は操業の安全と豊漁を祈って石経の石を一個ずつ手に取って海に投げ入れる。 | 志摩市阿児町志島 | 1996.03.18 |
2606 | 志島の石経おらし2-17 | 一個づつ手に取った石経を海女全員が海に投げ終えると、残った石経は船に積み込まれる。船には二人の代表者が同乗し、残った石経を志島の沿岸の海に撒き、操業安全と大漁を祈る。 | 志摩市阿児町志島 | 1996.03.18 |
2607 | 志島の石経おらし2-18 | 一個づつ手に取った石経を海女全員が海に投げ終えると、残った石経は船に積み込まれる。船には二人の代表者が同乗し、残った石経を志島の沿岸の海に撒き、操業安全と大漁を祈る。 | 志摩市阿児町志島 | 1996.03.18 |
2608 | 石経沈め3-1 | このスライドの前にはめ込まれたタイトルスライドには「石経沈め」と記され、このスライド枠には「48.3.18」と記される。「石経沈め」は「石経おらし」とも言われ、毎年旧暦2月18日に行われる。オラシは「落とす」とか「沈める」という意味であろう。海藻や魚介類の豊漁と海上安全を祈願する行事で、石経は長径4~5㎝ほどの扁平の磯石に、276文字の般若心経の内、経文中の同じ文字10字を省いた266文字を墨書する。かつては一艘の漁船に漕ぎ手二人、漁協組合長等二~三人と僧侶が乗り組み、石経・洗米・塩・神酒を積み込み、志島の西の浜から出てチョッポリの島の外からウラゴを通りギッショ、オビラ、ナカイソを回ってイセズクシを過ぎて西の浜に帰る。その間、経を唱えながら石経を海中に沈めていく行事であったと言う。参考文献:鈴木敏雄著「志摩の民俗 下巻」昭和44年発行。写真は木桶に入れられた石経である。4~5㎝の扁平な小石に、般若心経の一文字が地元の住職によって墨書される。 | 志摩市阿児町志島 | 1973.03.18 |
2609 | 石経沈め3-2 | スライド枠には「48.3.18」と記される。木桶に入れられた石経である。4~5㎝の扁平な小石に、般若心経の一文字が地元の住職によって墨書される。 | 志摩市阿児町志島 | 1973.03.18 |
2610 | 石経沈め3-3 | スライド枠には「48.3.18」と記される。木桶に入れられた石経である。4~5㎝の扁平な小石に、般若心経の一文字が地元の住職によって墨書される。 | 志摩市阿児町志島 | 1973.03.18 |
2611 | 石経沈め3-4 | スライド枠には「48.3.18」と記される。昭和48年のこの写真では、堤防に祭壇を設え、その上に線香立てと神酒、祭壇の先には木桶に入れられた石経が置かれている。祭壇を前にして住職がリンを鳴らしながら経を唱え、その後ろには漁協の役員であろうか、三名の男性がひかえている。 | 志摩市阿児町志島 | 1973.03.18 |
2612 | 石経沈め3-5 | スライド枠には「48.3.18」と記される。昭和48年のこの写真では、堤防に祭壇を設え、その上に線香立てと神酒、祭壇の先には木桶に入れられた石経が置かれている。祭壇を前にして住職がリンを鳴らしながら経を唱え、その後ろには漁協の役員であろうか、三名の男性がひかえている。 | 志摩市阿児町志島 | 1973.03.18 |
2613 | 石経沈め3-6 | スライド枠には「48.3.18」と記される。木桶には住職によって般若心経の一文字が墨書された石経が入れられ、祭壇には線香と神酒が置かれている。 | 志摩市阿児町志島 | 1973.03.18 |
2614 | 石経沈め3-7 | スライド枠には「48.3.18」と記される。木桶には住職によって般若心経の一文字が墨書された石経が入れられ、祭壇には線香と神酒が置かれている。 | 志摩市阿児町志島 | 1973.03.18 |
2615 | 石経沈め3-8 | スライド枠には「48.3.18」と記される。地元住職によって墨書された石経である。石経には般若心経の一文字が記される。写真の石経にはそれぞれ、「色」、「若」、「度」、「照」、「羅」、「経」、「想」の文字が記されている。 | 志摩市阿児町志島 | 1973.03.18 |
2616 | 石経沈め3-9 | スライド枠には「48.3.18」と記される。堤防に祭壇を設え、その上に線香立てと神酒、祭壇の先には木桶に入れた石経が置かれている。祭壇を前にして住職がリンを鳴らしながら経を唱え、海上安全と豊漁を祈願する。その後ろには漁協の役員であろうか、三名の男性がひかえている。 | 志摩市阿児町志島 | 1973.03.18 |
2617 | 石経沈め3-10 | スライド枠には「48.3.18」と記される。堤防に祭壇を設え、その上に線香立てと神酒、祭壇の先には木桶に入れた石経が置かれている。祭壇を前にして住職がリンを鳴らしながら経を唱え、海上安全と豊漁を祈願する。その後ろには漁協の役員であろうか、三名の男性がひかえている。 | 志摩市阿児町志島 | 1973.03.18 |
2618 | 石経沈め3-11 | スライド枠には「48.3.18」と記される。堤防に祭壇を設え、その上に線香立てと神酒、祭壇の先には木桶に入れた石経が置かれている。住職は経を唱えながら、海上安全と豊漁を祈願する。その後ろには漁協の役員であろうか、三名の男性がひかえている。 | 志摩市阿児町志島 | 1973.03.18 |
2619 | 石経沈め3-12 | スライド枠には「48.3.18」と記される。堤防に祭壇を設え、その上に線香立てと神酒、祭壇の先には木桶に入れた石経が置かれている。祭壇を前にして住職がリンを鳴らしながら経を唱え、海上安全と豊漁を祈願する。その後ろには漁協の役員であろうか、三名の男性がひかえている。 | 志摩市阿児町志島 | 1973.03.18 |
2620 | 石経沈め3-13 | スライド枠には「48.3.18」と記される。堤防に祭壇を設え、その上に線香立てと神酒、祭壇の先には木桶に入れた石経が置かれている。祭壇を前にして住職がリンを鳴らしながら経を唱え、海上安全と豊漁を祈願する。その後ろには漁協の役員であろうか、三名の男性がひかえている。 | 志摩市阿児町志島 | 1973.03.18 |
2621 | 志島の海女小屋4-1 | このスライドの前のスライド枠には「海女小屋 4」と記され、このスライド枠には「志島の海女小屋」と記される。志島の海女小屋の室内風景である。写真中央には海女達が暖を取るための炉が設えられ、その傍らに磯桶や莚、薪等が置かれている。 | 志摩市阿児町志島 | (不明) |
2622 | 志島の海女小屋4-2 | スライド枠には「志島」と記される。海女小屋の外観風景である。写真中央右のブロック造りの建物が海女小屋かと思われる。小屋の前はすぐ海で、左側には船揚場と斜路が作られ、漁船が三隻ほど引き揚げられている。この場所では船の修理も行うのか、左手前の漁船は、船内を青色に艫を白色に、真新しく塗装されている。 | 志摩市阿児町志島 | (不明) |
2623 | 志島の海女小屋4-3 | 今も現役の海女だろうか。コモを編む婦人達。禁漁期間や漁の合間に行う女性達の仕事の一つである。藁をスグリ、数本の藁束をわら縄で編んでいく。 | 志摩市阿児町志島 | (不明) |
2624 | 志島の海女小屋4-4 | 今も現役の海女だろうか。コモを編む婦人達。禁漁期間や漁の合間に行う女性達の仕事の一つである。藁をスグリ、数本の藁束をわら縄で編んでいく。 | 志摩市阿児町志島 | (不明) |
2625 | 志島の海女小屋4-5 | 今も現役の海女だろうか。コモを編む婦人達。禁漁期間や漁の合間に行う女性達の仕事の一つである。藁をスグリ、数本の藁束をわら縄で編んでいく。 | 志摩市阿児町志島 | (不明) |
2626 | 志島の海女小屋4-6 | 今も現役の海女だろうか。コモを編む婦人達。禁漁期間や漁の合間に行う女性達の仕事の一つである。藁をスグリ、数本の藁束をわら縄で編んでいく。 | 志摩市阿児町志島 | (不明) |
2627 | 志島の海女小屋4-7 | 今も現役の海女だろうか。コモを編む婦人達。禁漁期間や漁の合間に行う女性達の仕事の一つである。藁をスグリ、数本の藁束をわら縄で編んでいく。 | 志摩市阿児町志島 | (不明) |
2628 | 志島の海女小屋4-8 | 今も現役の海女だろうか。コモを編む婦人達。禁漁期間や漁の合間に行う女性達の仕事の一つである。藁をスグリ、数本の藁束をわら縄で編んでいく。婦人が座っているのは藁で作った莚であるが、今では見ることも少なくなってしまった。 | 志摩市阿児町志島 | (不明) |
2629 | 志島の海女小屋4-9 | 今も現役の海女だろうか。コモを編む婦人達。禁漁期間や漁の合間に行う女性達の仕事の一つである。藁をスグリ、数本の藁束をわら縄で編んでいく。婦人が座っているのは藁で作った莚であるが、今では見ることも少なくなってしまった。 | 志摩市阿児町志島 | (不明) |
2630 | 志島の海女小屋4-10 | 今も現役の海女だろうか。コモを編む婦人達。禁漁期間や漁の合間に行う女性達の仕事の一つである。藁をスグリ、数本の藁束をわら縄で編んでいく。婦人が座っているのは藁で作った莚であるが、今では見ることも少なくなってしまった。 | 志摩市阿児町志島 | (不明) |
2631 | 志島の海女小屋4-11 | 今も現役の海女だろうか。コモを編む婦人達。禁漁期間や漁の合間に行う女性達の仕事の一つである。藁をスグリ、数本の藁束をわら縄で編んでいく。婦人が座っているのは藁で作った莚であるが、今では見ることも少なくなってしまった。 | 志摩市阿児町志島 | (不明) |
2632 | 志島の海女小屋4-12 | 今も現役の海女だろうか。コモを編む婦人達。禁漁期間や漁の合間に行う女性達の仕事の一つである。藁をスグリ、数本の藁束をわら縄で編んでいく。婦人が座っているのは藁で作った莚であるが、今では見ることも少なくなってしまった。 | 志摩市阿児町志島 | (不明) |
2633 | 志島の海女小屋4-13 | 志島の海女小屋の室内風景である。写真中央には海女達が暖を取るための炉が設えられ、その傍らに磯桶や莚、タンポ、薪等が置かれている。 | 志摩市阿児町志島 | (不明) |
2634 | 志島の海女小屋4-14 | 志島の海女小屋の室内風景である。写真中央には海女達が暖を取るための炉が設えられ、その傍らに磯桶や莚、タンポ、薪等が置かれている。 | 志摩市阿児町志島 | (不明) |
2635 | 志島の海女小屋4-15 | 志島の海女小屋の室内風景である。海女達が暖を取るための炉が設えられており、海女達が小腹を満たすために用いるのか、アラレ煎りと飯盒が置かれている。 | 志摩市阿児町志島 | (不明) |
2636 | 志島の海女小屋4-16 | 海女小屋の外観風景である。周囲をブロック塀で囲い、屋根はトタン葺きである。間口は一間半程で、引き戸が付けられている。外には薪として使うのか、端材が積まれている。 | 志摩市阿児町志島 | (不明) |
2637 | 志島の海女小屋4-17 | 海女小屋の前に作られた斜路である。木造の漁船が一艘引き揚げられ、船の塗装を終えたのか船底を赤色に、船腹を青色に、艫と船縁は白色に、船内は緑色に真新しく塗られている。艫には船外機が取付けられるように成っているが、エンジンは付けられていない。 | 志摩市阿児町志島 | (不明) |
2638 | 志島の海女小屋4-18 | 藁草履。かつてはごく日常的な履物で、漁村の女性達は岩場で海苔を摘んだり、磯物を拾ったりするときは「藁草履が一番滑らん」と言って使われた。これらの藁草履は漁や畑仕事に出ない日や、夜なべの仕事として手作りされた。 | 志摩市阿児町志島 | (不明) |
2639 | 志島の海女小屋4-19 | 薪。間伐された雑木や家屋の解体時に出た廃材を一定の長さに切り、蓄えておく。海女の口開けが済むと海女小屋で暖を取る時の蒔として利用される。廃材と一緒にウバメガシ(イマメとも呼んだりする)も含まれているようである。ウバメガシは、鳥羽・志摩一帯の海岸線に自生し、火保ちが良く備長炭の材料として使われる。 | 志摩市阿児町志島 | (不明) |
2640 | 志島の海女小屋5-1 | このスライドの前のスライド枠には「5」と記される。志島の海女小屋の室内風景かと思われる。海女達が暖を取るための炉が設えられている。 | 志摩市阿児町志島 | (不明) |
2641 | 志島の海女小屋5-2 | 志島の海女小屋の室内風景かと思われる。壁際にはタンポやスカリなどが掛けられている。手前の磯桶の底には「志摩郡志島 てふ」と書かれた文字が見て取れる。 | 志摩市阿児町志島 | (不明) |
2642 | 志島の海女小屋5-3 | 志島の海女小屋の室内風景である。壁際にはスカリのついたタンポ(ウキワ)等が掛けられている。 | 志摩市阿児町志島 | (不明) |
2643 | 志島の海女小屋5-4 | 志島の海女小屋の室内風景かと思われる。壁際にはタンポやスカリなどが掛けられている。 | 志摩市阿児町志島 | (不明) |
2644 | 志島の海女小屋5-5 | 志島の海女小屋の室内風景である。窓際には手袋などが干されている。 | 志摩市阿児町志島 | (不明) |
2645 | 汗かき地蔵6-1 | このスライドの前のタイトルスライドには「大王 あせかき地蔵 6」と記され、このスライド枠には「48.2.24」と記される。伝承によれば、鎌倉時代に漁師浜口惣三郎と言う漁師がが大王崎の沖合、俗称「大堂の瀬」で網を仕掛けたところ、同じ石塊が何度も網に掛かり、不思議に思って村に持ち帰り清掃したところ石仏地蔵菩薩が現れた。村の地下役人等と協議の末、堂を造り大供養をして安置したのがこの地蔵仏だとされる。この地蔵は、国家や村に吉事が起こるときには白い汗を、凶事の時には黒い汗をかくと言われている。参考文献:鈴木敏雄著「志摩の民俗 下巻」昭和44年発行。写真は波切地蔵堂の縁日で、病気平癒・大量満足・家内安全・家業繁盛などの祈祷会が行われる。御利益に預かろうと沢山の人々が訪れる。 | 志摩市大王町波切 | 1973.02.24 |
2646 | 汗かき地蔵6-2 | このスライド枠には「48.2.24」と記される。波切地蔵堂の縁日で、病気平癒・大量満足・家内安全・家業繁盛などの祈祷会が行われる。御利益に預かろうと近隣市町村からも沢山の人々が訪れる。 | 志摩市大王町波切 | 1973.02.24 |
2647 | 汗かき地蔵6-3 | このスライド枠には「48.2.24」と記される。波切地蔵堂の縁日で、病気平癒・大量満足・家内安全・家業繁盛などの祈祷会が行われる。御利益に預かろうと近隣市町村からも沢山の人々が訪れる。 | 志摩市大王町波切 | 1973.02.24 |
2648 | 汗かき地蔵6-4 | このスライド枠には「48.2.24」と記される。波切地蔵堂の縁日で、病気平癒・大量満足・家内安全・家業繁盛などの祈祷会が行われる。御利益に預かろうと近隣市町村からも沢山の人々が訪れる。 | 志摩市大王町波切 | 1973.02.24 |
2649 | 汗かき地蔵6-5 | このスライド枠には「48.2.24」と記される。波切の海岸線と集落景観である。写真中央右上に波切灯台が写る。 | 志摩市大王町波切 | 1973.02.24 |
2650 | 国崎の海女1-1-1 | アルバムのタイトルには「国崎の海女」と記されるが、撮影場所は国崎では無いように思われる。漁港内の堤防では、釣をする子供達や手をつないで歩く女児等が写される。また、操業を終え帰ってきた所なのか、海女船の船頭が船を係留しようとしている。船にはイソオケが二個ほど積まれている所をみるとノリアイの海女船のようである。 | 不明 | 1972.夏 |
2651 | 国崎の海女1-1-2 | アルバムのタイトルには「国崎の海女」と記されるが、撮影場所は国崎では無いように思われる。漁港内の堤防では、釣をする子供達が写される。また、操業を終え帰ってきた所なのか、海女船の船頭が船を係留しようとしている。船にはイソオケが積まれている所をみるとノリアイの海女船のようである。 | 不明 | 1972.夏 |
2652 | 国崎の海女1-1-3 | アルバムのタイトルには「国崎の海女」と記されるが、撮影場所は国崎では無いように思われる。漁港内の堤防では、釣をする子供達や道行く漁師達が写される。また、操業を終え帰ってきた所なのか、海女船の船頭が船を係留しようとしている。船にはイソオケが三個ほど積まれている所をみるとノリアイの海女船のようである。海女船の手前に係留されている漁船の船縁には「ME-28860」の船舶登録番号が見て取れる。 | 不明 | 1972.夏 |
2653 | 国崎町(海女)1-1-4 | タンカー船の沈没現場写真である。船体からは「苛性ソーダ」、「第二十■ ■■■」の文字が見て取れる。 | 不明 | 1972.夏 |
2654 | 国崎町(海女)1-1-5 | タンカー船の沈没現場写真である。船体からは「苛性ソーダ」、「第二十■ ■■■」の文字が見て取れる。 | 不明 | 1972.夏 |
2655 | 国崎町(海女)1-1-6 | タンカー船の沈没現場写真である。船体からは「苛性ソーダ」、「第二十■ ■■■」の文字が見て取れる。 | 不明 | 1972.夏 |
2656 | 国崎町(海女)1-2-1 | タンカー船の沈没現場写真である。船体からは「苛性ソーダ」、「第二十■ ■■■」の文字が見て取れる。これから漁に向かうのか、沈没船の前を漁船が通り過ぎていく。 | 不明 | 1972.夏 |
2657 | 国崎町(海女)1-2-2 | 国崎町の遠景かと思われる。人家は海岸部に密集し、背後は鳥羽市加茂地区の山林へと続く。昭和45年の国勢調査では、国崎町の戸数は113世帯、人口661人(男317人、女344人)である。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2658 | 国崎町(海女)1-2-3 | 国崎町の遠景かと思われる。人家は海岸部に密集し、背後は鳥羽市加茂地区の山林へと続く。昭和45年の国勢調査では、国崎町の戸数は113世帯、人口661人(男317人、女344人)である。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2659 | 国崎町(海女)1-2-4 | 国崎町の遠景かと思われる。人家は海岸部に密集し、背後は鳥羽市加茂地区の山林へと続くが、谷間に沿った僅かな平地を階段状に水田が作られている。昭和45年の国勢調査では、国崎町の戸数は113世帯、人口661人(男317人、女344人)である。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2660 | 国崎町(海女)1-2-5 | 国崎町の遠景かと思われる。人家は海岸部に密集し、背後は鳥羽市加茂地区の山林へと続くが、谷間に沿った僅かな平地を階段状に水田が作られている。昭和45年の国勢調査では、国崎町の戸数は113世帯、人口661人(男317人、女344人)である。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2661 | 国崎町(海女)1-2-6 | 鳥羽市国崎町鎧崎における舟人海女の出漁(船下し)風景である。漁港整備が不十分な時代、風波を遮る湾内の多くは船を係留するだけの吃水域が無く、漁を終えた漁船はその都度、人力で陸へと引き揚げられた。写真は船底に丸太等のコロを敷き、船頭と海女による船下し作業である。海女はすでにウエットスーツに着替え、磯手拭を被り、腰にはスカリが付けられている。鳥羽市国崎町では舟人海女の事を夫婦で操業する事から「ととかか舟」とも呼ぶ。(写真は、世古昌生氏の海女船かと思われる。画像№1562~1585参照) | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2662 | 国崎町(海女)1-3-1 | 鳥羽市国崎町鎧崎における舟人海女の出漁(船下し)風景である。漁港整備が不十分な時代、風波を遮る湾内の多くは船を係留するだけの吃水域が無く、漁を終えた漁船はその都度、人力で陸へと引き揚げられた。写真は船底に丸太等のコロを敷き、船頭と海女による船下し作業である。海女はすでにウエットスーツに着替え、磯手拭を被り、腰にはスカリが付けられている。鳥羽市国崎町では舟人海女の事を夫婦で操業する事から「ととかか舟」とも呼ぶ。(写真は、世古昌生氏の海女船かと思われる。画像№1562~1585参照) | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2663 | 国崎町(海女)1-3-2 | 鳥羽市国崎町舟人海女の出漁風景である。ここ国崎町では舟人海女の事を夫婦で操業する事から「ととかか舟」とも呼ぶ。船上には海女の採取物を入れるイソカゴが置かれている。後方は鎧崎の船揚場で、写真中央やや右寄りに写るブロック造りの建物が海女小屋である。(写真は、世古昌生氏の海女船かと思われる。画像№1562~1585参照) | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2664 | 国崎町(海女)1-3-3 | 鳥羽市国崎町舟人海女の磯場へと向かう船上風景である。ここ国崎町では舟人海女の事を夫婦で操業する事から「ととかか舟」とも呼ぶ。船上には海女の採取物を入れるイソカゴが置かれ、黒のウエットスーツを身に着けた海女は命綱を腰に結び、操業の準備を進める。(写真は、世古昌生氏の海女船かと思われる。画像№1562~1585参照) | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2665 | 国崎町(海女)1-3-4 | 鳥羽市国崎町舟人海女の磯場へと向かう船上風景である。ここ国崎町では舟人海女の事を夫婦で操業する事から「ととかか舟」とも呼ぶ。船上には海女の採取物を入れるイソカゴが置かれ、黒のウエットスーツを身に着けた海女は命綱を腰に結び、操業の準備を進める。後は鎧崎の先端である。(写真は、世古昌生氏の海女船かと思われる。画像№1562~1585参照) | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2666 | 国崎町(海女)1-3-5 | 鳥羽市国崎町舟人海女の磯場へと向かう船上風景である。ここ国崎町では舟人海女の事を夫婦で操業する事から「ととかか舟」とも呼ぶ。船上には海女の採取物を入れるイソカゴが置かれ、黒のウエットスーツを身に着けた海女は、命綱を腰に結び操業の準備を進める。後方は鎧崎の船揚場で、写真上部右端写るブロック造りの建物は海女小屋である。(写真は、世古昌生氏の海女船かと思われる。画像№1562~1585参照) | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2667 | 国崎町(海女)1-3-6 | 鳥羽市国崎町舟人海女の磯場へと向かう船上風景である。ここ国崎町では舟人海女の事を夫婦で操業する事から「ととかか舟」とも呼ぶ。船上には海女の採取物を入れるイソカゴが置かれ、黒のウエットスーツを身に着けた海女は、命綱と鉛のベルトを腰に付け操業の準備を進める。後方は鎧崎の船揚場で、写真上部右端写るブロック造りの建物は海女小屋である。(写真は、世古昌生氏の海女船かと思われる。画像№1562~1585参照) | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2668 | 国崎町(海女)2-1-1 | 鳥羽市国崎町舟人海女の磯場へと向かう船上風景である。ここ国崎町では舟人海女の事を夫婦で操業する事から「ととかか舟」とも呼ぶ。船上には海女の採取物を入れるイソカゴが置かれ、黒のウエットスーツを身に着けた海女は、命綱と鉛のベルトを腰に付け操業の準備を進める。後方は鎧崎の船揚場で、写真上部右端写るブロック造りの建物は海女小屋である。(写真は、世古昌生氏の海女船かと思われる。画像№1562~1585参照) | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2669 | 国崎町(海女)2-1-2 | 鳥羽市国崎町舟人海女の磯場へと向かう船上風景である。ここ国崎町では舟人海女の事を夫婦で操業する事から「ととかか舟」とも呼ぶ。船上には海女の採取物を入れるイソカゴが置かれ、黒のウエットスーツを身に着けた海女は、命綱と鉛のベルトを腰に付け操業の準備を進める。傍らにはカギノミが置かれている。(写真は、世古昌生氏の海女船かと思われる。画像№1562~1585参照) | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2670 | 国崎町(海女)2-1-3 | 鳥羽市国崎町舟人海女の磯場へと向かう船上風景である。ここ国崎町では舟人海女の事を夫婦で操業する事から「ととかか舟」とも呼ぶ。船上には海女の採取物を入れるイソカゴが置かれ、黒のウエットスーツを身に着けた海女は、命綱と鉛のベルトを腰に付け操業の準備を進める。傍らにはカギノミが置かれている。(写真は、世古昌生氏の海女船かと思われる。画像№1562~1585参照) | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2671 | 国崎町(海女)2-1-4 | 鳥羽市国崎町舟人海女の磯場へと向かう船上風景である。ここ国崎町では舟人海女の事を夫婦で操業する事から「ととかか舟」とも呼ぶ。船上には海女の採取物を入れるイソカゴが置かれ、黒のウエットスーツを身に着けた海女は、命綱と鉛のベルトを腰に付け操業の準備を進める。傍らにはカギノミが置かれている。(写真は、世古昌生氏の海女船かと思われる。画像№1562~1585参照) | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2672 | 国崎町(海女)2-1-5 | 鳥羽市国崎町舟人海女の磯場へと向かう船上風景である。ここ国崎町では舟人海女の事を夫婦で操業する事から「ととかか舟」とも呼ぶ。船上には海女の採取物を入れるイソカゴが置かれ、黒のウエットスーツを身に着けた海女は、命綱と鉛のベルトを腰に付け操業の準備を進める。傍らにはカギノミが置かれている。(写真は、世古昌生氏の海女船かと思われる。画像№1562~1585参照) | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2673 | 国崎町(海女)2-1-6 | 鳥羽市国崎町舟人海女の磯場へと向かう船上風景である。ここ国崎町では舟人海女の事を夫婦で操業する事から「ととかか舟」とも呼ぶ。船上には海女の採取物を入れるイソカゴが置かれ、黒のウエットスーツを身に着けた海女は、命綱と鉛のベルトを腰に付け操業の準備を進める。傍らにはカギノミが置かれている。(写真は、世古昌生氏の海女船かと思われる。画像№1562~1585参照) | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2674 | 国崎町(海女)2-2-1 | 鳥羽市国崎町舟人海女の磯場へと向かう船上風景である。ここ国崎町では舟人海女の事を夫婦で操業する事から「ととかか舟」とも呼ぶ。船上には海女の採取物を入れるイソカゴが置かれ、黒のウエットスーツを身に着けた海女は、命綱と鉛のベルトを腰に付け操業の準備を進める。傍らにはカギノミが置かれている。(写真は、世古昌生氏の海女船かと思われる。画像№1562~1585参照) | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2675 | 国崎町(海女)2-2-2 | 鳥羽市国崎町舟人海女の船上風景である。磯場へと到着し操業開始の合図を待つ。ここ国崎町では舟人海女の事を夫婦で操業する事から「ととかか舟」とも呼ぶ。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2676 | 国崎町(海女)2-2-3 | 鳥羽市国崎町舟人海女の船上風景である。磯場へと到着し操業開始の合図を待つ。ここ国崎町では舟人海女の事を夫婦で操業する事から「ととかか舟」とも呼ぶ。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2677 | 国崎町(海女)2-2-4 | 鳥羽市国崎町舟人海女の船上風景である。磯場へと到着し操業開始の合図を待つ。ここ国崎町では舟人海女の事を夫婦で操業する事から「ととかか舟」とも呼ぶ。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2678 | 国崎町(海女)2-2-5 | 鳥羽市国崎町舟人海女の磯場へと向かう船上風景である。ここ国崎町では舟人海女の事を夫婦で操業する事から「ととかか舟」とも呼ぶ。船上では、黒のウエットスーツを身に着けた海女が、命綱と鉛のベルトを腰に付け、磯メガネを手にして操業の準備を進める。傍らにはカギノミが置かれている。(写真は、世古昌生氏の海女船かと思われる。画像№1562~1585参照) | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2679 | 国崎町(海女)2-2-6 | 鳥羽市国崎町舟人海女の磯場へと向かう船上風景である。ここ国崎町では舟人海女の事を夫婦で操業する事から「ととかか舟」とも呼ぶ。船上では、黒のウエットスーツを身に着けた海女が、命綱と鉛のベルトを腰に付け、磯メガネを手にして操業の準備を進める。傍らにはカギノミが置かれている。(写真は、世古昌生氏の海女船かと思われる。画像№1562~1585参照) | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2680 | 国崎町(海女)2-3-1 | 鳥羽市国崎町舟人海女の磯場へと向かう船上風景である。ここ国崎町では舟人海女の事を夫婦で操業する事から「ととかか舟」とも呼ぶ。船上では、黒のウエットスーツを身に着けた海女が、命綱と鉛のベルトを腰に付け、磯メガネを手にして操業の準備を進める。傍らにはカギノミが置かれている。(写真は、世古昌生氏の海女船かと思われる。画像№1562~1585参照) | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2681 | 国崎町(海女)2-3-2 | 鳥羽市国崎町舟人海女の磯場へと向かう船上風景である。ここ国崎町では舟人海女の事を夫婦で操業する事から「ととかか舟」とも呼ぶ。船上の海女の腰には水中で体が浮き上がるのを防ぐための鉛のベルトと、船頭に引揚げてもらうための命綱が付けられている。(写真は、世古昌生氏の海女船かと思われる。画像№1562~1585参照) | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2682 | 国崎町(海女)2-3-3 | 鳥羽市国崎町舟人海女の磯場へと向かう船上風景である。ここ国崎町では舟人海女の事を夫婦で操業する事から「ととかか舟」とも呼ぶ。船上の海女の腰には水中で体が浮き上がるのを防ぐための鉛のベルトと、船頭に引揚げてもらうための命綱が付けられている。(写真は、世古昌生氏の海女船かと思われる。画像№1562~1585参照) | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2683 | 国崎町(海女)2-3-4 | 鳥羽市国崎町舟人海女の磯場へと向かう船上風景である。ここ国崎町では舟人海女の事を夫婦で操業する事から「ととかか舟」とも呼ぶ。船上の海女の腰には水中で体が浮き上がるのを防ぐための鉛のベルトと、船頭に引揚げてもらうための命綱が付けられている。(写真は、世古昌生氏の海女船かと思われる。画像№1562~1585参照) | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2684 | 国崎町(海女)2-3-5 | 鳥羽市国崎町舟人海女の船上風景である。ここ国崎町では舟人海女の事を夫婦で操業する事から「ととかか舟」とも呼ぶ。磯場へと到着し操業開始の合図を待つ。船上の海女は磯手拭の上から磯メガネをかけ、何時でも海に入れるように準備を終えている。船頭は、船のエンジンを切り、艪で船を操る。船縁には磯グルマが取付けられている。(写真は、世古昌生氏の海女船かと思われる。画像№1562~1585参照) | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2685 | 国崎町(海女)2-3-6 | 鳥羽市国崎町舟人海女の操業風景である。ここ国崎町では舟人海女の事を夫婦で操業する事から「ととかか舟」とも呼ぶ。操業開始の合図が出たのであろう。海女は船縁から海へと入る。船頭は、船のエンジンを切り、艪で船を操る。船縁には磯グルマが取付けられている。(写真は、世古昌生氏の海女船かと思われる。画像№1562~1585参照) | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2686 | 国崎町(海女)3-1-1 | 鳥羽市国崎町舟人海女による船上げ風景である。漁を終え鎧崎の船揚場に戻って来た海女船は、波打際に船を艫から着け、丸太等のコロを船底に敷き、ウインチと人力で陸へと引き揚げる。写真は、磯手拭を被り、黒のウエットスーツを着たまま船底に敷くコロの準備をする海女。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2687 | 国崎町(海女)3-1-2 | 鳥羽市国崎町舟人海女による船上げ風景である。漁を終え鎧崎の船揚場に戻って来た海女船は、波打際に船を艫から着け、丸太等のコロを船底に敷き、ウインチと人力で陸へと引き揚げる。写真は、磯手拭を被り、黒のウエットスーツを着たまま船底に敷くコロの準備をする海女。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2688 | 国崎町(海女)3-1-3 | 鳥羽市国崎町舟人海女による船上げ風景である。漁を終え鎧崎の船揚場に戻って来た海女船は、波打際に船を艫から着け、丸太等のコロを船底に敷き、ウインチと人力で陸へと引き揚げる。写真は、磯手拭を被り、黒のウエットスーツを着たまま、巻き上げ用のロープを調製する海女。履物はゴム草履である。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2689 | 国崎町(海女)3-1-4 | 鳥羽市国崎町舟人海女による船上げ風景である。漁を終え鎧崎の船揚場に戻って来た海女船は、波打際に船を艫から着け、丸太等のコロを船底に敷き、ウインチと人力で陸へと引き揚げる。写真は、磯手拭を被り、黒のウエットスーツを着たまま、巻き上げ用のロープを調製する海女。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2690 | 国崎町(海女)3-1-5 | 鳥羽市国崎町舟人海女による船上げ風景である。漁を終え鎧崎の船揚場に戻って来た海女船は、波打際に船を艫から着け、丸太等のコロを船底に敷き、ウインチと人力で陸へと引き揚げる。写真は、磯手拭を被り、黒のウエットスーツを着たまま、巻き上げ用のロープを調製する海女。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2691 | 国崎町(海女)3-1-6 | 鳥羽市国崎町舟人海女による船上げ風景である。漁を終え鎧崎の船揚場に戻って来た海女船は、波打際に船を艫から着け、丸太等のコロを船底に敷き、ウインチと人力で陸へと引き揚げる。写真は、磯手拭を被り、黒のウエットスーツを着たまま、巻き上げ用のロープを用意する海女達。波打際には船底に敷くコロが並べられている。船尾には「(佐)栄」の船名が見て取れる。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2692 | 国崎町(海女)3-2-1 | 鳥羽市国崎町舟人海女による船上げ風景である。漁を終え鎧崎の船揚場に戻って来た海女船は、波打際に船を艫から着け、丸太等のコロを船底に敷き、ウインチと人力で陸へと引き揚げる。写真は、磯手拭を被り、黒のウエットスーツを着たまま、巻き上げ用のロープを取付ける海女達。波打際には船底に敷くコロが並べられ、船尾には「佐(栄)」の船名が見て取れる。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2693 | 国崎町(海女)3-2-2 | 鳥羽市国崎町舟人海女による船上げ風景である。漁を終え鎧崎の船揚場に戻って来た海女船は、波打際に船を艫から着け、丸太等のコロを船底に敷き、ウインチと人力で陸へと引き揚げる。写真は、磯手拭を被り、黒のウエットスーツを着たまま、巻き上げ用のロープを取付け、風波で船が横にならないように風下から支え、船底にコロが直角に入り込むよう作業を続ける海女達。波打際には船底に敷くコロが並べられ、船尾には「佐栄」の船名が見て取れる。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2694 | 国崎町(海女)3-2-3 | 鳥羽市国崎町舟人海女による船上げ風景である。漁を終え鎧崎の船揚場に戻って来た海女船は、波打際に船を艫から着け、丸太等のコロを船底に敷き、ウインチと人力で陸へと引き揚げる。写真は、船頭がウインチの操作をしているのであろう。磯手拭を被り、黒のウエットスーツを着たまま、引揚げが開始された船のコロを用意する海女。船尾には「(佐)栄」の船名が見て取れる。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2695 | 国崎町(海女)3-2-4 | 鳥羽市国崎町舟人海女による船上げ風景である。漁を終え鎧崎の船揚場に戻って来た海女船は、波打際に船を艫から着け、丸太等のコロを船底に敷き、ウインチと人力で陸へと引き揚げる。写真は、引揚げ作業をしていた海女の手に、コールタールか油の様な物が付いたのかも知れない。浜辺の小石で刮ぎ落としている。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2696 | 国崎町(海女)3-2-5 | 鳥羽市国崎町舟人海女による船上げ風景である。漁を終え鎧崎の船揚場に戻って来た海女船は、波打際に船を艫から着け、丸太等のコロを船底に敷き、ウインチと人力で陸へと引き揚げる。写真は、引揚げ作業をしていた海女の手に、コールタールか油の様な物が付いたのかも知れない。浜辺の小石で刮ぎ落としている。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2697 | 国崎町(海女)3-2-6 | 鳥羽市国崎町舟人海女による船上げ風景である。漁を終え鎧崎の船揚場に戻って来た海女船は、波打際に船を艫から着け、丸太等のコロを船底に敷き、ウインチと人力で陸へと引き揚げる。写真は、船の引き上げを終えたのであろう。使ったコロは、他船の引揚げの妨げにならないように片付けられる。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2698 | 国崎町(海女)3-3-1 | 鳥羽市国崎町舟人海女による船上げ風景である。漁を終え鎧崎の船揚場に戻って来た海女船は、波打際に船を艫から着け、丸太等のコロを船底に敷き、ウインチと人力で陸へと引き揚げる。写真は、船の引き上げを終えたのであろう。使ったコロは、他船の引揚げの妨げにならないように片付けられる。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2699 | 国崎町(海女)3-3-2 | 鳥羽市国崎町鎧崎の船揚場付近である。漁を終え船の引揚げも終えたのであろう。採取物を入れたイソカゴを手に海女達が帰り支度を始める。大潮の干潮時だろうか、潮は良く引いている。写真には写されていないが、前の岩場の左側が船揚場で、その上に海女小屋が設えられている。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2700 | 国崎町(海女)3-3-3 | 鳥羽市国崎町の鎧崎である。漁を終え船の引揚げも終えたのであろう。磯手拭を被り、黒のウエットスーツを身に着け、まだ着替えをしていない海女達が、採取物をイソカゴ(イカシカゴとも言う)に入れて、堤防から吊し畜養する。大半は子供や孫など身内のための食材として、自家消費される物が多いと言う。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2701 | 国崎町(海女)3-3-4 | 鳥羽市国崎町の鎧崎である。漁を終え船の引揚げも終えたのであろう。磯手拭を被り、黒のウエットスーツを身に着け、まだ着替えをしていない海女達が、採取物をイソカゴ(イカシカゴとも言う)に入れて、堤防から吊し畜養する。大半は子供や孫など身内のための食材として、自家消費される物が多いと言う。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2702 | 国崎町(海女)3-3-5 | 鳥羽市国崎町の鎧崎である。漁を終え船の引揚げも終えたのであろう。磯手拭を被り、黒のウエットスーツを身に着け、まだ着替えをしていない海女達が、採取物をイソカゴ(イカシカゴとも言う)に入れて、堤防から吊し畜養する。大半は子供や孫など身内のための食材として、自家消費される物が多いと言う。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2703 | 国崎町(海女)3-3-6 | 鳥羽市国崎町の鎧崎である。漁を終え船の引揚げも終えたのであろう。磯手拭を被り、黒のウエットスーツを身に着け、まだ着替えをしていない海女達が、採取物をイソカゴ(イカシカゴとも言う)に入れて、堤防から吊し畜養する。大半は子供や孫など身内のための食材として、自家消費される物が多いと言う。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2704 | 国崎町(海女)4-1-1 | 鳥羽市国崎町の鎧崎である。漁を終え船の引揚げも終えたのであろう。磯手拭を被り、黒のウエットスーツを身に着け、まだ着替えをしていない海女達が、採取物をイソカゴ(イカシカゴとも言う)に入れて、堤防から吊し畜養する。大半は子供や孫など身内のための食材として、自家消費される物が多いと言う。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2705 | 国崎町(海女)4-1-2 | 鳥羽市国崎町の鎧崎である。漁を終え船の引揚げも終えたのであろう。磯手拭を被り、黒のウエットスーツを身に着け、まだ着替えをしていない海女達が、採取物をイソカゴ(イカシカゴとも言う)に入れて、堤防から吊し畜養する。大半は子供や孫など身内のための食材として、自家消費される物が多いと言う。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2706 | 国崎町(海女)4-1-3 | 鳥羽市国崎町の鎧崎である。漁を終え船の引揚げも終えたのであろう。磯手拭を被り、黒のウエットスーツを身に着け、まだ着替えをしていない海女達が、採取物をイソカゴ(イカシカゴとも言う)に入れて、堤防から吊し畜養する。大半は子供や孫など身内のための食材として、自家消費される物が多いと言う。網袋に入れられているのは、今では見ることも少なくなったという、大量のイノカイである。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2707 | 国崎町(海女)4-1-4 | 鳥羽市国崎町の鎧崎である。漁を終え船の引揚げも終えたのであろう。磯手拭を被り、黒のウエットスーツを身に着け、まだ着替えをしていない海女達が、採取物をイソカゴ(イカシカゴとも言う)に入れて、堤防から吊し畜養する。大半は子供や孫など身内のための食材として、自家消費される物が多いと言う。網袋に入れられているのは、今では見ることも少なくなったという、大量のイノカイである。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2708 | 国崎町(海女)4-1-5 | 鳥羽市国崎町の鎧崎である。漁を終え船の引揚げも終えたのであろう。磯手拭を被り、黒のウエットスーツを身に着け、まだ着替えをしていない海女達が、採取物をイソカゴ(イカシカゴとも言う)に入れて、堤防から吊し畜養する。大半は子供や孫など身内のための食材として、自家消費される物が多いと言う。網袋に入れられているのは、今では見ることも少なくなったという、大量のイノカイである。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2709 | 国崎町(海女)4-1-6 | 鳥羽市国崎町の鎧崎である。漁を終え船の引揚げも終えたのであろう。磯手拭を被り、黒のウエットスーツを身に着け、まだ着替えをしていない海女達が、採取物をイソカゴ(イカシカゴとも言う)に入れて、堤防から吊し畜養する。大半は子供や孫など身内のための食材として、自家消費される事が多いと言う。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2710 | 国崎町(海女)4-2-1 | 鳥羽市国崎町の鎧崎である。漁を終え船の引揚げも終えたのであろう。磯手拭を被り、黒のウエットスーツを身に着け、まだ着替えをしていない海女達が、採取物をイソカゴ(イカシカゴとも言う)に入れて、堤防から吊し畜養する。大半は子供や孫など身内のための食材として、自家消費される物が多いと言う。豊かな海である。堤防下の海面には、アラメかカジメらしき海藻が多数顔を出している。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2711 | 国崎町(海女)4-2-2 | 鳥羽市国崎町の鎧崎である。漁を終え船の引揚げも終えたのであろう。磯手拭を被り、黒のウエットスーツを身に着け、まだ着替えをしていない海女達が、採取物をイソカゴ(イカシカゴとも言う)に入れて、堤防から吊し畜養する。大半は子供や孫など身内のための食材として、自家消費される物が多いと言う。豊かな海である。堤防下の海面には、アラメかカジメらしき海藻が多数顔を出している。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2712 | 国崎町(海女)4-2-3 | 鳥羽市国崎町の鎧崎である。漁を終え船の引揚げも終えたのであろう。磯手拭を被り、黒のウエットスーツを身に着け、まだ着替えをしていない海女達が、採取物をイソカゴ(イカシカゴとも言う)に入れて、堤防から吊し畜養する。大半は子供や孫など身内のための食材として、自家消費される物が多いと言う。豊かな海である。堤防下の海面には、アラメかカジメらしき海藻が多数顔を出している。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2713 | 国崎町(海女)4-2-4 | 国崎町の街並み景観である。国崎町はかつて大津波で集落が流されたため、漁港である大津浜から鎧崎の前の浜に至る小高い丘の上に現在(2023年)の集落が築かれたと言われる。斜面を敷地として活用するため、集落の随所にこのような石積みが見られる。石積みの隙間に棒を刺して物干し竿を掛け、洗濯物が干されている。路上では漁師だろうか、二人の男性が談笑する。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2714 | 国崎町(海女)4-2-5 | 国崎町の街並み景観である。国崎町はかつて大津波で集落が流されたため、漁港である大津浜から鎧崎の前の浜に至る小高い丘の上に現在(2023年)の集落が築かれたと言われる。斜面を敷地として活用するため、集落の随所にこのような石積みが見られる。狭い敷地を補うためか石積みの隙間に棒を刺して物干し竿を掛け、洗濯物が干されている。路上では漁師だろうか、二人の男性が談笑する。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2715 | 国崎町(海女)4-2-6 | 国崎町の街並み景観である。国崎町はかつて大津波で集落が流されたため、漁港である大津浜から鎧崎の前の浜に至る小高い丘の上に現在(2023年)の集落が築かれたと言われる。斜面を敷地として活用するため、集落の随所にこのような石積みが見られる。狭い敷地を補うためか石積みの隙間に棒を刺して物干し竿を掛け、洗濯物が干されている。路上では漁師だろうか、二人の男性が談笑する。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2716 | 国崎町(海女)4-3-1 | 石積みの前で談笑する男性たち。国崎町はかつて大津波で集落が流されたため、漁港である大津浜から鎧崎の前の浜に至る小高い丘の上に現在(2023年)の集落が築かれたと言われる。斜面を敷地として活用するため、石積みがみられたが、現在ではわずかばかり。石積みは住民が作ったり、志摩市大王町波切から職人を呼んだりしていた。限られたスペースを有効活用するためか、石積みの隙間に刺した棒に物干し竿がかけられ、洗濯物が干されている。(「海辺の毎日 国崎の暮らし写真展」報告書より) | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2717 | 国崎町(海女)4-3-2 | 国崎町の街並み景観である。国崎町はかつて大津波で集落が流されたため、漁港である大津浜から鎧崎の前の浜に至る小高い丘の上に現在(2023年)の集落が築かれたと言われる。斜面を敷地として活用するため、集落の随所にこのような石積みが見られる。狭い敷地を補うためか石積みの隙間に棒を刺して物干し竿を掛け、洗濯物が干されている。路上では漁師だろうか、二人の男性が談笑する。その左端には、見事な小麦色に日焼けした少年が顔を見せる。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2718 | 国崎町(海女)4-3-3 | 国崎町の街並み景観である。国崎町はかつて大津波で集落が流されたため、漁港である大津浜から鎧崎の前の浜に至る小高い丘の上に現在(2023年)の集落が築かれたと言われる。斜面を敷地として活用するため、集落の随所にこのような石積みが見られる。狭い敷地を補うためか石積みの隙間に棒を刺して物干し竿を掛け、洗濯物が干されている。路上では漁師だろうか、二人の男性が談笑する。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2719 | 国崎町(海女)4-3-4 | 国崎町の街並み景観である。国崎町はかつて大津波で集落が流されたため、漁港である大津浜から鎧崎の前の浜に至る小高い丘の上に現在(2023年)の集落が築かれたと言われる。斜面を敷地として活用するため、集落の随所にこのような石積みが見られる。狭い敷地を補うためか石積みの隙間に棒を刺して物干し竿を掛け、洗濯物が干されている。路上では漁師だろうか、二人の男性が談笑する。写真左横の看板は民宿か食堂か不明であるが、イセエビの図案と「■理/■■園」の文字が見て取れる。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2720 | 国崎町(海女)5-1-1 | 鳥羽市国崎町鎧崎の船揚場である。波打際の少し上に引揚げられた漁船の上では二人の漁師が刺網の準備を進める。その船の前をイナイボウ(担い棒)を肩にした婦人が通る。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2721 | 国崎町(海女)5-1-2 | イナイボウ(担い棒)をかつぎ、出荷場へ急ぐ海女。担い棒の前後にはイソカゴが吊るされている。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2722 | 国崎町(海女)5-1-3 | 国崎漁港の堤防である。漁を終え、着替えを済ませた海女達が、採ってきた鮑や栄螺の一部をカゴの口に網が取り付けられているイソカゴ(イカシカゴとも言う)に入れて、ロープで海中に吊し畜養する。大半は子供や孫など身内のための食材として、自家消費される事が多いと言う。ここでも漁や家族、村の出来事など、海女達の笑い声と話は尽きない。(画像№2117~2119参照) | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2723 | 国崎町(海女)5-1-4 | 国崎漁港の堤防である。漁を終え、着替えを済ませた海女達が、採ってきたアワビやサザエの一部をカゴの口に網が取り付けられているイソカゴ(イカシカゴとも言う)に入れて、ロープで海中に吊し畜養する。大半は子供や孫など身内のための食材として、自家消費される物が多いと言う。写真はアワビ計量の順番待ちをする光景である。画像№2724参照(「海辺の毎日 国崎の暮らし写真展」報告書より) | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2724 | 国崎町(海女)5-1-5 | 国崎漁港の南側の堤防(町民は「南堤防」と呼ぶ)で、アワビの計量を待つ海女たち。漁を終え、着替えを済ませ、採ってきたアワビやサザエの一部をカゴの口に網が取り付けられているイソカゴ(イカシカゴとも言う)に入れて、ロープで海中に吊している。大半は子供や孫など身内のための食材として、自家消費される物が多いと言う。その後ろには子守をする海女や担い棒が立てかけられているのがみられる。市場へ順番に計量しに行くが、待つ間は皆で漁や家族、村の出来事などおしゃべりを楽しんだ。現在(2023年)はイソカゴではなく市場の水槽にアワビを入れる。この当時の堤防は台風の荒波が超えることがあったため、倍の高さに嵩上げされている。画像№2117~2119参照(「海辺の毎日 国崎の暮らし写真展」報告書より) | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2725 | 国崎町(海女)5-1-6 | 国崎漁港の堤防である。漁を終え、着替えを済ませた海女達が、採ってきた鮑や栄螺の一部をカゴの口に網が取り付けられているイソカゴ(イカシカゴとも言う)に入れて、ロープで海中に吊し畜養する。大半は子供や孫など身内のための食材として、自家消費される物が多いと言う。ここでも漁や家族、村の出来事など、海女達の笑い声と話は尽きない。(画像№2117~2119参照) | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2726 | 国崎町(海女)5-2-1 | 国崎漁港の堤防である。漁を終え、着替えを済ませた海女達が、採ってきた鮑や栄螺の一部をカゴの口に網が取り付けられているイソカゴ(イカシカゴとも言う)に入れて、ロープで海中に吊し畜養する。大半は子供や孫など身内のための食材として、自家消費される物が多いと言う。稚児を背負いイソカゴを海に沈める。(画像№2117~2119参照) | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2727 | 国崎町(海女)5-2-2 | 国崎漁港の堤防である。漁を終え、着替えを済ませた海女達が、採ってきた鮑や栄螺の一部をカゴの口に網が取り付けられているイソカゴ(イカシカゴとも言う)に入れて、ロープで海中に吊し畜養する。大半は子供や孫など身内のための食材として、自家消費される物が多いと言う。稚児を背負いイソカゴを海に沈める。(画像№2117~2119参照) | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2728 | 国崎町(海女)5-2-3 | アワビの出荷風景である。海女漁を終え、採ってきた鮑を出荷する国崎町の海女達。アワビは種類や大きさ、キズ等の点検が行われた後に計量され、出荷した海女の名前と共に記録されていく。莚の傍らに置かれた台秤には「国崎」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2729 | 国崎町(海女)5-2-4 | アワビの出荷風景である。海女漁を終え、採ってきた鮑を出荷する国崎町の海女達。アワビは種類や大きさ、キズ等の点検が行われた後に計量され、出荷した海女の名前と共に記録されていく。莚の傍らに置かれた台秤には「国崎」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2730 | 国崎町(海女)5-2-5 | アワビの出荷風景である。海女漁を終え、採ってきた鮑を出荷する国崎町の海女達。アワビは種類や大きさ、キズ等の点検が行われた後に計量され、出荷した海女の名前と共に記録されていく。莚の傍らに置かれた台秤には国崎と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2731 | 国崎町(海女)5-2-6 | アワビの出荷風景である。海女漁を終え、採ってきた鮑を出荷する国崎町の海女達。アワビは種類や大きさ、キズ等の点検が行われた後に計量され、出荷した海女の名前と共に記録されていく。莚の傍らに置かれた台秤には「国崎」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2732 | 国崎町(海女)5-3-1 | アワビの出荷風景である。海女漁を終え、採ってきた鮑を出荷する国崎町の海女達。アワビは種類や大きさ、キズ等の点検が行われた後に計量され、出荷した海女の名前と共に記録されていく。アワビを計量用のカゴに移す海女。その前に立つ海女が頭に被った手拭には「○に吉」の文字が染め抜かれている。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2733 | 国崎町(海女)5-3-2 | 国崎町のアワビの出荷風景である。漁を終えた海女達は、採ってきた鮑をイソカゴに入れイナイボウで担いで出荷場へとやって来る。アワビは種類や大きさ、キズ等の点検が行われた後に計量され、出荷した海女の名前と共に記録されていく。莚の傍らに置かれた台秤には「国崎」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2734 | 国崎町(海女)5-3-3 | 国崎町のアワビの出荷風景である。漁を終えた海女達は、採ってきた鮑をイソカゴに入れイナイボウで担いで出荷場へとやって来る。アワビは種類や大きさ、キズ等の点検が行われた後に計量され、出荷した海女の名前と共に記録されていく。莚の傍らに置かれた台秤には「組合№3」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2735 | 国崎町(海女)5-3-4 | 国崎町のアワビの出荷風景である。漁を終えた海女達は、採ってきた鮑をイソカゴに入れイナイボウで担いで出荷場へとやって来る。アワビは種類や大きさ、キズ等の点検が行われた後に計量され、出荷した海女の名前と共に記録されていく。莚の傍らに置かれた台秤には「組合№3」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2736 | 国崎町(海女)5-3-5 | 国崎町のアワビの出荷風景である。漁を終えた海女達は、採ってきた鮑をイソカゴに入れイナイボウで担いで出荷場へとやって来る。アワビは種類や大きさ、キズ等の点検が行われた後に計量され、出荷した海女の名前と共に記録されていく。莚の傍らに置かれた台秤には「組合(№3)」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2737 | 国崎町(海女)5-3-6 | 国崎町のアワビの出荷風景である。漁を終えた海女達は、採ってきた鮑をイソカゴに入れイナイボウで担いで出荷場へとやって来る。アワビは種類や大きさ、キズ等の点検が行われた後に計量され、出荷した海女の名前と共に記録されていく。莚の傍らに置かれた台秤には「組合(№3)」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2738 | 国崎町(海女)6-1-1 | 国崎町のアワビの出荷風景である。漁を終えた海女達は、採ってきた鮑をイソカゴに入れイナイボウで担いで出荷場へとやって来る。アワビは種類や大きさ、キズ等の点検が行われた後に計量され、出荷した海女の名前と共に記録されていく。傍らに置かれた黒いビニールを編み込んだイカシカゴには「○に仙」の文字が描かれている。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2739 | 国崎町(海女)6-1-2 | 国崎町のアワビの出荷風景である。漁を終えた海女達は、採ってきた鮑をイソカゴに入れイナイボウで担いで出荷場へとやって来る。アワビは種類や大きさ、キズ等の点検が行われた後に計量され、出荷した海女の名前と共に記録されていく。傍らに置かれた黒いビニールを編み込んだイカシカゴには「○に仙」の文字が描かれている。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2740 | 国崎町(海女)6-1-3 | 国崎町のアワビの出荷風景である。漁を終えた海女達は、採ってきた鮑をイソカゴに入れイナイボウで担いで出荷場へとやって来る。アワビは種類や大きさ、キズ等の点検が行われた後に計量され、出荷した海女の名前と共に記録されていく。傍らに置かれた黒いビニールを編み込んだイカシカゴには「○に仙」の文字が描かれている。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2741 | 国崎町(海女)6-1-4 | 国崎町のアワビの出荷風景である。漁を終えた海女達は、採ってきた鮑をイソカゴに入れイナイボウで担いで出荷場へとやって来る。アワビは種類や大きさ、キズ等の点検が行われた後に計量され、出荷した海女の名前と共に記録されていく。傍らに置かれた黒いビニールを編み込んだイカシカゴには「○に仙」の文字が描かれている。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2742 | 国崎町(海女)6-1-5 | 国崎町のアワビの出荷風景である。漁を終えた海女達は、採ってきた鮑をイソカゴに入れイナイボウで担いで出荷場へとやって来る。アワビは種類や大きさ、キズ等の点検が行われた後に計量され、出荷した海女の名前と共に記録されていく。傍らに置かれた黒いビニールを編み込んだイカシカゴには「○に仙」の文字が描かれている。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2743 | 国崎町(海女)6-1-6 | 国崎町のアワビの出荷風景である。漁を終えた海女達は、採ってきた鮑をイソカゴに入れイナイボウで担いで出荷場へとやって来る。アワビは種類や大きさ、キズ等の点検が行われた後に計量され、出荷した海女の名前と共に記録されていく。傍らに置かれた黒いビニールを編み込んだイカシカゴには「○に仙」の文字が、稚児を背負い出荷を待つ海女の手拭には「(鳥羽)市国崎町」の文字が描かれている。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2744 | 国崎町(海女)6-2-1 | アワビの出荷風景である。アワビは種類や大きさ、キズ等の点検が行われた後に計量され、出荷した海女の名前と共に記録されていく。海女漁を終え、採ってきたアワビを計量用のカゴに移し、秤にかける海女達。今では、これほどの量のアワビを目にすることは希であろう。海女が頭に被った手拭には「○に吉」の文字が染め抜かれている。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2745 | 国崎町(海女)6-2-2 | アワビの出荷風景である。アワビは種類や大きさ、キズ等の点検が行われた後に計量され、出荷した海女の名前と共に記録されていく。海女漁を終え、採ってきたアワビを計量用のカゴに移し、秤にかける海女達。今では、これほどの量のアワビを目にすることは希であろう。海女が頭に被った手拭には「○に吉」の文字が染め抜かれている。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2746 | 国崎町(海女)6-2-3 | アワビの出荷風景である。アワビは種類や大きさ、キズ等の点検が行われた後に計量され、出荷した海女の名前と共に記録されていく。海女漁を終え、採ってきたアワビを出荷する海女達。海女が頭に被った手拭には「○に吉」の文字が染め抜かれている。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2747 | 国崎町(海女)6-2-4 | アワビの出荷風景である。アワビは種類や大きさ、キズ等の点検が行われた後に計量され、出荷した海女の名前と共に記録されていく。海女漁を終え、採ってきたアワビを稚児を背負って出荷する海女達。海女が頭に被った手拭には「○に吉」の文字が染め抜かれている。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2748 | 国崎町(海女)6-2-5 | アワビの出荷風景である。アワビは種類や大きさ、キズ等の点検が行われた後に計量され、出荷した海女の名前と共に記録されていく。海女漁を終え、採ってきたアワビを稚児を背負って出荷する海女達。海女が頭に被った手拭には「○に吉」の文字が染め抜かれている。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2749 | 国崎町(海女)6-2-6 | アワビの出荷風景である。アワビは種類や大きさ、キズ等の点検が行われた後に計量され、出荷した海女の名前と共に記録されていく。海女漁を終え、採ってきたアワビを計量用のカゴに移し、秤にかける海女達。台秤の裏には「鳥羽市国崎町 丸仙商店」の文字が、また稚児を背負った海女が頭に被った手拭には「○に吉」の絵文字と「造船 (鳥羽市)国崎町」の文字が見て取れる。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2750 | 国崎町(海女)6-3-1 | アワビの出荷風景である。アワビは種類や大きさ、キズ等の点検が行われた後に計量され、出荷した海女の名前と共に記録されていく。海女漁を終え、採ってきたアワビを計量用のカゴに移し、秤にかける海女達。台秤の裏には「鳥羽市国崎町 丸仙商店」の文字が、また稚児を背負った海女が頭に被った手拭には「○に吉」の絵文字と「造船 (鳥羽市)国崎町」の文字が見て取れる。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2751 | 国崎町(海女)6-3-2 | アワビの出荷風景である。アワビは種類や大きさ、キズ等の点検が行われた後に計量され、出荷した海女の名前と共に記録されていく。海女漁を終え、採ってきたアワビを計量用のカゴに移し、秤にかける海女達。台秤の裏には「鳥羽市国崎町 丸仙商店」の文字が、また稚児を背負った海女が頭に被った手拭には「○に吉」の絵文字と「(造船)鳥羽市国崎町」の文字が見て取れる。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2752 | 国崎町(海女)6-3-3 | アワビの出荷風景である。アワビは種類や大きさ、キズ等の点検が行われた後に計量され、出荷した海女の名前と共に記録されていく。海女漁を終え、採ってきたアワビを計量用のカゴに移し、秤にかける海女達。稚児を背負った海女が頭に被った手拭には「○に吉」の絵文字と「(造船)鳥羽市国崎町」の文字が見て取れる。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2753 | 国崎町(海女)6-3-4 | アワビの出荷風景である。アワビは種類や大きさ、キズ等の点検が行われた後に計量され、出荷した海女の名前と共に記録されていく。海女漁を終え、採ってきたアワビを計量用のカゴに移し、秤にかける海女達。台秤の裏には「(鳥羽市国崎町) 丸仙商店」の文字が見て取れる 。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2754 | 国崎町(海女)6-3-5 | アワビの出荷風景である。アワビは種類や大きさ、キズ等の点検が行われた後に計量され、出荷した海女の名前と共に記録されていく。海女漁を終え、採ってきたアワビを計量用のカゴに移し、秤にかける海女達。台秤の裏には「鳥羽市国崎町 丸仙商店」の文字が見て取れる。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2755 | 国崎町(海女)6-3-6 | 市場の建物がなく、墓地沿いの崖の下で計量していたときの風景である。アワビは種類や大きさ、キズなどの点検のあとに計量され、出荷した海女の名前とともに記録される。漁協職員と仲買人、海女が入りまじり活気が伝わる。 中央のハチマキをした人物は、仲買人をしていた国崎の丸仙商店の主人である。取引されたアワビは、鳥羽の丸幸商店などに納入されていた。背後の堤防は画像№2724の堤防に続いている。写真には子どもをおんぶする海女がいるが、漁の間は子守を常福寺に頼む家が多く、豊漁だった時期は子守のお礼にカゴいっぱいのアワビを渡していた。(「海辺の毎日 国崎の暮らし写真展」報告書より) | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2756 | 国崎町(海女)7-1-1 | アワビの出荷風景である。アワビは種類や大きさ、キズ等の点検が行われた後に計量され、出荷した海女の名前と共に記録されていく。海女漁を終え、採ってきたアワビを計量用のカゴに移し、秤にかける海女達。台秤の裏には「鳥羽市国崎町 丸仙商店」の文字が見て取れる。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2757 | 国崎町(海女)7-2-1 | (フイルム装填時のテスト撮影。カメラ機材の一部が写り込む) | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2758 | 国崎町(海女)7-2-2 | 刺網を繕う漁師。岩礁域に仕掛ける刺網は、引き揚げるときに岩に引っかかって破れたり、網に掛かった漁獲物にキズを付けないために、故意に網の目を切って外したりすることから、常に修繕が必要になる。漁師達は仕事の合間を縫って、「アバリ」と呼ぶ独特の道具を使って破れた網を繕っていく。写真は自宅の一室で、浮子の部分を固定し、沈子側の網の目を左足に引っかけ、左手で網を引っ張って網の目の大きさを合わせ、「アバリ」で破れた部分を繕っていく。その傍らには、修繕用のアバリや糸、鋏等を入れる木箱が置かれている。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2759 | 国崎町(海女)7-2-3 | 刺網を繕う漁師。岩礁域に仕掛ける刺網は、引き揚げるときに岩に引っかかって破れたり、網に掛かった漁獲物にキズを付けないために、故意に網の目を切って外したりすることから、常に修繕が必要になる。漁師達は仕事の合間を縫って、「アバリ」と呼ぶ独特の道具を使って破れた網を繕っていく。写真は自宅の一室で、浮子の部分を固定し、沈子側の網の目を左足に引っかけ、左手で網を引っ張って網の目の大きさを合わせ、「アバリ」で破れた部分を繕っていく。その傍らには、修繕用のアバリや糸、鋏等を入れる木箱が置かれている。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2760 | 国崎町(海女)7-2-4 | 刺網を繕う漁師。岩礁域に仕掛ける刺網は、引き揚げるときに岩に引っかかって破れたり、網に掛かった漁獲物にキズを付けないために、故意に網の目を切って外したりすることから、常に修繕が必要になる。漁師達は仕事の合間を縫って、「アバリ」と呼ぶ独特の道具を使って破れた網を繕っていく。写真は自宅の一室で、浮子の部分を固定し、沈子側の網の目を左足に引っかけ、左手で網を引っ張って網の目の大きさを合わせ、「アバリ」で破れた部分を繕っていく。その傍らには、修繕用のアバリや糸、鋏等を入れる木箱が置かれている。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2761 | 国崎町(海女)7-2-5 | 刺網を繕う漁師。岩礁域に仕掛ける刺網は、引き揚げるときに岩に引っかかって破れたり、網に掛かった漁獲物にキズを付けないために、故意に網の目を切って外したりすることから、常に修繕が必要になる。漁師達は仕事の合間を縫って、「アバリ」と呼ぶ独特の道具を使って破れた網を繕っていく。写真は自宅の一室であろうか、左足に網の目を掛け、左手で網を引っ張って網の目の大きさを合わせ、右手で破れた箇所や破れ具合を確認する。その間、アバリは口に咥える。手と足と口を使って一切の無駄をそぎ落とした漁師の作業は、熟練の技だと言える。その傍らには、修繕用のアバリや糸、鋏等を入れる木箱が置かれている。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2762 | 国崎町(海女)7-2-6 | 刺網を繕う漁師。岩礁域に仕掛ける刺網は、引き揚げるときに岩に引っかかって破れたり、網に掛かった漁獲物にキズを付けないために、故意に網の目を切って外したりすることから、常に修繕が必要になる。漁師達は仕事の合間を縫って、「アバリ」と呼ぶ独特の道具を使って破れた網を繕っていく。写真は自宅の一室で、ナイロン製の刺網のロープの切り口が解けて来ないように、ローソクの火を使って固めている。その傍らには、修繕用のアバリや糸、鋏等を入れる木箱が置かれている。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2763 | 国崎町(海女)7-3-1 | 鳥羽市国崎町の街並み景観である。写真中央に雑貨店らしき「庄吉屋」の看板が掛かり、店の前には二人の子供が腰を掛ける。道を行くのは海女だろうか。肩に担いだイナイボウ(担い棒)の前後にイソカゴを吊している。また、道端で海を眺めるのは漁師の様である。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2764 | 国崎町(海女)7-3-2 | 鳥羽市国崎町の海岸道路の風景である。鎧崎の前の浜から漁港のある大津浜に至る護岸堤防で、漁師らしき男性が海を眺める。その先をイナイボウ(担い棒)の前後にイソカゴを吊した海女らしき女性が歩いて行く。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2765 | 国崎町(海女)7-3-3 | 国崎町の街並み景観である。国崎町はかつて大津波で集落が流されたため、漁港である大津浜から鎧崎の前の浜に至る小高い丘の上に現在(2023年)の集落が築かれたと言われる。斜面を敷地として活用するため、集落の随所にこのような石積みが見られる。狭い敷地を補うためか石積みの隙間に棒を刺して物干し竿を掛け、洗濯物が干されている。路上では漁師だろうか、二人の男性が談笑する。その左端には、海水浴から帰ってきたのか小麦色に日焼けした少年が水道の水をかける。(画像№2713~2719参照) | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2766 | 国崎町(海女)7-3-4 | 国崎町の街並み景観である。国崎町はかつて大津波で集落が流されたため、漁港である大津浜から鎧崎の前の浜に至る小高い丘の上に現在(2023年)の集落が築かれたと言われる。斜面を敷地として活用するため、集落の随所にこのような石積みが見られる。狭い敷地を補うためか石積みの隙間に棒を刺して物干し竿を掛け、洗濯物が干されている。路上では漁師だろうか、二人の男性が談笑する。その左端には、海水浴から帰ってきたのか小麦色に日焼けした少年が水道の水をかける。(画像№2713~2719参照) | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2767 | 国崎町(海女)7-3-5 | 国崎町の街並み景観である。国崎町はかつて大津波で集落が流されたため、漁港である大津浜から鎧崎の前の浜に至る小高い丘の上に現在(2023年)の集落が築かれたと言われる。斜面を敷地として活用するため、集落の随所にこのような石積みが見られる。狭い敷地を補うためか石積みの隙間に棒を刺して物干し竿を掛け、洗濯物が干されている。路上では漁師だろうか、二人の男性が談笑する。その左端には、海水浴から帰ってきたのか小麦色に日焼けした少年が水道の水をかける。(画像№2713~2719参照) | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2768 | 国崎町(海女)7-3-6 | 国崎町の街並み景観である。国崎町はかつて大津波で集落が流されたため、漁港である大津浜から鎧崎の前の浜に至る小高い丘の上に現在(2023年)の集落が築かれたと言われる。斜面を敷地として活用するため、集落の随所にこのような石積みが見られる。狭い敷地を補うためか石積みの隙間に棒を刺して物干し竿を掛け、洗濯物が干されている。路上では漁師だろうか、二人の男性が談笑する。その左端には、海水浴から帰ってきたのか小麦色に日焼けした少年が水道の水をかける。(画像№2713~2719参照) | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2769 | 国崎町(海女)8-1-1 | 鳥羽市国崎町の鎧崎である。海岸の浸食を防ぐ為に設置され堤防からロープで吊し、アワビやサザエ等を畜養していたイソカゴ(アワビやサザエが逃げ出さないように篭の口に網を取付けた物でイカシカゴとも言う)を引揚げる海女達。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2770 | 国崎町(海女)8-1-2 | 鳥羽市国崎町の鎧崎である。海岸の浸食を防ぐ為に設置され堤防からロープで吊し、アワビやサザエ等を畜養していたイソカゴ(アワビやサザエが逃げ出さないように篭の口に網を取付けた物でイカシカゴとも言う)を引揚げる海女達。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2771 | 国崎町(海女)8-1-3 | 鳥羽市国崎町の鎧崎である。海岸の浸食を防ぐ為に設置され堤防からロープで吊し、アワビやサザエ等を畜養していたイソカゴ(アワビやサザエが逃げ出さないように篭の口に網を取付けた物でイカシカゴとも言う)を引揚げる海女達。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2772 | 国崎町(海女)8-1-4 | 鳥羽市国崎町の鎧崎である。海岸の浸食を防ぐ為に設置され堤防からロープで吊し、アワビやサザエ等を畜養していたイソカゴ(アワビやサザエが逃げ出さないように篭の口に網を取付けた物でイカシカゴとも言う)を引揚げ、イナイボウ(担い棒)で運ぶ海女達。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2773 | 国崎町(海女)8-1-5 | 鳥羽市国崎町の鎧崎から、イナイボウ(担い棒)にイソカゴを吊し運ぶ海女達。後のイソカゴの方が重いのであろう、前後の重さを均等にするために、前のイソカゴには20㎝程の石が1つ乗せられている。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2774 | 国崎町(海女)8-1-6 | 鎧崎の前の浜から、国崎漁港の大津浜へと至る護岸堤防道路である。海女の右肩には、イソカゴを吊したイナイボウ(担い棒)が担がれている。後のイソカゴの方が重いのであろう、前後の重さを均等にするために、前のイソカゴには20㎝程の石が1つ乗せられている。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2775 | 国崎町(海女)8-2-1 | 鎧崎の前の浜から、国崎漁港の大津浜へと至る護岸堤防道路である。海女の右肩には、イソカゴを吊したイナイボウ(担い棒)が担がれている。後のイソカゴの方が重いのであろう、前後の重さを均等にするために、前のイソカゴには20㎝程の石が1つ乗せられている。写真中央右側に10艘ほどの漁船が引揚げられているが、鎧崎の船揚場で、右端のブロック造りの建物は海女小屋である。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2776 | 国崎町(海女)8-2-2 | 鎧崎の前の浜から国崎漁港の大津浜に続く護岸堤防道路を歩く海女。右肩に、イソカゴを吊るした担い棒を担いでいる。前後のイソカゴの重さを均等にするために、前のイソカゴには20cmほどの石が1つ載せられている。自分のイソカゴだけでなく、頼まれて他の海女のイソカゴも一緒に運ぶこともあった。また、石を載せずに、担い棒をかつぐ位置を調整することで前後のカゴのバランスをとる人もいた。写真中央右側には鎧崎の船揚場が写り、10隻ほどの漁船が引き上げられているのがわかる。船の向こう側にあるブロック造りの建物は海女小屋である。(「海辺の毎日 国崎の暮らし写真展」報告書より) | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2777 | 国崎町(海女)8-2-3 | 鎧崎の前の浜から、国崎漁港の大津浜へと至る護岸堤防道路である。海女の右肩には、イソカゴを吊したイナイボウ(担い棒)が担がれている。後のイソカゴの方が重いのであろう、前後の重さを均等にするために、前のイソカゴには20㎝程の石が1つ乗せられている。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2778 | 国崎町(海女)8-2-4 | 鎧崎の前の浜から、国崎漁港の大津浜へと至る護岸堤防道路である。海女の右肩には、イソカゴを吊したイナイボウ(担い棒)が担がれている。後のイソカゴの方が重いのであろう、前後の重さを均等にするために、前のイソカゴには20㎝程の石が1つ乗せられている。写真中央の小高い丘が鎧崎である。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2779 | 国崎町(海女)8-2-5 | 二人の女性が肩を寄せ合い、運搬を交替する。肩に担いだイナイボウ(担い棒)を肩から肩へと受け渡す。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2780 | 国崎町(海女)8-2-6 | イナイボウ(担い棒)の前後にイソカゴを吊した海女が国崎漁港へと向かう。前のイソカゴの方が重いのであろう、前後の重さを均等にするために、後のイソカゴには20㎝程の石が1つ乗せられている。タンクローリーが停車しているが、昭和47年は第4次整備計画の最終年度である。国崎漁港の整備工事が行われているものと思われる。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2781 | 国崎町(海女)8-3-1 | イナイボウ(担い棒)の前後にイソカゴを吊した海女が、国崎漁港へと向かう。前のイソカゴの方が重いのであろう、前後の重さを均等にするために、後のイソカゴには20㎝程の石が1つ乗せられている。ダンプカーが写されているが、昭和47年は第4次整備計画の最終年度である。国崎漁港の整備工事が行われているものと思われる。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2782 | 国崎町(海女)8-3-2 | イナイボウ(担い棒)の前後にイソカゴを吊した海女が、国崎漁港へと向かう。前のイソカゴの方が重いのであろう、前後の重さを均等にするために、後のイソカゴには20㎝程の石が1つ乗せられている。タンクローリーが写されているが、昭和47年は第4次整備計画の最終年度である。国崎漁港の整備工事が行われているものと思われる。タンクローリが走る道路は相差町へと続く。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2783 | 国崎町(海女)8-3-3 | 国崎漁港の防波堤である。海女達が、イソカゴ(アワビやサザエが逃げ出さないように篭の口に網を取付けた物でイカシカゴとも言う)にロープを付けて海に吊し、採取物を畜養する。大半は子供や孫など身内のための食材として、自家消費される物が多いと言う。ここは、海女達の交流の場でもあり、漁や家族、村の出来事など談笑が絶えない。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2784 | 国崎町(海女)8-3-4 | 国崎漁港の防波堤である。海女達が、イソカゴ(アワビやサザエが逃げ出さないように篭の口に網を取付けた物でイカシカゴとも言う)にロープを付けて海に吊し、採取物を畜養する。大半は子供や孫など身内のための食材として、自家消費される物が多いと言う。ここは、海女達の交流の場でもあり、漁や家族、村の出来事など談笑が絶えない。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2785 | 国崎町(海女)8-3-5 | 国崎漁港の防波堤である。海女達が、イソカゴ(アワビやサザエが逃げ出さないように篭の口に網を取付けた物でイカシカゴとも言う)にロープを付けて海に吊し、採取物を畜養する。大半は子供や孫など身内のための食材として、自家消費される物が多いと言う。ここは、海女達の交流の場でもあり、漁や家族、村の出来事など談笑が絶えない。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2786 | 国崎町(海女)8-3-6 | 国崎漁港の防波堤である。海女達が、イソカゴ(アワビやサザエが逃げ出さないように篭の口に網を取付けた物でイカシカゴとも言う)にロープを付けて海に吊し、採取物を畜養する。大半は子供や孫など身内のための食材として、自家消費される物が多いと言う。ここは、海女達の交流の場でもあり、漁や家族、村の出来事など談笑が絶えない。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2787 | 国崎町(海女)9-1-1 | 国崎漁港の防波堤である。海女達が、イソカゴ(アワビやサザエが逃げ出さないように篭の口に網を取付けた物でイカシカゴとも言う)にロープを付けて海に吊し、採取物を畜養する。大半は子供や孫など身内のための食材として、自家消費される物が多いと言う。ここは、海女達の交流の場でもあり、漁や家族、村の出来事など談笑が絶えない。稚児を背負い、イソカゴを吊したイナイボウを担ぐ女性も見て取れる。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2788 | 国崎町(海女)9-1-2 | 国崎町のアワビの出荷風景である。漁を終えた海女達は、採ってきた鮑をイソカゴに入れイナイボウで担いで出荷場へとやって来る。アワビは種類や大きさ、キズ等の点検が行われた後に計量され、出荷した海女の名前と共に記録されていく。稚児を背負った海女の足下には、2つのイソカゴとイナイボウ(担い棒)が置かれている。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2789 | 国崎町(海女)9-1-3 | 国崎町のアワビの出荷風景である。漁を終えた海女達は、採ってきた鮑をイソカゴに入れイナイボウで担いで出荷場へとやって来る。アワビは種類や大きさ、キズ等の点検が行われた後に計量され、出荷した海女の名前と共に記録されていく。すでに出荷を終えたのであろう、イナイボウ(担い棒)を担いで帰路につくと思われる海女の姿も見て取れる。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2790 | 国崎町(海女)9-1-4 | 国崎町のアワビの出荷風景である。漁を終えた海女達は、採ってきた鮑をイソカゴに入れイナイボウで担いで出荷場へとやって来る。アワビは種類や大きさ、キズ等の点検が行われた後に計量され、出荷した海女の名前と共に記録されていく。写真中央では、イソカゴから出されたアワビが、計量用のカゴに移される。海女の頭の手拭には「○に吉」の文字が、傍らに置かれた黒いビニールを編み込んだイカシカゴには「○に仙」の文字が描かれている。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2791 | 国崎町(海女)9-1-5 | 国崎町のアワビの出荷風景である。漁を終えた海女達は、採ってきた鮑をイソカゴに入れイナイボウで担いで出荷場へとやって来る。アワビは種類や大きさ、キズ等の点検が行われた後に計量され、出荷した海女の名前と共に記録されていく。写真中央では、イソカゴから出されたアワビが、計量用のカゴに移される。傍らに置かれた黒いビニールを編み込んだイカシカゴには「○に仙」の文字が描かれている。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2792 | 国崎町(海女)9-1-6 | 国崎町のアワビの出荷風景である。漁を終えた海女達は、採ってきた鮑をイソカゴに入れイナイボウで担いで出荷場へとやって来る。アワビは種類や大きさ、キズ等の点検が行われた後に計量され、出荷した海女の名前と共に記録されていく。写真中央では、イソカゴから出されたアワビが、計量用のカゴに移される。傍らに置かれた黒いビニールを編み込んだイカシカゴには「○に仙」の文字が描かれている。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2793 | 国崎町(海女)9-3-1 | 国崎町のアワビの出荷風景である。漁を終えた海女達は、採ってきた鮑をイソカゴに入れイナイボウで担いで出荷場へとやって来る。アワビは種類や大きさ、キズ等の点検が行われた後に計量され、出荷した海女の名前と共に記録されていく。傍らの台秤には「国崎」の文字が描かれている。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2794 | 国崎町(海女)9-3-2 | 国崎町のアワビの出荷風景である。漁を終えた海女達は、採ってきた鮑をイソカゴに入れイナイボウで担いで出荷場へとやって来る。アワビは種類や大きさ、キズ等の点検が行われた後に計量され、出荷した海女の名前と共に記録されていく。傍らの台秤には「国崎」の文字が描かれている。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2795 | 国崎町(海女)9-3-3 | 国崎町のアワビの出荷風景である。漁を終えた海女達は、採ってきた鮑をイソカゴに入れイナイボウで担いで出荷場へとやって来る。アワビは種類や大きさ、キズ等の点検が行われた後に計量され、出荷した海女の名前と共に記録されていく。傍らの台秤には「国崎」の文字が描かれている。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2796 | 国崎町(海女)9-3-4 | 国崎町のアワビの出荷風景である。漁を終えた海女達は、採ってきた鮑をイソカゴに入れイナイボウで担いで出荷場へとやって来る。アワビは種類や大きさ、キズ等の点検が行われた後に計量され、出荷した海女の名前と共に記録されていく。台秤に乗せられた計量用のカゴにはアワビが山盛り入れられ、台秤の側面には「国崎」の文字が記されている。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2797 | 国崎町(海女)9-3-5 | 国崎町のアワビの出荷風景である。漁を終えた海女達は、採ってきた鮑をイソカゴに入れイナイボウで担いで出荷場へとやって来る。アワビは種類や大きさ、キズ等の点検が行われた後に計量され、出荷した海女の名前と共に記録されていく。海女が両手で持つ計量用のカゴには、アワビが山盛り入れられ、台秤の側面には「国崎」の文字が記されている。また、海女の頭の手拭には「安乗灯台90・・・・・」の文字も見て取れる。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2798 | 国崎町(海女)9-3-6 | 国崎町のアワビの出荷風景である。漁を終えた海女達は、採ってきた鮑をイソカゴに入れイナイボウで担いで出荷場へとやって来る。アワビは種類や大きさ、キズ等の点検が行われた後に計量され、出荷した海女の名前と共に記録されていく。出荷を終えたのであろう、稚児を背負った海女がイソカゴを吊したイナイボウ(担い棒)を手に帰路に着く。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2799 | 国崎町(海女)10-1-1 | 国崎町のアワビの出荷風景である。漁を終えた海女達は、採ってきた鮑をイソカゴに入れイナイボウで担いで出荷場へとやって来る。アワビは種類や大きさ、キズ等の点検が行われた後に計量され、出荷した海女の名前と共に記録されていく。出荷を終えたのであろう、稚児を背負った海女がイソカゴを吊したイナイボウ(担い棒)を手に帰路に着く。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2800 | 国崎町(海女)10-1-2 | 国崎町鎧崎の海女小屋である。これから出漁するのであろう、磯手拭を被り黒のウエットスーツを着込み、腰にはスカリを付けた海女達が見て取れる。小屋の外には焚木として利用すると思われる大量の枯れ木が積上げられている。写真手前は船揚場で、トマイ(船頭)達が船下し作業を始めているようである。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2801 | 国崎町(海女)10-1-3 | 国崎町鎧崎の海女小屋である。これから出漁するのであろう、磯手拭を被り黒のウエットスーツを着込んだ海女達が見て取れる。小屋の外には焚木として利用すると思われる大量の枯れ木が積上げられている。写真手前は船揚場で、トマイ(船頭)達が船下し作業を始めているようである。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2802 | 国崎町(海女)10-1-4 | 国崎町鎧崎の海女小屋である。これから出漁するのであろう、磯手拭を被り黒のウエットスーツを着込んだ海女達が見て取れる。小屋の外には焚木として利用すると思われる大量の枯れ木が積上げられている。写真手前は船揚場で、トマイ(船頭)達が船下し作業を始めているようである。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2803 | 国崎町(海女)10-1-5 | 国崎町鎧崎における舟人海女の出漁(船下し)風景である。漁港整備が不十分な時代、漁を終えた漁船はその都度、人力で陸へと引き揚げられた。写真は船底に丸太等のコロを敷き、船頭と海女が船を海まで下す作業である。海女はすでにウエットスーツに着替え、磯手拭を被っている。鳥羽市国崎町では舟人海女の事を夫婦で操業する事から「ととかか舟」とも呼ぶ。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2804 | 国崎町(海女)10-1-6 | 国崎町鎧崎における舟人海女の出漁(船下し)風景である。漁港整備が不十分な時代、漁を終えた漁船はその都度、人力で陸へと引き揚げられた。写真は船底に丸太等のコロを敷き、船頭と海女が船を海まで下す作業である。海女はすでにウエットスーツに着替え、磯手拭を被っている。鳥羽市国崎町では舟人海女の事を夫婦で操業する事から「ととかか舟」とも呼ぶ。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2805 | 国崎町(海女)10-2-1 | 国崎町鎧崎における舟人海女の出漁風景である。ここ国崎町では舟人海女の事を夫婦で操業する事から「ととかか舟」とも呼ぶ。波打際まで降ろされた海女船は、スクリューや舵が海底に着かない深さの所まで、竿で押し出される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2806 | 国崎町(海女)10-2-2 | 国崎町鎧崎における舟人海女の出漁風景である。ここ国崎町では舟人海女の事を夫婦で操業する事から「ととかか舟」とも呼ぶ。波打際まで降ろされた海女船は、スクリューや舵が海底に着かない深さの所まで、竿で押し出される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2807 | 国崎町(海女)10-2-3 | 国崎町鎧崎における舟人海女の出漁風景である。ここ国崎町では舟人海女の事を夫婦で操業する事から「ととかか舟」とも呼ぶ。波打際まで降ろされた海女船は、スクリューや舵が海底に着かない深さの所まで、竿で押し出される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2808 | 国崎町(海女)10-2-4 | 国崎町鎧崎における舟人海女の出漁風景である。ここ国崎町では舟人海女の事を夫婦で操業する事から「ととかか舟」とも呼ぶ。波打際まで降ろされた海女船は、スクリューや舵が海底に着かない深さの所まで、竿で押し出される。手前の海女船の艫には「福平」の船名が記されている。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2809 | 国崎町(海女)10-2-5 | 国崎町鎧崎の海女小屋である。これから出漁するのであろう、磯手拭を被り黒のウエットスーツを着込んだ海女達が見て取れる。小屋の外には焚木として利用すると思われる大量の枯れ木が積上げられている。写真手前は船揚場で、トマイ(船頭)や海女達が船下し作業を始めているようである。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2810 | 国崎町(海女)10-2-6 | 国崎町鎧崎における舟人海女の出漁風景である。ここ国崎町では舟人海女の事を夫婦で操業する事から「ととかか舟」とも呼ぶ。磯場へと向かう海女船の船上では、海女達が腰に鉛のベルトと命綱を付け、磯メガネの曇り止めを施すなど準備に余念が無い。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2811 | 国崎町(海女)10-3-1 | 国崎町鎧崎における舟人海女の出漁風景である。ここ国崎町では舟人海女の事を夫婦で操業する事から「ととかか舟」とも呼ぶ。磯場へと向かう海女船の船上では、海女達が腰に鉛のベルトと命綱を付け、磯メガネの曇り止めを施すなど準備に余念が無い。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2812 | 国崎町(海女)10-3-2 | 国崎町鎧崎における舟人海女の出漁風景である。ここ国崎町では舟人海女の事を夫婦で操業する事から「ととかか舟」とも呼ぶ。磯場へと向かう海女船の船上では、海女達が腰に鉛のベルトと命綱を付け、磯メガネの曇り止めを施すなど準備に余念が無い。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2813 | 国崎町(海女)10-3-3 | 鎧崎にて木造船の上で、操業準備をするノリアイ海女。腰に鉛のベルトをつけ、足ヒレを履き、磯メガネの曇り止めをするなど入念に準備をする。傍らには発泡スチロール製のタンポやスカリが置かれている。背後には同じく操業準備をする、プラスチック製の海女船がある。(「海辺の毎日 国崎の暮らし写真展」報告書より) | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2814 | 国崎町(海女)10-3-4 | 国崎町鎧崎におけるノリアイ海女の船上風景である。海女達が腰に鉛のベルトを付け、足ヒレを履き、磯メガネの曇り止めを施すなど準備に余念が無い。傍らには発砲スチロール製のタンポやスカリが置かれている。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2815 | 国崎町(海女)10-3-5 | 国崎町鎧崎における舟人海女の出漁風景である。ここ国崎町では舟人海女の事を夫婦で操業する事から「ととかか舟」とも呼ぶ。磯場へと向かう海女船の船上では、海女達が腰に鉛のベルトと命綱を付け、磯メガネの曇り止めを施すなど準備に余念が無い。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2816 | 国崎町(海女)10-3-6 | 国崎町鎧崎における舟人海女の出漁風景である。ここ国崎町では舟人海女の事を夫婦で操業する事から「ととかか舟」とも呼ぶ。磯場へと向かう海女船の船上では、海女達が腰に鉛のベルトと命綱を付け、磯メガネの曇り止めを施すなど準備に余念が無い。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2817 | 国崎町(海女)11-1-1 | 国崎町鎧崎における舟人海女の出漁風景である。ここ国崎町では舟人海女の事を夫婦で操業する事から「ととかか舟」とも呼ぶ。磯場へと向かう海女船の船上では、海女達が腰に鉛のベルトと命綱を付け、磯メガネの曇り止めを施すなど準備に余念が無い。写真左端の海女船には2人の海女が乗船している所を見るとノリアイの様である。(画像№2205~2221参照) | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2818 | 国崎町(海女)11-1-2 | 国崎町鎧崎における舟人海女の出漁風景である。ここ国崎町では舟人海女の事を夫婦で操業する事から「ととかか舟」とも呼ぶ。磯場へと向かう海女船の船上では、海女達が腰に鉛のベルトと命綱を付け、磯メガネの曇り止めを施すなど準備に余念が無い。写真左端の海女船には2人の海女が乗船している所を見るとノリアイの様である。(画像№2205~2221参照) | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2819 | 国崎町(海女)11-1-3 | 国崎町鎧崎における舟人海女の出漁風景である。ここ国崎町では舟人海女の事を夫婦で操業する事から「ととかか舟」とも呼ぶ。磯場へと向かう海女船の船上では、海女達が腰に鉛のベルトと命綱を付け、磯メガネの曇り止めを施すなど準備に余念が無い。写真左端の海女船には2人の海女が乗船している所を見るとノリアイの様である。(画像№2205~2221参照) | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2820 | 国崎町(海女)11-1-4 | 国崎町鎧崎における舟人海女の出漁風景である。ここ国崎町では舟人海女の事を夫婦で操業する事から「ととかか舟」とも呼ぶ。磯場へと向かう海女船の船上では、海女達が腰に鉛のベルトと命綱を付け、磯メガネの曇り止めを施すなど準備に余念が無い。写真左端の海女船には2人の海女が乗船している所を見るとノリアイの様である。(画像№2205~2221参照) | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2821 | 国崎町(海女)11-1-5 | 国崎町鎧崎における舟人海女の出漁風景である。ここ国崎町では舟人海女の事を夫婦で操業する事から「ととかか舟」とも呼ぶ。磯場へと向かう海女船の船上では、海女達が腰に鉛のベルトと命綱を付け、磯メガネの曇り止めを施すなど準備に余念が無い。写真左端の海女船には2人の海女が乗船している所を見るとノリアイの様である。(画像№2205~2221参照) | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2822 | 国崎町(海女)11-1-6 | 国崎と石鏡の磯境に近い荒見下(アラミシタ)という磯場で、操業開始の合図を待つフナドの海女船。山腹には建設中のパールロードがある。現在(2023年)は木が茂り、この磯場からパールロードは見えない。写真左下の岩場には、白い磯着のカチドが複数名、小さく写っている。カチドは山道やあぜ道を通り磯場へ向った。ウエットスーツと白い磯着が混在しているのは、ウエットスーツは1世帯1着という規制があったため。国崎は地先漁場を7区分し、日毎に1区画ずつ口開けをする輪採制を導入している。この輪採制は海女にとって資源管理だけでなく「事故が無いよう皆が同じ場所で潜る」という意味もある。パールロードは、自衛隊の協力を得て昭和37年11月に着工し、磯部町三ヶ所までの第一期工事18.2㎞は昭和48年に完成した。パールロード開通により市街地に出かけやすくなり、観光客も増えた。パールロードの下に点在する建物は「サンレポータウン」として開発された別荘地である。町民は建物を、その外観から「マッチ箱」と呼んでいた。画像№2205~2221参照(「海辺の毎日 国崎の暮らし写真展」報告書より) | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2823 | 国崎町(海女)11-2-1 | 国崎町舟人海女の操業風景である。ここ国崎町では舟人海女の事を夫婦で操業する事から「ととかか舟」とも呼ぶ。国崎町と石鏡町の磯境に近い磯場に到着し操業開始の合図を待つ海女船の船上では、トマイ(船頭)が船の舵を上げて艪を下ろし、海女は磯メガネを海水に浸して汚れを取っている。一艘の艫からは「清宝」の船名が読み取れる。また、陸には徒人の海女だろうか、白い磯着の人々が見て取れる。写真上部の山腹を走る白い帯状のものはパールロードで、その下に点在する白い建物は「サンレポータウン」の名称で宅地開発された別荘地である。(画像№2205~2221参照) | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2824 | 国崎町(海女)11-2-2 | 国崎町舟人海女の操業風景である。ここ国崎町では舟人海女の事を夫婦で操業する事から「ととかか舟」とも呼ぶ。国崎町と石鏡町の磯境に近い磯場に到着し操業開始の合図を待つ海女船の船上では、トマイ(船頭)が船の舵を上げて艪を下ろしている。写真上部の山腹を走る白い帯状のものはパールロードで、その下に点在する白い建物は「サンレポータウン」の名称で宅地開発された別荘地である。(画像№2205~2221参照) | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2825 | 国崎町(海女)11-2-3 | 国崎町舟人海女の操業風景である。ここ国崎町では舟人海女の事を夫婦で操業する事から「ととかか舟」とも呼ぶ。国崎町と石鏡町の磯境に近い磯場に到着した海女船は、舵を上げ艪で船を操り操業開始の合図を待つ。船縁には磯グルマが取付けられている。一艘の船腹には「ME3-28989」の船舶登録番号が確認できる。写真上部の山腹を走る白い帯状のものはパールロードで、その下に点在する白い建物は「サンレポータウン」の名称で宅地開発された別荘地である。(画像№2205~2221参照) | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2826 | 国崎町(海女)11-2-4 | 国崎町舟人海女の操業風景である。ここ国崎町では舟人海女の事を夫婦で操業する事から「ととかか舟」とも呼ぶ。国崎町と石鏡町の磯境に近い磯場に到着し、トマイ(船頭)は艪で船を操り、海女は磯手拭を被り黒のウエットスーツに磯メガネをかけ、腰には鉛のベルトと命綱、スカリを付けて船縁に腰掛け、操業開始の合図を待つ。足ヒレは付けていないようである。船縁には二つの磯グルマが取付けられ、海女の採取物を入れるイソカゴが吊されている。(画像№2205~2221参照) | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2827 | 国崎町(海女)11-2-5 | 国崎町舟人海女の操業風景である。ここ国崎町では舟人海女の事を夫婦で操業する事から「ととかか舟」とも呼ぶ。国崎町と石鏡町の磯境に近い磯場に到着し、トマイ(船頭)は艪で船を操り、海女は磯手拭を被り黒のウエットスーツに磯メガネをかけ、腰には鉛のベルトと命綱、スカリを付けて船縁に腰掛け、操業開始の合図を待つ。足ヒレは付けていないようである。船縁には二つの磯グルマが取付けられ、海女の採取物を入れるイソカゴが吊されている。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2828 | 国崎町(海女)11-2-6 | 国崎町舟人海女の操業風景である。ここ国崎町では舟人海女の事を夫婦で操業する事から「ととかか舟」とも呼ぶ。国崎町と石鏡町の磯境に近い磯場に到着し、トマイ(船頭)は艪で船を操り、海女は磯手拭を被り黒のウエットスーツに磯メガネをかけ、腰には鉛のベルトと命綱、スカリを付けて船縁に腰掛け、操業開始の合図を待つ。足ヒレは付けていないようである。船縁には二つの磯グルマが取付けられ、海女の採取物を入れるイソカゴが吊されている。(画像№2205~2221参照) | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2829 | 国崎町(海女)11-3-1 | 国崎町舟人海女の操業風景である。ここ国崎町では舟人海女の事を夫婦で操業する事から「ととかか舟」とも呼ぶ。国崎町と石鏡町の磯境に近い磯場に到着し、トマイ(船頭)は艪で船を操り、海女は黒のウエットスーツに磯メガネをかけ、腰には鉛のベルトと命綱、スカリを付けて船縁に腰掛け、操業開始の合図を待つ。足ヒレは付けていないようである。船縁には磯グルマが取付けられ、海女の採取物を入れるイソカゴが吊されている。(画像№2205~2221参照) | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2830 | 国崎町(海女)12-1-1 | 国崎町のアワビの出荷風景である。アワビは種類や大きさ、キズ等の点検が行われた後に計量され、出荷した海女の名前と共に記録されていく。漁を終えた海女達は着替えを済ませ、採ってきた鮑をイソカゴに入れイナイボウで担いで出荷場へとやって来る。傍らでは出荷を終えたのであろう、稚児を背負った海女がイソカゴを軽トラックの荷台に積み込み帰り支度を始めている。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2831 | 国崎町(海女)12-1-2 | 国崎町のアワビの出荷風景である。アワビは種類や大きさ、キズ等の点検が行われた後に計量され、出荷した海女の名前と共に記録されていく。出荷を終えたのであろう、すでにトラックの荷台に乗り込んだ海女達や、その傍らを稚児を背負った海女が幼児の手を引き、帰り支度を始めている。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2832 | 国崎町(海女)12-1-3 | 国崎は半農半漁の町で、集落背後の山地の谷間に水田があった。女性がひとり、草取り作業をしているのが見える。手前にはコンクリートで造ったため池が写っている。女性たちは海女漁の前後や海女漁に出ない日は、田畑の仕事をする。そのほとんどが自家消費栽培である。現在(2023年)では人口減や高齢化にともない田畑の面積が減少している。(「海辺の毎日 国崎の暮らし写真展」報告書より) | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2833 | 国崎町(海女)12-1-4 | 志摩地域の漁村の大半がそうであるように、ここ国崎町も半農半漁の町である。水耕面積は僅かではあるが、谷間に水田を持つ。婦人が一人草取りをしているが、耕作物は自家消費栽培が大半で、海女漁に出ない日は田畑の仕事にも精を出す。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2834 | 国崎町(海女)12-1-5 | 国崎町の街並み景観である。民家の塀には「強力殺虫剤 ハイアース/かとり線香 アース渦巻」のホーロー製看板が貼られている。(画像№2186~2187参照) | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2835 | 国崎町(海女)12-1-6 | 国崎町の街並み景観である。民家の塀には「強力殺虫剤 ハイアース/かとり線香 アース渦巻」のホーロー製看板が貼られている。(画像№2186~2187参照) | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2836 | 国崎町(海女)12-2-1 | 外から店内風景を撮影したものだが、国崎町のの雑貨店かと思われる。カウンターに店主らしき婦人と買い物をする女性が写される。店内には、牛乳等の飲料や菓子類、洗剤などが見て取れる。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2837 | 国崎町(海女)12-2-2 | 「文治屋」の店内風景を撮影したもの。品揃えが豊富で。カウンターに店主らしき女性と買い物をする女性が写される。牛乳等の飲料や菓子類、洗剤なども見て取れる。文治屋が国崎で最初にテレビを導入したので、皆が集まりテレビ鑑賞をしていたそう。年末は紅白歌合戦を観るため、何十人もが集まった。(「海辺の毎日 国崎の暮らし写真展」報告書より) | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2838 | 国崎町(海女)12-2-4 | 国崎町の鎧崎から石鏡方面を見た海岸風景である。外海に面した激しい風波で海岸線は削られ、急峻な山肌が直接海に落ち込む。写真左上端の山頂に小さく見える円形の建物は、パールロード箱田山展望台のレストハウスである。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2939 | 国崎町(海女)12-2-5 | 国崎町の鎧崎から石鏡方面を見た海岸風景である。外海に面した激しい風波で海岸線は削られ、急峻な山肌が直接海に落ち込む。写真左上端の山頂に小さく見える円形の建物は、パールロード箱田山展望台のレストハウスである。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2840 | 国崎町(海女)12-2-6 | 鳥羽市国崎町鎧崎における舟人海女の出漁(船下し)風景である。漁港整備が不十分な時代、漁を終えた漁船はその都度、人力で陸へと引き揚げられた。写真は船底に丸太等のコロを敷き、斜路を一気に滑り降りる海女船を船頭がロープでおらえながら船を下ろす。海女はすでにウエットスーツに着替え、磯手拭を被り、海に下りた後の船を操るために、竿を手に舳先側に立つ。鳥羽市国崎町では舟人海女の事を夫婦で操業する事から「ととかか舟」とも呼ぶ。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2841 | 国崎町(海女)12-3-1 | 鳥羽市国崎町鎧崎における舟人海女の出漁(船下し)風景である。漁港整備が不十分な時代、漁を終えた漁船はその都度、人力で陸へと引き揚げられた。写真は船底に丸太等のコロを敷き、船頭が海女船の艫を押して波打際に向かって船を下ろしている。海女はすでにウエットスーツに着替え、磯手拭を被り、海に下りた後の船を操るために、竿を手に舳先側に立つ。鳥羽市国崎町では舟人海女の事を夫婦で操業する事から「ととかか舟」とも呼ぶ。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2842 | 国崎町(海女)12-3-2 | 鳥羽市国崎町鎧崎における舟人海女の出漁(船下し)風景である。漁港整備が不十分な時代、漁を終えた漁船はその都度、人力で陸へと引き揚げられた。写真は船底に丸太等のコロを敷き、斜路を一気に滑り降りる海女船を船頭がロープでおらえながら船を下ろす。海女はすでにウエットスーツに着替え、磯手拭を被り、滑り降りる船に合わせて舳先側の船底にコロをかませていく。鳥羽市国崎町では舟人海女の事を夫婦で操業する事から「ととかか舟」とも呼ぶ。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2843 | 国崎町(海女)12-3-3 | 鳥羽市国崎町鎧崎における舟人海女の出漁(船下し)風景である。漁港整備が不十分な時代、漁を終えた漁船はその都度、人力で陸へと引き揚げられた。写真は船底に丸太等のコロを敷き、斜路を一気に滑り降りる海女船を船頭がロープでおらえながら船を下ろす。海女はすでにウエットスーツに着替え、磯手拭を被り、滑り降りる船に合わせて舳先側の船底にコロをかませていく。鳥羽市国崎町では舟人海女の事を夫婦で操業する事から「ととかか舟」とも呼ぶ。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2844 | 国崎町(海女)12-3-4 | 鳥羽市国崎町鎧崎における舟人海女の出漁(船下し)風景である。漁港整備が不十分な時代、漁を終えた漁船はその都度、人力で陸へと引き揚げられた。写真は船底に丸太等のコロを敷き、斜路を一気に滑り降りる海女船を船頭がロープでおらえながら船を下ろす。海女はすでにウエットスーツに着替え、磯手拭を被り、滑り降りる船に合わせて舳先側の船底にコロをかませていく。船尾には「漁昌」の船名が見える。鳥羽市国崎町では舟人海女の事を夫婦で操業する事から「ととかか舟」とも呼ぶ。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2845 | 国崎町(海女)12-3-5 | 鳥羽市国崎町鎧崎における舟人海女の出漁(船下し)風景である。漁港整備が不十分な時代、漁を終えた漁船はその都度、人力で陸へと引き揚げられた。写真は船底に丸太等のコロを敷き、斜路を一気に滑り降りる海女船を船頭がロープでおらえながら船を下ろす。海女はすでにウエットスーツに着替え、磯手拭を被り、滑り降りる船に合わせて舳先側の船底にコロをかませていく。船尾には「漁(昌)」の船名が見える。鳥羽市国崎町では舟人海女の事を夫婦で操業する事から「ととかか舟」とも呼ぶ。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2846 | 国崎町(海女)12-3-6 | 鳥羽市国崎町鎧崎における舟人海女の出漁(船下し)風景である。漁港整備が不十分な時代、漁を終えた漁船はその都度、人力で陸へと引き揚げられた。写真は波打際まで船を下ろし終えたところである。船上には艪とイソカゴ、メガネ箱に入れられた磯メガネ、カギノミ、ノミが積み込まれている。大半の船は下ろし終えたようである。斜路には丸太のコロが並ぶ。鳥羽市国崎町では舟人海女の事を夫婦で操業する事から「ととかか舟」とも呼ぶ。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2847 | 国崎町(海女)13-1-1 | 鳥羽市国崎町鎧崎における舟人海女の出漁(船下し)風景である。漁港整備が不十分な時代、漁を終えた漁船はその都度、人力で陸へと引き揚げられた。写真は波打際まで船を下ろし終えたところである。磯手拭を被り黒のウエットスーツを身に着け、艫から船に乗った海女の腰にはスカリが付けられている。鳥羽市国崎町では舟人海女の事を夫婦で操業する事から「ととかか舟」とも呼ぶ。(写真は、世古昌生氏の海女船かと思われる。画像№1581参照) | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2848 | 国崎町(海女)13-1-2 | 鳥羽市国崎町鎧崎における舟人海女の出漁(船下し)風景である。漁港整備が不十分な時代、漁を終えた漁船はその都度、人力で陸へと引き揚げられた。写真は波打際まで船を下ろし終えたところである。磯手拭を被り黒のウエットスーツを身に着け、艫から船に乗った海女の腰にはスカリが付けられ、傍らにはイソカゴが置かれている。鳥羽市国崎町では舟人海女の事を夫婦で操業する事から「ととかか舟」とも呼ぶ。(写真は、世古昌生氏の海女船かと思われる。画像№1581参照) | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2849 | 国崎町(海女)13-1-3 | 鳥羽市国崎町ノリアイ海女の出漁風景である。この日は風と波が少し出ているようである。艫の海女は舵を下ろし、オモテの海女は風波による船の移動を竿でおらえる。場所は鎧崎から続く前の浜と呼ばれる海岸線で、堤防の後は国崎町の集落である。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2850 | 国崎町(海女)13-1-4 | 鳥羽市国崎町舟人海女の磯場へと向かう出漁(船上)風景である。磯手拭を被り黒のウエットスーツを身に着けた船上の海女は、腰にスカリを結び付け操業の準備を進める。ここ国崎町では舟人海女の事を夫婦で操業する事から「ととかか舟」とも呼ぶ。写真上部右側の岩場は鎧崎でその麓に海女小屋が建てられている。その横は船揚場の斜路で、この辺り一帯は前の浜と呼ばれている。(写真は、世古昌生氏の海女船かと思われる。画像№1581参照) | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2851 | 国崎町(海女)13-1-5 | 鳥羽市国崎町舟人とノリアイの海女船が磯場へと向かう出漁(船上)風景である。磯手拭を被り黒のウエットスーツを身に着けた船上の海女は、腰にスカリを結び付け操業の準備を進める。ここ国崎町では舟人海女の事を夫婦で操業する事から「ととかか舟」とも呼ぶ。写真上部右側の岩場は鎧崎でその麓に海女小屋が建てられている。その横は船揚場の斜路で、この辺り一帯は前の浜と呼ばれている。(写真は、世古昌生氏の海女船かと思われる。画像№1581参照) | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2852 | 国崎町(海女)13-1-6 | 鳥羽市国崎町舟人海女の磯場へと向かう出漁(船上)風景である。磯手拭を被り黒のウエットスーツを身に着けた船上の海女は、腰にスカリを結び付け、鉛のベルトを巻いて操業の準備を進める。ここ国崎町では舟人海女の事を夫婦で操業する事から「ととかか舟」とも呼ぶ。(写真は、世古昌生氏の海女船かと思われる。画像№1581参照) | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2853 | 国崎町(海女)13-2-1 | 鳥羽市国崎町舟人海女の磯場へと向かう出漁(船上)風景である。磯手拭を被り黒のウエットスーツを身に着けた船上の海女は、腰にスカリを結び付け、鉛のベルトを巻いて操業の準備を進める。ここ国崎町では舟人海女の事を夫婦で操業する事から「ととかか舟」とも呼ぶ。(写真は、世古昌生氏の海女船かと思われる。画像№1581参照) | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2854 | 国崎町(海女)13-2-2 | 鳥羽市国崎町舟人海女の磯場へと向かう出漁(船上)風景である。磯手拭を被り黒のウエットスーツを身に着けた船上の海女は、腰にスカリを結び付け、鉛のベルトを巻いて操業の準備を進める。ここ国崎町では舟人海女の事を夫婦で操業する事から「ととかか舟」とも呼ぶ。(写真は、世古昌生氏の海女船かと思われる。画像№1581参照) | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2855 | 国崎町(海女)13-2-3 | 鳥羽市国崎町舟人海女の磯場へと向かう出漁(船上)風景である。磯手拭を被り黒のウエットスーツを身に着けた船上の海女は、腰にスカリを結び付け、鉛のベルトを巻き、磯メガネを取り出して操業の準備を進める。ここ国崎町では舟人海女の事を夫婦で操業する事から「ととかか舟」とも呼ぶ。(写真は、世古昌生氏の海女船かと思われる。画像№1581参照) | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2856 | 国崎町(海女)13-2-4 | 鳥羽市国崎町舟人海女の船上風景である。磯場の近くに到着したのであろう。磯手拭を被り黒のウエットスーツを身に着けた船上の海女は、腰にスカリを結び付け、鉛のベルトを巻き、軍手を履いてカギノミを握り、操業の合図を待つ。ここ国崎町では舟人海女の事を夫婦で操業する事から「ととかか舟」とも呼ぶ。(写真は、世古昌生氏の海女船かと思われる。画像№1581参照) | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2857 | 国崎町(海女)13-2-5 | 鳥羽市国崎町舟人海女の船上風景である。磯場の近くに到着したのであろう。磯手拭を被り黒のウエットスーツを身に着けた船上の海女は、腰にスカリを結び付け、鉛のベルトを巻き、軍手を履いてカギノミを握り、操業の合図を待つ。ここ国崎町では舟人海女の事を夫婦で操業する事から「ととかか舟」とも呼ぶ。船縁には艪が積まれ、イソカゴとメガネ箱が置かれている。(写真は、世古昌生氏の海女船かと思われる。画像№1581参照) | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2858 | 国崎町(海女)13-2-6 | 鳥羽市国崎町舟人海女の船上風景である。磯場の近くに到着したのであろう。磯手拭を被り黒のウエットスーツを身に着けた船上の海女は、腰にスカリを結び付け、鉛のベルトを巻き、軍手を履いてカギノミを握り、操業の合図を待つ。ここ国崎町では舟人海女の事を夫婦で操業する事から「ととかか舟」とも呼ぶ。船縁には艪が積まれ、イソカゴとメガネ箱が置かれている。(写真は、世古昌生氏の海女船かと思われる。画像№1581参照) | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2859 | 国崎町(海女)13-3-1 | 鳥羽市国崎町舟人海女の操業風景である。操業開始の合図が出されたのであろう。命綱を腰につけた海女が左舷から海へと入る。船縁には命綱を手繰上げるための磯グルマが取付けられている。(写真は、世古昌生氏の海女船かと思われる。画像№1581参照) | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2860 | 国崎町(海女)13-3-2 | 鳥羽市国崎町舟人海女の操業風景である。国崎町では舟人海女の事を夫婦で操業する事から「ととかか舟」とも呼ぶ。命綱を手に海面に浮上した海女は、磯笛と呼ばれる独特の呼吸法で息を整える。(写真は、世古昌生氏の海女船かと思われる。画像№1581参照) | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2861 | 国崎町(海女)13-3-3 | 鳥羽市国崎町舟人海女の操業風景である。国崎町では舟人海女の事を夫婦で操業する事から「ととかか舟」とも呼ぶ。命綱を手に海面に浮上した海女は、磯笛と呼ばれる独特の呼吸法で息を整える。(写真は、世古昌生氏の海女船かと思われる。画像№1581参照) | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2862 | 国崎町(海女)13-3-4 | 鳥羽市国崎町舟人海女の操業風景である。船頭が命綱を手繰上げ海面に浮上した海女は、磯笛と呼ばれる独特の呼吸法で息を整えた後、船縁に掴まって体を休め次の潜水へと備える。イソグルマの下には、海女が採ってきたウニやアワビ等を入れるためのイソカゴが吊されている。(写真は、世古昌生氏の海女船かと思われる。画像№1581参照) | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2863 | 国崎町(海女)13-3-5 | 鳥羽市国崎町舟人海女の操業風景である。船頭が命綱を手繰上げ海面に浮上した海女は、磯笛と呼ばれる独特の呼吸法で息を整えた後、船縁に掴まって体を休め次の潜水へと備える。イソグルマの下には、海女が採ってきたウニやアワビ等を入れるためのむイソカゴが吊されている。(写真は、世古昌生氏の海女船かと思われる。画像№1581参照) | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2864 | 国崎町(海女)13-3-6 | 鳥羽市国崎町舟人海女の操業風景である。船頭が命綱を手繰上げ海面に浮上した海女は、磯笛と呼ばれる独特の呼吸法で息を整えた後、船縁に掴まって体を休め次の潜水へと備える。イソグルマの下には、海女が採ってきたウニやアワビ等を入れるためのイソカゴが吊されている。(写真は、世古昌生氏の海女船かと思われる。画像№1581参照) | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2865 | 国崎町(海女)14-1-1 | 鳥羽市国崎町舟人海女の操業風景である。(船上には、ゴム草履等か写されるが、フイルム装填の為の試し撮りの一枚かと思われる) | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2866 | 国崎町(海女)14-1-2 | 鳥羽市国崎町舟人海女の操業風景である。船頭が命綱を手繰上げ海面に浮上した海女は、磯笛と呼ばれる独特の呼吸法で息を整えた後、船縁に掴まって体を休め次の潜水へと備える。イソグルマの下には、海女が採ってきたウニやアワビ等を入れるためのイソカゴが吊されている。(写真は、世古昌生氏の海女船かと思われる。画像№1581参照) | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2867 | 国崎町(海女)14-1-3 | 鳥羽市国崎町舟人海女の操業風景である。船縁で息を整えた海女は、次の潜水へと入る。船頭は艪で船を操りながら、海女の潜水速度に合わせて命綱を緩めていく。イソグルマの下には、海女が採ってきたウニやアワビ等を入れるためのイソカゴが吊されている。船縁に置かれている箱はメガネ箱で、その傍らにはノミも置かれている。(写真は、世古昌生氏の海女船かと思われる。画像№1581参照) | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2868 | 国崎町(海女)14-1-4 | 鳥羽市国崎町舟人海女の操業風景である。海底の海女から合図があると、船頭は磯グルマに掛けた命綱を一気に手繰上げる。腰近くまで海面に浮上した海女は、磯笛と呼ばれる独特の呼吸法で息を整える。イソグルマの下には、海女が採ってきたウニやアワビ等を入れるためのイソカゴが吊されている。(写真は、世古昌生氏の海女船かと思われる。画像№1581参照) | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2869 | 国崎町(海女)14-1-5 | 鳥羽市国崎町舟人海女の操業風景である。海底から海女が浮上すると、船頭は目的の磯場から離れてしまわないように、艪を使って船を操る。海面に浮上した海女は、磯笛と呼ばれる独特の呼吸法で息を整えた後、船縁に掴まって体を休め次の潜水に備える。イソグルマの下には、海女が採ってきたウニやアワビ等を入れるためのイソカゴが吊されている。船上の船縁近くにはメガネ箱とノミが置かれている。(写真は、世古昌生氏の海女船かと思われる。画像№1581参照) | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2870 | 国崎町(海女)14-1-6 | フナドの操業。海中の海女からの合図で、船頭がイソグルマにかけた命綱を一気に手繰り上げる。海女の呼吸に合わせて命綱を引き上げるには、練習が必要だった。腰近くまで海面に浮上した海女は、磯笛と呼ばれる独特の呼吸法で息を整える。イソグルマは昔も今も変わらず木製で、その下には、海女が採ったウニやアワビを入れるためのイソカゴが吊るされており。船上にはメガネ箱とノミが置かれている。背後には、3隻の海女船が小さく写っている。画像№1581参照(「海辺の毎日 国崎の暮らし写真展」報告書より) | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2871 | 国崎町(海女)14-2-1 | 鳥羽市国崎町舟人海女の操業風景である。海底の海女から合図があると、船頭は磯グルマに掛けた命綱を一気に手繰上げる。腰近くまで海面に浮上した海女は、磯笛と呼ばれる独特の呼吸法で息を整える。イソグルマの下には、海女が採ってきたウニやアワビ等を入れるためのイソカゴが吊されている。船上の船縁近くにはメガネ箱とノミが置かれている。(写真は、世古昌生氏の海女船かと思われる。画像№1581参照) | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2872 | 国崎町(海女)14-2-2 | 鳥羽市国崎町舟人海女の操業風景である。海底の海女から合図があると、船頭は磯グルマに掛けた命綱を一気に手繰上げる。カギノミを手に腰近くまで海面に浮上した海女は、磯笛と呼ばれる独特の呼吸法で息を整える。イソグルマの下には、海女が採ってきたウニやアワビ等を入れるためのイソカゴが吊されている。船上の船縁近くにはメガネ箱とノミが置かれている。(写真は、世古昌生氏の海女船かと思われる。画像№1581参照) | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2873 | 国崎町(海女)14-2-3 | 鳥羽市国崎町舟人海女の操業風景である。海底の海女から合図があると、船頭は磯グルマに掛けた命綱を一気に手繰上げる。二艘の船の隙間に腰近くまで海面に浮上した海女は、磯笛と呼ばれる独特の呼吸法で息を整える。イソグルマの下には、海女が採ってきたウニやアワビ等を入れるためのイソカゴが吊されている。船上の船縁近くにはメガネ箱とノミが置かれている。(写真は、世古昌生氏の海女船かと思われる。画像№1581参照) | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2874 | 国崎町(海女)14-2-4 | 鳥羽市国崎町舟人海女の操業風景である。海底の海女から合図があると、船頭は磯グルマに掛けた命綱を一気に手繰上げる。腰近くまで海面に浮上した海女は、磯笛と呼ばれる独特の呼吸法で息を整える。イソグルマの下には、海女が採ってきたウニやアワビ等を入れるためのイソカゴが吊されている。船上の船縁近くにはメガネ箱とノミが置かれている。(写真は、世古昌生氏の海女船かと思われる。画像№1581参照) | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2875 | 国崎町(海女)14-2-5 | 鳥羽市国崎町舟人海女の操業風景である。海底の海女から合図があると、船頭は磯グルマに掛けた命綱を一気に手繰上げる。腰近くまで海面に浮上した海女は、磯笛と呼ばれる独特の呼吸法で息を整える。イソグルマの下には、海女が採ってきたウニやアワビ等を入れるためのイソカゴが吊されている。船上の船縁近くにはメガネ箱とノミが置かれている。(写真は、世古昌生氏の海女船かと思われる。画像№1581参照) | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2876 | 国崎町(海女)14-2-6 | 鳥羽市国崎町舟人海女の操業風景である。海底の海女から合図があると、船頭は磯グルマに掛けた命綱を一気に手繰上げる。海面に浮上した海女は、磯笛と呼ばれる独特の呼吸法で息を整え、採ってきたアワビをイソグルマの下に吊されたイソカゴに入れる。船上の船縁近くにはメガネ箱とノミが置かれている。(写真は、世古昌生氏の海女船かと思われる。画像№1581参照) | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2877 | 国崎町(海女)14-3-1 | 鳥羽市国崎町舟人海女の操業風景である。船頭は、磯グルマに掛けた命綱で海底の海女の位置を推測し、左手で艪を使って船の位置を調整する。右手の命綱は、海底の海女からの合図に全神経をとがらせる。僅かな気の緩みが大きな事故へとつながってしまう、阿吽の呼吸が必要とされる。ここ国崎町で舟人海女のことを「ととかか舟」と呼ぶ所以でもある。(写真は、世古昌生氏の海女船かと思われる。画像№1581参照) | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2878 | 国崎町(海女)14-3-2 | 鳥羽市国崎町舟人海女の操業風景である。船頭は、磯グルマに掛けた命綱で海底の海女の位置を推測し、左手で艪を使って船の位置を調整する。海底の海女から合図があると、船頭はに磯グルマに掛けた命綱を一気に手繰上げる。僅かな気の緩みが大きな事故へとつながってしまう、阿吽の呼吸が必要とされる。ここ国崎町で舟人海女のことを「ととかか舟」と呼ぶ所以でもある。(写真は、世古昌生氏の海女船かと思われる。画像№1581参照) | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2879 | 国崎町(海女)14-3-3 | 鳥羽市国崎町舟人海女の操業風景である。船頭は、磯グルマに掛けた命綱で海底の海女の位置を推測し、左手で艪を使って船の位置を調整する。海底の海女から合図があると、船頭はに磯グルマに掛けた命綱を一気に手繰上げる。僅かな気の緩みが大きな事故へとつながってしまう、阿吽の呼吸が必要とされる。ここ国崎町で舟人海女のことを「ととかか舟」と呼ぶ所以でもある。(写真は、世古昌生氏の海女船かと思われる。画像№1581参照) | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2880 | 国崎町(海女)14-3-4 | 鳥羽市国崎町舟人海女の操業風景である。海底の海女から合図があると、船頭は磯グルマに掛けた命綱を一気に手繰上げる。海面に浮上した海女は、磯笛と呼ばれる独特の呼吸法で息を整え、船縁に掴まって体を休め、次の潜水に備える。イソグルマの下には、海女が採ってきたウニやアワビ等を入れるためのイソカゴが吊されている。船上の船縁近くにはメガネ箱とノミが置かれている。(写真は、世古昌生氏の海女船かと思われる。画像№1581参照) | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2881 | 国崎町(海女)14-3-5 | 鳥羽市国崎町舟人海女の操業風景である。海底の海女から合図があると、船頭は磯グルマに掛けた命綱を一気に手繰上げる。カギノミを手に腰近くまで海面に浮上した海女は、磯笛と呼ばれる独特の呼吸法で息を整える。イソグルマの下には、海女が採ってきたウニやアワビ等を入れるためのイソカゴが吊されている。船上の船縁近くにはメガネ箱とノミが置かれている。(写真は、世古昌生氏の海女船かと思われる。画像№1581参照) | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2882 | 国崎町(海女)14-3-6 | 鳥羽市国崎町舟人海女の操業風景である。海底の海女から合図があると、船頭は磯グルマに掛けた命綱を一気に手繰上げる。海面に浮上した海女は、磯笛と呼ばれる独特の呼吸法で息を整える。イソグルマの下には、海女が採ってきたウニやアワビ等を入れるためのイソカゴが吊されている。船上の船縁近くにはメガネ箱とノミが置かれている。(写真は、世古昌生氏の海女船かと思われる。画像№1581参照) | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2883 | 国崎町(海女)15-1-1 | 鳥羽市国崎町舟人海女の操業風景である。操業終了の合図が出たのであろう、船上に戻った海女が、イソグルマの下に吊されていたイソカゴを引揚げている。カゴの中にはアワビが見て取れるが、かなり重そうである。(写真は、世古昌生氏の海女船かと思われる。画像№1581参照) | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2884 | 国崎町(海女)15-1-2 | 鳥羽市国崎町舟人海女の帰港風景である。操業を終え船上に戻った海女は、腰に付けていた鉛のベルトやスカリを外し、船揚場へと戻る準備を始める。傍らには、アワビが入ったイソカゴや、メガネ箱、磯メガネ等が置かれている。また、イソカゴの横にはウニも見て取れる。(写真は、世古昌生氏の海女船かと思われる。画像№1581参照) | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2885 | 国崎町(海女)15-1-3 | 鳥羽市国崎町舟人海女の帰港風景である。操業を終え船上に戻った海女は、腰に付けていた鉛のベルトやスカリを外し、船揚場へと戻る準備を始める。傍らには、アワビが入ったイソカゴや、メガネ箱、磯メガネ等が置かれている。また、イソカゴの横にはウニも見て取れる。(写真は、世古昌生氏の海女船かと思われる。画像№1581参照) | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2886 | 国崎町(海女)15-1-4 | 鳥羽市国崎町舟人海女の帰港風景である。操業を終え船上に戻った海女は、腰に付けていた鉛のベルトやスカリを外し、船揚場へと戻る準備を始める。傍らには、アワビが入ったイソカゴや、メガネ箱、磯メガネ等が置かれている。また、イソカゴの横にはウニも見て取れる。(写真は、世古昌生氏の海女船かと思われる。画像№1581参照) | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2887 | 国崎町(海女)15-1-5 | 鳥羽市国崎町舟人海女の帰港風景である。操業を終え船上に戻った海女は、腰に付けていた鉛のベルトやスカリを外し、船揚場へと戻る準備を始める。傍らには、アワビが入ったイソカゴや、メガネ箱、磯メガネ等が置かれている。また、イソカゴの横にはウニも見て取れる。(写真は、世古昌生氏の海女船かと思われる。画像№1581参照) | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2888 | 国崎町(海女)15-1-6 | 鳥羽市国崎町舟人海女の帰港風景である。操業を終え船上に戻った海女は、腰に付けていた鉛のベルトやスカリを外し、鎧崎の船揚場へと戻る。傍らには、アワビが入ったイソカゴが置かれ、船縁の横にはウニも見て取れる。(写真は、世古昌生氏の海女船かと思われる。画像№1581参照) | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2889 | 国崎町(海女)15-2-1 | 鳥羽市国崎町舟人海女の帰港風景である。操業を終え船上に戻った海女は、腰に付けていた鉛のベルトやスカリを外し、鎧崎の船揚場へと戻る。傍らには、アワビが入ったイソカゴが置かれている。(写真は、世古昌生氏の海女船かと思われる。画像№1581参照) | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2890 | 国崎町(海女)15-2-2 | 鳥羽市国崎町舟人海女の帰港風景である。操業を終え船上に戻った海女は、腰に付けていた鉛のベルトやスカリを外し、鎧崎の船揚場へと戻る。傍らには、アワビが入ったイソカゴが置かれている。(写真は、世古昌生氏の海女船かと思われる。画像№1581参照) | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2891 | 国崎町(海女)15-2-3 | 鳥羽市国崎町舟人海女の帰港風景である。操業を終え船上に戻った海女は、腰に付けていた鉛のベルトやスカリを外し、鎧崎の船揚場へと戻る。傍らには、アワビが入ったイソカゴが置かれている。(写真は、世古昌生氏の海女船かと思われる。画像№1581参照) | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2892 | 国崎町(海女)15-2-4 | 鳥羽市国崎町舟人海女の帰港風景である。操業を終え船上に戻った海女は、腰に付けていた鉛のベルトやスカリを外し、鎧崎の船揚場へと戻る。傍らには、アワビが入ったイソカゴが置かれている。(写真は、世古昌生氏の海女船かと思われる。画像№1581参照) | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2893 | 国崎町(海女)15-2-5 | 鳥羽市国崎町舟人海女の帰港風景である。操業を終え船上に戻った海女は、腰に付けていた鉛のベルトやスカリを外し、鎧崎の船揚場へと戻る。傍らには、アワビが入ったイソカゴが置かれている。(写真は、世古昌生氏の海女船かと思われる。画像№1581参照) | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2894 | 国崎町(海女)15-2-6 | 鳥羽市国崎町舟人海女の帰港風景である。操業を終え船上に戻った海女は、腰に付けていた鉛のベルトやスカリを外し、鎧崎の船揚場へと戻る。傍らには、アワビが入ったイソカゴが置かれている。(写真は、世古昌生氏の海女船かと思われる。画像№1581参照) | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2895 | 国崎町(海女)15-3-1 | 鳥羽市国崎町舟人海女の帰港風景である。操業を終え船上に戻った海女は、腰に付けていた鉛のベルトやスカリを外し、鎧崎の船揚場へと戻る。傍らには、アワビが入ったイソカゴが置かれている。(写真は、世古昌生氏の海女船かと思われる。画像№1581参照) | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2896 | 国崎町(海女)15-3-2 | 鳥羽市国崎町舟人海女の帰港風景である。操業を終え船上に戻った海女は、腰に付けていた鉛のベルトやスカリを外し、鎧崎の船揚場へと戻る。傍らには、アワビが入ったイソカゴが置かれている。(写真は、世古昌生氏の海女船かと思われる。画像№1581参照) | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2897 | 国崎町(海女)15-3-3 | 鳥羽市国崎町舟人海女の帰港風景である。操業を終え船上に戻った海女は、腰に付けていた鉛のベルトやスカリを外し、鎧崎の船揚場へと戻る。傍らには、アワビが入ったイソカゴが置かれている。(写真は、世古昌生氏の海女船かと思われる。画像№1581参照) | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2898 | 国崎町(海女)15-3-4 | 鳥羽市国崎町鎧崎の船上げ風景である。海女漁の操業を終え、鎧崎の前の浜に着岸した海女船は、艫から着けられ船底に丸太のコロを敷いて陸に引き揚げられる。沖の岩場に立つ白波から、かなり風波が出てきたのだろう、船が横になるのを防ごうと船上で竿を操る海女の腕にも力が入る。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2899 | 国崎町(海女)15-3-5 | 鳥羽市国崎町鎧崎の船上げ風景である。海女漁の操業を終え、鎧崎の前の浜に着岸した海女船は、艫から着けられ船底に丸太のコロを敷いて陸に引き揚げられる。沖の岩場に立つ白波から、かなり風波が出てきたのだろう、船が横になるのを防ごうと船上で竿を操る海女の腕にも力が入る。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2900 | 国崎町(海女)15-3-6 | 鳥羽市国崎町鎧崎の船上げ風景である。海女漁の操業を終え、鎧崎の前の浜に着岸した海女船は、艫から着けられ船底に丸太のコロを敷いて陸に引き揚げられる。沖の岩場に立つ白波から、かなり風波が出てきたのだろう、船が横になるのを防ごうと海女が船上で竿を操る。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2901 | 国崎町(海女)16-1-1 | 鳥羽市国崎町鎧崎の船上げ風景である。海女漁の操業を終え、鎧崎の前の浜に着岸した海女船は、艫から着けられ船底に丸太のコロを敷いて陸に引き揚げられる。沖の岩場に立つ白波から、かなり風波が出てきたのだろう、船が横になるのを防ごうと海女が船上で竿を操る。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2902 | 国崎町(海女)16-1-2 | 鳥羽市国崎町鎧崎の船上げ風景である。海女漁の操業を終え、鎧崎の前の浜に着岸した海女船は、艫から着けられ船底に丸太のコロを敷いて陸に引き揚げられる。沖の岩場に立つ白波から、かなり風波が出てきたのだろう、船が横になるのを防ごうと海女が船上で竿を操る。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2903 | 国崎町(海女)16-2-1 | 鳥羽市国崎町舟人海女の操業風景である。国崎町では舟人海女の事を夫婦で操業する事から「ととかか舟」とも呼ぶ。命綱を手に、勢いよく腰近くまで海面に浮上した海女は、磯笛と呼ばれる独特の呼吸法で息を整える。(写真は、世古昌生氏の海女船かと思われる。画像№1581参照) | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2904 | 国崎町(海女)16-2-2 | (水中写真の撮影等、海女の民俗調査を進める学芸員) | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2905 | 国崎町(海女)16-2-3 | 鳥羽市国崎町舟人海女の操業風景である。国崎町では舟人海女の事を夫婦で操業する事から「ととかか舟」とも呼ぶ。命綱を手に、勢いよく腰近くまで海面に浮上した海女は、磯笛と呼ばれる独特の呼吸法で息を整える。(写真は、世古昌生氏の海女船かと思われる。画像№1581参照) | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2906 | 国崎町(海女)16-2-4 | 鳥羽市国崎町舟人海女の操業風景である。操業終了の合図が出たのであろう、船上に戻った海女。すでに、腰に付けていた鉛のベルトやスカリは外されている。これから、鎧崎の船揚場へと戻るところであろう。足下にはアワビが入れられているイソカゴが置かれている。(写真は、世古昌生氏の海女船かと思われる。画像№1581参照) | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2907 | 国崎町(海女)16-2-5 | 鳥羽市国崎町鎧崎の船上げ風景である。海女漁の操業を終え、鎧崎の前の浜に戻ってきた海女船。船は艫から引き揚げるために、少し沖合でエンジンを切り、スクリューと舵を引上げたあと竿で波打際へとつける。船のオモテで竿を操るのは主に海女の役割である。艫の船頭は、船が着くのと同時に飛び降り、引上げのための位置へと船を誘導する。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2908 | 国崎町(海女)16-2-6 | 鳥羽市国崎町鎧崎の船上げ風景である。海女漁の操業を終え、鎧崎の前の浜に戻ってきた海女船。船は艫から引き揚げるために、少し沖合でエンジンを切り、スクリューと舵を引上げたあと竿で波打際へと着岸させる。船のオモテで竿を操るのは主に海女の役割である。艫の船頭は、船が着岸するのと同時に飛び降り、引上げのための位置へと船を誘導する。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2909 | 国崎町(海女)16-3-1 | 鳥羽市国崎町鎧崎の船上げ風景である。波打際に艫から着岸させた海女船は、両船縁にウインチ用のロープを固定し、船底に敷く丸太のコロを陸の上まで並べていく。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2910 | 国崎町(海女)16-3-2 | 鳥羽市国崎町鎧崎の船上げ風景である。波打際に艫から着岸させた海女船は、両船縁にウインチ用のロープを固定し、船底に敷く丸太のコロを陸の上まで並べていく。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2911 | 国崎町(海女)16-3-3 | 鳥羽市国崎町鎧崎の船上げ風景である。波打際に艫から着岸させた海女船は、両船縁にウインチ用のロープを固定し、船底に敷く丸太のコロを陸の上まで並べた後、引上げを開始する。ウインチの動きに合わせ、船頭と海女は目的の引上げ場所へと船を誘導する。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2912 | 国崎町(海女)16-3-4 | 鳥羽市国崎町鎧崎の船上げ風景である。波打際に艫から着岸させた海女船は、両船縁にウインチ用のロープを固定し、船底に敷く丸太のコロを陸の上まで並べた後、引上げを開始する。ウインチの動きに合わせ、船頭と海女は目的の引上げ場所へと船を誘導する。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2913 | 国崎町(海女)16-3-5 | 鳥羽市国崎町鎧崎の船上げ風景である。海女漁の操業を終え、鎧崎の前の浜に着岸した海女船は、艫から着けられ船底に丸太のコロを敷いて陸に引き揚げられる。沖の岩場に立つ白波から、かなり風波が出てきたのだろう、船が横になるのを防ごうと海女が船上で竿を操る。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2914 | 国崎町(海女)16-3-6 | 鳥羽市国崎町鎧崎の船上げ風景である。海女漁の操業を終え、鎧崎の前の浜に着岸した海女船は、艫から着けられ船底に丸太のコロを敷いて陸に引き揚げられる。沖の岩場に立つ白波から、かなり風波が出てきたのだろう、船が横になるのを防ごうと海女が船上で竿を操る。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2915 | 国崎町(海女)17-1-1 | 鳥羽市国崎町鎧崎の船上げ風景である。海女漁の操業を終え、鎧崎の前の浜に着岸した海女船は、艫から着けられ船底に丸太のコロを敷いて陸に引き揚げられる。沖の岩場に立つ白波から、かなり風波が出てきたのだろう、船が横になるのを防ごうと海女が船上で竿を操る。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2916 | 国崎町(海女)17-1-2 | 鳥羽市国崎町鎧崎の船上げ風景である。海女漁の操業を終え、鎧崎の前の浜に着岸した海女船は、艫から着けられ船底に丸太のコロを敷いて陸に引き揚げられる。沖の岩場に立つ白波から、かなり風波が出てきたのだろう、船が横になるのを防ごうと海女が船上で竿を操る。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2917 | 国崎町(海女)17-1-3 | 鳥羽市国崎町鎧崎の船上げ風景である。海女漁の操業を終え、鎧崎の前の浜に着岸した海女船は、艫から着けられ船底に丸太のコロを敷いて陸に引き揚げられる。沖の岩場に立つ白波から、かなり風波が出てきたのだろう、船が横になるのを防ごうと海女が船上で竿を操る。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2918 | 国崎町(海女)17-1-4 | 鳥羽市国崎町鎧崎の船上げ風景である。海女漁の操業を終え、鎧崎の前の浜に着岸した海女船は、艫から着けられ船底に丸太のコロを敷いて陸に引き揚げられる。かなり風波が出てきたのだろう、船が横になるのを防ごうと海女が船上で竿を操る。陸に下りた海女は、丸太のコロを集めて並べ、船上げ準備を急ぐ。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2919 | 国崎町(海女)17-1-5 | 鳥羽市国崎町鎧崎の船上げ風景である。海女漁の操業を終え、鎧崎の前の浜に着岸した海女船は、艫から着けられ船底に丸太のコロを敷いて陸に引き揚げられる。船上の海女が、船がまっすぐ陸に上がるようにハリザオで角度を調整している。上陸した海女は、丸太のコロを集めて並べ、船上げ準備を急ぐ。海女のウエットスーツは現在(2023年)はピッタリしたものだが、当時はぶかぶかのものが多かった。(「海辺の毎日 国崎の暮らし写真展」報告書より) | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2920 | 国崎町(海女)17-1-6 | 鳥羽市国崎町鎧崎の船上げ風景である。海女漁の操業を終え、鎧崎の前の浜に着岸した海女船は、艫から着けられ船底に丸太のコロを敷いて陸に引き揚げられる。かなり風波が出てきたのだろう、船が横になるのを防ごうと海女が船上で竿を操る。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2921 | 国崎町(海女)17-2-1 | 鳥羽市国崎町鎧崎の船上げ風景である。海女漁の操業を終え、鎧崎の前の浜に着岸した海女船は、艫から着けられ船底に丸太のコロを敷いて陸に引き揚げられる。かなり風波が出てきたのだろう、船が横になるのを防ごうと海女が船上で竿を操る。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2922 | 国崎町(海女)17-2-2 | 鳥羽市国崎町鎧崎の船上げ風景である。海女漁の操業を終え、鎧崎の前の浜に着岸した海女船は、艫から着けられ船底に丸太のコロを敷いて陸に引き揚げられる。かなり風波が出てきたのだろう、船が横になるのを防ごうと海女が船上で竿を操る。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2923 | 国崎町(海女)17-2-3 | 鳥羽市国崎町鎧崎の船上げ風景である。波打際に艫から着岸させた海女船は、両船縁にウインチ用のロープを固定し、船底に敷く丸太のコロを陸の上まで並べた後、引上げを開始する。ウインチの動きに合わせ、船頭と海女は目的の引上げ場所へと船を誘導する。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2924 | 国崎町(海女)17-2-4 | 鳥羽市国崎町鎧崎の船上げ風景である。大半の船上作業は終わったのであろう。海女達はまだウエットスーツ姿だが、寛ぎを見せている。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2925 | 国崎町(海女)17-2-6 | 金刀比羅宮鳥羽分社の大祭行列である。鳥羽分社は、香川県の金刀比羅宮を分祀し、昭和31年8月10日に鳥羽2丁目の樋の山に創祀した。以来、8月9日に神輿の海上渡御・宵宮祭、10日に例大祭、11日に報賽祭が執り行われ、特に海上渡御の神輿については、毎年市内の各集落を回り持ちで出発地としてきた。写真は昭和47年に国崎町が出発地となった時の神輿行列である。行在所となった旧国崎公民館前で、子供達と寛ぐ神事関係者。(画像№2166~№2172参照) | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2926 | 国崎町(海女)17-3-1 | 金刀比羅宮鳥羽分社の大祭行列である。鳥羽分社は、香川県の金刀比羅宮を分祀し、昭和31年8月10日に鳥羽2丁目の樋の山に創祀した。以来、8月9日に神輿の海上渡御・宵宮祭、10日に例大祭、11日に報賽祭が執り行われ、特に海上渡御の神輿については、毎年市内の各集落を回り持ちで出発地としてきた。写真は昭和47年に国崎町が出発地となった時の神輿行列である。行在所となった旧国崎公民館前で、子供達と寛ぐ神事関係者。(画像№2166~№2172参照) | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2927 | 国崎町(海女)17-3-2 | 金刀比羅宮鳥羽分社の例大祭である。 写真は昭和47年に国崎町が出発地となった時の神輿行列で、神輿は、行在所となった旧国崎公民館から国崎漁港の大津浜まで歩き、その後車で旧鳥羽町内まで移動した。舞姫や横笛・笙等を吹く人々は金刀比羅宮の神官。神輿の担ぎ手は国崎青年団の団員達である。画像№2166~№2172/№2927/№3049/№3067/№3090/№3110参照 | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2928 | 国崎町(海女)17-3-3 | 金刀比羅宮鳥羽分社の大祭行列である。鳥羽分社は、香川県の金刀比羅宮を分祀し、昭和31年8月10日に鳥羽2丁目の樋の山に創祀した。以来、8月9日に神輿の海上渡御・宵宮祭、10日に例大祭、11日に報賽祭が執り行われ、特に海上渡御の神輿については、毎年市内の各集落を回り持ちで出発地としてきた。写真は昭和47年に国崎町が出発地となった時の神輿行列である。神輿は、行在所となった旧国崎公民館から国崎漁港の大津浜まで歩き、その後車で旧鳥羽町内まで移動した。横笛・笙等を吹く人々は金刀比羅宮の神官。神輿の担ぎ手は国崎青年団の団員達であると言う。(画像№2166~№2172参照) | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2929 | 国崎町(海女)17-3-4 | 金刀比羅宮鳥羽分社の大祭行列である。鳥羽分社は、香川県の金刀比羅宮を分祀し、昭和31年8月10日に鳥羽2丁目の樋の山に創祀した。以来、8月9日に神輿の海上渡御・宵宮祭、10日に例大祭、11日に報賽祭が執り行われ、特に海上渡御の神輿については、毎年市内の各集落を回り持ちで出発地としてきた。写真は昭和47年に国崎町が出発地となった時の神輿行列である。神輿は、行在所となった旧国崎公民館から国崎漁港の大津浜まで歩き、その後車で旧鳥羽町内まで移動した。(画像№2166~№2172参照) | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2930 | 国崎町(海女)17-3-5 | 金刀比羅宮鳥羽分社の大祭行列である。鳥羽分社は、香川県の金刀比羅宮を分祀し、昭和31年8月10日に鳥羽2丁目の樋の山に創祀した。以来、8月9日に神輿の海上渡御・宵宮祭、10日に例大祭、11日に報賽祭が執り行われ、特に海上渡御の神輿については、毎年市内の各集落を回り持ちで出発地としてきた。写真は昭和47年に国崎町が出発地となった時の神輿行列である。神輿は、行在所となった旧国崎公民館から国崎漁港の大津浜まで歩き、その後車で旧鳥羽町内まで移動した。舞姫や横笛・笙等を吹く人々は金刀比羅宮の神官。神輿の担ぎ手は国崎青年団の団員達であると言う。(画像№2166~№2172参照) | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2931 | 国崎町(海女))17-3-6 | 鳥羽市鳥羽1丁目23番11号に建てられていた旧海の博物館である。敷地面積:6,072㎡。本館:延べ床面積820㎡・鉄筋コンクリート4階建・展示室6室・映像ホール120名収容。別館:面積200㎡・鉄筋コンクリート平屋・展示室1室。野外施設:トンネル展示室・波の広場・船の展示場・網小屋・収蔵庫・桟橋・専用駐車場・売店。あらみ荘:鉄筋コンクリート3階建・延べ床面積1,060㎡・宿泊室16室71人収容・会議室・レストラン・カフェテラス等。(参考資料:海の博物館編・発行『パンフレット』)写真正面は本館、右端は別館である。 | 鳥羽市鳥羽1丁目 | 1972.夏 |
2932 | 国崎町(海女)18-1-1 | 鳥羽市鳥羽1丁目23番11号に建てられていた旧海の博物館である。敷地面積:6,072㎡。本館:延べ床面積820㎡・鉄筋コンクリート4階建・展示室6室・映像ホール120名収容。別館:面積200㎡・鉄筋コンクリート平屋・展示室1室。野外施設:トンネル展示室・波の広場・船の展示場・網小屋・収蔵庫・桟橋・専用駐車場・売店。あらみ荘:鉄筋コンクリート3階建・延べ床面積1,060㎡・宿泊室16室71人収容・会議室・レストラン・カフェテラス等。(参考資料:海の博物館編・発行『パンフレット』)写真正面は本館、右端は別館である。 | 鳥羽市鳥羽1丁目 | 1972.夏 |
2933 | 国崎町(海女)18-1-2 | 鳥羽市鳥羽1丁目23番11号に建てられていた旧海の博物館である。テトラポットが置かれている所が、波の広場、左端の建物は別館である。 | 鳥羽市鳥羽1丁目 | 1972.夏 |
2934 | 国崎町(海女)18-1-3 | 鳥羽市鳥羽1丁目23番11号に建てられていた旧海の博物館である。テトラポットが置かれている所が、波の広場、写真左上の建物は、トンネル展示室と船の展示場である。 | 鳥羽市鳥羽1丁目 | 1972.夏 |
2935 | 国崎町(海女)18-1-4 | 鳥羽市鳥羽1丁目23番11号に建てられていた旧海の博物館である。敷地面積:6,072㎡。本館:延べ床面積820㎡・鉄筋コンクリート4階建・展示室6室・映像ホール120名収容。別館:面積200㎡・鉄筋コンクリート平屋・展示室1室。野外施設:トンネル展示室・波の広場・船の展示場・網小屋・収蔵庫・桟橋・専用駐車場・売店。あらみ荘:鉄筋コンクリート3階建・延べ床面積1,060㎡・宿泊室16室71人収容・会議室・レストラン・カフェテラス等。(参考資料:海の博物館編・発行『パンフレット』)写真正面は本館、右端は別館である。 | 鳥羽市鳥羽1丁目 | 1972.夏 |
2936 | 国崎町(海女)18-1-5 | 鳥羽市鳥羽1丁目23番11号に建てられていた旧海の博物館である。敷地面積:6,072㎡。本館:延べ床面積820㎡・鉄筋コンクリート4階建・展示室6室・映像ホール120名収容。別館:面積200㎡・鉄筋コンクリート平屋・展示室1室。野外施設:トンネル展示室・波の広場・船の展示場・網小屋・収蔵庫・桟橋・専用駐車場・売店。あらみ荘:鉄筋コンクリート3階建・延べ床面積1,060㎡・宿泊室16室71人収容・会議室・レストラン・カフェテラス等。(参考資料:海の博物館編・発行『パンフレット』)写真正面は本館、右端は別館である。 | 鳥羽市鳥羽1丁目 | 1972.夏 |
2937 | 国崎町(海女)18-1-6 | 鳥羽市鳥羽1丁目23番11号に建てられていた旧海の博物館である。敷地面積:6,072㎡。本館:延べ床面積820㎡・鉄筋コンクリート4階建・展示室6室・映像ホール120名収容。別館:面積200㎡・鉄筋コンクリート平屋・展示室1室。野外施設:トンネル展示室・波の広場・船の展示場・網小屋・収蔵庫・桟橋・専用駐車場・売店。あらみ荘:鉄筋コンクリート3階建・延べ床面積1,060㎡・宿泊室16室71人収容・会議室・レストラン・カフェテラス等。(参考資料:海の博物館編・発行『パンフレット』)写真正面は本館、右端は別館である。 | 鳥羽市鳥羽1丁目 | 1972.夏 |
2938 | 国崎町(海女)18-2-1 | 鳥羽市鳥羽1丁目23番11号に建てられていた旧海の博物館である。敷地面積:6,072㎡。本館:延べ床面積820㎡・鉄筋コンクリート4階建・展示室6室・映像ホール120名収容。別館:面積200㎡・鉄筋コンクリート平屋・展示室1室。野外施設:トンネル展示室・波の広場・船の展示場・網小屋・収蔵庫・桟橋・専用駐車場・売店。あらみ荘:鉄筋コンクリート3階建・延べ床面積1,060㎡・宿泊室16室71人収容・会議室・レストラン・カフェテラス等。(参考資料:海の博物館編・発行『パンフレット』)写真正面は本館、右端は別館である。 | 鳥羽市鳥羽1丁目 | 1972.夏 |
2939 | 国崎町(海女)18-3-1 | 国崎町の街並み景観である。国崎町はかつて大津波で集落が流されたため、漁港である大津浜から鎧崎の前の浜に至る小高い丘の上に現在(2023年)の集落が築かれたと言われる。斜面を敷地として活用するため、集落の随所にこのような石積みが見られる。石積みの隙間に棒を刺して物干し用の竿が掛けられている。民家への入り口に、篭を前に一人の男性がしゃがみ込んでいる。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2940 | 国崎町(海女)18-3-2 | 国崎町の街並み景観である。国崎町はかつて大津波で集落が流されたため、漁港である大津浜から鎧崎の前の浜に至る小高い丘の上に現在(2023年)の集落が築かれたと言われる。斜面を敷地として活用するため、集落の随所にこのような石積みが見られる。石積みの隙間に棒を刺して物干し用の竿が掛けられている。民家への入り口に、篭を前に一人の男性がしゃがみ込んでいる。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2941 | 国崎町(海女)18-3-3 | 国崎町の街並み景観である。国崎町はかつて大津波で集落が流されたため、漁港である大津浜から鎧崎の前の浜に至る小高い丘の上に現在(2023年)の集落が築かれたと言われる。斜面を敷地として活用するため、集落の随所にこのような石積みが見られる。石積みの隙間に棒を刺して物干し用の竿が掛けられている。民家への入り口に、篭を前に一人の男性がしゃがみ込んでいる。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2942 | 国崎町(海女)18-3-4 | 国崎町の街並み景観である。国崎町はかつて大津波で集落が流されたため、漁港である大津浜から鎧崎の前の浜に至る小高い丘の上に現在(2023年)の集落が築かれたと言われる。斜面を敷地として活用するため、集落の随所にこのような石積みが見られる。石積みの隙間に棒を刺して物干し用の竿が掛けられている。民家への入り口に、篭を前に一人の男性がしゃがみ込んでいる。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2943 | 国崎町(海女)18-3-5 | 国崎町の街並み景観である。国崎町はかつて大津波で集落が流されたため、漁港である大津浜から鎧崎の前の浜に至る小高い丘の上に現在(2023年)の集落が築かれたと言われる。斜面を敷地として活用するため、集落の随所にこのような石積みが見られる。石積みの隙間に棒を刺して物干し用の竿が掛けられている。民家への入り口に、篭を前に一人の男性がしゃがみ込んでいる。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2944 | 国崎町(海女)18-3-6 | 鳥羽市国崎町舟人海女の磯場へと向かう出漁(船上)風景である。船上の海女は、磯手拭を被り黒のウエットスーツを身に着けている。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2945 | 国崎町(海女)19-1-1 | 鳥羽市国崎町舟人海女の磯場へと向かう出漁風景である。磯手拭を被り黒のウエットスーツを身に着けた海女を乗せた、数隻の海女船が磯場へと急ぐ。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2946 | 国崎町(海女)19-1-2 | 鳥羽市国崎町舟人海女の磯場へと向かう出漁風景である。磯手拭を被り黒のウエットスーツを身に着けてた海女を乗せた数隻の海女船が磯場へと急ぐ。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2947 | 国崎町(海女)19-1-3 | 鳥羽市国崎町舟人海女の磯場へと向かう出漁(船上)風景である。船上の海女は、磯手拭を被り黒のウエットスーツを身に着け、腰には鉛のベルトとスカリを付けている。(写真は、世古昌生氏の海女船かと思われる。画像№1581参照) | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2948 | 国崎町(海女)19-1-4 | 鳥羽市国崎町舟人海女の磯場へと向かう出漁(船上)風景である。船上の海女は、磯手拭を被り黒のウエットスーツを身に着けている。(写真は、世古昌生氏の海女船かと思われる。画像№1581参照) | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2949 | 国崎町(海女)19-1-5 | 鳥羽市国崎町舟人海女の操業風景である。ここ国崎町では舟人海女の事を夫婦で操業する事から「ととかか舟」とも呼ぶ。船頭が命綱を手繰上げ、海面に浮上した海女は、磯笛と呼ばれる独特の呼吸法で息を整えた後、船縁に掴まって体を休め次の潜水へと備える。その間、船頭は目的の磯場から船が移動してしまわないように艪を使って船を操る。イソグルマの下には、海女の採取物を入れるためのイソカゴが吊されている。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2950 | 国崎町(海女)19-1-6 | 鳥羽市国崎町舟人海女の操業風景である。海底の海女から合図があると、船頭は磯グルマに掛けた命綱を一気に手繰上げる。僅かな気の緩みが大きな事故へとつながってしまう、阿吽の呼吸が必要とされる。ここ国崎町で舟人海女のことを「ととかか舟」と呼ぶ所以でもある。イソグルマの下には、海女の採取物を入れるためのイソカゴが吊されている。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2951 | 国崎町(海女)19-2-1 | 鳥羽市国崎町舟人海女の操業風景である。海底の海女から合図があると、船頭は磯グルマに掛けた命綱を一気に手繰上げる。カギノミを手に海面に浮上した海女は、磯笛と呼ばれる独特の呼吸法で息を整える。僅かな気の緩みが大きな事故へとつながってしまう、阿吽の呼吸が必要とされる。ここ国崎町で舟人海女のことを「ととかか舟」と呼ぶ所以でもある。イソグルマの下には、海女の採取物を入れるためのイソカゴが吊されている。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2952 | 国崎町(海女)19-2-2 | 鳥羽市国崎町舟人海女の操業風景である。ここ国崎町では舟人海女の事を夫婦で操業する事から「ととかか舟」とも呼ぶ。船頭が命綱を手繰上げ、海面に浮上した海女は、磯笛と呼ばれる独特の呼吸法で息を整えた後、船縁に掴まって体を休め次の潜水へと備える。その間、船頭は目的の磯場から船が移動してしまわないように艪を使って船を操る。イソグルマの下には、海女の採取物を入れるためのイソカゴが吊されている。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2953 | 国崎町(海女)19-2-3 | 鳥羽市国崎町舟人海女の操業風景である。海底の海女から合図があると、船頭は磯グルマに掛けた命綱を一気に手繰上げる。カギノミを手に海面に浮上した海女は、磯笛と呼ばれる独特の呼吸法で息を整える。僅かな気の緩みが大きな事故へとつながってしまう、阿吽の呼吸が必要とされる。ここ国崎町で舟人海女のことを「ととかか舟」と呼ぶ所以でもある。イソグルマの下には、海女の採取物を入れるためのイソカゴが吊されている。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2954 | 国崎町(海女)19-2-4 | 鳥羽市国崎町舟人海女の操業風景である。ここ国崎町では舟人海女の事を夫婦で操業する事から「ととかか舟」とも呼ぶ。船頭が命綱を手繰上げ、海面に浮上した海女は、磯笛と呼ばれる独特の呼吸法で息を整えた後、船縁に掴まって体を休め次の潜水へと備える。その間、船頭は目的の磯場から船が移動してしまわないように艪を使って船を操る。イソグルマの下には、海女の採取物を入れるためのイソカゴが吊されている。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2955 | 国崎町(海女)19-2-5 | 鳥羽市国崎町舟人海女の操業風景である。ここ国崎町では舟人海女の事を夫婦で操業する事から「ととかか舟」とも呼ぶ。船頭が命綱を手繰上げ、海面に浮上した海女は、磯笛と呼ばれる独特の呼吸法で息を整えた後、船縁に掴まって体を休め次の潜水へと備える。その間、船頭は目的の磯場から船が移動してしまわないように艪を使って船を操る。イソグルマの下には、海女の採取物を入れるためのイソカゴが吊されている。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2956 | 国崎町(海女)19-2-6 | 鳥羽市国崎町舟人海女の操業風景である。ここ国崎町では舟人海女の事を夫婦で操業する事から「ととかか舟」とも呼ぶ。船頭が命綱を手繰上げ、海面に浮上した海女は、磯笛と呼ばれる独特の呼吸法で息を整えた後、船縁に掴まって体を休め次の潜水へと備える。その間、船頭は目的の磯場から船が移動してしまわないように艪を使って船を操る。イソグルマの下には、海女の採取物を入れるためのイソカゴが吊されている。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2957 | 国崎町(海女)19-3-1 | 鳥羽市国崎町舟人海女の操業風景である。ここ国崎町では舟人海女の事を夫婦で操業する事から「ととかか舟」とも呼ぶ。船頭が命綱を手繰上げ、海面に浮上した海女は、磯笛と呼ばれる独特の呼吸法で息を整えた後、船縁に掴まって体を休め次の潜水へと備える。その間、船頭は目的の磯場から船が移動してしまわないように艪を使って船を操る。イソグルマの下には、海女の採取物を入れるためのイソカゴが吊されている。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2958 | 国崎町(海女)19-3-2 | 鳥羽市国崎町舟人海女の操業風景である。海底の海女から合図があると、船頭は磯グルマに掛けた命綱を一気に手繰上げる。僅かな気の緩みが大きな事故へとつながってしまう、阿吽の呼吸が必要とされる。ここ国崎町で舟人海女のことを「ととかか舟」と呼ぶ所以でもある。イソグルマの下には、海女の採取物を入れるためのイソカゴが吊されている。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2959 | 国崎町(海女)19-3-3 | 鳥羽市国崎町舟人海女の操業風景である。海底の海女から合図があると、船頭は磯グルマに掛けた命綱を一気に手繰上げる。カギノミを手に海面に浮上した海女は、磯笛と呼ばれる独特の呼吸法で息を整える。僅かな気の緩みが大きな事故へとつながってしまう、阿吽の呼吸が必要とされる。ここ国崎町で舟人海女のことを「ととかか舟」と呼ぶ所以でもある。イソグルマの下には、海女の採取物を入れるためのイソカゴが吊されている。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2960 | 国崎町(海女)19-3-4 | 鳥羽市国崎町舟人海女の操業風景である。国崎町では舟人海女の事を夫婦で操業する事から「ととかか舟」とも呼ぶ。命綱を手に、勢いよく腰近くまで海面に浮上した海女は、磯笛と呼ばれる独特の呼吸法で息を整える。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2961 | 国崎町(海女)19-3-5 | 国崎町と石鏡町の磯境に近い磯場である。写真上部の山腹を走る白い帯状のものはパールロードである。その下に点在する白い建物は「サンレポータウン」の名称で宅地開発された別荘地である。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2962 | 国崎町(海女)19-3-6 | 国崎町と石鏡町の磯境に近い磯場である。写真上部の山腹を走る白い帯状のものはパールロードである。その下に点在する白い建物は「サンレポータウン」の名称で宅地開発された別荘地である。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2963 | 国崎町(海女)20-1-1 | 鳥羽市国崎町舟人海女の操業風景である。国崎町では舟人海女の事を夫婦で操業する事から「ととかか舟」とも呼ぶ。命綱を手に、勢いよく腰近くまで海面に浮上した海女は、磯笛と呼ばれる独特の呼吸法で息を整える。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2964 | 国崎町(海女)20-1-2 | 鳥羽市国崎町舟人海女の操業風景である。ここ国崎町では舟人海女の事を夫婦で操業する事から「ととかか舟」とも呼ぶ。海面に浮上した海女は、磯笛と呼ばれる独特の呼吸法で息を整えた後、船縁に掴まって体を休め次の潜水へと備える。イソグルマの下には、海女の採取物を入れるためのイソカゴが吊されている。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2965 | 国崎町(海女)20-1-3 | 鳥羽市国崎町舟人海女の操業風景である。ここ国崎町では舟人海女の事を夫婦で操業する事から「ととかか舟」とも呼ぶ。海面に浮上した海女は、磯笛と呼ばれる独特の呼吸法で息を整えた後、船縁に掴まって体を休め次の潜水へと備える。イソグルマの下には、海女の採取物を入れるためのイソカゴが吊されている。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2966 | 国崎町(海女)20-1-4 | 鳥羽市国崎町舟人海女の操業風景である。ここ国崎町では舟人海女の事を夫婦で操業する事から「ととかか舟」とも呼ぶ。海面に浮上した海女は、磯笛と呼ばれる独特の呼吸法で息を整えた後、船縁に掴まって体を休め次の潜水へと備える。イソグルマの下には、海女の採取物を入れるためのイソカゴが吊されている。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2967 | 国崎町(海女)20-1-5 | 鳥羽市国崎町舟人海女の操業風景である。国崎町では舟人海女の事を夫婦で操業する事から「ととかか舟」とも呼ぶ。命綱を手に、勢いよく腰近くまで海面に浮上した海女は、磯笛と呼ばれる独特の呼吸法で息を整える。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2968 | 国崎町(海女)20-1-6 | 鳥羽市国崎町舟人海女の操業風景である。国崎町では舟人海女の事を夫婦で操業する事から「ととかか舟」とも呼ぶ。命綱を手に、勢いよく腰近くまで海面に浮上した海女は、磯笛と呼ばれる独特の呼吸法で息を整える。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2969 | 国崎町(海女)20-2-1 | 鳥羽市国崎町舟人海女の操業風景である。国崎町では舟人海女の事を夫婦で操業する事から「ととかか舟」とも呼ぶ。命綱を手に、勢いよく腰近くまで海面に浮上した海女は、磯笛と呼ばれる独特の呼吸法で息を整える。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2970 | 国崎町(海女)20-2-2 | 鳥羽市国崎町舟人海女の操業風景である。ここ国崎町では舟人海女の事を夫婦で操業する事から「ととかか舟」とも呼ぶ。海面に浮上した海女は、磯笛と呼ばれる独特の呼吸法で息を整えた後、船縁に掴まって体を休め次の潜水へと備える。イソグルマの下には、海女の採取物を入れるためのイソカゴが吊されている。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2971 | 国崎町(海女)21-1-3 | 鳥羽市国崎町舟人海女の操業風景である。国崎町では舟人海女の事を夫婦で操業する事から「ととかか舟」とも呼ぶ。命綱を手に、勢いよく腰近くまで海面に浮上した海女は、磯笛と呼ばれる独特の呼吸法で息を整える。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2972 | 国崎町(海女)20-2-4 | 鳥羽市国崎町舟人海女の操業風景である。国崎町では舟人海女の事を夫婦で操業する事から「ととかか舟」とも呼ぶ。命綱を手に、勢いよく腰近くまで海面に浮上した海女は、磯笛と呼ばれる独特の呼吸法で息を整える。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2973 | 国崎町(海女)20-2-5 | 鳥羽市国崎町舟人海女の操業風景である。国崎町では舟人海女の事を夫婦で操業する事から「ととかか舟」とも呼ぶ。命綱を手に、勢いよく腰近くまで海面に浮上した海女は、磯笛と呼ばれる独特の呼吸法で息を整える。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2974 | 国崎町(海女)20-2-6 | 鳥羽市国崎町舟人海女の操業風景である。国崎町では舟人海女の事を夫婦で操業する事から「ととかか舟」とも呼ぶ。命綱を手に、勢いよく腰近くまで海面に浮上した海女は、磯笛と呼ばれる独特の呼吸法で息を整える。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2975 | 国崎町(海女)20-3-1 | 鳥羽市国崎町鎧崎の船上げ風景である。海女漁の操業を終え、鎧崎の前の浜に戻ってきた海女船。船は艫から引き揚げるために、少し沖合でエンジンを切り、スクリューと舵を引上げたあと竿で波打際へとつける。船のオモテで竿を操るのは主に海女の役割である。艫の船頭は、船が着くのと同時に飛び降り、引上げのための位置へと船を誘導する。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2976 | 国崎町(海女)20-3-2 | 鳥羽市国崎町鎧崎の船上げ風景である。海女漁の操業を終え、鎧崎の前の浜に戻ってきた海女船。船は艫から引き揚げるために、少し沖合でエンジンを切り、スクリューと舵を引上げたあと竿で波打際へとつける。船のオモテで竿を操るのは主に海女の役割である。艫の船頭は、船が着くのと同時に飛び降り、引上げのための位置へと船を誘導する。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2977 | 国崎町(海女)20-3-3 | 鳥羽市国崎町鎧崎の船上げ風景である。海女漁の操業を終え、鎧崎の前の浜に戻ってきた海女船。船は艫から引き揚げるために、少し沖合でエンジンを切り、スクリューと舵を引上げたあと竿で波打際へとつける。船のオモテで竿を操るのは主に海女の役割である。艫の船頭は、船が着くのと同時に飛び降り、引上げのための位置へと船を誘導する。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2978 | 国崎町(海女)20-3-4 | 鳥羽市国崎町鎧崎の船上げ風景である。海女漁の操業を終え、鎧崎の前の浜に着岸した海女船は、艫から着けられ船底に丸太のコロを敷いて陸に引き揚げられる。かなり風波が出てきたのだろう、船が横になるのを防ごうと海女が船上で竿を操る。陸に下りた海女は、丸太のコロを集めて並べ、船上げ準備を急ぐ。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2979 | 国崎町(海女)20-3-5 | 鳥羽市国崎町鎧崎の船上げ風景である。海女漁の操業を終え、鎧崎の前の浜に着岸した海女船は、艫から着けられ船底に丸太のコロを敷いて陸に引き揚げられる。かなり風波が出てきたのだろう、船が横になるのを防ごうと海女が船上で竿を操る。陸に下りた海女は、丸太のコロを集めて並べ、船上げ準備を急ぐ。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2980 | 国崎町(海女)20-3-6 | 鳥羽市国崎町鎧崎の船上げ風景である。海女漁の操業を終え、鎧崎の前の浜に着岸した海女船は、艫から着けられ船底に丸太のコロを敷いて陸に引き揚げられる。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2981 | 国崎町(海女)21-1-1 | 鳥羽市国崎町鎧崎の船上げ風景である。海女漁の操業を終え、鎧崎の前の浜に着岸した海女船は、艫から着けられ船底に丸太のコロを敷いて陸に引き揚げられる。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2982 | 国崎町(海女)21-1-2 | 鳥羽市国崎町鎧崎の船上げ風景である。海女漁を終え、鎧崎の船揚場に戻った海女船は、船底に丸太のコロを敷いて陸に引き揚げられる。波打際で使われたコロは、波で流されないように陸へと片付けられていく。写真上部に写るブロック造りの建物は海女小屋で、その右側にある鳥居をくぐると山の神の祠が祀られる。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2983 | 国崎町(海女)21-1-3 | 鳥羽市国崎町鎧崎の船上げ風景である。海女漁を終え、鎧崎の船揚場に戻った海女船は、船底に丸太のコロを敷いて陸に引き揚げられる。波打際で使われたコロは、波で流されないように陸へと片付けられていく。写真上部右端に写るブロック造りの建物は海女小屋である。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2984 | 国崎町(海女)21-1-4 | 鳥羽市国崎町鎧崎の船上げ風景である。海女漁を終え、鎧崎の船揚場に戻った海女船は、船底に丸太のコロを敷いて陸に引き揚げられる。波打際で使われたコロは、波で流されないように陸へと片付けられていく。写真上部右端に写るブロック造りの建物は海女小屋である。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2985 | 国崎町(海女)21-1-5 | 鳥羽市国崎町鎧崎の船上げ風景である。海女漁を終え、鎧崎の船揚場に戻った海女船は、船底に丸太のコロを敷いて陸に引き揚げられる。波打際で使われたコロは、波で流されないように陸へと片付けられていく。写真上部右端に写るブロック造りの建物は海女小屋である。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2986 | 国崎町(海女)21-1-6 | 鳥羽市国崎町鎧崎の船上げ風景である。海女漁を終え、鎧崎の船揚場に戻った海女船は、船底に丸太のコロを敷いて陸に引き揚げられる。波打際で使われたコロは、波で流されないように陸へと片付けられていく。写真上部右端に写るブロック造りの建物は海女小屋である。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2987 | 国崎町(海女)21-2-1 | 鳥羽市国崎町鎧崎の船上げ風景である。海女漁を終え、鎧崎の船揚場に戻った海女船は、船底に丸太のコロを敷いて陸に引き揚げられる。波打際で使われたコロは、波で流されないように陸へと片付けられていく。写真上部右端に写るブロック造りの建物は海女小屋である。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2988 | 国崎町(海女)21-2-2 | イナイボウ(担い棒)を肩に帰宅する海女。徒人かノリアイの海女かと思われる。海女小屋で着替えを済ませてきたのであろう、イナイボウの前にはフゴを、後には浮樽とスカリが下げられている。浮樽の傍らに括られているのは、採取出来るアワビの大きさを計測するスンポである。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2989 | 国崎町(海女)21-2-3 | イナイボウ(担い棒)を肩に帰宅する海女。徒人かノリアイの海女かと思われる。海女小屋で着替えを済ませてきたのであろう、イナイボウの前にはフゴを、後には浮樽とスカリが下げられている。浮樽の傍らに括られているのは、採取出来るアワビの大きさを計測するスンポである。また、集落側から同様のイナイボウを担いだ婦人が歩いてくる姿も見て取れる。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2990 | 国崎町(海女)21-2-4 | イナイボウ(担い棒)を肩に帰宅する海女。徒人かノリアイの海女かと思われる。海女小屋で着替えを済ませてきたのであろう、イナイボウの前にフゴを、後に浮樽とスカリを下げている。浮樽の傍らに括られているのは、採取出来るアワビの大きさを計測するスンポである。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2991 | 国崎町(海女)21-2-5 | 文治屋の近くの街路(写真左の建物が文治屋)を歩く海女たち。左側の海女は、海女小屋で着替えをすませてきたのか、担い棒の後ろには浮樽とスカリを下げている。浮樽と同じように、アワビの大きさを計測するスンポ(スンボウ)も見られる。右側の海女は背負い籠の上に発泡スチロール製のタンポを載せている。(「海辺の毎日 国崎の暮らし写真展」報告書より) | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2992 | 国崎町(海女)21-2-6 | 刺網を繕う漁師。岩礁域に仕掛ける刺網は、引き揚げるときに岩に引っかかって破れたり、網に掛かった漁獲物にキズを付けないために、故意に網の目を切って外したりすることから、常に修繕が必要になる。漁師達は仕事の合間を縫って、「アバリ」と呼ぶ独特の道具を使って破れた網を繕っていく。写真は自宅の一室であろう。鏡を見る婦人の傍らには刺網が広げられている。漁師は繕いのためのアバリの準備をしているようである。(画像№2758~2762参照) | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2993 | 国崎町(海女)21-3-1 | 刺網を繕う漁師。写真は自宅の一室であろう。鏡を見る婦人の傍らには刺網が広げられている。漁師は繕いのためのアバリの準備をしているようである。(画像№2758~2762参照) | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2994 | 国崎町(海女)21-3-2 | 刺網を繕う漁師。写真は自宅の一室であろう。鏡を見る婦人の傍らには刺網が広げられている。漁師は繕いのためのアバリの準備をしているようである。(画像№2758~2762参照) | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2995 | 国崎町(海女)21-3-3 | 刺網を繕う漁師。写真は自宅の一室であろう。鏡を見る婦人の傍らには刺網が広げられている。漁師は繕いのためのアバリの準備をしているようである。(画像№2758~2762参照) | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2996 | 国崎町(海女)21-3-4 | 刺網を繕う漁師。写真は自宅の一室であろう。鏡を見る婦人の傍らには刺網が広げられている。漁師は繕いの準備を進める。(画像№2758~2762参照) | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2997 | 国崎町(海女)21-3-5 | 刺網を繕う漁師。岩礁域に仕掛ける刺網は、引き揚げるときに岩に引っかかって破れたり、網に掛かった漁獲物にキズを付けないために、故意に網の目を切って外したりすることから、常に修繕が必要になる。漁師達は仕事の合間を縫って、「アバリ」と呼ぶ独特の道具を使って破れた網を繕っていく。写真は自宅の一室で、浮子の部分を固定し沈子側の網の目を右足に掛け、左手で網を引っ張っぱり、「アバリ」で繕っていく。(画像№2758~2762参照) | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2998 | 国崎町(海女)21-3-6 | 刺網を繕う漁師。岩礁域に仕掛ける刺網は、引き揚げるときに岩に引っかかって破れたり、網に掛かった漁獲物にキズを付けないために、故意に網の目を切って外したりすることから、常に修繕が必要になる。漁師達は仕事の合間を縫って、「アバリ」と呼ぶ独特の道具を使って破れた網を繕っていく。写真は自宅の一室で、浮子の部分を固定し沈子側の網の目を右足に掛け、左手で網を引っ張っぱり、「アバリ」で繕っていく。(画像№2758~2762参照) | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
2999 | 国崎町(海女)22-1-1 | 刺網を繕う漁師。岩礁域に仕掛ける刺網は、引き揚げるときに岩に引っかかって破れたり、網に掛かった漁獲物にキズを付けないために、故意に網の目を切って外したりすることから、常に修繕が必要になる。漁師達は仕事の合間を縫って、「アバリ」と呼ぶ独特の道具を使って破れた網を繕っていく。写真は自宅の一室で、浮子の部分を固定し沈子側の網の目を右足に掛け、左手で網を引っ張っぱり、「アバリ」で繕っていく。(画像№2758~2762参照) | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
3000 | 国崎町(海女)22-1-2 | 刺網を繕う漁師。岩礁域に仕掛ける刺網は、引き揚げるときに岩に引っかかって破れたり、網に掛かった漁獲物にキズを付けないために、故意に網の目を切って外したりすることから、常に修繕が必要になる。漁師達は仕事の合間を縫って、「アバリ」と呼ぶ独特の道具を使って破れた網を繕っていく。写真は自宅の一室で、浮子の部分を固定し沈子側の網の目を右足に掛け、左手で網を引っ張っぱり、「アバリ」で繕っていく。(画像№2758~2762参照) | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
3001 | 国崎町(海女)22-1-3 | 刺網を繕う漁師。岩礁域に仕掛ける刺網は、引き揚げるときに岩に引っかかって破れたり、網に掛かった漁獲物にキズを付けないために、故意に網の目を切って外したりすることから、常に修繕が必要になる。漁師達は仕事の合間を縫って、「アバリ」と呼ぶ独特の道具を使って破れた網を繕っていく。写真は自宅の一室で、浮子の部分を固定し沈子側の網の目を右足に掛け、左手で網を引っ張っぱり、「アバリ」で繕っていく。(画像№2758~2762参照) | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
3002 | 国崎町(海女)22-1-4 | 刺網を繕う漁師。岩礁域に仕掛ける刺網は、引き揚げるときに岩に引っかかって破れたり、網に掛かった漁獲物にキズを付けないために、故意に網の目を切って外したりすることから、常に修繕が必要になる。漁師達は仕事の合間を縫って、「アバリ」と呼ぶ独特の道具を使って破れた網を繕っていく。写真は自宅の一室で、浮子の部分を固定し沈子側の網の目を右足に掛け、左手で網を引っ張っぱり、「アバリ」で繕っていく。(画像№2758~2762参照) | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
3003 | 国崎町(海女)22-1-5 | 刺網を繕う漁師。岩礁域に仕掛ける刺網は、引き揚げるときに岩に引っかかって破れたり、網に掛かった漁獲物にキズを付けないために、故意に網の目を切って外したりすることから、常に修繕が必要になる。漁師達は仕事の合間を縫って、「アバリ」と呼ぶ独特の道具を使って破れた網を繕っていく。写真は自宅の一室で、浮子の部分を固定し沈子側の網の目を右足に掛け、左手で網を引っ張っぱり、「アバリ」で繕っていく。(画像№2758~2762参照) | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
3004 | 国崎町(海女)22-1-6 | 刺網を繕う漁師。岩礁域に仕掛ける刺網は、引き揚げるときに岩に引っかかって破れたり、網に掛かった漁獲物にキズを付けないために、故意に網の目を切って外したりすることから、常に修繕が必要になる。漁師達は仕事の合間を縫って、「アバリ」と呼ぶ独特の道具を使って破れた網を繕っていく。写真は自宅の一室で、浮子の部分を固定し沈子側の網の目を右足に掛け、左手で網を引っ張っぱり、「アバリ」で繕っていく。(画像№2758~2762参照) | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
3005 | 国崎町(海女)22-2-1 | 刺網を繕う漁師。岩礁域に仕掛ける刺網は、引き揚げるときに岩に引っかかって破れたり、網に掛かった漁獲物にキズを付けないために、故意に網の目を切って外したりすることから、常に修繕が必要になる。漁師達は仕事の合間を縫って、「アバリ」と呼ぶ独特の道具を使って破れた網を繕っていく。写真は自宅の一室で、浮子の部分を固定し沈子側の網の目を右足に掛け、左手で網を引っ張っぱり、「アバリ」で繕っていく。(画像№2758~2762参照) | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
3006 | 国崎町(海女)22-2-2 | 刺網を繕う漁師。岩礁域に仕掛ける刺網は、引き揚げるときに岩に引っかかって破れたり、網に掛かった漁獲物にキズを付けないために、故意に網の目を切って外したりすることから、常に修繕が必要になる。漁師達は仕事の合間を縫って、「アバリ」と呼ぶ独特の道具を使って破れた網を繕っていく。写真は自宅の一室で、浮子の部分を固定し沈子側の網の目を右足に掛け、左手で網を引っ張っぱり、「アバリ」で繕っていく。(画像№2758~2762参照) | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
3007 | 国崎町(海女)22-2-3 | 刺網を繕う漁師。岩礁域に仕掛ける刺網は、引き揚げるときに岩に引っかかって破れたり、網に掛かった漁獲物にキズを付けないために、故意に網の目を切って外したりすることから、常に修繕が必要になる。漁師達は仕事の合間を縫って、「アバリ」と呼ぶ独特の道具を使って破れた網を繕っていく。写真は自宅の一室で、浮子の部分を固定し沈子側の網の目を右足に掛け、左手で網を引っ張っぱり、「アバリ」で繕っていく。(画像№2758~2762参照) | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
3008 | 国崎町(海女)22-2-4 | 刺網を繕う漁師。岩礁域に仕掛ける刺網は、引き揚げるときに岩に引っかかって破れたり、網に掛かった漁獲物にキズを付けないために、故意に網の目を切って外したりすることから、常に修繕が必要になる。漁師達は仕事の合間を縫って、「アバリ」と呼ぶ独特の道具を使って破れた網を繕っていく。写真は自宅の一室で、浮子の部分を固定し沈子側の網の目を右足に掛け、左手で網を引っ張っぱり、「アバリ」で繕っていく。(画像№2758~2762参照) | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
3009 | 国崎町(海女)22-2-5 | 刺網を繕う漁師。岩礁域に仕掛ける刺網は、引き揚げるときに岩に引っかかって破れたり、網に掛かった漁獲物にキズを付けないために、故意に網の目を切って外したりすることから、常に修繕が必要になる。漁師達は仕事の合間を縫って、「アバリ」と呼ぶ独特の道具を使って破れた網を繕っていく。写真は自宅の一室で、浮子の部分を固定し沈子側の網の目を右足に掛け、左手で網を引っ張っぱり、「アバリ」で繕っていく。(画像№2758~2762参照) | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
3010 | 国崎町(海女)22-2-6 | 刺網を繕う漁師。岩礁域に仕掛ける刺網は、引き揚げるときに岩に引っかかって破れたり、網に掛かった漁獲物にキズを付けないために、故意に網の目を切って外したりすることから、常に修繕が必要になる。漁師達は仕事の合間を縫って、「アバリ」と呼ぶ独特の道具を使って破れた網を繕っていく。写真は自宅の一室で、浮子の部分を固定し沈子側の網の目を右足に掛け、左手で網を引っ張っぱり、「アバリ」で繕っていく。(画像№2758~2762参照) | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
3011 | 国崎町(海女)22-3-1 | 刺網を繕う漁師。岩礁域に仕掛ける刺網は、引き揚げるときに岩に引っかかって破れたり、網に掛かった漁獲物にキズを付けないために、故意に網の目を切って外したりすることから、常に修繕が必要になる。漁師達は仕事の合間を縫って、「アバリ」と呼ぶ独特の道具を使って破れた網を繕っていく。写真は自宅の一室で、浮子の部分を固定し沈子側の網の目を右足に掛け、左手で網を引っ張っぱり、「アバリ」で繕っていく。(画像№2758~2762参照) | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
3012 | 国崎町(海女)23-1-1 | 国崎町で舟人海女を生業とする世古昌男氏宅かと思われる。玄関での挨拶風景。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
3013 | 国崎町(海女)23-1-2 | 国崎町で舟人海女を生業とする世古昌男氏宅かと思われる。玄関での挨拶風景。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
3014 | 国崎町(海女)23-1-3 | 国崎町で舟人海女を生業とする世古昌男氏宅かと思われる。玄関での挨拶風景。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
3015 | 国崎町(海女)23-1-4 | 国崎町で舟人海女を生業とする世古昌男氏宅かと思われる。写真左端の両手を畳についている男性が、世古昌男氏である。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
3016 | 国崎町(海女)23-1-5 | 国崎町で舟人海女を生業とする世古昌男氏宅かと思われる。写真左端の両手を畳についている男性が、世古昌男氏である。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
3017 | 国崎町(海女)23-1-6 | 国崎町で舟人海女を生業とする世古昌男氏宅かと思われる。写真左端の両手を畳についている男性が、世古昌男氏である。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
3018 | 国崎町(海女)23-2-1 | 国崎町で舟人海女を生業とする世古昌男氏宅かと思われる。写真左端の右手を畳についている男性が、世古昌男氏である。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
3019 | 国崎町(海女)23-2-2 | 国崎町で舟人海女を生業とする世古昌男氏宅かと思われる。写真左端の右手を畳についている男性が、世古昌男氏である。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
3020 | 国崎町(海女)23-2-3 | 国崎町で舟人海女を生業とする世古昌男氏宅かと思われる。刺身でも造ろうとしているのか台所でハマチかワラサらしき魚を三枚に下ろしている。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
3021 | 国崎町(海女)23-2-4 | 国崎町で舟人海女を生業とする世古昌男氏宅かと思われる。刺身でも造ろうとしているのか台所でハマチかワラサらしき魚を三枚に下ろしている。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
3022 | 国崎町(海女)23-2-5 | 国崎町で舟人海女を生業とする世古昌男氏宅かと思われる。刺身でも造ろうとしているのか台所でハマチかワラサらしき魚を三枚に下ろしている。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
3023 | 国崎町(海女)23-2-6 | 国崎町で舟人海女を生業とする世古昌男氏宅かと思われる。刺身でも造ろうとしているのか台所でハマチかワラサらしき魚を三枚に下ろしている。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
3024 | 国崎町(海女)23-3-1 | 国崎町で舟人海女を生業とする世古昌男氏宅かと思われる。刺身でも造ろうとしているのか台所でハマチかワラサらしき魚を三枚に下ろしている。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
3025 | 国崎町(海女)23-3-2 | 国崎町で舟人海女を生業とする世古昌男氏宅かと思われる。刺身でも造ろうとしているのか台所でハマチかワラサらしき魚を三枚に下ろしている。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
3026 | 国崎町(海女)23-3-3 | 国崎町で舟人海女を生業とする世古昌男氏宅かと思われる。刺身でも造ろうとしているのか台所でハマチかワラサらしき魚を三枚に下ろしている。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
3027 | 国崎町(海女)23-3-4 | 国崎町で舟人海女を生業とする世古昌男氏宅かと思われる。刺身でも造ろうとしているのか台所でハマチかワラサらしき魚を三枚に下ろしている。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
3028 | 国崎町(海女)23-3-5 | 国崎町で舟人海女を生業とする世古昌男氏宅かと思われる。刺身でも造ろうとしているのか台所でハマチかワラサらしき魚を三枚に下ろしている。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
3029 | 国崎町(海女)23-3-6 | 国崎町で舟人海女を生業とする世古昌男氏宅かと思われる。刺身でも造ろうとしているのか台所でハマチかワラサらしき魚を三枚に下ろしている。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
3030 | 国崎町(海女)24-1-1 | 国崎町で舟人海女を生業とする世古昌男氏宅かと思われる。刺身でも造ろうとしているのか台所でハマチかワラサらしき魚を三枚に下ろしている。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
3031 | 国崎町(海女)24-1-2 | 国崎町で舟人海女を生業とする世古昌男氏宅かと思われる。刺身でも造ろうとしているのか台所でハマチかワラサらしき魚を三枚に下ろしている。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
3032 | 国崎町(海女)24-1-3 | 国崎町で舟人海女を生業とする世古昌男氏宅かと思われる。刺身でも造ろうとしているのか台所でハマチかワラサらしき魚を三枚に下ろしている。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
3033 | 国崎町(海女)24-1-4 | 国崎町で舟人海女を生業とする世古昌男氏宅かと思われる。刺身でも造ろうとしているのか台所でハマチかワラサらしき魚を三枚に下ろしている。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
3034 | 国崎町(海女)24-1-5 | 国崎町で舟人海女を生業とする世古昌男氏宅かと思われる。刺身でも造ろうとしているのか台所でハマチかワラサらしき魚を三枚に下ろしている。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
3035 | 国崎町(海女)24-1-6 | フイルム装填時の試写画像である。室内風景が写される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
3036 | 国崎町(海女)24-2-1 | 窓から見る国崎町の街並みと海。(窓に張り付く蛙)(画像№2154~№2165参照) | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
3037 | 国崎町(海女)24-2-2 | 窓から見る国崎町の街並みと海。(窓に張り付く蛙)(画像№2154~№2165参照) | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
3038 | 国崎町(海女)24-2-3 | 窓から見る国崎町の街並みと海。(窓に張り付く蛙)(画像№2154~№2165参照) | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
3039 | 国崎町(海女)24-2-4 | 窓から見る国崎町の街並みと海。(窓に張り付く蛙)(画像№2154~№2165参照) | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
3040 | 国崎町(海女)24-2-5 | 窓から見る国崎町の街並みと海。(窓に張り付く蛙)(画像№2154~№2165参照) | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
3041 | 国崎町(海女)24-2-6 | 窓から見る国崎町の街並みと海。(窓に張り付く蛙)(画像№2154~№2165参照) | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
3042 | 国崎町(海女)24-3-1 | 窓から見る国崎町の街並みと海。(窓に張り付く蛙)(画像№2154~№2165参照) | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
3043 | 国崎町(海女)24-3-2 | 窓から見る国崎町の街並みと海。(窓に張り付く蛙)(画像№2154~№2165参照) | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
3044 | 国崎町(海女)24-3-3 | 窓から見る国崎町の街並みと海。(窓に張り付く蛙)(画像№2154~№2165参照) | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
3045 | 国崎町(海女)24-3-4 | 窓から見る国崎町の街並みと海。(窓に張り付く蛙)(画像№2154~№2165参照) | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
3046 | 国崎町(海女)24-3-5 | 窓から見る国崎町の街並みと海。(窓に張り付く蛙)(画像№2154~№2165参照) | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
3047 | 国崎町(海女)24-3-6 | 窓から見る国崎町の街並みと海。(窓に張り付く蛙)(画像№2154~№2165参照) | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
3048 | 国崎町(海女)25-1-1 | 金刀比羅宮鳥羽分社の大祭行列である。鳥羽分社は、香川県の金刀比羅宮を分祀し、昭和31年8月10日に鳥羽2丁目の樋の山に創祀した。以来、8月9日に神輿の海上渡御・宵宮祭、10日に例大祭、11日に報賽祭が執り行われ、特に海上渡御の神輿については、毎年市内の各集落を回り持ちで出発地としてきた。写真は国崎町が出発地となった昭和47年の行在所(旧国崎公民館)である。(画像№2166~№2172/画像№2925~№2930参照) | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
3049 | 国崎町(海女)25-1-2 | 金刀比羅宮鳥羽分社の例大祭の写真で、場所は祭典が行われた旧国崎公民館である。鳥羽分社は、香川県の金刀比羅宮を分祀したもので、昭和31(1956)年8月10日に鳥羽2丁目の樋の山に創祀された。以来、8月9日に神輿の海上渡御・宵宮祭、10日に例大祭、11日に報賽祭が執り行われてきた。このうち海上渡御の神輿は、毎年市内の各集落が持ち回りで出発地になっていたが、現在(2023年)は持ち回りが行われず、鳥羽みなと祭の一部として例大祭が行われている。この写真は国崎が出発地となった年に撮られたもので、鳥羽まで船で神輿を運んだという。中央に写る男性は当時の禰宜である。画像№2166~№2172/画像№2925~№2930参照(「海辺の毎日 国崎の暮らし写真展」報告書より) | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
3050 | 国崎町(海女)25-1-3 | 金刀比羅宮鳥羽分社の大祭行列である。鳥羽分社は、香川県の金刀比羅宮を分祀し、昭和31年8月10日に鳥羽2丁目の樋の山に創祀した。以来、8月9日に神輿の海上渡御・宵宮祭、10日に例大祭、11日に報賽祭が執り行われ、特に海上渡御の神輿については、毎年市内の各集落を回り持ちで出発地としてきた。写真は国崎町が出発地となった昭和47年の行在所(旧国崎公民館)である。(画像№2166~№2172/画像№2925~№2930参照) | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
3051 | 国崎町(海女)25-1-4 | 金刀比羅宮鳥羽分社の大祭行列である。鳥羽分社は、香川県の金刀比羅宮を分祀し、昭和31年8月10日に鳥羽2丁目の樋の山に創祀した。以来、8月9日に神輿の海上渡御・宵宮祭、10日に例大祭、11日に報賽祭が執り行われ、特に海上渡御の神輿については、毎年市内の各集落を回り持ちで出発地としてきた。写真は国崎町が出発地となった昭和47年の行在所(旧国崎公民館)である。(画像№2166~№2172/画像№2925~№2930参照) | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
3052 | 国崎町(海女)25-1-5 | 金刀比羅宮鳥羽分社の大祭行列である。鳥羽分社は、香川県の金刀比羅宮を分祀し、昭和31年8月10日に鳥羽2丁目の樋の山に創祀した。以来、8月9日に神輿の海上渡御・宵宮祭、10日に例大祭、11日に報賽祭が執り行われ、特に海上渡御の神輿については、毎年市内の各集落を回り持ちで出発地としてきた。写真は国崎町が出発地となった昭和47年の行在所(旧国崎公民館)である。(画像№2166~№2172/画像№2925~№2930参照) | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
3053 | 国崎町(海女)25-1-6 | 金刀比羅宮鳥羽分社の大祭行列である。鳥羽分社は、香川県の金刀比羅宮を分祀し、昭和31年8月10日に鳥羽2丁目の樋の山に創祀した。以来、8月9日に神輿の海上渡御・宵宮祭、10日に例大祭、11日に報賽祭が執り行われ、特に海上渡御の神輿については、毎年市内の各集落を回り持ちで出発地としてきた。写真は国崎町が出発地となった昭和47年の行在所(旧国崎公民館)である。(画像№2166~№2172/画像№2925~№2930参照) | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
3054 | 国崎町(海女)25-2-1 | 金刀比羅宮鳥羽分社の大祭行列である。鳥羽分社は、香川県の金刀比羅宮を分祀し、昭和31年8月10日に鳥羽2丁目の樋の山に創祀した。以来、8月9日に神輿の海上渡御・宵宮祭、10日に例大祭、11日に報賽祭が執り行われ、特に海上渡御の神輿については、毎年市内の各集落を回り持ちで出発地としてきた。写真は国崎町が出発地となった昭和47年の行在所(旧国崎公民館)である。(画像№2166~№2172/画像№2925~№2930参照) | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
3055 | 国崎町(海女)25-2-2 | 祭典の出席を終えた帰路であろうか。羽織袴に正装をし、杖を手にした老人が、家族らしき人々と共に海士潜女神社境内への入り口付近を下りていく。(画像№2166~№2172/画像№2925~№2930参照) | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
3056 | 国崎町(海女)25-2-3 | 祭典の出席を終えた帰路であろうか。羽織袴に正装をし、杖を手にした老人が、家族らしき人々と共に海士潜女神社境内への入り口付近を下りていく。(画像№2166~№2172/画像№2925~№2930参照) | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
3057 | 国崎町(海女)25-2-4 | 金刀比羅宮鳥羽分社の大祭行列である。鳥羽分社は、香川県の金刀比羅宮を分祀し、昭和31年8月10日に鳥羽2丁目の樋の山に創祀した。以来、8月9日に神輿の海上渡御・宵宮祭、10日に例大祭、11日に報賽祭が執り行われ、特に海上渡御の神輿については、毎年市内の各集落を回り持ちで出発地としてきた。写真は昭和47年に国崎町が出発地となった時の神輿行列である。神輿は、行在所となった旧国崎公民館から国崎漁港の大津浜まで歩き、その後車で旧鳥羽町内まで移動した。舞姫や横笛・笙等を吹く人々は金刀比羅宮の神官。神輿の担ぎ手は国崎青年団の団員達であると言う。(画像№2166~№2172/画像№2925~№2930参照) | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
3058 | 国崎町(海女)25-2-5 | 金刀比羅宮鳥羽分社の大祭行列である。鳥羽分社は、香川県の金刀比羅宮を分祀し、昭和31年8月10日に鳥羽2丁目の樋の山に創祀した。以来、8月9日に神輿の海上渡御・宵宮祭、10日に例大祭、11日に報賽祭が執り行われ、特に海上渡御の神輿については、毎年市内の各集落を回り持ちで出発地としてきた。写真は昭和47年に国崎町が出発地となった時の神輿行列である。神輿は、行在所となった旧国崎公民館から国崎漁港の大津浜まで歩き、その後車で旧鳥羽町内まで移動した。舞姫や横笛・笙等を吹く人々は金刀比羅宮の神官。神輿の担ぎ手は国崎青年団の団員達であると言う。(画像№2166~№2172/画像№2925~№2930参照) | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
3059 | 国崎町(海女)25-2-6 | 金刀比羅宮鳥羽分社の大祭行列である。鳥羽分社は、香川県の金刀比羅宮を分祀し、昭和31年8月10日に鳥羽2丁目の樋の山に創祀した。以来、8月9日に神輿の海上渡御・宵宮祭、10日に例大祭、11日に報賽祭が執り行われ、特に海上渡御の神輿については、毎年市内の各集落を回り持ちで出発地としてきた。写真は昭和47年に国崎町が出発地となった時の神輿行列である。神輿は、行在所となった旧国崎公民館から国崎漁港の大津浜まで歩き、その後車で旧鳥羽町内まで移動した。「讃岐金刀比羅宮鳥羽(社)」と記された幟等が見て取れる。(画像№2166~№2172/画像№2925~№2930参照) | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
3060 | 国崎町(海女)25-3-1 | 金刀比羅宮鳥羽分社の大祭行列である。鳥羽分社は、香川県の金刀比羅宮を分祀し、昭和31年8月10日に鳥羽2丁目の樋の山に創祀した。以来、8月9日に神輿の海上渡御・宵宮祭、10日に例大祭、11日に報賽祭が執り行われ、特に海上渡御の神輿については、毎年市内の各集落を回り持ちで出発地としてきた。写真は昭和47年に国崎町が出発地となった時の神輿行列である。神輿は、行在所となった旧国崎公民館から国崎漁港の大津浜まで歩き、その後車で旧鳥羽町内まで移動した。行列を見守る人々に神官が清めの祓いをいて歩く。(画像№2166~№2172/画像№2925~№2930参照) | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
3061 | 国崎町(海女)25-3-2 | 金刀比羅宮鳥羽分社の大祭行列である。鳥羽分社は、香川県の金刀比羅宮を分祀し、昭和31年8月10日に鳥羽2丁目の樋の山に創祀した。以来、8月9日に神輿の海上渡御・宵宮祭、10日に例大祭、11日に報賽祭が執り行われ、特に海上渡御の神輿については、毎年市内の各集落を回り持ちで出発地としてきた。写真は昭和47年に国崎町が出発地となった時の神輿行列である。神輿は、行在所となった旧国崎公民館から国崎漁港の大津浜まで歩き、その後車で旧鳥羽町内まで移動した。「讃岐金刀比羅宮鳥羽(社)」と記された幟等が見て取れる。(画像№2166~№2172/画像№2925~№2930参照) | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
3062 | 国崎町(海女)25-3-3 | 金刀比羅宮鳥羽分社の大祭行列である。鳥羽分社は、香川県の金刀比羅宮を分祀し、昭和31年8月10日に鳥羽2丁目の樋の山に創祀した。以来、8月9日に神輿の海上渡御・宵宮祭、10日に例大祭、11日に報賽祭が執り行われ、特に海上渡御の神輿については、毎年市内の各集落を回り持ちで出発地としてきた。写真は昭和47年に国崎町が出発地となった時の神輿行列である。神輿は、行在所となった旧国崎公民館から国崎漁港の大津浜まで歩き、その後車で旧鳥羽町内まで移動した。(画像№2166~№2172/画像№2925~№2930参照) | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
3063 | 国崎町(海女)25-3-4 | 金刀比羅宮鳥羽分社の大祭行列である。鳥羽分社は、香川県の金刀比羅宮を分祀し、昭和31年8月10日に鳥羽2丁目の樋の山に創祀した。以来、8月9日に神輿の海上渡御・宵宮祭、10日に例大祭、11日に報賽祭が執り行われ、特に海上渡御の神輿については、毎年市内の各集落を回り持ちで出発地としてきた。写真は昭和47年に国崎町が出発地となった時の神輿行列である。神輿は、行在所となった旧国崎公民館から国崎漁港の大津浜まで歩き、その後車で旧鳥羽町内まで移動した。(画像№2166~№2172/画像№2925~№2930参照) | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
3064 | 国崎町(海女)25-3-5 | 金刀比羅宮鳥羽分社の大祭行列である。鳥羽分社は、香川県の金刀比羅宮を分祀し、昭和31年8月10日に鳥羽2丁目の樋の山に創祀した。以来、8月9日に神輿の海上渡御・宵宮祭、10日に例大祭、11日に報賽祭が執り行われ、特に海上渡御の神輿については、毎年市内の各集落を回り持ちで出発地としてきた。写真は昭和47年に国崎町が出発地となった時の神輿行列である。神輿は、行在所となった旧国崎公民館から国崎漁港の大津浜まで歩き、その後車で旧鳥羽町内まで移動した。(画像№2166~№2172/画像№2925~№2930参照) | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
3065 | 国崎町(海女)25-3-6 | 金刀比羅宮鳥羽分社の大祭行列である。鳥羽分社は、香川県の金刀比羅宮を分祀し、昭和31年8月10日に鳥羽2丁目の樋の山に創祀した。以来、8月9日に神輿の海上渡御・宵宮祭、10日に例大祭、11日に報賽祭が執り行われ、特に海上渡御の神輿については、毎年市内の各集落を回り持ちで出発地としてきた。写真は昭和47年に国崎町が出発地となった時の神輿行列である。神輿は、行在所となった旧国崎公民館から国崎漁港の大津浜まで歩き、その後車で旧鳥羽町内まで移動した。(画像№2166~№2172/画像№2925~№2930参照) | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
3066 | 国崎町(海女)26-1-1 | 金刀比羅宮鳥羽分社の大祭行列である。鳥羽分社は、香川県の金刀比羅宮を分祀し、昭和31年8月10日に鳥羽2丁目の樋の山に創祀した。以来、8月9日に神輿の海上渡御・宵宮祭、10日に例大祭、11日に報賽祭が執り行われ、特に海上渡御の神輿については、毎年市内の各集落を回り持ちで出発地としてきた。写真は昭和47年に国崎町が出発地となった時の神輿行列である。神輿は、行在所となった旧国崎公民館から国崎漁港の大津浜まで歩き、その後車で旧鳥羽町内まで移動した。(画像№2166~№2172/画像№2925~№2930参照) | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
3067 | 国崎町(海女)26-1-2 | 金刀比羅宮鳥羽分社の例大祭行列である。 写真は昭和47年に国崎町が出発地となった時の神輿行列で、神輿は、行在所となった旧国崎公民館から国崎漁港の大津浜まで歩き、その後車で旧鳥羽町内まで移動した。行列を見守る人々に神官が清めの祓いをいて歩く。画像№2166~№2172/画像№2925~№2930/№3049/№3090/№3110/参照 | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
3068 | 国崎町(海女)26-1-3 | 金刀比羅宮鳥羽分社の大祭行列である。鳥羽分社は、香川県の金刀比羅宮を分祀し、昭和31年8月10日に鳥羽2丁目の樋の山に創祀した。以来、8月9日に神輿の海上渡御・宵宮祭、10日に例大祭、11日に報賽祭が執り行われ、特に海上渡御の神輿については、毎年市内の各集落を回り持ちで出発地としてきた。写真は昭和47年に国崎町が出発地となった時の神輿行列である。神輿は、行在所となった旧国崎公民館から国崎漁港の大津浜まで歩き、その後車で旧鳥羽町内まで移動した。神輿を見守る沿道の人々の中に、舟人海女の世古夫妻の姿も見て取れる。(画像№2166~№2172/画像№2925~№2930参照) | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
3069 | 国崎町(海女)26-1-4 | 金刀比羅宮鳥羽分社の大祭行列である。鳥羽分社は、香川県の金刀比羅宮を分祀し、昭和31年8月10日に鳥羽2丁目の樋の山に創祀した。以来、8月9日に神輿の海上渡御・宵宮祭、10日に例大祭、11日に報賽祭が執り行われ、特に海上渡御の神輿については、毎年市内の各集落を回り持ちで出発地としてきた。写真は昭和47年に国崎町が出発地となった時の神輿行列である。神輿は、行在所となった旧国崎公民館から国崎漁港の大津浜まで歩き、その後車で旧鳥羽町内まで移動した。神輿を見守る沿道の人々の中に、舟人海女の世古夫妻の姿も見て取れる。(画像№2166~№2172/画像№2925~№2930参照) | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
3070 | 国崎町(海女)26-1-5 | 金刀比羅宮鳥羽分社の大祭行列である。鳥羽分社は、香川県の金刀比羅宮を分祀し、昭和31年8月10日に鳥羽2丁目の樋の山に創祀した。以来、8月9日に神輿の海上渡御・宵宮祭、10日に例大祭、11日に報賽祭が執り行われ、特に海上渡御の神輿については、毎年市内の各集落を回り持ちで出発地としてきた。写真は昭和47年に国崎町が出発地となった時の神輿行列である。神輿は、行在所となった旧国崎公民館から国崎漁港の大津浜まで歩き、その後車で旧鳥羽町内まで移動した。神輿を見守る沿道の人々の中に、舟人海女の世古夫妻の姿も見て取れる。(画像№2166~№2172/画像№2925~№2930参照) | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
3071 | 国崎町(海女)26-1-6 | 金刀比羅宮鳥羽分社の大祭行列である。鳥羽分社は、香川県の金刀比羅宮を分祀し、昭和31年8月10日に鳥羽2丁目の樋の山に創祀した。以来、8月9日に神輿の海上渡御・宵宮祭、10日に例大祭、11日に報賽祭が執り行われてきた。特に海上渡御の神輿については、毎年市内の各集落を回り持ちで出発地としてきた。写真は昭和47年に国崎町が出発地となった時の神輿行列で、前の浜から大津浜へと向かう堤防道路である。神輿を見守る沿道の人々の中に、舟人海女の世古夫妻の姿も見て取れる。(画像№2166~№2172/画像№2925~№2930参照) | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
3072 | 国崎町(海女)26-2-1 | 金刀比羅宮鳥羽分社の大祭行列である。鳥羽分社は、香川県の金刀比羅宮を分祀し、昭和31年8月10日に鳥羽2丁目の樋の山に創祀した。以来、8月9日に神輿の海上渡御・宵宮祭、10日に例大祭、11日に報賽祭が執り行われてきた。特に海上渡御の神輿については、毎年市内の各集落を回り持ちで出発地としてきた。写真は昭和47年に国崎町が出発地となった時の神輿行列で、前の浜から大津浜へと向かう堤防道路である。神輿を見守る沿道の人々の中に、舟人海女の世古夫妻の姿も見て取れる。(画像№2166~№2172/画像№2925~№2930参照) | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
3073 | 国崎町(海女)26-2-2 | 金刀比羅宮鳥羽分社の大祭行列である。鳥羽分社は、香川県の金刀比羅宮を分祀し、昭和31年8月10日に鳥羽2丁目の樋の山に創祀した。以来、8月9日に神輿の海上渡御・宵宮祭、10日に例大祭、11日に報賽祭が執り行われてきた。特に海上渡御の神輿については、毎年市内の各集落を回り持ちで出発地としてきた。写真は昭和47年に国崎町が出発地となった時の神輿行列で、前の浜から大津浜へと向かう堤防道路である。神輿を見守る沿道の人々の中に、舟人海女の世古夫妻の姿も見て取れる。(画像№2166~№2172/画像№2925~№2930参照) | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
3074 | 国崎町(海女)26-2-3 | 金刀比羅宮鳥羽分社の大祭行列である。鳥羽分社は、香川県の金刀比羅宮を分祀し、昭和31年8月10日に鳥羽2丁目の樋の山に創祀した。以来、8月9日に神輿の海上渡御・宵宮祭、10日に例大祭、11日に報賽祭が執り行われてきた。特に海上渡御の神輿については、毎年市内の各集落を回り持ちで出発地としてきた。写真は昭和47年に国崎町が出発地となった時の神輿行列で、前の浜から大津浜へと向かう堤防道路である。神輿を見守る沿道の人々の中に、舟人海女の世古夫妻の姿も見て取れる。(画像№2166~№2172/画像№2925~№2930参照) | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
3075 | 国崎町(海女)26-2-4 | 金刀比羅宮鳥羽分社の大祭行列である。鳥羽分社は、香川県の金刀比羅宮を分祀し、昭和31年8月10日に鳥羽2丁目の樋の山に創祀した。以来、8月9日に神輿の海上渡御・宵宮祭、10日に例大祭、11日に報賽祭が執り行われてきた。特に海上渡御の神輿については、毎年市内の各集落を回り持ちで出発地としてきた。写真は昭和47年に国崎町が出発地となった時の神輿行列で、前の浜から大津浜へと向かう堤防道路である。神輿を見守る沿道の人々の中に、舟人海女の世古夫妻の姿も見て取れる。(画像№2166~№2172/画像№2925~№2930参照) | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
3076 | 国崎町(海女)26-2-5 | 旧海の博物館前の海岸辺りから見た小浜湾の風景である。沢山のヨットが係留されるが、対岸には、ホテル古雅荘、ホテル望海楼、新松嶋館等と思われる建築物が見て取れる。右端は旧海の博物館の野外施設で船の展示場や桟橋などである。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
3077 | 国崎町(海女)26-2-6 | 旧海の博物館前の海岸辺りから見た小浜湾の風景である。沢山のヨットが係留されるが、対岸には、ホテル古雅荘、ホテル望海楼等と思われる建築物が見て取れる。中央右側は旧海の博物館の野外施設で船の展示場や桟橋などである。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
3078 | 国崎町(海女)26-3-1 | 旧海の博物館前の海岸辺りから見た小浜湾の風景である。沢山のヨットが係留されるが、対岸には、ホテル古雅荘、ホテル望海楼、新松嶋館等と思われる建築物が見て取れる。右端は旧海の博物館の野外施設で船の展示場や桟橋などである。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
3079 | 国崎町(海女)26-3-2 | 旧海の博物館前の海岸辺りから見た小浜湾の風景である。沢山のヨットが係留されるが、対岸には、ホテル古雅荘、ホテル望海楼、新松嶋館等と思われる建築物が見て取れる。右端は旧海の博物館の野外施設で船の展示場や桟橋などである。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
3080 | 国崎町(海女)26-3-3 | 旧海の博物館前の海岸辺りから見た小浜湾の風景である。沢山のヨットが係留されるが、対岸には、ホテル古雅荘、ホテル望海楼、新松嶋館等と思われる建築物が見て取れる。右端は旧海の博物館の野外施設で船の展示場や桟橋などである。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
3081 | 国崎町(海女)26-3-4 | 旧海の博物館前の海岸辺りから見た小浜湾の風景である。沢山のヨットが係留されるが、対岸右端の建物は、鳥羽グランドホテルで海岸に沿って古雅荘、ホテル望海楼、新松嶋館等と思われる建築物が見て取れる。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
3082 | 国崎町(海女)26-3-5 | 旧海の博物館前の海岸辺りから見た小浜湾の風景である。沢山のヨットが係留されるが、対岸右端の建物は、鳥羽グランドホテルで海岸に沿って古雅荘、ホテル望海楼、新松嶋館等と思われる建築物が見て取れる。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
3083 | 国崎町(海女)27-1-1 | 金刀比羅宮鳥羽分社の大祭行列である。毎年、8月9日に神輿の海上渡御・宵宮祭、10日に例大祭、11日に報賽祭が執り行われ、特に海上渡御の神輿については、例年市内の各集落を回り持ちで出発地としてきた。写真は、行在所となった旧国崎公民館で行われる祭典に出席するのであろう、羽織袴の正装を身に着ける庄吉屋商店のご主人。(画像№2166~№2172/№2925~№2930/№3048~№3075参照) | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
3084 | 国崎町(海女)27-1-2 | 金刀比羅宮鳥羽分社の大祭行列である。毎年、8月9日に神輿の海上渡御・宵宮祭、10日に例大祭、11日に報賽祭が執り行われ、特に海上渡御の神輿については、例年市内の各集落を回り持ちで出発地としてきた。写真は、行在所となった旧国崎公民館で行われる祭典に出席するのであろう、羽織袴の正装を身に着ける庄吉屋商店のご主人。(画像№2166~№2172/№2925~№2930/№3048~№3075参照) | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
3085 | 国崎町(海女)27-1-3 | 金刀比羅宮鳥羽分社の大祭行列である。毎年、8月9日に神輿の海上渡御・宵宮祭、10日に例大祭、11日に報賽祭が執り行われ、特に海上渡御の神輿については、例年市内の各集落を回り持ちで出発地としてきた。写真は、行在所となった旧国崎公民館で行われる祭典に出席するのであろう、羽織袴の正装を身に着ける庄吉屋商店のご主人。(画像№2166~№2172/№2925~№2930/№3048~№3075参照) | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
3086 | 国崎町(海女)27-1-4 | 金刀比羅宮鳥羽分社の大祭行列である。毎年、8月9日に神輿の海上渡御・宵宮祭、10日に例大祭、11日に報賽祭が執り行われ、特に海上渡御の神輿については、例年市内の各集落を回り持ちで出発地としてきた。写真は、行在所となった旧国崎公民館で行われる祭典に出席するのであろう、羽織袴の正装を身に着ける庄吉屋商店のご主人。(画像№2166~№2172/№2925~№2930/№3048~№3075参照) | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
3087 | 国崎町(海女)27-1-5 | 金刀比羅宮鳥羽分社の大祭行列である。毎年、8月9日に神輿の海上渡御・宵宮祭、10日に例大祭、11日に報賽祭が執り行われ、特に海上渡御の神輿については、例年市内の各集落を回り持ちで出発地としてきた。写真は、行在所となった旧国崎公民館で行われる祭典に出席するのであろう、羽織袴の正装を身に着け会場へと向かう庄吉屋商店のご主人。(画像№2166~№2172/№2925~№2930/№3048~№3075参照) | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
3088 | 国崎町(海女)27-1-6 | 金刀比羅宮鳥羽分社の大祭行列である。毎年、8月9日に神輿の海上渡御・宵宮祭、10日に例大祭、11日に報賽祭が執り行われ、特に海上渡御の神輿については、例年市内の各集落を回り持ちで出発地としてきた。写真は、行在所となった旧国崎公民館で行われる祭典に出席するのであろう、羽織袴の正装を身に着け会場へと向かう庄吉屋商店のご主人。(画像№2166~№2172/№2925~№2930/№3048~№3075参照) | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
3089 | 国崎町(海女)27-2-1 | 金刀比羅宮鳥羽分社の大祭行列である。毎年、8月9日に神輿の海上渡御・宵宮祭、10日に例大祭、11日に報賽祭が執り行われ、特に海上渡御の神輿については、例年市内の各集落を回り持ちで出発地としてきた。写真は、行在所となった旧国崎公民館で行われる祭典に出席するのであろう、羽織袴の正装を身に着け会場へと向かう庄吉屋商店のご主人。沿道に腰掛ける人々は、船大工の大畑さん、海女の世古さん、漁師の岡本さん達。(画像№2166~№2172/№2925~№2930/№3048~№3075参照) | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
3090 | 国崎町(海女)27-2-2 | 金刀比羅宮鳥羽分社の例大祭の写真。行在所となった旧国崎公民館で行われる祭典に出席するのであろう、羽織袴の正装を身に着け会場へと向かう庄吉屋商店のご主人。沿道に腰掛ける人々は、船大工の大畑さん、海女の世古さん、漁師の岡本さん達。近所の子どもを預かり、道端で団らんする姿が写る。画像№2166~№2172/№2925~№2930/№3048~№3075参照(「海辺の毎日 国崎の暮らし写真展」報告書より) | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
3091 | 国崎町(海女)27-2-3 | 金刀比羅宮鳥羽分社の大祭行列である。毎年、8月9日に神輿の海上渡御・宵宮祭、10日に例大祭、11日に報賽祭が執り行われ、特に海上渡御の神輿については、例年市内の各集落を回り持ちで出発地としてきた。写真は、行在所となった旧国崎公民館で行われる祭典に出席するのであろう、羽織袴の正装を身に着け会場へと向かう庄吉屋商店のご主人。(画像№2166~№2172/№2925~№2930/№3048~№3075参照) | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
3092 | 国崎町(海女)27-2-4 | 金刀比羅宮鳥羽分社の大祭行列である。毎年、8月9日に神輿の海上渡御・宵宮祭、10日に例大祭、11日に報賽祭が執り行われ、特に海上渡御の神輿については、例年市内の各集落を回り持ちで出発地としてきた。写真は、行在所となった旧国崎公民館で行われる祭典に出席するのであろう、羽織袴の正装を身に着け会場へと向かう庄吉屋商店のご主人。(画像№2166~№2172/№2925~№2930/№3048~№3075参照) | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
3093 | 国崎町(海女)27-2-5 | 金刀比羅宮鳥羽分社の大祭行列である。毎年、8月9日に神輿の海上渡御・宵宮祭、10日に例大祭、11日に報賽祭が執り行われ、特に海上渡御の神輿については、例年市内の各集落を回り持ちで出発地としてきた。写真は、行在所となった旧国崎公民館で行われる祭典に出席するのであろう、羽織袴の正装を身に着け会場へと向かう庄吉屋商店のご主人。(画像№2166~№2172/№2925~№2930/№3048~№3075参照) | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
3094 | 国崎町(海女)27-2-6 | 金刀比羅宮鳥羽分社の大祭行列である。鳥羽分社は、香川県の金刀比羅宮を分祀し、昭和31年8月10日に鳥羽2丁目の樋の山に創祀した。以来、8月9日に神輿の海上渡御・宵宮祭、10日に例大祭、11日に報賽祭が執り行われ、特に海上渡御の神輿については、毎年市内の各集落を回り持ちで出発地としてきた。写真は昭和47年に国崎町が出発地となった時の行在所(旧国崎公民館)である。(画像№2166~№2172/№2925~№2930/№3048~№3075参照) | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
3095 | 国崎町(海女)27-3-1 | 金刀比羅宮鳥羽分社の大祭行列である。鳥羽分社は、香川県の金刀比羅宮を分祀し、昭和31年8月10日に鳥羽2丁目の樋の山に創祀した。以来、8月9日に神輿の海上渡御・宵宮祭、10日に例大祭、11日に報賽祭が執り行われ、特に海上渡御の神輿については、毎年市内の各集落を回り持ちで出発地としてきた。写真は昭和47年に国崎町が出発地となった時の行在所(旧国崎公民館)である。(画像№2166~№2172/№2925~№2930/№3048~№3075参照) | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
3096 | 国崎町(海女)27-3-2 | 金刀比羅宮鳥羽分社の大祭行列である。写真は昭和47年に国崎町が出発地となった時の行在所(旧国崎公民館)前で、祭典が執り行われる迄の待ち時間を寛ぐ国崎青年団の団員達。(画像№2166~№2172/№2925~№2930/№3048~№3075参照) | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
3097 | 国崎町(海女)27-3-3 | 金刀比羅宮鳥羽分社の大祭行列である。写真は昭和47年に国崎町が出発地となった時の行在所(旧国崎公民館)前で、祭典が執り行われる迄の待ち時間を寛ぐ国崎青年団の団員達。(画像№2166~№2172/№2925~№2930/№3048~№3075参照) | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
3098 | 国崎町(海女)27-3-4 | 金刀比羅宮鳥羽分社の大祭行列である。写真は昭和47年に国崎町が出発地となった時の行在所(旧国崎公民館)前で、祭典が執り行われる迄の待ち時間を寛ぐ国崎青年団の団員達。(画像№2166~№2172/№2925~№2930/№3048~№3075参照) | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
3099 | 国崎町(海女)27-3-5 | 金刀比羅宮鳥羽分社の大祭行列である。写真は昭和47年に国崎町が出発地となった時の行在所(旧国崎公民館)前で、祭典が執り行われる迄の待ち時間を寛ぐ国崎青年団の団員達。(画像№2166~№2172/№2925~№2930/№3048~№3075参照) | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
3100 | 国崎町(海女)27-3-6 | 金刀比羅宮鳥羽分社の大祭行列である。写真は昭和47年に国崎町が出発地となった時の行在所(旧国崎公民館)前で、祭典が執り行われる迄の待ち時間を寛ぐ国崎青年団の団員達。(画像№2166~№2172/№2925~№2930/№3048~№3075参照) | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
3101 | 国崎町(海女)28-1-1 | 金刀比羅宮鳥羽分社の大祭行列である。写真は昭和47年に国崎町が出発地となった時の行在所(旧国崎公民館)前で、祭典が執り行われる迄の待ち時間を寛ぐ国崎青年団の団員達。(画像№2166~№2172/№2925~№2930/№3048~№3075参照) | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
3102 | 国崎町(海女)28-1-2 | 金刀比羅宮鳥羽分社の大祭行列である。写真は昭和47年に国崎町が出発地となった時の行在所(旧国崎公民館)前で、祭典が執り行われる迄の待ち時間を寛ぐ国崎青年団の団員達。(画像№2166~№2172/№2925~№2930/№3048~№3075参照) | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
3103 | 国崎町(海女)28-1-3 | 金刀比羅宮鳥羽分社の大祭行列である。写真は昭和47年に国崎町が出発地となった時の行在所(旧国崎公民館)前で、祭典が執り行われる迄の待ち時間を寛ぐ国崎青年団の団員達。(画像№2166~№2172/№2925~№2930/№3048~№3075参照) | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
3104 | 国崎町(海女)28-1-4 | 金刀比羅宮鳥羽分社の大祭行列である。写真は昭和47年に国崎町が出発地となった時の行在所(旧国崎公民館)前で、祭典が執り行われる迄の待ち時間を寛ぐ国崎青年団の団員達。入り口の門柱には「金刀比羅宮鳥羽分社大宝前」の幟が見て取れる。(画像№2166~№2172/№2925~№2930/№3048~№3075参照) | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
3105 | 国崎町(海女)28-1-5 | 金刀比羅宮鳥羽分社の大祭行列である。写真は昭和47年に国崎町が出発地となった時の行在所(旧国崎公民館)前で、祭典が執り行われる迄の待ち時間を寛ぐ国崎青年団の団員達。入り口の門柱には「金刀比羅宮鳥羽分社大宝前」の幟が見て取れる。(画像№2166~№2172/№2925~№2930/№3048~№3075参照) | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
3106 | 国崎町(海女)28-1-6 | 金刀比羅宮鳥羽分社の大祭行列である。写真は昭和47年に国崎町が出発地となった時の行在所(旧国崎公民館)前で、祭典が執り行われる迄の待ち時間を寛ぐ国崎青年団の団員達。入り口の門柱には「金刀比羅宮鳥羽分社大宝前」の幟が見て取れる。(画像№2166~№2172/№2925~№2930/№3048~№3075参照) | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
3107 | 国崎町(海女)28-2-1 | 金刀比羅宮鳥羽分社の大祭行列である。写真は昭和47年に国崎町が出発地となった時の行在所(旧国崎公民館)前で、祭典が執り行われる迄の待ち時間を寛ぐ国崎青年団の団員達。入り口の門柱には「金刀比羅宮鳥羽分社大宝前」の幟が見て取れる。(画像№2166~№2172/№2925~№2930/№3048~№3075参照) | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
3108 | 国崎町(海女)28-2-2 | 金刀比羅宮鳥羽分社の大祭行列である。写真は昭和47年に国崎町が出発地となった時の行在所(旧国崎公民館)前で、祭典が執り行われる迄の待ち時間を寛ぐ国崎青年団の団員達。(画像№2166~№2172/№2925~№2930/№3048~№3075参照) | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
3109 | 国崎町(海女)28-2-3 | 金刀比羅宮鳥羽分社の大祭行列である。写真は昭和47年に国崎町が出発地となった時の行在所(旧国崎公民館)前で、祭典が執り行われる迄の待ち時間を寛ぐ国崎青年団の団員達。(画像№2166~№2172/№2925~№2930/№3048~№3075参照) | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
3110 | 国崎町(海女)28-2-4 | 金刀比羅宮鳥羽分社の例大祭である。 写真は昭和47年に国崎町が出発地となった時の行在所(旧国崎公民館)で、金刀比羅宮の神官の一行が到着したようである。画像№2166~№2172/№2925~№2930/№3048~№3075/№3090参照 | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
3111 | 国崎町(海女28-2-5 | 金刀比羅宮鳥羽分社の大祭行列である。写真は昭和47年に国崎町が出発地となった時の行在所(旧国崎公民館)で、金刀比羅宮の神官の一行が到着したようである。(画像№2166~№2172/№2925~№2930/№3048~№3075参照) | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
3112 | 国崎町(海女)28-2-6 | 行在所となった旧国崎公民館では、舞台の中央に神輿が置かれ、出発の前の祭典が執り行われた。(画像№2166~№2172/№2925~№2930/№3048~№3075参照) | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
3113 | 国崎町(海女)28-3-1 | 行在所となった旧国崎公民館では、舞台の中央に神輿が置かれ、出発の前の祭典が執り行われた。(画像№2166~№2172/№2925~№2930/№3048~№3075参照) | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
3114 | 国崎町(海女)28-3-2 | 行在所となった旧国崎公民館では、舞台の中央に神輿が置かれ、出発の前の祭典が執り行われた。(画像№2166~№2172/№2925~№2930/№3048~№3075参照) | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
3115 | 国崎町(海女)28-3-3 | 行在所となった旧国崎公民館では、舞台の中央に神輿が置かれ、出発の前の祭典が執り行われた。(画像№2166~№2172/№2925~№2930/№3048~№3075参照) | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
3116 | 国崎町(海女)28-3-4 | 行在所となった旧国崎公民館では、出発の前の祭典が執り行われているようである。祭典を見守る国崎町の婦人達。(画像№2166~№2172/№2925~№2930/№3048~№3075参照) | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
3117 | 国崎町(海女)28-3-5 | 国崎漁業組合・旅館連合会の連名による「海女さんの由来」案内板である。案内板には「遠く万葉の時代より知られており「垂仁天皇二十六年皇紀六百五十七年」伊勢の五十鈴川上に皇大神宮を鎮座し奉りし後、倭姫命は志摩国崎沖を御巡幸になり鎧崎で弓矢を持って鮑を採ろうとなされた時、おそばにいた蜑婦(海女)の一人が海に潜りてその鮑を差上げると倭姫命は蜑婦のすなどる鮑の美味に打興ぜられ・・・・「悠貴の蜑婦よ変わることなく神宮の御饌に供すべき由を命じ給ふ」この悠貴の蜑婦を祖先とされて居るのです」と記される | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
3118 | 国崎町(海女)28-3-6 | 国崎漁業組合・旅館連合会の連名による「海女さんの由来」案内板である。案内板には「遠く万葉の時代より知られており「垂仁天皇二十六年皇紀六百五十七年」伊勢の五十鈴川上に皇大神宮を鎮座し奉りし後、倭姫命は志摩国崎沖を御巡幸になり鎧崎で弓矢を持って鮑を採ろうとなされた時、おそばにいた蜑婦(海女)の一人が海に潜りてその鮑を差上げると倭姫命は蜑婦のすなどる鮑の美味に打興ぜられ・・・・「悠貴の蜑婦よ変わることなく神宮の御饌に供すべき由を命じ給ふ」この悠貴の蜑婦を祖先とされて居るのです」と記される | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
3119 | 石鏡潜き下り1-1 | 祭場(漁協前の網小屋)の浜に向う高齢の海女。白木膳には洗米、串柿、ナマス、お神酒、餅、シイバシ、イソノミを乗せている。スライド枠には「2.2.16」と記される。参考文献:在中「野村史隆メモ」/『鳥羽市史』平成3年発行(以下キャプションは同文献を参照) | 鳥羽市石鏡町 | 1990.02.16 |
3120 | 石鏡潜き下り1-2 | 祭場(漁協前の網小屋)に八大竜神の掛軸を掛けて準備をする漁協職員。スライド枠には「2.2.16」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.02.16 |
3121 | 石鏡潜き下り1-3 | 大正年間に新調された八大竜神の掛軸。スライド枠には「2.2.16」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.02.16 |
3122 | 石鏡潜き下り1-4 | 大正年間に新調された八大竜神の掛軸。スライド枠には「2.2.16」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.02.16 |
3123 | 石鏡潜き下り1-5 | 祭壇(掛軸)前に供えられたツガイ(クロ、マタカ)のアワビ。海女たちは持参したノミで、このアワビをおこす真似をしてその年の大漁を願う。スライド枠には「2.2.16」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.02.16 |
3124 | 石鏡潜き下り1-6 | お参りに来る海女が持参するもの。餅、お神酒、串柿、ナマス、田作(タツクリ)、浜の石など。スライド枠には「2.2.16」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.02.16 |
3125 | 石鏡潜き下り1-7 | お参りに向う海女たち。この当時石鏡の女性はほとんどが海女であった。スライド枠には「2.2.16」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.02.16 |
3126 | 石鏡潜き下り1-8 | 一年の大漁を祈る海女。この日から海女漁が始まる。スライド枠には「2.2.16」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.02.16 |
3127 | 石鏡潜き下り1-9 | 供え物。中央のドンブリにはお神酒を入れる。スライド枠には「2.2.16」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.02.16 |
3128 | 石鏡潜き下り1-10 | 一年の大漁を祈る海女。スライド枠には「2.2.16」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.02.16 |
3129 | 石鏡潜き下り1-11 | 町内放送でかづきおりの開始が知らされると、海女はまず前浜の堤防で、海に向かって重ね餅と小石の上に赤飯(小豆飯)・タツクリ等を供える。神酒を注ぎ、イソノミでカミノゼンをカンカンカンと3回叩いたり、「チュッチュッ」「ツイツイ」などと声を出したりして海に向かって手を合わせ、海上安全と大漁満足を祈願する。(「浜の遠声 石鏡の暮らし写真展」報告書より) スライド枠には「2.2.16」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.02.16 |
3130 | 石鏡潜き下り1-12 | 町内放送でかづきおりの開始が知らされると、海女はまず前浜の堤防で、海に向かって重ね餅と小石の上に赤飯(小豆飯)・タツクリ等を供える。神酒を注ぎ、イソノミでカミノゼンをカンカンカンと3回叩いたり、「チュッチュッ」「ツイツイ」などと声を出したりして海に向かって手を合わせ、海上安全と大漁満足を祈願する。(「浜の遠声 石鏡の暮らし写真展」報告書より) スライド枠には「2.2.16 」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.02.16 |
3131 | 石鏡潜き下り1-13 | お参りをする若い海女。スライド枠には「2.2.16」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.02.16 |
3132 | 石鏡潜き下り1-14 | 笑顔の高齢の海女。スライド枠には「2.2.16」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.02.16 |
3133 | 石鏡潜き下り1-15 | お参りが済むと餅まきが行われる。それに合わせて餅を拾いに来た園児たち。スライド枠には「2.2.16」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.02.16 |
3134 | 石鏡潜き下り2-1 | 一番初めに参りに来た海女たち。それぞれ手ぬぐいの使い方の違いがわかる。スライド枠には「2.2.16」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.02.16 |
3135 | 石鏡潜き下り2-2 | 海女たちのお参り風景。スライド枠には「2.2.16」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.02.16 |
3136 | 石鏡潜き下り2-3 | 海女たちのお参り風景。後方から撮影。スライド枠には「2.2.16」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.02.16 |
3137 | 石鏡潜き下り2-4 | 手ぬぐいを頭に巻いた高齢の海女。スライド枠には「2.2.16」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.02.16 |
3138 | 石鏡潜き下り2-5 | 手ぬぐいをホッカブリ(ほおかぶり)にした高齢の海女。スライド枠には「2.2.16」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.02.16 |
3139 | 石鏡潜き下り2-6 | 掛軸にお参りした後、東方の海に向って「ツヨ!」と声を発して祈る海女。スライド枠には「2.2.16」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.02.16 |
3140 | 石鏡潜き下り2-7 | 餅拾いをする園児たち。スライド枠には「2.2.16」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.02.16 |
3141 | 石鏡潜き下り2-8 | 孫の守りをしながらお参りする海女。昔はこの堤防も浜であった。下方の浜にカマド(海女小屋)が見える。スライド枠には「2.2.16」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.02.16 |
3142 | 石鏡潜き下り2-9 | お参り風景。たくさんの餅が供えられるが、一部は後日青峯参りに持参する。スライド枠には「2.2.16」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.02.16 |
3143 | 石鏡潜き下り2-10 | 餅拾いをした後、掛軸にお参りする園児。写真の頃には、石鏡町内の保育園児が参加していたが、現在(2023年)では少子化のため参加していない。(「浜の遠声 石鏡の暮らし写真展」報告書より) スライド枠には「2.2.16」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.02.16 |
3144 | 国崎のっと正月1-1 | 1月17日、正月神をワラ舟(歳徳丸)に乗せて送る行事。この日を境に大戸以外の正月飾りが外される。火が放たれ、海に流される歳徳丸。参考文献:在中「野村史隆メモ」/『鳥羽市史』平成3年発行(以下キャプションは同文献を参照) | 鳥羽市国崎町 | 1990.01.17 |
3145 | 国崎のっと正月1-2 | 午後3時頃、組合の郷使が振鈴を鳴らして時を知らせると、各戸から女性がワラ1把と供え物を持って前の浜に向う。 | 鳥羽市国崎町 | 1990.01.17 |
3146 | 国崎のっと正月1-3 | 白木の膳には、供え物の洗米(赤飯)、ナマス、お神酒、おひねり、そして「ツメの札」と言われる木札を10枚~20枚入れ、前の浜へ持って行く。 | 鳥羽市国崎町 | 1990.01.17 |
3147 | 国崎のっと正月1-4 | 白木の膳には、供え物の洗米(赤飯)、ナマス、お神酒、おひねり、そして「ツメの札」と言われる木札を10枚~20枚入れ、前の浜へ持って行く。 | 鳥羽市国崎町 | 1990.01.17 |
3148 | 国崎のっと正月1-5 | 浜に来た女性たちは海辺の適当な石を見つけ、その前に「ツメの札」を立て、石には洗米、ナマスを供え、お神酒を注いで竜宮様を拝む。 | 鳥羽市国崎町 | 1990.01.17 |
3149 | 国崎のっと正月1-6 | 波打ち際で竜宮様を拝む後ろ姿の女性たち。 | 鳥羽市国崎町 | 1990.01.17 |
3150 | 国崎のっと正月1-7 | 持参したおひねりは半紙を広げ、ワラ舟(歳徳丸)の帆綱に加工される。洗米は平桶に入れる。 | 鳥羽市国崎町 | 1990.01.17 |
3151 | 国崎のっと正月1-8 | ほどいた半紙は細かく裂き、コヨリを作る。作業は全員で当たり、コヨリをつないで紐にする。スライド枠には「2.1.17」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1990.01.17 |
3152 | 国崎のっと正月1-9 | ノット正月の写真である。浜に集まった年配女性たちが、コヨリ作りと藁舟(歳徳丸)作りの二手に分かれて作業しているのが写っている。町の女性が総出で藁船を作る様子から、彼女たちにとって重要な年中行事であることがわかる。画像№3156、3161参照 (「海辺の毎日 国崎の暮らし写真展」報告書より) | 鳥羽市国崎町 | 1990.01.17 |
3153 | 国崎のっと正月1-10 | 歳徳丸となるワラ舟を作る女性たち。 | 鳥羽市国崎町 | 1990.01.17 |
3154 | 国崎のっと正月1-11 | 仕上がってきたワラ舟(歳徳丸)に御幣と紙幟を立て、完成させていく。スライド枠には「2.2.16」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1990.01.17 |
3155 | 国崎のっと正月1-12 | 歳徳丸と書かれた紙製の幟を立て、船頭となるワラ人形をしばる。 | 鳥羽市国崎町 | 1990.01.17 |
3156 | 国崎のっと正月1-13 | ノット正月の写真である。町の女性が総出で藁船を作る様子から、彼女たちにとって重要な年中行事であることがわかる。 コヨリをつないでひも状にして帆綱を張る。そして舳先に御幣を立てて完成すると鈴(リン)が鳴り、出船するところ。画像№3152、3161参照 (「海辺の毎日 国崎の暮らし写真展」報告書より) | 鳥羽市国崎町 | 1990.01.17 |
3157 | 国崎のっと正月1-14 | 火を点けて前の浜から海へ押し出されるワラ舟(歳徳丸) | 鳥羽市国崎町 | 1990.01.17 |
3158 | 国崎のっと正月1-15 | 燃えながら鎧崎下の海に浮かぶワラ舟(歳徳丸)。舟は引き潮に乗って海の彼方に消えていく。国崎の人びとは「正月どのを送る」と言いならわしている。 | 鳥羽市国崎町 | 1990.01.17 |
3159 | 国崎のっと正月1-16 | 燃えながら鎧崎下の海に浮かぶワラ舟(歳徳丸))。舟は引き潮に乗って海の彼方に消えていく。国崎の人びとは「正月どのを送る」と言いならわしている。 | 鳥羽市国崎町 | 1990.01.17 |
3160 | 国崎のっと正月1-17 | 沖に向って流れていくワラ舟(歳徳丸)を波打ち際で見守る女性たち。スライド枠には「2.2.16」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1990.01.17 |
3161 | 国崎のっと正月1-18 | 鎧崎の前の浜でのノット正月の風景である。この日で正月は終わり平常の生活が始まる。白木の膳に赤飯、ナマス、御神酒、「ツメの札」などを載せ、沖に向って流れていく藁舟(歳徳丸)を見送る女性たち。これらは竜宮様へのお供え物である。膳は「カミノシキ」や「カミノゼン」と呼ばれる。「ツメの札」は10?20枚ほど作られ、表には「咄テン(口偏に天)?鬼神」、裏には「噫々◯◯(ドーマン・セーマンの印)」と書かれる。これらは波打ち際の小石の上に供えられる。(「海辺の毎日 国崎の暮らし写真展」報告書より) スライド枠には「2.2.16」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1990.01.17 |
3162 | 国崎のっと正月1-19 | ワラ舟(歳徳丸)を見送り、家路に向う女性たち。スライド枠には「2.2.16」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1990.01.17 |
3163 | 国崎のっと正月2-1 | 各家から集まったオヒネリの半紙をほどく高齢の女性。 | 鳥羽市国崎町 | 1990.01.17 |
3164 | 国崎のっと正月2-2 | 各家から集まったワラを束ねて船体を作っていく。作業は知識のある年輩者が行う。 | 鳥羽市国崎町 | 1990.01.17 |
3165 | 国崎のっと正月2-3 | 完成したワラ舟(歳徳丸)。この後火が放たれる。 | 鳥羽市国崎町 | 1990.01.17 |
3166 | 国崎のっと正月2-4 | 燃えるワラ舟(歳徳丸)。 | 鳥羽市国崎町 | 1990.01.17 |
3167 | 国崎のっと正月2-5 | 浜で「ツメの札」を集める子ども。昔はこの「ツメの札」をメンコ代わりにして遊んだ。その名残が残っているのだろう。 | 鳥羽市国崎町 | 1990.01.17 |
3168 | 浜島初恵比寿・初笑い1-1 | 浜島・宮山に漁業の神として恵比寿像が祀られている。豊漁と航海安全を祈願するため、漁業従事者やその家族が恵比寿像の前に集まり、いなさ(東南)の方向に向かって3回、大声で初笑いをする。大漁のお守りとして恵比寿像の鼻を欠いていく風習があり、鼻が欠けているので鼻欠け恵比寿とも言われている。スライド枠には「63.1.20」と記される。参考文献:在中「野村史隆メモ」/『浜島町史』平成元年発行(以下キャプションは同文献を参照) | 志摩市浜島町浜島 | 1988.01.20 |
3169 | 浜島初恵比寿・初笑い1-2 | 式典を待つ参拝者(恵比寿講)。漁業関係者の妻が多い。スライド枠には「63.1.20」と記される。 | 志摩市浜島町浜島 | 1988.01.20 |
3170 | 浜島初恵比寿・初笑い1-3 | 恵比寿像の前で神官のお祓いを受ける参拝者。漁業関係者の妻が多い。スライド枠には「63.1.20」「浜島初笑い」と記される。 | 志摩市浜島町浜島 | 1988.01.20 |
3171 | 浜島初恵比寿・初笑い1-4 | 恵比寿像の前で神官のお祓いを受ける参拝者。漁業関係者の妻が多い。スライド枠には「63.1.20」「お払い」と記される。 | 志摩市浜島町浜島 | 1988.01.20 |
3172 | 浜島初恵比寿・初笑い1-5 | 本殿に供えられた神饌。スライド枠には「63.1.20」「酒、野菜、菓子、タイ、くだもの」と記される。 | 志摩市浜島町浜島 | 1988.01.20 |
3173 | 浜島初恵比寿・初笑い1-6 | 祝詞を奏上する神主の後ろ姿。スライド枠には「63.1.20」「祝詞」と記される。 | 志摩市浜島町浜島 | 1988.01.20 |
3174 | 浜島初恵比寿・初笑い1-7 | 拝殿前の敷物に座り、低頭して祝詞を聞く参拝者。スライド枠には「63.1.20」と記される。 | 志摩市浜島町浜島 | 1988.01.20 |
3175 | 浜島初恵比寿・初笑い1-8 | 参拝者が奉典する玉串を配る神主。スライド枠には「63.1.20」「神官より玉串が配られる」と記される。 | 志摩市浜島町浜島 | 1988.01.20 |
3176 | 浜島初恵比寿・初笑い1-9 | 神前に玉串を奉典する参拝者(漁業関係者の妻)。スライド枠には「63.1.20」「賽銭入れ」と記される。 | 志摩市浜島町浜島 | 1988.01.20 |
3177 | 浜島初恵比寿・初笑い1-10 | 式典の後、直会のお神酒をいただく参拝者。スライド枠には「63.1.20」「出てくるオミキ」と記される。 | 志摩市浜島町浜島 | 1988.01.20 |
3178 | 浜島初恵比寿・初笑い1-11 | 恵比寿像(コンクリート製)。大漁のお守りとして恵比寿像の鼻を欠いていく風習があり、鼻が欠けているので鼻欠け恵比寿とも言われている。スライド枠には「63.1.20」「鼻がつけられ化粧したエビスさん」と記される。 | 志摩市浜島町浜島 | 1988.01.20 |
3179 | 浜島初恵比寿・初笑い1-12 | 恵比寿像の前に揃った参拝者。この後「初笑い」を行う。スライド枠には「63.1.20」と記される。 | 志摩市浜島町浜島 | 1988.01.20 |
3180 | 浜島初恵比寿・初笑い1-13 | 神主、役員、参拝者一同による「初笑い」。スライド枠には「63.1.20」と記される。 | 志摩市浜島町浜島 | 1988.01.20 |
3181 | 浜島初恵比寿・初笑い1-14 | 恵比寿神社のお札をもらって帰る参拝者。スライド枠には「63.1.20」「符札をもらって帰る」と記される。 | 志摩市浜島町浜島 | 1988.01.20 |
3182 | 浜島初恵比寿・初笑い1-15 | 帰途につく参拝者。スライド枠には「63.1.20」と記される。 | 志摩市浜島町浜島 | 1988.01.20 |
3183 | 浜島初恵比寿・初笑い1-16 | 神主、役員、参拝者一同による「初笑い」。スライド枠には「63.1.20」「笑いえびす」と記される。 | 志摩市浜島町浜島 | 1988.01.20 |
3184 | 浜島初恵比寿・初笑い2-1 | 恵比寿神社から見た大矢浜。スライド枠には「63.1.20」「エビス丘より海を見る」と記される。 | 志摩市浜島町浜島 | 1988.01.20 |
3185 | 浜島初恵比寿・初笑い2-2 | この日は正月納めの日でもある。海辺で正月飾りを燃やす女性。スライド枠には「2.1.20」「浜島ドンド」と記される。 | 志摩市浜島町浜島 | 1990.01.20 |
3186 | 浜島初恵比寿・初笑い2-3 | 恵比寿神社が祀られている宮山の全景。スライド枠には「63.1.20」「エビス丘」と記される。 | 志摩市浜島町浜島 | 1988.01.20 |
3187 | 浜島初恵比寿・初笑い2-4 | 宇気比神社裏山にある5基の古墳群の内の1基「宮山一号古墳」。スライド枠には「63.1.20」「宮山といわれ、ここは古墳群である」と記される。 | 志摩市浜島町浜島 | 1988.01.20 |
3188 | 浜島初恵比寿・初笑い2-5 | 恵比寿神社境内に集まったカメラマン。スライド枠には「63.1.20」「エビス神社改修S7年」と記される。 | 志摩市浜島町浜島 | 1988.01.20 |
3189 | 浜島初恵比寿・初笑い2-6 | 恵比寿像全景。スライド枠には「63.1.20」「カツオ、マグロ船に信仰厚い」と記される。 | 志摩市浜島町浜島 | 1988.01.20 |
3190 | 浜島初恵比寿・初笑い2-7 | 祝詞を奏上する神主の後ろ姿。スライド枠には「63.1.20」「式典」と記される。 | 志摩市浜島町浜島 | 1988.01.20 |
3191 | 浜島初恵比寿・初笑い2-8 | 参道に並んで玉串奉典の順番を待つ参拝者。スライド枠には「63.1.20」と記される。 | 志摩市浜島町浜島 | 1988.01.20 |
3192 | 浜島初恵比寿・初笑い2-9 | 神主、役員、参拝者一同による「初笑い」。スライド枠には「63.1.20」と記される。 | 志摩市浜島町浜島 | 1988.01.20 |
3193 | 浜島初恵比寿・初笑い2-10 | 神主、役員、参拝者一同による「初笑い」。スライド枠には「63.1.20」と記される。 | 志摩市浜島町浜島 | 1988.01.20 |
3194 | 尾鷲ヤーヤ祭1-1 | 尾鷲神社の例大祭。2月1日~5日に行われる。平成14年県の「記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財」に指定されている。ヤーヤの由来は、戦国時代の武士が立ち合いの名乗りを上げる「ヤーヤ我こそは」からきているという説が一般的である。神社境内での稚児役の舞。スライド枠には「平成2年」と記される。参考文献:在中「野村史隆メモ」/「尾鷲ヤーヤ祭・(社)尾鷲青年会議所 昭和63年発行」(以下キャプションは同文献を参照) | 尾鷲市北浦 | 1990.02.05 |
3195 | 尾鷲ヤーヤ祭1-2 | 祭の次第が記載された貼り紙。スライド枠には「2.2.5」と記される。 | 尾鷲市北浦 | 1990.02.05 |
3196 | 尾鷲ヤーヤ祭1-3 | 祷屋玄関の飾り付け。スライド枠には「平成2.2.5」と記される。 | 尾鷲市北浦 | 1990.02.05 |
3197 | 尾鷲ヤーヤ祭1-4 | 祭りを行う祷屋とそれぞれの役に当たる子どもたち。スライド枠には「2.2.5」と記される。 | 尾鷲市北浦 | 1990.02.05 |
3198 | 尾鷲ヤーヤ祭1-5 | 祷屋の床飾り。 | 尾鷲市北浦 | 1990.02.05 |
3199 | 尾鷲ヤーヤ祭1-6 | それぞれの地区の控室。スライド枠には「2.2.5」と記される。 | 尾鷲市北浦 | 1990.02.05 |
3200 | 尾鷲ヤーヤ祭1-7 | 大名行列の前を清める塩振り。スライド枠には「2.2.5」と記される。 | 尾鷲市北浦 | 1990.02.05 |
3201 | 尾鷲ヤーヤ祭1-8 | 祷番宿の玄関先。スライド枠には「2.2.5」と記される。 | 尾鷲市北浦 | 1990.02.05 |
3202 | 尾鷲ヤーヤ祭1-9 | 町内を練る大名行列の移動風景。スライド枠には「2.2.5」と記される。 | 尾鷲市北浦 | 1990.02.05 |
3203 | 尾鷲ヤーヤ祭1-10 | 主要な場所で舞う稚児役のナギナタ振り。 | 尾鷲市北浦 | 1990.02.05 |
3204 | 尾鷲ヤーヤ祭1-11 | 獅子の舞い。スライド枠には「2.2.5」と記される。 | 尾鷲市北浦 | 1990.02.05 |
3205 | 尾鷲ヤーヤ祭1-12 | 獅子舞のアップ。 | 尾鷲市北浦 | 1990.02.05 |
3206 | 尾鷲ヤーヤ祭1-13 | 境内の山車を囲み、手踊りする人びと。スライド枠には「2.2.5」と記される。 | 尾鷲市北浦 | 1990.02.05 |
3207 | 尾鷲ヤーヤ祭1-14 | 祷屋前に置かれた行列の飾り道具。 | 尾鷲市北浦 | 1990.02.05 |
3208 | 尾鷲ヤーヤ祭1-15 | 夜に行う弓引き神事の的場。この前に的が立つ。スライド枠には「2.2.5」と記される。 | 尾鷲市北浦 | 1990.02.05 |
3209 | 尾鷲ヤーヤ祭1-16 | 弓引き神事が行われる的場の的。尾鷲神社の境内。 | 尾鷲市北浦 | 1990.02.05 |
3210 | 尾鷲ヤーヤ祭1-17 | 弓引き役の中学生3人がそれぞれの町の期待を背負って1本ずつの矢を射る。当たると「イワイ」とはやされて、外れると「スコイ」と一声掛けられる。 | 尾鷲市北浦 | 1990.02.05 |
3211 | 尾鷲ヤーヤ祭1-18 | 弓引き役の中学生3人がそれぞれの町の期待を背負って2本ずつの矢を射る。当たると「イワイ」とはやされて、外れると「スコイ」と一声掛けられる。 | 尾鷲市北浦 | 1990.02.05 |
3212 | 尾鷲ヤーヤ祭1-19 | 尾鷲神社境内の神木、大楠。スライド枠には「2.2.5」と記される。 | 尾鷲市北浦 | 1990.02.05 |
3213 | 尾鷲ヤーヤ祭2-1 | 弓引き神事の会場。提灯を掲げて見守る当番町の人びと。 | 尾鷲市北浦 | 1990.02.05 |
3214 | 尾鷲ヤーヤ祭2-2 | 手踊りなどで神社に練りこみ、それぞれ本殿前で披露する。 | 尾鷲市北浦 | 1990.02.05 |
3215 | 尾鷲ヤーヤ祭2-3 | 町を練る行列の神輿。スライド枠には「2.2.5」と記される。 | 尾鷲市北浦 | 1990.02.05 |
3216 | 尾鷲ヤーヤ祭2-4 | 移動する行列。スライド枠には「2.2.5」と記される。 | 尾鷲市北浦 | 1990.02.05 |
3217 | 尾鷲ヤーヤ祭2-5 | 祭り途中の中入れ(食事)。晴れ着の女性は、祭りの主人公ナギナタ振りの親である。 | 尾鷲市北浦 | 1990.02.05 |
3218 | 尾鷲ヤーヤ祭2-6 | 皆が見守る中、弓が引かれる。祭りのクライマックスである。 | 尾鷲市北浦 | 1990.02.05 |
3219 | 石鏡潜き下り1-1 | 八大龍神の掛軸の前の祭壇にお参りする海女たち。それぞれ白木膳に入れて持参した供え物(洗米、串柿、ナマス、お神酒、餅、)を祭壇に供える。スライド枠には「2.2.16」と記される。参考文献:在中「野村史隆メモ」/『鳥羽市史』平成3年発行(以下キャプションは同文献を参照) | 鳥羽市石鏡町 | 1990.02.16 |
3220 | 石鏡潜き下り1-2 | 八大龍神の掛軸の前の祭壇にお参りする海女たち。それぞれ白木膳に入れて持参した供え物(洗米、串柿、ナマス、お神酒、餅)を祭壇に供える。八大龍神の掛け軸の前にはアカアワビとクロアワビが膳に載せられ、海女は持参したイソノミでアワビをおこす仕草をする。(「浜の遠声 石鏡の暮らし写真展」報告書より) スライド枠には「2.2.16」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.02.16 |
3221 | 石鏡潜き下り1-3 | 八大龍神の掛軸の前の祭壇にお参りする海女たち。それぞれ白木膳に入れて持参した供え物(洗米、串柿、ナマス、お神酒、餅)を祭壇に供える。スライド枠には「2.2.16」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.02.16 |
3222 | 石鏡潜き下り1-4 | 八大龍神の掛軸の前の祭壇にお参りする海女たち。それぞれ白木膳に入れて持参した供え物(洗米、串柿、ナマス、お神酒、餅)を祭壇に供える。スライド枠には「2.2.16」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.02.16 |
3223 | 石鏡潜き下り1-5 | お参りが済むと餅まきが行われる。それに合わせて餅を拾いに来た園児たち。スライド枠には「2.2.16」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.02.16 |
3224 | 石鏡潜き下り1-6 | お参りが済むと餅まきが行われる。それに合わせて餅を拾いに来た園児たち。スライド枠には「2.2.16」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.02.16 |
3225 | 石鏡潜き下り1-7 | お参りが済むと餅まきが行われる。それに合わせて餅を拾いに来た園児たち。スライド枠には「2.2.16」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.02.16 |
3226 | 石鏡潜き下り1-8 | 祭壇に供えられたアワビに磯ノミ(カギノミ)で触れて、今年の大漁を願おうとする海女(手前)。スライド枠には「2.2.16」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.02.16 |
3227 | 石鏡潜き下り1-9 | 祭壇の前でお参りの順番を待つ海女たち。スライド枠には「2.2.16」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.02.16 |
3228 | 石鏡潜き下り1-10 | 八大龍神の掛軸の前の祭壇祭壇に餅と浜石を供え、お神酒を注ぐ海女(手前)。それぞれ白木膳に入れて持参した供え物(洗米、串柿、ナマス、お神酒、餅)を祭壇に供える。八大龍神の掛け軸の前にはアカアワビとクロアワビが膳に載せられ、海女は持参したイソノミでアワビをおこす仕草をする。(「浜の遠声 石鏡の暮らし写真展」報告書より) スライド枠には「2.2.16」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.02.16 |
3229 | 石鏡潜き下り1-11 | 祭壇にお参りする海女たち。スライド枠には「2.2.16」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.02.16 |
3230 | 石鏡潜き下り1-12 | 祭壇にお参りする海女たち。右後方から撮影。スライド枠には「2.2.16」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.02.16 |
3231 | 錦赤船祭1-1 | 南伊勢町棚橋竃から伝わった源平の祭りで、凱旋祭とも言われる。またその舟唄の文句内容から戦の終わった記念祭とも言われている。毎年旧暦1月17日に錦湾で行われる。 祭り当日の錦神社。大幟が立つ。スライド枠には「61.2.25」と記される。参考文献:在中「野村史隆メモ」/『紀勢町史』平成13年発行(以下キャプションは同文献を参照) | 大紀町錦 | 1986.02.25 |
3232 | 錦赤船祭1-2 | 錦神社を出る神主。スライド枠には「61.2.25」と記される。 | 大紀町錦 | 1986.02.25 |
3233 | 錦赤船祭1-3 | 赤船祭り関係者の出立(祝い)の食事。スライド枠には「61.2.25」と記される。 | 大紀町錦 | 1986.02.25 |
3234 | 錦赤船祭1-4 | 屋形を乗せた本船へ乗り込む親方衆。太鼓と謡を勤める。太鼓に合わせて舟唄を唄いながら湾内を3回回り、岬の「竜宮さん」に向かう。途中湾口北側に祀られている「国西大明神」の前を通過するとき、海水を汲み上げ船首にかけ、船を清める。更に竜宮さんの前でアライネを撒きお神酒を海に注ぎ、「ツヨッ」と声を発して、1年の大漁と海上安全を祈り沖に出る。沖でも舟唄を唄い、唄い終わると港に戻る。スライド枠には「61.2.25」と記される。 | 大紀町錦 | 1986.02.25 |
3235 | 錦赤船祭1-5 | 屋形を乗せる本船は「関船」とも言われるが、錦では「赤船」と言う。大漁札が掛けられることから1年の豊漁を願う祭りでもある。スライド枠には「61.2.25」と記される。 | 大紀町錦 | 1986.02.25 |
3236 | 錦赤船祭1-6 | 船上で太鼓を打つ親方衆。手前には舟玉さんと竜宮さんに供える、洗米(アライネ)、塩、生ぐさ物(干物)が用意されている。スライド枠には「61.2.25」と記される。 | 大紀町錦 | 1986.02.25 |
3237 | 錦赤船祭1-7 | 扇に書かれた文句を唄い、それに合わせて太鼓が打たれる。幟には「国西大明神」の文字が見える。スライド枠には「61.2.25」と記される。 | 大紀町錦 | 1986.02.25 |
3238 | 錦赤船祭1-8 | 本船(赤船)の舟玉さんに供える洗米(アライネ)、塩、お神酒を持つ親方衆。スライド枠には「61.2.25」と記される。 | 大紀町錦 | 1986.02.25 |
3239 | 錦赤船祭1-9 | 本船(赤船)の舟玉さんにお供えをする親方衆。スライド枠には「61.2.25」と記される。 | 大紀町錦 | 1986.02.25 |
3240 | 錦赤船祭1-10 | 供え物の最後はお神酒を注いで大漁を祈る。スライド枠には「61.2.25」と記される。 | 大紀町錦 | 1986.02.25 |
3241 | 錦赤船祭1-11 | 親方衆と祭壇に置かれた御幣。スライド枠には「61.2.25」と記される。 | 大紀町錦 | 1986.02.25 |
3242 | 錦赤船祭1-12 | 床の間に飾られた御幣。 | 大紀町錦 | 1986.02.25 |
3243 | 錦赤船祭2-1 | 村社である神社の鳥居には、「御子之宮」の札がある。「奉納 御子之宮」と書かれた幟も立てられている。スライド枠には「61.2.25」と記される。 | 大紀町錦 | 1986.02.25 |
3244 | 錦赤船祭2-2 | 式典に臨むため神社の石段を下りる神主。スライド枠には「61.2.25」と記される。 | 大紀町錦 | 1986.02.25 |
3245 | 錦赤船祭2-3 | 本船(赤船)に乗せる太鼓(安政7年の年号入り)を担いで神社の石段を下りる祭りの役員。スライド枠には「61.2.25」と記される。 | 大紀町錦 | 1986.02.25 |
3246 | 錦赤船祭2-4 | 御幣を持って神社の石段を下りる親方衆の1人。スライド枠には「61.2.25」と記される。 | 大紀町錦 | 1986.02.25 |
3247 | 錦赤船祭2-5 | 太鼓に合わせて本船上で唄う親方衆。スライド枠には「61.2.25」と記される。 | 大紀町錦 | 1986.02.25 |
3248 | 錦赤船祭2-6 | 本船上で唄う親方衆。スライド枠には「61.2.25」と記される。 | 大紀町錦 | 1986.02.25 |
3249 | 錦赤船祭2-7 | 本船上で唄う親方衆。スライド枠には「61.2.25」と記される。 | 大紀町錦 | 1986.02.25 |
3250 | 錦赤船祭2-8 | 床の間に飾られた御幣。スライド枠には「61.2.25」と記される。 | 大紀町錦 | 1986.02.25 |
3251 | 錦赤船祭2-9 | 舟玉さんに供える神饌。洗米(小豆入り)、塩、干物(アジの丸干し)。スライド枠には「61.2.25」と記される。 | 大紀町錦 | 1986.02.25 |
3252 | 錦赤船祭2-10 | 錦湾奥の岬にある岬神(竜宮さん)が祀られている場所。スライド枠には「61.2.25」と記される。 | 大紀町錦 | 1986.02.25 |
3253 | 答志和具の神祭1-1 | 答志和具では、旧歴1月18日ころに八幡社の行事として弓引きと車座の宴が行われる。「ジンサイ」と呼ばれている。少年が務めるシオ振りは顔に丸八のペイントをし、腰に大根の男根を付け、奇妙な恰好をする。スライド枠には「男根をつけたシオフリ」と記される。参考文献:在中「野村史隆メモ」/『鳥羽市史』平成3年発行(以下キャプションは同文献を参照) | 鳥羽市答志町和具 | 1988.03.05 |
3254 | 答志和具の神祭1-2 | 祭場にある八幡社。スライド枠には「八幡」と記される。 | 鳥羽市答志町和具 | 1988.03.05 |
3255 | 答志和具の神祭1-3 | 祭場の祠に縛って立て置かれた弓と矢。 | 鳥羽市答志町和具 | 1988.03.05 |
3256 | 答志和具の神祭1-4 | 早朝から行われる的作り。1センチほどの幅に割いた女竹を編んで作られる。スライド枠には「S63.3.5」と記される。 | 鳥羽市答志町和具 | 1988.03.05 |
3257 | 答志和具の神祭1-5 | 竹で編んだ骨組みの上に和紙が貼られる。 | 鳥羽市答志町和具 | 1988.03.05 |
3258 | 答志和具の神祭1-6 | 的の黒丸作り。神祭料理でできたかまどの消し炭をすりこ木ですりつぶしている。スライド枠には「答志和具」と記される。 | 鳥羽市答志町和具 | 1988.03.05 |
3259 | 答志和具の神祭1-7 | すりつぶした炭をフノリで練って、的の上に「丸八」を描く。炭は粘土状になっているため、丸八の印はかまぼこのように盛り上がっている。スライド枠には「答志和具」と記される。 | 鳥羽市答志町和具 | 1988.03.05 |
3260 | 答志和具の神祭1-8 | 完成した「丸八」と炭で描かれた的。スライド枠には「出来上がった的」と記される。 | 鳥羽市答志町和具 | 1988.03.05 |
3261 | 答志和具の神祭1-9 | 海水で弓と矢を清める紋付き袴姿の組合長の後ろ姿。スライド枠には「S63.3.5」と記される。 | 鳥羽市答志町和具 | 1988.03.05 |
3262 | 答志和具の神祭1-10 | 的を目掛けて矢を射ると的の奪い合いが始まる。スライド枠には「答志和具 ネギの弓引」と記される。 | 鳥羽市答志町和具 | 1988.03.05 |
3263 | 答志和具の神祭1-11 | 的を目掛けて矢を射ると的の奪い合いが始まる。スライド枠には「うばい合う人々」と記される。 | 鳥羽市答志町和具 | 1988.03.05 |
3264 | 答志和具の神祭1-12 | 的の奪い合いが終わると波打ち際に行き、海水で炭を清める。 | 鳥羽市答志町和具 | 1988.03.05 |
3265 | 答志和具の神祭1-13 | 奪った的の炭で自宅の神棚に「丸八」を印す主人。スライド枠には「エビス神棚」と記される。 | 鳥羽市答志町和具 | 1988.03.05 |
3266 | 答志和具の神祭1-14 | 奪った的の炭で納屋の戸板や船に「丸八」が印される。スライド枠には「納屋にて」と記される。 | 鳥羽市答志町和具 | 1988.03.05 |
3267 | 答志和具の神祭1-15 | 祭場広場で車座になって直会の宴が開かれる。 | 鳥羽市答志町和具 | 1988.03.05 |
3268 | 答志和具の神祭1-16 | 各戸の男性に出される膳。献立はカラシナマコ、赤魚、刺身、小女子である。スライド枠には「献立 赤魚、カラシナマコ。干した大根、刺身」と記される。 | 鳥羽市答志町和具 | 1988.03.05 |
3269 | 答志和具の神祭1-17 | 宿となった家から祭会場の広場に向かう行列。先頭で道を清めるシオ振りの少年。 | 鳥羽市答志町和具 | 1988.03.05 |
3270 | 答志和具の神祭1-18 | 行列の後に続く「槍持ち」と「料理持ち」。スライド枠には「答志和具」と記される。 | 鳥羽市答志町和具 | 1988.03.05 |
3271 | 答志和具の神祭1-19 | 祭場広場で開かれる直会の宴。スライド枠には「三舟持」と記される。 | 鳥羽市答志町和具 | 1988.03.05 |
3272 | 答志和具の神祭2-1 | 祭場広場で開かれる直会の宴。スライド枠には「答志和具 高砂の全員歌」と記される。 | 鳥羽市答志町和具 | 1988.03.05 |
3273 | 答志和具の神祭2-2 | 的の黒丸作り。神祭料理でできたかまどの消し炭をすりこ木ですりつぶしている。 | 鳥羽市答志町和具 | 1988.03.05 |
3274 | 答志和具の神祭2-3 | つぶした炭にフノリを混ぜる。スライド枠には「S63.3.5」と記される。 | 鳥羽市答志町和具 | 1988.03.05 |
3275 | 答志和具の神祭2-4 | 八幡祭の弓引祭の的の上に張られた注連縄。蘇民将来の札が付けられている。 | 鳥羽市答志町和具 | 1988.03.05 |
3276 | 答志和具の神祭2-5 | 弓引の儀の的を掛ける様子。「的掛け」と言う。 | 鳥羽市答志町和具 | 1988.03.05 |
3277 | 答志和具の神祭2-6 | 各戸の参列者に持たせる料理を、もてなす側の組の若者が祭場広場へ運び込む様子。若者の顔にも様々なペイントがされている。 | 鳥羽市答志町和具 | 1988.03.05 |
3278 | 神前浦飛鳥神社祭1-1 | 飛鳥神社は、明治末頃に神前神社に合祀されたが、現在は古来から祀られていたアツカサンと呼ばれる飛鳥浜の奥に社殿を立てて祀られている。「アツカサンの祭」などとも呼ばれ、昔は旧歴3月13日に行われていたが、現在は新暦4月13日に行われている。 モヤイをとった2隻の船のそれぞれのヘサキに、タオルで鉢巻をした2人の漁師が立ち、歌と太鼓に合わせて祭の着物を振りながら踊る。参考文献:在中「野村史隆メモ」/「平賀大蔵メモ」(以下キャプションは同文献を参照) | 度会郡南伊勢町神前浦 | 1987.04.13 |
3279 | 神前浦飛鳥神社祭1-2 | アツカサンが祀られている半島の飛鳥浜。ここに船を着けて上陸する。 | 度会郡南伊勢町神前浦 | 1987.04.13 |
3280 | 神前浦飛鳥神社祭1-3 | 飛鳥神社が祀られている半島で神事を行うために「奉納 飛鳥神社」の幟を立てた漁船に乗り込む漁師たち。 | 度会郡南伊勢町神前浦 | 1987.04.13 |
3281 | 神前浦飛鳥神社祭1-4 | モヤイをとった2隻の船のそれぞれのヘサキに、タオルで鉢巻をした2人の漁師が立ち、歌と太鼓に合わせて祭の着物を振りながら踊る。(漁師1人のアップ) | 度会郡南伊勢町神前浦 | 1987.04.13 |
3282 | 神前浦飛鳥神社祭1-5 | 市場にモヤイをとった2隻の船が回され、「飛鳥神社御祭」と書かれた幟がそれぞれ1本ずつ立てられる。船のオモテにはゴザが敷かれ、太鼓1個とカイ2本が船に積み込まれる。 | 度会郡南伊勢町神前浦 | 1987.04.13 |
3283 | 神前浦飛鳥神社祭1-6 | 幟を立てた1隻の漁船に乗り込み、飛鳥神社が祀られている半島に向かう漁師たち。 | 度会郡南伊勢町神前浦 | 1987.04.13 |
3284 | 神前浦飛鳥神社祭1-7 | モヤイをとった船を浜着けするためカイで操作をする漁師。(アップ) | 度会郡南伊勢町神前浦 | 1987.04.13 |
3285 | 神前浦飛鳥神社祭1-8 | 飛鳥神社が祀られている半島の浜を仰ぐ神主と太鼓をたたく漁師、カイの操作をする漁師。 | 度会郡南伊勢町神前浦 | 1987.04.13 |
3286 | 神前浦飛鳥神社祭1-9 | モヤイをとった2隻の船のそれぞれのヘサキに、タオルで鉢巻をした2人の漁師が立ち、歌と太鼓に合わせて祭の着物を振りながら踊る。(後ろ姿のアップ) | 度会郡南伊勢町神前浦 | 1987.04.13 |
3287 | 神前浦飛鳥神社祭1-10 | 半島に上陸し、祠に向かって歩く参拝者(40人ほど)。参拝者たちを乗せた船は飛鳥浜へ直接着けることができないため、岬の付け根に接岸してそこから飛鳥神社まで歩いて行く。 | 度会郡南伊勢町神前浦 | 1987.04.13 |
3288 | 神前浦飛鳥神社祭1-11 | 2つの卵を割って池に捧げる漁師。 | 度会郡南伊勢町神前浦 | 1987.04.13 |
3289 | 神前浦飛鳥神社祭1-12 | 社殿の前に神饌を並べる神主と漁業協同組合の役員たち。 | 度会郡南伊勢町神前浦 | 1987.04.13 |
3290 | 神前浦飛鳥神社祭1-13 | 社殿に並べられた神饌。(タイ、餅一重ね、大根、白菜、リンゴ、卵、お神酒など) | 度会郡南伊勢町神前浦 | 1987.04.13 |
3291 | 神前浦飛鳥神社祭1-14 | 社殿の前で祝詞を上げる神主。 | 度会郡南伊勢町神前浦 | 1987.04.13 |
3292 | 神前浦飛鳥神社祭1-15 | 参拝者である漁師全員が手を合わせ、大漁満足を祈る。 | 度会郡南伊勢町神前浦 | 1987.04.13 |
3293 | 神前浦飛鳥神社祭1-16 | 神事が終了し、飛鳥浜で直会を行う。飛鳥神社へ供えられたお神酒も配られ、浜には直会をする参拝者の輪がいくつもできる。 | 度会郡南伊勢町神前浦 | 1987.04.13 |
3294 | 神前浦飛鳥神社祭1-17 | モヤイをとった船では帰港の時も太鼓がたたかれ、カイを入れ、船のオモテに2人の漁師が立って着物を振って踊る。市場では漁師の妻たちが待っている。 | 度会郡南伊勢町神前浦 | 1987.04.13 |
3295 | 神前浦飛鳥神社祭1-18 | 港に着くと2人の漁師がエベスサンにしめ縄を掛け、お神酒を社殿にそそいで拝む。 | 度会郡南伊勢町神前浦 | 1987.04.13 |
3296 | 神前浦飛鳥神社祭2-1 | 祭りで用いられる太鼓、カイ、着物。 | 度会郡南伊勢町神前浦 | 1987.04.13 |
3297 | 神前浦飛鳥神社祭2-2 | モヤイをとった2隻の船のそれぞれのヘサキに、タオルで鉢巻をした2人の漁師が立ち、歌と太鼓に合わせて飛鳥浜に向かって祭の着物を振りながら踊る。(1人の後ろ姿) | 度会郡南伊勢町神前浦 | 1987.04.13 |
3298 | 神前浦飛鳥神社祭2-3 | モヤイをとった2隻の船のそれぞれのヘサキに、タオルで鉢巻をした2人の漁師が立ち、歌と太鼓に合わせて祭の着物を振りながら踊る。(帰路 2人の後ろ姿) | 度会郡南伊勢町神前浦 | 1987.04.13 |
3299 | 神前浦飛鳥神社祭2-4 | 社殿に供えられた腹合わせのタイ。 | 度会郡南伊勢町神前浦 | 1987.04.13 |
3300 | 神前浦飛鳥神社祭2-5 | 直会の料理。ブリの刺身、ご飯。 | 度会郡南伊勢町神前浦 | 1987.04.13 |
3301 | 神前浦飛鳥神社祭2-6 | 祭りの唄の文句。「飛鳥神社歌(閏年のみ) 鯛は引き いばやは先き 小舟にかいかけて アラレヤレレヤ」。 | 度会郡南伊勢町神前浦 | 1987.04.13 |
3302 | 神前浦飛鳥神社祭2-7 | 2本のカイと太鼓をモヤイをとった2隻の船に積み込む漁業協同組合の役員。 | 度会郡南伊勢町神前浦 | 1987.04.13 |
3303 | 桃取お湯立祭1-1 | 祷屋の御湯立行事、「サバカッサリ」とも言い、桃取の氏神「八幡神社」の祭日である。年番の祷屋は社前で、もみ火にて湯を沸かす。その後2つの「笹葉鼓」で湯をかき回して振り、参列する人々に湯をかけて身の清めとする。 神社の拝殿前に於いて「笹葉鼓」で湯を振る神主。スライド枠には「62.5.15」と記される。参考文献:在中「野村史隆メモ」/『鳥羽市史』平成3年発行(以下キャプションは同文献を参照) | 鳥羽市桃取町 | 1987.05.15 |
3304 | 桃取お湯立祭1-2 | 八幡社の鳥居前には幟が2本立てられる。スライド枠には「62.5.15」と記される。 | 鳥羽市桃取町 | 1987.05.15 |
3305 | 桃取お湯立祭1-3 | 本殿前に整列する6人の氏子総代と本殿に幣を立てる神主。スライド枠には「62.5.15」と記される。 | 鳥羽市桃取町 | 1987.05.15 |
3306 | 桃取お湯立祭1-4 | 神事に用いる笹葉鼓。スライド枠には「62.5.15」と記される。 | 鳥羽市桃取町 | 1987.05.15 |
3307 | 桃取お湯立祭1-5 | 本殿前の祭場に据えられた「ハソリナベ」(釜)。スライド枠には「62.5.15」と記される。 | 鳥羽市桃取町 | 1987.05.15 |
3308 | 桃取お湯立祭1-6 | 本殿前に整列した6人の氏子総代をお祓いする神主。スライド枠には「62.5.15」と記される。 | 鳥羽市桃取町 | 1987.05.15 |
3309 | 桃取お湯立祭1-7 | 神事、献饌の儀。スライド枠には「62.5.15」と記される。 | 鳥羽市桃取町 | 1987.05.15 |
3310 | 桃取お湯立祭1-8 | 境内で低頭し、祈る参列者。スライド枠には「62.5.15」と記される。 | 鳥羽市桃取町 | 1987.05.15 |
3311 | 桃取お湯立祭1-9 | いよいよ「お湯立て」の開始。神官が笹葉鼓を持って参列者の前に現れる。スライド枠には「62.5.15」と記される。 | 鳥羽市桃取町 | 1987.05.15 |
3312 | 桃取お湯立祭1-10 | 沸いた湯を笹葉鼓で参列者に振りかける。参列者は低頭し、湯を浴びて無病息災を祈る。スライド枠には「62.5.15」と記される。 | 鳥羽市桃取町 | 1987.05.15 |
3313 | 桃取お湯立祭1-11 | 参列者の見守る中、笹葉鼓を湯に浸そうとする神官。参列者は女性が多い。スライド枠には「62.5.15」と記される。 | 鳥羽市桃取町 | 1987.05.15 |
3314 | 桃取お湯立祭1-12 | 神事の後、使った笹葉鼓を分け合う参列者。スライド枠には「62.5.15」と記される。 | 鳥羽市桃取町 | 1987.05.15 |
3315 | 桃取お湯立祭1-13 | 分けた笹葉を再度湯に浸し、身を清める参列者。スライド枠には「62.5.15」と記される。 | 鳥羽市桃取町 | 1987.05.15 |
3316 | 桃取お湯立祭1-14 | 分けた笹葉を再度湯に浸し、自身の悪い箇所を清め災いを除く女性。スライド枠には「62.5.15」と記される。 | 鳥羽市桃取町 | 1987.05.15 |
3317 | 桃取お湯立祭1-15 | 神事が終わり、直会のお神酒を受ける参列者。スライド枠には「62.5.15」と記される。 | 鳥羽市桃取町 | 1987.05.15 |
3318 | 桃取お湯立祭1-16 | 持ち帰った笹葉を魔除けとして玄関に刺す村びと。スライド枠には「62.5.15」と記される。 | 鳥羽市桃取町 | 1987.05.15 |
3319 | 桃取お湯立祭1-17 | 玄関に飾られた笹葉。スライド枠には「62.5.15」と記される。 | 鳥羽市桃取町 | 1987.05.15 |
3320 | 桃取お湯立祭2-1 | 八幡神社の狛犬。スライド枠には「62.5.15」と記される。 | 鳥羽市桃取町 | 1987.05.15 |
3321 | 桃取お湯立祭2-2 | 神事で奉げる玉串を運ぶ氏子総代。スライド枠には「62.5.15」と記される。 | 鳥羽市桃取町 | 1987.05.15 |
3322 | 桃取お湯立祭2-3 | 神事の最中、境内で低頭する参列者。スライド枠には「62.5.15」と記される。 | 鳥羽市桃取町 | 1987.05.15 |
3323 | 桃取お湯立祭2-4 | いよいよ「お湯立て」の開始。神官が笹葉鼓を持って参列者の前に現れる。スライド枠には「62.5.15」と記される。 | 鳥羽市桃取町 | 1987.05.15 |
3324 | 桃取お湯立祭2-5 | 神事に用いる笹葉鼓。スライド枠には「62.5.15」と記される。 | 鳥羽市桃取町 | 1987.05.15 |
3325 | 桃取お湯立祭2-6 | 神事が終わり、直会のお神酒を受ける参列者。スライド枠には「62.5.15」と記される。 | 鳥羽市桃取町 | 1987.05.15 |
3326 | 桃取お湯立祭2-7 | 笹葉を分け合う参列者。持ち帰った笹葉は魔除けとして玄関に刺す。スライド枠には「62.5.15」と記される。 | 鳥羽市桃取町 | 1987.05.15 |
3327 | 桃取お湯立祭2-8 | 分けた笹葉を再度湯に浸し、自身の悪い箇所を清め災いを除く女性。スライド枠には「62.5.15」と記される。 | 鳥羽市桃取町 | 1987.05.15 |
3328 | 和具大島祭1-1 | 「じんじん」「潮かけまつり」ともいい、和具の沖に浮かぶ大島に祀られている「大島神社」(祭神:市杵島命)の大祭。初夏の海人祭の1つである。旧暦6月1日に行われる。 祭船を仕立てて大島に渡り、祭具を運び込む氏子総代。 参考文献:在中「野村史隆メモ」/『志摩町史 改訂版』平成16年発行(以下キャプションは同文献を参照) | 志摩市志摩町和具 | 1988.07.11 |
3329 | 和具大島祭1-2 | 神社がある高台へ神饌を運ぶ氏子ら。神社入口には「奉納 市杵島姫神社」「奉納 八大龍王御祭禮」の幟が立てられている。 | 志摩市志摩町和具 | 1988.07.11 |
3330 | 和具大島祭1-3 | 神社の石段を上がる神主と氏子ら。 | 志摩市志摩町和具 | 1988.07.11 |
3331 | 和具大島祭1-4 | 漁船に乗り込み大島に向かう数人の漁師。漁船には大漁旗が掲げられている。 | 志摩市志摩町和具 | 1988.07.11 |
3332 | 和具大島祭1-5 | 朝から海女作業で獲ったサザエ、イソモノ、アラメなどの供えものを板の盆に乗せて神社に向かう海女たち。白い磯着を着用し、それぞれのカマドごとに旗を掲げている。 | 志摩市志摩町和具 | 1988.07.11 |
3333 | 和具大島祭1-6 | 神饌を供えに行く前、海神(竜宮)に向かって祈る海女たち。 | 志摩市志摩町和具 | 1988.07.11 |
3334 | 和具大島祭1-7 | 神社へ神饌を供えお参りした後、神社から振舞われるお神酒をいただく海女と漁師たち。 | 志摩市志摩町和具 | 1988.07.11 |
3335 | 和具大島祭1-8 | 参拝を済ませ、神社の石段を下りる海女たち。最後尾の男性は船頭さん。参拝はカマドごとに行う。 | 志摩市志摩町和具 | 1988.07.11 |
3336 | 和具大島祭1-9 | 神事の後、参拝者に餅が撒かれる。 | 志摩市志摩町和具 | 1988.07.11 |
3337 | 和具大島祭1-10 | その後、漁師や参拝者による潮の掛け合いが始まる。スライド枠には「シオカケ」と記される。 | 志摩市志摩町和具 | 1988.07.11 |
3338 | 和具大島祭1-11 | 朝獲ったアワビを供えるため神社の石段を上る海女。背後に映る大島の浜は多くの参拝者で賑わっている。スライド枠には「シオカケ」と記される。 | 志摩市志摩町和具 | 1988.07.11 |
3339 | 和具大島祭1-12 | お供えをした後、拝殿前の広場で神事にのぞむ海女や漁師。その背後では多くの参拝者が神事を見守る。 | 志摩市志摩町和具 | 1988.07.11 |
3340 | 和具大島祭1-13 | この日は無礼講。海に投げ込まれる人。 | 志摩市志摩町和具 | 1988.07.11 |
3341 | 菅島しろんご祭(混入)1-14 | 海女のアワビお供え。 | 志摩市志摩町和具 | 1988.07.11 |
3342 | 和具大島祭2-1 | 大島の浜で神事を待つ人びと。海には大漁旗を揚げた20艘ほどの漁船が浮かぶ。 | 志摩市志摩町和具 | 1988.07.11 |
3343 | 和具大島祭2-2 | 和具漁港に帰るため船に乗り込む参加者。これから潮かけが始まる。 | 志摩市志摩町和具 | 1988.07.11 |
3344 | 和具大島祭2-3 | 船上での潮かけ風景。カツオ船からはホースで潮をかける。 | 志摩市志摩町和具 | 1988.07.11 |
3345 | 和具大島祭2-4 | 潮かけ風景。潮を掛け合いながら港に帰る。 | 志摩市志摩町和具 | 1988.07.11 |
3346 | 和具大島祭2-5 | 潮かけ風景。和具の港に帰るため船に乗り込もうとする海女たち。沖には大漁旗を掲げたカツオ船が見える。スライド枠には「潮かけまつり」と記される。 | 志摩市志摩町和具 | 1988.07.11 |
3347 | 和具大島祭2-6 | 船上での潮かけ風景。潮を掛け合いながら港に帰る。スライド枠には「シオカケ」と記される。 | 志摩市志摩町和具 | 1988.07.11 |
3348 | 和具大島祭2-7 | 遠くなる大島。船上から撮影。 | 志摩市志摩町和具 | 1988.07.11 |
3349 | 和具大島祭2-8 | カマドごとにお供えに向かう海女。大漁旗には船頭の船名(屋号)が染め抜かれている。 | 志摩市志摩町和具 | 1988.07.11 |
3350 | 和具大島祭2-9 | 港の中での潮かけ風景。 | 志摩市志摩町和具 | 1988.07.11 |
3351 | 和具大島祭2-10 | 神饌として海産物を供え終えた海女は正装し、海に手を合わせてから神社に参る。 | 志摩市志摩町和具 | 1988.07.11 |
3352 | 菅島しろんご祭1-1 | しろんごさん、シロノゴさん、白髭大明神祭とも呼ばれ、かつては旧暦6月11日に行われていたが近年は新暦7月11日に執り行われる。鳥羽市無形民俗文化財に指定されている。 白浜(シロンゴハマ)に集まった参詣者。鳥居のそばに2本の「奉納 白髭大明神」の幟が立つ。神社は山上にある。スライド枠には「63.7.11」と記される。参考文献:在中「野村史隆メモ」/『鳥羽市史』平成3年発行(以下キャプションは同文献を参照) | 鳥羽市菅島町 | 1988.07.11 |
3353 | 菅島しろんご祭1-2 | 陸伝いにシロンゴハマに向かう島の海女(後ろ姿)。忌みがかかっていない(不幸ごとのない)家の海女全員が祭に参加する。スライド枠には「63.7.11」と記される。 | 鳥羽市菅島町 | 1988.07.11 |
3354 | 菅島しろんご祭1-3 | 禁漁区となっていたシロンゴハマが口開けとなり、そこでクロアワビとマタカアワビをとって神前にお供えする。浜で口開けの合図を待つ海女。カマドごとに集まり、体を温める。スライド枠には「63.7.11」と記される。 | 鳥羽市菅島町 | 1988.07.11 |
3355 | 菅島しろんご祭1-4 | 神事の前にお祓いを受けるため、神主のもとに向かう海女。スライド枠には「63.7.11」と記される。 | 鳥羽市菅島町 | 1988.07.11 |
3356 | 菅島しろんご祭1-5 | シロンゴハマでお祓いを受ける参加者の海女たち。スライド枠には「63.7.11」と記される。 | 鳥羽市菅島町 | 1988.07.11 |
3357 | 菅島しろんご祭1-6 | 正装した海女(アップ)。中テヌグイには魔よけのセーマン見える。スライド枠には「63.7.11」と記される。 | 鳥羽市菅島町 | 1988.07.11 |
3358 | 菅島しろんご祭1-7 | 波打ち際に集まり、出漁の合図を待つ海女たち。メガネのくもり止めなどの準備を怠らない。スライド枠には「63.7.11」と記される。 | 鳥羽市菅島町 | 1988.07.11 |
3359 | 菅島しろんご祭1-8 | 出漁の合図のホラ貝を持つ漁業組合職員(男性)。 | 鳥羽市菅島町 | 1988.07.11 |
3360 | 菅島しろんご祭1-9 | 神前に供えられた神饌(魚、コメ、塩、果物、お神酒と本命のつがいのアワビ)。 | 鳥羽市菅島町 | 1988.07.11 |
3361 | 菅島神祭(混入)1-10 | (混入)菅島の神祭。神主によるお祓い式。スライド枠には「63.01.10 13:30 祝詞」と記される。 | 鳥羽市菅島町 | 1988.01.10 |
3362 | 菅島しろんご祭1-11 | つがいのアワビを受け取った役人船の到着。スライド枠には「63.7.11」と記される。 | 鳥羽市菅島町 | 1988.07.11 |
3363 | 菅島しろんご祭1-12 | つがいのアワビを受け取る若い海女。この後神社に神饌として奉納される。スライド枠には「63.7.11」と記される。 | 鳥羽市菅島町 | 1988.07.11 |
3364 | 菅島しろんご祭1-13 | ホラ貝を合図にアワビを求め、一斉に泳ぎだす海女たち。スライド枠には「しろんごまつり」「63.7.11」と記される。 | 鳥羽市菅島町 | 1988.07.11 |
3365 | 菅島しろんご祭1-14 | ホラ貝を合図にアワビを求め、一斉に泳ぎだす海女たち。 | 鳥羽市菅島町 | 1988.07.11 |
3366 | 菅島しろんご祭1-15 | 操業を終え、浜に上がる1人の海女。 | 鳥羽市菅島町 | 1988.07.11 |
3367 | 菅島しろんご祭1-16 | アワビ、栄螺、スンボウ、手ノミが入った磯オケ。 | 鳥羽市菅島町 | 1988.07.11 |
3368 | 菅島しろんご祭1-17 | 獲ったアワビを計量してもらう海女。スライド枠には「63.7.11」と記される。 | 鳥羽市菅島町 | 1988.07.11 |
3369 | 菅島しろんご祭2-1 | イソオケをイタダク(頭上運搬)する二人の海女。背後に見える山は答志島。スライド枠には「63.7.11」と記される。 | 鳥羽市菅島町 | 1988.07.11 |
3370 | 菅島しろんご祭2-2 | 神前に奉納するつがいのアワビを木の板に乗せて神社の石段を上る若い海女。スライド枠には「63.7.11」と記される。 | 鳥羽市菅島町 | 1988.07.11 |
3371 | 菅島しろんご祭2-3 | 操業の前、浜で神主のお祓いを受ける海女たち。スライド枠には「63.7.11」と記される。 | 鳥羽市菅島町 | 1988.07.11 |
3372 | 菅島しろんご祭2-4 | 祭の日は漁船も大漁旗を掲げて祝う。スライド枠には「63.7.11」と記される。 | 鳥羽市菅島町 | 1988.07.11 |
3373 | 菅島しろんご祭2-5 | 獲物の入ったスカリを持ち、浜に上がる1人の海女。スライド枠には「63.7.11」と記される。 | 鳥羽市菅島町 | 1988.07.11 |
3374 | 菅島しろんご祭2-6 | 操業前のお祓いを受ける前、浜に座り談笑する海女たち。スライド枠には「63.7.11」と記される。 | 鳥羽市菅島町 | 1988.07.11 |
3375 | 神島ゴクアゲ1-1 | 早朝神島の周囲に点在する聖なる岩礁、アレガミ・キワ・コヘロガミに御幣を立て心経を唱えるため、日の丸と大漁旗を掲げて向かう宮持の船。海神に1年の無事を祈る儀式である。スライド枠には「62.6.11」と記される。 参考文献:在中「野村史隆メモ」/『鳥羽市史』平成3年発行(以下キャプションは同文献を参照) | 鳥羽市神島町 | 1987.06.11 |
3376 | 神島ゴクアゲ1-2 | 御幣を立てるため岩礁に立つ、1年の祭事の当屋番である宮持。スライド枠には「62.6.11」と記される。 | 鳥羽市神島町 | 1987.06.11 |
3377 | 神島ゴクアゲ1-3 | 御幣立てを済ませたら宮持の船が岩礁の周りを左回りに3回回り、3升3合3勺の洗米を撒いて磯を清める。スライド枠には「62.6.11」と記される。 | 鳥羽市神島町 | 1987.06.11 |
3378 | 神島ゴクアゲ1-4 | 出立ちの盃。宮持が依頼した親戚筋の3人の海女にお神酒を振舞い、今日の大役を願う。スライド枠には「62.6.11」と記される。 | 鳥羽市神島町 | 1987.06.11 |
3379 | 神島ゴクアゲ1-5 | 宮持の船に乗る前に支度をする3人の海女。スライド枠には「62.6.11」と記される。 | 鳥羽市神島町 | 1987.06.11 |
3380 | 神島ゴクアゲ1-6 | 岩礁をお祓いするため船上で祝詞を唱える神主。スライド枠には「62.6.11」と記される。 | 鳥羽市神島町 | 1987.06.11 |
3381 | 神島ゴクアゲ1-7 | 神の磯として禁漁区となっている磯に着くと3人の海女は、弁天社に供えるアワビを求めて海に入る。スライド枠には「62.6.11」と記される。 | 鳥羽市神島町 | 1987.06.11 |
3382 | 神島ゴクアゲ1-8 | 宮持の海女が海に入ると、一般の島民の海女たちも操業ができるようになる。操業を開始するフナド海女。スライド枠には「62.6.11」と記される。 | 鳥羽市神島町 | 1987.06.11 |
3383 | 神島ゴクアゲ1-9 | 約1時間の操業を終えると一般の島民の海女は、水揚げしたアワビの一部を御供さん(ごくうさん)と称して宮持に差し出す。スライド枠には「62.6.11」と記される。 | 鳥羽市神島町 | 1987.06.11 |
3384 | 神島ゴクアゲ1-10 | 海女からアワビをいただくと宮持は礼を述べ、お神酒を振舞う。スライド枠には「62.6.11」と記される。 | 鳥羽市神島町 | 1987.06.11 |
3385 | 神島ゴクアゲ1-11 | 弁天岬下の神の磯での海女の操業の様子。スライド枠には「62.6.11」と記される。 | 鳥羽市神島町 | 1987.06.11 |
3386 | 神島ゴクアゲ1-12 | 神の磯で獲ったアワビと洗米を持って、岬の上の弁天社にお参りに向かう宮持の奥さんと宮持が頼んだ海女3人。スライド枠には「62.6.11」と記される。 | 鳥羽市神島町 | 1987.06.11 |
3387 | 神島ゴクアゲ1-13 | 弁天社へのお供え。宮持はアワビ、洗米、お神酒を供える。スライド枠には「62.6.11」と記される。 | 鳥羽市神島町 | 1987.06.11 |
3388 | 神島ゴクアゲ1-14 | 弁天社に供えられたアワビ。アップ。スライド枠には「62.6.11」と記される。 | 鳥羽市神島町 | 1987.06.11 |
3389 | 神島ゴクアゲ1-15 | 島の庚申さんにお参りする宮持と海女。 | 鳥羽市神島町 | 1987.06.11 |
3390 | 神島ゴクアゲ1-16 | 弁天社にお参りする時に持って行く膳。アワビの殻に入れた洗米と小豆・アワビ2つ・お神酒。スライド枠には「62.6.11」と記される。 | 鳥羽市神島町 | 1987.06.11 |
3391 | 神島ゴクアゲ1-17 | 御幣立てを済ますと宮持の船が岩礁の周りを左回りに3回回り、3升3合3勺の洗米を撒いて磯を清める。スライド枠には「62.6.11」と記される。 | 鳥羽市神島町 | 1987.06.11 |
3392 | 神島ゴクアゲ2-1 | 弁天社にお参りする時に持って行く石2つと洗米を持つ宮持の海女。スライド枠には「62.6.11」と記される。 | 鳥羽市神島町 | 1987.06.11 |
3393 | 神島ゴクアゲ2-2 | 弁天社にの前で手を合わす宮持の奥さん(?)と宮持。スライド枠には「62.6.11」と記される。 | 鳥羽市神島町 | 1987.06.11 |
3394 | 神島ゴクアゲ2-3 | 弁天社に供えるアワビを膳から取る宮持。スライド枠には「62.6.11」と記される。 | 鳥羽市神島町 | 1987.06.11 |
3395 | 神島ゴクアゲ2-4 | ゴリの浜から岬の弁天社へお参りに向かう宮持と3人の海女。スライド枠には「62.6.11」と記される。 | 鳥羽市神島町 | 1987.06.11 |
3396 | 神島ゴクアゲ2-5 | 神の磯付近で船上に赤い小旗を揚げ、海女漁開始の合図をする船。スライド枠には「62.6.11」と記される。 | 鳥羽市神島町 | 1987.06.11 |
3397 | 神島ゴクアゲ2-6 | 船上から神の磯を祓い、祝詞をあげる神主。スライド枠には「62.6.11」と記される。 | 鳥羽市神島町 | 1987.06.11 |
3398 | 神島ゴクアゲ2-7 | 神の磯でのアワビ獲りに参加するため、宮持の船に乗り込む宮持夫婦と3人の海女。手前の海女が頭に巻く磯テヌグイには魔よけの意があるドーマンの印が、更に奥の海女の磯テヌグイにはセーマンの印が入っている。スライド枠には「62.6.11」と記される。 | 鳥羽市神島町 | 1987.06.11 |
3399 | 二見郷中施1-1 | 寛政4年(1792)に発生した地震により氏子である江村へ津波が押し寄せた。残った民家はわずか5,6軒という中、隣人同士助け合い郷中(里中)施し合って立ち直った。「郷中施」は「ごじゅうせ」と読む。二見興玉神社の境内社である竜宮社の例祭に併せて旧暦5月15日に行われる。興玉神社全景。スライド枠には「2.6.7」と記される。 参考文献:在中「野村史隆メモ」/(以下キャプションは同文献を参照) | 伊勢市二見町 | 1990.06.07 |
3400 | 二見郷中施1-2 | 二見興玉神社境内の祭典会場。スライド枠には「2.6.7」と記される。 | 伊勢市二見町 | 1990.06.07 |
3401 | 二見郷中施1-3 | 祭典の開始(献饌)。スライド枠には「2.6.7」と記される。 | 伊勢市二見町 | 1990.06.07 |
3402 | 二見郷中施1-4 | 祭典の列席者(後方より撮影)。スライド枠には「2.6.7」と記される。 | 伊勢市二見町 | 1990.06.07 |
3403 | 二見郷中施1-5 | 献饌の儀。スライド枠には「2.6.7」と記される。 | 伊勢市二見町 | 1990.06.07 |
3404 | 二見郷中施1-6 | 神饌と下段中央に置かれた木製の小舟。小舟には、キュウリ、ミル、マツナ、ニンジン、ナスビが積まれている。スライド枠には「2.6.7」と記される。 | 伊勢市二見町 | 1990.06.07 |
3405 | 二見郷中施1-7 | 参列者による玉串奉典(後方より撮影)。スライド枠には「2.6.7」と記される。 | 伊勢市二見町 | 1990.06.07 |
3406 | 二見郷中施1-8 | 参列者一同(前方より撮影)。スライド枠には「2.6.7」と記される。 | 伊勢市二見町 | 1990.06.07 |
3407 | 二見郷中施1-9 | 神饌と下段中央に置かれた木製の小舟。小舟には、キュウリ、ミル、マツナ、ニンジン、ナスビが積まれている。スライド枠には「2.6.7」と記される。 | 伊勢市二見町 | 1990.06.07 |
3408 | 二見郷中施1-10 | 神殿にお参りする2人の女性(後方より撮影)。スライド枠には「2.6.7」と記される。 | 伊勢市二見町 | 1990.06.07 |
3409 | 二見郷中施1-11 | 小舟に積まれた野菜。「キュウリ、ミル、マツナ」には「津波を急に、見るな、待つな」の意味が込められているという。2人の巫女が浜まで運ぶ。スライド枠には「2.6.7」と記される。 | 伊勢市二見町 | 1990.06.07 |
3410 | 二見郷中施1-12 | 野菜を積んだ小舟を海に流そうとする2人の巫女。スライド枠には「2.6.7」と記される。 | 伊勢市二見町 | 1990.06.07 |
3411 | 二見郷中施1-13 | 撤饌の儀。スライド枠には「2.6.7」と記される。 | 伊勢市二見町 | 1990.06.07 |
3412 | 二見郷中施1-14 | 小舟に積まれた野菜。「キュウリ、ミル、マツナ」には「津波を急に、見るな、待つな」の意味が込められているという。スライド枠には「2.6.7」と記される。 | 伊勢市二見町 | 1990.06.07 |
3413 | 安楽島天王祭(地芝居)1-1 | 天王祭のポスター。スライド枠には「安楽島天王祭演劇」と記される。 参考文献:在中「野村史隆メモ」(以下キャプションは同文献を参照) | 鳥羽市安楽島町 | 1988.07.09 |
3414 | 安楽島天王祭(地芝居)1-2 | 安楽島の舞台、開演前。スライド枠には「63.7.9」と記される。 | 鳥羽市安楽島町 | 1988.07.09 |
3415 | 安楽島天王祭(地芝居)1-3 | 安楽島の舞台、地芝居風景。スライド枠には「63.7.9」と記される。 | 鳥羽市安楽島町 | 1988.07.09 |
3416 | 安楽島天王祭(地芝居)1-4 | 舞台前の広場には安楽島の多くの人びとが集まる。スライド枠には「63.7.9」と記される。 | 鳥羽市安楽島町 | 1988.07.09 |
3417 | 安楽島天王祭(地芝居)1-5 | 芝居小屋の舞台裏。化粧をし、着付けをする出演者(村びと)。スライド枠には「63.7.9」と記される。 | 鳥羽市安楽島町 | 1988.07.09 |
3418 | 安楽島天王祭(地芝居)1-6 | 地芝居風景。スライド枠には「63.7.9」と記される。 | 鳥羽市安楽島町 | 1988.07.09 |
3419 | 安楽島天王祭(地芝居)1-7 | 途中の中入れ。見学者はこの時寿司などで食事をする。スライド枠には「63.7.9」と記される。 | 鳥羽市安楽島町 | 1988.07.09 |
3420 | 安楽島天王祭(地芝居)1-8 | 地芝居風景。スライド枠には「63.7.9」と記される。 | 鳥羽市安楽島町 | 1988.07.09 |
3421 | 安楽島天王祭(地芝居)1-9 | 地芝居風景。スライド枠には「63.7.9」と記される。 | 鳥羽市安楽島町 | 1988.07.09 |
3422 | 安楽島天王祭(地芝居)1-10 | 芝居と芝居の幕間風景。スライド枠には「63.7.9」と記される。 | 鳥羽市安楽島町 | 1988.07.09 |
3423 | 安楽島天王祭(地芝居)1-11 | 芝居を見る大勢の村びと。スライド枠には「63.7.9」と記される。 | 鳥羽市安楽島町 | 1988.07.09 |
3424 | 安楽島天王祭(地芝居)1-12 | 芝居を見る大勢の村びと。スライド枠には「63.7.9」と記される。 | 鳥羽市安楽島町 | 1988.07.09 |
3425 | 安楽島天王祭(地芝居)2-1 | 芝居を見る大勢の村びと(映像がブレている)。スライド枠には「63.7.9」と記される。 | 鳥羽市安楽島町 | 1988.07.09 |
3426 | 安楽島天王祭(地芝居)2-2 | 芝居を見る大勢の村びと。スライド枠には「63.7.9」と記される。 | 鳥羽市安楽島町 | 1988.07.09 |
3427 | 安楽島天王祭(地芝居)2-3 | 芝居を見る大勢の村びと。スライド枠には「63.7.9」と記される。 | 鳥羽市安楽島町 | 1988.07.09 |
3428 | 安楽島天王祭(地芝居)2-4 | 芝居を見る大勢の村びと。スライド枠には「63.7.9」と記される。 | 鳥羽市安楽島町 | 1988.07.09 |
3429 | 安楽島天王祭(地芝居)2-5 | 芝居を見る大勢の村びと。スライド枠には「63.7.9」と記される。 | 鳥羽市安楽島町 | 1988.07.09 |
3430 | 安楽島天王祭(地芝居)2-6 | 芝居を見る大勢の村びと。スライド枠には「63.7.9」と記される。 | 鳥羽市安楽島町 | 1988.07.09 |
3431 | 安楽島天王祭(地芝居)2-7 | 地芝居風景。スライド枠には「63.7.9」と記される。 | 鳥羽市安楽島町 | 1988.07.09 |
3432 | 安楽島天王祭(地芝居)2-8 | 地芝居風景。スライド枠には「63.7.9」と記される。 | 鳥羽市安楽島町 | 1988.07.09 |
3433 | 安楽島天王祭(地芝居)2-9 | 芝居を見る大勢の村びと。スライド枠には「63.7.9」と記される。 | 鳥羽市安楽島町 | 1988.07.09 |
3434 | 安楽島天王祭(地芝居)2-10 | 芝居を見る大勢の村びと。スライド枠には「63.7.9」と記される。 | 鳥羽市安楽島町 | 1988.07.09 |
3435 | 安楽島天王祭(地芝居)2-11 | 芝居を見る大勢の村びと。スライド枠には「63.7.9」と記される。 | 鳥羽市安楽島町 | 1988.07.09 |
3436 | 安楽島天王祭(地芝居)2-12 | 芝居を見る大勢の村びと。スライド枠には「63.7.9」と記される。 | 鳥羽市安楽島町 | 1988.07.09 |
3437 | 安楽島天王祭(地芝居)2-13 | 芝居を見る大勢の村びと。スライド枠には「63.7.9」と記される。 | 鳥羽市安楽島町 | 1988.07.09 |
3438 | 方座浅間祭1-1 | 毎年旧暦5月27日、28日に近い土日に行われる。江戸時代中期頃疫病退散を願っての祭りだと伝えられている。 浅間神社が祀られている山頂に御幣竹を上げる男性たち。 参考文献:在中「野村史隆メモ」/『平賀大蔵調査報告書』(以下キャプションは同文献を参照) | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1989.07.11 |
3439 | 方座浅間祭1-2 | 浅間山に祀られている浅間社。石垣で囲まれている。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1989.07.11 |
3440 | 方座浅間祭1-3 | 幣に付ける添え竹を運ぶ男性たち。スライド枠には「ヘイにつけるそえ竹が運ばれる」と記される。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1989.07.11 |
3441 | 方座浅間祭1-4 | オオヘイ(大幣)、コウヘイ(小幣)を作る準備。スライド枠には「大ヘイ右側、小ヘイ左側」と記される。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1989.07.11 |
3442 | 方座浅間祭1-5 | 浅間講の各家々から届けられた日の丸の扇を竹に縛り付け、御幣竹を仕上げていく男性たち。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1989.07.11 |
3443 | 方座浅間祭1-6 | コウリ場で祭りに参加する男性全員が海に入る。顔だけを水面から出して浅間山を見上げながら、浅間講の人の掛け声に合わせて「ホ、ホ、ホウ」の声を上げて数珠を持ち、何度も浅間山を拝む。「ロクジュウシゴウリ」と呼ばれる。スライド枠には「方座浅間祭」と記される。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1989.07.11 |
3444 | 方座浅間祭1-7 | クジ引きで選ばれたオオヘイ、コウヘイを山に担ぎ上げる2人の若者。化粧をして臨む。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1989.07.11 |
3445 | 方座浅間祭1-8 | 太鼓を鳴らし浅間祭の唄を唄いながら村中を練り歩き、浅間山に向かう。村びとはセンゲンサンが通る道を潮水を振って清める。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1989.07.11 |
3446 | 方座浅間祭1-9 | 青竹に日の丸の扇を縛り付けたオオヘイ、コウヘイを先頭に浅間山に向かう。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1989.07.11 |
3447 | 方座浅間祭1-10 | 行列はオオヘイ、コウヘイを引き当てた若者の家、浅間宿、漁協、更にその年に新築した家の前に来ると家にオオヘイ、コウヘイを立てかけて中に入る。大声で家の部の唄を唄い、太鼓を鳴らしながら踊り、3時ころまでかかって村中を回る。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1989.07.11 |
3448 | 方座浅間祭1-11 | 浅間社への険しい参道を少しずつ登って行く、オオヘイ、コウヘイ。スライド枠には「方座浅間祭、へいを山へ上げる」と記される。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1989.07.11 |
3449 | 方座浅間祭1-12 | 浅間社の鳥居近くまで来たオオヘイ、コウヘイ。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1989.07.11 |
3450 | 方座浅間祭1-13 | 祠の近くの木にオオヘイ、コウヘイを縛り付け、それぞれのヘイを見上げて唄を唄い上げる。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1989.07.11 |
3451 | 方座浅間祭1-14 | 幣を立てた後、男性たちは浅間社にお参りをする。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1989.07.11 |
3452 | 方座浅間祭1-15 | 潮垢離をする男性たち。スライド枠には「浅間さんのコリ」と記される。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1989.07.11 |
3453 | 方座浅間祭2-1 | 大小の幣作りの準備。青竹2本を切り出し、村に運ぶ男性たち。スライド枠には「船へ竹を運ぶ」と記される。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1989.07.11 |
3454 | 方座浅間祭2-2 | 竹の枝を密にするため、添え竹を加工する。スライド枠には「添え竹をヘイにつけやすいように削る」と記される。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1989.07.11 |
3455 | 方座浅間祭2-3 | 添え竹の枝を縛る作業をする。スライド枠には「添え竹をヘイに縛り止める」と記される。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1989.07.11 |
3456 | 方座浅間祭2-4 | 竹の枝に縛る日の丸の扇を準備する。スライド枠には「ヘイの一番上につけるカナメを作る」と記される。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1989.07.11 |
3457 | 方座浅間祭2-5 | 道中唄を唄い、町内を練る浴衣姿の男性たち。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1989.07.11 |
3458 | 方座浅間祭2-6 | 仕上がったオオヘイとコウヘイ。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1989.07.11 |
3459 | 方座浅間祭2-7 | 出発前のオオヘイとコウヘイ。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1989.07.11 |
3460 | 方座浅間祭2-8 | 浅間社への険しい参道。大小の幣は立てたまま綱で支えながら上げて行く。途中で倒してしまうと、もう一度ふもとから登り直さなければならないため、幣に付く者は若者から30歳前後のベテランに交代する。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1989.07.11 |
3461 | 方座浅間祭2-9 | 浅間社への険しい参道。大小の幣は立てたまま綱で支えながら上げて行く。途中で倒してしまうと、もう一度ふもとから登り直さなければならないため、幣に付く者は若者から30歳前後のベテランに交代する。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1989.07.11 |
3462 | 方座浅間祭2-10 | 2本のヘイを倒して一気に鳥居をくぐり抜け、オオヘイとコウヘイ、どちらが早くそれぞれの場所へヘイを立てるかを競い合う。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1989.07.11 |
3463 | 方座浅間祭2-11 | 祠の近くの木にオオヘイ、コウヘイを縛り付け、それぞれのヘイを見上げて唄を唄い上げる。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1989.07.11 |
3464 | 津やぶねり1-1 | 天王信仰の祭り。八雲神社に合祀された津島神社の祭礼として大蛇に見立てた竹の束が町内を練る祭である。毎年7月11日に行われる。 参考文献:在中「野村史隆メモ」/「海の博物館 展示用スライドナレーション原紙(祭、その他)」綴(以下キャプションは同文献を参照) | 津市白塚町 | 1987.07.11 |
3465 | 津やぶねり1-2 | 代表は7月に入ると、大蛇の頭に入れる札2枚とデンガクと呼ばれる小幣を愛知県の津島神社で受けて来る。スライド枠には「各戸に配布されるデンガク」「津島神の札 7月初に配られる」と記される。 | 津市白塚町 | 1987.07.11 |
3466 | 津やぶねり1-3 | 7月11日は神社で、ヤブと呼ばれる青竹製の大蛇作りから始まる。スライド枠には「9:30より八雲神社境内でヤブ作り」と記される。 | 津市白塚町 | 1987.07.11 |
3467 | 津やぶねり1-4 | 7月11日は神社で、ヤブと呼ばれる青竹製の大蛇作りから始まる。スライド枠には「8本の竹をつなぐ頭部」と記される。 | 津市白塚町 | 1987.07.11 |
3468 | 津やぶねり1-5 | 7月11日は、神社でヤブと呼ばれる青竹製の大蛇作りから始まる。頭の部分に津島神社の札とユリの花を入れてワラを巻き縄でかがっていく。ユリの花はヤマタノオロチの目と言われ、出来上がったヤブは神社の鳥居にくくりつけられる。 | 津市白塚町 | 1987.07.11 |
3469 | 津やぶねり1-6 | こうして北、中、山敷の3地区から2尾ずつ計6尾のヤブが作られる。スライド枠には「62.7.11」と記される。 | 津市白塚町 | 1987.07.11 |
3470 | 津やぶねり1-7 | 幟の張り綱には19歳の厄の女性が付けた赤いサル人形が下げられている。 | 津市白塚町 | 1987.07.11 |
3471 | 津やぶねり1-8 | ホラ貝が吹かれ、若者により幟の柱が倒される。 | 津市白塚町 | 1987.07.11 |
3472 | 津やぶねり1-9 | 大蛇が通る道筋の家では玄関口に丸太組みをして防備する。スライド枠には「防護さく」と記される。 | 津市白塚町 | 1987.07.11 |
3473 | 津やぶねり1-10 | 夕刻7時ころ、神社の提灯に灯りがともると、各組の青年たちは最初のお参りの場所である東郷地蔵に向かう。スライド枠には「夕方の八雲神社」と記される。 | 津市白塚町 | 1987.07.11 |
3474 | 津やぶねり1-11 | 八雲神社横の金毘羅様でお祓いを受ける。 | 津市白塚町 | 1987.07.11 |
3475 | 津やぶねり1-12 | 代表が玉串を納め、お神酒をいただきヤブ頭にもお神酒を注ぐとヤブの出発である。 | 津市白塚町 | 1987.07.11 |
3476 | 津やぶねり1-13 | 金毘羅社の前で「ヨイヨイヨイ」と3回ヤブを上げ、気勢を上げると町内に練り出して行く。 | 津市白塚町 | 1987.07.11 |
3477 | 津やぶねり1-14 | 町内に入ると各辻々で「ヤラッチャヤラッチャ」と激しくもみ合う。 | 津市白塚町 | 1987.07.11 |
3478 | 津やぶねり1-15 | ヤブに水が掛けられると、若者たちの熱気で湯気が立つ。 | 津市白塚町 | 1987.07.11 |
3479 | 津やぶねり1-16 | ヤブに水が掛けられると、若者たちの熱気で湯気が立つ。 | 津市白塚町 | 1987.07.11 |
3480 | 津やぶねり1-17 | 20分~30分も練るとヤブの尾はちぎれ、竹がささくれ立ってくる。 | 津市白塚町 | 1987.07.11 |
3481 | 津やぶねり1-18 | ヤブは「オバケ」と呼ぶ無印の高張提灯を先頭に海に向かう。海に着くと先ず高張提灯が海に入り笹竹を立てる。 | 津市白塚町 | 1987.07.11 |
3482 | 津やぶねり1-19 | ヤブの頭を北に向けて海に浮かべると「ヨイヨイヨイ」と3回大声で唱えごとをして海に流す。 | 津市白塚町 | 1987.07.11 |
3483 | 津やぶねり2-1 | 町内のヤブネリの様子。ヤラッチャヤラッチャの声が響く。 | 津市白塚町 | 1987.07.11 |
3484 | 津やぶねり2-2 | 朝から作った4本のヤブは、八雲神社の鳥居にからげられ、夕刻の式典を待つ。 | 津市白塚町 | 1987.07.11 |
3485 | 津やぶねり2-3 | 練り終えたヤブを海に流しに行く。若者に担がれ海に向かうヤブ。 | 津市白塚町 | 1987.07.11 |
3486 | 津やぶねり2-4 | 祭の後、幟の柱を社務所横の物置小屋に片付ける。 | 津市白塚町 | 1987.07.11 |
3487 | 津やぶねり2-5 | 祭典が行われる八雲神社。 | 津市白塚町 | 1987.07.11 |
3488 | 津やぶねり2-6 | 海に流されるヤブ。 | 津市白塚町 | 1987.07.11 |
3489 | 津やぶねり2-7 | 砂浜近くの草むらを海に向かう、役目を終えたヤブ。 | 津市白塚町 | 1987.07.11 |
3490 | 礫浦天王祭1-1 | 悪疫除けの神とされる牛頭天王の祭り。天王丸と呼ばれる白木造りの舟(全長270㎝、幅60㎝ほど)に6体の人形を乗せて流す。舟には天王丸と書かれた幟と2つの提灯が付けられる。スライド枠には「63.7.14」と記される。 参考文献:在中「野村史隆メモ」/「海の博物館 展示用スライドナレーション原紙(祭、その他)」綴(以下キャプションは同文献を参照) | 度会郡南伊勢町礫浦 | 1988.07.14 |
3491 | 礫浦天王祭1-2 | 天王丸と呼ばれる白木造りの舟(全長270㎝、幅60㎝ほど)に6体の人形を乗せて流す。舟には天王丸と書かれた幟と2つの提灯が付けられる。スライド枠には「63.7.14」と記される。 | 度会郡南伊勢町礫浦 | 1988.07.14 |
3492 | 礫浦天王祭1-3 | 村びとは天王さんのワラツトと竹の松明を持ってお参りに来る。ワラツトは天王丸に乗せ、松明は後続のリヤカーに置いていく。スライド枠には「63.7.14」と記される。 | 度会郡南伊勢町礫浦 | 1988.07.14 |
3493 | 礫浦天王祭1-4 | 天王丸に乗せる人形のアップ。顔はピーマンで作られる。スライド枠には「63.7.14」と記される。 | 度会郡南伊勢町礫浦 | 1988.07.14 |
3494 | 礫浦天王祭1-5 | 村びとは天王さんのワラツトと竹の松明を持ってお参りに来る。ワラツトは天王丸に乗せ、松明は後続のリヤカーに乗せていく。スライド枠には「63.7.14」と記される。 | 度会郡南伊勢町礫浦 | 1988.07.14 |
3495 | 礫浦天王祭1-6 | 夕方5時、天王丸が漁業組合を出発する。スライド枠には「63.7.14」と記される。 | 度会郡南伊勢町礫浦 | 1988.07.14 |
3496 | 礫浦天王祭1-7 | 夕方5時、天王丸が漁業組合を出発する。後ろには竹の松明を乗せるリヤカーが追随する。スライド枠には「63.7.14」と記される。 | 度会郡南伊勢町礫浦 | 1988.07.14 |
3497 | 礫浦天王祭1-8 | 行列は悪疫を追いやる竹の松明、ホラ貝、天王丸の順で進む。一行はホラ貝を鳴らし、「トートーと送れ、津島の浜へ」と唱えながら村を回って行く。スライド枠には「63.7.14」と記される。 | 度会郡南伊勢町礫浦 | 1988.07.14 |
3498 | 礫浦天王祭1-9 | 組合で納めなかった村びとは、天王丸が回ってくるとそれぞれワラツトと竹の松明を持って出迎える。ワラツトは天王丸に乗せ、松明は後続のリヤカーに乗せていく。スライド枠には「63.7.14」と記される。 | 度会郡南伊勢町礫浦 | 1988.07.14 |
3499 | 礫浦天王祭1-10 | 一行は村中を回り、最後にニワの浜に向かう。ワラツトは天王丸に乗せ、竹の松明は後続のリヤカーに乗せていく。スライド枠には「63.7.14」と記される。 | 度会郡南伊勢町礫浦 | 1988.07.14 |
3500 | 礫浦天王祭1-11 | 浜に着くと天王丸は担がれ、海に向かう。スライド枠には「63.7.14」と記される。 | 度会郡南伊勢町礫浦 | 1988.07.14 |
3501 | 礫浦天王祭1-12 | 海に向かってニワの浜に置かれた天王丸。スライド枠には「63.7.14」と記される。 | 度会郡南伊勢町礫浦 | 1988.07.14 |
3502 | 礫浦天王祭1-13 | 海に浮かべられた天王丸。組合員によって沖出しされる。スライド枠には「63.7.14」と記される。 | 度会郡南伊勢町礫浦 | 1988.07.14 |
3503 | 礫浦天王祭1-14 | 浜では各家から集まった竹の松明に火を点け、送り火を焚く。スライド枠には「63.7.14」と記される。 | 度会郡南伊勢町礫浦 | 1988.07.14 |
3504 | 礫浦天王祭1-15 | 浜でホラ貝を吹きながら天王丸を見送る組合員。スライド枠には「63.7.14」と記される。 | 度会郡南伊勢町礫浦 | 1988.07.14 |
3505 | 礫浦天王祭1-16 | 舟流しの後は灯篭流し。子どもたちによって自分の願いを書いた灯篭が港から流される。スライド枠には「63.7.14」と記される。 | 度会郡南伊勢町礫浦 | 1988.07.14 |
3506 | 礫浦天王祭1-17 | 夜になると村びとの踊りが始まる。スライド枠には「63.7.14」と記される。 | 度会郡南伊勢町礫浦 | 1988.07.14 |
3507 | 礫浦天王祭2-1 | 一行は村中を回り、最後にニワの浜に向かう。ワラツトは天王丸に乗せ、竹の松明は後続のリヤカーに乗せていく。スライド枠には「63.7.14」と記される。 | 度会郡南伊勢町礫浦 | 1988.07.14 |
3508 | 礫浦天王祭2-2 | ワラツトと竹の松明を持って天王丸に乗せに行く高齢の女性のアップ。スライド枠には「63.7.14」と記される。 | 度会郡南伊勢町礫浦 | 1988.07.14 |
3509 | 礫浦天王祭2-3 | 村びとは舟が来るのを待ち受けていて、ワラツトと竹の松明を入れていく。スライド枠には「63.7.14」と記される。 | 度会郡南伊勢町礫浦 | 1988.07.14 |
3510 | 礫浦天王祭2-4 | 自分の願いを書いた灯篭を持つ子どもたち。スライド枠には「63.7.14」と記される。 | 度会郡南伊勢町礫浦 | 1988.07.14 |
3511 | 礫浦天王祭2-5 | リヤカーに竹の松明を乗せている様子。松明は送り火用である。スライド枠には「63.7.14」と記される。 | 度会郡南伊勢町礫浦 | 1988.07.14 |
3512 | 礫浦天王祭2-6 | 村中を回り終え、ニワの浜に置かれた天王丸。スライド枠には「63.7.14」と記される。 | 度会郡南伊勢町礫浦 | 1988.07.14 |
3513 | 礫浦天王祭2-7 | 村中の人びとの見守る中、海に流される天王丸。スライド枠には「63.7.14」と記される。 | 度会郡南伊勢町礫浦 | 1988.07.14 |
3514 | 礫浦天王祭2-8 | ホラ貝を鳴らしながらセコ道を回り、ワラツトと竹の松明を集める。スライド枠には「63.7.14」と記される。 | 度会郡南伊勢町礫浦 | 1988.07.14 |
3515 | 宿浦天王祭1-1 | 津島祭の前夜祭として7月13日、白木の舟を浜で燃やす行事。地元では「オイヤレ」と呼ぶ。白木の舟には丸二の印の帆を付け、悪疫退散の願いを込め舟を浜で燃やす。参考文献:在中「野村史隆メモ」/「海の博物館 展示用スライドナレーション原紙(祭、その他)」綴(以下キャプションは同文献を参照) 提灯、ホラ貝、カネ、オイヤレ舟の順で村中を回る。スライド枠には「63.7.13」と記される。 | 度会郡南伊勢町宿浦 | 1988.07.13 |
3516 | 宿浦天王祭1-2 | オイヤレ舟におひねりを入れる村びと。スライド枠には「63.7.13」と記される。 | 度会郡南伊勢町宿浦 | 1988.07.13 |
3517 | 宿浦天王祭1-3 | オイヤレ舟のアップ。舟は白木の大工が作ったもので、丸二の印を書いた帆と幟が立てられる。スライド枠には「63.7.13」と記される。 | 度会郡南伊勢町宿浦 | 1988.07.13 |
3518 | 宿浦天王祭1-4 | 帆柱の先に付けられたツバキの実で作った人面、ギボシ。スライド枠には「63.7.13」と記される。 | 度会郡南伊勢町宿浦 | 1988.07.13 |
3519 | 宿浦天王祭1-5 | 出発前、保存会、組合役員、総代などが集合し「祝い出し」と呼ぶ宴がもたれる。スライド枠には「63.7.13」と記される。 | 度会郡南伊勢町宿浦 | 1988.07.13 |
3520 | 宿浦天王祭1-6 | 丸二の提灯を先頭に、保存会の2人がオイヤレ舟を担いで村を回る。スライド枠には「63.7.13」と記される。 | 度会郡南伊勢町宿浦 | 1988.07.13 |
3521 | 宿浦天王祭1-7 | ホラ貝を吹いてオイヤレ舟が通ることを知らせる。スライド枠には「63.7.13」と記される。 | 度会郡南伊勢町宿浦 | 1988.07.13 |
3522 | 宿浦天王祭1-8 | ホラ貝でオイヤレ舟が来たことを知った村びとはオヒネリを供えに路上に出る。オヒネリの中には洗米、毛髪、小銭が入っている。スライド枠には「63.7.13」と記される。 | 度会郡南伊勢町宿浦 | 1988.07.13 |
3523 | 宿浦天王祭1-9 | ホラ貝でオイヤレ舟が来たことを知った村びとはオヒネリを供えに路上に出る。オヒネリの中には洗米、毛髪、小銭が入っている。スライド枠には「63.7.13」と記される。 | 度会郡南伊勢町宿浦 | 1988.07.13 |
3524 | 宿浦天王祭1-10 | 「オーヤレ、オヤレ津島の浜へ、ツーツーといきやれ」と声を掛けながら町内を回り終えたオイヤレ舟は、海辺に向かう。スライド枠には「63.7.13」と記される。 | 度会郡南伊勢町宿浦 | 1988.07.13 |
3525 | 宿浦天王祭1-11 | ホラ貝でオイヤレ舟が来たことを知った村びとはオヒネリを供えに路上に出る。オヒネリの中には洗米、毛髪、小銭が入っている。スライド枠には「63.7.13」と記される。 | 度会郡南伊勢町宿浦 | 1988.07.13 |
3526 | 宿浦天王祭1-12 | 浜に下ろしたオイヤレ舟に油をかけ火を放つ。スライド枠には「63.7.13」と記される。 | 度会郡南伊勢町宿浦 | 1988.07.13 |
3527 | 宿浦天王祭1-13 | 火が放たれ、勢いよく燃えるオイヤレ舟。スライド枠には「63.7.13」と記される。 | 度会郡南伊勢町宿浦 | 1988.07.13 |
3528 | 宿浦天王祭1-14 | 火が放たれ、勢いよく燃えるオイヤレ舟。スライド枠には「63.7.13」と記される。 | 度会郡南伊勢町宿浦 | 1988.07.13 |
3529 | 宿浦天王祭1-15 | 火が放たれ、勢いよく燃えるオイヤレ舟。スライド枠には「63.7.13」と記される。 | 度会郡南伊勢町宿浦 | 1988.07.13 |
3530 | 宿浦天王祭1-16 | 火が放たれ、勢いよく燃えるオイヤレ舟。スライド枠には「63.7.13」と記される。 | 度会郡南伊勢町宿浦 | 1988.07.13 |
3531 | 宿浦天王祭1-17 | 燃えつきたオイヤレ舟。オキだけになると舟に水が掛けられる。スライド枠には「63.7.13」と記される。 | 度会郡南伊勢町宿浦 | 1988.07.13 |
3532 | 宿浦天王祭1-18 | 燃えつきた後には賽銭だけが炭に混じって残る。それを子どもたちは公平に分けてもらう。もらったお金を家に持ち帰ることは嫌われるので、子どもたちはそのまま店に行き、使い果たす。スライド枠には「63.7.13」と記される。 | 度会郡南伊勢町宿浦 | 1988.07.13 |
3533 | 宿浦天王祭1-19 | 燃えつきた後には賽銭だけが炭に混じって残る。それを子どもたちは公平に分けてもらう。もらったお金を家に持ち帰ることは嫌われるので、子どもたちはそのまま店に行き、使い果たす。スライド枠には「63.7.13」と記される。 | 度会郡南伊勢町宿浦 | 1988.07.13 |
3534 | 宿浦天王祭2-1 | 燃えつきた後には賽銭だけが炭に混じって残る。それを子どもたちは公平に分けてもらう。もらったお金を家に持ち帰ることは嫌われるので、子どもたちはそのまま店に行き、使い果たす。スライド枠には「63.7.13」と記される。 | 度会郡南伊勢町宿浦 | 1988.07.13 |
3535 | 宿浦天王祭2-2 | 「オーヤレ、オヤレ津島の浜へ、ツーツーといきやれ」と声を掛けながら町内を回り終えたオイヤレ舟は、海辺に向かう。スライド枠には「63.7.13」と記される。 | 度会郡南伊勢町宿浦 | 1988.07.13 |
3536 | 宿浦天王祭2-3 | オイヤレ舟が、回って来るのを待つ女性。盆にはオヒネリが乗せられている。スライド枠には「63.7.13」と記される。 | 度会郡南伊勢町宿浦 | 1988.07.13 |
3537 | 宿浦天王祭2-4 | 村のセコをオイヤレ舟を担いで回る保存会のメンバー。スライド枠には「63.7.13」と記される。 | 度会郡南伊勢町宿浦 | 1988.07.13 |
3538 | 宿浦天王祭2-5 | 村を回り終えたオイヤレ舟を浜に置いたところ。スライド枠には「63.7.13」と記される。 | 度会郡南伊勢町宿浦 | 1988.07.13 |
3539 | 宿浦天王祭2-6 | オイヤレ舟の焼けた中からオヒネリに包まれていた賽銭を探す保存会の人。お金は子供たちに公平に分けられる。スライド枠には「63.7.13」と記される。 | 度会郡南伊勢町宿浦 | 1988.07.13 |
3540 | 菅島ジンカン舟1-1 | 菅島では8月31日の夕刻、ワラ舟を作り海に流すオイヤレ舟をジンカン舟、あるいはジンジ舟とも呼ぶ。オイヤレの風習は鳥羽の海岸地域に広く残っている。 浜に置かれて出発を待つジンカン舟。スライド枠には「63.8.31」と記される。 参考文献:在中「野村史隆メモ」/「海の博物館 展示用スライドナレーション原紙(祭、その他)」綴(以下キャプションは同文献を参照) | 鳥羽市菅島町 | 1990.08.31 |
3541 | 菅島ジンカン舟1-2 | 祭り当日、早朝から寺で元老・中老と言われる島の老人たちにより、長さ200㎝・幅55㎝のワラ舟が作られる。材料のワラは新ワラを海水で清めたものである。スライド枠には「63.8.31」と記される。 | 鳥羽市菅島町 | 1990.08.31 |
3542 | 菅島ジンカン舟1-3 | 完成した舟は、寺の本堂に安置され、出発の時を待つ。舟には1人の主人と6体の人形が乗せられ、中央に赤い帆を立て、五色の輪がミヨシ(船首)に掛けられる。スライド枠には「63.8.31」と記される。 | 鳥羽市菅島町 | 1990.08.31 |
3543 | 菅島ジンカン舟1-4 | 午後3時になると寺で子どもたちによる百万遍の数珠繰りが行われる。スライド枠には「63.8.31」と記される。 | 鳥羽市菅島町 | 1990.08.31 |
3544 | 菅島ジンカン舟1-5 | お経を唱え鉦がたたかれる中、子どもたちにより数珠繰りが行われる。スライド枠には「63.8.31」と記される。 | 鳥羽市菅島町 | 1990.08.31 |
3545 | 菅島ジンカン舟1-6 | 数珠のフサが手元に回ってくると、体の悪い部分にあてて回復を祈る。スライド枠には「63.8.31」と記される。 | 鳥羽市菅島町 | 1990.08.31 |
3546 | 菅島ジンカン舟1-7 | 百万遍が終わるとジンカン舟が本堂から出される。スライド枠には「63.8.31」と記される。 | 鳥羽市菅島町 | 1990.08.31 |
3547 | 菅島ジンカン舟1-8 | 本堂を出て境内に置かれた舟。出立ちのお神酒をいただき、出発する檀家総代。スライド枠には「63.8.31」と記される。 | 鳥羽市菅島町 | 1990.08.31 |
3548 | 菅島ジンカン舟1-9 | 寺を出発した一行。町名を記した箱ちょうちんを手に、鉦をたたきながら進む。スライド枠には「63.8.31」と記される。 | 鳥羽市菅島町 | 1990.08.31 |
3549 | 菅島ジンカン舟1-10 | 提灯・鉦・太鼓・住職・ジンカン舟の順で寺を出発する。一行は島の辻々を順に回り、辻で区切られた地区ごとに悪霊を追い出す。スライド枠には「63.8.31」と記される。 | 鳥羽市菅島町 | 1990.08.31 |
3550 | 菅島ジンカン舟1-11 | その後舟は浜(船着き場)に置かれる。舟の場所を知らせるために子どもがホラ貝を吹くと、島民がお供えをするために集まってくる。スライド枠には「63.8.31」と記される。 | 鳥羽市菅島町 | 1990.08.31 |
3551 | 菅島ジンカン舟1-12 | ホラ貝を吹く少年。スライド枠には「63.8.31」と記される。 | 鳥羽市菅島町 | 1990.08.31 |
3552 | 菅島ジンカン舟1-13 | 菅島の民家の仏壇。スライド枠には「63.8.31」と記される。 | 鳥羽市菅島町 | 1990.08.31 |
3553 | 菅島ジンカン舟1-14 | 島民はそれぞれお供え物をオヒネリにして、自分の身体をこすり、無病息災を祈って浜に置かれている舟に向かう。オヒネリを身体に当てて祈る女性。スライド枠には「63.8.31」と記される。 | 鳥羽市菅島町 | 1990.08.31 |
3554 | 菅島ジンカン舟1-15 | 午後3時ころになると女性たちが、舟の前に集まり、僧侶のお経をもらう。供え物を持ってきた人たちはまず、舟の横に置かれた竹かごに供え物を、そして舟にさい銭を入れて手を合わせる。スライド枠には「63.8.31」と記される。 | 鳥羽市菅島町 | 1990.08.31 |
3555 | 菅島ジンカン舟1-16 | ジンカン舟は、組合で用意した船にオモカジ(船の右側)から積み込まれ、鉦・太鼓を鳴らしながらシロンゴの浜の沖まで運ばれ、海に流される。菅島では流しに行く船と出会うのを嫌うため、この時間は漁に出ない。この行事が終わり、菅島の盆が終わる。スライド枠には「63.8.31」と記される。 | 鳥羽市菅島町 | 1990.08.31 |
3556 | 菅島ジンカン舟1-17 | 祭典が終わり、組合が用意した船までジンカン舟を運ぶ。スライド枠には「63.8.31」と記される。 | 鳥羽市菅島町 | 1990.08.31 |
3557 | 菅島ジンカン舟1-18 | お経の中、供え物を舟に入れて、祈りをささげる女性たち。スライド枠には「63.8.31」と記される。 | 鳥羽市菅島町 | 1990.08.31 |
3558 | 菅島ジンカン舟1-19 | お経の中、供え物を舟に入れて、祈りをささげる女性たち。スライド枠には「63.8.31」と記される。 | 鳥羽市菅島町 | 1990.08.31 |
3559 | 菅島ジンカン舟2-1 | ジンカン舟に乗せられた人形のアップ。スライド枠には「63.8.31」と記される。 | 鳥羽市菅島町 | 1990.08.31 |
3560 | 菅島ジンカン舟2-2 | 浜に置かれたジンカン舟に供え物を持ってきた島民たち。スライド枠には「63.8.31」と記される。 | 鳥羽市菅島町 | 1990.08.31 |
3561 | 菅島ジンカン舟2-3 | 浜に置かれたジンカン舟に供え物を持ってきた島民たち。スライド枠には「63.8.31」と記される。 | 鳥羽市菅島町 | 1990.08.31 |
3562 | 菅島ジンカン舟2-4 | ジンカン舟を乗せて沖へ流しに行く船の出港。スライド枠には「63.8.31」と記される。 | 鳥羽市菅島町 | 1990.08.31 |
3563 | 菅島ジンカン舟2-5 | ジンカン舟は、組合で用意した船にオモカジ(船の右側)から積み込まれ、鉦・太鼓を鳴らしながらシロンゴの浜の沖まで運ばれ海に流される。菅島では流しに行く船と出会うのを嫌うため、この時間は漁に出ない。この行事が終わり、菅島の盆が終わる。スライド枠には「63.8.31」と記される。 | 鳥羽市菅島町 | 1990.08.31 |
3564 | 菅島ジンカン舟2-6 | お経を唱え鉦がたたかれる中、子どもたちにより数珠繰りが行われる。スライド枠には「63.8.31」と記される。 | 鳥羽市菅島町 | 1990.08.31 |
3565 | 菅島ジンカン舟2-7 | 完成した舟は、寺の本堂に安置され、出発の時を待つ。舟には1人の主人と6体の人形が乗せられ、中央に赤い帆を立て、五色の輪がミヨシ(船首)に掛けられる。スライド枠には「63.8.31」と記される。 | 鳥羽市菅島町 | 1990.08.31 |
3566 | 菅島ジンカン舟2-8 | 提灯・鉦・太鼓・住職・ジンカン舟の順で寺を出発する。一行は、島の辻々を順に回り、辻で区切られた地区ごとに悪霊を追い出す。スライド枠には「63.8.31」と記される。 | 鳥羽市菅島町 | 1990.08.31 |
3567 | 桃取オイヤレ舟1-1 | 鳥羽地域では、盆月の最後にワラ舟を作って海に流す風習が広く残っている。桃取ではオイヤレと言い、野菜で作った人形を乗せるという、独特の形を残している。 ワラ舟をリヤカーに乗せて町内を回るガチビトと呼ばれる世話役。スライド枠には「62.8.31」と記される。 参考文献:在中「野村史隆メモ」/『鳥羽市史』平成3年発行(以下キャプションは同文献を参照) | 鳥羽市桃取町 | 1987.08.31 |
3568 | 桃取オイヤレ舟1-2 | 当日の早朝からガチビトと呼ばれる世話役が青竹の骨組みに新ワラを巻いて長さ約200㎝・幅90㎝の大きさに舟を仕上げていく。スライド枠には「62.8.31」と記される。 | 鳥羽市桃取町 | 1987.08.31 |
3569 | 桃取オイヤレ舟1-3 | 当日は早朝からガチビトと呼ばれる世話役が青竹の骨組みに新ワラを巻いて長さ約200㎝・幅90㎝の大きさに舟を仕上げていく。スライド枠には「62.8.31」と記される。 | 鳥羽市桃取町 | 1987.08.31 |
3570 | 桃取オイヤレ舟1-4 | 当日は早朝からガチビトと呼ばれる世話役が青竹の骨組みに新ワラを巻いて長さ約200㎝・幅90㎝の大きさに舟を仕上げていく。スライド枠には「62.8.31」と記される。 | 鳥羽市桃取町 | 1987.08.31 |
3571 | 桃取オイヤレ舟1-5 | 舟の帆には丸十の印と「うないらが 青竹もちてオイヤレと払う悪魔を乗せて行くなり」の文句が書かれている。仕上がった舟をリヤカーに乗せ出発するところ。スライド枠には「62.8.31」と記される。 | 鳥羽市桃取町 | 1987.08.31 |
3572 | 桃取オイヤレ舟1-6 | オイヤレ舟の材料となる新ワラと帆となる紙を整える2人の高齢の女性。スライド枠には「62.8.31」と記される。 | 鳥羽市桃取町 | 1987.08.31 |
3573 | 桃取オイヤレ舟1-7 | 20㎝ほどのワラ人形に半紙で作った裃を着せて胴体を完成させる。両袖に丸十の印を入れる。スライド枠には「62.8.31」と記される。 | 鳥羽市桃取町 | 1987.08.31 |
3574 | 桃取オイヤレ舟1-8 | 頭部はナスビを串に刺して作る。鼻はトウガラシ、眉毛はトウモロコシのひげ、目はマメ、口はケイトウの花を使って顔を仕上げる。スライド枠には「62.8.31」と記される。 | 鳥羽市桃取町 | 1987.08.31 |
3575 | 桃取オイヤレ舟1-9 | 桃取では人形をデッコロボと呼ぶ。デッコロボにはさい銭となる5円玉をタスキに掛けにして持たせる。スライド枠には「62.8.31」と記される。 | 鳥羽市桃取町 | 1987.08.31 |
3576 | 桃取オイヤレ舟1-10 | 竹に白、黄、緑、赤色のシデを結ぶ。タンザク笹と呼ぶ。スライド枠には「62.8.31」と記される。 | 鳥羽市桃取町 | 1987.08.31 |
3577 | 桃取オイヤレ舟1-11 | 人形とタンザク笹ができると、各家では一時仏壇に供える。スライド枠には「62.8.31」と記される。 | 鳥羽市桃取町 | 1987.08.31 |
3578 | 桃取オイヤレ舟1-12 | 午後になると各家ごとに、仏壇に供えてあった人形とタンザク笹を持って広場に向かう。スライド枠には「62.8.31」と記される。 | 鳥羽市桃取町 | 1987.08.31 |
3579 | 桃取オイヤレ舟1-13 | 広場に安置されているオイヤレ舟にデッコロボを乗せ、洗米を入れたオヒネリを供える。スライド枠には「62.8.31」と記される。 | 鳥羽市桃取町 | 1987.08.31 |
3580 | 桃取オイヤレ舟1-14 | 広場に安置されているオイヤレ舟にデッコロボを乗せ、洗米を入れたオヒネリを供える。タンザク笹も舟の横に置いていく。スライド枠には「62.8.32」と記される。 | 鳥羽市桃取町 | 1987.08.31 |
3581 | 桃取オイヤレ舟1-15 | デッコロボは、各家毎にさまざまな表情をしている。スライド枠には「オイヤレのデッコロボ」と記される。 | 鳥羽市桃取町 | 1987.08.31 |
3582 | 桃取オイヤレ舟1-16 | デッコロボは、各家毎にさまざまな表情をしている。一軒に一体ずつ持ち寄られたデッコロボは二百数十体にもなる。スライド枠には「62.8.31」と記される。 | 鳥羽市桃取町 | 1987.08.31 |
3583 | 桃取オイヤレ舟1-17 | デッコロボを乗せ終わると、出発に当たり町内会長があいさつをする。スライド枠には「62.8.31」と記される。 | 鳥羽市桃取町 | 1987.08.31 |
3584 | 桃取オイヤレ舟2-1 | 世話役であるガチビトらに引かれ、提灯・鉦代わりのガンガン・オイヤレ舟・タンザク笹の順で村中を練る。スライド枠には「62.8.31」と記される。 | 鳥羽市桃取町 | 1987.08.31 |
3585 | 桃取オイヤレ舟2-2 | 先頭を行く提灯。スライド枠には「62.8.31」と記される。 | 鳥羽市桃取町 | 1987.08.31 |
3586 | 桃取オイヤレ舟2-3 | 最後のタンザク笹は悪魔を追い払うものである。ガンガンを叩くガチビト。スライド枠には「62.8.32」と記される。 | 鳥羽市桃取町 | 1987.08.31 |
3587 | 桃取オイヤレ舟2-4 | オイヤレ舟は港に着くと、クジ引きで決定した東西南北のどれかの積み出し場から船に乗せられ、沖合に流される。ガチビトに引かれるオイヤレ舟。スライド枠には「62.8.31」と記される。 | 鳥羽市桃取町 | 1987.08.31 |
3588 | 桃取オイヤレ舟2-5 | オイヤレ舟を沖に流しに行く船。スライド枠には「62.8.31」と記される。 | 鳥羽市桃取町 | 1987.08.31 |
3589 | 桃取オイヤレ舟2-6 | オイヤレ舟を沖に流しに行く船。スライド枠には「63.8.32」と記される。 | 鳥羽市桃取町 | 1987.08.31 |
3590 | 桃取オイヤレ舟2-7 | デッコロボの顔のアップ。頭部はナスビを串に刺して作る。鼻はトウガラシ、眉毛はトウモロコシのひげ、目はマメ、口はケイトウの花を使って顔を仕上げる。スライド枠には「62.8.31」と記される。 | 鳥羽市桃取町 | 1987.08.31 |
3591 | 桃取オイヤレ舟2-8 | 各家から持ち寄ったデッコロボに見入る住民。 | 鳥羽市桃取町 | 1987.08.31 |
3592 | 桃取オイヤレ舟2-9 | オイヤレ舟を沖に流しに行く船。スライド枠には「オンヤレ流し」「63.8.31」と記される。 | 鳥羽市桃取町 | 1987.08.31 |
3593 | 桃取オイヤレ舟2-10 | オイヤレ舟を沖に流しに行く船。スライド枠には「オイヤレ」と記される。 | 鳥羽市桃取町 | 1987.08.31 |
3594 | 飯野神社の長太鯨船行事1-1 | 伊勢湾に迷い込んだ鯨を銛で仕留めるという古式鯨漁法を模した、神に様々な祈願を行う祭り。毎年10月の第二土曜・日曜に長太(なご)の飯野神社の秋祭りにて行われる。 鯨船は全長6mの山車(だし)で総漆塗り、舳先には彫り物がほどこされ、金箔がはられている。更に船首には3本の鉾が立てられ、水押しには大房が下げられる。船には踊り子と呼ばれるハザシ(突き手)の少年と太鼓打ちが乗る。 参考文献:在中「野村史隆メモ」/「海の博物館 展示用スライドナレーション原紙(祭、その他)」綴(以下キャプションは同文献を参照) | 鈴鹿市長太旭町 | 1991.10.09 |
3595 | 飯野神社の長太鯨船行事1-2 | 飯野神社の境内には提灯が飾られ、「飯野神社氏子中」の幟が2本立てられる。 | 鈴鹿市長太旭町 | 1991.10.09 |
3596 | 飯野神社の長太鯨船行事1-3 | 鯨船は「天王丸」と呼ばれている。 | 鈴鹿市長太旭町 | 1991.10.09 |
3597 | 飯野神社の長太鯨船行事1-4 | 鯨船の五尺(前の波よけ)には立派な彫刻がなされている。 | 鈴鹿市長太旭町 | 1991.10.09 |
3598 | 飯野神社の長太鯨船行事1-5 | ハザシ(突き手)が座る場所には3本の銛が飾られる。 | 鈴鹿市長太旭町 | 1991.10.09 |
3599 | 飯野神社の長太鯨船行事1-6 | 町内を回る鯨船と鯨。張り子の鯨は、セミクジラを模してあり、ひげにはソテツの葉が用いられている。 | 鈴鹿市長太旭町 | 1991.10.09 |
3600 | 飯野神社の長太鯨船行事1-7 | セミクジラを模した張り子の鯨は約4mの長さで、竹の骨組みに布を張り、ひげにはソテツの葉が用いられている。 | 鈴鹿市長太旭町 | 1991.10.09 |
3601 | 飯野神社の長太鯨船行事1-8 | 町に繰り出した鯨船の前を2人の男性が入った張り子の鯨が泳ぐ。 | 鈴鹿市長太旭町 | 1991.10.09 |
3602 | 飯野神社の長太鯨船行事1-9 | 鯨船の周囲を泳ぐ張り子の鯨。 | 鈴鹿市長太旭町 | 1991.10.09 |
3603 | 飯野神社の長太鯨船行事1-10 | 船のヘサキでハザシの少年が踊り始めると、鯨はにわかに激しく踊り始める。 | 鈴鹿市長太旭町 | 1991.10.09 |
3604 | 飯野神社の長太鯨船行事1-11 | 「沖のかもめにセミがつく」と突き歌が歌われ、日の丸の鉢巻をしたハザシの少年が扇を広げて額にかざす。 | 鈴鹿市長太旭町 | 1991.10.09 |
3605 | 飯野神社の長太鯨船行事1-12 | ハザシの少年は扇を持つ手をゆっくり左右に回し、扇を突き出してひらひらと振る。 | 鈴鹿市長太旭町 | 1991.10.09 |
3606 | 飯野神社の長太鯨船行事1-13 | ハザシの少年は扇を持つ手をゆっくり左右に回し、扇を突き出してひらひらと振る。この所作を8回繰り返して、船は後戻りをする。 | 鈴鹿市長太旭町 | 1991.10.09 |
3607 | 飯野神社の長太鯨船行事1-14 | はやし文句が「浮いたぞ、ヨシタヨシタ」と変わるとハザシの少年は銛を持つ。 | 鈴鹿市長太旭町 | 1991.10.09 |
3608 | 飯野神社の長太鯨船行事1-15 | はやし文句が「浮いたぞ、ヨシタヨシタ」と変わるとハザシの少年は銛を持ち、鯨を突く所作で鯨を狙う。 | 鈴鹿市長太旭町 | 1991.10.09 |
3609 | 飯野神社の長太鯨船行事1-16 | 突かれた鯨は頭を高く上げ、荒れ狂いながら逃げる。踊りの間は船を停止し、保存会の男性たちが船を支える。 | 鈴鹿市長太旭町 | 1991.10.09 |
3610 | 飯野神社の長太鯨船行事1-17 | ハザシの少年は、左手を腰に右手を額に当てて、鯨の様子を見る。 | 鈴鹿市長太旭町 | 1991.10.09 |
3611 | 飯野神社の長太鯨船行事2-1 | 「めでためでたの鯨を突いて」と歌い、「これも天王のごりしょうかい、おめでたや」とはやされる。 | 鈴鹿市長太旭町 | 1991.10.09 |
3612 | 飯野神社の長太鯨船行事2-2 | 町内の主だった家や新築した家、寄付があった家などの前で鯨突きの所作を行う。こうして1軒の家で所作を終えると、ヘサキを高く上げて方向を変える。 | 鈴鹿市長太旭町 | 1991.10.09 |
3613 | 飯野神社の長太鯨船行事2-3 | 船尾を1回上げて、鯨船の大きな揺れを示して次の家へ向かう。 | 鈴鹿市長太旭町 | 1991.10.09 |
3614 | 飯野神社の長太鯨船行事2-4 | 船尾を1回上げて、鯨船の大きな揺れを示して次の家へ向かう。 | 鈴鹿市長太旭町 | 1991.10.09 |
3615 | 飯野神社の長太鯨船行事2-5 | 鯨船の前を行く張り子の鯨。 | 鈴鹿市長太旭町 | 1991.10.09 |
3616 | 飯野神社の長太鯨船行事2-6 | 町内の主だった家や新築した家、寄付があった家などの前で鯨突きの所作を行う。家々からは祝儀が渡される。 | 鈴鹿市長太旭町 | 1991.10.09 |
3617 | 飯野神社の長太鯨船行事2-7 | 祭の日の提灯飾り。 | 鈴鹿市長太旭町 | 1991.10.09 |
3618 | 飯野神社の長太鯨船行事2-8 | 長太のセコ道。 | 鈴鹿市長太旭町 | 1991.10.09 |
3619 | 二木島関船祭1-1 | 祭りの由来は、神武天皇東征の際、熊野灘で嵐に遭った一行を救おうとして住民が早船で向かった様子に由来すると言われている。二木島の室古神社と阿古師神社の祭礼に当たり、関船で漕ぎ合いをする勇壮な祭りである。昔は春と秋の年2回行っていたが、現在(平成元年)は11月3日に行うのみとなった。 スライド枠には「当ヤ」と記される。 参考文献:「海の博物館 展示用スライドナレーション原紙(祭、その他)」綴/『熊野市の文化財』平成2年発行(以下キャプションは同文献を参照) | 熊野市二木島 | 1989.11.03 |
3620 | 二木島関船祭1-2 | 祭の主役を務める祷屋をショウドサンと呼ぶ。ショウドサンは祭りの1週間前からオカリヤサンと呼ぶ神棚を自宅の縁側から突き出たように作り、精進する。民家の外から撮影されたオカリヤサン。スライド枠には「オカリヤサン」と記される。 | 熊野市二木島 | 1989.11.03 |
3621 | 二木島関船祭1-3 | 海上から撮影した祭当日の室古神社の遠景。鳥居前と参道に幟が見える。スライド枠には「室古神社」と記される。 | 熊野市二木島 | 1989.11.03 |
3622 | 二木島関船祭1-4 | オカリヤサンには室古(むろこ)、阿古師(あこし)両神社のお札を祀る。内側から撮影されたオカリヤサン。 | 熊野市二木島 | 1989.11.03 |
3623 | 二木島関船祭1-5 | ショウドサンが一週間潮垢離をするコリトリ場。三方はムシロで囲まれ、入口にはしめ縄が張られている。 | 熊野市二木島 | 1989.11.03 |
3624 | 二木島関船祭1-6 | 祭りの日の早朝、ショウドサンは最後の潮垢離をとると、座敷でひげを剃り、大紋に着替えて正装する。更に長数珠を掛け、扇を背に挿して出発する。 | 熊野市二木島 | 1989.11.03 |
3625 | 二木島関船祭1-7 | 浜では長さ約12mの関船に、黒のサガリや幕などが張られる。きれいに飾られた関船はもうすぐ始まる漕ぎ合いを待つ。 | 熊野市二木島 | 1989.11.03 |
3626 | 二木島関船祭1-8 | 朝8時、化粧を済ませたカズトモと呼ばれる幼女やオドリコ、カズツキ、サカイキバヤシと共に出立のお神酒が振舞われる。 | 熊野市二木島 | 1989.11.03 |
3627 | 二木島関船祭1-9 | 出立のお神酒が済むと、カズトモ、オドリコは役員に抱かれて関船に向かう。 | 熊野市二木島 | 1989.11.03 |
3628 | 二木島関船祭1-10 | ショウドサンもサカイキバヤシと共に浜に向かう。 | 熊野市二木島 | 1989.11.03 |
3629 | 二木島関船祭1-11 | 浜に着くと関船に乗り込む。ショウドサンは傘をさしてトモに座り、カズトモと呼ばれる幼女は船底に閉じ込められる。 | 熊野市二木島 | 1989.11.03 |
3630 | 二木島関船祭1-12 | 最初に立ち寄る室古神社に向けて漕ぎ出す2艘の関船。 | 熊野市二木島 | 1989.11.03 |
3631 | 二木島関船祭1-13 | 室古神社で全員が下船し、神前にお参りした後神事を行う。境内にムシロを敷いてショウドサン以下カズトモ全員が座る。 | 熊野市二木島 | 1989.11.03 |
3632 | 二木島関船祭1-14 | 境内に敷いたムシロにまな板を置き、持参したコガツオの掛魚を料理して、杯事が行われる。スライド枠には「カバチ」と記される。 | 熊野市二木島 | 1989.11.03 |
3633 | 二木島関船祭1-15 | 境内に敷いたムシロにまな板を置き、持参したコガツオの掛魚を料理して、杯事が行われる。 | 熊野市二木島 | 1989.11.03 |
3634 | 二木島関船祭1-16 | 境内に掛けられた掛魚。 | 熊野市二木島 | 1989.11.03 |
3635 | 二木島関船祭1-17 | 船はヤライ(木組み)・五色の慢幕・吹流し・薙刀・槍・天目・和太鼓・ミヨシの水引などで飾り立てられている。 | 熊野市二木島 | 1989.11.03 |
3636 | 二木島関船祭1-18 | 関船が阿古師神社を出発するころ、着飾った幼いオドリコがミヨシに立ってゆっくり舞う。 | 熊野市二木島 | 1989.11.03 |
3637 | 二木島関船祭1-19 | 舳先に絡まったロープを直す | 熊野市二木島 | 1989.11.03 |
3638 | 二木島関船祭2-1 | 二木島を目指して競漕する2艘の関船。 | 熊野市二木島 | 1989.11.03 |
3639 | 二木島関船祭2-2 | 二木島を目指して競漕する2艘の関船。 | 熊野市二木島 | 1989.11.0 03 |
3640 | 二木島関船祭1-1 | 御船祭、二船祭とも呼ばれ、毎年11月18日、風宮社と白髭神社の祭礼として行われる競漕神事である。以前は11月16日から18日の3日間行われていた。 参考文献:在中「野村史隆メモ」/「海の博物館 展示用スライドナレーション原紙(祭、その他)」綴/『鳥羽市史』平成3年発行(以下キャプションは同文献を参照) | 鳥羽市国崎町 | 1989.11.18 |
3641 | 二木島関船祭1-2 | 人びとが見守る中、前浜を目がけ漕ぎ手4人、舵取り1人が乗って競漕する2艘の船。スライド枠には「村びとは応援をする」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1989.11.18 |
3642 | 二木島関船祭1-3 | 人びとが見守る中、前浜を目がけ漕ぎ手4人、舵取り1人が乗って競漕する2艘の船。スライド枠には「二船祭国崎」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1989.11.18 |
3643 | 二木島関船祭1-4 | 人びとが見守る中、前浜を目がけ漕ぎ手4人、舵取り1人が乗って競漕する2艘の船。スライド枠には「二船祭」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1989.11.18 |
3644 | 二木島関船祭1-5 | 競漕前、舳先を陸に向けてそろえた2艘の船。スライド枠には「二船祭 浜の2舟」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1989.11.18 |
3645 | 二木島関船祭1-6 | 大老たちが作った、シゲと呼ばれる縁起物をミヨシに供える。 | 鳥羽市国崎町 | 1989.11.18 |
3646 | 二木島関船祭1-7 | 人びとが見守る中、前浜を目がけ漕ぎ手4人、舵取り1人が乗って競漕する2艘の船。スライド枠には「二船祭-2」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1989.11.18 |
3647 | 二木島関船祭1-8 | 波打ち際で洗米などのお供えをする高齢の女性。 | 鳥羽市国崎町 | 1989.11.18 |
3648 | 二木島関船祭1-9 | 人びとが見守る中、前浜を目がけ漕ぎ手4人、舵取り1人が乗って競漕する2艘の船。 | 鳥羽市国崎町 | 1989.11.18 |
3649 | 二木島関船祭1-10 | 人びとが見守る中、前浜を目がけ漕ぎ手4人、舵取り1人が乗って競漕する2艘の船。 | 鳥羽市国崎町 | 1989.11.18 |
3650 | 二木島関船祭1-11 | 大老たちによりミズの木と言われるヤシャブシで、2艘のお供え用の舟が作られる。帆もミズの木の皮を編んで作られる。スライド枠には「89年」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1989.11.18 |
3651 | 国崎二船祭2-1 | 大老たちによりミズの木と言われるヤシャブシで、2艘のお供え用の舟が作られる。帆もミズの木の皮を編んで作られる。 | 鳥羽市国崎町 | 1989.11.18 |
3652 | 国崎二船祭2-2 | 大老たちによりミズの木と言われるヤシャブシで、2艘のお供え用の舟が作られる。帆もミズの木の皮を編んで作られる。 | 鳥羽市国崎町 | 1989.11.18 |
3653 | 国崎二船祭2-3 | 大老たちによりミズの木と言われるヤシャブシで、2艘のお供え用の舟が作られる。帆もミズの木の皮を編んで作られる。 | 鳥羽市国崎町 | 1989.11.18 |
3654 | 国崎二船祭2-4 | シゲ(ミズの木に削りかけを挟んだヤバネを榊の枝にしばったもの)という縁起物も同時に作られる。出来上がったシゲ。束の方は神の島に供える。 | 鳥羽市国崎町 | 1989.11.18 |
3655 | 国崎二船祭2-5 | シゲ(ミズの木に削りかけを挟んだヤバネを榊の枝にしばったもの)という縁起物も同時に作られる。 | 鳥羽市国崎町 | 1989.11.18 |
3656 | 国崎二船祭2-6 | 制作された舟とシゲは海女潜女神社に祀られる。 | 鳥羽市国崎町 | 1989.11.18 |
3657 | 国崎二船祭2-7 | 午後、国崎を二分する海間(かいま)谷と里谷の漕ぎ手の青年たちが海に入り身を清める。 | 鳥羽市国崎町 | 1989.11.18 |
3658 | 国崎二船祭2-8 | 身を清めた漕ぎ手の青年たちはサラシの褌を締め、それぞれの装束を身に着ける。 | 鳥羽市国崎町 | 1989.11.18 |
3659 | 国崎二船祭2-9 | 漕ぎ手の青年たちは、里谷は「里」の字が、海間谷は「カイ」が交差した柄が背中に染め抜かれた浴衣を着る。そして帯の代わりに縄でたすきがけをし、腰も縄で縛りとめる。 | 鳥羽市国崎町 | 1989.11.18 |
3660 | 国崎二船祭2-10 | 漕ぎ手の青年たちは、里谷は「里」の字が、海間谷は「カイ」が交差した柄が背中に染め抜かれた浴衣を着る。そして帯の代わりに、縄でたすきがけをし、腰も縄で縛りとめる。スライド枠には「すがいでしばる」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1989.11.18 |
3661 | 国崎二船祭2-11 | 正装すると里谷と海間谷から代表者が1人ずつ、神社で待機する大老に挨拶に向かう。 | 鳥羽市国崎町 | 1989.11.18 |
3662 | 国崎二船祭2-12 | 大老は「奥山の榊、戸山のシゲ、東は大海、熊野の楯が崎、石鏡は里、相差も郷、国崎は村、エゾ(櫂)ヒケ、エゾヒケ」と言葉を掛ける。 | 鳥羽市国崎町 | 1989.11.18 |
3663 | 国崎二船祭2-13 | その後相差との境にある神の島に供えるシゲ、お神酒、掛魚と櫂を受け取り、前浜に向かう。スライド枠には「前浜にもどる」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1989.11.18 |
3664 | 国崎二船祭2-14 | 大老たちによりミズの木と言われるヤシャブシで、2艘のお供え用の舟が作られる。帆もミズの木の皮を編んで作られる。 | 鳥羽市国崎町 | 1989.11.18 |
3665 | 国崎二船祭2-15 | 里谷の船は船首にシゲなどの供え物を乗せ、相差との境にある神の島へと向かい、海間谷の船は大津前のカキ島へと向かう。 | 鳥羽市国崎町 | 1989.11.18 |
3666 | 国崎二船祭2-16 | 神の島に着いた里谷の船は、岩の上の社にシゲ、掛魚を供えて村に戻る。 | 鳥羽市国崎町 | 1989.11.18 |
3667 | 国崎二船祭2-17 | カキ島辺りで里谷と海間谷の船が合流する。 | 鳥羽市国崎町 | 1989.11.18 |
3668 | 国崎二船祭2-18 | 2艘の船が陸に向かって船を揃えると、前浜に向かって競漕が始まる。里谷が勝つとボラが、海間谷が勝つとイワシが大漁になると言われている。日頃仲の良い国崎の人びとも、この日ばかりは2地区に分かれてそれぞれの船の応援をする。競漕が数回繰り広げられて祭りは終了するが、昔は投石までする熱狂ぶりだったという | 鳥羽市国崎町 | 1989.11.18 |
3669 | 国崎二船祭2-19 | 2艘の船が陸に向かって船を揃えると、前浜に向かって競漕が始まる。里谷が勝つとボラが、海間谷が勝つとイワシが大漁になると言われている。日頃仲の良い国崎の人びとも、この日ばかりは2地区に分かれてそれぞれの船の応援をする。競漕が数回繰り広げられて祭りは終了するが、昔は投石までする熱狂ぶりだったという | 鳥羽市国崎町 | 1989.11.18 |
3670 | 波切わらじ祭1-1 | 毎年9月の申の日、長さ2.5m、巾1.8mほどもあるわらじを海に流し、ダンダラボッチと呼ばれる「一つ目の鬼神」を追い払う祭りである。「わらじ曳き」ともいわれる。 写真は須場の浜で老婆7人がわらじの周りに座り、エレワカやサンヤレを唄っている様子。参考文献:「海の博物館 展示用スライドナレーション原紙(祭、その他)」綴/『大王町史』平成6年発行(以下キャプションは同文献を参照) | 志摩市大王町波切 | 1990.09.16 |
3671 | 波切わらじ祭1-2 | 祭の2日前に古老、若者30人ほどが代々旧神主家松井兵太夫家に集まり、わらじが作られる。わらじが出来上がると床の間に安置され、当主が2夜1日、潔斎し祀る。昔はわらじを作る間は一切の飲食は禁じられ、忌みのかかった人は参加できなかった。スライド枠には「前日の大わらじ」と記される。 | 志摩市大王町波切 | 1990.09.16 |
3672 | 波切わらじ祭1-3 | この時、波切神社下のエビス明神に供えるためのエビスカゴと呼ぶ縁起物も一緒に作られる。エビスカゴは祭り当日の午前中、エビス明神に供えられる。 | 志摩市大王町波切 | 1990.09.16 |
3673 | 波切わらじ祭1-4 | エビス明神に供えられたエビスカゴ。 | 志摩市大王町波切 | 1990.09.16 |
3674 | 波切わらじ祭1-5 | 当日は露店が並び、近隣の人たちで賑わう。スライド枠には「村を練る手踊り」と記される。 | 志摩市大王町波切 | 1990.09.16 |
3675 | 波切わらじ祭1-6 | 漁師たちも船を出して、木製のカツオを付けた釣り竿で、カツオ一本釣りの所作を披露する。 | 志摩市大王町波切 | 1990.09.16 |
3676 | 波切わらじ祭1-7 | 午前10時ころ、使者2人が紋付き袴姿で松井兵太夫家へ参上し、わらじを受け、4人の若者が担いで波切神社の拝殿へ運ぶ。 | 志摩市大王町波切 | 1990.09.16 |
3677 | 波切わらじ祭1-8 | 午前10時ころ、使者2人が紋付き袴姿で松井兵太夫家へ参上し、わらじを受け、4人の若者が担いで波切神社の拝殿へ運ぶ。スライド枠には「神社入口のわらじ」と記される。 | 志摩市大王町波切 | 1990.09.16 |
3678 | 波切わらじ祭1-9 | 石段を上がり、高台の波切神社に着くと、わらじは拝殿の舞台に置かれる。その後舞台の上で稚児役と呼ばれる4・5歳の男児5人により、わらじ曳きの神事が行われる。稚児役は色紋付きに袴、白足袋、ワラ草履、豆絞りの鉢巻、緋のたすきを掛け、日の丸の扇子を持つ。スライド枠には「稚児役のわらじ曳き」と記される。 | 志摩市大王町波切 | 1990.09.16 |
3679 | 波切わらじ祭1-10 | 曳き終わったわらじは、多くの村びとが見守る中、上半身裸の若者4人に担がれて神社下の須場の浜へ運ばれる。スライド枠には「スバの浜へ」と記される。 | 志摩市大王町波切 | 1990.09.16 |
3680 | 波切わらじ祭1-11 | 須場の浜で海に向かって松井兵太夫家当主、5人の稚児役と介添え、三役、町の有志が並び、老婆7人がわらじの周りに座って、祝い唄エレワカやサンヤレなどを唄う。スライド枠には「祝い唄」「わらじ祭り」と記される。 | 志摩市大王町波切 | 1990.09.16 |
3681 | 波切わらじ祭1-12 | わらじに洗米、お神酒、肴を供える。スライド枠には「おみき供え」と記される。 | 志摩市大王町波切 | 1990.09.16 |
3682 | 波切わらじ祭1-13 | わらじに洗米、お神酒、肴を供える。 | 志摩市大王町波切 | 1990.09.16 |
3683 | 波切わらじ祭1-14 | 4人の若者がわらじを200m沖合まで泳いで大王島へ向けて流す。この頃沖には大王島方向への潮流があるといわれている。 | 志摩市大王町波切 | 1990.09.16 |
3684 | 波切わらじ祭1-15 | 4人の若者がわらじを200m沖合まで泳いで大王島へ向けて流す。この頃沖には大王島方向への潮流があるといわれている。沖では、更に沖へと流しに行く船が待機しており、大王島の沖まで船で曳いて流してくる。 | 志摩市大王町波切 | 1990.09.16 |
3685 | 波切わらじ祭1-16 | 拝殿の舞台に安置されたわらじの前で神事を見守る参列者。 | 志摩市大王町波切 | 1990.09.16 |
3686 | 国崎二船祭(混入)1-17 | 2艘の船が陸に向かって船を揃えると、前浜に向かって競漕が始まる。 | 鳥羽市国崎町 | 1989.11.18 |
3687 | 波切わらじ祭2-1 | 波切神社の石段を上がる稚児役役、後ろ姿。スライド枠には「神社に向かうわらじ曳ききをするチゴ」と記される。 | 志摩市大王町波切 | 1990.09.16 |
3688 | 波切わらじ祭2-2 | 旧神主家松井兵太夫家正面、注連縄が張られ、祭りの提灯が下げられている。 | 志摩市大王町波切 | 1990.09.16 |
3689 | 波切わらじ祭2-3 | 曳き終わったわらじは、多くの村びとが見守る中、上半身裸の若者に担がれて神社下の須場の浜へ運ばれる。スライド枠には「スバの浜へ」と記される。 | 志摩市大王町波切 | 1990.09.16 |
3690 | 波切わらじ祭2-4 | 5人の若者が担いで波切神社の拝殿へ運ぶ。スライド枠には「波切神社に入るわらじ」と記される。 | 志摩市大王町波切 | 1990.09.16 |
3691 | 波切わらじ祭2-5 | 木製のカツオを付けた釣り竿で、カツオ一本釣りの所作を披露する漁師たち。多くの村びとがその様子を見守る。 | 志摩市大王町波切 | 1990.09.16 |
3692 | 波切わらじ祭2-6 | 4人の若者がわらじを200m沖合まで泳いで大王島へ向けて流す。この頃沖には大王島方向への潮流があるといわれている。 | 志摩市大王町波切 | 1990.09.16 |
3693 | 波切わらじ祭2-7 | 須場の浜で海に向かって松井兵太夫家当主、5人の稚児役と介添え、三役、町の有志が並ぶ。老婆7人がわらじの周りに座って、祝い唄エレワカやサンヤレなどを唄う。 | 志摩市大王町波切 | 1990.09.16 |
3694 | 波切わらじ祭2-8 | 須場の浜で海に向かって松井兵太夫家当主、5人の稚児役と介添え、三役、町の有志が並ぶ。老婆7人がわらじの周りに座って、祝い唄エレワカやサンヤレなどを唄う。スライド枠には「流す時、さしみ、洗米、酒を注ぎ流す」と記される。 | 志摩市大王町波切 | 1990.09.16 |
3695 | 波切わらじ祭2-9 | 曳き終わったわらじは、多くの村びとが見守る中、上半身裸の若者に担がれて神社下の須場の浜へ運ばれる。 | 志摩市大王町波切 | 1990.09.16 |
3696 | 方座浦タイツリ1-1 | 方座浦の氏神である芳草神社では11月15日、大祭が行われる。その前夜、稲作の刈入れとタイツリの所作をして豊作と大漁を願う行事。 生活改善センターの舞台で鉢巻に扇子を挿し、タイを付けた釣り竿を持った男性が「これからエベッサンがタイを釣ります。」と言い、「下通るタイは泥臭い、上通るタイはひなた臭い、中通るタイを釣ってみよう」と口上を述べてタイを釣る真似を始める。スライド枠には「タイ釣り(方座)」と記される。参考文献:「海の博物館 展示用スライドナレーション原紙(祭、その他)」綴/(以下キャプションは同文献を参照) | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1989.11.14 |
3697 | 方座浦タイツリ1-2 | 祭当日、芳草神社の鳥居前に2本の幟が立てられる。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1989.11.14 |
3698 | 方座浦タイツリ1-3 | 祭当日、朝から板を繰り抜いて、色を塗り模造のタイを作る役員。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1989.11.14 |
3699 | 方座浦タイツリ1-4 | 完成したタイ。これを釣り糸で釣り竿に付けて完成する。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1989.11.14 |
3700 | 方座浦タイツリ1-5 | 完成したタイ。これを釣り糸で釣り竿に付けて完成する。一方田植えから米の刈入れまでの演技に用いる鎌や俵なども作られる。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1989.11.14 |
3701 | 方座浦タイツリ1-6 | 神社に供える白餅を作る、女性たち。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1989.11.14 |
3702 | 方座浦タイツリ1-7 | 更に、甘酒の仕込みもする。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1989.11.14 |
3703 | 方座浦タイツリ1-8 | 顔に白粉と頬紅を付けて準備をする主役の男性。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1989.11.14 |
3704 | 方座浦タイツリ1-9 | 午後6時、組から選ばれた主役の男性が挨拶をし、行事が始まる。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1989.11.14 |
3705 | 方座浦タイツリ1-10 | 豆絞りの手ぬぐいで鉢巻を締め、尻をめくり稲作の演技を始める。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1989.11.14 |
3706 | 方座浦タイツリ1-11 | 鍬を持ち畝を作り、一升マスから取り出した種を撒く所作をする。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1989.11.14 |
3707 | 方座浦タイツリ1-12 | やがてまいた種は芽を出して大きく育つ。「今年の稲は成長が早い。もう穂が出てきた。」などと言って立てたワラ束の先に穂を付けていく。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1989.11.14 |
3708 | 方座浦タイツリ1-13 | 稲穂を付けるとスズメ追いの真似をして、稲を刈り取り、千歯こきで稲をこく真似をする。多くの子どもたちが演技を見守る。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1989.11.14 |
3709 | 方座浦タイツリ1-14 | こうして収穫した米を俵詰めにする。米の代わりに太鼓を持ってその所作をする。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1989.11.14 |
3710 | 方座浦タイツリ1-15 | 最後に米俵に見立てた太鼓を蔵に入れて豊作を祈り、演技が終了する。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1989.11.14 |
3711 | 方座浦タイツリ1-16 | 鉢巻に扇子を挿し、タイを付けた釣り竿を持った男性が「これからエベッサンがタイを釣ります。」と言い、「下通るタイは泥臭い、上通るタイはひなた臭い、中通るタイを釣ってみよう」と口上を述べてタイを釣る真似を始める。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1989.11.14 |
3712 | 方座浦タイツリ1-17 | 舞台裏で太鼓をたたく男性。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1989.11.14 |
3713 | 方座浦タイツリ2-1 | タイを釣り上げ、胸に抱きとめると太鼓が打ち鳴らされ、それに合わせて鉢巻に挿した扇を手に持ち、面白おかしく踊る。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1989.11.14 |
3714 | 方座浦タイツリ2-2 | 稲の束を舞台上に立てていく主役の男性。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1989.11.14 |
3715 | 方座浦タイツリ2-3 | 舞台で演技を続ける主役の男性。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1989.11.14 |
3716 | 方座浦タイツリ2-4 | 芳草神社の拝殿。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1989.11.14 |
3717 | 方座浦タイツリ2-5 | 舞台で演技を続ける主役の男性。(映像がブレている) | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1989.11.14 |
3718 | 方座浦タイツリ2-6 | 行事を終えると舞台の下で見ている子どもたちにお菓子が配られ、終了する。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1989.11.14 |
3719 | 古和浦当屋祭1-1 | 古和浦の氏神である八柱神社で12月1日に一の当、二の当による当屋祭が行われ、カスギの儀式・湯立神事・タイツリ・弓引きの行事などが行われる。 写真は湯立て神事の様子。神主が笹束で大釜の湯を氏子たちに掛けている。スライド枠には「笹で釜湯をかける」と記される。 参考文献:「海の博物館 展示用スライドナレーション原紙(祭、その他)」綴/『南島町史』昭和60年発行(以下キャプションは同文献を参照) | 度会郡南伊勢町古和浦 | 1987.12.01 |
3720 | 古和浦当屋祭1-2 | 当屋際の前日、当番にあたった氏子たちによって、八柱神社と北野神社の清掃後、幟が立てられる。 | 度会郡南伊勢町古和浦 | 1987.12.01 |
3721 | 古和浦当屋祭1-3 | 当屋祭の前日、当番にあたった氏子たちによって、祭りに用いる笹束が作られる。 | 度会郡南伊勢町古和浦 | 1987.12.01 |
3722 | 古和浦当屋祭1-4 | 当屋祭の前日、当番にあたった氏子たちによって、祭りに用いるタイが作られる。板を切り、色を付けたタイの目を描く様子に見入る少女。 | 度会郡南伊勢町古和浦 | 1987.12.01 |
3723 | 古和浦当屋祭1-5 | 注連縄、掛の魚、笹束、タイ、弓矢など全ての作り物が完成すると、一の当の家の床の間に飾られる。 | 度会郡南伊勢町古和浦 | 1987.12.01 |
3724 | 古和浦当屋祭1-6 | 当屋祭の当日は朝から神社で式典が行われる。一の当は太鼓を先頭に、床の間に飾られていた掛の魚、供え物を入れた櫃の順に列を成して神社へ向かう。 | 度会郡南伊勢町古和浦 | 1987.12.01 |
3725 | 古和浦当屋祭1-7 | 神前に供え物が並べられ、式典が始まる。氏子たちはこの間にお参りをし、甘酒をいただく。 | 度会郡南伊勢町古和浦 | 1987.12.01 |
3726 | 古和浦当屋祭1-8 | 神社での式典後、一の当の家で包丁式とタイツリの行事が行われる。包丁式は必ずカスギ(コブダイ)を使うことから「カスギの儀式」とも言われ、白装束にエボシ姿の料理人が注連縄でたすきがけをして行う。 | 度会郡南伊勢町古和浦 | 1987.12.01 |
3727 | 古和浦当屋祭1-9 | 用意されたコブダイ。スライド枠には「カスギ」と記される。 | 度会郡南伊勢町古和浦 | 1987.12.01 |
3728 | 古和浦当屋祭1-10 | 料理人は半紙をくわえ、手を触れずに銀箸と包丁でブダイをおろし、刺身にしていく。 | 度会郡南伊勢町古和浦 | 1987.12.01 |
3729 | 古和浦当屋祭1-11 | 役人衆が定席に着くと、一の当・二の当が役人などの列席者に「只今よりお神酒が出ます」と挨拶する。役人衆の前に置かれた盃へ給仕人が順次白酒を注いで回る。 | 度会郡南伊勢町古和浦 | 1987.12.01 |
3730 | 古和浦当屋祭1-12 | イセエビ、ブダイ等の刺身とお神酒。紙には「引継 当番町殿」と記されている。 | 度会郡南伊勢町古和浦 | 1987.12.01 |
3731 | 古和浦当屋祭1-13 | 「カスギの儀式」が終わると、当屋の門先に釜が据えられ、祭壇に向かって祝詞奏上、お祓い、玉串奉典の後「湯立ての行事」が行われる。 | 度会郡南伊勢町古和浦 | 1987.12.01 |
3732 | 古和浦当屋祭1-14 | 「カスギの儀式」が終わると、当屋の門先に釜が据えられ、祭壇に向かって祝詞奏上、お祓い、玉串奉典の後「湯立て神事」が行われる。 | 度会郡南伊勢町古和浦 | 1987.12.01 |
3733 | 古和浦当屋祭1-15 | 神主は「サイヤカ、サイヤカ」の掛け声の中、煮えたぎった釜に笹束を浸け、氏子たちに振りかける。こうして清めが終わると、笹は氏子たちに投げられ、人びとはこれを奪い合う。 | 度会郡南伊勢町古和浦 | 1987.12.01 |
3734 | 古和浦当屋祭1-16 | 作り物のタイと釣り竿を持った当屋の後ろ姿。 | 度会郡南伊勢町古和浦 | 1987.12.01 |
3735 | 古和浦当屋祭1-17 | 多くの氏子が見守る中、「タイを釣ってみっさいなあ」という掛け声に合わせて、右回りに踊りながらタイを釣る真似をする一の当。スライド枠には「タイツリの舞」と記される。 | 度会郡南伊勢町古和浦 | 1987.12.01 |
3736 | 古和浦当屋祭1-18 | 続いて、二の当による弓矢の舞がある。タイも弓も最後は氏子が奪い合う。スライド枠には「弓矢の舞」と記される。 | 度会郡南伊勢町古和浦 | 1987.12.01 |
3737 | 古和浦当屋祭1-19 | 笹束を手に入れ、笑顔の女性。 | 度会郡南伊勢町古和浦 | 1987.12.01 |
3738 | 古和浦当屋祭2-1 | 当屋際の前日、当番にあたった氏子たちによって、注連縄が準備される。スライド枠には「カイダレをつける」と記される。 | 度会郡南伊勢町古和浦 | 1987.12.01 |
3739 | 古和浦当屋祭2-2 | 完成した弓矢。竹で作られている。 | 度会郡南伊勢町古和浦 | 1987.12.01 |
3740 | 古和浦当屋祭2-3 | 全ての行事を終えた当屋は、集まった氏子たちに向かって餅といっしょに菓子やミカンを撒く。 | 度会郡南伊勢町古和浦 | 1987.12.01 |
3741 | 古和浦当屋祭2-4 | 「タイツリの舞」と「弓矢の舞」を奉納する前、集まった氏子たちに向かって挨拶をする一の当と二の当。 | 度会郡南伊勢町古和浦 | 1987.12.01 |
3742 | 古和浦当屋祭2-5 | 「湯立て神事」の前、集まった氏子たちを祓う神主。 | 度会郡南伊勢町古和浦 | 1987.12.01 |
3743 | 古和浦当屋祭2-6 | 当屋祭の当日は朝から神社で式典が行われる。一の当は太鼓を先頭に、床の間に飾られていた掛の魚、供え物を入れた櫃の順に列を成して神社へ向かう。神社の石段を上る当屋や神主たちの後ろ姿。 | 度会郡南伊勢町古和浦 | 1987.12.01 |
3744 | 神島ヤリマショ舟1-1 | 伊勢湾口に浮かぶ周囲4キロほどの神島で12月8日に行われる、「ヤリマショ舟」と呼ばれるカヤの舟を作り、海に流す行事。神島では1年の「事納め」に当たり、翌日から正月の準備に入る。 スライド枠には「カヤ、オヒネリを入れる人々」と記される。参考文献:「海の博物館 展示用スライドナレーション原紙(祭、その他)」綴/『鳥羽市史』平成3年発行(以下キャプションは同文献を参照) | 鳥羽市神島町 | 1986.12.08 |
3745 | 神島ヤリマショ舟1-2 | 当日は、朝から神島の神事を司る「宮持」の経験者が薬師堂に集まってカヤでヤリマショ舟を作る。 | 鳥羽市神島町 | 1986.12.08 |
3746 | 神島ヤリマショ舟1-3 | 当日は、朝から神島の神事を司る「宮持」の経験者が薬師堂に集まってカヤでヤリマショ舟を作る。スライド枠には「薬師堂」と記される。 | 鳥羽市神島町 | 1986.12.08 |
3747 | 神島ヤリマショ舟1-4 | 当日は、朝から神島の神事を司る「宮持」の経験者が薬師堂に集まってカヤでヤリマショ舟を作る。割った男竹でカヤをしっかりと押さえて仕上げる。スライド枠には「竹で押さえる 11:30」と記される。 | 鳥羽市神島町 | 1986.12.08 |
3748 | 神島ヤリマショ舟1-5 | 当日は、朝から神島の神事を司る「宮持」の経験者が薬師堂に集まってカヤでヤリマショ舟を作る。割った男竹でカヤをしっかりと押さえて仕上げる。スライド枠には「仕上げ」と記される。 | 鳥羽市神島町 | 1986.12.08 |
3749 | 神島ヤリマショ舟1-6 | 完成した舟の水押に紅白のサガリを付け、艫には牛頭天皇の幟を立てて、7体の人形を乗せる。スライド枠には「安置されている ヤリマショ」と記される。 | 鳥羽市神島町 | 1986.12.08 |
3750 | 神島ヤリマショ舟1-7 | 家々では、洗米・小豆・一文銭を半紙に包んでオヒネリを作る。スライド枠には「洗米と金」と記される。 | 鳥羽市神島町 | 1986.12.08 |
3751 | 神島ヤリマショ舟1-8 | オヒネリとカヤで、大黒柱を家族数だけこすり、無病息災を祈る。更に、体の悪い箇所をこすり、回復を祈ることもある。スライド枠には「人の数だけ」と記される。 | 鳥羽市神島町 | 1986.12.08 |
3752 | 神島ヤリマショ舟1-9 | 午後になると各家の女性は、エビス貝と呼ぶアワビの貝殻に赤飯・ナマスを入れ、お神酒と共に船玉様にお供えする。スライド枠には「最初は舟玉へ」と記される。 | 鳥羽市神島町 | 1986.12.08 |
3753 | 神島ヤリマショ舟1-10 | その後波打ち際に行き、龍神様へお参りする。スライド枠には「海神へ」と記される。 | 鳥羽市神島町 | 1986.12.08 |
3754 | 神島ヤリマショ舟1-11 | 最後に荒神様にお参りして家に帰る。神島の人びとは必ずこの3か所を回る。スライド枠には「コウジンサンお参り」と記される。 | 鳥羽市神島町 | 1986.12.08 |
3755 | 神島ヤリマショ舟1-12 | 3時になると、宮持の叩く鐘を合図に、薬師堂に安置されていたヤリマショ舟は、若者に担がれて浜へと向かう。スライド枠には「ミヤモチの若者によりかつがれ出発」と記される。 | 鳥羽市神島町 | 1986.12.08 |
3756 | 神島ヤリマショ舟1-13 | 3時になると、宮持の叩く鐘を合図に、薬師堂に安置されていたヤリマショ舟は、若者に担がれて宮持の鐘を先頭に東のセコから出発し、島の中を通って浜へと向かう。スライド枠には「ミヤモチはカネ、太鼓をならす」と記される。 | 鳥羽市神島町 | 1986.12.08 |
3757 | 神島ヤリマショ舟1-14 | ヤリマショ舟が通ると人びとは、「オイヤレ オイヤレ 出雲の国へオイヤレ」とはやし立て、舟にオヒネリとカヤを供える。スライド枠には「家の安全をねがい」と記される。 | 鳥羽市神島町 | 1986.12.08 |
3758 | 神島ヤリマショ舟1-15 | ヤリマショ舟が通ると人びとは、「オイヤレ オイヤレ 出雲の国へオイヤレ」とはやし立て、舟にオヒネリとカヤを供える。スライド枠には「1年の厄払いとて」と記される。 | 鳥羽市神島町 | 1986.12.08 |
3759 | 神島ヤリマショ舟1-16 | 家並みを通り抜け浜に着くとヤリマショ舟はリヤカーに乗せられ、待ち受ける人びとの中を、沖へ流しに行くための船へと向かう。スライド枠には「港へ」と記される。 | 鳥羽市神島町 | 1986.12.08 |
3760 | 神島ヤリマショ舟1-17 | 家並みを通り抜け浜に着くとヤリマショ舟はリヤカーに乗せられ、待ち受ける人びとの中を、沖へ流しに行くための船へと向かう。その途中でも人びとは最後の供え物をしようと、ヤシマショ舟の周囲に群がる。 | 鳥羽市神島町 | 1986.12.08 |
3761 | 神島ヤリマショ舟1-18 | 船に乗せられたヤリマショ舟は、港を出て東の沖へ向かう。スライド枠には「沖で流す」と記される。 | 鳥羽市神島町 | 1986.12.08 |
3762 | 神島ヤリマショ舟1-19 | 船に乗せられたヤリマショ舟は、港を出て東の沖へ向かう。沖合約1㎞に達すると右舷から海に下ろされ、しばらくプカプカと波間を漂う。スライド枠には「流す」と記される。 | 鳥羽市神島町 | 1986.12.08 |
3763 | 神島ヤリマショ舟2-1 | 家並みを通り抜け浜に着くとヤリマショ舟はリヤカーに乗せられ、待ち受ける人びとの中を、沖へ流しに行くための船へと向かう。その途中でも人びとは最後の供え物をしようと、ヤシマショ舟の周囲に群がる。 | 鳥羽市神島町 | 1986.12.08 |
3764 | 神島ヤリマショ舟2-2 | 家々では、洗米・小豆・一文銭を半紙に包んでオヒネリを作る。スライド枠には「オヒネリ」と記される。 | 鳥羽市神島町 | 1986.12.08 |
3765 | 神島ヤリマショ舟2-3 | 船に乗せられたヤリマショ舟は、港を出て東の沖へ向かう。沖合約1㎞に達すると右舷から海に下ろされ、しばらくプカプカと波間を漂う。スライド枠には「すぐ転ぷく」と記される。 | 鳥羽市神島町 | 1986.12.08 |
3766 | 神島ヤリマショ舟2-4 | 船に乗せられたヤリマショ舟は、港を出て東の沖へ向かう。沖合約1㎞に達すると右舷から海に下ろされ、しばらくプカプカと波間を漂うが、間もなく荒波にのまれて転覆してしまう。スライド枠には「波間に消え」と記される。 | 鳥羽市神島町 | 1986.12.08 |
3767 | 神島ヤリマショ舟2-5 | 船に乗せられたヤリマショ舟は、港を出て東の沖へ向かう。スライド枠には「島を離れ」と記される。 | 鳥羽市神島町 | 1986.12.08 |
3768 | 神島ヤリマショ舟2-6 | 沖へ流しに行く船に乗せられるヤリマショ舟。スライド枠には「舟のせ」と記される。 | 鳥羽市神島町 | 1986.12.08 |
3769 | 国崎の熨斗鰒づくり1-1 | 伊勢神宮の神饌として納められる国崎の熨斗鰒づくりである。熨斗鰒は国崎の神宮御料鰒調製所で大老(たいろう)たちの奉仕によって、大身取・小身取・玉貫の461連が古例のまま製造されている。 写真は、海から撮影した国崎全景。手前がマエの浜で聖なる浜である。かつては当屋祭もこの浜で村中の戸主を招いて行われた。浜の東から鎧崎が続く。スライド枠には「国崎風景」と記される。 参考文献:在中「野村史隆メモ」/「海の博物館 展示用スライドナレーション原紙(祭、その他)」綴/『鳥羽市史』平成3年発行(以下キャプションは同文献を参照) | 鳥羽市国崎町 | 1988.06.10 |
3770 | 国崎の熨斗鰒づくり1-2 | 熨斗鰒が製造される神宮御料鰒調製所、正面。 | 鳥羽市国崎町 | 1988.06.10 |
3771 | 国崎の熨斗鰒づくり1-3 | ノミでアワビの身をはずし、タワシでヌメリをよく洗い流す。その後白木の箱に並べられ、大老に渡される。大老はノシガマで細長く薄く削ぎ、調製所の横にある干し場の竹竿に、身を伸ばしながら干していく。写真は生ムキをしたアワビを干し場に持っていく大老。この作業は国崎にとって大事な行事であり、神宮から支給された白装束で行われる。 | 鳥羽市国崎町 | 1988.06.10 |
3772 | 国崎の熨斗鰒づくり1-4 | 干し場でていねいにアワビを干す大老たち。スライド枠には「干し作業 国崎」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1988.06.10 |
3773 | 国崎の熨斗鰒づくり1-5 | 熨斗鰒を作るために必要な用具のすべて。左上からハサミ・キリ・竹輪・右上からノミ・ノシガマ・包丁。スライド枠には「S63 .6.9」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1988.06.10 |
3774 | 国崎の熨斗鰒づくり1-6 | まな板の上に並べられた干したアワビ。9寸(約27㎝)の長さに切り、これを半分折りにして身取鰒が作られる。スライド枠には「身取アワビ材」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1988.06.10 |
3775 | 国崎の熨斗鰒づくり1-7 | 9寸のアワビを2つに折り、10枚を重ねて束にしたものを大身取と小身取に仕上げる。キリで穴を開け、ワラの芯(ミゴ)を通して房状に作っていく。キリで穴を開けている大老たち。 | 鳥羽市国崎町 | 1988.06.10 |
3776 | 国崎の熨斗鰒づくり1-8 | キリで穴を開け、ワラの芯(ミゴ)を通して房を作っていく。 | 鳥羽市国崎町 | 1988.06.10 |
3777 | 国崎の熨斗鰒づくり1-9 | 仕上がっていく身取鰒。 | 鳥羽市国崎町 | 1988.06.10 |
3778 | 国崎の熨斗鰒づくり1-10 | 10枚ずつを重ねてひと房にしたものが大身取(左)、右の枚数の少ない方が小身取である。スライド枠には「大身取 小身取」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1988.06.10 |
3779 | 国崎の熨斗鰒づくり1-11 | 玉貫の材料となる短冊状に切られたアワビ。7㎝半に細く切ったものを12本使ってワラの芯(ミゴ)で編み込んだものが玉貫である。スライド枠には「玉貫材 細切り 24枚」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1988.06.10 |
3780 | 国崎の熨斗鰒づくり2-1 | 玉貫鰒製作の様子。細く切ったアワビをワラの芯(ミゴ)で12段のスダレ状に編み込んでいく。 | 鳥羽市国崎町 | 1988.06.10 |
3781 | 国崎の熨斗鰒づくり2-2 | 玉貫鰒製作の様子。細く切ったアワビをワラの芯(ミゴ)で12段のスダレ状に編み込んでいく。 | 鳥羽市国崎町 | 1988.06.10 |
3782 | 国崎の熨斗鰒づくり2-3 | 沖から帰ってくる海女船。手前は鎧崎の磯。 | 鳥羽市国崎町 | 1988.06.10 |
3783 | 国崎の熨斗鰒づくり2-4 | 貝から身をはずし、ヌメリを取った身をノシガマで細長く薄く削いでいく。ムキ終えたアワビを持つ長老、津曲氏。スライド枠には「ノシアワビ 神ー3」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1988.06.10 |
3784 | 国崎の熨斗鰒づくり2-5 | 御師の檀家回りの図。 スライド枠には「ノシアワビを持つ御師 「水馴棹」(宝永)」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1988.06.10 |
3785 | 国崎の熨斗鰒づくり2-6 | 国崎の神宮御料鰒調製所がある鎧崎。左が前の浜、右の岩礁地が交易船に恐れられた難所。 | 鳥羽市国崎町 | 1988.06.10 |
3786 | 国崎の熨斗鰒づくり2-7 | 小身取鰒のアップ。 | 鳥羽市国崎町 | 1988.06.10 |
3787 | 国崎の熨斗鰒づくり2-8 | 玉貫鰒のアップ。 | 鳥羽市国崎町 | 1988.06.10 |
3788 | 国崎の熨斗鰒づくり2-9 | 玉貫鰒のアップ。 | 鳥羽市国崎町 | 1988.06.10 |
3789 | 国崎の熨斗鰒づくり2-10 | 小身取鰒のアップ。 | 鳥羽市国崎町 | 1988.06.10 |
3790 | 国崎の熨斗鰒づくり2-11 | 大身取鰒のアップ。 | 鳥羽市国崎町 | 1988.06.10 |
3791 | 国崎の熨斗鰒づくり2-12 | ノシガマで細長く、薄く削いだアワビを天日干しにする白装束の大老2人。 | 鳥羽市国崎町 | 1988.06.10 |
3792 | 国崎の熨斗鰒づくり2-13 | 熨斗鰒の調製に使われる道具の色々、6点。 スライド枠には「のしガマ、ノミ、包丁」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1988.06.10 |
3793 | 国崎の熨斗鰒づくり2-14 | 大身取鰒の仕上げ。ワラの芯(ミゴ)を綯い、2つを結んで掛けアワビにする。 | 鳥羽市国崎町 | 1988.06.10 |
3794 | 国崎の熨斗鰒づくり2-15 | 大身取鰒の完成。 | 鳥羽市国崎町 | 1988.06.10 |
3795 | 国崎の熨斗鰒づくり2-16 | 貝から身をはずし、ヌメリを取り除いたアワビは、大老の前に並べられる。それを順番にノシガマで細長く、薄く削いでいく。 スライド枠には「ノシアワビ」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1988.06.10 |
3796 | 伊勢湾のウナギ石倉漁1-1 | 雲津川河口の曽原町(旧一志郡三雲町)では、伊勢湾のどこの地区でも行われていたイシクラ漁が残っている(平成3年現在)。イシクラ漁とは秋になって川を下るオチウナギを、河口にグリ石を積んで築いたイシクラに誘い込み、周りを竹簀で囲んで封じ込めて捕る漁法である。 写真は、中の石を外に放り出している様子。3~4人で操業する。 参考文献:在中「野村史隆メモ」/「海の博物館 展示用スライドナレーション原紙(祭、その他)」綴/(以下キャプションは同文献を参照) | 松阪市曽原町 | 1991.09.02 |
3797 | 伊勢湾のウナギ石倉漁1-2 | 河口に積まれたグリ石の山(イシクラ)。潮が引く前のイシクラ。この中にウナギが潜む。 | 松阪市曽原町 | 1991.09.02 |
3798 | 伊勢湾のウナギ石倉漁1-3 | 干潮を見計らってイシクラの横にウナギを追い込むためのモンドリを突き立てる。これから竹簀でイシクラを囲うように巻いていく。 | 松阪市曽原町 | 1991.09.02 |
3799 | 伊勢湾のウナギ石倉漁1-4 | 入ったら出られない構造になっているモンドリのアップ。板に竹製のカゴが付いている。 | 松阪市曽原町 | 1991.09.02 |
3800 | 伊勢湾のウナギ石倉漁1-5 | モンドリの位置が決まるとそれを基点に、竹簀で直径2.5mほどの円になるようにイシクラを取り囲む。 | 松阪市曽原町 | 1991.09.02 |
3801 | 伊勢湾のウナギ石倉漁1-6 | 竹簀でイシクラを完全に包囲し、イシクラに隠れているウナギの逃げ場をふさぐ。 | 松阪市曽原町 | 1991.09.02 |
3802 | 伊勢湾のウナギ石倉漁1-7 | 石を外に出す石繰りの開始。2~3人が中に入ってウナギの逃げ場をふさいでいく。 | 松阪市曽原町 | 1991.09.02 |
3803 | 伊勢湾のウナギ石倉漁1-8 | 石繰り作業。石の山を崩していく。20分ほどでひと山の石を取り除く。 | 松阪市曽原町 | 1991.09.02 |
3804 | 伊勢湾のウナギ石倉漁1-9 | 石を取り除いた後カクワと呼ぶタモを使ってかき回し、ウナギを追い回す。中ではウナギが逃げ回っている。 スライド枠には「追い出し」と記される。 | 松阪市曽原町 | 1991.09.02 |
3805 | 伊勢湾のウナギ石倉漁1-10 | モンドリと呼ばれるカエシのある袋網をはずして、中のウナギを出す漁師。 スライド枠には「モンドリをもつ男」と記される。 | 松阪市曽原町 | 1991.09.02 |
3806 | 伊勢湾のウナギ石倉漁1-11 | 一つの漁が終わると次の漁にかかり、河口に築かれたイシクラの石繰り作業が繰り返される。 | 松阪市曽原町 | 1991.09.02 |
3807 | 伊勢湾のウナギ石倉漁2-1 | 河口のあちらこちらに積まれている石積の遠景。石の上には麻袋が影を作るようにかぶせられている。ウナギはこれに引き寄せられてイシクラに隠れる。 | 松阪市曽原町 | 1991.09.02 |
3808 | 伊勢湾のウナギ石倉漁2-2 | 石倉漁に使われる道具。石積みを囲う竹簀とウナギを追い込むモンドリ。 スライド枠には「道具のスとモンドリ」と記される。 | 松阪市曽原町 | 1991.09.02 |
3809 | 伊勢湾のウナギ石倉漁2-3 | 道具を船外機に積み込み、漁場である河口に向かう。 | 松阪市曽原町 | 1991.09.02 |
3810 | 伊勢湾のウナギ石倉漁2-4 | 道具を船外機に積み込み、漁場である河口に向かう。 | 松阪市曽原町 | 1991.09.02 |
3811 | 伊勢湾のウナギ石倉漁2-5 | ウナギを最後に取り込むモンドリを立て、竹簀でイシクラを囲い込む。囲い込み作業の様子。 | 松阪市曽原町 | 1991.09.02 |
3812 | 伊勢湾のウナギ石倉漁2-6 | ウナギを最後に取り込むモンドリを立て、竹簀でイシクラを囲い込む。囲い込み作業の様子。 | 松阪市曽原町 | 1991.09.02 |
3813 | 伊勢湾のウナギ石倉漁2-7 | 囲い込み作業が終わると、竹簀の下からウナギが逃げないようにカケヤで竹簀を叩き、川底の泥に突き刺す。 | 松阪市曽原町 | 1991.09.02 |
3814 | 伊勢湾のウナギ石倉漁2-8 | 竹簀で囲んだ中へ3人が入り、中の石を外に繰り出す。 | 松阪市曽原町 | 1991.09.02 |
3815 | 伊勢湾のウナギ石倉漁2-9 | 石が無くなり、隠れ場を失ったウナギを追い回し、モンドリに追い込む。モンドリをはずしたところ。 | 松阪市曽原町 | 1991.09.02 |
3816 | 伊勢湾のウナギ石倉漁2-10 | はずしたモンドリの中を確認する。中にはウナギ以外にモクズガニなども混じる。 | 松阪市曽原町 | 1991.09.02 |
3817 | 伊勢湾のウナギ石倉漁2-11 | 獲物は網のイケスに入れておく。イケスにウナギを入れているところ。 スライド枠には「イケスに入れる」と記される。 | 松阪市曽原町 | 1991.09.02 |
3818 | 伊勢湾のウナギ石倉漁2-12 | 竹簀の中へ3人が入り、2回目の石繰り作業の様子。 | 松阪市曽原町 | 1991.09.02 |
3819 | 伊勢湾のウナギ石倉漁2-13 | いくつも仕掛けてあるイシクラを次々と竹簀で囲み、操業する。 スライド枠には「三雲町 石ぐり ウナギ」と記される。 | 松阪市曽原町 | 1991.09.02 |
3820 | 伊勢湾のウナギ石倉漁2-14 | 2回目の操業。右側に囲んだ竹簀をツチで打ち込む人が見える | 松阪市曽原町 | 1991.09.02 |
3821 | 伊勢湾のウナギ石倉漁2-15 | 2回目の操業。手前に囲んだ竹簀をツチで打ち込む人が見える | 松阪市曽原町 | 1991.09.02 |
3822 | 磯部の御神田(おみた)1-1 | 志摩市磯部町上之郷に鎮座する伊勢神宮の別宮「伊雑宮」の御料田で毎年6月24日に行われる御田植祭。日本三大御田植祭の1つに数えられ、平成2年「磯部の御神田(おみた)」として国の重要無形民俗文化財に指定された。 写真は刺鳥差(サイトリサシ)の舞いの様子。 参考文献:在中「野村史隆メモ」/『磯部町史』平成9年発行/(以下キャプションは同文献を参照) | 志摩市磯部町上之郷 | 1986.06.24 |
3823 | 磯部の御神田(おみた)1-2 | 竹取神事の後、荒れた御料田をエブリでならし、御田植えの神事が始まる。それぞれ6人の田道人(タチド)と早乙女(サオトメ)が交互に手を取り合って田の中を横一列に東畔に進む。これを「のぼりわか」という。 | 志摩市磯部町上之郷 | 1986.06.24 |
3824 | 磯部の御神田(おみた)1-3 | 太鼓打ちやササラスリ、笛吹きらが奏でる田楽と謡に合わせて、早乙女と田道人が後ずさりで苗を植えていく。「くだりわか」という。 | 志摩市磯部町上之郷 | 1986.06.24 |
3825 | 磯部の御神田(おみた)1-4 | 「ヨメリヤ」の掛け声と共に、衛士の先導で神官、神官から授けられた早苗を持つ作長、役人(やくびと)らが所定の順に伊雑宮から御料田に参進する。「のぼりわか」という。 | 志摩市磯部町上之郷 | 1986.06.24 |
3826 | 磯部の御神田(おみた)1-5 | 神官から授けられた早苗を持つ作長、アップ。 | 志摩市磯部町上之郷 | 1986.06.24 |
3827 | 磯部の御神田(おみた)1-6 | 神官が御料田を清めた後、作長が左、右、中と早苗を奉下する。 スライド枠には「サク長」と記される。 | 志摩市磯部町上之郷 | 1986.06.24 |
3828 | 磯部の御神田(おみた)1-7 | 早乙女と田道人が交互に手をつないで「の」の字に苗代を三周半回り、早苗取りをする。その後、裸男たちは、竹取神事の忌竹を取るため、御料田に入り泥をかけ合ったり、取っ組み合いをする。 | 志摩市磯部町上之郷 | 1986.06.24 |
3829 | 磯部の御神田(おみた)1-8 | 御料田の畔の忌柱に結わえ立てられた高さが15mほどの忌竹。上下に2個のサシバが付けられ、「ゴンバウチワ」とも呼ばれる。上のサシバは円形で直径2.6m、島台に松竹梅・松の右に太陽・左に三日月・その下に稲穂をくわえた鶴・神酒のそばに亀が描かれている。下のサシバは逆三角形で縦4m、横幅は広い肩の部分で3mあり、五色の帆に千石船が艫を右にして伊雑宮に進むように描かれ、帆には「太一」と大書されている。 | 志摩市磯部町上之郷 | 1986.06.24 |
3830 | 磯部の御神田(おみた)1-9 | 御料田の畔の忌柱に結わえ立てられた高さが15mほどの忌竹。上下に2個のサシバが付けられ、「ゴンバウチワ」とも呼ばれる。上のサシバは円形で直径2.6m、島台に松竹梅・松の右に太陽・左に三日月・その下に稲穂をくわえた鶴・神酒のそばに亀が描かれている。下のサシバは逆三角形で縦4m、横幅は広い肩の部分で4mあり、五色の帆に千石船が艫を右にして伊雑宮に進むように描かれ、帆には「太一」と大書されている。 | 志摩市磯部町上之郷 | 1986.06.24 |
3831 | 磯部の御神田(おみた)1-10 | 磯部側から見た青峯山。鳥羽志摩だけでなく全国的にも漁民の篤い信仰を集める。 スライド枠には「穴川からの青峰」と記される。 | 志摩市磯部町上之郷 | 1986.06.24 |
3832 | 磯部の御神田(おみた)1-11 | 早乙女と田道人が交互に手をつないで早苗取りをした後、裸男たちは竹取神事の忌竹を取るため、御料田に入り泥をかけ合ったり、取っ組み合いをする。 | 志摩市磯部町上之郷 | 1986.06.24 |
3833 | 磯部の御神田(おみた)1-12 | 勇壮な竹取神事の様子。裸男たちは忌竹を3回引き回し、1回これを差し上げて南側の御料田を横切って野川に向かう。野川で泥だらけになった忌竹や体を洗うためである。野川の堤防ではこの竹にあやかるため多くの、特に漁業関係の人たちが集まってこれを求める。忌竹やサシバの和紙は、大漁安全のお守りとして船玉さまに、あるいは五穀豊穣のお守りとして神棚に祀られる。 | 志摩市磯部町上之郷 | 1986.06.24 |
3834 | 磯部の御神田(おみた)1-13 | 勇壮な竹取神事の様子。裸男たちは3回忌竹を引き回し、1回これを差し上げて南側の御料田を横切って野川に向かう。野川で泥だらけになった忌竹や体を洗うためである。野川の堤防ではこの竹にあやかるため多くの、特に漁業関係の人たちが集まりこれを求める。忌竹やサシバの和紙は、大漁安全のお守りとして船玉さまに、あるいは五穀豊穣のお守りとして神棚に祀られる。 | 志摩市磯部町上之郷 | 1986.06.24 |
3835 | 磯部の御神田(おみた)1-14 | 勇壮な竹取神事の様子。裸男たちは3回忌竹を引き回し、1回これを差し上げて南側の御料田を横切って野川に向かう。野川で泥だらけになった忌竹や体を洗うためである。野川の堤防ではこの竹にあやかるため多くの、特に漁業関係の人たちが集まってこれを求める。忌竹やサシバの和紙は、大漁安全のお守りとして船玉さまに、あるいは五穀豊穣のお守りとして神棚等に祀られる。 | 志摩市磯部町上之郷 | 1986.06.24 |
3836 | 磯部の御神田(おみた)1-15 | 勇壮な竹取神事の様子。裸男たちは3回忌竹を引き回し、1回これを差し上げて南側の御料田を横切って野川に向かう。野川で泥だらけになった忌竹や体を洗うためである。野川の堤防ではこの竹にあやかるため多くの、特に漁業関係の人たちが集まってこれを求める。忌竹やサシバの和紙は、大漁安全のお守りとして船玉さまに、あるいは五穀豊穣のお守りとして神棚等に祀られる。 | 志摩市磯部町上之郷 | 1986.06.24 |
3837 | 磯部の御神田(おみた)1-16 | 忌竹の笹を大事に包んで持ち帰る女性。 | 志摩市磯部町上之郷 | 1986.06.24 |
3838 | 磯部の御神田(おみた)1-17 | 太鼓打ちやササラスリ、笛吹きらが奏でる田楽と謡に合わせて、早乙女と田道人が後ずさりで苗を植えていく。「くだりわか」という。 | 志摩市磯部町上之郷 | 1986.06.24 |
3839 | 磯部の御神田(おみた)1-18 | 御田植神事のため、列を成して御料田の畔道を歩く、役人たち。エブリ、田道人、早乙女、師匠、ササラスリが写る。 | 志摩市磯部町上之郷 | 1986.06.24 |
3840 | 磯部の御神田(おみた)1-19 | 竹取神事の後、荒れた田をエブリでならし、御田植えの神事が始まる。それぞれ6人の田道人(タチド)と早乙女(サオトメ)が交互に手を取り合って田の中を横一列に東畔に進む。これを「のぼりわか」という。 | 志摩市磯部町上之郷 | 1986.06.24 |
3841 | 磯部の御神田(おみた)2-1 | 太鼓打ちやササラスリ、笛吹きらが奏でる田楽と謡に合わせて、早乙女と田道人が後ずさりで苗を植えていく。「くだりわか」という。 | 志摩市磯部町上之郷 | 1986.06.24 |
3842 | 磯部の御神田(おみた)2-2 | 太鼓打ちやササラスリ、笛吹きらが奏でる田楽と謡に合わせて、早乙女と田道人が後ずさりで苗を植えていく。「くだりわか」という。早乙女のアップ。 | 志摩市磯部町上之郷 | 1986.06.24 |
3843 | 磯部の御神田(おみた)2-3 | 小謡9番までが済むとエブリサシが神酒を持ち、早乙女の酌でワカメを肴に、中休みの酒宴が行われる。ワカメは引っぱって食べることから「ひっぱりワカメ」という。 | 志摩市磯部町上之郷 | 1986.06.24 |
3844 | 磯部の御神田(おみた)2-4 | 竹取神事のあと、荒れた御料田をエブリでならす。 | 志摩市磯部町上之郷 | 1986.06.24 |
3845 | 磯部の御神田(おみた)2-5 | 竹取神事でうばった忌竹を持ち帰る漁師たち。 | 志摩市磯部町上之郷 | 1986.06.24 |
3846 | 磯部の御神田(おみた)2-6 | 15mほどもある忌竹(ゴンバウチワ)が倒される瞬間。2人のエブリサシは御料田に入り、1回で忌竹を取られないように、両側からエブリで支えながらゆっくり倒す。 | 志摩市磯部町上之郷 | 1986.06.24 |
3847 | 磯部の御神田(おみた)2-7 | 2人の「ササラすり」の少年による刺鳥差(サイトリサシ)の舞。その後方で田舟に乗り、太鼓をたたくのは少女に扮した「太鼓打ち」の少年である。主に少年が務めるが、まれに少女がなることもある。 | 志摩市磯部町上之郷 | 1986.06.24 |
3848 | 磯部の御神田(おみた)2-8 | 2人の「ササラすり」の少年による刺鳥差(サイトリサシ)の舞。その後方で田舟に乗り、太鼓をたたくのは少女に扮した「太鼓打ち」の少年である。主に少年が務めるが、まれに少女がなることもある。 | 志摩市磯部町上之郷 | 1986.06.24 |
3849 | 三ヶ所大日祭1-1 | 磯部町三ヶ所では、旧暦1月28日と5月28日の2回厄災消滅・大漁満足・海上安全などを祈願して大日祭が行われる。本尊の大日如来は、的矢湾南部の入り江、字トナセにあった大日堂に安置されていた。しかし老朽化により平成29年大日堂が解体され、栖雲寺の本堂に安置されている。それを機に、大日祭は簡略化された。 写真は大日堂で読経の後、大日如来を納めた厨子を白布で包み、「船移し」という伝承に従って海岸に並ぶ船から船へと一隻ずつ乗り渡っている様子。厨子を担ぐのは、25歳と42歳の厄歳者である。スライド枠には「92.3.2」と記される。 参考文献:在中「野村史隆メモ」/『磯部町史』平成9年発行(以下キャプションは同文献を参照) | 志摩市磯部町三ヶ所 | 1992.03.02 |
3850 | 三ヶ所大日祭1-2 | 大日堂で読経の後、大日如来を納めた厨子を白布で包み、「船移し」という伝承に従って海岸に並ぶ船から船へと一隻ずつ乗り渡っている様子。厨子を担ぐのは、25歳と42歳の厄歳者である。スライド枠には「92.3.2」と記される。 | 志摩市磯部町三ヶ所 | 1992.03.02 |
3851 | 三ヶ所大日祭1-3 | 大日堂で読経の後、大日如来を納めた厨子を白布で包み、「船移し」という伝承に従って海岸に並ぶ船から船へと一隻ずつ乗り渡っている様子。厨子を担ぐのは、25歳と42歳の厄歳者である。スライド枠には「92.3.2」と記される。 | 志摩市磯部町三ヶ所 | 1992.03.02 |
3852 | 三ヶ所大日祭1-4 | 大日堂で読経の後、大日如来を納めた厨子を白布で包み、「船移し」という伝承に従って海岸に並ぶ船から船へと一隻ずつ乗り渡っている様子。厨子を担ぐのは、25歳と42歳の厄歳者である。スライド枠には「92.3.2」と記される。 | 志摩市磯部町三ヶ所 | 1992.03.02 |
3853 | 三ヶ所大日祭1-5 | 大日堂で読経の後、大日如来を納めた厨子を白布で包み、「船移し」という伝承に従って海岸に並ぶ船から船へと1隻ずつ乗り渡っている様子。厨子を担ぐのは、25歳と42歳の厄歳者である。スライド枠には「92.3.2」と記される。 | 志摩市磯部町三ヶ所 | 1992.03.02 |
3854 | 三ヶ所大日祭1-6 | 大日如来を納めた厨子を御座船に安置し、三ヶ所へ向かう船団。それぞれ大漁旗を掲げている。御座船ではホラ貝と太鼓を鳴らしながら、渡鹿野島を回り、区民の待つ里前で右回りに3回旋回して着岸する。スライド枠には「92.3.2」と記される。 | 志摩市磯部町三ヶ所 | 1992.03.02 |
3855 | 三ヶ所大日祭1-7 | 大日如来を納めた厨子を御座船に安置し、三ヶ所へ向かう船団。それぞれ大漁旗を掲げている。御座船ではホラ貝と太鼓を鳴らしながら、渡鹿野島を回り、区民の待つ里前で右回りに3回旋回して着岸する。スライド枠には「92.3.2」と記される。 | 志摩市磯部町三ヶ所 | 1992.03.02 |
3856 | 三ヶ所大日祭1-8 | 大日如来を納めた厨子を御座船に安置し、三ヶ所へ向かう船団。それぞれ大漁旗を掲げている。御座船ではホラ貝と太鼓を鳴らしながら、渡鹿野島を回り、区民の待つ里前で右回りに3回旋回して着岸する。写真は渡鹿野島前を通過する様子。 | 志摩市磯部町三ヶ所 | 1992.03.02 |
3857 | 三ヶ所大日祭1-9 | 大日如来を納めた厨子を御座船に安置し、三ヶ所へ向かう船団。それぞれ大漁旗を掲げている。御座船ではホラ貝と太鼓を鳴らしながら、渡鹿野島を回り、区民の待つ里前で右回りに3回旋回して着岸する。写真は渡鹿野島前を通過する様子。スライド枠には「92.3.2」と記される。 | 志摩市磯部町三ヶ所 | 1992.03.02 |
3858 | 三ヶ所大日祭1-10 | 大日如来を納めた厨子を御座船に安置し、三ヶ所へ向かう船団。それぞれ大漁旗を掲げている。御座船ではホラ貝と太鼓を鳴らしながら、渡鹿野島を回り、区民の待つ里前で右回りに3回旋回して着岸する。スライド枠には「92.3.2」と記される。 | 志摩市磯部町三ヶ所 | 1992.03.02 |
3859 | 三ヶ所大日祭1-11 | 大日如来を納めた厨子を安置した御座船。スライド枠には「92.3.2」と記される。 | 志摩市磯部町三ヶ所 | 1992.03.02 |
3860 | 三ヶ所大日祭1-12 | 大日如来を納めた厨子を安置した御座船のアップ。スライド枠には「92.3.2」と記される。 | 志摩市磯部町三ヶ所 | 1992.03.02 |
3861 | 三ヶ所大日祭1-13 | 三ヶ所区の対岸、的矢区。スライド枠には「92.3.2」と記される。 | 志摩市磯部町三ヶ所 | 1992.03.02 |
3862 | 三ヶ所大日祭1-14 | 三ヶ所区の対岸、的矢区の遠景。スライド枠には「92.3.2」と記される。 | 志摩市磯部町三ヶ所 | 1992.03.02 |
3863 | 三ヶ所大日祭1-15 | 三ヶ所区の対岸、的矢区の遠景。スライド枠には「92.3.2」と記される。 | 志摩市磯部町三ヶ所 | 1992.03.02 |
3864 | 三ヶ所大日祭1-16 | 三ヶ所区の対岸、的矢区の遠景。スライド枠には「92.3.2」と記される。 | 志摩市磯部町三ヶ所 | 1992.03.02 |
3865 | 三ヶ所大日祭1-17 | 三ヶ所区の対岸、的矢区の遠景。スライド枠には「92.3.2」と記される。 | 志摩市磯部町三ヶ所 | 1992.03.02 |
3866 | 三ヶ所大日祭1-18 | 三ヶ所区の対岸、的矢区の遠景。スライド枠には「92.3.2」と記される。 | 志摩市磯部町三ヶ所 | 1992.03.02 |
3867 | 三ヶ所大日祭1-19 | 大日如来を納めた厨子を御座船に安置し、三ヶ所へ向かう船団。それぞれ大漁旗を掲げている。御座船ではホラ貝と太鼓を鳴らしながら、渡鹿野島を回り、区民の待つ里前で右回りに3回旋回して着岸する。旋回後、船着き場へ向かう御座船。スライド枠には「92.3.2」と記される。 | 志摩市磯部町三ヶ所 | 1992.03.02 |
3868 | 三ヶ所大日祭2-1 | 大日堂へ直会の膳を運び入れる檀家衆。スライド枠には「92.3.2」と記される。 | 志摩市磯部町三ヶ所 | 1992.03.02 |
3869 | 三ヶ所大日祭2-2 | 大日堂内で大日如来を納めた厨子を白布で包む檀家衆と厄歳者。スライド枠には「92.3.2」と記される。 | 志摩市磯部町三ヶ所 | 1992.03.02 |
3870 | 三ヶ所大日祭2-3 | 大日堂内で大日如来を納めた厨子を白布で包む檀家衆と厄歳者。スライド枠には「92.3.2」と記される。 | 志摩市磯部町三ヶ所 | 1992.03.02 |
3871 | 三ヶ所大日祭2-4 | 大日堂内で大日如来を納めた厨子を白布で包む檀家衆と厄歳者。スライド枠には「92.3.2」と記される。 | 志摩市磯部町三ヶ所 | 1992.03.02 |
3872 | 三ヶ所大日祭2-5 | 大日堂内で大日如来を納めた厨子を白布で包む檀家衆と厄歳者。スライド枠には「92.3.2」と記される。 | 志摩市磯部町三ヶ所 | 1992.03.02 |
3873 | 三ヶ所大日祭2-6 | 大日堂内で大日如来を納めた厨子を白布で包む檀家衆と厄歳者。スライド枠には「92.3.2」と記される。 | 志摩市磯部町三ヶ所 | 1992.03.02 |
3874 | 三ヶ所大日祭2-7 | 大日如来を納めた厨子を白布で包み、大日堂から遷座する檀家衆と厄歳者。スライド枠には「92.3.2」と記される。 | 志摩市磯部町三ヶ所 | 1992.03.02 |
3875 | 三ヶ所大日祭2-8 | 大日如来を納めた厨子を白布で包み、担いで船に向かう厄歳者。スライド枠には「92.3.2」と記される。 | 志摩市磯部町三ヶ所 | 1992.03.02 |
3876 | 三ヶ所大日祭2-9 | 大日如来を納めた厨子を白布で包み、担いで船に向かう厄歳者。スライド枠には「92.3.2」と記される。 | 志摩市磯部町三ヶ所 | 1992.03.02 |
3877 | 三ヶ所大日祭2-10 | 大日如来を納めた厨子を白布で包み、担いで船に向かう厄歳者。スライド枠には「92.3.2」と記される。 | 志摩市磯部町三ヶ所 | 1992.03.02 |
3878 | 三ヶ所大日祭2-11 | 大日如来を納めた厨子を白布で包み、担いで桟橋を渡る厄歳者。スライド枠には「92.3.2」と記される。 | 志摩市磯部町三ヶ所 | 1992.03.02 |
3879 | 三ヶ所大日祭2-12 | 「船移し」の様子。スライド枠には「92.3.2」と記される。 | 志摩市磯部町三ヶ所 | 1992.03.02 |
3880 | 三ヶ所大日祭2-13 | 「船移し」の様子。スライド枠には「92.3.2」と記される。 | 志摩市磯部町三ヶ所 | 1992.03.02 |
3881 | 三ヶ所大日祭2-14 | 大日如来を納めた厨子を白布で包み、担いで桟橋を渡る厄歳者。後に続く檀家衆。スライド枠には「92.3.2」と記される。 | 志摩市磯部町三ヶ所 | 1992.03.02 |
3882 | 三ヶ所大日祭2-15 | 大日堂で読経の後、大日如来を納めた厨子を白布で包み、「船移し」という伝承に従って海岸に並ぶ船から船へと1隻ずつ乗り渡っている様子。厨子を担ぐのは、25歳と42歳の厄歳者である。スライド枠には「92.3.2」と記される。 | 志摩市磯部町三ヶ所 | 1992.03.02 |
3883 | 三ヶ所大日祭3-1 | 大日如来を納めた厨子を御座船に安置し、三ヶ所へ向かう船団。それぞれ大漁旗を掲げている。御座船ではホラ貝と太鼓を鳴らしながら、渡鹿野島を回り、区民の待つ里前で右回りに3回旋回して着岸する。スライド枠には「92.3.2」と記される。 | 志摩市磯部町三ヶ所 | 1992.03.02 |
3884 | 三ヶ所大日祭3-2 | 船着き場に着岸した御座船。スライド枠には「92.3.2」と記される。 | 志摩市磯部町三ヶ所 | 1992.03.02 |
3885 | 三ヶ所大日祭3-3 | 着岸後、御座船から降ろした厨子を担ぐ、25歳と42歳の厄歳者。スライド枠には「92.3.2」と記される。 | 志摩市磯部町三ヶ所 | 1992.03.02 |
3886 | 三ヶ所大日祭3-4 | 着岸後、御座船から降ろした厨子を担ぐ、25歳と42歳の厄歳者。スライド枠には「92.3.2」と記される。 | 志摩市磯部町三ヶ所 | 1992.03.02 |
3887 | 三ヶ所大日祭3-5 | 御座船が着岸すると、船着き場では婦人会が大日音頭を踊り、大日如来を出迎える。踊りの輪の後方には大日祭の法被を着た三ヶ所保育所の子どもたちの姿が見える。スライド枠には「92.3.2」と記される。 | 志摩市磯部町三ヶ所 | 1992.03.02 |
3888 | 三ヶ所大日祭3-6 | 御座船が着岸すると、船着き場では婦人会が大日音頭を踊り、大日如来を出迎える。踊りの輪の後方には大日祭の法被を着た三ヶ所保育所の子どもたちの姿が見える。スライド枠には「92.3.2」と記される。 | 志摩市磯部町三ヶ所 | 1992.03.02 |
3889 | 三ヶ所大日祭3-7 | 厨子は区民総掛かりで紅白の綱に引かれて、栖雲寺へ向かう。スライド枠には「92.3.2」と記される。 | 志摩市磯部町三ヶ所 | 1992.03.02 |
3890 | 三ヶ所大日祭3-8 | 厨子は区民総掛かりで紅白の綱に引かれて、栖雲寺へ向かう。後方より撮影。スライド枠には「92.3.2」と記される。 | 志摩市磯部町三ヶ所 | 1992.03.02 |
3891 | 三ヶ所大日祭3-9 | 厨子は区民総掛かりで紅白の綱に引かれて、栖雲寺へ向かう。後方より撮影。スライド枠には「92.3.2」と記される。 | 志摩市磯部町三ヶ所 | 1992.03.02 |
3892 | 三ヶ所大日祭3-10 | 25歳と42歳の厄歳者に担がれて、本堂に入る厨子。後方より撮影。スライド枠には「92.3.2」と記される。 | 志摩市磯部町三ヶ所 | 1992.03.02 |
3893 | 三ヶ所大日祭3-11 | 本堂に入る檀家衆。後方より撮影。スライド枠には「92.3.2」と記される。 | 志摩市磯部町三ヶ所 | 1992.03.02 |
3894 | 三ヶ所大日祭3-12 | 本堂に入る檀家衆。後方より撮影。スライド枠には「92.3.2」と記される。 | 志摩市磯部町三ヶ所 | 1992.03.02 |
3895 | 三ヶ所大日祭3-13 | 本堂に下ろされた厨子。これから檀家によって白布が外される。本堂の中には「大日如来」の提灯が下げられている。スライド枠には「92.3.2」と記される。 | 志摩市磯部町三ヶ所 | 1992.03.02 |
3896 | 三ヶ所大日祭3-14 | 須弥壇に安置される大日如来。スライド枠には「92.3.2」と記される。 | 志摩市磯部町三ヶ所 | 1992.03.02 |
3897 | 三ヶ所大日祭3-15 | 須弥壇に安置された大日如来。スライド枠には「92.3.2」と記される。 | 志摩市磯部町三ヶ所 | 1992.03.02 |
3898 | 三ヶ所大日祭3-16 | 栖雲寺。本堂の入口の両側に「栖雲寺」の提灯が下げられている。スライド枠には「92.3.2」と記される。 | 志摩市磯部町三ヶ所 | 1992.03.02 |
3899 | 三ヶ所大日祭3-17 | 船着き場から栖雲寺までの道は、和紙に「奉迎大日祭禮」と書かれた看板や紙製の花、小旗などで飾り付けられる。スライド枠には「92.3.2」と記される。 | 志摩市磯部町三ヶ所 | 1992.03.02 |
3900 | 三ヶ所大日祭4-1 | 大日如来を迎えるため、大日堂へ続く桟橋に着船した6隻の漁船。それぞれ大漁旗を揚げている。スライド枠には「92.3.2」と記される。 | 志摩市磯部町三ヶ所 | 1992.03.02 |
3901 | 三ヶ所大日祭4-2 | 漁船で酒を交わしながら、大日堂での読経が終わるのを待つ漁師。スライド枠には「92.3.2」と記される。 | 志摩市磯部町三ヶ所 | 1992.03.02 |
3902 | 三ヶ所大日祭4-3 | 御座船に続いて船着き場に着岸した漁船。スライド枠には「92.3.2」と記される。 | 志摩市磯部町三ヶ所 | 1992.03.02 |
3903 | 三ヶ所大日祭4-4 | 船着き場に着岸しようとする御座船。スライド枠には「92.3.2」と記される。 | 志摩市磯部町三ヶ所 | 1992.03.02 |
3904 | 三ヶ所大日祭4-5 | 船着き場に着岸しようとする御座船。スライド枠には「92.3.2」と記される。 | 志摩市磯部町三ヶ所 | 1992.03.02 |
3905 | 三ヶ所大日祭4-6 | 大日如来を納めた厨子を御座船に安置し、三ヶ所へ向かう船団。それぞれ大漁旗を掲げている。御座船ではホラ貝と太鼓を鳴らしながら、渡鹿野島を回り、区民の待つ里前で右回りに3回旋回して着岸する。スライド枠には「92.3.2」と記される。 | 志摩市磯部町三ヶ所 | 1992.03.02 |
3906 | 三ヶ所大日祭4-7 | 大日如来を納めた厨子を御座船に安置し、三ヶ所へ向かう船団。それぞれ大漁旗を掲げている。御座船ではホラ貝と太鼓を鳴らしながら、渡鹿野島を回り、区民の待つ里前で右回りに3回旋回して着岸する。スライド枠には「92.3.2」と記される。 | 志摩市磯部町三ヶ所 | 1992.03.02 |
3907 | 三ヶ所大日祭4-8 | 大日如来を納めた厨子を御座船に安置し、三ヶ所へ向かう船団。それぞれ大漁旗を掲げている。御座船ではホラ貝と太鼓を鳴らしながら、渡鹿野島を回り、区民の待つ里前で右回りに3回旋回して着岸する。スライド枠には「92.3.2」と記される。 | 志摩市磯部町三ヶ所 | 1992.03.02 |
3908 | 三ヶ所大日祭4-9 | 大日如来を迎えるため、大日堂へ続く桟橋に着船した漁船。桟橋は、祭りの前日檀家の役員が出会いで設置し、祭りの翌日撤去される。後方より撮影。それぞれ大漁旗を揚げている。スライド枠には「92.3.2」と記される。 | 志摩市磯部町三ヶ所 | 1992.03.02 |
3909 | 三ヶ所大日祭4-10 | 大日如来を迎えるため、大日堂へ続く桟橋に着船した漁船。桟橋は、祭りの前日檀家の役員が出会いで設置し、祭りの翌日撤去される。後方より撮影。それぞれ大漁旗を揚げている。スライド枠には「92.3.2」と記される。 | 志摩市磯部町三ヶ所 | 1992.03.02 |
3910 | 三ヶ所大日祭4-11 | 大日堂へ向かう住職や檀家衆。後方より撮影。スライド枠には「92.3.2」と記される。 | 志摩市磯部町三ヶ所 | 1992.03.02 |
3911 | 三ヶ所大日祭4-12 | 大日堂へ向かう住職や檀家衆。後方より撮影。スライド枠には「92.3.2」と記される。 | 志摩市磯部町三ヶ所 | 1992.03.02 |
3912 | 三ヶ所大日祭4-13 | 大日堂へ向かう住職や檀家衆。後方より撮影。スライド枠には「92.3.2」と記される。 | 志摩市磯部町三ヶ所 | 1992.03.02 |
3913 | 三ヶ所大日祭4-14 | 大日堂へ入ろうとする檀家衆。後方より撮影。スライド枠には「92.3.2」と記される。 | 志摩市磯部町三ヶ所 | 1992.03.02 |
3914 | 三ヶ所大日祭4-15 | 大日堂。中では読経が行われている。スライド枠には「92.3.2」と記される。 | 志摩市磯部町三ヶ所 | 1992.03.02 |
3915 | 三ヶ所大日祭4-16 | 大日堂。中では読経が行われている。スライド枠には「92.3.2」と記される。 | 志摩市磯部町三ヶ所 | 1992.03.02 |
3916 | 三ヶ所大日祭4-17 | 大日堂。読経の様子。スライド枠には「92.3.2」と記される。 | 志摩市磯部町三ヶ所 | 1992.03.02 |
3917 | 三ヶ所大日祭4-18 | 大日堂に安置された大日如来。スライド枠には「92.3.2」と記される。 | 志摩市磯部町三ヶ所 | 1992.03.02 |
3918 | 三ヶ所大日祭4-19 | 大日堂の全景。中では読経が行われている。スライド枠には「92.3.2」と記される。 | 志摩市磯部町三ヶ所 | 1992.03.02 |
3919 | 磯部の御神田(おみた)1-1 | 志摩市磯部町上之郷に鎮座する伊勢神宮の別宮「伊雑宮」の御料田で毎年6月24日に行われる御田植祭。日本三大御田植祭の1つに数えられ、平成2年「磯部の御神田(おみた)」として国の重要無形民俗文化財に指定された。 写真は御料田の畔の忌柱に結わえ立てられた高さが15mほどの忌竹。上下に2個のサシバが付けられ、「ゴンバウチワ」とも呼ばれる。上のサシバは円形で直径2.6m、島台に松竹梅・松の右に太陽・左に三日月・その下に稲穂をくわえた鶴・神酒のそばに亀が描かれている。下のサシバは逆三角形で縦4m、横幅は広い肩の部分で3mあり、五色の帆に千石船が艫を右にして伊雑宮に進むように描かれ、帆には「太一」と大書されている。スライド枠には「61.6.24」と記される。 参考文献:『磯部町史』平成9年発行/(以下キャプションは同文献を参照) | 志摩市磯部町上之郷 | 1986.06.24 |
3920 | 磯部の御神田(おみた)1-2 | 御料田に入り泥を掛け合って、竹取神事の開始を待つ裸男たち。裸男たちは忌竹を3回引き回し、1回これを差し上げて南側の御料田を横切って野川に向かう。野川で泥だらけになった忌竹や体を洗うためである。野川の堤防ではこの竹にあやかるため多くの、特に漁業関係の人たちが集まってこれを求める。忌竹やサシバの和紙は、大漁安全のお守りとして船玉さまに、あるいは五穀豊穣のお守りとして神棚に祀られる。スライド枠には「61.6.24」と記される。 | 志摩市磯部町上之郷 | 1986.06.24 |
3921 | 磯部の御神田(おみた)1-3 | 御料田に入り泥を掛け合って、竹取神事の開始を待つ裸男たち。裸男たちは忌竹を3回引き回し、1回これを差し上げて南側の御料田を横切って野川に向かう。野川で泥だらけになった忌竹や体を洗うためである。野川の堤防ではこの竹にあやかるため多くの、特に漁業関係の人たちが集まってこれを求める。忌竹やサシバの和紙は、大漁安全のお守りとして船玉さまに、あるいは五穀豊穣のお守りとして神棚yaに祀られる。スライド枠には「61.6.24」と記される。 | 志摩市磯部町上之郷 | 1986.06.24 |
3922 | 磯部の御神田(おみた)1-4 | 御料田に入り泥を掛け合って、竹取神事の開始を待つ裸男たち。裸男たちは忌竹を3回引き回し、1回これを差し上げて南側の御料田を横切って野川に向かう。野川で泥だらけになった忌竹や体を洗うためである。野川の堤防ではこの竹にあやかるため多くの、特に漁業関係の人たちが集まってこれを求める。忌竹やサシバの和紙は、大漁安全のお守りとして船玉さまに、あるいは五穀豊穣のお守りとして神棚等に祀られる。スライド枠には「61.6.24」と記される。 | 志摩市磯部町上之郷 | 1986.06.24 |
3923 | 磯部の御神田(おみた)1-5 | 御料田に入り泥を掛け合って、竹取神事の開始を待つ裸男たち。裸男たちは忌竹を3回引き回し、1回これを差し上げて南側の御料田を横切って野川に向かう。野川で泥だらけになった忌竹や体を洗うためである。野川の堤防ではこの竹にあやかるため多くの、特に漁業関係の人たちが集まってこれを求める。忌竹やサシバの和紙は、大漁安全のお守りとして船玉さまに、あるいは五穀豊穣のお守りとして神棚等に祀られる。スライド枠には「61.6.24」と記される。 | 志摩市磯部町上之郷 | 1986.06.24 |
3924 | 磯部の御神田(おみた)1-6 | 御料田に入り泥を掛け合って、竹取神事の開始を待つ裸男たち。裸男たちは忌竹を3回引き回し、1回これを差し上げて南側の御料田を横切って野川に向かう。野川で泥だらけになった忌竹や体を洗うためである。野川の堤防ではこの竹にあやかるため多くの、特に漁業関係の人たちが集まってこれを求める。忌竹やサシバの和紙は、大漁安全のお守りとして船玉さまに、あるいは五穀豊穣のお守りとして神棚等に祀られる。スライド枠には「61.6.24」と記される。 | 志摩市磯部町上之郷 | 1986.06.24 |
3925 | 磯部の御神田(おみた)1-7 | 竹取神事。裸男たちは忌竹を3回引き回し、1回これを差し上げて南側の御料田を横切って野川に向かう。野川で泥だらけになった忌竹や体を洗うためである。野川の堤防ではこの竹にあやかるため多くの、特に漁業関係の人たちが集まってこれを求める。忌竹やサシバの和紙は、大漁安全のお守りとして船玉さまに、あるいは五穀豊穣のお守りとして神棚等に祀られる。スライド枠には「61.6.24」と記される。 | 志摩市磯部町上之郷 | 1986.06.24 |
3926 | 磯部の御神田(おみた)1-8 | 竹取神事。裸男たちは忌竹を3回引き回し、1回これを差し上げて南側の御料田を横切って野川に向かう。野川で泥だらけになった忌竹や体を洗うためである。野川の堤防ではこの竹にあやかるため多くの、特に漁業関係の人たちが集まってこれを求める。忌竹やサシバの和紙は、大漁安全のお守りとして船玉さまに、あるいは五穀豊穣のお守りとして神棚等に祀られる。スライド枠には「61.6.24」と記される。 | 志摩市磯部町上之郷 | 1986.06.24 |
3927 | 磯部の御神田(おみた)1-9 | 竹取神事。裸男たちは忌竹を3回引き回し、1回これを差し上げて南側の御料田を横切って野川に向かう。野川で泥だらけになった忌竹や体を洗うためである。野川の堤防ではこの竹にあやかるため多くの、特に漁業関係の人たちが集まってこれを求める。忌竹やサシバの和紙は、大漁安全のお守りとして船玉さまに、あるいは五穀豊穣のお守りとして神棚等に祀られる。スライド枠には「61.6.24」と記される。 | 志摩市磯部町上之郷 | 1986.06.24 |
3928 | 磯部の御神田(おみた)2-1 | 御料田の畔の忌柱に結わえ立てられた15mほどの忌竹(ゴンバウチワ)が倒される瞬間。遠景。スライド枠には「61.6.24」と記される。 | 志摩市磯部町上之郷 | 1986.06.24 |
3929 | 磯部の御神田(おみた)2-2 | 御料田の畔の忌柱に結わえ立てられた15mほどの忌竹(ゴンバウチワ)が倒される瞬間。遠景。スライド枠には「61.6.24」と記される。 | 志摩市磯部町上之郷 | 1986.06.24 |
3930 | 磯部の御神田(おみた)2-3 | 御料田の畔の忌柱に結わえ立てられた15mほどの忌竹(ゴンバウチワ)が倒される瞬間。遠景。スライド枠には「61.6.24」と記される。 | 志摩市磯部町上之郷 | 1986.06.24 |
3931 | 磯部の御神田(おみた)2-4 | 竹取神事。裸男たちは忌竹を3回引き回し、1回これを差し上げて南側の御料田を横切って野川に向かう。野川で泥だらけになった忌竹や体を洗うためである。野川の堤防ではこの竹にあやかるため多くの、特に漁業関係の人たちが集まってこれを求める。忌竹やサシバの和紙は、大漁安全のお守りとして船玉さまに、あるいは五穀豊穣のお守りとして神棚等に祀られる。スライド枠には「61.6.24」と記される。 | 志摩市磯部町上之郷 | 1986.06.24 |
3932 | 磯部の御神田(おみた)2-5 | 竹取神事の様子。裸男たちは忌竹を3回引き回し、1回これを差し上げて南側の御料田を横切って野川に向かう。野川で泥だらけになった忌竹や体を洗うためである。野川の堤防ではこの竹にあやかるため多くの、特に漁業関係の人たちが集まってこれを求める。忌竹やサシバの和紙は、大漁安全のお守りとして船玉さまに、あるいは五穀豊穣のお守りとして神棚等に祀られる。スライド枠には「61.6.24」と記される。 | 志摩市磯部町上之郷 | 1986.06.24 |
3933 | 磯部の御神田(おみた)2-6 | 竹取神事の様子。裸男たちは忌竹を3回引き回し、1回これを差し上げて南側の御料田を横切って野川に向かう。野川で泥だらけになった忌竹や体を洗うためである。野川の堤防ではこの竹にあやかるため多くの、特に漁業関係の人たちが集まってこれを求める。忌竹やサシバの和紙は、大漁安全のお守りとして船玉さまに、あるいは五穀豊穣のお守りとして神棚等に祀られる。スライド枠には「61.6.24」と記される。 | 志摩市磯部町上之郷 | 1986.06.24 |
3934 | 磯部の御神田(おみた)2-7 | 刺鳥差(サイトリサシ)の舞。2人の「ササラすり」の少年が勤める。その後方で田舟に乗り、太鼓をたたくのは少女に扮した「太鼓打ち」の少年である。主に少年が務めるが、まれに少女がなることもある。スライド枠には「61.6.24」と記される。 | 志摩市磯部町上之郷 | 1986.06.24 |
3935 | 磯部の御神田(おみた)2-8 | 御田植神事。太鼓打ちやササラスリ、笛吹きらが奏でる田楽と謡に合わせて、早乙女と田道人が後ずさりで苗を植えていく。「くだりわか」という。スライド枠には「61.6.24」と記される。 | 志摩市磯部町上之郷 | 1986.06.24 |
3936 | 磯部の御神田(おみた)2-9 | 御田植神事。太鼓打ちやササラスリ、笛吹きらが奏でる田楽と謡に合わせて、早乙女と田道人が後ずさりで苗を植えていく。「くだりわか」という。スライド枠には「61.6.24」と記される。 | 志摩市磯部町上之郷 | 1986.06.24 |
3937 | 磯部の御神田(おみた)2-10 | 御田植神事。太鼓打ちやササラスリ、笛吹きらが奏でる田楽と謡に合わせて、早乙女と田道人が後ずさりで苗を植えていく。「くだりわか」という。スライド枠には「61.6.24」と記される。 | 志摩市磯部町上之郷 | 1986.06.24 |
3938 | 磯部の御神田(おみた)2-11 | 御田植神事。太鼓打ちやササラスリ、笛吹きらが奏でる田楽と謡に合わせて、早乙女と田道人が後ずさりで苗を植えていく。「くだりわか」という。スライド枠には「61.6.24」と記される。 | 志摩市磯部町上之郷 | 1986.06.24 |
3939 | 磯部の御神田(おみた)3-1 | 太鼓打ちが乗る田舟。太鼓打ちは、7歳から10歳までの少年(まれに少女)が務める。明治のころは田舟を用いず、直接田に立って太鼓を打っていた。御田植の時には謡に合わせ、また踊り込みの時には警護の踊込み歌に合わせて太鼓を打つ。スライド枠には「61.6.24」と記される。 | 志摩市磯部町上之郷 | 1986.06.24 |
3940 | 磯部の御神田(おみた)3-2 | 御料田の畔の忌柱に結わえ立てられた15mほどの忌竹(ゴンバウチワとも言われる)。この忌竹は上之郷区民が早朝4時半の花火を合図に、サシバを公民館から伊雑宮の境内に移し、前日伐り出した竹に取り付けたものである。スライド枠には「61.6.24」と記される。 | 志摩市磯部町上之郷 | 1986.06.24 |
3941 | 磯部の御神田(おみた)3-3 | 御料田の畔の忌柱に結わえ立てられた15mほどの忌竹(ゴンバウチワとも言われる)。この忌竹は上之郷区民が早朝4時半の花火を合図に、サシバを公民館から伊雑宮の境内に移し、前日伐り出した竹に取り付けたものである。スライド枠には「61.6.24」と記される。 | 志摩市磯部町上之郷 | 1986.06.24 |
3942 | 磯部の御神田(おみた)3-4 | 衛士を先頭に伊雑宮から御料田に参進(「のぼりわか」)し、御料田前の鳥居をくぐる。スライド枠には「61.6.24」と記される。 | 志摩市磯部町上之郷 | 1986.06.24 |
3943 | 磯部の御神田(おみた)3-5 | 御料田へ到着すると神官は御料田を清め、作長は左、右、中と早苗を奉下する。作長の後ろ姿。スライド枠には「61.6.24」と記される。 | 志摩市磯部町上之郷 | 1986.06.24 |
3944 | 磯部の御神田(おみた)3-6 | 御料田へ向かう早乙女。早乙女は、12歳から14歳の女子6人が務める。6人の早乙女の中で先頭に立つ、背の低い者を「サイワカ」、後ろの背の高い者を「オクワカ」とよぶ。スライド枠には「61.6.24」と記される。 | 志摩市磯部町上之郷 | 1986.06.24 |
3945 | 磯部の御神田(おみた)3-7 | 御料田へ向かう早乙女の後ろ姿。スライド枠には「61.6.24」と記される。 | 志摩市磯部町上之郷 | 1986.06.24 |
3946 | 磯部の御神田(おみた)3-8 | 御田植神事を務めるため田の畔道を参進する役人(ヤクビト)たち。スライド枠には「61.6.24」と記される。 | 志摩市磯部町上之郷 | 1986.06.24 |
3947 | 磯部の御神田(おみた)3-9 | 御田植神事を務めるため田の畔道を参進する役人(ヤクビト)たち。スライド枠には「61.6.24」と記される。 | 志摩市磯部町上之郷 | 1986.06.24 |
3948 | 磯部の御神田(おみた)3-10 | 御田植神事を務めるため田の畔道を参進する役人(ヤクビト)たち。スライド枠には「61.6.24」と記される。 | 志摩市磯部町上之郷 | 1986.06.24 |
3949 | 磯部の御神田(おみた)4-1 | 御田植神事。太鼓打ちやササラスリ、笛吹きらが奏でる田楽と謡に合わせて、早乙女と田道人が後ずさりで苗を植えていく。「くだりわか」という。早苗を植える早乙女、手元のアップ。スライド枠には「61.6.24」と記される。 | 志摩市磯部町上之郷 | 1986.06.24 |
3950 | 磯部の御神田(おみた)4-2 | 御田植神事。太鼓打ちやササラスリ、笛吹きらが奏でる田楽と謡に合わせて、早乙女と田道人が後ずさりで苗を植えていく。「くだりわか」という。早苗を植える早乙女、足元のアップ。スライド枠には「61.6.24」と記される。 | 志摩市磯部町上之郷 | 1986.06.24 |
3951 | 磯部の御神田(おみた)4-3 | 御田植神事。太鼓打ちやササラスリ、笛吹きらが奏でる田楽と謡に合わせて、早乙女と田道人が後ずさりで苗を植えていく。「くだりわか」という。早苗を植える早乙女、足元のアップ。スライド枠には「61.6.24」と記される。 | 志摩市磯部町上之郷 | 1986.06.24 |
3952 | 磯部の御神田(おみた)4-4 | 御田植神事。太鼓打ちやササラスリ、笛吹きらが奏でる田楽と謡に合わせて、早乙女と田道人が後ずさりで苗を植えていく。「くだりわか」という。スライド枠には「61.6.24」と記される。 | 志摩市磯部町上之郷 | 1986.06.24 |
3953 | 磯部の御神田(おみた)4-5 | 御田植神事。太鼓打ちやササラスリ、笛吹きらが奏でる田楽と謡に合わせて、早乙女と田道人が後ずさりで苗を植えていく。「くだりわか」という。スライド枠には「61.6.24」と記される。 | 志摩市磯部町上之郷 | 1986.06.24 |
3954 | 磯部の御神田(おみた)4-6 | 御田植神事。太鼓打ちやササラスリ、笛吹きらが奏でる田楽と謡に合わせて、早乙女と田道人が後ずさりで苗を植えていく。「くだりわか」という。スライド枠には「61.6.24」と記される。 | 志摩市磯部町上之郷 | 1986.06.24 |
3955 | 磯部の御神田(おみた)4-7 | 御田植神事。太鼓打ちやササラスリ、笛吹きらが奏でる田楽と謡に合わせて、早乙女と田道人が後ずさりで苗を植えていく。「くだりわか」という。スライド枠には「61.6.24」と記される。 | 志摩市磯部町上之郷 | 1986.06.24 |
3956 | 磯部の御神田(おみた)4-8 | 小謡9番までが済むとエブリサシが神酒を持ち、早乙女の酌でワカメを肴に、中休みの酒宴が行われる。ワカメは引っぱって食べることから「引っぱりワカメ」という。スライド枠には「61.6.24」と記される。 | 志摩市磯部町上之郷 | 1986.06.24 |
3957 | 磯部の御神田(おみた)4-9 | 小謡9番までが済むとエブリサシが神酒を持ち、早乙女の酌でワカメを肴に、中休みの酒宴が行われる。ワカメは引っぱって食べることから「引っぱりワカメ」という。スライド枠には「61.6.24」と記される。 | 志摩市磯部町上之郷 | 1986.06.24 |
3958 | 磯部の御神田(おみた)4-10 | 御料田の畔の忌柱に結わえ立てられた高さが15mほどの忌竹(ゴンバウチワとも言われる)。この忌竹は上之郷区民が早朝4時半花火の合図でサシバを公民館から鳥居内に移し、前日伐り出した竹に取り付け、神官の修祓を受けた後立てられたものである。スライド枠には「61.6.24」と記される。 | 志摩市磯部町上之郷 | 1986.06.24 |
3959 | 磯部の御神田(おみた)4-11 | 御料田の畔の忌柱に結わえ立てられた15mほどの忌竹(ゴンバウチワとも言われる)。この忌竹は上之郷区民が早朝4時半の花火を合図に、サシバを公民館から伊雑宮の境内に移し、前日伐り出した竹に取り付けたものである。スライド枠には「61.6.24」と記される。 | 志摩市磯部町上之郷 | 1986.06.24 |
3960 | 磯部の御神田(おみた)4-12 | 御料田の畔の忌柱に結わえ立てられた15mほどの忌竹(ゴンバウチワとも言われる)。この忌竹は上之郷区民が早朝4時半の花火を合図に、サシバを公民館から伊雑宮の境内に移し、前日伐り出した竹に取り付けたものである。スライド枠には「61.6.24」と記される。 | 志摩市磯部町上之郷 | 1986.06.24 |
3961 | 磯部の御神田(おみた)4-13 | 太鼓打ちが乗る田舟。太鼓打ちは、7歳から10歳までの少年(まれに少女)が務める。明治のころは田舟を用いず、直接田に立って太鼓を打っていた。御田植の時には謡に合わせ、また踊り込みの時には警護の踊込み歌に合わせて太鼓を打つ。スライド枠には「61.6.24」と記される。 | 志摩市磯部町上之郷 | 1986.06.24 |
3962 | ゴンバウチワ(海の博物館展示)(混入)5-1 | (混入)高さが15mほどの忌竹。上下に2個のサシバが付けられ、「ゴンバウチワ」とも呼ばれる。上のサシバは円形で直径2.6m、島台に松竹梅・松の右に太陽・左に三日月・その下に稲穂をくわえた鶴・神酒のそばに亀が描かれている。下のサシバは逆三角形で縦4m、横幅は広い肩の部分で3mあり、五色の帆に千石船が艫を右にして伊雑宮に進むように描かれ、帆には「太一」と大書されている。 | 海の博物館 | 不明 |
3963 | 磯部の御神田(おみた)5-2 | 高さが15mほどの忌竹(ゴンバウチワ)が倒される瞬間。2人のエブリサシは御料田に入り、1回で忌竹を取られないように、両側からエブリで支えながらゆっくり倒す。スライド枠には「61.6.24」と記される。 | 志摩市磯部町上之郷 | 1986.06.24 |
3964 | 磯部の御神田(おみた)5-3 | 高さが15mほどの忌竹(ゴンバウチワ)が御料田の中に倒された瞬間。裸男たちは忌竹のサシバの絵を奪おうと忌竹に駆け寄る。スライド枠には「61.6.24」と記される。 | 志摩市磯部町上之郷 | 1986.06.24 |
3965 | ゴンバウチワ(海の博物館展示)(混入)5-4 | 高さが15mほどの忌竹。上下に2個のサシバが付けられ、「ゴンバウチワ」とも呼ばれる。上のサシバは円形で直径2.6m、島台に松竹梅・松の右に太陽・左に三日月・その下に稲穂をくわえた鶴・神酒のそばに亀が描かれている。下のサシバは逆三角形で縦4m、横幅は広い肩の部分で3mあり、五色の帆に千石船が艫を右にして伊雑宮に進むように描かれ、帆には「太一」と大書されている。 | 海の博物館 | 不明 |
3966 | ゴンバウチワ(海の博物館展示)(混入)5-5 | 高さが15mほどの忌竹。上下に2個のサシバが付けられ、「ゴンバウチワ」とも呼ばれる。上のサシバは円形で直径2.6m、島台に松竹梅・松の右に太陽・左に三日月・その下に稲穂をくわえた鶴・神酒のそばに亀が描かれている。下のサシバは逆三角形で縦4m、横幅は広い肩の部分で3mあり、五色の帆に千石船が艫を右にして伊雑宮に進むように描かれ、帆には「太一」と大書されている。 | 海の博物館 | 不明 |
3967 | 磯部の御神田(おみた)5-6 | 竹取神事。裸男たちは忌竹を3回引き回し、1回これを差し上げて南側の御料田を横切って野川に向かう。野川で泥だらけになった忌竹や体を洗うためである。野川の堤防ではこの竹にあやかるため多くの、特に漁業関係の人たちが集まってこれを求める。忌竹やサシバの和紙は、大漁安全のお守りとして船玉さまに、あるいは五穀豊穣のお守りとして神棚等に祀られる。スライド枠には「61.6.24」と記される。 | 志摩市磯部町上之郷 | 1986.06.24 |
3968 | ゴンバウチワ(海の博物館展示)(混入)5-7 | 高さが15mほどの忌竹。上下に2個のサシバが付けられ、「ゴンバウチワ」とも呼ばれる。上のサシバは円形で直径2.6m、島台に松竹梅・松の右に太陽・左に三日月・その下に稲穂をくわえた鶴・神酒のそばに亀が描かれている。下のサシバは逆三角形で縦4m、横幅は広い肩の部分で3mあり、五色の帆に千石船が艫を右にして伊雑宮に進むように描かれ、帆には「太一」と大書されている。 | 海の博物館 | 不明 |
3969 | 磯部の御神田(おみた)5-8 | 竹取神事の後、荒れた田をエブリでならし、御田植えの神事が始まる。それぞれ6人の田道人(タチド)と早乙女(サオトメ)が交互に手を取り合って田の中を横一列に東畔に進む。これを「のぼりわか」という。スライド枠には「61.6.24」と記される。 | 志摩市磯部町上之郷 | 1986.06.24 |
3970 | 磯部の御神田(おみた)5-9 | 竹取神事の後、荒れた田をエブリでならし、御田植えの神事が始まる。それぞれ6人の田道人(タチド)と早乙女(サオトメ)が交互に手を取り合って田の中を横一列に東畔に進む。これを「のぼりわか」という。スライド枠には「61.6.24」と記される。 | 志摩市磯部町上之郷 | 1986.06.24 |
3971 | 磯部の御神田(おみた)5-10 | 竹取神事の後、荒れた田をエブリでならし、御田植えの神事が始まる。それぞれ6人の田道人(タチド)と早乙女(サオトメ)が交互に手を取り合って田の中を横一列に東畔に進む。これを「のぼりわか」という。スライド枠には「61.6.24」と記される。 | 志摩市磯部町上之郷 | 1986.06.24 |
3972 | 磯部の御神田(おみた)5-11 | 竹取神事の後、荒れた田をエブリでならし、御田植えの神事が始まる。それぞれ6人の田道人(タチド)と早乙女(サオトメ)が交互に手を取り合って田の中を横一列に東畔に進む。これを「のぼりわか」という。スライド枠には「61.6.24」と記される。 | 志摩市磯部町上之郷 | 1986.06.24 |
3973 | 磯部の御神田(おみた)5-12 | 竹取神事の後、荒れた田をエブリでならし、御田植えの神事が始まる。それぞれ6人の田道人(タチド)と早乙女(サオトメ)が交互に手を取り合って田の中を横一列に東畔に進む。これを「のぼりわか」という。スライド枠には「61.6.24」と記される。 | 志摩市磯部町上之郷 | 1986.06.24 |
3974 | 磯部の御神田(おみた)5-13 | 御田植神事。太鼓打ちやササラスリ、笛吹きらが奏でる田楽と謡に合わせて、早乙女と田道人が後ずさりで苗を植えていく。「くだりわか」という。スライド枠には「61.6.24」と記される。 | 志摩市磯部町上之郷 | 1986.06.24 |
3975 | 磯部の御神田(おみた)5-14 | 御田植神事。太鼓打ちやササラスリ、笛吹きらが奏でる田楽と謡に合わせて、早乙女と田道人が後ずさりで苗を植えていく。「くだりわか」という。スライド枠には「61.6.24」と記される。 | 志摩市磯部町上之郷 | 1986.06.24 |
3976 | 磯部の御神田(おみた)5-15 | 御田植神事。太鼓打ちやササラスリ、笛吹きらが奏でる田楽と謡に合わせて、早乙女と田道人が後ずさりで苗を植えていく。「くだりわか」という。スライド枠には「61.6.24」と記される。 | 志摩市磯部町上之郷 | 1986.06.24 |
3977 | 磯部の御神田(おみた)5-16 | 御田植神事。太鼓打ちやササラスリ、笛吹きらが奏でる田楽と謡に合わせて、早乙女と田道人が後ずさりで苗を植えていく。「くだりわか」という。スライド枠には「61.6.24」と記される。 | 志摩市磯部町上之郷 | 1986.06.24 |
3978 | 磯部の御神田(おみた)6-1 | 早苗取りが終わり、早苗を手に畦道を歩く田道人と早乙女。裸男たちは畦道に座り、竹取神事に備える。スライド枠には「61.6.24」と記される。 | 志摩市磯部町上之郷 | 1986.06.24 |
3979 | 磯部の御神田(おみた)6-2 | 早苗取りが終わり、早苗を手に畦道を歩く田道人と早乙女。裸男たちは畦に座り、竹取神事に備える。スライド枠には「61.6.24」と記される。 | 志摩市磯部町上之郷 | 1986.06.24 |
3980 | 磯部の御神田(おみた)6-3 | 早苗取りが終わり、早苗を手に畦道を歩く田道人と早乙女。裸男たちは畦に座り、竹取神事に備える。スライド枠には「61.6.24」と記される。 | 志摩市磯部町上之郷 | 1986.06.24 |
3981 | 磯部の御神田(おみた)6-4 | 早苗取りが終わり、早苗を手に畦道を歩く田道人と早乙女。裸男たちは畦に座り、竹取神事に備える。スライド枠には「61.6.24」と記される。 | 志摩市磯部町上之郷 | 1986.06.24 |
3982 | 磯部の御神田(おみた)6-5 | 早苗取り。早乙女と田道人が交互に手をつないで「の」の字に苗代を三周半回り、早苗取りをする。その後、裸男たちは御料田に入り泥をかけ合ったり、取っ組み合いをする。スライド枠には「61.6.24」と記される。 | 志摩市磯部町上之郷 | 1986.06.24 |
3983 | 磯部の御神田(おみた)6-6 | 早苗取り。早乙女と田道人が交互に手をつないで「の」の字に苗代を三周半回り、早苗取りをする。その後、裸男たちは御料田に入り泥をかけ合ったり、取っ組み合いをする。スライド枠には「61.6.24」と記される。 | 志摩市磯部町上之郷 | 1986.06.24 |
3984 | 磯部の御神田(おみた)6-7 | 早苗取り。早乙女と田道人が交互に手をつないで「の」の字に苗代を三周半回り、早苗取りをする。その後、裸男たちは御料田に入り泥をかけ合ったり、取っ組み合いをする。スライド枠には「61.6.24」と記される。 | 志摩市磯部町上之郷 | 1986.06.24 |
3985 | 磯部の御神田(おみた)6-8 | 早苗取り。早乙女と田道人が交互に手をつないで「の」の字に苗代を三周半回り、早苗取りをする。その後、裸男たちは御料田に入り泥をかけ合ったり、取っ組み合いをする。スライド枠には「61.6.24」と記される。 | 志摩市磯部町上之郷 | 1986.06.24 |
3986 | 磯部の御神田(おみた)6-9 | 早苗取り。早乙女と田道人が交互に手をつないで「の」の字に苗代を三周半回り、早苗取りをする。その後、裸男たちは御料田に入り泥をかけ合ったり、取っ組み合いをする。スライド枠には「61.6.24」と記される。 | 志摩市磯部町上之郷 | 1986.06.24 |
3987 | 磯部の御神田(おみた)6-10 | 忌竹の笹を大事に包んで持ち帰る女性。 | 志摩市磯部町上之郷 | 1986.06.24 |
3988 | 磯部の御神田(おみた)6-11 | 竹取神事でうばった忌竹を持ち帰る漁師たち。 | 志摩市磯部町上之郷 | 1986.06.24 |
3989 | 磯部の御神田(おみた)7-1 | 太鼓打ちが乗る田舟。太鼓打ちは、7歳から10歳までの少年(まれに少女)が務める。明治のころは田舟を用いず、直接田に立って太鼓を打っていた。御田植の時には謡に合わせ、また踊り込みの時には警護の踊込み歌に合わせて太鼓を打つ。スライド枠には「61.6.24」と記される。 | 志摩市磯部町上之郷 | 1986.06.24 |
3990 | 磯部の御神田(おみた)7-2 | 太鼓打ちが乗る田舟。太鼓打ちは、7歳から10歳までの少年(まれに少女)が務める。明治のころは田舟を用いず、直接田に立って太鼓を打っていた。御田植の時には謡に合わせ、また踊り込みの時には警護の踊込み歌に合わせて太鼓を打つ。スライド枠には「61.6.24」と記される。 | 志摩市磯部町上之郷 | 1986.06.24 |
3991 | 磯部の御神田(おみた)7-3 | 御料田へ向かう早乙女。早乙女は、12歳から14歳の女子6人が務める。6人の早乙女の中で先頭に立つ背の低い者を「サイワカ」、後ろの背の高い者を「オクワカ」とよぶ。スライド枠には「61.6.24」と記される。 | 志摩市磯部町上之郷 | 1986.06.24 |
3992 | 磯部の御神田(おみた)7-4 | 御田植神事。太鼓打ちやササラスリ、笛吹きらが奏でる田楽と謡に合わせて、早乙女と田道人が後ずさりで苗を植えていく。「くだりわか」という。早苗を植える早乙女の手元、アップ。スライド枠には「61.6.24」と記される。 | 志摩市磯部町上之郷 | 1986.06.24 |
3993 | 磯部の御神田(おみた)7-5 | 竹取神事の開始前、御料田に入ろうとする裸男たち。スライド枠には「61.6.24」と記される。 | 志摩市磯部町上之郷 | 1986.06.24 |
3994 | 磯部の御神田(おみた)7-6 | 竹取神事の開始前、御料田の畔に座る裸男たち。スライド枠には「61.6.24」と記される。 | 志摩市磯部町上之郷 | 1986.06.24 |
3995 | 磯部の御神田(おみた)7-7 | 竹取神事の開始前、御料田の畔に座る裸男たち。スライド枠には「61.6.24」と記される。 | 志摩市磯部町上之郷 | 1986.06.24 |
3996 | 磯部の御神田(おみた)7-8 | 竹取神事の開始前、御料田に入り泥を掛け合う裸男たち。スライド枠には「61.6.24」と記される。 | 志摩市磯部町上之郷 | 1986.06.24 |
3997 | 磯部の御神田(おみた)7-9 | 竹取神事の開始前、御料田で泥を掛け合った後畔に座る裸男たち。スライド枠には「61.6.24」と記される。 | 志摩市磯部町上之郷 | 1986.06.24 |
3998 | 磯部の御神田(おみた)7-10 | 早苗取り。早乙女と田道人が交互に手をつないで「の」の字に苗代を三周半回り、早苗取りをする。その後、裸男たちは御料田に入り泥をかけ合ったり、取っ組み合いをする。スライド枠には「61.6.24」と記される。 | 志摩市磯部町上之郷 | 1986.06.24 |
3999 | 磯部の御神田(おみた)7-11 | 早苗取りが終わり、早苗を手に畦道を歩く田道人と早乙女。裸男たちは畦に座り、竹取神事に備える。スライド枠には「61.6.24」と記される。 | 志摩市磯部町上之郷 | 1986.06.24 |
4000 | 磯部の御神田(おみた)7-12 | 早苗取りが終わり、早苗を手に畦道を歩く田道人と早乙女。裸男たちは畦に座り、竹取神事に備える。スライド枠には「61.6.24」と記される。 | 志摩市磯部町上之郷 | 1986.06.24 |
4001 | 磯部の御神田(おみた)7-13 | 早苗取りが終わり、早苗を手に畦道を歩く田道人と早乙女。裸男たちは畦に座り、竹取神事に備える。スライド枠には「61.6.24」と記される。 | 志摩市磯部町上之郷 | 1986.06.24 |
4002 | 磯部の御神田(おみた)7-14 | 早苗取りが終わり、早苗を手に畦道を歩く田道人と早乙女。裸男たちは畦に座り、竹取神事に備える。スライド枠には「61.6.24」と記される。 | 志摩市磯部町上之郷 | 1986.06.24 |
4003 | 磯部の御神田(おみた)8-1 | 早苗取りをしている間、裸男たちは御料田に入り泥をかけ合ったり、取っ組み合いをする。スライド枠には「61.6.24」と記される。 | 志摩市磯部町上之郷 | 1986.06.24 |
4004 | 磯部の御神田(おみた)8-2 | 早苗取りをしている間、裸男たちは御料田に入り泥をかけ合ったり、取っ組み合いをする。スライド枠には「61.6.24」と記される。 | 志摩市磯部町上之郷 | 1986.06.24 |
4005 | 磯部の御神田(おみた)8-3 | 早苗取りをしている間、裸男たちは御料田に入り泥をかけ合ったり、取っ組み合いをする。スライド枠には「61.6.24」と記される。 | 志摩市磯部町上之郷 | 1986.06.24 |
4006 | 磯部の御神田(おみた)8-4 | 早苗取りをしている間、裸男たちは御料田に入り泥をかけ合ったり、取っ組み合いをする。スライド枠には「61.6.24」と記される。 | 志摩市磯部町上之郷 | 1986.06.24 |
4007 | 磯部の御神田(おみた)8-5 | 竹取神事。裸男たちは忌竹を3回引き回し、1回これを差し上げて南側の御料田を横切って野川に向かう。野川で泥だらけになった忌竹や体を洗うためである。野川の堤防ではこの竹にあやかるため多くの、特に漁業関係の人たちが集まってこれを求める。忌竹やサシバの和紙は、大漁安全のお守りとして船玉さまに、あるいは五穀豊穣のお守りとして神棚等に祀られる。スライド枠には「61.6.24」と記される。 | 志摩市磯部町上之郷 | 1986.06.24 |
4008 | 磯部の御神田(おみた)8-6 | 竹取神事。裸男たちは忌竹を3回引き回し、1回これを差し上げて南側の御料田を横切って野川に向かう。野川で泥だらけになった忌竹や体を洗うためである。野川の堤防ではこの竹にあやかるため多くの、特に漁業関係の人たちが集まってこれを求める。忌竹やサシバの和紙は、大漁安全のお守りとして船玉さまに、あるいは五穀豊穣のお守りとして神棚等に祀られる。スライド枠には「61.6.24」と記される。 | 志摩市磯部町上之郷 | 1986.06.24 |
4009 | 磯部の御神田(おみた)8-7 | 竹取神事。裸男たちは忌竹を3回引き回し、1回これを差し上げて南側の御料田を横切って野川に向かう。野川で泥だらけになった忌竹や体を洗うためである。野川の堤防ではこの竹にあやかるため多くの、特に漁業関係の人たちが集まってこれを求める。忌竹やサシバの和紙は、大漁安全のお守りとして船玉さまに、あるいは五穀豊穣のお守りとして神棚等に祀られる。スライド枠には「61.6.24」と記される。 | 志摩市磯部町上之郷 | 1986.06.24 |
4010 | 磯部の御神田(おみた)8-8 | 竹取神事。裸男たちは忌竹を3回引き回し、1回これを差し上げて南側の御料田を横切って野川に向かう。野川で泥だらけになった忌竹や体を洗うためである。野川の堤防ではこの竹にあやかるため多くの、特に漁業関係の人たちが集まってこれを求める。忌竹やサシバの和紙は、大漁安全のお守りとして船玉さまに、あるいは五穀豊穣のお守りとして神棚等に祀られる。スライド枠には「61.6.24」と記される。 | 志摩市磯部町上之郷 | 1986.06.24 |
4011 | 磯部の御神田(おみた)8-9 | 竹取神事。裸男たちは忌竹を3回引き回し、1回これを差し上げて南側の御料田を横切って野川に向かう。野川で泥だらけになった忌竹や体を洗うためである。野川の堤防ではこの竹にあやかるため多くの、特に漁業関係の人たちが集まってこれを求める。忌竹やサシバの和紙は、大漁安全のお守りとして船玉さまに、あるいは五穀豊穣のお守りとして神棚等に祀られる。スライド枠には「61.6.24」と記される。 | 志摩市磯部町上之郷 | 1986.06.24 |
4012 | 磯部の御神田(おみた)8-10 | 竹取神事。裸男たちは忌竹を3回引き回し、1回これを差し上げて南側の御料田を横切って野川に向かう。野川で泥だらけになった忌竹や体を洗うためである。野川の堤防ではこの竹にあやかるため多くの、特に漁業関係の人たちが集まってこれを求める。忌竹やサシバの和紙は、大漁安全のお守りとして船玉さまに、あるいは五穀豊穣のお守りとして神棚等に祀られる。スライド枠には「61.6.24」と記される。 | 志摩市磯部町上之郷 | 1986.06.24 |
4013 | 磯部の御神田(おみた)8-11 | 竹取神事。裸男たちは忌竹を3回引き回し、1回これを差し上げて南側の御料田を横切って野川に向かう。野川で泥だらけになった忌竹や体を洗うためである。野川の堤防ではこの竹にあやかるため多くの、特に漁業関係の人たちが集まってこれを求める。忌竹やサシバの和紙は、大漁安全のお守りとして船玉さまに、あるいは五穀豊穣のお守りとして神棚等に祀られる。スライド枠には「61.6.24」と記される。 | 志摩市磯部町上之郷 | 1986.06.24 |
4014 | 磯部の御神田(おみた)8-12 | 竹取神事。裸男たちは忌竹を3回引き回し、1回これを差し上げて南側の御料田を横切って野川に向かう。野川で泥だらけになった忌竹や体を洗うためである。野川の堤防ではこの竹にあやかるため多くの、特に漁業関係の人たちが集まってこれを求める。忌竹やサシバの和紙は、大漁安全のお守りとして船玉さまに、あるいは五穀豊穣のお守りとして神棚等に祀られる。スライド枠には「61.6.24」と記される。 | 志摩市磯部町上之郷 | 1986.06.24 |
4015 | 磯部の御神田(おみた)8-13 | 竹取神事。裸男たちは忌竹を3回引き回し、1回これを差し上げて南側の御料田を横切って野川に向かう。野川で泥だらけになった忌竹や体を洗うためである。野川の堤防ではこの竹にあやかるため多くの、特に漁業関係の人たちが集まってこれを求める。忌竹やサシバの和紙は、大漁安全のお守りとして船玉さまに、あるいは五穀豊穣のお守りとして神棚等に祀られる。スライド枠には「61.6.24」と記される。 | 志摩市磯部町上之郷 | 1986.06.24 |
4016 | 磯部の御神田(おみた)9-1 | 竹取神事。裸男たちは忌竹を3回引き回し、1回これを差し上げて南側の御料田を横切って野川に向かう。野川で泥だらけになった忌竹や体を洗うためである。野川の堤防ではこの竹にあやかるため多くの、特に漁業関係の人たちが集まってこれを求める。忌竹やサシバの和紙は、大漁安全のお守りとして船玉さまに、あるいは五穀豊穣のお守りとして神棚等に祀られる。スライド枠には「61.6.24」と記される。 | 志摩市磯部町上之郷 | 1986.06.24 |
4017 | 磯部の御神田(おみた)9-2 | 竹取神事。裸男たちは忌竹を3回引き回し、1回これを差し上げて南側の御料田を横切って野川に向かう。野川で泥だらけになった忌竹や体を洗うためである。野川の堤防ではこの竹にあやかるため多くの、特に漁業関係の人たちが集まってこれを求める。忌竹やサシバの和紙は、大漁安全のお守りとして船玉さまに、あるいは五穀豊穣のお守りとして神棚等に祀られる。スライド枠には「61.6.24」と記される。 | 志摩市磯部町上之郷 | 1986.06.24 |
4018 | 磯部の御神田(おみた)9-3 | 竹取神事。裸男たちは忌竹を3回引き回し、1回これを差し上げて南側の御料田を横切って野川に向かう。野川で泥だらけになった忌竹や体を洗うためである。野川の堤防ではこの竹にあやかるため多くの、特に漁業関係の人たちが集まってこれを求める。忌竹やサシバの和紙は、大漁安全のお守りとして船玉さまに、あるいは五穀豊穣のお守りとして神棚等に祀られる。スライド枠には「61.6.24」と記される。 | 志摩市磯部町上之郷 | 1986.06.24 |
4019 | 磯部の御神田(おみた)9-4 | 竹取神事が終わると裸男たちは、サシバの和紙も破れ、泥だらけになった忌竹を引きずって野川へ向かう。スライド枠には「61.6.24」と記される。 | 志摩市磯部町上之郷 | 1986.06.24 |
4020 | 磯部の御神田(おみた)9-5 | 竹取神事が終わると裸男たちは、サシバの和紙も破れ、泥だらけになった忌竹を引きずって野川へ向かう。スライド枠には「61.6.24」と記される。 | 志摩市磯部町上之郷 | 1986.06.24 |
4021 | 磯部の御神田(おみた)9-6 | 竹取神事が終わると裸男たちは、サシバの和紙も破れ、泥だらけになった忌竹を引きずって野川へ向かう。スライド枠には「61.6.24」と記される。 | 志摩市磯部町上之郷 | 1986.06.24 |
4022 | 磯部の御神田(おみた)9-7 | 竹取神事が終わると、荒れた田をエブリで馴らし、お田植神事が始まる。太鼓打ちが乗る田舟を御料田に浮かべ、準備をする。スライド枠には「61.6.24」と記される。 | 志摩市磯部町上之郷 | 1986.06.24 |
4023 | 磯部の御神田(おみた)9-8 | 竹取神事が終わると、荒れた田をエブリで馴らし、お田植神事が始まる。太鼓打ちが乗る田舟に太鼓を据え、準備をする。スライド枠には「61.6.24」と記される。 | 志摩市磯部町上之郷 | 1986.06.24 |
4024 | 磯部の御神田(おみた)9-9 | 竹取神事の後、荒れた田をエブリで馴らし、御田植えの神事が始まる。それぞれ6人の田道人(タチド)と早乙女(サオトメ)が交互に手を取り合って田の中を横一列に東畔に進む。これを「のぼりわか」という。スライド枠には「61.6.24」と記される。 | 志摩市磯部町上之郷 | 1986.06.24 |
4025 | 磯部の御神田(おみた)9-10 | 御料田の畔の忌柱に結わえ立てられた15mほどの忌竹(ゴンバウチワとも言われる)。この忌竹は上之郷区民が早朝4時半の花火を合図に、サシバを公民館から伊雑宮の境内に移し、前日伐り出した竹に取り付けたものである。スライド枠には「61.6.24」と記される。 | 志摩市磯部町上之郷 | 1986.06.24 |
4026 | 磯部の御神田(おみた)9-11 | 御料田の畔の忌柱に結わえ立てられた15mほどの忌竹(ゴンバウチワとも言われる)。この忌竹は上之郷区民が早朝4時半の花火を合図に、サシバを公民館から伊雑宮の境内に移し、前日伐り出した竹に取り付けたものである。スライド枠には「61.6.24」と記される。 | 志摩市磯部町上之郷 | 1986.06.24 |
4027 | 磯部の御神田(おみた)10-1 | 御田植神事。太鼓打ちやササラスリ、笛吹きらが奏でる田楽と謡に合わせて、早乙女と田道人が後ずさりで苗を植えていく。「くだりわか」という。スライド枠には「61.6.24」と記される。 | 志摩市磯部町上之郷 | 1986.06.24 |
4028 | 磯部の御神田(おみた)10-2 | 御田植神事。太鼓打ちやササラスリ、笛吹きらが奏でる田楽と謡に合わせて、早乙女と田道人が後ずさりで苗を植えていく。「くだりわか」という。早苗を植える早乙女の手元、アップ。スライド枠には「61.6.24」と記される。 | 志摩市磯部町上之郷 | 1986.06.24 |
4029 | 磯部の御神田(おみた)10-3 | 御田植神事。太鼓打ちやササラスリ、笛吹きらが奏でる田楽と謡に合わせて、早乙女と田道人が後ずさりで苗を植えていく。「くだりわか」という。スライド枠には「61.6.24」と記される。 | 志摩市磯部町上之郷 | 1986.06.24 |
4030 | 磯部の御神田(おみた)10-4 | 御田植神事。太鼓打ちやササラスリ、笛吹きらが奏でる田楽と謡に合わせて、早乙女と田道人が後ずさりで苗を植えていく。「くだりわか」という。スライド枠には「61.6.24」と記される。 | 志摩市磯部町上之郷 | 1986.06.24 |
4031 | 磯部の御神田(おみた)10-5 | 御田植神事。太鼓打ちやササラスリ、笛吹きらが奏でる田楽と謡に合わせて、早乙女と田道人が後ずさりで苗を植えていく。「くだりわか」という。スライド枠には「61.6.24」と記される。 | 志摩市磯部町上之郷 | 1986.06.24 |
4032 | 磯部の御神田(おみた)10-6 | 御田植神事。太鼓打ちやササラスリ、笛吹きらが奏でる田楽と謡に合わせて、早乙女と田道人が後ずさりで苗を植えていく。「くだりわか」という。スライド枠には「61.6.24」と記される。 | 志摩市磯部町上之郷 | 1986.06.24 |
4033 | 磯部の御神田(おみた)10-7 | 御田植神事。太鼓打ちやササラスリ、笛吹きらが奏でる田楽と謡に合わせて、早乙女と田道人が後ずさりで苗を植えていく。「くだりわか」という。スライド枠には「61.6.24」と記される。 | 志摩市磯部町上之郷 | 1986.06.24 |
4034 | 磯部の御神田(おみた)10-8 | 御田植神事。太鼓打ちやササラスリ、笛吹きらが奏でる田楽と謡に合わせて、早乙女と田道人が後ずさりで苗を植えていく。「くだりわか」という。スライド枠には「61.6.24」と記される。 | 志摩市磯部町上之郷 | 1986.06.24 |
4035 | 磯部の御神田(おみた)10-9 | 御田植神事。太鼓打ちやササラスリ、笛吹きらが奏でる田楽と謡に合わせて、早乙女と田道人が後ずさりで苗を植えていく。「くだりわか」という。スライド枠には「61.6.24」と記される。 | 志摩市磯部町上之郷 | 1986.06.24 |
4036 | 磯部の御神田(おみた)10-10 | 御田植神事。太鼓打ちやササラスリ、笛吹きらが奏でる田楽と謡に合わせて、早乙女と田道人が後ずさりで苗を植えていく。「くだりわか」という。スライド枠には「61.6.24」と記される。 | 志摩市磯部町上之郷 | 1986.06.24 |
4037 | 磯部の御神田(おみた)10-11 | 御田植神事。太鼓打ちやササラスリ、笛吹きらが奏でる田楽と謡に合わせて、早乙女と田道人が後ずさりで苗を植えていく。「くだりわか」という。スライド枠には「61.6.24」と記される。 | 志摩市磯部町上之郷 | 1986.06.24 |
4038 | 磯部の御神田(おみた)10-12 | 御田植神事。太鼓打ちやササラスリ、笛吹きらが奏でる田楽と謡に合わせて、早乙女と田道人が後ずさりで苗を植えていく。「くだりわか」という。スライド枠には「61.6.24」と記される。 | 志摩市磯部町上之郷 | 1986.06.24 |
4039 | 磯部の御神田(おみた)10-13 | 御田植神事。太鼓打ちやササラスリ、笛吹きらが奏でる田楽と謡に合わせて、早乙女と田道人が後ずさりで苗を植えていく。「くだりわか」という。スライド枠には「61.6.24」と記される。 | 志摩市磯部町上之郷 | 1986.06.24 |
4040 | 磯部の御神田(おみた)10-14 | 御田植神事。太鼓打ちやササラスリ、笛吹きらが奏でる田楽と謡に合わせて、早乙女と田道人が後ずさりで苗を植えていく。「くだりわか」という。スライド枠には「61.6.24」と記される。 | 志摩市磯部町上之郷 | 1986.06.24 |
4041 | 磯部の御神田(おみた)11-1 | 刺鳥差(サイトリサシ)の舞。2人の「ササラすり」の少年が務める。その後方で田舟に乗り、太鼓をたたくのは少女に扮した「太鼓打ち」の少年である。主に少年が務めるが、まれに少女がなることもある。スライド枠には「61.6.24」と記される。 | 志摩市磯部町上之郷 | 1986.06.24 |
4042 | 磯部の御神田(おみた)11-2 | 刺鳥差(サイトリサシ)の舞。2人の「ササラすり」の少年が務める。その後方で田舟に乗り、太鼓をたたくのは少女に扮した「太鼓打ち」の少年である。主に少年が務めるが、まれに少女がなることもある。スライド枠には「61.6.24」と記される。 | 志摩市磯部町上之郷 | 1986.06.24 |
4043 | 磯部の御神田(おみた)11-3 | 御田植神事。太鼓打ちやササラスリ、笛吹きらが奏でる田楽と謡に合わせて、早乙女と田道人が後ずさりで苗を植えていく。「くだりわか」という。スライド枠には「61.6.24」と記される。 | 志摩市磯部町上之郷 | 1986.06.24 |
4044 | 磯部の御神田(おみた)11-4 | 御田植神事。太鼓打ちやササラスリ、笛吹きらが奏でる田楽と謡に合わせて、早乙女と田道人が後ずさりで苗を植えていく。「くだりわか」という。早苗を植える早乙女、手元のアップ。スライド枠には「61.6.24」と記される。 | 志摩市磯部町上之郷 | 1986.06.24 |
4045 | 磯部の御神田(おみた)11-5 | 御田植神事。太鼓打ちやササラスリ、笛吹きらが奏でる田楽と謡に合わせて、早乙女と田道人が後ずさりで苗を植えていく。「くだりわか」という。早苗を植える早乙女、手元のアップ。スライド枠には「61.6.24」と記される。 | 志摩市磯部町上之郷 | 1986.06.24 |
4046 | 磯部の御神田(おみた)11-6 | 御田植神事。太鼓打ちやササラスリ、笛吹きらが奏でる田楽と謡に合わせて、早乙女と田道人が後ずさりで苗を植えていく。「くだりわか」という。早苗を植える早乙女、手元のアップ。スライド枠には「61.6.24」と記される。 | 志摩市磯部町上之郷 | 1986.06.24 |
4047 | 磯部の御神田(おみた)11-7 | 御田植神事。太鼓打ちやササラスリ、笛吹きらが奏でる田楽と謡に合わせて、早乙女と田道人が後ずさりで苗を植えていく。「くだりわか」という。早苗を植える早乙女、手元のアップ。スライド枠には「61.6.24」と記される。 | 志摩市磯部町上之郷 | 1986.06.24 |
4048 | 磯部の御神田(おみた)11-8 | 御田植神事。太鼓打ちやササラスリ、笛吹きらが奏でる田楽と謡に合わせて、早乙女と田道人が後ずさりで苗を植えていく。「くだりわか」という。早苗を植える早乙女、手元のアップ。スライド枠には「61.6.24」と記される。 | 志摩市磯部町上之郷 | 1986.06.24 |
4049 | 磯部の御神田(おみた)11-9 | 御田植神事。太鼓打ちやササラスリ、笛吹きらが奏でる田楽と謡に合わせて、早乙女と田道人が後ずさりで苗を植えていく。「くだりわか」という。早苗を植える早乙女、手元のアップ。スライド枠には「61.6.24」と記される。 | 志摩市磯部町上之郷 | 1986.06.24 |
4050 | 磯部の御神田(おみた)11-10 | 御田植神事。太鼓打ちやササラスリ、笛吹きらが奏でる田楽と謡に合わせて、早乙女と田道人が後ずさりで苗を植えていく。「くだりわか」という。早苗を植える早乙女、手元のアップ。スライド枠には「61.6.24」と記される。 | 志摩市磯部町上之郷 | 1986.06.24 |
4051 | 磯部の御神田(おみた)11-11 | 御田植神事。太鼓打ちやササラスリ、笛吹きらが奏でる田楽と謡に合わせて、早乙女と田道人が後ずさりで苗を植えていく。「くだりわか」という。早苗を植える早乙女、手元のアップ。スライド枠には「61.6.24」と記される。 | 志摩市磯部町上之郷 | 1986.06.24 |
4052 | 磯部の御神田(おみた)11-12 | 御田植神事。太鼓打ちやササラスリ、笛吹きらが奏でる田楽と謡に合わせて、早乙女と田道人が後ずさりで苗を植えていく。「くだりわか」という。早苗を植える早乙女、手元のアップ。スライド枠には「61.6.24」と記される。 | 志摩市磯部町上之郷 | 1986.06.24 |
4053 | 磯部の御神田(おみた)11-13 | 御田植神事。太鼓打ちやササラスリ、笛吹きらが奏でる田楽と謡に合わせて、早乙女と田道人が後ずさりで苗を植えていく。「くだりわか」という。早苗を植える早乙女、手元のアップ。スライド枠には「61.6.24」と記される。 | 志摩市磯部町上之郷 | 1986.06.24 |
4054 | 磯部の御神田(おみた)11-14 | 御田植神事。太鼓打ちやササラスリ、笛吹きらが奏でる田楽と謡に合わせて、早乙女と田道人が後ずさりで苗を植えていく。「くだりわか」という。スライド枠には「61.6.24」と記される。 | 志摩市磯部町上之郷 | 1986.06.24 |
4055 | 磯部の御神田(おみた)11-15 | 御田植神事。太鼓打ちやササラスリ、笛吹きらが奏でる田楽と謡に合わせて、早乙女と田道人が後ずさりで苗を植えていく。「くだりわか」という。スライド枠には「61.6.24」と記される。 | 志摩市磯部町上之郷 | 1986.06.24 |
4056 | 磯部の御神田(おみた)12-1 | 竹取神事が終わると裸男たちは、サシバの和紙も破れ、泥だらけになった忌竹を引きずって野川へ向かう。スライド枠には「61.6.24」と記される。 | 志摩市磯部町上之郷 | 1986.06.24 |
4057 | 磯部の御神田(おみた)12-2 | 竹取神事が終わると裸男たちは、サシバの和紙も破れ、泥だらけになった忌竹を引きずって野川へ向かう。スライド枠には「61.6.24」と記される。 | 志摩市磯部町上之郷 | 1986.06.24 |
4058 | 磯部の御神田(おみた)12-3 | 竹取神事が終わると裸男たちは、サシバの和紙も破れ、泥だらけになった忌竹を引きずって野川へ向かう。スライド枠には「61.6.24」と記される。 | 志摩市磯部町上之郷 | 1986.06.24 |
4059 | 磯部の御神田(おみた)12-4 | 竹取神事が終わると裸男たちは、サシバの和紙も破れ、泥だらけになった忌竹を引きずって野川へ向かう。スライド枠には「61.6.24」と記される。 | 志摩市磯部町上之郷 | 1986.06.24 |
4060 | 磯部の御神田(おみた)12-5 | 竹取神事が終わり、御田植神事を待つばかりの御料田。スライド枠には「61.6.24」と記される。 | 志摩市磯部町上之郷 | 1986.06.24 |
4061 | 磯部の御神田(おみた)12-6 | 御田植神事。太鼓打ちやササラスリ、笛吹きらが奏でる田楽と謡に合わせて、早乙女と田道人が後ずさりで苗を植えていく。「くだりわか」という。スライド枠には「61.6.24」と記される。 | 志摩市磯部町上之郷 | 1986.06.24 |
4062 | 磯部の御神田(おみた)12-7 | 御田植神事。太鼓打ちやササラスリ、笛吹きらが奏でる田楽と謡に合わせて、早乙女と田道人が後ずさりで苗を植えていく。「くだりわか」という。スライド枠には「61.6.24」と記される。 | 志摩市磯部町上之郷 | 1986.06.24 |
4063 | 磯部の御神田(おみた)12-8 | 御田植神事。太鼓打ちやササラスリ、笛吹きらが奏でる田楽と謡に合わせて、早乙女と田道人が後ずさりで苗を植えていく。「くだりわか」という。スライド枠には「61.6.24」と記される。 | 志摩市磯部町上之郷 | 1986.06.24 |
4064 | 磯部の御神田(おみた)12-9 | 御田植神事。太鼓打ちやササラスリ、笛吹きらが奏でる田楽と謡に合わせて、早乙女と田道人が後ずさりで苗を植えていく。「くだりわか」という。スライド枠には「61.6.24」と記される。 | 志摩市磯部町上之郷 | 1986.06.24 |
4065 | 磯部の御神田(おみた)12-10 | 衛士を先頭に伊雑宮から御料田に参進(「のぼりわか」)する。早乙女のアップ。スライド枠には「61.6.24」と記される。 | 志摩市磯部町上之郷 | 1986.06.24 |
4066 | 坂崎の神祭1-1 | 磯部町坂崎の宇気比神社で行われる神祭。祷屋は新祷・古祷それぞれが一祷と二祷各1人、計4人で構成されている。地区の年間行事は古祷を見習いながら、新祷を中心に行われる(平成3年現在)。 写真は宇気比神社の鳥居の前にある「獅子の座」に安置された雌獅子。スライド枠には「3.1.5」と記される。 参考文献:『磯部町史』平成9年発行/(以下キャプションは同文献を参照) | 志摩市磯部町坂崎 | 1991.01.05 |
4067 | 坂崎の神祭1-2 | 宇気比神社の鳥居の前にある「獅子の座」に安置された雄獅子。スライド枠には「3.1.5」と記される。 | 志摩市磯部町坂崎 | 1991.01.05 |
4068 | 坂崎の神祭1-3 | 祷屋が持参した膳で作ったハンカザリ。シャクブタの上にそれぞれゆずり葉に乗せてコヨリでくくった、野菜・イセエビ・コノシロ・サザエを並べ、シャクブタの下三方にシデを垂らす。スライド枠には「3.1.5」と記される。 | 志摩市磯部町坂崎 | 1991.01.05 |
4069 | 坂崎の神祭1-4 | 祷屋の前に置かれたハンカザリと膳。膳にはナマス・魚イモ、アゲ、コウヤドウフの煮物・3枚のゆずり葉の上に盛られたご飯・吸い物が置かれている。スライド枠には「3.1.5」と記される。 | 志摩市磯部町坂崎 | 1991.01.05 |
4070 | 坂崎の神祭1-5 | 献饌の儀。手前から新祷2人、古祷2人、神主。スライド枠には「3.1.5」と記される。 | 志摩市磯部町坂崎 | 1991.01.05 |
4071 | 坂崎の神祭1-6 | 籠殿で天狗の面を付け、出番を待つ面タタキ役の少年。主に15歳の少年が務める。スライド枠には「3.1.5」と記される。 | 志摩市磯部町坂崎 | 1991.01.05 |
4072 | 坂崎の神祭1-7 | 祷屋の膳に置かれる3枚のゆずり葉の上に盛られたご飯。スライド枠には「3.1.5」と記される。 | 志摩市磯部町坂崎 | 1991.01.05 |
4073 | 坂崎の神祭1-8 | 祷屋の膳。ナマス、魚、イモ、アゲ、コウヤドウフの煮物・3枚のゆずり葉の上に盛られたご飯・吸い物。スライド枠には「3.1.5」と記される。 | 志摩市磯部町坂崎 | 1991.01.05 |
4074 | 坂崎の神祭1-9 | 祷屋が持参した膳で作ったハンカザリ。シャクブタの上にそれぞれゆずり葉に乗せてコヨリでくくった、野菜・イセエビ・コノシロ・サザエを並べ、シャクブタの下三方にシデを垂らす。スライド枠には「3.1.5」と記される。 | 志摩市磯部町坂崎 | 1991.01.05 |
4075 | 坂崎の神祭1-10 | 祷屋が持参した膳で作ったハンカザリ。シャクブタの上にそれぞれゆずり葉に乗せてコヨリでくくった、野菜・イセエビ・コノシロ・サザエを並べ、シャクブタの下三方にシデを垂らす。スライド枠には「3.1.5」と記される。 | 志摩市磯部町坂崎 | 1991.01.05 |
4076 | 坂崎の神祭1-11 | 祷屋の膳。ナマス、魚、イモ、アゲ、コウヤドウフの煮物・3枚のゆずり葉の上に盛られたご飯・吸い物。スライド枠には「3.1.5」と記される。 | 志摩市磯部町坂崎 | 1991.01.05 |
4077 | 坂崎の神祭1-12 | 宇気比神社の鳥居の前にある「獅子の座」に安置された雄獅子(右側面)。スライド枠には「3.1.5」と記される。 | 志摩市磯部町坂崎 | 1991.01.05 |
4078 | 坂崎の神祭1-13 | 宇気比神社の鳥居の前にある「獅子の座」に安置された雌獅子(上から撮影)。スライド枠には「3.1.5」と記される。 | 志摩市磯部町坂崎 | 1991.01.05 |
4079 | 坂崎の神祭2-1 | 「エンヤササ」に使われる笹の束。笹は祷屋が前年12月25日に所定の場所に立てておいたものである。祷屋はこの笹束を神社前の潮水に浸し、鳥居の外から拝殿に至る参拝者を清めるために、振り回す。その後笹竹に巻いた注連縄の端を切り取って左足を縛る。「注連上げ」という。そして左足を縛ったままで面タタキといっしょに獅子の座に安置された2頭の獅子頭を持ち、浜で神主の祓いを受け、境内に安置する。「獅子の潮かき」という。スライド枠には「3.1.5」と記される。 | 志摩市磯部町坂崎 | 1991.01.05 |
4080 | 坂崎の神祭2-2 | 献饌の儀が終わり、神殿に向かい一礼する神主と4人の祷屋。スライド枠には「3.1.5」と記される。 | 志摩市磯部町坂崎 | 1991.01.05 |
4081 | 坂崎の神祭2-3 | 「ザナラシ」。境内一面に敷かれたムシロの所定の場所に座る地下役人やケイ衆(祷屋を務めた者)の前に、白餅2個と舌餅5枚を白紙にのせて置いていく4人の祷屋。餅は前日、「ヘイ(幣)、ハイ(拝」の掛け声と共に祷屋がついたものである。スライド枠には「3.1.5」と記される。 | 志摩市磯部町坂崎 | 1991.01.05 |
4082 | 坂崎の神祭2-4 | 「ザナラシ」。境内一面に敷かれたムシロの所定の場所に座る地下役人やケイ衆(祷屋を務めた者)の前に、白餅2個と舌餅5枚を白紙にのせて置いていく4人の祷屋。餅は前日、「ヘイ(幣)、ハイ(拝」の掛け声と共に祷屋がついたものである。スライド枠には「3.1.5」と記される。 | 志摩市磯部町坂崎 | 1991.01.05 |
4083 | 坂崎の神祭2-5 | 「ザナラシ」。境内一面に敷かれたムシロの所定の場所に座る地下役人やケイ衆(祷屋を務めた者)の前に、白餅2個と舌餅5枚を白紙にのせて置いていく4人の祷屋。餅は前日、「ヘイ(幣)、ハイ(拝」の掛け声と共に祷屋がついたものである。スライド枠には「3.1.5」と記される。 | 志摩市磯部町坂崎 | 1991.01.05 |
4084 | 坂崎の神祭2-6 | 「ザナラシ」。境内一面に敷かれたムシロの所定の場所に座る地下役人やケイ衆(祷屋を務めた者)の前に、白餅2個と舌餅5枚を白紙にのせて置いていく4人の祷屋。餅は前日、「ヘイ(幣)、ハイ(拝」の掛け声と共に祷屋がついたものである。スライド枠には「3.1.5」と記される。 | 志摩市磯部町坂崎 | 1991.01.05 |
4085 | 坂崎の神祭2-7 | 「ザナラシ」。境内一面に敷かれたムシロの所定の場所に座る地下役人やケイ衆(祷屋を務めた者)の前に、白餅2個と舌餅5枚を白紙にのせて置いていく4人の祷屋。餅は前日、「ヘイ(幣)、ハイ(拝」の掛け声と共に祷屋がついたものである。スライド枠には「3.1.5」と記される。 | 志摩市磯部町坂崎 | 1991.01.05 |
4086 | 坂崎の神祭2-8 | 「ザナラシ」。境内一面に敷かれたムシロの所定の場所に座る地下役人やケイ衆(祷屋を務めた者)の前に、白餅2個と舌餅5枚を白紙にのせて置いていく4人の祷屋。餅は前日、「ヘイ(幣)、ハイ(拝」の掛け声と共に祷屋がついたものである。スライド枠には「3.1.5」と記される。 | 志摩市磯部町坂崎 | 1991.01.05 |
4087 | 坂崎の神祭2-9 | 「ザナラシ」。次いで古祷が「三献回させていただきます」と挨拶をした後、神酒が三献回される。スライド枠には「3.1.5」と記される。 | 志摩市磯部町坂崎 | 1991.01.05 |
4088 | 坂崎の神祭2-10 | 「ザナラシ」。次いで古祷が「三献回させていただきます」と挨拶をした後、神酒が三献回される。スライド枠には「3.1.5」と記される。 | 志摩市磯部町坂崎 | 1991.01.05 |
4089 | 坂崎の神祭2-11 | 「ザナラシ」。次いで古祷が「三献回させていただきます」と挨拶をした後、神酒が三献回される。神主に神酒を注ぐ古祷。スライド枠には「3.1.5」と記される。 | 志摩市磯部町坂崎 | 1991.01.05 |
4090 | 坂崎の神祭2-12 | 「ザナラシ」。次いで古祷が「三献回させていただきます」と挨拶をした後、神酒が三献回される。スライド枠には「3.1.5」と記される。 | 志摩市磯部町坂崎 | 1991.01.05 |
4091 | 坂崎の神祭2-13 | 晴れ着に身を包んだ「御飯持ち」の少女に膳を出すケイ衆(祷屋を務めた者)。「御飯持ち」は、祷屋の娘が務めるが、いなければ血の濃い親戚の女性が務める。スライド枠には「3.1.5」と記される。 | 志摩市磯部町坂崎 | 1991.01.05 |
4092 | 坂崎の神祭3-1 | ザナラシが終わると4人の祷屋は鳥居の前に座り、「的場に立たせてもらいます。」と挨拶をする。スライド枠には「3.1.5」と記される。 | 志摩市磯部町坂崎 | 1991.01.05 |
4093 | 坂崎の神祭3-2 | ケイ衆(祷屋を務めた者)に挨拶をする祷屋。スライド枠には「3.1.5」と記される。 | 志摩市磯部町坂崎 | 1991.01.05 |
4094 | 坂崎の神祭3-3 | 的場に置かれた膳。野菜と3枚のゆずり葉の上に盛られたご飯がのせられている。スライド枠には「3.1.5」と記される。 | 志摩市磯部町坂崎 | 1991.01.05 |
4095 | 坂崎の神祭3-4 | 弓引き場で弓引きの準備をする祷屋4人。スライド枠には「3.1.5」と記される。 | 志摩市磯部町坂崎 | 1991.01.05 |
4096 | 坂崎の神祭3-5 | 弓引き場で弓引きの準備をする祷屋4人。スライド枠には「3.1.5」と記される。 | 志摩市磯部町坂崎 | 1991.01.05 |
4097 | 坂崎の神祭3-6 | 弓引き場で弓引きの準備をする祷屋4人。スライド枠には「3.1.5」と記される。 | 志摩市磯部町坂崎 | 1991.01.05 |
4098 | 坂崎の神祭3-7 | 祷屋は白装束に片肌脱ぎ、白足袋を履く。そして松葉を白紙で束ねたものを右耳に挟んで小川を隔てた田の畔にしつらえられた的に向かって矢を射る。スライド枠には「3.1.5」と記される。 | 志摩市磯部町坂崎 | 1991.01.05 |
4099 | 坂崎の神祭3-8 | 祷屋は白装束に片肌脱ぎ、白足袋を履く。そして松葉を白紙で束ねたものを右耳に挟んで小川を隔てた田の畔にしつらえられた的に向かって矢を射る。スライド枠には「3.1.5」と記される。 | 志摩市磯部町坂崎 | 1991.01.05 |
4100 | 坂崎の神祭3-9 | 祷屋は白装束に片肌脱ぎ、白足袋を履く。そして松葉を白紙で束ねたものを右耳に挟んで小川を隔てた田の畔にしつらえられた的に向かって矢を射る。スライド枠には「3.1.5」と記される。 | 志摩市磯部町坂崎 | 1991.01.05 |
4101 | 坂崎の神祭3-10 | 矢を射る前、祷屋に一夜造りの甘酒をこしたものを一升徳利で三献の酌をする「矢取り(矢拾い)」。スライド枠には「3.1.5」と記される。 | 志摩市磯部町坂崎 | 1991.01.05 |
4102 | 坂崎の神祭3-11 | 祷屋は白装束に片肌脱ぎ、白足袋を履く。そして松葉を白紙で束ねたものを右耳に挟んで小川を隔てた田の畔にしつらえられた的に向かって矢を射る。スライド枠には「3.1.5」と記される。 | 志摩市磯部町坂崎 | 1991.01.05 |
4103 | 坂崎の神祭3-12 | 祷屋は白装束に片肌脱ぎ、白足袋を履く。そして松葉を白紙で束ねたものを右耳に挟んで小川を隔てた田の畔にしつらえられた的に向かって矢を射る。スライド枠には「3.1.5」と記される。 | 志摩市磯部町坂崎 | 1991.01.05 |
4104 | 坂崎の神祭4-1 | 祷屋は白装束に片肌脱ぎ、白足袋を履く。そして松葉を白紙で束ねたものを右耳に挟んで小川を隔てた田の畔にしつらえられた的に向かって矢を射る。スライド枠には「3.1.5」と記される。 | 志摩市磯部町坂崎 | 1991.01.05 |
4105 | 坂崎の神祭4-2 | 的場に置かれた膳。野菜と3枚のゆずり葉の上に盛られたご飯がのせられている。スライド枠には「3.1.5」と記される。 | 志摩市磯部町坂崎 | 1991.01.05 |
4106 | 坂崎の神祭4-3 | 小川を隔てた田の畔に準備された的で矢を拾う「矢取り(矢拾い)」。スライド枠には「3.1.5」と記される。 | 志摩市磯部町坂崎 | 1991.01.05 |
4107 | 坂崎の神祭4-4 | 小川を隔てた田の畔に準備された的で矢を拾う「矢取り(矢拾い)」。スライド枠には「3.1.5」と記される。 | 志摩市磯部町坂崎 | 1991.01.05 |
4108 | 坂崎の神祭4-5 | 「ザナラシ」。古祷が「三献回させていただきます」と挨拶をした後、神酒が三献回される。スライド枠には「3.1.5」と記される。 | 志摩市磯部町坂崎 | 1991.01.05 |
4109 | 坂崎の神祭4-6 | 「ザナラシ」。古祷が「三献回させていただきます」と挨拶をした後、神酒が三献回される。スライド枠には「3.1.5」と記される。 | 志摩市磯部町坂崎 | 1991.01.05 |
4110 | 坂崎の神祭4-7 | 弓引きが終わると獅子を舞わすため、獅子頭を獅子の座から拝殿の前に移動する。スライド枠には「3.1.5」と記される。 | 志摩市磯部町坂崎 | 1991.01.05 |
4111 | 坂崎の神祭4-8 | 板に墨書された「旧正月五日神事式次第」。スライド枠には「3.1.5」と記される。 | 志摩市磯部町坂崎 | 1991.01.05 |
4112 | 坂崎の神祭4-9 | 板に墨書された「旧正月五日神事式次第」。スライド枠には「3.1.5」と記される。 | 志摩市磯部町坂崎 | 1991.01.05 |
4113 | 坂崎の神祭4-10 | 獅子舞。天狗の面を付けた面タタキ役は、舞衣を伸ばして眠った獅子の首筋の辺りを扇子で強く三度打つ。三度目で起き上がった獅子に神主は、獅子餅12個(閏年は13個)をかませる。スライド枠には「3.1.5」と記される。 | 志摩市磯部町坂崎 | 1991.01.05 |
4114 | 坂崎のおじまつり1-1 | 「たい祭り」または「ゆわこ」ともいわれるが起源は明らかではない。坂崎の「字鯛の森」に祀る「おたいさん」の祭りで地区の青年団(15~25歳の未婚の男子)によって行われる(平成3年現在)。 写真は宇気比神社前の広場で準備をする青年たち。スライド枠には「3.1.7」と記される。 参考文献:『磯部町史』平成9年発行/(以下キャプションは同文献を参照) | 志摩市磯部町坂崎 | 1991.01.07 |
4115 | 坂崎のおじまつり1-2 | 宇気比神社前の広場で準備をする青年たち。スライド枠には「3.1.7」と記される。 | 志摩市磯部町坂崎 | 1991.01.07 |
4116 | 坂崎のおじまつり1-3 | 宇気比神社前の広場で準備をする青年たち。スライド枠には「3.1.7」と記される。 | 志摩市磯部町坂崎 | 1991.01.07 |
4117 | 坂崎のおじまつり1-4 | 宇気比神社前の広場で準備をする青年たち。スライド枠には「3.1.7」と記される。 | 志摩市磯部町坂崎 | 1991.01.07 |
4118 | 坂崎のおじまつり1-5 | 早朝から宇気比神社境内に積まれた御膳田のワラを使って荒縄を芯にして20メートルほどの太い大注連縄を作る(年により長短はある)。スライド枠には「3.1.7」と記される。 | 志摩市磯部町坂崎 | 1991.01.07 |
4119 | 坂崎のおじまつり1-6 | 早朝から宇気比神社境内に積まれた御膳田のワラを使って荒縄を芯にして20メートルほどの太い大注連縄を作る(年により長短はある)。スライド枠には「3.1.7」と記される。 | 志摩市磯部町坂崎 | 1991.01.07 |
4120 | 坂崎のおじまつり1-7 | 民家の玄関に掛けられた注連縄。「笑門」の札が付けられている。スライド枠には「3.1.7」と記される。 | 志摩市磯部町坂崎 | 1991.01.07 |
4121 | 坂崎のおじまつり1-8 | 古祷(祷屋)の負担で酒徳利2本と掛けの魚(コノシロ)二掛と、各戸が供えた餅をヨコマ籠に入れて年長者がこれを持つ。スライド枠には「3.1.7」と記される。 | 志摩市磯部町坂崎 | 1991.01.07 |
4122 | 坂崎のおじまつり1-9 | 早朝から宇気比神社境内に積まれた御膳田のワラを使って荒縄を芯にして20メートルほどの太い大注連縄を作る(年により長短はある)。スライド枠には「3.1.7」と記される。 | 志摩市磯部町坂崎 | 1991.01.07 |
4123 | 坂崎のおじまつり1-10 | 青年団皆で大注連縄を持ち、祷屋の家を振り出しに「イワオヤ・イワオ・タイノモリノイワオ」と唱えながら地区内を練り歩く。写真は祷屋の家を出発する時に年長者が一振りする刀。スライド枠には「3.1.7」と記される。 | 志摩市磯部町坂崎 | 1991.01.07 |
4124 | 坂崎のおじまつり1-11 | 古祷が用意した掛けの魚(コノシロ)・酒徳利・未婚の女性の顔に炭を塗り付ける時に使うワラの束。スライド枠には「3.1.7」と記される。 | 志摩市磯部町坂崎 | 1991.01.07 |
4125 | 坂崎のおじまつり1-12 | 宇気比神社の神主の前で神酒をいただく青年。スライド枠には「3.1.7」と記される。 | 志摩市磯部町坂崎 | 1991.01.07 |
4126 | 坂崎のおじまつり1-13 | 「字鯛の森」に祀る「おたいさん」に祀る、掛けの魚(コノシロ)とツボキ、更に道で出会った未婚の女性の顔に炭を塗り付ける時に使うワラの束を手にする青年。スライド枠には「3.1.7」と記される。 | 志摩市磯部町坂崎 | 1991.01.07 |
4127 | 坂崎のおじまつり1-14 | 大注連縄を持って地区内を練り歩く青年たち。スライド枠には「3.1.7」と記される。 | 志摩市磯部町坂崎 | 1991.01.07 |
4128 | 坂崎のおじまつり2-1 | 大注連縄を持って地区内を練り歩く青年たち。スライド枠には「3.1.7」と記される。 | 志摩市磯部町坂崎 | 1991.01.07 |
4129 | 坂崎のおじまつり2-2 | 「字鯛の森」に祀る「おたいさん」に大注連縄を祀る青年たち。スライド枠には「3.1.7」と記される。 | 志摩市磯部町坂崎 | 1991.01.07 |
4130 | 坂崎のおじまつり2-3 | 「字鯛の森」に祀る「おたいさん」に大注連縄を祀る青年たち。スライド枠には「3.1.7」と記される。 | 志摩市磯部町坂崎 | 1991.01.07 |
4131 | 坂崎のおじまつり2-4 | 「字鯛の森」に祀る「おたいさん」に大注連縄を祀る青年たち。スライド枠には「3.1.7」と記される。 | 志摩市磯部町坂崎 | 1991.01.07 |
4132 | 坂崎のおじまつり2-5 | 「字鯛の森」に祀る「おたいさん」に大注連縄を祀る青年たち。スライド枠には「3.1.7」と記される。 | 志摩市磯部町坂崎 | 1991.01.07 |
4133 | 坂崎のおじまつり2-6 | 「字鯛の森」に祀る「おたいさん」に祀られた大注連縄と酒徳利。御田植神事。スライド枠には「3.1.7」と記される。 | 志摩市磯部町坂崎 | 1991.01.07 |
4134 | 坂崎のおじまつり2-7 | 「字鯛の森」に祀る「おたいさん」に祀られた大注連縄と酒徳利、掛けの魚。スライド枠には「3.1.7」と記される。 | 志摩市磯部町坂崎 | 1991.01.07 |
4135 | 坂崎のおじまつり2-8 | 「字鯛の森」に祀る「おたいさん」の内部。スライド枠には「3.1.7」と記される。 | 志摩市磯部町坂崎 | 1991.01.07 |
4136 | 青峯山(正福寺本堂)1-1 | 「青峯さん」と親しまれている青峯山正福寺は、標高336mの青峰山の山頂近くにある。縁起書によれば聖武天皇が奈良東大寺の無事建立を祈願するため僧行基に命じ、その勅願所として正福寺を建立し、大同2(807)年に弘法大師が真言宗に開宗したとある。海上守護の霊場であり、江戸時代から諸国の廻船問屋、船乗り、網元、漁師、海女たちの深い信仰を集めている。 写真は正福寺本堂、金堂とも呼ばれる。スライド枠には「2.9.28」と記される。 参考文献:『海と人間』13号 海の博物館 年報 昭和61年発行・『磯部町史』平成9年発行/(以下キャプションは同文献を参照) | 鳥羽市松尾町 | 1990.09.28 |
4137 | 青峯山(大門前・石灯籠)1-2 | 大門の前に建つ、総高7m、御影石の永代常夜灯。前面に「永代常夜燈 大阪西宮 樽船 問屋中」裏面に「天保八丁酉年五月海上安全」の銘文が刻まれている。三重県指定有形民俗文化財(昭和47年5月24日指定)。スライド枠には「青峯山の常夜灯」と記される。 | 鳥羽市松尾町 | 1990.09.28 |
4138 | 青峯山(御船祭)1-3 | 毎年旧正月18日、大会式の「御船祭(おふなまつり)」が行われる。境内に多数の大漁旗がなびき、露天商が参道まで軒を並べ、終日多くの参拝者で賑わう。 | 鳥羽市松尾町 | 1990.09.28 |
4139 | 青峯山(御船祭)1-4 | 毎年旧正月18日、大会式の「御船祭(おふなまつり)」が行われる。境内に多数の大漁旗がなびき、露天商が参道まで軒を並べ、終日多くの参拝者で賑わう。 | 鳥羽市松尾町 | 1990.09.28 |
4140 | 青峯山(御船祭)1-5 | 毎年旧正月18日、大会式の「御船祭(おふなまつり)」が行われる。境内に多数の大漁旗がなびき、露天商が参道まで軒を並べ、終日多くの参拝者で賑わう。 | 鳥羽市松尾町 | 1990.09.28 |
4141 | 青峯山(御船祭)1-6 | 毎年旧正月18日、大会式の「御船祭(おふなまつり)」が行われる。境内に多数の大漁旗がなびき、露天商が参道まで軒を並べ、終日多くの参拝者で賑わう。 | 鳥羽市松尾町 | 1990.09.28 |
4142 | 青峯山(御船祭)1-7 | 毎年旧正月18日、大会式の「御船祭(おふなまつり)」が行われる。境内に多数の大漁旗がなびき、露天商が参道まで軒を並べ、終日多くの参拝者で賑わう。 | 鳥羽市松尾町 | 1990.09.28 |
4143 | 青峯山(御船祭)1-8 | 毎年旧正月18日、大会式の「御船祭(おふなまつり)」が行われる。境内に多数の大漁旗がなびき、露天商が参道まで軒を並べ、終日多くの参拝者で賑わう。正福寺の金堂の前に掛けられた多くの大漁旗。 | 鳥羽市松尾町 | 1990.09.28 |
4144 | 青峯山(御船祭)1-9 | 毎年旧正月18日、大会式の「御船祭(おふなまつり)」が行われる。境内に多数の大漁旗がなびき、露天商が参道まで軒を並べ、終日多くの参拝者で賑わう。 | 鳥羽市松尾町 | 1990.09.28 |
4145 | 青峯山(御船祭)1-10 | 毎年旧正月18日、大会式の「御船祭(おふなまつり)」が行われる。境内に多数の大漁旗がなびき、露天商が参道まで軒を並べ、終日多くの参拝者で賑わう。大漁旗のアップ、「御前崎漁業協同組合」と染め抜かれた大漁旗がみえる。 | 鳥羽市松尾町 | 1990.09.28 |
4146 | 青峯山(御船祭)1-11 | 毎年旧正月18日、大会式の「御船祭(おふなまつり)」が行われる。境内に多数の大漁旗がなびき、露天商が参道まで軒を並べ、終日多くの参拝者で賑わう。大漁旗のアップ、「祝 大漁 重次丸 昭栄堂」「大漁 藤良丸」と染め抜かれた大漁旗がみえる。 | 鳥羽市松尾町 | 1990.09.28 |
4147 | 青峯山(御船祭)1-12 | 毎年旧正月18日、大会式の「御船祭(おふなまつり)」が行われる。境内に多数の大漁旗がなびき、露天商が参道まで軒を並べ、終日多くの参拝者で賑わう。金堂と聖天堂を結ぶ回廊にも多くの大漁旗が掛けられている。 | 鳥羽市松尾町 | 1990.09.28 |
4148 | 青峯山(御船祭)1-13 | 毎年旧正月18日、大会式の「御船祭(おふなまつり)」が行われる。境内に多数の大漁旗がなびき、露天商が参道まで軒を並べ、終日多くの参拝者で賑わう。スライド枠には「S63・3月」と記される。 | 鳥羽市松尾町 | 1988.03 |
4149 | 青峯山(御船祭)1-14 | 毎年旧正月18日、大会式の「御船祭(おふなまつり)」が行われる。境内に多数の大漁旗がなびき、露天商が参道まで軒を並べ、終日多くの参拝者で賑わう。竜宮池と鯨岩。 | 鳥羽市松尾町 | 1990.09.28 |
4150 | 青峯山(御船祭)1-15 | 旧正月18日、大会式の「御船祭(おふなまつり)」の日、庫裡で札を求める参拝者。 | 鳥羽市松尾町 | 1990.09.28 |
4151 | 青峯山(御船祭)1-16 | 毎年旧正月18日、大会式の「御船祭(おふなまつり)」が行われる。境内に多数の大漁旗がなびき、露天商が参道まで軒を並べ、終日多くの参拝者で賑わう。 | 鳥羽市松尾町 | 1990.09.28 |
4152 | 青峯山(御船祭)1-17 | 毎年旧正月18日、大会式の「御船祭(おふなまつり)」が行われる。境内に多数の大漁旗がなびき、露天商が参道まで軒を並べ、終日多くの参拝者で賑わう。スライド枠には「2.9.28」と記される。 | 鳥羽市松尾町 | 1990.09.28 |
4153 | 青峯山(御船祭)1-18 | 狛犬。石段の左右に一対。刻銘文(正面)「奉納 豆州安良里 石工 大川徳三郎」(裏面)天保八丁酉八月 遠州相良湊 願主 岩工□久七 (側面)願主 三州吉田 運隆丸亀治郎 | 鳥羽市松尾町 | 1990.09.28 |
4154 | 青峯山(御船祭)1-19 | 毎年旧正月18日、大会式の「御船祭(おふなまつり)」が行われる。境内に多数の大漁旗がなびき、露天商が参道まで軒を並べ、終日多くの参拝者で賑わう。大漁旗のアップ、「御前崎漁業協同組合」と染め抜かれた大漁旗がみえる。 | 鳥羽市松尾町 | 1990.09.28 |
4155 | 青峯山(遠望)2-1 | 志摩市磯部町山田地区から見た青峯山。スライド枠には「青峰 磯部から」と記される。 | 鳥羽市松尾町 | 1990.09.20 |
4156 | 青峯山(遠望)2-2 | 志摩市磯部町川辺(かわなべ)地区から見た青峯山。スライド枠には「穴川からの青峰山」「90.9.20」と記される。 | 鳥羽市松尾町 | 1990.09.20 |
4157 | 青峯山(遠望)2-3 | 志摩市磯部町川辺(かわなべ)地区から見た青峯山。スライド枠には「穴川からの青峰山」「90.9.20」と記される。 | 鳥羽市松尾町 | 1990.09.20 |
4158 | 青峯山(竜宮池と鯨岩)2-4 | 正福寺の本尊、十一面観世音菩薩を乗せて相差(おうさつ)から上ってきた鯨の化身と伝えられる。 | 鳥羽市松尾町 | 1990.09.28 |
4159 | 青峯山(正福寺本堂)2-5 | 正福寺本堂(金堂)正面。境内で最も古い建物であるが建立年は不明。しかし「松尾地下文書」の中に「宝暦2(1752)年 正福寺大破の口上」とされる文書があり、その頃には建立されていたことがわかる。スライド枠には「青峰正福寺」と記される。 | 鳥羽市松尾町 | 1990.09.20 |
4160 | 青峯山(竜宮池と鯨岩)2-6 | 正福寺の本尊、十一面観世音菩薩を乗せて相差(おうさつ)から上ってきた鯨の化身と伝えられる。 | 鳥羽市松尾町 | 1990.09.20 |
4161 | 青峯山(本堂・奉納された護摩札)2-7 | 廻船業及び、船を利用し商売を行った商人が奉納したものである。「渡海安全」「海上無難」「客船繁昌」などの願文が記され、幕末から明治初期のものが多い。 | 鳥羽市松尾町 | 1990.09.20 |
4162 | 青峯山(正福寺本尊 十一面観世音菩薩)2-8 | 正福寺の本尊、十一面観世音菩薩。スライド枠には「青峰の本尊」と記される。 | 鳥羽市松尾町 | 1990.09.20 |
4163 | 青峯山(聖天堂・奉納された護摩札)2-9 | 廻船業及び、船を利用し商売を行った商人が奉納したものである。「渡海安全」「海上無難」「客船繁昌」などの願文が記され、幕末から明治初期のものが多い。スライド枠には「聖天堂・江戸期ゴマ札」と記される。 | 鳥羽市松尾町 | 1990.09.20 |
4164 | 青峯山(御船祭)2-10 | 毎年旧正月18日、大会式の「御船祭(おふなまつり)」が行われる。境内に多数の大漁旗がなびき、露天商が参道まで軒を並べ、終日多くの参拝者で賑わう。 | 鳥羽市松尾町 | 1988.03 |
4165 | 青峯山(松尾・道標)2-11 | 国道167号線の途中、鳥羽市松尾から相差(おうさつ)に左折する角に建立された道標、高さ150㎝。文化14年に尾州知多常滑邑の松本久右衛門が寄進した。スライド枠には「松尾」と記される。 | 鳥羽市松尾町 | 1990.09.20 |
4166 | 青峯山(松尾・道標)2-12 | 国道167号線の途中、鳥羽市松尾から相差(おうさつ)に左折する角に建立された道標、高さ150㎝。文化14年に尾州知多常滑邑の松本久右衛門が寄進した。スライド枠には「松尾」と記される。 | 鳥羽市松尾町 | 1990.09.20 |
4167 | 青峯山(松尾・道標)2-13 | 国道167号線の途中、鳥羽市松尾から相差(おうさつ)に左折する角に建立された道標、高さ150㎝。文化14年に尾州知多常滑邑の松本久右衛門が寄進した。スライド枠には「松尾」と記される。 | 鳥羽市松尾町 | 1990.09.20 |
4168 | 青峯山(正福寺の石垣)2-14 | 正福寺の石垣と松尾道から大門へ続く道。スライド枠には「滝つぼ付近」と記される。 | 鳥羽市松尾町 | 1990.09.20 |
4169 | 青峯山(大門前・道標)2-15 | 大門前に建立された道標。「右磯部・満とや(まとや)・左鳥羽ミち 三河国平坂三問屋 願主市川彦三郎・新實八右衛門・外山善右衛門」と刻まれている。 | 鳥羽市松尾町 | 1990.09.20 |
4170 | 青峯山(的矢墓地・道標)2-16 | 磯部町的矢墓地の北側に建立された道標。「安永4(1774)年 是より右あをのみね・いそべ道 左いそべはま道 願主・谷川松右衛門・日野屋孫右衛門 摂州大坂廻船中・諸国廻船中」と刻まれている。 | 鳥羽市松尾町 | 1990.09.20 |
4171 | 青峯山(御船祭)2-17 | 毎年旧正月18日、大会式の「御船祭(おふなまつり)」が行われる。境内に多数の大漁旗がなびき、露天商が参道まで軒を並べ、終日多くの参拝者で賑わう。 | 鳥羽市松尾町 | 1988.03 |
4172 | 青峯山(青峰旗)2-18 | 青峯山を信仰する人びとは「御船祭」の前日から籠り堂で一夜を明かし諸願の祈祷を受け、授けられた祈祷札や青峰旗を来年まで家や船に祀る。スライド枠には「青峰の旗 九鬼」と記される。 | 鳥羽市松尾町 | 1990.09.20 |
4173 | 青峯山(本堂・奉納された写真)3-1 | 写真の額には「奉納 明治四十四年六月二十一日 青年会 鳥羽〇道 開通式櫓船競漕記念」と記されている。スライド枠には「明治44 船漕記念額」「青峰」と記される。 | 鳥羽市松尾町 | 1990.09.20 |
4174 | 青峯山(本堂・奉納された護摩札)3-2 | 本堂に掛けられた護摩札。廻船業及び、船を利用し商売を行った商人が奉納したものである。「渡海安全」「海上無難」「客船繁昌」などの願文が記され、幕末から明治初期のものが多い。右下に「紀伊尾鷲港...」と記された進水式の写真も掛けられている。スライド枠には「土州種崎 護摩札 青峰山」と記される。 | 鳥羽市松尾町 | 1990.09.20 |
4175 | 青峯山(大門前・石灯籠)3-3 | 大門の前に建つ、総高7m、御影石の永代常夜灯。前面に「永代常夜燈 大阪西宮 樽船 問屋中」裏面に「天保八丁酉年五月海上安全」の銘文が刻まれている。三重県指定有形民俗文化財(昭和47年5月24日指定)。 | 鳥羽市松尾町 | 1990.09.20 |
4176 | 青峯山(大門前・石灯籠)3-4 | 大門の前に建つ、総高7m、御影石の永代常夜灯。前面に「永代常夜燈 大阪西宮 樽船 問屋中」裏面に「天保八丁酉年五月海上安全」の銘文が刻まれている。三重県指定有形民俗文化財(昭和47年5月24日指定)。 | 鳥羽市松尾町 | 1990.09.20 |
4177 | 青峯山(正福寺・境内全景)3-5 | 正福寺境内の全景。スライド枠には「青峰山」と記される。 | 鳥羽市松尾町 | 1990.09.20 |
4178 | 青峯山(青峰旗)3-6 | 青峯山を信仰する人びとは「御船祭」の前日から籠り堂で一夜を明かし諸願の祈祷を受け、授けられた祈祷札や青峰旗を来年まで家や船に祀る。スライド枠には「青峰の旗」と記される。 | 鳥羽市松尾町 | 1990.09.20 |
4179 | 青峯山(奉納された護摩札)3-7 | 奉納された護摩札。廻船業及び、船を利用し商売を行った商人が奉納したものである。「渡海安全」「海上無難」「客船繁昌」などの願文が記され、幕末から明治初期のものが多い。 | 鳥羽市松尾町 | 1990.09.20 |
4180 | 青峯山(正福寺)3-8 | 大師堂前辺りから撮影した正福寺。スライド枠には「青峰山正福寺」と記される。 | 鳥羽市松尾町 | 1990.09.20 |
4181 | 青峯山(奉納された護摩札)3-9 | 奉納された護摩札。廻船業及び、船を利用し商売を行った商人が奉納したものである。「渡海安全」「海上無難」「客船繁昌」などの願文が記され、幕末から明治初期のものが多い。 | 鳥羽市松尾町 | 1990.09.20 |
4182 | 青峯山(奉納された護摩札)3-10 | 奉納された護摩札。廻船業及び、船を利用し商売を行った商人が奉納したものである。「渡海安全」「海上無難」「客船繁昌」などの願文が記され、幕末から明治初期のものが多い。 | 鳥羽市松尾町 | 1990.09.20 |
4183 | 青峯山(竜宮池と鯨岩)3-11 | 正福寺の本尊十一面観世音菩薩を乗せて相差(おうさつ)から上ってきた鯨の化身と伝えられる。 | 鳥羽市松尾町 | 1990.09.20 |
4184 | 青峯山(正福寺・境内全景)3-12 | 青峯山 正福寺境内の全景。スライド枠には「青峰山」と記される。 | 鳥羽市松尾町 | 1990.09.20 |
4185 | 青峯山(正福寺本堂)3-13 | 青峯山 正福寺の本堂(金堂)。スライド枠には「青峰山正福寺(鳥羽)」と記される。 | 鳥羽市松尾町 | 1990.09.20 |
4186 | 青峯山(正福寺本堂)3-14 | 青峯山 正福寺の本堂(金堂)。スライド枠には「青峰山正福寺(港湾ファイル)」と記される。 | 鳥羽市松尾町 | 1990.09.20 |
4187 | 青峯山(正福寺・境内全景)3-15 | 青峯山 正福寺境内の全景。スライド枠には「青峰山」と記される。 | 鳥羽市松尾町 | 1990.09.20 |
4188 | 青峯山(大門・彫刻)3-16 | 大門は、磯部町的矢の中村九造が棟梁を務めて建てたとも、竹中工務店の先祖が建築にあたったともいわれている。また山門を飾る鶴、亀、菊、松、竹、梅などの縁起物の彫刻は左甚五郎の弟子が彫ったものともいわれる。写真は通路の左上の波間に潜む伊勢海老。見つけにくいことから「隠れ海老」といわれる。スライド枠には「かくれえび」と記される。 | 鳥羽市松尾町 | 1990.09.20 |
4189 | 青峯山(大門・彫刻)3-17 | 大門は、磯部町的矢の中村九造が棟梁を務めて建てたとも、竹中工務店の先祖が建築にあたったともいわれている。また山門を飾る鶴、亀、菊、松、竹、梅などの縁起物の彫刻は左甚五郎の弟子が彫ったものともいわれる。写真は通路の左上の波間に潜む伊勢海老。見つけにくいことから「隠れ海老」といわれる。 | 鳥羽市松尾町 | 1990.09.20 |
4190 | 青峯山(大門・彫刻)3-18 | 大門は、磯部町的矢の中村九造が棟梁を務めて建てたとも、竹中工務店の先祖が建築にあたったともいわれている。また山門を飾る鶴、亀、菊、松、竹、梅などの縁起物の彫刻は左甚五郎の弟子が彫ったものともいわれる。写真は通路の左上の波間に潜む伊勢海老。見つけにくいことから「隠れ海老」といわれる。 | 鳥羽市松尾町 | 1990.09.20 |
4191 | 青峯山(大門・彫刻)3-19 | 大門は、磯部町的矢の中村九造が棟梁を務めて建てたとも、竹中工務店の先祖が建築にあたったともいわれている。また山門を飾る鶴、亀、菊、松、竹、梅などの縁起物の彫刻は左甚五郎の弟子が彫ったものともいわれる。写真は通路の左上の波間に潜む伊勢海老。見つけにくいことから「隠れ海老」といわれる。 | 鳥羽市松尾町 | 1990.09.20 |
4192 | 青峯山(大門・彫刻)3-20 | 大門は、磯部町的矢の中村九造が棟梁を務めて建てたとも、竹中工務店の先祖が建築に当たったともいわれている。山門を飾る鶴、亀、菊、松、竹、梅などの縁起物の彫刻は左甚五郎の弟子が彫ったものともいわれる。写真は通路の左上の波間に潜む伊勢海老。見つけにくいことから「隠れ海老」といわれる。 | 鳥羽市松尾町 | 1990.09.20 |
4193 | 青峯山(鐘楼堂)4-1 | 当初は竜宮池の西側に建っていたが、大正12(1923)年2万7千円の費用を要して現在の場所に再建された。鐘は文化14(1817)年、「勢州川崎辻村藤兵衛・当国堅子村為蔵」の世話で「尾州内海・伊勢川崎」その他大阪の廻船業者などが寄進したものである。スライド枠には「鐘楼堂」と記される。 | 鳥羽市松尾町 | 1990.09.28 |
4194 | 青峯山(鐘楼堂寄付者を記した記念碑)4-2 | 鐘楼堂再建のための寄付金者名を刻んだ記念碑。境内の夫婦杉前に建てられ、20円以上の寄付者20名以上もの名前が刻まれている。寄付者は浜島漁協(志摩市)、加茂村(鳥羽市)をはじめ、伊勢市、愛知県、高知県等にまで至る。総寄付金は2万7千円。スライド枠には「鐘楼堂のキフ」と記される。 | 鳥羽市松尾町 | 1990.09.28 |
4195 | 青峯山(夫婦杉・籠り堂)4-3 | 籠り堂の手前にある1本の大きな杉。平清盛が植えた夫婦杉と呼ばれていたが、伊勢湾台風(昭和34(1959)年)で2本の内1本が倒れてしまい、現在の姿になった。倒れた杉の年輪は400年を超えていたという。スライド枠には「夫婦杉とこもり堂」と記される。 | 鳥羽市松尾町 | 1990.09.28 |
4196 | 青峯山(薬医門・庫裡)4-4 | 薬医門は、祈祷札やお守りを受けに行く時にくぐる門で、「青峰山海の家」「青峰山祈祷事務所」の札が掛けられている。以前は「紫金丹」という猪の臓器を乾燥させ、すりつぶして調合した漢方薬を販売していたため、その名がある。庫裡は、薬医門をくぐった奥にあり、寛政4(1792)年に建築された。 | 鳥羽市松尾町 | 1990.09.28 |
4197 | 青峯山(弁天堂)4-5 | 弁財天女を祀る。この像は「武田信玄が安置した」という伝説がある。最初の弁天堂は元和元(1713)年に建立されたといわれ、現在のお堂は昭和27年頃、昭和19年発生の地震で大破した手水舎の瓦を利用して屋根をふき替えたものである。スライド枠には「弁天堂」と記される。 | 鳥羽市松尾町 | 1990.09.28 |
4198 | 青峯山(大師堂)4-6 | 明治15(1882)年6月8日、境内の一番高い場所に再建された。お堂には弘法大師像が祀られ、左側に恵比寿様、右側に大黒様が安置されている。スライド枠には「大師堂」と記される。 | 鳥羽市松尾町 | 1990.09.28 |
4199 | 青峯山(手水舎)4-7 | 「手洗い場」、または「みずや」とも呼ばれる。本堂前に上がる石段の左側にあり、絶えることのない石清水を落としている「蹲(つくばい)」には「享保15(1730)年」の年号が彫られ、献納物としては「本堂わに口」に次いで古い。スライド枠には「手洗い場」「2.9.28」と記される。 | 鳥羽市松尾町 | 1990.09.28 |
4200 | 青峯山(境内・永代電燈石柱7本)4-8 | 電燈式灯台維持費の寄付者と金額を刻んだ7本の石柱。昭和4(1929)年、志摩電気鉄道(鳥羽賢島間)開通に伴い、現在の電燈式灯台が青峰山頂上の天跡山に建てられたことを示す貴重な資料である。度会郡田曽浦(現南伊勢町)、志摩郡浜島町(現志摩市)等の船主の名がみえ、多くは「海上安全、大漁満足」と刻まれている。スライド枠には「2.9.28」と記される。 | 鳥羽市松尾町 | 1990.09.28 |
4201 | 青峯山(狛犬)4-9 | 本堂に至る石段の左右に一対建立されている。正面に「奉納 豆州安良里(静岡県) 石工大川徳三郎」、裏面に「天保八(1837) 丁酉八月 遠州相良湊(静岡県) 願主 岩工■久七」、そして側面には「願主 三州吉田(愛知県) 運隆丸亀治郎」と刻まれている。スライド枠には「コマ犬」と記される。 | 鳥羽市松尾町 | 1990.09.28 |
4202 | 青峯山(燈明岩)4-10 | 大門を出て磯部道を戻り、東に向かって少し下がった所にある、高さ10メートル以上もの巨石。その下に小さな祠が祀られている。沖を航行する船が時化に合い遭難しかかった時、燈明岩が霊光を発し、航路を導いてくれるといわれた。スライド枠には「燈明岩」と記される。 | 鳥羽市松尾町 | 1990.09.28 |
4203 | 青峯山(護摩岩)4-11 | 松尾道20丁目の丁石の前にある。弘法大師が護摩を焚いたといわれる。岩は8畳ほどの大きさで、4メートルほどの高さがある。スライド枠には「ゴマ岩」「2.9.28」と記される。 | 鳥羽市松尾町 | 1990.09.28 |
4204 | 青峯山(正福寺本堂)4-12 | 正福寺本堂(金堂)正面。境内で最も古い建物であるが建立年は不明。しかし「松尾地下文書」の中に「宝暦2(1752)年 正福寺大破の口上」とされる文書があり、その頃には建立されていたことがわかる。スライド枠には「金堂」と記される。 | 鳥羽市松尾町 | 1990.09.28 |
4205 | 青峯山から見た熊野灘4-13 | 青峯山の眼下に広がる熊野灘。スライド枠には「青峰山から海の風景」と記される。 | 鳥羽市松尾町 | 1990.09.28 |
4206 | 青峯山から見た熊野灘4-14 | 青峯山の眼下に広がる熊野灘。スライド枠には「2.9.28」と記される。 | 鳥羽市松尾町 | 1990.09.28 |
4207 | 青峯山(大門・彫刻)4-15 | 大門は、磯部町的矢の中村九造が棟梁を務めて建てたとも、竹中工務店の先祖が建築にあたったともいわれている。また山門を飾る鶴、亀、菊、松、竹、梅などの縁起物の彫刻は左甚五郎の弟子が彫ったものともいわれる。写真は通路の左上の波間に潜む伊勢海老。見つけにくいことから「隠れ海老」といわれる。スライド枠には「かくれえび」と記される。 | 鳥羽市松尾町 | 1990.09.28 |
4208 | 青峯山(正福寺本堂・内部)4-16 | 中央上部に写る「吊灯籠」には「文政十三(1830)庚寅年十一月 尾州常滑船中 世話人 丹門屋大阪南堀江 桝屋卯兵衛 嶋屋佐右衛門」の銘が刻まれている。中央下の「香炉」には「願主尾州名古屋吉田吉右衛門 同 小ノ浦丸吉丸徳十郎 青峰常香 文政五(1822)年 壬午十二月」とあり世話人9名の名前の他相差村地下中、五知村・沓掛村・山田村・上之郷村・恵利原村・迫間村・築地村・穴川村・下之郷村・坂崎村」と刻まれている。スライド枠には「本堂」と記される。 | 鳥羽市松尾町 | 1990.09.28 |
4209 | 青峯山(竜宮池と鯨岩)4-17 | 正福寺の本尊十一面観世音菩薩を乗せて相差(おうさつ)から上ってきた鯨の化身と伝えられる。 | 鳥羽市松尾町 | 1990.09.28 |
4210 | 青峯山(境内・天跡山の祠)4-18 | 大師堂の左横にある白木造りの小さな祠。戦時中日本軍が天跡山に監視所を建てた時、遷したと伝えられる。スライド枠には「ヤマトヒメ 熊野権現 天跡山よりの堂」と記される。 | 鳥羽市松尾町 | 1990.09.28 |
4211 | 青峯山(狛犬)5-1 | 本堂に至る石段の左右に一対建立されている。正面に「奉納 豆州安良里(静岡県) 石工大川徳三郎」、裏面に「天保八(1837) 丁酉八月 遠州相良湊(静岡県) 願主 岩工■久七」、そして側面には「願主 三州吉田(愛知県) 運隆丸亀治郎」と刻まれている。 | 鳥羽市松尾町 | 1973.02.11 |
4212 | 青峯山(奉納された絵馬)5-2 | 本堂(金堂)から聖天堂に渡る回廊に掛けられている。難船絵馬が多く、風雨の中遭難しかかった船に雲に乗った御幣が光を差しのべている構図が多い。しかし境内付近が山のくぼみの谷あいにあることから多湿であるため大半の絵馬の絵具が剥離し、判読が困難である。スライド枠には「絵馬」と記される。 | 鳥羽市松尾町 | 1973.02.11 |
4213 | 青峯山(奉納された絵馬)5-3 | 本堂(金堂)から聖天堂に渡る回廊に掛けられている。難船絵馬が多く、風雨の中遭難しかかった船に雲に乗った御幣が光を差しのべている構図が多い。しかし境内付近が山のくぼみの谷あいにあることから多湿であるため大半の絵馬の絵具が剥離し、判読が困難である。スライド枠には「絵馬」と記される。 | 鳥羽市松尾町 | 1973.02.11 |
4214 | 青峯山(奉納された絵馬)5-4 | 本堂(金堂)から聖天堂に渡る回廊に掛けられている。難船絵馬が多く、風雨の中遭難しかかった船に雲に乗った御幣が光を差しのべている構図が多い。しかし境内付近が山のくぼみの谷あいにあることから多湿であるため大半の絵馬の絵具が剥離し、判読が困難である。スライド枠には「青ノ峰の絵馬」「S48.2.11」と記される。 | 鳥羽市松尾町 | 1973.02.11 |
4215 | 青峯山(奉納された絵馬)5-5 | 本堂(金堂)から聖天堂に渡る回廊に掛けられている。難船絵馬が多く、風雨の中遭難しかかった船に雲に乗った御幣が光を差しのべている構図が多い。しかし境内付近が山のくぼみの谷あいにあることから多湿であるため大半の絵馬の絵具が剥離し、判読が困難である。スライド枠には「青ノ峰絵馬」「S48.2.11」と記される。 | 鳥羽市松尾町 | 1973.02.11 |
4216 | 青峯山(奉納された絵馬)5-6 | 本堂(金堂)から聖天堂に渡る回廊に掛けられている。難船絵馬が多く、風雨の中遭難しかかった船に雲に乗った御幣が光を差しのべている構図が多い。しかし境内付近が山のくぼみの谷あいにあることから多湿であるため大半の絵馬の絵具が剥離し、判読が困難である。スライド枠には「青峰ノ絵馬」と記される。 | 鳥羽市松尾町 | 1973.02.11 |
4217 | 青峯山(奉納された絵馬)5-7 | 本堂(金堂)から聖天堂に渡る回廊に掛けられている。難船絵馬が多く、風雨の中遭難しかかった船に雲に乗った御幣が光を差しのべている構図が多い。しかし境内付近が山のくぼみの谷あいにあることから多湿であるため大半の絵馬の絵具が剥離し、判読が困難である。スライド枠には「S47 8月絵馬」と記される。 | 鳥羽市松尾町 | 1972.08 |
4218 | 青峯山(奉納された絵馬)5-8 | 本堂(金堂)から聖天堂に渡る回廊に掛けられている。難船絵馬が多く、風雨の中遭難しかかった船に雲に乗った御幣が光を差しのべている構図が多い。しかし境内付近が山のくぼみの谷あいにあることから多湿であるため大半の絵馬の絵具が剥離し、判読が困難である。スライド枠には「絵馬堂」「2.9.28」と記される。 | 鳥羽市松尾町 | 1990.09.28 |
4219 | 青峯山(奉納された絵馬)5-9 | 本堂(金堂)から聖天堂に渡る回廊に掛けられている。難船絵馬が多く、風雨の中遭難しかかった船に雲に乗った御幣が光を差しのべている構図が多い。しかし境内付近が山のくぼみの谷あいにあることから多湿であるため大半の絵馬の絵具が剥離し、判読が困難である。スライド枠には「川上紋三郎絵馬」「2.9.28」と記される。 | 鳥羽市松尾町 | 1990.09.28 |
4220 | 青峯山(御船祭)6-1 | 毎年旧正月18日、大会式の「御船祭(おふなまつり)」が行われる。境内に多数の大漁旗がなびき、露天商が参道まで軒を並べ、終日多くの参拝者で賑わう。 | 鳥羽市松尾町 | (不明) |
4221 | 青峯山(御船祭)6-2 | 毎年旧正月18日、大会式の「御船祭(おふなまつり)」が行われる。境内に多数の大漁旗がなびき、露天商が参道まで軒を並べ、終日多くの参拝者で賑わう。 | 鳥羽市松尾町 | (不明) |
4222 | 青峯山(御船祭)6-3 | 毎年旧正月18日、大会式の「御船祭(おふなまつり)」が行われる。境内に多数の大漁旗がなびき、露天商が参道まで軒を並べ、終日多くの参拝者で賑わう。 | 鳥羽市松尾町 | (不明) |
4223 | 青峯山(御船祭)6-4 | 毎年旧正月18日、大会式の「御船祭(おふなまつり)」が行われる。境内に多数の大漁旗がなびき、露天商が参道まで軒を並べ、終日多くの参拝者で賑わう。 | 鳥羽市松尾町 | (不明) |
4224 | 青峯山(御船祭)6-5 | 毎年旧正月18日、大会式の「御船祭(おふなまつり)」が行われる。境内に多数の大漁旗がなびき、露天商が参道まで軒を並べ、終日多くの参拝者で賑わう。 | 鳥羽市松尾町 | (不明) |
4225 | 青峯山(御船祭)6-6 | 毎年旧正月18日、大会式の「御船祭(おふなまつり)」が行われる。境内に多数の大漁旗がなびき、露天商が参道まで軒を並べ、終日多くの参拝者で賑わう。 | 鳥羽市松尾町 | (不明) |
4226 | 青峯山(御船祭)6-7 | 毎年旧正月18日、大会式の「御船祭(おふなまつり)」が行われる。境内に多数の大漁旗がなびき、露天商が参道まで軒を並べ、終日多くの参拝者で賑わう。 | 鳥羽市松尾町 | (不明) |
4227 | 青峯山(御船祭)6-8 | 毎年旧正月18日、大会式の「御船祭(おふなまつり)」が行われる。境内に多数の大漁旗がなびき、露天商が参道まで軒を並べ、終日多くの参拝者で賑わう。 | 鳥羽市松尾町 | (不明) |
4228 | 青峯山(御船祭)6-9 | 毎年旧正月18日、大会式の「御船祭(おふなまつり)」が行われる。境内に多数の大漁旗がなびき、露天商が参道まで軒を並べ、終日多くの参拝者で賑わう。 | 鳥羽市松尾町 | (不明) |
4229 | 青峯山(御船祭)6-10 | 毎年旧正月18日、大会式の「御船祭(おふなまつり)」が行われる。境内に多数の大漁旗がなびき、露天商が参道まで軒を並べ、終日多くの参拝者で賑わう。 | 鳥羽市松尾町 | (不明) |
4230 | 青峯山(御船祭)6-11 | 毎年旧正月18日、大会式の「御船祭(おふなまつり)」が行われる。境内に多数の大漁旗がなびき、露天商が参道まで軒を並べ、終日多くの参拝者で賑わう。 | 鳥羽市松尾町 | (不明) |
4231 | 青峯山(御船祭)6-12 | 毎年旧正月18日、大会式の「御船祭(おふなまつり)」が行われる。境内に多数の大漁旗がなびき、露天商が参道まで軒を並べ、終日多くの参拝者で賑わう。 | 鳥羽市松尾町 | (不明) |
4232 | 青峯山(御船祭)6-13 | 毎年旧正月18日、大会式の「御船祭(おふなまつり)」が行われる。境内に多数の大漁旗がなびき、露天商が参道まで軒を並べ、終日多くの参拝者で賑わう。 | 鳥羽市松尾町 | (不明) |
4233 | 青峯山(御船祭)6-14 | 毎年旧正月18日、大会式の「御船祭(おふなまつり)」が行われる。境内に多数の大漁旗がなびき、露天商が参道まで軒を並べ、終日多くの参拝者で賑わう。 | 鳥羽市松尾町 | (不明) |
4234 | 青峯山(御船祭)6-15 | 毎年旧正月18日、大会式の「御船祭(おふなまつり)」が行われる。境内に多数の大漁旗がなびき、露天商が参道まで軒を並べ、終日多くの参拝者で賑わう。 | 鳥羽市松尾町 | (不明) |
4235 | 青峯山(御船祭)6-16 | 毎年旧正月18日、大会式の「御船祭(おふなまつり)」が行われる。境内に多数の大漁旗がなびき、露天商が参道まで軒を並べ、終日多くの参拝者で賑わう。 | 鳥羽市松尾町 | (不明) |
4236 | 青峯山(御船祭)6-17 | 毎年旧正月18日、大会式の「御船祭(おふなまつり)」が行われる。境内に多数の大漁旗がなびき、露天商が参道まで軒を並べ、終日多くの参拝者で賑わう。 | 鳥羽市松尾町 | (不明) |
4237 | 青峯山(御船祭)6-18 | 毎年旧正月18日、大会式の「御船祭(おふなまつり)」が行われる。境内に多数の大漁旗がなびき、露天商が参道まで軒を並べ、終日多くの参拝者で賑わう。 | 鳥羽市松尾町 | (不明) |
4238 | 青峯山(御船祭)7-1 | 毎年旧正月18日、大会式の「御船祭(おふなまつり)」が行われる。境内に多数の大漁旗がなびき、露天商が参道まで軒を並べ、終日多くの参拝者で賑わう。まだ舗装されていない大門前の道にも大漁旗と軒を並べる露天商がみえる。※全体が退色している。スライド枠には「48.2.20」と記される。 | 鳥羽市松尾町 | 1973.02.20 |
4239 | 青峯山(御船祭)7-2 | 毎年旧正月18日、大会式の「御船祭(おふなまつり)」が行われる。境内に多数の大漁旗がなびき、露天商が参道まで軒を並べ、終日多くの参拝者で賑わう。※全体が退色している。スライド枠には「48.2.20」と記される。 | 鳥羽市松尾町 | 1973.02.20 |
4240 | 青峯山(御船祭)7-3 | 毎年旧正月18日、大会式の「御船祭(おふなまつり)」が行われる。境内に多数の大漁旗がなびき、露天商が参道まで軒を並べ、終日多くの参拝者で賑わう。鐘楼堂の前の露天商。※全体が退色している。スライド枠には「48.2.20」と記される。 | 鳥羽市松尾町 | 1973.02.20 |
4241 | 青峯山(御船祭)7-4 | 毎年旧正月18日、大会式の「御船祭(おふなまつり)」が行われる。境内に多数の大漁旗がなびき、露天商が参道まで軒を並べ、終日多くの参拝者で賑わう。聖天堂の辺りから撮影。※全体が退色している。スライド枠には「48.2.20」と記される。 | 鳥羽市松尾町 | 1973.02.20 |
4242 | 波切・汗かき地蔵祭(混入)7-5 | 波切・汗かき地蔵祭。お堂の下の波切港線通り(バス通り)に軒を並べる露天商。旅館「東洋一」「龍王閣」や淳喫茶の看板が見える。ロウショで赤子を背負い、幼児を抱っこしている祖父と思われる男性が写っている。スライド枠には「48.02.24」と記される。 | 志摩市大王町波切 | 1973.02.24 |
4243 | 青峯山(御船祭)7-6 | 毎年旧正月18日、大会式の「御船祭(おふなまつり)」が行われる。境内に多数の大漁旗がなびき、露天商が参道まで軒を並べ、終日多くの参拝者で賑わう。大師堂前から撮影。※全体が退色している。スライド枠には「48.2.20」と記される。 | 鳥羽市松尾町 | 1973.02.20 |
4244 | 青峯山(御船祭)7-7 | 毎年旧正月18日、大会式の「御船祭(おふなまつり)」が行われる。境内に多数の大漁旗がなびき、露天商が参道まで軒を並べ、終日多くの参拝者で賑わう。大師堂前から撮影。※全体が退色している。スライド枠には「48.2.20」と記される。 | 鳥羽市松尾町 | 1973.02.20 |
4245 | 青峯山(御船祭)7-8 | 毎年旧正月18日、大会式の「御船祭(おふなまつり)」が行われる。境内に多数の大漁旗がなびき、露天商が参道まで軒を並べ、終日多くの参拝者で賑わう。大漁旗のアップ。※全体が退色している。スライド枠には「48.2.20」と記される。 | 鳥羽市松尾町 | 1973.02.20 |
4246 | 青峯山(御船祭)7-9 | 毎年旧正月18日、大会式の「御船祭(おふなまつり)」が行われる。境内に多数の大漁旗がなびき、露天商が参道まで軒を並べ、終日多くの参拝者で賑わう。※全体が退色している。スライド枠には「48.2.20」と記される。 | 鳥羽市松尾町 | 1973.02.20 |
4247 | 青峯山(御船祭)7-10 | 毎年旧正月18日、大会式の「御船祭(おふなまつり)」が行われる。境内に多数の大漁旗がなびき、露天商が参道まで軒を並べ、終日多くの参拝者で賑わう。大門前の道がまだ舗装されていない。※全体が退色している。スライド枠には「48.2.20」と記される。 | 鳥羽市松尾町 | 1973.02.20 |
4248 | 青峯山(御船祭)7-11 | 毎年旧正月18日、大会式の「御船祭(おふなまつり)」が行われる。境内に多数の大漁旗がなびき、露天商が参道まで軒を並べ、終日多くの参拝者で賑わう。※全体が退色している。スライド枠には「48.2.20」と記される。 | 鳥羽市松尾町 | 1973.02.20 |
4249 | 青峯山(御船祭)7-12 | 毎年旧正月18日、大会式の「御船祭(おふなまつり)」が行われる。境内に多数の大漁旗がなびき、露天商が参道まで軒を並べ、終日多くの参拝者で賑わう。まだ舗装されていない大門前の道にも大漁旗がなびき、露天商が軒を並べている。※全体が退色している。スライド枠には「48.2.20」と記される。 | 鳥羽市松尾町 | 1973.02.20 |
4250 | 青峯山(御船祭)7-13 | 毎年旧正月18日、大会式の「御船祭(おふなまつり)」が行われる。境内に多数の大漁旗がなびき、露天商が参道まで軒を並べ、終日多くの参拝者で賑わう。「奉納 青峰山十一面観世音菩薩」の幟が見える。※全体が退色している。スライド枠には「48.2.20」と記される。 | 鳥羽市松尾町 | 1973.02.20 |
4251 | 青峯山(御船祭)7-14 | 毎年旧正月18日、大会式の「御船祭(おふなまつり)」が行われる。境内に多数の大漁旗がなびき、露天商が参道まで軒を並べ、終日多くの参拝者で賑わう。本堂を正面から撮影。※全体が退色している。スライド枠には「48.2.20」と記される。 | 鳥羽市松尾町 | 1973.02.20 |
4252 | 青峯山(御船祭)7-15 | 毎年旧正月18日、大会式の「御船祭(おふなまつり)」が行われる。境内に多数の大漁旗がなびき、露天商が参道まで軒を並べ、終日多くの参拝者で賑わう。弁天堂に手を合わせる人びと。※全体が退色している。スライド枠には「48.2.20」と記される。 | 鳥羽市松尾町 | 1973.02.20 |
4253 | 青峯山(御船祭)7-16 | 毎年旧正月18日、大会式の「御船祭(おふなまつり)」が行われる。境内に多数の大漁旗がなびき、露天商が参道まで軒を並べ、終日多くの参拝者で賑わう。※全体が退色している。スライド枠には「48.2.20」と記される。 | 鳥羽市松尾町 | 1973.02.20 |
4254 | 青峯山(奉納された絵馬)7-17 | 本堂(金堂)から聖天堂に渡る回廊に掛けられている。難船絵馬が多く、風雨の中遭難しかかった船に雲に乗った御幣が光を差しのべている構図が多い。しかし境内付近が山のくぼみの谷あいにあることから多湿であるため大半の絵馬の絵具が剥離し、判読が困難である。 | 鳥羽市松尾町 | (不明) |
4255 | 青峯山(御船祭)8-1 | 毎年旧正月18日、大会式の「御船祭(おふなまつり)」が行われる。境内に多数の大漁旗がなびき、露天商が参道まで軒を並べ、終日多くの参拝者で賑わう。大師堂辺りから撮影。※全体が退色している。スライド枠には「48.2.20」と記される。 | 鳥羽市松尾町 | 1973.02.20 |
4256 | 青峯山(御船祭)8-2 | 毎年旧正月18日、大会式の「御船祭(おふなまつり)」が行われる。境内に多数の大漁旗がなびき、露天商が参道まで軒を並べ、終日多くの参拝者で賑わう。聖天堂から撮影。※全体が退色している。スライド枠には「48.2.20」と記される。 | 鳥羽市松尾町 | 1973.02.20 |
4257 | 青峯山(御船祭)8-3 | 毎年旧正月18日、大会式の「御船祭(おふなまつり)」が行われる。境内に多数の大漁旗がなびき、露天商が参道まで軒を並べ、終日多くの参拝者で賑わう。如意輪堂辺りから大師堂の方向を撮影。※全体が退色している。スライド枠には「48.2.20」と記される。 | 鳥羽市松尾町 | 1973.02.20 |
4258 | 青峯山(御船祭)8-4 | 毎年旧正月18日、大会式の「御船祭(おふなまつり)」が行われる。境内に多数の大漁旗がなびき、露天商が参道まで軒を並べ、終日多くの参拝者で賑わう。※全体が退色している。スライド枠には「48.2.20」と記される。 | 鳥羽市松尾町 | 1973.02.20 |
4259 | 青峯山(御船祭)8-5 | 毎年旧正月18日、大会式の「御船祭(おふなまつり)」が行われる。境内に多数の大漁旗がなびき、露天商が参道まで軒を並べ、終日多くの参拝者で賑わう。大師堂から撮影。※全体が退色している。スライド枠には「48.2.20」と記される。 | 鳥羽市松尾町 | 1973.02.20 |
4260 | 青峯山(御船祭)8-6 | 毎年旧正月18日、大会式の「御船祭(おふなまつり)」が行われる。境内に多数の大漁旗がなびき、露天商が参道まで軒を並べ、終日多くの参拝者で賑わう。※全体が退色している。スライド枠には「48.2.20」と記される。 | 鳥羽市松尾町 | 1973.02.20 |
4261 | 青峯山(御船祭)8-7 | 毎年旧正月18日、大会式の「御船祭(おふなまつり)」が行われる。境内に多数の大漁旗がなびき、露天商が参道まで軒を並べ、終日多くの参拝者で賑わう。※全体が退色している。スライド枠には「48.2.20」と記される。 | 鳥羽市松尾町 | 1973.02.20 |
4262 | 青峯山(御船祭)8-8 | 毎年旧正月18日、大会式の「御船祭(おふなまつり)」が行われる。境内に多数の大漁旗がなびき、露天商が参道まで軒を並べ、終日多くの参拝者で賑わう。※全体が退色している。スライド枠には「48.2.20」と記される。 | 鳥羽市松尾町 | 1973.02.20 |
4263 | 青峯山(御船祭)8-9 | 毎年旧正月18日、大会式の「御船祭(おふなまつり)」が行われる。境内に多数の大漁旗がなびき、露天商が参道まで軒を並べ、終日多くの参拝者で賑わう。鐘楼堂の鐘をつく少年が見える。※全体が退色している。スライド枠には「48.2.20」と記される。 | 鳥羽市松尾町 | 1973.02.20 |
4264 | 青峯山(御船祭)8-10 | 毎年旧正月18日、大会式の「御船祭(おふなまつり)」が行われる。境内に多数の大漁旗がなびき、露天商が参道まで軒を並べ、終日多くの参拝者で賑わう。※全体が退色している。スライド枠には「48.2.20」と記される。 | 鳥羽市松尾町 | 1973.02.20 |
4265 | 青峯山(御船祭)8-11 | 毎年旧正月18日、大会式の「御船祭(おふなまつり)」が行われる。境内に多数の大漁旗がなびき、露天商が参道まで軒を並べ、終日多くの参拝者で賑わう。※全体が退色している。スライド枠には「48.2.20」と記される。 | 鳥羽市松尾町 | 1973.02.20 |
4266 | 青峯山(御船祭)8-12 | 毎年旧正月18日、大会式の「御船祭(おふなまつり)」が行われる。境内に多数の大漁旗がなびき、露天商が参道まで軒を並べ、終日多くの参拝者で賑わう。※全体が退色している。スライド枠には「48.2.20」と記される。 | 鳥羽市松尾町 | 1973.02.20 |
4267 | 青峯山(御船祭)8-13 | 毎年旧正月18日、大会式の「御船祭(おふなまつり)」が行われる。境内に多数の大漁旗がなびき、露天商が参道まで軒を並べ、終日多くの参拝者で賑わう。鐘楼堂で鐘をつく少年たち。※全体が退色している。スライド枠には「48.2.20」と記される。 | 鳥羽市松尾町 | 1973.02.20 |
4268 | 青峯山(御船祭)8-14 | 毎年旧正月18日、大会式の「御船祭(おふなまつり)」が行われる。境内に多数の大漁旗がなびき、露天商が参道まで軒を並べ、終日多くの参拝者で賑わう。まだ舗装されていない大門前の道にも大漁旗がなびき、露天商が軒を並べている。※全体が退色している。スライド枠には「48.2.20」と記される。 | 鳥羽市松尾町 | 1973.02.20 |
4269 | 青峯山(御船祭)8-15 | 毎年旧正月18日、大会式の「御船祭(おふなまつり)」が行われる。境内に多数の大漁旗がなびき、露天商が参道まで軒を並べ、終日多くの参拝者で賑わう。※全体が退色している。スライド枠には「48.2.20」と記される。 | 鳥羽市松尾町 | 1973.02.20 |
4270 | 青峯山(御船祭)8-16 | 毎年旧正月18日、大会式の「御船祭(おふなまつり)」が行われる。境内に多数の大漁旗がなびき、露天商が参道まで軒を並べ、終日多くの参拝者で賑わう。まだ舗装されていない大門前の道にも大漁旗がなびき、露天商が軒を並べている。※全体が退色している。スライド枠には「48.2.20」と記される。 | 鳥羽市松尾町 | 1973.02.20 |
4271 | 青峯山(御船祭)8-17 | 毎年旧正月18日、大会式の「御船祭(おふなまつり)」が行われる。境内に多数の大漁旗がなびき、露天商が参道まで軒を並べ、終日多くの参拝者で賑わう。未舗装の大門前の道にも大漁旗がなびき、露天商が軒を並べている。※全体が退色している。スライド枠には「48.2.20」と記される。 | 鳥羽市松尾町 | 1973.02.20 |
4272 | 青峯山(御船祭)8-18 | 毎年旧正月18日、大会式の「御船祭(おふなまつり)」が行われる。境内に多数の大漁旗がなびき、露天商が参道まで軒を並べ、終日多くの参拝者で賑わう。まだ舗装されていない大門前の道にも大漁旗がなびき、露天商が軒を並べている。※全体が退色している。スライド枠には「48.2.20」と記される。 | 鳥羽市松尾町 | 1973.02.20 |
4273 | 青峯山(御船祭)8-19 | 毎年旧正月18日、大会式の「御船祭(おふなまつり)」が行われる。境内に多数の大漁旗がなびき、露天商が参道まで軒を並べ、終日多くの参拝者で賑わう。未舗装の大門前の道にも大漁旗がなびき、露天商が軒を並べている。※全体が退色している。スライド枠には「48.2.20」と記される。 | 鳥羽市松尾町 | 1973.02.20 |
4274 | 青峯山(御開帳・大門)9-1 | 正福寺本尊十一面観音菩薩立像、50年に1度の御開帳の日。幕が張られた大門。スライド枠には「91年」と記される。 | 鳥羽市松尾町 | 1991 |
4275 | 青峯山(御開帳・大門)9-2 | 正福寺本尊十一面観音菩薩立像、50年に1度の御開帳の日。幕が張られた大門。スライド枠には「91年」と記される。 | 鳥羽市松尾町 | 1991 |
4276 | 青峯山(御開帳・本堂)9-3 | 正福寺本尊十一面観音菩薩立像、50年に1度の御開帳の日。本堂(金堂)正面。スライド枠には「91年」と記される。 | 鳥羽市松尾町 | 1991 |
4277 | 青峯山(御開帳・本尊十一面観世音菩薩)9-4 | 50年に1度御開帳される正福寺本尊十一面観音菩薩立像。『志陽略誌』には「本尊十一面観音、其長3尺7寸 婆羅門僧正の作霊仏也」と記されている。スライド枠には「91年」と記される。 | 鳥羽市松尾町 | 1991 |
4278 | 青峯山(御開帳・本尊十一面観世音菩薩)9-5 | 50年に1度御開帳される正福寺本尊十一面観音菩薩立像。『志陽略誌』には「本尊十一面観音、其長3尺7寸 婆羅門僧正の作霊仏也」と記されている。スライド枠には「91年」と記される。 | 鳥羽市松尾町 | 1991 |
4279 | 立神ヒッポロ神事1-1 | 志摩市阿児町立神の宇気比神社の祭礼として、1月1日、3日の両日行われる獅子舞い。ジンジ、またはヒッポロ(笛の楽譜に語源があるという)と呼ばれている。立神には「座」と呼ぶ宮座制度があり、9つの座から九人衆といわれる座長が選出(今は4人)され、9軒の祷屋と共に祭礼の中心的役割を担う。現在は1月2日に行われている。 写真は「鳥場」に設けられた寺方の座に敷かれたムシロに座る、少林寺と本福寺の住職。住職は法衣を着用。それぞれの前には火鉢と寺の名が書かれた提灯が置かれている。スライド枠には「立神ヒッポロH1.1.3」と記される。 参考文献:『海と人間』17号 海の博物館 年報 平成2年発行・『志摩市の文化財』平成30年発行/(以下キャプションは同文献を参照) | 志摩市阿児町立神 | 1990.01.03 |
4280 | 立神ヒッポロ神事1-2 | 提灯を持って「鳥場」に向かう本福寺の住職。スライド枠には「立神ヒッポロ」と記される。 | 志摩市阿児町立神 | 1989.01.03 |
4281 | 立神ヒッポロ神事1-3 | 裃姿の当番の接待を受ける少林寺と本福寺の住職。スライド枠には「立神ヒッポロ」と記される。 | 志摩市阿児町立神 | 1990.01.03 |
4282 | 立神ヒッポロ神事1-4 | 「鳥場」に設けられた寺方の座に座る少林寺と本福寺の住職。住職は法衣を着用。それぞれの前には火鉢と寺の名が書かれた提灯が置かれている(4279の写真と同じ)。スライド枠には「立神ヒッポロ」と記される。 | 志摩市阿児町立神 | 1990.01.03 |
4283 | 立神ヒッポロ神事1-5 | 夕刻祭礼に参加するため、宇気比神社の石段を上る少林寺と本福寺の住職。スライド枠には「立神ヒッポロ」と記される。 | 志摩市阿児町立神 | 1990.01.03 |
4284 | 立神ヒッポロ神事2-1 | 獅子は、「1番おこし」から「9番おこし」まで舞う。「5番おこし」が終わると「鳥場」の若衆が「ハゼ場」の若衆に向かって「ハゼ申す。パッパ(煙草)の火をもたっしゃれ」と呼び声を掛ける。写真は日の丸扇子を口元に当てて、呼び声を掛ける鳥場の若衆。9人ほどの若衆の両側には笹竹に白紙や掛け物を吊るした「大幣」が立てられている。大幣は、若衆仲間の宝物ともいわれる。若衆は15歳以上の若者で、任意に参加できるので人数は年により変わる。スライド枠には「立神 2.1.3」と記される。 | 志摩市阿児町立神 | 1990.01.03 |
4285 | 立神ヒッポロ神事2-2 | 獅子は、「1番おこし」から「9番おこし」まで舞う。「5番おこし」が終わると「鳥場」の若衆が「ハゼ場」の若衆に向かって「ハゼ申す。パッパ(煙草)の火をもたっしゃれ」と呼び声を掛ける。写真は日の丸扇子を口元に当てて、呼び声を掛ける鳥場の若衆。9人ほどの若衆の両側には笹竹に白紙や掛け物を吊るした「大幣」が立てられている。大幣は、若衆仲間の宝物ともいわれる。若衆は15歳以上の若者で、任意に参加できるので人数は年により変わる。スライド枠には「立神 2.1.3」と記される。 | 志摩市阿児町立神 | 1990.01.03 |
4286 | 立神ヒッポロ神事2-3 | 境内で舞う獅子。舞いは境内に設けられた宮中の中、アマダレの外、鳥の舞の前、酒場前、ヤマ(鳥居横の見物人の前)、東の鳥居の順で行われる。辺りはすっかり闇に覆われているため、裃姿の祷番が高張提灯を手に獅子の側に立つ。スライド枠には「立神 2.1.3」と記される。 | 志摩市阿児町立神 | 1990.01.03 |
4287 | 立神ヒッポロ神事2-4 | 境内で舞う獅子の後方からのアップ。スライド枠には「立神 2.1.3」と記される。 | 志摩市阿児町立神 | 1990.01.03 |
4288 | 立神ヒッポロ神事2-5 | 境内で舞う獅子。舞いは境内に設けられた宮中の中、アマダレの外、鳥舞の前、酒場の前、ヤマ(鳥居横の見物人の前)、東の鳥居の順で行われる。辺りはすっかり闇に覆われているため、裃姿の当番が高張提灯を手に獅子の側に立つ。スライド枠には「立神 2.1.3」と記される。 | 志摩市阿児町立神 | 1990.01.03 |
4289 | 立神ヒッポロ神事2-6 | 境内で舞う獅子の後方からのアップ。スライド枠には「立神 2.1.3」と記される。 | 志摩市阿児町立神 | 1990.01.03 |
4290 | 立神ヒッポロ神事2-7 | 境内で舞う獅子の後方からのアップ。スライド枠には「立神 2.1.3」と記される。 | 志摩市阿児町立神 | 1990.01.03 |
4291 | 立神ヒッポロ神事2-8 | 「鳥場」に設けられた寺方の座に座る少林寺と本福寺の住職の前で舞う獅子。2人の住職と共に、周りの若衆頭らも低頭している。スライド枠には「立神 2.1.3」と記される。 | 志摩市阿児町立神 | 1990.01.03 |
4292 | 立神ヒッポロ神事2-9 | 「鳥場」に設けられた寺方の座に座る少林寺と本福寺の住職の前で舞う獅子。2人の住職と共に、周りの若衆頭らも低頭している。スライド枠には「立神 2.1.3」と記される。 | 志摩市阿児町立神 | 1990.01.03 |
4293 | 立神ヒッポロ神事2-10 | 「鳥場」の若衆からの「トウジ殿に申す。当年のオミキがいただきとうござる。」などとの注文に、扇子と杓を持ち、「くわーせ」「飲まーせ」と杓をかざしながら応答するトウジ。トウジは祷番の中で3番目の長老者(1人)が当たる。神酒醸造の任務で、小屋場の釜の前に白装束で杓と扇子を持って立つ。トウジの後方に、小屋場前に座る素襖、烏帽子姿の「鳥の舞」の2人が写る。スライド枠には「立神 2.1.3」と記される。 | 志摩市阿児町立神 | 1990.01.03 |
4294 | 立神ヒッポロ神事2-11 | 釜の前で杓を手にして立つ白装束のトウジ。トウジは祷番の中で3番目の長老者(1人)が当たる。スライド枠には「立神 2.1.3」と記される。 | 志摩市阿児町立神 | 1990.01.03 |
4295 | 立神ヒッポロ神事2-12 | 8番おこしが5番おこしと同じ「ヨイヨイヨイヨイ」の舞いで、鳥居下で神前に礼をするように獅子頭をゆすりながら3回舞う。周囲から「ヨイヨイヨイヨイ」の掛け声がかかると、5人の素襖着が竹を2本ずつ持ち、鳥場に5献目の盃が通ったか七度半の使いに出る。素襖着は、祷屋の5~9番までの5人が勤める。素襖着姿で宮中の九人衆、神職、神役(獅子、楽士)の接待にあたる。スライド枠には「立神 2.1.3」と記される。 | 志摩市阿児町立神 | 1990.01.03 |
4296 | 立神ヒッポロ神事2-13 | 「鳥場」の若衆が「○○に申す。当年のオミキ(甘酒)がいただきとうござる。」と言うと、「ハゼ場」の指名された若者が「ハーイ」と言って日の丸扇子を持って広場に出て「くわーせ」と応答する。それに対して鳥場から「持たーせ」と再び呼びかけがあり、それに「飲まーせ」と答える。これを数回繰り返す。スライド枠には「立神 2.1.3」と記される。 | 志摩市阿児町立神 | 1990.01.03 |
4297 | 立神ヒッポロ神事2-14 | 「鳥場」の若衆が「○○に申す。当年のオミキ(甘酒)がいただきとうござる。」と言うと、「ハゼ場」の指名された若者が「ハーイ」と言って日の丸扇子を持って広場に出て「くわーせ」と応答する。それに対して鳥場から「持たーせ」と再び呼びかけがあり、それに「飲まーせ」と答える。これを数回繰り返す。スライド枠には「立神 2.1.3」と記される。 | 志摩市阿児町立神 | 1990.01.03 |
4298 | 立神ヒッポロ神事2-15 | 「鳥場」の若衆が「○○に申す。当年のオミキ(甘酒)がいただきとうござる。」と言うと、「ハゼ場」の指名された若者が「ハーイ」と言って日の丸扇子を持って広場に出て「くわーせ」と応答する。それに対して鳥場から「持たーせ」と再び呼びかけがあり、それに「飲まーせ」と答える。これを数回繰り返す。スライド枠には「立神 2.1.3」と記される。 | 志摩市阿児町立神 | 1990.01.03 |
4299 | 立神ヒッポロ神事3-1 | ヤマ(鳥居横の見物人の前)で舞う獅子。左の隅にはコトリ(鳥の舞の家族の中から6歳から10歳までの男子がつとめる。)と高張提灯を持った祷番が写る。スライド枠には「立神 2.1.3」と記される。 | 志摩市阿児町立神 | 1990.01.03 |
4300 | 立神ヒッポロ神事3-2 | ヤマ(鳥居横の見物人の前)で舞う獅子。左の隅にはコトリ(鳥の舞の家族の中から6歳から10歳までの男子が務める。)と高張提灯を持った祷番が写る。スライド枠には「立神 2.1.3」と記される。 | 志摩市阿児町立神 | 1990.01.03 |
4301 | 立神ヒッポロ神事3-3 | 「鳥場」でパッパ(煙草)の火を前にして座る数人の若衆。手には日の丸扇子を持つ。スライド枠には「立神 2.1.3」と記される。 | 志摩市阿児町立神 | 1990.01.03 |
4302 | 立神ヒッポロ神事3-4 | コトリのアップ。コトリは鳥の舞の家族の中から6歳から10歳までの男子2人が務める。頭にヒノキ葉を挿した烏帽子と天狗面を付ける。スライド枠には「立神 2.1.3」と記される。 | 志摩市阿児町立神 | 1990.01.03 |
4303 | 立神ヒッポロ神事3-5 | コトリのアップ。コトリは鳥の舞の家族の中から6歳から10歳までの男子2人が務める。頭にヒノキ葉を挿した烏帽子と天狗面を付ける。スライド枠には「立神 2.1.3」と記される。 | 志摩市阿児町立神 | 1990.01.03 |
4304 | 立神ヒッポロ神事3-6 | コトリのアップ。コトリは鳥の舞の家族の中から6歳から10歳までの男子2人が務める。頭にヒノキ葉を挿した烏帽子と天狗面を付ける。スライド枠には「立神 2.1.3」と記される。 | 志摩市阿児町立神 | 1990.01.03 |
4305 | 立神ヒッポロ神事3-7 | コトリのアップ。コトリは鳥の舞の家族の中から6歳から10歳までの男子2人が務める。頭にヒノキ葉を挿した烏帽子と天狗面を付ける。スライド枠には「立神 2.1.3」と記される。 | 志摩市阿児町立神 | 1990.01.03 |
4306 | 立神ヒッポロ神事3-8 | コトリのアップ。コトリは鳥の舞の家族の中から6歳から10歳までの男子2人が務める。頭にヒノキ葉を挿した烏帽子と天狗面を付ける。スライド枠には「立神 2.1.3」と記される。 | 志摩市阿児町立神 | 1990.01.03 |
4307 | 立神ヒッポロ神事3-9 | 裃姿の九人役、横顔。スライド枠には「立神 2.1.3」と記される。 | 志摩市阿児町立神 | 1990.01.03 |
4308 | 立神ヒッポロ神事3-10 | 境内に立つ見物の親子。スライド枠には「立神 2.1.3」と記される。 | 志摩市阿児町立神 | 1990.01.03 |
4309 | 立神ヒッポロ神事3-11 | 晴れ着を着た少女3人。そのうち髪飾りを付けた2人の少女は、5献目がすぎると、境内の参拝者に甘酒を配る。スライド枠には「立神 2.1.3」と記される。 | 志摩市阿児町立神 | 1990.01.03 |
4310 | 立神ヒッポロ神事3-12 | 「鳥場」の若衆が「○○に申す。当年のオミキ(甘酒)がいただきとうござる。」と言うと、「ハゼ場」の指名された若者が「ハーイ」と言って日の丸扇子を持って広場に出て「くわーせ」と応答する。それに対して鳥場から「持たーせ」と再び呼びかけがあり、それに「飲まーせ」と答える。これを数回繰り返す。スライド枠には「立神 2.1.3」と記される。 | 志摩市阿児町立神 | 1990.01.03 |
4311 | 立神ヒッポロ神事3-13 | 「鳥場」の若衆が「○○に申す。当年のオミキ(甘酒)がいただきとうござる。」と言うと、「ハゼ場」の指名された若者が「ハーイ」と言って日の丸扇子を持って広場に出て「くわーせ」と応答する。それに対して鳥場から「持たーせ」と再び呼びかけがあり、それに「飲まーせ」と答える。これを数回繰り返す。スライド枠には「立神 2.1.3」と記される。(映像が暗い) | 志摩市阿児町立神 | 1990.01.03 |
4312 | 立神ヒッポロ神事3-14 | 酒つぎを務める晴れ着の少女2人。5献目がすぎると、境内の参拝者に甘酒を配る。スライド枠には「立神 2.1.3」と記される。 | 志摩市阿児町立神 | 1990.01.03 |
4313 | 立神ヒッポロ神事3-15 | 酒つぎを務める晴れ着の少女2人。5献目がすぎると、境内の参拝者に甘酒を配る。スライド枠には「立神 2.1.3」と記される。 | 志摩市阿児町立神 | 1990.01.03 |
4314 | 立神ヒッポロ神事3-16 | 鳥場の若衆からの「トウジ殿に申す。当年のオミキがいただきとうござる。」などとの注文に、扇子と杓を持ち、「くわーせ」「飲まーせ」と杓をかざしながら応答するトウジ。トウジは祷番の中で3番目の長老者(1人)が当たる。神酒醸造の任務で、小屋場の釜の前に白装束で杓と扇子を持って立つ。トウジの後方に、小屋場前に座る素襖、烏帽子姿の「鳥の舞」の2人が写る。スライド枠には「立神 2.1.3」と記される。 | 志摩市阿児町立神 | 1990.01.03 |
4315 | 立神ヒッポロ神事3-17 | 8番おこしが5番おこしと同じ「ヨイヨイヨイヨイ」の舞いで、鳥居下で神前に礼をするように獅子頭をゆすりながら3回舞う。周囲から「ヨイヨイヨイヨイ」の掛け声がかかると、5人の素襖着が竹を2本ずつ持ち、鳥場に5献目の盃が通ったか七度半の使いに出る。素襖着は、祷屋の5~9番までの5人が勤める。素襖着姿で宮中の九人衆、神職、神役(獅子、楽士)の接待にあたる。スライド枠には「立神 2.1.3」と記される。 | 志摩市阿児町立神 | 1990.01.03 |
4316 | 立神ヒッポロ神事3-18 | 8番おこしが5番おこしと同じ「ヨイヨイヨイヨイ」の舞いで、鳥居下で神前に礼をするように獅子頭をゆすりながら3回舞う。周囲から「ヨイヨイヨイヨイ」の掛け声がかかると、5人の素襖着が竹を2本ずつ持ち、鳥場に5献目の盃が通ったか七度半の使いに出る。素襖着は、祷屋の5~9番までの5人が勤める。素襖着姿で宮中の九人衆、神職、神役(獅子、楽士)の接待にあたる。スライド枠には「立神 2.1.3」と記される。 | 志摩市阿児町立神 | 1990.01.03 |
4317 | 立神ヒッポロ神事3-19 | 宮中の神官のもとへ七度半の使いに出た素襖着の5人。2列になり低頭し膝をついている。スライド枠には「立神 2.1.3」と記される。 | 志摩市阿児町立神 | 1990.01.03 |
4318 | 立神ヒッポロ神事3-20 | 9番おこし。宮中から舞い出る雌雄の獅子。その後東の参道前で待機する。スライド枠には「立神 2.1.3」と記される。 | 志摩市阿児町立神 | 1990.01.03 |
4319 | 立神ヒッポロ神事4-1 | 9番おこし。宮中から舞い出る雌雄の獅子。その後東の参道前で待機する。スライド枠には「立神 2.1.3」と記される。 | 志摩市阿児町立神 | 1990.01.03 |
4320 | 立神ヒッポロ神事4-2 | 9番おこし。宮中から舞い出る雌雄の獅子。その後東の参道前で待機する。スライド枠には「立神 2.1.3」と記される。 | 志摩市阿児町立神 | 1990.01.03 |
4321 | 立神ヒッポロ神事4-3 | 9番おこし。宮中から舞い出る雌雄の獅子。その後東の参道前で待機する。スライド枠には「立神 2.1.3」と記される。 | 志摩市阿児町立神 | 1990.01.03 |
4322 | 立神ヒッポロ神事4-4 | 七度半の使いに対し、鳥場から5献盃が「通りました」と返事があると、地下役人・寺方・若衆頭が12枚のお金をしばりつけた幣串を獅子にくわえさせ、宮中に運ぶ。次に「ククメモノ」という20本の腰のモノ(女竹束)を同様に獅子に与える。スライド枠には「立神 2.1.3」と記される。 | 志摩市阿児町立神 | 1990.01.03 |
4323 | 立神ヒッポロ神事4-5 | 七度半の使いに対し、鳥場から5献盃が「通りました」と返事があると、地下役人・寺方・若衆頭が12枚のお金をしばりつけた幣串を獅子にくわえさせ、宮中に運ぶ。次に「ククメモノ」という20本の腰のモノ(女竹束)を同様に獅子に与える。スライド枠には「立神 2.1.3」と記される。 | 志摩市阿児町立神 | 1990.01.03 |
4324 | 立神ヒッポロ神事4-6 | 七度半の使いに対し、鳥場から5献盃が「通りました」と返事があると、地下役人・寺方・若衆頭が12枚のお金をしばりつけた幣串を獅子にくわえさせ、宮中に運ぶ。次に「ククメモノ」という20本の腰のモノ(女竹束)を同様に獅子に与える。スライド枠には「立神 2.1.3」と記される。 | 志摩市阿児町立神 | 1990.01.03 |
4325 | 立神ヒッポロ神事4-7 | 七度半の使いに対し、鳥場から5献盃が「通りました」と返事があると、地下役人・寺方・若衆頭が12枚のお金をしばりつけた幣串を獅子にくわえさせ、宮中に運ぶ。次に「ククメモノ」という20本の腰のモノ(女竹束)を同様に獅子に与える。獅子の後方から撮影。スライド枠には「立神 2.1.3」と記される。 | 志摩市阿児町立神 | 1990.01.03 |
4326 | 立神ヒッポロ神事4-8 | 5番おこし。1番おこし、2番おこしと同様、獅子が舞い込んでくると、鳥場の境(参道)で向きを変え、宮中・鳥の舞い座、鳥場を一巡したあと神前の鳥居前まで踊りこみ、見物人の「ヨイヨイヨイヨイ」の囃子の中、頭を高く上げ鳥居を仰ぐようにして舞う。スライド枠には「立神 2.1.3」と記される。 | 志摩市阿児町立神 | 1990.01.03 |
4327 | 立神ヒッポロ神事4-9 | 七度半の使いに対し、鳥場から5献盃が「通りました」と返事があると、地下役人・寺方・若衆頭が12枚のお金をしばりつけた幣串を獅子にくわえさせ、宮中に運ぶ。次に「ククメモノ」という20本の腰のモノ(女竹束)を同様に獅子に与える。獅子の左側面から撮影。スライド枠には「立神 2.1.3」と記される。 | 志摩市阿児町立神 | 1990.01.03 |
4328 | 立神ヒッポロ神事4-10 | 七度半の使いに対し、鳥場から5献盃が「通りました」と返事があると、地下役人・寺方・若衆頭が12枚のお金をしばりつけた幣串を獅子にくわえさせ、宮中に運ぶ。スライド枠には「立神 2.1.3」と記される。 | 志摩市阿児町立神 | 1990.01.03 |
4329 | 立神ヒッポロ神事4-11 | 七度半の使いに対し、鳥場から5献盃が「通りました」と返事があると、地下役人・寺方・若衆頭が12枚のお金をしばりつけた幣串を獅子にくわえさせ、宮中に運ぶ。スライド枠には「立神 2.1.3」と記される。 | 志摩市阿児町立神 | 1990.01.03 |
4330 | 立神ヒッポロ神事4-12 | 宮中の前で舞う雌雄の獅子。スライド枠には「立神 2.1.3」と記される。 | 志摩市阿児町立神 | 1990.01.03 |
4331 | 立神ヒッポロ神事4-13 | 宮中の前で舞う雌雄の獅子。スライド枠には「立神 2.1.3」と記される。 | 志摩市阿児町立神 | 1990.01.03 |
4332 | 立神ヒッポロ神事4-14 | 「鳥場」の若者から「パッパの火を引かっしゃれ」と「ハゼ場」に命じ、再び「ハゼ場の若衆18人揃いましたか」と尋ねる。ハゼ場から「揃いました」と返答があると、2本の笹竿(大幣)が持ち出され、ハゼ場で鳥竿すりが始まる。この笹踊りの1番手を「振り出し」と呼び、未婚の長男が当たる。スライド枠には「立神 2.1.3」と記される。 | 志摩市阿児町立神 | 1990.01.03 |
4333 | 立神ヒッポロ神事4-15 | 「鳥竿すり」は大幣を地面をするように回す。その間鳥場の若衆はハゼ場で焼かれるワラ山の火に突っ込んで敷物やワラ束で盛んに叩き消そうとする。スライド枠には「立神 2.1.3」と記される。 | 志摩市阿児町立神 | 1990.01.03 |
4334 | 立神ヒッポロ神事4-16 | 「鳥場」の若者から「パッパの火を引かっしゃれ」と「ハゼ場」に命じ、再び「ハゼ場の若衆18人揃いましたか」と尋ねる。ハゼ場から「揃いました」と返答があると、2本の笹竿(大幣)が持ち出され、ハゼ場で鳥竿すりが始まる。この笹踊りの1番手を「振り出し」と呼び、未婚の長男が当たる。スライド枠には「立神 2.1.3」と記される。 | 志摩市阿児町立神 | 1990.01.03 |
4335 | 立神ヒッポロ神事4-17 | 「鳥竿すり」は大幣を地面をするように回す。その間鳥場の若衆はハゼ場で焼かれるワラ山の火に突っ込んで、敷物やワラ束で盛んに叩き消そうとする。火を消し鳥場に若衆が引き上げると、ハゼ場の若衆は再び火を点け、火の手を上げる。この繰り返しがしばらく続く。スライド枠には「立神 2.1.3」と記される。 | 志摩市阿児町立神 | 1990.01.03 |
4336 | 立神ヒッポロ神事4-18 | 「鳥竿すり」は大幣を地面をするように回す。その間鳥場の若衆はハゼ場で焼かれるワラ山の火に突っ込んで、敷物やワラ束で盛んに叩き消そうとする。火を消し鳥場に若衆が引き上げると、ハゼ場の若衆は再び火を点け、火の手を上げる。この繰り返しがしばらく続く。スライド枠には「立神 2.1.3」と記される。 | 志摩市阿児町立神 | 1990.01.03 |
4337 | 立神ヒッポロ神事4-19 | ハゼ場にワラや敷物を積み上げ、火を点ける準備をする若衆。若衆は、着用していた裃を脱ぎ、着流し姿である。スライド枠には「立神 2.1.3」と記される。 | 志摩市阿児町立神 | 1990.01.03 |
4338 | 立神ヒッポロ神事5-1 | 「鳥竿すり」は大幣を地面をするように回す。その間鳥場の若衆はハゼ場で焼かれるワラ山の火に突っ込んで、敷物やワラ束で盛んに叩き消そうとする。火を消し鳥場に若衆が引き上げると、ハゼ場の若衆は再び火を点け、火の手を上げる。この繰り返しがしばらく続く。スライド枠には「立神 2.1.3」と記される。 | 志摩市阿児町立神 | 1990.01.03 |
4339 | 立神ヒッポロ神事5-2 | 「オッコミ」。宮中より神職が獅子の所へ出向き、宮中からは鳥の舞役の2人がくわえ紙をし、弊のようなもので3回ほど獅子を招く所作をする。すると獅子は太鼓の拍子に合わせて動き出し、東から宮中へ、宮中から東へ、更にまた宮中前に走って行き、獅子頭を3回下げお礼をする。最後は鳥場の前に走って行き、同様に3回お礼をすると、鳥場の若衆の追い込みに合って宮中に駆け込む。 写真はくわえ紙をし、弊のようなもので3回ほど獅子を招く所作をする、2人の鳥の舞い役。スライド枠には「立神 2.1.3」と記される。 | 志摩市阿児町立神 | 1990.01.03 |
4340 | 立神ヒッポロ神事5-3 | 「オッコミ」。宮中より神職が獅子の所へ出向き、宮中からは鳥の舞役の2人がくわえ紙をし、弊のようなもので3回ほど獅子を招く所作をする。すると獅子は太鼓の拍子に合わせて動き出し、東から宮中へ、宮中から東へ、更にまた宮中前に走って行き、獅子頭を3回下げお礼をする。最後は鳥場の前に走って行き、同様に3回お礼をすると、鳥場の若衆の追い込み合って宮中に駆け込む。 写真はくわえ紙をし、弊のようなもので3回ほど獅子を招く所作をする、2人の鳥の舞い役。スライド枠には「立神 2.1.3」と記される。 | 志摩市阿児町立神 | 1990.01.03 |
4341 | 立神ヒッポロ神事5-4 | 「オッコミ」。宮中より神職が獅子の所へ出向き、宮中からは鳥の舞役の2人がくわえ紙をし、弊のようなもので3回ほど獅子を招く所作をする。すると獅子は太鼓の拍子に合わせて動き出し、東から宮中へ、宮中から東へ、更にまた宮中前に走って行き、獅子頭を3回下げ礼をする。最後は鳥場の前に走って行き、同様に3回礼をすると、鳥場の若衆の追い込みに合って宮中に駆け込む。 写真は宇気比神社と書かれた高張提灯を手にして境内を歩く神官。後方では頭を高く上げる獅子が見える。スライド枠には「立神 2.1.3」と記される。 | 志摩市阿児町立神 | 1990.01.03 |
4342 | 立神ヒッポロ神事6-1 | 百度詣でに出発するため薬師堂前に集まった20人ほどの若衆。2人は若衆仲間の宝物ともいわれる「大幣」を持ち、4人は氏子と書かれた提灯を持つ。若衆は15歳以上の若者で、任意に参加できるので人数は年により変わる。スライド枠には「立神 2.1.3」と記される。 | 志摩市阿児町立神 | 1990.01.03 |
4343 | 立神ヒッポロ神事6-2 | 百度詣でに出発するため薬師堂前に集まった20人ほどの若衆。2人は若衆仲間の宝物ともいわれる「大幣」を持ち、4人は氏子と書かれた提灯を持つ。若衆は15歳以上の若者で、任意に参加できるので人数は年により変わる。スライド枠には「立神 2.1.3」と記される。 | 志摩市阿児町立神 | 1990.01.03 |
4344 | 立神ヒッポロ神事6-3 | 百度詣でに出発するため薬師堂前に集まった20人ほどの若衆。2人は若衆仲間の宝物ともいわれる「大幣」を持ち、4人は氏子と書かれた提灯を持つ。若衆は15歳以上の若者で、任意に参加できるので人数は年により変わる。スライド枠には「立神 2.1.3」と記される。 | 志摩市阿児町立神 | 1990.01.03 |
4345 | 立神ヒッポロ神事6-4 | 百度詣でに出発するため薬師堂前に集まった20人ほどの若衆。2人は若衆仲間の宝物ともいわれる「大幣」を持ち、4人は氏子と書かれた提灯を持つ。若衆は15歳以上の若者で、任意に参加できるので人数は年により変わる。スライド枠には「立神 2.1.3」と記される。 | 志摩市阿児町立神 | 1990.01.03 |
4346 | 立神ヒッポロ神事6-5 | ヤマ(鳥居横の見物人の前)で舞う獅子。左の隅にはコトリ(鳥の舞の家族の中から6歳から10歳までの男子がつとめる。)と高張提灯を持った祷番が写る。スライド枠には「立神 2.1.3」と記される。 | 志摩市阿児町立神 | 1990.01.03 |
4347 | 立神ヒッポロ神事6-6 | 掛け物のかかった「小屋場」前に座る鳥の舞役の2人。祷番中の長老2人が務める。素襖、烏帽子姿で主に寺方の接待に当たる。スライド枠には「立神 2.1.3」と記される。 | 志摩市阿児町立神 | 1990.01.03 |
4348 | 立神ヒッポロ神事6-7 | 掛け物のかかった「小屋場」前に座る鳥の舞役の2人。祷番中の長老2人が務める。素襖、烏帽子姿で主に寺方の接待に当たる。スライド枠には「立神 2.1.3」と記される。 | 志摩市阿児町立神 | 1990.01.03 |
4349 | 立神ヒッポロ神事6-8 | ヤマ(鳥居横の見物人の前)で舞う獅子の左側面アップ。スライド枠には「立神 2.1.3」と記される。 | 志摩市阿児町立神 | 1990.01.03 |
4350 | 立神ヒッポロ神事6-9 | ヤマ(鳥居横の見物人の前)で舞う獅子の左正面アップ。スライド枠には「立神 2.1.3」と記される。 | 志摩市阿児町立神 | 1990.01.03 |
4351 | 立神ヒッポロ神事6-10 | ヤマ(鳥居横の見物人の前)で舞う獅子。大きく口を開けて右上方を向く。後方より撮影。スライド枠には「立神 2.1.3」と記される。 | 志摩市阿児町立神 | 1990.01.03 |
4352 | 立神ヒッポロ神事6-11 | ヤマ(鳥居横の見物人の前)で舞う獅子。右下方を向く。正面より撮影。スライド枠には「立神 2.1.3」と記される。 | 志摩市阿児町立神 | 1990.01.03 |
4353 | 立神ヒッポロ神事6-12 | 1番おこし。太鼓、笛の奏楽に合わせて獅子が体を左にねじるように、3回ゆすりながら舞い始める。コトリ(天狗)が獅子の前で踊り、宮中に向いて天を仰ぐようにまっすぐ立った雌雄の獅子の前をスキップを踏みながら左右から掛け走る。スライド枠には「立神 2.1.3」と記される。 | 志摩市阿児町立神 | 1990.01.03 |
4354 | 立神ヒッポロ神事6-13 | 1番おこし。太鼓、笛の奏楽に合わせて獅子が体を左にねじるように、3回ゆすりながら舞い始める。コトリ(天狗)が獅子の前で踊り、宮中に向いて天を仰ぐようにまっすぐ立った雌雄の獅子の前をスキップを踏みながら左右から掛け走る。スライド枠には「立神 2.1.3」と記される。 | 志摩市阿児町立神 | 1990.01.03 |
4355 | 立神ヒッポロ神事6-14 | 一通りの舞いをすませ宮中に戻り、神官の前で舞う獅子。スライド枠には「立神 2.1.3」と記される。 | 志摩市阿児町立神 | 1990.01.03 |
4356 | 立神ヒッポロ神事6-15 | 一通りの舞いをすませ宮中に戻り、九人衆の前で舞う獅子。左隅に楽士が写る。スライド枠には「立神 2.1.3」と記される。 | 志摩市阿児町立神 | 1990.01.03 |
4357 | 立神ヒッポロ神事6-16 | 酒つぎを務める晴れ着の少女2人。5献目がすぎると、境内の参拝者に甘酒を配る。スライド枠には「立神 2.1.3」と記される。 | 志摩市阿児町立神 | 1990.01.03 |
4358 | 立神ヒッポロ神事7-1 | ヤマ(鳥居横の見物人の前)で舞う獅子。左の隅にはコトリ(鳥の舞の家族の中から6歳から10歳までの男子が務める。)と高張提灯を持った祷番が写る。スライド枠には「立神 2.1.3」と記される。 | 志摩市阿児町立神 | 1990.01.03 |
4359 | 立神ヒッポロ神事7-2 | ヤマ(鳥居横の見物人の前)で舞う獅子。左の隅にはコトリ(鳥の舞の家族の中から6歳から10歳までの男子が務める。)と高張提灯を持った祷番が写る。スライド枠には「立神 2.1.3」と記される。 | 志摩市阿児町立神 | 1990.01.03 |
4360 | 立神ヒッポロ神事7-3 | ヤマ(鳥居横の見物人の前)で舞う獅子。左の隅にはコトリ(鳥の舞の家族の中から6歳から10歳までの男子が務める。)と高張提灯を持った祷番が写る。スライド枠には「立神 2.1.3」と記される。 | 志摩市阿児町立神 | 1990.01.03 |
4361 | 立神ヒッポロ神事7-4 | ヤマ(鳥居横の見物人の前)で舞う獅子。左の隅にはコトリ(鳥の舞の家族の中から6歳から10歳までの男子が務める。)と高張提灯を持った祷番が写る。)スライド枠には「立神 2.1.3」と記される。映像がブレている。 | 志摩市阿児町立神 | 1990.01.03 |
4362 | 立神ヒッポロ神事7-5 | ヤマ(鳥居横の見物人の前)で舞う獅子。左の隅にはコトリ(鳥の舞の家族の中から6歳から10歳までの男子が務める。)と高張提灯を持った祷番が写る。)スライド枠には「立神 2.1.3」と記される。映像がブレている。 | 志摩市阿児町立神 | 1990.01.03 |
4363 | 立神ヒッポロ神事7-6 | ヤマ(鳥居横の見物人の前)で舞う獅子。左の隅にはコトリ(鳥の舞の家族の中から6歳から10歳までの男子が務める。)と高張提灯を持った祷番が写る。)スライド枠には「立神 2.1.3」と記される。映像がブレている。 | 志摩市阿児町立神 | 1990.01.03 |
4364 | 立神ヒッポロ神事7-7 | 夕刻祭礼に参加するため、宇気比神社の石段を上る少林寺と本福寺の住職。スライド枠には「立神 2.1.3」と記される。 | 志摩市阿児町立神 | 1990.01.03 |
4365 | 立神ヒッポロ神事7-8 | 夕刻祭礼に参加するため、宇気比神社の石段を上る少林寺と本福寺の住職。スライド枠には「立神 2.1.3」と記される。 | 志摩市阿児町立神 | 1990.01.03 |
4366 | 立神ヒッポロ神事7-9 | 夕刻祭礼に参加するため、境内に設えられた「鳥場」に向かう少林寺と本福寺の住職。後ろ姿。スライド枠には「立神 2.1.3」と記される。 | 志摩市阿児町立神 | 1990.01.03 |
4367 | 立神ヒッポロ神事7-10 | 「鳥場」の中の「寺方」の座に着く少林寺と本福寺の住職。両脇には立神地区自治会長と自治会役員が座る。スライド枠には「立神 2.1.3」と記される。 | 志摩市阿児町立神 | 1990.01.03 |
4368 | 立神ヒッポロ神事7-11 | 5献目がすぎ、境内の参拝者に甘酒を配る酒つぎ役の少女とその母親。スライド枠には「立神 2.1.3」と記される。 | 志摩市阿児町立神 | 1990.01.03 |
4369 | 立神ヒッポロ神事7-12 | 酒つぎ役を務める晴れ着の少女。5献目がすぎると、境内の参拝者に甘酒を配る。スライド枠には「立神 2.1.3」と記される。 | 志摩市阿児町立神 | 1990.01.03 |
4370 | 立神ヒッポロ神事7-13 | 若衆仲間の宝物ともいわれる笹竹に白紙や掛け物を吊るした「大幣」を宇気比神社に運ぶ若衆。紋付き袴を着て5番おこしの舞いが終わるころ入場する。若衆は15歳以上の若者で、任意に参加できるので人数は年により変わる。スライド枠には「立神 2.1.3」と記される。映像がブレている。 | 志摩市阿児町立神 | 1990.01.03 |
4371 | 立神ヒッポロ神事7-14 | 若衆仲間の宝物ともいわれる笹竹に白紙や掛け物を吊るした「大幣」を宇気比神社に運ぶ若衆。紋付き袴を着て5番おこしの舞いが終わるころ入場する。若衆は15歳以上の若者で、任意に参加できるので人数は年により変わる。スライド枠には「立神 2.1.3」と記される。映像がブレている。 | 志摩市阿児町立神 | 1990.01.03 |
4372 | 立神ヒッポロ神事7-15 | アワビ貝に酒場のカマドからとった炭火を入れたパッパ(タバコ)の火。スライド枠には「立神 2.1.3」と記される。 | 志摩市阿児町立神 | 1990.01.03 |
4373 | 立神ヒッポロ神事7-16 | ヤマ(鳥居横の見物人の前)で舞う獅子。左側面のアップ。スライド枠には「立神 2.1.3」と記される。 | 志摩市阿児町立神 | 1990.01.03 |
4374 | 立神ヒッポロ神事7-17 | ヤマ(鳥居横の見物人の前)で舞う獅子。大きく口を開けた、左側面のアップ。スライド枠には「立神 2.1.3」と記される。 | 志摩市阿児町立神 | 1990.01.03 |
4375 | 立神ヒッポロ神事7-18 | ヤマ(鳥居横の見物人の前)で舞う獅子。大きく口を開けた、正面のアップ。スライド枠には「立神 2.1.3」と記される。 | 志摩市阿児町立神 | 1990.01.03 |
4376 | 立神ヒッポロ神事7-19 | ヤマ(鳥居横の見物人の前)で舞う獅子。大きく口を開けた、上方からのアップ。スライド枠には「立神 2.1.3」と記される。映像がブレている。 | 志摩市阿児町立神 | 1990.01.03 |
4377 | 立神ヒッポロ神事8-1 | 酒つぎ役を務める晴れ着の少女2人。5献目がすぎると、境内の参拝者に甘酒を配る。スライド枠には「立神 2.1.3」と記される。 | 志摩市阿児町立神 | 1990.01.03 |
4378 | 立神ヒッポロ神事8-2 | 一通りの舞いをすませ宮中に戻り、宮中の前で舞う獅子。後方より撮影。掛け物のかかった「小屋場」前に座る鳥の舞役の2人も写る。スライド枠には「立神 2.1.3」と記される。 | 志摩市阿児町立神 | 1990.01.03 |
4379 | 立神ヒッポロ神事8-3 | 酒つぎ役を務める晴れ着の少女。5献目がすぎると、境内の参拝者に甘酒を配る。スライド枠には「立神 2.1.3」と記される。 | 志摩市阿児町立神 | 1990.01.03 |
4380 | 立神ヒッポロ神事8-4 | 酒つぎ役を務める晴れ着の少女。5献目がすぎると、境内の参拝者に甘酒を配る。スライド枠には「立神 2.1.3」と記される。 | 志摩市阿児町立神 | 1990.01.03 |
4381 | 立神ヒッポロ神事8-5 | ヤマ(鳥居横の見物人の前)で舞う獅子。スライド枠には「立神 2.1.3」と記される。 | 志摩市阿児町立神 | 1990.01.03 |
4382 | 立神ヒッポロ神事8-6 | 「鳥場」の前で舞う獅子。スライド枠には「立神 2.1.3」と記される。 | 志摩市阿児町立神 | 1990.01.03 |
4383 | 立神ヒッポロ神事8-7 | 「鳥場」の前で舞う獅子。スライド枠には「立神 2.1.3」と記される。 | 志摩市阿児町立神 | 1990.01.03 |
4384 | 立神ヒッポロ神事8-8 | 境内で舞う獅子。正面から撮影。スライド枠には「立神 2.1.3」と記される。 | 志摩市阿児町立神 | 1990.01.03 |
4385 | 立神ヒッポロ神事8-9 | ヤマ(鳥居横の見物人の前)で舞う獅子。左側面から撮影。スライド枠には「立神 2.1.3」と記される。 | 志摩市阿児町立神 | 1990.01.03 |
4386 | 立神ヒッポロ神事8-10 | ヤマ(鳥居横の見物人の前)で舞う獅子。左側面から撮影。スライド枠には「立神 2.1.3」と記される。 | 志摩市阿児町立神 | 1990.01.03 |
4387 | 立神ヒッポロ神事8-11 | ヤマ(鳥居横の見物人の前)で舞う獅子。スライド枠には「立神 2.1.3」と記される。映像がブレている。 | 志摩市阿児町立神 | 1990.01.03 |
4388 | 立神ヒッポロ神事8-12 | ヤマ(鳥居横の見物人の前)で舞う獅子。左側面から撮影。スライド枠には「立神 2.1.3」と記される。 | 志摩市阿児町立神 | 1990.01.03 |
4389 | 立神ヒッポロ神事8-13 | ヤマ(鳥居横の見物人の前)で舞う獅子。後方から撮影。スライド枠には「立神 2.1.3」と記される。 | 志摩市阿児町立神 | 1990.01.03 |
4390 | 立神ヒッポロ神事8-14 | ヤマ(鳥居横の見物人の前)で舞う獅子。後方から撮影。スライド枠には「立神 2.1.3」と記される。 | 志摩市阿児町立神 | 1990.01.03 |
4391 | 立神ヒッポロ神事8-15 | ヤマ(鳥居横の見物人の前)で舞う獅子。左前から撮影。スライド枠には「立神 2.1.3」と記される。 | 志摩市阿児町立神 | 1990.01.03 |
4392 | 立神ヒッポロ神事8-16 | ヤマ(鳥居横の見物人の前)で舞う雌雄の獅子。正面から撮影。スライド枠には「立神 2.1.3」と記される。 | 志摩市阿児町立神 | 1990.01.03 |
4393 | 立神ヒッポロ神事8-17 | ヤマ(鳥居横の見物人の前)で舞う雌雄の獅子。正面から撮影。スライド枠には「立神 2.1.3」と記される。 | 志摩市阿児町立神 | 1990.01.03 |
4394 | 立神ヒッポロ神事8-18 | ヤマ(鳥居横の見物人の前)で舞う雌雄の獅子。正面から撮影。スライド枠には「立神 2.1.3」と記される。 | 志摩市阿児町立神 | 1990.01.03 |
4395 | 立神ヒッポロ神事8-19 | ヤマ(鳥居横の見物人の前)で舞う雌雄の獅子。右側面から撮影。スライド枠には「立神 2.1.3」と記される。 | 志摩市阿児町立神 | 1990.01.03 |
4396 | 立神ヒッポロ神事8-20 | ヤマ(鳥居横の見物人の前)で舞う雌雄の獅子。右側面から撮影。スライド枠には「立神 2.1.3」と記される。 | 志摩市阿児町立神 | 1990.01.03 |
4397 | 立神ヒッポロ神事9-1 | ハゼ場で焼かれるワラ山の火に突っ込んで、敷物やワラ束で盛んに叩き消そうしている鳥場の若衆。火を消し鳥場に若衆が引き上げると、ハゼ場の若衆は再び火を点け、火の手を上げる。この繰り返しがしばらく続く。スライド枠には「立神 2.1.3」と記される。 | 志摩市阿児町立神 | 1990.01.03 |
4398 | 立神ヒッポロ神事9-2 | ハゼ場で焼かれるワラ山の火に突っ込んで、敷物やワラ束で盛んに叩き消そうしている鳥場の若衆。火を消し鳥場に若衆が引き上げると、ハゼ場の若衆は再び火を点け、火の手を上げる。この繰り返しがしばらく続く。スライド枠には「立神 2.1.3」と記される。 | 志摩市阿児町立神 | 1990.01.03 |
4399 | 立神ヒッポロ神事9-3 | ハゼ場で燃え上がったワラ山の火に突っ込んで、敷物やワラ束で盛んに叩き消そうしている鳥場の若衆。火を消し鳥場に若衆が引き上げると、ハゼ場の若衆は再び火を点け、火の手を上げる。この繰り返しがしばらく続く。スライド枠には「立神 2.1.3」と記される。 | 志摩市阿児町立神 | 1990.01.03 |
4400 | 立神ヒッポロ神事9-4 | ハゼ場で燃え上がったワラ山の火に突っ込んで、敷物やワラ束で盛んに叩き消そうしている鳥場の若衆。火を消し鳥場に若衆が引き上げると、ハゼ場の若衆は再び火を点け、火の手を上げる。この繰り返しがしばらく続く。スライド枠には「立神 2.1.3」と記される。 | 志摩市阿児町立神 | 1990.01.03 |
4401 | 立神ヒッポロ神事9-5 | ハゼ場で燃え上がったワラ山の火に突っ込んで、敷物やワラ束で盛んに叩き消そうしている鳥場の若衆。火を消し鳥場に若衆が引き上げると、ハゼ場の若衆は再び火を点け、火の手を上げる。この繰り返しがしばらく続く。スライド枠には「立神 2.1.3」と記される。 | 志摩市阿児町立神 | 1990.01.03 |
4402 | 立神ヒッポロ神事9-6 | ハゼ場で燃え上がったワラ山の火に突っ込んで、敷物やワラ束で盛んに叩き消そうしている鳥場の若衆。火を消し鳥場に若衆が引き上げると、ハゼ場の若衆は再び火を点け、火の手を上げる。この繰り返しがしばらく続く。スライド枠には「立神 2.1.3」と記される。 | 志摩市阿児町立神 | 1990.01.03 |
4403 | 立神ヒッポロ神事9-7 | ハゼ場で燃え上がったワラ山の火に突っ込んで、敷物やワラ束で盛んに叩き消そうしている鳥場の若衆。火を消し鳥場に若衆が引き上げると、ハゼ場の若衆は再び火を点け、火の手を上げる。この繰り返しがしばらく続く。スライド枠には「立神 2.1.3」と記される。 | 志摩市阿児町立神 | 1990.01.03 |
4404 | 立神ヒッポロ神事9-8 | ハゼ場で燃え上がったワラ山の火に突っ込んで、敷物やワラ束で盛んに叩き消そうしている鳥場の若衆。火を消し鳥場に若衆が引き上げると、ハゼ場の若衆は再び火を点け、火の手を上げる。この繰り返しがしばらく続く。スライド枠には「立神 2.1.3」と記される。 | 志摩市阿児町立神 | 1990.01.03 |
4405 | 立神ヒッポロ神事9-9 | ハゼ場で燃え上がったワラ山の火に突っ込んで、敷物やワラ束で盛んに叩き消そうしている鳥場の若衆。火を消し鳥場に若衆が引き上げると、ハゼ場の若衆は再び火を点け、火の手を上げる。この繰り返しがしばらく続く。スライド枠には「立神 2.1.3」と記される。 | 志摩市阿児町立神 | 1990.01.03 |
4406 | 立神ヒッポロ神事9-10 | 「大幣」を回す笹竿すり。その前面では獅子が太鼓の拍子に合わせて動く。スライド枠には「立神 2.1.3」と記される。 | 志摩市阿児町立神 | 1990.01.03 |
4407 | 立神ヒッポロ神事9-11 | 「大幣」を回す笹竿すり。その前面では獅子が太鼓の拍子に合わせて動く。スライド枠には「立神 2.1.3」と記される。 | 志摩市阿児町立神 | 1990.01.03 |
4408 | 立神ヒッポロ神事9-12 | 笹竿すりがしばらく続いた後、「大幣」を獅子に渡し宮中に収める。スライド枠には「立神 2.1.3」と記される。 | 志摩市阿児町立神 | 1990.01.03 |
4409 | 立神ヒッポロ神事9-13 | 笹竿すりがしばらく続いた後、「大幣」を獅子に渡し宮中に収める。そして笹に縛り付けられているお金を九人役の祝儀としてちぎり取る。その後若衆の「掛け物の竿やぞー」という返却の呼びかけに応じ、九人衆の内の2人が「大幣」をハゼ場に持ち出し、笹竿すりを1回行い若衆頭に返す。スライド枠には「立神 2.1.3」と記される。 | 志摩市阿児町立神 | 1990.01.03 |
4410 | 立神ヒッポロ神事9-14 | ハゼ場で燃え上がったワラ山の火に突っ込んで、敷物やワラ束で盛んに叩き消そうしている鳥場の若衆。火を消し鳥場に若衆が引き上げると、ハゼ場の若衆は再び火を点け、火の手を上げる。この繰り返しがしばらく続く。スライド枠には「立神 2.1.3」と記される。 | 志摩市阿児町立神 | 1990.01.03 |
4411 | 立神ヒッポロ神事9-15 | 「鳥場」に設けられた寺方の座に座り、獅子にくわえさせる幣串にお金を縛り付けて準備をする少林寺と本福寺の住職。 | 志摩市阿児町立神 | 1990.01.03 |
4412 | 立神ヒッポロ神事9-16 | ハゼ場で燃え上がったワラ山の火に突っ込んで、敷物やワラ束で盛んに叩き消そうしている鳥場の若衆。火を消し鳥場に若衆が引き上げると、ハゼ場の若衆は再び火を点け、火の手を上げる。この繰り返しがしばらく続く。スライド枠には「立神 2.1.3」と記される。 | 志摩市阿児町立神 | 1990.01.03 |
4413 | 立神ヒッポロ神事9-17 | ハゼ場で燃え上がったワラ山の火に突っ込んで、敷物やワラ束で盛んに叩き消そうしている鳥場の若衆。火を消し鳥場に若衆が引き上げると、ハゼ場の若衆は再び火を点け、火の手を上げる。この繰り返しがしばらく続く。スライド枠には「立神 2.1.3」と記される。 | 志摩市阿児町立神 | 1990.01.03 |
4414 | 立神ヒッポロ神事1-1 | ハゼ場で燃え上がったワラ山の火に突っ込んで、敷物やワラ束で盛んに叩き消そうしている鳥場の若衆。火を消し鳥場に若衆が引き上げると、ハゼ場の若衆は再び火を点け、火の手を上げる。この繰り返しがしばらく続く。スライド枠には「63.1.3」と記される。 | 志摩市阿児町立神 | 1988.01.03 |
4415 | 立神ヒッポロ神事1-2 | ハゼ場で燃え上がったワラ山の火に突っ込んで、敷物やワラ束で盛んに叩き消そうしている鳥場の若衆。火を消し鳥場に若衆が引き上げると、ハゼ場の若衆は再び火を点け、火の手を上げる。この繰り返しがしばらく続く。スライド枠には「63.1.3」と記される。 | 志摩市阿児町立神 | 1988.01.03 |
4416 | 立神ヒッポロ神事1-3 | ハゼ場で燃え上がったワラ山の火に突っ込んで、敷物やワラ束で盛んに叩き消そうしている鳥場の若衆。火を消し鳥場に若衆が引き上げると、ハゼ場の若衆は再び火を点け、火の手を上げる。この繰り返しがしばらく続く。スライド枠には「63.1.3」と記される。 | 志摩市阿児町立神 | 1988.01.03 |
4417 | 立神ヒッポロ神事1-4 | 「鳥場」の若者から「パッパの火を引かっしゃれ」と「ハゼ場」に命じ、再び「ハゼ場の若衆18人揃いましたか」と尋ねる。ハゼ場から「揃いました」と返答があると、2本の笹竿(大幣)が持ち出され、ハゼ場で鳥竿すりが始まる。この笹踊りの1番手を「振り出し」と呼び、未婚の長男が当たる。スライド枠には「63.1.3」と記される。 | 志摩市阿児町立神 | 1988.01.03 |
4418 | 立神ヒッポロ神事1-5 | 「鳥竿すり」は大幣を地面をするように回す。それに応じて氏子から「しなやかにおどらっしゃれや、おどらっしゃれ。当年は大豊年でござる。」と声がかかる。その間鳥場の若衆はハゼ場で焼かれるワラ山の火に突っ込んで敷物やワラ束で盛んに叩き消そうとする。スライド枠には「63.1.3」と記される。 | 志摩市阿児町立神 | 1988.01.03 |
4419 | 立神ヒッポロ神事1-6 | 「鳥竿すり」は大幣を地面をするように回す。それに応じて氏子から「しなやかにおどらっしゃれや、おどらっしゃれ。当年は大豊年でござる。」と声がかかる。その間鳥場の若衆はハゼ場で焼かれるワラ山の火に突っ込んで敷物やワラ束で盛んに叩き消そうとする。スライド枠には「63.1.3」と記される。 | 志摩市阿児町立神 | 1988.01.03 |
4420 | 立神ヒッポロ神事1-7 | ハゼ場で燃え上がったワラ山の火に突っ込んで、敷物やワラ束で盛んに叩き消そうしている鳥場の若衆。火を消し鳥場に若衆が引き上げると、ハゼ場の若衆は再び火を点け、火の手を上げる。この繰り返しがしばらく続く。スライド枠には「63.1.3」と記される。 | 志摩市阿児町立神 | 1988.01.03 |
4421 | 立神ヒッポロ神事1-8 | ハゼ場で燃え上がったワラ山の火に突っ込んで、敷物やワラ束で盛んに叩き消そうしている鳥場の若衆。火を消し鳥場に若衆が引き上げると、ハゼ場の若衆は再び火を点け、火の手を上げる。この繰り返しがしばらく続く。スライド枠には「63.1.3」と記される。 | 志摩市阿児町立神 | 1988.01.03 |
4422 | 立神ヒッポロ神事1-9 | ハゼ場で燃え上がったワラ山の火に突っ込んで、敷物やワラ束で盛んに叩き消そうしている鳥場の若衆。火を消し鳥場に若衆が引き上げると、ハゼ場の若衆は再び火を点け、火の手を上げる。この繰り返しがしばらく続く。スライド枠には「63.1.3」と記される。 | 志摩市阿児町立神 | 1988.01.03 |
4423 | 立神ヒッポロ神事1-10 | ハゼ場で燃え上がったワラ山の火に突っ込んで、敷物やワラ束で盛んに叩き消そうしている鳥場の若衆。火を消し鳥場に若衆が引き上げると、ハゼ場の若衆は再び火を点け、火の手を上げる。この繰り返しがしばらく続く。スライド枠には「63.1.3」と記される。 | 志摩市阿児町立神 | 1988.01.03 |
4424 | 立神ヒッポロ神事1-11 | ハゼ場で燃え上がったワラ山の火に突っ込んで、敷物やワラ束で盛んに叩き消そうしている鳥場の若衆。火を消し鳥場に若衆が引き上げると、ハゼ場の若衆は再び火を点け、火の手を上げる。この繰り返しがしばらく続く。スライド枠には「63.1.3」と記される。 | 志摩市阿児町立神 | 1988.01.03 |
4425 | 立神ヒッポロ神事1-12 | 「オッコミ」。宮中より神職が獅子の所へ出向き、宮中からは鳥の舞役の2人がくわえ紙をし、弊のようなもので3回ほど獅子を招く所作をする。すると獅子は太鼓の拍子に合わせて動き出し、東から宮中へ、宮中から東へ、更にまた宮中前に走って行き、獅子頭を3回下げお礼をする。最後は鳥場の前に走って行き、同様に3回お礼をすると、鳥場の若衆の追い込みに合って宮中に駆け込む。 写真はくわえ紙をし、弊のようなもので3回ほど獅子を招く所作をする、2人の鳥の舞い役。スライド枠には「63.1.3」と記される。 | 志摩市阿児町立神 | 1988.01.03 |
4426 | 立神ヒッポロ神事1-13 | 「オッコミ」。宮中より神職が獅子の所へ出向き、宮中からは鳥の舞役の2人がくわえ紙をし、弊のようなもので3回ほど獅子を招く所作をする。すると獅子は太鼓の拍子に合わせて動き出し、東から宮中へ、宮中から東へ、更にまた宮中前に走って行き、獅子頭を3回下げお礼をする。最後は鳥場の前に走って行き、同様に3回お礼をすると、鳥場の若衆の追い込みに合って宮中に駆け込む。 写真はくわえ紙をし、弊のようなもので3回ほど獅子を招く所作をする、2人の鳥の舞い役。スライド枠には「63.1.3」と記される。 | 志摩市阿児町立神 | 1988.01.03 |
4427 | 立神ヒッポロ神事1-14 | 「オッコミ」。宮中より神職が獅子の所へ出向き、宮中からは鳥の舞役の2人がくわえ紙をし、弊のようなもので3回ほど獅子を招く所作をする。すると獅子は太鼓の拍子に合わせて動き出し、東から宮中へ、宮中から東へ、更にまた宮中前に走って行き、獅子頭を3回下げお礼をする。最後は鳥場の前に走って行き、同様に3回お礼をすると、鳥場の若衆の追い込みに合って宮中に駆け込む。 写真はくわえ紙をし、弊のようなもので3回ほど獅子を招く所作をする、2人の鳥の舞い役。スライド枠には「63.1.3」と記される。 | 志摩市阿児町立神 | 1988.01.03 |
4428 | 立神ヒッポロ神事1-15 | 「オッコミ」。宮中より神職が獅子の所へ出向き、宮中からは鳥の舞役の2人がくわえ紙をし、弊のようなもので3回ほど獅子を招く所作をする。すると獅子は太鼓の拍子に合わせて動き出し、東から宮中へ、宮中から東へ、更にまた宮中前に走って行き、獅子頭を3回下げお礼をする。最後は鳥場の前に走って行き、同様に3回お礼をすると、鳥場の若衆の追い込みに合って宮中に駆け込む。 写真は獅子の後方から撮影。スライド枠には「63.1.3」と記される。 | 志摩市阿児町立神 | 1988.01.03 |
4429 | 立神ヒッポロ神事1-16 | ハゼ場で燃え上がったワラ山の火に突っ込んで、叩き消そうと突入してくる鳥場の若衆に備える。スライド枠には「63.1.3」と記される。 | 志摩市阿児町立神 | 1988.01.03 |
4430 | 立神ヒッポロ神事1-17 | 宮中に追い込まれた神役(獅子舞役)は、宮中に着くと獅子頭をポンと放り出す。その獅子の口に素早く、鳥の舞役2人が獅子招きに使った紙のたんざくをかませると九人衆が受け取り、宮中の獅子殿に収める。スライド枠には「獅子納め 63.1.3」と記される。 | 志摩市阿児町立神 | 1988.01.03 |
4431 | 立神ヒッポロ神事1-18 | 鳥の舞役の2人。祷番中の長老2人が務める。素襖、烏帽子姿で主に寺方の接待に当たる。スライド枠には「63.1.3」と記される。 | 志摩市阿児町立神 | 1988.01.03 |
4432 | 立神ヒッポロ神事2-1 | 夕闇に包まれた宇気比神社の入口。石段の両脇には昭和32年、還暦の記念に奉納された「奉納 宇気比神社」と染め抜かれた幟が立てられている。石段を上った先にある鳥居の側には、5人ほどの氏子が写る。 | 志摩市阿児町立神 | (不明) |
4433 | 立神ヒッポロ神事2-2 | 「鳥場」に設けられた寺方の座に座る、少林寺と本福寺の住職に挨拶する九人衆の4人。手には「九人役」と書かれた提灯を持っている。 | 志摩市阿児町立神 | (不明) |
4434 | 立神ヒッポロ神事2-3 | 「鳥場」に設けられた寺方の座に座り、獅子にくわえさせる幣串にお金を縛り付けて準備をする少林寺と本福寺の住職。 | 志摩市阿児町立神 | (不明) |
4435 | 立神ヒッポロ神事2-4 | ヒッポロの舞が終わり、「火の用心めされ」と言って、楽士、九人衆、神職の順で祭場から去っていく。ポツンと小屋前(すでに小屋はない)に座る鳥の舞役の2人。2人は参加者にお礼を言うために最後まで残る。引き上げると全員で直会の膳を囲み、ナマコを盆にぶちまけたものを手づかみで食べて、神事は終了する。 | 志摩市阿児町立神 | (不明) |
4436 | 立神ヒッポロ神事2-5 | 「酒場」の2つの釜の前で甘酒を仕込むトウジの後ろ姿。白装束である。トウジは、祷番の中で3番目の長老者(1名)が勤める。 | 志摩市阿児町立神 | (不明) |
4437 | 立神ヒッポロ神事2-6 | 宮中に追い込まれた神役(獅子舞役)は、宮中に着くと獅子衣を長く伸ばして獅子頭をポンと放り出す。すると2人の鳥の舞役が獅子の口に素早く、獅子招きに使った紙の短冊をかませる。獅子の後ろには2人のコトリ(天狗)が控える。(茶色の斑紋など劣化の兆候が見受けられる。) | 志摩市阿児町立神 | (不明) |
4438 | 立神ヒッポロ神事2-7 | 小屋場の前で太鼓、笛の邦楽に合わせて舞う雌雄の獅子。獅子の前には2人のコトリ(天狗)が立つ。コトリは鳥の舞の家族の中から6歳から10歳までの男子が務める。コトリの横にはそれぞれ高張提灯を持った祷番が写る。スライド枠には「1番おこし」と記される。 | 志摩市阿児町立神 | (不明) |
4439 | 立神ヒッポロ神事2-8 | ハゼ場で太鼓、笛の邦楽に合わせて舞う雌雄の獅子。獅子の前には2人のコトリ(天狗)が立つ。コトリは鳥の舞の家族の中から6歳から10歳までの男子が務める。コトリの横にはそれぞれ高張提灯を持った祷番が写る。 | 志摩市阿児町立神 | (不明) |
4440 | 立神ヒッポロ神事2-9 | 裃を着用したハゼ場の若衆が持つ「パッパの火」(タバコの火)。アワビ貝に酒場のカマドからとった炭をいれる。 | 志摩市阿児町立神 | (不明) |
4441 | 立神ヒッポロ神事2-10 | 地面に置かれた沢山の「パッパの火」。パッパの火を管理する女性の手元が写る。 | 志摩市阿児町立神 | (不明) |
4442 | 立神ヒッポロ神事2-11 | ハゼ場で太鼓、笛の邦楽に合わせて頭を高く上げて舞う獅子。 | 志摩市阿児町立神 | (不明) |
4443 | 立神ヒッポロ神事2-12 | ハゼ場で燃え上がったワラ山の火に突っ込んで、敷物やワラ束で盛んに叩き消そうしている鳥場の若衆。火を消し鳥場に若衆が引き上げると、ハゼ場の若衆は再び火を点け、火の手を上げる。この繰り返しがしばらく続く。スライド枠には「2.1.3」と記される。 | 志摩市阿児町立神 | 1990.01.03 |
4444 | 立神ヒッポロ神事2-13 | 「鳥竿すり」は大幣を地面をするように回す。それに応じて氏子から「しなやかにおどらっしゃれや、おどらっしゃれ。当年は大豊年でござる。」と声がかかる。その間鳥場の若衆はハゼ場で焼かれるワラ山の火に突っ込んで敷物やワラ束で盛んに叩き消そうとする。スライド枠には「立神 2.1.3」」と記される。 | 志摩市阿児町立神 | 1990.01.03 |
4445 | 立神ヒッポロ神事2-14 | 「オッコミ」の前に礼をする雌雄の獅子。オッコミは鳥笹すりの後に行われる。宮中から神職が獅子の所に出向き、宮中からは鳥の舞役の2人がくわえ紙をして幣のようなもので獅子を招く所作を3回行う。すると獅子は太鼓の拍子に合わせて動き出し、東から宮中へ、宮中から東へ、更にまた宮中前へ走って行き、獅子頭を3回下げて礼をすると最後に鳥場に走り、同様に3回礼をする。その後鳥場の若衆の追い込みに合って宮中に駆け込む。獅子の周りにはたくさんの見学者が写る。スライド枠には「オッコミ前の礼 63.1.3」と記される。 | 志摩市阿児町立神 | 1988.01.03 |
4446 | 立神ヒッポロ神事3-1 | コトリ(天狗)のアップ。コトリは鳥の舞の家族の中から6歳から10歳までの男子2人が務める。頭にヒノキ葉を挿した烏帽子と天狗面を付ける。背後に高張提灯を持った祷番が写る。 | 志摩市阿児町立神 | (不明) |
4447 | 立神ヒッポロ神事3-2 | コトリ(天狗)、左斜めからのアップ。コトリは鳥の舞の家族の中から6歳から10歳までの男子2人が務める。頭にヒノキ葉を挿した烏帽子と天狗面を付ける。背後に高張提灯を持った祷番が写る。 | 志摩市阿児町立神 | (不明) |
4448 | 立神ヒッポロ神事3-3 | 8番おこし。5人の素襖着が竹を2本ずつ持ち、鳥場に5献目の盃が通ったか七度半の使いに出る。 | 志摩市阿児町立神 | (不明) |
4449 | 立神ヒッポロ神事3-4 | 8番おこし。5人の素襖着が竹を2本ずつ持ち、鳥場に5献目の盃が通ったか七度半の使いに出る。 | 志摩市阿児町立神 | (不明) |
4450 | 立神ヒッポロ神事3-5 | 頭を上に向け舞う獅子。左側面から撮影。 | 志摩市阿児町立神 | (不明) |
4451 | 立神ヒッポロ神事3-6 | 頭を上に向け舞う獅子。左側面から撮影。 | 志摩市阿児町立神 | (不明) |
4452 | 立神ヒッポロ神事3-7 | 頭を上に向け舞う獅子。左側面から撮影。 | 志摩市阿児町立神 | (不明) |
4453 | 立神ヒッポロ神事3-8 | 頭を上に向け口を大きく開けて舞う獅子。左側面から撮影。 | 志摩市阿児町立神 | (不明) |
4454 | 立神ヒッポロ神事3-9 | 頭を上に向け口を大きく開けて舞う獅子。左側面から撮影。 | 志摩市阿児町立神 | (不明) |
4455 | 立神ヒッポロ神事3-10 | 頭を上に向け口を大きく開けて舞う獅子。左側面から撮影。 | 志摩市阿児町立神 | (不明) |
4456 | 立神ヒッポロ神事3-11 | 頭を上に向け口を大きく開けて舞う獅子。左側面から撮影。 | 志摩市阿児町立神 | (不明) |
4457 | 立神ヒッポロ神事3-12 | 宮中に座る、コトリ(天狗)2人のアップ。コトリは鳥の舞の家族の中から6歳から10歳までの男子2人が務める。頭にヒノキ葉を挿した烏帽子と天狗面を付ける。 | 志摩市阿児町立神 | (不明) |
4458 | 立神ヒッポロ神事3-13 | 宮中に座る、コトリ2人のアップ。コトリは鳥の舞の家族の中から6歳から10歳までの男子2人が務める。頭にヒノキ葉を挿した烏帽子と天狗面を付ける。 | 志摩市阿児町立神 | (不明) |
4459 | 立神ヒッポロ神事3-14 | 獅子にくわえさせる幣串にお金を縛り付けて準備をする寺方と地下役人。 | 志摩市阿児町立神 | (不明) |
4460 | 立神ヒッポロ神事3-15 | 七度半の使いに対し、鳥場から5献盃が「通りました」と返事があると、地下役人・寺方・若衆頭が12枚のお金をしばりつけた幣串を獅子にくわえさせ、宮中に運ぶ。次に「ククメモノ」という20本の腰のモノ(女竹束)を同様に獅子に与える。獅子の左横から撮影。 | 志摩市阿児町立神 | (不明) |
4461 | 立神ヒッポロ神事3-16 | 七度半の使いに対し、鳥場から5献盃が「通りました」と返事があると、地下役人・寺方・若衆頭が12枚のお金をしばりつけた幣串を獅子にくわえさせ、宮中に運ぶ。次に「ククメモノ」という20本の腰のモノ(女竹束)を同様に獅子に与える。獅子の左横から撮影。 | 志摩市阿児町立神 | (不明) |
4462 | 立神ヒッポロ神事3-17 | 七度半の使いに対し、鳥場から5献盃が「通りました」と返事があると、地下役人・寺方・若衆頭が12枚のお金をしばりつけた幣串を獅子にくわえさせ、宮中に運ぶ。次に「ククメモノ」という20本の腰のモノ(女竹束)を同様に獅子に与える。獅子の左横から撮影。 | 志摩市阿児町立神 | (不明) |
4463 | 立神ヒッポロ神事4-1 | 「パッパの火」(タバコの火)を運ぶハゼ場の若衆。裃を着用している。パッパの火はアワビ貝に酒場のカマドからとった炭をいれる。 | 志摩市阿児町立神 | (不明) |
4464 | 立神ヒッポロ神事4-2 | 小屋場の前で太鼓、笛の邦楽に合わせて舞う雌雄の獅子。獅子の前には2人のコトリ(天狗)が立つ。コトリは鳥の舞の家族の中から6歳から10歳までの男子がつとめる。コトリの横にはそれぞれ高張提灯を持った祷番が写る。(原因は不明であるが中央に光の輪が写り込んでいる。) | 志摩市阿児町立神 | (不明) |
4465 | 立神ヒッポロ神事4-3 | 小屋場の前で太鼓、笛の邦楽に合わせて舞う雌雄の獅子。獅子の前には2人のコトリ(天狗)が立つ。コトリは鳥の舞の家族の中から6歳から10歳までの男子がつとめる。コトリの横にはそれぞれ高張提灯を持った祷番が写る。(原因は不明であるが中央に光の輪が写り込んでいる。) | 志摩市阿児町立神 | (不明) |
4466 | 立神ヒッポロ神事4-4 | ヤマ(鳥居横の見物人の前)で舞う獅子。(原因は不明であるが中央に光の輪が写り込んでいる。) | 志摩市阿児町立神 | (不明) |
4467 | 立神ヒッポロ神事4-5 | ヤマ(鳥居横の見物人の前)で舞う獅子。(原因は不明であるが中央に光の輪が写り込んでいる。) | 志摩市阿児町立神 | (不明) |
4468 | 立神ヒッポロ神事4-6 | ヤマ(鳥居横の見物人の前)で舞う獅子。(原因は不明であるが左端に光の輪が写り込んでいる。) | 志摩市阿児町立神 | (不明) |
4469 | 立神ヒッポロ神事4-7 | ヤマ(鳥居横の見物人の前)で舞う獅子。(原因は不明であるが左端に光の輪が写り込んでいる。) | 志摩市阿児町立神 | (不明) |
4470 | 立神ヒッポロ神事4-8 | ヤマ(鳥居横の見物人の前)で舞う獅子。(原因は不明であるが光の輪が写り込んでいる。) | 志摩市阿児町立神 | (不明) |
4471 | 立神ヒッポロ神事4-9 | ヤマ(鳥居横の見物人の前)で舞う獅子。(原因は不明であるが光の輪が写り込んでいる。) | 志摩市阿児町立神 | (不明) |
4472 | 立神ヒッポロ神事4-10 | ヤマ(鳥居横の見物人の前)で舞う獅子。(原因は不明であるが光の輪が写り込んでいる。) | 志摩市阿児町立神 | (不明) |
4473 | 立神ヒッポロ神事4-11 | ヤマ(鳥居横の見物人の前)で舞う獅子。(原因は不明であるが光の輪が写り込んでいる。) | 志摩市阿児町立神 | (不明) |
4474 | 立神ヒッポロ神事4-12 | 拝殿横の鳥居の下で舞う獅子。左隅に、2人のコトリ(天狗)が写る。 | 志摩市阿児町立神 | (不明) |
4475 | 立神ヒッポロ神事5-1 | 「パッパの火」(タバコの火)を運ぶハゼ場の若衆の後ろ姿。裃を着用している。パッパの火はアワビ貝に酒場のカマドからとった炭をいれる。 | 志摩市阿児町立神 | (不明) |
4476 | 立神ヒッポロ神事5-2 | 「パッパの火」(タバコの火)を運ぶハゼ場の若衆の後ろ姿。裃を着用している。パッパの火はアワビ貝に酒場のカマドからとった炭をいれる。 | 志摩市阿児町立神 | (不明) |
4477 | 立神ヒッポロ神事5-3 | 「鳥場」の若衆が「○○に申す。当年のオミキ(甘酒)がいただきとうござる。」と言うと、「ハゼ場」の指名された若者が「ハーイ」と言って日の丸扇子を持って広場に出て「くわーせ」と応答する。それに対して鳥場から「持たーせ」と再び呼びかけがあり、それに「飲まーせ」と答える。これを数回繰り返す。 | 志摩市阿児町立神 | (不明) |
4478 | 立神ヒッポロ神事5-4 | 鳥場の若衆の元へオミキを運ぶハゼ場の若衆。裃を着用している。 | 志摩市阿児町立神 | (不明) |
4479 | 立神ヒッポロ神事5-5 | 境内で舞う獅子。舞いは境内に設けられた宮中の中、アマダレの外、鳥の舞の前、酒場前、ヤマ(鳥居横の見物人の前)、東の鳥居の順で行われる。辺りはすっかり闇に覆われているため、裃姿の祷番が高張提灯を手に獅子の側に立つ。 | 志摩市阿児町立神 | (不明) |
4480 | 立神ヒッポロ神事5-6 | 境内で舞う獅子。舞いは境内に設けられた宮中の中、アマダレの外、鳥の舞の前、酒場前、ヤマ(鳥居横の見物人の前)、東の鳥居の順で行われる。辺りはすっかり闇に覆われているため、裃姿の祷番が高張提灯を手に獅子の側に立つ。 | 志摩市阿児町立神 | (不明) |
4481 | 立神ヒッポロ神事5-7 | 境内で舞う獅子。舞いは境内に設けられた宮中の中、アマダレの外、鳥の舞の前、酒場前、ヤマ(鳥居横の見物人の前)、東の鳥居の順で行われる。獅子の前をオミキを持ったハゼ場の若衆が写る。 | 志摩市阿児町立神 | (不明) |
4482 | 立神ヒッポロ神事5-8 | 境内で舞う獅子。舞いは境内に設けられた宮中の中、アマダレの外、鳥の舞の前、酒場前、ヤマ(鳥居横の見物人の前)、東の鳥居の順で行われる。辺りはすっかり闇に覆われているため、裃姿の祷番が高張提灯を手に獅子の側に立つ。 | 志摩市阿児町立神 | (不明) |
4483 | 立神ヒッポロ神事5-9 | コトリと高張提灯を持った祷番。コトリは鳥の舞の家族の中から6歳から10歳までの男子2人が務める。頭にヒノキ葉を挿した烏帽子と天狗面を付ける。 | 志摩市阿児町立神 | (不明) |
4484 | 立神ヒッポロ神事5-10 | 「鳥場」の若衆が「○○に申す。当年のオミキ(甘酒)がいただきとうござる。」の呼びかけに応じて、「ハーイ」と言って日の丸扇子を持って広場に出て「くわーせ」と応答するハゼ場の若者。それに対して再び鳥場から「持たーせ」と呼びかけがあり、それに「飲まーせ」と答える。これを数回繰り返す。 | 志摩市阿児町立神 | (不明) |
4485 | 立神ヒッポロ神事6-1 | 頭を上に向け舞う雌雄の獅子。背後から撮影。 | 志摩市阿児町立神 | (不明) |
4486 | 立神ヒッポロ神事6-2 | 頭を上に向け舞う雌雄の獅子。下方から撮影。 | 志摩市阿児町立神 | (不明) |
4487 | 立神ヒッポロ神事6-3 | 「鳥場」に設けられた寺方の座に座る少林寺と本福寺の住職。住職は法衣を着用。それぞれの前には火鉢と寺の名が書かれた提灯が置かれている。背後には若衆席に座る若衆が写る。 | 志摩市阿児町立神 | (不明) |
4488 | 立神ヒッポロ神事6-4 | 頭を上に向け舞う獅子。その前にコトリ(天狗)と高張提灯を手にした祷番が写る。 | 志摩市阿児町立神 | (不明) |
4489 | 立神ヒッポロ神事6-5 | 頭を上に向け舞う獅子。その前にコトリ(天狗)と高張提灯を手にした祷番が写る。(映像が暗い) | 志摩市阿児町立神 | (不明) |
4490 | 立神ヒッポロ神事6-6 | 日の丸扇子を手にして、ハゼ場の若衆やトウジに呼びかける「鳥場」の若衆。 | 志摩市阿児町立神 | (不明) |
4491 | 立神ヒッポロ神事6-7 | 「鳥場」で舞う雌雄の獅子。背後に寺方、村役人、若衆が写る。 | 志摩市阿児町立神 | (不明) |
4492 | 立神ヒッポロ神事6-8 | 「鳥場」で舞う雌雄の獅子。 | 志摩市阿児町立神 | (不明) |
4493 | 立神ヒッポロ神事6-9 | 日の丸扇子を手にして、ハゼ場の若衆やトウジに呼びかける「鳥場」の若衆。 | 志摩市阿児町立神 | (不明) |
4494 | 立神ヒッポロ神事6-10 | 日の丸扇子を手にして、ハゼ場の若衆やトウジに呼びかける「鳥場」の若衆。 | 志摩市阿児町立神 | (不明) |
4495 | 立神ヒッポロ神事6-11 | 宮中内、アマダレの外、鳥の舞の前、酒場前、ヤマ(鳥居横の見物人前)、東の鳥居の順に獅子が舞う。帰りは同様のコースを帰るが、鳥の舞の席の前でコトリ(天狗)が踊り、宮中に向いて真っすぐ向いた2匹の獅子の前をスキップを踏みながら左右から駆け走る。 | 志摩市阿児町立神 | (不明) |
4496 | 立神ヒッポロ神事6-12 | 宮中内、アマダレの外、鳥の舞の前、酒場前、ヤマ(鳥居横の見物人前)、東の鳥居の順に獅子が舞う。帰りは同様のコースを帰るが、鳥の舞の席の前でコトリ(天狗)が踊り、宮中に向いて真っすぐ向いた2匹の獅子の前をスキップを踏みながら左右から駆け走る。 | 志摩市阿児町立神 | (不明) |
4497 | 立神ヒッポロ神事6-13 | 太鼓、笛の奏楽に合わせて、宮中の前で舞う獅子。 | 志摩市阿児町立神 | (不明) |
4498 | 立神ヒッポロ神事6-14 | 太鼓、笛の奏楽に合わせて、宮中の前で舞う獅子。 | 志摩市阿児町立神 | (不明) |
4499 | 立神ヒッポロ神事6-15 | 太鼓、笛の奏楽に合わせて、宮中の前で舞う獅子。 | 志摩市阿児町立神 | (不明) |
4500 | 立神ヒッポロ神事6-16 | 太鼓、笛の奏楽に合わせて、宮中の前で舞う獅子。 | 志摩市阿児町立神 | (不明) |
4501 | 立神ヒッポロ神事6-17 | 太鼓、笛の奏楽に合わせて、宮中の前で舞う獅子。 | 志摩市阿児町立神 | (不明) |
4502 | 立神ヒッポロ神事6-18 | 「パッパの火」(タバコの火)を運ぶハゼ場の若衆の後ろ姿。裃を着用している。パッパの火はアワビ貝に酒場のカマドからとった炭をいれる。 | 志摩市阿児町立神 | (不明) |
4503 | 立神ヒッポロ神事6-19 | 8番おこしが5番おこしと同じ「ヨイヨイヨイヨイ」の舞いで、鳥居下で神前に礼をするように獅子頭をゆすりながら3回舞う。周囲から「ヨイヨイヨイヨイ」の掛け声がかかると、5人の素襖着が竹を2本ずつ持ち、鳥場に5献目の盃が通ったか七度半の使いに出る。素襖着は、祷屋の5~9番までの5人が勤める。 | 志摩市阿児町立神 | (不明) |
4504 | 立神ヒッポロ神事7-1 | コトリ(天狗)と祷番が中央に、奥に獅子が小さく映る。(赤色の斑紋など劣化の兆候が見受けられる。) | 志摩市阿児町立神 | (不明) |
4505 | 立神ヒッポロ神事7-2 | 一通りの舞いをすませ宮中に戻り、舞衣を長く伸ばし、頭を奥にしてコモの上に休む獅子。その後ろにコトリ(天狗)と祷番が座っている。(赤色の斑紋など劣化の兆候が見受けられる。) | 志摩市阿児町立神 | (不明) |
4506 | 立神ヒッポロ神事7-3 | 1番おこし。太鼓、笛の奏楽に合わせて獅子が体を左にねじるように、3回ゆすりながら舞い始める。(赤色の斑紋など劣化の兆候が見受けられる。) | 志摩市阿児町立神 | (不明) |
4507 | 立神ヒッポロ神事7-4 | 頭を上に向け舞う獅子。その前にコトリ(天狗)と高張提灯を手にした祷番が写る。(赤色の斑紋など劣化の兆候が見受けられる。) | 志摩市阿児町立神 | (不明) |
4508 | 立神ヒッポロ神事7-5 | 頭を上に向け舞う獅子。その前にコトリ(天狗)と高張提灯を手にした祷番が写る。(赤色の斑紋など劣化の兆候が見受けられる。) | 志摩市阿児町立神 | (不明) |
4509 | 立神ヒッポロ神事7-6 | 掛け物のかかった「小屋場」前に座る鳥の舞役の2人。祷番中の長老2人が務める。素襖、烏帽子姿で主に寺方の接待に当たる。(赤色の斑紋など劣化の兆候が見受けられる。) | 志摩市阿児町立神 | (不明) |
4510 | 立神ヒッポロ神事7-7 | 掛け物のかかった「小屋場」前に座る鳥の舞役の2人。祷番中の長老2人が務める。素襖、烏帽子姿で主に寺方の接待に当たる。(赤色の斑紋など劣化の兆候が見受けられる。) | 志摩市阿児町立神 | (不明) |
4511 | 立神ヒッポロ神事7-8 | 一通りの舞いをすませ宮中に戻り、舞衣を長く伸ばし、頭を奥にしてコモの上に休む獅子。その後ろにコトリ(天狗)と祷番が座っている。(赤色の斑紋など劣化の兆候が見受けられる。) | 志摩市阿児町立神 | (不明) |
4512 | 立神ヒッポロ神事7-9 | 一通りの舞いをすませ宮中に戻り、舞衣を長く伸ばし、頭を奥にしてコモの上に休む獅子。その後ろにコトリ(天狗)と祷番が座っている。背後より撮影。(赤色の斑紋など劣化の兆候が見受けられる。) | 志摩市阿児町立神 | (不明) |
4513 | 立神ヒッポロ神事7-10 | 神殿にお参りする酒つぎ役の晴れ着の少女2人。5献目がすぎると、境内の参拝者に甘酒を配る。(赤色の斑紋など劣化の兆候が見受けられる。) | 志摩市阿児町立神 | (不明) |
4514 | 立神ヒッポロ神事7-11 | 1番おこし。太鼓、笛の奏楽に合わせて獅子が体を左にねじるように、3回ゆすりながら舞い始める。(赤色の斑紋など劣化の兆候が見受けられる。) | 志摩市阿児町立神 | (不明) |
4515 | 立神ヒッポロ神事7-12 | 1番おこし。太鼓、笛の奏楽に合わせて獅子が体を左にねじるように、3回ゆすりながら舞い始める。(赤色の斑紋など劣化の兆候が見受けられる。) | 志摩市阿児町立神 | (不明) |
4516 | 立神ヒッポロ神事7-13 | 境内の隅で獅子舞を見学する晴れ着の子どもたち。(赤色の斑紋など劣化の兆候が見受けられる。) | 志摩市阿児町立神 | (不明) |
4517 | 立神ヒッポロ神事7-14 | 宮中の内部の様子。全面にコモが敷かれ、右奥に九人衆、正面奥に楽士、手前に神官が写る。立っているのは祷番と思われる(後ろ姿)。(赤色の斑紋など劣化の兆候が見受けられる。) | 志摩市阿児町立神 | (不明) |
4518 | 立神ヒッポロ神事8-1 | 「鳥場」の若衆が「○○に申す。当年のオミキ(甘酒)がいただきとうござる。」と言うと、「ハゼ場」の指名された若者が「ハーイ」と言って日の丸扇子を持って広場に出て「くわーせ」と応答する。それに対して鳥場から「持たーせ」と再び呼びかけがあり、それに「飲まーせ」と答える。これを数回繰り返す。 | 志摩市阿児町立神 | (不明) |
4519 | 立神ヒッポロ神事8-2 | 小屋場の前で太鼓、笛の邦楽に合わせて舞う雌雄の獅子。獅子の前には2人のコトリ(天狗)が立つ。コトリは鳥の舞の家族の中から6歳から10歳までの男子が務める。コトリの横にはそれぞれ高張提灯を持った祷番が写る(後ろ姿)。 | 志摩市阿児町立神 | (不明) |
4520 | 立神ヒッポロ神事8-3 | 小屋場の前で太鼓、笛の邦楽に合わせて舞う雌雄の獅子。 | 志摩市阿児町立神 | (不明) |
4521 | 立神ヒッポロ神事8-4 | 小屋場の前で太鼓、笛の邦楽に合わせて舞う雌雄の獅子。 | 志摩市阿児町立神 | (不明) |
4522 | 立神ヒッポロ神事8-5 | 小屋場の前で太鼓、笛の邦楽に合わせて舞う雌雄の獅子。 | 志摩市阿児町立神 | (不明) |
4523 | 立神ヒッポロ神事8-6 | 小屋場の前で太鼓、笛の邦楽に合わせて舞う雌雄の獅子。 | 志摩市阿児町立神 | (不明) |
4524 | 立神ヒッポロ神事8-7 | 小屋場の前で太鼓、笛の邦楽に合わせて舞う雌雄の獅子。獅子の前には2人のコトリ(天狗)が立つ。コトリは鳥の舞の家族の中から6歳から10歳までの男子が務める。 | 志摩市阿児町立神 | (不明) |
4525 | 立神ヒッポロ神事8-8 | 境内で太鼓、笛の邦楽に合わせて舞う雌雄の獅子。 | 志摩市阿児町立神 | (不明) |
4526 | 立神ヒッポロ神事8-9 | 境内で太鼓、笛の邦楽に合わせて舞う雌雄の獅子。 | 志摩市阿児町立神 | (不明) |
4527 | 立神ヒッポロ神事8-10 | 一通りの舞いをすませ宮中に戻り、頭を高く上げて九人衆の前で舞う雌雄の獅子。 | 志摩市阿児町立神 | (不明) |
4528 | 立神ヒッポロ神事8-11 | 一通りの舞いをすませ宮中に戻り、頭を高く上げて九人衆の前で舞う雌雄の獅子。 | 志摩市阿児町立神 | (不明) |
4529 | 立神ヒッポロ神事8-12 | 8番おこしの頃になると、竹を2本ずつ持って鳥場に5献の盃が通ったか、素襖着の5人が七度半の使いに出る。 | 志摩市阿児町立神 | (不明) |
4530 | 立神ヒッポロ神事8-13 | 8番おこしの頃になると、竹を2本ずつ持って鳥場に5献の盃が通ったか、素襖着の5人が七度半の使いに出る。 | 志摩市阿児町立神 | (不明) |
4531 | 立神ヒッポロ神事8-14 | 8番おこしの頃になると、竹を2本ずつ持って鳥場に5献の盃が通ったか、素襖着の5人が七度半の使いに出る。 | 志摩市阿児町立神 | (不明) |
4532 | 立神ヒッポロ神事9-1 | 一通りの舞いをすませ宮中に戻り、頭を高く上げて九人衆の前で舞う雌雄の獅子。 | 志摩市阿児町立神 | (不明) |
4533 | 立神ヒッポロ神事9-2 | 若衆仲間の宝物ともいわれる笹竹に白紙や掛け物を吊るした「大幣」を宇気比神社に運ぶ若衆。紋付き袴を着て5番おこしの舞いが終わるころ入場する。若衆は15歳以上の若者で、任意に参加できるので人数は年により変わる。 | 志摩市阿児町立神 | (不明) |
4534 | 立神ヒッポロ神事9-3 | 若衆仲間の宝物ともいわれる笹竹に白紙や掛け物を吊るした「大幣」を宇気比神社に運び、鳥場に立てる若衆。紋付き袴を着て5番おこしの舞いが終わるころ入場する。 | 志摩市阿児町立神 | (不明) |
4535 | 立神ヒッポロ神事9-4 | 酒場の地面に置かれた沢山の「パッパの火」(タバコの火)。パッパの火はアワビ貝に酒場のカマドからとった炭をいれる。 | 志摩市阿児町立神 | (不明) |
4536 | 立神ヒッポロ神事9-5 | 酒場の地面に置かれた沢山の「パッパの火」(タバコの火)。パッパの火はアワビ貝に酒場のカマドからとった炭をいれる。 | 志摩市阿児町立神 | (不明) |
4537 | 立神ヒッポロ神事9-6 | 日の丸扇子を手にして、ハゼ場の若衆やトウジに呼びかける「鳥場」の若衆。その前には寺方の座に座る少林寺と本福寺の住職。住職は法衣を着用。それぞれの前には火鉢と寺の名が書かれた提灯が置かれている | 志摩市阿児町立神 | (不明) |
4538 | 立神ヒッポロ神事9-7 | 若衆席のコモに座る4人の若衆。手には日の丸扇子を持ち、前にはパッパの火を置いている。 | 志摩市阿児町立神 | (不明) |
4539 | 立神ヒッポロ神事9-8 | 太鼓、笛の邦楽に合わせてハゼ場で舞う獅子。 | 志摩市阿児町立神 | (不明) |
4540 | 立神ヒッポロ神事9-9 | 太鼓、笛の邦楽に合わせてハゼ場で舞う獅子。 | 志摩市阿児町立神 | (不明) |
4541 | 立神ヒッポロ神事9-10 | 太鼓、笛の邦楽に合わせてハゼ場で舞う獅子。 | 志摩市阿児町立神 | (不明) |
4542 | 立神ヒッポロ神事9-11 | 太鼓、笛の邦楽に合わせてハゼ場で舞う獅子。 | 志摩市阿児町立神 | (不明) |
4543 | 立神ヒッポロ神事10-1 | 一通りの舞いをすませ宮中に戻り、舞衣を長く伸ばし、頭を奥にしてコモの上に休む獅子。その後ろにコトリ(天狗)と祷番が座っている。 | 志摩市阿児町立神 | (不明) |
4544 | 立神ヒッポロ神事10-2 | 一通りの舞いをすませ宮中に戻り、舞衣を長く伸ばし、頭を奥にしてコモの上に休む獅子。その後ろにコトリ(天狗)と祷番が座っている。 | 志摩市阿児町立神 | (不明) |
4545 | 立神ヒッポロ神事10-3 | 掛け物のかかった「小屋場」前に座る鳥の舞役の2人。祷番中の長老2人が務める。素襖、烏帽子姿で主に寺方の接待に当たる。 | 志摩市阿児町立神 | (不明) |
4546 | 立神ヒッポロ神事10-4 | 一通りの舞いをすませ宮中に戻った雌雄の獅子。その後ろにコトリ(天狗)と祷番が座っている。 | 志摩市阿児町立神 | (不明) |
4547 | 立神ヒッポロ神事10-5 | さい銭箱の上に渡した板の上に置かれたお供えもの(千両小判の作り物・和紙でくるんださい銭など)。 | 志摩市阿児町立神 | (不明) |
4548 | 立神ヒッポロ神事10-6 | 小屋場の小屋に掛けられた豊年竿の掛け物(縁起物)、2本の内の1本。「その年の十二支の絵、拾両の作り物2枚、下部に2匹のタイの絵」が付けられている。 | 志摩市阿児町立神 | (不明) |
4549 | 立神ヒッポロ神事10-7 | 小屋場の小屋に掛けられた豊年竿の掛け物(縁起物)、2本の内の1本。「橙2個、石州紙を巻いて3ヶ所を白苧で縛ったワラ束、その年の干支を文字で表した作り物」が付けられている。 | 志摩市阿児町立神 | (不明) |
4550 | 立神ヒッポロ神事10-8 | 掛け物のかかった「小屋場」前に座る鳥の舞役の2人。祷番中の長老2人が務める。素襖、烏帽子姿で主に寺方の接待に当たる。 | 志摩市阿児町立神 | (不明) |
4551 | 立神ヒッポロ神事10-9 | 太鼓、笛の邦楽に合わせて宮中の前で舞う獅子。 | 志摩市阿児町立神 | (不明) |
4552 | 立神ヒッポロ神事10-10 | 酒場の地面に置かれた沢山の「パッパの火」(タバコの火)。パッパの火はアワビ貝に酒場のカマドからとった炭をいれる。後方に甘酒を作る2つのカマドが写る。 | 志摩市阿児町立神 | (不明) |
4553 | 立神ヒッポロ神事10-11 | 太鼓、笛の邦楽に合わせてハゼ場で舞う獅子。 | 志摩市阿児町立神 | (不明) |
4554 | 立神ヒッポロ神事10-12 | 太鼓、笛の邦楽に合わせて口を大きく開けてハゼ場で舞う雌雄の獅子。 | 志摩市阿児町立神 | (不明) |
4555 | 立神ヒッポロ神事10-13 | コトリ(天狗)と祷番の後ろ姿。コトリはヒノキの枝を頭にさしている。 | 志摩市阿児町立神 | (不明) |
4556 | 立神ヒッポロ神事10-14 | 鳥居の足に縛り付けられたツボキ。 | 志摩市阿児町立神 | (不明) |
4557 | 立神ヒッポロ神事10-15 | 一通りの舞いをすませ宮中に戻り、九人衆の前で舞う雌雄の獅子。 | 志摩市阿児町立神 | (不明) |
4558 | 立神ヒッポロ神事11-1 | 七度半の使いに対し、鳥場から5献盃が「通りました」と返事があると、地下役人・寺方・若衆頭が12枚のお金をしばりつけた幣串を獅子にくわえさせ、宮中に運ぶ。次に「ククメモノ」という20本の腰のモノ(女竹束)を同様に獅子に与える。 | 志摩市阿児町立神 | (不明) |
4559 | 立神ヒッポロ神事11-2 | 「ククメモノ」(女竹束)を獅子にくわえさせる子どもたち。 | 志摩市阿児町立神 | (不明) |
4560 | 立神ヒッポロ神事11-3 | 「ククメモノ」(女竹束)を獅子にくわえさせる子どもたち。 | 志摩市阿児町立神 | (不明) |
4561 | 立神ヒッポロ神事11-4 | 「ククメモノ」(女竹束)を獅子にくわえさせる子どもたち。 | 志摩市阿児町立神 | (不明) |
4562 | 立神ヒッポロ神事11-5 | 鳥場の若衆から「パッパの火を引かっしゃれ」とハゼ場に命じ、再び「ハゼ場の若衆18人揃いましたか」と尋ねる。ハゼ場から「揃いました」と返答があると、笹竹に白紙や掛け物を吊るした「大幣」がハゼ場に持ち出される。 | 志摩市阿児町立神 | (不明) |
4563 | 立神ヒッポロ神事11-6 | 鳥場の若衆から「パッパの火を引かっしゃれ」とハゼ場に命じ、再び「ハゼ場の若衆18人揃いましたか」と尋ねる。ハゼ場から「揃いました」と返答があると、笹竹に白紙や掛け物を吊るした「大幣」がハゼ場に持ち出される。 | 志摩市阿児町立神 | (不明) |
4564 | 立神ヒッポロ神事11-7 | ククメモノが終わると、鳥の舞いが座っている小屋場に立ててあった豊年竿を獅子に渡す。獅子の尾の者がそれを持ち、獅子頭は舞いながら宮中に向かう。 | 志摩市阿児町立神 | (不明) |
4565 | 立神ヒッポロ神事11-8 | ククメモノが終わると、鳥の舞いが座っている小屋場に立ててあった豊年竿を獅子に渡す。獅子の尾の者がそれを持ち、獅子頭は舞いながら宮中に向かう。 | 志摩市阿児町立神 | (不明) |
4566 | 立神ヒッポロ神事11-9 | ハゼ場で燃え上がったワラ山の火に突っ込んで、敷物やワラ束で盛んに叩き消そうしている鳥場の若衆。火を消し鳥場に若衆が引き上げると、ハゼ場の若衆は再び火を点け、火の手を上げる。この繰り返しがしばらく続く。その横で小屋場を壊す祷番。 | 志摩市阿児町立神 | (不明) |
4567 | 立神ヒッポロ神事11-10 | 「鳥竿すり」は大幣を地面をするように回す。それに応じて氏子から「しなやかにおどらっしゃれや、おどらっしゃれ。当年は大豊年でござる。」と声がかかる。その間鳥場の若衆はハゼ場で焼かれるワラ山の火に突っ込んで敷物やワラ束で盛んに叩き消そうとする。 | 志摩市阿児町立神 | (不明) |
4568 | 立神ヒッポロ神事11-11 | 鳥場の若衆から「パッパの火を引かっしゃれ」とハゼ場に命じ、再び「ハゼ場の若衆18人揃いましたか」と尋ねる。ハゼ場から「揃いました」と返答があると、笹竹に白紙や掛け物を吊るした「大幣」がハゼ場に持ち出される。 | 志摩市阿児町立神 | (不明) |
4569 | 立神ヒッポロ神事11-12 | 「鳥竿すり」は大幣を地面をするように回す。それに応じて氏子から「しなやかにおどらっしゃれや、おどらっしゃれ。当年は大豊年でござる。」と声がかかる。その間鳥場の若衆はハゼ場で焼かれるワラ山の火に突っ込んで敷物やワラ束で盛んに叩き消そうとする。 | 志摩市阿児町立神 | (不明) |
4570 | 立神ヒッポロ神事11-13 | 大きく写る、笹竹に白紙や掛け物を吊るした「大幣」。 | 志摩市阿児町立神 | (不明) |
4571 | 立神ヒッポロ神事11-14 | ハゼ場で燃え上がったワラ山の火に突っ込んで、敷物やワラ束で盛んに叩き消そうしている鳥場の若衆。火を消し鳥場に若衆が引き上げると、ハゼ場の若衆は再び火を点け、火の手を上げる。この繰り返しがしばらく続く。 | 志摩市阿児町立神 | (不明) |
4572 | 立神ヒッポロ神事11-15 | 太鼓、笛の邦楽に合わせてハゼ場で舞う獅子。 | 志摩市阿児町立神 | (不明) |
4573 | 立神ヒッポロ神事12-1 | 太鼓、笛の邦楽に合わせてハゼ場で舞う獅子。 | 志摩市阿児町立神 | (不明) |
4574 | 立神ヒッポロ神事12-2 | 一通りの舞いをすませ宮中に戻り、舞衣を長く伸ばし、頭を奥にしてコモの上に休む獅子。 | 志摩市阿児町立神 | (不明) |
4575 | 立神ヒッポロ神事12-3 | 酒場の裏でおにぎりを食べるコトリ(天狗)役の少年(1人)。奥では白い割烹着をきた賄い役の女性たちが写る。 | 志摩市阿児町立神 | (不明) |
4576 | 立神ヒッポロ神事12-4 | 日の丸扇子を手にして、ハゼ場の若衆やトウジに呼びかける「鳥場」の若衆。その前には寺方の座に座る少林寺と本福寺の住職。住職は法衣を着用。それぞれの前には火鉢と寺の名が書かれた提灯が置かれている | 志摩市阿児町立神 | (不明) |
4577 | 立神ヒッポロ神事12-5 | 酒つぎ役を務める晴れ着の少女。5献目がすぎると、境内の参拝者に甘酒を配る。 | 志摩市阿児町立神 | (不明) |
4578 | 立神ヒッポロ神事12-6 | 杓を手にして鳥場の若衆に応答するトウジの後ろ姿。白装束である。トウジは、祷番の中で3番目の長老者(1名)が勤める。(赤色の斑紋など劣化の兆候が見受けられる。) | 志摩市阿児町立神 | (不明) |
4579 | 立神ヒッポロ神事12-7 | コトリ(天狗)と高張提灯を手にした祷番。コトリはヒノキの枝を頭にさしている。(赤色の斑紋など劣化の兆候が見受けられる。) | 志摩市阿児町立神 | (不明) |
4580 | 立神ヒッポロ神事12-8 | ヤマ(鳥居横の見物人の前)で舞う獅子。後方から撮影。左奥にコトリ(天狗)と高張提灯を手にした祷人が写る。 | 志摩市阿児町立神 | (不明) |
4581 | 立神ヒッポロ神事12-9 | 「宮中」全景。中の獅子殿の前に神職、正面奥に鳥の舞2人、左に楽士3名(太鼓1名、笛吹2名)が座っている。 | 志摩市阿児町立神 | (不明) |
4582 | 立神ヒッポロ神事12-10 | 「酒場」でトウジの手伝いやパッパの火の準備など割烹着を着て忙しく働く祷屋の妻たち。 | 志摩市阿児町立神 | (不明) |
4583 | 立神ヒッポロ神事12-11 | 「酒場」でトウジの手伝いやパッパの火の準備など割烹着を着て忙しく働く祷屋の妻たち。 | 志摩市阿児町立神 | (不明) |
4584 | 立神ヒッポロ神事12-12 | 「鳥場」の様子。寺方、村役人、若衆、それぞれが所定の座に着いている。 | 志摩市阿児町立神 | (不明) |
4585 | 立神ヒッポロ神事12-13 | 「酒場」で忙しく働く白装束のトウジと割烹着姿の祷屋の妻たち。 | 志摩市阿児町立神 | (不明) |
4586 | 立神ヒッポロ神事12-14 | 「鳥場」へオミキを運ぶ2人の若衆。裃を着用している。 | 志摩市阿児町立神 | (不明) |
4587 | 立神ヒッポロ神事12-15 | 「ハゼ場」から戻る2人の若衆。裃を着用している。 | 志摩市阿児町立神 | (不明) |
4588 | 立神ヒッポロ神事12-16 | 若衆が運ぶ器に杓でオミキを入れるトウジ。 | 志摩市阿児町立神 | (不明) |
4589 | 立神ヒッポロ神事12-17 | オミキを入れた器を持つ若衆。裃を着用している。 | 志摩市阿児町立神 | (不明) |
4590 | 立神ヒッポロ神事13-1 | ハゼ場で燃え上がったワラ山の火に突っ込んで、敷物やワラ束で盛んに叩き消そうしている鳥場の若衆。火を消し鳥場に若衆が引き上げると、ハゼ場の若衆は再び火を点け、火の手を上げる。この繰り返しがしばらく続く。スライド枠には「立神」と記される。 | 志摩市阿児町立神 | (不明) |
4591 | 立神ヒッポロ神事13-2 | ハゼ場で燃え上がったワラ山の火に突っ込んで、敷物やワラ束で盛んに叩き消そうしている鳥場の若衆。火を消し鳥場に若衆が引き上げると、ハゼ場の若衆は再び火を点け、火の手を上げる。この繰り返しがしばらく続く。 | 志摩市阿児町立神 | (不明) |
4592 | 立神ヒッポロ神事13-3 | ハゼ場で燃え上がったワラ山の火に突っ込んで、敷物やワラ束で盛んに叩き消そうしている鳥場の若衆。火を消し鳥場に若衆が引き上げると、ハゼ場の若衆は再び火を点け、火の手を上げる。この繰り返しがしばらく続く。 | 志摩市阿児町立神 | (不明) |
4593 | 立神ヒッポロ神事13-4 | ハゼ場で燃え上がったワラ山の火に突っ込んで、敷物やワラ束で盛んに叩き消そうしている鳥場の若衆。火を消し鳥場に若衆が引き上げると、ハゼ場の若衆は再び火を点け、火の手を上げる。この繰り返しがしばらく続く。スライド枠には「1/3 ヒッポロ」と記される。 | 志摩市阿児町立神 | (不明) |
4594 | 立神ヒッポロ神事13-5 | ハゼ場で燃え上がったワラ山の火に突っ込んで、敷物やワラ束で盛んに叩き消そうしている鳥場の若衆。火を消し鳥場に若衆が引き上げると、ハゼ場の若衆は再び火を点け、火の手を上げる。この繰り返しがしばらく続く。 | 志摩市阿児町立神 | (不明) |
4595 | 立神ヒッポロ神事13-6 | ハゼ場で燃え上がったワラ山の火に突っ込んで、敷物やワラ束で盛んに叩き消そうしている鳥場の若衆。火を消し鳥場に若衆が引き上げると、ハゼ場の若衆は再び火を点け、火の手を上げる。この繰り返しがしばらく続く。 | 志摩市阿児町立神 | (不明) |
4596 | 立神ヒッポロ神事13-7 | ハゼ場で燃え上がったワラ山の火に突っ込んで、敷物やワラ束で盛んに叩き消そうしている鳥場の若衆。火を消し鳥場に若衆が引き上げると、ハゼ場の若衆は再び火を点け、火の手を上げる。この繰り返しがしばらく続く。 | 志摩市阿児町立神 | (不明) |
4597 | 立神ヒッポロ神事13-8 | ハゼ場で燃え上がったワラ山の火に突っ込んで、敷物やワラ束で盛んに叩き消そうしている鳥場の若衆。火を消し鳥場に若衆が引き上げると、ハゼ場の若衆は再び火を点け、火の手を上げる。この繰り返しがしばらく続く。 | 志摩市阿児町立神 | (不明) |
4598 | 立神ヒッポロ神事13-9 | ハゼ場で燃え上がったワラ山の火に突っ込んで、敷物やワラ束で盛んに叩き消そうしている鳥場の若衆。火を消し鳥場に若衆が引き上げると、ハゼ場の若衆は再び火を点け、火の手を上げる。この繰り返しがしばらく続く。 | 志摩市阿児町立神 | (不明) |
4599 | 立神ヒッポロ神事13-10 | ハゼ場で燃え上がったワラ山の火に突っ込んで、敷物やワラ束で盛んに叩き消そうしている鳥場の若衆。火を消し鳥場に若衆が引き上げると、ハゼ場の若衆は再び火を点け、火の手を上げる。この繰り返しがしばらく続く。 | 志摩市阿児町立神 | (不明) |
4600 | 立神ヒッポロ神事13-11 | ハゼ場で燃え上がったワラ山の火に突っ込んで、敷物やワラ束で盛んに叩き消そうしている鳥場の若衆。火を消し鳥場に若衆が引き上げると、ハゼ場の若衆は再び火を点け、火の手を上げる。この繰り返しがしばらく続く。 | 志摩市阿児町立神 | (不明) |
4601 | 立神ヒッポロ神事13-12 | ハゼ場で燃え上がったワラ山の火に突っ込んで、敷物やワラ束で盛んに叩き消そうしている鳥場の若衆。火を消し鳥場に若衆が引き上げると、ハゼ場の若衆は再び火を点け、火の手を上げる。この繰り返しがしばらく続く。スライド枠には「立神ヒッポロ」と記される。 | 志摩市阿児町立神 | (不明) |
4602 | 立神ヒッポロ神事13-13 | ハゼ場で燃え上がったワラ山の火に突っ込んで、敷物やワラ束で盛んに叩き消そうしている鳥場の若衆。火を消し鳥場に若衆が引き上げると、ハゼ場の若衆は再び火を点け、火の手を上げる。この繰り返しがしばらく続く。 | 志摩市阿児町立神 | (不明) |
4603 | 立神ヒッポロ神事13-14 | ハゼ場で燃え上がったワラ山の火に突っ込んで、敷物やワラ束で盛んに叩き消そうしている鳥場の若衆。火を消し鳥場に若衆が引き上げると、ハゼ場の若衆は再び火を点け、火の手を上げる。この繰り返しがしばらく続く。 | 志摩市阿児町立神 | (不明) |
4604 | 立神ヒッポロ神事13-15 | ハゼ場で燃え上がったワラ山の火に突っ込んで、敷物やワラ束で盛んに叩き消そうしている鳥場の若衆。火を消し鳥場に若衆が引き上げると、ハゼ場の若衆は再び火を点け、火の手を上げる。この繰り返しがしばらく続く。 | 志摩市阿児町立神 | (不明) |
4605 | 立神ヒッポロ神事13-16 | ハゼ場で燃え上がったワラ山の火に突っ込んで、敷物やワラ束で盛んに叩き消そうしている鳥場の若衆。火を消し鳥場に若衆が引き上げると、ハゼ場の若衆は再び火を点け、火の手を上げる。この繰り返しがしばらく続く。 | 志摩市阿児町立神 | (不明) |
4606 | 立神ヒッポロ神事13-17 | ハゼ場で燃え上がったワラ山の火に突っ込んで、敷物やワラ束で盛んに叩き消そうしている鳥場の若衆。火を消し鳥場に若衆が引き上げると、ハゼ場の若衆は再び火を点け、火の手を上げる。この繰り返しがしばらく続く。 | 志摩市阿児町立神 | (不明) |
4607 | 立神ヒッポロ神事13-18 | ハゼ場で燃え上がったワラ山の火に突っ込んで、敷物やワラ束で盛んに叩き消そうしている鳥場の若衆。火を消し鳥場に若衆が引き上げると、ハゼ場の若衆は再び火を点け、火の手を上げる。この繰り返しがしばらく続く。 | 志摩市阿児町立神 | (不明) |
4608 | 立神ヒッポロ神事13-19 | ハゼ場で燃え上がったワラ山の火に突っ込んで、敷物やワラ束で盛んに叩き消そうしている鳥場の若衆。火を消し鳥場に若衆が引き上げると、ハゼ場の若衆は再び火を点け、火の手を上げる。この繰り返しがしばらく続く。 | 志摩市阿児町立神 | (不明) |
4609 | 立神ヒッポロ神事14-1 | 百度詣でに出発するため薬師堂前に集まった20人ほどの若衆の集合写真。2人は若衆仲間の宝物ともいわれる「大幣」を持つ。若衆は15歳以上の若者で、任意に参加できるので人数は年により変わる。 | 志摩市阿児町立神 | (不明) |
4610 | 立神ヒッポロ神事14-2 | 百度詣でに出発するため薬師堂前に集まった20人ほどの若衆の集合写真。2人は若衆仲間の宝物ともいわれる「大幣」を持つ。若衆は15歳以上の若者で、任意に参加できるので人数は年により変わる。 | 志摩市阿児町立神 | (不明) |
4611 | 立神ヒッポロ神事14-3 | 若衆仲間の宝物ともいわれる笹竹に白紙や掛け物を吊るした「大幣」のアップ。 | 志摩市阿児町立神 | (不明) |
4612 | 立神ヒッポロ神事14-4 | 若衆仲間の宝物ともいわれる笹竹に白紙や掛け物を吊るした「大幣」のアップ。 | 志摩市阿児町立神 | (不明) |
4613 | 立神ヒッポロ神事14-5 | 若衆仲間の宝物ともいわれる笹竹に白紙や掛け物を吊るした「大幣」のアップ。 | 志摩市阿児町立神 | (不明) |
4614 | 立神ヒッポロ神事14-6 | 太鼓、笛の邦楽に合わせて口を大きく開けてハゼ場で舞う獅子。 | 志摩市阿児町立神 | (不明) |
4615 | 立神ヒッポロ神事14-7 | 太鼓、笛の邦楽に合わせて口を大きく開けてハゼ場で舞う獅子。 | 志摩市阿児町立神 | (不明) |
4616 | 立神ヒッポロ神事14-8 | 太鼓、笛の邦楽に合わせて口を大きく開けてハゼ場で舞う獅子。 | 志摩市阿児町立神 | (不明) |
4617 | 立神ヒッポロ神事14-9 | 太鼓、笛の邦楽に合わせて口を大きく開けてハゼ場で舞う獅子。 | 志摩市阿児町立神 | (不明) |
4618 | 立神ヒッポロ神事14-10 | 太鼓、笛の邦楽に合わせてハゼ場で舞う雌雄の獅子。 | 志摩市阿児町立神 | (不明) |
4619 | 立神ヒッポロ神事15-1 | 太鼓、笛の邦楽に合わせてハゼ場で舞う雌雄の獅子。 | 志摩市阿児町立神 | (不明) |
4620 | 立神ヒッポロ神事15-2 | 太鼓、笛の邦楽に合わせてハゼ場で舞う雌雄の獅子。それぞれの獅子の前にコトリ(天狗)が立っている。 | 志摩市阿児町立神 | (不明) |
4621 | 立神ヒッポロ神事15-3 | 太鼓、笛の邦楽に合わせてハゼ場で舞う獅子。 | 志摩市阿児町立神 | (不明) |
4622 | 立神ヒッポロ神事15-4 | 太鼓、笛の邦楽に合わせてハゼ場で舞う獅子。 | 志摩市阿児町立神 | (不明) |
4623 | 立神ヒッポロ神事15-5 | 杓を手にして鳥場の若衆に応答するトウジ。白装束である。トウジは、祷番の中で3番目の長老者(1名)が勤める。 | 志摩市阿児町立神 | (不明) |
4624 | 立神ヒッポロ神事15-6 | 杓を手にして鳥場の若衆に応答するトウジ。白装束である。トウジは、祷番の中で3番目の長老者(1名)が勤める。 | 志摩市阿児町立神 | (不明) |
4625 | 立神ヒッポロ神事15-7 | 「酒場」でパッパの火の準備をする割烹着姿の祷人の妻たち。 | 志摩市阿児町立神 | (不明) |
4626 | 立神ヒッポロ神事15-8 | 掛け物のかかった「小屋場」前に座る鳥の舞役の2人。祷番中の長老2人が務める。素襖、烏帽子姿で主に寺方の接待に当たる。 | 志摩市阿児町立神 | (不明) |
4627 | 立神ヒッポロ神事15-9 | 祷屋の5~9番までの5人が素襖姿で宮中の九人役、神職、神役(獅子、楽士)の接待に当たる。その内の素襖着3人。 | 志摩市阿児町立神 | (不明) |
4628 | 立神ヒッポロ神事15-10 | 「宮中」の前で太鼓、笛の邦楽に合わせて舞う雌雄の獅子。獅子の前には2人のコトリ(天狗)が立つ。コトリは鳥の舞の家族の中から6歳から10歳までの男子が務める。コトリの横にはそれぞれ高張提灯を持った祷番が写る。 | 志摩市阿児町立神 | (不明) |
4629 | 立神ヒッポロ神事15-11 | 日の丸扇子を手にして、ハゼ場の若衆やトウジに呼びかける「鳥場」の若衆。 | 志摩市阿児町立神 | (不明) |
4630 | 立神ヒッポロ神事15-12 | 太鼓、笛の邦楽に合わせて口を大きく開けてハゼ場で舞う獅子。コトリ(天狗)と祷人の後ろ姿が大きく写る。 | 志摩市阿児町立神 | (不明) |
4631 | 立神ヒッポロ神事15-13 | 日の丸扇子を手にして、ハゼ場の若衆やトウジに呼びかける「鳥場」の若衆。 | 志摩市阿児町立神 | (不明) |
4632 | 立神ヒッポロ神事15-14 | 「鳥場」の若衆が「○○に申す。当年のオミキ(甘酒)がいただきとうござる。」と言うと、「ハゼ場」の指名された若者が「ハーイ」と言って日の丸扇子を持って広場に出て「くわーせ」と応答する。それに対して鳥場から「持たーせ」と再び呼びかけがあり、それに「飲まーせ」と答える。これを数回繰り返す。 | 志摩市阿児町立神 | (不明) |
4633 | 立神ヒッポロ神事15-15 | 8番おこし。5人の素襖着が竹を2本ずつ持ち、鳥場に5献目の盃が通ったか七度半の使いに出る。 | 志摩市阿児町立神 | (不明) |
4634 | 立神ヒッポロ神事15-16 | 「小屋場」の前で太鼓、笛の邦楽に合わせて舞う雌雄の獅子。獅子の前には2人のコトリ(天狗)が立つ。コトリは鳥の舞の家族の中から6歳から10歳までの男子が務める。コトリの横にはそれぞれ高張提灯を持った祷番が写る。 | 志摩市阿児町立神 | (不明) |
4635 | 立神ヒッポロ神事15-17 | 「小屋場」の前で太鼓、笛の邦楽に合わせて舞う雌雄の獅子。獅子の前には2人のコトリ(天狗)が立つ。コトリは鳥の舞の家族の中から6歳から10歳までの男子が務める。コトリの横にはそれぞれ高張提灯を持った祷番が写る。 | 志摩市阿児町立神 | (不明) |
4636 | 立神ヒッポロ神事15-18 | コトリ(天狗)のアップ。鳥の舞の家族の中から6歳から10歳までの男子2人が務める。頭にヒノキ葉を挿した烏帽子と天狗面を付ける。 | 志摩市阿児町立神 | (不明) |
4637 | 立神ヒッポロ神事15-19 | コトリ(天狗)のアップ。鳥の舞の家族の中から6歳から10歳までの男子2人が務める。頭にヒノキ葉を挿した烏帽子と天狗面を付ける。 | 志摩市阿児町立神 | (不明) |
4638 | 立神ヒッポロ神事15-20 | 杓を手にして鳥場の若衆に応答するトウジ。白装束である。トウジは、祷番の中で3番目の長老者(1名)が勤める。 | 志摩市阿児町立神 | (不明) |
4639 | 立神ヒッポロ神事16-1 | 笹竿すりがしばらく続いた後、「大幣」を獅子に渡し宮中に収める。そして笹に縛り付けられているお金を九人役の祝儀としてちぎり取る。その後若衆の「掛け物の竿やぞー」という返却の呼びかけに応じ、九人衆の内の2人が「大幣」をハゼ場に持ち出し、笹竿すりを1回行い若衆頭に返す。 | 志摩市阿児町立神 | (不明) |
4640 | 立神ヒッポロ神事16-2 | 「オッコミ」。宮中より神職が獅子の所へ出向き、宮中からは鳥の舞役の2人がくわえ紙をし、弊のようなもので3回ほど獅子を招く所作をする。すると獅子は太鼓の拍子に合わせて動き出し、東から宮中へ、宮中から東へ、更にまた宮中前に走って行き、獅子頭を3回下げ礼をする。最後は鳥場の前に走って行き、同様に3回礼をすると、鳥場の若衆の追い込みに合って宮中に駆け込む。 写真は宇気比神社と書かれた高張提灯を手にして境内を歩く神官。 | 志摩市阿児町立神 | (不明) |
4641 | 立神ヒッポロ神事16-3 | 一通りの舞いをすませ宮中に戻り、頭を奥にしてコモの上に休む獅子。その前に九人衆が座っている。 | 志摩市阿児町立神 | (不明) |
4642 | 立神ヒッポロ神事16-4 | 「オッコミ」。宮中より神職が獅子の所へ出向き、宮中からは鳥の舞役の2人がくわえ紙をし、弊のようなもので3回ほど獅子を招く所作をする。すると獅子は太鼓の拍子に合わせて動き出し、東から宮中へ、宮中から東へ、更にまた宮中前に走って行き、獅子頭を3回下げお礼をする。最後は鳥場の前に走って行き、同様に3回お礼をすると、鳥場の若衆の追い込みに合って宮中に駆け込む。 写真は獅子の右後方から撮影。 | 志摩市阿児町立神 | (不明) |
4643 | 立神ヒッポロ神事16-5 | 宮中獅子殿の前に座る神職。その右後方に獅子殿に獅子頭を納めようとする九人衆が写る。獅子は2人の鳥の舞役が噛ませた獅子招きに使った紙のたんざくをくわえている。 | 志摩市阿児町立神 | (不明) |
4644 | 立神ヒッポロ神事16-6 | 宮中獅子殿に獅子頭を納めようとする九人衆。獅子は2人の鳥の舞役が噛ませた獅子招きに使った紙のたんざくをくわえている。 | 志摩市阿児町立神 | (不明) |
4645 | 立神ヒッポロ神事16-7 | 宮中獅子殿に獅子頭を納めている九人衆。獅子は2人の鳥の舞役が噛ませた獅子招きに使った紙のたんざくをくわえている。 | 志摩市阿児町立神 | (不明) |
4646 | 和具大島祭1-1 | 「じんじん」「潮かけまつり」ともいい、和具の沖に浮かぶ大島に祀られている「大島神社」(祭神:市杵島姫命)の大祭。初夏の海人祭の1つである。旧暦6月1日に行われる。 港内で待機する、大島へ向かう漁船(宗栄丸)。男性5人と女性3人、子ども2人が乗り込んでいる。 参考文献:『志摩町史 改訂版』平成16年発行(以下キャプションは同文献を参照) | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4647 | 和具大島祭1-2 | 大島へ向かう大漁旗を掲げた2艘の漁船。写真上部に大島が写る。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4648 | 和具大島祭1-3 | 大島へ向かう大漁旗を掲げた1艘の漁船。大島が更に大きく写る。手前に波しぶきが写る。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4649 | 和具大島祭1-4 | 大島へ向かう大漁旗を掲げた1艘の漁船。大島が更に大きく写る。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4650 | 和具大島祭1-5 | 大島の浜でご神体を乗せた万度船を待つ白い磯着姿の20人ほどの海女。頭には手ぬぐいを被っている。沖には3艘の漁船と船外機3艘が待機している。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4651 | 和具大島祭1-6 | 大島へ向かう大漁旗を掲げた4艘の漁船。(撮影者が乗り込んでいる船に続く漁船)後方に和具漁港と集落が小さく写る。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4652 | 和具大島祭1-7 | 大島へ向かう大漁旗を掲げた4艘の漁船。(撮影者が乗り込んでいる船に続く漁船)後方に和具漁港と集落が写る。(№4651と同じアングル。望遠を使用したのか、漁船と集落が大きく写っている。) | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4653 | 和具大島祭1-8 | 大島へ向かう大漁旗を掲げた2艘の漁船。(撮影者が乗り込んでいる船に続く漁船)後方に和具漁港と集落が写る。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4654 | 和具大島祭1-9 | 大島へ向かう大漁旗を掲げた1艘の漁船。(撮影者が乗り込んでいる船に続く漁船)後方に和具漁港と集落が写る。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4655 | 和具大島祭1-10 | 和具漁港と城山のある半島の遠景。船上から撮影。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4656 | 和具大島祭1-11 | 大島からの帰り、西側の山並みを見る。奥に広がるのは、南伊勢町と度会町の山並み。右側は越賀の海岸、釣り人がいる手前中央の磯は鵜島と思われる。(志摩町和具で聞き取り2020.01.20) | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4657 | 和具大島祭1-12 | 大島神社の樹叢、遠景。祠へ続く石段が写る。海岸には4隻の漁船が係留され、砂浜には大人に混じって子どもの姿も見える。石段の最下段に和具の八雲神社の総代3人が腰かけている。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4658 | 和具大島祭1-13 | 大島神社での神事が終わって太鼓が打ち鳴らされると、潮かけの始まりである。大島に係留した漁船に乗り込み、バケツで汲んだ潮を掛け合う、白い磯着の海女と漁師たち。後方に子どもの姿も見える。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4659 | 和具大島祭1-14 | 大島神社での神事が終わって太鼓が打ち鳴らされると、潮かけの始まりである。大島に係留した漁船に乗り込み、バケツで汲んだ潮を掛け合う、白い磯着の海女と漁師たち。後方に子どもの姿も見える。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4660 | 和具大島祭1-15 | 大島神社での神事が終わって太鼓が打ち鳴らされると、潮かけの始まりである。大島に係留した漁船に乗り込み、バケツで汲んだ潮を掛け合う、白い磯着の海女と漁師たち。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4661 | 和具大島祭1-16 | 大島の砂浜に寝転ぶ少年4人。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4662 | 和具大島祭1-17 | 大島の砂浜に寝転ぶ少年4人。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4663 | 和具大島祭2-1 | 漁船から堤防にいる見学者にホースで潮を掛ける漁師の後ろ姿。鉢巻を巻いている。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4664 | 和具大島祭2-2 | 和具の港内で潮を掛け合う。漁船の艫では数人の漁師によるカツオ釣りの模擬が行われている。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4665 | 和具大島祭2-3 | 大島遠景。後方に何艘かの漁船が続いている。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4666 | 和具大島祭2-4 | 海水を掛けられる小型の漁船。10人乗り込んでいる。柄杓で応戦しようとする男性の後ろ姿が写る。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4667 | 和具大島祭2-5 | №4666の漁船を反対側から撮影。中央の男性が柄杓で応戦する。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4668 | 和具大島祭2-6 | 大島の海岸に集う漁師や子どもたち。フナド海女たちは竹竿に縛り付けた自分たちが乗り込むノリアイ船の船名旗と大漁旗を掲げ、朝大島の周辺で獲った海の幸を持ち、大島神社にお参りする。海女たちは白い磯着姿で、頭にタオルや手ぬぐいを被っている。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4669 | 和具大島祭2-7 | 和具漁港内で潮を掛け合う大型漁船に乗り込んだ漁師たち。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4670 | 和具大島祭2-8 | ノリアイ船の大漁旗が縛り付けられた竹竿を持ち、大島の海岸を移動する10人ほどの海女たち。海女は白い磯着姿で、頭にタオルや手ぬぐいを被っている。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4671 | 和具大島祭2-9 | バケツや柄杓で潮を掛け合う船上の海女たち。白い磯着姿である。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4672 | 和具大島祭2-10 | バケツや柄杓で潮を掛け合う船上の海女たち。白い磯着姿である。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4673 | 和具大島祭2-11 | バケツや柄杓で潮を掛け合う船上の海女たち。白い磯着姿である。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4674 | 和具大島祭2-12 | 和具漁港へ帰る途中、大島の沖で潮を掛け合う海女や祭の参加者。「嘉栄丸」の大漁旗を掲げている。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4675 | 和具大島祭2-13 | 和具漁港へ帰る途中、大島の沖で潮を掛け合う海女や祭の参加者。「勘喜丸」の大漁旗を掲げている漁船には神輿が積み込まれている。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4676 | 和具大島祭2-14 | 和具漁港へ帰る途中、大島の沖で潮を掛け合う海女や祭の参加者。※スライドが痛み、画像が不鮮明である。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4677 | 和具大島祭2-15 | 和具漁港へ帰る途中、大島の沖で潮を掛け合う海女や漁師。大型漁船の前方から撮影。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4678 | 和具大島祭2-16 | 和具漁港へ帰る途中、大島の沖で潮を掛け合う海女や漁師。大型漁船の前方から撮影。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4679 | 和具大島祭2-17 | 大勢乗り込み、バケツで潮を掛け合う2艘の海女船。左横には大漁旗を掲げた大型漁船が写る。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4680 | 和具大島祭3-1 | 祭の朝大島の周りで獲ったアワビを大島神社へ供える海女。神前にはたくさんの魚類も供えられている。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4681 | 和具大島祭3-2 | お祓いを受けるため神前に座る海女や漁師たち。海女は洗米とお神酒を入れた一斗桝を持っている。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4682 | 和具大島祭3-3 | 大島の海岸の波打ち際で刺身を造り、車座になって直会をする漁師たち。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4683 | 和具大島祭3-4 | 大島の海岸の波打ち際で刺身を造り、車座になって直会をする漁師たち。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4684 | 和具大島祭3-5 | 神前に供えられた、アワビやサザエ、魚類などの海の幸。魚には船の名前を記した紙製の帯が巻かれている。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4685 | 和具大島祭3-6 | 神前に供えられた、アワビやサザエ、魚類などの海の幸。魚には船の名前を記した紙製の帯が巻かれている。№4684と同じアングル。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4686 | 和具大島祭3-7 | お供え物を持って大島神社への石段を上る漁師や海女。鳥居の下には大勢の参拝者がシオカケの時を待つ。海岸には多くの子どもの姿も見える。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4687 | 和具大島祭3-8 | お供え物を持って大島神社への石段を上る漁師や海女。鳥居の下には大勢の参拝者がシオカケの時を待つ。海岸には多くの子どもの姿も見える。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4688 | 和具大島祭3-9 | 朝から大島の周りで潜っていた海女たちは、万度船の到着に合わせて、海から上がる。漁を終え、岸に向かって泳ぐ5人の海女。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4689 | 和具大島祭3-10 | 神前に供えられた、アワビやサザエ、魚類などの海の幸。魚には船の名前を記した紙製の帯が巻かれている。時間が経つにつれ、お供えの魚介類が増えていく。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4690 | 和具大島祭3-11 | 神前に供えられた、アワビやサザエ、魚類などの海の幸。魚には船の名前を記した紙製の帯が巻かれている。時間が経つにつれ、お供えの魚介類が増えていく。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4691 | 和具大島祭4-1 | 大島の海岸でノリアイ船の船名旗と大漁旗を縛り付けた竹竿を担ぐ海女。白い磯着姿で頭にはタオルを被っている。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4692 | 和具大島祭4-2 | 神前でお神酒を頂く海女や漁師たち。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4693 | 和具大島祭4-3 | 大島の海岸でノリアイ船の船名旗と大漁旗を縛り付けた竹竿を担ぐ海女。白い磯着姿で頭にはタオルを被っている。※№4691と同じアングル。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4694 | 和具大島祭4-4 | 大島の海岸でアラメとお供え用の四角い膳に入れたサザエを持つ海女。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4695 | 和具大島祭4-5 | 和具漁港に係留された大型漁船に乗り込み、大島への出港を待つ若い男女。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4696 | 和具大島祭4-6 | 和具漁港に係留された大型漁船に乗り込み、大島への出港を待つ若い男女。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4697 | 和具大島祭4-7 | 和具市場で風船を膨らまそうと、口にくわえる2人の少女。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4698 | 和具大島祭4-8 | 和具市場で風船を膨らまそうと、口にくわえる2人の少女。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4699 | 和具大島祭5-1 | 大島の海岸で談笑する海女たち。白い磯着姿で頭にはタオルを被っている。磯着が濡れていることから、神前に供えるアワビやサザエ海藻類を獲った後だと思われる。スライド枠には「汐かけ」と記される。 | 志摩市志摩町和具 | 1988 |
4700 | 和具大島祭5-2 | 大島の海岸で談笑する海女たち。白い磯着姿で頭にはタオルを被っている。磯着が濡れていることから、神前に供えるアワビやサザエ海藻類を獲った後だと思われる。後方に少年たちも一緒に写る。スライド枠には「和具」と記される。 | 志摩市志摩町和具 | 1988 |
4701 | 和具大島祭5-3 | 大島神社での神事が終わって太鼓が打ち鳴らされると、潮かけの始まりである。大島に係留した漁船に乗り込む白い磯着の海女と漁師たち。海岸には若者の姿が見える。 | 志摩市志摩町和具 | 1988 |
4702 | 和具大島祭5-4 | 大島神社での神事が終わって太鼓が打ち鳴らされると、潮かけの始まりである。大島に係留した漁船に乗り込む白い磯着の海女と漁師たち。海岸には若者の姿が見える。 | 志摩市志摩町和具 | 1988 |
4703 | 和具大島祭5-5 | 大島神社での神事が終わって太鼓が打ち鳴らされると、潮かけの始まりである。大島に係留した漁船に乗り込む白い磯着の海女と漁師たち。 | 志摩市志摩町和具 | 1988 |
4704 | 和具大島祭5-6 | 大島神社での神事が終わって太鼓が打ち鳴らされると、潮かけの始まりである。大島に係留した漁船に乗り込む白い磯着の海女と漁師たち。 | 志摩市志摩町和具 | 1988 |
4705 | 和具大島祭5-7 | 大島神社での神事が終わって太鼓が打ち鳴らされると、潮かけの始まりである。白い磯着の海女と漁師、参拝者が乗り込んだノリアイ船が岸を離れる。波打ち際にはバケツで海水を掛けようとする1人の海女が写る。 | 志摩市志摩町和具 | 1988 |
4706 | 和具大島祭5-8 | 大島神社での神事が終わって太鼓が打ち鳴らされると、潮かけの始まりである。白い磯着の海女と漁師、参拝者が乗り込んだノリアイ船が岸を離れる。波打ち際にはバケツで海水を掛けようとする1人の海女が写る。 | 志摩市志摩町和具 | 1988 |
4707 | 和具大島祭5-9 | 大島神社での神事が終わって太鼓が打ち鳴らされると、潮かけの始まりである。白い磯着の海女と漁師、参拝者が乗り込んだノリアイ船が岸を離れる。波打ち際にはバケツで海水を掛ける1人の海女が写る。 | 志摩市志摩町和具 | 1988 |
4708 | 和具大島祭5-10 | 大島神社での神事が終わって太鼓が打ち鳴らされると、潮かけの始まりである。白い磯着の海女が乗り込んだノリアイ船が岸を離れる。スライド枠には「しおかけ」と記される。 | 志摩市志摩町和具 | 1988 |
4709 | 和具大島祭6-1 | 大島の海岸でピースをする2人の少年。海水パンツ姿である。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4710 | 和具大島祭6-2 | 海岸で火を焚き、大島神社の神事が終わるのを待つ海水パンツ姿の少年たち。手前の少年は小さなタコを手にしている。神社の鳥居前でも多くの大人が待機している。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4711 | 和具大島祭6-3 | 風にたなびく、竹竿に縛り付けられた白地に「幸漁丸」と染め抜かれた船名旗。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4712 | 和具大島祭6-4 | 風にたなびく、竹竿に縛り付けられた白地に「幸漁丸」と染め抜かれた船名旗。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4713 | 和具大島祭6-5 | 風にたなびく、竹竿に縛り付けられた白地に「幸漁丸」と染め抜かれた船名旗。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4714 | 和具大島祭6-6 | 風にたなびく、竹竿に縛り付けられた白地に「幸漁丸」と染め抜かれた船名旗。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4715 | 和具大島祭6-7 | 「長福丸」と染め抜かれた大漁旗を掲げた漁船の前で、記念撮影をする3人の女性。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4716 | 和具大島祭6-8 | 「長福丸」と染め抜かれた大漁旗を掲げた漁船の前で、記念撮影をする3人の女性。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4717 | 和具大島祭6-9 | 大島に向かう船上から撮影した、和具漁港と集落、山並みの風景。画像の中央に波しぶきが大きく写る。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4718 | 和具大島祭6-10 | 色彩豊かな大漁旗をたなびかせ、大島に向けて出港する漁船。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4719 | 和具大島祭6-11 | 大島を目指す白い小型ボート。10人もの男性と3人の女性が乗り込んでいる。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4720 | 和具大島祭6-12 | 大島を目指す白い小型ボート。10人もの男性と3人の女性が乗り込んでいる。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4721 | 和具大島祭6-13 | 大島に係留して神事の終了を待つポンポン船。瓶ビールを冷やすためか、小縁(こべり)にはビール1ケースをロープで縛り、海水に浸けている。男性2人が乗船している。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4722 | 和具大島祭6-14 | 大島の浅瀬に浸かる海女3人。白い磯着姿である。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4723 | 和具大島祭6-15 | 神事が終わり、それぞれノリアイ船の旗の下に集まって迎えを待つ海女たちの後ろ姿。白い磯着姿で白い手ぬぐいや黄色のタオル、緑のタオルを被っている。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4724 | 和具大島祭6-16 | 大島神社での神事が終わって太鼓が打ち鳴らされると、潮かけの始まりである。大島に係留した漁船に白い磯着の海女と漁師たちが乗り込み、和具漁港に向けて出発する。船上では海女同士の潮かけが始まっている。1人の海女が小縁(こべり)から身を乗り出してバケツで海水を汲もうとしている。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4725 | 和具大島祭6-17 | 大島神社での神事が終わって太鼓が打ち鳴らされると、潮かけの始まりである。大島に係留した漁船に白い磯着の海女と漁師たちが乗り込み、和具漁港に向けて出発する。船上では海女同士の潮かけが始まっている。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4726 | 和具大島祭6-18 | 神事が終わり、それぞれノリアイ船の船名旗の下に集まって迎えを待つ海女たちの後ろ姿。白い磯着姿で白い手ぬぐいや黄色のタオル、緑のタオルを被っている。迎えの船が近づいてきたのか、海女たちが乗船しようと、大漁旗を持って立ち上がる。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4727 | 和具大島祭6-19 | 大島神社での神事が終わって太鼓が打ち鳴らされると、潮かけの始まりである。大島に係留した漁船に白い磯着の海女と漁師たちが乗り込み、和具漁港に向けて出発する。船上では海女同士の潮かけが始まっている。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4728 | 和具大島祭7-1 | 画像が暗く不鮮明で詳細は不明であるが、大島神社の鳥居前に集まる祭の参加者たち。白地に「市杵島姫神社」と染め抜かれた幟が3旒立てられている。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4729 | 和具大島祭7-2 | 大島の海岸で神事の終了を待つ男性たち。沖には、色彩豊かな大漁旗を掲げた8艘の漁船が停泊している。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4730 | 和具大島祭7-3 | 大島の海岸で神事の終了を待つ男性たち。待ちきれないのか、男性が2人泳いでいる。沖には、色彩豊かな大漁旗を掲げた8艘の漁船が停泊している。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4731 | 和具大島祭7-4 | 大島の海岸で神事の終了を待つ間、お神酒をいただく男性たち。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4732 | 和具大島祭7-5 | 大島の海岸で神事の終了を待つ参拝者たち。神社の石段から海側を撮影。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4733 | 和具大島祭7-6 | 大島神社の神前に祭壇を設えて神事の準備をする、神官と八雲神社の総代たち。白装束に麦わら帽子を被っている。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4734 | 和具大島祭7-7 | 大島神社鳥居下の砂浜に座る漁師たちと、神社に向かう八雲神社の総代たち。奥に太鼓を持つ男性が写る。砂浜には白地に「市杵島姫神社」と染め抜かれた幟が3旒立てられている。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4735 | 和具大島祭7-8 | 大島の海岸で、ノリアイ船の船名旗と大漁旗を縛り付けた竹竿を持つ海女の後を移動する海女たち。1人の海女は四角い膳に海の幸(アラメと思われる)を入れて運ぶ。海女たちは白い磯着姿で頭にはタオルを被っている。波打ち際には水着姿の子どもや漁師が写る。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4736 | 和具大島祭7-9 | 神事が終わるのを待つ間、大島の浜でふざけ合う漁師たち。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4737 | 和具大島祭7-10 | 画像が暗く不鮮明で詳細は不明であるが、大島神社の鳥居前に集まる祭の参加者たち。白地に「市杵島姫神社」と染め抜かれた幟が3旒立てられている。№4728と同じアングル。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4738 | 和具大島祭7-11 | 大島神社の神前に祭壇を設えて神事の準備をする、神官と八雲神社の総代たち。白装束に麦わら帽子を被っている。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4739 | 和具大島祭7-12 | 大島神社の神前に筵を敷いてお神酒を供え、海の幸を奉納に訪れる海女や漁師等の参拝者を待つ2人の八雲神社総代。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4740 | 和具大島祭7-13 | 大島に着船後、万度船からご神体を下ろし大島神社へ向かう神官と八雲神社の総代たち。白装束に麦わら帽子を被っている。背後には沖に停泊したり、浜に係留して待機する多くの漁船が写る。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4741 | 和具大島祭7-14 | 大島神社の神前に筵を敷いてお神酒を供え、海の幸を奉納に訪れる海女や漁師等の参拝者を待つ3人の八雲神社総代。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4742 | 和具大島祭7-15 | 大島神社の神前に筵を敷いてお神酒を供え、海の幸を奉納に訪れる海女や漁師等の参拝者を待つ3人の八雲神社総代。№4741と同じアングル。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4743 | 和具大島祭7-16 | 大島神社の神前に筵を敷いてお神酒を供え、海の幸を奉納に訪れる海女や漁師等の参拝者を待つ3人の八雲神社総代。2人の参拝者の後ろ姿が写る。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4744 | 和具大島祭7-17 | 大島神社の神前に筵を敷いてお神酒を供え、海の幸を奉納に訪れる海女や漁師等の参拝者を待つ3人の八雲神社総代。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4745 | 和具大島祭7-18 | 大島神社の石段中ほどから大島神社の沖を見る。沖には大漁旗を掲げた多くの漁船が停泊している。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4746 | 和具大島祭8-1 | 漁船の小縁(こべり)から若い男性に海に投げ込まれる若い女性。この日だけは無礼講である。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4747 | 和具大島祭8-2 | 海に投げ込まれた後だろうか?笑顔で海から上がろうとする若い男性。祭の法被を着ている。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4748 | 和具大島祭8-3 | 神前に玉串奉典をする男性。男性の背後には多くの参拝者が見える。また魚、米、塩、野菜などの神饌も写る。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4749 | 和具大島祭8-4 | 神前の敷物に座る水着姿の少年と2人の海女。背後には多くの参拝者が見える。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4750 | 和具大島祭8-5 | 大島神社への石段を上る海女たち。大島の浜には、多くの参拝者が写る。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4751 | 和具大島祭8-6 | 神前に玉串奉典後、参拝する男性。男性の背後には多くの参拝者が見える。また魚、米、塩、野菜などの神饌も写る。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4752 | 和具大島祭8-7 | 神前に玉串奉典後、参拝する男性。男性の背後には多くの参拝者が見える。また魚、米、塩、野菜などの神饌も写る。№4751と同じアングル | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4753 | 和具大島祭8-8 | 大島神社への石段を上る海女たち。1人の海女はアラメをまな板に乗せて運んでいる。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4754 | 和具大島祭8-9 | 神前に玉串奉典後、参拝する男性。男性の背後には多くの参拝者が見える。また魚、米、塩、野菜などの神饌も写る。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4755 | 和具大島祭8-10 | 神前に玉串奉典後、参拝する男性。男性の背後には多くの参拝者が見える。また魚、米、塩、野菜などの神饌も写る。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4756 | 和具大島祭8-11 | 神前に玉串奉典をする年配の海女。背後には多くの参拝者が見える。また魚、米、塩、野菜などの神饌も写る。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4757 | 和具大島祭8-12 | 海に投げ込まれた後だろうか?笑顔で海から上がろうとする若い男性。祭の法被を着ている。№4747と同じ男性である。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4758 | 和具大島祭9-1 | 竹竿に縛り付けた船名旗と大漁旗を持つ海女に続いて、大島神社への石段を上ろうとする海女たち。大漁旗には、「源吉丸」の船名が見える。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4759 | 和具大島祭9-2 | 竹竿に縛り付けた赤地の船名旗を持つ海女に続いて、大島神社への石段を上ろうとする海女たち。船名旗には、「豊〇丸」の船名が見える。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4760 | 和具大島祭9-3 | 大島神社へ登る石段は、これから参拝する海女、参拝を終えた海女たちで混雑している。参拝後の海女たちの先頭を歩く、くわえ煙草の男性はトマエ(ノリアイ船の船頭)であろう。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4761 | 和具大島祭9-4 | 大島神社へ登る石段は、これから参拝する海女、参拝を終えた海女たちで混雑している。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4762 | 和具大島祭9-5 | 手を伸ばして、神饌の魚を供えようとしている海女。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4763 | 和具大島祭9-6 | 大島に係留して神事の終了を待つポンポン船。冷やすためか、小縁(こべり)には瓶ビール1ケースをロープで縛り、海水に浸けている。男性3人が乗船している。№4741と同じ船である。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4764 | 和具大島祭9-7 | 大島沖に停泊し神事の終了を待つ6隻の漁船。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4765 | 和具大島祭9-8 | 市杵島姫命のご神体を乗せた万度船が大島に着船し、船から降りようとしている八雲神社の総代。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4766 | 和具大島祭9-9 | 市杵島姫命のご神体を乗せた万度船が大島に着船し、ご神体の入った「まんどの箱」を船から下ろそうとしている八雲神社の総代。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4767 | 和具大島祭9-10 | 大島に着船後、万度船からご神体を下ろし大島神社へ向かう神官と八雲神社の総代たち。白装束に麦わら帽子を被っている。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4768 | 和具大島祭9-11 | 大島に着船後、万度船からご神体を下ろし大島神社へ向かう神官と八雲神社の総代たち。白装束に麦わら帽子を被っている。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4769 | 和具大島祭9-12 | 大島の波打ち際で潮かけをする男性たち。海に投げ込む者、投げ込まれる者、この日だけは無礼講である。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4770 | 和具大島祭9-13 | 自分たちが乗り込むノリアイ船の船名旗の下に集まった海女たち。後ろ姿。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4771 | 和具大島祭9-14 | 大島の波打ち際で潮かけをする男性たち。海に投げ込む者、投げ込まれる者、この日だけは無礼講である。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4772 | 和具大島祭9-15 | 朝から大島の周りで潜っていた海女たちは、万度船の到着に合わせて、海から上がる。漁を終え、岸に向かって泳ぐ5人の海女。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4773 | 和具大島祭10-1 | 朝から大島の周りで潜っていた海女たちは、万度船の到着に合わせて、海から上がる。漁を終え、岸に向かって泳ぐ5人の海女。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4774 | 和具大島祭10-2 | 朝から大島の周りで潜っていた海女たちは、万度船の到着に合わせて、海から上がる。漁を終え、岸に向かって泳ぐ5人の海女。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4775 | 和具大島祭10-3 | 神前にお参りにきた男性と年配の海女。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4776 | 和具大島祭10-4 | 大島神社の神前に敷かれた敷物に座り、玉串奉典の順番を待つ参拝者たち。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4777 | 和具大島祭10-5 | 大島神社の神前に敷かれた敷物に座り、玉串奉典の順番を待つ参拝者たち。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4778 | 和具大島祭10-6 | 大島神社へ登る石段は、これから参拝する海女、参拝を終えた海女たちで混雑している。参拝をしようとする海女たちはそれぞれが獲った海の幸を手にしている。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4779 | 和具大島祭10-7 | 大島神社へ登る石段は、これから参拝する海女、参拝を終えた海女たちで混雑している。参拝をしようとする海女たちはそれぞれが獲った海の幸を手にしている。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4780 | 和具大島祭10-8 | 大島神社の神前に敷かれた敷物に座り、玉串奉典の順番を待つ参拝者たち。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4781 | 和具大島祭10-9 | 参拝する海女。手前の男性は大きなカツオ2本奉納している。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4782 | 和具大島祭10-10 | 参拝する海女。手前の男性は大きなカツオ2本奉納している。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4783 | 和具大島祭10-11 | 参拝する海女。神前には多くの魚類が供えられている。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4784 | 和具大島祭10-12 | 参拝する男性。神前には多くの魚類が供えられている。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4785 | 和具大島祭10-13 | 参拝する男性。神前には多くの魚類が供えられている。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4786 | 和具大島祭10-14 | 参拝する男性。神前には多くの魚類が供えられている。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4787 | 和具大島祭10-15 | 参拝する男性。神前には多くの魚類が供えられている。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4788 | 和具大島祭10-16 | 参拝する男性。神前には多くの魚類が供えられている。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4789 | 和具大島祭10-17 | 玉串を奉典する男性。神前には多くの魚類が供えられている。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4790 | 和具大島祭10-18 | 参拝する男性。神前には多くの魚類が供えられている。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4791 | 和具大島祭10-19 | 参拝する2人の海女。神前には多くの魚類が供えられている。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4792 | 和具大島祭11-1 | 朝から大島の周りで潜っていた海女たちは、万度船の到着に合わせて、海から上がる。漁を終え、岸に向かって泳ぐ5人の海女。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4793 | 和具大島祭11-2 | 海から上がった海女は、新しい白い磯着に着替えた後、朝大島の磯で獲ったアワビやサザエ、海藻類を神前に供える。参拝する前に、ノリアイの船ごとに波打ち際に行き、海水で大漁旗や船名旗を清める。波打ち際に向かう海女たち。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4794 | 和具大島祭11-3 | 玉串を奉典する海女。神前には多くの魚類が供えられている。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4795 | 和具大島祭11-4 | 海から上がった海女は、新しい白い磯着に着替えた後、朝大島の磯で獲ったアワビやサザエ、海藻類を神前に供える。参拝する前に、ノリアイの船ごとに波打ち際に行き、海水で大漁旗や船名旗を清める。海に向かって手を合わせる海女たち。スライド枠には「シオカケ」と記される。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4796 | 和具大島祭11-5 | 海から上がった海女は、新しい白い磯着に着替えた後、朝大島の磯で獲ったアワビやサザエ、海藻類を神前に供える。参拝する前に、ノリアイの船ごとに波打ち際に行き、海水で大漁旗や船名旗を清める。波打ち際に向かう海女たち。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4797 | 和具大島祭11-6 | 海から上がった海女は、新しい白い磯着に着替えた後、朝大島の磯で獲ったアワビやサザエ、海藻類を神前に供える。参拝する前に、ノリアイの船ごとに波打ち際に行き、海水で大漁旗や船名旗を清める。海に向かって手を合わせる海女たち。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4798 | 和具大島祭11-7 | 大島の海岸の波打ち際で刺身を造り、車座になって直会をする漁師たち。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4799 | 和具大島祭11-8 | 海から上がった海女は、新しい白い磯着に着替えた後、朝大島の磯で獲ったアワビやサザエ、海藻類を神前に供える。参拝する前に、ノリアイの船ごとに波打ち際に行き、海水で大漁旗や船名旗を清める。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4800 | 和具大島祭11-9 | 海から上がった海女は、新しい白い磯着に着替えた後、朝大島の磯で獲ったアワビやサザエ、海藻類を神前に供える。参拝する前に、ノリアイの船ごとに波打ち際に行き、海水で大漁旗や船名旗を清める。海に向かって手を合わせる海女たち。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4801 | 和具大島祭11-10 | 海から上がった海女は、新しい白い磯着に着替えた後、朝大島の磯で獲ったアワビやサザエ、海藻類を神前に供える。参拝する前に、ノリアイの船ごとに波打ち際に行き、海水で大漁旗や船名旗を清める。海に向かって手を合わせる海女たち。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4802 | 和具大島祭11-11 | 海から上がった海女は、新しい白い磯着に着替えた後、朝大島の磯で獲ったアワビやサザエ、海藻類を神前に供える。参拝する前に、ノリアイの船ごとに波打ち際に行き、海水で大漁旗や船名旗を清める。清めた後大島神社に向かう海女たち。船名旗は「泉丸 志摩・和具漁港」と染め抜かれている。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4803 | 和具大島祭11-12 | 海から上がった海女は、新しい白い磯着に着替えた後、朝大島の磯で獲ったアワビやサザエ、海藻類を神前に供える。参拝する前に、ノリアイの船ごとに波打ち際に行き、海水で大漁旗や船名旗を清める。海に向かって手を合わせた後、立ち上がった海女たち。1人の海女はアラメを手にしている。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4804 | 和具大島祭11-13 | 海から上がった海女は、新しい白い磯着に着替えた後、朝大島の磯で獲ったアワビやサザエ、海藻類を神前に供える。参拝する前に、ノリアイの船ごとに波打ち際に行き、海水で大漁旗や船名旗を清める。清めた後大島神社に向かう海女たち。船名旗は「泉丸 志摩・和具漁港」と染め抜かれている。№4802と同じアングル。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4805 | 和具大島祭11-14 | 海から上がった海女は、新しい白い磯着に着替えた後、朝大島の磯で獲ったアワビやサザエ、海藻類を神前に供える。参拝する前に、ノリアイの船ごとに波打ち際に行き、海水で大漁旗や船名旗を清める。清めた後大島神社に向かう海女たち。船名旗は「泉丸 志摩・和具漁港」と染め抜かれている。№4802と同じアングル。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4806 | 和具大島祭12-1 | 大島神社の石段中ほどから大島神社の沖を見る。沖には大漁旗を掲げた多くの漁船が停泊している。№4745と同じアングル。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4807 | 和具大島祭12-2 | 和具漁港へ帰る途中、沖で漁船同士の潮かけが始まる。潮を掛け合うことにより、お互いに身を清め、海上安全を願うのである。ホースやバケツで潮をかける水着姿の少年たち。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4808 | 和具大島祭12-3 | 和具漁港へ帰る途中、沖で漁船同士の潮かけが始まる。潮を掛け合うことにより、お互いに身を清め、海上安全を願うのである。ホースやバケツで潮をかける水着姿の少年たち。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4809 | 和具大島祭12-4 | 和具漁港へ帰る途中、沖で漁船同士の潮かけが始まる。潮を掛け合うことにより、お互いに身を清め、海上安全を願うのである。1艘の船尾には「三重 和具 道丸」の船名が見える。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4810 | 和具大島祭12-5 | 和具漁港へ帰る途中、沖で漁船同士の潮かけが始まる。潮を掛け合うことにより、お互いに身を清め、海上安全を願うのである。ホースやバケツで潮をかける水着姿の少年たち。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4811 | 和具大島祭12-6 | 大島沖で漁船同士の潮かけの様子。※画像がブレている。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4812 | 和具大島祭12-7 | 和具漁港へ帰る途中、沖で漁船同士の潮かけが始まる。潮を掛け合うことにより、お互いに身を清め、海上安全を願うのである。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4813 | 和具大島祭12-8 | 和具漁港へ帰る途中、沖で漁船同士の潮かけが始まる。潮を掛け合うことにより、お互いに身を清め、海上安全を願うのである。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4814 | 和具大島祭12-9 | 和具漁港へ帰る途中、沖で漁船同士の潮かけが始まる。潮を掛け合うことにより、お互いに身を清め、海上安全を願うのである。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4815 | 和具大島祭12-10 | 和具漁港へ帰る途中、沖で漁船同士の潮かけが始まる。潮を掛け合うことにより、お互いに身を清め、海上安全を願うのである。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4816 | 和具大島祭12-11 | 和具漁港へ帰る途中、沖で漁船同士の潮かけが始まる。潮を掛け合うことにより、お互いに身を清め、海上安全を願うのである。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4817 | 和具大島祭12-12 | 和具漁港へ帰る途中、沖で漁船同士の潮かけが始まる。潮を掛け合うことにより、お互いに身を清め、海上安全を願うのである。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4818 | 和具大島祭12-13 | 和具漁港へ帰る途中、沖で漁船同士の潮かけが始まる。潮を掛け合うことにより、お互いに身を清め、海上安全を願うのである。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4819 | 和具大島祭12-14 | 和具漁港へ帰る途中、沖で漁船同士の潮かけが始まる。潮を掛け合うことにより、お互いに身を清め、海上安全を願うのである。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4820 | 和具大島祭12-15 | 和具漁港へ帰る途中、沖で漁船同士の潮かけが始まる。潮を掛け合うことにより、お互いに身を清め、海上安全を願うのである。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4821 | 和具大島祭12-16 | 和具漁港へ帰る途中、沖で漁船同士の潮かけが始まる。潮を掛け合うことにより、お互いに身を清め、海上安全を願うのである。4艘の漁船が近づいて潮を掛け合う様子。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4822 | 和具大島祭12-17 | 和具漁港へ帰る途中、沖で漁船同士の潮かけが始まる。潮を掛け合うことにより、お互いに身を清め、海上安全を願うのである。舳先では、2人の漁師が竿を持ってカツオ釣りの模擬を行っている。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4823 | 和具大島祭12-18 | 和具漁港へ帰る途中、沖で漁船同士の潮かけが始まる。潮を掛け合うことにより、お互いに身を清め、海上安全を願うのである。舳先では、2人の漁師が竿を持ってカツオ釣りの模擬を行っている。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4824 | 和具大島祭12-19 | 大島沖で漁船同士の潮かけの様子。※画像がブレている。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4825 | 和具大島祭12-20 | 和具漁港へ帰る途中、沖で漁船同士の潮かけが始まる。潮を掛け合うことにより、お互いに身を清め、海上安全を願うのである。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4826 | 和具大島祭13-1 | 和具漁港へ帰る途中、沖で漁船同士の潮かけが始まる。潮を掛け合うことにより、お互いに身を清め、海上安全を願うのである。舳先では、3人の漁師が竿を持ってカツオ釣りの模擬を行っている。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4827 | 和具大島祭13-2 | 大島の浜で、1人の海女を海に投げ入れようとする海女たち。この日だけは、無礼講である。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4828 | 和具大島祭13-3 | 海から上がった海女は、新しい白い磯着に着替えた後、朝大島の磯で獲ったアワビやサザエ、海藻類を神前に供える。参拝する前に、ノリアイの船ごとに波打ち際に行き、海水で大漁旗や船名旗を清める。海に向かって手を合わせた後、立ち上がった海女たち。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4829 | 和具大島祭13-4 | 和具漁港内で潮を掛け合う漁船。潮を掛け合うことにより、お互いに身を清め、海上安全を願うのである。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4830 | 和具大島祭13-5 | 和具漁港内で潮を掛け合う漁船。潮を掛け合うことにより、お互いに身を清め、海上安全を願うのである。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4831 | 和具大島祭1-1 | 大島神社の神事が終わり、帰港するため自分たちの船に向かって海岸を歩く海女や漁師、参拝者たち。波打ち際では水着姿の子どもたちが遊ぶ姿が見える。海岸には大漁旗を掲げた8艘の漁船が係留されている。スライド枠には「汐かけ 70」と記される。※退色が始まっている。 | 志摩市志摩町和具 | 1973.6.30 |
4832 | 和具大島祭1-2 | 大島神社の神事が終わり、帰港するため自分たちの船に向かって海岸を歩く海女や漁師、参拝者たち。波打ち際では水着姿の子どもたちが遊ぶ姿が見える。海岸には大漁旗を掲げた9艘の漁船が係留されている。遠景。手前に崩れた小屋の屋根が大きく写る。スライド枠には「71」と記される。※退色が始まっている。 | 志摩市志摩町和具 | 1973.6.30 |
4833 | 和具大島祭1-3 | 「祭」の文字とタイ、波の模様が染められた法被を着た男性とサラシを巻いて、白いパンツ姿の男性たちが大島の浜に座る。波打ち際を白い磯着姿の海女たちが歩いている。スライド枠には「72」と記される。※上部にカビがはえ、退色が始まっている。 | 志摩市志摩町和具 | 1973.6.30 |
4834 | 和具大島祭1-4 | 白地の船名旗を持ち、大島の海岸を歩く3人の海女。白い磯着姿である。海岸には大漁旗を掲げた漁船が3艘係留されている。スライド枠には「73」と記される。※上部にカビがはえ、退色が始まっている。 | 志摩市志摩町和具 | 1973.6.30 |
4835 | 和具大島祭1-5 | 大島神社の神事が終わるころ、神社の石段から餅が撒かれ、海岸は餅を拾う参拝者で賑わう。スライド枠には「74」と記される。※上部にカビがはえ、退色が始まっている。 | 志摩市志摩町和具 | 1973.6.30 |
4836 | 和具大島祭1-6 | 大島の海岸に係留された海女船。一艘のノリアイ船に多くの海女が乗船している。スライド枠には「76」と記される。※カビが点々とはえ、退色が始まっている。 | 志摩市志摩町和具 | 1973.6.30 |
4837 | 和具大島祭1-7 | 大島神社の神事が終わると潮かけが始まる。潮を掛け合うことにより、お互いに身を清め、海上安全を願うのである。大島の海岸に係留したノリアイ船の上で潮を掛け合う海女たち。スライド枠には「77」と記される。※カビが点々とはえ、退色が始まっている。 | 志摩市志摩町和具 | 1973.6.30 |
4838 | 和具大島祭1-8 | 大島神社の神事が終わると潮かけが始まる。潮を掛け合うことにより、お互いに身を清め、海上安全を願うのである。大島の海岸に係留したノリアイ船の上で潮を掛け合う海女たち。スライド枠には「78」と記される。※カビが点々とはえ、退色が始まっている。 | 志摩市志摩町和具 | 1973.6.30 |
4839 | 和具大島祭1-9 | 男性に抱えられ、海に投げ込まれる寸前の男性。この日だけは無礼講である。スライド枠には「81」と記される。※退色が始まっている。 | 志摩市志摩町和具 | 1973.6.30 |
4840 | 和具大島祭1-10 | 海に投げ込まれたのだろうか、泳ぐ男性。スライド枠には「84」と記される。※退色が始まり、カビが点々とはえている。 | 志摩市志摩町和具 | 1973.6.30 |
4841 | 和具大島祭1-11 | 「汐かけ祭 志摩町和具 6月30日」の白い文字。スライド枠には「上69」と記される。 | 志摩市志摩町和具 | 1973.6.30 |
4842 | 和具大島祭2-1 | 大島神社の神事が終わるころ、神社の石段から餅が撒かれ、海岸は餅を拾う参拝者で賑わう。スライド枠には「74」と記される。※上部にカビがはえ、退色が始まっている。 | 志摩市志摩町和具 | 1973.6.30 |
4843 | 和具大島祭2-2 | 大島神社の神事が終わるころ、神社の石段から餅が撒かれ、海岸は餅を拾う参拝者で賑わう。餅拾いに興じる人びと。※カビがはえ、退色が始まっている。 | 志摩市志摩町和具 | 1973.6.30 |
4844 | 和具大島祭2-3 | 大島神社の神事が終わるころ、神社の石段から餅が撒かれ、海岸は餅を拾う参拝者で賑わう。餅拾いに興じる人びと。※退色が始まっている。 | 志摩市志摩町和具 | 1973.6.30 |
4845 | 和具大島祭2-4 | 大島神社の神事が終わり、帰港するため自分たちの船に向かって海岸を歩く海女や漁師、参拝者たち。海岸には大漁旗を掲げた漁船やノリアイ船が係留されている。遠景。※退色が始まっている。 | 志摩市志摩町和具 | 1973.6.30 |
4846 | 和具大島祭2-5 | 大島の浅瀬で潮を掛け合う法被姿の男性たちとその様子を撮影するカメラマン。※退色が始まっている。 | 志摩市志摩町和具 | 1973.6.30 |
4847 | 和具大島祭2-6 | 大島の海岸を歩く1人の海女。白い磯着姿である。大漁旗を掲げた漁船やノリアイ船も写る。※退色が始まっている。 | 志摩市志摩町和具 | 1973.6.30 |
4848 | 和具大島祭2-7 | 大島神社の神事が終わり、帰港するため海岸に係留されているノリアイ船に乗り込んだ海女。※カビが点々とはえ、退色が始まっている。 | 志摩市志摩町和具 | 1973.6.30 |
4849 | 和具大島祭2-8 | 大島神社の神事が終わり、帰港するため海岸に係留されているノリアイ船に乗り込んだ海女。※カビが点々とはえ、退色が始まっている。 | 志摩市志摩町和具 | 1973.6.30 |
4850 | 和具大島祭2-9 | 大島神社の神事が終わり、帰港するため海岸に係留されているノリアイ船に乗り込んだ海女。その様子を撮影する2人のカメラマンの背中が大きく写る。※カビが点々とはえ、退色が始まっている。 | 志摩市志摩町和具 | 1973.6.30 |
4851 | 和具大島祭2-10 | 大島神社の神事が終わると潮かけが始まる。潮を掛け合うことにより、お互いに身を清め、海上安全を願うのである。大島の海岸に係留したノリアイ船の上で潮を掛け合う海女たち。。※カビが点々とはえ、退色が始まっている。 | 志摩市志摩町和具 | 1973.6.30 |
4852 | 和具大島祭2-11 | 和具漁港へ帰る途中、沖で漁船同士の潮かけが始まる。潮を掛け合うことにより、お互いに身を清め、海上安全を願うのである。※カビが点々とはえ、退色が始まっている。 | 志摩市志摩町和具 | 1973.6.30 |
4853 | 和具大島祭2-12 | 大島神社の神事が終わり、帰港するため海岸に係留されている漁船に乗り込もうとする女性。漁船は定員オーバーで左に大きく傾いている。※カビが点々とはえ、退色が始まっている。 | 志摩市志摩町和具 | 1973.6.30 |
4854 | 和具大島祭2-13 | 和具漁港へ帰る途中、沖で漁船同士の潮かけが始まる。潮を掛け合うことにより、お互いに身を清め、海上安全を願うのである。※カビが点々とはえ、退色が始まっている。 | 志摩市志摩町和具 | 1973.6.30 |
4855 | 和具大島祭2-14 | 和具漁港へ帰る途中、沖で漁船同士の潮かけが始まる。潮を掛け合うことにより、お互いに身を清め、海上安全を願うのである。※カビが点々とはえ、退色が始まっている。 | 志摩市志摩町和具 | 1973.6.30 |
4856 | 和具大島祭2-15 | 大島神社の神事が終わると潮かけが始まる。潮を掛け合うことにより、お互いに身を清め、海上安全を願うのである。大島の海岸に係留したノリアイ船の上で潮を掛け合う海女たち。※カビが点々とはえ、退色が始まっている。 | 志摩市志摩町和具 | 1973.6.30 |
4857 | 和具大島祭3-1 | 海から上がった海女は、新しい白い磯着に着替えた後、朝大島の磯で獲ったアワビやサザエ、海藻類を神前に供える。参拝する前に、ノリアイの船ごとに波打ち際に行き、海水で大漁旗や船名旗を清める。海に向かって手を合わせる海女たち。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4858 | 和具大島祭3-2 | 海から上がった海女は、新しい白い磯着に着替えた後、朝大島の磯で獲ったアワビやサザエ、海藻類を神前に供える。参拝する前に、ノリアイの船ごとに波打ち際に行き、海水で大漁旗や船名旗を清める。海に向かって手を合わせた後、大島神社に向かう海女たち。白地の船名旗には「長宝丸」と染め抜かれている。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4859 | 和具大島祭3-3 | 海から上がった海女は、新しい白い磯着に着替えた後、朝大島の磯で獲ったアワビやサザエ、海藻類を神前に供える。参拝する前に、ノリアイの船ごとに波打ち際に行き、海水で大漁旗や船名旗を清める。海に向かって手を合わせた後、大島神社に向かう海女たち。白地の船名旗には「長宝丸」と染め抜かれている。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4860 | 和具大島祭3-4 | 海から上がった海女は、新しい白い磯着に着替えた後、朝大島の磯で獲ったアワビやサザエ、海藻類を神前に供える。参拝する前に、ノリアイの船ごとに波打ち際に行き、海水で大漁旗や船名旗を清める。海に向かって手を合わせた後、大島神社に向かう海女たち。白地の船名旗には「長宝丸」と染め抜かれている。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4861 | 和具大島祭3-5 | 海から上がった海女は、新しい白い磯着に着替えた後、朝大島の磯で獲ったアワビやサザエ、海藻類を神前に供える。参拝する前に、ノリアイの船ごとに波打ち際に行き、海水で大漁旗や船名旗を清める。海に向かって手を合わせた後、大島神社に向かう海女たち。白地の船名旗には「長宝丸」と染め抜かれている。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4862 | 和具大島祭3-6 | 海から上がった海女は、新しい白い磯着に着替えた後、朝大島の磯で獲ったアワビやサザエ、海藻類を神前に供える。参拝する前に、ノリアイの船ごとに波打ち際に行き、海水で大漁旗や船名旗を清める。海に向かって手を合わせた後「長宝丸」と染め抜かれた船名旗を持った海女と神饌を持った海女に続いて、大島神社に向かう海女たち。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4863 | 和具大島祭3-7 | 海から上がった海女は、新しい白い磯着に着替えた後、朝大島の磯で獲ったアワビやサザエ、海藻類を神前に供える。参拝する前に、ノリアイの船ごとに波打ち際に行き、海水で大漁旗や船名旗を清める。海に向かって手を合わせた後「長宝丸」と染め抜かれた船名旗を持った海女と神饌を持った海女に続いて、大島神社に向かう海女たち。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4864 | 和具大島祭3-8 | 海から上がった海女は、新しい白い磯着に着替えた後、朝大島の磯で獲ったアワビやサザエ、海藻類を神前に供える。参拝する前に、ノリアイの船ごとに波打ち際に行き、海水で大漁旗や船名旗を清める。神饌を持った海女に続いて波打ち際に向かう海女たち。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4865 | 和具大島祭3-9 | 海から上がった海女は、新しい白い磯着に着替えた後、朝大島の磯で獲ったアワビやサザエ、海藻類を神前に供える。参拝する前に、ノリアイの船ごとに波打ち際に行き、海水で大漁旗や船名旗を清める。神饌を持った海女に続いて波打ち際に向かう海女たち。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4866 | 和具大島祭3-10 | 海から上がった海女は、新しい白い磯着に着替えた後、朝大島の磯で獲ったアワビやサザエ、海藻類を神前に供える。参拝する前に、ノリアイの船ごとに波打ち際に行き、海水で大漁旗や船名旗を清める。神饌を清めるために神饌を砂浜に置いた海女。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4867 | 和具大島祭3-11 | 海から上がった海女は、新しい白い磯着に着替えた後、朝大島の磯で獲ったアワビやサザエ、海藻類を神前に供える。参拝する前に、ノリアイの船ごとに波打ち際に行き、海水で大漁旗や船名旗を清める。神饌を清めた後、立ち上がった海女。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4868 | 和具大島祭3-12 | 海から上がった海女は、新しい白い磯着に着替えた後、朝大島の磯で獲ったアワビやサザエ、海藻類を神前に供える。参拝する前に、ノリアイの船ごとに波打ち際に行き、海水で大漁旗や船名旗を清める。海に向かって手を合わせた後、船名旗を持った海女と神饌を持った海女に続いて、大島神社に向かう海女たち。浅瀬で遊ぶ子どもたちが写る。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4869 | 和具大島祭3-13 | 海から上がった海女は、新しい白い磯着に着替えた後、朝大島の磯で獲ったアワビやサザエ、海藻類を神前に供える。参拝する前に、ノリアイの船ごとに波打ち際に行き、海水で大漁旗や船名旗を清める。海に向かって手を合わせた後、船名旗を持った海女と神饌を持った海女に続いて、大島神社に向かう海女たち。浅瀬で遊ぶ子どもたちが写る。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4870 | 和具大島祭3-14 | 海から上がった海女は、新しい白い磯着に着替えた後、朝大島の磯で獲ったアワビやサザエ、海藻類を神前に供える。参拝する前に、ノリアイの船ごとに波打ち際に行き、海水で大漁旗や船名旗を清める。海に向かって手を合わせた後、船名旗を持った海女と神饌を持った海女に続いて、大島神社に向かう海女たち。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4871 | 和具大島祭3-15 | 海から上がった海女は、新しい白い磯着に着替えた後、朝大島の磯で獲ったアワビやサザエ、海藻類を神前に供える。参拝する前に、ノリアイの船ごとに波打ち際に行き、海水で大漁旗や船名旗を清める。海に向かって手を合わせた後、船名旗を持った海女と神饌を持った海女に続いて、大島神社に向かう海女たち。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4872 | 和具大島祭3-16 | 海から上がった海女は、新しい白い磯着に着替えた後、朝大島の磯で獲ったアワビやサザエ、海藻類を神前に供える。参拝する前に、ノリアイの船ごとに波打ち際に行き、海水で大漁旗や船名旗を清める。海に向かって手を合わせた後、船名旗を持った海女と神饌を持った海女に続いて、大島神社に向かう海女たち。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4873 | 和具大島祭4-1 | 大島に群生するハマユウ。画像の上部に小さく、祭りで賑わう大島の海岸が写る。スライド枠には「志摩 和具大島 ハマユウ群落」と記される。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4874 | 和具大島祭4-2 | 和具の港内で潮を掛け合う。漁船の艫では数人の漁師によるカツオ釣りの模擬が行われている。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4875 | 和具大島祭4-3 | 和具の港内で潮を掛け合う。漁船の艫では数人の漁師によるカツオ釣りの模擬が行われている。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4876 | 和具大島祭4-4 | 和具の港内で潮を掛け合う。漁船の艫では数人の漁師によるカツオ釣りの模擬が行われている。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4877 | 和具大島祭4-5 | 和具の港内で潮を掛け合う。漁船の艫では数人の漁師によるカツオ釣りの模擬が行われている。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4878 | 和具大島祭4-6 | 和具の港内で至近距離でホースで潮を掛け合う2艘の漁船。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4879 | 和具大島祭4-7 | 和具の港内で至近距離でホースで潮を掛け合う艘の漁船。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4880 | 和具大島祭4-8 | アジサイの花、アップ。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4881 | 和具大島祭4-9 | 和具漁港に係留された大型漁船に乗り込み、酒盛りをする参加者たち。祭の法被を着た男性、普段着の女性、ビールを片手に談笑する男性が写る。市場も大勢の見学者で賑わい、「奉納 八大龍王 片原和直」の幟を立てた漁船も写る。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4882 | 和具大島祭4-10 | 和具漁港に係留された漁船に乗り込み、酒盛りをする青年たち。祭の法被を着た青年に混じり女性の姿も見える。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4883 | 和具大島祭4-11 | 和具漁港に係留された漁船に乗り込み、酒盛りをする青年たち。祭の法被を着た青年に混じり女性の姿も見える。№4882と同じ船である。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4884 | 和具大島祭4-12 | 和具漁港に係留された大型漁船に乗り込み、酒盛りをする参加者たち。祭の法被を着た男性、普段着の女性、ビールを片手に談笑する男性が写る。市場も大勢の見学者で賑わい、「奉納 八大龍王 片原和直」の幟を立てた漁船も写る。№4881と同じ船である。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4885 | 和具大島祭4-13 | 和具漁港に係留された漁船に乗り込み、酒盛りをする青年たち。祭の法被を着た青年に混じり女性の姿も見える。№4882と同じ船である。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4886 | 和具大島祭4-14 | 和具漁港に係留された漁船に乗り込み、酒盛りをする青年たち。祭の法被を着た青年に混じり女性の姿も見える。中学生と思われる少年たちも乗り込む。№4882と同じ船である。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4887 | 和具大島祭4-15 | 和具漁港に係留された大型漁船に乗り込み、酒盛りをする参加者たち。祭の法被を着た男性、普段着の女性、ビールを片手に談笑する男性が写る。市場も大勢の見学者で賑わい、「奉納 八大龍王 片原和直」の幟を立てた漁船も写る。№4881と同じ船である。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4888 | 和具大島祭4-16 | 和具の八雲神社から白装束の総代たちに担がれて到着した「市杵島姫命」のご神体が、万度船に乗せられる様子を見守る大勢の人びと。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4889 | 和具大島祭4-17 | 和具の八雲神社から白装束の総代たちに担がれて到着した「市杵島姫命」のご神体が、万度船に乗せられる様子を見守る大勢の人びと。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4890 | 和具大島祭4-18 | 和具の八雲神社から白装束の総代たちに担がれて到着した「市杵島姫命」のご神体が、万度船に乗せられる様子を見守る大勢の人びと。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4891 | 和具大島祭4-19 | 和具漁港に係留された漁船に乗り込み、酒盛りをする青年たち。祭の法被を着た青年に混じり女性の姿も見える。№4882と同じ船である。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4892 | 和具大島祭5-1 | 「市杵島姫命」のご神体を乗せた万度船を先頭に、約2キロ先の大島に向けて出港した漁船。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4893 | 和具大島祭5-2 | 「市杵島姫命」のご神体を乗せた万度船を先頭に、約2キロ先の大島に向けて出港した漁船。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4894 | 和具大島祭5-3 | 「市杵島姫命」のご神体を乗せた万度船を先頭に、約2キロ先の大島に向けて出港した漁船。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4895 | 和具大島祭5-4 | 「市杵島姫命」のご神体を乗せた万度船を先頭に、約2キロ先の大島に向けて出港した漁船。大島が小さく見えてきた。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4896 | 和具大島祭5-5 | 海から上がった海女は、新しい白い磯着に着替えた後、朝大島の磯で獲ったアワビやサザエ、海藻類を神前に供える。参拝する前に、ノリアイの船ごとに集まり順番を待つ海女たち。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4897 | 和具大島祭5-6 | 海から上がった海女は、新しい白い磯着に着替えた後、朝大島の磯で獲ったアワビやサザエ、海藻類を神前に供える。参拝する前に、ノリアイの船ごとに集まり順番を待つ海女たち。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4898 | 和具大島祭5-7 | 海から上がった海女は、新しい白い磯着に着替えた後、朝大島の磯で獲ったアワビやサザエ、海藻類を神前に供える。参拝する前に、ノリアイの船ごとに集まり順番を待つ海女たち。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4899 | 和具大島祭5-8 | 朝から大島の周りで潜っていた海女たちは、万度船の到着に合わせて、海から上がる。漁を終え、船の到着を待つ海女たち。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4900 | 和具大島祭5-9 | 大島神社の神事が終わると潮かけが始まる。潮を掛け合うことにより、お互いに身を清め、海上安全を願うのである。漁船に乗り込むため、接岸されるのを待つ参加者たち。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4901 | 和具大島祭5-10 | 大島神社の神事が終わると潮かけが始まる。潮を掛け合うことにより、お互いに身を清め、海上安全を願うのである。潮を掛け合う大型漁船「幸久丸」と「理恵丸」 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4902 | 和具大島祭5-11 | 大島神社の神事が終わると潮かけが始まる。潮を掛け合うことにより、お互いに身を清め、海上安全を願うのである。「〇恵丸」が大きく写る。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4903 | 和具大島祭5-12 | 大島神社の神事が終わると潮かけが始まる。潮を掛け合うことにより、お互いに身を清め、海上安全を願うのである。船に備え付けられたホースで、あるいは至近距離からバケツで潮を掛け合う「幸久丸」と「〇恵丸」、激しい攻防は和具漁港に着くまで続けられる。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4904 | 和具大島祭5-13 | 大島神社の神事が終わると潮かけが始まる。潮を掛け合うことにより、お互いに身を清め、海上安全を願うのである。船に備え付けられたホースで、あるいは至近距離からバケツで潮を掛け合う「幸久丸」と「〇恵丸」、激しい攻防は和具漁港に着くまで続けられる。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4905 | 和具大島祭5-14 | 大島神社の神事が終わると潮かけが始まる。潮を掛け合うことにより、お互いに身を清め、海上安全を願うのである。船に備え付けられたホースで、あるいは至近距離からバケツで潮を掛け合う。和具漁港内でも激しい攻防が繰り広げられる。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4906 | 和具大島祭5-15 | 大島神社の神事が終わると潮かけが始まる。潮を掛け合うことにより、お互いに身を清め、海上安全を願うのである。船に備え付けられたホースで、あるいは至近距離からバケツで潮を掛け合う。激しい攻防は和具漁港に着くまで続けられる。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4907 | 和具大島祭5-16 | 大島神社の神事が終わると潮かけが始まる。潮を掛け合うことにより、お互いに身を清め、海上安全を願うのである。船に備え付けられたホースで、あるいは至近距離からバケツで潮を掛ける「大山丸」。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4908 | 和具大島祭5-17 | 大島神社の神事が終わると潮かけが始まる。潮を掛け合うことにより、お互いに身を清め、海上安全を願うのである。船に備え付けられたホースで、あるいは至近距離からバケツで潮を掛け合う。激しい攻防は和具漁港に着くまで続けられる。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4909 | 和具大島祭6-1 | 大島神社の神事が終わると潮かけが始まる。潮を掛け合うことにより、お互いに身を清め、海上安全を願うのである。船に備え付けられたホースで、あるいは至近距離からバケツで潮を掛け合う。激しい攻防は和具漁港に着くまで続けられる。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4910 | 和具大島祭6-2 | 大島神社の神事が終わると潮かけが始まる。潮を掛け合うことにより、お互いに身を清め、海上安全を願うのである。船に備え付けられたホースで、あるいは至近距離からバケツで潮を掛け合う。激しい攻防は和具漁港に着くまで続けられる。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4911 | 和具大島祭6-3 | 大島神社での神事を終えて帰港する、「市杵島姫命」のご神体を乗せた万度船「笹山丸」。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4912 | 和具大島祭6-4 | 大島神社での神事を終えて帰港する、「市杵島姫命」のご神体を乗せた万度船「笹山丸」。万度船に最初に潮を掛けた船は大漁するという言い伝えがあるため、多くの漁船に囲まれる。舳先で太鼓をたたく男性にも容赦なく潮が掛けられる。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4913 | 和具大島祭6-5 | 大島神社での神事を終えて帰港する、「市杵島姫命」のご神体を乗せた万度船「笹山丸」。万度船に最初に潮を掛けた船は大漁するという言い伝えがあるため、多くの漁船に囲まれる。舳先で太鼓をたたく男性にも容赦なく潮が掛けられ、万度船備え付けのホースで反撃する男性。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4914 | 和具大島祭6-6 | 大島神社での神事を終えて帰港する、「市杵島姫命」のご神体を乗せた万度船「笹山丸」。万度船に最初に潮を掛けた船は大漁するという言い伝えがあるため、多くの漁船に囲まれる。舳先で太鼓をたたく男性にも容赦なく潮が掛けられ、万度船備え付けのホースで反撃する男性。攻防は次第に激しくなる。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4915 | 和具大島祭6-7 | 大島神社での神事を終えて帰港する、「市杵島姫命」のご神体を乗せた万度船「笹山丸」。万度船に最初に潮を掛けた船は大漁するという言い伝えがあるため、多くの漁船に囲まれる。攻防は次第に激しくなる。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4916 | 和具大島祭6-8 | 大島神社での神事を終えて帰港する、「市杵島姫命」のご神体を乗せた万度船「笹山丸」。万度船に最初に潮を掛けた船は大漁するという言い伝えがあるため、多くの漁船に囲まれる。攻防は次第に激しくなる。万度船の艫の様子。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4917 | 和具大島祭6-9 | 大島神社の神事が終わると潮かけが始まる。潮を掛け合うことにより、お互いに身を清め、海上安全を願うのである。船に備え付けられたホースで、あるいは至近距離からバケツで潮を掛け合う。激しい攻防は和具漁港に着くまで続けられる。舳先では、カツオ釣りの模擬が行われている。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4918 | 和具大島祭6-10 | 大島神社の神事が終わると潮かけが始まる。潮を掛け合うことにより、お互いに身を清め、海上安全を願うのである。船に備え付けられたホースで、あるいは至近距離からバケツで潮を掛け合う。激しい攻防は和具漁港に着くまで続けられる。7艘ほどの漁船が写る。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4919 | 和具大島祭6-11 | 大島神社の神事が終わると潮かけが始まる。潮を掛け合うことにより、お互いに身を清め、海上安全を願うのである。船に備え付けられたホースで、あるいは至近距離からバケツで潮を掛け合う。激しい攻防は和具漁港に着くまで続けられる。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4920 | 和具大島祭6-12 | 大島神社の神事が終わると潮かけが始まる。潮を掛け合うことにより、お互いに身を清め、海上安全を願うのである。船に備え付けられたホースで、あるいは至近距離からバケツで潮を掛け合う。激しい攻防は和具漁港に着くまで続けられる。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4921 | 和具大島祭7-1 | 和具漁港に係留された大型漁船に乗り込み、酒盛りをする参加者たち。祭の法被を着た男性、普段着の女性、ビールを片手に談笑する男性が写る。№4881と同じ船である。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4922 | 和具大島祭7-2 | 和具漁港に係留された大型漁船に乗り込み、酒盛りをする参加者たち。祭の法被を着た男性、普段着の女性、子どもが写る。№4881と同じ船である。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4923 | 和具大島祭7-3 | 和具漁港に係留された大型漁船に乗り込み、酒盛りをする参加者たち。祭の法被を着た男性、普段着の女性、子どもが写る。№4881と同じ船である。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4924 | 和具大島祭7-4 | 和具漁港に係留された大型漁船に乗り込み、酒盛りをする参加者たち。祭の法被を着た男性、普段着の女性、子どもが写る。№4881と同じ船である。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4925 | 和具大島祭7-5 | 離岸する漁船。いよいよ大島に向けて出発する。市場は大勢の見送る人びとで賑わう。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4926 | 和具大島祭7-6 | それぞれの漁船に大勢の参加者が乗り込み、出港を待つ和具漁港内の様子。「俊丸」の船名が大きく見える。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4927 | 和具大島祭7-7 | それぞれの漁船に大勢の参加者が乗り込み、出港を待つ和具漁港内の様子。「俊丸」「明星」の船名が大きく見える。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4928 | 和具大島祭7-8 | それぞれの漁船に大勢の参加者が乗り込み、出港を待つ和具漁港内の様子。「俊丸」「明星」の文字が小さくなる。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4929 | 和具大島祭7-9 | 大島神社の神前で祝詞を奏上する神主。背後から撮影。多くの参拝者も写る。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4930 | 和具大島祭7-10 | 大島神社の神前で祝詞を奏上する神主。前方から撮影。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4931 | 和具大島祭7-11 | 大島神社の神前で祝詞を奏上する神主。前方から撮影。№4930と同じアングル。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4932 | 和具大島祭7-12 | 大島神社の神前で祝詞を奏上する神主。前方から撮影。背後に多くの参拝者も写る。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4933 | 和具大島祭7-13 | 大島神社の神前で祝詞を奏上する神主。前方から撮影。背後に多くの参拝者も写る。№4932と同じアングル。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4934 | 和具大島祭7-14 | 大島神社の神前で祝詞を奏上する神主。前方から撮影。背後に多くの参拝者も写る。№4932と同じアングル。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4935 | 和具大島祭7-15 | 大島神社の神前に献饌する神主。背後から撮影。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4936 | 和具大島祭7-16 | 大島神社の神前に献饌する神主。背後から撮影。№4935と同じアングル。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4937 | 和具大島祭7-17 | 大島神社の神前に献饌する神主。背後から撮影。№4935と同じアングル。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4938 | 和具大島祭7-18 | 大島神社の神前に献饌する神主。背後から撮影。№4935と同じアングル。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4939 | 和具大島祭8-1 | 大島神社の神前に座り、榊に紙垂(しで)を付けた玉串を持った神主の横で、朝大島の周辺で獲った海の幸を奉納する2人の海女。後ろ姿。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4940 | 和具大島祭8-2 | その後神主は、玉串奉典のため立ち上がる。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4941 | 和具大島祭8-3 | その後神主は、玉串奉典のため立ち上がる。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4942 | 和具大島祭8-4 | 神主、玉串奉典。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4943 | 和具大島祭8-5 | 法被を着た男性が玉串を奉典する。後ろ姿。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4944 | 和具大島祭8-6 | 法被を着た男性が玉串を奉典する。後ろ姿。№4943と同じ男性。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4945 | 和具大島祭8-7 | 法被を着た男性が玉串を奉典する。後ろ姿。№4943と同じ男性。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4946 | 和具大島祭8-8 | 法被を着た男性が玉串を奉典する。前方から撮影。№4944と同じ男性。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4947 | 和具大島祭8-9 | 法被を着た男性が玉串奉典後立ち上がろうとする。前方から撮影。神前にはアワビや魚など多くの海の幸が奉納されている。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4948 | 和具大島祭8-10 | 法被を着た男性が玉串奉典後立ち上がろうとする。前方から撮影。神前にはアワビや魚など多くの海の幸が奉納されている。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4949 | 和具大島祭8-11 | 法被を着た男性が玉串を奉典する。前方から撮影。神前にはアワビや魚など多くの海の幸が奉納されている。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4950 | 和具大島祭8-12 | 法被を着た男性が玉串を奉典する。前方から撮影。神前にはアワビや魚など多くの海の幸が奉納されている。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4951 | 和具大島祭8-13 | 献饌後、境内に敷かれた敷物に座る、2人の海女(№4939)。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4952 | 和具大島祭8-14 | 献饌後、境内に敷かれた敷物に座る、2人の海女(№4939)。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4953 | 和具大島祭8-15 | 献饌後、境内に敷かれた敷物に座る、2人の海女(№4939)。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4954 | 和具大島祭8-16 | 海から上がった海女は、新しい白い磯着に着替えた後、朝大島の磯で獲ったアワビやサザエ、海藻類を神前に供える。参拝する前に、ノリアイの船ごとに波打ち際に行き、海水で大漁旗や船名旗を清める。海に向かって手を合わせた後、船名旗を持った海女と神饌を持った海女に続いて、大島神社に向かう海女たち。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4955 | 和具大島祭8-17 | 海から上がった海女は、新しい白い磯着に着替えた後、朝大島の磯で獲ったアワビやサザエ、海藻類を神前に供える。参拝する前に、ノリアイの船ごとに波打ち際に行き、海水で大漁旗や船名旗を清める。海に向かって手を合わせた後、船名旗を持った海女と神饌を持った海女に続いて、大島神社に向かう海女たち。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4956 | 和具大島祭9-1 | 大島神社の神前に海の幸(サザエ)と洗米をお供えする2人の海女。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4957 | 和具大島祭9-2 | 大島神社の神前に海の幸(サザエ)と洗米をお供えする2人の海女。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4958 | 和具大島祭9-3 | 大島神社の神前に海の幸(サザエ)と洗米をお供えする2人の海女。その後隣に座るトマエと思われる男性と言葉を交わす。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4959 | 和具大島祭9-4 | 境内でお神酒をいただく海女。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4960 | 和具大島祭9-5 | 大島神社での神事を終え、帰港するため海岸に集まった海女や祭の参加者。沖には和具漁港に向かう3艘の漁船が写る。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4961 | 和具大島祭9-6 | 海から上がった海女は、新しい白い磯着に着替えた後、朝大島の磯で獲ったアワビやサザエ、海藻類を神前に供える。船名旗を持った海女と神饌を持った海女に続いて、大島神社に向かう海女や祭の参加者たちで賑わう大島の海岸。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4962 | 和具大島祭9-7 | 海から上がった海女は、新しい白い磯着に着替えた後、朝大島の磯で獲ったアワビやサザエ、海藻類を神前に供える。船名旗を持った海女と神饌を持った海女に続いて、大島神社に向かう海女や祭の参加者たちで賑わう大島の海岸。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4963 | 和具大島祭9-8 | 大島の沖に停泊する、大漁旗を掲げた7艘の漁船。海女のノリアイ船も写る。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4964 | 和具大島祭9-9 | 大島の沖に停泊する、大漁旗を掲げた7艘の漁船。海女のノリアイ船も写る。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4965 | 和具大島祭9-10 | 海から上がった海女は、新しい白い磯着に着替えた後、朝大島の磯で獲ったアワビやサザエ、海藻類を神前に供える。参拝する前に、ノリアイの船ごとに集まり順番を待つ海女たち。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4966 | 和具大島祭9-11 | 海から上がった海女は、新しい白い磯着に着替えた後、朝大島の磯で獲ったアワビやサザエ、海藻類を神前に供える。参拝する前に、ノリアイの船ごとに集まり順番を待つ海女たち。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4967 | 和具大島祭9-12 | 海から上がった海女は、新しい白い磯着に着替えた後、朝大島の磯で獲ったアワビやサザエ、海藻類を神前に供える。参拝する前に、ノリアイの船ごとに集まり順番を待つ海女たち。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4968 | 和具大島祭9-13 | 海から上がった海女は、新しい白い磯着に着替えた後、朝大島の磯で獲ったアワビやサザエ、海藻類を神前に供える。参拝する前に、ノリアイの船ごとに集まり順番を待つ海女たち。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4969 | 和具大島祭10-1 | 神饌の魚を受け取る漁船の男性。「奉納 八大龍王 片原和直」の幟を立てている。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4970 | 和具大島祭10-2 | 神饌の魚を受け取る漁船の男性。「奉納 八大龍王 片原和直」の幟を立てている。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4971 | 和具大島祭10-3 | 和具漁港に係留された大型漁船に乗り込み、酒盛りをする参加者たち。祭の法被を着た男性、普段着の女性、ビールを片手に談笑する男性が写る。№4881と同じ船である。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4972 | 和具大島祭10-4 | 和具漁港に係留された大型漁船に乗り込み、酒盛りをする参加者たち。祭の法被を着た男性、普段着の女性、ビールを片手に談笑する男性が写る。№4881と同じ船である。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4973 | 和具大島祭10-5 | 和具漁港に係留された大型漁船に乗り込み、酒盛りをする参加者たち。祭の法被を着た男性、普段着の女性、ビールを片手に談笑する男性が写る。№4881と同じ船である。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4974 | 和具大島祭10-6 | 和具漁港に係留された大型漁船に乗り込み、酒盛りをする参加者たち。祭の法被を着た男性、普段着の女性、ビールを片手に談笑する男性が写る。№4881と同じ船である。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4975 | 和具大島祭10-7 | 和具漁港に係留された大型漁船に乗り込み、酒盛りをする参加者たち。祭の法被を着た男性、普段着の女性、ビールを片手に談笑する男性が写る。№4881と同じ船である。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4976 | 和具大島祭10-8 | 和具漁港に係留された大型漁船に乗り込み、酒盛りをする参加者たち。祭の法被を着た男性、普段着の女性、ビールを片手に談笑する男性が写る。№4881と同じ船である。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4977 | 和具大島祭10-9 | №4881の漁船が出港するため、ロープをほどく男性。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4978 | 和具大島祭10-10 | 大島神社の神事が終わると潮かけが始まる。潮を掛け合うことにより、お互いに身を清め、海上安全を願うのである。船に備え付けられたホースで、あるいは至近距離からバケツで潮を掛け合う。激しい攻防は和具漁港に着くまで続けられる。船名「善丸」の文字が見える。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4979 | 和具大島祭10-11 | 大島神社の神事が終わると潮かけが始まる。潮を掛け合うことにより、お互いに身を清め、海上安全を願うのである。船に備え付けられたホースで、あるいは至近距離からバケツで潮を掛け合う。激しい攻防は和具漁港に着くまで続けられる。船名「善丸」の文字が見える。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4980 | 和具大島祭10-12 | 大島神社の神事が終わると潮かけが始まる。潮を掛け合うことにより、お互いに身を清め、海上安全を願うのである。船に備え付けられたホースで、あるいは至近距離からバケツで潮を掛け合う。激しい攻防は和具漁港に着くまで続けられる。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4981 | 和具大島祭10-13 | 大島神社の神事が終わると潮かけが始まる。潮を掛け合うことにより、お互いに身を清め、海上安全を願うのである。船に備え付けられたホースで、あるいは至近距離からバケツで潮を掛け合う。激しい攻防は和具漁港に着くまで続けられる。船名「第三十八大栄丸」の文字が見える。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4982 | 和具大島祭10-14 | 大島神社の神事が終わると潮かけが始まる。潮を掛け合うことにより、お互いに身を清め、海上安全を願うのである。船に備え付けられたホースで、あるいは至近距離からバケツで潮を掛け合う。激しい攻防は和具漁港に着くまで続けられる。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4983 | 和具大島祭10-15 | 大島神社の神事が終わると潮かけが始まる。潮を掛け合うことにより、お互いに身を清め、海上安全を願うのである。船に備え付けられたホースで、あるいは至近距離からバケツで潮を掛け合う。激しい攻防は和具漁港に着くまで続けられる。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4984 | 和具大島祭11-1 | 海から上がった海女は、新しい白い磯着に着替えた後、朝大島の磯で獲ったアワビやサザエ、海藻類を神前に供える。船名旗を持った海女と神饌を持った海女を先頭に、大島神社に向かう。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4985 | 和具大島祭11-2 | 海から上がった海女は、新しい白い磯着に着替えた後、朝大島の磯で獲ったアワビやサザエ、海藻類を神前に供える。船名旗を持った海女と神饌を持った海女を先頭に、大島神社に向かう。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4986 | 和具大島祭11-3 | 海から上がった海女は、新しい白い磯着に着替えた後、朝大島の磯で獲ったアワビやサザエ、海藻類を神前に供える。参拝する前に、ノリアイの船ごとに集まり順番を待つ海女たち。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4987 | 和具大島祭11-4 | 海から上がった海女は、新しい白い磯着に着替えた後、朝大島の磯で獲ったアワビやサザエ、海藻類を神前に供える。参拝する前に、ノリアイの船ごとに集まり順番を待つ海女たち。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4988 | 和具大島祭11-5 | 海から上がった海女は、新しい白い磯着に着替えた後、朝大島の磯で獲ったアワビやサザエ、海藻類を神前に供える。参拝する前に、ノリアイの船ごとに集まり順番を待つ海女たち。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4989 | 和具大島祭11-6 | 海から上がった海女は、新しい白い磯着に着替えた後、朝大島の磯で獲ったアワビやサザエ、海藻類を神前に供える。参拝する前に、ノリアイの船ごとに集まり順番を待つ海女たち。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4990 | 和具大島祭11-7 | 大島での神事を終えて帰港するため、ノリアイ船に乗り込む海女たち。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4991 | 和具大島祭11-8 | 大島での神事を終えて帰港するため、ノリアイ船に乗り込む海女たち。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4992 | 和具大島祭11-9 | 大島での神事を終えて帰港するため、ノリアイ船に乗り込む海女たち。次第に岸から離れるノリアイ船。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4993 | 和具大島祭11-10 | 当日、和具漁港にはたくさんの大漁旗が飾られ、祭りを彩る。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4994 | 和具大島祭11-11 | 当日、和具漁港にはたくさんの大漁旗が飾られ、祭りを彩る。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4995 | 和具大島祭11-12 | 大漁旗を掲げ、大島への出港を待つ漁船と参加者たち。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4996 | 和具大島祭11-13 | 大漁旗を掲げ、大島への出港を待つ漁船をバックに笑顔の法被姿の若者たち。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4997 | 和具大島祭11-14 | 大漁旗を掲げ、大島への出港を待つ漁船と参加者たち。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4998 | 和具大島祭11-15 | 万度船に立てられた「八大龍王」の幟。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
4999 | 和具大島祭11-16 | 大漁旗を掲げ、大島への出港を待つ漁船をバックに笑顔の法被姿の若者たち。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
5000 | 和具大島祭11-17 | 大漁旗を掲げ、大島への出港を待つ漁船をバックに笑顔の法被姿の若者たち。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
5001 | 和具大島祭11-18 | 万度船に荷物を積み込む男性たち。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
5002 | 和具大島祭12-1 | 大勢の参加者が乗り込み、離岸する漁船。いよいよ大島に向けて出発する。(画像下部が白くぼやけている。) | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
5003 | 和具大島祭12-2 | 大勢の参加者が乗り込み、大島に向けて出港する漁船、「安市丸」と「勝丸」。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
5004 | 和具大島祭12-3 | 大島の沖に停泊し、大島神社の神事が終わるのを待つ多くの漁船。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
5005 | 和具大島祭12-4 | 大島の沖に停泊し、大島神社の神事が終わるのを待つ多くの漁船。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
5006 | 和具大島祭12-5 | 大島の沖に停泊し、大島神社の神事が終わるのを待つ多くの漁船。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
5007 | 和具大島祭12-6 | 大勢の参加者が乗り込み、大島に向かう大型漁船、1艘。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
5008 | 和具大島祭12-7 | 大勢の参加者が乗り込み、大島に向かう大型漁船、2艘。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
5009 | 和具大島祭12-8 | 大島の沖に停泊し、大島神社の神事が終わるのを待つ大型漁船とポンポン船。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
5010 | 和具大島祭12-9 | 大島の簡素な海女小屋、2棟。大島の磯で漁をする海女は、この小屋で休息する | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
5011 | 和具大島祭12-10 | 大漁旗を掲げ、大島への出港を待つ漁船と法被姿の若者たち。そのほか大勢の見物客も写る。(画像が不鮮明である。) | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
5012 | 和具大島祭12-11 | 大島の浜で、1人の参加者を海に投げ入れようとする男性たち。この日だけは、無礼講である。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
5013 | 和具大島祭12-12 | 大島の浜で、1人の女性を海に投げ入れようとする男性たち。この日だけは、無礼講である。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
5014 | 和具大島祭12-13 | 大島の磯での漁を終え、黄色のウエットスーツから白い磯着に着替える海女たち。岸近くには多くの漁船やノリアイ船が待機している。「清宝丸」「長宝丸」「正栄丸」などの船名旗が見える。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
5015 | 和具大島祭12-14 | 大島の磯での漁を終え、黄色のウエットスーツから白い磯着に着替える海女たち。岸近くには多くの漁船やノリアイ船が待機している。「清宝丸」「長宝丸」「正栄丸」などの船名旗が見える。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
5016 | 和具大島祭12-15 | 大島の磯での漁を終え、黄色のウエットスーツから白い磯着に着替える海女たち。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
5017 | 和具大島祭12-16 | 海から上がった海女は、新しい白い磯着に着替えた後、朝大島の磯で獲ったアワビやサザエ、海藻類を神前に供える。船名旗を持った海女と神饌を持った海女を先頭に、大島神社に向かう。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
5018 | 和具大島祭12-17 | 海から上がった海女は、新しい白い磯着に着替えた後、朝大島の磯で獲ったアワビやサザエ、海藻類を神前に供える。船名旗を持った海女と神饌を持った海女を先頭に、大島神社に向かう。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
5019 | 和具大島祭13-1 | 海から上がった海女は、新しい白い磯着に着替えた後、朝大島の磯で獲ったアワビやサザエ、海藻類を神前に供える。船名旗を持った海女と神饌を持った海女と共に、大島神社に向かう。岸近くで2人の子どもが泳いでいる。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
5020 | 和具大島祭13-2 | 海から上がった海女は、新しい白い磯着に着替えた後、朝大島の磯で獲ったアワビやサザエ、海藻類を神前に供える。船名旗を持った海女と神饌を持った海女、トマエも一緒に大島神社に向かう。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
5021 | 和具大島祭13-3 | 海から上がった海女は、新しい白い磯着に着替えた後、朝大島の磯で獲ったアワビやサザエ、海藻類を神前に供える。神饌を持った海女が大きく写る。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
5022 | 和具大島祭13-4 | 海から上がった海女は、新しい白い磯着に着替えた後、朝大島の磯で獲ったアワビやサザエ、海藻類を神前に供える。神饌を持った海女が大きく写る。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
5023 | 和具大島祭13-5 | 海から上がった海女は、新しい白い磯着に着替えた後、朝大島の磯で獲ったアワビやサザエ、海藻類を神前に供える。大島神社に向かう海女たち。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
5024 | 和具大島祭13-6 | 海から上がった海女は、新しい白い磯着に着替えた後、朝大島の磯で獲ったアワビやサザエ、海藻類を神前に供える。大島神社に向かう海女たち。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
5025 | 和具大島祭13-7 | 海から上がった海女は、新しい白い磯着に着替えた後、朝大島の磯で獲ったアワビやサザエ、海藻類を神前に供える。大島神社に向かう海女たち。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
5026 | 和具大島祭13-8 | 海から上がった海女は、新しい白い磯着に着替えた後、朝大島の磯で獲ったアワビやサザエ、海藻類を神前に供える。参拝する前に、ノリアイの船ごとに波打ち際に行き、海水で大漁旗や船名旗を清める。海に向かって手を合わせる海女たち。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
5027 | 和具大島祭13-9 | 海から上がった海女は、新しい白い磯着に着替えた後、朝大島の磯で獲ったアワビやサザエ、海藻類を神前に供える。参拝する前に、ノリアイの船ごとに波打ち際に行き、海水で大漁旗や船名旗を清める。海に向かって手を合わせた後、大島神社に向かう海女たち。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
5028 | 和具大島祭13-10 | 大島神社の神事が終わると潮かけが始まる。潮を掛け合うことにより、お互いに身を清め、海上安全を願うのである。船に備え付けられたホースで、あるいは至近距離からバケツで潮を掛け合う。激しい攻防は和具漁港に着くまで続けられる。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
5029 | 和具大島祭13-11 | 海から上がった海女は、新しい白い磯着に着替えた後、朝大島の磯で獲ったアワビやサザエ、海藻類を神前に供える。参拝する前に、ノリアイの船ごとに集まり順番を待つ海女たち。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
5030 | 和具大島祭14-1 | 和具漁港に係留された万度船「海大丸」。「八大龍王」の幟を立てている。スライド枠には「1.7.3」の印が捺されている。 | 志摩市志摩町和具 | 1989.7.3 |
5031 | 和具大島祭14-2 | 和具漁港に係留された万度船「海大丸」。「八大龍王」の幟を立てている。スライド枠には「1.7.3」の印が捺されている。 | 志摩市志摩町和具 | 1989.7.3 |
5032 | 和具大島祭14-3 | 和具の市場に設えた祭壇に神饌を並べて神事の準備をする漁協役員。天候が悪く大島へ上陸できない時は、市場で神事が行われる。スライド枠には「1.7.3」の印が捺されている。 | 志摩市志摩町和具 | 1989.7.3 |
5033 | 和具大島祭14-4 | 和具の市場に設えた祭壇に神饌を並べて神事の準備をする漁協役員。天候が悪く大島へ上陸できない時は、市場で神事が行われる。スライド枠には「1.7.3」の印が捺されている。 | 志摩市志摩町和具 | 1989.7.3 |
5034 | 和具大島祭14-5 | 神饌が供えられ、神事の準備が整った。祭壇越しに和具漁港を見る。スライド枠には「1.7.3」の印が捺されている。 | 志摩市志摩町和具 | 1989.7.3 |
5035 | 和具大島祭14-6 | 「市杵島姫命」のご神体が入った「まんど」の箱。祭壇の横に安置されている。スライド枠には「1.7.3」の印が捺されている。 | 志摩市志摩町和具 | 1989.7.3 |
5036 | 和具大島祭14-7 | 神饌が供えられ、神事の準備が整った。祭壇越しに和具漁港内に係留された漁船を見る。スライド枠には「1.7.3」の印が捺されている。 | 志摩市志摩町和具 | 1989.7.3 |
5037 | 和具大島祭14-8 | 八雲神社の社務所内でお祓いをうける氏子総代や漁協役員。スライド枠には「1.7.3」の印が捺されている。 | 志摩市志摩町和具 | 1989.7.3 |
5038 | 和具大島祭14-9 | 和具漁港内の水産物荷さばき所にたくさんの大漁旗を飾り、祭りの雰囲気を盛り上げる。雨がやんだあとか、水たまりができている。スライド枠には「89.7.3」と記される。 | 志摩市志摩町和具 | 1989.7.3 |
5039 | 和具大島祭14-10 | 天候の悪化により市場で神事を行うため、本来ならば大島神社の鳥居の両脇に立てる「奉納八大龍王御祭禮」の幟4本が市場の入口に立てられている。スライド枠には「89.7.3」と記される。 | 志摩市志摩町和具 | 1989.7.3 |
5040 | 和具大島祭15-1 | 「八大龍王」と刻まれた常夜灯。八雲神社境内。(スライドに直接「89.7.3」と書かれているため、画像にも文字が写ってしまっている。)スライド枠には「1.7.3」の印が捺されている。 | 志摩市志摩町和具 | 1989.7.3 |
5041 | 和具大島祭15-2 | 八雲神社の鳥居の下を歩く、祭りの関係者。透明の合羽を着用している。スライド枠には「1.7.3」の印が捺されている。 | 志摩市志摩町和具 | 1989.7.3 |
5042 | 和具大島祭15-3 | 和具漁港に係留された万度船「海大丸」。「八大龍王」の幟を立てている。スライド枠には「1.7.3」の印が捺されている。 | 志摩市志摩町和具 | 1989.7.3 |
5043 | 和具大島祭15-4 | 大島に向かう万度船「海大丸」。「八大龍王」の幟を立てている。スライド枠には「1.7.4」の印が捺されている。 | 志摩市志摩町和具 | 1989.7.3 |
5044 | 和具大島祭15-5 | 万度船「海大丸」の舳先に乗り、大島を見る漁協役員たち。スライド枠には「1.7.3」の印が捺されている。 | 志摩市志摩町和具 | 1989.7.3 |
5045 | 和具大島祭15-6 | 万度船「海大丸」の舳先に乗り、大島を見る漁協役員たち。スライド枠には「1.7.3」の印が捺されている。 | 志摩市志摩町和具 | 1989.7.3 |
5046 | 和具大島祭15-7 | 万度船「海大丸」の舳先に乗り、大島を見る漁協役員たち。スライド枠には「1.7.3」の印が捺されている。 | 志摩市志摩町和具 | 1989.7.3 |
5047 | 和具大島祭15-8 | 万度船「海大丸」の舳先に整列し、大島神社を遥拝する漁協役員たち。スライド枠には「1.7.3」の印が捺されている。 | 志摩市志摩町和具 | 1989.7.3 |
5048 | 和具大島祭15-9 | 海が荒れて大島に上陸できないため、和具漁港の市場に祭壇を設えて神事を行う、関係者たち。漁協役員と共に海女たちも敷き物の上に座り、お祓いを受ける。祭壇の前に進む宮司、竹内元一さん。(2020.1.28 聞き取り)スライド枠には「1.7.3」の印が捺されている。 | 志摩市志摩町和具 | 1989.7.3 |
5049 | 和具大島祭15-10 | 海が荒れて大島に上陸できないため、和具漁港の市場に祭壇を設えて神事を行う、関係者たち。漁協役員と共に海女たちも敷き物の上に座り、お祓いを受ける。祭壇の前に進む宮司、竹内元一さん。(2020.1.28 聞き取り)スライド枠には「1.7.3」の印が捺されている。 | 志摩市志摩町和具 | 1989.7.3 |
5050 | 和具大島祭15-11 | 海が荒れて大島に上陸できないため、和具漁港の市場に祭壇を設えて神事を行う、関係者たち。漁協役員と共に海女たちも敷き物の上に座り、お祓いを受ける。スライド枠には「1.7.3」の印が捺されている。 | 志摩市志摩町和具 | 1989.7.3 |
5051 | 和具大島祭15-12 | 海が荒れて大島に上陸できないため、和具漁港の市場に祭壇を設えて神事を行う、関係者たち。漁協役員と共に海女たちも敷き物の上に座り、お祓いを受ける。スライド枠には「1.7.3」の印が捺されている。 | 志摩市志摩町和具 | 1989.7.3 |
5052 | 和具大島祭15-13 | 海が荒れて大島に上陸できないため、和具漁港の市場に祭壇を設えて神事を行う、関係者たち。漁協役員と共に海女たちも敷き物の上に座り、お祓いを受ける。スライド枠には「1.7.3」の印が捺されている。 | 志摩市志摩町和具 | 1989.7.3 |
5053 | 和具大島祭15-14 | 神主の祝詞奏上。正面から撮影。スライド枠には「1.7.3」の印が捺されている。 | 志摩市志摩町和具 | 1989.7.3 |
5054 | 和具大島祭15-15 | 敷物の上に座った海女たち。海女の横には発泡スチロールに入れたサザエが置かれている。スライド枠には「1.7.3」の印が捺されている。 | 志摩市志摩町和具 | 1989.7.3 |
5055 | 和具大島祭15-16 | 神主の祝詞奏上。側面から撮影。スライド枠には「1.7.3」の印が捺されている。 | 志摩市志摩町和具 | 1989.7.3 |
5056 | 和具大島祭15-17 | 青年団が作った船形の神輿、海神丸。和具の村中を担いで回り、祭りを盛り立てる。スライド枠には「1.7.3」の印が捺されている。 | 志摩市志摩町和具 | 1989.7.3 |
5057 | 和具大島祭15-18 | 神主の祝詞奏上。側面から撮影。スライド枠には「1.7.3」の印が捺されている。 | 志摩市志摩町和具 | 1989.7.3 |
5058 | 和具大島祭15-19 | 海が荒れて大島に上陸できないため、和具漁港の市場に祭壇を設えて神事を行う、関係者たち。漁協役員と共に海女たちも敷き物の上に座り、お祓いを受ける。スライド枠には「1.7.3」の印が捺されている。 | 志摩市志摩町和具 | 1989.7.3 |
5059 | 和具大島祭1-1 | 大島神社へ続く石段から浜を見る。多くの漁船が神事が終わり、潮かけが始まる時を待つ。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
5060 | 和具大島祭1-2 | 大島に群生するハマユウ。画像の上部に小さく、祭りで賑わう大島の海岸が写る。スライド枠には「志摩 和具大島 ハマユウ群落」と記される。№4873と同じ。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
5061 | 和具大島祭1-3 | 和具漁港に係留された漁船に乗り込み、酒盛りをする青年たち。祭の法被を着た青年に混じり女性の姿も見える。№4882と同じ船である。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
5062 | 和具大島祭1-4 | 和具漁港に係留された漁船に乗り込み、酒盛りをする青年たち。祭の法被を着た青年に混じり女性の姿も見える。№4882と同じ船である。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
5063 | 和具大島祭1-5 | 大島に着船後、万度船からご神体を下ろし大島神社へ向かう神官と八雲神社の総代たち。白装束に麦わら帽子を被っている。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
5064 | 和具大島祭1-6 | 大島沖に停泊し、神事の終了を待つ多くの漁船。船上には神輿も見える。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
5065 | 和具大島祭1-7 | 大島に向かう漁船。正面から撮影。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
5066 | 和具大島祭1-8 | 船名旗を持って大島神社へ向かう海女たち。神社の石段の下では多くの人々が集う。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
5067 | 和具大島祭1-9 | 海から上がった海女は、新しい白い磯着に着替えた後、朝大島の磯で獲ったアワビやサザエ、海藻類を神前に供える。船名旗と、神饌を持って大島神社へ向かう海女たち。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
5068 | 和具大島祭1-10 | 海から上がった海女は、新しい白い磯着に着替えた後、朝大島の磯で獲ったアワビやサザエ、海藻類を神前に供える。参拝する前に、ノリアイの船ごとに波打ち際に行き、海水で大漁旗や船名旗を清める。浜に座り海に向かって手を合わせる海女たち。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
5069 | 和具大島祭1-11 | 大島に向かう漁船。正面から撮影。№5065と同じ船。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
5070 | 和具大島祭1-12 | 小型ボートにも沢山の人が乗り込み、大島へ向かう。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
5071 | 和具大島祭1-13 | 海から上がった海女は、新しい白い磯着に着替えた後、朝大島の磯で獲ったアワビやサザエ、海藻類を神前に供える。参拝する前に、ノリアイの船ごとに波打ち際に行き、海水で大漁旗や船名旗を清める。浜に座り海に向かって手を合わせる海女たち。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
5072 | 和具大島祭2-1 | 大島神社の神事が終わると潮かけが始まる。潮を掛け合うことにより、お互いに身を清め、海上安全を願うのである。船に備え付けられたホースで、あるいは至近距離からバケツで潮を掛け合う。激しい攻防は和具漁港に着くまで続けられる。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
5073 | 和具大島祭2-2 | 潮をかけられ、全身ずぶ濡れの若い女性。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
5074 | 和具大島祭2-3 | 大島に向けて出港する漁船。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
5075 | 和具大島祭2-4 | 大島神社の神事が終わると潮かけが始まる。潮を掛け合うことにより、お互いに身を清め、海上安全を願うのである。船に備え付けられたホースで、あるいは至近距離からバケツで潮を掛け合う。激しい攻防は和具漁港の中でも行われる。漁船の舳先では、カツオ釣りの模擬が行われている。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
5076 | 和具大島祭2-5 | 大島神社の神事が終わると潮かけが始まる。潮を掛け合うことにより、お互いに身を清め、海上安全を願うのである。船に備え付けられたホースで、あるいは至近距離からバケツで潮を掛け合う。激しい攻防は和具漁港に着くまで続けられる。※上部にカビがはえている。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
5077 | 和具大島祭2-6 | 大島神社の神事が終わると潮かけが始まる。潮を掛け合うことにより、お互いに身を清め、海上安全を願うのである。船に備え付けられたホースで、あるいは至近距離からバケツで潮を掛け合う。激しい攻防は和具漁港の中でも行われる。漁船の舳先では、カツオ釣りの模擬が行われている。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
5078 | 和具大島祭2-7 | 大島神社での神事を終え、浜で迎えを待つ海女たち。沖に停泊していた漁船が和具漁港に向けて一斉に出発する。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
5079 | 和具大島祭2-8 | 朝から大島の周りで潜っていた海女たちは、万度船の到着に合わせて、海から上がる。漁を終え、岸に向かって泳ぐ海女たち。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
5080 | 和具大島祭2-9 | 大島神社の神事が終わると潮かけが始まる。潮を掛け合うことにより、お互いに身を清め、海上安全を願うのである。船に備え付けられたホースで、あるいは至近距離からバケツで潮を掛け合う。激しい攻防は和具漁港に着くまで続けられる。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
5081 | 和具大島祭3-1 | お神酒を持って大島の浜を歩く高齢の海女。アップ。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
5082 | 和具大島祭3-2 | 一升升にお神酒徳利と洗米を入れ、波打ち際に向かう笑顔の海女。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
5083 | 和具大島祭3-3 | 船名旗を持った笑顔の海女。アップ。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
5084 | 和具大島祭3-4 | 海から上がった海女は、新しい白い磯着に着替えた後、朝大島の磯で獲ったアワビやサザエ、海藻類を神前に供える。参拝する前に、ノリアイの船ごとに波打ち際に行き、海水で大漁旗や船名旗を清める。ノリアイ船ごとに移動する海女や浅瀬で泳ぐ子どもたち、見学者で賑わう大島の海岸。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
5085 | 和具大島祭3-5 | 大島の浜に座ったり、浅瀬で泳いだりと思い思いに神事の終了を待つ人びと。沖にも沢山の漁船が停泊し、潮かけが始まる時を待つ。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
5086 | 和具大島祭3-6 | トマエの男性と一緒にお供え用のアワビやサザエ、お神酒や洗米を手に大島神社への石段を上る笑顔の海女。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
5087 | 和具大島祭3-7 | 大島神社の神前に海の幸(サザエ)をお供えする海女。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
5088 | 和具大島祭3-8 | 大島神社の神前に海の幸(サザエ)をお供えする海女とトマエの男性。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
5089 | 和具大島祭3-9 | 法被を着た男性が玉串を奉典する。前方から撮影。神前にはアワビや魚など多くの海の幸が奉納されている。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
5090 | 和具大島祭3-10 | 大島神社の神前に海の幸(サザエ)をお供えした後玉串を奉典する海女。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
5091 | 和具大島祭3-11 | 大島神社の神前に海の幸(サザエ)と洗米をお供えする3人の海女。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
5092 | 和具大島祭3-12 | 大島神社の神事が終わると潮かけが始まる。潮を掛け合うことにより、お互いに身を清め、海上安全を願うのである。船に備え付けられたホースで、あるいは至近距離からバケツで潮を掛け合う。激しい攻防は和具漁港に着くまで続けられる。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
5093 | 和具大島祭3-13 | 和具漁港に集まった大勢の人々。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
5094 | 和具大島祭3-14 | 大島神社の神前に海の幸(サザエ)と洗米をお供えする4人の海女。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
5095 | 和具大島祭3-15 | 大島神社の神事が終わると潮かけが始まる。潮を掛け合うことにより、お互いに身を清め、海上安全を願うのである。船に備え付けられたホースで、あるいは至近距離からバケツで潮を掛け合う。激しい攻防は和具漁港に着くまで続けられる。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
5096 | 和具大島祭3-16 | 大島神社の神事が終わると潮かけが始まる。潮を掛け合うことにより、お互いに身を清め、海上安全を願うのである。船に備え付けられたホースで、あるいは至近距離からバケツで潮を掛け合う。激しい攻防は和具漁港の中でも続けられる。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
5097 | 和具大島祭4-1 | 大島に向かう前、漁船の中で語り合う若い男女2人。スライド枠には「川口祐二氏撮」と記される。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
5098 | 和具大島祭4-2 | 大島に向かう前、漁船の中で語り合う若い男女2人。「源吉丸」の船名が見える。スライド枠には「川口祐二氏撮」と記される。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
5099 | 和具大島祭4-3 | 和具漁港内で「彌代丸」に乗った子ども4人。スライド枠には「川口祐二氏撮」と記される。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
5100 | 和具大島祭4-4 | 大島神社の神事が終わると潮かけが始まる。潮を掛け合うことにより、お互いに身を清め、海上安全を願うのである。船に備え付けられたホースで、あるいは至近距離からバケツで潮を掛け合う。テトラポットの前で潮をかける漁船。スライド枠には「川口祐二氏撮」と記される。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
5101 | 和具大島祭4-5 | 大島神社の神事が終わると潮かけが始まる。潮を掛け合うことにより、お互いに身を清め、海上安全を願うのである。船に備え付けられたホースで、あるいは至近距離からバケツで潮を掛け合う。テトラポットの前で潮をかける漁船。スライド枠には「川口祐二氏撮」と記される。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
5102 | 和具大島祭4-6 | 大島神社の神事が終わると潮かけが始まる。潮を掛け合うことにより、お互いに身を清め、海上安全を願うのである。船に備え付けられたホースで、あるいは至近距離からバケツで潮を掛け合う。テトラポットの前で潮をかける漁船。スライド枠には「川口祐二氏撮」と記される。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
5103 | 和具大島祭4-7 | 大島神社の神事が終わると潮かけが始まる。潮を掛け合うことにより、お互いに身を清め、海上安全を願うのである。船に備え付けられたホースで、あるいは至近距離からバケツで潮を掛け合う。テトラポットの前で潮をかけあう2艘の漁船。スライド枠には「川口祐二氏撮」と記される。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
5104 | 和具大島祭4-8 | 大島神社の神事が終わると潮かけが始まる。潮を掛け合うことにより、お互いに身を清め、海上安全を願うのである。船に備え付けられたホースで、あるいは至近距離からバケツで潮を掛け合う。潮をかけあう2艘の漁船。スライド枠には「川口祐二氏撮」と記される。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
5105 | 和具大島祭4-9 | 大島神社の神事が終わると潮かけが始まる。潮を掛け合うことにより、お互いに身を清め、海上安全を願うのである。船に備え付けられたホースで、あるいは至近距離からバケツで潮を掛け合う。潮をかけあう2艘の漁船。スライド枠には「川口祐二氏撮」と記される。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
5106 | 和具大島祭4-10 | 大島神社の神事が終わると潮かけが始まる。潮を掛け合うことにより、お互いに身を清め、海上安全を願うのである。船に備え付けられたホースで、あるいは至近距離からバケツで潮を掛け合う。潮をかけあう2艘の漁船。スライド枠には「川口祐二氏撮」と記される。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
5107 | 和具大島祭4-11 | 大島神社の神事が終わると潮かけが始まる。潮を掛け合うことにより、お互いに身を清め、海上安全を願うのである。船に備え付けられたホースで、あるいは至近距離からバケツで潮を掛け合う。潮をかけあう3艘の漁船。スライド枠には「川口祐二氏撮」と記される。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
5108 | 和具大島祭4-12 | 大島神社の神事が終わると潮かけが始まる。潮を掛け合うことにより、お互いに身を清め、海上安全を願うのである。船に備え付けられたホースで、あるいは至近距離からバケツで潮を掛け合う。潮をかけあう3艘の漁船。スライド枠には「川口祐二氏撮」と記される。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
5109 | 和具大島祭4-13 | 大島神社の神事が終わると潮かけが始まる。潮を掛け合うことにより、お互いに身を清め、海上安全を願うのである。船に備え付けられたホースで、あるいは至近距離からバケツで潮を掛け合う。潮をかけあう3艘の漁船。スライド枠には「川口祐二氏撮」と記される。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
5110 | 和具大島祭4-14 | 大島神社の神事が終わると潮かけが始まる。潮を掛け合うことにより、お互いに身を清め、海上安全を願うのである。船に備え付けられたホースで、あるいは至近距離からバケツで潮を掛け合う。潮をかけあう3艘の漁船。スライド枠には「川口祐二氏撮」と記される。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
5111 | 和具大島祭4-15 | 大島神社の神事が終わると潮かけが始まる。潮を掛け合うことにより、お互いに身を清め、海上安全を願うのである。船に備え付けられたホースで、あるいは至近距離からバケツで潮を掛け合う。潮をかけあう3艘の漁船。スライド枠には「川口祐二氏撮」と記される。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
5112 | 和具大島祭4-16 | 大島神社の神事が終わると潮かけが始まる。潮を掛け合うことにより、お互いに身を清め、海上安全を願うのである。船に備え付けられたホースで、あるいは至近距離からバケツで潮を掛け合う。潮をかけあう3艘の漁船。スライド枠には「川口祐二氏撮」と記される。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
5113 | 和具大島祭4-17 | 大島神社の神事が終わると潮かけが始まる。潮を掛け合うことにより、お互いに身を清め、海上安全を願うのである。船に備え付けられたホースで、あるいは至近距離からバケツで潮を掛け合う。潮をかけあう3艘の漁船。スライド枠には「川口祐二氏撮」と記される。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
5114 | 和具大島祭4-18 | 波しぶきを上げ、大島に向かって進む「岩福丸」。大勢の人が乗り込んでいる。スライド枠には「川口祐二氏撮」と記される。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
5115 | 和具大島祭4-19 | 波しぶきを上げ、大島に向かって進む「岩福丸」。大勢の人が乗り込んでいる。スライド枠には「川口祐二氏撮」と記される。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
5116 | 和具大島祭4-20 | 大島沖に停泊した船上でバケツで潮をかけられる男性。スライド枠には「川口祐二氏撮」と記される。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
5117 | 和具大島祭5-1 | 海から上がった海女は、新しい白い磯着に着替る。大島の浜に白地の船名旗を立て、着替え中の海女たちの後ろ姿、遠景。浅瀬では子どもたちが磯遊びに興じる。スライド枠には「川口祐二氏撮」と記される。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
5118 | 和具大島祭5-2 | 海から上がった海女は、新しい白い磯着に着替る。大島の浜に白地の船名旗を立て、着替え中の海女たちの後ろ姿、遠景。浅瀬では子どもたちが磯遊びに興じる。スライド枠には「川口祐二氏撮」と記される。※画像の一部にカビがはえている。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
5119 | 和具大島祭5-3 | 大島に咲く花。スライド枠には「川口祐二氏撮」と記される。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
5120 | 和具大島祭5-4 | 海から上がった海女は、新しい白い磯着に着替る。大島の浜に白地の船名旗を立て、着替え中の海女たちの後ろ姿、遠景。浅瀬では子どもたちが磯遊びに興じるスライド枠には「川口祐二氏撮」と記される。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
5121 | 舟人(フネド)海女(混入)5-5 | スライド枠には「川口祐二氏撮」と記される。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
5122 | 和具大島祭5-6 | 「八大龍王」の幟、色鮮やかな大漁旗を掲げ、「市杵島姫命」のご神体を乗せて大島へ向かう万度船。スライド枠には「川口祐二氏撮」と記される。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
5123 | 和具大島祭5-7 | 「八大龍王」の幟、色鮮やかな大漁旗を掲げ、「市杵島姫命」のご神体を乗せて大島へ向かう万度船。「中村丸」の船名旗が見える。スライド枠には「川口祐二氏撮」と記される。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
5124 | 和具大島祭5-8 | 和具漁港の堤防では荒波太鼓保存会の演奏があり、祭りを盛り上げる。スライド枠には「川口祐二氏撮」と記される。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
5125 | 和具大島祭5-9 | 「八大龍王」の幟、色鮮やかな大漁旗を掲げ、「市杵島姫命」のご神体を乗せて大島へ向かう万度船「中村丸」。出港する様子。スライド枠には「川口祐二氏撮」と記される。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
5126 | 和具大島祭5-10 | 「八大龍王」の幟、色鮮やかな大漁旗を掲げ、「市杵島姫命」のご神体を乗せて大島へ向かう万度船「中村丸」。出港する様子。スライド枠には「川口祐二氏撮」と記される。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
5127 | 和具大島祭5-11 | 祭を盛り上げるために和具の町中を練り歩いてきた、青年団の神輿が和具漁港の市場に到着。スライド枠には「川口祐二氏撮」と記される。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
5128 | 和具大島祭5-12 | 「八大龍王」の幟、色鮮やかな大漁旗を掲げ、「市杵島姫命」のご神体を乗せて大島へ向かう万度船「中村丸」。和具漁港内での様子。スライド枠には「川口祐二氏撮」と記される。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
5129 | 和具大島祭5-13 | 色鮮やかな大漁旗を掲げ、大島へ向けて出港の時を待つ「第八圓勇丸」。スライド枠には「川口祐二氏撮」と記される。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
5130 | 和具大島祭5-14 | 色鮮やかな大漁旗を掲げ、大島へ向けて出港の時を待つ漁船に乗り込んだ人びと。スライド枠には「川口祐二氏撮」と記される。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
5131 | 和具大島祭5-15 | 色鮮やかな大漁旗を掲げ、大島へ向けて出港の時を待つ「彌代丸」。スライド枠には「川口祐二氏撮」と記される。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
5132 | 和具大島祭5-16 | 色鮮やかな大漁旗を掲げ、大島へ向けて出港する「千秋丸」。スライド枠には「川口祐二氏撮」と記される。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
5133 | 和具大島祭5-17 | 「八大龍王」の幟、色鮮やかな大漁旗を掲げ、「市杵島姫命」のご神体を乗せて大島へ出港する時を待つ万度船「中村丸」。和具漁港内での様子。スライド枠には「川口祐二氏撮」と記される。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
5134 | 和具大島祭5-18 | 船の舳先。スライド枠には「川口祐二氏撮」と記される。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
5135 | 和具大島祭5-19 | 祭の朝。和具漁港に係留されているたくさんの漁船。スライド枠には「川口祐二氏撮」と記される。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
5136 | 和具大島祭5-20 | それぞれの漁船にはお神酒やビールが積み込まれる。船上で刺身を作る漁師。スライド枠には「川口祐二氏撮」と記される。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
5137 | 和具大島祭6-1 | 大島沖に停泊した船上でバケツで潮をかけられる女性。スライド枠には「川口祐二氏撮」と記される。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
5138 | 和具大島祭6-2 | 大島に係留された台船「三滝丸」を堤防替りに係留する3艘の漁船。大勢の人が乗り込んでいる。スライド枠には「川口祐二氏撮」と記される。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
5139 | 和具大島祭6-3 | 台船「三滝丸」に係留しようとする漁船。子どもたちが乗船している。スライド枠には「川口祐二氏撮」と記される。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
5140 | 和具大島祭6-4 | クレーン車を乗せた台船「三滝丸」から大島に上陸する多くの人びと。スライド枠には「川口祐二氏撮」と記される。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
5141 | 和具大島祭6-5 | 大島神社の神事が終わると潮かけが始まる。潮を掛け合うことにより、お互いに身を清め、海上安全を願うのである。4人の男性に抱えられ、海に放り込まれそうな男性。この日は無礼講である。沖に停泊する漁船も写る。スライド枠には「川口祐二氏撮」と記される。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
5142 | 和具大島祭6-6 | 大島の海岸で泳ぐ人びと。沖に停泊する漁船も写る。スライド枠には「川口祐二氏撮」と記される。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
5143 | 和具大島祭6-7 | 大島の海岸で泳ぐ人びと。沖に停泊する漁船も写る。スライド枠には「川口祐二氏撮」と記される。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
5144 | 和具大島祭6-8 | 大島の海岸の様子。岸に係留しているのは海女のノリアイ船であろう。それぞれ白地の船名旗を挙げている。スライド枠には「川口祐二氏撮」と記される。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
5145 | 和具大島祭7-1 | 海から上がった海女は、新しい白い磯着に着替えた後、朝大島の磯で獲ったアワビやサザエ、海藻類を神前に供える。参拝する前に、ノリアイの船ごとに波打ち際に行き、海水で大漁旗や船名旗を清める。海に向かって手を合わせた後、船名旗を持った海女と神饌を持った海女に続いて、大島神社に向かう海女たち。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
5146 | 和具大島祭7-2 | 大島に着船後、万度船からご神体を下ろし大島神社へ向かう神官と八雲神社の総代たち。白装束に麦わら帽子を被っている。背後には沖に停泊したり、浜に係留して待機する多くの漁船が写る。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
5147 | 菅島しろんご祭(混入)7-3 | シロンゴハマでお祓いを受ける参加者の海女たち。 | 鳥羽市菅島町 | 不明 |
5148 | 和具大島祭7-4 | 大島神社の神事が終わると潮かけが始まる。潮を掛け合うことにより、お互いに身を清め、海上安全を願うのである。ホースやバケツで潮を掛け合う漁船。 | 志摩市志摩町和具 | (1989) |
5149 | 和具大島祭7-5 | 大島神社の神事が終わると潮かけが始まる。潮を掛け合うことにより、お互いに身を清め、海上安全を願うのである。ブリキ製のバケツで潮を掛け合う海女たち。※セピア色に変色しているため一連の写真とは、撮影年が異なる。 | 志摩市志摩町和具 | 不明 |
5150 | 船越の大晦日行事1-1 | 大王町の船越神社(祭神:天照皇大神・豊受大神・応神天皇・猿田彦命・大山祇命・不詳4座)境内に積まれたオニサイギ。オニサイギは、「鬼賽木」と書き、村の境の山の神から村内へ悪霊が入らないように鬼どもをふさいだ木である。(「山際新栄門ふるさと新聞」)オニサイギには墨で12本の線を引く(閏年は13本)。スライド枠には「91.12.31船越」の印と「20 集まってきたオニサイギ」と記される。参考文献:大王町発行『大王町史』平成6年8月発行/大王町教育委員会発行『大王町の年中行事』昭和54年9月発行 | 志摩市大王町船越 | 1991.12.31 |
5151 | 船越の大晦日行事1-2 | 船越神社境内。左側に見える大木は、椎の木。大晦日の夜、「ゾウエン、ゾウエン」と唱えながら大注連縄を巻き付ける。スライド枠には「91.12.31船越」の印と「22 注連縄を張る椎」と記される。 | 志摩市大王町船越 | 1991.12.31 |
5152 | 船越の大晦日行事1-3 | 椎の木のアップ。スライド枠には「91.12.31船越」の印と「船越 椎の大木」と記される。 | 志摩市大王町船越 | 1991.12.31 |
5153 | 船越の大晦日行事1-4 | 船越神社の境内へオニサイギ2本を持ってきた女性。スライド枠には「91.12.31船越」の印と「24 オニサイギ出 PM1:00~」と記される。 | 志摩市大王町船越 | 1991.12.31 |
5154 | 船越の大晦日行事1-5 | オニサイギを地面に記された四角の中に置く女性。スライド枠には「91.12.31船越」の印と「25 鬼賽木出し」と記される。 | 志摩市大王町船越 | 1991.12.31 |
5155 | 船越の大晦日行事1-6 | 船越神社境内で大晦日の行事の準備をする自治会役員。スライド枠には「91.12.31船越」の印と「91.12.31船越」の印と「26 広場片づけ」と記される。 | 志摩市大王町船越 | 1991.12.31 |
5156 | 船越の大晦日行事1-7 | オニサイギを持って船越神社の鳥居をくぐる高齢の女性。スライド枠には「91.12.31船越」の印と「28 鬼賽木を持ち寄る村の人」と記される。 | 志摩市大王町船越 | 1991.12.31 |
5157 | 船越の大晦日行事1-8 | 火まつり(トトツリアイ)で燃やす柴を手押し車に乗せて運ぶ高齢の女性。スライド枠には「91.12.31船越」の印と「31 柴木供出」と記される。 | 志摩市大王町船越 | 1991.12.31 |
5158 | 船越の大晦日行事1-9 | 柴を地区役員に渡す。堤防沿いには多くの役員が待機している。スライド枠には「91.12.31船越」の印と「33 柴木の受取」と記される。 | 志摩市大王町船越 | 1991.12.31 |
5159 | 船越の大晦日行事1-10 | 柴を地区役員に渡す。堤防沿いには多くの役員が待機している。スライド枠には「91.12.31船越」の印と「34 柴木の受取」と記される。 | 志摩市大王町船越 | 1991.12.31 |
5160 | 船越の大晦日行事1-11 | 柴を地区役員に渡す。堤防沿いには多くの役員が待機している。スライド枠には「91.12.31船越」の印と「35 柴木の受取」と記される。 | 志摩市大王町船越 | 1991.12.31 |
5161 | 船越の大晦日行事1-12 | 柴を地区役員に渡す。堤防沿いには多くの役員が待機している。スライド枠には「91.12.31船越」の印と「36 柴木を受け取る組長」と記される。 | 志摩市大王町船越 | 1991.12.31 |
5162 | 船越の大晦日行事1-13 | 柴を地区役員に渡す。堤防沿いには多くの役員が待機している。スライド枠には「91.12.31船越」の印と「38 柴木を集める組長」と記される。 | 志摩市大王町船越 | 1991.12.31 |
5163 | 船越の大晦日行事2-1 | 火まつり(トトツリアイ)で燃やす柴を手押し車に乗せて運ぶ高齢の女性。スライド枠には「91.12.31船越」の印と「1 柴木出し」と記される。 | 志摩市大王町船越 | 1991.12.31 |
5164 | 船越の大晦日行事2-2 | 柴を堤防沿いの道に置く。スライド枠には「91.12.31船越」の印と「2 柴木出し」と記される。 | 志摩市大王町船越 | 1991.12.31 |
5165 | 船越の大晦日行事2-3 | 柴を堤防沿いの道に置く。スライド枠には「91.12.31船越」の印と「3 柴木出し船越」と記される。 | 志摩市大王町船越 | 1991.12.31 |
5166 | 船越の大晦日行事2-4 | 柴を堤防沿いの道に置く。スライド枠には「91.12.31船越」の印と「4 柴木を持って来た老婆」と記される。 | 志摩市大王町船越 | 1991.12.31 |
5167 | 船越の大晦日行事2-5 | 前浜前の祠。重ね餅とミカン、お神酒が供えられ、新しい注連縄には「大福神」の木札が付けられている。スライド枠には「91.12.31船越」の印と「5 前浜前の祠」と記される。 | 志摩市大王町船越 | 1991.12.31 |
5168 | 船越の大晦日行事2-6 | 押し車に積まれた2本のオニサイギ。12本の線が墨書きされている。スライド枠には「91.12.31船越」の印と「6 鬼賽木」と記される。 | 志摩市大王町船越 | 1991.12.31 |
5169 | 船越の大晦日行事2-7 | 前浜にうず高く積まれた柴の山。スライド枠には「91.12.31船越」の印と「7 柴木」と記される。 | 志摩市大王町船越 | 1991.12.31 |
5170 | 船越の大晦日行事2-8 | 前浜にうず高く積まれた柴の山。スライド枠には「91.12.31船越」の印と「8 浜の柴木」と記される。 | 志摩市大王町船越 | 1991.12.31 |
5171 | 船越の大晦日行事2-9 | 前浜の前の祠の後ろに立てかけられた柴の束。スライド枠には「91.12.31船越」の印と「10 前浜前の柴木」と記される。 | 志摩市大王町船越 | 1991.12.31 |
5172 | 船越の大晦日行事2-10 | 民家の玄関前に置かれているオニサイギ。12本の線が墨書きされている。以前は「柴木タンモレ、エーヒカ・ワリヒカ」と子どもたちが尋ねて各戸から集めたと言うが、今は各自が境内に持っていく。スライド枠には「91.12.31船越」の印と「11 船越オニサイギ」と記される。 | 志摩市大王町船越 | 1991.12.31 |
5173 | 船越の大晦日行事2-11 | 民家の玄関前に置かれているオニサイギ。12本の線が墨書きされている。以前は「柴木タンモレ、エーヒカ・ワリヒカ」と子どもたちが尋ねて各戸から集めたと言うが、今は各自が境内に持っていく。スライド枠には「91.12.31船越」の印と「12 船越オニサイギ」と記される。 | 志摩市大王町船越 | 1991.12.31 |
5174 | 船越の大晦日行事2-12 | 船越民家の瓦塀と石垣。スライド枠には「91.12.31船越」の印と「13 石垣」と記される。 | 志摩市大王町船越 | 1991.12.31 |
5175 | 船越の大晦日行事2-13 | 船越神社の鳥居。両側に「奉納船越神社 海女組合」の幟が立てらている。スライド枠には「91.12.31船越」の印と「14 準備する組長」と記される。 | 志摩市大王町船越 | 1991.12.31 |
5176 | 船越の大晦日行事2-14 | 船越神社の鳥居。両側に「奉納船越神社 海女組合」の幟が立てらている。スライド枠には「91.12.31船越」の印と「15 幟を立てる組長」と記される。 | 志摩市大王町船越 | 1991.12.31 |
5177 | 船越の大晦日行事2-15 | 火まつり(トトツリアイ)で燃やす柴を手押し車に乗せて運ぶ高齢の女性の後ろ姿。スライド枠には「91.12.31船越」の印と「16 柴木を出す主婦」と記される。 | 志摩市大王町船越 | 1991.12.31 |
5178 | 船越の大晦日行事2-16 | 船越神社の境内に円を描き、古い注連縄を置く位置を示す自治会役員。スライド枠には「91.12.31船越」の印と「17 広場に集まってきたオニサイギ」と記される。 | 志摩市大王町船越 | 1991.12.31 |
5179 | 船越の大晦日行事2-17 | オニサイギを持って来た男性。スライド枠には「91.12.31船越」の印と「18 オニサイギ出し」と記される。 | 志摩市大王町船越 | 1991.12.31 |
5180 | 船越の大晦日行事2-18 | 船越神社の境内(旧船越保育所園庭として使用)で行事の準備をする自治会役員。スライド枠には「91.12.31船越」の印と「19 広場を片付ける組長・自治会」と記される。 | 志摩市大王町船越 | 1991.12.31 |
5181 | 船越の大晦日行事3-1 | 前浜の堤防で軽トラックの荷台に満載の柴木を下ろす自治会役員。スライド枠には「91.12.31船越」の印と「1」と記される。 | 志摩市大王町船越 | 1991.12.31 |
5182 | 船越の大晦日行事3-2 | 前浜の堤防で軽トラックの荷台に満載の柴木を下ろす自治会役員。スライド枠には「91.12.31船越」の印と「2」と記される。 | 志摩市大王町船越 | 1991.12.31 |
5183 | 船越の大晦日行事3-3 | 前浜の堤防で軽トラックの荷台に満載の柴木を下ろす自治会役員。スライド枠には「91.12.31船越」の印と「3」と記される。 | 志摩市大王町船越 | 1991.12.31 |
5184 | 船越の大晦日行事3-4 | 前浜の堤防で軽トラックの荷台に満載の柴木を下ろす自治会役員。スライド枠には「91.12.31船越」の印と「4」と記される。 | 志摩市大王町船越 | 1991.12.31 |
5185 | 船越の大晦日行事3-5 | 前浜の堤防で軽トラックの荷台に満載の柴木を下ろす自治会役員。スライド枠には「91.12.31船越」の印と「5」と記される。 | 志摩市大王町船越 | 1991.12.31 |
5186 | 船越の大晦日行事3-6 | 前浜の堤防で軽トラックの荷台に満載の柴木を下ろす自治会役員。スライド枠には「91.12.31船越」の印と「6」と記される。 | 志摩市大王町船越 | 1991.12.31 |
5187 | 船越の大晦日行事3-7 | 火まつり(トトツリアイ)で燃やす柴を手押し車に乗せて運ぶ女性たち。スライド枠には「91.12.31船越」の印と「7」と記される。 | 志摩市大王町船越 | 1991.12.31 |
5188 | 船越の大晦日行事3-8 | 火まつり(トトツリアイ)で燃やす柴を手押し車に乗せて運ぶ女性たちとそれを受け取る自治会役員。スライド枠には「91.12.31船越」の印と「8」と記される。 | 志摩市大王町船越 | 1991.12.31 |
5189 | 船越の大晦日行事3-9 | 火まつり(トトツリアイ)で燃やす柴を手押し車に乗せて運ぶ高齢の女性たちとそれを受け取る自治会役員。スライド枠には「91.12.31船越」の印と「9」と記される。 | 志摩市大王町船越 | 1991.12.31 |
5190 | 船越の大晦日行事3-10 | 火まつり(トトツリアイ)で燃やす柴を手押し車に乗せて運ぶ高齢の女性たちとそれを受け取る自治会役員。スライド枠には「91.12.31船越」の印と「10」と記される。 | 志摩市大王町船越 | 1991.12.31 |
5191 | 船越の大晦日行事3-11 | 火まつり(トトツリアイ)で燃やす柴を受け取る自治会役員。スライド枠には「91.12.31船越」の印と「11」と記される。 | 志摩市大王町船越 | 1991.12.31 |
5192 | 船越の大晦日行事3-12 | 前浜の堤防で軽トラックの荷台に満載の柴木を下ろす自治会役員。スライド枠には「91.12.31船越」の印と「12」と記される。 | 志摩市大王町船越 | 1991.12.31 |
5193 | 船越の大晦日行事3-13 | 軽トラックの荷台から下ろした柴木を堤防の上から前浜へ積み上げる自治会役員。スライド枠には「91.12.31船越」の印と「14」と記される。 | 志摩市大王町船越 | 1991.12.31 |
5194 | 船越の大晦日行事3-14 | 軽トラックの荷台から下ろした柴木を堤防の上から前浜へ積み上げる自治会役員。スライド枠には「91.12.31船越」の印と「16」と記される。 | 志摩市大王町船越 | 1991.12.31 |
5195 | 船越の大晦日行事3-15 | 軽トラックの荷台から下ろした柴木を堤防の上から前浜へ積み上げる自治会役員。スライド枠には「91.12.31船越」の印と「17」と記される。 | 志摩市大王町船越 | 1991.12.31 |
5196 | 船越の大晦日行事3-16 | 前浜風景。浜には木製の桟橋が見える。漁師が出会い作業をして作ったもので、台風などで壊れたりしても共同で修復した。海女漁の最盛期にはこの桟橋に多くの海女船が係留されていた。(2020年3月聞き取り調査)スライド枠には「91.12.31船越」の印と「18」と記される。 | 志摩市大王町船越 | 1991.12.31 |
5197 | 船越の大晦日行事3-17 | 火まつり(トトツリアイ)で燃やす柴を手押し車に乗せて運ぶ少年。スライド枠には「91.12.31船越」の印と「19」と記される。 | 志摩市大王町船越 | 1991.12.31 |
5198 | 船越の大晦日行事4-1 | 乳母車を押している高齢女性の手元。乳母車が大きく写る。スライド枠には「91.12.31船越」の印と「20」と記される。 | 志摩市大王町船越 | 1991.12.31 |
5199 | 船越の大晦日行事4-2 | 乳母車を押している高齢女性の後ろ姿。スライド枠には「91.12.31船越」の印と「21」と記される。 | 志摩市大王町船越 | 1991.12.31 |
5200 | 船越の大晦日行事4-3 | 船越神社へオニサイギや古い注連縄を運ぶ3人の女性たち。スライド枠には「91.12.31船越」の印と「22」と記される。 | 志摩市大王町船越 | 1991.12.31 |
5201 | 船越の大晦日行事4-4 | 船越神社へオニサイギを運ぶ高齢の女性。スライド枠には「91.12.31船越」の印と「23」と記される。 | 志摩市大王町船越 | 1991.12.31 |
5202 | 船越の大晦日行事4-5 | 船越神社境内に集まるオニサイギを積み上げていく、自治会役員。スライド枠には「91.12.31船越」の印と「26」と記される。 | 志摩市大王町船越 | 1991.12.31 |
5203 | 船越の大晦日行事4-6 | 古い注連縄を船越神社境内の指定された場所に置く女性。2本のオニサイギも持っている。スライド枠には「91.12.31船越」の印と「27」と記される。 | 志摩市大王町船越 | 1991.12.31 |
5204 | 船越の大晦日行事4-7 | その後2本のオニサイギを自治会役員に渡す。スライド枠には「91.12.31船越」の印と「28」と記される。 | 志摩市大王町船越 | 1991.12.31 |
5205 | 船越の大晦日行事4-8 | オニサイギを自治会役員に渡す女性。スライド枠には「91.12.31船越」の印と「29」と記される。 | 志摩市大王町船越 | 1991.12.31 |
5206 | 船越の大晦日行事4-9 | 2人の孫とオニサイギを持ってきた祖母。スライド枠には「91.12.31船越」の印と「30」と記される。 | 志摩市大王町船越 | 1991.12.31 |
5207 | 船越の大晦日行事4-10 | 船越神社へオニサイギや古い注連縄を運ぶ2人の女性。スライド枠には「91.12.31船越」の印と「32 鬼賽木持込」と記される。 | 志摩市大王町船越 | 1991.12.31 |
5208 | 船越の大晦日行事4-11 | 火まつり(トトツリアイ)の際、火を跳ね上げるために使うハサバ(網干し棒)を前浜に準備する自治会役員。スライド枠には「91.12.31船越」の印と「33 ナル」と記される。 | 志摩市大王町船越 | 1991.12.31 |
5209 | 船越の大晦日行事4-12 | 火まつり(トトツリアイ)の際、火を跳ね上げるために使うハサバ(網干し棒)を前浜に準備する自治会役員。スライド枠には「91.12.31船越」の印と「34 」と記される。 | 志摩市大王町船越 | 1991.12.31 |
5210 | 船越の大晦日行事4-13 | 波が穏やかな前浜全景。スライド枠には「91.12.31船越」の印と「35 前浜」と記される。 | 志摩市大王町船越 | 1991.12.31 |
5211 | 船越の大晦日行事4-14 | 火まつり(トトツリアイ)で燃やす柴を手押し車に満載して運ぶ高齢の女性。スライド枠には「91.12.31船越」の印と「36」と記される。 | 志摩市大王町船越 | 1991.12.31 |
5212 | 船越の大晦日行事4-15 | 火まつり(トトツリアイ)で燃やす柴を手押し車に満載して運ぶ高齢の女性。スライド枠には「91.12.31船越」の印と「37 船越」と記される。 | 志摩市大王町船越 | 1991.12.31 |
5213 | 船越の大晦日行事5-1 | チロリ参り(年越し参り)。子どもたちが持つ提灯に火を点ける自治会役員。スライド枠には「91.12.31船越」の印と「1」と記される。 | 志摩市大王町船越 | 1991.12.31 |
5214 | 船越の大晦日行事5-2 | チロリ参り(年越し参り)。平太鼓を付けた担い棒を担ぐ自治会役員を先頭に、虚空蔵堂へ向かって出発する。スライド枠には「91.12.31船越」の印と「2」と記される。 | 志摩市大王町船越 | 1991.12.31 |
5215 | 船越の大晦日行事5-3 | チロリ参り(年越し参り)。平太鼓を付けた担い棒を担ぐ自治会役員を先頭に、虚空蔵堂へ向かって出発する。スライド枠には「91.12.31船越」の印と「5」と記される。 | 志摩市大王町船越 | 1991.12.31 |
5216 | 船越の大晦日行事5-4 | チロリ参り(年越し参り)。平太鼓を付けた担い棒を担ぐ自治会役員を先頭に、虚空蔵堂へ向かって出発する。提灯を持った子どもたちが後に続く。スライド枠には「91.12.31船越」の印と「6」と記される。 | 志摩市大王町船越 | 1991.12.31 |
5217 | 船越の大晦日行事5-5 | チロリ参り(年越し参り)。平太鼓を付けた担い棒を担ぐ自治会役員を先頭に、虚空蔵堂へ向かって出発する。提灯を持った子どもたちが後に続く。スライド枠には「91.12.31船越」の印と「7」と記される。 | 志摩市大王町船越 | 1991.12.31 |
5218 | 船越の大晦日行事5-6 | チロリ参り(年越し参り)。平太鼓を付けた担い棒を担ぐ自治会役員を先頭に、虚空蔵堂へ向かって出発する。提灯を持った子どもたちが後に続く。スライド枠には「91.12.31船越」の印と「8」と記される。 | 志摩市大王町船越 | 1991.12.31 |
5219 | 船越の大晦日行事5-7 | チロリ参り(年越し参り)。平太鼓を付けた担い棒を担ぐ自治会役員を先頭に、虚空蔵堂へ向かって出発する。提灯を持った子どもたちが後に続く。スライド枠には「91.12.31船越」の印と「9」と記される。 | 志摩市大王町船越 | 1991.12.31 |
5220 | 船越の大晦日行事5-8 | チロリ参り(年越し参り)。平太鼓を付けた担い棒を担ぐ自治会役員を先頭に、虚空蔵堂へ向かって出発する。提灯を持った子どもたちが後に続く。スライド枠には「91.12.31船越」の印と「11」と記される。 | 志摩市大王町船越 | 1991.12.31 |
5221 | 船越の大晦日行事5-9 | チロリ参り(年越し参り)。平太鼓を付けた担い棒を担ぐ自治会役員を先頭に、虚空蔵堂へ向かって出発する。提灯を持った子どもたちが後に続く。スライド枠には「91.12.31船越」の印と「4」と記される。 | 志摩市大王町船越 | 1991.12.31 |
5222 | 船越の大晦日行事5-10 | チロリ参り(年越し参り)。平太鼓を付けた担い棒を担ぐ自治会役員を先頭に、虚空蔵堂へ向かって出発する。提灯を持った子どもたちが後に続く。スライド枠には「91.12.31船越」の印と「13」と記される。 | 志摩市大王町船越 | 1991.12.31 |
5223 | 船越の大晦日行事5-11 | チロリ参り(年越し参り)。平太鼓を付けた担い棒を担ぐ自治会役員を先頭に、虚空蔵堂へ向かって出発する。虚空蔵堂に到着し、参拝する自治会役員。スライド枠には「91.12.31船越」の印と「14」と記される。 | 志摩市大王町船越 | 1991.12.31 |
5224 | 船越の大晦日行事5-12 | チロリ参り(年越し参り)。平太鼓を付けた担い棒を担ぐ自治会役員を先頭に、虚空蔵堂へ向かって出発する。虚空蔵堂に到着し、参拝する自治会役員。スライド枠には「91.12.31船越」の印と「15」と記される。 | 志摩市大王町船越 | 1991.12.31 |
5225 | 船越の大晦日行事5-13 | チロリ参り(年越し参り)。平太鼓を付けた担い棒を担ぐ自治会役員を先頭に、虚空蔵堂へ向かって出発する。虚空蔵堂に到着し、参拝する自治会役員。スライド枠には「91.12.31船越」の印が捺されている。 | 志摩市大王町船越 | 1991.12.31 |
5226 | 船越の大晦日行事5-14 | 虚空蔵堂の「御本尊 虚空歳大菩薩・厄除観音菩薩・薬師如来・弘法大師」と記されている。スライド枠には「91.12.31船越」の印が捺されている。 | 志摩市大王町船越 | 1991.12.31 |
5227 | 船越の大晦日行事5-15 | チロリ参り(年越し参り)。平太鼓を付けた担い棒を担ぐ自治会役員を先頭に、虚空蔵堂へ向かって出発する。提灯を持った子どもたちが後に続く。スライド枠には「91.12.31船越」の印が捺されている。 | 志摩市大王町船越 | 1991.12.31 |
5228 | 船越の大晦日行事6-1 | 神社境内で燃やしたオニサイギ。神楽火と呼ばれる。このオニサイギを松明にして浜辺の柴木の山に点火する。スライド枠には「91.12.31船越」の印が捺されている。 | 志摩市大王町船越 | 1991.12.31 |
5229 | 船越の大晦日行事6-2 | チロリ参り(年越し参り)。平太鼓を付けた担い棒を担ぐ自治会役員を先頭に、虚空蔵堂へ向かって出発する。スライド枠には「91.12.31船越」の印が捺されている。 | 志摩市大王町船越 | 1991.12.31 |
5230 | 船越の大晦日行事6-3 | ゾウエン(注連縄を作ること)。午後10時ころ、宴を中断して注連縄作りを始める。スライド枠には「91.12.31船越」の印が捺されている。 | 志摩市大王町船越 | 1991.12.31 |
5231 | 船越の大晦日行事6-4 | ゾウエン(注連縄を作ること)。午後10時ころ、宴を中断して注連縄作りを始める。スライド枠には「91.12.31船越」の印と「10:00~」と記される。 | 志摩市大王町船越 | 1991.12.31 |
5232 | 船越の大晦日行事6-5 | ゾウエンが終わると再び宴を続ける。その間に地区を12組に分け、組長が隣組の世話役として行事全てを決めていく。スライド枠には「91.12.31船越」の印が捺されている。 | 志摩市大王町船越 | 1991.12.31 |
5233 | 船越の大晦日行事6-6 | ゾウエンが終わると再び宴を続ける。その間に地区を12組に分け、組長が隣組の世話役として行事全てを決めていく。スライド枠には「91.12.31船越」の印が捺されている。 | 志摩市大王町船越 | 1991.12.31 |
5234 | 船越の大晦日行事6-7 | 籠り殿に設えられた山の神の祭壇。大山祇大神の掛軸を掛け、鏡餅・伊勢えび・ダイダイを飾る。スライド枠には「91.12.31船越」の印と「祭壇」と記される。。 | 志摩市大王町船越 | 1991.12.31 |
5235 | 船越の大晦日行事6-8 | ゾウエン(注連縄を作ること)。午後10時ころ、宴を中断して注連縄作りを始める。スライド枠には「91.12.31船越」の印が捺されている。 | 志摩市大王町船越 | 1991.12.31 |
5236 | 船越の大晦日行事6-9 | ゾウエン(注連縄を作ること)。午後10時ころ、宴を中断して注連縄作りを始める。スライド枠には「91.12.31船越」の印が捺されている。 | 志摩市大王町船越 | 1991.12.31 |
5237 | 船越の大晦日行事6-10 | ゾウエン(注連縄を作ること)。午後10時ころ、宴を中断して注連縄作りを始める。手元が大きく写る。スライド枠には「91.12.31船越」の印が捺されている。 | 志摩市大王町船越 | 1991.12.31 |
5238 | 船越の大晦日行事6-11 | ゾウエン(注連縄を作ること)。午後10時ころ、宴を中断して注連縄作りを始める。手元が大きく写る。スライド枠には「91.12.31船越」の印が捺されている。 | 志摩市大王町船越 | 1991.12.31 |
5239 | 船越の大晦日行事6-12 | ゾウエン(注連縄を作ること)。午後10時ころ、宴を中断して注連縄作りを始める。スライド枠には「91.12.31船越」の印が捺されている。 | 志摩市大王町船越 | 1991.12.31 |
5240 | 船越の大晦日行事6-13 | ゾウエン(注連縄を作ること)。午後10時ころ、宴を中断して注連縄作りを始める。スライド枠には「91.12.31船越」の印が捺されている。 | 志摩市大王町船越 | 1991.12.31 |
5241 | 船越の大晦日行事6-14 | ワラ苞とメタグラバシ、ダイダイ2つ。祭壇に飾られる。スライド枠には「91.12.31船越」の印と「ダイダイ・スミフダ・ツボキ・スミ」と記される。 | 志摩市大王町船越 | 1991.12.31 |
5242 | 船越の大晦日行事7-1 | ゾウエン(注連縄を作ること)。午後10時ころ、宴を中断して注連縄作りを始める。スライド枠には「91.12.31船越」の印が捺されている。 | 志摩市大王町船越 | 1991.12.31 |
5243 | 船越の大晦日行事7-2 | ゾウエン(注連縄を作ること)。午後10時ころ、宴を中断して注連縄作りを始める。スライド枠には「91.12.31船越」の印が捺されている。 | 志摩市大王町船越 | 1991.12.31 |
5244 | 船越の大晦日行事7-3 | ゾウエン(注連縄を作ること)。午後10時ころ、宴を中断して注連縄作りを始める。注連縄にシダ、ユズリ葉、紙垂を付ける。スライド枠には「91.12.31船越」の印が捺されている。 | 志摩市大王町船越 | 1991.12.31 |
5245 | 船越の大晦日行事7-4 | ゾウエン(注連縄を作ること)。午後10時ころ、宴を中断して注連縄作りを始める。注連縄にシダ、ユズリ葉、紙垂、人形(ヒトカタ)、ダイダイを付ける。スライド枠には「91.12.31船越」の印が捺されている。 | 志摩市大王町船越 | 1991.12.31 |
5246 | 船越の大晦日行事7-5 | ゾウエン(注連縄を作ること)。午後10時ころ、宴を中断して注連縄作りを始める。注連縄にシダ、ユズリ葉、紙垂、人形(ヒトカタ)、ダイダイ、メタグラバシ、半紙で巻いた木炭2本を付ける。スライド枠には「91.12.31船越」の印が捺されている。 | 志摩市大王町船越 | 1991.12.31 |
5247 | 船越の大晦日行事7-6 | 完成した三つ撚りの大注連縄。山の神の拠り所である神社境内のシイの木に巻き付ける準備が整った。スライド枠には「91.12.31船越」の印が捺されている。 | 志摩市大王町船越 | 1991.12.31 |
5248 | 船越の大晦日行事7-7 | 完成した三つ撚りの大注連縄。山の神の拠り所である神社境内のシイの木に巻き付ける準備が整った。スライド枠には「91.12.31船越」の印が捺されている。 | 志摩市大王町船越 | 1991.12.31 |
5249 | 船越の大晦日行事7-8 | アタラシキの行事で唱えられる言葉。スライド枠には「91.12.31船越」の印と「アタラシキ文句」と記される。 | 志摩市大王町船越 | 1991.12.31 |
5250 | 船越の大晦日行事7-9 | 神社境内で燃やしたオニサイギ。神楽火と呼ばれる。このオニサイギを松明にして浜辺の柴木の山に点火する。スライド枠には「91.12.31船越」の印が捺されている。 | 志摩市大王町船越 | 1991.12.31 |
5251 | 船越の大晦日行事7-10 | 神社境内で燃やしたオニサイギ。神楽火と呼ばれる。このオニサイギを松明にして浜辺の柴木の山に点火する。手前に山積みにされたオニサイギが大きく写る。スライド枠には「91.12.31船越」の印が捺されている。 | 志摩市大王町船越 | 1991.12.31 |
5252 | 船越の大晦日行事7-11 | 船越神社本殿の祭壇。スライド枠には「91.12.31船越」の印と「神社本殿」と記される。 | 志摩市大王町船越 | 1991.12.31 |
5253 | 船越の大晦日行事7-12 | 暗闇に浮かぶ、チロリ参りの子どもたちが持つ提灯の灯り。スライド枠には「91.12.31船越」の印が捺されている。 | 志摩市大王町船越 | 1991.12.31 |
5254 | 船越の大晦日行事7-13 | 大注連縄を木刀に縛り付け、「ゾウエン、ゾウエン」と唱えながら担いでシイの木まで運ぶ自治会役員。スライド枠には「91.12.31 船越」の印が捺されている。 | 志摩市大王町船越 | 1991.12.31 |
5255 | 船越の大晦日行事7-14 | 大注連縄を山の神の拠り所であるシイの木に巻き付ける。スライド枠には「91.12.31 船越」の印が捺されている。 | 志摩市大王町船越 | 1991.12.31 |
5256 | 船越の大晦日行事8-1 | 大注連縄を山の神の拠り所であるシイの木に巻き付ける。スライド枠には「91.12.31 船越」の印が捺されている。 | 志摩市大王町船越 | 1991.12.31 |
5257 | 船越の大晦日行事8-2 | 大注連縄を山の神の拠り所であるシイの木に巻き付ける。スライド枠には「91.12.31 船越」の印が捺されている。 | 志摩市大王町船越 | 1991.12.31 |
5258 | 船越の大晦日行事8-3 | 大注連縄を山の神の拠り所であるシイの木に巻き付ける。スライド枠には「91.12.31 船越」の印が捺されている。 | 志摩市大王町船越 | 1991.12.31 |
5259 | 船越の大晦日行事8-4 | 大注連縄を山の神の拠り所であるシイの木に巻き付ける。スライド枠には「91.12.31 船越」の印が捺されている。 | 志摩市大王町船越 | 1991.12.31 |
5260 | 船越の大晦日行事8-5 | 大注連縄を山の神の拠り所であるシイの木に巻き付ける。スライド枠には「91.12.31 船越」の印が捺されている。 | 志摩市大王町船越 | 1991.12.31 |
5261 | 船越の大晦日行事8-6 | 大注連縄を山の神の拠り所であるシイの木に巻き付ける。スライド枠には「91.12.31 船越」の印と「29」と記される。 | 志摩市大王町船越 | 1991.12.31 |
5262 | 船越の大晦日行事8-7 | 大注連縄を山の神の拠り所であるシイの木に巻き付ける。スライド枠には「91.12.31 船越」の印と「31」と記される。 | 志摩市大王町船越 | 1991.12.31 |
5263 | 船越の大晦日行事8-8 | 大注連縄を山の神の拠り所であるシイの木に巻き付ける。スライド枠には「91.12.31 船越」の印と「32」と記される。 | 志摩市大王町船越 | 1991.12.31 |
5264 | 船越の大晦日行事8-9 | 大注連縄を山の神の拠り所であるシイの木に巻き付ける。スライド枠には「91.12.31 船越」の印と「33」と記される。 | 志摩市大王町船越 | 1991.12.31 |
5265 | 船越のアタラシキ8-10 | アタラシキは、神社境内で唱えられる新年の祝詞である。以前は特別に依頼された海女組合の長老が第1節を唱え、第2節から自治会、組長会の全員が唱えていたが、現在(令和2年)は簡素化され、自治会役員が唱える。船越神社境内でアタラシキの行事の開始を待つ、花襦袢姿の若者たち。スライド枠には「91.12.31 船越」の印と「34」と記される。 | 志摩市大王町船越 | 1991.12.31 |
5266 | 船越のアタラシキ8-11 | 船越神社境内でアタラシキの行事の開始を待つ、花襦袢姿の若者たち。背後にオニサイギを燃やす火を囲む大勢の区民が写る。スライド枠には「91.12.31 船越」の印と「36」と記される。 | 志摩市大王町船越 | 1991.12.31 |
5267 | 船越のアタラシキ8-12 | 船越神社境内でアタラシキの行事の開始を待つ、花襦袢姿の若者たち。背後にオニサイギを燃やす火を囲む大勢の区民が写る。スライド枠には「91.12.31 船越」の印と「37」と記される。 | 志摩市大王町船越 | 1991.12.31 |
5268 | 船越のアタラシキ8-13 | 船越神社境内でアタラシキの行事の開始を待つ、花襦袢姿の若者たち。背後にオニサイギを燃やす火を囲む大勢の区民が写る。スライド枠には「91.12.31 船越」の印と「38」と記される。 | 志摩市大王町船越 | 1991.12.31 |
5269 | 船越のアタラシキ8-14 | アタラシキの祝詞が唱えられた後、自治会長が新年挨拶と万歳三唱をする。万歳三唱をする花襦袢姿の若者たちの後ろ姿。スライド枠には「91.12.31 船越」の印が捺されている。 | 志摩市大王町船越 | 1991.12.31 |
5270 | 船越のアタラシキ9-1 | アタラシキの祝詞を聴く花襦袢姿の若者たち。スライド枠には「91.12.31 船越」の印が捺されている。 | 志摩市大王町船越 | 1991.12.31 |
5271 | 船越のアタラシキ9-2 | アタラシキの祝詞を聴く花襦袢姿の若者たち。スライド枠には「91.12.31 船越」の印が捺されている。 | 志摩市大王町船越 | 1991.12.31 |
5272 | 船越のアタラシキ9-3 | アタラシキの祝詞を聴く花襦袢姿の若者たち。スライド枠には「91.12.31 船越」の印が捺されている。 | 志摩市大王町船越 | 1991.12.31 |
5273 | 船越のアタラシキ9-4 | アタラシキの祝詞が唱えられた後、新年の挨拶をする自治会長。スライド枠には「91.12.31 船越」の印が捺されている。 | 志摩市大王町船越 | 1991.12.31 |
5274 | 船越のアタラシキ9-5 | アタラシキの祝詞を聴く花襦袢姿の若者たち。スライド枠には「91.12.31 船越」の印が捺されている。 | 志摩市大王町船越 | 1991.12.31 |
5275 | 船越のアタラシキ9-6 | 神社境内ではしゃぐ花襦袢姿の若者たち。スライド枠には「91.12.31 船越」の印が捺されている。 | 志摩市大王町船越 | 1991.12.31 |
5276 | 船越のアタラシキ9-7 | 神社境内ではしゃぐ花襦袢姿の若者たち。スライド枠には「91.12.31 船越」の印が捺されている。 | 志摩市大王町船越 | 1991.12.31 |
5277 | 船越の火まつり9-8 | アタラシキが終わり、火まつりを行うため前浜へ向かう花襦袢姿の若者と自治会役員。火まつりは、魚釣りを競い合う意味で「トトツリアイ」とも呼ばれ、起源は200年以上前といわれている。スライド枠には「91.12.31 船越」の印が捺されている。 | 志摩市大王町船越 | 1991.12.31 |
5278 | 船越の火まつり10-1 | 神社境内に前日集められたオニサイギを燃やした神楽火から山の神の前のオニサイギに点火し、松明にして前浜の柴木の山に点火する。スライド枠には「64.1.1 船越」の印と「46」と記される。 | 志摩市大王町船越 | 1989.1.1 |
5279 | 船越の火まつり10-2 | 神社境内に前日集められたオニサイギを燃やした神楽火から山の神の前のオニサイギに点火し、松明にして前浜の柴木の山に点火する。スライド枠には「64.1.1 船越」の印と「48」と記される。 | 志摩市大王町船越 | 1989.1.1 |
5280 | 船越の火まつり10-3 | 燃え上がる柴木の山に、次々と柴木を運ぶ花襦袢姿の若者たち。スライド枠には「64.1.1 船越」の印と「49 トトツリアイ」と記される。 | 志摩市大王町船越 | 1989.1.1 |
5281 | 船越の火まつり10-4 | 燃え上がる柴木の山を遠巻きに見守る、花襦袢姿の若者たち。その奥にはハサバ(網干し棒)を4、5人で持って「ヨイ、ヨイ、ヨイ、ヨイ」の掛け声と共に火の山に突っ込もうとする別の若者たちが写る。スライド枠には「64.1.1 船越」の印と「50」と記される。 | 志摩市大王町船越 | 1989.1.1 |
5282 | 船越の火まつり10-5 | ハサバ(網干し棒)で跳ね上げられ、高く舞い上がる火炎。スライド枠には「64.1.1 船越」の印と「52」と記される。 | 志摩市大王町船越 | 1989.1.1 |
5283 | 船越の火まつり10-6 | ハサバ(網干し棒)で跳ね上げられ、高く舞い上がる火炎。スライド枠には「64.1.1 船越」の印と「69」と記される。 | 志摩市大王町船越 | 1989.1.1 |
5284 | 船越の火まつり10-7 | ハサバ(網干し棒)で跳ね上げられ、暗闇の中高く舞い上がる火炎。スライド枠には「64.1.1 船越」の印と「54」と記される。 | 志摩市大王町船越 | 1989.1.1 |
5285 | 船越の火まつり10-8 | ハサバ(網干し棒)で跳ね上げられ、暗闇の中高く舞い上がる火炎。スライド枠には「64.1.1 船越」の印と「55」と記される。 | 志摩市大王町船越 | 1989.1.1 |
5286 | 船越の火まつり10-9 | ハサバ(網干し棒)で跳ね上げられ、暗闇の中高く舞い上がる火炎。スライド枠には「64.1.1 船越」の印と「56」と記される。 | 志摩市大王町船越 | 1989.1.1 |
5287 | 船越の火まつり10-10 | 小さくなった炎にハサバ(網干し棒)を突っ込み、再度火炎を高く舞い上げようとする2組の若者たちの後ろ姿。スライド枠には「64.1.1 船越」の印と「57」と記される。 | 志摩市大王町船越 | 1989.1.1 |
5288 | 船越の火まつり10-11 | ハサバ(網干し棒)で跳ね上げられ、暗闇の中高く舞い上がる火炎。スライド枠には「64.1.1 船越」の印と「58」と記される。 | 志摩市大王町船越 | 1989.1.1 |
5289 | 船越の火まつり10-12 | ハサバ(網干し棒)で跳ね上げられ、暗闇の中高く舞い上がる火炎。スライド枠には「64.1.1 船越」の印と「59」と記される。 | 志摩市大王町船越 | 1989.1.1 |
5290 | 船越の火まつり10-13 | 暗闇の中で燃える柴木の山。スライド枠には「64.1.1 船越」の印と「60」と記される。 | 志摩市大王町船越 | 1989.1.1 |
5291 | 船越の火まつり10-14 | ハサバ(網干し棒)で跳ね上げられ、暗闇の中高く舞い上がる火炎。スライド枠には「64.1.1 船越」の印と「61」と記される。 | 志摩市大王町船越 | 1989.1.1 |
5292 | 船越の火まつり10-15 | ハサバ(網干し棒)で跳ね上げられ、暗闇の中高く舞い上がる火炎。スライド枠には「64.1.1 船越」の印と「62」と記される。 | 志摩市大王町船越 | 1989.1.1 |
5293 | 船越の火まつり10-16 | ハサバ(網干し棒)で跳ね上げられ、暗闇の中高く舞い上がる火炎。スライド枠には「64.1.1 船越」の印と「63」と記される。 | 志摩市大王町船越 | 1989.1.1 |
5294 | 船越の火まつり10-17 | ハサバ(網干し棒)で跳ね上げられ、暗闇の中高く舞い上がる火炎。スライド枠には「64.1.1 船越」の印と「64」と記される。 | 志摩市大王町船越 | 1989.1.1 |
5295 | 船越の火まつり10-18 | ハサバ(網干し棒)で跳ね上げられ、暗闇の中高く舞い上がる火炎。スライド枠には「64.1.1 船越」の印と「65」と記される。 | 志摩市大王町船越 | 1989.1.1 |
5296 | 船越の火まつり11-1 | 前浜に高く積み上げられた柴木の山。スライド枠には「64.1.1 船越」の印と「28 鬼サイギ(柴木の山)」と記される。 | 志摩市大王町船越 | 1989.1.1 |
5297 | 船越の火まつり11-2 | 暗闇の中で燃える柴木の山を見守る消防団の姿。スライド枠には「64.1.1 船越」の印と「30」と記される。 | 志摩市大王町船越 | 1989.1.1 |
5298 | 船越の火まつり11-3 | 暗闇の中で燃える柴木の山。その奥に消防団の姿が見える。スライド枠には「64.1.1 船越」の印と「31」と記される。 | 志摩市大王町船越 | 1989.1.1 |
5299 | 船越の火まつり11-4 | 暗闇の中で燃える柴木の山。その奥に消防団の姿が見える。スライド枠には「64.1.1 船越」の印と「32」と記される。※映像がブレている。 | 志摩市大王町船越 | 1989.1.1 |
5300 | 船越の火まつり11-5 | 燃える柴木の山と海岸に置かれた数本のハサバ(網干し棒)。スライド枠には「64.1.1 船越」の印と「33」と記される。 | 志摩市大王町船越 | 1989.1.1 |
5301 | 船越の火まつり11-6 | 燃え上がる柴木の山に、次々と柴木を運ぶ花襦袢姿の若者たち。スライド枠には「64.1.1 船越」の印と「34」と記される。 | 志摩市大王町船越 | 1989.1.1 |
5302 | 船越の火まつり11-7 | 柴木の束を持つ花襦袢姿の1人の若者。スライド枠には「64.1.1 船越」の印と「35」と記される | 志摩市大王町船越 | 1989.1.1 |
5303 | 船越の火まつり11-8 | 燃え上がる柴木の山の前でポーズを決める、3人の花襦袢姿の若者。スライド枠には「64.1.1 船越」の印と「36」と記される。 | 志摩市大王町船越 | 1989.1.1 |
5304 | 船越の火まつり11-9 | 燃え上がる柴木の山に、次々と柴木を運ぶ花襦袢姿の若者たち。スライド枠には「64.1.1 船越」の印と「37」と記される。 | 志摩市大王町船越 | 1989.1.1 |
5305 | 船越の火まつり11-10 | 燃え上がる柴木の山に、次々と柴木を運ぶ花襦袢姿の若者たち。海岸に座り込む若者たちも写る。スライド枠には「64.1.1 船越」の印と「38」と記される。 | 志摩市大王町船越 | 1989.1.1 |
5306 | 船越の火まつり11-11 | 燃え上がる柴木の山に、次々と柴木を運ぶ花襦袢姿の若者たち。海岸に座り込んだり、寝そべる若者たちも写る。スライド枠には「64.1.1 船越」の印と「41 トトツリアイ」と記される。 | 志摩市大王町船越 | 1989.1.1 |
5307 | 船越の火まつり11-12 | 燃え上がる柴木の山に、次々と柴木を運ぶ花襦袢姿の若者たち。海岸に座り込んだり、寝そべる若者たちも写る。スライド枠には「64.1.1 船越」の印と「43」と記される。 | 志摩市大王町船越 | 1989.1.1 |
5308 | 船越の火まつり11-13 | 燃え上がる柴木の山に、次々と柴木を運ぶ花襦袢姿の若者たち。海岸に座り込んだり、寝そべる若者たちも写る。スライド枠には「64.1.1 船越」の印と「45」と記される。 | 志摩市大王町船越 | 1989.1.1 |
5309 | 船越の大晦日行事12-1 | 大晦日夜の船越神社拝殿前。スライド枠には「2.12.31」の印と「船越神社」と記される。 | 志摩市大王町船越 | 1990.12.31 |
5310 | 船越の大晦日行事12-2 | 船越神社境内。山の神の拠り所であるシイの木。スライド枠には「2.12.31」の印と「神木」と記される。 | 志摩市大王町船越 | 1990.12.31 |
5311 | 船越の大晦日行事12-3 | 船越神社境内に積み上げられたオニサイギ。スライド枠には「2.12.31」の印が捺されている。 | 志摩市大王町船越 | 1990.12.31 |
5312 | 船越の大晦日行事12-4 | 大注連縄を木刀に縛り付け、「ゾウエン、ゾウエン」と唱えながら担いでシイの木まで運ぶ自治会役員。スライド枠には「2.12.31」の印が捺されている。 | 志摩市大王町船越 | 1990.12.31 |
5313 | 船越の大晦日行事12-5 | 雨の中、大注連縄を山の神の拠り所であるシイの木に巻き付ける自治会役員。スライド枠には「2.12.31」の印が捺されている。 | 志摩市大王町船越 | 1990.12.31 |
5314 | 船越の大晦日行事12-6 | 雨の中、大注連縄を山の神の拠り所であるシイの木に巻き付ける自治会役員。スライド枠には「2.12.31」の印と「注連縄かけ」と記される。 | 志摩市大王町船越 | 1990.12.31 |
5315 | 船越の大晦日行事12-7 | 雨の中、大注連縄を山の神の拠り所であるシイの木に巻き付けた後、神殿前に向かう自治会役員。スライド枠には「2.12.31」の印が捺されている。 | 志摩市大王町船越 | 1990.12.31 |
5316 | 船越の大晦日行事12-8 | 雨の中、船越神社境内本殿の前に整列し、アタラシキの行事の開始を待つ、自治会役員。スライド枠には「2.12.31」の印が捺されている。 | 志摩市大王町船越 | 1990.12.31 |
5317 | 船越の大晦日行事12-9 | 雨の中、船越神社境内でアタラシキの行事の開始を待つ、花襦袢姿の若者たち。スライド枠には「2.12.31」の印が捺されている。 | 志摩市大王町船越 | 1990.12.31 |
5318 | 船越の大晦日行事12-10 | 船越神社境内の「馬蹄石」。明治40年12月、合祀に伴い「七本松神社」から移動された。「お馬のあしあと石」とも呼ばれ、注連縄をかけて神格化している。高さ1.5m、直径1.3mの丸石で、その表面に2ヶ所円形の径10㎝ほどの浅いくぼみがあることから、馬蹄石と呼ばれている。(『大王町史』参考)スライド枠には「2.12.31」の印が捺されている。 | 志摩市大王町船越 | 1990.12.31 |
5319 | 船越の大晦日行事12-11 | 船越神社境内、第2の鳥居前の広場にある4基の御神灯。石造りで村中安全と刻まれている。スライド枠には「2.12.31」の印が捺されている。 | 志摩市大王町船越 | 1990.12.31 |
5320 | 船越のアタラシキ13-1 | アタラシキは、神社境内で唱えられる新年の祝詞である。以前は特別に依頼された海女組合の長老が第1節を唱え、第2節から自治会、組長会の全員が唱えていたが、現在(令和2年)は簡素化され、自治会役員が唱える。スライド枠には「3.1.1」の印が捺されている。 | 志摩市大王町船越 | 1991.1.1 |
5321 | 船越のアタラシキ13-2 | アタラシキは、神社境内で唱えられる新年の祝詞である。以前は特別に依頼された海女組合の長老が第1節を唱え、第2節から自治会、組長会の全員が唱えていたが、現在(令和2年)は簡素化され、自治会役員が唱える。スライド枠には「3.1.1」の印が捺されている。 | 志摩市大王町船越 | 1991.1.1 |
5322 | 船越のアタラシキ13-3 | アタラシキは、神社境内で唱えられる新年の祝詞である。以前は特別に依頼された海女組合の長老が第1節を唱え、第2節から自治会、組長会の全員が唱えていたが、現在(令和2年)は簡素化され、自治会役員が唱える。境内は多くの花襦袢姿の若者や参拝者で賑わっている。スライド枠には「3.1.1」の印が捺されている。 | 志摩市大王町船越 | 1991.1.1 |
5323 | 船越のアタラシキ13-4 | アタラシキは、神社境内で唱えられる新年の祝詞である。以前は特別に依頼された海女組合の長老が第1節を唱え、第2節から自治会、組長会の全員が唱えていたが、現在(令和2年)は簡素化され、自治会役員が唱える。境内は多くの花襦袢姿の若者や参拝者で賑わっている。スライド枠には「3.1.1」の印が捺されている。※映像がブレている。 | 志摩市大王町船越 | 1991.1.1 |
5324 | 船越のアタラシキ13-5 | アタラシキは、神社境内で唱えられる新年の祝詞である。以前は特別に依頼された海女組合の長老が第1節を唱え、第2節から自治会、組長会の全員が唱えていたが、現在(令和2年)は簡素化され、自治会役員が唱える。境内に集まった多くの花襦袢姿の若者たち。スライド枠には「3.1.1」の印が捺されている。 | 志摩市大王町船越 | 1991.1.1 |
5325 | 船越のアタラシキ13-6 | アタラシキは、神社境内で唱えられる新年の祝詞である。以前は特別に依頼された海女組合の長老が第1節を唱え、第2節から自治会、組長会の全員が唱えていたが、現在(令和2年)は簡素化され、自治会役員が唱える。スライド枠には「3.1.1」の印が捺されている。 | 志摩市大王町船越 | 1991.1.1 |
5326 | 船越のアタラシキ13-7 | 火が消えてしまったオニサイギと弓張提灯を持つ役員。「祭事保存会」の法被を着ている。スライド枠には「3.1.1」の印が捺されている。 | 志摩市大王町船越 | 1991.1.1 |
5327 | 船越のアタラシキ13-8 | 火が消えてしまったオニサイギと弓張提灯を持つ自治会役員。スライド枠には「3.1.1」の印が捺されている。 | 志摩市大王町船越 | 1991.1.1 |
5328 | 船越のアタラシキ13-9 | 雨の中、燃え上がる柴木の山を遠巻きに見守る、人びと。手前には海岸に置かれた沢山のハサバ(網干し棒)が写る。スライド枠には「3.1.1」の印が捺されている。 | 志摩市大王町船越 | 1991.1.1 |
5329 | 船越のアタラシキ13-10 | 雨の中、燃え上がる柴木の山にハサバ(網干し棒)を差し込もうとする花襦袢姿の若者たち。スライド枠には「3.1.1」の印が捺されている。 | 志摩市大王町船越 | 1991.1.1 |
5330 | 船越のアタラシキ13-11 | 雨の中、燃え上がる柴木の山にハサバ(網干し棒)を差し込もうとする花襦袢姿の若者たち。スライド枠には「3.1.1」の印が捺されている。 | 志摩市大王町船越 | 1991.1.1 |
5331 | 船越のアタラシキ13-12 | 雨の中、燃え上がる柴木の山にハサバ(網干し棒)を差し込もうとする花襦袢姿の若者たち。スライド枠には「3.1.1」の印が捺されている。 | 志摩市大王町船越 | 1991.1.1 |
5332 | 船越のアタラシキ13-13 | 雨の中、燃え上がる柴木の山にハサバ(網干し棒)が差し込まれ、高く舞い上がった火炎。スライド枠には「3.1.1」の印が捺されている。 | 志摩市大王町船越 | 1991.1.1 |
5333 | 船越のアタラシキ13-14 | 雨の中、燃え上がる柴木の山にハサバ(網干し棒)が差し込まれ、高く舞い上がった火炎。スライド枠には「3.1.1」の印が捺されている。 | 志摩市大王町船越 | 1991.1.1 |
5334 | 船越のアタラシキ13-15 | 雨の中、燃え上がる柴木の山にハサバ(網干し棒)が差し込まれ、高く舞い上がった火炎。消防団が見守っている。スライド枠には「3.1.1」の印が捺されている。 | 志摩市大王町船越 | 1991.1.1 |
5335 | 船越のアタラシキ13-16 | 雨の中、再び燃え上がる柴木の山にハサバ(網干し棒)が差し込もうとする花襦袢姿の若者たち。消防団が見守っている。スライド枠には「3.1.1」の印が捺されている。 | 志摩市大王町船越 | 1991.1.1 |
5336 | 船越のアタラシキ13-17 | 船越神社、鳥居前。単車に乗った男性が写る。スライド枠には「3.1.1」の印が捺されている。 | 志摩市大王町船越 | 1991.1.1 |
5337 | 波切の大晦日行事(混入)14-1 | 新年、波切の火まつりの後、一部の名のり船頭は、竹竿の火を波切神社へ届け、拝殿でエレワカ、ヨイコロ節、伊勢音頭で祝儀をする。赤い法被を着た男性たちは名のり船頭、向かい側に座っているのは、和服姿の「老婆7人」と呼ばれる人たちである。 | 志摩市大王町波切 | 不明 |
5338 | 船越の大晦日行事14-2 | 大注連縄を山の神の拠り所であるシイの木に巻き付けるため集まった自治会役員。スライド枠には「63.1.1 船越」の印が捺されている。 | 志摩市大王町船越 | 1988.1.1 |
5339 | 船越の大晦日行事14-3 | 大注連縄を山の神の拠り所であるシイの木に巻き付けるために集まった自治会役員。船越神社祢宜の後ろ姿も写る。スライド枠には「63.1.1 船越」の印が捺されている。 | 志摩市大王町船越 | 1988.1.1 |
5340 | 船越の大晦日行事14-4 | 山の神の拠り所であるシイの木の前に祭壇を設え、祝詞奏上をする船越神社祢宜。スライド枠には「63.1.1 船越」の印が捺されている。 | 志摩市大王町船越 | 1988.1.1 |
5341 | 船越の大晦日行事14-5 | 船越神社拝殿前に玉串を奉典する祢宜と自治会役員。スライド枠には「63.1.1 船越」の印が捺されている。 | 志摩市大王町船越 | 1988.1.1 |
5342 | 船越の大晦日行事14-6 | 船越神社拝殿前に玉串を奉典する祢宜と自治会役員。スライド枠には「63.1.1 船越」の印が捺されている。 | 志摩市大王町船越 | 1988.1.1 |
5343 | 船越の大晦日行事14-7 | 船越神社境内でアタラシキの行事を待つ大勢の花襦袢姿の若者たち。スライド枠には「63.1.1 船越」の印が捺されている。 | 志摩市大王町船越 | 1988.1.1 |
5344 | 船越の大晦日行事14-8 | 船越神社境内でアタラシキの行事を待つ大勢の花襦袢姿の若者たち。スライド枠には「63.1.1 船越」の印が捺されている。 | 志摩市大王町船越 | 1988.1.1 |
5345 | 船越の大晦日行事14-9 | 船越神社境内でアタラシキの行事を待つ大勢の花襦袢姿の若者たち。スライド枠には「63.1.1 船越」の印が捺されている。 | 志摩市大王町船越 | 1988.1.1 |
5346 | 船越の大晦日行事14-10 | 船越神社境内でアタラシキの行事を待つ大勢の花襦袢姿の若者たち。スライド枠には「63.1.1 船越」の印が捺されている。 | 志摩市大王町船越 | 1988.1.1 |
5347 | 船越のアタラシキ15-1 | 船越神社境内でアタラシキの行事を待つ花襦袢姿の若者たち。スライド枠には「63.1.1 船越」の印が捺されている。 | 志摩市大王町船越 | 1988.1.1 |
5348 | 船越のアタラシキ15-2 | アタラシキの祝詞が唱えられた後、万歳三唱をする花襦袢姿の若者たち。スライド枠には「63.1.1 船越」の印が捺されている。 | 志摩市大王町船越 | 1988.1.1 |
5349 | 船越のアタラシキ15-3 | アタラシキの祝詞が唱えられた後、万歳三唱をする花襦袢姿の若者たち。スライド枠には「63.1.1 船越」の印が捺されている。 | 志摩市大王町船越 | 1988.1.1 |
5350 | 船越の海女1-1-1 | トタン製の海女小屋。自身で調達したと思われる材木で囲み、白い磯シャツと磯ナカネが干してある。コンタクトプリント下には「海女小屋」と記される。 | 志摩市大王町船越 | 1984.3.28 |
5351 | 船越の海女1-1-2 | 海女小屋の前に置かれたバケツと地面に敷かれた板。バケツには磯着を洗ったり、体を洗うための水をためている。 | 志摩市大王町船越 | 1984.3.28 |
5352 | 船越の海女1-1-3 | タンポ。発砲スチロール製の浮き輪の下に網状のスカリと呼ばれる獲物入れを付けたもの。浮き輪に巻かれたゴムにはカギノミ(木の柄がなく、一方がカギ状に曲がったもの。サザエやウニを獲ったり、岩にひっかけて体を安定させたりする。)を挿している。コンタクトプリントの下には「浮き」と記される。 | 志摩市大王町船越 | 1984.3.28 |
5353 | 船越の海女1-2-1 | 海女小屋の中で準備をする海女。コンタクトプリントの下には「手拭いを付ける海女」と記される。 | 志摩市大王町船越 | 1984.3.28 |
5354 | 船越の海女1-2-2 | 頭に磯テヌグイを巻き、その上に磯メガネを付けた海女のアップ。魔除けのために、黒糸で磯テヌグイの真ん中を一直線に縫いつけてある。コンタクトプリントの下には「メガネ内には曇り止めのツワブキ」と記される。 | 志摩市大王町船越 | 1984.3.28 |
5355 | 船越の海女1-2-3 | 頭に磯テヌグイを巻き、その上に磯メガネを付けた海女のアップ。魔除けのために、黒糸で磯テヌグイの真ん中を一直線に縫いつけてある。コンタクトプリントの下には「手拭いには魔よけ1本線が入っている」と記される。※全体が白くぼやけている。№5354と同じ海女。 | 志摩市大王町船越 | 1984.3.28 |
5356 | 船越の海女1-2-4 | 天秤棒の前に着替えや弁当を、後ろにタキギとタンポを下げ、更に左手にはバケツを持って漁に出かけるカチド海女。コンタクトプリントの下には「出漁のカチド」と記される。カチド海女とは、それぞれが陸から泳いで漁場に出る海女をいうが、漁場が遠い地区では船に乗り合って沖に出るところもある。№5354と同じ海女。 | 志摩市大王町船越 | 1984.3.28 |
5357 | 船越の海女1-2-5 | 海岸を歩く、同じ海女の後ろ姿。 | 志摩市大王町船越 | 1984.3.28 |
5358 | 船越の海女1-3-1 | 天秤棒の前に着替えや弁当・タンポを、後ろにタキギを下げて崖の小道を歩くカチド海女。頭に磯テヌグイを巻き、磯着の上から腰に綱を巻いている。「タロミ」の磯へ向かうところである。(2020年3月、船越の海女に聞き取り) | 志摩市大王町船越 | 1984.3.28 |
5359 | 船越の海女1-3-2 | 天秤棒の前に着替えや弁当・タンポを、後ろにタキギを下げて海岸を歩くカチド海女。頭に磯テヌグイを巻き、磯着の上から腰に綱を巻いている。「タロミ」の磯へ向かうところである。(2020年3月、船越の海女に聞き取り) | 志摩市大王町船越 | 1984.3.28 |
5360 | 船越の海女1-3-3 | 天秤棒の前に着替えや弁当・タンポを、後ろにタキギを下げて海岸を歩く2人のカチド海女。頭に磯テヌグイを巻き、磯着の上から腰に綱を巻いている。「タロミ」の磯へ向かうところである。(2020年3月、船越の海女に聞き取り) | 志摩市大王町船越 | 1984.3.28 |
5361 | 船越の海女1-3-4 | タンポを持って磯を歩く3人の海女。 | 志摩市大王町船越 | 1984.3.28 |
5362 | 船越の海女1-3-5 | 崖の上に建てられた海女小屋。白い磯着が干してある。 | 志摩市大王町船越 | 1984.3.28 |
5363 | 船越の海女1-3-6 | 海女小屋内部。中央に火床がある。コンタクトプリントの下には「海女小屋内 1人に1個」と記される。 | 志摩市大王町船越 | 1984.3.28 |
5364 | 船越の海女1-4-1 | 海女小屋内部。中央に火床がある。コンタクトプリントの下には「海女小屋」と記される。 | 志摩市大王町船越 | 1984.3.28 |
5365 | 船越の海女1-4-2 | フナド海女の操業の様子。船越では、夫婦で操業する船を「メオト船」と呼ぶ。 | 志摩市大王町船越 | 1984.3.28 |
5366 | 船越の海女1-4-3 | 2艘の海女船。複数の海女が乗り込んでいる。船越では「ノセノセ」と呼ばれる。 | 志摩市大王町船越 | 1984.3.28 |
5367 | 船越の海女1-4-4 | 浮上した海女。左手にアワビを持ち、タンポに入れようとしている。 | 志摩市大王町船越 | 1984.3.28 |
5368 | 船越の海女1-4-5 | フナド海女の操業の様子。船越では、夫婦で操業する船を「メオト船」と呼ぶ。 | 志摩市大王町船越 | 1984.3.28 |
5369 | 船越の海女1-4-6 | フナド海女の操業の様子。船越では、夫婦で操業する船を「メオト船」と呼ぶ。 | 志摩市大王町船越 | 1984.3.28 |
5370 | 船越の海女1-5-1 | フナド海女の操業の様子。船越では、夫婦で操業する船を「メオト船」と呼ぶ。コンタクトプリントの下には「舟人」と記される。 | 志摩市大王町船越 | 1984.3.28 |
5371 | 船越の海女1-5-2 | フナド海女の操業の様子。船越では、夫婦で操業する船を「メオト船」と呼ぶ。船には青峰の旗が見える。コンタクトプリントの下には「舟人」と記される。 | 志摩市大王町船越 | 1984.3.28 |
5372 | 船越の海女1-5-3 | フナド海女の操業の様子。船越では、夫婦で操業する船を「メオト船」と呼ぶ。 | 志摩市大王町船越 | 1984.3.28 |
5373 | 船越の海女1-5-4 | フナド海女の操業の様子。船越では、夫婦で操業する船を「メオト船」と呼ぶ。 | 志摩市大王町船越 | 1984.3.28 |
5374 | 船越の海女1-5-5 | フナド海女の操業の様子。船越では、夫婦で操業する船を「メオト船」と呼ぶ。コンタクトプリントの下には「舟人」と記される。 | 志摩市大王町船越 | 1984.3.28 |
5375 | 船越の海女1-5-6 | フナド海女の操業の様子。船越では、夫婦で操業する船を「メオト船」と呼ぶ。コンタクトプリントの下には「舟人」と記される。 | 志摩市大王町船越 | 1984.3.28 |
5376 | 船越の海女1-6-1 | フナド海女の操業の様子。船越では、夫婦で操業する船を「メオト船」と呼ぶ。コンタクトプリントの下には「自動磯車」と記される。 | 志摩市大王町船越 | 1984.3.28 |
5377 | 船越の海女1-6-2 | フナド海女の操業の様子。船越では、夫婦で操業する船を「メオト船」と呼ぶ。 | 志摩市大王町船越 | 1984.3.28 |
5378 | 船越の海女1-6-3 | フナド海女の操業の様子。船越では、夫婦で操業する船を「メオト船」と呼ぶ。コンタクトプリントの下には「舟人」と記される。 | 志摩市大王町船越 | 1984.3.28 |
5379 | 船越の海女1-6-4 | 漁を終え、着岸する「ノセノセ」の海女船。4人の海女が乗り込んでいる。コンタクトプリントの下には「港内」と記される。 | 志摩市大王町船越 | 1984.3.28 |
5380 | 船越の海女1-6-5 | 市場にてアワビの計量風景。アワビはそれぞれ手さげの付いた桶に入れられている。コンタクトプリントの下には「出荷」と記される。 | 志摩市大王町船越 | 1984.3.28 |
5381 | 船越の海女2-1-1 | 「メオト船」の船首(おもて)に置かれた出荷用の桶。山盛りのアワビが入っている。コンタクトプリントの下には「出荷用の桶」と記される。 | 志摩市大王町船越 | 1984.3.28 |
5382 | 船越の海女2-1-2 | 帰港した「メオト船」。船首(おもて)に置かれた出荷用の桶には山盛りのアワビが入っている。コンタクトプリントの下には「大漁(大海女)の北村」と記される。 | 志摩市大王町船越 | 1984.3.28 |
5383 | 船越の海女2-1-3 | 市場でアワビの計量の順番を待つ「メオト船」の海女たち。出荷用の桶にはどれもアワビが山盛りに入っている。 | 志摩市大王町船越 | 1984.3.28 |
5384 | 船越の海女2-1-4 | アワビを計量し、種類別に分ける漁協職員。 | 志摩市大王町船越 | 1984.3.28 |
5385 | 船越の海女2-1-5 | 帰港した「メオト船」に乗る海女。コンタクトプリントの下には「舟には1人用着替え室がある。」と記される。 | 志摩市大王町船越 | 1984.3.28 |
5386 | 船越の海女2-2-1 | スカリを付けた浮き輪。主にカチド海女が使用する。タンポと呼ばれ、スカリ部分に獲物を入れる。 | 志摩市大王町船越 | 1984.3.28 |
5387 | 船越の海女2-2-2 | 海女小屋に着いたカチド海女。天秤棒の前に着替えや弁当・タンポを、後ろにタキギを下げている。 | 志摩市大王町船越 | 1984.3.28 |
5388 | 船越の海女2-2-3 | 天秤棒の前に着替えや弁当・タンポを、後ろにタキギを下げて崖の小道を歩く2人のカチド海女。頭に磯テヌグイを巻き、磯着の上から腰に綱を巻いている。「タロミ」の磯へ向かうところである。(2020年3月、船越の海女に聞き取り) | 志摩市大王町船越 | 1984.3.28 |
5389 | 船越の海女2-2-4 | 天秤棒の前に着替えや弁当・タンポを、後ろにタキギを下げて崖の小道を歩く2人のカチド海女。頭に磯テヌグイを巻き、磯着の上から腰に綱を巻いている。「タロミ」の磯へ向かうところである。(2020年3月、船越の海女に聞き取り) | 志摩市大王町船越 | 1984.3.28 |
5390 | 船越の海女2-3-1 | 天秤棒の前に着替えや弁当・タンポを、後ろにタキギを下げて崖の小道を歩く3人のカチド海女。頭に磯テヌグイを巻き、磯着の上から腰に綱を巻いている。「タロミ」の磯へ向かうところである。(2020年3月、船越の海女に聞き取り) | 志摩市大王町船越 | 1984.3.28 |
5391 | 船越の海女2-3-2 | タンポを持って磯へ続く岩場を歩く3人の海女。 | 志摩市大王町船越 | 1984.3.28 |
5392 | 船越の海女2-3-3 | タンポを持って磯へ続く岩場を歩く3人の海女。2人は大きな岩に隠れて見えなくなった。 | 志摩市大王町船越 | 1984.3.28 |
5393 | 船越の海女2-3-4 | タンポを持って磯へ続く岩場を歩く3人の海女。2人は大きな岩に隠れて見えなくなった。 | 志摩市大王町船越 | 1984.3.28 |
5394 | 船越の海女2-3-5 | タンポを持って磯へ続く岩場を歩く3人の海女。1人は大きな岩に隠れて見えなくなった。 | 志摩市大王町船越 | 1984.3.28 |
5395 | 船越の海女2-3-6 | 崖の上に建てられた海女小屋。白い磯着が干してある。 | 志摩市大王町船越 | 1984.3.28 |
5396 | 船越の海女2-4-1 | 網状のスカリと呼ばれる獲物入れ。主にカチド海女が使用する。コンタクトプリントの下には「スカリ」と記される。 | 志摩市大王町船越 | 1984.3.28 |
5397 | 船越の海女2-4-2 | 岩場を歩く2人のカチド海女。 | 志摩市大王町船越 | 1984.3.28 |
5398 | 船越の海女2-4-3 | 岩肌。褶曲している。コンタクトプリントの下には「岩はだ」と記される。 | 志摩市大王町船越 | 1984.3.28 |
5399 | 船越の海女3-1-1 | カチド海女の操業風景。浮上したところである。 | 志摩市大王町船越 | 1980.5.20 |
5400 | 船越の海女3-1-2 | カチド海女の操業風景。浮上したところである。 | 志摩市大王町船越 | 1980.5.20 |
5401 | 船越の海女3-1-3 | カチド海女の操業風景。浮上したところである。 | 志摩市大王町船越 | 1980.5.20 |
5402 | 船越の海女3-1-4 | 2人のカチド海女。奥の海女は漁場に向かって泳ぎ出し、手前の海女は泳ぎ出そうとしている。 | 志摩市大王町船越 | 1980.5.20 |
5403 | 船越の海女3-1-5 | 2人のカチド海女。奥の海女は潜水を開始し、手前の海女は漁場に向かって泳ぎ出した。 | 志摩市大王町船越 | 1980.5.20 |
5404 | 船越の海女3-1-6 | 海岸沿いに建てられた海女小屋。小屋の前の浜にはワカメが干してある。 | 志摩市大王町船越 | 1980.5.20 |
5405 | 船越の海女3-2-1 | 海岸沿いに建てられた海女小屋。小屋の前の浜にはワカメが干してある。 | 志摩市大王町船越 | 1980.5.20 |
5406 | 船越の海女3-2-2 | 前浜の堤防に沿って建てられた海女小屋。小屋の前には磯着が干してある。 | 志摩市大王町船越 | 1980.5.20 |
5407 | 船越の火まつり4-1-1 | 台紙には、「64年1月1日 前浜のトトツリアイ 4:00~5:00」と記されている。現在火まつりは、新年の午前零時「アタラシキ」を終えたあと午前2:00頃から始まるが、本来は、日の出前に行われていた。この頃はまだ、旧来通りの時間に火まつりが行われていたことがわかる。写真は、前浜に小山のように積まれた柴木に火がつけられ、火柱が大きく燃え上がった様子である。 | 志摩市大王町船越 | 1989.1.1 |
5408 | 船越の火まつり4-1-2 | 大きく燃え上がった火柱に次々と柴木の束を投げ込む花襦袢姿の若者たち。その様子を見守る消防団の姿も写る。 | 志摩市大王町船越 | 1989.1.1 |
5409 | 船越の火まつり4-1-3 | 大きく燃え上がった火柱に次々と柴木の束を投げ込む花襦袢姿の若者たち。その様子を見守る消防団の姿も写る。 | 志摩市大王町船越 | 1989.1.1 |
5410 | 船越の火まつり4-1-4 | 柴木の束を運ぶ、花襦袢姿の若者たち。 | 志摩市大王町船越 | 1989.1.1 |
5411 | 船越の火まつり4-1-5 | 柴木の束を運ぶ、花襦袢姿の若者たち。堤防から前浜へ降りる階段には、見学者の姿が見える。 | 志摩市大王町船越 | 1989.1.1 |
5412 | 船越の火まつり4-1-6 | 柴木の束を運ぶ、花襦袢姿の若者たち。 | 志摩市大王町船越 | 1989.1.1 |
5413 | 船越の火まつり4-2-1 | 柴木の束を運ぶ、花襦袢姿の若者たち。 | 志摩市大王町船越 | 1989.1.1 |
5414 | 船越の火まつり4-2-2 | 5~6人が一組となり、ハサバと呼ばれる網干し棒を炎に突き込んで、火柱を高く跳ね上げようとする花襦袢姿の若者たち。 | 志摩市大王町船越 | 1989.1.1 |
5415 | 船越の火まつり4-2-3 | 2組の若者たちが、同時にハサバを炎に突き込む。勢い余ったのか、倒れこむ者もいる。火の粉が大きく渦巻く様子が写る。 | 志摩市大王町船越 | 1989.1.1 |
5416 | 船越の火まつり4-2-4 | ハサバが突き込まれ、火の粉が大きく跳ね上がった。以前は前浜の二ヶ所で火を焚き、火勢の高低を競い合ったという。これはカツオ釣りを競争することであり、大漁の祈りが込められていた。 | 志摩市大王町船越 | 1989.1.1 |
5417 | 船越の火まつり4-2-5 | 2組の若者たちが、同時にハサバを炎に突き込む。勢い余ったのか、倒れこむ者もいる。火の粉が大きく渦巻く様子が写る。 | 志摩市大王町船越 | 1989.1.1 |
5418 | 船越の火まつり4-2-6 | 2組の若者たちが、同時にハサバを炎に突き込む。火の粉が大きく渦巻く様子が写る。 | 志摩市大王町船越 | 1989.1.1 |
5419 | 船越の火まつり4-3-1 | 何組もの若者たちが、同時にハサバを炎に突き込む。火の粉がより大きく渦巻く様子が写る。 | 志摩市大王町船越 | 1989.1.1 |
5420 | 船越の火まつり4-3-2 | 何組もの若者たちが、同時にハサバを炎に突き込む。火の粉がより大きく渦巻く様子が写る。 | 志摩市大王町船越 | 1989.1.1 |
5421 | 船越の火まつり4-3-3 | 何組もの若者たちが、同時にハサバを炎に突き込む。火の粉がより大きく渦巻く様子が写る。 | 志摩市大王町船越 | 1989.1.1 |
5422 | 船越の火まつり4-3-4 | 何組もの若者たちが、同時にハサバを炎に突き込む。火の粉がより大きく渦巻く様子が写る。 | 志摩市大王町船越 | 1989.1.1 |
5423 | 船越の火まつり4-3-5 | 何組もの若者たちが、同時にハサバを炎に突き込む。火の粉がより大きく渦巻く様子が写る。 | 志摩市大王町船越 | 1989.1.1 |
5424 | 船越の火まつり4-3-6 | 何組もの若者たちが、同時にハサバを炎に突き込む。火の粉がより大きく渦巻く様子が写る。 | 志摩市大王町船越 | 1989.1.1 |
5425 | 船越の火まつり4-4-1 | 何組もの若者たちが、同時にハサバを炎に突き込む。火の粉がより大きく渦巻く様子が写る。 | 志摩市大王町船越 | 1989.1.1 |
5426 | 船越の火まつり4-4-2 | 何組もの若者たちが、同時にハサバを炎に突き込む。火の粉がより大きく渦巻く様子が写る。 | 志摩市大王町船越 | 1989.1.1 |
5427 | 船越の火まつり4-4-3 | 火まつりが終わりに近づいたのか。炎が小さくなった。 | 志摩市大王町船越 | 1989.1.1 |
5428 | 船越の火まつり4-4-4 | 何組もの若者たちが、同時にハサバを炎に突き込む。火の粉がより大きく渦巻く様子が写る。 | 志摩市大王町船越 | 1989.1.1 |
5429 | 船越の火まつり4-4-5 | 火まつりが終わりに近づいたのか。炎が小さくなった。 | 志摩市大王町船越 | 1989.1.1 |
5430 | 船越の火まつり4-4-6 | 何組もの若者たちが、同時にハサバを炎に突き込む。火の粉がより大きく渦巻く様子が写る。 | 志摩市大王町船越 | 1989.1.1 |
5431 | 波切わらじ祭1-1 | 毎年9月の申の日、長さ2.5m、巾1.8mほどもあるわらじを海に流し、ダンダラボッチと呼ばれる「一つ目の鬼神」を追い払う祭りである。「わらじ曳き」ともいわれる。 写真は、若者に担がれたわらじが須場の浜へ到着した様子。高齢女性7人がわらじの周りに座り、多くの見学人がその周りを囲んでいる。参考文献:「海の博物館 展示用スライドナレーション原紙(祭、その他)」綴/『大王町史』平成6年発行(以下キャプションは同文献を参照) | 志摩市大王町波切 | 1987.9.8 |
5432 | 波切わらじ祭1-2 | 4人の若者がわらじを200m沖合まで泳いで大王島へ向けて流す。この頃沖には大王島方向への潮流があるといわれている。沖では、更に沖へと流しに行く船が待機しており、大王島の沖まで船で曳いて流してくる。 | 志摩市大王町波切 | 1987.9.8 |
5433 | 波切わらじ祭1-3 | 須場の浜でわらじに洗米、オミキ、肴を供える松井兵太夫家当主。周りはカメラマンや多くの見学者で賑わう。スライド枠には「おみき供」と記される。 | 志摩市大王町波切 | 1987.9.8 |
5434 | 波切わらじ祭1-4 | 須場の浜で祝い唄(エレワカやサンヤレなど)を唄う七人婆(しちにんばあ)。その周囲を子どもたちが取り囲み、賑やかな雰囲気が伝わる。七人婆はこの当時黒の羽織姿だが、現在(2023年)は白黒で揃えた洋服を着用する。(「丘端の記憶 波切の暮らし写真展」報告書より)スライド枠には「祝い唄」と記される。 | 志摩市大王町波切 | 1987.9.8 |
5435 | 波切わらじ祭1-5 | 4人の若者がわらじを200m沖合まで泳いで大王島へ向けて流す。この頃沖には大王島方向への潮流があるといわれている。沖では、更に沖へと流しに行く船が待機しており、大王島の沖まで船で曳いて流してくる。 | 志摩市大王町波切 | 1987.9.8 |
5436 | 波切わらじ祭1-6 | 4人の若者がわらじを200m沖合まで泳いで大王島へ向けて流す。この頃沖には大王島方向への潮流があるといわれている。沖では、更に沖へと流しに行く船が待機しており、大王島の沖まで船で曳いて流してくる。 | 志摩市大王町波切 | 1987.9.8 |
5437 | 波切わらじ祭1-7 | 4人の若者がわらじを200m沖合まで泳いで大王島へ向けて流す。この頃沖には大王島方向への潮流があるといわれている。沖では、更に沖へと流しに行く船が待機しており、大王島の沖まで船で曳いて流してくる。 | 志摩市大王町波切 | 1987.9.8 |
5438 | 波切わらじ祭1-8 | 若者に担がれて須場の浜に到着したわらじ。 | 志摩市大王町波切 | 1987.9.8 |
5439 | 波切わらじ祭1-9 | 4人の若者がわらじを200m沖合まで泳いで大王島へ向けて流す。この頃沖には大王島方向への潮流があるといわれている。沖では、更に沖へと流しに行く船が待機しており、大王島の沖まで船で曳いて流す。 | 志摩市大王町波切 | 1987.9.8 |
5440 | 波切わらじ祭1-10 | 4人の若者がわらじを200m沖合まで泳いで大王島へ向けて流す。この頃沖には大王島方向への潮流があるといわれている。沖では、更に沖へと流しに行く船が待機しており、大王島の沖まで船で曳いて流す。 | 志摩市大王町波切 | 1987.9.8 |
5441 | 波切わらじ祭2-1 | 松井兵太夫家当主を先頭に、わらじを担いで波切神社の石段を下りる4人の若者。大王埼灯台や堤防、テトラポットの上にも見学者が溢れている。スライド枠には「須場の浜に下りるわらじ」と記される。 | 志摩市大王町波切 | 1987.9.8 |
5442 | 波切わらじ祭2-2 | 須場の浜で松井兵太夫家当主、5人の稚児役と介添え、三役、町の有志が並ぶ。高齢女性7人がわらじの周りに座り、祝い唄エレワカやサンヤレなどを唄う。スライド枠には「PM.2:30」と記される。 | 志摩市大王町波切 | 1987.9.8 |
5443 | 波切わらじ祭2-3 | 松井兵太夫家当主を先頭に、わらじを担いで波切神社の石段を下りる4人の若者。大王埼灯台や堤防、テトラポッド(消波ブロック)の上にも見学者が溢れている。 | 志摩市大王町波切 | 1987.9.8 |
5444 | 波切わらじ祭2-4 | 松井兵太夫家当主を先頭に、わらじを担いで波切神社の石段を下りる4人の若者。大王埼灯台や堤防、テトラポッド(消波ブロック)の上にも見学者が溢れている。スライド枠には「わらじ」と記される。 | 志摩市大王町波切 | 1987.9.8 |
5445 | 波切わらじ祭2-5 | 須場の浜において若者4人に担がれて海に向かうわらじ。テレビクルーやカメラマンに混じり、子どもも一斉にわらじについていく。わらじは大王島に向かって流される。最終的に海に沈むため、今でも自然の素材である竹と藁を使っている。藁は波切の田から用意する。この田から火まつり用の藁もとる。大王島にいたダイダラボッチは台風のこととも言われ、「大きい台風が来ないように神事をする。台風が一番怖いから」という解釈もある。(「丘端の記憶 波切の暮らし写真展」報告書より) | 志摩市大王町波切 | 1987.9.8 |
5446 | 波切わらじ祭3-1 | わらじ祭は巨大なわらじを海に流して豊漁や安全を祈る行事で、毎年9月の申の日に行われる。 八大龍王に追われた一つ目の鬼神 ( ダンダラボッチ ) が大王島に住み、村で悪さを繰り返したため、村人が一丈のわらじ 片足と赤飯を流したところ、この村には大男がいるのかと鬼神が恐れて逃げたという説話がもとだといわれる。写真は、祭を取り仕切っていた松井兵太夫家の床の間に置かれたわらじ。わらじは、神事の2日前に編まれる。かつては松井家に関係者や有志が集まりわらじを作った。作る日には、家の周りを海水と御神酒で清めて注連縄を張った。わらじ作りは早朝から午後までかかり、その間は一切の飲食を禁じられ、忌みのかかった人 は参加できなかった。女性も立ち入る事ができなかったが、松井家とつながりのある女性たちはわらじ作りの後の食事の世話などをした。わらじが出来上がると床の間に安置され、当主が2夜1日、潔斎し祀った。 現在(2023年)は自治会がわらじ作りの中心を担い、場所は公民館に移されている。(「丘端の記憶 波切の暮らし写真展」報告書より)スライド枠には「前日の兵太夫家のわらじ」と記される。 | 志摩市大王町波切 | 1987.9.8 |
5447 | 波切わらじ祭3-2 | 祭の2日前に古老、若者30人ほどが旧神主家松井兵太夫家に集まり、わらじが作られる。わらじが出来上がると床の間に安置され、当主が2夜1日、潔斎し祀る。昔はわらじを作る間は一切の飲食は禁じられ、忌みのかかった(不幸ごとがあった)人は参加できなかった。スライド枠には「S62」と記される。 | 志摩市大王町波切 | 1987.9.8 |
5448 | 波切わらじ祭3-3 | 波切神社下のエビス明神に供えるためのエビスカゴと呼ぶ縁起物も一緒に作られる。エビスカゴは祭り当日の午前中、エビス明神に供えられる。完成したエビスカゴ。スライド枠には「エビスカゴ」と記される。 | 志摩市大王町波切 | 1987.9.8 |
5449 | 波切わらじ祭3-4 | 波切神社下のエビス明神に供えるためのエビスカゴと呼ぶ縁起物も一緒に作られる。エビスカゴは祭り当日の午前中、エビス明神に供えられる。完成したエビスカゴ。 | 志摩市大王町波切 | 1987.9.8 |
5450 | 波切わらじ祭3-5 | 波切神社下のエビス明神に供えるためのエビスカゴと呼ぶ縁起物も一緒に作られる。エビスカゴは祭り当日の午前中、エビス明神に供えられる。完成したエビスカゴ。スライド枠には「S62.9.8」と記される。 | 志摩市大王町波切 | 1987.9.8 |
5451 | 波切わらじ祭3-6 | 波切神社下のエビス明神に供えるためのエビスカゴと呼ぶ縁起物も一緒に作られる。エビスカゴは祭り当日の午前中、エビス明神に供えられる。完成したエビスカゴ。スライド枠には「S62」と記される。 | 志摩市大王町波切 | 1987.9.8 |
5452 | 波切わらじ祭3-7 | 波切神社下のエビス明神に供えるためのエビスカゴと呼ぶ縁起物も一緒に作られる。エビスカゴは祭り当日の午前中、エビス明神に供えられる。完成したエビスカゴ。スライド枠には「S62 .9.8」と記される。 | 志摩市大王町波切 | 1987.9.8 |
5453 | 波切わらじ祭3-8 | 松井兵太夫家の床の間にわらじと共に供えられたオミキ。スライド枠には「みきすず」と記される。 | 志摩市大王町波切 | 1987.9.8 |
5454 | 波切わらじ祭3-9 | 松井兵太夫家所有の椀。スライド枠には「わん(神社供え用)と記される。 | 志摩市大王町波切 | 1987.9.8 |
5455 | 波切わらじ祭3-10 | スライド枠には「神社に張る〆縄」と記される。 | 志摩市大王町波切 | 1987.9.8 |
5456 | 波切わらじ祭3-11 | 祭の2日前に古老、若者30人ほどが旧神主家松井兵太夫家に集まり、わらじが作られる。わらじが出来上がると床の間に安置され、当主が2夜1日、潔斎し祀る。昔はわらじを作る間は一切の飲食は禁じられ、忌みのかかった(不幸ごとがあった)人は参加できなかった。№5446、5447と同じ。 | 志摩市大王町波切 | 1987.9.8 |
5457 | 波切わらじ祭3-12 | 祭の2日前に古老、若者30人ほどが旧神主家松井兵太夫家に集まり、わらじが作られる。わらじが出来上がると床の間に安置され、当主が2夜1日、潔斎し祀る。昔はわらじを作る間は一切の飲食は禁じられ、忌みのかかった(不幸ごとがあった)人は参加できなかった。№5446、5447と同じ。 | 志摩市大王町波切 | 1987.9.8 |
5458 | 波切わらじ祭3-13 | 旧神主家松井兵太夫家正面、注連縄が張られ、祭りの提灯が下げられている。スライド枠には「大わらじができると家に〆縄」と記される。 | 志摩市大王町波切 | 1987.9.8 |
5459 | 波切わらじ祭3-14 | 大きなカツオを模した神輿を担いで練り歩く、上半身裸の若者たち。スライド枠には「みこしねり 当日午前」と記される。 | 志摩市大王町波切 | 1987.9.8 |
5460 | 波切の景観(混入)4-1 | 伊勢えび漁の網さばき場から大王埼灯台の方向を見る。右下には宝門(ほも)の浜が写る。スライド枠には「2.9.16」の印が捺されている。 | 志摩市大王町波切 | 1990.9.16 |
5461 | 波切わらじ祭4-2 | 若者に担がれて再び須場の浜から波切神社へ戻るわらじ。海が荒れ波が高い時は、後日流される。 | 志摩市大王町波切 | 1990.9.16 |
5462 | 波切わらじ祭4-3 | 若者に担がれて再び須場の浜から波切神社へ戻るわらじ。海が荒れ波が高い時は、後日流される。 | 志摩市大王町波切 | 1990.9.16 |
5463 | 波切わらじ祭4-4 | 若者に担がれて再び須場の浜から波切神社へ戻るわらじ。海が荒れ波が高い時は、後日流される。 | 志摩市大王町波切 | 1990.9.16 |
5464 | 波切の景観4-5 | 波切漁港。左手前に「八大龍王の石柱」。左奥に見えるのは別当の端(はな)。スライド枠には「2.9.16」の印が捺されている。 | 志摩市大王町波切 | 1990.9.16 |
5465 | 波切の景観4-6 | 八大龍王の石柱。スライド枠には「2.9.16」の印が捺されている。 | 志摩市大王町波切 | 1990.9.16 |
5466 | 波切の景観4-7 | 八大龍王の石柱。スライド枠には「2.9.16」の印が捺されている。 | 志摩市大王町波切 | 1990.9.16 |
5467 | 波切の景観4-8 | 八大龍王の石柱へ続く道。スライド枠には「2.9.16」の印が捺されている。 | 志摩市大王町波切 | 1990.9.16 |
5468 | 波切わらじ祭4-9 | 波切神社拝殿で行われる5人の稚児役(4・5歳の男児)によるわらじ曳きの神事終了後、わらじは神社下の須場の浜へ運ばれる。わらじを担いで波切神社の石段を下りる4人の若者。大勢の見学者が周りを囲む。スライド枠には「2.9.16」の印が捺されている。 | 志摩市大王町波切 | 1990.9.16 |
5469 | 波切わらじ祭4-10 | 波切神社拝殿で行われる5人の稚児役(4・5歳の男児)によるわらじ曳きの神事終了後、わらじは神社下の須場の浜へ運ばれる。わらじを担いで波切神社の石段を下りる4人の若者。大勢の見学者が周りを囲む。スライド枠には「2.9.16」の印が捺されている。 | 志摩市大王町波切 | 1990.9.16 |
5470 | 波切わらじ祭4-11 | 波切神社拝殿で行われる5人の稚児役(4・5歳の男児)によるわらじ曳きの神事終了後、わらじは神社下の須場の浜へ運ばれる。わらじを担いで波切神社の石段を下りる4人の若者。大勢の見学者が周りを囲む。スライド枠には「2.9.16」の印が捺されている。 | 志摩市大王町波切 | 1990.9.16 |
5471 | 波切わらじ祭4-12 | 松井兵太夫家当主を先頭に、わらじを担いで須場の浜へ続く階段を下りる4人の若者。大王埼灯台や堤防、須場の浜にも見学者が溢れている。スライド枠には「2.9.16」の印が捺されている。 | 志摩市大王町波切 | 1990.9.16 |
5472 | 波切わらじ祭4-13 | 若者に担がれて須場の浜に到着したわらじ。浜にはカメラマンに混じり、多くの子どもの姿も見える。スライド枠には「2.9.16」の印が捺されている。 | 志摩市大王町波切 | 1990.9.16 |
5473 | 波切わらじ祭4-14 | 須場の浜に置かれたわらじ。青い法被(ハッピ)は自治会、赤は婦人会のメンバー。 わらじに接近した人々から熱気が伝わる。浜にはカメラマンに混じり、多くの子どもの姿も見える。わらじは波が荒い年でも果敢に流されたが、万が一の事態に備えて船が沖で待機した。(「丘端の記憶 波切の暮らし写真展」報告書より)スライド枠には「2.9.16」の印が捺されている。 | 志摩市大王町波切 | 1990.9.16 |
5474 | 波切わらじ祭4-15 | 須場の浜から再び波切神社へ戻るわらじ。海が荒れ波が高い時は、後日流される。 | 志摩市大王町波切 | 1990.9.16 |
5475 | 波切の景観5-1 | 天白鰹節店。厳選された一本釣りのカツオを備長炭の原料薪(ウバメガシ)をもって、燻し上げる古法「手火山(てびやま)製法」を受け継いでいる。波切節の歴史は、奈良時代まで遡り、朝廷に献上し珍重されたところから始まる。 | 志摩市大王町波切 | 1990.9.16 |
5476 | 波切の景観5-2 | 野外に積み上げられた、ウバメガシの割木。かつおを燻す燃料として使われる。 | 志摩市大王町波切 | 1990.9.16 |
5477 | 波切の景観5-3 | かつおを燻すためのセイロ、野外に積み上げられている。 | 志摩市大王町波切 | 1990.9.16 |
5478 | 波切の景観5-4 | 天満(小字名)の出口に祀られている山の神の祠。元旦早朝の午前3時ころ「注連縄切り」の神事が行われる。 | 志摩市大王町波切 | 1990.9.16 |
5479 | 波切の景観5-5 | 石畳が美しい「伝三(でんざ)坂」。波切の庄屋、伝三さんの屋敷が近くにあったことから、この名が付いたと伝えられている。 | 志摩市大王町波切 | 1990.9.16 |
5480 | 波切わらじ祭5-6 | 祭の当日漁師たちは波切漁港内に船を出し、木製のカツオをつけた釣り竿でカツオ一本釣りの所作を披露して祭を盛り上げる。船上で準備をする4人の漁師。 | 志摩市大王町波切 | 1990.9.16 |
5481 | 波切わらじ祭5-7 | 介添え役の父親に肩車をされ、波切神社の石段を上がる稚児役役の後ろ姿。稚児役は4・5歳の男児が務め、黒紋付きに袴、白足袋、ワラ草履を履く。頭には豆絞りの鉢巻を巻き、緋のたすきを掛け、日の丸の扇子を持つ。石段の途中にはカメラを持った男性も写る。スライド枠には「神社に向かう稚児役」と記される。 | 志摩市大王町波切 | 1990.9.16 |
5482 | 波切わらじ祭5-8 | 波切神社下に祀られた「エビス明神」。祭の前日エビスカゴが供えられ、注連縄も新しく掛け替えられる。 | 志摩市大王町波切 | 1990.9.16 |
5483 | 波切わらじ祭5-9 | 「エビス明神」ご神体と供えられたオミキ。スライド枠には「神体のエビス神」と記される。 | 志摩市大王町波切 | 1990.9.16 |
5484 | 波切わらじ祭5-10 | 当日漁師たちは波切漁港内に船を出し、木製のカツオをつけた釣り竿でカツオ一本釣りの所作を披露して祭を盛り上げる。 | 志摩市大王町波切 | 1990.9.16 |
5485 | 波切わらじ祭5-11 | 当日漁師たちは波切漁港内に船を出し、木製のカツオをつけた釣り竿でカツオ一本釣りの所作を披露して祭を盛り上げる。 | 志摩市大王町波切 | 1990.9.16 |
5486 | 波切わらじ祭5-12 | 当日漁師たちは波切漁港内に船を出し、木製のカツオをつけた釣り竿でカツオ一本釣りの所作を披露して祭を盛り上げる。 | 志摩市大王町波切 | 1990.9.16 |
5487 | 波切わらじ祭5-13 | 当日漁師たちは波切漁港内に船を出し、木製のカツオをつけた釣り竿でカツオ一本釣りの所作を披露して祭を盛り上げる。 | 志摩市大王町波切 | 1990.9.16 |
5488 | 波切わらじ祭5-14 | 紋付き羽織・袴姿の使者に続き、4人の若者がわらじを担いで波切神社に向かう。 | 志摩市大王町波切 | 1990.9.16 |
5489 | 波切わらじ祭5-15 | 家族と一緒に波切神社の石段を上がる正装した稚児役。 | 志摩市大王町波切 | 1990.9.16 |
5490 | 波切わらじ祭6-1 | 須場の浜での神事が終わり、わらじを担いで海に入る4人の若者。その様子を撮影しようと、多くのカメラマンが波打ち際でカメラを構える。 | 志摩市大王町波切 | 1987.9.8 |
5491 | 波切わらじ祭6-2 | 4人の若者は、わらじにつかまりながら泳いで沖に向かう。沖ではわらじを更に沖へと流しに行く船が待機している。 | 志摩市大王町波切 | 1987.9.8 |
5492 | 波切わらじ祭6-3 | 4人の若者は、わらじにつかまりながら泳いで沖に向かう。 | 志摩市大王町波切 | 1987.9.8 |
5493 | 波切わらじ祭7-1 | スライド枠には「神社入口から西の港を見る」と記される。 | 志摩市大王町波切 | 1990.9.16 |
5494 | 波切わらじ祭7-2 | 紋付き羽織・袴姿の使者に続き、わらじを担いだ4人の若者が波切神社の鳥居をくぐる。その後を多くの見学者が続く。スライド枠には「トリイ前のワラジ」と記される。 | 志摩市大王町波切 | 1990.9.16 |
5495 | 波切わらじ祭7-3 | 紋付き羽織・袴姿の使者に続き、わらじを担いだ4人の若者が波切神社の石段を上る。その後を多くの見学者が続く。スライド枠には「トリイ前のワラジ」と記される。 | 志摩市大王町波切 | 1990.9.16 |
5496 | 波切わらじ祭7-4 | 紋付き羽織・袴姿の使者に続き、わらじを担いだ4人の若者が波切神社の石段を上る。その後を多くの見学者が続く。スライド枠には「トリイをくぐるワラジ」と記される。 | 志摩市大王町波切 | 1990.9.16 |
5497 | 波切わらじ祭7-5 | 紋付き羽織・袴姿の使者に続き、わらじを担いだ4人の若者が波切神社の石段を上る。その後を多くの見学者が続く。スライド枠には「神社トリイをくぐり 神社に向かうわらじ」と記される。 | 志摩市大王町波切 | 1990.9.16 |
5498 | 波切わらじ祭7-6 | 紋付き羽織・袴姿の使者に続き、わらじを担いだ4人の若者が波切神社の石段を上る。後ろ姿。スライド枠には「神社に向かうわらじ」と記される。 | 志摩市大王町波切 | 1990.9.16 |
5499 | 波切わらじ祭7-7 | スライド枠には「神社境内に張られた〆縄」と記される。 | 志摩市大王町波切 | 1990.9.16 |
5500 | 波切わらじ祭7-8 | 波切神社拝殿の舞台に置かれたわらじ。稚児役によるわらじ曳き神事が始まるのを待つ、参列者。 | 志摩市大王町波切 | 1987.9.8 |
5501 | 波切わらじ祭7-9 | いよいよわらじ曳き神事が始まる。介添え役の父親と共に、日の丸の扇を広げる5人の稚児役。 | 志摩市大王町波切 | 1987.9.8 |
5502 | 波切わらじ祭7-10 | いよいよわらじ曳き神事が始まる。介添え役の父親と共に、日の丸の扇を広げる5人の稚児役。スライド枠には「チゴ5人のわらじ曳き」と記される。 | 志摩市大王町波切 | 1987.9.8 |
5503 | 波切わらじ祭7-11 | 波切神社拝殿で行われる5人の稚児役(4・5歳の男児)によるわらじ曳き神事終了後、わらじは神社下の須場の浜へ運ばれる。わらじを担いで波切神社の石段を下りる4人の若者。大勢の見学者が周りを囲む。 | 志摩市大王町波切 | 1987.9.8 |
5504 | 波切わらじ祭8-1 | 当日漁師たちは波切漁港内に船を出し、木製のカツオをつけた釣り竿でカツオ一本釣りの所作を披露して祭を盛り上げる。漁港は多くの見学者で賑わっている。※スライドにはカビが付着している。 | 志摩市大王町波切 | 1973.9.9 |
5505 | 波切わらじ祭8-2 | わらじが流されるのを見る人びと。須場の浜堤防の完成前であろう。 | 志摩市大王町波切 | 1973.9.9 |
5506 | 波切わらじ祭8-3 | 当日漁師たちは波切漁港内に船を出し、木製のカツオをつけた釣り竿でカツオ一本釣りの所作を披露して祭を盛り上げる。漁港は多くの見学者で賑わっている。※スライドにはカビが付着している。 | 志摩市大王町波切 | 1973.9.9 |
5507 | 波切わらじ祭8-4 | 紋付き羽織・袴姿の使者に続き、4人の若者がわらじを担いで波切神社の鳥居をくぐる。多くの見学者がその様子を見守る。※スライドにはカビが付着し、変色している。 | 志摩市大王町波切 | 1973.9.9 |
5508 | 波切わらじ祭8-5 | 松井兵太夫家当主を先頭に、わらじを担いで須場の浜へ続く坂道を下りる4人の若者。大王埼灯台や堤防、須場の浜にも見学者が溢れている。昭和46年に三重県無形文化財に指定されて以降、祭りの見学者が増えた。(波切地区古老より聞き取り。2020年5月12日)スライド枠には「48.9.9」と記される。※スライドにはカビが付着し、変色している。 | 志摩市大王町波切 | 1973.9.9 |
5509 | 波切わらじ祭8-6 | 松井兵太夫家当主を先頭に、わらじを担いで波切神社の石段を下りる4人の若者。その後に七人婆(しちにんばあ)が続く。周囲には熱心に撮影するカメラマンたちがいる。波切神社の遷宮の時期だったため石段には工事用の仮設レールが敷かれている。スライド枠には「48.9.9」と記される。※スライドにはカビが付着し、変色している。 | 志摩市大王町波切 | 1973.9.9 |
5510 | 波切わらじ祭8-7 | 4人の若者は、わらじにつかまりながら泳いで沖に向かう。沖ではわらじを更に沖へと流しに行く船が待機している。スライド枠には「48.9.9」と記される。※スライドにはカビが付着し、変色している。 | 志摩市大王町波切 | 1973.9.9 |
5511 | 波切わらじ祭8-8 | 4人の若者に担がれて須場の浜へ到着したわらじを多くの見学者が迎える。スライド枠には「48.9.9」と記される。※スライドにはカビが付着している。 | 志摩市大王町波切 | 1973.9.9 |
5512 | 波切わらじ祭8-9 | 松井兵太夫家当主を先頭に、わらじを担いで須場の浜へ続く坂道を下りる4人の若者。大王埼灯台や堤防、須場の浜にも見学者が溢れている。スライド枠には「48.9.9」と記される。※スライドにはカビが付着し、変色している。 | 志摩市大王町波切 | 1973.9.9 |
5513 | 波切わらじ祭8-10 | 4人の若者は、わらじにつかまりながら泳いで沖に向かう。沖ではわらじを更に沖へと流しに行く船が待機している。※スライドにはカビが付着し、変色している。 | 志摩市大王町波切 | 1973.9.9 |
5514 | 波切わらじ祭8-11 | 4人の若者は、わらじにつかまりながら泳いで沖に向かう。待機していた船がわらじを更に沖へと流しに行く。スライド枠には「48.9.9」と記される。※スライドにはカビが付着し、変色している。 | 志摩市大王町波切 | 1973.9.9 |
5515 | 波切の景観8-12 | 宝門(ほも)の浜堤防より大王埼灯台を見る。ライド枠には「アセカキ地ゾウ」と記される。 | 志摩市大王町波切 | 1973.2.24 |
5516 | 波切わらじ祭8-13 | 4人の若者は、わらじにつかまりながら泳いで沖に向かう。待機していた船がわらじを更に沖へと流しに行く。スライド枠には「48.9.9」と記される。※スライドにはカビが付着し、変色している。 | 志摩市大王町波切 | 1973.9.9 |
5517 | 波切わらじ祭9-1 | 当日漁師たちはイベントとして波切漁港内に船を出し、木製のカツオをつけた釣り竿でカツオ一本釣りの所作を披露して祭を盛り上げる。旧波切市場(写真左側)や漁港が見物人でびっしり埋まり、賑わっていることが分かる。写真手前に大きく写るのは波切神社下に建っていた波切石油のタンクやドラム缶である。右手の堤防の後方は、現在(2023年)は埋め立てられ、漁協と市場、駐車場ができている。 | 志摩市大王町波切 | 1973.9.9 |
5518 | 波切わらじ祭9-2 | 当日漁師たちは波切漁港内に船を出し、木製のカツオをつけた釣り竿でカツオ一本釣りの所作を披露して祭を盛り上げる。旧波切市場は多くの見学者で賑わっている。※スライドにはカビが付着している。 | 志摩市大王町波切 | 1973.9.9 |
5519 | 波切わらじ祭9-3 | 現在(2023年)の漁協付近。漁師たちは船を出し、木製のカツオをつけた釣り竿でカツオ一本釣りの所作を披露して祭を盛り上げる。船の後方の堤防には漁港の工事に使うコンクリートブロックも写っており、その付近にもまばらに人が立っている。スライド枠には「48.9.9」の印が捺されている。※スライドにはカビが付着している。 | 志摩市大王町波切 | 1973.9.9 |
5520 | 波切わらじ祭9-4 | 現在(2023年)の漁協付近。漁師たちはイベントとして船を出し、木製のカツオをつけた釣り竿でカツオ一本釣りの所作を披露して祭を盛り上げる。船の後方の堤防には漁港の工事に使うコンクリートブロックも写っており、その付近にもまばらに人が立っている。写真の中央左に並ぶ小屋の間には、雨除けのシートをかぶせたアラメが積まれている。背後の崖のへりにあるコンクリート造の建物の前にもまばらに人が立つ。ここは「山先」と呼 ばれる丘端である。ここ一帯の浜は地元の子どもにとっての海水浴場だった。(「丘端の記憶 波切の暮らし写真展」報告書より)スライド枠には「48.9.9」の印が捺されている。※スライドにはカビが付着している。 | 志摩市大王町波切 | 1973.9.9 |
5521 | 波切わらじ祭9-5 | 当日漁師たちは波切漁港内に船を出し、木製のカツオをつけた釣り竿でカツオ一本釣りの所作を披露して祭を盛り上げる。旧波切市場は多くの見学者で賑わっている。スライド枠には「48.9.9」の印が捺されている。※スライドにはカビが付着している。 | 志摩市大王町波切 | 1973.9.9 |
5522 | 波切わらじ祭9-6 | 当日漁師たちはイベントとして波切漁港内に船を出し、木製のカツオをつけた釣り竿でカツオ一本釣りの所作を披露して祭を盛り上げる。旧波切市場は多くの見学者で賑わっている。写真の右端にあるのは三重漁連の製氷所。当時製氷所があったのは鳥羽と波切で、この近辺を通る船は波切に立ち寄る必要があったため、そういう理由もあり、波切の漁港は賑わっていた。木造の建物群にはカツオブシ屋や魚問屋などがあった。(「丘端の記憶 波切の暮らし写真展」報告書より)スライド枠には「48.9.9」の印が捺されている。※スライドにはカビが付着している。 | 志摩市大王町波切 | 1973.9.9 |
5523 | 波切わらじ祭9-7 | 当日漁師たちはイベントとして波切漁港内に船を出し、木製のカツオをつけた釣り竿でカツオ一本釣りの所作を披露して祭を盛り上げる。旧波切市場は多くの見学者で賑わっている。船には漁師以外も乗れた。写真正面に写る石積みからは、波切の石工の技術力の高さがわかる。石積みの穴は当時の生活排水の排水溝である。また、現在(2023年)は埋め立てられたために見ることはできないが、排水溝の近くには溜池があり、その石積みが波切で最も見事だった。(「丘端の記憶 波切の暮らし写真展」報告書より)スライド枠には「48.9.9」の印が捺されている。※スライドにはカビが付着している。 | 志摩市大王町波切 | 1973.9.9 |
5524 | 波切わらじ祭9-8 | 当日漁師たちは波切漁港内に船を出し、木製のカツオをつけた釣り竿でカツオ一本釣りの所作を披露して祭を盛り上げる。旧波切市場は多くの見学者で賑わっている。スライド枠には「48.9.9」の印が捺されている。※スライドにはカビが付着している。 | 志摩市大王町波切 | 1973.9.9 |
5525 | 波切わらじ祭9-9 | 松井兵太夫家当主を先頭に、わらじを担いで波切神社の石段を下りる4人の若者。その後ろに高齢女性7人や見学者が続く。石段には工事用の仮設レールが設置されている。スライド枠には「48.9.9」と記される。※スライドにはカビが付着し、変色している。 | 志摩市大王町波切 | 1973.9.9 |
5526 | 波切わらじ祭9-10 | 4人の若者に担がれるわらじを見ようと集まった多くの人びと。スライド枠には「48.9.9」の印が捺されている。 | 志摩市大王町波切 | 1973.9.9 |
5527 | 波切わらじ祭9-11 | 松井兵太夫家当主を先頭に、わらじを担いで須場の浜へ続く坂道を下りる4人の若者。その後ろに高齢女性7人や見学者が続く。スライド枠には「48.9.9」と記される。※スライドにはカビが付着し、変色している。 | 志摩市大王町波切 | 1973.9.9 |
5528 | 波切わらじ祭9-12 | 4人の若者がわらじを200m沖合まで泳いで大王島へ向けて流す。この頃沖には大王島方向への潮流があるといわれている。沖では、更に沖へと流しに行く船が待機しており、大王島の沖まで船で曳いて流してくる。スライド枠には「48.9.9」と記される。※スライドにはカビが付着し変色している。 | 志摩市大王町波切 | 1973.9.9 |
5529 | 波切わらじ祭9-13 | 4人の若者がわらじを200m沖合まで泳いで大王島へ向けて流す。この頃沖には大王島方向への潮流があるといわれている。沖では、更に沖へと流しに行く船が待機しており、大王島の沖まで船で曳いて流してくる。スライド枠には「48.9.9」と記される。※スライドにはカビが付着し変色している。 | 志摩市大王町波切 | 1973.9.9 |
5530 | 波切わらじ祭9-14 | 須場の浜で松井兵太夫家当主、5人の稚児役と介添え、三役、町の有志が並ぶ。高齢女性7人がわらじの周りに座り、祝い唄エレワカやサンヤレなどを唄う。その後わらじにナマス、洗米が供えられオミキが注がれる。多くの見学者がその様子を見守る。スライド枠には「祝い唄」と記される。 | 志摩市大王町波切 | 1973.9.9 |
5531 | 波切わらじ祭9-15 | 須場の浜で神事の準備をする男性。スライド枠には「48.9.9」と記される。※スライドにはカビが付着し変色している。 | 志摩市大王町波切 | 1973.9.9 |
5532 | 波切わらじ祭9-16 | 4人の若者がわらじを200m沖合まで泳いで大王島へ向けて流す。この頃沖には大王島方向への潮流があるといわれている。沖では、更に沖へと流しに行く船が待機しており、大王島の沖まで船で曳いて流してくる。スライド枠には「48.9.9」と記される。※スライドにはカビが付着し変色している。 | 志摩市大王町波切 | 1973.9.9 |
5533 | 波切わらじ祭9-17 | 4人の若者がわらじを200m沖合まで泳いで大王島へ向けて流す。この頃沖には大王島方向への潮流があるといわれている。沖では、更に沖へと流しに行く船が待機しており、大王島の沖まで船で曳いて流してくる。スライド枠には「48.9.9」と記される。※スライドにはカビが付着し変色している。 | 志摩市大王町波切 | 1973.9.9 |
5534 | 波切わらじ祭9-18 | 4人の若者がわらじを200m沖合まで泳いで大王島へ向けて流す。この頃沖には大王島方向への潮流があるといわれている。沖では、更に沖へと流しに行く船が待機しており、大王島の沖まで船で曳いて流してくる。 | 志摩市大王町波切 | 1973.9.9 |
5535 | 波切汗かき地蔵まつり10-1 | 現在(2023年)の堂宇は、嘉永2年(1849)10月の再建で、右に不動明王、左に乾漆製の曼胎万体地蔵を安置する。「吉事があると白い汗を、凶事には自ら大衆に代わって苦を受け、その汗は黒くなる。」と伝えられている。2月24日の縁日は、露店商人が参集して門前には市が立ち、町内のみならず近郊からの参詣者で終日賑わう。写真は地蔵さんにお参りする子どもたち。スライド枠には「波切あせかき」と記される | 志摩市大王町波切 | 1973.2.24 |
5536 | 波切汗かき地蔵まつり10-2 | 参道の両側には多くの汗かき地蔵尊の幟幡が立てられる。スライド枠には「48.2.24」の印が捺されている。 | 志摩市大王町波切 | 1973.2.24 |
5537 | 波切汗かき地蔵まつり10-3 | 門前には露店商人が参集して市が立つ。定期バスのルートも変更され、終日多くの参詣人で賑わう。スライド枠には「48.2.24」の印が捺されている。 | 志摩市大王町波切 | 1973.2.24 |
5538 | 波切汗かき地蔵まつり10-4 | 汗かき地蔵は「吉事があると白い汗を、凶事には自ら大衆に代わって苦を受け、その汗は黒くなる」と伝えられている。2月24日の汗かき地蔵まつりでは、露店商人が参集して門前には市が立ち、町内のみならず近郊からの参詣者で終日賑わった。「24日の市」とも呼ばれた。写真は参詣人で賑わう境内。堂内では三カ寺(仙遊寺・大慈寺・桂昌寺)住職により海上安全、大漁満足、家内安全、家業繁盛などの祈祷会が行われる。祈祷では三カ寺の御詠歌衆も参加する。参詣人は御札を買うという。参詣人には和服姿の女性もいる。写真に写る女性の髪型は皆パーマである。写真右で子どもをおんぶする女性が着用しているのは「ロウショ」と呼ばれ、子どもと一緒に着るための綿入れ半纏の一種である。この日は学校が午後休みで露店は賑わった。付き合いのある家にアコヤ餅やウイロなどを配り、嫁はそれを実家の仏壇へ供える風習があった。(「丘端の記憶 波切の暮らし写真展」報告書より)スライド枠には「48.2.24」の印が捺されている。 | 志摩市大王町波切 | 1973.2.24 |
5539 | 波切汗かき地蔵まつり10-5 | 参詣人で賑わう境内。和服姿の女性も多い。堂内では三カ寺(仙遊寺・大慈寺・桂昌寺)住職により海上安全、大漁満足、家内安全、家業繁盛などの祈祷会が行われる。縁日の土産菓子は、アコヤ・ウイロなどで、嫁は実家の仏壇へ供える風習があった。スライド枠には「48.2.24」の印が捺されている。 | 志摩市大王町波切 | 1973.2.24 |
5540 | 波切の景観1-1-1 | 宝門(ほも)の浜沿いの道、外国人の女性が写る。奥には大王埼燈灯台が見える。 | 志摩市大王町波切 | 1985.8.3 |
5541 | 波切の景観1-1-2 | 宝門(ほも)の浜沿いの道、コンクリート製の塀に洗濯物を干すロープが掛けられている。 | 志摩市大王町波切 | 1985.8.3 |
5542 | 波切の景観1-1-3 | 宝門(ほも)の浜沿いの道、奥には大王埼燈灯台が見える。 | 志摩市大王町波切 | 1985.8.3 |
5543 | 波切のアラメ潜き1-2-1 | 海女が採ってきたアラメを宝門(ほも)の浜で干す男性。波打ち際にはアラメが入った磯桶が置かれている。磯桶の中にアラメに付着していたマメ(アラメキリ)やイソモノがたくさん落ち、それを集めて茹でて食べていた。アラメ採りは海女を中心とする漁業関係者が行ってきたため、他の職種の人々はあまり関わりがなかった。(「丘端の記憶 波切の暮らし写真展」報告書より)アルバムのデータ記載覧には「波切 アラメ潜きと浜干し作業」と記される。 | 志摩市大王町波切 | 1985.8.3 |
5544 | 波切のアラメ潜き1-2-2 | 海女が採ってきたアラメを波打ち際に置いた磯桶から出す男性。アルバムのデータ記載欄には「波切 アラメ潜きと浜干し作業」と記される。 | 志摩市大王町波切 | 1985.8.3 |
5545 | 波切のアラメ潜き1-2-3 | 海女が採ってきたアラメを波打ち際に置いた磯桶から出す男性。アルバムのデータ記載欄には「波切 アラメ潜きと浜干し作業」と記される。 | 志摩市大王町波切 | 1985.8.3 |
5546 | 波切の景観1-2-4 | 古池大明神・子安観音の祠。幕末期、全国に流行した寺社詣が志摩地方にも及んで多くの講社を結び、その代表者がお札を受けてそれぞれの祠へ祀った。波切地区にはこのような祠が多く残されている。 | 志摩市大王町波切 | 1985.8.3 |
5547 | 波切のアラメ潜き1-2-5 | 乾いたアラメは出荷まで屋外に積んで保管される。直接地面に触れないように木枠の上に積み上げ、雨露に濡れないようにムシロやシートをかぶせた。左端にはまだ積んでいないアラメも写っている。波切ではアラメを出荷するだけでなく、食用にしたり畑の肥料に使ったりもしていた。写真右端に写るのは波切神社の階段で、手前の手押し車は、昔はどの家にもあり、海藻や荷物、子どもを乗せるなど色んなことに利用していた。(「丘端の記憶 波切の暮らし写真展」報告書より)アルバムのデータ記載覧には「干された物は山積みにされる」と記される。 | 志摩市大王町波切 | 1985.8.3 |
5548 | 波切のアラメ潜き1-2-6 | 採ってきたアラメを浜に干すため、肩に担いで運ぶ海女。マントのような大きいアラメである。現在(2023年)は磯焼けの影響などでアラメが少なく生えていても短いため、アラメを刈っていないが、流れ着いたアラメは拾って出荷している。磯桶を立てているのは、早く乾かせるためである。直径が女性の腰ほどもある大きさだった。現在(2023年)は磯桶からスカリに変わっている。(「丘端の記憶 波切の暮らし写真展」報告書より) | 志摩市大王町波切 | 1985.8.3 |
5549 | 波切のアラメ潜き1-3-1 | 採ってきたアラメを浜に干すため、直接肩に担いで運ぶ海女。 | 志摩市大王町波切 | 1985.8.3 |
5550 | 波切のアラメ潜き1-3-2 | アラメを早く乾かせるために一面に広げる海女。服装はジャージのようなものを着て、腰には鎌を差している。靴下がずり落ちないよう、ゴムのようなもので留めているのも見える。夏の浜は暑くアラメはすぐ乾いた。アラメ採りの作業のなかでは、なによりも乾かすのが重労働である。(「丘端の記憶 波切の暮らし写真展」報告書より)アルバムのデータ記載覧には「アラメの浜干し」と記される。 | 志摩市大王町波切 | 1985.8.3 |
5551 | 波切のアラメ潜き1-3-3 | 採ってきたアラメを磯桶から出し、浜に干す海女。 | 志摩市大王町波切 | 1985.8.3 |
5552 | 波切のアラメ潜き1-3-4 | 採ってきたアラメを担ぐ海女。2人ともウエットスーツではなく普段着や肌着のようなものを身につけている。後ろに写る子どもは手伝い要員だろうか。(「丘端の記憶 波切の暮らし写真展」報告書より) | 志摩市大王町波切 | 1985.8.3 |
5553 | 波切のアラメ潜き1-3-5 | 採ってきたアラメを浜に干す2人の海女。1人の海女は後方に小さく写る。 | 志摩市大王町波切 | 1985.8.3 |
5554 | 波切のアラメ潜き1-3-6 | 採ってきたアラメを浜に干す2人の海女。1人の海女は後方に小さく写る。 | 志摩市大王町波切 | 1985.8.3 |
5555 | 波切のアラメ潜き1-4-1 | 採ってきたアラメを浜に干す海女。海女は腰に綱を巻き、背中にアラメを刈る磯鎌を挿している。 | 志摩市大王町波切 | 1985.8.3 |
5556 | 波切のアラメ潜き1-4-2 | 採ってきたアラメを浜に干すため直接肩に担いで運ぶ海女。浜には空になった2つの磯桶が、よく乾くように立てて置かれており、その近くにも採ったばかりのようなアラメが広げてある。背後の海には2人の海女がアラメを採っているのが見える。(「丘端の記憶 波切の暮らし写真展」報告書より) | 志摩市大王町波切 | 1985.8.3 |
5557 | 波切のアラメ潜き1-4-3 | 採ってきたアラメを浜に干すため直接肩に担いで運ぶ海女。浜には空になった磯桶が、よく乾くように立てて置かれている。№5556と同じ海女である。 | 志摩市大王町波切 | 1985.8.3 |
5558 | 波切のアラメ潜き1-4-4 | 採ってきたアラメを須場の浜の堤防に干す海女。磯メガネを頭に掛け、腰に巻いた綱に磯鎌を挿している。 | 志摩市大王町波切 | 1985.8.3 |
5559 | 波切のアラメ潜き1-4-5 | 採ってきたアラメを須場の浜の堤防に干す海女。磯メガネを頭に掛け、腰に巻いた綱に磯鎌を挿している。後方に写る大王埼灯台に観光客が上がっているのが写る。№5558と同じ海女である。 | 志摩市大王町波切 | 1985.8.3 |
5560 | 波切のアラメ潜き1-4-6 | アラメを須場の浜の堤防に干す海女。磯メガネを頭にかけ、腰に巻いた綱に磯鎌を挿している。帽子はウエットスーツの生地だが、身体に着用しているのは肌着のように見える。海女の後方に写る大王埼灯台まで続く階段には観光客が写っている。この頃波切には連日多くの観光客が訪れていた。画像№5558と同じ海女である。(「丘端の記憶 波切の暮らし写真展」報告書より) | 志摩市大王町波切 | 1985.8.3 |
5561 | 波切のアラメ潜き1-5-1 | 操業するフナド海女とノリアイ船の海女。 | 志摩市大王町波切 | 1985.8.3 |
5562 | 波切の景観1-5-2 | 大王埼灯台。多くの観光客が上っている様子が写る。 | 志摩市大王町波切 | 1985.8.3 |
5563 | 波切のアラメ潜き1-5-3 | 大王埼灯台。多くの観光客が上っている様子が写る。№5562とほぼ同じアングルである。 | 志摩市大王町波切 | 1985.8.3 |
5564 | 波切のアラメ潜き1-5-4 | 須場の浜に作られた海女の休憩場。海女小屋ではなく日除けのための傘(パラソル)が浜に差し、その下に各自の荷物が置かれている。写真には9つのパラソルが写っている。堤防の上から撮影したもの。(「丘端の記憶 波切の暮らし写真展」報告書より) | 志摩市大王町波切 | 1985.8.3 |
5565 | 波切の景観1-5-5 | 英虞湾を望む高台に建つ、天白鰹節店のいぶし小屋(昭和21年建築)外観。備長炭の原料薪(ウバメガシ)をもって、燻し上げる古法「手火山(てびやま)製法」を今も守る。左奥に積まれているのは、かつおを燻すためのセイロである。 | 志摩市大王町波切 | 1985.8.3 |
5566 | 安楽島のタテギリブネ(混入)1-6-1 | 鳥羽市安楽島のタテギリブネに付けられた「伊雑宮海上安全 大漁満足 祈祷大麻」と「海上安全 青峰」の祈祷札。昭和44(1969)年まで行われていたボラタテ網漁の船。一隻に225mの長さの網を積み、2隻が対になって出漁し、左右に分かれて網をかけ入れて、ボラの群れを囲い込む漁である。※海の博物館、船の収蔵庫に展示中 | 鳥羽市安楽島町 | 不明 |
5567 | 安楽島のタテギリブネ(混入)1-6-2 | 鳥羽市安楽島のタテギリブネに付けられた「伊雑宮海上安全 大漁満足 祈祷大麻」と「海上安全 青峰」の祈祷札。昭和44(1969)年まで行われていたボラタテ網漁の船。一隻に225mの長さの網を積み、2隻が対になって出漁し、左右に分かれて網をかけ入れて、ボラの群れを囲い込む漁である。※海の博物館、船の収蔵庫に展示中 | 鳥羽市安楽島町 | 不明 |
5568 | 安楽島のタテギリブネ(混入)1-6-3 | 鳥羽市安楽島のタテギリブネに付けられた「伊雑宮海上安全 大漁満足 祈祷大麻」と「海上安全 青峰」の祈祷札。昭和44(1969)年まで行われていたボラタテ網漁の船。一隻に225mの長さの網を積み、2隻が対になって出漁し、左右に分かれて網をかけ入れて、ボラの群れを囲い込む漁である。※海の博物館、船の収蔵庫に展示中 | 鳥羽市安楽島町 | 不明 |
5569 | 安楽島のタテギリブネ(混入)1-6-4 | 鳥羽市安楽島のタテギリブネに付けられた「伊雑宮海上安全 大漁満足 祈祷大麻」と「海上安全 青峰」の祈祷札。昭和44(1969)年まで行われていたボラタテ網漁の船。一隻に225mの長さの網を積み、2隻が対になって出漁し、左右に分かれて網をかけ入れて、ボラの群れを囲い込む漁である。※海の博物館、船の収蔵庫に展示中 | 鳥羽市安楽島町 | 不明 |
5570 | 波切の海女1-6-5 | 海女漁を終えて須場(すば)の浜に着けようとしているノリアイ船。トマエと呼ばれる船頭の男性が木造船を操縦し1人の海女が水棹(みざお)で船の方向を調整している。2人の海女が降りて船を誘導し、うち1人はウエットスーツを着用している。(「丘端の記憶 波切の暮らし写真展」報告書より) | 志摩市大王町波切 | 1985.8.3 |
5571 | 波切の海女1-6-6 | 海女漁を終えて須場の浜に着けようとしているノリアイ船。 | 志摩市大王町波切 | 1985.8.3 |
5572 | 波切の海女1-7-1 | 須場の浜で休憩するカチド海女。昼時だろうか、浜に設えたカマドの鍋を囲む海女の周りに、子どもや幼児を背負った女性の姿が写る。火場は屋根が無く、周りを竿で四角く囲み、ムシロや脱いだ衣類を掛けて目隠しとしただけの簡素な造りである。アルバムのデータ記載欄には「波切の火場」と記される。 | 志摩市大王町波切 | 1973.5.9 |
5573 | 波切の海女1-7-2 | 須場の浜で休憩するカチド海女。昼時だろうか、浜に設えたカマドの鍋を囲む海女の周りに、子どもや幼児を背負った女性の姿が写る。火場は屋根が無く、周りを竿で四角く囲み、ムシロや脱いだ衣類を掛けて目隠しとしただけの簡素な造りである。アルバムのデータ記載欄には「波切」と記される。 | 志摩市大王町波切 | 1973.5.9 |
5574 | 波切の海女1-7-3 | 須場の浜で休憩するカチド海女。昼時だろうか、浜に設えたカマドの鍋を囲む海女の周りに、子どもや幼児を背負った女性の姿が写る。火場は屋根が無く、周りを竿で四角く囲み、ムシロや脱いだ衣類を掛けて目隠しとしただけの簡素な造りである。アルバムのデータ記載欄には「波切」と記される。 | 志摩市大王町波切 | 1973.5.9 |
5575 | 波切の海女1-7-4 | 須場の浜で休憩するカチド海女。昼時だろうか、浜に設えたカマドの鍋を囲む海女の周りに、子どもや幼児を背負った女性の姿が写る。火場は屋根が無く、周りを竿で四角く囲み、ムシロや脱いだ衣類を掛けて目隠しとしただけの簡素な造りである。アルバムのデータ記載欄には「波切」と記される。 | 志摩市大王町波切 | 1973.5.9 |
5576 | 波切の海女1-7-5 | 須場の浜で休憩するカチド海女。浜に設えたかまどの鍋を囲む海女の近くにお守りしている子どもや幼児を連れてきた女性も写っている。火場には屋根がなく周りを竿で四角く囲み、ムシロや脱いだ衣類をかけて目隠しとしただけの簡素な造りである。現在(2023年)はコンクリート造の海女小屋だが、当時はこのような海女小屋がたくさんあった。(「丘端の記憶 波切の暮らし写真展」報告書より)アルバムのデータ記載覧には「波切」と記される。 | 志摩市大王町波切 | 1973.5.9 |
5577 | 波切の景観2-1-1 | 幕末期、全国に流行した寺社詣が志摩地方にも及んで多くの講社を結び、その代表者がお札を受けてそれぞれの祠へ祀った。波切地区にはこのような祠が多く残されている。アルバムのデータ記載欄には「波切の神様」と記される。 | 志摩市大王町波切 | 1985.8.3 |
5578 | 波切の景観2-1-2 | 幕末期、全国に流行した寺社詣が志摩地方にも及んで多くの講社を結び、その代表者がお札を受けてそれぞれの祠へ祀った。波切地区にはこのような祠が多く残されている。場所と祠の名称は不明。 | 志摩市大王町波切 | 1985.8.3 |
5579 | 志島浅間祭(混入)2-1-3 | 各家のカイド(屋敷が道路に接する箇所)に紙垂をつけた竹を立て、浅間祭の時にこの竹を取り替える風習があった。紙垂を付けた竹を左手に持ち広岡の浜へ向かう男性。右手には洗米を入れた盆を持っている。 | 志摩市阿児町志島 | 1986.6.28 |
5580 | 波切の景観2-1-4 | 幕末期、全国に流行した寺社詣が志摩地方にも及んで多くの講社を結び、その代表者がお札を受けてそれぞれの祠へ祀った。波切地区にはこのような祠が多く残されている。アルバムのデータ記載欄には「浅間神社」と記される。 | 志摩市大王町波切 | 1985.8.3 |
5581 | 波切の景観2-2-1 | 幕末期、全国に流行した寺社詣が志摩地方にも及んで多くの講社を結び、その代表者がお札を受けてそれぞれの祠へ祀った。波切地区にはこのような祠が多く残されている。アルバムのデータ記載欄には「浅間神社」と記される。 | 志摩市大王町波切 | 1985.8.3 |
5582 | 波切の景観2-2-2 | 幕末期、全国に流行した寺社詣が志摩地方にも及んで多くの講社を結び、その代表者がお札を受けてそれぞれの祠へ祀った。波切地区にはこのような祠が多く残されている。アルバムのデータ記載欄には「稲荷」と記される。 | 志摩市大王町波切 | 1985.8.3 |
5583 | 波切の景観2-2-3 | 幕末期、全国に流行した寺社詣が志摩地方にも及んで多くの講社を結び、その代表者がお札を受けてそれぞれの祠へ祀った。波切地区にはこのような祠が多く残されている。アルバムのデータ記載欄には「恵比寿明神」と記される。 | 志摩市大王町波切 | 1985.8.3 |
5584 | 波切の景観2-2-4 | 八大龍王の石柱、波切漁港にある。アルバムのデータ記載欄には「八大龍王」と記される。 | 志摩市大王町波切 | 1985.8.3 |
5585 | 波切の景観2-2-5 | 八大龍王の石柱、波切漁港にある。アルバムのデータ記載欄には「八大龍王」と記される。 | 志摩市大王町波切 | 1985.8.3 |
5586 | 波切の景観2-2-6 | 八大龍王の石柱、波切漁港にある。アルバムのデータ記載欄には「八大龍王」と記される。 | 志摩市大王町波切 | 1985.8.3 |
5587 | 波切の景観2-3-1 | 八大龍王の石柱、波切漁港にある。アルバムのデータ記載欄には「八大龍王」と記される。 | 志摩市大王町波切 | 1985.8.3 |
5588 | 波切の景観2-3-2 | 八大龍王の石柱、波切漁港にある。アルバムのデータ記載欄には「八大龍王」と記される。 | 志摩市大王町波切 | 1985.8.3 |
5589 | 波切の景観2-3-3 | 八大龍王の石柱、波切漁港にある。アルバムのデータ記載欄には「八大龍王」と記される。 | 志摩市大王町波切 | 1985.8.3 |
5590 | 波切の景観2-3-4 | 波切神社境内に祀られた稲荷さん。アルバムのデータ記載欄には「正位高吉稲荷社」と記される。 | 志摩市大王町波切 | 1985.8.3 |
5591 | 波切の景観2-3-5 | 遠方より天満組・出口の山の神を撮影。 | 志摩市大王町波切 | 1985.8.3 |
5592 | 波切の景観2-3-6 | 遠方より天満組・出口の山の神を撮影。 | 志摩市大王町波切 | 1985.8.3 |
5593 | 波切の景観2-4-1 | 幕末期、全国に流行した寺社詣が志摩地方にも及んで多くの講社を結び、その代表者がお札を受けてそれぞれの祠へ祀った。波切地区にはこのような祠が多く残されている。天満組・出口の山の神。 | 志摩市大王町波切 | 1985.8.3 |
5594 | 波切の景観2-4-2 | 幕末期、全国に流行した寺社詣が志摩地方にも及んで多くの講社を結び、その代表者がお札を受けてそれぞれの祠へ祀った。波切地区にはこのような祠が多く残されている。天満組・出口の山の神。 | 志摩市大王町波切 | 1985.8.3 |
5595 | 波切の景観2-4-3 | 幕末期、全国に流行した寺社詣が志摩地方にも及んで多くの講社を結び、その代表者がお札を受けてそれぞれの祠へ祀った。波切地区にはこのような祠が多く残されている。山の神。 | 志摩市大王町波切 | 1985.8.3 |
5596 | 波切の景観2-4-4 | 幕末期、全国に流行した寺社詣が志摩地方にも及んで多くの講社を結び、その代表者がお札を受けてそれぞれの祠へ祀った。波切地区にはこのような祠が多く残されている。水神さん。 | 志摩市大王町波切 | 1985.8.3 |
5597 | 波切の景観2-4-5 | 九鬼城址展望公園、遠望。背後に大王埼灯台、手前に宝門(ほも)の浜が写る。 | 志摩市大王町波切 | 1985.8.3 |
5598 | 波切の景観2-5-1 | 九鬼城址展望公園、遠望。背後に大王埼灯台、手前に宝門(ほも)の浜が写る。 | 志摩市大王町波切 | 1978.9.7 |
5599 | 波切の景観2-5-2 | 九鬼城址展望公園、遠望。背後に大王埼灯台、手前に宝門(ほも)の浜が写る。 | 志摩市大王町波切 | 1978.9.7 |
5600 | 波切の景観2-5-3 | 波切漁港近くの風景。浜口漁具店が写る。 | 志摩市大王町波切 | 1978.9.7 |
5601 | 波切の景観2-5-4 | わらじ祭の日に撮影された写真。天満の堤防沿いから町並みを見晴らす。中央右側の中央あたりに、わらじ祭の行列が写る。現在(2023年)は町並みが変化している。昔はこの写真の手前にあるような木造建築ばかりだったが、伊勢湾台風の被害により鉄筋コンクリート造に変わってきた。(「丘端の記憶 波切の暮らし写真展」報告書より) | 志摩市大王町波切 | 1978.9.7 |
5602 | 波切の景観2-5-5 | 須場の浜から大王埼灯台へ続く石段。 | 志摩市大王町波切 | 1978.9.7 |
5603 | 波切の景観2-5-6 | 須場の浜のテトラポッド(消波ブロック)。堤防から撮影。 | 志摩市大王町波切 | 1978.9.7 |
5604 | 波切わらじ祭2-6-1 | 当日漁師たちは波切漁港内に船を出し、木製のカツオをつけた釣り竿でカツオ一本釣りの所作を披露して祭を盛り上げる。アルバムのデータ記載欄には「1時30分よりカツオ曳」と記される。 | 志摩市大王町波切 | 1978.9.7 |
5605 | 波切わらじ祭2-6-2 | 松井兵太夫家当主を先頭に、わらじを担いで須場の浜へ続く石段を下りる4人の若者。その後ろに高齢女性7人や見学者が続く。アルバムのデータ記載欄には「2:30神社より須場の浜へ」と記される。 | 志摩市大王町波切 | 1978.9.7 |
5606 | 波切わらじ祭2-6-3 | 松井兵太夫家当主を先頭に、わらじを担いで須場の浜へ続く石段を下りる4人の若者。カメラマンや見物人が取り囲んでいる。右下の男性の法被(ハッピ)にある「勧善社」とは、明治期から昭和30年代頃まで波切で活動した組織で、祭事や教育、衛生活動や非常時の救援活動などを幅広く担った。(「丘端の記憶 波切の暮らし写真展」報告書より) | 志摩市大王町波切 | 1978.9.7 |
5607 | 波切わらじ祭2-6-4 | 松井兵太夫家当主を先頭に、わらじを担いで須場の浜へ続く石段を下りる4人の若者。その後ろに高齢女性7人や見学者が続く。 | 志摩市大王町波切 | 1978.9.7 |
5608 | 波切わらじ祭2-6-5 | 松井兵太夫家当主を先頭に、わらじを担いで須場の浜へ続く道を下りる4人の若者。大王埼灯台や堤防、須場の浜にも見学者が溢れている。アルバムのデータ記載欄には「スバ(須場)の浜へ」と記される。 | 志摩市大王町波切 | 1978.9.7 |
5609 | 波切わらじ祭2-6-6 | 松井兵太夫家当主を先頭に、わらじを担いで須場の浜へ続く道を下りる4人の若者。大王埼灯台や堤防、須場の浜にも見学者が溢れている。アルバムのデータ記載欄には「スバ(須場)の浜へ」と記される。 | 志摩市大王町波切 | 1978.9.7 |
5610 | 波切わらじ祭2-7-1 | わらじ曳き神事の後、松井兵太夫家当主を先頭に、4人の若者がわらじを担ぎ須場の浜に移動する。祭を見るため、浜や堤防、灯台にまでたくさんの見物人が溢れている。(「丘端の記憶 波切の暮らし写真展」報告書より)アルバムのデータ記載覧には「スバ(須場)の浜へ」と記される。 | 志摩市大王町波切 | 1978.9.7 |
5611 | 波切わらじ祭2-7-2 | 松井兵太夫家当主を先頭に、わらじを担いで須場の浜へ続く道を下りる4人の若者。大王埼灯台や堤防、須場の浜にも見学者が溢れている。 | 志摩市大王町波切 | 1978.9.7 |
5612 | 波切わらじ祭2-7-3 | 須場の浜で松井兵太夫家当主、5人の稚児役と介添え、三役、町の有志が並ぶ。高齢女性7人がわらじの周りに立ち、祝い唄エレワカやサンヤレなどを唄う。手拍子で唄う3人の高齢女性が大きく写る。アルバムのデータ記載欄には「祝歌を歌う7人婆」と記される。 | 志摩市大王町波切 | 1978.9.7 |
5613 | 波切わらじ祭2-7-4 | 須場の浜で松井兵太夫家当主、5人の稚児役と介添え、三役、町の有志が並ぶ。高齢女性7人がわらじの周りに立ち、祝い唄エレワカやサンヤレなどを唄う。手拍子で唄う3人の高齢女性が大きく写る。アルバムのデータ記載欄には「祝歌を歌う7人婆」と記される。 | 志摩市大王町波切 | 1978.9.7 |
5614 | 波切わらじ祭2-7-5 | 須場の浜で松井兵太夫家当主、5人の稚児役と介添え、三役、町の有志が並ぶ。高齢女性7人がわらじの周りに立ち、祝い唄エレワカやサンヤレなどを唄う。手拍子で唄う3人の高齢女性が大きく写る。アルバムのデータ記載欄には「祝歌を歌う7人婆」と記される。 | 志摩市大王町波切 | 1978.9.7 |
5615 | 波切わらじ祭2-7-6 | 須場の浜での神事が終わり、わらじを担いで海に入る4人の若者。アルバムのデータ記載欄には「3時流す」と記される。 | 志摩市大王町波切 | 1978.9.7 |
5616 | 波切わらじ祭3-1-1 | わらじ祭の当日、イベントとして漁師たちは波切漁港内に船を出し、木製のカツオをつけた釣り竿でカツオ一本釣りの所作を披露して祭を盛り上げる。写真はカツオ釣りを漁港側から撮影したもの。真正面には 波切神社の鳥居や波切石油が写る。写真の左側には防空壕の入口が見えている。波切には私有や共有の防空壕が町内の至るところにあった。(「丘端の記憶 波切の暮らし写真展」報告書より) | 志摩市大王町波切 | 1978.9.7 |
5617 | 波切わらじ祭3-1-2 | 祭の当日漁師たちは波切漁港内に船を出し、木製のカツオをつけた釣り竿でカツオ一本釣りの所作を披露して祭を盛り上げる。 | 志摩市大王町波切 | 1978.9.7 |
5618 | 波切わらじ祭3-1-3 | 波切神社拝殿の舞台に置かれたわらじ。献饌の様子を見守る参列者。 | 志摩市大王町波切 | 1978.9.7 |
5619 | 波切わらじ祭3-1-4 | 波切神社拝殿の舞台に置かれたわらじ。献饌の様子を見守る参列者。 | 志摩市大王町波切 | 1978.9.7 |
5620 | 波切わらじ祭3-2-1 | いよいよわらじ曳き神事が始まる。介添え役の役場の職員と共に日の丸の扇を広げる5人の稚児役。 | 志摩市大王町波切 | 1978.9.7 |
5621 | 波切わらじ祭3-2-2 | 県の重要無形文化財である、わらじ曳き神事の場面。神事当日は、頭家(とうや)が1人で拝殿にこもり神様と朝食をとったあと、岬で柏手を打ち帰ってくる。当時、その食事は松井家の女性がユリカゴに入れた御膳(ご飯、刺身、アカグロの煮つけ、汁物)を頭にいただいて波切神社へ運んだ。「御膳を上げる」と言い、ユリカゴは途中で落とさないように帯で頭に固定した。その後わらじ曳き神事が始まり、写真のように 5 人の稚児が三味線、太鼓、鼓の三役にあわせて舞う。稚児の後ろにいる介添え役が祭文を唱える。介添え役は、当時は役場の職員だったが現在(2023年)は父親が担う。幼い稚児が神社の階段を上れず、親がおぶって行く姿もあった。稚児は3?5歳の男子で、かつては漁師を中心とする特定の家から選ばれていたが、現在(2023年)はそれ以外の生業に就く家も可能である。舞の奉納が終わると稚児がわらじの鼻緒に結んだ綱を持ち、「ヤア」と掛け声をして西(山側)から東(海側)に向かってわらじを曳く。稚児は男子から選ばれた。(「丘端の記憶 波切の暮らし写真展」報告書より) | 志摩市大王町波切 | 1978.9.7 |
5622 | 波切わらじ祭3-2-3 | いよいよわらじ曳き神事が始まる。介添え役の役場の職員と共に日の丸の扇を広げる5人の稚児役。 | 志摩市大王町波切 | 1978.9.7 |
5623 | 波切わらじ祭3-2-4 | いよいよわらじ曳き神事が始まる。介添え役の役場の職員と共に日の丸の扇を広げる5人の稚児役。 | 志摩市大王町波切 | 1978.9.7 |
5624 | 波切わらじ祭3-2-5 | 県の重要無形文化財である、わらじ曳き神事の場面。神事当日は、頭家(とうや)が1人で拝殿にこもり神様と朝食をとったあと、岬で柏手を打ち帰ってくる。当時、その食事は松井家の女性がユリカゴに入れた御膳(ご飯、刺身、アカグロの煮つけ、汁物)を頭にいただいて波切神社へ運んだ。「御膳を上げる」と言い、ユリカゴは途中で落とさないように帯で頭に固定した。その後わらじ曳き神事が始まり、写真のように 5 人の稚児が三味線、太鼓、鼓の三役にあわせて舞う。稚児の後ろにいる介添え役が祭文を唱える。介添え役は、当時は役場の職員だったが現在(2023年)は父親が担う。幼い稚児が神社の階段を上れず、親がおぶって行く姿もあった。稚児は3?5歳の男子で、かつては漁師を中心とする特定の家から選ばれていたが、現在(2023年)はそれ以外の生業に就く家も可能である。舞の奉納が終わると稚児がわらじの鼻緒に結んだ綱を持ち、「ヤア」と掛け声をして西(山側)から東(海側)に向かってわらじを曳く。稚児は男子から選ばれた。(「丘端の記憶 波切の暮らし写真展」報告書より) | 志摩市大王町波切 | 1978.9.7 |
5625 | 波切わらじ祭3-2-6 | 5人の稚児役が曳き綱を持って、鼓打ちが唱える祭文と三味線、太鼓、鼓に合わせ、「ヤア」と掛声を発して、西(山方)から東(海方)へわらじを曳く。介添えは舞いと綱を曳く手助けをする。 | 志摩市大王町波切 | 1978.9.7 |
5626 | 波切わらじ祭3-3-1 | わらじ曳きが終了し、舞台に整列する介添え役の役場の職員と5人の稚児役。 | 志摩市大王町波切 | 1978.9.7 |
5627 | 波切わらじ祭3-3-2 | 須場の浜で松井兵太夫家当主、5人の稚児役と介添え、三役、町の有志が並ぶ。高齢女性7人がわらじの周りに立ち、祝い唄エレワカやサンヤレなどを唄う。堤防の上も見学者であふれている。 | 志摩市大王町波切 | 1978.9.7 |
5628 | 波切わらじ祭3-3-3 | 須場の浜で松井兵太夫家当主、5人の稚児役と介添え、三役、町の有志が並ぶ。高齢女性7人がわらじの周りに立ち、祝い唄エレワカやサンヤレなどを唄う。堤防の上も見学者であふれている。 | 志摩市大王町波切 | 1978.9.7 |
5629 | 波切わらじ祭3-3-4 | 須場の浜で松井兵太夫家当主、5人の稚児役と介添え、三役、町の有志が並ぶ。高齢女性7人がわらじの周りに立ち、祝い唄エレワカやサンヤレなどを唄う。堤防の上も見学者であふれている。 | 志摩市大王町波切 | 1978.9.7 |
5630 | 波切わらじ祭3-3-5 | 須場の浜で松井兵太夫家当主、5人の稚児役と介添え、三役、町の有志が並ぶ。高齢女性7人がわらじの周りに立ち、祝い唄エレワカやサンヤレなどを唄う。堤防の上も見学者であふれている。 | 志摩市大王町波切 | 1978.9.7 |
5631 | 波切わらじ祭3-3-6 | 須場の浜で松井兵太夫家当主、5人の稚児役と介添え、三役、町の有志が並ぶ。高齢女性7人がわらじの周りに立ち、祝い唄エレワカやサンヤレなどを唄う。堤防の上も見学者であふれている。 | 志摩市大王町波切 | 1978.9.7 |
5632 | 波切わらじ祭3-4-1 | 須場の浜で松井兵太夫家当主、5人の稚児役と介添え、三役、町の有志が並ぶ。高齢女性7人がわらじの周りに立ち、祝い唄エレワカやサンヤレなどを唄う。堤防の上も見学者であふれている。 | 志摩市大王町波切 | 1978.9.7 |
5633 | 波切わらじ祭3-4-2 | 須場の浜で松井兵太夫家当主と稚児、介添え、三役、町の有志が並ぶ。七人婆(しちにんばあ)がわらじの周りに立ち祝い唄などを唱える。 堤防の上にも人が溢れ、足を突き出して座る姿が写っている。(「丘端の記憶 波切の暮らし写真展」報告書より) | 志摩市大王町波切 | 1978.9.7 |
5634 | 波切わらじ祭3-4-3 | 須場の浜で松井兵太夫家当主、5人の稚児役と介添え、三役、町の有志が並ぶ。高齢女性7人がわらじの周りに立ち、祝い唄エレワカやサンヤレなどを唄う。堤防の上も見学者であふれている。 | 志摩市大王町波切 | 1978.9.7 |
5635 | 波切わらじ祭3-4-4 | 須場の浜での神事が終わり、わらじを担いで海に入る4人の若者。 | 志摩市大王町波切 | 1978.9.7 |
5636 | 波切わらじ祭3-4-5 | 4人の若者がわらじを200m沖合まで泳いで大王島へ向けて流す。この頃沖には大王島方向への潮流があるといわれている。沖では、更に沖へと流しに行く船が待機しており、大王島の沖まで船で曳いて流してくる。 | 志摩市大王町波切 | 1978.9.7 |
5637 | 波切の海女7-1-1 | 漁を終え、須場の浜で休む2人のカチド海女とタンポや足ひれなどの道具を担いで石段を上がる、2人のカチド海女。 | 志摩市大王町波切 | 1978.9.7 |
5638 | 波切の海女7-1-2 | 漁を終え、手押し車に道具を乗せて帰るカチド海女の後ろ姿。 | 志摩市大王町波切 | 1978.9.7 |
5639 | 志島浅間祭1-1-1 | 志島の広岡の浜で行われる浅間祭。総垢離(そうごうり)とも言う。古くは旧歴5月28日に海蔵寺薬師堂を拠点に行われ、12年目の丑年ごとに富士参りを行っていた。祭の前日に講元が造った砂の祭壇に、小枝を残した真竹へ大しでをつけたもの8本、その間へ「富士浅間大権現」と大書した幟を4本立てる。午後になって集まったステテコ姿やふんどし姿の男たちが、数珠を繰りながら垢離をとる。砂の祭壇に海水で清めた小石を供えた後、ヨウヨウヨウと3回唱え鈴を振りながら呪文を唱える。写真は砂の祭壇に小石を供える男たち。参考文献:『阿児町史』昭和52年発行(以下キャプションは同文献を参照) | 志摩市阿児町志島 | 1986.6.28 |
5640 | 志島浅間祭1-1-2 | 海水で清めた小石を砂の祭壇に供える男たち。アルバムのデータ記載欄には「海に浸した石を1つずつ供える」と記される。 | 志摩市阿児町志島 | 1986.6.28 |
5641 | 志島浅間祭1-1-3 | 海水で清めた小石を砂の祭壇に供える男たち。アルバムのデータ記載欄には「海に浸した石を1つずつ供える」と記される。 | 志摩市阿児町志島 | 1986.6.28 |
5642 | 志島浅間祭1-2-1 | 数珠を手に巻き、砂の祭壇に向かって手を合わせる男たち。 | 志摩市阿児町志島 | 1986.6.28 |
5643 | 志島浅間祭1-2-2 | 全員が砂の祭壇の前に座り、ヨウヨウヨウと3回唱え、講元が鈴を振りながら先導して真言を唱和する。前方から撮影。 | 志摩市阿児町志島 | 1986.6.28 |
5644 | 志島浅間祭1-2-3 | 全員が砂の祭壇の前に座り、ヨウヨウヨウと3回唱え、講元が鈴を振りながら先導して真言を唱和する。前方から撮影。 | 志摩市阿児町志島 | 1986.6.28 |
5645 | 志島浅間祭1-2-4 | 全員が砂の祭壇の前に座り、ヨウヨウヨウと3回唱え、講元が鈴を振りながら先導して真言を唱和する。前方から撮影。 | 志摩市阿児町志島 | 1986.6.28 |
5646 | 志島浅間祭1-2-5 | 全員が砂の祭壇の前に座り、ヨウヨウヨウと3回唱え、講元が鈴を振りながら先導して真言を唱和する。前方から撮影。 | 志摩市阿児町志島 | 1986.6.28 |
5647 | 志島浅間祭1-2-6 | 全員が砂の祭壇の前に座り、ヨウヨウヨウと3回唱え、講元が鈴を振りながら先導して真言を唱和する。前方から撮影。 | 志摩市阿児町志島 | 1986.6.28 |
5648 | 志島浅間祭1-3-1 | 全員が砂の祭壇の前に座り、ヨウヨウヨウと3回唱え、講元が鈴を振りながら先導して真言を唱和する。前方から撮影。 | 志摩市阿児町志島 | 1986.6.28 |
5649 | 志島浅間祭1-3-2 | 全員が砂の祭壇の前に座り、ヨウヨウヨウと3回唱え、講元が鈴を振りながら先導して真言を唱和する。前方から撮影。 | 志摩市阿児町志島 | 1986.6.28 |
5650 | 志島浅間祭1-3-3 | 全員が砂の祭壇の前に座り、ヨウヨウヨウと3回唱え、講元が鈴を振りながら先導して真言を唱和する。前方から撮影。 | 志摩市阿児町志島 | 1986.6.28 |
5651 | 志島浅間祭1-3-4 | 全員が砂の祭壇の前に座り、ヨウヨウヨウと3回唱え、講元が鈴を振りながら先導して真言を唱和する。横から撮影。 | 志摩市阿児町志島 | 1986.6.28 |
5652 | 志島浅間祭1-3-5 | 全員が砂の祭壇の前に座り、ヨウヨウヨウと3回唱え、講元が鈴を振りながら先導して真言を唱和する。背後から撮影。 | 志摩市阿児町志島 | 1986.6.28 |
5653 | 志島浅間祭1-3-6 | 全員が砂の祭壇の前に座り、ヨウヨウヨウと3回唱え、講元が鈴を振りながら先導して真言を唱和する。背後から撮影。 | 志摩市阿児町志島 | 1986.6.28 |
5654 | 志島浅間祭1-4-1 | 全員が砂の祭壇の前に座り、ヨウヨウヨウと3回唱え、講元が鈴を振りながら先導して真言を唱和する。背後から撮影。 | 志摩市阿児町志島 | 1986.6.28 |
5655 | 志島浅間祭1-4-2 | 全員が砂の祭壇の前に座り、ヨウヨウヨウと3回唱え、講元が鈴を振りながら先導して真言を唱和する。背後から撮影。 | 志摩市阿児町志島 | 1986.6.28 |
5656 | 志島浅間祭1-4-3 | 全員が砂の祭壇の前に座り、ヨウヨウヨウと3回唱え、講元が鈴を振りながら先導して真言を唱和する。背後から撮影。 | 志摩市阿児町志島 | 1986.6.28 |
5657 | 志島浅間祭1-4-4 | 全員が砂の祭壇の前に座り、ヨウヨウヨウと3回唱え、講元が鈴を振りながら先導して真言を唱和する。前方から撮影。 | 志摩市阿児町志島 | 1986.6.28 |
5658 | 志島浅間祭1-4-5 | 全員が砂の祭壇の前に座り、ヨウヨウヨウと3回唱え、講元が鈴を振りながら先導して真言を唱和する。前方から撮影。 | 志摩市阿児町志島 | 1986.6.28 |
5659 | 志島浅間祭1-4-6 | 全員が砂の祭壇の前に座り、ヨウヨウヨウと3回唱え、講元が鈴を振りながら先導して真言を唱和する。前方から撮影。 | 志摩市阿児町志島 | 1986.6.28 |
5660 | 志島浅間祭1-5-1 | 全員が砂の祭壇の前に座り、ヨウヨウヨウと3回唱え、講元が鈴を振りながら先導して真言を唱和する。前方から撮影。 | 志摩市阿児町志島 | 1986.6.28 |
5661 | 志島浅間祭1-5-2 | 全員が砂の祭壇の前に座り、ヨウヨウヨウと3回唱え、講元が鈴を振りながら先導して真言を唱和する。前方から撮影。 | 志摩市阿児町志島 | 1986.6.28 |
5662 | 志島浅間祭1-5-3 | 丸めた砂を、富士山の形に積み上げていく。それぞれ丸めた砂を運ぶ男たち。 | 志摩市阿児町志島 | 1986.6.28 |
5663 | 志島浅間祭1-5-4 | 丸めた砂を、富士山の形に積み上げていく。それぞれ丸めた砂を運ぶ男たち。 | 志摩市阿児町志島 | 1986.6.28 |
5664 | 志島浅間祭1-5-5 | 丸めた砂を、富士山の形に積み上げていく。それぞれ丸めた砂を運ぶ男たち。 | 志摩市阿児町志島 | 1986.6.28 |
5665 | 志島浅間祭1-5-6 | 丸めた砂を、富士山の形に積み上げていく。それぞれ丸めた砂を運ぶ男たち。 | 志摩市阿児町志島 | 1986.6.28 |
5666 | 志島浅間祭1-6-1 | 丸めた砂を、富士山の形に積み上げていく。それぞれ丸めた砂を運ぶ男たち。 | 志摩市阿児町志島 | 1986.6.28 |
5667 | 志島浅間祭1-6-2 | 参加者全員が波打ち際の小石を拾う。これを3回繰り返す。 | 志摩市阿児町志島 | 1986.6.28 |
5668 | 志島浅間祭1-6-3 | 参加者全員が波打ち際の小石を拾う。これを3回繰り返す。 | 志摩市阿児町志島 | 1986.6.28 |
5669 | 志島浅間祭1-6-4 | 参加者全員が波打ち際の小石を拾う。これを3回繰り返す。 | 志摩市阿児町志島 | 1986.6.28 |
5670 | 志島浅間祭2-1-1 | 丸めた砂を、富士山の形に積み上げていく。それぞれ丸めた砂を運ぶ男たち。アルバムのデータ欄には「念仏の後に浜砂で小富士を作る」と記される。 | 志摩市阿児町志島 | 1986.6.28 |
5671 | 志島浅間祭2-1-2 | 紙垂を付けた8本の竹を立てた下の部分へ、砂を丸めて富士山の形に積み上げていく。それぞれ丸めた砂を運ぶ男たち。アルバムのデータ欄には「念仏の後に浜砂で小富士を作る」と記される。 | 志摩市阿児町志島 | 1986.6.28 |
5672 | 志島浅間祭2-1-3 | 紙垂を付けた8本の竹を立てた下の部分へ、砂を丸めて富士山の形に積み上げていく。それぞれ丸めた砂を運ぶ男たち。アルバムのデータ欄には「念仏の後に浜砂で小富士を作る」と記される。 | 志摩市阿児町志島 | 1986.6.28 |
5673 | 志島浅間祭2-1-4 | 紙垂を付けた8本の竹を立てた下の部分へ、砂を丸めて富士山の形に積み上げていく。それぞれ丸めた砂を運ぶ男たち。アルバムのデータ欄には「念仏の後に浜砂で小富士を作る」と記される。 | 志摩市阿児町志島 | 1986.6.28 |
5674 | 志島浅間祭2-1-5 | 賄い役が用意したアラメの煮しめと削り節を肴に、オミキを朱盃で回し直会をする。 | 志摩市阿児町志島 | 1986.6.28 |
5675 | 志島浅間祭2-1-6 | 賄い役が用意したアラメの煮しめと削り節を肴に、オミキを朱盃で回し直会をする。 | 志摩市阿児町志島 | 1986.6.28 |
5676 | 志島浅間祭2-2-1 | 賄い役が用意したアラメの煮しめと削り節を肴に、オミキを朱盃で回し直会をする。 | 志摩市阿児町志島 | 1986.6.28 |
5677 | 志島浅間祭2-2-2 | 賄い役が用意したアラメの煮しめと削り節を肴に、オミキを朱盃で回し直会をする。 | 志摩市阿児町志島 | 1986.6.28 |
5678 | 志島浅間祭2-2-3 | 賄い役が用意したアラメの煮しめと削り節を肴に、オミキを朱盃で回し直会をする。 | 志摩市阿児町志島 | 1986.6.28 |
5679 | 志島浅間祭2-2-4 | 賄い役が用意したアラメの煮しめと削り節を肴に、オミキを朱盃で回し直会をする。 | 志摩市阿児町志島 | 1986.6.28 |
5680 | 志島浅間祭2-4-1 | 全員が砂の祭壇の前に座り、ヨウヨウヨウと3回唱え、講元が鈴を振りながら先導して真言を唱和する。前方から撮影。 | 志摩市阿児町志島 | 1986.6.28 |
5681 | 志島浅間祭2-4-2 | 全員が砂の祭壇の前に座り、ヨウヨウヨウと3回唱え、講元が鈴を振りながら先導して真言を唱和する。前方から撮影。 | 志摩市阿児町志島 | 1986.6.28 |
5682 | 志島浅間祭2-4-3 | 紙垂を付けた8本の竹を立てた下の部分へ、砂を丸めて富士山の形に積み上げていく。それぞれ丸めた砂を運ぶ男たち。 | 志摩市阿児町志島 | 1986.6.28 |
5683 | 志島浅間祭2-4-4 | 紙垂を付けた8本の竹を立てた下の部分へ、砂を丸めて富士山の形に積み上げていく。それぞれ丸めた砂を運ぶ男たち。 | 志摩市阿児町志島 | 1986.6.28 |
5684 | 志島浅間祭2-4-5 | 紙垂を付けた8本の竹を立てた下の部分へ、砂を丸めて富士山の形に積み上げていく。それぞれ丸めた砂を運ぶ男たち。 | 志摩市阿児町志島 | 1986.6.28 |
5685 | 志島浅間祭2-4-6 | 紙垂を付けた8本の竹を立てた下の部分へ、砂を丸めて富士山の形に積み上げていく。それぞれ丸めた砂を運ぶ男たち。 | 志摩市阿児町志島 | 1986.6.28 |
5686 | 志島浅間祭2-5-1 | 紙垂を付けた8本の竹を立てた下の部分へ、砂を丸めて富士山の形に積み上げていく。それぞれ丸めた砂を運ぶ男たち。 | 志摩市阿児町志島 | 1986.6.28 |
5687 | 志島浅間祭2-5-2 | 紙垂を付けた8本の竹を立てた下の部分へ、砂を丸めて富士山の形に積み上げていく。それぞれ丸めた砂を運ぶ男たち。 | 志摩市阿児町志島 | 1986.6.28 |
5688 | 志島浅間祭2-5-3 | 砂浜に板を敷き、それぞれアラメの煮しめと削り節を入れた重箱とオミキを置いて直会の準備をする賄い役。 | 志摩市阿児町志島 | 1986.6.28 |
5689 | 志島浅間祭2-5-4 | 賄い役が用意したアラメの煮しめや削り節を肴に、オミキを朱盃で回し直会をする。 | 志摩市阿児町志島 | 1986.6.28 |
5690 | 志島浅間祭2-5-5 | 賄い役が用意したアラメの煮しめや削り節を肴に、オミキを朱盃で回し直会をする。 | 志摩市阿児町志島 | 1986.6.28 |
5691 | 志島浅間祭2-5-6 | 神事が終わり、砂を積み上げた富士山の脇に紙垂の付いた竹が砂浜の上に横たわる。 | 志摩市阿児町志島 | 1986.6.28 |
5692 | 志島浅間祭2-6-1 | 海女船の横に立つ、浅間祭の参加者。 | 志摩市阿児町志島 | 1986.6.28 |
5693 | 志島浅間祭2-6-2 | 海女船に積んだタマ。竹製の柄が白いビニールで補強されている。 | 志摩市阿児町志島 | 1986.6.28 |
5694 | 海の博物館職員2-6-3 (非公開) | 海の博物館職員移動中の一幕。(非公開) | ||
5695 | 志島浅間祭3-1-1 | 各家のカイド(屋敷が道路に接する箇所)に紙垂をつけた竹を立て、浅間祭の時にこの竹を取り替える風習があった。広岡の浜で、富士山の方向に向かい手を合わせた後、自宅に戻る林の国じいさん。 | 志摩市阿児町志島 | 1986.6.28 |
5696 | 志島浅間祭3-1-2 | 参加者全員が波打ち際の小石を拾う。これを3回繰り返す。 | 志摩市阿児町志島 | 1986.6.28 |
5697 | 志島浅間祭3-1-3 | 海水で身を清める参加者。 | 志摩市阿児町志島 | 1986.6.28 |
5698 | 志島浅間祭3-1-4 | 海水で身を清める参加者。 | 志摩市阿児町志島 | 1986.6.28 |
5699 | 志島浅間祭3-1-5 | 参加者全員が波打ち際の小石を拾う。これを3回繰り返す。 | 志摩市阿児町志島 | 1986.6.28 |
5700 | 志島浅間祭3-1-6 | 海水で身を清める参加者。 | 志摩市阿児町志島 | 1986.6.28 |
5701 | 志島浅間祭3-2-1 | 広岡の浜に引き上げられた海女船。海女船の前には「スベリ」と呼ばれる丸太が並ぶ。海女船は、スベリに鯨の油を塗りその上を滑らせながら浜へ引き上げた。 | 志摩市阿児町志島 | 1986.6.28 |
5702 | 志島浅間祭3-2-2 | 各家のカイド(屋敷が道路に接する箇所)に紙垂をつけた竹を立て、浅間祭の時にこの竹を取り替える風習があった。紙垂を付けた竹を右肩に担いで広岡の浜へ向かう男性。左手にはオミキと数珠、洗米を入れた盆を持っている。 | 志摩市阿児町志島 | 1986.6.28 |
5703 | 志島浅間祭3-2-3 | 波打ち際で紙垂を付けた竹を3本三角形の位置に立て、上部の葉の部分を結ぶ。そして波打ち際の砂をすくい、半紙の上にいくつかに分けて丸め、洗米と一緒に供え、富士山の方向に手を合わせる男性。その前方には紙垂を付けた1本の竹を波打ち際に立て、砂をすくいに行く男性の後ろ姿が写る。 | 志摩市阿児町志島 | 1986.6.28 |
5704 | 志島浅間祭3-2-4 | 砂をすくった男性が紙垂を付けた竹の所へ戻る。№5703に写った後ろ姿の男性である。 | 志摩市阿児町志島 | 1986.6.28 |
5705 | 志島浅間祭3-2-5 | 波打ち際に立てた竹の下に半紙を敷き、その上に洗米を供える男性。 | 志摩市阿児町志島 | 1986.6.28 |
5706 | 志島浅間祭3-2-6 | 波打ち際で紙垂を付けた竹を3本三角形の位置に立て、上部の葉の部分を結ぶ。そして波打ち際の砂をすくい、半紙の上にいくつかに分けて丸め、洗米と一緒に供え、富士山の方向に手を合わせる男性。 | 志摩市阿児町志島 | 1986.6.28 |
5707 | 志島浅間祭3-3-1 | 波打ち際で紙垂を付けた竹を4本三角形の位置に立て、上部の葉の部分を結ぶ。そして波打ち際の砂をすくい、半紙の上にいくつかに分けて丸め、洗米と一緒に供え、富士山の方向に手を合わせる男性。 | 志摩市阿児町志島 | 1986.6.28 |
5708 | 志島浅間祭3-3-2 | 各家のカイド(屋敷が道路に接する箇所)に紙垂をつけた竹を立て、浅間祭の時にこの竹を取り替える風習があった。紙垂を付けた竹を持って広岡の浜へ向かう男性。左手にはオミキと数珠、洗米を入れた盆を持っている。 | 志摩市阿児町志島 | 1986.6.28 |
5709 | 志島の海女1-1-1 | 「広岡の浜」のテトラポッド(消波ブロック)の上から出漁するオヨギドの海女。この当時は古着を重ね着し、靴下をゴムで止め、頭には白い被り物を付けている。足ひれもまだ使っていない。№5709~5715は同じ海女である。(志島ではカチド海女をオヨギドと呼ぶ)参考:志島の元海女さん(昭和7年生)から聞き取り。以下海女に関しての記述は、同じ元海女さんからの聞き取りに依る。(2020.5.28) | 志摩市阿児町志島 | 1983.9.14 |
5710 | 志島の海女1-1-2 | 広岡の浜のテトラポッド(消波ブロック)に座り、粘土状のミミヅメを耳に詰めやすいように指先でもむオヨギドの海女。№5709~5715は同じ海女である。 | 志摩市阿児町志島 | 1983.9.14 |
5711 | 志島の海女1-1-3 | 広岡の浜のテトラポッド(消波ブロック)に座り、粘土状のミミヅメを耳に詰めやすいように指先でもむオヨギドの海女。№5709~5715は同じ海女である。 | 志摩市阿児町志島 | 1983.9.14 |
5712 | 志島の海女1-1-4 | 広岡の浜のテトラポッド(消波ブロック)に座り、粘土状のミミヅメを耳に詰めるオヨギドの海女。№5709~5715は同じ海女である。 | 志摩市阿児町志島 | 1983.9.14 |
5713 | 志島の海女1-1-5 | その後タンポ(浮き輪)に付けたスカリの口を絞める。№5709~5715は同じ海女である。 | 志摩市阿児町志島 | 1983.9.14 |
5714 | 志島の海女1-1-6 | スカリ(獲物を入れる網袋)を付けたタンポ(浮き輪)を海に浮かべ、海に入るオヨギドの海女。タンポには、大小の磯ノミ2本とアワビの大きさを測るスンボウがゴムでくくり付けられている。№5709~5715は同じ海女である。 | 志摩市阿児町志島 | 1983.9.14 |
5715 | 志島の海女1-2-1 | スカリ(獲物を入れる網袋)を付けたタンポ(浮き輪)につかまり、漁場に向かって泳ぎ出すオヨギドの海女。№5709~5715は同じ海女である。 | 志摩市阿児町志島 | 1983.9.14 |
5716 | 志島の海女1-2-2 | スカリ(獲物を入れる網袋)を付けたタンポ(浮き輪)につかまり、漁場に向かって泳ぎ出したオヨギドの海女。 | 志摩市阿児町志島 | 1983.9.14 |
5717 | 志島の海女1-2-3 | スカリ(獲物を入れる網袋)を付けたタンポ(浮き輪)につかまり、漁場に向かって泳ぎ出したオヨギドの海女。 | 志摩市阿児町志島 | 1983.9.14 |
5718 | 志島の海女1-2-4 | スカリ(獲物を入れる網袋)を付けたタンポ(浮き輪)につかまり、漁場に向かって泳ぎ出した2人のオヨギドの海女。 | 志摩市阿児町志島 | 1983.9.14 |
5719 | 志島の海女1-2-5 | 磯メガネを手に持ち、海を眺めるオヨギドの海女。№5719~5726は同じ海女である。 | 志摩市阿児町志島 | 1983.9.14 |
5720 | 志島の海女1-2-6 | 磯メガネを付け、軍手をはめるオヨギドの海女。№5719~5726は同じ海女である。 | 志摩市阿児町志島 | 1983.9.14 |
5721 | 志島の海女1-3-1 | 磯メガネを付け、軍手をはめるオヨギドの海女。№5719~5726は同じ海女である。 | 志摩市阿児町志島 | 1983.9.14 |
5722 | 志島の海女1-3-2 | 磯メガネを付け、軍手をはめるオヨギドの海女。背後に他の海女が手に持つ磯メガネが写る。№5719~5726は同じ海女である。 | 志摩市阿児町志島 | 1983.9.14 |
5723 | 志島の海女1-3-3 | 海を眺めながら、磯メガネにくもり止めを塗るオヨギドの海女。№5719~5726は同じ海女である。 | 志摩市阿児町志島 | 1983.9.14 |
5724 | 志島の海女1-3-4 | 出漁するオヨギドの海女。背後に磯メガネを持ち出漁の準備をする海女が写る。№5719~5726は同じ海女である。 | 志摩市阿児町志島 | 1983.9.14 |
5725 | 志島の海女1-3-5 | スカリ(獲物を入れる網袋)を付けたタンポ(浮き輪)につかまり、出漁するオヨギドの海女。背後に磯メガネを持ち出漁の準備をする海女が写る。№5719~5726は同じ海女である。 | 志摩市阿児町志島 | 1983.9.14 |
5726 | 志島の海女1-3-6 | スカリ(獲物を入れる網袋)を付けたタンポ(浮き輪)につかまり、泳ぎ出すオヨギドの海女。№5719~5726は同じ海女である。 | 志摩市阿児町志島 | 1983.9.14 |
5727 | 志島の海女1-4-1 | 磯メガネを付け、出漁の準備をするオヨギドの海女。№5727~5732は同じ海女である。 | 志摩市阿児町志島 | 1983.9.14 |
5728 | 志島の海女1-4-2 | タンポにつかまり、泳ぎ出すオヨギドの海女。№5727~5732は同じ海女である。 | 志摩市阿児町志島 | 1983.9.14 |
5729 | 志島の海女1-4-3 | 磯メガネを付け、出漁の準備をするオヨギドの海女。№5727~5732は同じ海女である。 | 志摩市阿児町志島 | 1983.9.14 |
5730 | 志島の海女1-4-4 | 磯メガネを付け、出漁の準備をするオヨギドの海女。№5727~5732は同じ海女である。 | 志摩市阿児町志島 | 1983.9.14 |
5731 | 志島の海女1-4-5 | スカリ(獲物を入れる網袋)を付けたタンポ(浮き輪)につかまり、泳ぎ出すオヨギドの海女。№5727~5732は同じ海女である。 | 志摩市阿児町志島 | 1983.9.14 |
5732 | 志島の海女1-4-6 | スカリ(獲物を入れる網袋)を付けたタンポ(浮き輪)につかまり、泳ぎ出すオヨギドの海女。№5727~5732は同じ海女である。 | 志摩市阿児町志島 | 1983.9.14 |
5733 | 志島の海女1-5-1 | 「前の浜」の堤防に正座をし、海の様子を見ながら出漁準備をするオヨギドの海女。№5733~5735は同じ海女である。 | 志摩市阿児町志島 | 1983.9.14 |
5734 | 志島の海女1-5-2 | 「前の浜」の堤防に正座をし、海の様子を見ながら出漁準備をするオヨギドの海女。№5733~5735は同じ海女である。※スライドには全体的に薄緑色のカビがある。 | 志摩市阿児町志島 | 1983.9.14 |
5735 | 志島の海女1-6-1 | 準備を終え、スカリ(獲物を入れる網袋)を付けたタンポ(浮き輪)を持ってテトラポットに向かうオヨギドの海女。後ろ姿。№5733~5735は同じ海女である。 | 志摩市阿児町志島 | 1983.9.14 |
5736 | 志島の海女1-6-2 | 東海中学校の赤いジャージの上下(孫のお下がり)を着てタンポを持ち、前の浜の堤防に続くコンクリート製の石段を下りる、オヨギドの海女。№5737~5739は同じ海女である。 | 志摩市阿児町志島 | 1983.9.14 |
5737 | 志島の海女1-6-3 | 東海中学校の赤いジャージの上下(孫のお下がり)を着てタンポを持ち、前の浜の堤防に続くコンクリート製の石段を下りる、オヨギドの海女。№5737~5739は同じ海女である。 | 志摩市阿児町志島 | 1983.9.14 |
5738 | 志島の海女1-6-4 | 東海中学校の赤いジャージの上下(孫のお下がり)を着てタンポ(浮き輪)を持ち、前の浜の堤防に続くコンクリート製の石段を下りる、オヨギドの海女。腰にタンポと自分をつなぐ「ハラオビナ」と呼ばれる綱を巻き、靴下が脱げないように足首と足の甲をゴムで留めている。右手に磯メガネのくもり止め用のヨモギと思われるものを握っている。№5737~5739は同じ海女である。※スライドの左側に少し薄緑色のカビがある。 | 志摩市阿児町志島 | 1983.9.14 |
5739 | 志島の海女1-6-5 | 海に入るため、テトラポットに向かうオヨギドの海女の後ろ姿。ジャージのズボンに「東海中 出口〇〇〇」と書いた白い布が縫い付けられている。№5737~5739は同じ海女である。 | 志摩市阿児町志島 | 1983.9.14 |
5740 | 志島の海女1-6-6 | 青い縞のシャツを着て男性ものの白いバッチをはき、前の浜の堤防を歩くオヨギドの海女。タンポ(浮き輪)持って腰にタンポと自分をつなぐ「ハラオビナ」と呼ばれる綱を巻いている。さらに靴下が脱げないように足首と足の甲をゴムで留めている。右手に磯メガネのくもり止め用のヨモギと思われるものを握っている。№5740~5743.5747~5757は同じ海女である。※スライドに全体的に薄緑色のカビがある。 | 志摩市阿児町志島 | 1983.9.14 |
5741 | 志島の海女2-1-1 | 青い縞のシャツを着て男性ものの白いバッチをはき、前の浜の堤防を歩くオヨギドの海女。タンポ(浮き輪)持って腰にタンポと自分をつなぐ「ハラオビナ」と呼ばれる綱を巻いている。さらに靴下が脱げないように足首と足の甲をゴムで留めている。右手に磯メガネのくもり止め用のヨモギと思われるものを握っている。№5740~5743.5747~5757は同じ海女である。 | 志摩市阿児町志島 | 1983.9.14 |
5742 | 志島の海女2-1-2 | 青い縞のシャツを着て男性ものの白いバッチをはき、前の浜の堤防を歩くオヨギドの海女。タンポ(浮き輪)持って腰にタンポと自分をつなぐ「ハラオビナ」と呼ばれる綱を巻いている。さらに靴下が脱げないように足首と足の甲をゴムで留めている。右手に磯メガネのくもり止め用のヨモギと思われるものを握っている。№5740~5743.5747~5757は同じ海女である。 | 志摩市阿児町志島 | 1983.9.14 |
5743 | 志島の海女2-1-3 | 海に入るため、テトラポッド(消波ブロック)に向かうオヨギドの海女の後ろ姿。 | 志摩市阿児町志島 | 1983.9.14 |
5744 | 志島の海女2-1-4 | タンポ(浮き輪)につかまり、漁場に向かって泳ぐ、2人の海女(№5737~5739・№5733~5735) | 志摩市阿児町志島 | 1983.9.14 |
5745 | 志島の海女2-1-5 | タンポ(浮き輪)につかまり、漁場に向かって泳ぐ、2人の海女(№5737~5739・№5733~5735) | 志摩市阿児町志島 | 1983.9.14 |
5746 | 志島の海女2-1-6 | タンポ(浮き輪)につかまり、漁場に向かって泳ぐ、2人の海女(№5737~5739・№5733~5735) | 志摩市阿児町志島 | 1983.9.14 |
5747 | 志島の海女2-2-1 | 海に入るため、テトラポッド(消波ブロック)を伝って下りる海女。白いテヌグイを巻き、その上に磯メガネを付けている。№5740~5743.5747~5757は同じ海女である。 | 志摩市阿児町志島 | 1983.9.14 |
5748 | 志島の海女2-2-2 | 海に入る前に、磯メガネを海水で濡らす。№5748~5752は、海へ入るまでの連続写真である。 | 志摩市阿児町志島 | 1983.9.14 |
5749 | 志島の海女2-2-3 | 濡らした磯メガネを持ち、テトラポッド(消波ブロック)の上から漁場を見る。№5748~5752は、海へ入るまでの連続写真である。 | 志摩市阿児町志島 | 1983.9.14 |
5750 | 志島の海女2-2-4 | 磯メガネを付ける。№5748~5752は、海へ入るまでの連続写真である。 | 志摩市阿児町志島 | 1983.9.14 |
5751 | 志島の海女2-2-5 | 磯メガネを付ける。№5748~5752は、海へ入るまでの連続写真である。 | 志摩市阿児町志島 | 1983.9.14 |
5752 | 志島の海女2-2-6 | 磯メガネを付けた後、軍手をはめる。№5748~5752は、海へ入るまでの連続写真である。 | 志摩市阿児町志島 | 1983.9.14 |
5753 | 志島の海女2-3-1 | その後タンポにつかまり、漁場に向かって泳ぐ。№5740~5743.5747~5757は同じ海女である。 | 志摩市阿児町志島 | 1983.9.14 |
5754 | 志島の海女2-3-2 | その後タンポにつかまり、漁場に向かって泳ぐ。№5740~5743.5747~5757は同じ海女である。 | 志摩市阿児町志島 | 1983.9.14 |
5755 | 志島の海女2-3-3 | その後タンポにつかまり、漁場に向かって泳ぐ。№5740~5743.5747~5757は同じ海女である。 | 志摩市阿児町志島 | 1983.9.14 |
5756 | 志島の海女2-3-4 | その後タンポにつかまり、漁場に向かって泳ぐ。№5740~5743.5747~5757は同じ海女である。 | 志摩市阿児町志島 | 1983.9.14 |
5757 | 志島の海女2-3-5 | その後タンポにつかまり、漁場に向かって泳ぐ。№5740~5743.5747~5757は同じ海女である。 | 志摩市阿児町志島 | 1983.9.14 |
5758 | 志島の海女小屋2-3-6 | 「前の浜」のオヨギド(カチド海女)の海女小屋。ブロック製。昼の休憩中か、磯着が網干しのナルや洗濯物干しに掛けられている。 | 志摩市阿児町志島 | 1983.9.14 |
5759 | 志島の海女小屋2-4-1 | 「前の浜」のオヨギド(カチド海女)の海女小屋。ブロック製。昼の休憩中か、磯着が網干しのナルや洗濯物干しに掛けられている。 | 志摩市阿児町志島 | 1983.9.14 |
5760 | 志島の海女2-4-2 | №5758の海女小屋の中の様子。海女小屋中央の囲炉裏からは煙が上がっている。焚火のオキ(熾火)でアラレを煎る1人の海女。海女の傍らには新聞紙を広げ、その上に乾燥した生のアラレが置いてある。 | 志摩市阿児町志島 | 1983.9.14 |
5761 | 志島の海女2-4-3 | №5758の海女小屋の中の様子。海女小屋中央の囲炉裏からは煙が上がっている。焚火のオキ(熾火)でアラレを煎る1人の海女。海女の傍らには新聞紙を広げ、その上に乾燥した生のアラレが置いてある。 | 志摩市阿児町志島 | 1983.9.14 |
5762 | 志島の海女2-4-4 | №5758の海女小屋の中の様子。海女小屋中央の囲炉裏からは煙が上がっている。焚火のオキ(熾火)でアラレを煎る1人の海女。海女の傍らには新聞紙を広げ、その上に乾燥した生のアラレが置いてある。 | 志摩市阿児町志島 | 1983.9.14 |
5763 | 志島の海女2-4-5 | №5758の海女小屋の出入り口に座る海女。№5760~5762と同じ海女である。 | 志摩市阿児町志島 | 1983.9.14 |
5764 | 志島の海女2-4-6 | №5758の海女小屋の出入り口に座る海女。№5760~5762と同じ海女である。 | 志摩市阿児町志島 | 1983.9.14 |
5765 | 志島の海女小屋2-5-1 | 「広岡の浜」のトタン製の海女小屋。昼の休憩中か、磯着(シャツ、男性もののバッチ、ジャージ)が干してある。海女小屋の前には燃料の薪が積まれている。 | 志摩市阿児町志島 | 1983.9.14 |
5766 | 志島の海女船2-5-2 | 海女船。手作りのワカメ撒きが3本積んである。ワカメを巻く部分は、松の木の枝を利用したものである。 | 志摩市阿児町志島 | 1983.9.14 |
5767 | 志島の海女3-1-1 | ゴム草履を履いた男性の足元。ミスショット。 | 志摩市阿児町志島 | 1983.9.14 |
5768 | 志島の海女3-1-2 | 漁を終えてフノリの浜に着船した海女船(キサク屋の船)。浜には船を引き上げるためのスベリ(滑り木、丸太)が並べられている。スベリの上には、船を曳き上げやすいように鯨の油を塗る。以下、№5778までキサク屋の船を曳き上げる様子である。 | 志摩市阿児町志島 | 1983.9.14 |
5769 | 志島の海女3-1-3 | 海女船を曳き上げるために巻き上げ機のワイヤーを引っ張って、海女船に向かう海女。 | 志摩市阿児町志島 | 1983.9.14 |
5770 | 志島の海女3-1-4 | 海女船の曳き上げ綱とワイヤーをつなぐ。 | 志摩市阿児町志島 | 1983.9.14 |
5771 | 志島の海女3-1-5 | 海女船の曳き上げ綱とワイヤーをつないで船を引っぱる。船上では海女が水棹(みざお)で船を操る。トマエは船から降り、コベリを押している。 | 志摩市阿児町志島 | 1983.9.14 |
5772 | 志島の海女3-1-6 | 海女船の曳き上げ綱とワイヤーをつないで船を引っぱる。船上では海女が水棹(みざお)で船を操る。トマエは船から降り、コベリを押している。 | 志摩市阿児町志島 | 1983.9.14 |
5773 | 志島の海女3-2-1 | 海女船の曳き上げ綱とワイヤーをつないで船を引っぱる。船上では海女が水棹(みざお)で船を操る。トマエは船から降り、コベリを押している。 | 志摩市阿児町志島 | 1983.9.14 |
5774 | 志島の海女3-2-2 | 浜まで曳き上げられた海女船を、皆で力を合わせてスベリの上を押す。 | 志摩市阿児町志島 | 1983.9.14 |
5775 | 志島の海女3-2-3 | 浜まで曳き上げられた海女船を、皆で力を合わせてスベリの上を押す。 | 志摩市阿児町志島 | 1983.9.14 |
5776 | 志島の海女3-2-4 | 浜まで曳き上げられた海女船を、皆で力を合わせてスベリの上を押す。 | 志摩市阿児町志島 | 1983.9.14 |
5777 | 志島の海女3-2-5 | 海女船を曳き上げた後、スベリを片付ける3人の海女。 | 志摩市阿児町志島 | 1983.9.14 |
5778 | 志島の海女3-2-6 | 海女船を曳き上げた後、スベリを片付ける3人の海女。 | 志摩市阿児町志島 | 1983.9.14 |
5779 | 志島の海女3-3-1 | 漁を終え、獲物が入ったスカリと黒いプラ玉を肩に担いで浜を歩くオヨギドの海女。後方にオヨギドの海女が2人、小さく写っている。 | 志摩市阿児町志島 | 1983.9.14 |
5780 | 志島の海女3-3-2 | 漁を終え、獲物が入ったスカリとタンポを持って浜を歩くオヨギドの海女。右の奥に海女が1人、小さく写っている。 | 志摩市阿児町志島 | 1983.9.14 |
5781 | 志島の海女3-3-3 | 漁を終え、曳き上げられた海女船に積んだ獲物を整理する4人のフナド海女。№5768~5778のノリアイ船の海女たちである。 | 志摩市阿児町志島 | 1983.9.14 |
5782 | 志島の海女3-3-4 | 漁を終え、曳き上げられた海女船に積んだ獲物を整理する3人のフナド海女。手前の海女の青い被りものには魔よけの☆(志島ではキューキューメイリンと呼ぶ)が描かれている。№5768~5778のノリアイ船の海女たちである。 | 志摩市阿児町志島 | 1983.9.14 |
5783 | 志島の海女3-3-5 | №5782に写っている☆のアップ。黒いマジックで描かれている。 | 志摩市阿児町志島 | 1983.9.14 |
5784 | 志島の海女3-3-6 | №5782に写っている☆のアップ。黒いマジックで描かれている。アルバムのデータ記載欄には「魔よけの印」と記される。 | 志摩市阿児町志島 | 1983.9.14 |
5785 | 志島の海女3-4-1 | 漁を終え、曳き上げられた海女船。 | 志摩市阿児町志島 | 1983.9.14 |
5786 | 志島の海女3-4-2 | 漁を終え、曳き上げられた海女船。 | 志摩市阿児町志島 | 1983.9.14 |
5787 | 志島の海女3-4-3 | 白い被りものに黒いマジックで描かれた☆(志島ではキューキューメイリンと呼ぶ)。広岡の浜の海女小屋。 | 志摩市阿児町志島 | 1983.9.14 |
5788 | 志島の海女3-4-4 | 白い被りものに黒いマジックで描かれた☆(志島ではキューキューメイリンと呼ぶ)。広岡の浜の海女小屋。 | 志摩市阿児町志島 | 1983.9.14 |
5789 | 志島の海女3-4-5 | 白い被りものに黒いマジックで描かれた☆(志島ではキューキューメイリンと呼ぶ)。広岡の浜の海女小屋。 | 志摩市阿児町志島 | 1983.9.14 |
5790 | 志島の海女3-4-6 | 漁を終え、広岡の浜の海女小屋へ帰ってきたフナド海女たち。トマエの男性の後ろ姿も写る。 | 志摩市阿児町志島 | 1983.9.14 |
5791 | 志島の海女3-5-1 | 白いテヌグイに黒いマジックで描かれた☆(志島ではキューキューメイリンと呼ぶ)。広岡の浜の海女小屋。 | 志摩市阿児町志島 | 1983.9.14 |
5792 | 志島の海女3-5-2 | 白いテヌグイに黒いマジックで描かれた☆(志島ではキューキューメイリンと呼ぶ)。広岡の浜の海女小屋。 | 志摩市阿児町志島 | 1983.9.14 |
5793 | 志島の海女3-5-3 | 白いテヌグイに黒いマジックで描かれた☆(志島ではキューキューメイリンと呼ぶ)。広岡の浜の海女小屋。アルバムのデータ記載欄には「魔よけと呼んでいる」と記される。 | 志摩市阿児町志島 | 1983.9.14 |
5794 | 志島の海女3-5-4 | 漁を終え、広岡の浜の海女小屋の前で水を浴びるフナド海女たち。棹には脱いだジャージが干してある。 | 志摩市阿児町志島 | 1983.9.14 |
5795 | 志島の海女3-5-5 | 漁を終え、広岡の浜の海女小屋の前で水を浴びるフナド海女たち。棹には脱いだジャージが干してある。 | 志摩市阿児町志島 | 1983.9.14 |
5796 | 志島の海女3-5-6 | 漁を終え、広岡の浜の海女小屋の前で水を浴びるフナド海女たち。棹には脱いだジャージが干してある。 | 志摩市阿児町志島 | 1983.9.14 |
5797 | 志島の海女船4-1-1 | 漁を終え、広岡の浜のスベリの上に曳き上げられた海女船。後方から撮影。 | 志摩市阿児町志島 | 1983.6 |
5798 | 志島の海女船4-1-2 | 漁を終え、広岡の浜のスベリの上に曳き上げられた海女船。横から撮影、№5797と同じ船。 | 志摩市阿児町志島 | 1983.6 |
5799 | 志島の海女船4-1-3 | 漁を終え、広岡の浜のスベリの上に曳き上げられた海女船。横から撮影、№5797と同じ船。 | 志摩市阿児町志島 | 1983.6 |
5800 | 志島の海女船4-1-4 | 漁を終え、広岡の浜のスベリの上に曳き上げられた3艘の海女船。 | 志摩市阿児町志島 | 1983.6 |
5801 | 南伊勢町五ヶ所城址跡碑4-1-5 | 五ヶ所城址の石碑。五ヶ所浦の東方にある城山という丘に、竹林と雑木に囲まれて立つ。この城に拠ったのは、豪族愛洲氏。少し下った所に、居城跡がある。参考:南伊勢町観光協会HP | 度会郡南伊勢町五ヶ所浦 | 1983.6 |
5802 | 南伊勢町五ヶ所城址跡碑4-1-6 | 五ヶ所城址の石碑。五ヶ所浦の東方にある城山という丘に、竹林と雑木に囲まれて立つ。この城に拠ったのは、豪族愛洲氏。少し下った所に、居城跡がある。参考:南伊勢町観光協会HP | 度会郡南伊勢町五ヶ所浦 | 1983.6 |
5803 | 南伊勢町景観4-2-1 | 五ヶ所湾と思われる。(野村史隆氏談) | 度会郡南伊勢町五ヶ所浦 | 1983.6 |
5804 | 志島の船大工4-2-2 | 志島の船大工、東輝幸さんの作業場。新造船の傍らで作業をしている東さん。阿児町国府~大王町波切地区の海女船を造っていた。 | 志摩市阿児町志島 | 1983.6 |
5805 | 志島の船大工4-2-3 | 志島の船大工、東輝幸さんの作業場。新造船の傍らで作業をしている東さん。阿児町国府~大王町波切地区の海女船を造っていた。 | 志摩市阿児町志島 | 1983.6 |
5806 | 志島の船大工4-2-4 | 志島の船大工、東輝幸さんの作業場。完成した海女船。 | 志摩市阿児町志島 | 1983.6 |
5807 | 志島の船大工4-2-5 | 志島の船大工、東輝幸さんの作業場。新造船の傍らで作業をしている東さん。阿児町国府~大王町波切地区の海女船を造っていた。 | 志摩市阿児町志島 | 1983.6 |
5808 | 志島の船大工4-3-1 | 志島の船大工、東輝幸さんの作業場のコンクリート製の床。 | 志摩市阿児町志島 | 1983.6 |
5809 | 志島の海女船4-3-2 | 広岡の浜のスベリの上に曳き上げられた海女船3艘。 | 志摩市阿児町志島 | 1983.6 |
5810 | 志島の海女船4-3-3 | 広岡の浜のスベリの上に曳き上げられた海女船4艘。 | 志摩市阿児町志島 | 1983.6 |
5811 | 志島の海女船4-3-4 | 広岡の浜のスベリの上に曳き上げられた海女船。コベリに取り付けたサマタ(サンマタ)にミザオ(水棹)を掛けて、海女6人分の網スカリが掛けてある。 | 志摩市阿児町志島 | 1983.6 |
5812 | 志島の海女小屋作り(旧海の博物館)4-4-1 | 旧海の博物館屋外のシェルター内に志島の海女小屋を制作している様子。松の木の原木を土台にし、骨組みはツバキやシイノキなどの「カタ木」を使っている。格子状に組んだカタ木にムシロをワラ縄で縛って固定し、周りを囲む。作業しているのは志島の海女たちである。№5812~5844は一連の画像である。 | 鳥羽市小浜町 | 1973. |
5813 | 志島の海女小屋作り(旧海の博物館)4-4-2 | 松の木の原木を土台にし、骨組みはカタ木(樫やツバキの木)を使っている。格子状に組んだカタ木に、ムシロをワラ縄で縛って固定し周りを囲む。3人の海女が写る。 | 鳥羽市小浜町 | 1973. |
5814 | 志島の海女小屋作り(旧海の博物館)4-4-3 | 松の木の原木を土台にし、骨組みはツバキやシイノキなどの「カタ木」を使っている。格子状に組んだツバキやシイノキなどの「カタ木」に、ムシロをワラ縄で縛って固定し周りを囲む。4人の海女が写る。 | 鳥羽市小浜町 | 1973. |
5815 | 志島の海女小屋作り(旧海の博物館)4-4-4 | 松の木の原木を土台にし、骨組みはツバキやシイノキなどの「カタ木」を使っている。格子状に組んだカタ木に、ムシロをワラ縄で縛って固定し周りを囲む。4人の海女とトマエと思われる男性の後ろ姿が写る。 | 鳥羽市小浜町 | 1973. |
5816 | 志島の海女小屋作り(旧海の博物館)4-4-5 | 松の木の原木を土台にし、骨組みはツバキやシイノキなどの「カタ木」を使っている。カタ木を格子状に組む様子。3人の海女が写る。 | 鳥羽市小浜町 | 1973. |
5817 | 志島の海女小屋作り(旧海の博物館)4-4-6 | 松の木の原木を土台にし、骨組みはツバキやシイノキなどの「カタ木」を使っている。カタ木を格子状に組む様子。2人の海女が写る。 | 鳥羽市小浜町 | 1973. |
5818 | 志島の海女小屋作り(旧海の博物館)4-5-1 | 松の木の原木を土台にし、骨組みはツバキやシイノキなどの「カタ木」を使っている。手前の海女は、格子状に組んだカタ木にスパイキーを使ってムシロを柱に固定している。トマエと思われる、作業を手伝う男性が写る。 | 鳥羽市小浜町 | 1973. |
5819 | 志島の海女小屋作り(旧海の博物館)4-5-2 | 松の木の原木を土台にし、骨組みはツバキやシイノキなどの「カタ木」を使っている。手前の海女は、格子状に組んだカタ木にスパイキーを使ってムシロを柱に固定している。トマエだろうか、作業を手伝う男性が写る。 | 鳥羽市小浜町 | 1973. |
5820 | 志島の海女小屋作り(旧海の博物館)4-5-3 | 松の木の原木を土台にし、骨組みはツバキやシイノキなどの「カタ木」を使っている。格子状に組んだカタ木に、ムシロをワラ縄で縛って固定し周りを囲む。2人の海女が写る。 | 鳥羽市小浜町 | 1973. |
5821 | 志島の海女小屋作り(旧海の博物館)4-5-4 | 壁の部分が完成し、天井にムシロを取り付ける、2人の海女。 | 鳥羽市小浜町 | 1973. |
5822 | 志島の海女小屋作り(旧海の博物館)4-5-5 | 壁の部分が完成し、天井にもムシロを取り付ける海女、前方から撮影。 | 鳥羽市小浜町 | 1973. |
5823 | 志島の海女小屋作り(旧海の博物館)4-5-6 | 壁の部分が完成し、天井にムシロを取り付ける。5人の海女が写る。 | 鳥羽市小浜町 | 1973. |
5824 | 志島の海女小屋作り(旧海の博物館)5-1-1 | 壁の土台となる骨組みを組む、トマエと思われる男性と2人の海女。 | 鳥羽市小浜町 | 1973. |
5825 | 志島の海女小屋作り(旧海の博物館)5-1-2 | 壁の土台となる骨組みを組む、トマエと思われる男性と3人の海女。 | 鳥羽市小浜町 | 1973. |
5826 | 志島の海女小屋作り(旧海の博物館)5-1-3 | 壁の骨組みが完成し、ムシロを取り付けようとしている4人の海女。 | 鳥羽市小浜町 | 1973. |
5827 | 志島の海女小屋作り(旧海の博物館)5-1-4 | 壁の骨組みが完成し、ムシロを取り付けようとしている4人の海女。 | 鳥羽市小浜町 | 1973. |
5828 | 志島の海女小屋作り(旧海の博物館)5-1-5 | 格子状に組んだツバキやシイノキなどの「カタ木」に、ムシロをワラ縄で縛って固定し周りを囲む。次第に完成が近付く。 | 鳥羽市小浜町 | 1973. |
5829 | 志島の海女小屋作り(旧海の博物館)5-1-6 | スパイキ―を使って、ツバキやシイノキなどの「カタ木」の柱にムシロを取り付ける海女。 | 鳥羽市小浜町 | 1973. |
5830 | 志島の海女小屋作り(旧海の博物館)5-2-1 | ミスショット。作業をする海女がかすかに写るが、不鮮明である。 | 鳥羽市小浜町 | 1973. |
5831 | 志島の海女小屋作り(旧海の博物館)5-2-2 | 壁の土台となる骨組みを組む、3人の海女。 | 鳥羽市小浜町 | 1973. |
5832 | 志島の海女小屋作り(旧海の博物館)5-2-3 | 壁の土台となる骨組みを組む、トマエと思われる男性と4人の海女。 | 鳥羽市小浜町 | 1973. |
5833 | 志島の海女小屋作り(旧海の博物館)5-2-4 | 壁の土台となる骨組みを組む、トマエと思われる男性4人の海女。 | 鳥羽市小浜町 | 1973. |
5834 | 志島の海女小屋作り(旧海の博物館)5-2-5 | 壁の土台となる骨組みを組む、トマエと思われる男性と3人の海女。 | 鳥羽市小浜町 | 1973. |
5835 | 志島の海女小屋作り(旧海の博物館)5-2-6 | 天井の土台となる骨組みを組む、トマエと思われる男性と4人の海女。 | 鳥羽市小浜町 | 1973. |
5836 | 志島の海女小屋作り(旧海の博物館)5-2-7 | 格子状に組んだツバキやシイノキなどの「カタ木」に、ムシロをワラ縄で縛って固定し周りを囲む。4人の海女とトマエと思われる男性。 | 鳥羽市小浜町 | 1973. |
5837 | 志島の海女小屋作り(旧海の博物館)5-2-8 | 格子状に組んだツバキやシイノキなどの「カタ木」に、ムシロをワラ縄で縛って固定し周りを囲む。5人の海女とトマエと思われる男性。 | 鳥羽市小浜町 | 1973. |
5838 | 志島の海女小屋作り(旧海の博物館)5-2-9 | 格子状に組んだツバキやシイノキなどの「カタ木」に、ムシロをワラ縄で縛って固定し周りを囲む、6人の海女。 | 鳥羽市小浜町 | 1973. |
5839 | 志島の海女小屋作り(旧海の博物館)5-2-10 | 格子状に組んだツバキやシイノキなどの「カタ木」に、ムシロをワラ縄で縛って固定し周りを囲む。3人の海女とトマエと思われる男性。 | 鳥羽市小浜町 | 1973. |
5840 | 志島の海女小屋作り(旧海の博物館)5-2-11 | 格子状に組んだツバキやシイノキなどの「カタ木」に、ムシロをワラ縄で縛って固定し周りを囲む、6人の海女。 | 鳥羽市小浜町 | 1973. |
5841 | 志島の海女小屋作り(旧海の博物館)5-3-1 | ツバキやシイノキなどの「カタ木」で骨組みを作る、6人の海女。 | 鳥羽市小浜町 | 1973. |
5842 | 志島の海女小屋作り(旧海の博物館)5-3-2 | ツバキやシイノキなどの「カタ木」で骨組みを作る、6人の海女。 | 鳥羽市小浜町 | 1973. |
5843 | 志島の海女小屋作り(旧海の博物館)5-3-3 | ツバキやシイノキなどの「カタ木」で骨組みを作る、3人の海女。 | 鳥羽市小浜町 | 1973. |
5844 | 志島の海女小屋作り(旧海の博物館)5-3-4 | ツバキやシイノキなどの「カタ木」で骨組みを作る、5人の海女。 | 鳥羽市小浜町 | 1973. |
5845 | 志島の海女道具5-4-1 | タンポとスカリ。 | 志摩市阿児町志島 | 1983.6 |
5846 | 志島の海女道具5-4-2 | ムシロとフゴ。海女は、このフゴに弁当や着替えを入れて海女小屋に行く。 | 志摩市阿児町志島 | 1983.6 |
5847 | 志島の海女5-4-3 | 刺し子をする高齢女性の手元と思われる。 | 志摩市阿児町志島 | 1983.6 |
5848 | 志島の海女5-4-4 | 刺し子をする高齢女性の手元と思われる。 | 志摩市阿児町志島 | 1983.6 |
5849 | 志島の元海女5-4-5 | 明治時代、朝鮮へ出稼ぎに行った元海女だと思われる。(野村氏 談) | 志摩市阿児町志島 | 1983.6 |
5850 | 潜水ポンプ(鳥羽市神島漁業協同組合寄贈)5-4-6 | 資料番号:2352 潜水夫に空気を送る手動式ポンプ。神島において明治16年から行われている潜水漁業に使用した。神島では島まわりの岩礁地帯と鯛の島で潜水漁業が行われる。参考文献:海の博物館資料調査表 | 鳥羽市小浜町 | 1974.4.15 |
5851 | 潜水ポンプ(鳥羽市神島漁業協同組合寄贈)5-5-1 | 潜水ポンプ撮影時のミスショットだと思われる。コンクリート製の床が写る。 | 鳥羽市小浜町 | 1974.4.15 |
5852 | 志島の海女小屋作り(旧海の博物館)5-5-2 | 海女小屋が完成し、出たゴミを拾う2人の海女。 | 鳥羽市小浜町 | 1973. |
5853 | 志島の海女小屋作り(旧海の博物館)5-5-3 | 海女小屋が完成し、出たゴミを拾う4人の海女。 | 鳥羽市小浜町 | 1973. |
5854 | 志島の海女小屋作り(道具)5-5-4 | ムシロの上に並べられた、海女小屋作りに使用した道具。左からトンガ、シャベル、カマ2丁、スパイキ―、ナタ、カナヅチ。 | 鳥羽市小浜町 | 1973. |
5855 | 志島の海女小屋作り(道具)5-5-5 | 樫の木製のスパイキー。ロープやワイヤーの撚りと撚りの間をこじ開けたり、俵を編むときにも使われる。 | 鳥羽市小浜町 | 1973. |
5856 | 志島の海女道具5-6-1 | 船の舵と海女道具(滑車・ロープ・オモリ) | 志摩市阿児町志島 | 不明 |
5857 | 志島の海女道具5-6-2 | 道具小屋の内部。奥の押入れに桶やカゴ、箱メガネなどの漁具が所狭しと収納されている。 | 志摩市阿児町志島 | 不明 |
5858 | 志島の海女道具5-6-3 | 道具小屋の内部。天井の梁に担い棒を2本渡し、その上に磯桶を伏せて収納している。狭い小屋の中に、多くの漁具を収納するための工夫である。 | 志摩市阿児町志島 | 不明 |
5859 | 志島の海女小屋作り(海の博物館)6-1-1 | 昭和40(1965)年ころまで使われていた、志摩市志島の海女小屋の再現。海の博物館新館の展示用に、志島の海女6人に依頼して制作した。 海女漁の漁期に入る4月末、同じカマドを利用する仲間が棒杭、女竹、コモ、ムシロ、縄を持ち寄り、浜の隅の風が当たらない場所に建てた。大きさは1.5間四方(4.5畳)で、5人ほど入ることができる。4月の寒い時期は、コモでしっかり巻かれているが、夏の暑いころになるとコモをむしり取って風通しを良くする。そのため次第にあばら家になり、ちょうど台風が来るころには飛ばされて無くなるという。 写真はワラ製の土のうを円形に置いて土台とし、柱にするツバキやシイノキなどの「カタ木」を挿している様子。№5859~5873は制作過程一連の様子である。参考:展示用ファイル4・海女小屋・海女の一日 | 鳥羽市浦村町 | 1992.5.9 |
5860 | 志島の海女小屋作り(海の博物館)6-1-2 | ワラ製の土のうを円形に置いて土台とし、柱にするツバキやシイノキなどの「カタ木」を挿している様子。 | 鳥羽市浦村町 | 1992.5.9 |
5861 | 志島の海女小屋作り(海の博物館)6-1-3 | ワラ製の土のうを円形に置いて土台とし、柱にするツバキやシイノキなどの「カタ木」を挿している様子。 | 鳥羽市浦村町 | 1992.5.9 |
5862 | 志島の海女小屋作り(海の博物館)6-1-4 | 海女小屋を囲うためのムシロにワラ縄を通していく。 | 鳥羽市浦村町 | 1992.5.9 |
5863 | 志島の海女小屋作り(海の博物館)6-1-5 | ツバキやシイノキなどの「カタ木」を土のうに挿すため、ナタを使って先を尖らせる。 | 鳥羽市浦村町 | 1992.5.9 |
5864 | 志島の海女小屋作り(海の博物館)6-2-1 | 海女小屋を囲うためのムシロにワラ縄を通していく。 | 鳥羽市浦村町 | 1992.5.9 |
5865 | 志島の海女小屋作り(海の博物館)6-2-2 | ワラ縄を付けたムシロ。 | 鳥羽市浦村町 | 1992.5.9 |
5866 | 志島の海女小屋作り(海の博物館)6-2-3 | ワラ製の土のうを円形に置いて土台とし、柱にするツバキやシイノキなどの「カタ木」を挿している様子。 | 鳥羽市浦村町 | 1992.5.9 |
5867 | 志島の海女小屋作り(海の博物館)6-2-4 | ワラ製の土のうを円形に置いて土台とし、柱にするツバキやシイノキなどの「カタ木」を挿している様子。 | 鳥羽市浦村町 | 1992.5.9 |
5868 | 志島の海女小屋作り(海の博物館)6-2-5 | ワラ製の土のうを円形に置いて土台とし、柱にするツバキやシイノキなどの「カタ木」を土のうに挿して、円形の骨組みを作っていく。 | 鳥羽市浦村町 | 1992.5.9 |
5869 | 志島の海女小屋作り(海の博物館)6-2-6 | ワラ製の土のうを円形に置いて土台とし、柱にするツバキやシイノキなどの「カタ木」を土のうに挿して、円形の骨組みを作っていく。 | 鳥羽市浦村町 | 1992.5.9 |
5870 | 志島の海女小屋作り(海の博物館)6-3-1 | ワラ製の土のうを円形に置いて土台とし、柱にするツバキやシイノキなどの「カタ木」を土のうに挿して、円形の骨組みを作っていく。 | 鳥羽市浦村町 | 1992.5.9 |
5871 | 志島の海女小屋作り(海の博物館)6-3-2 | 海女小屋の骨組みが完成。 | 志摩市阿児町志島 | 1992.5.9 |
5872 | 志島の海女小屋作り(海の博物館)6-3-3 | ムシロで周りを囲う。 | 志摩市阿児町志島 | 1992.5.9 |
5873 | 志島の海女小屋作り(海の博物館)6-3-4 | ムシロの上からワラ縄で竹を固定する。 | 志摩市阿児町志島 | 1992.5.9 |
5874 | 安乗の海女1-1-1 | 阿児町安乗のタタキの浜に建つ、トタン製の海女小屋(カマド)。昼の休憩だろうか、濡れた衣類を竿に干し、地面には桶製のタンポとスカリが置いてある。参考:安乗神社宮司(片山氏)への聞き取りに依る。(2020.7.2) | 志摩市阿児町安乗 | 1972.8.24 |
5875 | 安乗の海女1-1-2 | ニワの浜にあるトタン製の海女小屋。5軒が見える。手前の小さな小屋には海女道具をしまっていた。小屋の前から堤防沿いに、エビ網を干すための十字型の竿(安乗では「ハサ」と呼ばれる)が並び、出漁時に着たシャツやジャージなどが干されている。カラー撮影されているので、えんじ色や紺色のジャージであることが分かる。写真中央付近には、アラメの塚(ビニールシートが丸く被せられたもので、安乗ではニエに積むという)、写真左上の堤防には、赤いエビ網が干されているのが見える。(「岬に響く 安乗の暮らし写真展」報告書より) | 志摩市阿児町安乗 | 1972.8.24 |
5876 | 安乗の海女1-1-3 | №5875と同じ場所を反対側から撮影。 | 志摩市阿児町安乗 | 1972.8.24 |
5877 | 安乗の海女1-1-4 | №5875と同じ場所を反対側から撮影。 | 志摩市阿児町安乗 | 1972.8.24 |
5878 | 安乗の海女1-2-1 | 着替えを済ませ、ニワの浜のハサに白い磯着を干す海女。 | 志摩市阿児町安乗 | 1972.8.24 |
5879 | 安乗の海女1-2-2 | ニワの浜で濡れた衣類を干す、上半身裸の海女。右上に小さく、海女漁を終え獲物を入れたスカリを下げて歩いて来る海女4人が写る。 | 志摩市阿児町安乗 | 1972.8.24 |
5880 | 安乗の海女1-2-3 | №5875と同じ場所を反対側から撮影。 | 志摩市阿児町安乗 | 1972.8.24 |
5881 | 安乗の海女1-2-4 | 安乗埼灯台(安乗岬)遠景。※スライドには緑のカビが点々と付着している。 | 志摩市阿児町安乗 | 1972.8.24 |
5882 | 安乗の海女1-2-5 | ノリアイの海女船で支度をしながら漁場に向かう海女。白いテヌグイを被り、上半身は白い磯着、ロープを腰に巻いてジャージのようなズボンをはいている。船の横には波や風を避けるための板「海進具」がはめてある。 | 志摩市阿児町安乗 | 1972.8.24 |
5883 | 安乗の海女1-2-6 | ノリアイ船から海に入った海女。※スライドには緑のカビが点々と付着している。 | 志摩市阿児町安乗 | 1972.8.24 |
5884 | 安乗の海女1-3-1 | 安乗埼灯台の下から岩場と太平洋を撮影。波は静かだ。※スライドには緑のカビが点々と付着している。 | 志摩市阿児町安乗 | 1972.8.24 |
5885 | 安乗の海女1-3-2 | 安乗岬の切り立つ崖。小さな鳥居が見える。八十石社(はちりこくしゃ)、別名「ミズタレさん」の鳥居と思われる。(安乗神社:宮司談) | 志摩市阿児町安乗 | 1972.8.24 |
5886 | 安乗の海女1-3-3 | 漁を終え、浜の小石の上に直接濡れた衣類を干す、上半身裸の海女と№5878の海女。 | 志摩市阿児町安乗 | 1972.8.24 |
5887 | 安乗の海女1-3-4 | トタン製の海女小屋(カマド)。小屋の屋根や手前の竿には、出漁時に着たシャツやジャージなどが干されている。地面には桶製のタンポとスカリが置いてある。後方に小さく安乗埼灯台が写る。この海女小屋は灯台に続く道沿いにあり、この小屋を使う海女は灯台近くの漁場に通ったという。(「岬に響く 安乗の暮らし写真展」報告書より) | 志摩市阿児町安乗 | 1972.8.24 |
5888 | 安乗の海女1-3-5 | 担い棒(安乗ではイナイボウと呼ばれる)の前後に3個ずつ、竹かごをぶら下げて市場に向って歩く2人の高齢女性。場所は移転前の漁協の付近である。安乗では海女が自ら市場に出荷しに行くだけでなく、海女小屋ごとに代表が出荷したり、海女が小屋で火にあたっている間、頼まれた他の女性たちが代わりに出荷することがあった。写真に写るこの二人は出荷を頼まれた女性である。アワビを出荷しにいくことを「アワビがけ」とも呼ぶ。(「岬に響く 安乗の暮らし写真展」報告書より) | 志摩市阿児町安乗 | 1972.8.24 |
5889 | 安乗の海女1-3-6 | №5888で後方を歩いていた海女の後ろ姿。 | 志摩市阿児町安乗 | 1972.8.24 |
5890 | 安乗の海女2-1-1 | 安乗岬の沖で磯樽を抱えて泳ぐ海女。白い磯着の上半身が見える。右手に磯ノミを持っている。№5883と同じ海女※スライドには緑のカビが点々と付着している。 | 志摩市阿児町安乗 | 1972.8.24 |
5891 | 安乗の海女2-1-2 | 支度を終え、ノリアイ船で漁場に向かう海女たち。※スライドには緑のカビが点々と付着している。 | 志摩市阿児町安乗 | 1972.8.24 |
5892 | 安乗の海女2-1-3 | 的矢湾の入り口で操業する海女船、6艘。後方に見えるのは管埼である。※スライドには緑のカビが点々と付着している。 | 志摩市阿児町安乗 | 1972.8.24 |
5893 | 安乗の海女2-1-4 | 安乗岬の沖で磯樽を抱えて泳ぐ2人の海女。白い磯着の上半身が見える。※スライドには緑のカビが点々と付着している。 | 志摩市阿児町安乗 | 1972.8.24 |
5894 | 安乗の海女2-1-5 | 磯樽を抱えて、ノリアイ船に泳ぎ寄る海女。※スライドには緑のカビが点々と付着している。 | 志摩市阿児町安乗 | 1972.8.24 |
5895 | 安乗の海女2-1-6 | ノリアイ船のコベリにつかまる海女。後方に磯樽が浮かんでいる。※スライドには緑のカビが点々と付着している。 | 志摩市阿児町安乗 | 1972.8.24 |
5896 | 安乗の海女2-2-1 | ニワの浜でホウサイ海老の網直しをする漁師。この当時の網は綿糸製だったので、翌日の漁に間に合わせるために、手早くハサに干さなければならなかったという。(2020年7月/安乗地区にて聞き取り)後方に海女たちが磯着を干す時にも使われる、ホウサイ海老の網を干すためのハサが写る。 | 志摩市阿児町安乗 | 1972.8.24 |
5897 | 安乗の海女2-2-2 | 海女小屋の内部。同じノリアイ船を利用する海女たちが休憩し、暖をとる様子。昼飯時か、子どもたちも写る。 | 志摩市阿児町安乗 | 1972.8.24 |
5898 | 安乗の海女2-2-3 | トタン製の海女小屋の内部。同じノリアイ船を利用する海女たちが出漁前の暖をとる様子である。小屋の中央あたりに、石の上に簡易的な火場をつくり、その周囲にムシロを敷いて座っている。母親についてきたのだろうか、海女たちの輪の中に子どもたちの姿がある。現在(2023年)でも海女は、身体を外からも内からも温めるためにアラレを煎って、茶碗にお湯を注いで食べている。(「岬に響く 安乗の暮らし写真展」報告書より) | 志摩市阿児町安乗 | 1972.8.24 |
5899 | 安乗の海女2-2-4 | 支度を終え、ノリアイ船で漁場に向かう海女の後ろ姿。 | 志摩市阿児町安乗 | 1972.8.24 |
5900 | 安乗の海女2-2-5 | 支度を終え、ノリアイ船で漁場に向かう海女の後ろ姿。 | 志摩市阿児町安乗 | 1972.8.24 |
5901 | 安乗の海女2-3-1 | 支度を終え、ノリアイ船で漁場に向かう海女の後ろ姿。 | 志摩市阿児町安乗 | 1972.8.24 |
5902 | 安乗の海女2-3-2 | 別のノリアイ船、遠景。 | 志摩市阿児町安乗 | 1972.8.24 |
5903 | 安乗の海女2-3-3 | 別のノリアイ船、遠景。 | 志摩市阿児町安乗 | 1972.8.24 |
5904 | 安乗の海女2-3-4 | 支度を終え、ノリアイ船で漁場に向かう海女の後ろ姿。 | 志摩市阿児町安乗 | 1972.8.24 |
5905 | 安乗の海女2-3-5 | ノリアイ船から海に入った海女。磯樽を抱えて自分の漁場まで泳ぐ。 | 志摩市阿児町安乗 | 1972.8.24 |
5906 | 安乗の海女2-3-6 | 船上で支度を終え、磯樽を持って漁場に下ろしてもらう順番を待つ海女。 | 志摩市阿児町安乗 | 1972.8.24 |
5907 | 安乗の海女3-1-1 | ノリアイ船から海に入った海女。磯樽を抱えて自分の漁場まで泳ぐ。 | 志摩市阿児町安乗 | 1972.8.24 |
5908 | 安乗の海女3-2-1 | 支度を終え、ノリアイ船で漁場に向かう海女の後ろ姿。 | 志摩市阿児町安乗 | 1972.8.24 |
5909 | 安乗の海女3-2-2 | 沖で操業する海女船4艘。遠景。潜水中の海女の磯樽が浮かんでいるのが見える。 | 志摩市阿児町安乗 | 1972.8.24 |
5910 | 安乗の海女3-2-3 | 沖で操業する海女船3艘。遠景。浮上した海女が小さく写る。 | 志摩市阿児町安乗 | 1972.8.24 |
5911 | 安乗の海女3-2-4 | 海女船から飛び込んだ、舟人(フナド)海女の後ろ姿。船の舵をとるトマエの姿も写る。 | 志摩市阿児町安乗 | 1972.8.24 |
5912 | 安乗の海女3-2-5 | 磯樽を抱えて浮かぶ海女(手前)と、後方で顔を水面に浸けて今まさに潜ろうとする海女。 | 志摩市阿児町安乗 | 1972.8.24 |
5913 | 安乗の海女3-2-6 | ノミを持って、海女船から飛び込む順番を待つ、舟人(フナド)海女。 | 志摩市阿児町安乗 | 1972.8.24 |
5914 | 安乗のナマコ漁3-3-1 | ナマコ漁を行う2艘のベカ船。妻がベカ船の櫓を操り、前方で夫が箱メガネをのぞいている。ナマコ漁は11月から2月に行われる。的矢湾で獲れるナマコは、青緑色のアオコと濃淡の褐色と栗色が混じったアカコである。アカコは主に外洋に面した岩礁に棲息しているため、箱メガネを口にくわえて海底をのぞき、コカケでひっかけて獲る。場所はニワの浜の沖である。 | 志摩市阿児町安乗 | 1988.12.23 |
5915 | 安乗のナマコ漁3-3-2 | ナマコ漁を終え、船外機をかけて帰る途中のベカ船と小型のボート。 | 志摩市阿児町安乗 | 1988.12.23 |
5916 | 安乗のナマコ漁3-3-3 | ナマコ漁を行うベカ船1艘。妻がベカ船の櫓を操り、前方で夫が箱メガネをのぞいている。 | 志摩市阿児町安乗 | 1988.12.23 |
5917 | 安乗の海女3-3-4 | 囲いだけの海女小屋(カマド)である。堤防の陰で浜の真ん前につくられて海女小屋で、この頃はまだわずかに残っていた。堤防の陰にあるのは、風を避けるためである。木、竹、ムシロ、敷物など身近な素材を組み合わせてできている。昔は、潮が引くと写真上部の岩まで歩いて行けた。漁期のあいだに数回だけ出漁するような海女や、海藻漁だけをする人々がこのような簡易的な海女小屋をつくっていたという話もあった。(「岬に響く 安乗の暮らし写真展」報告書より) | 志摩市阿児町安乗 | 1988.12.23 |
5918 | 安乗のナマコ漁3-3-5 | ナマコ漁を行うベカ船1艘。妻がベカ船の櫓を操り、前方で夫が箱メガネをのぞいている。 | 志摩市阿児町安乗 | 1988.12.23 |
5919 | 安乗の海女3-3-6 | 畑での作業が終わり帰路につく海女。寒さ対策のため手拭いで頬被りをしている。手押し車(安乗では「乳母車」と呼び、実際に使わなくなった乳母車を荷物の運搬に使うこともある)に肥や柄杓、イナイボウ(担い棒)、収穫したダイコンやネギなどが載せられている。広い道ではこのように乳母車を使い、道から畑に入るなど狭いところではイナイボウに持ち替え運んでいた。(「岬に響く 安乗の暮らし写真展」報告書より) | 志摩市阿児町安乗 | 1988.12.23 |
5920 | 安乗三棚神事1-1 | 三棚神事は「御棚」とも表記され、鳥羽、志摩、南伊勢町でも行われる。中でも代表的なものは鳥羽市桃取と志摩市阿児町安乗で行われる神事である。 安乗では元旦の朝、潮が八合ほど満ちる頃に合わせて、海の神(龍神)に1年間の大漁と豊漁を願う。 写真は「イヤモトの浜」という聖なる浜で神事の準備をする安乗神社の宮司、大老衆、古祷、新祷。 参考:安乗神社宮司への聞き取り(2020.7.29)/『海と人間』海の博物館年報(平成2年3月発行)/『阿児町史』昭和52年発行(以下キャプションは同文献と宮司への聞き取りに拠る) | 志摩市阿児町安乗 | 1985.1.1 |
5921 | 安乗三棚神事1-2 | 「イヤモトの浜」という聖なる浜で海に向かって設えられた祭棚。祭棚には五穀を盛りつけたカワラケを1膳に9枚並べたものを9膳用意する。浜には黄金の木のようにみかん数十個をつけたモチの木を立てる。これを「みかんならし」又は「橘をはやす」とも言う。№5920とほぼ同じアングル。 | 志摩市阿児町安乗 | 1985.1.1 |
5922 | 安乗三棚神事1-3 | 「イヤモトの浜」という聖なる浜で海に向かって設えられた祭棚。祭棚には五穀を盛りつけたカワラケを1膳に9枚並べたものを9膳用意する。浜には黄金の木のようにみかん数十個をつけたモチの木を立てる。これを「みかんならし」又は「橘をはやす」とも言う。№5920とほぼ同じアングル。 | 志摩市阿児町安乗 | 1985.1.1 |
5923 | 安乗三棚神事1-4 | ニワの浜での三棚神事にて、祭棚を前方から撮影。宮司は高杯の上で火を焚いて、祝詞をあげ護摩をたくように五穀を振りかけながら龍神に捧げる食べ物を作る。これを「ミタナをたく」という。宮司の前にはミカンを挿したモチの木が立っている。黄金がなるようにたくさん挿し、神事の終わりにこの木を倒す。「みかんならし」や「橘をはやす」とも言われる。木が海側に倒れれば大漁、陸側に倒れれば農作物が豊作といわれる。ミカンの後ろのカワラケ(小皿)には五穀が盛りつけられ、箸に見立てたモチの木の細い枝が添えられている。カワラケ(小皿)が9枚載った丸盆が9膳で、合計81枚である。ミカンを倒したあとにこの五穀を海に流す。(「岬に響く 安乗の暮らし写真展」報告書より) | 志摩市阿児町安乗 | 1985.1.1 |
5924 | 安乗三棚神事1-5 | 神官は高杯の上で火を焚いて、祝詞をあげ護摩をたくように五穀を振りかけながら龍神に捧げる食べ物を作る。これを「ミタナをたく」という。後方より撮影。 | 志摩市阿児町安乗 | 1985.1.1 |
5925 | 安乗三棚神事1-6 | 祭棚を前方から撮影。神官は高杯の上で火を焚いて、祝詞をあげ護摩をたくように五穀を振りかけながら龍神に捧げる食べ物を作る。これを「ミタナをたく」という。 | 志摩市阿児町安乗 | 1985.1.1 |
5926 | 安乗三棚神事1-7 | 神官は高杯の上で火を焚いて、祝詞をあげ護摩をたくように五穀を振りかけながら龍神に捧げる食べ物を作る。これを「ミタナをたく」という。やや離れて後方より撮影。神官と三棚の周りを丸く囲んで神事を見守る関係者たち。 | 志摩市阿児町安乗 | 1985.1.1 |
5927 | 安乗三棚神事1-8 | 神官は高杯の上で火を焚いて、祝詞をあげ護摩をたくように五穀を振りかけながら龍神に捧げる食べ物を作る。これを「ミタナをたく」という。やや離れて後方より撮影。神官と三棚の周りを丸く囲んで神事を見守る関係者たち。 | 志摩市阿児町安乗 | 1985.1.1 |
5928 | 安乗三棚神事1-9 | 神官は高杯の上で火を焚いて、祝詞をあげ護摩をたくように五穀を振りかけながら龍神に捧げる食べ物を作る。これを「ミタナをたく」という。後方より撮影。 | 志摩市阿児町安乗 | 1985.1.1 |
5929 | 安乗三棚神事1-10 | 神官は高杯の上で火を焚いて、祝詞をあげ護摩をたくように五穀を振りかけながら龍神に捧げる食べ物を作る。これを「ミタナをたく」という。後方より撮影。 | 志摩市阿児町安乗 | 1985.1.1 |
5930 | 安乗三棚神事1-11 | 神官は高杯の上で火を焚いて、祝詞をあげ護摩をたくように五穀を振りかけながら龍神に捧げる食べ物を作る。ミタナをたいた後、玉串でお祓いをする神官。後方より撮影。 | 志摩市阿児町安乗 | 1985.1.1 |
5931 | 安乗三棚神事1-12 | 風が当たらないようにテトラポットの陰で火をおこし、カナオ(サントク)の上にホウロクを乗せ海水を混ぜながら五穀を煎る大老衆。 | 志摩市阿児町安乗 | 1985.1.1 |
5932 | 安乗三棚神事1-13 | 風が当たらないようにテトラポットの陰で火をおこし、カナオ(サントク)の上にホウロクを乗せ海水を混ぜながら五穀を煎る大老衆。 | 志摩市阿児町安乗 | 1985.1.1 |
5933 | 安乗三棚神事2-1 | 旧安乗神社拝殿。平成4(1992)年にご遷宮が行われ、拝殿は建て替えられている。明治41年11月、安乗の各所に奉祀されていた安乗神社、天魄社、大山祇社、巖島社、八幡宮、八皇子社、秋葉社を合祀して村社安乗神社と称して奉っている。(参考:『阿児町史』) | 志摩市阿児町安乗 | 1985.1.1 |
5934 | 安乗三棚神事2-2 | イヤモトの浜から沖を見る。 | 志摩市阿児町安乗 | 1985.1.1 |
5935 | 安乗三棚神事2-3 | イヤモトの浜から沖を見る。 | 志摩市阿児町安乗 | 1985.1.1 |
5936 | 安乗三棚神事2-4 | イヤモトの浜から沖を見る。 | 志摩市阿児町安乗 | 1985.1.1 |
5937 | 安乗三棚神事2-5 | 社務所の前で準備をする祷人、大老たち。 | 志摩市阿児町安乗 | 1985.1.1 |
5938 | 安乗三棚神事2-6 | 社務所の前で準備をする祷人、総代たち。 | 志摩市阿児町安乗 | 1985.1.1 |
5939 | 安乗三棚神事2-7 | 社務所の前で語らう、裃姿の祷人2人。中学生である。安乗地区は、継子(長男)が祷を受ける。 | 志摩市阿児町安乗 | 1985.1.1 |
5940 | 安乗三棚神事2-8 | 社務所の前で語らう、裃姿の祷人3人。中学生である。安乗地区は、継子(長男)が祷を受ける。 | 志摩市阿児町安乗 | 1985.1.1 |
5941 | 安乗三棚神事3-1 | みかん数十個を挿したモチの木を倒した後、81枚のカワラケに盛った五穀を順に海に投じる。モチの木は海側に倒れれば大漁、陸側であれば農作物の豊作と言われ、倒れた木からみかんを奪い合う。 | 志摩市阿児町安乗 | 1985.1.1 |
5942 | 安乗三棚神事3-2 | みかん数十個を挿したモチの木を倒した後、81枚のカワラケに盛った五穀を順に海に投じる。モチの木は海側に倒れれば大漁、陸側であれば農作物の豊作と言われ、倒れた木からみかんを奪い合う。 | 志摩市阿児町安乗 | 1985.1.1 |
5943 | 安乗三棚神事3-3 | みかん数十個を挿したモチの木を倒した後、81枚のカワラケに盛った五穀を順に海に投じる。モチの木は海側に倒れれば大漁、陸側であれば農作物の豊作と言われ、倒れた木からみかんを奪い合う。 | 志摩市阿児町安乗 | 1985.1.1 |
5944 | 安乗三棚神事3-4 | みかん数十個を挿したモチの木を倒した後、81枚のカワラケに盛った五穀を順に海に投じる。モチの木は海側に倒れれば大漁、陸側であれば農作物の豊作と言われ、倒れた木からみかんを奪い合う。 | 志摩市阿児町安乗 | 1985.1.1 |
5945 | 安乗三棚神事3-5 | みかん数十個を挿したモチの木を倒した後、81枚のカワラケに盛った五穀を順に海に投じる。モチの木は海側に倒れれば大漁、陸側であれば農作物の豊作と言われ、倒れた木からみかんを奪い合う。 | 志摩市阿児町安乗 | 1985.1.1 |
5946 | 安乗三棚神事3-6 | みかん数十個を挿したモチの木を倒した後、81枚のカワラケに盛った五穀を順に海に投じる。 | 志摩市阿児町安乗 | 1985.1.1 |
5947 | 安乗三棚神事3-7 | みかん数十個を挿したモチの木を倒した後、81枚のカワラケに盛った五穀を順に海に投じる。 | 志摩市阿児町安乗 | 1985.1.1 |
5948 | 安乗三棚神事3-8 | みかん数十個を挿したモチの木を倒した後、81枚のカワラケに盛った五穀を順に海に投じる。 | 志摩市阿児町安乗 | 1985.1.1 |
5949 | 安乗三棚神事3-9 | 神事が終わり、道具を片付ける関係者たち。 | 志摩市阿児町安乗 | 1985.1.1 |
5950 | 安乗三棚神事3-10 | 神官。後方に写るモチの木は海側に倒れている。 | 志摩市阿児町安乗 | 1985.1.1 |
5951 | 安乗三棚神事3-11 | 神事が終わり、道具を片付ける神官の後ろ姿と3人の祷人。 | 志摩市阿児町安乗 | 1985.1.1 |
5952 | 安乗三棚神事4-1 | 神事が終わり、道具を片付ける神官。 | 志摩市阿児町安乗 | 1985.1.1 |
5953 | 安乗三棚神事4-2 | 神事が終わり、海に向かって拝礼する大老衆等。 | 志摩市阿児町安乗 | 1985.1.1 |
5954 | 安乗三棚神事4-3 | 神事が終わり、海に向かって拝礼する大老衆等。 | 志摩市阿児町安乗 | 1985.1.1 |
5955 | 安乗三棚神事4-4 | 神事が終わり、海に向かって拝礼する大老衆等。 | 志摩市阿児町安乗 | 1985.1.1 |
5956 | 安乗三棚神事4-5 | 神事が終わり、海に向かって拝礼する大老衆等。 | 志摩市阿児町安乗 | 1985.1.1 |
5957 | 安乗三棚神事4-6 | 神事が終わり、海に向かって拝礼する関係者たち。 | 志摩市阿児町安乗 | 1985.1.1 |
5958 | 安乗三棚神事4-7 | 堤防の前に立つ1人の祷人と父親。 | 志摩市阿児町安乗 | 1985.1.1 |
5959 | 安乗三棚神事4-8 | 堤防の前に立つ1人の祷人と父親。 | 志摩市阿児町安乗 | 1985.1.1 |
5960 | 安乗三棚神事4-9 | 社務所の中で、神事の話し合いをする祷人、総代。 | 志摩市阿児町安乗 | 1985.1.1 |
5961 | 安乗三棚神事4-10 | 身振り手振りを交えて話す総代、1人。 | 志摩市阿児町安乗 | 1985.1.1 |
5962 | 安乗三棚神事4-11 | 身振り手振りを交えて話す総代、1人。№5961と同じ人物。 | 志摩市阿児町安乗 | 1985.1.1 |
5963 | 安乗三棚神事4-12 | 身振り手振りを交えて話す総代、1人。№5961と同じ人物。 | 志摩市阿児町安乗 | 1985.1.1 |
5964 | 安乗三棚神事4-13 | 身振り手振りを交えて話す総代、1人。№5961と同じ人物。 | 志摩市阿児町安乗 | 1985.1.1 |
5965 | 安乗三棚神事4-14 | イヤモトの浜にモチの木を立てる。 | 志摩市阿児町安乗 | 1985.1.1 |
5966 | 安乗三棚神事4-15 | イヤモトの浜にモチの木を立てる。 | 志摩市阿児町安乗 | 1985.1.1 |
5967 | 安乗三棚神事4-16 | イヤモトの浜にモチの木を立てる。 | 志摩市阿児町安乗 | 1985.1.1 |
5968 | 安乗三棚神事4-17 | 「イヤモトの浜」という聖なる浜で海に向かって設えられた祭棚。祭棚には五穀を盛りつけたカワラケを1膳に9枚並べたものを9膳用意する。浜には黄金の木のようにみかん数十個をつけたモチの木を立てる。これを「みかんならし」又は「橘をはやす」とも言う。№5920とほぼ同じアングル。 | 志摩市阿児町安乗 | 1985.1.1 |
5969 | 安乗三棚神事5-1 | イヤモトの浜で笑顔で語らう、裃姿の祷人4人。中学生である。安乗地区は、継子(長男)が祷を受ける。 | 志摩市阿児町安乗 | 1985.1.1 |
5970 | 安乗三棚神事5-2 | イヤモトの浜で語らう、裃姿の祷人3人。中学生である。安乗地区は、継子(長男)が祷を受ける。 | 志摩市阿児町安乗 | 1985.1.1 |
5971 | 安乗三棚神事5-3 | イヤモトの浜に立つ裃姿の祷人のアップ。中学生である。安乗地区は、継子(長男)が祷を受ける。 | 志摩市阿児町安乗 | 1985.1.1 |
5972 | 安乗三棚神事5-4 | イヤモトの浜に立つ裃姿の祷人のアップ。中学生である。安乗地区は、継子(長男)が祷を受ける。№5971と同じ人物。 | 志摩市阿児町安乗 | 1985.1.1 |
5973 | 安乗三棚神事5-5 | イヤモトの浜に立つ裃姿の祷人のアップ。中学生である。安乗地区は、継子(長男)が祷を受ける。 | 志摩市阿児町安乗 | 1985.1.1 |
5974 | 安乗三棚神事5-6 | イヤモトの浜に立つ裃姿の祷人のアップ。中学生である。安乗地区は、継子(長男)が祷を受ける。№5973と同じ人物。 | 志摩市阿児町安乗 | 1985.1.1 |
5975 | 安乗三棚神事5-7 | イヤモトの浜に立つ裃姿の祷人のアップ。中学生である。安乗地区は、継子(長男)が祷を受ける。№5973と同じ人物。 | 志摩市阿児町安乗 | 1985.1.1 |
5976 | 安乗三棚神事5-8 | イヤモトの浜に立つ裃姿の祷人のアップ。中学生である。安乗地区は、継子(長男)が祷を受ける。№5973と同じ人物。 | 志摩市阿児町安乗 | 1985.1.1 |
5977 | 安乗三棚神事5-9 | イヤモトの浜に立つ裃姿の祷人のアップ。中学生である。安乗地区は、継子(長男)が祷を受ける。№5973と同じ人物。 | 志摩市阿児町安乗 | 1985.1.1 |
5978 | 安乗三棚神事5-10 | 太鼓や祭具を持って、イヤモトの浜に到着した神官や大老衆等。 | 志摩市阿児町安乗 | 1985.1.1 |
5979 | 安乗三棚神事5-11 | 太鼓や祭具を持って、イヤモトの浜に到着した神官や大老衆等。 | 志摩市阿児町安乗 | 1985.1.1 |
5980 | 安乗三棚神事5-12 | 旧安乗神社拝殿。平成4(1992)年にご遷宮が行われ、拝殿は建て替えられている。明治41年11月、安乗の各所に奉祀されていた安乗神社、天魄社、大山祇社、巖島社、八幡宮、八皇子社、秋葉社を合祀して村社安乗神社と称して奉っている。(参考:『阿児町史』) | 志摩市阿児町安乗 | 1985.1.1 |
5981 | 安乗三棚神事5-13 | 旧安乗神社拝殿。平成4(1992)年にご遷宮が行われ、拝殿は建て替えられている。明治41年11月、安乗の各所に奉祀されていた安乗神社、天魄社、大山祇社、巖島社、八幡宮、八皇子社、秋葉社を合祀して村社安乗神社と称して奉っている。(参考:『阿児町史』) | 志摩市阿児町安乗 | 1985.1.1 |
5982 | 安乗三棚神事5-14 | 旧安乗神社拝殿。平成4(1992)年にご遷宮が行われ、拝殿は建て替えられている。明治41年11月、安乗の各所に奉祀されていた安乗神社、天魄社、大山祇社、巖島社、八幡宮、八皇子社、秋葉社を合祀して村社安乗神社と称して奉っている。(参考:『阿児町史』) | 志摩市阿児町安乗 | 1985.1.1 |
5983 | 安乗三棚神事5-15 | 安乗神社、参道。左に手水舎、鳥居をくぐって石段を上がった奥に旧拝殿が見える。 | 志摩市阿児町安乗 | 1985.1.1 |
5984 | 安乗三棚神事5-16 | 旧安乗神社拝殿。平成4(1992)年にご遷宮が行われ、拝殿は建て替えられている。明治41年11月、安乗の各所に奉祀されていた安乗神社、天魄社、大山祇社、巖島社、八幡宮、八皇子社、秋葉社を合祀して村社安乗神社と称して奉っている。(参考:『阿児町史』) | 志摩市阿児町安乗 | 1985.1.1 |
5985 | 安乗三棚神事5-17 | 旧安乗神社拝殿。平成4(1992)年にご遷宮が行われ、拝殿は建て替えられている。明治41年11月、安乗の各所に奉祀されていた安乗神社、天魄社、大山祇社、巖島社、八幡宮、八皇子社、秋葉社を合祀して村社安乗神社と称して奉っている。(参考:『阿児町史』) | 志摩市阿児町安乗 | 1985.1.1 |
5986 | 安乗三棚神事5-18 | 旧安乗神社拝殿。平成4(1992)年にご遷宮が行われ、拝殿は建て替えられている。明治41年11月、安乗の各所に奉祀されていた安乗神社、天魄社、大山祇社、巖島社、八幡宮、八皇子社、秋葉社を合祀して村社安乗神社と称して奉っている。(参考:『阿児町史』) | 志摩市阿児町安乗 | 1985.1.1 |
5987 | 安乗三棚神事6-1 | 風が当たらないようにテトラポットの陰で火をおこし、カナオ(サントク)の上にホウロクを乗せ海水を混ぜながら五穀を煎る大老衆。 | 志摩市阿児町安乗 | 1985.1.1 |
5988 | 安乗三棚神事6-2 | ニワの浜での三棚神事にて、カナオ(サントク)の上にホウロクを乗せ、海水を混ぜながら五穀を煎る大年寄。風よけのため、消波ブロックの陰で藁を燃やし、モチの木の枝で混ぜる。現在(2023年)は神社で五穀を煎るという。(「岬に響く 安乗の暮らし写真展」報告書より) | 志摩市阿児町安乗 | 1985.1.1 |
5989 | 安乗三棚神事6-3 | 神事の準備が整い、海に向かって坐す神官の後ろ姿。 | 志摩市阿児町安乗 | 1985.1.1 |
5990 | 安乗三棚神事6-4 | 風が当たらないようにテトラポットの陰で火をおこし、カナオ(サントク)の上にホウロクを乗せ海水を混ぜながら五穀を煎る大老衆。 | 志摩市阿児町安乗 | 1985.1.1 |
5991 | 安乗三棚神事6-5 | 風が当たらないようにテトラポットの陰で火をおこし、カナオ(サントク)の上にホウロクを乗せ海水を混ぜながら五穀を煎る大老衆。 | 志摩市阿児町安乗 | 1985.1.1 |
5992 | 安乗三棚神事6-6 | 風が当たらないようにテトラポットの陰で火をおこし、カナオ(サントク)の上にホウロクを乗せ海水を混ぜながら五穀を煎る大老衆。 | 志摩市阿児町安乗 | 1985.1.1 |
5993 | 安乗三棚神事6-7 | 神事の準備が整い、海に向かって坐す神官の後ろ姿。 | 志摩市阿児町安乗 | 1985.1.1 |
5994 | 安乗三棚神事6-8 | 神事の準備が整い、海に向かって坐す神官の後ろ姿。 | 志摩市阿児町安乗 | 1985.1.1 |
5995 | 安乗三棚神事6-9 | 神事の準備が整い、海に向かって坐す神官の後ろ姿。 | 志摩市阿児町安乗 | 1985.1.1 |
5996 | 安乗三棚神事6-10 | 安乗神社の参道に立てられた「奉納 安乗神社」の幟。 | 志摩市阿児町安乗 | 1985.1.1 |
5997 | 安乗三棚神事6-11 | 安乗神社の参道に立てられた「奉納 安乗神社」の幟。 | 志摩市阿児町安乗 | 1985.1.1 |
5998 | 安乗三棚神事6-12 | 社務所前で、身支度を整える裃姿の祷人と父親。№5973と同じ人物。 | 志摩市阿児町安乗 | 1985.1.1 |
5999 | 安乗三棚神事6-13 | 安乗では 元旦にニワの浜で三棚神事がおこなわれる。「御棚神事」とも表記され、昼過ぎの潮が八合ほど満ちる頃にあわせて海の神(竜神)に1年間の豊漁と安全を祈願する。この写真は祷家に当たった少年(祷人)とその父親で、父親が裃姿の祷人の着くずれを直しているところ。安乗では毎年2人の男児が祷家に当たっていたが、現在(2023年)は少子高齢化の影響など理由で無くなっている。画像№5973と同じ人物。(「岬に響く 安乗の暮らし写真展」報告書より) | 志摩市阿児町安乗 | 1985.1.1 |
6000 | 安乗三棚神事6-14 | 祷人のアップ。№5973と同じ人物。 | 志摩市阿児町安乗 | 1985.1.1 |
6001 | 安乗三棚神事7-1 | 丸盆に並べられた五穀を盛りつけたカワラケ。1膳に9枚並べたものを9膳用意する。モチの木の細い枝を箸に見立て、それぞれのカワラケの上に置く。 | 志摩市阿児町安乗 | 1985.1.1 |
6002 | 安乗三棚神事7-2 | 「イヤモトの浜」という聖なる浜で海に向かって設えられた祭棚。祭棚には五穀を盛りつけたカワラケを1膳に9枚並べたものを9膳用意する。浜には黄金の木のようにみかん数十個をつけたモチの木を立てる。これを「みかんならし」又は「橘をはやす」とも言う。神官の前方から撮影。 | 志摩市阿児町安乗 | 1985.1.1 |
6003 | 安乗三棚神事7-3 | 「イヤモトの浜」という聖なる浜で海に向かって設えられた祭棚。祭棚には五穀を盛りつけたカワラケを1膳に9枚並べたものを9膳用意する。浜には黄金の木のようにみかん数十個をつけたモチの木を立てる。これを「みかんならし」又は「橘をはやす」とも言う。神官の背後から撮影。 | 志摩市阿児町安乗 | 1985.1.1 |
6004 | 安乗三棚神事7-4 | 「イヤモトの浜」という聖なる浜で海に向かって設えられた祭棚。祭棚には五穀を盛りつけたカワラケを1膳に9枚並べたものを9膳用意する。浜には黄金の木のようにみかん数十個をつけたモチの木を立てる。これを「みかんならし」又は「橘をはやす」とも言う。神官の背後から撮影。 | 志摩市阿児町安乗 | 1985.1.1 |
6005 | 安乗三棚神事7-5 | ニワの浜での三棚神事にて、宮司の背後から海に向かって撮影した写真。神事の終わりがけで、潮の八合満ちに近づいている。神様を迎えるという意味から八合満ちを見計らう。祭棚には五穀を盛りつけたカワラケ(小皿)を1膳に9枚並べたものを9膳用意する。宮司は高杯の上で火を焚いて、祝詞をあげ護摩をたくように五穀を振りかけながら龍神に捧げる食べ物を作る様子。(「岬に響く 安乗の暮らし写真展」報告書より) | 志摩市阿児町安乗 | 1985.1.1 |
6006 | 安乗三棚神事7-6 | 風が強いのか、関係者がムシロを持ち、あるいは身を寄せ合って神官の周りを丸く囲んでいる。背後から撮影。 | 志摩市阿児町安乗 | 1985.1.1 |
6007 | 安乗三棚神事7-7 | 風が強いのか、関係者がムシロを持ち、あるいは身を寄せ合って神官の周りを丸く囲んでいる。背後から撮影。 | 志摩市阿児町安乗 | 1985.1.1 |
6008 | 安乗三棚神事7-8 | 風が強いのか、関係者がムシロを持ち、あるいは身を寄せ合って神官の周りを丸く囲んでいる。背後から撮影。 | 志摩市阿児町安乗 | 1985.1.1 |
6009 | 安乗三棚神事7-9 | 2人で太鼓を吊り、安乗神社参道の石段を下りてイヤモトの浜へ向かう総代たち。 | 志摩市阿児町安乗 | 1985.1.1 |
6010 | 安乗三棚神事7-10 | 安乗では 元旦にニワの浜で三棚神事がおこなわれる。「御棚神事」とも表記され、昼過ぎの潮が八合ほど満ちる頃にあわせて海の神(竜神)に1年間の豊漁と安全を祈願する。この写真は、安乗神社からニワの浜に向う大年寄2人で、太鼓を吊り安乗神社参道の石段を下りているところ。この太鼓は「ハジマリダイコ」と呼ばれる。(「岬に響く 安乗の暮らし写真展」報告書より) | 志摩市阿児町安乗 | 1985.1.1 |
6011 | 安乗三棚神事7-11 | 2人で太鼓を吊り、安乗神社参道の石段を下りてイヤモトの浜へ向かう総代たち。 | 志摩市阿児町安乗 | 1985.1.1 |
6012 | 安乗三棚神事8-1 | 高杯の上で護摩をたく神官。燃やしているのは松のジンである。 | 志摩市阿児町安乗 | 1985.1.1 |
6013 | 安乗三棚神事8-2 | 高杯の上で護摩をたく神官。燃やしているのは松のジンである。 | 志摩市阿児町安乗 | 1985.1.1 |
6014 | 安乗三棚神事8-3 | 高杯の上で護摩をたく神官。燃やしているのは松のジンである。 | 志摩市阿児町安乗 | 1985.1.1 |
6015 | 安乗三棚神事8-4 | 高杯の上で護摩をたく神官。燃やしているのは松のジンである。 | 志摩市阿児町安乗 | 1985.1.1 |
6016 | 安乗三棚神事8-5 | 高杯の上で護摩をたく神官。燃やしているのは松のジンである。 | 志摩市阿児町安乗 | 1985.1.1 |
6017 | 安乗三棚神事8-6 | 高杯の上で護摩をたく神官。燃やしているのは松のジンである。 | 志摩市阿児町安乗 | 1985.1.1 |
6018 | 安乗三棚神事8-7 | 高杯の上で護摩をたく神官。燃やしているのは松のジンである。 | 志摩市阿児町安乗 | 1985.1.1 |
6019 | 安乗三棚神事8-8 | 高杯の上で護摩をたく神官。燃やしているのは松のジンである。 | 志摩市阿児町安乗 | 1985.1.1 |
6020 | 安乗三棚神事8-9 | 「イヤモトの浜」という聖なる浜で海に向かって設えられた祭棚。祭棚には五穀を盛りつけたカワラケを1膳に9枚並べたものを9膳用意する。浜には黄金の木のようにみかん数十個をつけたモチの木を立てる。これを「みかんならし」又は「橘をはやす」とも言う。神官の背後から撮影。 | 志摩市阿児町安乗 | 1985.1.1 |
6021 | 安乗三棚神事8-10 | 高杯の上で護摩をたく神官。燃やしているのは松のジンである。 | 志摩市阿児町安乗 | 1985.1.1 |
6022 | 安乗三棚神事8-11 | 高杯の上で護摩をたく神官。燃やしているのは松のジンである。 | 志摩市阿児町安乗 | 1985.1.1 |
6023 | 安乗三棚神事8-12 | 高杯の上で護摩をたく神官。燃やしているのは松のジンである。 | 志摩市阿児町安乗 | 1985.1.1 |
6024 | 安乗三棚神事8-13 | ニワの浜での三棚神事にて、安乗神社の宮司が高杯の上で護摩を焚く。燃やしているのは松のジンである。宮司の前には竜神に捧げるための五穀が盛り付けられている。宮司の横には風よけのため敷物などを立てているのが見える。(「岬に響く 安乗の暮らし写真展」報告書より) | 志摩市阿児町安乗 | 1985.1.1 |
6025 | 安乗三棚神事8-14 | 高杯の上で護摩をたく神官。燃やしているのは松のジンである。 | 志摩市阿児町安乗 | 1985.1.1 |
6026 | 安乗三棚神事8-15 | 高杯の上で護摩をたく神官。燃やしているのは松のジンである。 | 志摩市阿児町安乗 | 1985.1.1 |
6027 | 安乗三棚神事9-1 | 身支度を整えて、イヤモトの浜へと続く堤防の道路を歩く関係者たち。 | 志摩市阿児町安乗 | 1985.1.1 |
6028 | 安乗三棚神事9-2 | 身支度を整えて、イヤモトの浜へと続く堤防の道路を歩く関係者たち。 | 志摩市阿児町安乗 | 1985.1.1 |
6029 | 安乗三棚神事9-3 | 身支度を整えて、イヤモトの浜へと続く堤防の道路を歩く関係者たち。 | 志摩市阿児町安乗 | 1985.1.1 |
6030 | 安乗三棚神事9-4 | 身支度を整えて、イヤモトの浜へと続く堤防の道路を歩く関係者たち。 | 志摩市阿児町安乗 | 1985.1.1 |
6031 | 安乗三棚神事9-5 | イヤモトの浜で語らう、裃姿の祷人4人の後ろ姿。中学生である。安乗地区は、継子(長男)が祷を受ける。 | 志摩市阿児町安乗 | 1985.1.1 |
6032 | 安乗三棚神事9-6 | イヤモトの浜で語らう、裃姿の祷人4人の後ろ姿。中学生である。安乗地区は、継子(長男)が祷を受ける。 | 志摩市阿児町安乗 | 1985.1.1 |
6033 | 安乗三棚神事9-7 | イヤモトの浜に立てたモチの木に、数十個のみかんを挿している関係者たち。これを「みかんならし」又は「橘をはやす」とも言う。 | 志摩市阿児町安乗 | 1985.1.1 |
6034 | 安乗三棚神事9-8 | イヤモトの浜に立てたモチの木に、数十個のみかんを挿している関係者たち。これを「みかんならし」又は「橘をはやす」とも言う。 | 志摩市阿児町安乗 | 1985.1.1 |
6035 | 安乗三棚神事9-9 | イヤモトの浜に立てたモチの木に、数十個のみかんを挿している関係者たち。これを「みかんならし」又は「橘をはやす」とも言う。 | 志摩市阿児町安乗 | 1985.1.1 |
6036 | 安乗三棚神事9-10 | イヤモトの浜に立てたモチの木に、数十個のみかんを挿している関係者たち。これを「みかんならし」又は「橘をはやす」とも言う。 | 志摩市阿児町安乗 | 1985.1.1 |
6037 | 安乗三棚神事9-11 | イヤモトの浜に立てたモチの木に、数十個のみかんを挿している関係者たち。これを「みかんならし」又は「橘をはやす」とも言う。 | 志摩市阿児町安乗 | 1985.1.1 |
6038 | 安乗三棚神事9-12 | イヤモトの浜に立てたモチの木に、数十個のみかんを挿している関係者たち。これを「みかんならし」又は「橘をはやす」とも言う。 | 志摩市阿児町安乗 | 1985.1.1 |
6039 | 安乗三棚神事9-13 | イヤモトの浜に立てたモチの木に、数十個のみかんを挿している関係者たち。これを「みかんならし」又は「橘をはやす」とも言う。 | 志摩市阿児町安乗 | 1985.1.1 |
6040 | 安乗三棚神事9-14 | イヤモトの浜に立てたモチの木に、数十個のみかんを挿している関係者たち。これを「みかんならし」又は「橘をはやす」とも言う。 | 志摩市阿児町安乗 | 1985.1.1 |
6041 | 安乗三棚神事9-15 | イヤモトの浜に立てたモチの木に、数十個のみかんを挿している関係者たち。これを「みかんならし」又は「橘をはやす」とも言う。 | 志摩市阿児町安乗 | 1985.1.1 |
6042 | 安乗三番叟1-1 | 「翁祭」、あるいは「翁三番叟」ともいわれ、1月2日午後3時頃の潮が八合ほど満ちる頃、イヤモトの浜で三番叟を舞わして村の繁昌と息災を祈る行事。大晦日に安乗神社本殿脇の奉安庫から出し、社務所の床の間に安置していた翁人形を木箱に入れて担ぎ、潮振りを先頭にイヤモトの浜へ向かう。浜に幣を立て、龍神にオミキ、刺身、洗米を供えた後、三体の翁人形を順番に舞わす。写真は海に向かって舞う三番叟。後ろに控えているのは二番叟である。スライド枠には「安乗 2.1.2」の印が捺されている。参考:安乗神社宮司への聞き取り(2020.7.29)/『海と人間』海の博物館年報(平成2年3月発行)/『阿児町史』昭和52年発行/『安乗の人形芝居』阿児町教育委員会(昭和59年2月発行)(以下キャプションは同文献と宮司への聞き取りに拠る) | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.2 |
6043 | 安乗三番叟1-2 | イヤモトの浜で三番叟の舞いの準備をする安乗人形芝居保存会の年寄衆。スライド枠には「安乗 」の印が捺されている。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.2 |
6044 | 安乗三番叟1-3 | イヤモトの浜で三番叟の舞いの準備をする安乗人形芝居保存会の年寄衆。スライド枠には「安乗 」の印が捺されている。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.2 |
6045 | 安乗三番叟1-4 | イヤモトの浜で三番叟の舞いの準備をする安乗人形芝居保存会の年寄衆。スライド枠には「安乗 」の印が捺されている。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.2 |
6046 | 安乗三番叟1-5 | イヤモトの浜で三番叟の舞いの準備をする安乗人形芝居保存会の年寄衆。スライド枠には「安乗 」の印が捺されている。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.2 |
6047 | 安乗三番叟1-6 | 右手に銀(月)、左手に金の扇を持ち、黒尉(こくじょう)の面を付けた三番叟が、イヤモトの浜で笛と鼓の音色に合わせて龍神に向かって舞う。三番叟は八幡社(産土神)の使いと言われる。スライド枠には「安乗 2.1.2」の印が捺されている。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.2 |
6048 | 安乗三番叟1-7 | イヤモトの浜の舞いを終え、裏海に面した高台にある秋葉神社の社前で、右手に銀(月)、左手に金の扇を持ち、黒尉(こくじょう)の面を付けた三番叟が的矢湾に向かって舞う。後方から撮影。スライド枠には「安乗 2.1.2」の印が捺されている。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.2 |
6049 | 安乗三番叟1-8 | イヤモトの浜の舞いを終え、裏海に面した高台にある秋葉神社の社前で舞いをする二番叟。前方から撮影。スライド枠には「安乗 2.1.2」の印が捺されている。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.2 |
6050 | 安乗三番叟1-9 | 裏海に面した高台にある秋葉神社の鳥居前での舞いを終えて、潮振り、人形持ち、囃子手、敷物持ちの順番で安乗神社拝殿へ向かう安乗人形芝居保存会の年寄衆。帰りは潮振りの手桶にオミキを入れて、見学者の手などに振りかける。スライド枠には「安乗 2.1.2」の印が捺されている。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.2 |
6051 | 安乗三番叟1-10 | 三番叟の右手に金の扇を持たせる安乗人形芝居保存会の年寄衆。スライド枠には「安乗 2.1.2」の印が捺されている。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.2 |
6052 | 安乗三番叟1-11 | イヤモトの浜での舞いを終え、人形を片付ける安乗人形芝居保存会の年寄衆。スライド枠には「安乗 2.1.2」の印が捺されている。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.2 |
6053 | 安乗三番叟1-12 | 三番叟を終えて、安乗神社に向かって帰る安乗人形芝居保存会の年寄衆。スライド枠には「安乗 2.1.2」の印が捺されている。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.2 |
6054 | 安乗三番叟1-13 | イヤモトの浜の舞いを終え、裏海に面した高台にある秋葉神社の社前で舞いをする二番叟。後方から撮影。スライド枠には「安乗 2.1.2」の印が捺されている。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.2 |
6055 | 安乗三番叟1-14 | イヤモトの浜の舞いを終え、裏海に面した高台にある秋葉神社の社前で舞いをする一番叟。前方から撮影。スライド枠には「安乗 2.1.2」の印が捺されている。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.2 |
6056 | 安乗三番叟1-15 | 裏海に面した高台にある秋葉神社の社前での舞い。若松模様の着物を着た春日大社権現と言われる人形の舞いで、金の烏帽子を頭に、右手に金、左手に白の扇子を持つ二番叟。下に控えているのは一番叟である。スライド枠には「安乗 2.1.2」の印が捺されている。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.2 |
6057 | 安乗三番叟1-16 | 1月2日にニワの浜にて、海上安全と豊漁を祈るために三番叟が執り行われる。「翁祭」「翁三番叟」ともいわれる。浜に幣を立て、龍神にオミキ、刺身、洗米を供えた後、昼過ぎの潮が八合ほど満ちる頃に、三体の翁人形を順番に舞わす。この写真はニワの浜での舞いが終わり、的矢湾に面した高台にある秋葉神社の社前に場所を移している。若松模様の着物を着た春日大社権現と言われる人形の舞いで、金の烏帽子を頭に、右手に金、左手に白の扇子を持つ二番叟を前面から撮影しているところ。写真では確認できないが舞いを見るために観客が周りを囲んでいる。現在(2023年)はこの場所では舞わず、人形を持ってお参りするにとどまっている。(「岬に響く 安乗の暮らし写真展」報告書より)スライド枠には「安乗 2.1.2」の印が捺されている。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.2 |
6058 | 安乗三番叟1-17 | イヤモトの浜の舞いを終え、裏海に面した高台にある秋葉神社の社前で的矢湾に向かって舞いをする二番叟。後方から撮影。スライド枠には「安乗 2.1.2」の印が捺されている。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.2 |
6059 | 安乗三番叟2-1 | 安乗神社拝殿で舞う一番叟。スライド枠には「安乗 92.1.2」の印が捺されている。 | 志摩市阿児町安乗 | 1992.1.2 |
6060 | 安乗三番叟2-2 | 安乗神社拝殿で舞う一番叟。スライド枠には「安乗 92.1.2」の印が捺されている。 | 志摩市阿児町安乗 | 1992.1.2 |
6061 | 安乗三番叟2-3 | 安乗神社拝殿で舞う一番叟。下方で控えているのは二番叟である。スライド枠には「安乗 92.1.2」の印が捺されている。 | 志摩市阿児町安乗 | 1992.1.2 |
6062 | 安乗三番叟2-4 | 安乗神社拝殿で神前に向かって舞う二番叟。スライド枠には「安乗 92.1.2」の印が捺されている。 | 志摩市阿児町安乗 | 1992.1.2 |
6063 | 安乗三番叟2-5 | 安乗神社拝殿で神前に向かって舞う一番叟。スライド枠には「安乗 92.1.3」の印が捺されている。 | 志摩市阿児町安乗 | 1992.1.2 |
6064 | 安乗三番叟2-6 | 安乗神社拝殿で舞う一番叟。スライド枠には「安乗 92.1.2」の印が捺されている。 | 志摩市阿児町安乗 | 1992.1.2 |
6065 | 安乗三番叟2-7 | 1月2日にニワの浜にて、海上安全と豊漁を祈るために三番叟が執り行われる。「翁祭」「翁三番叟」ともいわれる。浜に幣を立て、龍神にオミキ、刺身、洗米を供えた後、昼過ぎの潮が八合ほど満ちる頃に、三体の翁人形を順番に舞わす。 この写真はニワの浜、秋葉神社での舞が終わり安乗神社で奉納されているところ。若松模様の着物を着た春日大社権現と言われる人形の舞いで、金の烏帽子を頭に、右手に金、左手に白の扇子を持つ二番叟を前面から撮影しているところ。(「岬に響く 安乗の暮らし写真展」報告書より)スライド枠には「安乗 2.1.2」の印が捺されている。 | 志摩市阿児町安乗 | 1992.1.2 |
6066 | 安乗三番叟2-8 | 安乗神社拝殿で舞う二番叟。スライド枠には「安乗 92.1.2」の印が捺されている。 | 志摩市阿児町安乗 | 1992.1.2 |
6067 | 安乗三番叟2-9 | 安乗神社拝殿で舞う二番叟。スライド枠には「安乗 92.1.2」の印が捺されている。 | 志摩市阿児町安乗 | 1992.1.2 |
6068 | 安乗人形芝居(混入)2-10 | 人形芝居の公演前、安乗神社境内の舞台で三番叟を舞わす安乗人形芝居保存会。スライド枠には「安乗 92.1.2」の印が捺されている。 | 志摩市阿児町安乗 | 1992.1.2 |
6069 | 安乗人形芝居(混入)2-11 | 人形芝居の公演前、安乗神社境内の舞台で三番叟を舞わす安乗人形芝居保存会。スライド枠には「安乗 92.1.2」の印が捺されている。 | 志摩市阿児町安乗 | 1992.1.2 |
6070 | 安乗人形芝居(混入)2-12 | 人形芝居の上演の前に、安乗神社境内の舞台で舞わされる三番叟。この三番叟は、かつては正月と同じく昼すぎの潮の八合満ちにあわせて行われていたそうだ。この写真の人形はレプリカだという。人形がどれも古く、とくに「翁さん」は損傷を防ぐため外に出さずレプリカを遣うこともあった。現在(2023年)は、遣い手の黒子姿で舞わすが、この写真では紋付姿で回している。(「岬に響く 安乗の暮らし写真展」報告書より)スライド枠には「安乗 92.1.2」の印が捺されている。 | 志摩市阿児町安乗 | 1992.1.2 |
6071 | 安乗人形芝居(混入)2-13 | 人形芝居の公演前、安乗神社境内の舞台で三番叟を舞わす安乗人形芝居保存会。スライド枠には「安乗 92.1.2」の印が捺されている。 | 志摩市阿児町安乗 | 1992.1.2 |
6072 | 安乗三番叟3-1 | 安乗神社拝殿で舞う二番叟。スライド枠には「安乗 92.1.2」の印が捺されている。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.2 |
6073 | 安乗三番叟3-2 | 安乗神社拝殿で舞う二番叟。スライド枠には「安乗 92.1.2」の印が捺されている。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.2 |
6074 | 安乗三番叟3-3 | 安乗神社拝殿で舞う三番叟。スライド枠には「安乗 92.1.2」の印が捺されている。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.2 |
6075 | 安乗三番叟3-4 | 安乗神社拝殿で舞う三番叟。スライド枠には「安乗 92.1.2」の印が捺されている。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.2 |
6076 | 安乗三番叟3-5 | 安乗神社本殿脇の奉安庫から翁人形を出す神社総代と安乗人形芝居保存会。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.2 |
6077 | 安乗人形芝居(混入)3-6 | 絵本太功記 尼ケ崎の段 光秀の衣装。スライド枠には「安乗 」と記されている。 | 志摩市阿児町安乗 | 不明 |
6078 | 安乗人形芝居(混入)3-7 | 鎌倉三代記 高綱物語の段 富田六郎の衣装。スライド枠には「安乗 」と記されている。 | 志摩市阿児町安乗 | 不明 |
6079 | 安乗人形芝居(混入)3-8 | 艶容女舞衣 酒屋の段 宗岸の衣装。スライド枠には「安乗 」と記されている。 | 志摩市阿児町安乗 | 不明 |
6080 | 安乗人形芝居(混入)3-9 | 鎌倉三代記の木偶(でこ)。スライド枠には「安乗 」と記されている。 | 志摩市阿児町安乗 | 不明 |
6081 | 安乗人形芝居(混入)3-10 | 安乗人形芝居の木偶(でこ)。スライド枠には「安乗 」と記されている。 | 志摩市阿児町安乗 | 不明 |
6082 | 安乗三番叟4-1 | イヤモトの浜で三番叟を舞わす。浜に幣を立て、龍神にオミキ、刺身、洗米を供えた後、三体の翁人形を順番に舞わす。写真は海に向かって舞う二番叟。横に控えているのは一番叟である。スライド枠には「安乗 2.1.2」の印が捺されている | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.2 |
6083 | 安乗三番叟4-2 | 1月2日にニワの浜にて、海上安全と豊漁を祈るために三番叟が執り行われる。「翁祭」「翁三番叟」ともいわれる。浜に幣を立て、龍神にオミキ、刺身、洗米を供えた後、昼過ぎの潮が八合ほど満ちる頃に、三体の翁人形を順番に舞わす。場所は、ニワの浜、秋葉神社、安乗神社の順に舞わす。写真は前面から撮影したもの。写真の左下に控える人形が一番叟、中央で舞わされるのが二番叟である。一番叟(千歳)は侍烏帽子を被り、白絹に松、若竹、鶴亀の模様の衣装。伊勢神宮、産土神の神の遣いとされる。二番叟(翁)は、立烏帽子を被り、白尉の面で黒衣を着ている。春日大社の遣いとされる。三番叟(狂言)は三角形の烏帽子を被り、黒尉の面で白衣を着ており、道化役である。八幡社(安乗神社)の遣いとされる。背後には、ハサに干されたエビ網やトタン製の海女小屋が写り込んでいる。浜での舞が終わると潮振り、人形持ち、囃子手、敷物持ちの順番で秋葉神社と安乗神社に向かう。(「岬に響く 安乗の暮らし写真展」報告書より)スライド枠には「安乗 2.1.2」の印が捺されている。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.2 |
6084 | 安乗三番叟4-3 | イヤモトの浜で三番叟を舞わす。浜に幣を立て、龍神にオミキ、刺身、洗米を供えた後、三体の翁人形を順番に舞わす。写真は海に向かって舞う二番叟。横に控えているのは一番叟である。前方から撮影。スライド枠には「安乗 2.1.2」の印が捺されている | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.2 |
6085 | 安乗三番叟4-4 | イヤモトの浜で三番叟を舞わす。浜に幣を立て、龍神にオミキ、刺身、洗米を供えた後、三体の翁人形を順番に舞わす。写真は海に向かって舞う二番叟。横に控えているのは一番叟である。前方から撮影。スライド枠には「安乗 2.1.2」の印が捺されている | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.2 |
6086 | 安乗三番叟4-5 | 1月2日にニワの浜にて、海上安全と豊漁を祈るために三番叟が執り行われる。「翁祭」「翁三番叟」ともいわれる。浜に幣を立て、龍神にオミキ、刺身、洗米を供えた後、昼過ぎの潮が八合ほど満ちる頃に、三体の翁人形を順番に舞わす。場所はニワの浜、秋葉神社、安乗神社の順に舞わす。写真は前面から撮影したもの。写真の左下に控える人形が一番叟、中央で舞わされるのが二番叟である。一番叟(千歳)は侍烏帽子を被り、白絹に松、若竹、鶴亀の模様の衣装。伊勢神宮、産土神の神の遣いとされる。二番叟(翁)は、立烏帽子を被り、白尉の面で黒衣を着ている。春日大社の遣いとされる。三番叟(狂言)は三角形の烏帽子を被り、黒尉の面で白衣を着ており、道化役である。八幡社(安乗神社)の遣いとされる。人形は大年寄や安乗人形芝居保存会の遣い手が舞わしてきた。浜での舞が終わると潮振り、人形持ち、囃子手、敷物持ちの順番で秋葉神社と安乗神社に向かう。(「岬に響く 安乗の暮らし写真展」報告書より)スライド枠には「安乗 2.1.2」の印が捺されている。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.2 |
6087 | 安乗三番叟4-6 | イヤモトの浜で三番叟を舞わす。浜に幣を立て、龍神にオミキ、刺身、洗米を供えた後、三体の翁人形を順番に舞わす。写真は海に向かい黒尉(こくじょう)の面を付けて舞う三番叟。横に控えているのは一番叟である。前方から撮影。スライド枠には「安乗 2.1.2」の印が捺されている | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.2 |
6088 | 安乗三番叟4-7 | イヤモトの浜で三番叟を舞わす。浜に幣を立て、龍神にオミキ、刺身、洗米を供えた後、三体の翁人形を順番に舞わす。写真は海に向かい黒尉(こくじょう)の面を付けて舞う三番叟。側面から撮影。スライド枠には「安乗 2.1.2」の印が捺されている | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.2 |
6089 | 安乗三番叟4-8 | イヤモトの浜で三番叟を舞わす。浜に幣を立て、龍神にオミキ、刺身、洗米を供えた後、三体の翁人形を順番に舞わす。写真は海に向かい黒尉(こくじょう)の面を付けて舞う三番叟。側面から撮影。スライド枠には「安乗 2.1.2」の印が捺されている | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.2 |
6090 | 安乗三番叟4-9 | イヤモトの浜で三番叟を舞わす。浜に幣を立て、龍神にオミキ、刺身、洗米を供えた後、三体の翁人形を順番に舞わす。写真は海に向かい黒尉(こくじょう)の面を付けて舞う三番叟。側面から撮影。スライド枠には「安乗 2.1.2」の印が捺されている | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.2 |
6091 | 安乗三番叟4-10 | イヤモトの浜で三番叟を舞わす。浜に幣を立て、龍神にオミキ、刺身、洗米を供えた後、三体の翁人形を順番に舞わす。写真は海に向かい黒尉(こくじょう)の面を付けて舞う三番叟。前方から撮影。スライド枠には「安乗 2.1.2」の印が捺されている | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.2 |
6092 | 安乗三番叟4-11 | イヤモトの浜で三番叟を舞わす。浜に幣を立て、龍神にオミキ、刺身、洗米を供えた後、三体の翁人形を順番に舞わす。写真は海に向かって舞う一番叟。前方から撮影。スライド枠には「安乗 2.1.2」の印が捺されている | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.2 |
6093 | 安乗三番叟5-1 | 三番叟を行う前に、安乗神社本殿前の広場に祭壇を設け、神社総代や安乗人形芝居保存会のための椅子を並べて神事を行う。スライド枠には「安乗 2.1.2」の印が捺されている。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.2 |
6094 | 安乗三番叟5-2 | 三番叟を行う前に、安乗神社本殿前の広場に祭壇を設け、神社総代や安乗人形芝居保存会のための椅子を並べて神事を行う。スライド枠には「安乗 2.1.2」の印が捺されている。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.2 |
6095 | 安乗三番叟5-3 | 1月2日に安乗神社で執り行われた、地元の漁師とタンカー船関係者を対象にした海上安全と大漁を祈願する神事である。(「岬に響く 安乗の暮らし写真展」報告書より)スライド枠には「安乗 2.1.2」の印が捺されている。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.2 |
6096 | 安乗三番叟5-4 | 三番叟を行う前に、安乗神社本殿前の広場に祭壇を設け、神社総代や安乗人形芝居保存会のための椅子を並べて神事を行う。スライド枠には「安乗 2.1.2」の印が捺されている。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.2 |
6097 | 安乗三番叟5-5 | 三番叟を行う前に、安乗神社本殿前の広場に祭壇を設け、神社総代や安乗人形芝居保存会のための椅子を並べて神事を行う。スライド枠には「安乗 2.1.2」の印が捺されている。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.2 |
6098 | 安乗三番叟5-6 | 三番叟を行う前に、安乗神社本殿前の広場に祭壇を設け、神社総代や安乗人形芝居保存会のための椅子を並べて神事を行う。スライド枠には「安乗 2.1.2」の印が捺されている。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.2 |
6099 | 安乗三番叟5-7 | 大晦日に安乗神社本殿脇の奉安庫から出し、社務所の床の間に安置してあった三体の翁人形を搬出する。スライド枠には「安乗 2.1.2」の印が捺されている。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.2 |
6100 | 安乗三番叟5-8 | 大晦日に安乗神社本殿脇の奉安庫から出し、社務所の床の間に安置してあった三体の翁人形を搬出する。スライド枠には「安乗 2.1.2」の印が捺されている。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.2 |
6101 | 安乗三番叟5-9 | 潮振り、人形持ち、囃子手、敷物持ちの順番でイヤモトの浜へ向かう安乗人形芝居保存会の年寄衆。スライド枠には「安乗 2.1.2」の印が捺されている。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.2 |
6102 | 安乗三番叟5-10 | イヤモトの浜で三番叟を舞わす。浜に幣を立て、龍神にオミキ、刺身、洗米を供えた後、三体の翁人形を順番に舞わす。写真は海に向かって舞う一番叟。スライド枠には「安乗 2.1.2」の印が捺されている | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.2 |
6103 | 安乗三番叟5-11 | イヤモトの浜で三番叟を舞わす。浜に幣を立て、龍神にオミキ、刺身、洗米を供えた後、三体の翁人形を順番に舞わす。写真は海に向かって舞う一番叟。スライド枠には「安乗 2.1.2」の印が捺されている | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.2 |
6104 | 安乗三番叟5-12 | イヤモトの浜で三番叟を舞わす。浜に幣を立て、龍神にオミキ、刺身、洗米を供えた後、三体の翁人形を順番に舞わす。写真は海に向かって舞う二番叟。横に控えているのは一番叟である。スライド枠には「安乗 2.1.2」の印が捺されている | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.2 |
6105 | 安乗三番叟6-1 | 安乗神社拝殿前で神事の片付けをする、安乗人形芝居保存会の年寄衆。スライド枠には「安乗 2.1.2」の印が捺されている。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.2 |
6106 | 安乗三番叟6-2 | 安乗神社の参道に立てられた「奉納 安乗神社」の幟。下方から撮影。スライド枠には「安乗 2.1.2」の印が捺されている。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.2 |
6107 | 安乗三番叟6-3 | 安乗神社の参道に立てられた「奉納 安乗神社」の幟。下方から撮影。スライド枠には「安乗 2.1.2」の印が捺されている。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.2 |
6108 | 安乗三番叟6-4 | 潮振り、人形持ち、囃子手、敷物持ちの順番でイヤモトの浜へ向かう安乗人形芝居保存会の年寄衆。スライド枠には「安乗 2.1.2」の印が捺されている。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.2 |
6109 | 安乗三番叟6-5 | 潮振り、人形持ち、囃子手、敷物持ちの順番でイヤモトの浜へ向かう安乗人形芝居保存会の年寄衆。スライド枠には「安乗 2.1.2」の印が捺されている。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.2 |
6110 | 安乗三番叟6-6 | イヤモトの浜に到着した安乗人形芝居保存会の年寄衆。後方から撮影。スライド枠には「安乗 2.1.2」の印が捺されている。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.2 |
6111 | 安乗三番叟6-7 | イヤモトの浜にゴザを敷き、三番叟の準備を始める。スライド枠には「安乗 2.1.2」の印が捺されている。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.2 |
6112 | 安乗三番叟6-8 | イヤモトの浜にゴザを敷き、三番叟の準備を始める。スライド枠には「安乗 2.1.2」の印が捺されている。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.2 |
6113 | 安乗三番叟6-9 | イヤモトの浜に幣を立て、龍神にオミキと刺身、洗米を供える。スライド枠には「安乗 2.1.2」の印が捺されている。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.2 |
6114 | 安乗三番叟6-10 | イヤモトの浜に幣を立て、龍神にオミキと刺身、洗米を供える。スライド枠には「安乗 2.1.2」の印が捺されている。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.2 |
6115 | 安乗三番叟6-11 | イヤモトの浜に幣を立て、龍神にオミキと刺身、洗米を供える。スライド枠には「安乗 2.1.2」の印が捺されている。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.2 |
6116 | 安乗三番叟6-12 | イヤモトの浜に幣を立て、龍神にオミキと刺身、洗米を供える。その後方で、翁人形を出して、三番叟の舞いの準備をする。スライド枠には「安乗 2.1.2」の印が捺されている。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.2 |
6117 | 安乗三番叟6-13 | イヤモトの浜に幣を立て、龍神にオミキと刺身、洗米を供える。その後方で、翁人形を出して、三番叟の舞いの準備をする。スライド枠には「安乗 2.1.2」の印が捺されている。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.2 |
6118 | 安乗三番叟6-14 | イヤモトの浜に幣を立て、龍神にオミキと刺身、洗米を供える。その後方で、翁人形を出して、三番叟の舞いの準備をする。スライド枠には「安乗 2.1.2」の印が捺されている。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.2 |
6119 | 安乗三番叟7-1 | イヤモトの浜に幣を立て、龍神にオミキと刺身、洗米を供える。その後方で、翁人形を出して、三番叟の舞いの準備をする。スライド枠には「安乗 2.1.2」の印が捺されている。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.2 |
6120 | 安乗三番叟7-2 | イヤモトの浜で三番叟を舞わす、安乗人形芝居保存会の年寄衆。スライド枠には「安乗 2.1.2」の印が捺されている。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.2 |
6121 | 安乗三番叟7-3 | イヤモトの浜で三番叟を舞わす。浜に幣を立て、龍神にオミキ、刺身、洗米を供えた後、三体の翁人形を順番に舞わす。写真は海に向かって舞う一番叟。スライド枠には「安乗 2.1.2」の印が捺されている。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.2 |
6122 | 安乗三番叟7-4 | イヤモトの浜での三番叟の舞いが終わり、海に向かって一礼する安乗人形芝居保存会の年寄衆。スライド枠には「安乗 2.1.2」の印が捺されている。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.2 |
6123 | 安乗三番叟7-5 | イヤモトの浜で三番叟を舞わす。浜に幣を立て、龍神にオミキ、刺身、洗米を供えた後、三体の翁人形を順番に舞わす。写真は海に向かって舞う二番叟。横に控えているのは一番叟である。スライド枠には「安乗 2.1.2」の印が捺されている。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.2 |
6124 | 安乗三番叟7-6 | イヤモトの浜で三番叟を舞わす。浜に幣を立て、龍神にオミキ、刺身、洗米を供えた後、三体の翁人形を順番に舞わす。写真は海に向かって舞う二番叟。横に控えているのは一番叟である。スライド枠には「安乗 2.1.2」の印が捺されている。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.2 |
6125 | 安乗三番叟7-7 | イヤモトの浜で三番叟を舞わす。浜に幣を立て、龍神にオミキ、刺身、洗米を供えた後、三体の翁人形を順番に舞わす。写真は海に向かって舞う二番叟。横に控えているのは一番叟である。スライド枠には「安乗 2.1.2」の印が捺されている。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.2 |
6126 | 安乗三番叟7-8 | イヤモトの浜で三番叟を舞わす。浜に幣を立て、龍神にオミキ、刺身、洗米を供えた後、三体の翁人形を順番に舞わす。写真は海に向かって舞う二番叟。横に控えているのは一番叟である。スライド枠には「安乗 2.1.2」の印が捺されている。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.2 |
6127 | 安乗三番叟7-9 | イヤモトの浜で三番叟を舞わす。浜に幣を立て、龍神にオミキ、刺身、洗米を供えた後、三体の翁人形を順番に舞わす。写真は海に向かって舞う二番叟。横に控えているのは一番叟である。前方から撮影。スライド枠には「安乗 2.1.2」の印が捺されている。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.2 |
6128 | 安乗三番叟7-10 | イヤモトの浜で三番叟を舞わす。浜に幣を立て、龍神にオミキ、刺身、洗米を供えた後、三体の翁人形を順番に舞わす。写真は海に向かって舞う二番叟。横に控えているのは一番叟である。前方から撮影。スライド枠には「安乗 2.1.2」の印が捺されている。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.2 |
6129 | 安乗三番叟7-11 | イヤモトの浜で三番叟を舞わす。浜に幣を立て、龍神にオミキ、刺身、洗米を供えた後、三体の翁人形を順番に舞わす。写真は海に向かって舞う二番叟。横に控えているのは一番叟である。前方から撮影。スライド枠には「安乗 2.1.2」の印が捺されている。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.2 |
6130 | 安乗三番叟7-12 | イヤモトの浜で三番叟を舞わす。浜に幣を立て、龍神にオミキ、刺身、洗米を供えた後、三体の翁人形を順番に舞わす。写真は海に向かって舞う二番叟。横に控えているのは一番叟である。前方から撮影。スライド枠には「安乗 2.1.2」の印が捺されている。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.2 |
6131 | 安乗三番叟7-13 | イヤモトの浜で三番叟を舞わす。浜に幣を立て、龍神にオミキ、刺身、洗米を供えた後、三体の翁人形を順番に舞わす。写真は海に向かって舞う三番叟。横に控えているのは一番叟である。前方から撮影。スライド枠には「安乗 2.1.2」の印が捺されている。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.2 |
6132 | 安乗三番叟7-14 | イヤモトの浜で三番叟を舞わす。浜に幣を立て、龍神にオミキ、刺身、洗米を供えた後、三体の翁人形を順番に舞わす。写真は海に向かって舞う三番叟。横に控えているのは一番叟である。前方から撮影。スライド枠には「安乗 2.1.2」の印が捺されている。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.2 |
6133 | 安乗三番叟7-15 | 1月2日にニワの浜にて、海上安全と豊漁を祈るために三番叟が執り行われる。「翁祭」「翁三番叟」ともいわれる。浜に幣を立て、龍神にオミキ、刺身、洗米を供えた後、昼過ぎの潮が八合ほど満ちる頃に、三体の翁人形を順番に舞わす。場所は、ニワの浜、秋葉神社、安乗神社の順に舞わす。写真は前面から撮影したもの。写真の左下に控える人形が一番叟、中央では海に向って三番叟が舞わされている。一番叟(千歳)は侍烏帽子を被り、白絹に松、若竹、鶴亀の模様の衣装。伊勢神宮、産土神の神の遣いとされる。二番叟(翁)は、立烏帽子を被り、白尉の面で黒衣を着ている。春日大社の遣いとされる。三番叟(狂言)は三角形の烏帽子を被り、黒尉の面で白衣を着ており、道化役である。八幡社(安乗神社)の遣いとされる。背後には、ハサに干されたエビ網やトタン製の海女小屋が写り込んでいる。浜での舞が終わると潮振り、人形持ち、囃子手、敷物持ちの順番で秋葉神社と安乗神社に向かう。(「岬に響く 安乗の暮らし写真展」報告書より)スライド枠には「安乗 2.1.2」の印が捺されている。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.2 |
6134 | 安乗三番叟7-16 | 1月2日にニワの浜にて、海上安全と豊漁を祈るために三番叟が執り行われる。「翁祭」「翁三番叟」ともいわれる。浜に幣を立て、龍神にオミキ、刺身、洗米を供えた後、昼過ぎの潮が八合ほど満ちる頃に、三体の翁人形を順番に舞わす。場所は、ニワの浜、秋葉神社、安乗神社の順に舞わす。写真は側面から撮影したもの。観客が舞を見守っている様子も写されている。写真の手前に控える人形が一番叟、中央では海に向って三番叟が舞わされている。一番叟(千歳)は侍烏帽子を被り、白絹に松、若竹、鶴亀の模様の衣装。伊勢神宮、産土神の神の遣いとされる。二番叟(翁)は、立烏帽子を被り、白尉の面で黒衣を着ている。春日大社の遣いとされる。三番叟(狂言)は三角形の烏帽子を被り、黒尉の面で白衣を着ており、道化役である。八幡社(安乗神社)の遣いとされる。背後には、ハサに干されたエビ網やトタン製の海女小屋が写り込んでいる。浜での舞が終わると潮振り、人形持ち、囃子手、敷物持ちの順番で秋葉神社と安乗神社に向かう。(「岬に響く 安乗の暮らし写真展」報告書より)スライド枠には「安乗 2.1.2」の印が捺されている。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.2 |
6135 | 安乗三番叟1-1 | イヤモトの浜で三番叟を舞わす。浜に幣を立て、龍神にオミキ、刺身、洗米を供えた後、三体の翁人形を順番に舞わす。写真は海に向かって黒尉(こくじょう)の面を付けて舞う三番叟。背後から撮影。スライド枠には「安乗 2.1.2」の印が捺されている。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.2 |
6136 | 安乗三番叟1-2 | イヤモトの浜で三番叟を舞わす。浜に幣を立て、龍神にオミキ、刺身、洗米を供えた後、三体の翁人形を順番に舞わす。写真は海に向かって黒尉(こくじょう)の面を付けて舞う三番叟。背後から撮影。スライド枠には「安乗 2.1.2」の印が捺されている。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.2 |
6137 | 安乗三番叟1-3 | イヤモトの浜で三番叟を舞わす。浜に幣を立て、龍神にオミキ、刺身、洗米を供えた後、三体の翁人形を順番に舞わす。写真は海に向かって黒尉(こくじょう)の面を付けて舞う三番叟。背後から撮影。スライド枠には「安乗 2.1.2」の印が捺され、「浜の3番八幡エビス」と記されている。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.2 |
6138 | 安乗三番叟1-4 | イヤモトの浜で三番叟を舞わす。浜に幣を立て、龍神にオミキ、刺身、洗米を供えた後、三体の翁人形を順番に舞わす。写真は海に向かって黒尉(こくじょう)の面を付けて舞う三番叟。背後から撮影。スライド枠には「安乗 2.1.2」の印が捺され、「翁祭り(安乗)」と記されている。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.2 |
6139 | 安乗三番叟1-5 | 舞いが終わり、黒尉(こくじょう)の面が外された三番叟。スライド枠には「安乗 2.1.2」の印が捺されている。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.2 |
6140 | 安乗三番叟1-6 | 舞いが終わり、黒尉(こくじょう)の面が外された三番叟。スライド枠には「安乗 2.1.2」の印が捺されている。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.2 |
6141 | 安乗三番叟1-7 | 舞いが終わり、人形を木箱に納める安乗人形芝居保存会の年寄衆。スライド枠には「安乗 2.1.2」の印が捺されている。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.2 |
6142 | 安乗三番叟1-8 | 舞いが終わり、人形を納めた木箱を肩に担いで浜を歩く安乗人形芝居保存会の年寄衆。スライド枠には「安乗 2.1.2」の印が捺されている。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.2 |
6143 | 安乗三番叟1-9 | イヤモトの浜の舞いを終え、裏海に面した高台にある秋葉神社の社前で舞いをする一番叟。後方から撮影。スライド枠には「安乗 2.1.2」の印が捺されている。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.2 |
6144 | 安乗三番叟1-10 | イヤモトの浜の舞いを終え、裏海に面した高台にある秋葉神社の社前で舞いをする一番叟が大きく写る。前方から撮影。スライド枠には「安乗 2.1.2」の印が捺されている。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.2 |
6145 | 安乗三番叟1-11 | イヤモトの浜の舞いを終え、裏海に面した高台にある秋葉神社の社前で舞いをする一番叟が大きく写る。側面から撮影。スライド枠には「安乗 2.1.2」の印が捺されている。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.2 |
6146 | 安乗三番叟1-12 | イヤモトの浜の舞いを終え、裏海に面した高台にある秋葉神社の社前で舞いをする一番叟が大きく写る。側面から撮影。スライド枠には「安乗 2.1.2」の印が捺されている。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.2 |
6147 | 安乗三番叟1-13 | イヤモトの浜の舞いを終え、裏海に面した高台にある秋葉神社の社前で舞いをする一番叟が大きく写る。前方から撮影。スライド枠には「安乗 2.1.2」の印が捺されている。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.2 |
6148 | 安乗三番叟1-14 | 神事の準備が整った安乗神社本殿前。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.2 |
6149 | 安乗三番叟1-15 | 11月1日、不浄物の出入りを禁ずるために、安乗神社のある八幡山の「神森」に巻いた注連縄。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.2 |
6150 | 安乗三番叟1-16 | 11月1日、不浄物の出入りを禁ずるために、安乗神社のある八幡山の「神森」に巻いた注連縄。左隅に小さく写るのは、秋葉神社の鳥居である。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.2 |
6151 | 安乗三番叟2-1 | イヤモトの浜で三番叟を舞わす。浜に幣を立て、龍神にオミキ、刺身、洗米を供えた後、三体の翁人形を順番に舞わす。写真は海に向かって舞う二番叟。横に控えているのは一番叟である。見学者やカメラマンも写る。堤防の上から撮影。スライド枠には「安乗 2.1.2」の印が捺されている。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.2 |
6152 | 安乗三番叟2-2 | イヤモトの浜で三番叟を舞わす。浜に幣を立て、龍神にオミキ、刺身、洗米を供えた後、三体の翁人形を順番に舞わす。写真は海に向かって舞う二番叟。横に控えているのは一番叟である。見学者やカメラマンも写る。堤防の上から撮影。スライド枠には「安乗 2.1.2」の印が捺されている。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.2 |
6153 | 安乗三番叟2-3 | イヤモトの浜で三番叟を舞わす。浜に幣を立て、龍神にオミキ、刺身、洗米を供えた後、三体の翁人形を順番に舞わす。写真は海に向かって舞う二番叟。横に控えているのは一番叟である。見学者やカメラマンも写る。堤防の上から撮影。スライド枠には「安乗 2.1.2」の印が捺されている。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.2 |
6154 | 安乗三番叟2-4 | イヤモトの浜で三番叟を舞わす。浜に幣を立て、龍神にオミキ、刺身、洗米を供えた後、三体の翁人形を順番に舞わす。写真は海に向かって舞う二番叟。横に控えているのは一番叟である。見学者やカメラマンも写る。堤防の上から撮影。スライド枠には「安乗 2.1.2」の印が捺されている。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.2 |
6155 | 安乗三番叟2-5 | イヤモトの浜で三番叟を舞わす。浜に幣を立て、龍神にオミキ、刺身、洗米を供えた後、三体の翁人形を順番に舞わす。写真は海に向かって舞う二番叟。横に控えているのは一番叟である。見学者やカメラマンも写る。堤防の上から撮影。スライド枠には「安乗 2.1.2」の印が捺されている。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.2 |
6156 | 安乗三番叟2-6 | イヤモトの浜で三番叟を舞わす。浜に幣を立て、龍神にオミキ、刺身、洗米を供えた後、三体の翁人形を順番に舞わす。写真は海に向かって舞う三番叟。見学者やカメラマンも写る。背後から撮影。スライド枠には「安乗 2.1.2」の印が捺されている。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.2 |
6157 | 安乗三番叟2-7 | イヤモトの浜で三番叟を舞わす。浜に幣を立て、龍神にオミキ、刺身、洗米を供えた後、三体の翁人形を順番に舞わす。写真は海に向かって舞う三番叟。見学者やカメラマンも写る。背後から撮影。スライド枠には「安乗 2.1.2」の印が捺されている。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.2 |
6158 | 安乗三番叟2-8 | イヤモトの浜で三番叟を舞わす。浜に幣を立て、龍神にオミキ、刺身、洗米を供えた後、三体の翁人形を順番に舞わす。写真は海に向かって舞う三番叟。見学者やカメラマンも写る。背後から撮影。スライド枠には「安乗 2.1.2」の印が捺されている。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.2 |
6159 | 安乗三番叟2-9 | イヤモトの浜で三番叟を舞わす。浜に幣を立て、龍神にオミキ、刺身、洗米を供えた後、三体の翁人形を順番に舞わす。写真は海に向かって舞う三番叟。見学者やカメラマンも写る。背後から撮影。スライド枠には「安乗 2.1.2」の印が捺されている。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.2 |
6160 | 安乗三番叟2-10 | イヤモトの浜で三番叟を舞わす。浜に幣を立て、龍神にオミキ、刺身、洗米を供えた後、三体の翁人形を順番に舞わす。写真は海に向かって舞う三番叟。見学者やカメラマンも写る。側面から撮影。スライド枠には「安乗 2.1.2」の印が捺されている。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.2 |
6161 | 安乗三番叟2-11 | イヤモトの浜で三番叟を舞わす。浜に幣を立て、龍神にオミキ、刺身、洗米を供えた後、三体の翁人形を順番に舞わす。写真は海に向かって舞う三番叟。見学者やカメラマンも写る。側面から撮影。スライド枠には「安乗 2.1.2」の印が捺されている。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.2 |
6162 | 安乗三番叟2-12 | イヤモトの浜で三番叟を舞わす。浜に幣を立て、龍神にオミキ、刺身、洗米を供えた後、三体の翁人形を順番に舞わす。写真は海に向かって舞う三番叟。見学者やカメラマンも写る。背後から撮影。スライド枠には「安乗 2.1.2」の印が捺されている。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.2 |
6163 | 安乗三番叟2-13 | 舞いが終わり、黒尉(こくじょう)の面が外された三番叟。スライド枠には「安乗 2.1.2」の印が捺されている。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.2 |
6164 | 安乗三番叟2-14 | イヤモトの浜で三番叟を舞わす。浜に幣を立て、龍神にオミキ、刺身、洗米を供えた後、三体の翁人形を順番に舞わす。写真は海に向かって黒尉(こくじょう)の面を付けて舞う三番叟。背後から撮影。スライド枠には「安乗 2.1.2」の印が捺されている。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.2 |
6165 | 安乗三番叟2-15 | イヤモトの浜で三番叟を舞わす。浜に幣を立て、龍神にオミキ、刺身、洗米を供えた後、三体の翁人形を順番に舞わす。写真は海に向かって黒尉(こくじょう)の面を付けて舞う三番叟。背後から撮影。№6135とほぼ同じ。スライド枠には「安乗 2.1.2」の印が捺されている。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.2 |
6166 | 安乗三番叟2-16 | イヤモトの浜で三番叟を舞わす。浜に幣を立て、龍神にオミキ、刺身、洗米を供えた後、三体の翁人形を順番に舞わす。写真は海に向かって黒尉(こくじょう)の面を付けて舞う三番叟。背後から撮影。№6135とほぼ同じ。スライド枠には「安乗 2.1.2」の印が捺されている。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.2 |
6167 | 安乗三番叟2-17 | イヤモトの浜で三番叟を舞わす。浜に幣を立て、龍神にオミキ、刺身、洗米を供えた後、三体の翁人形を順番に舞わす。写真は海に向かって舞う三番叟。側面から撮影。一番叟と二番叟が控えている。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.2 |
6168 | 安乗三番叟3-1 | 舞いが終わり、黒尉(こくじょう)の面が外された三番叟。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.2 |
6169 | 安乗三番叟3-2 | 一番叟の舞いの後、二番叟が舞う。二体が大きく写る。前方から撮影。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.2 |
6170 | 安乗三番叟3-3 | 次に三番叟が舞う。前方から撮影。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.2 |
6171 | 安乗三番叟3-4 | 次に三番叟が舞う。控える一番叟と二番叟も写る。前方から撮影。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.2 |
6172 | 安乗三番叟3-5 | 次に三番叟が舞う。控える一番叟と二番叟も写る。前方から撮影。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.2 |
6173 | 安乗三番叟3-6 | 次に三番叟が舞う。控える一番叟と二番叟も写る。前方から撮影。№6172とほぼ同じ。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.2 |
6174 | 安乗三番叟3-7 | 舞いを終えた三体の翁人形。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.2 |
6175 | 安乗三番叟3-8 | 舞いが終わり、潮振りを先頭に、人形を納めた木箱を肩に担いで浜を歩く安乗人形芝居保存会の年寄衆。帰りは潮振りの手桶にオミキを入れて、見学者の手などに振りかける。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.2 |
6176 | 安乗三番叟3-9 | 舞いが終わり、潮振りを先頭に、人形を納めた木箱を肩に担いで浜を歩く安乗人形芝居保存会の年寄衆。帰りは潮振りの手桶にオミキを入れて、見学者の手などに振りかける。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.2 |
6177 | 安乗三番叟3-10 | イヤモトの浜の舞いを終え、裏海に面した高台にある秋葉神社の社前で舞いをする一番叟。前方から撮影。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.2 |
6178 | 安乗三番叟3-11 | イヤモトの浜の舞いを終え、裏海に面した高台にある秋葉神社の社前で舞いをする一番叟。前方から撮影。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.2 |
6179 | 安乗三番叟3-12 | イヤモトの浜の舞いを終え、裏海に面した高台にある秋葉神社の社前で舞いをする二番叟。下で控える一番叟も写る。前方から撮影。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.2 |
6180 | 安乗三番叟3-13 | イヤモトの浜の舞いを終え、裏海に面した高台にある秋葉神社の社前で舞いをする三番叟。下で控える一番叟も写る。前方から撮影。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.2 |
6181 | 安乗三番叟3-14 | イヤモトの浜の舞いを終え、裏海に面した高台にある秋葉神社の社前で黒尉(こくじょう)の面を付けて舞う三番叟。下で控える一番叟も写る。前方から撮影。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.2 |
6182 | 安乗三番叟4-1 | 三番叟を行う前に安乗神社本殿前の広場に祭壇を設け、神社総代や安乗人形芝居保存会の年寄衆を迎えて神事を行う。着席したまま低頭し、神官のお祓いを受ける参列者。スライド枠には「安乗 2.1.2」の印が捺されている。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.2 |
6183 | 安乗三番叟4-2 | イヤモトの浜に幣を立て、半紙の上にオミキ、刺身、洗米を供える。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.2 |
6184 | 安乗三番叟4-3 | イヤモトの浜で三番叟を舞わす。浜に幣を立て、龍神にオミキ、刺身、洗米を供えた後、三体の翁人形を順番に舞わす。写真は海に向かい黒尉(こくじょう)の面を付けて舞う三番叟。前方から撮影。スライド枠には「安乗 2.1.2」の印が捺されている | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.2 |
6185 | 安乗三番叟4-4 | イヤモトの浜で三番叟を舞わす。浜に幣を立て、龍神にオミキ、刺身、洗米を供えた後、三体の翁人形を順番に舞わす。写真は海に向かい舞う二番叟。横に控えているのは一番叟である。後方から撮影。スライド枠には「安乗 2.1.2」の印が捺されている | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.2 |
6186 | 安乗三番叟4-5 | イヤモトの浜で三番叟を舞わす。浜に幣を立て、龍神にオミキ、刺身、洗米を供えた後、三体の翁人形を順番に舞わす。写真は海に向かい舞う二番叟。横に控えているのは一番叟である。前方から撮影。スライド枠には「安乗 2.1.2」の印が捺されている | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.2 |
6187 | 安乗三番叟4-6 | イヤモトの浜の舞いを終え、裏海に面した高台にある秋葉神社の社前で黒尉(こくじょう)の面を付けて舞う三番叟。後方から撮影。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.2 |
6188 | 安乗三番叟4-7 | 安乗神社拝殿で舞う二番叟。後方から撮影。スライド枠には「安乗 2.1.2」の印が捺されている。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.2 |
6189 | 安乗三番叟4-8 | 安乗神社拝殿で舞う二番叟。前方から撮影。スライド枠には「安乗 2.1.2」の印が捺されている。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.2 |
6190 | 安乗三番叟4-9 | 安乗神社拝殿で舞う二番叟。前方から撮影。スライド枠には「安乗 2.1.2」の印が捺されている。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.2 |
6191 | 安乗三番叟5-1 | 安乗神社拝殿で右手に銀(月)、左手に金の扇を持ち、黒尉(こくじょう)の面を付けて舞う三番叟。前方から撮影。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.2 |
6192 | 安乗三番叟5-2 | 安乗神社拝殿で右手に銀(月)、左手に金の扇を持ち、黒尉(こくじょう)の面を付けて舞う三番叟。後方から撮影。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.2 |
6193 | 安乗三番叟5-3 | 安乗神社拝殿で右手に銀(月)、左手に金の扇を持ち、黒尉(こくじょう)の面を付けて舞う三番叟。後方から撮影。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.2 |
6194 | 安乗三番叟5-4 | 社務所で翁三番叟三体を木箱に入れる、神社総代。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.2 |
6195 | 安乗三番叟5-5 | 扉が閉まった安乗神社本殿脇の奉安庫の前に立つ、神社総代の後ろ姿。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.2 |
6196 | 安乗三番叟5-6 | 潮振り、人形持ち、囃子手、敷物持ちの順番でイヤモトの浜へ向かう安乗人形芝居保存会の年寄衆。社務所を出発する様子。帰りは潮振りの手桶にオミキを入れて、見学者の手などに振りかける。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.2 |
6197 | 安乗三番叟5-7 | 潮振り、人形持ち、囃子手、敷物持ちの順番でイヤモトの浜へ向かう安乗人形芝居保存会の年寄衆。神社の石段を下りる。帰りは潮振りの手桶にオミキを入れて、見学者の手などに振りかける。後方から撮影。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.2 |
6198 | 安乗三番叟6-1 | 潮振り、人形持ち、囃子手、敷物持ちの順番でイヤモトの浜へ向かう安乗人形芝居保存会の年寄衆。神社の石段を下りて参道を行く。見学者たちもその後に続く。後方から撮影。スライド枠には「安乗」の印が捺されている。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.2 |
6199 | 安乗三番叟6-2 | 潮振り、人形持ち、囃子手、敷物持ちの順番でイヤモトの浜へ向かい、堤防沿いの道路を行く安乗人形芝居保存会の年寄衆。見学者たちもその後に続く。後方から撮影。スライド枠には「安乗」の印が捺されている。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.2 |
6200 | 安乗三番叟6-3 | イヤモトの浜に下りた行列。前方より撮影。スライド枠には「安乗」の印が捺されている。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.2 |
6201 | 安乗三番叟6-4 | イヤモトの浜で三番叟を舞わす。浜に幣を立て、龍神にオミキ、刺身、洗米を供えた後、三体の翁人形を順番に舞わす。見学者やカメラマンも写る。堤防の上から撮影。スライド枠には「安乗 」の印が捺されている。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.2 |
6202 | 安乗三番叟6-5 | イヤモトの浜で三番叟を舞わす。浜に幣を立て、龍神にオミキ、刺身、洗米を供えた後、三体の翁人形を順番に舞わす。見学者やカメラマンも写る。堤防の上から撮影。スライド枠には「安乗 」の印が捺されている。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.2 |
6203 | 安乗三番叟6-6 | イヤモトの浜で三番叟を舞わす。浜に幣を立て、龍神にオミキ、刺身、洗米を供えた後、三体の翁人形を順番に舞わす。見学者やカメラマンも写る。堤防の上から撮影。スライド枠には「安乗 」の印が捺されている。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.2 |
6204 | 安乗三番叟6-7 | イヤモトの浜で三番叟を舞わす。浜に幣を立て、龍神にオミキ、刺身、洗米を供えた後、三体の翁人形を順番に舞わす。見学者やカメラマンも写る。堤防の上から撮影。スライド枠には「安乗 」の印が捺されている。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.2 |
6205 | 安乗三番叟6-8 | イヤモトの浜で三番叟を舞わす。浜に幣を立て、龍神にオミキ、刺身、洗米を供えた後、三体の翁人形を順番に舞わす。見学者やカメラマンも写る。堤防の上から撮影。スライド枠には「安乗 」の印が捺されている。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.2 |
6206 | 安乗三番叟6-9 | イヤモトの浜で三番叟を舞わす。浜に幣を立て、龍神にオミキ、刺身、洗米を供えた後、三体の翁人形を順番に舞わす。見学者やカメラマンも写る。堤防の上から撮影。スライド枠には「安乗 」の印が捺されている。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.2 |
6207 | 安乗三番叟6-10 | イヤモトの浜で三番叟を舞わす。浜に幣を立て、龍神にオミキ、刺身、洗米を供えた後、三体の翁人形を順番に舞わす。見学者やカメラマンも写る。堤防の上から撮影。スライド枠には「安乗 」の印が捺されている。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.2 |
6208 | 安乗三番叟6-11 | イヤモトの浜で三番叟を舞わす。浜に幣を立て、龍神にオミキ、刺身、洗米を供えた後、三体の翁人形を順番に舞わす。見学者やカメラマンも写る。堤防の上から撮影。スライド枠には「安乗 」の印が捺されている。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.2 |
6209 | 安乗三番叟6-12 | イヤモトの浜で三番叟を舞わす。浜に幣を立て、龍神にオミキ、刺身、洗米を供えた後、三体の翁人形を順番に舞わす。見学者やカメラマンも写る。堤防の上から撮影。スライド枠には「安乗 」の印が捺されている。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.2 |
6210 | 安乗三番叟6-13 | イヤモトの浜で三番叟を舞わす。浜に幣を立て、龍神にオミキ、刺身、洗米を供えた後、三体の翁人形を順番に舞わす。見学者やカメラマンも写る。堤防の上から撮影。スライド枠には「安乗 」の印が捺されている。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.2 |
6211 | 安乗三番叟7-1 | 三番叟を行う前に安乗神社本殿前の広場に祭壇を設け、神社総代や安乗人形芝居保存会を迎えて神事を行う。着席したまま低頭し、神官のお祓いを受ける参列者。スライド枠には「安乗 」の印が捺されている。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.2 |
6212 | 安乗三番叟7-2 | 三番叟を行う前に安乗神社本殿前の広場に祭壇を設け、神社総代や安乗人形芝居保存会を迎えて神事を行う。スライド枠には「安乗 」の印が捺されている。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.2 |
6213 | 安乗三番叟7-3 | 旧安乗神社拝殿。平成4(1992)年にご遷宮が行われ、拝殿は建て替えられている。明治41年11月、安乗の各所に奉祀されていた安乗神社、天魄社、大山祇社、巖島社、八幡宮、八皇子社、秋葉社を合祀して村社安乗神社と称して奉っている。スライド枠には「安乗 」の印が捺されている。(参考:『阿児町史』) | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.2 |
6214 | 安乗三番叟7-4 | 参道に立てられた安乗神社の幟。スライド枠には「安乗 」の印が捺されている。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.2 |
6215 | 安乗三番叟7-5 | 参道に立てられた安乗神社の幟。スライド枠には「安乗 」の印が捺されている。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.2 |
6216 | 安乗のアラクサ7-6 | 安乗の正月飾り(玄関飾り)。二股になったイマメ(ウバメガシ)の枝を削り、炙ったイワシや魚の尾を刺したものを魔除けとして、玄関口に刺す習わしがあった。スライド枠には「安乗 」の印が捺されている。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.2 |
6217 | 安乗漁港(正月)7-7 | 大漁旗がはためく安乗漁港。快晴である。スライド枠には「安乗 」の印が捺されている。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.2 |
6218 | 安乗漁港(正月)7-8 | 漁船にはツボキが飾られている。スライド枠には「安乗 」の印が捺されている。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.2 |
6219 | 安乗漁港(正月)7-9 | 大漁旗がはためく安乗漁港。快晴である。スライド枠には「安乗 」の印が捺されている。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.2 |
6220 | 安乗漁港(正月)7-10 | 漁船にはツボキが飾られている。スライド枠には「安乗 」の印が捺されている。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.2 |
6221 | 安乗漁港(正月)7-11 | 大漁旗がはためく安乗漁港。快晴である。スライド枠には「安乗 」の印が捺されている。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.2 |
6222 | 安乗漁港(正月)7-12 | たくさんの漁船が係留されている、安乗漁港。スライド枠には「安乗 」の印が捺されている。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.2 |
6223 | 安乗漁港(正月)7-13 | 漁港に浮かぶプラスチックゴミ。スライド枠には「安乗 」の印が捺されている。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.2 |
6224 | 安乗の景観7-14 | 安乗の路地裏。スライド枠には「安乗 」の印が捺されている。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.2 |
6225 | 安乗の墓地7-15 | 大平洋に臨む安乗の墓地。スライド枠には「安乗 」の印が捺されている。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.2 |
6226 | 安乗の墓地7-16 | 大平洋に臨む安乗の墓地。スライド枠には「安乗 」の印が捺されている。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.2 |
6227 | 安乗の墓地7-17 | 安乗墓地の無縁仏と赤い前掛けをした12体の地蔵さん。スライド枠には「安乗 」の印が捺されている。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.2 |
6228 | 安乗三番叟7-18 | 社務所を出る人形持ち。スライド枠には「安乗 」の印が捺されている。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.2 |
6229 | 安乗三番叟7-19 | 社務所の前でイヤモトの浜へ出発するのを待つ、関係者。スライド枠には「安乗 」の印が捺されている。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.2 |
6230 | 安乗三番叟8-1 | 裏海に面した高台にある秋葉神社の社前での舞い。若松模様の着物を着た春日大社権現と言われる人形の舞いで、金の烏帽子を頭に、右手に金、左手に白の扇子を持つ二番叟。下に控えているのは一番叟である。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.2 |
6231 | 安乗三番叟8-2 | 裏海に面した高台にある秋葉神社の社前での舞い。若松模様の着物を着た春日大社権現と言われる人形の舞いで、金の烏帽子を頭に、右手に金、左手に白の扇子を持つ二番叟。下に控えているのは一番叟である。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.2 |
6232 | 安乗三番叟8-3 | 裏海に面した高台にある秋葉神社の社前での舞い。若松模様の着物を着た春日大社権現と言われる人形の舞いで、金の烏帽子を頭に、右手に金、左手に白の扇子を持つ二番叟。下に控えているのは一番叟である。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.2 |
6233 | 安乗三番叟8-4 | 裏海に面した高台にある秋葉神社の社前での舞い。下に控えている一番叟のアップ。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.2 |
6234 | 安乗三番叟8-5 | イヤモトの浜での舞いを終え、裏海に面した高台にある秋葉神社の社前で舞いをする三番叟。後方から撮影。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.2 |
6235 | 安乗三番叟8-6 | 三体の翁人形は、大晦日に安乗神社本殿脇の奉安庫から出し、御簾を垂らした社務所の床の間に安置する。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.2 |
6236 | 安乗三番叟8-7 | 潮振り、人形持ち、囃子手、敷物持ちの順番でイヤモトの浜へ向かう安乗人形芝居保存会の年寄衆。帰りは潮振りの手桶にオミキを入れて、見学者の手などに振りかける。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.2 |
6237 | 安乗三番叟8-8 | 潮振り、人形持ち、囃子手、敷物持ちの順番でイヤモトの浜へ向かう安乗人形芝居保存会の年寄衆。帰りは潮振りの手桶にオミキを入れて、見学者の手などに振りかける。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.2 |
6238 | 安乗三番叟8-9 | 潮振り、人形持ち、囃子手、敷物持ちの順番でイヤモトの浜へ向かう安乗人形芝居保存会の年寄衆。帰りは潮振りの手桶にオミキを入れて、見学者の手などに振りかける。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.2 |
6239 | 安乗三番叟8-10 | 潮振り、人形持ち、囃子手、敷物持ちの順番でイヤモトの浜へ向かう安乗人形芝居保存会の年寄衆。幣を持った年寄衆のアップ。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.2 |
6240 | 安乗三番叟8-11 | イヤモトの浜を歩く安乗人形芝居保存会の年寄衆。後方より撮影。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.2 |
6241 | 安乗三番叟8-12 | イヤモトの浜を歩く安乗人形芝居保存会の年寄衆。前方より撮影。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.2 |
6242 | 安乗三番叟8-13 | イヤモトの浜に幣を立て、半紙の上にオミキ、刺身、洗米を供える。手元を大きく撮影。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.2 |
6243 | 安乗三番叟8-14 | イヤモトの浜に幣を立て、半紙の上にオミキ、刺身、洗米を供える。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.2 |
6244 | 安乗三番叟8-15 | イヤモトの浜に幣を立て、半紙の上にオミキ、刺身、洗米を供える。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.2 |
6245 | 安乗三番叟8-16 | イヤモトの浜に幣を立て、半紙の上にオミキ、刺身、洗米を供える。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.2 |
6246 | 安乗三番叟8-17 | イヤモトの浜で三番叟を舞わす。浜に幣を立て、龍神にオミキ、刺身、洗米を供えた後、三体の翁人形を順番に舞わす。写真は海に向かって舞う二番叟。下に控えているのは一番叟である。前方から撮影。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.2 |
6247 | 安乗三番叟8-18 | イヤモトの浜で三番叟を舞わす。浜に幣を立て、龍神にオミキ、刺身、洗米を供えた後、三体の翁人形を順番に舞わす。写真は海に向かって舞う二番叟。下に控えているのは一番叟である。前方から撮影。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.2 |
6248 | 安乗三番叟8-19 | イヤモトの浜で三番叟を舞わす。浜に幣を立て、龍神にオミキ、刺身、洗米を供えた後、三体の翁人形を順番に舞わす。写真は海に向かって舞う二番叟。下に控えているのは一番叟である。前方から撮影。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.2 |
6249 | 安乗三番叟9-1 | イヤモトの浜で三番叟を舞わす。浜に幣を立て、龍神にオミキ、刺身、洗米を供えた後、三体の翁人形を順番に舞わす。写真は海に向かって舞う二番叟。見学者やカメラマンも写る。後方から撮影。スライド枠には「2.1.2」の印が捺されている。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.2 |
6250 | 安乗三番叟9-2 | イヤモトの浜で三番叟を舞わす。浜に幣を立て、龍神にオミキ、刺身、洗米を供えた後、三体の翁人形を順番に舞わす。写真は海に向かって舞う二番叟。見学者やカメラマンも写る。後方から撮影。スライド枠には「2.1.2」の印が捺されている。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.2 |
6251 | 安乗三番叟9-3 | イヤモトの浜で三番叟を舞わす。浜に幣を立て、龍神にオミキ、刺身、洗米を供えた後、三体の翁人形を順番に舞わす。写真は海に向かって舞う二番叟。見学者やカメラマンも写る。後方から撮影。スライド枠には「2.1.2」の印が捺されている。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.2 |
6252 | 安乗三番叟9-4 | イヤモトの浜で三番叟を舞わす。浜に幣を立て、龍神にオミキ、刺身、洗米を供えた後、三体の翁人形を順番に舞わす。写真は海に向かって舞う二番叟。見学者やカメラマンも写る。後方から撮影。スライド枠には「2.1.2」の印が捺されている。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.2 |
6253 | 安乗三番叟9-5 | イヤモトの浜で三番叟を舞わす。浜に幣を立て、龍神にオミキ、刺身、洗米を供えた後、三体の翁人形を順番に舞わす。写真は海に向かって舞う三番叟。見学者やカメラマンも写る。後方から撮影。スライド枠には「2.1.2」の印が捺されている。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.2 |
6254 | 安乗三番叟9-6 | イヤモトの浜で三番叟を舞わす。浜に幣を立て、龍神にオミキ、刺身、洗米を供えた後、三体の翁人形を順番に舞わす。写真は海に向かって舞う三番叟。見学者やカメラマンも写る。後方から撮影。スライド枠には「2.1.2」の印が捺されている。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.2 |
6255 | 安乗三番叟9-7 | イヤモトの浜で三番叟を舞わす。浜に幣を立て、龍神にオミキ、刺身、洗米を供えた後、三体の翁人形を順番に舞わす。写真は海に向かって舞う三番叟。見学者やカメラマンも写る。後方から撮影。スライド枠には「2.1.2」の印が捺されている。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.2 |
6256 | 安乗三番叟9-8 | イヤモトの浜で三番叟を舞わす。浜に幣を立て、龍神にオミキ、刺身、洗米を供えた後、三体の翁人形を順番に舞わす。写真は海に向かって舞う三番叟。前方から撮影。スライド枠には「2.1.2」の印が捺されている。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.2 |
6257 | 安乗三番叟9-9 | 一番叟と遣い手のアップ。スライド枠には「2.1.2」の印が捺されている。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.2 |
6258 | 安乗三番叟9-10 | 一番叟と遣い手のアップ。スライド枠には「2.1.2」の印が捺されている。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.2 |
6259 | 安乗三番叟9-11 | イヤモトの浜で三番叟を舞わす。浜に幣を立て、龍神にオミキ、刺身、洗米を供えた後、三体の翁人形を順番に舞わす。写真は海に向かって舞う三番叟。前方から撮影。スライド枠には「2.1.2」の印が捺されている。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.2 |
6260 | 安乗三番叟10-1 | 参道に立てられた安乗神社の幟。スライド枠には「62.1.2 」の印が捺されている。 | 志摩市阿児町安乗 | 1987.1.2 |
6261 | 安乗三番叟10-2 | 旧安乗神社拝殿。平成4(1992)年にご遷宮が行われ、拝殿は建て替えられている。明治41年11月、安乗の各所に奉祀されていた安乗神社、天魄社、大山祇社、巖島社、八幡宮、八皇子社、秋葉社を合祀して村社安乗神社と称して奉っている。(参考:『阿児町史』) | 志摩市阿児町安乗 | 1987.1.2 |
6262 | 安乗三番叟10-3 | 潮振り、人形持ち、囃子手、敷物持ちの順番でイヤモトの浜へ向かう安乗人形芝居保存会の年寄衆。 | 志摩市阿児町安乗 | 1987.1.2 |
6263 | 安乗三番叟10-4 | イヤモトの浜で三番叟を舞わす。浜に幣を立て、龍神にオミキ、刺身、洗米を供えた後、三体の翁人形を順番に舞わす。写真は海に向かって舞う一番叟。側面から撮影。 | 志摩市阿児町安乗 | 1987.1.2 |
6264 | 安乗三番叟10-5 | 潮振り、人形持ち、囃子手、敷物持ちの順番でイヤモトの浜へ向かう安乗人形芝居保存会の年寄衆。 | 志摩市阿児町安乗 | 1987.1.2 |
6265 | 安乗三番叟10-6 | イヤモトの浜に幣を立て、半紙の上にオミキ、刺身、洗米を供える。 | 志摩市阿児町安乗 | 1987.1.2 |
6266 | 安乗三番叟10-7 | イヤモトの浜で三番叟を舞わす。浜に幣を立て、龍神にオミキ、刺身、洗米を供えた後、三体の翁人形を順番に舞わす。写真は海に向かって舞う一番叟。側面から撮影。 | 志摩市阿児町安乗 | 1987.1.2 |
6267 | 安乗三番叟10-8 | イヤモトの浜で三番叟を舞わす。浜に幣を立て、龍神にオミキ、刺身、洗米を供えた後、三体の翁人形を順番に舞わす。写真は海に向かって舞う一番叟。側面から撮影。 | 志摩市阿児町安乗 | 1987.1.2 |
6268 | 安乗三番叟10-9 | 潮振り、人形持ち、囃子手、敷物持ちの順番でイヤモトの浜へ向かう安乗人形芝居保存会の年寄衆。 | 志摩市阿児町安乗 | 1987.1.2 |
6269 | 安乗三番叟10-10 | イヤモトの浜で三番叟を舞わす。浜に幣を立て、龍神にオミキ、刺身、洗米を供えた後、三体の翁人形を順番に舞わす。写真は海に向かって舞う一番叟。側面から撮影。 | 志摩市阿児町安乗 | 1987.1.2 |
6270 | 安乗三番叟10-11 | イヤモトの浜で三番叟を舞わす。浜に幣を立て、龍神にオミキ、刺身、洗米を供えた後、三体の翁人形を順番に舞わす。写真は海に向かって舞う一番叟。側面から撮影。 | 志摩市阿児町安乗 | 1987.1.2 |
6271 | 安乗三番叟10-12 | イヤモトの浜で三番叟を舞わす。浜に幣を立て、龍神にオミキ、刺身、洗米を供えた後、三体の翁人形を順番に舞わす。写真は海に向かって舞う二番叟。側面から撮影。 | 志摩市阿児町安乗 | 1987.1.2 |
6272 | 安乗三番叟10-13 | イヤモトの浜で三番叟を舞わす。浜に幣を立て、龍神にオミキ、刺身、洗米を供えた後、三体の翁人形を順番に舞わす。写真は海に向かって舞う三番叟。側面から撮影。 | 志摩市阿児町安乗 | 1987.1.2 |
6273 | 安乗三番叟10-14 | イヤモトの浜で三番叟を舞わす。浜に幣を立て、龍神にオミキ、刺身、洗米を供えた後、三体の翁人形を順番に舞わす。写真は海に向かって舞う三番叟。前方から撮影。 | 志摩市阿児町安乗 | 1987.1.2 |
6274 | 安乗三番叟10-15 | 黒尉(こくじょう)の面を付けた三番叟の左手に、金の扇を持たせる年寄衆。 | 志摩市阿児町安乗 | 1987.1.2 |
6275 | 安乗三番叟10-16 | イヤモトの浜で三番叟を舞わす。浜に幣を立て、龍神にオミキ、刺身、洗米を供えた後、三体の翁人形を順番に舞わす。写真は右手に銀(月)、左手に金の扇を持ち、黒尉(こくじょう)の面を付けてイヤモトの浜で舞う三番叟。側面から撮影。 | 志摩市阿児町安乗 | 1987.1.2 |
6276 | 安乗三番叟11-1 | イヤモトの浜で三番叟を舞わす。浜に幣を立て、龍神にオミキ、刺身、洗米を供えた後、三体の翁人形を順番に舞わす。写真は海に向かって舞う二番叟。前方から撮影。 | 志摩市阿児町安乗 | 1987.1.2 |
6277 | 安乗三番叟11-2 | イヤモトの浜で三番叟を舞わす。浜に幣を立て、龍神にオミキ、刺身、洗米を供えた後、三体の翁人形を順番に舞わす。写真は海に向かって舞う二番叟。側面から撮影。 | 志摩市阿児町安乗 | 1987.1.2 |
6278 | 安乗三番叟11-3 | イヤモトの浜で三番叟を舞わす。浜に幣を立て、龍神にオミキ、刺身、洗米を供えた後、三体の翁人形を順番に舞わす。写真は海に向かって舞う二番叟。側面から撮影。 | 志摩市阿児町安乗 | 1987.1.2 |
6279 | 安乗三番叟11-4 | イヤモトの浜で三番叟を舞わす。浜に幣を立て、龍神にオミキ、刺身、洗米を供えた後、三体の翁人形を順番に舞わす。写真は海に向かい、両手を大きく広げて舞う二番叟。前方から撮影。 | 志摩市阿児町安乗 | 1987.1.2 |
6280 | 安乗三番叟11-5 | イヤモトの浜で三番叟を舞わす。浜に幣を立て、龍神にオミキ、刺身、洗米を供えた後、三体の翁人形を順番に舞わす。写真は海に向かい、両手を大きく広げて舞う二番叟。前方から撮影。 | 志摩市阿児町安乗 | 1987.1.2 |
6281 | 安乗三番叟11-6 | イヤモトの浜で三番叟を舞わす。浜に幣を立て、龍神にオミキ、刺身、洗米を供えた後、三体の翁人形を順番に舞わす。写真は白尉(はくじょう)を付けて舞う二番叟。側面から撮影。 | 志摩市阿児町安乗 | 1987.1.2 |
6282 | 安乗三番叟11-7 | イヤモトの浜で三番叟を舞わす。浜に幣を立て、龍神にオミキ、刺身、洗米を供えた後、三体の翁人形を順番に舞わす。写真は白尉(はくじょう)を付けて舞う二番叟。側面から撮影。 | 志摩市阿児町安乗 | 1987.1.2 |
6283 | 安乗三番叟11-8 | イヤモトの浜で三番叟を舞わす。浜に幣を立て、龍神にオミキ、刺身、洗米を供えた後、三体の翁人形を順番に舞わす。写真は海に向かって舞う三番叟。前方から撮影。 | 志摩市阿児町安乗 | 1987.1.2 |
6284 | 安乗三番叟11-9 | イヤモトの浜で三番叟を舞わす。浜に幣を立て、龍神にオミキ、刺身、洗米を供えた後、三体の翁人形を順番に舞わす。写真は海に向かって舞う三番叟。後方から撮影。 | 志摩市阿児町安乗 | 1987.1.2 |
6285 | 安乗三番叟11-10 | イヤモトの浜で三番叟を舞わす。浜に幣を立て、龍神にオミキ、刺身、洗米を供えた後、三体の翁人形を順番に舞わす。写真は海に向かって舞う三番叟。奥には下で控える一番叟と二番叟が写る。側面から撮影。 | 志摩市阿児町安乗 | 1987.1.2 |
6286 | 安乗三番叟11-11 | イヤモトの浜で三番叟を舞わす。浜に幣を立て、龍神にオミキ、刺身、洗米を供えた後、三体の翁人形を順番に舞わす。写真は海に向かって舞う三番叟。奥には下で控える一番叟と二番叟が写る。側面から撮影。 | 志摩市阿児町安乗 | 1987.1.2 |
6287 | 安乗三番叟11-12 | イヤモトの浜で三番叟を舞わす。浜に幣を立て、龍神にオミキ、刺身、洗米を供えた後、三体の翁人形を順番に舞わす。写真は海に向かって舞う三番叟。奥には下で控える一番叟と二番叟が写る。側面から撮影。 | 志摩市阿児町安乗 | 1987.1.2 |
6288 | 安乗三番叟11-13 | 舞いを終えて海を見つめる、遣い手と翁人形(一番叟と二番叟)。 | 志摩市阿児町安乗 | 1987.1.2 |
6289 | 安乗三番叟11-14 | 舞いを終えた遣い手と翁人形(一番叟と二番叟)。 | 志摩市阿児町安乗 | 1987.1.2 |
6290 | 安乗三番叟11-15 | 三番叟の舞いを終えて、木箱に三体の翁人形を入れる。 | 志摩市阿児町安乗 | 1987.1.2 |
6291 | 安乗三番叟11-16 | 三番叟の舞いが終わり、イヤモトの浜に残された、神饌(半紙の上のオミキ、刺身、洗米)。 | 志摩市阿児町安乗 | 1987.1.2 |
6292 | 安乗三番叟11-17 | イヤモトの浜の舞いを終え、裏海に面した高台にある秋葉神社の社前で黒尉(こくじょう)の面を付けて舞う三番叟。後方から撮影。 | 志摩市阿児町安乗 | 1987.1.2 |
6293 | 安乗三番叟12-1 | 一番叟と遣い手のアップ。 | 志摩市阿児町安乗 | 1987.1.2 |
6294 | 安乗三番叟12-2 | 二番叟と遣い手のアップ。 | 志摩市阿児町安乗 | 1987.1.2 |
6295 | 安乗三番叟12-3 | イヤモトの浜の舞いを終え、裏海に面した高台にある秋葉神社の社前で黒尉(こくじょう)の面を付けて舞う三番叟。前方から撮影。 | 志摩市阿児町安乗 | 1987.1.2 |
6296 | 安乗三番叟12-4 | イヤモトの浜の舞いを終え、裏海に面した高台にある秋葉神社の社前で黒尉(こくじょう)の面を付けて舞う三番叟。前方から撮影。 | 志摩市阿児町安乗 | 1987.1.2 |
6297 | 安乗三番叟12-5 | 安乗神社拝殿で三番叟の舞いをするために、二番叟と三番叟の装束を整える、安乗人形保存会の年寄衆。 | 志摩市阿児町安乗 | 1987.1.2 |
6298 | 安乗三番叟12-6 | 安乗神社拝殿で三番叟の舞いをするために、三番叟を木箱から出す安乗人形保存会の年寄衆。 | 志摩市阿児町安乗 | 1987.1.2 |
6299 | 安乗三番叟12-7 | 安乗神社拝殿で、二番叟を持つ遣い手。 | 志摩市阿児町安乗 | 1987.1.2 |
6300 | 安乗三番叟12-8 | 安乗神社拝殿で三番叟を舞わす。写真は右手に鈴、左手に金の扇を持ち、黒尉(こくじょう)の面を付けて舞う三番叟。下に控えているのは一番叟である。 | 志摩市阿児町安乗 | 1987.1.2 |
6301 | 安乗三番叟12-9 | 安乗神社拝殿で三番叟を舞わす。写真は右手に鈴、左手に金の扇を持ち、黒尉(こくじょう)の面を付けて舞う三番叟。下に控えているのは一番叟である。 | 志摩市阿児町安乗 | 1987.1.2 |
6302 | 安乗三番叟12-10 | 安乗神社拝殿で三番叟を舞わす。写真は右手に鈴、左手に金の扇を持ち、黒尉(こくじょう)の面を付けて舞う三番叟。下に控えているのは一番叟である。 | 志摩市阿児町安乗 | 1987.1.2 |
6303 | 安乗三番叟12-11 | 安乗神社拝殿で三番叟を舞わす。写真は右手に鈴、左手に金の扇を持ち、黒尉(こくじょう)の面を付け、大きく両手を広げて舞う三番叟。下に控えているのは一番叟である。側面から撮影。 | 志摩市阿児町安乗 | 1987.1.2 |
6304 | 安乗三番叟12-12 | 安乗神社拝殿で三番叟を舞わす。写真は右手に鈴、左手に金の扇を持ち、黒尉(こくじょう)の面を付け、大きく両手を広げて舞う三番叟。下に控えているのは一番叟である。側面から撮影。 | 志摩市阿児町安乗 | 1987.1.2 |
6305 | 安乗三番叟12-13 | 安乗神社拝殿で三番叟を舞わす。写真は右手に鈴、左手に金の扇を持ち、黒尉(こくじょう)の面を付け、大きく両手を広げて舞う三番叟。下に控えているのは一番叟である。前方から撮影。 | 志摩市阿児町安乗 | 1987.1.2 |
6306 | 安乗三番叟13-1 | イヤモトの浜で三番叟を舞わす。浜に幣を立て、龍神にオミキ、刺身、洗米を供えた後、三体の翁人形を順番に舞わす。写真は海に向かって舞う一番叟。側面から撮影。 | 志摩市阿児町安乗 | 1987.1.2 |
6307 | 安乗三番叟13-2 | イヤモトの浜で三番叟を舞わす。浜に幣を立て、龍神にオミキ、刺身、洗米を供えた後、三体の翁人形を順番に舞わす。写真は海に向かって舞う一番叟。その背後には舞いの準備をする二番叟が写る。前方から撮影。 | 志摩市阿児町安乗 | 1987.1.2 |
6308 | 安乗三番叟13-3 | イヤモトの浜で三番叟を舞わす。浜に幣を立て、龍神にオミキ、刺身、洗米を供えた後、三体の翁人形を順番に舞わす。写真は海に向かって舞う一番叟。その背後には舞いの準備をする二番叟が写る。前方から撮影。 | 志摩市阿児町安乗 | 1987.1.2 |
6309 | 安乗三番叟13-4 | イヤモトの浜で三番叟を舞わす。浜に幣を立て、龍神にオミキ、刺身、洗米を供えた後、三体の翁人形を順番に舞わす。写真は海に向かって舞う二番叟。下には舞い終えた一番叟が控える。前方から撮影。 | 志摩市阿児町安乗 | 1987.1.2 |
6310 | 安乗三番叟13-5 | イヤモトの浜で三番叟を舞わす。浜に幣を立て、龍神にオミキ、刺身、洗米を供えた後、三体の翁人形を順番に舞わす。写真は海に向かって舞う二番叟。下には舞い終えた一番叟が控える。側面から撮影。 | 志摩市阿児町安乗 | 1987.1.2 |
6311 | 安乗三番叟13-6 | イヤモトの浜で三番叟を舞わす。浜に幣を立て、龍神にオミキ、刺身、洗米を供えた後、三体の翁人形を順番に舞わす。写真は海に向かって舞う二番叟。下には舞い終えた一番叟が控える。側面から撮影。 | 志摩市阿児町安乗 | 1987.1.2 |
6312 | 安乗三番叟13-7 | イヤモトの浜で三番叟を舞わす。浜に幣を立て、龍神にオミキ、刺身、洗米を供えた後、三体の翁人形を順番に舞わす。写真は海に向かって舞う三番叟。下には舞い終えた一番叟と二番叟が控える。側面から撮影。 | 志摩市阿児町安乗 | 1987.1.2 |
6313 | 安乗三番叟13-8 | イヤモトの浜の舞いを終え、潮振りを先頭に裏海に面した高台にある秋葉神社に向かう。 | 志摩市阿児町安乗 | 1987.1.2 |
6314 | 安乗三番叟13-9 | イヤモトの浜の舞いを終え、裏海に面した高台にある秋葉神社の鳥居下に幣を立て、半紙を敷いてオミキ、刺身、洗米を供える。 | 志摩市阿児町安乗 | 1987.1.2 |
6315 | 安乗三番叟13-10 | イヤモトの浜の舞いを終え、裏海に面した高台にある秋葉神社の鳥居下に幣を立て、半紙を敷いてオミキ、刺身、洗米を供える。 | 志摩市阿児町安乗 | 1987.1.2 |
6316 | 安乗三番叟13-11 | 安乗神社参道の幟を片付ける、安乗神社総代と安乗人形保存会の年寄衆。 | 志摩市阿児町安乗 | 1987.1.2 |
6317 | 安乗三番叟13-12 | 安乗神社参道の幟を片付ける、安乗神社総代と安乗人形保存会の年寄衆。 | 志摩市阿児町安乗 | 1987.1.2 |
6318 | 安乗三番叟13-13 | 安乗神社参道の幟を片付ける、安乗神社総代と安乗人形保存会の年寄衆。 | 志摩市阿児町安乗 | 1987.1.2 |
6319 | 安乗三番叟14-1 | 大晦日に安乗神社本殿脇の奉安庫から出し、社務所の床の間に安置してあった三体の翁人形を搬出する。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.2 |
6320 | 安乗三番叟14-2 | 潮振り、人形持ち、囃子手、敷物持ちの順番で、安乗神社の石段を下り、イヤモトの浜へ向かう安乗人形芝居保存会の年寄衆。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.2 |
6321 | 安乗三番叟14-3 | 潮振り、人形持ち、囃子手、敷物持ちの順番で、堤防沿いの道路を歩き、イヤモトの浜へ向かう安乗人形芝居保存会の年寄衆。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.2 |
6322 | 安乗三番叟14-4 | 潮振り、人形持ち、囃子手、敷物持ちの順番で、堤防沿いの道路を歩き、イヤモトの浜へ向かう安乗人形芝居保存会の年寄衆。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.2 |
6323 | 安乗三番叟14-5 | 潮振り、人形持ち、囃子手、敷物持ちの順番で、堤防沿いの道路を歩き、イヤモトの浜へ向かう安乗人形芝居保存会の年寄衆。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.2 |
6324 | 安乗三番叟14-6 | 潮振り、人形持ち、囃子手、敷物持ちの順番で、堤防沿いの道路を歩き、イヤモトの浜へ向かう安乗人形芝居保存会の年寄衆。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.2 |
6325 | 安乗三番叟14-7 | 潮振り、人形持ち、囃子手、敷物持ちの順番で、堤防沿いの道路を歩き、イヤモトの浜へ向かう安乗人形芝居保存会の年寄衆。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.2 |
6326 | 安乗三番叟14-8 | イヤモトの浜に下り、砂浜を歩く安乗人形芝居保存会の年寄衆の後ろ姿。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.2 |
6327 | 安乗三番叟14-9 | 海を背にして並ぶ囃子手5人。向かって左から小鼓2人、笛3人。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.2 |
6328 | 安乗三番叟14-10 | 海を背にして並ぶ囃子手5人。向かって左から小鼓2人、笛3人。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.2 |
6329 | 安乗三番叟14-11 | 海を背にして並ぶ囃子手7人。向かって左から小鼓3人、笛4人。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.2 |
6330 | 安乗三番叟14-12 | 海を背にして並ぶ囃子手7人。向かって左から小鼓3人、笛4人。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.2 |
6331 | 安乗三番叟14-13 | 海を背にして並ぶ囃子手7人。向かって左から小鼓3人、笛4人。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.2 |
6332 | 安乗三番叟14-14 | イヤモトの浜で三番叟を舞わす。浜に幣を立て、龍神にオミキ、刺身、洗米を供えた後、三体の翁人形を順番に舞わす。写真は一番叟を手にして準備をする遣い手。囃子手たちがその様子を見守る。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.2 |
6333 | 安乗三番叟14-15 | イヤモトの浜で三番叟を舞わす。浜に幣を立て、龍神にオミキ、刺身、洗米を供えた後、三体の翁人形を順番に舞わす。写真は一番叟を手にして準備をする遣い手。囃子手たちがその様子を見守る。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.2 |
6334 | 安乗三番叟14-16 | イヤモトの浜で三番叟を舞わす。浜に幣を立て、龍神にオミキ、刺身、洗米を供えた後、三体の翁人形を順番に舞わす。写真は一番叟を手にして準備をする遣い手。囃子手たちがその様子を見守る。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.2 |
6335 | 安乗三番叟14-17 | イヤモトの浜で三番叟を舞わす。浜に幣を立て、龍神にオミキ、刺身、洗米を供えた後、三体の翁人形を順番に舞わす。写真は一番叟を手にして準備をする遣い手。囃子手たちがその様子を見守る。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.2 |
6336 | 安乗三番叟14-18 | イヤモトの浜で三番叟を舞わす。浜に幣を立て、龍神にオミキ、刺身、洗米を供えた後、三体の翁人形を順番に舞わす。写真は海に向かって舞う一番叟。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.2 |
6337 | 安乗三番叟15-1 | イヤモトの浜の舞いを終え、裏海に面した高台にある秋葉神社の社前で舞う二番叟。後方から撮影。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.2 |
6338 | 安乗三番叟15-2 | イヤモトの浜の舞いを終え、裏海に面した高台にある秋葉神社の社前で舞う二番叟。後方から撮影。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.2 |
6339 | 安乗三番叟15-3 | イヤモトの浜の舞いを終え、裏海に面した高台にある秋葉神社の社前で舞う三番叟。前方から撮影。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.2 |
6340 | 安乗三番叟15-4 | イヤモトの浜の舞いを終え、裏海に面した高台にある秋葉神社の社前で舞う三番叟。前方から撮影。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.2 |
6341 | 安乗三番叟15-5 | イヤモトの浜の舞いを終え、裏海に面した高台にある秋葉神社の鳥居下に幣を立て、半紙を敷いてオミキ、刺身、洗米を供える。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.2 |
6342 | 安乗三番叟15-6 | イヤモトの浜の舞いを終え、裏海に面した高台にある秋葉神社の社前で黒尉(こくじょう)の面を付けて舞う三番叟。前方から撮影。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.2 |
6343 | 安乗三番叟15-7 | 安乗神社拝殿で舞う一番叟。側面から撮影。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.2 |
6344 | 安乗三番叟15-8 | 安乗神社拝殿で舞う二番叟、下に控えているのは一番叟である。前方から撮影。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.2 |
6345 | 安乗三番叟15-9 | 安乗神社拝殿で舞う二番叟、下に控えているのは一番叟である。前方から撮影。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.2 |
6346 | 安乗三番叟15-10 | 安乗神社拝殿で大きく両手を広げて舞う二番叟、下に控えているのは一番叟である。前方から撮影。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.2 |
6347 | 安乗三番叟15-11 | 安乗神社拝殿で大きく両手を上げて舞う二番叟、下に控えているのは一番叟である。前方から撮影。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.2 |
6348 | 安乗三番叟15-12 | 安乗神社拝殿で大きく両手を広げて舞う二番叟、下に控えているのは一番叟である。前方から撮影。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.2 |
6349 | 安乗三番叟15-13 | 安乗神社拝殿で大きく両手を広げて舞う三番叟、下に控えているのは一番叟である。前方から撮影。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.2 |
6350 | 安乗三番叟15-14 | 安乗神社拝殿で大きく両手を広げて舞う三番叟、下に控えているのは一番叟である。前方から撮影。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.2 |
6351 | 安乗三番叟15-15 | 安乗神社拝殿で大きく両手を広げて舞う三番叟。前方から撮影。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.2 |
6352 | 安乗三番叟15-16 | 安乗神社拝殿で三番叟を舞わす。写真は右手に銀、左手に金の扇を持ち、黒尉(こくじょう)の面を付け、舞う三番叟。側面から撮影。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.2 |
6353 | 安乗三番叟15-17 | 安乗神社拝殿で三番叟を舞わす。写真は右手に銀、左手に金の扇を持ち、黒尉(こくじょう)の面を付け、舞う三番叟。側面から撮影。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.2 |
6354 | 安乗三番叟15-18 | 安乗神社拝殿で三番叟を舞わす。写真は右手に銀、左手に金の扇を持ち、黒尉(こくじょう)の面を付けて舞う三番叟。側面から撮影。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.2 |
6355 | 安乗三番叟15-19 | 安乗神社拝殿で三番叟を舞わす。写真は右手に銀、左手に金の扇を持ち、黒尉(こくじょう)の面を付け、大きく両手を広げて舞う三番叟。側面から撮影。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.2 |
6356 | 安乗三番叟15-20 | 安乗神社拝殿で三番叟を舞わす。写真は右手に銀、左手に金の扇を持ち、黒尉(こくじょう)の面を付け、大きく両手を広げて舞う三番叟。側面から撮影。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.2 |
6357 | 安乗三番叟16-1 | 安乗神社の社務所で翁人形三体の調査を行う。スライド枠には「3.4.12」の印が捺されている。 | 志摩市阿児町安乗 | 1991.4.12 |
6358 | 安乗三番叟16-2 | 三番叟の頭(かしら)。スライド枠には「3.4.12」の印が捺され、「三番叟(尉)」と記される。 | 志摩市阿児町安乗 | 1991.4.12 |
6359 | 安乗三番叟16-3 | 一番叟の頭(かしら)、正面。スライド枠には「3.4.12」の印が捺され、「一番叟(千歳)」と記される。 | 志摩市阿児町安乗 | 1991.4.12 |
6360 | 安乗三番叟16-4 | 一番叟の頭(かしら)、左側面。スライド枠には「3.4.12」の印が捺され、「一番叟」と記される。 | 志摩市阿児町安乗 | 1991.4.12 |
6361 | 安乗三番叟16-5 | 一番叟の頭(かしら)、右側面。スライド枠には「3.4.12」の印が捺され、「一番叟」と記される。 | 志摩市阿児町安乗 | 1991.4.12 |
6362 | 安乗三番叟16-6 | 二番叟の頭(かしら)、前方。スライド枠には「3.4.12」の印が捺され、「二番叟(翁)」と記される。 | 志摩市阿児町安乗 | 1991.4.12 |
6363 | 安乗三番叟16-7 | 二番叟の頭(かしら)、前方。スライド枠には「3.4.12」の印が捺され、「二番叟(翁)」と記される。 | 志摩市阿児町安乗 | 1991.4.12 |
6364 | 安乗三番叟16-8 | 二番叟の頭(かしら)、左側面。スライド枠には「3.4.12」の印が捺され、「二番叟」と記される。 | 志摩市阿児町安乗 | 1991.4.12 |
6365 | 安乗三番叟16-9 | 二番叟の頭(かしら)、右側面。スライド枠には「3.4.12」の印が捺され、「二番叟」と記される。 | 志摩市阿児町安乗 | 1991.4.12 |
6366 | 安乗三番叟16-10 | 二番叟の装束。スライド枠には「3.4.12」の印が捺され、「二番叟の装束(唐衣)」と記される。 | 志摩市阿児町安乗 | 1991.4.12 |
6367 | 安乗三番叟16-11 | 二番叟の装束。スライド枠には「3.4.12」の印が捺され、「二番叟の装束」と記される。 | 志摩市阿児町安乗 | 1991.4.12 |
6368 | 安乗三番叟16-12 | 二番叟の右手。金の扇を持っている。スライド枠には「3.4.12」の印が捺され「二番叟の右手」と記される。 | 志摩市阿児町安乗 | 1991.4.12 |
6369 | 安乗三番叟16-13 | 二番叟の装束。スライド枠には「3.4.12」の印が捺され、「二番叟の装束(千歳のキリ袴)」と記される。 | 志摩市阿児町安乗 | 1991.4.12 |
6370 | 安乗三番叟16-14 | 二番叟の装束。スライド枠には「3.4.12」の印が捺される。 | 志摩市阿児町安乗 | 1991.4.12 |
6371 | 安乗三番叟16-15 | 一番叟の装束。スライド枠には「3.4.12」の印が捺される。 | 志摩市阿児町安乗 | 1991.4.12 |
6372 | 安乗三番叟16-16 | 一番叟の装束。スライド枠には「3.4.12」の印が捺され、「一番叟の装束(千歳のキリ袴)」と記される。 | 志摩市阿児町安乗 | 1991.4.12 |
6373 | 安乗三番叟16-17 | 一番叟の装束。スライド枠には「3.4.12」の印が捺され、「一番叟の装束」と記される。 | 志摩市阿児町安乗 | 1991.4.12 |
6374 | 安乗三番叟16-18 | 一番叟の装束。スライド枠には「3.4.12」の印が捺され、「一番叟の装束」と記される。 | 志摩市阿児町安乗 | 1991.4.12 |
6375 | 安乗三番叟16-19 | 三番叟の装束。スライド枠には「3.4.12」の印が捺され、「三番叟の装束」と記される。 | 志摩市阿児町安乗 | 1991.4.12 |
6376 | 安乗三番叟17-1 | 三番叟の装束。スライド枠には「3.4.12」の印が捺される。 | 志摩市阿児町安乗 | 1991.4.12 |
6377 | 安乗三番叟17-2 | 安乗神社本殿脇の奉安庫。スライド枠には「3.4.12」の印が捺され、「翁殿」と記される。 | 志摩市阿児町安乗 | 1991.4.12 |
6378 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)1-1 | 「スコは頭(かしら)の古語である。祷家は、村の頭であるとも考えられており、祷家の座敷で神官が修祓し儀式が始まる。」と『安乗神社誌』に記されている。新祷、古祷が参加し、神官と大年寄が中心になって行われる祭。祷人は、8歳から12歳までの忌中がかかっていない家の男子が選ばれ、その男子(祷人)の家を祷家(祷屋)と呼んでいる。祷家は一祷と二祷があるが、12月20日になると祷家では、産土神の分霊の憑代となる丸注連を神官と大年寄が寄り合って作り、祷家の座敷に安置する。「スコ祝」は前日の1月3日、無事丸注連を神社に納めた祝いとして4日に行う祭である。平成5年に簡素化され、祷人の母方の叔父が女装する「スコモチ」あるいは「ハナタレ」とも呼ばれる「ソウナイモチ」の所作が廃止になった。また祷屋制度も現在は廃止されている。 写真は、かんざしを挿した日本髪のかつらをかぶって白粉を塗り、赤地の派手な振袖を着て鼻から綿を撚って作った鼻汁(ハナマキ)を垂らした姿で、折り箱に入れた赤飯に伊勢えびを添えるソウナイモチ。 参考:安乗神社宮司への聞き取り(2020.7.29)/『海と人間』海の博物館年報(平成2年3月発行)/『村社 安乗神社誌』(昭和13年10月発行)(以下キャプションは同文献と宮司への聞き取りに拠る) | 志摩市阿児町安乗 | 1991.1.4 |
6379 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)1-2 | かんざしを挿した日本髪のかつらをかぶって白粉を塗り、赤地の派手な振袖を着て鼻から綿を撚って作った鼻汁(ハナマキ)を垂らした姿で、折り箱に入れた赤飯に伊勢えびを添えるソウナイモチ。 | 志摩市阿児町安乗 | 1991.1.4 |
6380 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)1-3 | 赤飯に伊勢えびを添えた折り箱、6膳。 | 志摩市阿児町安乗 | 1991.1.4 |
6381 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)1-4 | 中央に神官、左右に大年寄が座り、その前に一祷の古祷と新祷、二祷の古祷と新祷が向かい合って座る。立ち上がってオミキを振る舞う、一祷のソウナイモチ。背後に二祷のソウナイモチが座っている。 | 志摩市阿児町安乗 | 1991.1.4 |
6382 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)1-5 | 麻の裃姿で座敷に座る祷人2人と、その後方に座る大年寄3人。 | 志摩市阿児町安乗 | 1991.1.4 |
6383 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)1-6 | 麻の裃姿で座敷に座る祷人2人と、その後方に座る大年寄3人。 | 志摩市阿児町安乗 | 1991.1.4 |
6384 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)1-7 | 一祷屋、二祷屋の「ソウナイモチ」2人、「スコモチ」とも呼ばれる。祷人の母方の叔父が女装して務める。かんざしを挿した日本髪のかつらをかぶって白粉を塗り、赤地の派手な振袖の片袖を抜き、鼻から綿を撚って作った鼻汁(ハナマキ)を垂らした姿である。 | 志摩市阿児町安乗 | 1991.1.4 |
6385 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)1-8 | 直会をする祷人と大年寄。 | 志摩市阿児町安乗 | 1991.1.4 |
6386 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)1-9 | 直会をする祷人と大年寄。 | 志摩市阿児町安乗 | 1991.1.4 |
6387 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)1-10 | 直会をする祷人と大年寄。 | 志摩市阿児町安乗 | 1991.1.4 |
6388 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)1-11 | 直会の膳は折り箱に入れた赤飯と伊勢えび、焼き魚、刺身である。 | 志摩市阿児町安乗 | 1991.1.4 |
6389 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)1-12 | スコマキで拾ったみかんをナイロン袋にたくさん詰めて、帰り支度をする高齢女性。みかんを持つ手は日焼けをし、身を粉にして働いたのであろう、腰は深く曲がっている。 | 志摩市阿児町安乗 | 1991.1.4 |
6390 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)1-13 | 祷人の後ろで並んで正座をする、大年寄3人。麻の裃姿である。 | 志摩市阿児町安乗 | 1991.1.4 |
6391 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)1-14 | 祷人の後ろで並んで正座をする、大年寄3人。麻の裃姿である。 | 志摩市阿児町安乗 | 1991.1.4 |
6392 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)2-1 | 座敷に座り、片袖を抜こうとするソウナイモチ。その前には、これから担ぐ8尾の伊勢えびと飯びつが置いてある。 | 志摩市阿児町安乗 | 1991.1.4 |
6393 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)2-2 | 片袖を抜いて立ち上がった、ソウナイモチ。 | 志摩市阿児町安乗 | 1991.1.4 |
6394 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)2-3 | スコマキをするソウナイモチ。スコマキとは、「スコのみやげに榧(かや)まくぞ」と言って、最初は座敷で、次に外で見守る人びとに向かって榧の実、みかん、お金を撒くことである。人びとは競って、これを拾う。 | 志摩市阿児町安乗 | 1991.1.4 |
6395 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)2-4 | スコ祝の後のモチ撒き。スコ撒きとも言われる。ハナタレが「スコのみやげに榧(カヤ)まくぞ」と言いながら、最初は座敷で、次に外で見守る人々に向かって榧の実、ミカン、お金などを撒く。女性や子どもが主に集まった。女性たちは「あー!」「やーい!」「こっちに放って!」など叫びながら、腰に巻いた風呂敷を広げ、よりたくさんキャッチしようと試みた。ハナタレも「ハレのように撒いた」と、ずいぶん賑やかだった。寒い時期なので、ほっかむりをする女性も多いのがわかる。当時は祷家の自宅でモチ撒きをしたため、写真は縁側から撒いている。2階や屋根の上から撒くこともあった。2人の祷家それぞれの家で撒いたが、後年は神社で祷家行事をするようになり、モチ撒きも神社に組んだ櫓からした。安乗では新築祝いや進水式、米寿の祝いなどでもモチ撒きが盛大に行われてきた。(「岬に響く 安乗の暮らし写真展」報告書より) | 志摩市阿児町安乗 | 1991.1.4 |
6396 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)2-5 | スコマキ。スコマキとは、「スコのみやげに榧(かや)まくぞ」と言って、最初は座敷で、次に外で見守る人びとに向かって榧の実、みかん、お金を撒くことである。競って、これを拾う人びと。皆笑顔である。 | 志摩市阿児町安乗 | 1991.1.4 |
6397 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)2-6 | スコ祝の後のモチ撒き。スコ撒きとも言われる。ハナタレが「スコのみやげに榧(カヤ)まくぞ」と言いながら、最初は座敷で、次に外で見守る人々に向かって榧の実、ミカン、お金などを撒く。女性や子どもが主に集まった。女性たちは「あー!」「やーい!」「こっちに放って!」など叫びながら、腰に巻いた風呂敷を広げ、よりたくさんキャッチしようと試みた。ハナタレも「ハレのように撒いた」と、ずいぶん賑やかだった。寒い時期なので、ほっかむりをする女性も多いのがわかる。写真は縁側からの餅撒きを、競って拾う人々。みんな笑顔である。(「岬に響く 安乗の暮らし写真展」報告書より) | 志摩市阿児町安乗 | 1991.1.4 |
6398 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)2-7 | スコマキ。スコマキとは、「スコのみやげに榧(かや)まくぞ」と言って、最初は座敷で、次に外で見守る人びとに向かって榧の実、みかん、お金を撒くことである。競って、これを拾う人びと。皆笑顔である。 | 志摩市阿児町安乗 | 1991.1.4 |
6399 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)2-8 | スコマキ。スコマキとは、「スコのみやげに榧(かや)まくぞ」と言って、最初は座敷で、次に外で見守る人びとに向かって榧の実、みかん、お金を撒くことである。競って、これを拾う人びと。皆笑顔である。 | 志摩市阿児町安乗 | 1991.1.4 |
6400 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)2-9 | スコマキ。スコマキとは、「スコのみやげに榧(かや)まくぞ」と言って、最初は座敷で、次に外で見守る人びとに向かって榧の実、みかん、お金を撒くことである。競って、これを拾う人びと。皆笑顔である。 | 志摩市阿児町安乗 | 1991.1.4 |
6401 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)2-10 | ソウナイモチのアップ。 | 志摩市阿児町安乗 | 1991.1.4 |
6402 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)2-11 | ソウナイモチのアップ。 | 志摩市阿児町安乗 | 1991.1.4 |
6403 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)2-12 | スコマキ。スコマキとは、「スコのみやげに榧(かや)まくぞ」と言って、最初は座敷で、次に外で見守る人びとに向かって榧の実、みかん、お金を撒くことである。競って、これを拾う人びと。 | 志摩市阿児町安乗 | 1991.1.4 |
6404 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)2-13 | 祷家の床の間に安置された丸注連。12月20日、産土神の分霊の憑代となる丸注連を神官と大年寄が寄り合って作り、祷家の座敷に安置する。 丸注連とは、直径30センチ程の盆状の「ツボ」といわれる器を底辺に3本の棒を骨組みにして、ワラゴモで巻いた円錐状のものである。底辺部(ツボ)は塗り土で固め、その上に神折敷、土器、人形(ひとがた)、飯を入れ、さらに、それまで潮振りに使用した笹68本を刺した巻きワラを、封じ込めたものである。上から柊、橙、裏白などの注連縄が掛けられる。「お山つくり」ともいわれ、1月3日に神社に納められるまで祷家の床の間に安置される。神社に運ばれるのは3日の深夜で、太鼓を打って先触れする。昔からこの行列に出会った者は狂気するといわれ、そのことを人びとに知らせるためである。 | 志摩市阿児町安乗 | 1991.1.4 |
6405 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)2-14 | 祷家の床の間に安置された丸注連。12月20日、産土神の分霊の憑代となる丸注連を神官と大年寄が寄り合って作り、祷家の座敷に安置する。 丸注連とは、直径30センチ程の盆状の「ツボ」といわれる器を底辺に3本の棒を骨組みにして、ワラゴモで巻いた円錐状のものである。底辺部(ツボ)は塗り土で固め、その上に神折敷、土器、人形(ひとがた)、飯を入れ、さらに、それまで潮振りに使用した笹68本を刺した巻きワラを、封じ込めたものである。上から柊、橙、裏白などの注連縄が掛けられる。「お山つくり」ともいわれ、1月3日に神社に納められるまで祷家の床の間に安置される。神社に運ばれるのは3日の深夜で、太鼓を打って先触れする。昔からこの行列に出会った者は狂気するといわれ、そのことを人びとに知らせるためである。 | 志摩市阿児町安乗 | 1991.1.4 |
6406 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)3-1 | 祷家の庭でスコマキが始まるのを待つ人びと。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.4 |
6407 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)3-2 | 祷人の後ろに並んで正座をする、大年寄3人。麻の裃姿である。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.4 |
6408 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)3-3 | スコマキが始まり、競ってこれを拾う人びと。後方より撮影。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.4 |
6409 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)3-4 | スコマキが始まり、競ってこれを拾う人びと。後方より撮影。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.4 |
6410 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)3-5 | スコマキが始まり、競ってこれを拾う人びと。後方より撮影。子どもの姿も見える。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.4 |
6411 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)3-6 | スコマキが始まり、競ってこれを拾う人びと。後方より撮影。子どもの姿も見える。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.4 |
6412 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)3-7 | スコマキが始まり、競ってこれを拾う人びと。後方より撮影。子どもの姿も見える。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.4 |
6413 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)3-8 | スコマキが始まり、競ってこれを拾う人びと。後方より撮影。子どもの姿も見える。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.4 |
6414 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)3-9 | スコマキが終わり、拾ったみかんを段ボールに入れ、乳母車に積み込む高齢女性たち。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.4 |
6415 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)3-10 | スコマキが終わり、段ボールに入れたみかんを見せ合う、高齢女性と若い女性。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.4 |
6416 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)3-11 | スコマキが終わり、拾ったみかんを風呂敷に包んで帰り支度をする高齢女性たち。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.4 |
6417 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)3-12 | スコマキが終わり、拾ったみかんを乳母車に積んで帰る高齢女性たち。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.4 |
6418 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)3-13 | 座敷で記念撮影をする、麻の裃姿の祷人と父親とソウナイモチ。ソウナイモチは「スコモチ」とも呼ばれ、祷人の母方の叔父が女装して務める。かんざしを挿した日本髪のかつらをかぶって白粉を塗り、赤地の派手な振袖の片袖を抜き、鼻から綿を撚って作った鼻汁(ハナマキ)を垂らした姿である。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.4 |
6419 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)3-14 | №6418の祷人、父親、ソウナイモチに祷人と同年代の男子2人が加わって記念撮影をする。皆笑顔だ。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.4 |
6420 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)3-15 | 折り箱に入れた赤飯に、伊勢えびを添えるソウナイモチ。かんざしを挿した日本髪のかつらをかぶって白粉を塗り、赤地の派手な振袖の片袖を抜き、鼻から綿を撚って作った鼻汁(ハナマキ)を垂らした姿である。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.4 |
6421 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)4-1 | 祷家の庭の日当たりの良い石段に座って、スコマキが始まるのを待つ高齢女性たち。世間話に花を咲かせる。スライド枠には「2.1.4」の印が捺される。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.4 |
6422 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)4-2 | 祷家の庭の日当たりの良い石段に座って、スコマキが始まるのを待つ高齢女性たち。世間話に花を咲かせる。スライド枠には「2.1.4」の印が捺される。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.4 |
6423 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)4-3 | 祷家の庭の日当たりの良い石段に座って、スコマキが始まるのを待つ高齢女性たち。世間話に花を咲かせる。スライド枠には「2.1.4」の印が捺される。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.4 |
6424 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)4-4 | 乳母車を押して歩く高齢女性。スライド枠には「2.1.4」の印が捺される。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.4 |
6425 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)5-1 | ソウナイモチ。「スコモチ」とも呼ばれる。祷人の母方の叔父が女装し、務める。かんざしを挿した日本髪のかつらをかぶって白粉を塗り、赤地の派手な振袖の片袖を抜いて椅子に座る。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.4 |
6426 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)5-2 | №6426のソウナイモチのアップ。笑顔で写る。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.4 |
6427 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)5-3 | 祷家の座敷の床の間を上に、中央に神官、並んで麻の裃姿の大年寄が座り、その前に一祷の古祷と新祷、二祷の古祷と新祷が向かい合うように座る。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.4 |
6428 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)5-4 | 祷家の座敷に座る、祷人の関係者。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.4 |
6429 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)5-5 | 神饌が供えられた祷家の床の間に、手を合わせる神官。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.4 |
6430 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)5-6 | 祷家の床の間に供えられた神饌を祓う神官。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.4 |
6431 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)5-7 | 次に、大年寄を祓う神官。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.4 |
6432 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)5-8 | 祷家の床の間に供えられていた角樽、伊勢えび8尾、神折敷8枚を下げる神官と大年寄。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.4 |
6433 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)5-9 | 祷家の床の間に供えられていた伊勢えび8尾を下げて、ソウナイモチの元へ運ぶ2人の大年寄。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.4 |
6434 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)5-10 | 次に新祷は、「イワツモノ」といわれる五穀が入った紙包みを付けた釣り竿を持ち、古祷は「エビスウオ」と呼ばれるマツカサウオの干したものを付けた釣り竿を持って座ったまま魚釣りの所作をする。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.4 |
6435 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)5-11 | 次に新祷は、「イワツモノ」といわれる五穀が入った紙包みを付けた釣り竿を持ち、古祷は「エビスウオ」と呼ばれるマツカサウオの干したものを付けた釣り竿を持って向かい合って座る。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.4 |
6436 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)5-12 | やがて神官が中央上手で志摩神楽を唄いながら舞う。志摩神楽は、伊勢の大々神楽に対応し、昔は志摩一円で行われたものであるといわれる。※志摩神楽の神歌は、「村社 安乗神社誌」(昭和13年発行)に記載されている。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.4 |
6437 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)5-13 | やがて神官が中央上手で志摩神楽を唄いながら舞う。志摩神楽は、伊勢の大々神楽に対応し、昔は志摩一円で行われたものであるといわれる。※志摩神楽の神歌は、「村社 安乗神社誌」(昭和13年発行)に記載されている。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.4 |
6438 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)5-14 | 大年寄を祓う神官。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.4 |
6439 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)6-1 | 神事が終わり、直会をする一祷の古祷と新祷、二祷の古祷と新祷、大年寄。直会のご馳走は大皿に盛られた刺身、寿司、ナマコ、煮豆、魚の煮つけ、大根のナマスが見える。台所で女性が作った料理をハナタレが給仕する。写真はハナタレがお神酒を注いでいるところ。豪華なご馳走が並び、まるで結婚式のようだった。(「岬に響く 安乗の暮らし写真展」報告書より) | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.4 |
6440 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)6-2 | 祷家の庭に集まり、スコマキが始まるのを待つ人びと。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.4 |
6441 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)6-3 | エビスウオと呼ばれるマツカサウオの干したものを付けた釣り竿を持って座る古祷。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.4 |
6442 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)6-4 | 神官は、志摩神楽が終わるとソウナイモチを座敷に連れ出して余興に移る。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.4 |
6443 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)6-5 | ソウナイモチ。かんざしを挿した日本髪のかつらをかぶって白粉を塗り、淡いブルー地の振袖の片袖を抜き、鼻から綿を撚って作った鼻汁(ハナマキ)を垂らした姿で日の丸の扇子を広げる。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.4 |
6444 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)6-6 | ソウナイモチ。かんざしを挿した日本髪のかつらをかぶって白粉を塗り、淡いブルー地の振袖の片袖を抜き、鼻から綿を撚って作った鼻汁(ハナマキ)を垂らした姿で日の丸の扇子を広げて流し目をする。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.4 |
6445 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)6-7 | ソウナイモチ。かんざしを挿した日本髪のかつらをかぶって白粉を塗り、淡いブルー地の振袖の片袖を抜き、鼻から綿を撚って作った鼻汁(ハナマキ)を垂らした姿で日の丸の扇子を広げて流し目をする。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.4 |
6446 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)6-8 | ソウナイモチ。かんざしを挿した日本髪のかつらをかぶって白粉を塗り、淡いブルー地の振袖の片袖を抜き、鼻から綿を撚って作った鼻汁(ハナマキ)を垂らした姿で日の丸の扇子を広げて流し目をする。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.4 |
6447 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)6-9 | 神官は、志摩神楽が終わるとソウナイモチを座敷に連れ出して余興に移る。新調の道中棒に、前荷には赤飯の重箱と伊勢えび8尾を担い、後荷には角樽と飯びつを担って、足をひきずりながら出てくる。「すこや、すこや。誰がまたすこや。」の唄で呼び出され、座敷を3周する。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.4 |
6448 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)6-10 | 志摩神楽が終わると神官は、ソウナイモチを座敷に連れ出して余興に移る。新調の道中棒に、前荷には赤飯の重箱と伊勢えび8尾を担い、後荷には角樽を担って、足をひきずりながら出てくる。「すこや、すこや。誰がまたすこや。」の唄で呼び出され、座敷を3周し、荷物を下ろして座り込む。神官「大儀でござった」ソウナイモチ「ところで、私にこのような重たい荷物を持たして何くださるぞ。これは江州の天秤棒というもの。俗にこれを負子(おうこ)ともいう。安乗ではしない棒ともいう。これを折ったらいかんぞや。」神官「ありがとうござんす。まかぬ種ははえん。魚を寄せるのはかぶせをやらんと寄ってこん。海は大漁、陸は万作、商売繁盛、すこやの土産にかやまくぞ。」ソウナイモチ「かやまくぞ。」の問答をする。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.4 |
6449 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)6-11 | 神官は、志摩神楽が終わるとソウナイモチを座敷に連れ出して余興に移る。新調の道中棒に、前荷には赤飯の重箱と伊勢えび8尾を担い、後荷には角樽と飯びつを担って、足をひきずりながら出てくる。「すこや、すこや。誰がまたすこや。」の唄で呼び出され、座敷を3回回る。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.4 |
6450 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)6-12 | 神官は、志摩神楽が終わるとソウナイモチを座敷に連れ出して余興に移る。新調の道中棒に、前荷には赤飯の重箱と伊勢えび8尾を担い、後荷には角樽と飯びつを担って、足をひきずりながら出てくる。「すこや、すこや。誰がまたすこや。」の唄で呼び出され、座敷を3周し、荷物を下ろして座り込む。神官「大儀でござった」ソウナイモチ「ところで、私にこのような重たい荷物を持たして何くださるぞ。これは江州の天秤棒というもの。俗にこれを負子(おうこ)ともいう。安乗ではしない棒ともいう。これを折ったらいかんぞや。」神官「ありがとうござんす。まかぬ種ははえん。魚を寄せるのはかぶせをやらんと寄ってこん。海は大漁、陸は万作、商売繁盛、すこやの土産にかやまくぞ。」ソウナイモチ「かやまくぞ。」の問答をする。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.4 |
6451 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)6-13 | 神官は、志摩神楽が終わるとソウナイモチを座敷に連れ出して余興に移る。新調の道中棒に、前荷には赤飯の重箱と伊勢えび8尾を担い、後荷には角樽を担って、足をひきずりながら出てくる。「すこや、すこや。誰がまたすこや。」の唄で呼び出され、座敷を3周し、荷物を下ろして座り込む。神官「大儀でござった」ソウナイモチ「ところで、私にこのような重たい荷物を持たして何くださるぞ。これは江州の天秤棒というもの。俗にこれを負子(おうこ)ともいう。安乗ではしない棒ともいう。これを折ったらいかんぞや。」神官「ありがとうござんす。まかぬ種ははえん。魚を寄せるのはかぶせをやらんと寄ってこん。海は大漁、陸は万作、商売繁盛、すこやの土産にかやまくぞ。」ソウナイモチ「かやまくぞ。」の問答をする。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.4 |
6452 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)6-14 | 神官は、志摩神楽が終わるとソウナイモチを座敷に連れ出して余興に移る。新調の道中棒に、前荷には赤飯の重箱と伊勢えび8尾を担い、後荷には角樽と飯びつを担って、足をひきずりながら出てくる。「すこや、すこや。誰がまたすこや。」の唄で呼び出され、座敷を3周し、荷物を下ろして座り込む。神官「大儀でござった」ソウナイモチ「ところで、私にこのような重たい荷物を持たして何くださるぞ。これは江州の天秤棒というもの。俗にこれを負子(おうこ)ともいう。安乗ではしない棒ともいう。これを折ったらいかんぞや。」神官「ありがとうござんす。まかぬ種ははえん。魚を寄せるのはかぶせをやらんと寄ってこん。海は大漁、陸は万作、商売繁盛、すこやの土産にかやまくぞ。」ソウナイモチ「かやまくぞ。」の問答をする。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.4 |
6453 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)6-15 | 神官は、志摩神楽が終わるとソウナイモチを座敷に連れ出して余興に移る。新調の道中棒に、前荷には赤飯の重箱と伊勢えび8尾を担い、後荷には角樽と飯びつを担って、足をひきずりながら出てくる。「すこや、すこや。誰がまたすこや。」の唄で呼び出され、座敷を3周し、荷物を下ろして座り込む。神官「大儀でござった」ソウナイモチ「ところで、私にこのような重たい荷物を持たして何くださるぞ。これは江州の天秤棒というもの。俗にこれを負子(おうこ)ともいう。安乗ではしない棒ともいう。これを折ったらいかんぞや。」神官「ありがとうござんす。まかぬ種ははえん。魚を寄せるのはかぶせをやらんと寄ってこん。海は大漁、陸は万作、商売繁盛、すこやの土産にかやまくぞ。」ソウナイモチ「かやまくぞ。」の問答をする。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.4 |
6454 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)7-1 | 新祷が「イワツモノ」といわれる五穀が入った紙包みを付けた釣り竿を持ち、古祷が「エビスウオ」と呼ばれるマツカサウオの干したものを付けた釣り竿を持って向かい合って座る。やがて神官が弓矢を持って現れ、「嵯峨野に狩する少将は、尾白の小鷹を手に据えて、アノー(大年寄の囃子) ヤアサイヤイヤ…。」と唄う。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.4 |
6455 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)7-2 | 神官が弓矢を持って現れ、「嵯峨野に狩する少将は、尾白の小鷹を手に据えて、アノー(大年寄の囃子) ヤアサイヤイヤ…。」と唄い終わると祷人が釣り合うイワツモノとエビスウオを弓で射ようと、矢をつがえそれに向けて矢を放つ。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.4 |
6456 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)7-3 | 神官が弓矢を持って現れ、「嵯峨野に狩する少将は、尾白の小鷹を手に据えて、アノー(大年寄の囃子) ヤアサイヤイヤ…。」と唄い終わると祷人が釣り合うイワツモノとエビスウオを弓で射ようと、矢をつがえそれに向けて矢を放つ。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.4 |
6457 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)7-4 | 新祷と古祷に持たせる「イワツモノ」といわれる五穀が入った紙包みを付けた釣り竿と、「エビスウオ」と呼ばれるマツカサウオの干したものを付けた釣り竿を持つ神官。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.4 |
6458 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)7-5 | 釣り竿を脇に置いて神事の始まりの挨拶をする神官。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.4 |
6459 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)7-6 | 新祷と古祷に持たせる「イワツモノ」といわれる五穀が入った紙包みを付けた釣り竿と、「エビスウオ」と呼ばれるマツカサウオの干したものを付けた釣り竿を神官に渡す大年寄。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.4 |
6460 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)7-7 | 座敷の中央上手で志摩神楽を唄いながら舞う神官。志摩神楽は、伊勢の大々神楽に対応し、昔は志摩一円で行われたものであるといわれる。※志摩神楽の神歌は、「村社 安乗神社誌」(昭和13年発行)に記載されている。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.4 |
6461 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)7-8 | 座敷に座る麻の裃姿の祷人、2人。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.4 |
6462 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)7-9 | 座敷に座る祷人の関係者、3人。父親と思われる。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.4 |
6463 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)7-10 | 神官は、志摩神楽が終わるとソウナイモチを座敷に連れ出して余興に移る。ソウナイモチは新調の道中棒に、前荷には赤飯の重箱と伊勢えび8尾を担い、後荷には角樽を担って、足をひきずりながら出てくる。祷家の廊下を歩く神官とソウナイモチ。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.4 |
6464 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)7-11 | 神官は、志摩神楽が終わるとソウナイモチを座敷に連れ出して余興に移る。新調の道中棒に、前荷には赤飯の重箱と伊勢えび8尾を担い、後荷には角樽を担って、足をひきずりながら出てくる。「すこや、すこや。誰がまたすこや。」の唄で呼び出され、座敷を3周する。見学する人は皆笑顔だ。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.4 |
6465 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)7-12 | 神官は、志摩神楽が終わるとソウナイモチを座敷に連れ出して余興に移る。新調の道中棒に、前荷には赤飯の重箱と伊勢えび8尾を担い、後荷には角樽を担って、足をひきずりながら出てくる。「すこや、すこや。誰がまたすこや。」の唄で呼び出され、座敷を3周する。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.4 |
6466 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)8-1 | 次に新祷は、「イワツモノ」といわれる五穀が入った紙包みを付けた釣り竿を持ち、古祷は「エビスウオ」と呼ばれるマツカサウオの干したものを付けた釣り竿を持って向かい合って座る。やがて神官が中央上手(かみて)で志摩神楽を唄いながら舞う。志摩神楽は、伊勢の大々神楽に対応し、昔は志摩一円で行われたものであるといわれる。※志摩神楽の神歌は、「村社 安乗神社誌」(昭和13年発行)に記載されている。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.4 |
6467 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)8-2 | やがて神官が中央上手(かみて)で志摩神楽を唄いながら舞う。志摩神楽は、伊勢の大々神楽に対応し、昔は志摩一円で行われたものであるといわれる。※志摩神楽の神歌は、「村社 安乗神社誌」(昭和13年発行)に記載されている。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.4 |
6468 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)8-3 | やがて神官が中央上手で志摩神楽を唄いながら舞う。志摩神楽は、伊勢の大々神楽に対応し、昔は志摩一円で行われたものであるといわれる。※志摩神楽の神歌は、「村社 安乗神社誌」(昭和13年発行)に記載されている。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.4 |
6469 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)8-4 | 神官が弓矢を持って現れ、「嵯峨野に狩する少将は、尾白の小鷹を手に据えて、アノー(大年寄の囃子) ヤアサイヤイヤ…。」と唄い終わると祷人が釣り合うイワツモノとエビスウオを弓で射ようと、矢をつがえそれに向けて矢を放つ。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.4 |
6470 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)8-5 | 神官が弓矢を持って現れ、「嵯峨野に狩する少将は、尾白の小鷹を手に据えて、アノー(大年寄の囃子) ヤアサイヤイヤ…。」と唄い終わると祷人が釣り合うイワツモノとエビスウオを弓で射ようと、矢をつがえそれに向けて矢を放つ。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.4 |
6471 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)8-6 | 神官が弓矢を持って現れ、「嵯峨野に狩する少将は、尾白の小鷹を手に据えて、アノー(大年寄の囃子) ヤアサイヤイヤ…。」と唄い終わると祷人が釣り合うイワツモノとエビスウオを弓で射ようと、矢をつがえそれに向けて矢を放つ。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.4 |
6472 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)8-7 | 放った矢を拾う神官。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.4 |
6473 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)8-8 | 新祷と古祷に持たせる「イワツモノ」といわれる五穀が入った紙包みを付けた釣り竿と、「エビスウオ」と呼ばれるマツカサウオの干したものを付けた釣り竿を持つ神官。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.4 |
6474 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)8-9 | 中央上手(かみて)で志摩神楽を唄いながら舞う神官。志摩神楽は、伊勢の大々神楽に対応し、昔は志摩一円で行われたものであるといわれる。※志摩神楽の神歌は、「村社 安乗神社誌」(昭和13年発行)に記載されている。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.4 |
6475 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)8-10 | 神官とソウナイモチの登場を待つ見学者と関係者たち。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.4 |
6476 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)8-11 | 神官とソウナイモチの登場を待つ見学者と関係者たち。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.4 |
6477 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)8-12 | 志摩神楽が終わり、安乗神社の宮司と座敷を回るハナタレ(ハナタラシ、ソウナイモチ、スコモチとも呼ぶ)。新調の担い棒に、前荷には赤飯入りの折り箱と角樽を担い、後荷には伊勢えび8尾と飯びつを担って、足をひきずりながら出てくる。「すこや、すこや。誰がまたすこや。」の唄で呼び出され、座敷を3周する。ハナタレは着物を左前に着て片袖を抜き、座敷では足を引きずって歩く。ハナタレの意味については、座敷に女性が入れないため代理の接待役であるとか、悪いものを背負ってくれる役であるとか、いくつかの説がある。神事では厳かにしているが、その前後は女装の面白さに皆が笑い合っていた。座敷が女人禁制なのは、そこに神を招き入れるためである。ハナタレは祷家の母の兄弟から、長男を優先して選ぶ。日本髪のカツラをかぶって白粉を塗り、振袖を着て、鼻から綿を撚って作った鼻汁(ハナマキ)を垂らしている。昔はすべて祷家が自前で準備するため、祷家の裃やご馳走などもあわせると大変な出費だった。(「岬に響く 安乗の暮らし写真展」報告書より) | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.4 |
6478 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)8-13 | 神官は、志摩神楽が終わるとソウナイモチを座敷に連れ出して余興に移る。新調の道中棒に、前荷には赤飯入りの折り箱と角樽を担い、後荷には伊勢えび8尾と飯びつを担って、足をひきずりながら出てくる。「すこや、すこや。誰がまたすこや。」の唄で呼び出され、座敷を3周する。見学する人は皆笑顔だ。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.4 |
6479 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)8-14 | 神官は、志摩神楽が終わるとソウナイモチを座敷に連れ出して余興に移る。新調の道中棒に、前荷には赤飯入りの折り箱と角樽を担い、後荷には伊勢えび8尾と飯びつを担って、足をひきずりながら出てくる。「すこや、すこや。誰がまたすこや。」の唄で呼び出され、座敷を3周する。見学する人は皆笑顔だ。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.4 |
6480 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)8-15 | 座敷を3周し、荷物を下ろして座り込むソウナイモチ。神官「大儀でござった」ソウナイモチ「ところで、私にこのような重たい荷物を持たして何くださるぞ。これは江州の天秤棒というもの。俗にこれを負子(おうこ)ともいう。安乗ではしない棒ともいう。これを折ったらいかんぞや。」神官「ありがとうござんす。まかぬ種ははえん。魚を寄せるのはかぶせをやらんと寄ってこん。海は大漁、陸は万作、商売繁盛、すこやの土産にかやまくぞ。」ソウナイモチ「かやまくぞ。」の問答をする。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.4 |
6481 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)8-16 | 座敷を3周し、荷物を下ろして座り込むソウナイモチ。神官「大儀でござった」ソウナイモチ「ところで、私にこのような重たい荷物を持たして何くださるぞ。これは江州の天秤棒というもの。俗にこれを負子(おうこ)ともいう。安乗ではしない棒ともいう。これを折ったらいかんぞや。」神官「ありがとうござんす。まかぬ種ははえん。魚を寄せるのはかぶせをやらんと寄ってこん。海は大漁、陸は万作、商売繁盛、すこやの土産にかやまくぞ。」ソウナイモチ「かやまくぞ。」の問答をする。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.4 |
6482 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)8-17 | 座敷を3周し、荷物を下ろして座り込むソウナイモチ。神官「大儀でござった」ソウナイモチ「ところで、私にこのような重たい荷物を持たして何くださるぞ。これは江州の天秤棒というもの。俗にこれを負子(おうこ)ともいう。安乗ではしない棒ともいう。これを折ったらいかんぞや。」神官「ありがとうござんす。まかぬ種ははえん。魚を寄せるのはかぶせをやらんと寄ってこん。海は大漁、陸は万作、商売繁盛、すこやの土産にかやまくぞ。」ソウナイモチ「かやまくぞ。」の問答をする。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.4 |
6483 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)8-18 | 座敷を3周し、荷物を下ろして座り込むソウナイモチ。神官「大儀でござった」ソウナイモチ「ところで、私にこのような重たい荷物を持たして何くださるぞ。これは江州の天秤棒というもの。俗にこれを負子(おうこ)ともいう。安乗ではしない棒ともいう。これを折ったらいかんぞや。」神官「ありがとうござんす。まかぬ種ははえん。魚を寄せるのはかぶせをやらんと寄ってこん。海は大漁、陸は万作、商売繁盛、すこやの土産にかやまくぞ。」ソウナイモチ「かやまくぞ。」の問答をする。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.4 |
6484 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)8-19 | ソウナイモチは「かやまくぞ。」の言葉を合図に、袂から榧の実を出して見学者に向かって撒く。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.4 |
6485 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)8-20 | ソウナイモチは「かやまくぞ。」の言葉を合図に、袂から榧の実を出して見学者に向かって撒く。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.4 |
6486 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)9-1 | 1月4日、安乗では祷家行事が執り行われる。スコ祝とも呼ばれるが、語源については「寿子(スコ)」(『安乗神社行事表』)あるいは「スコは頭(かしら)の古語である。祷家は、村の頭であるとも考えられている」(『安乗神社誌』)などの説がある。毎年、旧暦12月25日に祷家を2人決める(安乗では「祷に当たる」とも言う)。それぞれ一祷、二祷と呼ばれ、忌中がかかっていない家から4、5?12歳までの長男が選ばれる。かつては代々続く名家から選ばれることが多かった。直前の旧暦12月20日には産土神の分霊の憑代となる丸注連(マルシメ)を宮司と大年寄が寄り合って作り、祷家の自宅の床の間に安置した。1月3日に丸注連を神社に納めるが、それが無事終わった祝いとしてスコ祝が4日に催された。現在(2023年)は祷家はなくなったので、丸注連納めは神社に安置されるように変化し、受け継がれている。写真では大年寄が、ハナタレが担う神饌を作っている。飯びつや8尾のイセエビを藁縄で結び準備している。(「岬に響く 安乗の暮らし写真展」報告書より) | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.4 |
6487 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)9-2 | ソウナイモチが担う神饌の準備をする、大年寄3人。8尾の伊勢えびをワラ縄で結ぶ。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.4 |
6488 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)9-3 | ソウナイモチが担う神饌の準備をする、大年寄3人。8尾の伊勢えびをワラ縄で結んでつなげていく。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.4 |
6489 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)9-4 | 祷家の床の間に安置された角樽。注連縄が掛けてある。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.4 |
6490 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)9-5 | 祷家行事がおこなわれる家の台所で、祷家の家族や親戚の女性が集まって直会の料理をつくる。安乗では親戚同士の家が多く、濃い親戚付き合いをしている。祷家行事は男性中心で座敷も女人禁制であったので、女性たちは台所で世間話などをしながら、任された仕事にわいわいと取り組んでいた。まさにその時の写真である。(「岬に響く 安乗の暮らし写真展」報告書より) | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.4 |
6491 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)9-6 | ソウナイモチが担う神饌の準備をする、大年寄3人。8尾の伊勢えびをワラ縄で結んでつなげていく。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.4 |
6492 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)9-7 | ソウナイモチが担う神饌の準備をする、大年寄3人。8尾の伊勢えびをワラ縄で結んでつなげていく。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.4 |
6493 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)9-8 | 赤飯の入った折り箱も8段に重ねてワラ縄で結ぶ。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.4 |
6494 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)9-9 | 赤飯の入った折り箱も8段に重ねてワラ縄で結ぶ。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.4 |
6495 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)9-10 | スコ祝を終えて帰る、大年寄2人の後ろ姿。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.4 |
6496 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)9-11 | スコ祝を終えて、祷家の玄関で草履を履く大年寄の後ろ姿。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.4 |
6497 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)9-12 | 祷家の床の間に安置された弓矢、8段に重ねられた赤飯入りの折り箱、角樽、8尾の伊勢エビ、飯びつ、担い棒、五穀が入った紙包みを付けた釣り竿。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.4 |
6498 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)9-13 | 祷家の床の間に安置された弓矢、8段に重ねられた赤飯入りの折り箱、角樽、8尾の伊勢エビ、飯びつ、担い棒、五穀が入った紙包みを付けた釣り竿。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.4 |
6499 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)9-14 | ナイロン袋に入れた榧の実とお金。スコマキの時に撒く。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.4 |
6500 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)10-1 | 祷家の座敷で直会をする、正装した神官、大年寄3人、祷人4人。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.4 |
6501 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)10-2 | 祷家の座敷で直会をする、正装した神官、大年寄3人、祷人4人。加わるソウナイモチ。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.4 |
6502 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)10-3 | 祷家の床の間に向かい正座して神官の登場を待つ、参加者たち。前列に4人の祷人が座る。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.4 |
6503 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)10-4 | 新祷は、「イワツモノ」といわれる五穀が入った紙包みを付けた釣り竿を持ち、古祷は「エビスウオ」と呼ばれるマツカサウオの干したものを付けた釣り竿を持って座ったまま魚釣りの所作をする。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.4 |
6504 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)10-5 | 新祷は、「イワツモノ」といわれる五穀が入った紙包みを付けた釣り竿を持ち、古祷は「エビスウオ」と呼ばれるマツカサウオの干したものを付けた釣り竿を持って座ったまま魚釣りの所作をする。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.4 |
6505 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)10-6 | 祷人が釣り合うイワツモノとエビスウオを弓で射ようと、放った矢を拾う神官。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.4 |
6506 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)10-7 | 新祷は、「イワツモノ」といわれる五穀が入った紙包みを付けた釣り竿を持ち、古祷は「エビスウオ」と呼ばれるマツカサウオの干したものを付けた釣り竿を持って座ったまま魚釣りの所作をする。奥からそれを弓で射ようと矢をつがえて狙う神官。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.4 |
6507 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)10-8 | 祷人が釣り合うイワツモノとエビスウオを弓で射ようと、放った矢を拾う神官。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.4 |
6508 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)10-9 | 神官は、志摩神楽が終わるとソウナイモチを座敷に連れ出して余興に移る。新調の道中棒に、前荷には赤飯入りの折り箱と角樽を担い、後荷には伊勢えび8尾と飯びつを担って、足をひきずりながら出てくる。「すこや、すこや。誰がまたすこや。」の唄で呼び出され、座敷を3周する。その様子を見学する人と撮影する人たち。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.4 |
6509 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)10-10 | 神官は、志摩神楽が終わるとソウナイモチを座敷に連れ出して余興に移る。新調の道中棒に、前荷には赤飯入りの折り箱と角樽を担い、後荷には伊勢えび8尾と飯びつを担って、足をひきずりながら出てくる。「すこや、すこや。誰がまたすこや。」の唄で呼び出され、座敷を3周する。その様子を見学する人と撮影する人たち。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.4 |
6510 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)10-11 | 神官は、志摩神楽が終わるとソウナイモチを座敷に連れ出して余興に移る。新調の道中棒に、前荷には赤飯入りの折り箱と角樽を担い、後荷には伊勢えび8尾と飯びつを担って、足をひきずりながら出てくる。「すこや、すこや。誰がまたすこや。」の唄で呼び出され、座敷を3周する。その様子を見学する人と撮影する人たち。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.4 |
6511 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)10-12 | ソウナイモチは「かやまくぞ。」の言葉を合図に、袂から榧の実を出して見学者に向かって撒く。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.4 |
6512 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)10-13 | ソウナイモチは「かやまくぞ。」の言葉を合図に、袂から榧の実を出して見学者に向かって撒く。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.4 |
6513 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)10-14 | ソウナイモチは「かやまくぞ。」の言葉を合図に、榧の実を撒いた後、みかんを撒く。宙を飛ぶみかん。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.4 |
6514 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)10-15 | ソウナイモチは「かやまくぞ。」の言葉を合図に、榧の実を撒いた後、みかんを撒く。宙を飛ぶみかん。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.4 |
6515 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)10-16 | ソウナイモチは「かやまくぞ。」の言葉を合図に、榧の実を撒いた後、みかんを撒く。宙を飛ぶみかん。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.4 |
6516 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)10-17 | ソウナイモチは「かやまくぞ。」の言葉を合図に、榧の実を撒いた後、みかんを撒く。宙を飛ぶみかん。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.4 |
6517 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)10-18 | 大人の後ろでお金を拾う子どもたち。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.4 |
6518 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)10-19 | 大人の後ろでお金を拾う子どもたち。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.4 |
6519 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)11-1 | 座敷に座る麻の裃姿の祷人、2人。 | 志摩市阿児町安乗 | 1979.1.4 |
6520 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)11-2 | 座敷で着替えをする大年寄と神官。 | 志摩市阿児町安乗 | 1979.1.4 |
6521 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)11-3 | 座敷で着替えをする大年寄と神官。 | 志摩市阿児町安乗 | 1979.1.4 |
6522 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)11-4 | 藁縄で結び、つなげられた伊勢えび8尾。 | 志摩市阿児町安乗 | 1979.1.4 |
6523 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)11-5 | 祷家の床の間に供えられた神饌に、拝礼をする神官、祷人、大年寄。 | 志摩市阿児町安乗 | 1979.1.4 |
6524 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)11-6 | 祷家の床の間に供えられた神饌に、拝礼をする神官、祷人、大年寄。 | 志摩市阿児町安乗 | 1979.1.4 |
6525 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)11-7 | 祷人、大年寄など関係者を祓う、神官。 | 志摩市阿児町安乗 | 1979.1.4 |
6526 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)11-8 | 祷人、大年寄など関係者を祓う、神官。 | 志摩市阿児町安乗 | 1979.1.4 |
6527 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)11-9 | スコ祝は新旧の祷家(新祷、古祷と呼ぶ)の交代の儀式という側面もあり、古祷が無事務め上げたことを祝う行事でもあった。新祷は「イワツモノ」といわれる五穀が入った紙包みを付けた釣り竿を持ち、古祷は「エビスウオ」と呼ばれるマツカサウオの干したものを付けた釣り竿を持ち、座ったまま魚釣りの所作をする。写真では、後ろで大年寄とハナタレが見守っている。祷家は神の子で神の遣いとされ、家の周囲に注連縄を張り笹の葉で潮を撒いて清めたり、髪を切らない、など1年間にわたり様々な役割や制限があった。また祷家にあたると、親戚にコワメシ(モチ米で炊いた赤飯)などを配った。祷家に当たることは名誉であり、「祷家になりたくても当たらないとなれなかった」「息子にさせたいと思う人もいた」と話す人がいた。経済環境の変化や少子高齢化の影響で現在(2023年)は途絶えている。(「岬に響く 安乗の暮らし写真展」報告書より) | 志摩市阿児町安乗 | 1979.1.4 |
6528 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)11-10 | 座ったまま釣り竿を持つ祷人2人と、スコモチが担う角樽などを下げた天秤棒を持つ大年寄。その後ろにソウナイモチが立っている。 | 志摩市阿児町安乗 | 1979.1.4 |
6529 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)11-11 | 神官にオミキを注ぐソウナイモチ。 | 志摩市阿児町安乗 | 1979.1.4 |
6530 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)11-12 | つぼけ。ワラで作った正月飾り。正月三か日は、赤飯やナマスなどの供え物をした。 | 志摩市阿児町安乗 | 1979.1.4 |
6531 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)11-13 | 新祷は、「イワツモノ」といわれる五穀が入った紙包みを付けた釣り竿を持ち、古祷は「エビスウオ」と呼ばれるマツカサウオの干したものを付けた釣り竿を持って座ったまま魚釣りの所作をする。 | 志摩市阿児町安乗 | 1979.1.4 |
6532 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)11-14 | 中央上手(かみて)で志摩神楽を唄いながら舞う神官。志摩神楽は、伊勢の大々神楽に対応し、昔は志摩一円で行われたものであるといわれる。※志摩神楽の神歌は、「村社 安乗神社誌」(昭和13年発行)に記載されている。 | 志摩市阿児町安乗 | 1979.1.4 |
6533 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)11-15 | 中央上手(かみて)で志摩神楽を唄いながら舞う神官。志摩神楽は、伊勢の大々神楽に対応し、昔は志摩一円で行われたものであるといわれる。※志摩神楽の神歌は、「村社 安乗神社誌」(昭和13年発行)に記載されている。 | 志摩市阿児町安乗 | 1979.1.4 |
6534 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)11-16 | 中央上手(かみて)で志摩神楽を唄いながら舞う神官。志摩神楽は、伊勢の大々神楽に対応し、昔は志摩一円で行われたものであるといわれる。※志摩神楽の神歌は、「村社 安乗神社誌」(昭和13年発行)に記載されている。 | 志摩市阿児町安乗 | 1979.1.4 |
6535 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)11-17 | 中央上手(かみて)で志摩神楽を唄いながら舞う神官。志摩神楽は、伊勢の大々神楽に対応し、昔は志摩一円で行われたものであるといわれる。※志摩神楽の神歌は、「村社 安乗神社誌」(昭和13年発行)に記載されている。 | 志摩市阿児町安乗 | 1979.1.4 |
6536 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)11-18 | 中央上手(かみて)で志摩神楽を唄いながら舞う神官。志摩神楽は、伊勢の大々神楽に対応し、昔は志摩一円で行われたものであるといわれる。※志摩神楽の神歌は、「村社 安乗神社誌」(昭和13年発行)に記載されている。 | 志摩市阿児町安乗 | 1979.1.4 |
6537 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)11-19 | 神官が弓矢を持って現れ、「嵯峨野に狩する少将は、尾白の小鷹を手に据えて、アノー(大年寄の囃子) ヤアサイヤイヤ…。」と唄い終わると祷人が釣り合うイワツモノとエビスウオを弓で射ようと、矢をつがえそれに向けて矢を放つ。 | 志摩市阿児町安乗 | 1979.1.4 |
6538 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)12-1 | 着替えをする、大年寄3人。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.4 |
6539 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)12-2 | 着付けを済ませて椅子に座り、別室で出番を待つソウナイモチ。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.4 |
6540 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)12-3 | 着付けを済ませて椅子に座り、廊下で出番を待つソウナイモチ。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.4 |
6541 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)12-4 | 祷家の座敷に座る、3人の大年寄。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.4 |
6542 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)12-5 | 神官も正装し、祷家の座敷に座る。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.4 |
6543 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)12-6 | 祷家の座敷に座る、祷人2人。(少年) | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.4 |
6544 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)12-7 | 祷家の座敷に座り、神事の始まりを待つ、神官、大年寄、祷人などの関係者。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.4 |
6545 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)12-8 | 神饌が供えられた祷家の床の間に向かって拝礼する神官。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.4 |
6546 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)12-9 | 神饌が供えられた祷家の床の間に向かって拝礼する神官。神官に合わせて低頭する参加者たち。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.4 |
6547 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)12-10 | 神饌が供えられた祷家の床の間に向かって拝礼する神官。神官に合わせて低頭する参加者たち。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.4 |
6548 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)12-11 | 祷家の座敷に座る、祷人の関係者。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.4 |
6549 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)12-12 | 向かい合って座る、一祷の古祷と新祷、二祷の古祷と新祷。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.4 |
6550 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)12-13 | 祷家の座敷の床の間を上に、中央に神官、並んで麻の裃姿の大年寄が座り、その前に一祷の古祷と新祷、二祷の古祷と新祷が向かい合うように座る。床の間に拝礼をする神官に合わせて低頭する関係者たち。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.4 |
6551 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)12-14 | 祷家の座敷の床の間を上に、中央に神官、並んで麻の裃姿の大年寄が座り、その前に一祷の古祷と新祷、二祷の古祷と新祷が向かい合うように座る。床の間に拝礼をする神官に合わせて低頭する関係者たち。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.4 |
6552 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)12-15 | 祷家の座敷の床の間を上に、中央に神官、並んで麻の裃姿の大年寄が座り、その前に一祷の古祷と新祷、二祷の古祷と新祷が向かい合うように座る。床の間に拝礼をする神官に合わせて低頭する関係者たち。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.4 |
6553 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)12-16 | 祷家の座敷の床の間を上に、中央に神官、並んで麻の裃姿の大年寄が座り、その前に一祷の古祷と新祷、二祷の古祷と新祷が向かい合うように座る。床の間に拝礼し、立ち上がろうとする神官。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.4 |
6554 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)12-17 | 祷家の座敷の床の間を上に、中央に神官、並んで麻の裃姿の大年寄が座り、その前に一祷の古祷と新祷、二祷の古祷と新祷が向かい合うように座る。床の間に拝礼をする神官に合わせて低頭する関係者たち。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.4 |
6555 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)12-18 | 向かい合って座る、一祷の古祷と新祷、二祷の古祷と新祷。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.4 |
6556 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)12-19 | 新祷は、「イワツモノ」といわれる五穀が入った紙包みを付けた釣り竿を持ち、古祷は「エビスウオ」と呼ばれるマツカサウオの干したものを付けた釣り竿を持って座ったまま魚釣りの所作をする。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.4 |
6557 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)12-20 | 新祷は、「イワツモノ」といわれる五穀が入った紙包みを付けた釣り竿を持ち、古祷は「エビスウオ」と呼ばれるマツカサウオの干したものを付けた釣り竿を持って座ったまま魚釣りの所作をする。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.4 |
6558 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)13-1 | 12月25日、祷差し(祷家を決めること)。盆の上のオミキと湯呑茶碗。 | 志摩市阿児町安乗 | 1989.12.25 |
6559 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)13-2 | 12月25日、祷差し(祷家を決めること)。盆の上のオミキと湯呑茶碗。 | 志摩市阿児町安乗 | 1989.12.25 |
6560 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)13-3 | 祷差しの方法は、盆の上に米と祷を受けたい人の名前を記した和紙をくしゃくしゃにして入れる。神官が盆の上で幣を回し、つられて上がってきた和紙を大年寄が日の丸の扇で受ける。最初上がってきた和紙に記された名前の人が一祷家となる。(2020年12月9日 安乗の浅井さんより聞き取り) | 志摩市阿児町安乗 | 1989.12.25 |
6561 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)13-4 | 一祷が決定したのか、オミキを飲む関係者。 | 志摩市阿児町安乗 | 1989.12.25 |
6562 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)13-5 | 一祷が決定したのか、オミキを飲む関係者。 | 志摩市阿児町安乗 | 1989.12.25 |
6563 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)13-6 | 一祷が決定したのか、オミキを飲む関係者。 | 志摩市阿児町安乗 | 1989.12.25 |
6564 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)13-7 | 一祷が決定したのか、オミキを飲む関係者。 | 志摩市阿児町安乗 | 1989.12.25 |
6565 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)14-1 | 新祷と古祷に持たせる「イワツモノ」といわれる五穀が入った紙包みを付けた釣り竿と、「エビスウオ」と呼ばれるマツカサウオの干したものを付けた釣り竿を持つ神官。 | 志摩市阿児町安乗 | 不明 |
6566 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)14-2 | 神官は、志摩神楽が終わるとソウナイモチを座敷に連れ出して余興に移る。新調の道中棒に、前荷には赤飯入りの折り箱と角樽を担い、後荷には伊勢えび8尾と飯びつを担って、足をひきずりながら出てくる。「すこや、すこや。誰がまたすこや。」の唄で呼び出され、座敷を3周する。 | 志摩市阿児町安乗 | 不明 |
6567 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)14-3 | 神官は、志摩神楽が終わるとソウナイモチを座敷に連れ出して余興に移る。新調の道中棒に、前荷には赤飯入りの折り箱と角樽を担い、後荷には伊勢えび8尾と飯びつを担って、足をひきずりながら出てくる。「すこや、すこや。誰がまたすこや。」の唄で呼び出され、座敷を3周する。 | 志摩市阿児町安乗 | 不明 |
6568 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)14-4 | 神官は、志摩神楽が終わるとソウナイモチを座敷に連れ出して余興に移る。新調の道中棒に、前荷には赤飯入りの折り箱と角樽を担い、後荷には伊勢えび8尾と飯びつを担って、足をひきずりながら出てくる。「すこや、すこや。誰がまたすこや。」の唄で呼び出され、座敷を3周する。 | 志摩市阿児町安乗 | 不明 |
6569 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)14-5 | 座敷を3周し、荷物を下ろして座り込むソウナイモチ。神官「大儀でござった」ソウナイモチ「ところで、私にこのような重たい荷物を持たして何くださるぞ。これは江州の天秤棒というもの。俗にこれを負子(おうこ)ともいう。安乗ではしない棒ともいう。これを折ったらいかんぞや。」神官「ありがとうござんす。まかぬ種ははえん。魚を寄せるのはかぶせをやらんと寄ってこん。海は大漁、陸は万作、商売繁盛、すこやの土産にかやまくぞ。」ソウナイモチ「かやまくぞ。」の問答をする。 | 志摩市阿児町安乗 | 不明 |
6570 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)14-6 | 座敷を3周し、荷物を下ろして座り込むソウナイモチ。神官「大儀でござった」ソウナイモチ「ところで、私にこのような重たい荷物を持たして何くださるぞ。これは江州の天秤棒というもの。俗にこれを負子(おうこ)ともいう。安乗ではしない棒ともいう。これを折ったらいかんぞや。」神官「ありがとうござんす。まかぬ種ははえん。魚を寄せるのはかぶせをやらんと寄ってこん。海は大漁、陸は万作、商売繁盛、すこやの土産にかやまくぞ。」ソウナイモチ「かやまくぞ。」の問答をする。 | 志摩市阿児町安乗 | 不明 |
6571 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)14-7 | ソウナイモチは「かやまくぞ。」の言葉を合図に、袂から榧の実を出して見学者に向かって撒く。 | 志摩市阿児町安乗 | 不明 |
6572 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)15-1 | かんざしを挿した日本髪のかつらをかぶって白粉を塗り、赤地の振袖を着たソウナイモチのアップ。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.4 |
6573 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)15-2 | 麻の裃姿で座敷に座る祷人2人。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.4 |
6574 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)15-3 | 麻の裃姿で座敷に座る大年寄3人。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.4 |
6575 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)15-4 | たくさんのかんざしを挿した日本髪のかつらをかぶって白粉を塗り、赤地の振袖を着たソウナイモチのアップ。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.4 |
6576 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)15-5 | 天秤棒を持って微笑むソウナイモチ。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.4 |
6577 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)15-6 | ソウナイモチ。かんざしを挿した日本髪のかつらをかぶって白粉を塗り、赤地の振袖の片袖を抜き、鼻から綿を撚って作った鼻汁(ハナマキ)を垂らした姿で天秤棒を持つ。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.4 |
6578 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)15-7 | ソウナイモチ。かんざしを挿した日本髪のかつらをかぶって白粉を塗り、赤地の振袖の片袖を抜き、鼻から綿を撚って作った鼻汁(ハナマキ)を垂らした姿で天秤棒を持つ。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.4 |
6579 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)15-8 | 大皿に盛られた刺身。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.4 |
6580 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)15-9 | 直会の御馳走。大皿に盛られた刺身、寿司、ナマコ、煮物、魚の煮つけ、大根のナマ酢。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.4 |
6581 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)15-10 | スコマキが終わり、帰路に就く人たち。先頭の2人の高齢女性はホッカブリを巻き、大量に拾ったみかんを前掛けで包んでいる。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.4 |
6582 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)15-11 | スコマキが終わり、帰路に就く人たち。先頭の2人の高齢女性はホッカブリを巻き、大量に拾ったみかんを前掛けで包んでいる。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.4 |
6583 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)15-12 | №6582に写った2人の高齢女性の内、1人のアップ。画像が少しボヤケている。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.4 |
6584 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)15-13 | №6582に写った2人の高齢女性の内、1人のアップ。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.4 |
6585 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)15-14 | スコ祝を終えて、帰路に就く着物姿の男性2人。その後ろにホッカブリを巻いて、みかんの箱を重そうに持つ高齢女性が写る。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.4 |
6586 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)15-15 | スコ祝を終えて、帰路に就く着物姿の男性。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.4 |
6587 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)15-16 | №6585のみかんの箱を持った高齢女性。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.4 |
6588 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)15-17 | スコ祝を終えて、帰路に就く2人の着物姿の男性。後ろ姿。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.4 |
6589 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)15-18 | スコ祝を終えて、帰路に就く2人の着物姿の男性。後ろ姿。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.4 |
6590 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)16-1 | 祷家の家の周囲には注連縄を巻く。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.4 |
6591 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)16-2 | 晴れ着姿の少女2人。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.4 |
6592 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)17-1 | スコマキ。スコマキとは、「スコのみやげに榧(かや)まくぞ」と言って、最初は座敷で、次に外で見守る人びとに向かって榧の実、みかん、お金を撒くことである。競って、これを拾う人びと。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.4 |
6593 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)17-2 | スコマキが終わり、人びとの風呂敷や前掛けはみかんでいっぱいになった。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.4 |
6594 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)17-3 | スコマキ。最後は、箱をひっくり返してみかんを撒いている。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.4 |
6595 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)17-4 | スコマキ。最後は、箱をひっくり返してみかんを撒いている。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.4 |
6596 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)17-5 | スコマキ。最後は、箱をひっくり返してみかんを撒いている。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.4 |
6597 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)17-6 | スコマキ。人びとの頭上を飛ぶみかん。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.4 |
6598 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)17-7 | スコマキ。最後は、箱をひっくり返してみかんを撒いている。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.4 |
6599 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)17-8 | 「エビスウオ」と呼ばれるマツカサウオの干したもの。古祷が釣り竿に付ける。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.4 |
6600 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)17-9 | 「エビスウオ」と呼ばれるマツカサウオの干したもの。古祷が釣り竿に付ける。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.4 |
6601 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)17-10 | 祷家の家の周囲には注連縄を巻く。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.4 |
6602 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)17-11 | スコマキが終わり、帰路に就く人びと。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.4 |
6603 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)18-1 | スコ祝を終えて、帰路に就く着物姿の男性2人。後ろ姿。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.4 |
6604 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)18-2 | スコ祝を終えて、帰路に就く着物姿の男性2人。№6603の男性を前方より撮影。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.4 |
6605 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)18-3 | スコ祝を終えて、帰路に就く着物姿の男性2人。№6603の男性を前方より撮影。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.4 |
6606 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)18-4 | 祷家の床の間に安置された丸注連。12月20日、産土神の分霊の憑代となる丸注連を神官と大年寄が寄り合って作り、祷家の座敷に安置する。 丸注連とは、直径30センチ程の盆状の「ツボ」といわれる器を底辺に3本の棒を骨組みにして、ワラゴモで巻いた円錐状のものである。底辺部(ツボ)は塗り土で固め、その上に神折敷、土器、人形(ひとがた)、飯を入れ、さらに、それまで潮振りに使用した笹68本を刺した巻きワラを、封じ込めたものである。上から柊、橙、裏白などの注連縄が掛けられる。「お山つくり」ともいわれ、1月3日に神社に納められるまで祷家の床の間に安置される。神社に運ばれるのは3日の深夜で、太鼓を打って先触れする。昔からこの行列に出会った者は狂気するといわれ、そのことを人びとに知らせるためである。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.4 |
6607 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)18-5 | 祷家の床の間に安置された丸注連。逆光のためか、フラッシュが光らなかったのか、真っ黒に写ってしまっている。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.4 |
6608 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)18-6 | 祷家の床の間に安置された丸注連。12月20日、産土神の分霊の憑代となる丸注連を神官と大年寄が寄り合って作り、祷家の座敷に安置する。 丸注連とは、直径30センチ程の盆状の「ツボ」といわれる器を底辺に3本の棒を骨組みにして、ワラゴモで巻いた円錐状のものである。底辺部(ツボ)は塗り土で固め、その上に神折敷、土器、人形(ひとがた)、飯を入れ、さらに、それまで潮振りに使用した笹68本を刺した巻きワラを、封じ込めたものである。上から柊、橙、裏白などの注連縄が掛けられる。「お山つくり」ともいわれ、1月3日に神社に納められるまで祷家の床の間に安置される。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.4 |
6609 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)18-7 | 祷家の床の間に安置された丸注連。12月20日、産土神の分霊の憑代となる丸注連を神官と大年寄が寄り合って作り、祷家の座敷に安置する。 丸注連とは、直径30センチ程の盆状の「ツボ」といわれる器を底辺に3本の棒を骨組みにして、ワラゴモで巻いた円錐状のものである。底辺部(ツボ)は塗り土で固め、その上に神折敷、土器、人形(ひとがた)、飯を入れ、さらに、それまで潮振りに使用した笹68本を刺した巻きワラを、封じ込めたものである。上から柊、橙、裏白などの注連縄が掛けられる。「お山つくり」ともいわれ、1月3日に神社に納められるまで祷家の床の間に安置される。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.4 |
6610 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)18-8 | ソウナイモチが担う神饌の準備をする、大年寄3人。8尾の伊勢えびをワラ縄で結んでつなげていく。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.4 |
6611 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)18-9 | 祷家の床の間に安置された弓矢、8段に重ねられた赤飯入りの折り箱、角樽、8尾の伊勢エビ、飯びつ、担い棒、五穀が入った紙包みを付けた釣り竿。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.4 |
6612 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)18-10 | 祷家の床の間に安置された弓矢、8段に重ねられた赤飯入りの折り箱、角樽、8尾の伊勢エビ、飯びつ、担い棒、五穀が入った紙包みを付けた釣り竿。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.4 |
6613 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)18-11 | 盆の上の直会の寿司と醤油を入れた小皿2つ、割り箸2膳。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.4 |
6614 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)18-12 | 盆の上の直会の寿司と醤油を入れた小皿2つ、割り箸2膳。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.4 |
6615 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)18-13 | かつらをかぶり、白粉を塗って準備をするソウナイモチ。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.4 |
6616 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)18-14 | 麻の裃に着替える大年寄。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.4 |
6617 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)18-15 | 麻の裃に着替える大年寄。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.4 |
6618 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)18-16 | 麻の裃に着替える大年寄。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.4 |
6619 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)18-17 | 着付けも終わり、椅子に座って微笑むソウナイモチ。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.4 |
6620 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)19-1 | ソウナイモチは「かやまくぞ。」の言葉を合図に、袂から榧の実を出して見学者に向かって撒く。畳に落ちた榧の実を拾う人たち。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.4 |
6621 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)19-2 | ソウナイモチは「かやまくぞ。」の言葉を合図に、袂から榧の実を出して見学者に向かって撒く。畳に落ちた榧の実を拾う人たち。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.4 |
6622 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)19-3 | ソウナイモチは「かやまくぞ。」の言葉を合図に、袂から榧の実を出して見学者に向かって撒く。畳に落ちた榧の実を拾う人たち。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.4 |
6623 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)19-4 | ソウナイモチは「かやまくぞ。」の言葉を合図に、榧の実を撒いた後、みかんを撒く。宙を飛ぶみかん。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.4 |
6624 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)19-5 | ソウナイモチは「かやまくぞ。」の言葉を合図に、榧の実を撒いた後、みかんを撒く。競って拾う人たち。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.4 |
6625 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)19-6 | ソウナイモチは「かやまくぞ。」の言葉を合図に、榧の実を撒いた後、みかんを撒く。宙を飛ぶみかん。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.4 |
6626 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)19-7 | ソウナイモチは「かやまくぞ。」の言葉を合図に、榧の実を撒いた後、みかんを撒く。宙を飛ぶみかん。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.4 |
6627 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)19-8 | ソウナイモチは「かやまくぞ。」の言葉を合図に、榧の実を撒いた後、みかんを撒く。競って拾う人たち。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.4 |
6628 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)19-9 | ソウナイモチは「かやまくぞ。」の言葉を合図に、榧の実を撒いた後、みかんを撒く。宙を飛ぶみかん。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.4 |
6629 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)19-10 | スコマキ。最後は、箱をひっくり返してみかんを撒いている。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.4 |
6630 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)19-11 | スコマキ。最後は、箱をひっくり返してみかんを撒いている。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.4 |
6631 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)19-12 | 天秤棒を肩に立てかけて、綿を撚って作った鼻汁(ハナマキ)を準備するソウナイモチ。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.4 |
6632 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)19-13 | 天秤棒を手にし、綿を撚って作った鼻汁(ハナマキ)を鼻に挿したソウナイモチ。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.4 |
6633 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)19-14 | 天秤棒を手にし、綿を撚って作った鼻汁(ハナマキ)を鼻に挿したソウナイモチ。スライド枠には「1当」と記される。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.4 |
6634 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)19-15 | 天秤棒を手にし、綿を撚って作った鼻汁(ハナマキ)を鼻に挿したソウナイモチ。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.4 |
6635 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)19-16 | 天秤棒を手にし、綿を撚って作った鼻汁(ハナマキ)を鼻に挿したソウナイモチ。スライド枠には「1当ヤ」と記される。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.4 |
6636 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)19-17 | 天秤棒を手にし、綿を撚って作った鼻汁(ハナマキ)を鼻に挿したソウナイモチ。スライド枠には「1当ヤ」と記される。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.4 |
6637 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)19-18 | 座敷を3周し、荷物を下ろして座り込むソウナイモチ。神官「大儀でござった」ソウナイモチ「ところで、私にこのような重たい荷物を持たして何くださるぞ。これは江州の天秤棒というもの。俗にこれを負子(おうこ)ともいう。安乗ではしない棒ともいう。これを折ったらいかんぞや。」神官「ありがとうござんす。まかぬ種ははえん。魚を寄せるのはかぶせをやらんと寄ってこん。海は大漁、陸は万作、商売繁盛、すこやの土産にかやまくぞ。」ソウナイモチ「かやまくぞ。」の問答をする。スライド枠には「1当ヤ」と記される。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.4 |
6638 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)19-19 | 神事が終わり、直会をする一祷の古祷と新祷、二祷の古祷と新祷、大年寄。大年寄にお神酒を注ぐソウナイモチ。スライド枠には「1当ヤ」と記される。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.4 |
6639 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)19-20 | 刺身を食べる大年寄。スライド枠には「1当ヤ」と記される。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.4 |
6640 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)20-1 | 1月4日、安乗では祷家行事が執り行われる。スコ祝とも呼ばれるが、語源については「寿子(スコ)」(『安乗神社行事表』)あるいは「スコは頭(かしら)の古語である。祷家は、村の頭であるとも考えられている」(『安乗神社誌』)などの説がある。毎年、旧暦12月25日に祷家を2人決める(安乗では「祷に当たる」とも言う)。それぞれ一祷、二祷と呼ばれ、忌中がかかっていない家から4、5?12歳までの長男が選ばれる。かつては代々続く名家から選ばれることが多かった。直前の旧暦12月20日には産土神の分霊の憑代となる丸注連(マルシメ)を宮司と大年寄が寄り合って作り、祷家の自宅の床の間に安置した。1月3日に丸注連を神社に納めるが、それが無事終わった祝いとしてスコ祝が4日に催された。現在(2023年)は祷家はなくなったので、丸注連納めは神社に安置されるように変化し、受け継がれている。写真では大年寄が、ハナタレが担う神饌を作っている。8尾のイセエビを藁縄で結び、赤飯を入れる8つの折箱を準備している。(「岬に響く 安乗の暮らし写真展」報告書より) | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.4 |
6641 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)20-2 | ソウナイモチが担う神饌の準備をする、大年寄3人。8尾の伊勢えびをワラ縄で結んでつなげていく。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.4 |
6642 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)20-3 | ワラ縄で結ばれた8尾の伊勢えび。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.4 |
6643 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)20-4 | 赤飯の入った折り箱も8段に重ねてワラ縄で結ぶ。№6493とほぼ同じ画像。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.4 |
6644 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)20-5 | 祷家の床の間に安置された弓矢、8段に重ねられた赤飯入りの折り箱、角樽、8尾の伊勢エビ、飯びつ、担い棒、五穀が入った紙包みを付けた釣り竿。№6497とほぼ同じ画像。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.4 |
6645 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)20-6 | 祷家の床の間に安置された弓矢、8段に重ねられた赤飯入りの折り箱、角樽、8尾の伊勢エビ、飯びつ、担い棒、五穀が入った紙包みを付けた釣り竿。№6497とほぼ同じ画像。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.4 |
6646 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)20-7 | 祷家の床の間に安置された弓矢、8段に重ねられた赤飯入りの折り箱、角樽、8尾の伊勢エビ、飯びつ、担い棒、五穀が入った紙包みを付けた釣り竿。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.4 |
6647 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)20-8 | 祷家の床の間に安置された弓矢、8段に重ねられた赤飯入りの折り箱、角樽、8尾の伊勢エビ、飯びつ、担い棒、五穀が入った紙包みを付けた釣り竿。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.4 |
6648 | 安乗三番叟(混入)20-9 | 安乗神社本殿脇の奉安庫で作業をする2人の神社総代。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.4 |
6649 | 安乗三番叟(混入)20-10 | 安乗神社本殿脇の奉安庫で作業をする2人の神社総代。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.4 |
6650 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)20-11 | 「エビスウオ」と呼ばれるマツカサウオの干したものを持つ高齢女性。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.4 |
6651 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)20-12 | 「エビスウオ」と呼ばれるマツカサウオの干したもの。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.4 |
6652 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)20-13 | 「エビスウオ」と呼ばれるマツカサウオの干したもの。スライド枠には「エビス魚」と記される。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.4 |
6653 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)21-1 | 神官は、志摩神楽が終わるとソウナイモチを座敷に連れ出して余興に移る。新調の道中棒に、前荷には赤飯の重箱と伊勢えび8尾を担い、後荷には角樽を担って、足をひきずりながら出てくる。「すこや、すこや。誰がまたすこや。」の唄で呼び出され、座敷を3周し、荷物を下ろして座り込む。神官「大儀でござった」ソウナイモチ「ところで、私にこのような重たい荷物を持たして何くださるぞ。これは江州の天秤棒というもの。俗にこれを負子(おうこ)ともいう。安乗ではしない棒ともいう。これを折ったらいかんぞや。」神官「ありがとうござんす。まかぬ種ははえん。魚を寄せるのはかぶせをやらんと寄ってこん。海は大漁、陸は万作、商売繁盛、すこやの土産にかやまくぞ。」ソウナイモチ「かやまくぞ。」の問答をする。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.4 |
6654 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)21-2 | 神官は、志摩神楽が終わるとソウナイモチを座敷に連れ出して余興に移る。新調の道中棒に、前荷には赤飯の重箱と伊勢えび8尾を担い、後荷には角樽を担って、足をひきずりながら出てくる。「すこや、すこや。誰がまたすこや。」の唄で呼び出され、座敷を3周し、荷物を下ろして座り込む。神官「大儀でござった」ソウナイモチ「ところで、私にこのような重たい荷物を持たして何くださるぞ。これは江州の天秤棒というもの。俗にこれを負子(おうこ)ともいう。安乗ではしない棒ともいう。これを折ったらいかんぞや。」神官「ありがとうござんす。まかぬ種ははえん。魚を寄せるのはかぶせをやらんと寄ってこん。海は大漁、陸は万作、商売繁盛、すこやの土産にかやまくぞ。」ソウナイモチ「かやまくぞ。」の問答をする。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.4 |
6655 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)21-3 | 神官は、志摩神楽が終わるとソウナイモチを座敷に連れ出して余興に移る。新調の道中棒に、前荷には赤飯の重箱と伊勢えび8尾を担い、後荷には角樽を担って、足をひきずりながら出てくる。「すこや、すこや。誰がまたすこや。」の唄で呼び出され、座敷を3周し、荷物を下ろして座り込む。神官「大儀でござった」ソウナイモチ「ところで、私にこのような重たい荷物を持たして何くださるぞ。これは江州の天秤棒というもの。俗にこれを負子(おうこ)ともいう。安乗ではしない棒ともいう。これを折ったらいかんぞや。」神官「ありがとうござんす。まかぬ種ははえん。魚を寄せるのはかぶせをやらんと寄ってこん。海は大漁、陸は万作、商売繁盛、すこやの土産にかやまくぞ。」ソウナイモチ「かやまくぞ。」の問答をする。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.4 |
6656 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)21-4 | 神官は、志摩神楽が終わるとソウナイモチを座敷に連れ出して余興に移る。新調の道中棒に、前荷には赤飯の重箱と伊勢えび8尾を担い、後荷には角樽を担って、足をひきずりながら出てくる。「すこや、すこや。誰がまたすこや。」の唄で呼び出され、座敷を3周し、荷物を下ろして座り込む。神官「大儀でござった」ソウナイモチ「ところで、私にこのような重たい荷物を持たして何くださるぞ。これは江州の天秤棒というもの。俗にこれを負子(おうこ)ともいう。安乗ではしない棒ともいう。これを折ったらいかんぞや。」神官「ありがとうござんす。まかぬ種ははえん。魚を寄せるのはかぶせをやらんと寄ってこん。海は大漁、陸は万作、商売繁盛、すこやの土産にかやまくぞ。」ソウナイモチ「かやまくぞ。」の問答をする。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.4 |
6657 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)21-5 | 立ち上がって榧の実を撒くソウナイモチ。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.4 |
6658 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)21-6 | 立ち上がって榧の実を撒くソウナイモチ。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.4 |
6659 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)21-7 | 立ち上がって榧の実を撒くソウナイモチ。庭では、たくさんの人たちが前掛けを広げて待っている。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.4 |
6660 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)21-8 | 立ち上がって榧の実を撒くソウナイモチ。庭では、たくさんの人たちが前掛けを広げて待っている。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.4 |
6661 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)21-9 | 立ち上がって榧の実を撒くソウナイモチ。庭では、たくさんの人たちが前掛けを広げて待っている。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.4 |
6662 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)21-10 | 立ち上がって榧の実を撒くソウナイモチ。庭では、たくさんの人たちが前掛けを広げて待っている。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.4 |
6663 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)21-11 | 立ち上がって榧の実を撒くソウナイモチ。庭では、たくさんの人たちが前掛けを広げて待っている。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.4 |
6664 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)21-12 | 神事が終わり、直会の席に着く一祷の古祷と新祷、二祷の古祷と新祷、大年寄。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.4 |
6665 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)21-13 | 神事が終わり、直会の席に着く一祷の古祷と新祷、二祷の古祷と新祷、大年寄とソウナイモチのうしろ姿。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.4 |
6666 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)21-14 | 神事が終わり、直会の席に着く一祷の古祷と新祷、二祷の古祷と新祷、大年寄と振り向いたソウナイモチ。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.4 |
6667 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)21-15 | 新祷は、「イワツモノ」といわれる五穀が入った紙包みを付けた釣り竿を持ち、古祷は「エビスウオ」と呼ばれるマツカサウオの干したものを付けた釣り竿を持って座ったまま魚釣りの所作をする。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.4 |
6668 | 波切の名のり1-1 | 大晦日の夜、各組からそれぞれ名のり船頭と20人ほどの子方(子どもたち)が、漁業協同組合に集まる。先ず組合で祝詞を唱えてから各組に分かれ、道中「ハライサコレイサ」と声を掛けながら、波切の各家を回る。戸口で「ヨイヨイヨイ」と囃し、先ず船頭が「アータラ」というと子方が「シーキノ」、船頭「トーシノ」子方「ハージメニ…」と唱え、掛け合いで家族の祝言をする。各家では、盆に金銀の餅(粟餅と米餅)一重ねと銚子1本を添えて迎える。最近は祝儀に変わった。写真は、旅館らしき入口で祝詞を唱える弓張提灯を持った船頭と子方。 スライド枠には「波切」の印が捺され、「1」「名乗り 9:00~12時」と記される。参考文献:『大王町の年中行事』大王町文化財調査委員/編 1991年発行(以下キャプションは同文献を参照) | 志摩市大王町波切 | 1978.12.31 |
6669 | 波切の名のり1-2 | 船頭に続いて、玄関に入ろうとする子方。スライド枠には「波切」の印が捺され、「3」と記される。 | 志摩市大王町波切 | 1978.12.31 |
6670 | 波切の山ノ神注連縄切りと火まつり1-3 | 桂昌寺の床の間に安置された「太刀」。元旦の午前3時ころ、天満の出口の山ノ神と長の町の出口の山ノ神の2ヶ所で注連縄切りが行われるが、長の町の出口ではこの太刀が使われる。スライド枠には「波切」の印が捺され、「5」「木刀授受」と記される。 | 志摩市大王町波切 | 1978.12.31 |
6671 | 波切の山ノ神注連縄切りと火まつり1-4 | 桂昌寺の床の間に安置された「太刀」と住職。スライド枠には「波切」の印が捺され、「6」と記される。 | 志摩市大王町波切 | 1978.12.31 |
6672 | 波切の山ノ神注連縄切りと火まつり1-5 | 桂昌寺の床の間に安置された「太刀」と住職。スライド枠には「波切」の印が捺され、「7」と記される。 | 志摩市大王町波切 | 1978.12.31 |
6673 | 波切の山ノ神注連縄切りと火まつり1-6 | 山ノ神の祠に供えられた「区民吉利 鎮静成就 専祈」と記された祈祷札、オミキ、盃、重ね餅、橙。スライド枠には「63.1.1 波切」の印が捺され、「10」と記される。 | 志摩市大王町波切 | 1988.1.1 |
6674 | 波切の山ノ神注連縄切りと火まつり1-7 | 山ノ神の祠に供えられた「区民吉利 鎮静成就 専祈」と記された祈祷札、オミキ、盃、重ね餅、橙。スライド枠には「63.1.1 波切」の印が捺され、「11」と記される。 | 志摩市大王町波切 | 1988.1.1 |
6675 | 波切の山ノ神注連縄切りと火まつり1-8 | 山ノ神の祠に供えられた「区民吉利 鎮静成就 専祈」と記された祈祷札、オミキ、盃、重ね餅、橙、弓張提灯。スライド枠には「63.1.1 波切」の印が捺され、「12」と記される。 | 志摩市大王町波切 | 1988.1.1 |
6676 | 波切の山ノ神注連縄切りと火まつり1-9 | 桂昌寺で太刀を受けてくると、寺の東の辻で藁を燃やし、松明に火を点け長の町の山ノ神へ運ぶ。山ノ神では再び藁に火を点け、その明りで直径15センチほどの注連縄を作る。写真は揃いの赤い法被を着て注連縄を作る、名のり船頭たち。スライド枠には「63.1.1 波切」の印が捺され、「14」と記される。 | 志摩市大王町波切 | 1988.1.1 |
6677 | 波切の山ノ神注連縄切りと火まつり1-10 | 桂昌寺で太刀を受けてくると、寺の東の辻で藁を燃やし、松明に火を点け長の町の山ノ神へ運ぶ。山ノ神では再び藁に火を点け、その明りで直径15センチほどの注連縄を作る。写真は揃いの赤い法被を着て注連縄を作る、名のり船頭たち。スライド枠には「63.1.1 波切」の印が捺され、「15」と記される。 | 志摩市大王町波切 | 1988.1.1 |
6678 | 波切の山ノ神注連縄切りと火まつり1-11 | 太刀を腰に挿した野名氏。代々この野名家が、山ノ神の祠に接した道路の両側に松の木を2本立てて、その間に張った注連縄を太刀で切る役目を果たしていた。(2020.12.18 波切にて聞き取り)スライド枠には「63.1.1 波切」の印が捺され、「16」と記される。 | 志摩市大王町波切 | 1988.1.1 |
6679 | 波切の山ノ神注連縄切りと火まつり1-12 | 桂昌寺で太刀を受けてくると、寺の東の辻で藁を燃やし、松明に火を点け長の町の山ノ神へ運ぶ。山ノ神では再び藁に火を点け、その明りで直径15センチほどの注連縄を作る。写真は揃いの赤い法被を着て注連縄を作る、名のり船頭たち。スライド枠には「63.1.1 波切」の印が捺され、「17」と記される。 | 志摩市大王町波切 | 1988.1.1 |
6680 | 波切の山ノ神注連縄切りと火まつり1-13 | 桂昌寺で太刀を受けてくると、寺の東の辻で藁を燃やし、松明に火を点け長の町の山ノ神へ運ぶ。山ノ神では再び藁に火を点け、その明りで直径15センチほどの注連縄を作る。写真は揃いの赤い法被を着て注連縄を作る、名のり船頭たち。スライド枠には「63.1.1 波切」の印が捺され、「18」と記される。 | 志摩市大王町波切 | 1988.1.1 |
6681 | 波切の山ノ神注連縄切りと火まつり2-1 | 山ノ神の祠の横では、藁と一緒に各家から持ち寄られた旧年の注連縄や札が燃やされる。スライド枠には「63.1.1 波切」の印が捺され、「20」と記される。 | 志摩市大王町波切 | 1988.1.1 |
6682 | 波切の山ノ神注連縄切りと火まつり2-2 | 山ノ神の祠の横では、藁と一緒に各家から持ち寄られた旧年の注連縄や札が燃やされる。スライド枠には「63.1.1 波切」の印が捺され、「21」と記される。 | 志摩市大王町波切 | 1988.1.1 |
6683 | 波切の山ノ神注連縄切りと火まつり2-3 | 山ノ神の祠の横では、藁と一緒に各家から持ち寄られた旧年の注連縄や札が燃やされる。スライド枠には「63.1.1 波切」の印が捺され、「23」と記される。 | 志摩市大王町波切 | 1988.1.1 |
6684 | 波切の山ノ神注連縄切りと火まつり2-4 | 山ノ神の祠の横に積み上げられた、各家から持ち寄られた旧年の注連縄や札。スライド枠には「63.1.1 波切」の印が捺され、「24」と記される。 | 志摩市大王町波切 | 1988.1.1 |
6685 | 波切の山ノ神注連縄切りと火まつり2-5 | 山ノ神の祠の横に積み上げられた、各家から持ち寄られた旧年の注連縄や札。祠の鳥居には新しい注連縄が張られ、三方には「御尊前 天下泰平 五穀成就 家内安全 大漁満足」と墨書された祈祷札が供えられている。スライド枠には「63.1.1 波切」の印が捺され、「25」と記される。 | 志摩市大王町波切 | 1988.1.1 |
6686 | 波切の山ノ神注連縄切りと火まつり2-6 | 山ノ神の祠の横に積み上げられた、各家から持ち寄られた旧年の注連縄や札。祠の鳥居には新しい注連縄が張られ、三方には「御尊前 天下泰平 五穀成就 家内安全 大漁満足」と墨書された祈祷札が供えられている。スライド枠には「63.1.1 波切」の印が捺され、「26」と記される。 | 志摩市大王町波切 | 1988.1.1 |
6687 | 波切の山ノ神注連縄切りと火まつり2-7 | 山ノ神の祠の横に積み上げられた、各家から持ち寄られた旧年の注連縄や札。祠の鳥居には新しい注連縄が張られ、三方には「御尊前 天下泰平 五穀成就 家内安全 大漁満足」と墨書された祈祷札が供えられている。スライド枠には「63.1.1 波切」の印が捺され、「27」と記される。 | 志摩市大王町波切 | 1988.1.1 |
6688 | 波切の山ノ神注連縄切りと火まつり2-8 | 山ノ神の祠の横に積み上げられた、各家から持ち寄られた旧年の注連縄や札。スライド枠には「63.1.1 波切」の印が捺され、「28」と記される。 | 志摩市大王町波切 | 1988.1.1 |
6689 | 波切の山ノ神注連縄切りと火まつり2-9 | 藁と一緒に燃やされる各家から持ち寄られた旧年の注連縄や札。スライド枠には「63.1.1 波切」の印が捺され、「30」と記される。 | 志摩市大王町波切 | 1988.1.1 |
6690 | 波切の山ノ神注連縄切りと火まつり2-10 | 山ノ神の祠の前に集まり、注連縄切りを待つ人たち。スライド枠には「63.1.1 波切」の印が捺され、「31」と記される。 | 志摩市大王町波切 | 1988.1.1 |
6691 | 波切の山ノ神注連縄切りと火まつり2-11 | 山ノ神の祠に掲げられた弓張提灯。「出口御山神」と書かれている。昔はこの山ノ神の祠が村への出口でもあり入口でもあった。スライド枠には「63.1.1 波切」の印が捺され、「32」と記される。 | 志摩市大王町波切 | 1988.1.1 |
6692 | 波切の山ノ神注連縄切りと火まつり2-12 | 山ノ神の祠の前に集まり、注連縄切りを待つ人たち。スライド枠には「63.1.1 波切」の印が捺され、「33」と記される。 | 志摩市大王町波切 | 1988.1.1 |
6693 | 波切の山ノ神注連縄切りと火まつり2-13 | 藁を一束ずつ持って山ノ神の祠の前に集まった赤い法被姿の名のり船頭たち。スライド枠には「63.1.1 波切」の印が捺され、「34」と記される。 | 志摩市大王町波切 | 1988.1.1 |
6694 | 波切の山ノ神注連縄切りと火まつり2-14 | 藁に火を点けてその明りで直径15センチほどの注連縄を作る赤い法被姿の名のり船頭たち。周りでは多くの人たちがその様子を見守る。スライド枠には「63.1.1 波切」の印が捺され、「35」と記される。 | 志摩市大王町波切 | 1988.1.1 |
6695 | 波切の山ノ神注連縄切りと火まつり2-15 | 写真は注連縄切りと火まつりである。注連縄切りは、波切の境界とされる天満(てんま)と長野町の山の神にて、道路に大注連縄を張りそれを断ち切って厄災を祓う神事である。住民は、家から近い山の神に集まって神事を見守る。写真展会場では天満と長野町を波切の「入口」または「出口」と表現する人が多かった。大注連縄が切られると、山の神にあった松明から火をとり、大里浜の藁の山に移す。カツオ釣り用の竹竿で火勢を煽り、火が高く上がるほど豊漁とされる。火まつりの後、漁師は竹竿の火を持船の船霊(ふなだま)に供える。注連縄切りと火まつりの前には名乗りと呼ばれる行事もある。名乗りは、名乗り船頭と呼ばれる役と小方(こかた、子どもたちを指す)が各家を周り、「ここの旦那の商売ごとは一番よ」「母さん内助の功は一番よ」など、家族を褒めながら新年の祝言を述べるものである。各家からモチ、ミカン、祝儀がもらえたため、子どもたちのお小遣い稼ぎとしての楽しみもあった。名乗りが終わると漁協に集まり大釜でぜんざいを作って食べ、その後もらったものを分けたという。現在(2023年)は祝儀のみを渡す。かつては男子のみだったが現在(2023年)は女子も参加する。写真は、長野町の山の神付近で、赤い法被(ハッピ)を着た名乗り船頭が藁に火をつけその明かりで注連縄を準備しているところ。道路の両端に松の木を立て、その間に注連縄を張る。写真右側の人物の手にあるのは、山の神の祠に供えられた祈祷札で、大注連縄に下げられる。深夜にもかかわらず、老若男女が後ろで見守る。(「丘端の記憶 波切の暮らし写真展」報告書より) スライド枠には「63.1.1 波切」の印が捺され、「36」と記される。 | 志摩市大王町波切 | 1988.1.1 |
6696 | 波切の山ノ神注連縄切りと火まつり2-16 | 藁に火を点けてその明りで直径15センチほどの注連縄を作る揃いの赤い法被を着た名のり船頭たち。注連縄には、山ノ神の祠に供えられていた祈祷札を付ける。周りでは多くの人たちがその様子を見守る。スライド枠には「63.1.1 波切」の印が捺され、「37」と記される。 | 志摩市大王町波切 | 1988.1.1 |
6697 | 波切の山ノ神注連縄切りと火まつり2-17 | 藁に火を点けてその明りで直径15センチほどの注連縄を作る、揃いの赤い法被を着た名のり船頭たち。注連縄には、山ノ神の祠に供えられていた祈祷札を付ける。周りでは多くの人たちがその様子を見守る。スライド枠には「63.1.1 波切」の印が捺され、「38」と記される。 | 志摩市大王町波切 | 1988.1.1 |
6698 | 波切の山ノ神注連縄切りと火まつり3-1 | 藁に火を点けてその明りで直径15センチほどの注連縄を作る揃いの赤い法被を着た名のり船頭たち。注連縄には、山ノ神の祠に供えられていた祈祷札を付ける。周りでは多くの人たちがその様子を見守る。スライド枠には「63.1.1 波切」の印が捺され、「39」と記される。 | 志摩市大王町波切 | 1988.1.1 |
6699 | 波切の山ノ神注連縄切りと火まつり3-2 | 藁に火を点けてその明りで直径15センチほどの注連縄を作る揃いの赤い法被を着た名のり船頭たち。注連縄には、山ノ神の祠に供えられていた祈祷札を付ける。周りでは多くの人たちがその様子を見守る。スライド枠には「63.1.1 波切」の印が捺され、「40」と記される。 | 志摩市大王町波切 | 1988.1.1 |
6700 | 波切の山ノ神注連縄切りと火まつり3-3 | 藁に火を点けてその明りで直径15センチほどの注連縄を作る揃いの赤い法被を着た名のり船頭たち。注連縄には、山ノ神の祠に供えられていた祈祷札を付ける。周りでは多くの人たちがその様子を見守る。スライド枠には「63.1.1 波切」の印が捺され、「41」と記される。 | 志摩市大王町波切 | 1988.1.1 |
6701 | 波切の山ノ神注連縄切りと火まつり3-4 | 藁に火を点けてその明りで直径15センチほどの注連縄を作る揃いの赤い法被を着た名のり船頭たち。注連縄には、山ノ神の祠に供えられていた祈祷札を付ける。周りでは多くの人たちがその様子を見守る。スライド枠には「63.1.1 波切」の印が捺され、「42」と記される。 | 志摩市大王町波切 | 1988.1.1 |
6702 | 波切の山ノ神注連縄切りと火まつり3-5 | 藁に火を点けてその明りで直径15センチほどの注連縄を作る揃いの赤い法被を着た名のり船頭たち。注連縄には、山ノ神の祠に供えられていた祈祷札を付ける。周りでは多くの人たちがその様子を見守る。スライド枠には「63.1.1 波切」の印が捺され、「43」と記される。 | 志摩市大王町波切 | 1988.1.1 |
6703 | 波切の山ノ神注連縄切りと火まつり3-6 | 藁に火を点けてその明りで直径15センチほどの注連縄を作る揃いの赤い法被を着た名のり船頭たち。注連縄には、山ノ神の祠に供えられていた祈祷札を付ける。周りでは多くの人たちがその様子を見守る。スライド枠には「63.1.1 波切」の印が捺され、「44」と記される。 | 志摩市大王町波切 | 1988.1.1 |
6704 | 波切の山ノ神注連縄切りと火まつり3-7 | 藁に火を点けてその明りで直径15センチほどの注連縄を作る揃いの赤い法被を着た名のり船頭たち。注連縄には、山ノ神の祠に供えられていた祈祷札を付ける。周りでは多くの人たちがその様子を見守る。スライド枠には「63.1.1 波切」の印が捺され、「45」と記される。 | 志摩市大王町波切 | 1988.1.1 |
6705 | 波切の山ノ神注連縄切りと火まつり3-8 | 藁に火を点けてその明りで直径15センチほどの注連縄を作る揃いの赤い法被を着た名のり船頭たち。注連縄には、山ノ神の祠に供えられていた祈祷札を付ける。周りでは多くの人たちがその様子を見守る。スライド枠には「63.1.1 波切」の印が捺され、「46」と記される。 | 志摩市大王町波切 | 1988.1.1 |
6706 | 波切の山ノ神注連縄切りと火まつり3-9 | 藁に火を点けてその明りで直径15センチほどの注連縄を作る揃いの赤い法被を着た名のり船頭たち。周りでは多くの人たちがその様子を見守る。スライド枠には「63.1.1 波切」の印が捺され、「48」と記される。 | 志摩市大王町波切 | 1988.1.1 |
6707 | 波切の山ノ神注連縄切りと火まつり3-10 | 藁に火を点けてその明りで直径15センチほどの注連縄を作る揃いの赤い法被を着た名のり船頭たち。周りでは多くの人たちがその様子を見守る。スライド枠には「63.1.1 波切」の印が捺され、「49」と記される。 | 志摩市大王町波切 | 1988.1.1 |
6708 | 波切の山ノ神注連縄切りと火まつり3-11 | 藁に火を点けてその明りで直径15センチほどの注連縄を作る揃いの赤い法被を着た名のり船頭たち。周りでは多くの人たちがその様子を見守る。スライド枠には「63.1.1 波切」の印が捺され、「50」と記される。 | 志摩市大王町波切 | 1988.1.1 |
6709 | 波切の山ノ神注連縄切りと火まつり3-12 | 藁に火を点けてその明りで直径15センチほどの注連縄を作る揃いの赤い法被を着た名のり船頭たち。周りでは多くの人たちがその様子を見守る。スライド枠には「63.1.1 波切」の印が捺され、「51」と記される。 | 志摩市大王町波切 | 1988.1.1 |
6710 | 波切の山ノ神注連縄切りと火まつり3-13 | 完成した注連縄には、橙と山ノ神の祠に供えられていた祈祷札が付けられる。スライド枠には「63.1.1 波切」の印が捺され、「52」と記される。 | 志摩市大王町波切 | 1988.1.1 |
6711 | 波切の山ノ神注連縄切りと火まつり3-14 | 注連縄は、山ノ神に接した道路の両端に松の木を立ててその間に張る。注連縄の端を松の木に結ぼうとしている名のり船頭。※スライドには赤い斑点のカビが付いている。 | 志摩市大王町波切 | 1988.1.1 |
6712 | 波切の山ノ神注連縄切りと火まつり3-15 | 藁の束を持ち燃やそうとしている、赤い法被姿の名のり船頭。 | 志摩市大王町波切 | 1988.1.1 |
6713 | 波切の山ノ神注連縄切りと火まつり4-1 | 注連縄切りを始める前に、オミキの盃を交わす赤い法被姿の名のり船頭たち。スライド枠には「63.1.1 波切」の印が捺され、「57」と記される。 | 志摩市大王町波切 | 1988.1.1 |
6714 | 波切の山ノ神注連縄切りと火まつり4-2 | 注連縄切りを始める前に、オミキの盃を交わす赤い法被姿の名のり船頭たち。スライド枠には「63.1.1 波切」の印が捺され、「58」と記される。 | 志摩市大王町波切 | 1988.1.1 |
6715 | 波切の山ノ神注連縄切りと火まつり4-3 | 注連縄切りを始める前に、オミキの盃を交わす赤い法被姿の名のり船頭たち。スライド枠には「63.1.1 波切」の印が捺され、「59」と記される。 | 志摩市大王町波切 | 1988.1.1 |
6716 | 波切の山ノ神注連縄切りと火まつり4-4 | 注連縄切りを始める前に、オミキの盃を交わす赤い法被姿の名のり船頭たち。スライド枠には「63.1.1 波切」の印が捺され、「60」と記される。 | 志摩市大王町波切 | 1988.1.1 |
6717 | 波切の山ノ神注連縄切りと火まつり4-5 | 注連縄の前に立つ野名氏。スライド枠には「63.1.1 波切」の印が捺され、「62」と記される。 | 志摩市大王町波切 | 1988.1.1 |
6718 | 波切の山ノ神注連縄切りと火まつり4-6 | 注連縄の前に立つ野名氏。スライド枠には「63.1.1 波切」の印が捺され、「63」と記される。 | 志摩市大王町波切 | 1988.1.1 |
6719 | 波切の山ノ神注連縄切りと火まつり4-7 | 注連縄の前に立つ野名氏。背後では多くの人たちが見守る。名のりに参加していた男児たちも写る。当時、名のりには男子だけしか参加できなかったという。スライド枠には「63.1.1 波切」の印が捺され、「64」と記される。 | 志摩市大王町波切 | 1988.1.1 |
6720 | 波切の山ノ神注連縄切りと火まつり4-8 | 注連縄切りを見守る人たち。名のりに参加していた男児たちも写る。当時、名のりには男子だけしか参加できなかったという。スライド枠には「63.1.1 波切」の印が捺され、「68」と記される。 | 志摩市大王町波切 | 1988.1.1 |
6721 | 波切の山ノ神注連縄切りと火まつり4-9 | 天満の山の神にて大注連縄を切るところ。 注連縄を支える名乗り船頭の1人が大声で「山の神か」と3度呼び、他の船頭が「おお」と応じる。次に3度「この大注連縄より」、さらに「内てし入る者は」と3度叫んだ後、「切って切って切りまくる」と1度叫んで注連縄を切る。これは、外来の悪霊邪神を威嚇する行為であるとされる。継承者が不在のため、現在(2023年)天満で注連縄切りは行われていない。(「丘端の記憶 波切の暮らし写真展」報告書より)スライド枠には「63.1.1波切」の印が捺され、「69」と記される。 | 志摩市大王町波切 | 1988.1.1 |
6722 | 波切の山ノ神注連縄切りと火まつり4-10 | 1人の名のり船頭が大声で「山の神か」と3度呼び、他の船頭が「おお」と応ずる。次に3度「この注連縄より」、さらに「内てし入る者は」と3度叫んだあと、「切って切って切りまくる」と1度叫んで注連縄を切る。これは、外来の悪霊邪神を威嚇する行為であるとされている。スライド枠には「63.1.1 波切」の印が捺され、「70」「波切の〆縄切り」と記される。 | 志摩市大王町波切 | 1988.1.1 |
6723 | 波切の山ノ神注連縄切りと火まつり4-11 | 船頭が注連縄を切り終えると、その様子を見守っていた人たちが笑顔で拍手を送る。スライド枠には「63.1.1 波切」の印が捺され、「72」と記される。 | 志摩市大王町波切 | 1988.1.1 |
6724 | 波切の山ノ神注連縄切りと火まつり4-12 | 切られた注連縄からワラを抜き取る男児たち。スライド枠には「63.1.1 波切」の印が捺され、「73」と記される。 | 志摩市大王町波切 | 1988.1.1 |
6725 | 波切の山ノ神注連縄切りと火まつり4-13 | 切られた注連縄からワラを抜き取る男児たち。スライド枠には「63.1.1 波切」の印が捺され、「74」と記される。 | 志摩市大王町波切 | 1988.1.1 |
6726 | 波切の山ノ神注連縄切りと火まつり5-1 | 注連縄を切り終わると、藁で作った「タイマツ」3本に火を点け、天満の出口の方は宝門浜(ほものはま)、長の町の方は大里浜(おざとのはま)へ走って運んだ。現在(2023年)は、大里の浜へ運ぶ。スライド枠には「山の神の火を持って浜に向う」「75」と記される。 | 志摩市大王町波切 | 1988.1.1 |
6727 | 波切の山ノ神注連縄切りと火まつり5-2 | 注連縄を切り終わると、藁で作った「タイマツ」3本に火を点け、天満の出口の方は宝門浜、長の町の方は大里浜へ走って運んだ。現在は、大里の浜へ運ぶ。スライド枠には「波切」「63.1.1」の印が捺され、「77」と記される。 | 志摩市大王町波切 | 1988.1.1 |
6728 | 波切の山ノ神注連縄切りと火まつり5-3 | 大里浜へ到着したタイマツ。浜でも多くの人が待っている。スライド枠には「波切」の印が捺され、「79」と記される。 | 志摩市大王町波切 | 1988.1.1 |
6729 | 波切の山ノ神注連縄切りと火まつり5-4 | 大里浜へ到着したタイマツ。浜でも多くの人が待っている。スライド枠には「波切」の印が捺され、「80」と記される。 | 志摩市大王町波切 | 1988.1.1 |
6730 | 波切の山ノ神注連縄切りと火まつり5-5 | 大里浜に高く積まれた藁に火が点けられた。スライド枠には「波切」「63.1.1」の印が捺され、「82」と記される。 | 志摩市大王町波切 | 1988.1.1 |
6731 | 波切の山ノ神注連縄切りと火まつり5-6 | 燃える火を釣り竿で高く跳ね上げる漁師たち。カツオ釣りの所作だと伝えられている。スライド枠には「波切」「63.1.1」の印が捺され、「83」と記される。 | 志摩市大王町波切 | 1988.1.1 |
6732 | 波切の山ノ神注連縄切りと火まつり5-7 | 燃える火を釣り竿で高く跳ね上げる漁師たち。スライド枠には「波切」「63.1.1」の印が捺され、「84」「トトツリ」と記される。 | 志摩市大王町波切 | 1988.1.1 |
6733 | 波切の山ノ神注連縄切りと火まつり5-8 | 勢いよく燃え上がる火。スライド枠には「波切」「63.1.1」の印が捺され、「85」と記される。 | 志摩市大王町波切 | 1988.1.1 |
6734 | 波切の山ノ神注連縄切りと火まつり5-9 | 勢いよく燃え上がる火。スライド枠には「波切」「63.1.1」の印が捺され、「86」と記される。 | 志摩市大王町波切 | 1988.1.1 |
6735 | 波切の山ノ神注連縄切りと火まつり5-10 | 勢いよく燃え上がる火。スライド枠には「波切」「63.1.1」の印が捺され、「87」と記される。 | 志摩市大王町波切 | 1988.1.1 |
6736 | 波切の山ノ神注連縄切りと火まつり5-11 | 勢いよく燃え上がる火。スライド枠には「波切」「63.1.1」の印が捺され、「88」と記される。 | 志摩市大王町波切 | 1988.1.1 |
6737 | 波切の山ノ神注連縄切りと火まつり5-12 | 勢いよく燃え上がる火。スライド枠には「波切」「63.1.1」の印が捺され、「89」と記される。 | 志摩市大王町波切 | 1988.1.1 |
6738 | 波切の山ノ神注連縄切りと火まつり5-13 | 勢いよく燃え上がる火。スライド枠には「波切」「63.1.1」の印が捺され、「90」と記される。 | 志摩市大王町波切 | 1988.1.1 |
6739 | 波切の山ノ神注連縄切りと火まつり5-14 | 勢いよく燃え上がる火。スライド枠には「波切」「63.1.1」の印が捺され、「92」と記される。 | 志摩市大王町波切 | 1988.1.1 |
6740 | 波切の山ノ神注連縄切りと火まつり5-15 | 勢いよく燃え上がる火。スライド枠には「波切」「63.1.1」の印が捺され、「93」と記される。 | 志摩市大王町波切 | 1988.1.1 |
6741 | 波切の山ノ神注連縄切りと火まつり6-1 | 勢いよく燃え上がる火。スライド枠には「波切」「63.1.1」の印が捺され、「94」と記される。 | 志摩市大王町波切 | 1988.1.1 |
6742 | 波切の山ノ神注連縄切りと火まつり6-2 | 勢いよく燃え上がる火。スライド枠には「波切」「63.1.1」の印が捺され、「95」と記される。 | 志摩市大王町波切 | 1988.1.1 |
6743 | 波切の山ノ神注連縄切りと火まつり6-3 | 勢いよく燃え上がる火。スライド枠には「波切」「63.1.1」の印が捺され、「96」と記される。 | 志摩市大王町波切 | 1988.1.1 |
6744 | 波切の山ノ神注連縄切りと火まつり6-4 | 山の神から持ってきた火を大里(おざと)の浜に積んだ藁に移し、カツオ釣りの竹竿で火を煽るところ。合図とともに藁に入れた竹竿を大きく跳ね上げる。この火は波切で「どんどん火」とも呼ばれる。この後は漁師が竹竿の火を船に持っていき、燃え残りの竹竿は「ジングサン」に上げると唱えて海に投げる。名乗り船頭の一部は竹竿の火を神社まで持ち、拝殿で祝儀をする。また、見物人も火まつりが終わると神社へ参るのが慣習だった。(「丘端の記憶 波切の暮らし写真展」報告書より) スライド枠には「波切」「63.1.1」の印が捺され、「97」と記される。 | 志摩市大王町波切 | 1988.1.1 |
6745 | 波切の山ノ神注連縄切りと火まつり6-5 | 勢いよく燃え上がる火。スライド枠には「波切」「63.1.1」の印が捺され、「99」と記される。 | 志摩市大王町波切 | 1988.1.1 |
6746 | 波切の山ノ神注連縄切りと火まつり6-6 | 勢いよく燃え上がる火。スライド枠には「波切」「63.1.1」の印が捺され、「100」と記される。 | 志摩市大王町波切 | 1988.1.1 |
6747 | 波切の山ノ神注連縄切りと火まつり6-7 | 勢いよく燃え上がる火。スライド枠には「波切」「63.1.1」の印が捺され、「101」と記される。 | 志摩市大王町波切 | 1988.1.1 |
6748 | 波切の山ノ神注連縄切りと火まつり6-8 | 勢いよく燃え上がる火。スライド枠には「波切」「63.1.1」の印が捺され、「102」と記される。 | 志摩市大王町波切 | 1988.1.1 |
6749 | 波切の山ノ神注連縄切りと火まつり6-9 | 勢いよく燃え上がる火。スライド枠には「波切」「63.1.1」の印が捺され、「103」と記される。 | 志摩市大王町波切 | 1988.1.1 |
6750 | 波切の山ノ神注連縄切りと火まつり6-10 | 山の神から持ってきた火を大里(おざと)の浜に積んだ藁に移し、カツオ釣りの竹竿で火を煽るところ。合図とともに藁に入れた竹竿を大きく跳ね上げる。この火は波切で「どんどん火」とも呼ばれる。この後は漁師が竹竿の火を船に持っていき、燃え残りの竹竿は「ジングサン」に上げると唱えて海に投げる。名乗り船頭の一部は竹竿の火を神社まで持ち、拝殿で祝儀をする。また、見物人も火まつりが終わると神社へ参るのが慣習だった。 (「丘端の記憶 波切の暮らし写真展」報告書より)スライド枠には「波切」「63.1.1」の印が捺され、「97」と記される。 | 志摩市大王町波切 | 1988.1.1 |
6751 | 波切の山ノ神注連縄切りと火まつり6-11 | 勢いよく燃え上がる火。スライド枠には「波切」「63.1.1」の印が捺され、「105」と記される。 | 志摩市大王町波切 | 1988.1.1 |
6752 | 波切の山ノ神注連縄切りと火まつり6-12 | 勢いよく燃え上がる火。スライド枠には「波切」「63.1.1」の印が捺され、「106」と記される。 | 志摩市大王町波切 | 1988.1.1 |
6753 | 波切の山ノ神注連縄切りと火まつり6-13 | 勢いよく燃え上がる火。スライド枠には「波切」「63.1.1」の印が捺され、「107」と記される。 | 志摩市大王町波切 | 1988.1.1 |
6754 | 波切の山ノ神注連縄切りと火まつり6-14 | 勢いよく燃え上がる火。スライド枠には「波切」「63.1.1」の印が捺され、「108」と記される。 | 志摩市大王町波切 | 1988.1.1 |
6755 | 波切の山ノ神注連縄切りと火まつり6-15 | 勢いよく燃え上がる火。スライド枠には「波切」「63.1.1」の印が捺され、「109」と記される。 | 志摩市大王町波切 | 1988.1.1 |
6756 | 波切の山ノ神注連縄切りと火まつり6-16 | 勢いよく燃え上がる火。スライド枠には「波切」「63.1.1」の印が捺され、「110」と記される。 | 志摩市大王町波切 | 1988.1.1 |
6757 | 波切の山ノ神注連縄切りと火まつり6-17 | 勢いよく燃え上がる火。スライド枠には「波切」「63.1.1」の印が捺され、「111」と記される。 | 志摩市大王町波切 | 1988.1.1 |
6758 | 波切の山ノ神注連縄切りと火まつり6-18 | 勢いよく燃え上がる火。スライド枠には「波切」「63.1.1」の印が捺され、「112」と記される。 | 志摩市大王町波切 | 1988.1.1 |
6759 | 波切の山ノ神注連縄切りと火まつり7-1 | 勢いよく燃え上がる火。スライド枠には「波切」「63.1.1」の印が捺され、「113」と記される。 | 志摩市大王町波切 | 1988.1.1 |
6760 | 波切の山ノ神注連縄切りと火まつり7-2 | 次第に小さくなってきた火。スライド枠には「波切」「63.1.1」の印が捺され、「115」と記される。 | 志摩市大王町波切 | 1988.1.1 |
6761 | 波切の山ノ神注連縄切りと火まつり8-1 | 注連縄切りを終えて、大里浜へ火まつりを見に来た野名氏。腰に太刀を差している。スライド枠には「波切」「63.1.1」の印が捺され、「117」と記される。 | 志摩市大王町波切 | 1988.1.1 |
6762 | 波切の山ノ神注連縄切りと火まつり8-2 | 注連縄切りを終えて、大里浜へ火まつりを見に来た野名氏。腰に太刀を差している。スライド枠には「波切」「63.1.1」の印が捺され、「118」と記される。 | 志摩市大王町波切 | 1988.1.1 |
6763 | 波切の山ノ神注連縄切りと火まつり8-3 | 注連縄切りを終えて、大里浜へ火まつりを見に来た野名氏。腰に太刀を差している。スライド枠には「波切」「63.1.1」の印が捺され、「119」と記される。 | 志摩市大王町波切 | 1988.1.1 |
6764 | 波切の山ノ神注連縄切りと火まつり8-4 | 注連縄切りを終えて、大里浜へ火まつりを見に来た野名氏。腰に太刀を差している。スライド枠には「波切」「63.1.1」の印が捺され、「120」と記される。 | 志摩市大王町波切 | 1988.1.1 |
6765 | 波切の山ノ神注連縄切りと火まつり8-5 | 火まつりの火をタイマツに点火させ、消さないようにして自分の船に行き、聖なる火で船霊を浄めた後神社へ参る。神社へ向かう太刀を腰に差した野名氏と「出口御山神」の弓張提灯を持った名のり船頭の男性。スライド枠には「波切」「63.1.1」の印が捺され、「121」と記される。 | 志摩市大王町波切 | 1988.1.1 |
6766 | 波切の山ノ神注連縄切りと火まつり8-6 | 火まつりの火をタイマツに点火させ、消さないようにして自分の船に行き、聖なる火で船霊を浄めた後神社へ参る。神社へ向かう太刀を腰に差した野名氏と「出口御山神」の弓張提灯を持った名のり船頭の男性。スライド枠には「波切」「63.1.1」の印が捺され、「122」と記される。 | 志摩市大王町波切 | 1988.1.1 |
6767 | 波切の山ノ神注連縄切りと火まつり8-7 | 火まつりの火をタイマツに点火させ、消さないようにして自分の船に行き、聖なる火で船霊を浄めた後神社へ参る。神社へ向かう太刀を腰に差した野名氏と「出口御山神」の弓張提灯を持った名のり船頭の男性。スライド枠には「波切」「63.1.1」の印が捺され、「123」と記される。 | 志摩市大王町波切 | 1988.1.1 |
6768 | 波切の山ノ神注連縄切りと火まつり8-8 | 神社の石段を上がる、太刀を腰に差した野名氏と「出口御山神」の弓張提灯を持った船頭役の男性。スライド枠には「波切」「63.1.1」の印が捺され、「124」と記される。 | 志摩市大王町波切 | 1988.1.1 |
6769 | 波切の山ノ神注連縄切りと火まつり8-9 | 神社の石段を上がる、太刀を腰に差した野名氏と「出口御山神」の弓張提灯を持った名のり船頭の男性。スライド枠には「波切」「63.1.1」の印が捺され、「125」と記される。 | 志摩市大王町波切 | 1988.1.1 |
6770 | 波切の山ノ神注連縄切りと火まつり8-10 | 手水舎で手を洗う太刀を腰に差した野名氏と「出口御山神」の弓張提灯を持った名のり船頭の男性。スライド枠には「波切」「63.1.1」の印が捺され、「126」と記される。 | 志摩市大王町波切 | 1988.1.1 |
6771 | 波切の山ノ神注連縄切りと火まつり8-11 | その後神殿へお参りする。後方には多くの参拝者が写る。スライド枠には「波切」「63.1.1」の印が捺され、「128」と記される。 | 志摩市大王町波切 | 1988.1.1 |
6772 | 波切の山ノ神注連縄切りと火まつり8-12 | 波切神社の拝殿前には着物姿の7人婆さんと、名のり船頭たちが籠っている。スライド枠には「波切」「63.1.1」の印が捺され、「129」と記される。 | 志摩市大王町波切 | 1988.1.1 |
6773 | 波切の山ノ神注連縄切りと火まつり8-13 | 波切神社の拝殿前には着物姿の7人婆さんと、名のり船頭たちが籠っている。スライド枠には「波切」「63.1.1」の印が捺され、「130」と記される。 | 志摩市大王町波切 | 1988.1.1 |
6774 | 波切の山ノ神注連縄切りと火まつり8-14 | 波切神社の拝殿前には着物姿の7人婆さんと、名のり船頭たちが籠っている。スライド枠には「波切」「63.1.1」の印が捺され、「131」と記される。 | 志摩市大王町波切 | 1988.1.1 |
6775 | 波切の山ノ神注連縄切りと火まつり8-15 | 火まつりの火をタイマツに点火させ、消さないようにして自分の船に行き、聖なる火で船霊を浄める。暗闇にタイマツの火が写る。スライド枠には「波切」「63.1.1」の印が捺され、「132」と記される。 | 志摩市大王町波切 | 1988.1.1 |
6776 | 波切の山ノ神注連縄切りと火まつり8-16 | 火まつりの火をタイマツに点火させ、消さないようにして自分の船に行き、聖なる火で船霊を浄める。暗闇にタイマツの火が写る。スライド枠には「波切」「63.1.1」の印が捺され、「133」と記される。 | 志摩市大王町波切 | 1988.1.1 |
6777 | 波切の山ノ神注連縄切りと火まつり8-17 | 火まつりの火をタイマツに点火させ、消さないようにして自分の船に行き、聖なる火で船霊を浄める。暗闇にタイマツの火が写る。スライド枠には「波切」「63.1.1」の印が捺され、「134」と記される。 | 志摩市大王町波切 | 1988.1.1 |
6778 | 波切の山ノ神注連縄切りと火まつり9-1 | 火まつりの火をタイマツに点火させ、消さないようにして自分の船に行き、聖なる火で船霊を浄める。暗闇にタイマツの火が写る。スライド枠には「波切」「63.1.1」の印が捺され、「135」と記される。 | 志摩市大王町波切 | 1988.1.1 |
6779 | 波切の山ノ神注連縄切りと火まつり9-2 | 火まつりの火をタイマツに点火させ、消さないようにして自分の船に行き、聖なる火で船霊を浄める。暗闇にタイマツの火が写る。スライド枠には「波切」「63.1.1」の印が捺され、「136」と記される。 | 志摩市大王町波切 | 1988.1.1 |
6780 | 波切の山ノ神注連縄切りと火まつり9-3 | タイマツを持って神社の石段を駆け上がる名のり船頭。スライド枠には「波切」「63.1.1」の印が捺され、「火をもって神社へ向かう」「137」と記される。 | 志摩市大王町波切 | 1988.1.1 |
6781 | 波切の山ノ神注連縄切りと火まつり9-4 | タイマツを持って神社の鳥居をくぐる名のり船頭。スライド枠には「波切」「63.1.1」の印が捺され、「火をもって神社へ向かう」「139」と記される。 | 志摩市大王町波切 | 1988.1.1 |
6782 | 波切の山ノ神注連縄切りと火まつり9-5 | タイマツを持って神社の鳥居をくぐる名のり船頭。スライド枠には「波切」「63.1.1」の印が捺され、「火をもって神社へ向かう」「140」と記される。 | 志摩市大王町波切 | 1988.1.1 |
6783 | 波切の山ノ神注連縄切りと火まつり1-1 | 1人の名のり船頭が大声で「山の神か」と3度呼び、他の船頭が「おお」と応ずる。次に3度「この注連縄より」、さらに「内てし入る者は」と3度叫んだあと、「切って切って切りまくる」と1度叫んで一刀のもと注連縄を切る。これは、外来の悪霊邪神を威嚇する行為であるとされている。スライド枠には「63.1.1 波切」の印が捺され、「67」と記される。 | 志摩市大王町波切 | 1988.1.1 |
6784 | 波切の名のり1-2 | 大晦日の夜、各組からそれぞれ名のり船頭と20人ほどの子方(子どもたち)が、漁業協同組合に集まる。先ず組合で祝詞を唱えてから各組に分かれ、道中「ハライサコレイサ」と声を掛けながら、波切の各家を回る。戸口で「ヨイヨイヨイ」と囃し、先ず船頭が「アータラ」というと子方が「シーキノ」、船頭「トーシノ」子方「ハージメニ…」と唱え、掛け合いで家族の祝言をする。各家では、盆に金銀の餅(粟餅と米餅)一重ねと銚子1本を添えて迎える。最近は祝儀に変わった。写真は、旅館らしき入口で祝詞を唱える弓張提灯を持った船頭と子方。 スライド枠には「波切」の印が捺され、「2」と記される。№6668とほぼ同じ画像。 | 志摩市大王町波切 | 1988.1.1 |
6785 | 波切の山ノ神注連縄切りと火まつり1-3 | 名のりが終了すると、定置屋のダンナが桂昌寺へ太刀を受けに行く。スライド枠には「波切」の印が捺され、「4」と記される。 | 志摩市大王町波切 | 1988.1.1 |
6786 | 波切の山ノ神注連縄切りと火まつり1-4 | 長の町の山ノ神の鳥居に立てられた2本の幟。紺地に「出口御山神 村中安全 漁船殿中 世話人」と染め抜かれている。スライド枠には「波切」「63.1.1」の印が捺され、「3・山の神へ」「8」と記される。 | 志摩市大王町波切 | 1988.1.1 |
6787 | 波切の山ノ神注連縄切りと火まつり1-5 | 注連縄切りを終えて、大里浜へ火まつりを見に来た野名氏。腰に太刀を差している。スライド枠には「波切」「63.1.1」の印が捺され、「13」と記される。 | 志摩市大王町波切 | 1988.1.1 |
6788 | 波切の山ノ神注連縄切りと火まつり1-6 | 山ノ神の祠の横では、藁と一緒に各家から持ち寄られた旧年の注連縄や札が燃やされる。スライド枠には「63.1.1 波切」の印が捺され、「22」と記される。 | 志摩市大王町波切 | 1988.1.1 |
6789 | 波切の山ノ神注連縄切りと火まつり1-7 | 桂昌寺で太刀を受けてくると、寺の東の辻で藁を燃やし、松明に火を点け長の町の山ノ神へ運ぶ。山ノ神では再び藁に火を点け、その明りで直径15センチほどの注連縄を作る。写真は揃いの赤い法被を着て注連縄を作る、名のり船頭たち。スライド枠には「63.1.1 波切」の印が捺され、「54」と記される。※スライドにカビが付いている。 | 志摩市大王町波切 | 1988.1.1 |
6790 | 波切の山ノ神注連縄切りと火まつり1-8 | 桂昌寺で太刀を受けてくると、寺の東の辻で藁を燃やし、松明に火を点け長の町の山ノ神へ運ぶ。山ノ神では再び藁に火を点け、その明りで直径15センチほどの注連縄を作る。写真は揃いの赤い法被を着て注連縄を作る、名のり船頭たち。スライド枠には「63.1.1 波切」の印が捺され、「19」と記される。 | 志摩市大王町波切 | 1988.1.1 |
6791 | 波切の山ノ神注連縄切りと火まつり1-9 | 桂昌寺で太刀を受けてくると、寺の東の辻で藁を燃やし、松明に火を点け長の町の山ノ神へ運ぶ。山ノ神では再び藁に火を点け、その明りで直径15センチほどの注連縄を作る。写真は揃いの赤い法被を着て注連縄を作る、名のり船頭たち。スライド枠には「63.1.1 波切」の印が捺され、「47」と記される。 | 志摩市大王町波切 | 1988.1.1 |
6792 | 波切の山ノ神注連縄切りと火まつり1-10 | 「区民吉利 鎮静成就 専祈」と記された祈祷札を山ノ神の祠に供えようとする名のり船頭。スライド枠には「波切」の印が捺され、「29」と記される。スライド枠には「63.1.1 波切」の印が捺され、「47」と記される。 | 志摩市大王町波切 | 1988.1.1 |
6793 | 波切の山ノ神注連縄切りと火まつり1-11 | 完成した注連縄には、「御尊前 天下泰平 五穀成就 家内安全 大漁満足」と墨書された祈祷札が付けられる。スライド枠には「63.1.1 波切」の印が捺され、「53」と記される。 | 志摩市大王町波切 | 1988.1.1 |
6794 | 波切の山ノ神注連縄切りと火まつり1-12 | 注連縄切りを始める前に、オミキの盃を交わす赤い法被姿の名のり船頭たち。スライド枠には「63.1.1 波切」の印が捺され、「61」と記される。 | 志摩市大王町波切 | 1988.1.1 |
6795 | 波切の山ノ神注連縄切りと火まつり1-13 | 1人の名のり船頭が大声で「山の神か」と3度呼び、他の船頭が「おお」と応ずる。次に3度「この注連縄より」、さらに「内てし入る者は」と3度叫んだあと、「切って切って切りまくる」と1度叫んで注連縄切りに挑もうとする野名氏。スライド枠には「63.1.1 波切」の印が捺され、「65」と記される。 | 志摩市大王町波切 | 1988.1.1 |
6796 | 波切の山ノ神注連縄切りと火まつり1-14 | 長野町の山の神にて大注連縄を切るところ。桂昌寺に秘蔵される宝刀波切丸が使われる。桂昌寺から波切丸を授けてもらうため七度半の使いが立つが、追い返されるため繰り返し懇願し、ようやく授かる。見学者がひしめき熱気が伝わるが、必ずしもすべての住民が集まっていたわけではなく、夜遅かったために家で過ごす人々もいた。写真は、1人の名のり船頭が大声で「山の神か」と3度呼び、他の船頭が「おお」と応ずる。次に3度「この注連縄より」、さらに「内てし入る者は」と3度叫んだあと、「切って切って切りまくる」と1度叫んで太刀を振り上げて構える野名氏。(「丘端の記憶 波切の暮らし写真展」報告書より)スライド枠には「63.1.1 波切」の印が捺され、「66」と記される。 | 志摩市大王町波切 | 1988.1.1 |
6797 | 波切の山ノ神注連縄切りと火まつり1-15 | 1人の名のり船頭が大声で「山の神か」と3度呼び、他の船頭が「おお」と応ずる。次に3度「この注連縄より」、さらに「内てし入る者は」と3度叫んだあと、「切って切って切りまくる」と1度叫んで一刀のもと注連縄を切った瞬間。画像がブレている。スライド枠には「63.1.1 波切」の印が捺され、「71」と記される。 | 志摩市大王町波切 | 1988.1.1 |
6798 | 波切の山ノ神注連縄切りと火まつり1-16 | 注連縄を切り終わると、藁で作った「タイマツ」3本に火を点け、天満の出口の方は宝門浜、長の町の方は大里浜へ走って運んだ。現在(2023年)は、大里の浜へ運ぶ。スライド枠には「波切」「63.1.1」の印が捺され、「76」と記される。 | 志摩市大王町波切 | 1988.1.1 |
6799 | 波切の山ノ神注連縄切りと火まつり1-17 | 大里浜へ到着したタイマツ。浜でも多くの人が待っている。スライド枠には「波切」の印が捺され、「浜のワラ山に点火」「81」と記される。 | 志摩市大王町波切 | 1988.1.1 |
6800 | 波切の山ノ神注連縄切りと火まつり1-18 | 大里浜に高く積まれた藁に火が点けられた。スライド枠には「波切」「63.1.1」の印が捺され、「91」と記される。 | 志摩市大王町波切 | 1988.1.1 |
6801 | 波切の山ノ神注連縄切りと火まつり1-19 | 燃える火を釣り竿で高く跳ね上げる漁師たち。スライド枠には「波切」「63.1.1」の印が捺され、「98」と記される。 | 志摩市大王町波切 | 1988.1.1 |
6802 | 波切の山ノ神注連縄切りと火まつり2-1 | 次第に小さくなってきた火。スライド枠には「波切」「63.1.1」の印が捺され、「114」と記される。 | 志摩市大王町波切 | 1988.1.1 |
6803 | 波切の山ノ神注連縄切りと火まつり2-2 | タイマツを持って神社の石段を駆け上がる名のり船頭。スライド枠には「波切」「63.1.1」の印が捺され、「141」と記される。 | 志摩市大王町波切 | 1988.1.1 |
6804 | 波切の山ノ神注連縄切りと火まつり2-3 | 火まつりの火をタイマツに点火させ、消さないようにして自分の船に行き、聖なる火で船霊を浄める。スライド枠には「波切」「63.1.1」の印が捺され、「116」と記される。 | 志摩市大王町波切 | 1988.1.1 |
6805 | 波切の山ノ神注連縄切りと火まつり2-4 | 波切神社の神殿へお参りする。後方には多くの参拝者が写る。スライド枠には「波切」「63.1.1」の印が捺され、「127」と記される。 | 志摩市大王町波切 | 1988.1.1 |
6806 | 波切の山ノ神注連縄切りと火まつり2-5 | 山ノ神の祠に供えられた「区民吉利 鎮静成就 専祈」と記された祈祷札、オミキ、盃、重ね餅、橙。スライド枠には「63.1.1 波切」の印が捺され、「9」と記される。 | 志摩市大王町波切 | 1988.1.1 |
6807 | 船越の火まつり3-1 | 前浜で行われる火まつり。元旦の午前2時半ころ、浜に積まれた柴木に点火し、若者が練り込んでくる午前4時過ぎまで、組長、役員や消防団員が少しずつ柴木を燃やしていく。4時過ぎになると、それぞれ気の合った仲間の家で待機していた若者たちが、白バッチの上に花襦袢を着て色帯を締め、黒たびに水色のたすき掛けで現れる。浜に来た若者たちは、柴木の束を持って若者同志「オメデトー」と言いながら叩き合い、見物人や役員にも祝福と無病息災の意味を込めてはたく。その間若者も加わって柴木をどんどん燃やす。写真は花襦袢姿の若者たちによってハサバが突き込まれ、大きく跳ね上がる火の粉の様子。以前は前浜の二ヶ所で火を燃やし、火勢の高低を競い合ったという。これはカツオ釣りを競争することであり、大漁の祈りが込められ、トトツリアイとも呼ばれる。参考文献:「三重県の海村の正月行事と祭」野村史隆/文(海の博物館年報『海と人間』vol.17 収録)以下キャプションは同文献を参照。 | 志摩市大王町船越 | 1991.1.1 |
6808 | 船越の大晦日行事3-2 | 船越神社境内のシイの木に巻き付けられた大注連縄。大注連縄は大晦日の夜、組長12人、大船頭、相船頭が12束の新ワラを用いて、「ゾウエン・ゾウエン」と文句を唱えながら練り上げたものである。紙垂を付けて出来上がると、船越神社のシイの木に張り、山の神をまつる。スライド枠には「63.1.1」「船越」の印が捺され、「ゾウエンの〆縄」「12」と記される。 | 志摩市大王町船越 | 1987.12.31 |
6809 | 船越の大晦日行事3-3 | ゾウエンが終わり、アタラシキと言われる新年の祝詞を唱えるために、神殿前に向かう組長、船頭、相船頭。スライド枠には「63.1.1」「船越」の印が捺され、「〆縄を参り上に向う」「6」と記される。 | 志摩市大王町船越 | 1987.12.31 |
6810 | 船越のアタラシキ3-4 | 紙に記されたアタラシキの祝詞。風に飛ばされないように両側を丸い石で押さえてある。スライド枠には「63.1.1」「船越」の印が捺され、「13」と記される。 | 志摩市大王町船越 | 1988.1.1 |
6811 | 船越の火まつり3-5 | 神社の境内で火にあたりながらアタラシキの祝詞を聴く、参拝者と花襦袢姿の若者たち。スライド枠には「63.1.1」「船越」の印が捺され、「火に当たりながら下でさわぐ若者」「17」と記される。 | 志摩市大王町船越 | 1988.1.1 |
6812 | 船越の火まつり3-6 | 拝殿にお参りする花襦袢姿の若者たち。スライド枠には「63.1.1」「船越」の印が捺され、「あたらしき後の若者のおまいり」「24」と記される。 | 志摩市大王町船越 | 1988.1.1 |
6813 | 船越の火まつり3-7 | アタラシキが終わると、各家を回って「名のり」をする。これが済んでから、各家は若水揚げをするのである。スライド枠には「63.1.1」「船越」の印が捺され、「アターラシキ(明けぞめ)に向かう船頭衆」「20」と記される。 | 志摩市大王町船越 | 1988.1.1 |
6814 | 船越の火まつり3-8 | アタラシキが終わると、各家を回って「名のり」をする。これが済んでから、各家は若水揚げをするのである。スライド枠には「63.1.1」「船越」の印が捺され、「21」と記される。 | 志摩市大王町船越 | 1988.1.1 |
6815 | 船越の大晦日行事3-9 | 各家庭から持ち寄り、境内に積み上げられたオニサイギ。墨や黒いマジックで12本の線が引いてある。(閏年は13本)スライド枠には「鬼歳木」と記される。 | 志摩市大王町船越 | 1990.12.31 |
6816 | 船越の火まつり3-10 | 元旦の午前2時半ころ、前浜に積まれた柴木に点火し、若者が練り込んでくる午前4時過ぎまで、組長、役員や消防団員が少しずつ柴木を燃やしていく。スライド枠には「64.1.1」「船越」の印が捺され、「ノムラ写」「27」と記される。 | 志摩市大王町船越 | 1989.1.1 |
6817 | 船越の火まつり3-11 | 柴木の山に座り込む消防団員。スライド枠には「64.1.1」「船越」の印が捺され、「ノムラ写」「29」と記される。 | 志摩市大王町船越 | 1989.1.1 |
6818 | 船越の火まつり3-12 | 前浜に寝転んでじゃれ合う、花襦袢の若者たち。スライド枠には「64.1.1」「船越」の印が捺され、「39」と記される。 | 志摩市大王町船越 | 1989.1.1 |
6819 | 船越の火まつり3-13 | 柴木の山にくべるため柴木の束を運ぶ、花襦袢姿の若者たち。スライド枠には「64.1.1」「船越」の印が捺され、「44」と記される。 | 志摩市大王町船越 | 1989.1.1 |
6820 | 船越の火まつり3-14 | 柴木の束を持って「オメデトー」と言いながら叩き合う、花襦袢姿の若者たち。その間若者も加わって柴木をどんどん燃やす。スライド枠には「64.1.1」「船越」の印が捺され、「トトツリアイ」「49」と記される。 | 志摩市大王町船越 | 1989.1.1 |
6821 | 船越の火まつり3-15 | 勢いよく燃え上がる柴木の山。スライド枠には「64.1.1」「船越」の印が捺され、「トトツリアイ」「51」と記される。 | 志摩市大王町船越 | 1989.1.1 |
6822 | 船越の火まつり3-16 | 燃え上がる炎にハサバを突き込む、花襦袢姿の若者たち。スライド枠には「64.1.1」「船越」の印が捺され、「トトツリアイ」「53」と記される。 | 志摩市大王町船越 | 1989.1.1 |
6823 | 船越の火まつり3-17 | 燃え上がる炎にハサバを突き込む、花襦袢姿の若者たち。高く舞い上がる火の粉。 | 志摩市大王町船越 | 1991.1.1 |
6824 | 船越の火まつり3-18 | 燃え上がる炎にハサバを突き込む、花襦袢姿の若者たち。高く舞い上がる火の粉。スライド枠には「64.1.1」「船越」の印が捺され、「66」と記される。 | 志摩市大王町船越 | 1989.1.1 |
6825 | 船越の火まつり3-19 | 燃え上がる炎にハサバを突き込む、花襦袢姿の若者たち。高く舞い上がる火の粉。スライド枠には「64.1.1」「船越」の印が捺され、「67」と記される。 | 志摩市大王町船越 | 1989.1.1 |
6826 | 船越の火まつり4-1 | 燃え上がる炎にハサバを突き込む、花襦袢姿の若者たち。高く舞い上がる火の粉。スライド枠には「64.1.1」「船越」の印が捺され、「47」と記される。 | 志摩市大王町船越 | 1989.1.1 |
6827 | 船越の火まつり4-2 | 燃え上がる炎にハサバを突き込む、花襦袢姿の若者たち。高く舞い上がる火の粉。スライド枠には「64.1.1」「船越」の印が捺され、「68」と記される。 | 志摩市大王町船越 | 1989.1.1 |
6828 | 船越のアタラシキ4-3 | 船越神社境内のシイの木の前で神官のお祓いを受ける組長たち。この後アタラシキの祝詞が始まる。スライド枠には「船越」の印が捺され、「7」「使用せず」と記される。 | 志摩市大王町船越 | 1988.12.31 |
6829 | 船越のアタラシキ4-4 | アタラシキの祝詞を唱えるために、石段を上がり神殿前の広場に向かう組長たち。スライド枠には「船越」の印が捺され、「8」「使用せず」と記される。 | 志摩市大王町船越 | 1988.12.31 |
6830 | 船越のアタラシキ4-5 | アタラシキの祝詞を唱えるために整列し、0時の時報を待つ組長たち。手には扇子と提灯を持つ。スライド枠には「船越」の印が捺され、「あたらしき 0時 境内の名のり」「10」「使用せず」と記される。 | 志摩市大王町船越 | 1988.12.31 |
6831 | 古江の浜の祷5-1 | 古江町の正月行事で豊漁豊作を願う祭。元旦の朝10時から漁業協同組合前の魚市場で①漁業組合の表彰 ②祷人代理の口上 ③掛魚さばき ④代参のクジ引き ⑤ギッチョホイの儀式の順で行われる。 写真は元旦の午前0時過ぎ、「水ぶね」と呼ばれる貯水槽で「福汲もう、福汲もう」と3回文句を唱えながら、杓で3回水を汲みとる高齢の女性。「若水迎え」と呼ばれる。スライド枠には「1」「若水汲 フククモー」と記される。 | 尾鷲市古江町 | 1989.1.1 |
6832 | 古江の浜の祷5-2 | 除夜の鐘が鳴り、年が明けると神社で太鼓が打ち鳴らされる。スライド枠には「3」「神社の太鼓」と記される。 | 尾鷲市古江町 | 1989.1.1 |
6833 | 古江の浜の祷5-3 | 初日の出。スライド枠には「4」と記される。 | 尾鷲市古江町 | 1989.1.1 |
6834 | 古江の浜の祷5-4 | 日の出と同時に初日の出を拝む村びとは、手にミキスズを持ってお参りする。スライド枠には「5」「スズをもって行く」と記される。 | 尾鷲市古江町 | 1989.1.1 |
6835 | 古江の浜の祷5-5 | 元旦の朝、漁船の機関場に祀ってある船霊様にもオミキ・洗米・餅・ナマスなどを供える。スライド枠には「6」「ツヨという」と記される。 | 尾鷲市古江町 | 1989.1.1 |
6836 | 古江の浜の祷5-6 | 元旦の朝、漁船の機関場に祀ってある船霊様にもオミキ・洗米・餅・ナマスなどを供える。スライド枠には「7」と記される。 | 尾鷲市古江町 | 1989.1.1 |
6837 | 古江の浜の祷5-7 | 船のトモ綱取りにも門松として、榊・松を立て注連縄を張る。スライド枠には「8」「古江の舟玉飾り」と記される。 | 尾鷲市古江町 | 1989.1.1 |
6838 | 古江の浜の祷5-8 | 祷屋の座敷に供えられた塩漬けのカツオ2尾、タイ2尾、トンボシビ2尾。それぞれサカキを敷いたウオバチに入れられている。大晦日は「魚(うお)の番」といって、この魚の見張りをしながら宴会が行われる。スライド枠には「9」と記される。 | 尾鷲市古江町 | 1989.1.1 |
6839 | 古江の浜の祷5-9 | 祷屋の座敷に供えられていた3個のウオバチが魚市場に運ばれた。区長の挨拶後、前年度の水揚高の良かった漁師に功労の賞状が渡され、その後祷人代理がこれから料理して振舞う魚の名前をおり交ぜて「目出度い(タイ)云々召し上がれ」と口上を述べる。スライド枠には「10」と記される。 | 尾鷲市古江町 | 1989.1.1 |
6840 | 古江の浜の祷5-10 | 10時になると祭開始の寄せ太鼓が打ち鳴らされ、人びとが魚市場に集合してくる。スライド枠には「11」と記される。 | 尾鷲市古江町 | 1989.1.1 |
6841 | 古江の浜の祷5-11 | 区長から前年度の水揚げ高の良かった漁師に功労の賞状が渡される様子。スライド枠には「12」「表彰式」と記される。 | 尾鷲市古江町 | 1989.1.1 |
6842 | 古江の浜の祷5-12 | 魚市場の中央に、ウオバチに入れた塩漬けのカツオ2尾、タイ2尾、トンボシビ2尾を置き、区長の挨拶が行われる。スライド枠には「13」と記される。 | 尾鷲市古江町 | 1989.1.1 |
6843 | 古江の浜の祷5-13 | 魚市場の中央に置かれた、3個のウオバチ。その前には、それぞれまな板と包丁が置かれている。スライド枠には「14」と記され、「92.1.1」の印が捺されている。 | 尾鷲市古江町 | (1989.1.1) |
6844 | 古江の浜の祷5-14 | 祷人代理が、料理をして振舞う魚の名前をおり混ぜて口上を述べた後、ウオバチのカツオ、タイ、トンボシビが料理され、列席者に切身が配られる。写真は、まな板に置かれた魚。エラの部分にサカキの枝が挿してある。スライド枠には「古江」「15」「浜の祷 魚の調理」と記される。 | 尾鷲市古江町 | 1989.1.1 |
6845 | 古江の浜の祷5-15 | 祷人によって切身にされる魚。スライド枠には「16」と記される。 | 尾鷲市古江町 | 1989.1.1 |
6846 | 古江の浜の祷5-16 | 参列者に切身が配られる。スライド枠には「17」と記される。 | 尾鷲市古江町 | 1989.1.1 |
6847 | 古江の浜の祷5-17 | 板書された古江町会の戸主の名簿。列席者に切身が配られている間に、この名簿を基に熊野大社と伊勢神宮への代参者を決定するためのクジ引きが行われる。(板には、毎年12月1日より3月31日 夜警は12時半からお願いします 昭和59年12月1日)と記されていることから、この頃夜警が行われていたことがわかる。スライド枠には「19」「名簿の札」と記される。 | 尾鷲市古江町 | 1989.1.1 |
6848 | 古江の浜の祷5-18 | 参列者に切身を配る様子。大勢の人が写る。スライド枠には「18」と記される。 | 尾鷲市古江町 | 1989.1.1 |
6849 | 古江の浜の祷5-19 | 最後に「ギッチョホイ」が行われる。祷屋の座敷に供えられていたカズラの玉を、6本の樫棒で突いて跳ね上げる行事である。海と山に分かれた3人ずつ(計6人)の男性が、樫棒の先で「ギッチョホイ」の掛け声とともに、カズラの玉を跳ね上げてその年の吉兆を占う。スライド枠には「23」と記される。 | 尾鷲市古江町 | 1989.1.1 |
6850 | 古江の浜の祷6-1 | 最後に「ギッチョホイ」が行われる。祷屋の座敷に供えられていたカズラの玉を、6本の樫棒で突いて跳ね上げる行事である。海と山に分かれた3人ずつ(計6人)の男性が、樫棒の先で「ギッチョホイ」の掛け声とともに、カズラの玉を跳ね上げてその年の吉兆を占う。スライド枠には「20」と記され、「92.1.1」が捺される。 | 尾鷲市古江町 | 1989.1.1 |
6851 | 古江の浜の祷6-2 | 1回目は海側に飛ばし、2回目は山側に跳ね、3回目は再び海に跳ねる。海に落ちたカズラの玉。スライド枠には「92.1.1」の印が捺され、「22 古江浜の当」「21」と記される。 | 尾鷲市古江町 | 1989.1.1 |
6852 | 古江の浜の祷6-3 | 海に落ちたカズラの玉を拾うため、海に飛び込む男性。スライド枠には「92.1.1」の印が捺され、「22」と記される。 | 尾鷲市古江町 | 1989.1.1 |
6853 | 古江の浜の祷6-4 | 最後の4回目は、カズラの玉に刺身とオミキを供えて、再び海に跳ね飛ばす。海に落ちたカズラの玉を鯨に、樫棒を銛に見立てて突き刺し、鯨突き所作をして祭が終わる。スライド枠には「23 古江」「24」と記され、「92.1.1」の印が捺される。 | 尾鷲市古江町 | 1989.1.1 |
6854 | 古江の浜の祷6-5 | カズラの玉に突き刺さった樫棒。スライド枠には「25」「古江」「62.1.1 浜の当」と記される。 | 尾鷲市古江町 | 1989.1.1 |
6855 | 古江の浜の祷6-6 | 切身にされる魚。スライド枠には「浜の祷」「62.1.1」と記される。 | 尾鷲市古江町 | 1989.1.1 |
6856 | 古江の浜の祷6-7 | 石組みの「水ぶね」と呼ばれる貯水槽。裏山から流れ込む清水を受けて井戸代わりにしており、除夜の鐘が鳴ると町民が若水を汲みにくる。スライド枠には「2」「水ブネ 上に榊あり」「使用せず」と記される。 | 尾鷲市古江町 | 1989.1.1 |
6857 | 石鏡明寅神事7-1 | 明寅神事とは、祷人が12月13日の「札書の神事」の時に書いた、「祷番札」を5人年寄の内の2人と共に神社に上げに行く神事である。祷番札には「村方安全・大漁満足 年号 祷番3人の名」が記されている。元旦の午前4時に行われる。写真は籠り堂の囲炉裏の火。スライド枠には「2.1.1」の印が捺され、「石鏡」「1」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.1.1 |
6858 | 石鏡明寅神事7-2 | 神前に供える赤飯のおにぎり3個、神の膳、すいぎり(輪切りにした大根)、ローソク3本。スライド枠には「2.1.1」の印が捺され、「石鏡」「2」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.1.1 |
6859 | 石鏡明寅神事7-3 | 神社の石段を上る2人の祷人。紺地の着物を着て帯と細縄を巻き、頭には赤い鉢巻を巻いている。前を歩く祷人は神前に供える赤飯のおにぎり3個、神の膳、すいぎり(輪切りにした大根)、ローソク3本を、後に続く祷人は祷番札を持っている。スライド枠には「2.1.1」の印が捺され、「石鏡」「3」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.1.1 |
6860 | 石鏡明寅神事7-4 | 神前に手を合わせる1組の祷人夫婦。この後3組の祷人夫婦が、揃って神社の籠り堂へ行く。スライド枠には「2.1.1」の印が捺され、「石鏡」「4」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.1.1 |
6861 | 石鏡明寅神事7-5 | 籠り堂の中。裃姿の年寄が座っている後ろに「大漁」と書かれた弓張提灯を掛ける、祷人2人。スライド枠には「2.1.1」の印が捺され、「石鏡」「5」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.1.1 |
6862 | 石鏡明寅神事7-6 | 「大漁」と書かれた弓張提灯。スライド枠には「2.1.1」の印が捺され、「石鏡」「6」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.1.1 |
6863 | 石鏡明寅神事7-7 | 籠り堂の窓辺に立てられた3本のローソク。ローソクは1本灯す度に「ヨーヨー、ウオー」の鬨(とき)の声を発する。スライド枠には「2.1.1」の印が捺され、「石鏡 アケトラ」「7」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.1.1 |
6864 | 石鏡明寅神事7-8 | 籠り堂の窓辺に立てられた3本のローソク。ローソクを1本灯す度に「ヨーヨー、ウオー」の鬨(とき)の声を発する。大年寄が、大漁満足・村方安全を祈祷する間、祷人たちは後ろに控える。スライド枠には「2.1.1」の印が捺され、「石鏡」「8」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.1.1 |
6865 | 石鏡明寅神事7-9 | 3本のローソクを立てた後、「御納来(なおらい)があった」といい、籠り堂の囲炉裏の周りで、刺身・煮魚・くだもの・オミキ・茶などで小宴会をする。スライド枠には「2.1.1」の印が捺され、「石鏡」「9」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.1.1 |
6866 | 石鏡明寅神事7-10 | 籠り堂へ出向いてくれた裃姿の大年寄2人に、オミキを注ぐ祷人。肴として煮魚と刺身が出され、三献の盃事が行われる。スライド枠には「2.1.1」の印が捺され、「石鏡」「10」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.1.1 |
6867 | 石鏡明寅神事7-11 | 籠り堂へ出向いてくれた裃姿の大年寄2人に、オミキを注ぐ祷人。肴として煮魚と刺身が出され、三献の盃事が行われる。スライド枠には「2.1.1」の印が捺され、「石鏡」「11」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.1.1 |
6868 | 石鏡明寅神事7-12 | 籠り堂へ出向いてくれた裃姿の大年寄2人に、オミキを注ぐ祷人。肴として煮魚と刺身が出され、三献の盃事が行われる。スライド枠には「2.1.1」の印が捺され、「石鏡」「12」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.1.1 |
6869 | 石鏡明寅神事7-13 | 1人の祷人のアップ。スライド枠には「2.1.1」の印が捺され、「石鏡」「13」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.1.1 |
6870 | 石鏡明寅神事7-14 | 籠り堂で盃事をする祷人3人。スライド枠には「2.1.1」の印が捺され、「石鏡」「14」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.1.1 |
6871 | 石鏡明寅神事7-15 | 日の出前、村の女たちは竜宮参りをする。浜に行き、海の神と船霊様に、赤飯・ぜんざい・ナマス・オミキ・餅・串柿などをお供えする。スライド枠には「2.1.1」の印が捺され、「石鏡」「15」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.1.1 |
6872 | 石鏡明寅神事7-16 | 海の神と船霊様にお供えする、赤飯(下にウラジロが敷いてある)・ぜんざい(小豆と丸もち)・ナマス(大根、ニンジン、大豆、ナマコ)・オミキ・重ね餅・串柿(かき込めという意味)、イワシ一匹。スライド枠には「2.1.1」の印が捺され、「石鏡」「16」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.1.1 |
6873 | 石鏡明寅神事7-17 | 日の出前、神社の入口の子宝石にお参りし、洗米とオミキを供える主婦。子どもがいない人が子宝石をまたぐと子宝に恵まれるという伝承がある。また子どもがいる人は、健康に育つようにと願う。(2021.2.4 昭和19年生のトキエさんに聞き取り)スライド枠には「2.1.1」の印が捺され、「石鏡」「17」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.1.1 |
6874 | 石鏡明寅神事8-1 | 籠り堂の囲炉裏の火。スライド枠には「2.1.1」の印が捺され、「石鏡」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.1.1 |
6875 | 石鏡明寅神事8-2 | 神前に祷番札、赤飯のおにぎり、すいぎり(輪切りにした大根)を供える祷人3人。スライド枠には「2.1.1」の印が捺され、「石鏡」「使用せず」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.1.1 |
6876 | 石鏡明寅神事8-3 | 神前に供えられた祷番札、赤飯のおにぎり、すいぎり(輪切りにした大根)。スライド枠には「2.1.1」の印が捺され、「石鏡」「使用せず」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.1.1 |
6877 | 石鏡明寅神事8-4 | 籠り堂へ出向いてくれた裃姿の大年寄2人に、オミキを注ぐ祷人。肴として煮魚と刺身が出され、三献の盃事が行われる。スライド枠には「2.1.1」の印が捺され、「石鏡」「使用せず」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.1.1 |
6878 | 石鏡明寅神事8-5 | 2人の祷人。スライド枠には「2.1.1」の印が捺され、「石鏡」「使用せず」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.1.1 |
6879 | 石鏡明寅神事8-6 | 籠り堂の裃姿の大年寄2人。スライド枠には「2.1.1」の印が捺され、「石鏡」「使用せず」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.1.1 |
6880 | 安乗三棚神事9-1 | 宮山から切り出し、みかん数十個を挿したモチの木を倒した後、81枚のカワラケに盛った五穀を海に投じる。スライド枠には「1」と記される。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.1 |
6881 | 安乗三棚神事9-2 | 三棚神事は「御棚」とも表記され、鳥羽、志摩、南伊勢町でも行われる。中でも代表的なものは鳥羽市桃取と志摩市阿児町安乗で行われる神事である 安乗では元旦の朝、潮が八合ほど満ちる頃に合わせて、海の神(龍神)に1年間の大漁と豊漁を願う。 大老衆のかつぐ太鼓を先頭に、祷人と神官は「イヤモトの浜」という聖なる浜へ向かう。スライド枠には「2」と記される。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.1 |
6882 | 安乗三棚神事9-3 | 大年寄のかつぐ太鼓を先頭に、祷人と神官は「イヤモトの浜」という聖なる浜へ向かう。スライド枠には「3」と記される。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.1 |
6883 | 安乗三棚神事9-4 | 太鼓や祭具を持って、イヤモトの浜に到着した神官や大老衆等。スライド枠には「4」と記される。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.1 |
6884 | 安乗三棚神事9-5 | イヤモトの浜に着くと、波打ち際の神官の定めた場所に、宮山から切り出した1本のモチの木を立てる。スライド枠には「5」と記される。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.1 |
6885 | 安乗三棚神事9-6 | イヤモトの浜に着くと、波打ち際の神官の定めた場所に、宮山から切り出した1本のモチの木を立てる。スライド枠には「6」と記される。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.1 |
6886 | 安乗三棚神事9-7 | イヤモトの浜に立てたモチの木に、数十個のみかんを挿す。これを「みかんならし」又は「橘をはやす」とも言う。スライド枠には「7」「1/1 安乗 三棚」と記される。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.1 |
6887 | 安乗三棚神事9-8 | モチの木の前に祭壇を設ける。神事の準備が整い、海に向かって坐す神官の後ろ姿。スライド枠には「8」と記される。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.1 |
6888 | 安乗三棚神事9-9 | 風が当たらないようにテトラポットの陰で火をおこし、カナオ(サントク)の上にホウロクを乗せ海水を混ぜながら五穀を煎る大老衆。五穀とは、米・麦・粟・ヒエ・キビで龍神に捧げる供え物となる。スライド枠には「9」と記される。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.1 |
6889 | 安乗三棚神事9-10 | カナオ(サントク)の上の五穀のアップ。スライド枠には「10」と記される。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.1 |
6890 | 安乗三棚神事9-11 | 風が当たらないようにテトラポットの陰で火をおこし、カナオ(サントク)の上にホウロクを乗せ海水を混ぜながら五穀を煎る大老衆。その横で丸盆にカワラケを並べて五穀を盛り付ける準備をする。スライド枠には「11」と記される。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.1 |
6891 | 安乗三棚神事9-12 | 丸盆に並べられた五穀を盛りつけたカワラケ。1膳に9枚並べたものを9膳用意する。モチの木の細い枝を箸に見立て、それぞれのカワラケの上に置く。スライド枠には「12」「1/1 安乗」と記される。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.1 |
6892 | 安乗三棚神事9-13 | 丸盆に並べられた五穀を盛りつけたカワラケ。1膳に9枚並べたものを9膳用意する。モチの木の細い枝を箸に見立て、それぞれのカワラケの上に置く。スライド枠には「13」と記される。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.1 |
6893 | 安乗三棚神事9-14 | 丸盆に並べられた五穀を盛りつけたカワラケ。1膳に9枚並べたものを9膳用意する。モチの木の細い枝を箸に見立て、それぞれのカワラケの上に置く。スライド枠には「39」「1/1 安乗 三棚」と記される。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.1 |
6894 | 安乗三棚神事9-15 | 神官は高杯の上で火を焚いて、祝詞をあげ護摩をたくように五穀を振りかけながら龍神に捧げる食べ物を作る。これを「ミタナをたく」という。神火を焚く祭の最も重要な部分である。スライド枠には「15」と記される。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.1 |
6895 | 安乗三棚神事9-16 | 神官は高杯の上で火を焚いて、祝詞をあげ護摩をたくように五穀を振りかけながら龍神に捧げる食べ物を作る。これを「ミタナをたく」という。後方より撮影。スライド枠には「14」「三棚(安乗)」と記される。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.1 |
6896 | 安乗三棚神事9-17 | 風が強いのか、関係者がムシロを持ち、あるいは身を寄せ合って神官の周りを丸く囲んでいる。背後から撮影。スライド枠には「17」と記される。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.1 |
6897 | 安乗三棚神事9-18 | みかん数十個を挿したモチの木を倒した後、81枚のカワラケに盛った五穀を順に海に投じる。スライド枠には「18」と記される。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.1 |
6898 | 安乗三棚神事9-19 | みかん数十個を挿したモチの木を倒した後、81枚のカワラケに盛った五穀を順に海に投じる。スライド枠には「19」と記される。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.1 |
6899 | 安乗三棚神事10-1 | 神事を終え、高杯の上に残った松のじんを海に投じる神官。スライド枠には「20」と記される。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.1 |
6900 | 安乗三棚神事10-2 | 神事を終え、高杯の上に残った松のじんを海に投じる神官。スライド枠には「21」と記される。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.1 |
6901 | 安乗三棚神事10-3 | イヤモトの浜から沖を見る。スライド枠には「22」と記される。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.1 |
6902 | 安乗三棚神事10-4 | 風が強いのか、関係者がムシロを持ち、あるいは身を寄せ合って神官の周りを丸く囲み、神事を見守る関係者たち。スライド枠には「17」「使用せず」と記される。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.1 |
6903 | 安乗三棚神事10-5 | 風が強いのか、関係者がムシロを持ち、あるいは身を寄せ合って神官の周りを丸く囲み、神事を見守る関係者たち。スライド枠には「20」「使用せず」と記される。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.1 |
6904 | 安乗三棚神事10-6 | 高杯の上で護摩をたく神官。燃やしているのは松のジンである。スライド枠には「14」「使用せず」と記される。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.1 |
6905 | 安乗三棚神事10-7 | 風が強いのか、関係者がムシロを持ち、あるいは身を寄せ合って神官の周りを丸く囲み、神事を見守る関係者たち。スライド枠には「三棚神事 阿児町安乗」と記される。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.1 |
6906 | 石鏡みかん下がらし11-1 | 磯のワカメの繁殖を願い、クロゴメ(玄米)をワカメの種に見立てて、磯伝いに「ワカメー、ワカメー」と声を発しながら撒いていく祷人。スライド枠には「2.1.2」の印が捺され、「1」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.1.2 |
6907 | 石鏡みかん下がらし11-2 | 正月2日、石鏡の前浜で行う。上部に枝を少し残したまっすぐに伸びた三合松で7尺四方の祭壇を組む3人の祷人。紺地の着物を着て、帯の下に細い藁縄を巻き、頭には赤い鉢巻を巻いている。スライド枠には、「2.1.2」の印が捺され、「石鏡」「②」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.1.2 |
6908 | 石鏡みかん下がらし11-3 | 正月2日、石鏡の前浜で行う。上部に枝を少し残したまっすぐに伸びた三合松で、7尺四方の祭壇を組む4人の祷人。紺地の着物を着て、帯の下に細い藁縄を巻き、頭には赤い鉢巻を巻いている。スライド枠には、「2.1.2」の印が捺され、「石鏡」「③」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.1.2 |
6909 | 石鏡みかん下がらし11-4 | 三合松で組んだ棚の上部に、注連縄を張る。スライド枠には、「2.1.2」の印が捺され、「石鏡」「④」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.1.2 |
6910 | 石鏡みかん下がらし11-5 | 三合松で組んだ棚の上部に、注連縄を張り、紙垂の間にミカンを吊り下げる。スライド枠には、「2.1.2」の印が捺され、「石鏡」「5」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.1.2 |
6911 | 石鏡みかん下がらし11-6 | 下の供物棚には、12個のイノカイの貝殻に、スイギリモンと呼ぶ輪切りの大根と,小麦粉を海水で練ったものが供えられる。スライド枠には、「2.1.2」の印が捺され、「6」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.1.2 |
6912 | 石鏡みかん下がらし11-7 | 指導を仰ぐ年寄2人の手土産にする果物・魚。スライド枠には、「2.1.2」の印が捺され、「7」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.1.2 |
6913 | 石鏡みかん下がらし11-8 | 祷人は、棚が完成すると年寄に使いを出す。年寄の内、2人が裃姿で来場する。スライド枠には、「2.1.2」の印が捺され、「8」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.1.2 |
6914 | 石鏡みかん下がらし11-9 | 年寄は棚の検査を行い、不備がないことを確認して行事が始まる。スライド枠には、「2.1.2」の印が捺され、「9」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.1.2 |
6915 | 石鏡みかん下がらし11-10 | まず最初にモミ火で火をおこし、ホウロクでクロゴメ(玄米)を煎る。スライド枠には、「2.1.2」の印が捺され、「10」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.1.2 |
6916 | 石鏡みかん下がらし11-11 | ホウロクとワラ製の鍋つかみ、1升桝に入れた玄米。スライド枠には、「2.1.2」の印が捺され、「11」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.1.2 |
6917 | 石鏡みかん下がらし11-12 | まず最初にモミ火で火をおこし、ホウロクでクロゴメ(玄米)を炒る。スライド枠には、「2.1.2」の印が捺され、「石鏡」「12」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.1.2 |
6918 | 石鏡みかん下がらし11-13 | 炒ったクロゴメを一升桝に移し替える、年寄2人。スライド枠には、「2.1.2」の印が捺され、「石鏡」「13」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.1.2 |
6919 | 石鏡みかん下がらし11-14 | 祭は海に向かって行われ、東に供物棚を設け、それに向かって「村方安全、大漁満足、仕合せ吉(よし)」と祝の言葉が唱えられる。スライド枠には、「2.1.2」の印が捺され、「石鏡」「14」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.1.2 |
6920 | 石鏡みかん下がらし11-15 | 儀式が終わると、祷人はめでたく終わったことを祝い、年寄を接待する。スライド枠には、「2.1.2」の印が捺され、「石鏡」「16」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.1.2 |
6921 | 石鏡みかん下がらし11-16 | 杯事が済むと、年寄はお供えの品々をいただき、帰って行く。スライド枠には、「2.1.2」の印が捺され、「16」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.1.2 |
6922 | 石鏡みかん下がらし11-17 | 祷人は、紺地の着物の上に裃の上だけを着用して、年寄が炒ったクロゴメ(玄米)を桝に入れて、天神下の海に向かう。スライド枠には、「2.1.2」の印が捺され、「17」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.1.2 |
6923 | 石鏡みかん下がらし11-18 | 磯のワカメの繁殖を願い、クロゴメ(玄米)をワカメの種に見立てて、磯伝いに「ワカメー、ワカメー」と声を発しながら撒いていく祷人。スライド枠には、「2.1.2」の印が捺され、「19」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.1.2 |
6924 | 石鏡みかん下がらし12-1 | 磯のワカメの繁殖を願い、クロゴメ(玄米)をワカメの種に見立てて、磯伝いに「ワカメー、ワカメー」と声を発しながら撒いていく祷人。スライド枠には、「2.1.2」の印が捺され、「石鏡」「20」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.1.2 |
6925 | 石鏡みかん下がらし12-2 | 石鏡は海に対する信仰が篤く、行事がある日は、必ず「船霊しんぜ」と言って海の神に供え物をする。オミキ・アズキ飯・伊勢えび・餅・串柿を入れた膳を持って、船霊様、竜宮様に供え物をして回る女性。スライド枠には、「2.1.2」の印が捺され、「石鏡」「23」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.1.2 |
6926 | 石鏡みかん下がらし12-3 | 船霊様と竜宮様にお供えする、赤飯・ぜんざい・ナマス・オミキ・餅・串柿。スライド枠には「2.1.1」の印が捺され、「石鏡」「24」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.1.2 |
6927 | 石鏡みかん下がらし12-4 | 船霊様と竜宮様にお供えする、赤飯・ぜんざい・ナマス・オミキ・餅・串柿。スライド枠には「2.1.1」の印が捺され、「石鏡」「25」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.1.2 |
6928 | 石鏡みかん下がらし12-5 | 磯のワカメの繁殖を願い、クロゴメ(玄米)をワカメの種に見立てて、磯伝いに「ワカメー、ワカメー」と声を発しながら撒いていく祷人の後ろ姿。スライド枠には、「2.1.2」の印が捺され、「22」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.1.2 |
6929 | 石鏡みかん下がらし12-6 | 磯のワカメの繁殖を願い、クロゴメ(玄米)をワカメの種に見立てて、磯伝いに「ワカメー、ワカメー」と声を発しながら撒いていく祷人。スライド枠には、「2.1.2」の印が捺され、「21」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.1.2 |
6930 | 石鏡みかん下がらし12-7 | 儀式が終わると、祷人はめでたく終わったことを祝い、年寄を接待する。スライド枠には、「2.1.2」の印が捺され、「石鏡」「15」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.1.2 |
6931 | 立神ヒッポロ神事13-1 | 宇気比神社の境内で舞う獅子。舞いは境内に設けられた宮中の中、アマダレの外、鳥舞の前、酒場の前、ヤマ(鳥居横の見物人の前)、東の鳥居の順で行われる。辺りはすっかり闇に覆われている。スライド枠には「立神ヒッポロ神事」「1」と記される。 | 志摩市阿児町立神 | 1988.1.3 |
6932 | 立神ヒッポロ神事13-2 | 夕闇の中、掛け物のかかった「小屋場」前に座る鳥の舞役の2人。祷番中の長老2人が務め、素襖、烏帽子姿で主に寺方の接待に当たる。向かって左後方の「酒場」の周りには神事の参加者が集まっている。スライド枠には「2」と記される。 | 志摩市阿児町立神 | 1988.1.3 |
6933 | 立神ヒッポロ神事13-3 | 一通りの舞いをすませ宮中に戻り、頭を奥にして休む雌雄の獅子。それぞれのうしろにコトリ(天狗)が座る。向かって左隅に楽士、右奥の獅子殿の前に神官が座る。スライド枠には「3」と記される。 | 志摩市阿児町立神 | 1988.1.3 |
6934 | 立神ヒッポロ神事13-4 | 掛け物のかかった「小屋場」前に座る鳥の舞役の2人。スライド枠には「4」と記される。 | 志摩市阿児町立神 | 1988.1.3 |
6935 | 立神ヒッポロ神事13-5 | 甘酒を煮る釜の火をみる白装束のトウジ。トウジは祷番の中で3番目の長老者(1人)が当たる。スライド枠には「立神」 「2.1.3」の印が捺され、「5」と記される。 | 志摩市阿児町立神 | 1990.1.3 |
6936 | 立神ヒッポロ神事13-6 | 夕刻、準備が整った会場(境内)に「少林寺」と「本福寺」の提灯を手にした寺方が入場する。スライド枠には「立神」「2.1.3」の印が捺され、「6」と記される。 | 志摩市阿児町立神 | 1990.1.3 |
6937 | 立神ヒッポロ神事13-7 | 一通りの舞いをすませ宮中に戻り、九人衆の前で舞う獅子。向かって左隅に楽士が写る。スライド枠には「立神」「2.1.3」の印が捺され、「7」と記される。 | 志摩市阿児町立神 | 1990.1.3 |
6938 | 立神ヒッポロ神事13-8 | 1番おこし。太鼓、笛の奏楽に合わせ、宮中の前で体を左にねじるように3回ゆすりながら舞い始める獅子。スライド枠には「1番おこし」「8」と記される。 | 志摩市阿児町立神 | 1988.1.3 |
6939 | 立神ヒッポロ神事13-9 | 2人のコトリ(天狗)が獅子の前で踊り、宮中に向いて真っすぐ向いた2匹の獅子の前をスキップを踏みながら駆け走る。スライド枠には「9」と記される。 | 志摩市阿児町立神 | 1988.1.3 |
6940 | 立神ヒッポロ神事13-10 | 一通りの舞いをすませ宮中に戻り、頭を奥にして休む雌雄の獅子。それぞれのうしろにコトリ(天狗)が座る。正面に4人の九人衆、向かって左隅に楽士、右奥の獅子殿の前に神官が座る。スライド枠には「休み」「10」と記される。 | 志摩市阿児町立神 | 1988.1.3 |
6941 | 立神ヒッポロ神事13-11 | ヤマ(鳥居横の見物人の前)で舞う獅子。(原因は不明であるが光の輪が写り込んでいる。)スライド枠には「11」と記される。 | 志摩市阿児町立神 | 1988.1.3 |
6942 | 立神ヒッポロ神事13-12 | 若衆仲間の宝物ともいわれる笹竹に白紙や掛け物を吊るした「大幣」を宇気比神社に運ぶ若衆。紋付き袴を着て5番おこしの舞いが終わるころ入場する。若衆は15歳以上の若者で、任意に参加できるので人数は年により変わる。スライド枠には「12」と記される。 | 志摩市阿児町立神 | 1988.1.3 |
6943 | 立神ヒッポロ神事13-13 | 「鳥場」の若衆が「○○に申す。当年のオミキ(甘酒)がいただきとうござる。」と言うと、「ハゼ場」の指名された若者が「ハーイ」と言って日の丸扇子を持って広場に出て「くわーせ」と応答する。それに対して鳥場から「持たーせ」と再び呼びかけがあり、それに「飲まーせ」と答える。これを数回繰り返す。スライド枠には「立神」「2.1.3」の印が捺され、「13」と記される。 | 志摩市阿児町立神 | 1990.1.3 |
6944 | 立神ヒッポロ神事13-14 | 「パッパの火」(タバコの火)を運ぶハゼ場の若衆。裃を着用している。パッパの火はアワビ貝に酒場のカマドからとった炭をいれる。スライド枠には「14」と記される。 | 志摩市阿児町立神 | 1988.1.3 |
6945 | 立神ヒッポロ神事13-15 | 「パッパの火」(タバコの火)を運ぶハゼ場の若衆。裃を着用している。パッパの火はアワビ貝に酒場のカマドからとった炭をいれる。スライド枠には「15」と記される。 | 志摩市阿児町立神 | 1988.1.3 |
6946 | 立神ヒッポロ神事13-16 | 杓を手にして鳥場の若衆に応答するトウジ。白装束である。トウジは、祷番の中で3番目の長老者(1名)が勤める。スライド枠には「立神」「2.1.3」の印が捺され、「16」と記される。 | 志摩市阿児町立神 | 1990.1.3 |
6947 | 立神ヒッポロ神事13-17 | 鳥場の若い衆と寺方に5献の盃が通ったか伺いをする5人の素襖着。スライド枠には「17」と記される。 | 志摩市阿児町立神 | 1988.1.3 |
6948 | 立神ヒッポロ神事13-18 | 「ククメモノ(女竹束)」をくわえた獅子を見る3組の孫娘とおばあちゃん。スライド枠には「18」と記される。 | 志摩市阿児町立神 | 1988.1.3 |
6949 | 立神ヒッポロ神事13-19 | 「鳥竿すり」は大幣を地面をするように回す。その間鳥場の若衆はハゼ場で焼かれるワラ山の火に突っ込んで、敷物やワラ束で盛んに叩き消そうとする。火を消し鳥場に若衆が引き上げると、ハゼ場の若衆は再び火を点け、火の手を上げる。この繰り返しがしばらく続く。スライド枠には「立神」「2.1.3」の印が捺され、「19」と記される。 | 志摩市阿児町立神 | 1990.1.3 |
6950 | 立神ヒッポロ神事14-1 | ハゼ場で焼かれるワラ山の火に突っ込んで、敷物やワラ束で盛んに叩き消そうしている鳥場の若衆。火を消し鳥場に若衆が引き上げると、ハゼ場の若衆は再び火を点け、火の手を上げる。この繰り返しがしばらく続く。スライド枠には「20」と記される。 | 志摩市阿児町立神 | 1988.1.3 |
6951 | 立神ヒッポロ神事14-2 | ハゼ場で焼かれるワラ山の火に突っ込んで、敷物やワラ束で盛んに叩き消そうしている鳥場の若衆。火を消し鳥場に若衆が引き上げると、ハゼ場の若衆は再び火を点け、火の手を上げる。この繰り返しがしばらく続く。スライド枠には「立神」「2.1.3」の印が捺され、「21」と記される。 | 志摩市阿児町立神 | 1990.1.3 |
6952 | 立神ヒッポロ神事14-3 | 「大幣」を回す笹竿すり。その前面では獅子が太鼓の拍子に合わせて動く。スライド枠には「22」と記される。 | 志摩市阿児町立神 | 1988.1.3 |
6953 | 立神ヒッポロ神事14-4 | 「大幣」を回す笹竿すり。スライド枠には「63.1.3」の印が捺され、「23」と記される。 | 志摩市阿児町立神 | 1988.1.3 |
6954 | 立神ヒッポロ神事14-5 | 「オッコミ」。宮中より神職が獅子の所へ出向き、宮中からは鳥の舞役の2人がくわえ紙をし、弊のようなもので3回ほど獅子を招く所作をする。すると獅子は太鼓の拍子に合わせて動き出し、東から宮中へ、宮中から東へ、更にまた宮中前に走って行き、獅子頭を3回下げお礼をする。最後は鳥場の前に走って行き、同様に3回お礼をすると、鳥場の若衆の追い込みに合って宮中に駆け込む。 写真はくわえ紙をし、弊のようなもので3回ほど獅子を招く所作をする、2人の鳥の舞い役。スライド枠には「24」と記される。 | 志摩市阿児町立神 | 1988.1.3 |
6955 | 立神ヒッポロ神事14-6 | 「獅子殿」に獅子を納める九人役。スライド枠には「シシオサメ」「25」と記される。 | 志摩市阿児町立神 | 1988.1.3 |
6956 | 小方竃方祭15-1 | 竃方祭とは、平家の落人伝説のある「竃方」と呼ばれる8ケ村(現在は7ケ村)の人々がその絆を確かめ合うために、南北朝時代から江戸時代の御証文(県文化財指定)を改め、次の保管村に引き渡す行事である。写真は小方竃から御証文を受け取り、帰路に就く棚橋竈の総代一行の後ろ姿。裃を着用している。(2021年3月26日:小方竃区長 野村氏より聞き取り)スライド枠には「63.1.3」の印が捺され、「見送る小方の人々」「1」と記される。 | 度会郡南伊勢町小方竃 | 1988.1.3 |
6957 | 小方竃方祭15-2 | 行事は一年間証文を守ってきた村の会所で行う。会所に設けられた祭壇。御証文箱、弓矢と的、掛けの魚、オミキ、イセエビ、魚、串柿、野菜などが供えられている。スライド枠には「祭壇」「2」と記される。 | 度会郡南伊勢町小方竃 | 1988.1.3 |
6958 | 小方竃方祭15-3 | 注連縄を張った御証文箱。スライド枠には「御証文箱」「3」と記される。 | 度会郡南伊勢町小方竃 | 1988.1.3 |
6959 | 小方竃方祭15-4 | スライド枠には「掛魚のタカノハダイ」「4」と記される。 | 度会郡南伊勢町小方竃 | 1988.1.3 |
6960 | 小方竃方祭15-5 | 朝10時、次の一年間御証文を預かる村、棚橋竈の総代一行5人が到着する。一行が小方竃の入口にある橋に差し掛かると、棚橋竃の鉄砲打ちが2~3発空砲を鳴らす。村の入口に到着した合図の鉄砲である。スライド枠には「受けに一行が到着する」「5」と記される。 | 度会郡南伊勢町小方竃 | 1988.1.3 |
6961 | 小方竃方祭15-6 | 棚橋竈の総代一行が村に入ると、小方竈の鉄砲打ちが合図の空砲を撃つ。スライド枠には「到着の合図を知らせる鉄砲」「6」と記される。 | 度会郡南伊勢町小方竃 | 1988.1.3 |
6962 | 小方竃方祭15-7 | 会所に向かう、裃姿の総代一行。スライド枠には「7」と記される。 | 度会郡南伊勢町小方竃 | 1988.1.3 |
6963 | 小方竃方祭15-8 | 総代列席のもと、お祓い、祝詞奏上、玉串奉典の式が行われ、その後絆を確かめ合う盃事が行われる。スライド枠には「8」と記される。 | 度会郡南伊勢町小方竃 | 1988.1.3 |
6964 | 小方竃方祭15-9 | 証文改めの式。御証文箱の注連縄を解き、鍵を開ける。スライド枠には「御証文箱をあける小方カマ」「9」と記される。 | 度会郡南伊勢町小方竃 | 1988.1.3 |
6965 | 小方竃方祭15-10 | 証文改めの式。御証文箱の注連縄を解き、鍵を開ける。身を乗り出す、総代たち。スライド枠には「10」と記される。 | 度会郡南伊勢町小方竃 | 1988.1.3 |
6966 | 小方竃方祭15-11 | 証文改めの式。一年ぶりに披露され、封印されていた御証文を全員で検閲する。スライド枠には「改め」「11」と記される。 | 度会郡南伊勢町小方竃 | 1988.1.3 |
6967 | 小方竃方祭15-12 | 続いて、桝改めをする。一升桝に米を入れて桝の容量を検査する。その後桝渡しの式が行われる。スライド枠には「63.1.3」の印が捺され、「12」と記される。 | 度会郡南伊勢町小方竃 | 1988.1.3 |
6968 | 小方竃方祭15-13 | 証文は再び御証文箱に納められ、立会人によって封印される。スライド枠には「63.1.3」の印が捺され、「13」と記される。 | 度会郡南伊勢町小方竃 | 1988.1.3 |
6969 | 小方竃方祭15-14 | 証文は再び御証文箱に納められ、立会人によって封印される。スライド枠には「63.1.3」の印が捺され、「14」と記される。 | 度会郡南伊勢町小方竃 | 1988.1.3 |
6970 | 小方竃方祭15-15 | 御証文が次の保管村である棚橋竈へ出発する時、両村の鉄砲打ち2人が合図の空砲を撃つ。スライド枠には「63.1.3」の印が捺され、「出発合図の鉄砲」「15」と記される。 | 度会郡南伊勢町小方竃 | 1988.1.3 |
6971 | 小方竃方祭15-16 | 会所の祭壇に供えられていた、弓と的(「神の的」と呼ばれる)、掛けの魚、イセエビも次の村へ引き渡される。スライド枠には「63.1.3」の印が捺され、「的持」「16」と記される。神の的の反対側には、「鬼」の文字が書かれている。 | 度会郡南伊勢町小方竃 | 1988.1.3 |
6972 | 小方竃方祭15-17 | 再び注連縄が張られ、1人の総代に担がれて出発する御証文箱。スライド枠には「63.1.3」の印が捺され、「17」と記される。 | 度会郡南伊勢町小方竃 | 1988.1.3 |
6973 | 小方竃方祭15-18 | 小方竃から御証文を受け取り、帰路に就く棚橋竈の総代一行の後ろ姿。裃を着用している。スライド枠には「63.1.3」の印が捺され、「釜方祭」「18」と記される。 | 度会郡南伊勢町小方竃 | 1988.1.3 |
6974 | 桃取三棚神事16-1 | 桃取町では三棚神事を「ミタラサン・ミタロウサン(三太郎さん)」あるいは「竜神祭」ともいう。年頭に当たって、海の神に供え物をして、三棚祭文を読み上げ、村人の1年間の無病息災を祈る神事である。写真は三宝に和紙を敷き、ニンジン、ゴボウ、キュウリを山盛りし、麻苧で結わえた神饌。スライド枠には「7」と記される。 | 鳥羽市桃取町 | 1987.1.3 |
6975 | 桃取三棚神事16-2 | 神饌(三宝にのせた生のワカメ、茹でたタコ)。スライド枠には「8」と記される。 | 鳥羽市桃取町 | 1987.1.3 |
6976 | 桃取三棚神事16-3 | 漁業組合前の広場に祭棚を組み、注連縄を張る。祭棚にはタコ、ミカン、ノリ、ゴボウ、ワカメ、タイ、モチ、オミキが供えられる。漁業組合役員参加のもと、神官より三棚祭文が読み上げられた後、玉串奉奠が始まる。スライド枠には「15」と記される。 | 鳥羽市桃取町 | 1987.1.3 |
6977 | 桃取三棚神事16-4 | 奉奠された玉串は、龍神様にお供えをする意味で、西の浜にある「コシキ島」に流す。スライド枠には「20」と記される。 | 鳥羽市桃取町 | 1987.1.3 |
6978 | 桃取三棚神事16-5 | 神事の後、オミキをいただく村びと。スライド枠には「22」と記される。 | 鳥羽市桃取町 | 1987.1.3 |
6979 | 桃取三棚神事16-6 | 桃取漁港遠景。何隻もの漁船に立てられた大漁旗が風にはためく。スライド枠には「25」と記される。 | 鳥羽市桃取町 | 1987.1.3 |
6980 | 桃取三棚神事16-7 | 漁業組合前の広場に祭棚を組み、注連縄を張る。祭棚にはタコ、ミカン、ノリ、ゴボウ、ワカメ、タイ、モチ、オミキが供えられる。漁業組合役員参加のもと、神官より三棚祭文が読み上げられる。神官の後ろでは、白装束の雅人(がちびと)といわれる村の接待役5人が低頭している。スライド枠には「1」と記される。 | 鳥羽市桃取町 | 1987.1.3 |
6981 | 桃取三棚神事17-1 | 折り敷に入れたお供え物を持って船魂にお参りする主婦。スライド枠には「2」と記される。 | 鳥羽市桃取町 | 1987.1.3 |
6982 | 桃取三棚神事17-2 | お供え物(オミキ・赤飯・ナマス・重ね餅・シイノ木を削った箸)のアップ。スライド枠には「3」と記される。 | 鳥羽市桃取町 | 1987.1.3 |
6983 | 桃取三棚神事17-3 | 庭先にゴザを敷き、その上で注連縄の縄を綯う雅人(がちびと)の2人。スライド枠には「4」と記される。 | 鳥羽市桃取町 | 1987.1.3 |
6984 | 桃取三棚神事17-4 | 注連縄に紙垂を付ける、雅人(がちびと)の1人。スライド枠には「5」と記される。 | 鳥羽市桃取町 | 1987.1.3 |
6985 | 桃取三棚神事17-5 | 漁業組合前の広場に、注連縄を張る準備をする5人の雅人(がちびと)。スライド枠には「6」と記される。 | 鳥羽市桃取町 | 1987.1.3 |
6986 | 桃取三棚神事17-6 | 神饌(三宝にのせた茹でたタコ、腹合わせの2匹のタイ)。スライド枠には「9」と記される。 | 鳥羽市桃取町 | 1987.1.3 |
6987 | 桃取三棚神事17-7 | 漁業組合前の広場に祭棚を組み、注連縄を張る。祭棚にはタコ、ミカン、ノリ、ゴボウ、ワカメ、タイ、モチ、オミキが供えられる。漁業組合役員参加のもと、神官より三棚祭文が読み上げられる。神官の後ろでは、白装束の雅人(がちびと)といわれる村の接待役5人が低頭している。スライド枠には「10」と記される。 | 鳥羽市桃取町 | 1987.1.3 |
6988 | 桃取三棚神事17-8 | 祭棚の前で桐箱から三棚祭文を出す神官。スライド枠には「11」と記される。 | 鳥羽市桃取町 | 1987.1.3 |
6989 | 桃取三棚神事17-9 | 三棚祭文(部分)。天保年間に写したものと伝えられる。スライド枠には「12」と記される。 | 鳥羽市桃取町 | 1987.1.3 |
6990 | 桃取三棚神事17-10 | 三棚祭文を読み上げる神官。スライド枠には「13」と記される。 | 鳥羽市桃取町 | 1987.1.3 |
6991 | 桃取三棚神事17-11 | 玉串を奉奠する漁業組合役員。スライド枠には「14」と記される。 | 鳥羽市桃取町 | 1987.1.3 |
6992 | 桃取三棚神事17-12 | 玉串奉奠。スライド枠には「16」と記される。 | 鳥羽市桃取町 | 1987.1.3 |
6993 | 桃取三棚神事17-13 | 雅人(がちびと)による撤饌。沢山の人びとが見守る。スライド枠には「17」と記される。 | 鳥羽市桃取町 | 1987.1.3 |
6994 | 桃取三棚神事17-14 | 「コシキ島」と言われる岩礁地へ流すため、奉奠された玉串を持って西の浜へ向かう関係者。スライド枠には「18」と記される。 | 鳥羽市桃取町 | 1987.1.3 |
6995 | 桃取三棚神事17-15 | 「コシキ島」と言われる岩礁地へ玉串を流すため、西の浜の堤防に上る。スライド枠には「19」と記される。 | 鳥羽市桃取町 | 1987.1.3 |
6996 | 桃取三棚神事17-16 | 神事が終わり、オミキをいただく関係者。オミキを注ぐのは雅人(がちびと)である。スライド枠には「23」と記される。 | 鳥羽市桃取町 | 1987.1.3 |
6997 | 桃取三棚神事17-17 | 神事が終わり、オミキをいただく関係者。オミキを注ぐのは雅人(がちびと)である。スライド枠には「21」と記される。 | 鳥羽市桃取町 | 1987.1.3 |
6998 | 桃取三棚神事17-18 | 一般の人がオミキをいただく中、注連縄を外し始める。スライド枠には「24」と記される。 | 鳥羽市桃取町 | 1987.1.3 |
6999 | 安乗人形芝居5-2-1 | 阿児町安乗では、人形芝居を「デコ(木偶)シバイ」と呼び、多くの変遷を経ながら安乗神社の祭礼行事として、400年以上もの長い間伝承されてきた。№6999~7099の写真は、「年配の師匠たちと共に、伝統文化を守ろうする中学生に心を打たれ撮影した。」という。(撮影者談:2021年2月24日)※写真の内容については、安乗人形芝居保存会役員の方からご教示いただいた。(2021年3月23日) 写真は、薄暗い舞台裏で出番を待つ中学生。 | 志摩市阿児町安乗 | 1979.9.15 |
7000 | 安乗人形芝居5-2-2 | 薄暗い舞台裏で出番を待つ中学生。 | 志摩市阿児町安乗 | 1979.9.15 |
7001 | 安乗人形芝居5-3-1 | 薄暗い舞台裏で出番を待つ中学生。 | 志摩市阿児町安乗 | 1979.9.15 |
7002 | 安乗人形芝居5-3-2 | 薄暗い舞台裏で出番を待つ中学生。 | 志摩市阿児町安乗 | 1979.9.15 |
7003 | 安乗人形芝居5-3-3 | 舞台袖で、中学生の演技を見守る遣い手の1人。 | 志摩市阿児町安乗 | 1979.9.15 |
7004 | 安乗人形芝居5-3-4 | 舞台裏で人形の準備をする男子中学生。その前には、武士の頭がぶら下げられている。演目は、勢州阿漕浦である。 | 志摩市阿児町安乗 | 1979.9.15 |
7005 | 安乗人形芝居5-3-5 | 衣装を着けた頭(かしら)。1つの頭が衣装を変えて、たくさんの役を演じる。 | 志摩市阿児町安乗 | 1979.9.15 |
7006 | 安乗人形芝居6-1-1 | 舞台裏で出番を待つ「遣い手のジイ」。 | 志摩市阿児町安乗 | 1979.9.15 |
7007 | 安乗人形芝居6-1-2 | 舞台裏で人形の衣装を整える遣い手の爺(ジイ)と男子中学生。撮影者の野村氏によると、これらはあえてモノクロで撮ったという。人形の遣い方を指導する老人(遣い手)と真剣に指導を受ける中学生の眼差しが印象的で、両者のつながりを際立たせるためにモノクロを選んだそうだ。「教え方はきつかった。子どもがよう頑張っとるなと思って撮った」という。画像№7004の人物を後方から撮影したもの。(「岬に響く 安乗の暮らし写真展」報告書より) | 志摩市阿児町安乗 | 1979.9.15 |
7008 | 安乗人形芝居6-1-3 | 舞台裏で人形の衣装を整える遣い手の爺(ジイ)と男子中学生。撮影者の野村氏によると、これらはあえてモノクロで撮ったという。人形の遣い方を指導する老人(遣い手)と真剣に指導を受ける中学生の眼差しが印象的で、両者のつながりを際立たせるためにモノクロを選んだそうだ。「教え方はきつかった。子どもがよう頑張っとるなと思って撮った」という。画像№7004の人物を後方から撮影したもの。(「岬に響く 安乗の暮らし写真展」報告書より) | 志摩市阿児町安乗 | 1979.9.15 |
7009 | 安乗人形芝居6-1-4 | 出番を待つ人形(ヤッコさん)。 | 志摩市阿児町安乗 | 1979.9.15 |
7010 | 安乗人形芝居6-1-5 | 舞台裏で人形の衣装を整える遣い手の爺(ジイ)と男子中学生。撮影者の野村氏によると、これらはあえてモノクロで撮ったという。人形の遣い方を指導する老人(遣い手)と真剣に指導を受ける中学生の眼差しが印象的で、両者のつながりを際立たせるためにモノクロを選んだそうだ。「教え方はきつかった。子どもがよう頑張っとるなと思って撮った」という。画像№7004の人物を後方から撮影したもの。(「岬に響く 安乗の暮らし写真展」報告書より) | 志摩市阿児町安乗 | 1979.9.15 |
7011 | 安乗人形芝居6-1-6 | 舞台裏で、遣い手のジイと人形の衣装を整える男子中学生。№7004の人物を後方から撮影。 | 志摩市阿児町安乗 | 1979.9.15 |
7012 | 安乗人形芝居6-2-1 | 舞台裏で、遣い手のジイと人形の衣装を整える中学生たち。 | 志摩市阿児町安乗 | 1979.9.15 |
7013 | 安乗人形芝居6-2-2 | 民家の塀に座り、たこ焼きをほおばる3人の少女。 | 志摩市阿児町安乗 | 1979.9.15 |
7014 | 安乗人形芝居6-2-3 | 舞台裏で人形の支度を手伝う女性。 | 志摩市阿児町安乗 | 1979.9.15 |
7015 | 安乗人形芝居6-2-4 | 出番を待つ人形。 | 志摩市阿児町安乗 | 1979.9.15 |
7016 | 安乗人形芝居6-2-5 | 舞台裏の壁にぶら下げられた人形の手、足、小道具。 | 志摩市阿児町安乗 | 1979.9.15 |
7017 | 安乗人形芝居6-2-6 | 舞台裏の壁にぶら下げられた人形の手、足、小道具。 | 志摩市阿児町安乗 | 1979.9.15 |
7018 | 安乗人形芝居6-3-1 | 舞台裏で出番を待つ遣い手のジイ。№7006と同一人物。 | 志摩市阿児町安乗 | 1979.9.15 |
7019 | 安乗人形芝居6-3-2 | 人形芝居の舞台。右隅に満月が半分写る。 | 志摩市阿児町安乗 | 1979.9.15 |
7020 | 安乗人形芝居6-3-3 | 練習用の人形の頭、手、足。 | 志摩市阿児町安乗 | 1979.9.15 |
7021 | 安乗人形芝居6-3-4 | 安乗神社例大祭では、舞台で人形芝居が奉納される。安土桃山時代から 400年以上にわたり伝えられている。日程は、現在(2023年)は9月中旬の土日である。人形芝居は大正後期から戦後しばらくまで中断されていたが、大阪の文楽座が安乗神社で上演したことを機に、再興の機運が高まった。人形芝居は保存会だけでなく住民皆にとっても今も大切な祭りである。写真は、神社境内にある人形芝居の舞台裏で準備をする遣い手の爺(ジイ)。手に持っているのは、十次郎の頭。(「岬に響く 安乗の暮らし写真展」報告書より) | 志摩市阿児町安乗 | 1979.9.15 |
7022 | 安乗人形芝居6-3-5 | 家族が準備してくれた重箱の寿司を食べる「花をよむジイ」。 | 志摩市阿児町安乗 | 1979.9.15 |
7023 | 安乗人形芝居6-3-6 | 家族が準備してくれた重箱の寿司を食べる「花をよむジイ」。№7022と同一人物。 | 志摩市阿児町安乗 | 1979.9.15 |
7024 | 安乗人形芝居7-1-1 | 客席から舞台を撮る。舞台の左袖には三味線と太夫。客席では多くの人が上演を待っている。演目は、艶姿女舞衣「酒屋の段」である。観客の高齢女性のほとんどが着物姿で、長い髪をきれいにくるくると巻いている。 | 志摩市阿児町安乗 | 1979.9.15 |
7025 | 安乗人形芝居7-1-2 | 会場の電気が消え、いよいよ人形芝居が始まる。 | 志摩市阿児町安乗 | 1979.9.15 |
7026 | 安乗人形芝居7-1-3 | 艶姿女舞衣「酒屋の段」、お園。 | 志摩市阿児町安乗 | 1979.9.15 |
7027 | 安乗人形芝居7-1-4 | 「酒屋の段」の「おその」の人形。このシーンはこの演目の見せ場の一つである。 | 志摩市阿児町安乗 | 1979.9.15 |
7028 | 安乗人形芝居7-1-5 | 艶姿女舞衣「酒屋の段」、お園。 | 志摩市阿児町安乗 | 1979.9.15 |
7029 | 安乗人形芝居7-1-6 | 艶姿女舞衣「酒屋の段」、お園。 | 志摩市阿児町安乗 | 1979.9.15 |
7030 | 安乗人形芝居7-2-1 | 艶姿女舞衣「酒屋の段」、お園。 | 志摩市阿児町安乗 | 1979.9.15 |
7031 | 安乗人形芝居7-2-2 | 大夫と三味線。 | 志摩市阿児町安乗 | 1979.9.15 |
7032 | 安乗人形芝居7-2-3 | 上演が終わり、幕が下りる。 | 志摩市阿児町安乗 | 1979.9.15 |
7033 | 安乗人形芝居7-2-4 | 幕間には、婦人会や有志の踊りが披露される。 | 志摩市阿児町安乗 | 1979.9.15 |
7034 | 安乗人形芝居7-2-5 | 幕間には、婦人会や有志の踊りが披露される。 | 志摩市阿児町安乗 | 1979.9.15 |
7035 | 安乗人形芝居7-2-6 | 幕間には、婦人会や有志の踊りが披露される。 | 志摩市阿児町安乗 | 1979.9.15 |
7036 | 安乗人形芝居7-3-1 | 幕間には、婦人会や有志の踊りが披露される。 | 志摩市阿児町安乗 | 1979.9.15 |
7037 | 安乗人形芝居7-3-2 | 札に書かれた多くの寄付者の名前。前で遊ぶ子どもたちも写る。 | 志摩市阿児町安乗 | 1979.9.15 |
7038 | 安乗人形芝居7-3-3 | 幕間には、婦人会や有志の踊りが披露される。 | 志摩市阿児町安乗 | 1979.9.15 |
7039 | 安乗人形芝居7-3-4 | 幕間には、婦人会や有志の踊りが披露される。 | 志摩市阿児町安乗 | 1979.9.15 |
7040 | 安乗人形芝居7-3-5 | 幕間には、婦人会や有志の踊りが披露される。 | 志摩市阿児町安乗 | 1979.9.15 |
7041 | 安乗人形芝居7-3-6 | 満員の客席。 | 志摩市阿児町安乗 | 1979.9.15 |
7042 | 安乗人形芝居8-1-1 | 幕間には、婦人会や有志の踊りが披露される。 | 志摩市阿児町安乗 | 1979.9.15 |
7043 | 安乗人形芝居8-1-2 | 幕間には、婦人会や有志の踊りが披露される。 | 志摩市阿児町安乗 | 1979.9.15 |
7044 | 安乗人形芝居8-1-3 | 幕間には、婦人会や有志の踊りが披露される。 | 志摩市阿児町安乗 | 1979.9.15 |
7045 | 安乗人形芝居8-1-4 | 満員の客席。 | 志摩市阿児町安乗 | 1979.9.15 |
7046 | 安乗人形芝居8-1-5 | 満員の客席。客席からは、たくさんの花(紙でくるんだ投げ銭)が投げ込まれる。 | 志摩市阿児町安乗 | 1979.9.15 |
7047 | 安乗人形芝居8-1-6 | 皆が食い入るように舞台を見つめる観客席の様子。夕方から上演されるため、観客は寿司などのご馳走やお菓子を持ち寄った。現在(2023年)は自由に着席できるが、当時は観客がより多く、町(班のようなもの)ごとに席が決められていた。町頭が代表して席決めのクジを引いたという。色々な屋台が並び、子どもにとっては友だちと夜まで遊べる特別な日でもあった。写真に写る観客の高齢女性は、髷を結い、髪が乱れたら挿してある櫛で整えていた。手ぬぐいでほっかむりをする人もいる。一方で、その下の世代の女性は皆パーマをあてていて、髪型の世代差がよくわかる。会場の熱気や、住民が人形芝居にかける思いが伝わる写真である。(「岬に響く 安乗の暮らし写真展」報告書より) | 志摩市阿児町安乗 | 1979.9.15 |
7048 | 安乗人形芝居8-2-1 | 日本舞踊を披露する女性。客席からは、たくさんの花(紙でくるんだ投げ銭)が投げ込まれる。 | 志摩市阿児町安乗 | 1979.9.15 |
7049 | 安乗人形芝居8-2-2 | 日本舞踊を披露する女性。客席からは、たくさんの花(紙でくるんだ投げ銭)が投げ込まれる。 | 志摩市阿児町安乗 | 1979.9.15 |
7050 | 安乗人形芝居8-2-3 | 余興の舞踊の後、花を集めるのは婦人会の仕事だった。ザルやカゴなどに花を入れるのが見える。このようにスタッフとして様々な仕事に奔走したり、幕間の余興に出演したりと大変忙しい。女性たちは祭りの重要な役目を担っている。近年では回収された花は袋に詰められ、観客は手持ちの花が尽きると千円ほどで引き換える仕組みがある。(「岬に響く 安乗の暮らし写真展」報告書より) | 志摩市阿児町安乗 | 1979.9.15 |
7051 | 安乗人形芝居8-2-4 | 人形芝居の幕間は、次の外題への舞台準備するため、余興として婦人会や有志の踊りが披露された。写真には、日本舞踊を舞う女性と舞台袖で見ている小学生の姿もある。舞台床の白いおひねりは地元では「花」と呼ばれる。花は硬貨を1?2枚重ねて半紙で包んだもので、主に母や祖母が家で作って持ち寄った。見せ場など、思い思いのタイミングで撒くが、親戚や知り合いが舞台に立つととりわけ多く撒く。現在(2023年)でも東海中学校(安乗中学校は学校再編により東海中学校と合併し、文楽クラブは、郷土芸能クラブとなっている)の上演では、親がたくさんの花を投げる姿がある。余興は踊りだけでなく歌やカラオケもあったという。(「岬に響く 安乗の暮らし写真展」報告書より) | 志摩市阿児町安乗 | 1979.9.15 |
7052 | 安乗人形芝居8-2-5 | 満員の客席。花(紙でくるんだ投げ銭)を投げる観客。 | 志摩市阿児町安乗 | 1979.9.15 |
7053 | 安乗人形芝居8-2-6 | 満員の客席。花(紙でくるんだ投げ銭)を投げる観客。 | 志摩市阿児町安乗 | 1979.9.15 |
7054 | 安乗人形芝居8-3-1 | 満員の客席。花(紙でくるんだ投げ銭)を投げる観客。 | 志摩市阿児町安乗 | 1979.9.15 |
7055 | 安乗人形芝居8-3-2 | 満員の客席。 | 志摩市阿児町安乗 | 1979.9.15 |
7056 | 安乗人形芝居9-1-1 | 舞台に投げ込まれた花(紙でくるんだ投げ銭)。 | 志摩市阿児町安乗 | 1979.9.15 |
7057 | 安乗人形芝居9-1-2 | 舞台に投げ込まれた花(紙でくるんだ投げ銭)。 | 志摩市阿児町安乗 | 1979.9.15 |
7058 | 安乗人形芝居9-2-1 | 舞台に投げ込まれた花(紙でくるんだ投げ銭)。 | 志摩市阿児町安乗 | 1979.9.15 |
7059 | 安乗人形芝居9-2-2 | うす暗い舞台裏。 | 志摩市阿児町安乗 | 1979.9.15 |
7060 | 安乗人形芝居9-2-3 | うす暗い舞台裏。 | 志摩市阿児町安乗 | 1979.9.15 |
7061 | 安乗人形芝居9-2-4 | 上演中の中学生を後方から撮影。 | 志摩市阿児町安乗 | 1979.9.15 |
7062 | 安乗人形芝居9-2-5 | 上演中の中学生を後方から撮影。 | 志摩市阿児町安乗 | 1979.9.15 |
7063 | 安乗人形芝居9-2-6 | 上演中の中学生を後方から撮影。 | 志摩市阿児町安乗 | 1979.9.15 |
7064 | 安乗人形芝居9-3-1 | 上演中の中学生を後方から撮影。 | 志摩市阿児町安乗 | 1979.9.15 |
7065 | 安乗人形芝居9-3-2 | 上演中の中学生を後方から撮影。 | 志摩市阿児町安乗 | 1979.9.15 |
7066 | 安乗人形芝居9-3-3 | 上演中の中学生を後方から撮影。 | 志摩市阿児町安乗 | 1979.9.15 |
7067 | 安乗人形芝居9-3-4 | 上演中の中学生を後方から撮影。 | 志摩市阿児町安乗 | 1979.9.15 |
7068 | 安乗人形芝居9-3-5 | 上演中の中学生を後方から撮影。 | 志摩市阿児町安乗 | 1979.9.15 |
7069 | 安乗人形芝居9-3-6 | 上演中の中学生を後方から撮影。 | 志摩市阿児町安乗 | 1979.9.15 |
7070 | 安乗人形芝居10-1-1 | 上演中の中学生を舞台の袖から撮影。 | 志摩市阿児町安乗 | 1979.9.15 |
7071 | 安乗人形芝居10-1-2 | 上演中の中学生を、しゃがみ込んで舞台袖から見守る遣い手のジイ。 | 志摩市阿児町安乗 | 1979.9.15 |
7072 | 安乗人形芝居10-1-3 | 安乗神社例大祭で上演する、安乗中学校の文楽クラブの生徒たち。上演中の中学生をしゃがみ込んで舞台袖から見守る遣い手の爺(ジイ)、2人。 | 志摩市阿児町安乗 | 1979.9.15 |
7073 | 安乗人形芝居10-1-4 | 上演中の中学生を、しゃがみ込んで舞台袖から見守る遣い手のジイ、2人。 | 志摩市阿児町安乗 | 1979.9.15 |
7074 | 安乗人形芝居10-1-5 | 上演中の中学生を、しゃがみ込んで舞台袖から見守る遣い手のジイ、2人。 | 志摩市阿児町安乗 | 1979.9.15 |
7075 | 安乗人形芝居10-1-6 | 上演中の中学生を、しゃがみ込んで舞台袖から見守る遣い手のジイ、2人。 | 志摩市阿児町安乗 | 1979.9.15 |
7076 | 安乗人形芝居10-2-1 | 神社の敷地内にある人形芝居舞台への入口。 | 志摩市阿児町安乗 | 1979.9.15 |
7077 | 安乗人形芝居10-2-2 | 神社の敷地内にある人形芝居舞台への入口。 | 志摩市阿児町安乗 | 1979.9.15 |
7078 | 安乗人形芝居10-2-3 | 神社の敷地内にある人形芝居舞台への入口。 | 志摩市阿児町安乗 | 1979.9.15 |
7079 | 安乗人形芝居10-2-4 | 出番を待つ人形。「阿波の鳴門」のお弓。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.9.15 |
7080 | 安乗人形芝居10-2-5 | 出番を待つ人形。「阿波の鳴門」のお弓。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.9.15 |
7081 | 安乗人形芝居10-2-6 | 遣い手を下方から撮る。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.9.15 |
7082 | 安乗人形芝居10-3-1 | 上演中の中学生を見守る、「花をよむジイ」の後ろ姿。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.9.15 |
7083 | 安乗人形芝居10-3-2 | 上演中の中学生を見守る、「花をよむジイ」の後ろ姿。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.9.15 |
7084 | 安乗人形芝居10-3-3 | 上演中の中学生。舞台にはたくさんの花(紙でくるんだ投げ銭)が投げられている。奥に写る「めくり」には、「壺坂霊験記」と書かれている。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.9.15 |
7085 | 安乗人形芝居10-3-4 | 上演中の中学生。舞台にはたくさんの花(紙でくるんだ投げ銭)が投げられている。奥に写る「めくり」には、「壺坂霊験記」と書かれている。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.9.15 |
7086 | 安乗人形芝居10-3-5 | 上演中の中学生。舞台にはたくさんの花(紙でくるんだ投げ銭)が投げられている。奥に写る「めくり」には、「壺坂霊験記」と書かれている。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.9.15 |
7087 | 安乗人形芝居10-3-6 | 上演中の中学生。舞台にはたくさんの花(紙でくるんだ投げ銭)が投げられている。奥に写る「めくり」には、「壺坂霊験記」と書かれている。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.9.15 |
7088 | 安乗人形芝居11-1-1 | 上演中の中学生。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.9.15 |
7089 | 安乗人形芝居11-1-2 | 上演中の中学生。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.9.15 |
7090 | 安乗人形芝居11-1-3 | 上演中の中学生。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.9.15 |
7091 | 安乗人形芝居11-1-4 | 上演中の中学生。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.9.15 |
7092 | 安乗人形芝居11-2-1 | 家族が準備してくれた重箱の寿司を食べる「花をよむジイ」。№7022と同一人物。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.9.15 |
7093 | 安乗人形芝居11-2-2 | 家族が準備してくれた重箱の寿司を食べる「花をよむジイ」。№7022と同一人物。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.9.15 |
7094 | 安乗人形芝居11-2-3 | 上演中の中学生。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.9.15 |
7095 | 安乗人形芝居11-2-4 | 安乗神社例大祭で上演する、安乗中学校の文楽クラブの生徒たち。写真手前には、地元では「花」と呼ばれる白い紙に包まれたオヒネリがたくさん見える。現在(2023年)でも東海中学校(安乗中学校は学校再編により東海中学校と合併し、文楽クラブは、郷土芸能クラブとなっている)の上演では、親がたくさんの花を投げる姿がある。周囲の観客はその様子をほほえましく見守っている。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.9.15 |
7096 | 安乗人形芝居11-2-5 | 上演中の中学生。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.9.15 |
7097 | 安乗人形芝居11-2-6 | 舞台裏で出番を待つ人形と遣い手のジイ。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.9.15 |
7098 | 安乗人形芝居11-3-1 | 衣装を着けた頭(かしら)。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.9.15 |
7099 | 安乗人形芝居11-3-2 | 舞台の袖で出番を待つ中学生。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.9.15 |
7100 | 安乗人形芝居11-3-3 | 舞台の袖で出番を待つ中学生。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.9.15 |
7101 | 安乗人形芝居12-1-1 | 衣装を着けた頭(かしら)。絵本太功記の光秀。 | 志摩市阿児町安乗 | 1979.9.15 |
7102 | 安乗神社 対い鳩(むかいばと)12-1-2 | 現在安乗神社が鎮座している地は、八幡山または的場山とも呼ばれ、旧八幡宮があった山である。鳩はかつて、八幡大菩薩の使いと信じられていた。そのため、安乗神社の幕には「対い鳩」(むかいばと)の神紋が使用されている。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.9.15 |
7103 | 安乗神社 対い鳩(むかいばと)12-1-3 | 現在安乗神社が鎮座している地は、八幡山または的場山とも呼ばれ、旧八幡宮があった山である。鳩はかつて、八幡大菩薩の使いと信じられていた。そのため、安乗神社の幕には「対い鳩」(むかいばと)の神紋が使用されている。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.9.15 |
7104 | 稲荷さん祠12-1-4 | 道端にある稲荷さんの祠。オミキが供えられている。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.9.15 |
7105 | 安乗埼灯台12-1-5 | 安乗崎は的矢湾の入口にある岬で、周囲には暗礁が多く、古くから海の難所として知られていた。初代の灯台は、明治6年4月1日、イギリス人R.Hブラントンの指導により、全国で20番目に完成された灯台である。後に海蝕により地盤が崩れたため、岬の突端から後退させたが、更に地盤が崩れ出し、昭和24年に再度後退させた。その際、現在の四角形鉄筋コンクリ―ト造りとなった。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.9.15 |
7106 | 安乗埼灯台12-1-6 | 安乗崎は的矢湾の入口にある岬で、周囲には暗礁が多く、古くから海の難所として知られていた。初代の灯台は、明治6年4月1日、イギリス人R.Hブラントンの指導により、全国で20番目に完成された灯台である。後に海蝕により地盤が崩れたため、岬の突端から後退させたが、更に地盤が崩れ出し、昭和24年に再度後退させた。その際、現在の四角形鉄筋コンクリ―ト造りとなった。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.9.15 |
7107 | 鉄製砲身(市指定有形文化財)12-2-1 | 安乗岬にあった日和山台場に設置されていたが、現在は安乗神社の境内に安置されている。幕末、江戸幕府は黒船来航に備えて、鳥羽藩と津藩に伊勢神宮と伊雑宮の防衛を命じた。志摩地域の沿岸部にも点々と台場が整備され、大砲が設置された。全長は171㎝、胴回りは最大部で118㎝、中央部に鳥羽藩主稲垣家の家紋である抱茗荷(だきみょうが)が浮彫されている。(参考:「志摩市の文化財」2018年2月 志摩市教育委員会/編集・発行) | 志摩市阿児町安乗 | 1990.9.15 |
7108 | 安乗人形芝居舞台(安乗神社境内)12-2-2 | 安乗人形芝居舞台。全景。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.9.15 |
7109 | 安乗人形芝居(木偶人形)12-2-3 | 衣装を着けた頭(かしら)。絵本太功記の光秀、傾城阿波の鳴門のお弓とおつる等。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.9.15 |
7110 | 安乗人形芝居(木偶人形)12-2-4 | 三番叟のレプリカ。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.9.15 |
7111 | 安乗埼灯台12-3-1 | 安乗崎は的矢湾の入口にある岬で、周囲には暗礁が多く、古くから海の難所として知られていた。初代の灯台は、明治6年4月1日、イギリス人R.Hブラントンの指導により、全国で20番目に完成された灯台である。後に海蝕により地盤が崩れたため、岬の突端から後退させたが、更に地盤が崩れ出し、昭和24年に再度後退させた。その際、現在の四角形鉄筋コンクリ―ト造りとなった。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.9.15 |
7112 | 安乗埼灯台12-3-2 | 安乗崎は的矢湾の入口にある岬で、周囲には暗礁が多く、古くから海の難所として知られていた。初代の灯台は、明治6年4月1日、イギリス人R.Hブラントンの指導により、全国で20番目に完成された灯台である。後に海蝕により地盤が崩れたため、岬の突端から後退させたが、更に地盤が崩れ出し、昭和24年に再度後退させた。その際、現在の四角形鉄筋コンクリ―ト造りとなった。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.9.15 |
7113 | 安乗埼灯台12-3-3 | 安乗崎は的矢湾の入口にある岬で、周囲には暗礁が多く、古くから海の難所として知られていた。初代の灯台は、明治6年4月1日、イギリス人R.Hブラントンの指導により、全国で20番目に完成された灯台である。後に海蝕により地盤が崩れたため、岬の突端から後退させたが、更に地盤が崩れ出し、昭和24年に再度後退させた。その際、現在の四角形鉄筋コンクリ―ト造りとなった。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.9.15 |
7114 | 安乗埼灯台(石柱)12-3-4 | 安乗埼灯台の近くに立つ石柱。「燈臺局〇」と読める。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.9.15 |
7115 | 的矢湾12-3-5 | 安乗岬から的矢湾を見る。帰港する漁船が8隻、背後に朝熊岳がかすかに見える。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.9.15 |
7116 | 的矢湾12-3-6 | 安乗岬から的矢湾を見る。帰港する漁船が5隻、背後に朝熊岳がかすかに見える。 | 志摩市阿児町安乗 | 1990.9.15 |
7117 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)24-3-1 | スコマキが終わり、帰路に就く人たち。先頭の2人の高齢女性はホッカブリを巻き、大量に拾ったみかんを前掛けで包んでいる。(№6582の画像とほぼ同じである。撮影者の野村氏は、カメラ2台を持ち、同じシーンをカラーとモノクロで撮影することがあった。) | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.4 |
7118 | 安乗の祷屋行事(スコ祝)24-3-2 | スコ祝を終えて、帰路に就く着物姿の男性。その後ろにホッカブリを巻いて、みかんの箱を重そうに持つ高齢女性が写る。(№6585の画像とほぼ同じである。撮影者の野村氏は、カメラ2台を持ち、同じシーンをカラーとモノクロで撮影することがあった。) | 志摩市阿児町安乗 | 1990.1.4 |
7119 | 安乗の御神祭り(大しめ縄)1-1 | 1月10日に安乗神社で行われる神事。写真は、しめ切り神事に使われる大しめ縄である。この大しめ縄は、10日の朝、前年に切り手を務めた古加用(祷人)が主となって2本作る。大きさは長さ約37m、中心の太さ約1.3mが2ヶ所ある。獲物を飲み込んだ大蛇の姿を表していると言われ、頭になる方には木を差し込む。また胴の上の切り口には「ウワブキ」と呼ぶワラがかぶせられ、中央の細縄にマキの葉が挿してある。スライド枠には「92.1.10」の印が捺され、「1」と記される。 ※安乗神社所蔵の古記録の内、江戸時代後期の記録には「御神祭り」、明治20年の記録には「御神祭」と記されているため、神事一連を「御神祭り」と表記した。以下神事の内容は、主に野村史隆氏の調査報告書(1990年1月10日)を参考とした。 | 志摩市阿児町安乗 | 1992.1.10 |
7120 | 安乗の御神祭り(大しめ縄)1-2 | 完成した大しめ縄。スライド枠には「92.1.10」の印が捺され、「2」と記される。 | 志摩市阿児町安乗 | 1992.1.10 |
7121 | 安乗の御神祭り(獅子出し)1-3 | 撤饌の後、神官と大年寄(4人)が口に含み紙をし、祷人一同の「イーヨ、イーヨ、ウォーイ」の掛声のもと、神殿から獅子を出す。この時裃を着用し、腰に太刀を差した加用頭(新、旧)4人が、カイシャク役として獅子頭につく。スライド枠には「92.1.10」の印が捺され、「5」「獅子出」と記される。 | 志摩市阿児町安乗 | 1992.1.10 |
7122 | 安乗の御神祭り(コボリ天狗)1-4 | ヘンバイフミとも言う。獅子舞いの前に、2祷屋の古祷の次男以下に天狗面をかぶらせ、獅子の布柄に合わせた素襖姿で扇子を持ち、列席者の頭をたたく。扇で神官、大年寄、獅子役、祷人、一般の人びとの頭を叩いていく。頭を叩かれると厄除けになると言われ、進んで頭をさし出す。スライド枠には「92.1.10」の印が捺され、「7」「面たたき」と記される。 | 志摩市阿児町安乗 | 1992.1.10 |
7123 | 安乗の御神祭り(コボリ天狗)1-5 | ヘンバイフミとも言う。獅子舞いの前に、2祷屋の古祷の次男以下に天狗面をかぶらせ、獅子の布柄に合わせた素襖姿で扇子を持ち、列席者の頭をたたく。扇で神官、大年寄、獅子役、祷人、一般の人びとの頭を叩いていく。頭を叩かれると厄除けなると言われ、進んで頭をさし出す。スライド枠には「92.1.10」の印が捺され、「9」と記される。 | 志摩市阿児町安乗 | 1992.1.10 |
7124 | 安乗の御神祭り(コボリ天狗)1-6 | 1月10日には安乗神社の例大祭として、御神祭が行われる。獅子舞としめ切り神事を中心に構成される。写真にあるのはコボリ天狗(ハナコンボリ、ヘンバイフミとも呼ばれる)。獅子舞の前に、二祷の古祷の次男以下に天狗面をかぶらせ、獅子の布柄に合わせた素襖姿で扇子を持ち、列席者の頭を叩 く。まずは社殿にて扇で宮司、大年寄、獅子役、祷家の頭を叩き、外に出て参列者の頭を叩いていく。「1年の息災のため」「厄落とし」「頭が良くなるように」などの意味がある。(「岬に響く 安乗の暮らし写真展」報告書より)スライド枠には「92.1.10」の印が捺され、「10」「一般民の面たたき」と記される。 | 志摩市阿児町安乗 | 1992.1.10 |
7125 | 安乗の御神祭り(コボリ天狗)1-7 | ヘンバイフミとも言う。獅子舞いの前に、2祷屋の古祷の次男以下に天狗面をかぶらせ、獅子の布柄に合わせた素襖姿で扇子を持ち、列席者の頭をたたく。扇で神官、大年寄、獅子役、祷人、一般の人びとの頭を叩いていく。頭を叩かれると厄除けなると言われ、進んで頭をさし出す。スライド枠には「92.1.10」の印が捺され、「11」と記される。 | 志摩市阿児町安乗 | 1992.1.10 |
7126 | 安乗の御神祭り(受け渡しの儀)1-8 | 一般の人びとに御供(ごくう)として、沓形餅(紅白)を配る。スライド枠には「92.1.10」の印が捺され、「12」「杯事」と記される。 | 志摩市阿児町安乗 | 1992.1.10 |
7127 | 安乗の御神祭り(獅子舞い)1-9 | 神殿前の獅子舞い。獅子頭に古祷(12/25から)の1祷屋の親が、尾に2祷屋の親が入って舞う。獅子は、獅子側から見て「ノ」の字を描くように、1方向に3回まわす。「の」の字の時には「イーヨ」の掛声が入り、下から上に頭を戻す時に「ウォーイ」の声が入る。スライド枠には「92.1.10」の印が捺され、「14」と記される。 | 志摩市阿児町安乗 | 1992.1.10 |
7128 | 安乗の御神祭り(獅子舞い)1-10 | 神殿前の獅子舞い。獅子頭に古祷(12/25から)の1祷屋の親が、尾に2祷屋の親が入って舞う。獅子は、獅子側から見て「ノ」の字を描くように、1方向に3回まわす。「の」の字の時には「イーヨ」の掛声が入り、下から上に頭を戻す時に「ウォーイ」の声が入る。スライド枠には「92.1.10」の印が捺され、「15」と記される。 | 志摩市阿児町安乗 | 1992.1.10 |
7129 | 安乗の御神祭り(獅子舞い)1-11 | 神殿前の獅子舞い。獅子頭に古祷(12/25から)の1祷屋の親が、尾に2祷屋の親が入って舞う。獅子は、獅子側から見て「ノ」の字を描くように、1方向に3回まわす。「の」の字の時には「イーヨ」の掛声が入り、下から上に頭を戻す時に「ウォーイ」の声が入る。スライド枠には「92.1.10」の印が捺され、「16」と記される。 | 志摩市阿児町安乗 | 1992.1.10 |
7130 | 安乗の御神祭り(獅子舞い)1-12 | 神殿前の獅子舞い。獅子頭に古祷(12/25から)の1祷屋の親が、尾に2祷屋の親が入って舞う。獅子は、獅子側から見て「ノ」の字を描くように、1方向に3回まわす。「の」の字の時には「イーヨ」の掛声が入り、下から上に頭を戻す時に「ウォーイ」の声が入る。スライド枠には「92.1.10」の印が捺され、「17」「宮さんの獅子舞」と記される。 | 志摩市阿児町安乗 | 1992.1.10 |
7131 | 安乗の御神祭り(獅子舞い)1-13 | 神殿前の獅子舞い。獅子頭に古祷(12/25から)の1祷屋の親が、尾に2祷屋の親が入って舞う。獅子は、獅子側から見て「ノ」の字を描くように、1方向に3回まわす。「の」の字の時には「イーヨ」の掛声が入り、下から上に頭を戻す時に「ウォーイ」の声が入る。スライド枠には「92.1.10」の印が捺され、「18」「宮さんの獅子舞」と記される。 | 志摩市阿児町安乗 | 1992.1.10 |
7132 | 安乗の御神祭り(七度半の使い)2-1 | 杯事が済むと、下加用(38歳までの加用仲間)の中から2人が選ばれて、古加用(1、2祷の2名)へそれぞれ七度半の使いが立つ。スライド枠には「92.1.10」の印が捺され、「20」「七度半の使い」と記される。 | 志摩市阿児町安乗 | 1992.1.10 |
7133 | 安乗の御神祭り(獅子舞い)2-2 | 社殿前での獅子舞。獅子頭に古祷の一祷家の親が、尾に二祷家の親が入って舞う。獅子は、獅子側から見て「の」の字を描くように、1方向に3回まわす。安乗の獅子舞は、他の地域に比べてあまり舞わないことが特徴である。住民は大きく開けた獅子の口に賽銭を入れていき、かわりに御供と呼ばれる紅白の小さな切り餅を受け取る。口にくわえた白い紙は「含み紙」といわれ、獅子に息がかかるのを防ぐ意味がある。この御神祭は安乗にとっての大きな「祭り」であり、人形芝居とともに最も観客が集まる年中行事の1つである。(「岬に響く 安乗の暮らし写真展」報告書より)スライド枠には「92.1.10」の印が捺され、「21」「広場の獅子舞」と記される。 | 志摩市阿児町安乗 | 1992.1.10 |
7134 | 安乗の御神祭り(獅子舞い)2-3 | 第2の舞い。しめ切り神事を行う神社参集殿前の広場で、獅子頭に1祷屋の親、尾に2祷屋の親が入って舞う。会場まで「ツユハライ」を先頭に、新加用頭が箱台に獅子頭を乗せて進む。会場に着くと、正面、東、北の三方向へ合計9回舞う。最後は2回余分に舞うが、その時獅子の口に箱を加えさせる。人びとは「ウォーイ」の声と共に、おひねりさい銭をその箱の中へ投げ入れる。スライド枠には「92.1.10」の印が捺され、「23」と記される。 | 志摩市阿児町安乗 | 1992.1.10 |
7135 | 安乗の御神祭り(獅子舞い)2-4 | 第2の舞い。しめ切り神事を行う神社参集殿前の広場で、獅子頭に1祷屋の親、尾に2祷屋の親が入って舞う。会場まで「ツユハライ」を先頭に、新加用頭が箱台に獅子頭を乗せて進む。会場に着くと、正面、東、北の三方向へ合計9回舞う。最後は2回余分に舞うが、その時獅子の口に箱を加えさせる。人びとは「ウォーイ」の声と共に、おひねりさい銭をその箱の中へ投げ入れる。スライド枠には「92.1.10」の印が捺され、「24」「祝祝儀を投げ入れる人々」と記される。 | 志摩市阿児町安乗 | 1992.1.10 |
7136 | 安乗の御神祭り(しめ切り神事)2-5 | 獅子舞の後のしめ切り神事の準備をする様子。30mほどの注連縄が大蛇に見立てられ、社務所から蛇が這うようにゆっくりと曲がりくねらせながら下ろしてくる。神社の参集殿前の広場でトグロを撒くような動きを模して数回旋回してから置かれる。写真は、注連縄を設置しているところである。注連縄を切る人はカヨウ(加用)、前年に切った人はコガヨウ(古加用)と呼ばれる。過去に祷家に当たった人が「祷家仲間」になり、その中から毎年2人ずつカヨウが選ばれる。祷家に当たった家の世帯主かつ妻帯者で、忌中でない38歳までの男性が対象だった。一祷経験者が最初(一の太刀、一番切り)に、二祷経験者が次に(二の太刀、二番切り)切る決まりだった。真剣を使うため、写真に警察官の姿も見える。刀が傷まないよう注連縄の下には藁を敷き、刀が曲がると木で挟んで直す。昔はカヨウ自らが刀を用意し、神事の後に奉納した。注連縄はカヨウ2人分あるが、二祷のものに残った藁を詰め込むため、太くなりがちだったという話があった。また、いたずらで藁をたくさん入れることもあった。(「岬に響く 安乗の暮らし写真展」報告書より)スライド枠には「92.1.10」の印が捺され、「26」「シメ出し 20m」と記される。 | 志摩市阿児町安乗 | 1992.1.10 |
7137 | 安乗の御神祭り(しめ切り神事)2-6 | 獅子舞いの後の杯事が済むと、しめ切り神事が始まる。神社参集殿前の広場へ運び込まれた大しめ縄。周りでは多くの人びとが見守る。スライド枠には「92.1.10」の印が捺され、「27」と記される。 | 志摩市阿児町安乗 | 1992.1.10 |
7138 | 安乗の御神祭り(しめ切り神事)2-7 | しめ切り神事の準備をする、祷人、大年寄。頭(木が入っている)を東に向け、胴を中央の敷藁の上に置く。左右から中老格(古加用)が指導をして位置を決める。スライド枠には「92.1.10」の印が捺され、「28」と記される。 | 志摩市阿児町安乗 | 1992.1.10 |
7139 | 安乗の御神祭り(しめ切り神事)2-8 | しめ切り神事の準備をする、祷人、大年寄。頭(木が入っている)を東に向け、胴を中央の敷藁の上に置く。左右から中老格(古加用)が指導をして位置を決める。スライド枠には「92.1.10」の印が捺され、「29」と記される。 | 志摩市阿児町安乗 | 1992.1.10 |
7140 | 安乗の御神祭り(しめ切り神事)2-9 | しめ切り神事の準備をする、祷人、大年寄。頭(木が入っている)を東に向け、胴を中央の敷藁の上に置く。左右から中老格(古加用)が指導をして位置を決める。スライド枠には「92.1.10」の印が捺され、「30」と記される。 | 志摩市阿児町安乗 | 1992.1.10 |
7141 | 安乗の御神祭り(しめ切り神事)2-10 | 昨年1番切りをした古加用が、裃姿で白布を巻いた太刀を腰に差し、切り口の位置を決めに現れる。鞘のまま腰から刀を抜くと、大しめ縄の胴に当てて位置を決める。スライド枠には「92.1.10」の印が捺され、「31」と記される。 | 志摩市阿児町安乗 | 1992.1.10 |
7142 | 安乗の御神祭り(しめ切り神事)2-11 | 1番切り。刀を抜いて、ウワブキのワラを止めてある細縄を切り、2つに分けたウワブキを胴の下に詰める。次に、中央に挿してあるマキの葉を2つにちぎって後ろに撒く。「マキ払い」と言う。スライド枠には「92.1.10」の印が捺され、「32」と記される。 | 志摩市阿児町安乗 | 1992.1.10 |
7143 | 安乗の御神祭り(しめ切り神事)2-12 | 一番切り(一の太刀)。写真はカヨウが刀を抜いて、ウワブキのワラを止めてある細縄を切り、2つに分けたウワブキを胴の下に詰める。次に、注連縄の中央の結び目に差された清めの槇の小枝を2つにちぎり、肩越しに後方に払いのけるところ。「マキ払い」と言う。スライド枠には「92.1.10」の印が捺され、「33」「マキ投」と記される。 | 志摩市阿児町安乗 | 1992.1.10 |
7144 | 安乗の御神祭り(しめ切り神事)2-13 | 1の太刀の新加用頭が出て、太刀を抜くと胴に3回当て、次に自分の額に3回当てて、大しめ縄の胴を切り込んでいく。切り数は多い方が良いとされるが、奇数で終わらなければならない。スライド枠には「92.1.10」の印が捺され、「34」と記される。 | 志摩市阿児町安乗 | 1992.1.10 |
7145 | 安乗の御神祭り(しめ切り神事)2-14 | 刀を抜いて、ウワブキのワラを止めてある細縄を切る。スライド枠には「92.1.10」の印が捺され、「35」と記される。 | 志摩市阿児町安乗 | 1992.1.10 |
7146 | 安乗の御神祭り(しめ切り神事)3-1 | 二番切り(二の太刀)。一番切りと同じ手順で、人びとが数える声に合わせて、大注連縄の胴に切り込んでいく。カヨウが注連縄を切る様子。両端にいるコガヨウが、切りやすいよう注連縄を引っ張る。切るときは皆で数え、奇数回で切り終わるようにする。(「岬に響く 安乗の暮らし写真展」報告書より)スライド枠には「92.1.10」の印が捺され、「38」「シメ切り」と記される。 | 志摩市阿児町安乗 | 1992.1.10 |
7147 | 安乗の御神祭り(しめ切り神事)3-2 | 2番切り。1番切りと同じ手順で、人びとが数える声に合わせて、大しめ縄の胴に切り込んでいく。スライド枠には「92.1.10」の印が捺され、「39」と記される。 | 志摩市阿児町安乗 | 1992.1.10 |
7148 | 安乗の御神祭り(しめ切り神事)3-3 | 2番切り。1番切りと同じ手順で、人びとが数える声に合わせて、大しめ縄の胴に切り込んでいく。スライド枠には「92.1.10」の印が捺され、「40」と記される。 | 志摩市阿児町安乗 | 1992.1.10 |
7149 | 安乗の御神祭り(しめ切り神事)3-4 | 2番切り。1番切りと同じ手順で、人びとが数える声に合わせて、大しめ縄の胴に切り込んでいく。スライド枠には「92.1.10」の印が捺され、「41」と記される。 | 志摩市阿児町安乗 | 1992.1.10 |
7150 | 安乗の御神祭り(しめ切り神事)3-5 | 2番切り。1番切りと同じ手順で、人びとが数える声に合わせて、大しめ縄の胴に切り込んでいく。スライド枠には「92.1.10」の印が捺され、「42」と記される。 | 志摩市阿児町安乗 | 1992.1.10 |
7151 | 安乗の御神祭り(しめ切り神事)3-6 | 2番切り。1番切りと同じ手順で、人びとが数える声に合わせて、大しめ縄の胴に切り込んでいく。スライド枠には「92.1.10」の印が捺され、「43」と記される。 | 志摩市阿児町安乗 | 1992.1.10 |
7152 | 安乗の御神祭り(しめ切り神事)3-7 | 2番切り。1番切りと同じ手順で、人びとが数える声に合わせて、大しめ縄の胴に切り込んでいく。スライド枠には「92.1.10」の印が捺され、「44」と記される。 | 志摩市阿児町安乗 | 1992.1.10 |
7153 | 安乗の御神祭り(しめ切り神事)3-8 | 2番切り。1番切りと同じ手順で、人びとが数える声に合わせて、大しめ縄の胴に切り込んでいく。スライド枠には「92.1.10」の印が捺され、「45」と記される。 | 志摩市阿児町安乗 | 1992.1.10 |
7154 | 安乗の御神祭り(しめ切り神事)3-9 | 2番切り。1番切りと同じ手順で、人びとが数える声に合わせて、大しめ縄の胴に切り込んでいく。スライド枠には「92.1.10」の印が捺され、「46」と記される。 | 志摩市阿児町安乗 | 1992.1.10 |
7155 | 安乗の御神祭り(しめ切り神事)3-10 | 2番切り。1番切りと同じ手順で、人びとが数える声に合わせて、大しめ縄の胴に切り込んでいく。スライド枠には「92.1.10」の印が捺され、「47」と記される。 | 志摩市阿児町安乗 | 1992.1.10 |
7156 | 安乗の御神祭り(しめ切り神事)3-11 | 2番切り。1番切りと同じ手順で人びとが数える声に合わせて、大しめ縄の胴に切り込んでいく。スライド枠には「92.1.10」の印が捺され、「48」と記される。 | 志摩市阿児町安乗 | 1992.1.10 |
7157 | 安乗の御神祭り(しめ切り神事)3-12 | 2番切り。1番切りと同じ手順で人びとが数える声に合わせて、大しめ縄の胴に切り込んでいく。大しめ縄を奇数で切り終えると、一同で「イーヨイヨーホー」の掛声を上げる。スライド枠には「92.1.10」の印が捺され、「49」と記される。 | 志摩市阿児町安乗 | 1992.1.10 |
7158 | 景観(磯部町的矢のゴルフ場 遠景)4-1 | パールロードからゴルフ場を撮影。海の博物館の「SOS(SAVE OUR SEA)救え!われらのいのちの海を」運動のため、自然を破壊するような開発に気付くと、その都度撮影した。(撮影者談:2020年3月) | 志摩市阿児町安乗 | 1992.1.10 |
7159 | 景観(磯部町的矢のゴルフ場 遠景)4-2 | パールロードからゴルフ場を撮影。海の博物館の「SOS(SAVE OUR SEA)救え!われらのいのちの海を」運動のため、自然を破壊するような開発に気付くと、その都度撮影した。(撮影者談:2020年3月) | 志摩市阿児町安乗 | 1992.1.10 |
7160 | 安乗の御神祭り(大しめ縄)4-3 | しめ切り神事に使われる大しめ縄。この大しめ縄は、10日の朝、前年に切り手を務めた古加用(祷人)が主となって2本作る。大きさは長さ約37m、中心の太さ約1.3mが2ヶ所ある。獲物を飲み込んだ大蛇の姿を表していると言われ、頭になる方には木を差し込む。また胴の上の切り口には「ウワブキ」と呼ぶワラがかぶせられ、中央の細縄にマキの葉が挿してある。スライド枠には「92.1.10」「安乗」の印が捺される。 | 志摩市阿児町安乗 | 1992.1.10 |
7161 | 安乗神社参集殿前の広場4-4 | しめ切り神事が行われる会場の周囲には細縄としめ縄が張られる。スライド枠には「92.1.10」「安乗」の印が捺される。 | 志摩市阿児町安乗 | 1992.1.10 |
7162 | 安乗の御神祭り(しめ縄)4-5 | しめ切り神事が行われる会場の周囲には細縄としめ縄が張られる。スライド枠には「92.1.10」「安乗」の印が捺される。 | 志摩市阿児町安乗 | 1992.1.10 |
7163 | 安乗の御神祭り(神饌)4-6 | 神殿前に白木の台が置かれ、神饌(紅白の沓形餅・ソギ大根・季節の野菜・くだもの・魚(ハマチ2尾)・塩・神酒・昆布)が供えられる。スライド枠には「92.1.10」「安乗」の印が捺される。 | 志摩市阿児町安乗 | 1992.1.10 |
7164 | 安乗の御神祭り(神殿前)4-7 | 神殿前に敷かれたムシロに、裃姿の祷人、加用、加用頭(切り手)、祷人の親が正座する。スライド枠には「92.1.10」「安乗」の印が捺される。 | 志摩市阿児町安乗 | 1992.1.10 |
7165 | 安乗の御神祭り(神殿前)4-8 | 神殿前の白木の台の上に置かれた、玉串。その傍らに白装束姿の神社総代が立つ。スライド枠には「92.1.10」「安乗」の印が捺される。 | 志摩市阿児町安乗 | 1992.1.10 |
7166 | 安乗の御神祭り(神殿前)4-9 | 神殿前の白木の台の上に置かれた、玉串。スライド枠には「92.1.10」「安乗」の印が捺される。 | 志摩市阿児町安乗 | 1992.1.10 |
7167 | 安乗の御神祭り(天狗役)4-10 | 鳥居の傍らに祖母と立つ天狗役の少年。天狗面をかぶって獅子の布柄に合わせた素襖姿で扇子を持ち、列席者の頭をたたく。2祷屋の古祷の次男以下が務める。スライド枠には「92.1.10」「安乗」の印が捺される。 | 志摩市阿児町安乗 | 1992.1.10 |
7168 | 安乗の御神祭り(天狗役)4-11 | 鳥居の傍らに祖母と立つ天狗役の少年。天狗面をかぶって獅子の布柄に合わせた素襖姿で扇子を持ち、列席者の頭をたたく。2祷屋の古祷の次男以下が務める。スライド枠には「92.1.10」「安乗」の印が捺される。 | 志摩市阿児町安乗 | 1992.1.10 |
7169 | 安乗の御神祭り(獅子舞い)5-1 | 神社参集殿前の広場での獅子舞い。獅子頭に古祷(12/25から)の1祷屋の親が、尾に2祷屋の親が入って舞う。獅子は、獅子側から見て「ノ」の字を描くように、1方向に3回まわす。「の」の字の時には「イーヨ」の掛声が入り、下から上に頭を戻す時に「ウォーイ」の声が入る。スライド枠には「92.1.10」「安乗」の印が捺される。 | 志摩市阿児町安乗 | 1992.1.10 |
7170 | 安乗の御神祭り(しめ切り神事)5-2 | 2番切り。1番切りと同じ手順で、人びとが数える声に合わせて、大しめ縄の胴に切り込んでいく。スライド枠には「92.1.10」「安乗」の印が捺される。 | 志摩市阿児町安乗 | 1992.1.10 |
7171 | 安乗の御神祭り(しめ切り神事)5-3 | 二番切り(二の太刀)。一番切りと同じ手順で、人びとが数える声に合わせて、大注連縄の胴に切り込んでいく。カヨウが注連縄を切る様子。両端にいるコガヨウが、切りやすいよう注連縄を引っ張る。切るときは皆で数え、奇数回で切り終わるようにする。(「岬に響く 安乗の暮らし写真展」報告書より)スライド枠には「92.1.10」「安乗」の印が捺される。 | 志摩市阿児町安乗 | 1992.1.10 |
7172 | 安乗の御神祭り(しめ切り神事)5-4 | 2番切り。1番切りと同じ手順で、人びとが数える声に合わせて、大しめ縄の胴に切り込んでいく。スライド枠には「92.1.10」「安乗」の印が捺される。 | 志摩市阿児町安乗 | 1992.1.10 |
7173 | 安乗の御神祭り(しめ切り神事)5-5 | 2番切り。1番切りと同じ手順で、人びとが数える声に合わせて、大しめ縄の胴に切り込んでいく。スライド枠には「92.1.10」「安乗」の印が捺される。 | 志摩市阿児町安乗 | 1992.1.10 |
7174 | 安乗の御神祭り(獅子舞い)5-6 | 神社参集殿前の広場での獅子舞い。獅子頭に古祷(12/25から)の1祷屋の親が、尾に2祷屋の親が入って舞う。獅子は、獅子側から見て「ノ」の字を描くように、1方向に3回まわす。「の」の字の時には「イーヨ」の掛声が入り、下から上に頭を戻す時に「ウォーイ」の声が入る。スライド枠には「92.1.10」「安乗」の印が捺される。 | 志摩市阿児町安乗 | 1992.1.10 |
7175 | 安乗の御神祭り(しめ切り神事)5-7 | 2番切り。1番切りと同じ手順で、人びとが数える声に合わせて、大しめ縄の胴に切り込んでいく。スライド枠には「92.1.10」「安乗」の印が捺される。 | 志摩市阿児町安乗 | 1992.1.10 |
7176 | 安乗の御神祭り(しめ切り神事)5-8 | 二番切り(二の太刀)。一番切りと同じ手順で、人びとが数える声に合わせて、大注連縄の胴に切り込んでいく。カヨウが注連縄を切る様子。両端にいるコガヨウが、切りやすいよう注連縄を引っ張る。切るときは皆で数え、奇数回で切り終わるようにする。(「岬に響く 安乗の暮らし写真展」報告書より)スライド枠には「92.1.10」「安乗」の印が捺される。 | 志摩市阿児町安乗 | 1992.1.10 |
7177 | 安乗の御神祭り(しめ切り神事)5-9 | 緊張の面持ちで、しめ切り神事に挑もうとする新加用。スライド枠には「92.1.10」「安乗」の印が捺される。 | 志摩市阿児町安乗 | 1992.1.10 |
7178 | 安乗の御神祭り(しめ切り神事)5-10 | 2番切り。1番切りと同じ手順で、人びとが数える声に合わせて、大しめ縄の胴に切り込んでいく。スライド枠には「92.1.10」「安乗」の印が捺される。 | 志摩市阿児町安乗 | 1992.1.10 |
7179 | 安乗の御神祭り(しめ切り神事)5-11 | 2番切り。1番切りと同じ手順で、人びとが数える声に合わせて、大しめ縄の胴に切り込んでいく。スライド枠には「92.1.10」「安乗」の印が捺される。 | 志摩市阿児町安乗 | 1992.1.10 |
7180 | 安乗の御神祭り(しめ切り神事)5-12 | 悪疫退散や五穀豊穣、大漁満足のお守りにするため、切られた胴からワラ(タンペ)を抜き取って持ち帰る女たち。スライド枠には「92.1.10」「安乗」の印が捺される。 | 志摩市阿児町安乗 | 1992.1.10 |
7181 | 浜島の盤の魚神事1-1 | 1月11日に宇気比神社の神事として、宮の浜で「盤の魚神事」「弓引神事」の順で行われる。昔は、里区は御田の浜、大矢区は的の岡でそれぞれ行われていたが、現在は御田の浜一か所で行われている。享保年間のころからの伝統行事であるといわれ、もとは若宮八幡宮の伝承行事であったと伝えられている。(『浜島町史』より) 宇気比神社での式典を終えると、神官、カツオ船主、射手(中学生2人)、調理人が、四方をシメ縄で結界を張り、ゴザを敷いた会場(2.5間×6間)に座る。白い割烹着姿の女性たちがいそいそと準備をし、周りではたくさんのギャラリーがその様子を見守っている。スライド枠には「53.1.11」の印が捺され、「宮の浜」と記される。※神事の内容は、主に野村史隆氏の調査報告書(1992年1月11日)を参考とした。 | 志摩市浜島町浜島 | 1978.1.11 |
7182 | 浜島の盤の魚神事1-2 | 会場の隅に置かれた唐櫃と弓矢。唐櫃の上にはオミキと三宝が乗せられ、三宝には干し柿と四角く切った餅が盛られている。スライド枠には「53.1.11」の印が捺され、「包丁人 カラビツ」と記される。※スライドに赤いカビが付着している。 | 志摩市浜島町浜島 | 1978.1.11 |
7183 | 浜島の盤の魚神事1-3 | 盤の魚神事が終わると、年寄は自然石に包丁を当てて研ぐ真似をした後、列席者が持ち帰るボラ(出世魚)の刺身を手を使って作る。周りでは、割烹着姿の女性が刺身を包むための白紙を持ち、その様子を見守っている。列席者のカツオ船主は、白紙に包んだ刺身を急いで家に持ち帰り、家で待ち受けている船員一同の前で、エビス棚にお供えしたあと、「水夫(かこ)固め」(水夫寄せともいう)の宴会を催す。スライド枠には「53.1.11」の印が捺され、「S53」「10」と記される。※スライドに赤いカビが付着している。 | 志摩市浜島町浜島 | 1978.1.11 |
7184 | 浜島の盤の魚神事1-4 | 列席者の直会料理。オミキと酢の物である。スライド枠には「53.1.11」の印が捺され、「11」と記される。※フィルムに赤いカビが付着している。 | 志摩市浜島町浜島 | 1978.1.11 |
7185 | 浜島の弓引神事1-5 | 弓矢を運ぶ年寄。スライド枠には「53.1.11」の印が捺され、「14」と記される。※スライドに赤いカビが付着している。 | 志摩市浜島町浜島 | 1978.1.11 |
7186 | 浜島の弓引神事1-6 | 盤の魚神事が終わると弓引神事が始まる。裃を着用し、緊張した面持ちでゴザの上に正座をする射手の中学生2人。スライド枠には「53.1.11」の印が捺され、「S53」「15」と記される。※スライドに赤いカビが付着している。 | 志摩市浜島町浜島 | 1978.1.11 |
7187 | 浜島の弓引神事1-7 | 射手の20メートルほど前に、1メートル角の的が用意される。的には墨で3重丸が書かれている。的の準備をする「的踏み」と呼ばれる人たち。たくさんのギャラリーが、その様子を見守る。スライド枠には「53.1.11」の印が捺され、「16」と記される。※スライドに赤いカビが付着している。 | 志摩市浜島町浜島 | 1978.1.11 |
7188 | 浜島の弓引神事1-8 | 角的に6本の矢を射終えると、24センチほどの丸的に替える。「的替え」という。スライド枠には「53.1.11」の印が捺され、「的踏の的がえ」「18」と記される。※スライドに赤いカビが付着している。 | 志摩市浜島町浜島 | 1978.1.11 |
7189 | 浜島の弓引神事1-9 | 射手は片肌を脱いで、3歩前進し、一礼した後元の位置に戻り、2本ずつ3回矢を射る。的を見据えて、力いっぱい弓を引く射手。背後でたくさんのギャラリーがその様子を見守る。スライド枠には「53.1.11」の印が捺され、「浜島神祭」「19」と記される。※スライドに赤いカビが付着している。 | 志摩市浜島町浜島 | 1978.1.11 |
7190 | 浜島の弓引神事1-10 | 次に、射手が替って弓を構える。的は当てることを目的とするが、当たりすぎても良くないといい、黒星に当たってしまうと翌日引き直しが行われる。スライド枠には「53.1.11」の印が捺され、「20」と記される。 | 志摩市浜島町浜島 | 1978.1.11 |
7191 | 浜島の弓引神事1-11 | 2人の射手が矢を2回ずつ3回射終えると、子どもたちが的を破るため、駆け寄る。スライド枠には「53.1.11」の印が捺され、「的かえ」「22」と記される。※スライドに赤いカビが付着している。 | 志摩市浜島町浜島 | 1978.1.11 |
7192 | 浜島の弓引神事1-12 | 射手は片肌を脱いで、3歩前進し、一礼した後元の位置に戻り、2本ずつ3回矢を射る。的を見据えて、力いっぱい弓を引く射手。小的(丸い的)の最後の矢は、ダマ矢として海に向けて「南張の浜へすかしてやれ」と言って放つ。背後でたくさんのギャラリーがその様子を見守る。スライド枠には「53.1.11」の印が捺され、「浜島 ダマ矢打」「24」と記される。※スライドに赤いカビが付着している。 | 志摩市浜島町浜島 | 1978.1.11 |
7193 | 浜島の弓引神事1-13 | 無事に射手を務め、立ち上がって身支度をする2人の中学生。※スライドに赤いカビが付着している。 | 志摩市浜島町浜島 | 1978.1.11 |
7194 | 浜島の弓引神事2-1 | 2人の射手が矢を2回ずつ3回射終えると、子どもたちが的を破るため、駆け寄る。スライド枠には「S53」と記される。※スライドが赤く変色し、劣化が激しい。 | 志摩市浜島町浜島 | 1978.1.11 |
7195 | 浜島の弓引神事2-2 | ゴザの上に置かれた弓と2本の矢。スライド枠には「S53」と記される。※スライドに赤いカビが付着し、劣化が激しい。 | 志摩市浜島町浜島 | 1978.1.11 |
7196 | 浜島の弓引神事2-3 | 角的から丸的への的替えの時、射手が餅、干し柿、洗米を的場に撒く。それを子どもたちが奪い合う。スライド枠には「S53」と記される。※スライドに赤いカビが付着し、劣化が激しい。 | 志摩市浜島町浜島 | 1978.1.11 |
7197 | 浜島の弓引神事2-4 | 片肌を脱ぎ、左手に弓、右手に2本の矢を持つ射手。スライド枠には「S53」と記される。※スライドに赤いカビが付着し、劣化が激しい。 | 志摩市浜島町浜島 | 1978.1.11 |
7198 | 浜島の弓引神事2-5 | 2人の射手が写る。1人はゴザの上に正座し、もう1人は立ち上がり、弓を持つ。スライド枠には「S53」と記される。※スライドに赤いカビが付着している。 | 志摩市浜島町浜島 | 1978.1.11 |
7199 | 浜島の弓引神事2-6 | 片肌を脱ぎ、左手に弓、右手に矢を持つ射手。スライド枠には「S53」と記される。※スライドに赤いカビが付着し、劣化が激しい。 | 志摩市浜島町浜島 | 1978.1.11 |
7200 | 浜島の弓引神事2-7 | 片肌を脱ぎ、左手に弓、右手に矢を持つ射手。スライド枠には「S53」と記される。※スライドに赤いカビが付着し、劣化が激しい。 | 志摩市浜島町浜島 | 1978.1.11 |
7201 | 浜島の弓引神事2-8 | 片肌を脱ぎ、左手に弓、右手に矢を持ち構える射手。スライド枠には「S53」と記される。※スライドに赤いカビが付着し、劣化が激しい。 | 志摩市浜島町浜島 | 1978.1.11 |
7202 | 浜島の弓引神事2-9 | 唐櫃(木製の箱)に入れられた、自然石、包丁、金属の箸。スライド枠には「S53」と記される。※スライドに赤いカビが付着し、劣化が激しい。 | 志摩市浜島町浜島 | 1978.1.11 |
7203 | 浜島の弓引神事2-10 | 無事に射手を務め、立ち上がって身支度をする2人の中学生。スライド枠には「S53」と記される。※スライドに赤いカビが付着し、劣化が激しい。 | 志摩市浜島町浜島 | 1978.1.11 |
7204 | 浜島の弓引神事3-1 | 一般の人にオミキを振舞う、年寄。スライド枠には「53.1.11」の印が捺される。※フィルムに赤いカビが付着している。 | 志摩市浜島町浜島 | 1978.1.11 |
7205 | 浜島の弓引神事3-2 | ボラの刺身を白紙に包む、射手の2人。スライド枠には「53.1.11」の印が捺される。※スライドに赤いカビが付着し、劣化が激しい。 | 志摩市浜島町浜島 | 1978.1.11 |
7206 | 浜島の弓引神事3-3 | 列席者にオミキを振舞う、年寄。スライド枠には「53.1.11」の印が捺される。※スライドに赤いカビが付着し、劣化が激しい。 | 志摩市浜島町浜島 | 1978.1.11 |
7207 | 浜島の弓引神事3-4 | 射手は片肌を脱いで、3歩前進し、一礼した後元の位置に戻り、2本ずつ3回矢を射る。的を見据えて、力いっぱい弓を引く射手。背後でたくさんのギャラリーがその様子を見守る。スライド枠には「53.1.11」の印が捺される。※スライドに赤いカビが付着し、劣化が激しい。 | 志摩市浜島町浜島 | 1978.1.11 |
7208 | 浜島の弓引神事3-5 | 年寄が手伝い、片肌を脱ごうとする射手。背後でたくさんのギャラリーがその様子を見守る。スライド枠には「53.1.12」の印が捺される。※スライドに赤いカビが付着し、劣化が激しい。 | 志摩市浜島町浜島 | 1978.1.11 |
7209 | 浜島の弓引神事3-6 | 射手は片肌を脱いで、3歩前進し、一礼した後元の位置に戻り、2本ずつ3回矢を射る。背後でたくさんのギャラリーがその様子を見守る。スライド枠には「53.1.11」の印が捺される。※スライドに赤いカビが付着し、劣化が激しい。 | 志摩市浜島町浜島 | 1978.1.11 |
7210 | 浜島の弓引神事3-7 | 2人の射手が写る。1人はゴザの上に正座し、もう1人は立ち上がり、弓を持つ。スライド枠には「53.1.11」の印が捺される。※スライドに赤いカビが付着している。 | 志摩市浜島町浜島 | 1978.1.11 |
7211 | 浜島の弓引神事3-8 | 2人の射手が写る。1人はゴザの上に正座し、もう1人は立ち上がり、弓を持ち、矢を放った瞬間。スライド枠には「53.1.11」の印が捺される。※スライドに赤いカビが付着している。 | 志摩市浜島町浜島 | 1978.1.11 |
7212 | 浜島の弓引神事3-9 | 射手は片肌を脱いで、3歩前進し、一礼した後元の位置に戻り、2本ずつ3回矢を射る。的を見据えて、構える射手。背後でたくさんのギャラリーがその様子を見守る。スライド枠には「53.1.11」の印が捺される。※スライドに赤いカビが付着し、劣化が激しい。 | 志摩市浜島町浜島 | 1978.1.11 |
7213 | 浜島の弓引神事3-10 | 射手は片肌を脱いで、3歩前進し、一礼した後元の位置に戻り、2本ずつ3回矢を射る。的を見据えて、構える射手。背後でたくさんのギャラリーがその様子を見守る。スライド枠には「53.1.11」の印が捺される。※スライドに赤いカビが付着し、劣化が激しい。 | 志摩市浜島町浜島 | 1978.1.11 |
7214 | 浜島の弓引神事3-11 | 射手は片肌を脱いで、3歩前進し、一礼した後元の位置に戻り、2本ずつ3回矢を射る。的を見据えて、構える射手。背後でたくさんのギャラリーがその様子を見守る。スライド枠には「53.1.11」の印が捺される。※フィルムに赤いカビが付着し、劣化が激しい。 | 志摩市浜島町浜島 | 1978.1.11 |
7215 | 浜島の弓引神事3-12 | 射手は片肌を脱いで、3歩前進し、一礼した後元の位置に戻り、2本ずつ3回矢を射る。的を見据えて、力いっぱい弓を引く射手。背後でたくさんのギャラリーがその様子を見守る。スライド枠には「53.1.11」の印が捺される。 | 志摩市浜島町浜島 | 1978.1.11 |
7216 | 浜島の弓引神事3-13 | 射手は片肌を脱いで、3歩前進し、一礼した後元の位置に戻り、2本ずつ3回矢を射る。的を見据えて、力いっぱい弓を引く射手。背後でたくさんのギャラリーがその様子を見守る。スライド枠には「53.1.11」の印が捺される。 | 志摩市浜島町浜島 | 1978.1.11 |
7217 | 浜島の弓引神事4-1 | 弓引神事の的。スライド枠には「92.1.11」「浜島町」の印が捺され、「1」と記される。 | 志摩市浜島町浜島 | 1992.1.11 |
7218 | 浜島の宇気比神社4-2 | 社務所に掛けられた飾り物。スライド枠には「92.1.11」「浜島町」の印が捺され、「4」と記される。 | 志摩市浜島町浜島 | 1992.1.11 |
7219 | 浜島の宇気比神社4-3 | 宇気比神社正殿に掛けられた「対い鳩」(むかいばと)を染め抜いた奉納幕。スライド枠には「92.1.11」「浜島町」の印が捺され、「6」と記される。 | 志摩市浜島町浜島 | 1992.1.11 |
7220 | 浜島の宇気比神社4-4 | 宇気比神社正殿に掛けられた「対い鳩」(むかいばと)を染め抜いた奉納幕。スライド枠には「92.1.11」「浜島町」の印が捺され、「7」と記される。 | 志摩市浜島町浜島 | 1992.1.11 |
7221 | 浜島の宇気比神社4-5 | 対い鳩のアップ。「奉納 平成三年度 還暦祝」と見える。スライド枠には「92.1.11」「浜島町」の印が捺され、「8」と記される。 | 志摩市浜島町浜島 | 1992.1.11 |
7222 | 浜島の盤の魚神事4-6 | 午後1時になると、英虞湾奥で捕獲された2匹のボラ(出世魚)がまな板にのせられて持ち込まれる。それを昔から代々調理人の役をしている井上家が、カツオ船主、年寄、神官、組合役員の見守る中、手を触れずに真魚箸と包丁で三枚におろし、刺身をつくる。さらに、まな板の上に頭と尾を立て、中間に背骨、背ビレ、脇身をあしらって、飾り盛りをして、列席者に披露する。写真は、真魚箸と包丁を持ち、調理にかかろうとする裃姿の井上家の人。スライド枠には「92.1.11」「浜島町」の印が捺され、「13」と記される。 | 志摩市浜島町浜島 | 1992.1.11 |
7223 | 浜島の盤の魚神事4-7 | 真魚箸と包丁を持ち、調理にかかろうとする裃姿の井上家の人。スライド枠には「92.1.11」「浜島町」の印が捺され、「14」と記される。 | 志摩市浜島町浜島 | 1992.1.11 |
7224 | 浜島の盤の魚神事4-8 | 真魚箸でボラの頭を押さえる。スライド枠には「92.1.11」「浜島町」の印が捺され、「15」「盤の魚」と記される。 | 志摩市浜島町浜島 | 1992.1.11 |
7225 | 浜島の盤の魚神事4-9 | 真魚箸でボラの頭を押さえる。スライド枠には「92.1.11」「浜島町」の印が捺され、「16」と記される。 | 志摩市浜島町浜島 | 1992.1.11 |
7226 | 浜島の盤の魚神事4-10 | 白紙で包丁を拭く。スライド枠には「92.1.11」「浜島町」の印が捺され、「17」と記される。 | 志摩市浜島町浜島 | 1992.1.11 |
7227 | 浜島の盤の魚神事4-11 | 白紙で包丁を拭く。スライド枠には「92.1.11」「浜島町」の印が捺され、「18」と記される。 | 志摩市浜島町浜島 | 1992.1.11 |
7228 | 浜島の盤の魚神事5-1 | ボラの頭を落としてまな板の端に立て、次に身をおろす。スライド枠には「92.1.11」「浜島町」の印が捺され、「20」と記される。 | 志摩市浜島町浜島 | 1992.1.11 |
7229 | 浜島の盤の魚神事5-2 | ボラの頭を落としてまな板の端に立て、次に身をおろす。スライド枠には「92.1.11」「浜島町」の印が捺され、「21」と記される。 | 志摩市浜島町浜島 | 1992.1.11 |
7230 | 浜島の盤の魚神事5-3 | ボラの頭を落としてまな板の端に立て、次に身をおろす。スライド枠には「92.1.11」「浜島町」の印が捺され、「22」と記される。 | 志摩市浜島町浜島 | 1992.1.11 |
7231 | 浜島の盤の魚神事5-4 | ボラの頭を落としてまな板の端に立て、次に身をおろす。スライド枠には「92.1.11」「浜島町」の印が捺され、「23」と記される。 | 志摩市浜島町浜島 | 1992.1.11 |
7232 | 浜島の盤の魚神事5-5 | まな板の上に頭と尾を立て、中間に背骨、背ビレ、脇身をあしらって、飾り盛りをしたボラ。スライド枠には「92.1.11」「浜島町」の印が捺され、「27」と記される。 | 志摩市浜島町浜島 | 1992.1.11 |
7233 | 浜島の盤の魚神事5-6 | 2匹目のボラは、指導に当たっていた年寄が手を使って、列席者の持ち帰り用の刺身を作る。スライド枠には「92.1.11」「浜島町」の印が捺され、「29」と記される。 | 志摩市浜島町浜島 | 1992.1.11 |
7234 | 浜島の盤の魚神事5-7 | 列席者の持ち帰り用の刺身を準備する年寄たち。周りでたくさんの見学者が見守る。スライド枠には「92.1.11」「浜島町」の印が捺され、「34」と記される。 | 志摩市浜島町浜島 | 1992.1.11 |
7235 | 浜島の弓引神事5-8 | 盤の魚神事が終わると弓引神事が始まる。準備をする年寄と神官、射手を務める中学生2人。スライド枠には「92.1.11」「浜島町」の印が捺され、「2」と記される。 | 志摩市浜島町浜島 | 1992.1.11 |
7236 | 浜島の弓引神事6-1 | 射手は片肌を脱いで、3歩前進し、一礼した後元の位置に戻り、2本ずつ3回矢を射る。的を見据えて、構える射手。背後でたくさんのギャラリーがその様子を見守る。スライド枠には「92.1.11」「浜島町」の印が捺され、「4」と記される。 | 志摩市浜島町浜島 | 1992.1.11 |
7237 | 浜島の弓引神事6-2 | 射手は片肌を脱いで、3歩前進し、一礼した後元の位置に戻り、2本ずつ3回矢を射る。的を見据えて、構える射手。背後でたくさんのギャラリーがその様子を見守る。後方より撮影。スライド枠には「92.1.11」「浜島町」の印が捺され、「7」と記される。 | 志摩市浜島町浜島 | 1992.1.11 |
7238 | 浜島の弓引神事6-3 | 射手は片肌を脱いで、3歩前進し、一礼した後元の位置に戻り、2本ずつ3回矢を射る。的を見据えて、構える射手。背後でたくさんのギャラリーがその様子を見守る。後方より撮影。スライド枠には「92.1.11」「浜島町」の印が捺され、「8」と記される。 | 志摩市浜島町浜島 | 1992.1.11 |
7239 | 浜島の弓引神事6-4 | 射手は片肌を脱いで、3歩前進し、一礼した後元の位置に戻り、2本ずつ3回矢を射る。的を見据えて、構える射手。背後でたくさんのギャラリーがその様子を見守る。後方より撮影。スライド枠には「92.1.11」「浜島町」の印が捺され、「9」と記される。 | 志摩市浜島町浜島 | 1992.1.11 |
7240 | 浜島の弓引神事6-5 | 射手は片肌を脱いで、3歩前進し、一礼した後元の位置に戻り、2本ずつ3回矢を射る。的を放った射手。背後でたくさんのギャラリーがその様子を見守る。後方より撮影。スライド枠には「92.1.11」「浜島町」の印が捺され、「弓引き神事」「10」と記される。 | 志摩市浜島町浜島 | 1992.1.11 |
7241 | 浜島の弓引神事6-6 | 角的から丸的への的替えの時、射手が餅、干し柿、洗米を的場に撒く。それを子どもたちが奪い合う。スライド枠には「92.1.11」「浜島町」の印が捺され、「弓引き神事」「11」と記される。 | 志摩市浜島町浜島 | 1992.1.11 |
7242 | 浜島の弓引神事6-7 | 射手は片肌を脱いで、3歩前進し、一礼した後元の位置に戻り、2本ずつ3回矢を射る。的を見据えて、構える射手。背後でたくさんのギャラリーがその様子を見守る。後方より撮影。スライド枠には「92.1.11」「浜島町」の印が捺され、「14」と記される。 | 志摩市浜島町浜島 | 1992.1.11 |
7243 | 浜島の弓引神事6-8 | 小的(丸い的)の最後の矢は、ダマ矢として海に向けて「南張の浜へすかしてやれ」と言って放ち、それを海に飛び込んで取り合う。堤防の上で拾った矢を持つ少年。スライド枠には「92.1.11」「浜島町」の印が捺され、「17」と記される。 | 志摩市浜島町浜島 | 1992.1.11 |
7244 | 浜島の弓引神事6-9 | 射手は片肌を脱いで、3歩前進し、一礼した後元の位置に戻り、2本ずつ3回矢を射る。的を見据えて、構える射手。背後でたくさんのギャラリーがその様子を見守る。 | 志摩市浜島町浜島 | 1992.1.11 |
7245 | 浜島の盤の魚神事6-10 | まな板の上に頭と尾を立て、中間に背骨、背ビレ、脇身をあしらって、飾り盛りをしたボラ。傍らで白装束の年寄が見守る。 | 志摩市浜島町浜島 | 1992.1.11 |
7246 | 埋葬・儀礼1-1-1 | 渡鹿野の葬式。墓地の斎場で行われる。棺(座棺)は、龕(がん)という箱型の輿にのせ、葬列を整え、斎場、さらに墓所へ向かい埋葬される。葬式に参列する親族は、「いろかけ」という涙手拭いを襟にかける。赤が孫、黄は曾孫(ひこ)、紫は玄孫(やしゃご)、他の親族は白をかける。 2人の孫に担がれて、墓所の斎場に到着した輿(リヤカーに乗せられている。タイヤは一輪車のものを代用したと思われる。)2人の孫は額に法、僧の三角の帽を付けて赤の「いろかけ」を首に巻き、白い裃を着てワラ草履を履いている。 | 志摩市磯部町渡鹿野 | 1989.11.17 |
7247 | 埋葬・儀礼1-1-2 | 2人の孫に担がれて、墓所の斎場に到着した輿。2人の孫は額に法、僧の三角の帽を付けて赤の「いろかけ」を首に巻き、白い裃を着てワラ草履を履いている。天蓋が大きく写る。 | 志摩市磯部町渡鹿野 | 1989.11.17 |
7248 | 埋葬・儀礼1-1-3 | 2人の孫に担がれて、墓所の斎場に到着した輿。2人の孫は額に法、僧の三角の帽を付けて赤の「いろかけ」を首に巻き、白い裃を着てワラ草履を履いている。天蓋が大きく写る。 | 志摩市磯部町渡鹿野 | 1989.11.17 |
7249 | 埋葬・儀礼1-2-1 | 竜頭(吊り灯籠付き)3本、花籠1本(死者の年齢より一つ多い数の撒き銭を入れる。花籠を道の辻で振ると花弁といっしょに銭がばらまかれる。子どもたちだけでなく、大人までも先を競って銭を拾う。拾った銭を家に持ち帰る時には塩で清める。)他に幟旗2本、天蓋が写る。 | 志摩市磯部町渡鹿野 | 1989.11.17 |
7250 | 埋葬・儀礼1-2-2 | 六角花足3本、台が六角形で漆塗りである。蓮の花を模しており、2本の茎の部分は杉の枝に小さなダンゴが付けてあり、1本は丸いクッキーのようなお菓子が7枚貼り付けてある。 | 志摩市磯部町渡鹿野 | 1989.11.17 |
7251 | 埋葬・儀礼1-2-3 | 斎場での葬礼の様子。到着と同時に提灯、輿、仏持、飯持ち、水持ち、供え物持ちなどの近親者等が、斎場中央の棺台石の周りを左回りに3回りする。僧侶と参列者たちはその様子を見守る。3回りするのは、方向感覚を狂わせることで故人を迷わせ、帰ってこられないようにするための儀式であると言われる。 | 志摩市磯部町渡鹿野 | 1989.11.17 |
7252 | 埋葬・儀礼1-2-4 | 斎場での葬礼の様子。到着と同時に提灯、輿、仏持、飯持ち、水持ち、供え物持ちなどの近親者等が、斎場中央の棺台石の周りを左回りに3回りする。僧侶と参列者たちはその様子を見守る。3回りするのは、方向感覚を狂わせることで故人を迷わせ、帰ってこられないようにするための儀式であると言われる。 | 志摩市磯部町渡鹿野 | 1989.11.17 |
7253 | 埋葬・儀礼1-2-5 | 斎場での葬礼の様子。到着と同時に提灯、輿、仏持、飯持ち、水持ち、供え物持ちなどの近親者等が、斎場中央の棺台石の周りを左回りに3回りする。僧侶と参列者たちはその様子を見守る。 | 志摩市磯部町渡鹿野 | 1989.11.17 |
7254 | 埋葬・儀礼1-2-6 | 斎場での葬礼の様子。到着と同時に提灯、輿、仏持、飯持ち、水持ち、供え物持ちなどの近親者等が、斎場中央の棺台石の周りを左回りに3回りする。僧侶と参列者たちはその様子を見守る。3回りするのは、方向感覚を狂わせることで故人を迷わせ、帰ってこられないようにするための儀式であると言われる。 | 志摩市磯部町渡鹿野 | 1989.11.17 |
7255 | 埋葬・儀礼1-3-1 | 六角花足4本、台が六角形で漆塗りである。蓮の花を模しており、2本の茎の部分は杉の枝に小さなダンゴが付けてあり、2本は丸いクッキーのようなお菓子が7枚貼り付けてある。 | 志摩市磯部町渡鹿野 | 1989.11.17 |
7256 | 埋葬・儀礼1-3-2 | アルバムのデータ記載欄には「先頭の提灯」と記される。黒のスーツに白の「いろかけ」を首に巻き、右手に提灯、左手に数珠を持つ年配の男性。 | 志摩市磯部町渡鹿野 | 1989.11.17 |
7257 | 埋葬・儀礼1-3-3 | 葬式が終わると棺(座棺)を輿から出す。 この頃は、湯かんで体をきれいにし死に装束を着せた後、遺体が硬直する前に、手を合掌、足を折り曲げて置いた。座棺の大きさは決まっており、体の大きい人は、体の関節を外して納めた。また死は、彼岸への長の旅立ちでとある考え、修行者と同じ笈ずるを着せ、血脈(仏教徒である戒をうけたしるし。僧侶から授かる)、日常使っていたメガネ、煙草入れ、数珠、薬、お菓子、印籠、六文銭(三途の川の渡し賃)などを入れたズタ袋を遺体の首にかけた。 | 志摩市磯部町渡鹿野 | 1989.11.17 |
7258 | 埋葬・儀礼1-3-4 | 再び孫が棺(座棺)を担ぎ、埋葬する墓地へ向かう。 | 志摩市磯部町渡鹿野 | 1989.11.17 |
7259 | 埋葬・儀礼1-3-5 | 再び孫が棺(座棺)を担ぎ、埋葬する墓地へ向かう。 | 志摩市磯部町渡鹿野 | 1989.11.17 |
7260 | 埋葬・儀礼1-3-6 | 棺を埋める墓穴を堀る人は、山行きと称し、近親者や隣人2~3人が務める。この役を家造り、霊屋(たまや)造り、山行き、穴掘りなどと言い、呼び名は地域によって異なる。掘られた穴の傍らには、茶色に変色した先祖の骨が積まれている。 | 志摩市磯部町渡鹿野 | 1989.11.17 |
7261 | 埋葬・儀礼1-4-1 | 棺を穴に納める様子と見守る参列者。 | 志摩市磯部町渡鹿野 | 1989.11.17 |
7262 | 埋葬・儀礼1-4-2 | 棺をワラ製のオダテモッコで持ち上げる親族。 | 志摩市磯部町渡鹿野 | 1989.11.17 |
7263 | 埋葬・儀礼1-4-3 | 棺を穴に納める様子と見守る参列者。穴は棺の大きさギリギリに掘られているため、オダテモッコに乗せて慎重に納める。 | 志摩市磯部町渡鹿野 | 1989.11.17 |
7264 | 埋葬・儀礼1-4-4 | 棺を穴に納める様子と見守る参列者。穴は棺の大きさギリギリに掘られているため、オダテモッコに乗せて慎重に納める。 | 志摩市磯部町渡鹿野 | 1989.11.17 |
7265 | 埋葬・儀礼1-4-5 | 棺を穴に納め、オダテモッコを抜き取る。(先祖の骨がまだ積み上げられたままなので、新仏の棺の上に置かれたと思われる。) | 志摩市磯部町渡鹿野 | 1989.11.17 |
7266 | 埋葬・儀礼1-4-6 | 僧侶の読経の中、近親者が3鍬ずつ土をかける。 | 志摩市磯部町渡鹿野 | 1989.11.17 |
7267 | 埋葬・儀礼1-5-1 | 僧侶の読経の中、近親者が3鍬ずつ土をかける。 | 志摩市磯部町渡鹿野 | 1989.11.17 |
7268 | 埋葬・儀礼1-5-2 | 僧侶の読経の中、近親者が3鍬ずつ土をかける。 | 志摩市磯部町渡鹿野 | 1989.11.17 |
7269 | 埋葬・儀礼1-5-3 | 墓の隅に置かれた、故人の遺影、位牌、膳(故人が生前使用していた茶碗にご飯を山盛りにし、中央に箸を垂直に立てた一膳飯、お茶、梅干し)、ダンゴ、甘露水。 | 志摩市磯部町渡鹿野 | 1989.11.17 |
7270 | 埋葬・儀礼2-1-1 | 前海庵本堂の南側にある大日堂。大日如来石像(仏身51㎝)がまつられている。 | 志摩市磯部町渡鹿野 | 1990.6.11 |
7271 | 埋葬・儀礼2-1-2 | 渡鹿野の葬送用具調査(あるいは収集か?石原館長の後ろ姿が写る)の様子。現在、葬送用具一式は海の博物館が収蔵している。 | 志摩市磯部町渡鹿野 | 1990.6.11 |
7272 | 埋葬・儀礼2-1-3 | 木箱に納められた、葬送用具。手前に木製の棺(座棺)を運ぶ吊台が置かれている。 | 志摩市磯部町渡鹿野 | 1990.6.11 |
7273 | 埋葬・儀礼2-1-4 | 天蓋が収納されている木箱のふたを開ける。 | 志摩市磯部町渡鹿野 | 1990.6.11 |
7274 | 埋葬・儀礼2-1-5 | 木箱の蓋の裏には「前海庵什物 白霊山現住八〇代 新添」と墨書されている。 | 志摩市磯部町渡鹿野 | 1990.6.11 |
7275 | 埋葬・儀礼2-1-6 | 前海庵(曹洞宗 鳥羽常安寺末寺)。寺号は、白雲山前海庵、開基は延宝3年(1675)に常安寺5世祖呑の弟子梅散春教により開山し、その後安永9年(1780)に、天山謙龍が中興した。古くは朝熊岳奥の院の末寺であり、臨済宗に属していたが、慶長年間に鳥羽藩が実施した「志摩の大法改」といわれる政策によって、曹洞宗に改宗し、現在に至っている。無住寺である。(参考:『磯部町史』下巻) | 志摩市磯部町渡鹿野 | 1990.6.11 |
7276 | 埋葬・儀礼2-2-1 | 前海庵境内の大日堂。 | 志摩市磯部町渡鹿野 | 1990.6.11 |
7277 | 埋葬・儀礼2-2-2 | 屋根に上げられた鍾馗さん。図像を飾ることで疫病除け、魔除けの効果があるとさる。場所不明 要調査 | 不明 | 不明 |
7278 | 菅島・景観2-2-3 | 注連縄 場所不明 要調査 | 鳥羽市菅島町 | 不明 |
7279 | 菅島・景観2-2-4 | シロンゴ祭が行われる白浜。砂浜中央の岩は、祭の時にホラ貝を吹く岩。中央に見える山は、烏帽子山である。 | 鳥羽市菅島町 | 不明 |
7280 | 菅島・景観2-2-5 | 菅島の御篝堂(おかがりどう)があった付近に散乱している瓦片。御篝堂は、寛文13(1673)年西回り航路を開拓した河村瑞賢(かわむらずいけん)は、航行する上で、菅島に航路標識が必要であると考え、建設された。 | 鳥羽市菅島町 | 不明 |
7281 | 菅島・景観2-2-6 | 山林化してしまった、御篝堂跡。 | 鳥羽市菅島町 | 不明 |
7282 | 菅島・景観2-3-1 | 監的哨から太平洋を臨む。左隅にシロンゴ浜が見える。中央がエボシ山で、御篝堂がこの辺りにあったと伝えられる。 | 鳥羽市菅島町 | 不明 |
7283 | 菅島・景観2-3-2 | 菅島灯台遠景。菅島灯台は「日本の灯台50選」に選ばれている。明治6(1873)年に初点灯し、現役では最古のレンガ造りの灯台である。 | 鳥羽市菅島町 | 不明 |
7284 | 菅島・景観2-3-3 | 監的哨から太平洋を臨む。 | 鳥羽市菅島町 | 不明 |
7285 | 菅島・景観2-3-4 | シロンゴ祭が行われる白浜。 | 鳥羽市菅島町 | 不明 |
7286 | 菅島・景観2-3-5 | シロンゴ祭が行われる白浜から答志和具を見る。中央奥に伊良子岬が見える。 | 鳥羽市菅島町 | 不明 |
7287 | 方座浦・人の一生関係(盆行事)1-1-1 | 海徳寺(臨済宗)の本堂、軒下に「瑞鳳山」と記された横額が掛けられている。本堂の外には水向け棚が組まれており、棚の中央に三界万霊塔 初盆の施餓鬼が始まる前か、女性は黒の礼服、男性は白いカッターシャツに黒いズボンをはいて、本堂に座っている。外から撮影。アルバムのデータ記載欄には「セガキ」と記される。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1985.8.13 |
7288 | 方座浦・人の一生関係(盆行事)1-2-1 | 本堂内部。長机の上に6基の初盆の灯籠が並ぶ。アルバムのデータ記載欄には「トウロウ(寺) 初盆 セガキ」と記される。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1985.8.13 |
7289 | 方座浦・人の一生関係(盆行事)1-2-2 | 寺の鐘を鳴らし、施餓鬼の始まりを知らせる。アルバムのデータ記載欄には「カネを鳴らす セガキ始」と記される。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1985.8.13 |
7290 | 方座浦・人の一生関係(盆行事)1-2-3 | アルバムのデータ記載欄には「セガキ」と記される。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1985.8.13 |
7291 | 方座浦・人の一生関係(盆行事)1-2-4 | アルバムのデータ記載欄には「セガキ」と記される。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1985.8.13 |
7292 | 方座浦・人の一生関係(盆行事)1-2-5 | アルバムのデータ記載欄には「セガキの旗をわける」と記される。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1985.8.13 |
7293 | 方座浦・人の一生関係(盆行事)1-2-6 | アルバムのデータ記載欄には「セガキの旗」と記される。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1985.8.13 |
7294 | 方座浦・人の一生関係(盆行事)1-3-1 | 民家の廊下に設けられた精霊棚。棚の前側に竹筒を立てて、シキビや盆花(禊萩)、ホオヅキを挿す。棚の中央に線香立てや湯呑を置き、季節の野菜や果物、ぼた餅、菓子、団子、御飯、鐘楼箸等が供えられている。アルバムのデータ記載欄には「ショウロさん」と記される。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1985.8.13 |
7295 | 方座浦・人の一生関係(盆行事)1-3-2 | 民家の廊下に設けられた精霊棚。棚の前側に竹筒を立てて、シキビや盆花(禊萩)、ホオヅキを挿す。棚の中央に線香立てや湯呑を置き、季節の野菜や果物、ぼた餅、菓子、団子、御飯、鐘楼箸等が供えられている。アルバムのデータ記載欄には「ショウロさん」と記される。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1985.8.13 |
7296 | 方座浦・人の一生関係(盆行事)1-3-3 | 民家の軒下に設けられた精霊棚にお参りをする男性の後ろ姿。足元では盆の迎え火が焚かれている。アルバムのデータ記載欄には「8.13 ショウロさんおまいり」と記される。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1985.8.13 |
7297 | 方座浦・人の一生関係(盆行事)1-3-4 | 民家の軒下に設けられた精霊棚にお参りをする女性の後ろ姿。足元では盆の迎え火が焚かれている。アルバムのデータ記載欄には「ショウロさんおまいり」と記される。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1985.8.13 |
7298 | 方座浦・人の一生関係(盆行事)1-3-5 | 民家の軒下に設けられた精霊棚に、シキビの枝葉で水をかけてお参りする女性の後ろ姿。足元では盆の迎え火が焚かれている。アルバムのデータ記載欄には「ショウロさんおまいり」と記される。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1985.8.13 |
7299 | 方座浦・人の一生関係(盆行事)1-3-6 | 路地。夕刻か、盆の迎え火も写る。アルバムのデータ記載欄には「ショウロさんおまいり」と記される。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1985.8.13 |
7300 | 方座浦・人の一生関係(盆行事)1-4-1 | 海岸沿いの広場に初盆の灯籠を海に向かって置き、親族だけで太鼓と鉦の音に合わせて「精霊踊り」をする。広場には提灯が飾られ、その間に「実力阻止!!」の横断幕が掛けられている。当時、芦浜原発反対運動の真っ只中であった。アルバムのデータ記載欄には「ショウロウオドリ」と記される。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1985.8.13 |
7301 | 方座浦・人の一生関係(盆行事)1-4-2 | 海に向かって並べられた初盆の灯籠、7基。アルバムのデータ記載欄には「初盆 トウロウ(浜)」と記される。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1985.8.13 |
7302 | 方座浦・人の一生関係(盆行事)1-4-3 | 一家団欒の様子。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1985.8.13 |
7303 | 方座浦・コガツオ釣り1-4-4 | 機械場の上部に「原発反対」のステッカーを貼って操業する小型漁船。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1985.8.13 |
7304 | 方座浦・コガツオ釣り1-5-1 | アルバムのデータ記載欄には「ハネを出す」と記される。小型漁船のトモ(後方)からハネ(釣り竿)を出してコガツオを狙う。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1985.8.14 |
7305 | 方座浦・コガツオ釣り1-5-2 | 小型漁船のトモ(後方)からハネ(釣り竿)を出してコガツオを狙う。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1985.8.14 |
7306 | 方座浦・コガツオ釣り1-5-3 | アルバムのデータ記載欄には「船を進めて曳く」と記される。小型漁船のトモ(後方)からハネ(釣り竿)を出してコガツオを狙う。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1985.8.14 |
7307 | 方座浦・コガツオ釣り1-5-4 | アルバムのデータ記載欄には「ハイカラ 浮いたとこ」と記される。小型漁船のトモ(後方)からハネ(釣り竿)を出してコガツオを狙う。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1985.8.14 |
7308 | 方座浦・コガツオ釣り1-5-5 | アルバムのデータ記載欄には「釣り揚げ」と記される。※スライドの中央下に少し薄緑色のカビがある。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1985.8.14 |
7309 | 方座浦・コガツオ釣り1-5-6 | アルバムのデータ記載欄には「釣り揚げ」と記される。※スライドの左の上側に少し薄緑色のカビがある。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1985.8.14 |
7310 | 方座浦・コガツオ釣り1-6-2 | アルバムのデータ記載欄には「他の船」と記される。※スライドの全体に少し薄緑色のカビがある。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1985.8.14 |
7311 | 方座浦・コガツオ釣り1-6-3 | アルバムのデータ記載欄には「他の船」と記される。※スライドの全体に少し薄緑色のカビがある。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1985.8.14 |
7312 | 方座浦・コガツオ釣り1-6-5 | 釣り上げられたコガツオ。アルバムのデータ記載欄には「小ガツオ」と記される。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1985.8.14 |
7313 | 方座浦・コガツオ釣り1-6-6 | 釣り上げられたコガツオ。アルバムのデータ記載欄には「小ガツオ」と記される。※スライドの上部に少し薄緑色のカビがある。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1985.8.14 |
7314 | 方座浦・人の一生関係(盆行事)2-1-1 | 盆踊りの広場。浴衣を着た男児を抱っこして笑顔で手を振る女性。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1985.8.15 |
7315 | 方座浦・人の一生関係(盆行事)2-1-2 | 広場中央の屋台で年配の男性が太鼓を叩き、女性が輪になって踊る。アルバムのデータ記載欄には「盆オドリ」と記される。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1985.8.15 |
7316 | 方座浦・人の一生関係(盆行事)2-1-3 | アルバムのデータ記載欄には「ショウロサンのオクリ」と記される。海に流す、鐘楼棚の供え物(精霊箸、果物、野菜)が箱に入れられている。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1985.8.15 |
7317 | 方座浦・人の一生関係(盆行事)2-2-1 | アルバムのデータ記載欄には「トウロウ」と記される。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1985.8.15 |
7318 | 方座浦・人の一生関係(盆行事)2-2-2 | アルバムのデータ記載欄には「寺へ」と記される。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1985.8.15 |
7319 | 方座浦・人の一生関係(盆行事)2-2-3 | アルバムのデータ記載欄には「盆12時」と記される。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1985.8.15 |
7320 | 方座浦・人の一生関係(盆行事)2-2-4 | アルバムのデータ記載欄には「盆12時 海にまいる」と記される。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1985.8.15 |
7321 | 方座浦・人の一生関係(盆行事)2-2-5 | アルバムのデータ記載欄には「寺へ」と記される。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1985.8.15 |
7322 | 方座浦・人の一生関係(盆行事)2-2-6 | アルバムのデータ記載欄には「寺へ」と記される。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1985.8.15 |
7323 | 方座浦・人の一生関係(盆行事)2-3-1 | アルバムのデータ記載欄には「墓へ」と記される。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1985.8.15 |
7324 | 方座浦・人の一生関係(結納)2-4-1 | 座敷に結納品(酒・かつお節・するめ・昆布・はきもの・傘など)を並べて親族に披露する。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 不明 |
7325 | 方座浦・人の一生関係(葬式)2-4-3 | 家族が亡くなると、忌明けまでの間神棚に白紙(半紙)を貼る。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1986.2.11 |
7326 | 方座浦・人の一生関係(葬式)2-4-4 | アルバムのデータ記載欄には「テンガイのジャ」と記される。天蓋は、本来は貴人にかざす傘状の覆いであるが、葬送の道具としては棺の上にかざす小さな屋根上の道具を指す。ジャとは、龍の頭をかたどった道具で、灯籠、幟、天蓋をさげる竿の先に付けられる。寺が所有し、借り出して使われる。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1986.2.11 |
7327 | 方座浦・人の一生関係(葬式)2-4-5 | アルバムのデータ記載欄には「テンガイのジャ」と記される。天蓋は、本来は貴人にかざす傘状の覆いであるが、葬送の道具としては棺の上にかざす小さな屋根上の道具を指す。ジャとは、龍の頭をかたどった道具で、灯籠、幟、天蓋をさげる竿の先に付けられる。寺が所有し、借り出して使われる。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1986.2.11 |
7328 | 方座浦・人の一生関係(葬式)2-4-6 | アルバムのデータ記載欄には「テンガイ他」と記される。天蓋は、本来は貴人にかざす傘状の覆いであるが、葬送の道具としては棺の上にかざす小さな屋根上の道具を指す。ジャとは、龍の頭をかたどった道具で、灯籠、幟、天蓋をさげる竿の先に付けられる。寺が所有し、借り出して使われる。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1986.2.11 |
7329 | 方座浦・人の一生関係(葬式)2-5-1 | 葬家の屋外に並べられた、たくさんの供花(きょうか・くげ)。供花には札名(名札、木札、立札ともいう)が付けられている。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1986.2.11 |
7330 | 方座浦・人の一生関係(葬式)2-5-2 | 葬家の屋外に並べられた、たくさんの供花(きょうか・くげ)。供花には札名(名札、木札、立札ともいう)が付けられている。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1986.2.11 |
7331 | 方座浦・人の一生関係(葬式)2-5-3 | 葬家の屋外に並べられた、たくさんの供花(きょうか・くげ)。供花には札名(名札、木札、立札ともいう)が付けられている。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1986.2.11 |
7332 | 方座浦・人の一生関係(葬式)2-5-4 | 葬家の屋外に並べられた、5基の供花(シキビを大きな白いリボンで結んでいる)供花には札名(名札、木札、立札ともいう)が付けられている。大台町、津市の甥や姪から送られたものだという。(2021年5月聞き取り) | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1986.2.11 |
7333 | 方座浦・人の一生関係(葬式)2-5-5 | 仏壇の前に設えられた4段の祭壇。最上段に位牌と遺骨、3段目には遺影、積み団子、果物等、2段目に箸を立てた一膳飯(高く盛り上げた飯)、枕団子、水、香典、果物、1段目に線香と線香立て、リン等が置かれている。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1986.2.11 |
7334 | 方座浦・人の一生関係(葬式)2-5-6 | 仏壇の前に設えられた4段の祭壇。最上段に位牌と遺骨、3段目には遺影、積み団子、果物等、2段目に箸を立てた一膳飯(高く盛り上げた飯)、枕団子、水、香典、果物、1段目に線香と線香立て、リン等が置かれている。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1986.2.11 |
7335 | 方座浦・人の一生関係(葬式)2-6-1 | 仏壇の前に設えられた4段の祭壇。最上段に位牌と遺骨、3段目には遺影、積み団子、果物等、2段目に箸を立てた一膳飯(高く盛り上げた飯)、枕団子、水、香典、果物、1段目に線香と線香立て、リン等が置かれている。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1986.2.11 |
7336 | 方座浦・人の一生関係(葬式)2-6-2 | 仏壇の前に設えられた4段の祭壇。最上段に位牌と遺骨、3段目には遺影、積み団子、果物等、2段目に箸を立てた一膳飯(高く盛り上げた飯)、枕団子、水、香典、果物、1段目に線香と線香立て、リン等が置かれている。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1986.2.11 |
7337 | 方座浦・人の一生関係(葬式)2-6-3 | 野辺送りの際、喪主や役の人が額に付ける、三角形の紙。金の卍が付けられている。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1986.2.11 |
7338 | 方座浦・人の一生関係(葬式)2-6-4 | 仏壇の前に設えられた4段の祭壇。最上段に位牌と遺骨、3段目には遺影、積み団子、果物等、2段目に箸を立てた一膳飯(高く盛り上げた飯)、枕団子、水、香典、果物、1段目に線香と線香立て、リン等が置かれている。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1986.2.11 |
7339 | 方座浦・人の一生関係(葬式)3-1-1 | 葬家の前で野辺送り(葬列)の出発を待つ親族。首に白い涙手拭いを掛けている。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1986.2.11 |
7340 | 方座浦・人の一生関係(葬式)3-1-2 | 出棺の儀式が行われ、僧侶の読経に続き焼香と別れの杯事をして出棺となる。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1986.2.11 |
7341 | 方座浦・人の一生関係(葬式)3-2-1 | 野辺送り(葬列)に出発する前、葬家の前に集まり出棺を待つ、関係者たち。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1986.2.11 |
7342 | 方座浦・人の一生関係(葬式)3-2-2 | 野辺送り(葬列)に出発する前、葬家の前に集まり出棺を待つ、関係者たち。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1986.2.11 |
7343 | 方座浦・人の一生関係(葬式)3-2-3 | 額に三角形の紙を巻いた位牌持ち、花持ち、遺影持ち等、葬家の前に並ぶ親族。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1986.2.11 |
7344 | 方座浦・人の一生関係(葬式)3-2-4 | 額に三角形の紙を巻いた位牌持ち、花持ち、遺影持ち等、葬家の前に並ぶ親族。故人が高齢の時は道中花かごを振ってお金を撒くため、子どもたちも集まってきた。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1986.2.11 |
7345 | 方座浦・人の一生関係(葬式)3-2-5 | 野辺送り(葬列)に出発する前、葬家の前に集まり出棺を待つ、関係者たち。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1986.2.11 |
7346 | 方座浦・人の一生関係(葬式)3-2-6 | 野辺送り(葬列)に出発する前、葬家の前に集まり出棺を待つ、関係者たち。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1986.2.11 |
7347 | 方座浦・人の一生関係(葬式)3-3-1 | 額に三角形の紙を巻いた位牌持ち、花持ち、遺影持ち等、葬家の前に並ぶ親族。故人が高齢の時は道中花かごを振ってお金を撒くため、子どもたちも集まってきた。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1986.2.11 |
7348 | 方座浦・人の一生関係(葬式)3-3-2 | 額に三角形の紙を巻いた位牌持ち、花持ち、遺影持ち等、葬家の前に並ぶ親族。故人が高齢の時は道中花かごを振ってお金を撒くため、子どもたちも集まってきた。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1986.2.11 |
7349 | 方座浦・人の一生関係(葬式)3-3-3 | 額に三角形の紙を巻いた位牌持ち、花持ち、遺影持ち等、葬家の前に並ぶ親族。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1986.2.11 |
7350 | 方座浦・人の一生関係(葬式)3-3-4 | 額に三角形の紙を巻いた位牌持ち、花持ち、遺影持ち等、葬家の前に並ぶ親族。故人が高齢の時は道中花かごを振ってお金を撒くため、子どもたちも集まってきた。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1986.2.11 |
7351 | 方座浦・人の一生関係(葬式)3-3-5 | 額に三角形の紙を巻いた位牌持ち、花持ち、遺影持ち等、葬家の前に並ぶ親族。故人が高齢の時は道中花かごを振ってお金を撒くため、子どもたちも集まってきた。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1986.2.11 |
7352 | 方座浦・人の一生関係(葬式)3-3-6 | 額に三角形の紙を巻いた位牌持ち、花持ち、遺影持ち等、葬家の前に並ぶ親族。故人が高齢の時は道中花かごを振ってお金を撒くため、子どもたちも集まってきた。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1986.2.11 |
7353 | 方座浦・人の一生関係(葬式)3-4-1 | 野辺送り(葬列)の様子。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1986.2.11 |
7354 | 方座浦・人の一生関係(葬式)3-4-2 | 野辺送り(葬列)の様子。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1986.2.11 |
7355 | 方座浦・人の一生関係(葬式)3-4-3 | 野辺送り(葬列)の様子。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1986.2.11 |
7356 | 方座浦・人の一生関係(葬式)3-4-4 | 野辺送り(葬列)の様子。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1986.2.11 |
7357 | 方座浦・人の一生関係(葬式)3-4-5 | 墓場(墓地横の広場)での葬式の様子。提灯、輿、仏持、飯持ち、水持ち、供え物持ちなどの近親者等が到着した。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1986.2.11 |
7358 | 方座浦・人の一生関係(葬式)3-4-6 | 墓場(墓地横の広場)での葬式の様子。提灯、輿、仏持、飯持ち、水持ち、供え物持ちなどの近親者等が到着した。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1986.2.11 |
7359 | 方座浦・人の一生関係(葬式)3-5-1 | 墓場(墓地横の広場)の中央に祭壇を設置して、遺骨と供え物を置く。その周りに近親者が持ってきた提灯、天蓋などが立てかけられている。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1986.2.11 |
7360 | 方座浦・人の一生関係(葬式)3-5-2 | 墓場(墓地横の広場)での葬式の様子。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1986.2.11 |
7361 | 方座浦・人の一生関係(葬式)3-5-3 | 墓場(墓地横の広場)での葬式の様子。多くの参拝者が写る。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1986.2.11 |
7362 | 方座浦・人の一生関係(葬式)3-5-4 | 墓場(墓地横の広場)の中央に、祭壇を設置して遺骨と供え物を置く。その周りに近親者が持ってきた提灯、天蓋などが立てかけられている。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1986.2.11 |
7363 | 方座浦・人の一生関係(葬式)3-5-5 | 整列する喪服を着た親族たち。白い涙手拭いを巻いている。その傍らに念仏婆さんが3人、地面にゴザと座布団を敷き、正座している。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1986.2.11 |
7364 | 方座浦・人の一生関係(葬式)3-5-6 | 正座する3人の念仏婆さん。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1986.2.11 |
7365 | 方座浦・人の一生関係(葬式)3-6-1 | 参列者に向けてお礼のあいさつ文を読む親族代表の女性。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1986.2.11 |
7366 | 方座浦・人の一生関係(葬式)3-6-2 | 親族。孫は赤い涙手拭いを巻いている。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1986.2.11 |
7367 | 方座浦・人の一生関係(葬式)3-6-3 | 親族。孫は赤い涙手拭いを巻いている。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1986.2.11 |
7368 | 方座浦・人の一生関係(葬式)3-6-4 | 合掌する念仏婆さん。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1986.2.11 |
7369 | 方座浦・人の一生関係(葬式)3-6-5 | 喪主の焼香。背後に朱傘(しゅがさ)をさし、曲?(きょくろく)に座った導師(朱傘とは、僧侶にかざす大ぶりの朱色の傘である。)と5人の僧侶が写る。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1986.2.11 |
7370 | 方座浦・人の一生関係(葬式)3-6-6 | 親族の焼香。朱傘(しゅがさ)をさし、曲?(きょくろく)に座った導師(朱傘とは、僧侶にかざす大ぶりの朱色の傘である。)5人の僧侶も写る。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1986.2.11 |
7371 | 方座浦・人の一生関係(葬式)4-1-1 | 葬家の裏口に用意された塩水を入れたタライとワラの束。葬式から帰った親族が塩水で靴底を浄めた後、ワラ束で拭く。アルバムのデータ記載欄には「タライとワラ束」と記される。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1986.2.11 |
7372 | 方座浦・人の一生関係(葬式)4-1-2 | 納骨が終わり、墓に参る親族。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1986.2.11 |
7373 | 方座浦・人の一生関係(葬式)4-1-3 | 墓地全体の様子。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1986.2.11 |
7374 | 方座浦・ポスター4-1-4 | 青峯山 御船祭(おふなまつり)が2月26日(旧正月18日)に開催されることを知らせるポスター。青峯山は、志摩市磯部町と鳥羽市松尾町との境にある山で、海抜336mと志摩では最も高い。地元ではアオノミネ・アオノミネサン・アオミネサンなどと親しみを込めて称されている。山頂には十一面観音を本尊とする真言宗大覚寺派の正福寺があり、「東海の金毘羅さん」ともいわれ、海上安全の守り本尊として志摩の海女、漁師はもとより、三重・愛知・静岡の三県を中心に、日本各地の漁民からあつい信仰を受けている。ここ、南伊勢町方座浦においても篤い信仰を集めていたことがわかる。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1986.2.11 |
7375 | 方座浦・ヤリイカ漁4-2-2 | 方座浦のヤリイカ漁は、産卵に集まるイカを狙う2月が最盛期だった。集魚灯を付けてイカを集めるが、多い時は網(三角網、棒受け網)で一斉に獲った。アルバムのデータ記載欄には「ヤリイカ漁」と記される。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1986.2.17 |
7376 | 方座浦・ヤリイカ漁4-2-3 | 漁場に向かう漁船。アルバムのデータ記載欄には「ヤリイカ漁」と記される。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1986.2.17 |
7377 | 方座浦・ヤリイカ漁4-2-4 | 鳥の群れ。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1986.2.17 |
7378 | 方座浦・ヤリイカ漁4-2-5 | 沖には集魚灯を点けたたくさんの漁船が浮かぶ。アルバムのデータ記載欄には「ヤリイカ漁」と記される。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1986.2.17 |
7379 | 方座浦・ヤリイカ漁4-3-1 | 闇が濃くなり、漁船の集魚灯が明るく写る。アルバムのデータ記載欄には「ヤリイカ漁」と記される。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1986.2.17 |
7380 | 方座浦・ヤリイカ漁4-3-2 | 闇が濃くなり、漁船の集魚灯が明るく写る。アルバムのデータ記載欄には「ヤリイカ漁」と記される。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1986.2.17 |
7381 | 方座浦・白龍大神の額4-4-1 | 白龍大神の額。海の博物館に寄贈された。アルバムのデータ記載欄には「白龍大神」と記される。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1986.2.17 |
7382 | 方座浦・人の一生関係(棺台)4-4-2 | 墓地横の広場。墓場と呼ばれ、ここで葬式を行っていた。中央に石造の棺台があり、土葬が行われていた時は、この上に棺を置いた。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1986.2.17 |
7383 | 方座浦・人の一生関係(棺台)4-5-1 | 墓地横の広場。墓場と呼ばれ、ここで葬式を行っていた。中央に石造の棺台があり、土葬が行われていた時は、この上に棺を置いた。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1986.2.17 |
7384 | 方座浦・人の一生関係(墓地)4-5-2 | 墓石。新仏なのか、墓石の前に板塔婆が置かれ、果物、茶碗の水等が供えられている。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1986.2.17 |
7385 | 方座浦・人の一生関係(墓地)4-5-3 | 墓地に立てられた板塔婆。「新物故一道浄○○〇」と記されている。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1986.2.17 |
7386 | 方座浦・人の一生関係(墓地)4-5-4 | 墓地に立てられた板塔婆。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1986.2.17 |
7387 | 方座浦・市場4-5-5 | 市場に並べられた魚には、直接名前の札が付けられている。アルバムのデータ記載欄には「市場」と記される。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1986.2.17 |
7388 | 方座浦・市場4-5-6 | 市場に並べられた魚には、直接名前の札が付けられている。アルバムのデータ記載欄には「市場」と記される。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1986.2.17 |
7389 | 方座浦・市場4-6-1 | 市場に並べられた魚には、直接名前の札が付けられている。アルバムのデータ記載欄には「ガシ」と記される。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1986.2.17 |
7390 | 方座浦・市場4-6-2 | 市場に並べられたヤリイカ。アルバムのデータ記載欄には「ヤリイカ」と記される。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1986.2.17 |
7391 | 方座浦・市場4-6-3 | 市場に並べられた鰹2本。アルバムのデータ記載欄には「キツネ」と記される。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1986.2.17 |
7392 | 方座浦・市場4-6-4 | 市場に並べられたイカ。アルバムのデータ記載欄には「アカイカ?」と記される。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1986.2.17 |
7393 | 方座浦・人の一生関係(お七夜)5-1-1 | 床の間の前に準備された、赤ちゃんを入れるヨサオケと朱塗りの膳一式。赤ちゃんの前に置く膳のことを「ウブノカミサンの膳」という。膳には浜で拾った石を付け、宮参りの時に神社に納める地域もある。アルバムのデータ記載欄には「オヒチヤ(メイメイイワイ)」「方座浦(平賀久郎宅)」と記される。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1983.11 |
7394 | 方座浦・人の一生関係(お七夜)5-1-2 | 赤ちゃんは初毛を剃り初めて袖付きの着物を着せて、化粧をし、額に紅を付けてヨサオケの中に入れられる。写真は化粧を嫌がり、泣く赤ちゃん。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1983.11 |
7395 | 方座浦・人の一生関係(お七夜)5-1-3 | 赤ちゃんは初毛を剃り初めて袖付きの着物を着せて、化粧をし、額に紅を付けてヨサオケの中に入れられる。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1983.11 |
7396 | 方座浦・人の一生関係(お七夜)5-1-4 | 赤ちゃんは初毛を剃り初めて袖付きの着物を着せて、化粧をし、額に紅を付けてヨサオケの中に入れられる。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1983.11 |
7397 | 方座浦・人の一生関係(お七夜)5-1-5 | 赤ちゃんは初毛を剃り初めて袖付きの着物を着せて、化粧をし、額に紅を付けてヨサオケの中に入れられる。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1983.11 |
7398 | 方座浦・人の一生関係(お七夜)5-2-1 | 化粧をしてヨサオケに入れられた赤ちゃん。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1983.11 |
7399 | 方座浦・人の一生関係(お七夜)5-2-2 | 化粧をしてヨサオケに入れられた赤ちゃん。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1983.11 |
7400 | 方座浦・人の一生関係(お七夜)5-2-3 | 化粧をしてヨサオケに入れられた赤ちゃん。ヨサオケの上に産着を掛け、前に膳を置く。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1983.11 |
7401 | 方座浦・人の一生関係(お七夜)5-2-4 | 化粧をしてヨサオケに入れられた赤ちゃん。ヨサオケの上に産着を掛け、前に膳を置く。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1983.11 |
7402 | 方座浦・人の一生関係(お七夜)5-2-5 | 化粧をしてヨサオケに入れられた赤ちゃん。ヨサオケの上に産着を掛け、前に膳を置く。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1983.11 |
7403 | 方座浦・人の一生関係(お七夜)5-2-6 | 化粧をしてヨサオケに入れられた赤ちゃん。ヨサオケの上に産着を掛け、前に膳を置く。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1983.11 |
7404 | 方座浦・人の一生関係(お七夜)5-3-1 | 赤ちゃんに猪口でオミキを飲ませる真似をする。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1983.11 |
7405 | 方座浦・人の一生関係(お七夜)5-3-2 | 化粧をしてヨサオケに入れられた赤ちゃんのアップ。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1983.11 |
7406 | 方座浦・人の一生関係(お七夜)5-3-3 | 赤ちゃんに赤飯を食べさせる真似をする。膳にはお頭付鯛の煮付け、赤飯、吸い物、煮物野菜、オミキ、刺身がのせられている。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1983.11 |
7407 | 方座浦・人の一生関係(お七夜)5-3-4 | 次に刺身を食べさせる真似をする。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1983.11 |
7408 | 方座浦・人の一生関係(お七夜)5-3-5 | 続いて、鯛の煮付けの身を箸でとる。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1983.11 |
7409 | 方座浦・人の一生関係(お七夜)5-3-6 | 化粧をしてヨサオケに入れられた赤ちゃんのアップ。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1983.11 |
7410 | 方座浦・人の一生関係(お七夜)5-4-1 | 化粧をしてヨサオケに入れられた赤ちゃんのアップ。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1983.11 |
7411 | 方座浦・人の一生関係(お七夜)5-4-3 | 化粧をしてヨサオケに入れられた赤ちゃんのアップ。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1983.11 |
7412 | 方座浦・人の一生関係(お七夜)5-4-4 | ヨサオケの中の赤ちゃんを挟んで、父方の祖父母、母方の祖父母の記念撮影。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1983.11 |
7413 | 方座浦・人の一生関係(お七夜)5-4-5 | ヨサオケの中の赤ちゃんを挟んで、父方の祖父母、母方の祖父母の記念撮影。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1983.11 |
7414 | 方座浦・人の一生関係(お七夜)5-4-6 | ヨサオケの中の赤ちゃんを挟んで、父方の祖父母、母方の祖父母の記念撮影。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1983.11 |
7415 | 方座浦・浅間祭5-5-1 | 方座浦の浅間祭は、毎年旧暦5月27日、28日に近い土・日、2日かけて行われる。疫病退散を願う祭だと伝えられている。1日目は浅間祭の弊竹を作り、園児によるみこし担ぎや幣竹を地区内に廻す。夜は化粧をして浴衣姿で浅間踊りをする。2日目は、化粧をした男衆が幣を立てて地区内を歩き、幣にお神酒を注いで踊る。最後は男衆によって浅間山神社へ幣が奉納される。写真は、化粧をして太鼓を鳴らしながら浅間踊りをする男衆。頭に巻いた鉢巻には原発反対と書かれ、浴衣の胸をはだけた胸にも大きく原発反対と書かれている。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1983.7 |
7416 | 方座浦・浅間祭5-5-2 | 化粧をして太鼓を鳴らしながら浅間踊りをする男衆。頭に巻いた鉢巻には原発反対と書かれている。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1983.7 |
7417 | 方座浦・浅間祭5-5-3 | 化粧をして太鼓を鳴らしながら浅間踊りをする男衆。頭に巻いた鉢巻には原発反対と書かれている。浴衣をはだけた胸には女性の名前が大きく書かれている。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1983.7 |
7418 | 方座浦・浅間祭5-6-1 | 化粧をして太鼓を鳴らしながら浅間踊りをする男衆。頭に巻いた鉢巻には原発反対と書かれている。浴衣をはだけた胸にも原発反対と大きく書かれている。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1983.7 |
7419 | 方座浦・浅間祭5-6-2 | 化粧をして日の丸の扇子を手に、浅間踊りをする男衆。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1983.7 |
7420 | 方座浦・浅間祭5-6-3 | 化粧をして日の丸の扇子を手に、浅間踊りをする男衆。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1983.7 |
7421 | 方座浦・浅間祭5-6-4 | 化粧をして日の丸の扇子を手に、浅間踊りをする男衆。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1983.7 |
7422 | 方座浦・人の一生関係(宮参り)6-1-1 | 新生児が生後初めて氏神に参る儀礼で「初宮参り」ともいう。宮参りには、里方から贈られた産着を着て、実家の母、姑、または叔母などに抱かれて100日前後に参拝する。写真は、宮参りに持っていく膳(オミキ、小豆入りの洗米、ナマス、白紙に包んださい銭)。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1983.12 |
7423 | 方座浦・人の一生関係(宮参り)6-1-2 | 宮参りの膳(オミキ、小豆入りの洗米、ナマス、白紙に包んださい銭)。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1983.12 |
7424 | 方座浦・人の一生関係(宮参り)6-2-1 | 叔母がおぶって神社へ行き、神前に赤ちゃんを寝かせて泣かせる。泣かせるのは、神さまにお参りに来たことを知らせる意味があるという。アルバムのデータ記載欄には「芳草神社」と記される。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1983.12 |
7425 | 方座浦・人の一生関係(宮参り)6-2-2 | 神前に寝かせて赤ちゃんが泣くのを待つ。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1983.12 |
7426 | 方座浦・人の一生関係(宮参り)6-2-3 | 神前に寝かせて赤ちゃんが泣くのを待つ。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1983.12 |
7427 | 方座浦・人の一生関係(宮参り)6-2-4 | 神前に寝かせて赤ちゃんが泣くのを待つ。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1983.12 |
7428 | 方座浦・人の一生関係(宮参り)6-2-5 | 神前に寝かせて赤ちゃんが泣くのを待つ。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1983.12 |
7429 | 方座浦・人の一生関係(宮参り)6-2-6 | 神前に膳をお供えし、赤ちゃんの健康を祈る。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1983.12 |
7430 | 方座浦・人の一生関係(宮参り)6-3-1 | 神前に膳をお供えし、赤ちゃんの健康を祈る。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1983.12 |
7431 | 方座浦・人の一生関係(宮参り)6-3-2 | 神前にオミキをお供えし、赤ちゃんの健康を祈る。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1983.12 |
7432 | 方座浦・人の一生関係(宮参り)6-3-3 | 神前にオミキをお供えし、赤ちゃんの健康を祈る。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1983.12 |
7433 | 方座浦・人の一生関係(宮参り)6-3-4 | 神前にオミキをお供えし、赤ちゃんの健康を祈る。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1983.12 |
7434 | 方座浦・人の一生関係(宮参り)6-3-5 | 神前にオミキをお供えし、赤ちゃんの健康を祈る。アルバムのデータ記載欄には「芳草神社」と記される。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1983.12 |
7435 | 方座浦・人の一生関係(宮参り)6-3-6 | 芳草神社へ参拝した後、金毘羅さんへの石段を上がる。アルバムのデータ記載欄には「金毘羅さんへ」と記される。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1983.12 |
7436 | 方座浦・人の一生関係(宮参り)6-4-1 | 芳草神社へ参拝した後、金毘羅さんへの石段を上がる。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1983.12 |
7437 | 方座浦・人の一生関係(宮参り)6-4-2 | 芳草神社へ参拝した後、金毘羅さんへの石段を上がる。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1983.12 |
7438 | 方座浦・人の一生関係(宮参り)6-4-3 | 金毘羅さんの神前へ寝かせて赤ちゃんが泣くのを待つ。アルバムのデータ記載欄には「金毘羅さん」と記される。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1983.12 |
7439 | 方座浦・人の一生関係(宮参り)6-4-4 | 金毘羅さんの神前へ寝かせて赤ちゃんが泣くのを待つ。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1983.12 |
7440 | 方座浦・人の一生関係(宮参り)6-4-5 | 金毘羅さんの神前へ寝かせて赤ちゃんが泣くのを待つ。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1983.12 |
7441 | 方座浦・人の一生関係(宮参り)6-4-6 | 参拝が終わり、赤ちゃんをおんぶし直す叔母とそれを手伝うスーツ姿の父親。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1983.12 |
7442 | 方座浦・人の一生関係(宮参り)6-5-1 | 参拝が終わり、赤ちゃんをおんぶし直す叔母とそれを手伝うスーツ姿の父親。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1983.12 |
7443 | 方座浦・人の一生関係(宮参り)6-5-2 | 参拝が終わり、赤ちゃんをおんぶし直す叔母。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1983.12 |
7444 | 方座浦・人の一生関係(宮参り)6-5-3 | 参拝が終わり帰路につく、赤ちゃんをおんぶした叔母と膳を持ったスーツ姿の父親。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1983.12 |
7445 | 方座浦・人の一生関係(宮参り)6-5-4 | おんぶされた赤ちゃんと叔母のアップ。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1983.12 |
7446 | 方座浦・タコ壺7-1-1 | タコ壺3点、倒して底から撮影。その内2点は徳利型である。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1986.6 |
7447 | 方座浦・タコ壺7-1-2 | タコ壺3点。その内2点は徳利型、1点には白子と書かれている。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1986.6 |
7448 | 方座浦・タコ壺7-1-3 | タコ壺3点。その内2点は徳利型、1点には白子と書かれている。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1986.6 |
7449 | 方座浦・人の一生関係(宮参り)7-1-4 | 赤ちゃんを抱いて芳草神社へ参拝する、母親と姉(南島西のネームが入ったジャージを着ている)。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1986.6 |
7450 | 方座浦・人の一生関係(宮参り)7-1-5 | 宮参りの膳(オミキ、小豆入りの洗米、ナマス、白紙に包んださい銭)。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1986.6 |
7451 | 方座浦・人の一生関係(宮参り)7-1-6 | 神前に洗米をお供えし、赤ちゃんの健康を祈る。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1986.6 |
7452 | 方座浦・人の一生関係(宮参り)7-2-1 | 神前に洗米をお供えし、赤ちゃんの健康を祈る。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1986.6 |
7453 | 方座浦・人の一生関係(宮参り)7-2-2 | 神前に赤ちゃんを寝かせて泣かせる。泣かせるのは、神さまにお参りに来たことを知らせる意味があるという。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1986.6 |
7454 | 方座浦・人の一生関係(宮参り)7-2-3 | 神前に寝かせられた赤ちゃん。よく寝ている。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1986.6 |
7455 | 方座浦・人の一生関係(宮参り)7-2-4 | 神前に寝かせられた赤ちゃん。よく寝ている。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1986.6 |
7456 | 方座浦・人の一生関係(宮参り)7-2-5 | 神前に寝かせられた赤ちゃんを抱こうとする母親。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1986.6 |
7457 | 方座浦・人の一生関係(宮参り)7-2-6 | 神前に寝かせられた赤ちゃんから離れ、泣くのを待つ家族の後ろ姿。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1986.6 |
7458 | 方座浦・人の一生関係(宮参り)7-3-1 | 神前に寝かせられた赤ちゃんの顔を覗き込む母親と、祖母と思われる高齢の女性。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1986.6 |
7459 | 方座浦・人の一生関係(宮参り)7-3-2 | 神前に寝かせられた赤ちゃん。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1986.6 |
7460 | 方座浦・人の一生関係(宮参り)7-3-3 | 赤ちゃんを抱き寄せる祖母と思われる高齢の女性。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1986.6 |
7461 | 方座浦・人の一生関係(宮参り)7-3-4 | 参拝後、芳草神社本殿の前で記念撮影をしようと集まった親族。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1986.6 |
7462 | 方座浦・人の一生関係(宮参り)7-3-5 | 参拝後、芳草神社本殿の前で記念撮影をする親族。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1986.6 |
7463 | 方座浦・人の一生関係(宮参り)7-3-6 | 笑顔で赤ちゃんを抱く、祖母と思われる高齢の女性。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1986. |
7464 | 奈屋浦・漁船7-4-1 | 港に係留されたウツボ漁の胴籠を積んだ漁船。漁船アルバムのデータ記載欄には「奈屋浦」と記される。 | 度会郡南伊勢町奈屋浦 | 1986. |
7465 | 奈屋浦・漁船7-4-2 | 港に係留された漁船3艘。漁船アルバムのデータ記載欄には「奈屋浦」と記される。 | 度会郡南伊勢町奈屋浦 | 1986. |
7466 | 方座浦・コワリ7-4-3 | アルバムのデータ記載欄には「方座浦 コワリ」と記される。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1986. |
7467 | 方座浦・青ノリ養殖7-4-4 | 網を引っ張り、網に付いた青ノリを機械でたたいて採取する、養殖業の男性。アルバムのデータ記載欄には「方座浦 アオサ」と記される。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1986. |
7468 | 方座浦・鰤大敷7-5-1 | 大敷網とは、大型の定置漁網。沿岸の魚道に垣網をたて、海岸から沖合に誘導した魚族をふくろ網に入れて捕獲する漁法である。大敷網を引き上げる漁師たち。アルバムのデータ記載欄には「方座浦 鰤大敷」と記される。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1986. |
7469 | 方座浦・タイ養殖場7-5-2 | タイ養殖のコワリ。「原発絶対反対」の旗が立てられている。アルバムのデータ記載欄には「神前浦 タイ養殖場」と記される。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1986. |
7470 | 方座浦・ハマチ養殖場7-5-3 | ハマチ養殖のコワリ。給餌中か、コワリに水しぶきが上がっている。アルバムのデータ記載欄には「神前浦 ハマチ養殖場」と記される。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1986. |
7471 | 神前浦・エビ網出漁7-5-4 | エビ網漁は、10月1日から始まる。地域によって異なるが、午後2時半ころから3時ころ一斉に漁場に向かい、網を仕掛ける。翌日早朝に出港し、網を上げて港に戻り、直ちに網からエビを外す。5隻の漁船が一斉に出漁する様子が写る。アルバムのデータ記載欄には「神前浦 エビ網出漁」と記される。 | 度会郡南伊勢町神前浦 | 1986. |
7472 | 神前浦・シメ縄7-5-5 | シメ縄には「〇大神〇〇 家内安全 大漁満足」の木札、橙、紙垂、イセ海老の頭が付けられている。シメ縄が掛けられた玄関の両側に榊の束が挿してある。アルバムのデータ記載欄には「神前浦 シメ縄」と記される。 | 度会郡南伊勢町神前浦 | 1986. |
7473 | 神前浦・ツボ網修理7-6-1 | アルバムのデータ記載欄には「神前浦 ツボ網修理」と記される。 | 度会郡南伊勢町神前浦 | 1986. |
7474 | 神前浦・タイ養殖場7-6-2 | アルバムのデータ記載欄には「神前浦 タイ養殖場」と記される。 | 度会郡南伊勢町神前浦 | 1986. |
7475 | 方座浦・湾口7-6-3 | アルバムのデータ記載欄には「方座浦 湾口」と記される。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1986. |
7476 | 方座浦・湾口7-6-4 | アルバムのデータ記載欄には「方座浦 湾口」と記される。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1986. |
7477 | 方座浦・打網漁8-1-1 | 打網(うちあみ)とは、ドンビ(ロープの先に重りを付けたもの)を投げ入れて、仕掛けた網(エビ網)に魚を追い込む漁である。カワハギやイガミがよく獲れた。漁場に着いた船。男性2人が乗っている。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1986. |
7478 | 方座浦・打網漁8-1-2 | 1人が操縦し、1人が船上からエビ網を投げ入れる。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1986. |
7479 | 方座浦・打網漁8-1-3 | 1人が操縦し、1人が船上からエビ網を投げ入れる。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1986. |
7480 | 方座浦・打網漁8-1-4 | ドンビ(ロープの先に重りを付けたもの)を投げ入れて魚を追い込む。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1986. |
7481 | 方座浦・打網漁8-1-5 | ドンビ(ロープの先に重りを付けたもの)を投げ入れて魚を追い込む。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1986. |
7482 | 方座浦・打網漁8-1-6 | ドンビ(ロープの先に重りを付けたもの)を投げ入れて魚を追い込む。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1986. |
7483 | 方座浦・打網漁8-2-1 | 2人で網を引き揚げる。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1986. |
7484 | 方座浦・打網漁8-2-2 | 1人が操縦し、1人が船上からエビ網を投げ入れる。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1986. |
7485 | 方座浦・打網漁8-2-3 | 1人が操縦し、1人が船上からエビ網を投げ入れる。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1986. |
7486 | 方座浦・打網漁8-3-1 | ドンビ(ロープの先に重りを付けたもの)を投げ入れて魚を追い込む。アルバムのデータ記載欄には「ドンビ投げ入れ」と記される。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1986. |
7487 | 方座浦・打網漁8-3-2 | ドンビ(ロープの先に重りをつけたもの)。アルバムのデータ記載欄には「ドンビ」と記される。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1986. |
7488 | 方座浦・打網漁8-3-3 | 網を引き揚げる。アルバムのデータ記載欄には「網あげ」と記される。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1986. |
7489 | 方座浦・打網漁8-4-1 | くわえ煙草で網を仕掛ける男性。アルバムのデータ記載欄には「網入れ」と記される。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1986. |
7490 | 方座浦・打網漁8-4-2 | ドンビ(ロープの先に重りを付けたもの)を投げ入れる。アルバムのデータ記載欄には「ドンビ投げ入れ」と記される。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1986. |
7491 | 方座浦・打網漁8-4-3 | 2人で網を引き揚げる。アルバムのデータ記載欄には「網あげ」と記される。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1986. |
7492 | 方座浦・打網漁8-4-4 | 2人で網を引き揚げる。アルバムのデータ記載欄には「網あげ」と記される。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1986. |
7493 | 方座浦・打網漁8-4-5 | 2人で網を引き揚げる。アルバムのデータ記載欄には「網あげ」と記される。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1986. |
7494 | 方座浦・打網漁8-4-6 | 網を仕掛ける。アルバムのデータ記載欄には「網入れ」と記される。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1986. |
7495 | 方座浦・打網漁8-5-1 | ドンビ(ロープの先に重りを付けたもの)を投げ入れる。アルバムのデータ記載欄には「ドンビ投げ入れ」と記される。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1986. |
7496 | 方座浦・打網漁8-5-2 | ドンビ(ロープの先に重りを付けたもの)を投げ入れる。アルバムのデータ記載欄には「ドンビ投げ入れ」と記される。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1986. |
7497 | 方座浦・打網漁8-5-3 | 2人で網を引き揚げる。カワハギが1匹掛かっている。アルバムのデータ記載欄には「網あげ 魚掛る」と記される。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1986. |
7498 | 方座浦・打網漁8-5-4 | 船上の網。漁船に貼った「(原発)絶対反対」のステッカーが写り込んでいる。アルバムのデータ記載欄には「網」と記される。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1986. |
7499 | 方座浦・打網漁8-5-5 | アルバムのデータ記載欄には「操業海域」と記される。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1986. |
7500 | 方座浦・打網漁8-5-6 | 2人で網を引き揚げる。アルバムのデータ記載欄には「網あげ」と記される。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1986. |
7501 | 方座浦・打網漁8-6-1 | 2人で網を引き揚げる。アルバムのデータ記載欄には「網あげ」と記される。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1986. |
7502 | 方座浦・打網漁8-6-2 | 2人で網を引き揚げる。アルバムのデータ記載欄には「網あげ」と記される。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1986. |
7503 | 方座浦・打網漁8-6-3 | アルバムのデータ記載欄には「カゴ操業船」と記される。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1986. |
7504 | 方座浦・百万遍9-1-2 | アルバムのデータ記載欄には「百万べん 海徳寺にて」と記される。臨済宗、山号は瑞鵬鳳山である。極楽往生を祈願して百万遍の念仏を唱えることにより発した。海徳寺の本堂で大数珠の輪を作り、輪の中央でたたく太鼓と念仏に合わせ、檀家の高齢女性に混じって子どもたちも一緒に数珠を繰る。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1986.8.17 |
7505 | 方座浦・百万遍9-1-3 | アルバムのデータ記載欄には「百万べん 海徳寺にて」と記される。臨済宗、山号は瑞鵬鳳山である。極楽往生を祈願して百万遍の念仏を唱えることにより発した。海徳寺の本堂で大数珠の輪を作り、輪の中央でたたく鉦(かね)と念仏に合わせ、念仏婆さんに混じって子どもたちも一緒に数珠を繰る。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1986.8.17 |
7506 | 方座浦・百万遍9-1-4 | アルバムのデータ記載欄には「百万べん 海徳寺にて」と記される。臨済宗、山号は瑞鵬鳳山である。極楽往生を祈願して百万遍の念仏を唱えることにより発した。海徳寺の本堂で大数珠の輪を作り、輪の中央でたたく鉦(かね)と念仏に合わせ、念仏婆さんに混じって子どもたちも一緒に数珠を繰る。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1986.8.17 |
7507 | 方座浦・百万遍9-1-5 | アルバムのデータ記載欄には「百万べん 海徳寺にて」と記される。臨済宗、山号は瑞鵬鳳山である。極楽往生を祈願して百万遍の念仏を唱えることにより発した。海徳寺の本堂で大数珠の輪を作り、輪の中央でたたく鉦(かね)と念仏に合わせ、念仏婆さんに混じって子どもたちも一緒に数珠を繰る。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1986.8.17 |
7508 | 方座浦・人の一生関係(厄のもち撒き)9-2-1 | 「厄を拾ってもらう」という意味で、神社や寺に金品を寄進したり、大衆に餅を撒いたり、知人縁者に記念品を配る風習がある。アルバムのデータ記載欄には「S62.1月25日 厄のモチマキ」「午前11時から 東小学校体育館にて」と記される。19歳、25歳、33歳、42歳の厄の人たちが体育館ギャラリー席から餅やお菓子を撒いている。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1987.1.25 |
7509 | 方座浦・人の一生関係(厄のもち撒き)9-2-2 | アルバムのデータ記載欄には「S62.1月25日 厄のモチマキ」「午前11時から 東小学校体育館にて」と記される。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1987.1.25 |
7510 | 方座浦・人の一生関係(厄のもち撒き)9-2-3 | アルバムのデータ記載欄には「S62.1月25日 厄のモチマキ」「午前11時から 東小学校体育館にて」と記される。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1987.1.25 |
7511 | 方座浦・人の一生関係(厄のもち撒き)9-2-4 | アルバムのデータ記載欄には「S62.1月25日 厄のモチマキ」「午前11時から 東小学校体育館にて」と記される。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1987.1.25 |
7512 | 方座浦・人の一生関係(厄のもち撒き)9-2-5 | アルバムのデータ記載欄には「S62.1月25日 厄のモチマキ」「午前11時から 東小学校体育館にて」と記される。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1987.1.25 |
7513 | 方座浦・人の一生関係(厄のもち撒き)9-2-6 | アルバムのデータ記載欄には「S62.1月25日 厄のモチマキ」「午前11時から 東小学校体育館にて」と記される。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1987.1.25 |
7514 | 方座浦・人の一生関係(厄のもち撒き)9-3-1 | アルバムのデータ記載欄には「S62.1月25日 厄のモチマキ」「午前11時から 東小学校体育館にて」と記される。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1987.1.25 |
7515 | 方座浦・人の一生関係(厄のもち撒き)9-3-2 | アルバムのデータ記載欄には「S62.1月25日 厄のモチマキ」「午前11時から 東小学校体育館にて」と記される。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1987.1.25 |
7516 | 方座浦・人の一生関係(厄のもち撒き)9-3-3 | アルバムのデータ記載欄には「S62.1月25日 厄のモチマキ」「午前11時から 東小学校体育館にて」と記される。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1987.1.25 |
7517 | 方座浦・人の一生関係(厄のもち撒き)9-3-4 | アルバムのデータ記載欄には「S62.1月25日 厄のモチマキ」「午前11時から 東小学校体育館にて」と記される。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1987.1.25 |
7518 | 方座浦・人の一生関係(厄のもち撒き)9-3-5 | アルバムのデータ記載欄には「S62.1月25日 厄のモチマキ」「午前11時から 東小学校体育館にて」と記される。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1987.1.25 |
7519 | 方座浦・人の一生関係(厄のもち撒き)9-3-6 | アルバムのデータ記載欄には「S62.1月25日 厄のモチマキ」「午前11時から 東小学校体育館にて」と記される。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1987.1.25 |
7520 | 方座浦・人の一生関係(厄のもち撒き)9-4-1 | アルバムのデータ記載欄には「S62.1月25日 厄のモチマキ」「午前11時から 東小学校体育館にて」と記される。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1987.1.25 |
7521 | 方座浦・人の一生関係(厄のもち撒き)9-4-2 | アルバムのデータ記載欄には「S62.1月25日 厄のモチマキ」「午前11時から 東小学校体育館にて」と記される。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1987.1.25 |
7522 | 方座浦・人の一生関係(厄のもち撒き)9-4-3 | アルバムのデータ記載欄には「S62.1月25日 厄のモチマキ」「午前11時から 東小学校体育館にて」と記される。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1987.1.25 |
7523 | 方座浦・人の一生関係(厄のもち撒き)9-4-4 | アルバムのデータ記載欄には「S62.1月25日 厄のモチマキ」「午前11時から 東小学校体育館にて」と記される。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1987.1.25 |
7524 | 方座浦・人の一生関係(厄のもち撒き)9-4-5 | アルバムのデータ記載欄には「S62.1月25日 厄のモチマキ」「午前11時から 東小学校体育館にて」と記される。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1987.1.25 |
7525 | 方座浦・人の一生関係(厄のもち撒き)9-4-6 | アルバムのデータ記載欄には「S62.1月25日 厄のモチマキ」「午前11時から 東小学校体育館にて」と記される。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1987.1.25 |
7526 | 方座浦・人の一生関係(厄のもち撒き)9-5-1 | アルバムのデータ記載欄には「S62.1月25日 厄のモチマキ」「午前11時から 東小学校体育館にて」と記される。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1987.1.25 |
7527 | 方座浦・人の一生関係(厄のもち撒き)9-5-2 | アルバムのデータ記載欄には「S62.1月25日 厄のモチマキ」「午前11時から 東小学校体育館にて」と記される。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1987.1.25 |
7528 | 方座浦・人の一生関係(厄のもち撒き)9-5-3 | アルバムのデータ記載欄には「S62.1月25日 厄のモチマキ」「午前11時から 東小学校体育館にて」と記される。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1987.1.25 |
7529 | 方座浦・タイ養殖9-6-1 | タイ養殖のコワリで出荷するタイをタモアミで救う漁師たち。タイ養殖は個人で行っているが、出荷するときは皆が手伝い合う。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 不明 |
7530 | 方座浦・ウツボサキ9-6-2 | 目打ち釘を刺して漁船でウツボをさばく漁師。塩でヌメリをとったのか、袋入りの塩も写る。アルバムのデータ記載欄には「ウツボ漁のうち ウツボサキの写真」と記される。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 不明 |
7531 | 方座浦・ウツボサキ9-6-3 | 目打ちを釘を刺して腹から開き、中骨を取る。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 不明 |
7532 | 方座浦・ウツボサキ9-6-4 | ウツボに目打ち釘を刺す。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 不明 |
7533 | 方座浦・ウツボサキ9-6-5 | 目打ち釘を刺して腹から開き、内臓を取り出す。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 不明 |
7534 | 方座浦・ウツボサキ9-6-6 | ウツボに目打ち釘を刺す。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 不明 |
7535 | 方座浦・メエ祭り10-1-1 | 度会郡方座浦 芳草神社 メエ祭(神事祭)。方座浦にはアラメを食べて天明の飢饉を生き抜いた、という言い伝えがある。芳草神社にアラメを供えて神様に感謝をする祭。アルバムのデータ記載欄には「イサギ(掛魚)」と記される。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1987.6.15 |
7536 | 方座浦・メエ祭り10-1-2 | アルバムのデータ記載欄には「イサギ(掛魚)」と記される。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1987.6.15 |
7537 | 方座浦・メエ祭り10-1-3 | アルバムのデータ記載欄には「タマグシ作り」と記される。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1987.6.15 |
7538 | 方座浦・メエ祭り10-1-4 | アルバムのデータ記載欄には「芳草神社へ」と記される。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1987.6.15 |
7539 | 方座浦・メエ祭り10-1-5 | アルバムのデータ記載欄には「掛けられたイサギの掛魚」と記される。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1987.6.15 |
7540 | 方座浦・メエ祭り10-1-6 | アルバムのデータ記載欄には「メエ(酢メエ) アラメの酢漬け」と記される。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1987.6.15 |
7541 | 方座浦・メエ祭り10-2-1 | アルバムのデータ記載欄には「手を清める」と記される。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1987.6.15 |
7542 | 方座浦・メエ祭り10-2-2 | 献饌の様子。アルバムのデータ記載欄には「酢メエを運ぶ」と記される。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1987.6.15 |
7543 | 方座浦・メエ祭り10-2-3 | 献饌の様子。アルバムのデータ記載欄には「供え物を運ぶ」と記される。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1987.6.15 |
7544 | 方座浦・メエ祭り10-2-4 | アルバムのデータ記載欄には「参拝」と記される。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1987.6.15 |
7545 | 方座浦・メエ祭り10-2-5 | アルバムのデータ記載欄には「イサギの掛魚」と記される。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1987.6.15 |
7546 | 方座浦・メエ祭り10-2-6 | 神事終了後の直会。アルバムのデータ記載欄には「酢メエを食べる」と記される。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1987.6.15 |
7547 | 方座浦・メエ祭り10-3-1 | 神事終了後の直会。アルバムのデータ記載欄には「酢メエと御神酒」と記される。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1987.6.15 |
7548 | 方座浦・メエ祭り10-3-2 | 神事終了後の直会。アルバムのデータ記載欄には「酢メエと御神酒」と記される。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1987.6.15 |
7549 | 方座浦・メエ祭り10-3-3 | 神事終了後の直会。アルバムのデータ記載欄には「酢メエと御神酒」と記される。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1987.6.15 |
7550 | 方座浦・漁具10-4-1 | 軽トラに積まれたシイラのはえ縄の道具。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1990.8.15 |
7551 | 方座浦・漁具10-4-2 | 軽トラに積まれたシイラのはえ縄の道具。釣り針のアップ。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1990.8.15 |
7552 | 方座浦・六地蔵10-4-3 | 六地蔵。花差しにはシキビ、ほおずき、菊、ミソハギ(禊萩)を差し、お菓子や線香もたくさん供えられている。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1990.8.15 |
7553 | 方座浦・人の一生(盆行事)10-4-4 | 精霊踊りの前、広場の海辺で迎え火を焚く。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1990.8.15 |
7554 | 方座浦・人の一生(盆行事)10-5-1 | 墓の花差しにはシキビ、ほおずき、ミソハギ(禊萩)、施餓鬼の旗を差し、水と積み団子を供える。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1990.8.15 |
7555 | 方座浦・人の一生(盆行事)10-5-2 | 墓の花差しにはシキビ、ほおずき、ミソハギ(禊萩)、施餓鬼の旗を差し、水と積み団子を供える。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1990.8.15 |
7556 | 方座浦・人の一生(盆行事)10-5-3 | 墓の花差しにはシキビ、ほおずき、ミソハギ(禊萩)、施餓鬼の旗を差し、水と積み団子を供える。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1990.8.15 |
7557 | 方座浦・人の一生(盆行事)10-5-4 | 六地蔵の前の花差しにはシキビ、ほおずき、菊、ミソハギ(禊萩)を差し、お菓子や線香もたくさん供えられている。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1990.8.15 |
7558 | 方座浦・人の一生(盆行事)10-5-5 | 精霊踊りの前、広場の海辺で迎え火を焚く。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1990.8.15 |
7559 | 方座浦・人の一生(盆行事)10-5-6 | 夕闇の中、盆踊りの広場に人びとが集まってきた。 | 度会郡南伊勢町方座浦 | 1990.8.15 |
7560 | 越賀の大念仏1-1 | 前浜に祭壇を設け、総牌(一年間で死亡した檀徒の名前)を祀り、三か寺の僧侶が読経のあと、中学生6人による、鉦、太鼓、笛の音とともに地謡(じぶた)百万が唱えられる。その間に名乗り手が新亡者の名を読み上げる。写真は、浜に集まった新亡者の家族。スライド枠には「3.8.13 越賀」の印が捺される。/参考:『志摩町史 改訂版』平成16年9月発行 | 志摩市志摩町越賀 | 1991.8.13 |
7561 | 越賀の大念仏1-2 | 前浜に祭壇を設け、総牌(一年間で死亡した檀徒の名前)を祀り、三か寺の僧侶が読経のあと、中学生6人による、鉦、太鼓、笛の音とともに地謡(じぶた)百万が唱えられる。その間に名乗り手が新亡者の名を読み上げる。写真は、浜に集まった新亡者の家族。スライド枠には「3.8.13 越賀」の印が捺される。/参考:『志摩町史 改訂版』平成16年9月発行 | 志摩市志摩町越賀 | 1991.8.13 |
7562 | 越賀の大念仏1-3 | 夜になり、村の人びとも祭壇の総牌に線香を上げる。スライド枠には「越賀 62.8.13」の印が捺される。 | 志摩市志摩町越賀 | 1987.8.13 |
7563 | 越賀の大念仏1-4 | 夜になり、村の人びとも祭壇の総牌に線香を上げる。スライド枠には「越賀 62.8.13」の印が捺される。 | 志摩市志摩町越賀 | 1987.8.13 |
7564 | 越賀の大念仏1-5 | 前浜に設けられた祭壇。スライド枠には「越賀 62.8.13」の印が捺される。 | 志摩市志摩町越賀 | 1987.8.13 |
7565 | 越賀の大念仏1-6 | 前浜で行われる、盆踊り。輪になって踊っているのは、新亡者の家族だろうか、全員礼服を着ている。スライド枠には「越賀 62.8.13」の印が捺される。 | 志摩市志摩町越賀 | 1987.8.13 |
7566 | 越賀の大念仏1-7 | 輪の外で踊りを見ている人びと。スライド枠には「越賀 62.8.13」の印が捺される。 | 志摩市志摩町越賀 | 1987.8.13 |
7567 | 越賀の大念仏1-8 | 前浜で行われる、盆踊り。輪になって踊っているのは、新亡者の家族だろうか、全員礼服を着ている。スライド枠には「越賀 62.8.13」の印が捺される。 | 志摩市志摩町越賀 | 1987.8.13 |
7568 | 越賀の大念仏1-9 | 前浜で行われる、盆踊り。輪になって踊っているのは、新亡者の家族だろうか、全員礼服を着ている。スライド枠には「越賀 62.8.13」の印が捺される。 | 志摩市志摩町越賀 | 1987.8.13 |
7569 | 波切の墓地2-1 | 波切墓地の全景。昔は二墓制で、遺体を埋めるのは大西と小西、参り墓は、西ノ岡(堂の山)であった。死後7日以後は、参り墓で法事をした。昭和11年1月24日付で波切字須賀地内に移転の許可を受け、昭和12年4月15日墓地新設工事完成、同年7月12日移転式が挙行された。さらに、昭和37年に西側部分、昭和53年に南側部分を一部拡張補修し、現在(2023年)に至っている。スライド枠には「波切 61.8.14」の印が捺される。参考:『私の大慈寺史』秀森潤子著(平成19年8月発行)/『大王町史』(平成6年8月発行)/(以下キャプションは同文献に拠る) | 志摩市大王町波切 | 1986.8.14 |
7570 | 波切の墓地2-2 | 波切墓地の全景。スライド枠には「波切 61.8.14」の印が捺される。 | 志摩市大王町波切 | 1986.8.14 |
7571 | 波切の大念仏2-3 | 大念仏は、三カ寺(大慈寺・仙遊寺・桂昌寺)の檀家の新亡者の精霊を迎え、合同で念仏を唱え供養する行事である。孟宗竹に吊るされた招き提灯。提灯は一年間に亡くなった人の数だけ吊るす。会場入口の左右に立てる。この頃は、墓地の弔い場で行われていた。スライド枠には「波切 61.8.14」の印が捺される。 | 志摩市大王町波切 | 1986.8.14 |
7572 | 波切の大念仏2-4 | 傘ぶくを持つ新亡者の家族。波切で亡くなり、葬式をした人が一人に一本の傘ぶくを出す。傘ぶくは、番傘の周りに一巾の布を巻き、中に遺品を吊るしたものである。布には、新亡者の戒名、俗名、亡くなった年齢、屋号を記す。男性は、印鑑、角帯、小刀、数珠、煙草入れ、しきみ、毛抜き、爪切り、玉結び腰ひも、小提灯、扇子、茄子、ささげを、女性は鏡、くし、かんざし、玉結びひも、数珠、毛抜き、小提灯、遺髪、ハサミ、すず袋、茄子、ささげ等を傘の中に吊るす。スライド枠には「波切 61.8.14」の印が捺される。 | 志摩市大王町波切 | 1986.8.14 |
7573 | 波切の大念仏2-5 | 大念仏の会場に祭壇を設け、祭壇には総牌(一年間で死亡した檀徒の名前)、遺影、霊供膳(新亡者の数だけ用意する)、香炉、高杯盛物、素麺、生花等を祀る。総牌の前の遺影は、元屋(もとや)と呼ばれるその年に亡くなった男性の年長者の家である。元屋には総牌をまつり、七日盆から二十日盆までその年に亡くなった全員の霊供膳(レイクゼン)を造り、供えなければならなかった。そのためオンナシ(女性)がたくさんいて、経済力のある家が務めることが多かったという。大念仏の日に総牌を広場の小屋に移す。(元屋制度は、平成4年に廃止された。)三カ寺(大慈寺・仙遊寺・桂昌寺)の詠歌衆が鈴を持ち、両側に向かい合って座る。その背後に座っているのは、「警護」と呼ばれる新亡者の家族である。スライド枠には「波切 61.8.14」の印が捺される。 | 志摩市大王町波切 | 1986.8.14 |
7574 | 波切の大念仏2-6 | 大念仏の会場に祭壇を設け、祭壇には総牌(一年間に死亡した檀徒の名前)、遺影、霊供膳(新亡者の数だけ用意する)、香炉、高杯盛物、素麺、生花等を祀る。三カ寺(大慈寺・仙遊寺・桂昌寺)の詠歌衆が鈴を持ち、両側に向かい合って座る。その背後に座っているのは、「警護」と呼ばれる新亡者の家族である。スライド枠には「波切 61.8.14」の印が捺される。 | 志摩市大王町波切 | 1986.8.14 |
7575 | 波切の墓地2-7 | 波切墓地の全景。スライド枠には「波切 61.8.14」の印が捺される。 | 志摩市大王町波切 | 1986.8.14 |
7576 | 波切の墓地2-8 | 波切墓地の全景。スライド枠には「波切 61.8.14」の印が捺される。 | 志摩市大王町波切 | 1986.8.14 |
7577 | 波切の大念仏2-9 | 大念仏の会場に祭壇を設け、祭壇には総牌(一年間で死亡した檀徒の名前)、遺影、霊供膳(新亡者の数だけ用意する)、香炉、高杯盛物、素麺、生花等を祀る。三か寺(大慈寺・仙遊寺・桂昌寺)の詠歌衆が鈴を持ち、両側に向かい合って座る。その背後に座っているのは、「警護」と呼ばれる新亡者の家族である。スライド枠には「波切 61.8.14」の印が捺される。 | 志摩市大王町波切 | 1986.8.14 |
7578 | 波切の大念仏2-10 | 午後3時頃、カサブクを持って会場に集まった新亡者の家族。法名を書いた紙の幟幡を持った子ども達も従う。爺爺等(じじら)と呼ばれる年寄5人衆が鉦を打ち、念仏を唱えた。名呼びが新亡者の名を呼び、一霊ごとに打ち役が 66回楽(大太鼓)を打つ。楽に合わせてゆっくりと左回りに総碑屋形の周りを回り、紙でできた幟幡を持った男児が内側を回る。カサブクを持つのは男性。全ての名を呼び終わるまで長時間回るため、近親者だけでなく親族や知人も集まって順次交代していく。円の周囲で待機するのは彼らである。大念仏はかつて爺爺等が世話していたが、今は三カ寺が引き継いでいる。(「丘端の記憶 波切の暮らし写真展」報告書より)スライド枠には「波切 61.8.14」の印が捺される。 | 志摩市大王町波切 | 1986.8.14 |
7579 | 波切の大念仏2-11 | 午後3時ころ、傘ぶくを持って会場に集まった新亡者の家族。法名を書いた紙の幟幡を持った子どもたちも従う。「爺爺等(じじら)」と呼ばれる年寄5人衆が鉦を打ち、念仏を唱える。名呼びが新亡者の名を呼び、一霊ごとに打ち役が66回楽(大太鼓)を打つ。楽に合わせてゆっくりと左回りに総碑屋形の周りを回り、内側を幟幡を持った子どもが回る。スライド枠には「波切 61.8.14」の印が捺される。 | 志摩市大王町波切 | 1986.8.14 |
7580 | 波切の大念仏2-12 | 午後3時ころ、傘ぶくを持って会場に集まった新亡者の家族。法名を書いた紙の幟幡を持った子どもたちも従う。「爺爺等(じじら)」と呼ばれる年寄5人衆が鉦を打ち、念仏を唱える。名呼びが新亡者の名を呼び、一霊ごとに打ち役が66回楽(大太鼓)を打つ。楽に合わせてゆっくりと左回りに総碑屋形の周りを回り、内側を幟幡を持った子どもが回る。スライド枠には「波切 61.8.14」の印が捺される。 | 志摩市大王町波切 | 1986.8.14 |
7581 | 波切の大念仏2-13 | 午後3時ころ、傘ぶくを持って会場に集まった新亡者の家族。法名を書いた紙の幟幡を持った子どもたちも従う。「爺爺等(じじら)」と呼ばれる年寄5人衆が鉦を打ち、念仏を唱える。名呼びが新亡者の名を呼び、一霊ごとに打ち役が66回楽(大太鼓)を打つ。楽に合わせてゆっくりと左回りに総碑屋形の周りを回り、内側を幟幡を持った子どもが回る。スライド枠には「波切 61.8.14」の印が捺される。 | 志摩市大王町波切 | 1986.8.14 |
7582 | 波切の大念仏3-1 | 午後3時ころ、傘ぶくを持って会場に集まった新亡者の家族。法名を書いた紙の幟幡を持った子どもたちも従う。「爺爺等(じじら)」と呼ばれる年寄5人衆が鉦を打ち、念仏を唱える。名呼びが新亡者の名を呼び、一霊ごとに打ち役が66回楽(大太鼓)を打つ。楽に合わせてゆっくりと左回りに総碑屋形の周りを回り、内側を幟幡を持った子どもが回る。スライド枠には「波切 61.8.14」の印が捺される。 | 志摩市大王町波切 | 1986.8.14 |
7583 | 波切の墓地3-2 | 波切墓地の全景。スライド枠には「波切 61.8.14」の印が捺される。 | 志摩市大王町波切 | 1986.8.14 |
7584 | 波切の墓地3-3 | 墓参りをする男女。スライド枠には「波切 61.8.14」の印が捺される。 | 志摩市大王町波切 | 1986.8.14 |
7585 | 波切の墓地3-4 | 墓参りをする男女。スライド枠には「波切 61.8.14」の印が捺される。 | 志摩市大王町波切 | 1986.8.14 |
7586 | 波切の墓地3-5 | 波切墓地の全景。スライド枠には「波切 61.8.14」の印が捺される。 | 志摩市大王町波切 | 1986.8.14 |
7587 | 波切の墓地3-6 | 波切墓地の全景。スライド枠には「波切 61.8.14」の印が捺される。 | 志摩市大王町波切 | 1986.8.14 |
7588 | 波切の大念仏3-7 | 傘ぶくの中。女性なのか、くし、かんざし、玉結びひも、毛抜き、小提灯、遺髪、ハサミ、すず袋、茄子、ささげ等が吊り下げられている。スライド枠には「波切 61.8.14」の印が捺される。 | 志摩市大王町波切 | 1986.8.14 |
7589 | 波切の大念仏3-8 | 傘ぶくの中。女性なのか、くし、かんざし、玉結びひも、毛抜き、小提灯、遺髪、ハサミ、すず袋、茄子、ささげ等が吊り下げられている。スライド枠には「波切 61.8.14」の印が捺される。 | 志摩市大王町波切 | 1986.8.14 |
7590 | 波切の大念仏3-9 | 午後3時ころ、傘ぶくを持って会場に集まった新亡者の家族。カサブクは、番傘の周りに一巾の布を巻き、中に遺品を吊るしたものである。布には新亡者の戒名や俗名、死亡年齢、屋号を記す。波切では現在も屋号で互いを呼び合う。カサブクの中は、男女で吊るすものが異なる。男性は印鑑、角帯、小刀、数珠、煙草入れ、しきみ、毛抜き、爪切り、玉結び腰ひも、小提灯、扇子、茄子、ささげ。女性は鏡、くし、かんざし、玉結びひも、数珠、毛抜き、小提灯、遺髪、ハサミ、すず袋、茄子、ささげである。カサブクに隙間があるのは「亡くなった人をそこから呼び込み、一緒に歩くため」だという話があった。(「丘端の記憶 波切の暮らし写真展」報告書より)スライド枠には「波切 61.8.14」の印が捺される。 | 志摩市大王町波切 | 1986.8.14 |
7591 | 波切の大念仏3-10 | 午後3時ころ、傘ぶくを持って会場に集まった新亡者の家族。法名を書いた紙の幟幡を持った子どもたちも従う。「爺爺等(じじら)」と呼ばれる年寄5人衆が鉦を打ち、念仏を唱える。名呼びが新亡者の名を呼び、一霊ごとに打ち役が66回楽(大太鼓)を打つ。楽に合わせてゆっくりと左回りに総碑屋形の周りを回り、内側を幟幡を持った子どもが回る。スライド枠には「波切 61.8.14」の印が捺される。 | 志摩市大王町波切 | 1986.8.14 |
7592 | 波切の大念仏3-11 | 午後3時ころ、傘ぶくを持って会場に集まった新亡者の家族。法名を書いた紙の幟幡を持った子どもたちも従う。「爺爺等(じじら)」と呼ばれる年寄5人衆が鉦を打ち、念仏を唱える。名呼びが新亡者の名を呼び、一霊ごとに打ち役が66回楽(大太鼓)を打つ。楽に合わせてゆっくりと左回りに総碑屋形の周りを回り、内側を幟幡を持った子どもが回る。スライド枠には「波切 61.8.14」の印が捺される。 | 志摩市大王町波切 | 1986.8.14 |
7593 | 波切の大念仏3-12 | 午後3時ころ、傘ぶくを持って会場に集まった新亡者の家族。法名を書いた紙の幟幡を持った子どもたちも従う。「爺爺等(じじら)」と呼ばれる年寄5人衆が鉦を打ち、念仏を唱える。名呼びが新亡者の名を呼び、一霊ごとに打ち役が66回楽(大太鼓)を打つ。楽に合わせてゆっくりと左回りに総碑屋形の周りを回り、内側を幟幡を持った子どもが回る。進行途中で幟幡の打ち合いを始め、破損すると外側に捨てに出て、子どもたちの役が終わる。スライド枠には「波切 61.8.14」の印が捺される。 | 志摩市大王町波切 | 1986.8.14 |
7594 | 波切の大念仏4-1 | カサブクの進行途中で、子どもが幟幡を打ち合う。地元では 「ガチャガチャ」と呼ばれている。破損したら円の外に出て捨て、役が終わる。現在(2023年)は子どもが減ったため大人がガチャガチャをする。右奥に写るのが墓。かつて波切は二墓制で、遺体を埋める埋め墓が大西と小西、参り墓が西ノ岡にあった。大念仏が行われたのは埋め墓の広場である。波切では昭和後期くらいまで土葬だった。近年は、人的・経済的コストからカサブクを出す新亡家は減少傾向である。(「丘端の記憶 波切の暮らし写真展」報告書より) | 志摩市大王町波切 | 1986.8.14 |
7595 | 波切の大念仏4-2 | 午後3時ころ、傘ぶくを持って会場に集まった新亡者の家族。法名を書いた紙の幟幡を持った子どもたちも従う。「爺爺等(じじら)」と呼ばれる年寄5人衆が鉦を打ち、念仏を唱える。名呼びが新亡者の名を呼び、一霊ごとに打ち役が66回楽(大太鼓)を打つ。楽に合わせてゆっくりと左回りに総碑屋形の周りを回り、内側を幟幡を持った子どもが回る。進行途中で幟幡の打ち合いを始め、破損すると外側に捨てに出て、子どもたちの役が終わる。スライド枠には「波切 61.8.14」の印が捺される。 | 志摩市大王町波切 | 1986.8.14 |
7596 | 波切の大念仏4-3 | 午後3時ころ、傘ぶくを持って会場に集まった新亡者の家族。法名を書いた紙の幟幡を持った子どもたちも従う。「爺爺等(じじら)」と呼ばれる年寄5人衆が鉦を打ち、念仏を唱える。名呼びが新亡者の名を呼び、一霊ごとに打ち役が66回楽(大太鼓)を打つ。楽に合わせてゆっくりと左回りに総碑屋形の周りを回り、内側を幟幡を持った子どもが回る。進行途中で幟幡の打ち合いを始め、破損すると外側に捨てに出て、子どもたちの役が終わる。スライド枠には「波切 61.8.14」の印が捺される。 | 志摩市大王町波切 | 1986.8.14 |
7597 | 波切の大念仏4-4 | 午後3時ころ、傘ぶくを持って会場に集まった新亡者の家族。法名を書いた紙の幟幡を持った子どもたちも従う。「爺爺等(じじら)」と呼ばれる年寄5人衆が鉦を打ち、念仏を唱える。名呼びが新亡者の名を呼び、一霊ごとに打ち役が66回楽(大太鼓)を打つ。楽に合わせてゆっくりと左回りに総碑屋形の周りを回り、内側を幟幡を持った子どもが回る。進行途中で幟幡の打ち合いを始め、破損すると外側に捨てに出て、子どもたちの役が終わる。スライド枠には「波切 61.8.14」の印が捺される。 | 志摩市大王町波切 | 1986.8.14 |
7598 | 波切の大念仏4-5 | 午後3時ころ、傘ぶくを持って会場に集まった新亡者の家族。法名を書いた紙の幟幡を持った子どもたちも従う。「爺爺等(じじら)」と呼ばれる年寄5人衆が鉦を打ち、念仏を唱える。名呼びが新亡者の名を呼び、一霊ごとに打ち役が66回楽(大太鼓)を打つ。楽に合わせてゆっくりと左回りに総碑屋形の周りを回り、内側を幟幡を持った子どもが回る。進行途中で幟幡の打ち合いを始め、破損すると外側に捨てに出て、子どもたちの役が終わる。長時間にわたるので親類、知友が縁のあった新亡者の傘ぶくの持ち番を交代するため、円の周りで待機をする。スライド枠には「波切 61.8.14」の印が捺される。 | 志摩市大王町波切 | 1986.8.14 |
7599 | 波切の大念仏4-6 | 午後3時ころ、傘ぶくを持って会場に集まった新亡者の家族。法名を書いた紙の幟幡を持った子どもたちも従う。「爺爺等(じじら)」と呼ばれる年寄5人衆が鉦を打ち、念仏を唱える。名呼びが新亡者の名を呼び、一霊ごとに打ち役が66回楽(大太鼓)を打つ。楽に合わせてゆっくりと左回りに総碑屋形の周りを回り、内側を幟幡を持った子どもが回る。進行途中で幟幡の打ち合いを始め、破損すると外側に捨てに出て、子どもたちの役が終わる。長時間にわたるので親類、知友が縁のあった新亡者の傘ぶくの持ち番を交代するため、円の周りで待機をする。スライド枠には「波切 61.8.14」の印が捺される。 | 志摩市大王町波切 | 1986.8.14 |
7600 | 波切の大念仏4-7 | 円の外側では、新亡者の家族が敷物を敷き、冷たいお茶などを飲みながら、大念仏を見守る。一般の人は総牌に焼香参拝し、午後8時ころ終了する。スライド枠には「波切 61.8.14」の印が捺される。 | 志摩市大王町波切 | 1986.8.14 |
7601 | 波切の大念仏4-8 | 午後3時ころ、傘ぶくを持って会場に集まった新亡者の家族。法名を書いた紙の幟幡を持った子どもたちも従う。「爺爺等(じじら)」と呼ばれる年寄5人衆が鉦を打ち、念仏を唱える。名呼びが新亡者の名を呼び、一霊ごとに打ち役が66回楽(大太鼓)を打つ。楽に合わせてゆっくりと左回りに総碑屋形の周りを回り、内側を幟幡を持った子どもが回る。進行途中で幟幡の打ち合いを始め、破損すると外側に捨てに出て、子どもたちの役が終わる。長時間にわたるので親類、知友が縁のあった新亡者の傘ぶくの持ち番を交代するため、円の周りで待機をする。スライド枠には「波切 61.8.14」の印が捺される。 | 志摩市大王町波切 | 1986.8.14 |
7602 | 波切の大念仏4-9 | 写真は大念仏である。大念仏は、三カ寺(大慈寺・仙遊寺・桂昌寺)の檀家の新亡者の精霊を迎え、合同で念仏を唱え供養する行事である。はじめは宝門の浜で行われていたが、伊勢湾台風の護岸工事で浜が狭くなったため墓地に移動した。しかし、海の近くでしたい人々がいたため、現在(2023年)は市場の近くで行われている。大念仏も、わらじ祭と同じく内外から人が多く集まる行事だった。大念仏の会場に祭壇を設け、祭壇には総牌(そうはい、一年間で死亡した檀徒の名前)、遺影、新亡(しんもう)者と同じ数の霊供膳、香炉、高杯盛物、素麺、生花等を祀っているのが写されている。三カ寺の御詠歌衆が鈴を持ち、両側に向かい合って座る。その背後に座っているのは、「警護」と呼ばれる新亡者の家族である。波切ではもともと大師講があり、それに関わる人が念仏を唱えていた。大師講がなくなってからは三カ寺の御詠歌衆が唱えるようになった。大念仏の場だけでなく、新亡の家に出向いて念仏を唱えることもあった。御詠歌衆は有志で、60?70 代を中心に集まっている。(「丘端の記憶 波切の暮らし写真展」報告書より) スライド枠には「波切 61.8.14」の印が捺される。 | 志摩市大王町波切 | 1986.8.14 |
7603 | 波切の大念仏4-10 | 大念仏の会場に祭壇を設け、祭壇には総牌(一年間で死亡した檀徒の名前)、遺影、霊供膳(新亡者の数だけ用意する)、香炉、高杯盛物、素麺、生花等を祀る。三か寺(大慈寺・仙遊寺・桂昌寺)の詠歌衆が鈴を持ち、両側に向かい合って座る。その背後に座っているのは、「警護」と呼ばれる新亡者の家族である。スライド枠には「波切 61.8.14」の印が捺される。 | 志摩市大王町波切 | 1986.8.14 |
7604 | 波切の大念仏4-11 | 三か寺(大慈寺・仙遊寺・桂昌寺)の詠歌衆のアップ。スライド枠には「波切 61.8.14」の印が捺される。 | 志摩市大王町波切 | 1986.8.14 |
7605 | 波切の墓地4-12 | 波切墓地の全景。スライド枠には「波切 61.8.14」の印が捺される。 | 志摩市大王町波切 | 1986.8.14 |
7606 | 波切の大念仏5-1 | 午後3時ころ、傘ぶくを持って会場に集まった新亡者の家族。法名を書いた紙の幟幡を持った子どもたちも従う。「爺爺等(じじら)」と呼ばれる年寄5人衆が鉦を打ち、念仏を唱える。名呼びが新亡者の名を呼び、一霊ごとに打ち役が66回楽(大太鼓)を打つ。楽に合わせてゆっくりと左回りに総碑屋形の周りを回り、内側を幟幡を持った子どもが回る。進行途中で幟幡の打ち合いを始め、破損すると外側に捨てに出て、子どもたちの役が終わる。長時間にわたるので親類、知友が縁のあった新亡者の傘ぶくの持ち番を交代するため、円の周りで待機をする。スライド枠には「波切 61.8.14」の印が捺される。 | 志摩市大王町波切 | 1986.8.14 |
7607 | 波切の大念仏5-2 | 午後3時ころ、傘ぶくを持って会場に集まった新亡者の家族。法名を書いた紙の幟幡を持った子どもたちも従う。「爺爺等(じじら)」と呼ばれる年寄5人衆が鉦を打ち、念仏を唱える。名呼びが新亡者の名を呼び、一霊ごとに打ち役が66回楽(大太鼓)を打つ。楽に合わせてゆっくりと左回りに総碑屋形の周りを回り、内側を幟幡を持った子どもが回る。進行途中で幟幡の打ち合いを始め、破損すると外側に捨てに出て、子どもたちの役が終わる。長時間にわたるので親類、知友が縁のあった新亡者の傘ぶくの持ち番を交代するため、円の周りで待機をする。スライド枠には「波切 61.8.14」の印が捺される。 | 志摩市大王町波切 | 1986.8.14 |
7608 | 波切の大念仏5-3 | 午後3時ころ、傘ぶくを持って会場に集まった新亡者の家族。法名を書いた紙の幟幡を持った子どもたちも従う。「爺爺等(じじら)」と呼ばれる年寄5人衆が鉦を打ち、念仏を唱える。名呼びが新亡者の名を呼び、一霊ごとに打ち役が66回楽(大太鼓)を打つ。楽に合わせてゆっくりと左回りに総碑屋形の周りを回り、内側を幟幡を持った子どもが回る。進行途中で幟幡の打ち合いを始め、破損すると外側に捨てに出て、子どもたちの役が終わる。長時間にわたるので親類、知友が縁のあった新亡者の傘ぶくの持ち番を交代するため、円の周りで待機をする。スライド枠には「波切 61.8.14」の印が捺される。 | 志摩市大王町波切 | 1986.8.14 |
7609 | 波切の大念仏5-4 | 午後3時ころ、傘ぶくを持って会場に集まった新亡者の家族。法名を書いた紙の幟幡を持った子どもたちも従う。「爺爺等(じじら)」と呼ばれる年寄5人衆が鉦を打ち、念仏を唱える。名呼びが新亡者の名を呼び、一霊ごとに打ち役が66回楽(大太鼓)を打つ。楽に合わせてゆっくりと左回りに総碑屋形の周りを回り、内側を幟幡を持った子どもが回る。進行途中で幟幡の打ち合いを始め、破損すると外側に捨てに出て、子どもたちの役が終わる。長時間にわたるので親類、知友が縁のあった新亡者の傘ぶくの持ち番を交代するため、円の周りで待機をする。スライド枠には「波切 61.8.14」の印が捺される。 | 志摩市大王町波切 | 1986.8.14 |
7610 | 波切の大念仏5-5 | 午後3時ころ、傘ぶくを持って会場に集まった新亡者の家族。法名を書いた紙の幟幡を持った子どもたちも従う。「爺爺等(じじら)」と呼ばれる年寄5人衆が鉦を打ち、念仏を唱える。名呼びが新亡者の名を呼び、一霊ごとに打ち役が66回楽(大太鼓)を打つ。楽に合わせてゆっくりと左回りに総碑屋形の周りを回り、内側を幟幡を持った子どもが回る。進行途中で幟幡の打ち合いを始め、破損すると外側に捨てに出て、子どもたちの役が終わる。長時間にわたるので親類、知友が縁のあった新亡者の傘ぶくの持ち番を交代するため、円の周りで待機をする。スライド枠には「波切 61.8.14」の印が捺される。 | 志摩市大王町波切 | 1986.8.14 |
7611 | 波切の大念仏5-6 | 午後3時ころ、傘ぶくを持って会場に集まった新亡者の家族。法名を書いた紙の幟幡を持った子どもたちも従う。「爺爺等(じじら)」と呼ばれる年寄5人衆が鉦を打ち、念仏を唱える。名呼びが新亡者の名を呼び、一霊ごとに打ち役が66回楽(大太鼓)を打つ。楽に合わせてゆっくりと左回りに総碑屋形の周りを回り、内側を幟幡を持った子どもが回る。進行途中で幟幡の打ち合いを始め、破損すると外側に捨てに出て、子どもたちの役が終わる。長時間にわたるので親類、知友が縁のあった新亡者の傘ぶくの持ち番を交代するため、円の周りで待機をする。スライド枠には「波切 61.8.14」の印が捺される。 | 志摩市大王町波切 | 1986.8.14 |
7612 | 波切の大念仏5-7 | 午後3時ころ、傘ぶくを持って会場に集まった新亡者の家族。法名を書いた紙の幟幡を持った子どもたちも従う。「爺爺等(じじら)」と呼ばれる年寄5人衆が鉦を打ち、念仏を唱える。名呼びが新亡者の名を呼び、一霊ごとに打ち役が66回楽(大太鼓)を打つ。楽に合わせてゆっくりと左回りに総碑屋形の周りを回り、内側を幟幡を持った子どもが回る。進行途中で幟幡の打ち合いを始め、破損すると外側に捨てに出て、子どもたちの役が終わる。長時間にわたるので親類、知友が縁のあった新亡者の傘ぶくの持ち番を交代するため、円の周りで待機をする。スライド枠には「波切 61.8.14」の印が捺される。 | 志摩市大王町波切 | 1986.8.14 |
7613 | 波切の大念仏5-8 | 午後3時ころ、傘ぶくを持って会場に集まった新亡者の家族。法名を書いた紙の幟幡を持った子どもたちも従う。「爺爺等(じじら)」と呼ばれる年寄5人衆が鉦を打ち、念仏を唱える。名呼びが新亡者の名を呼び、一霊ごとに打ち役が66回楽(大太鼓)を打つ。楽に合わせてゆっくりと左回りに総碑屋形の周りを回り、内側を幟幡を持った子どもが回る。進行途中で幟幡の打ち合いを始め、破損すると外側に捨てに出て、子どもたちの役が終わる。長時間にわたるので親類、知友が縁のあった新亡者の傘ぶくの持ち番を交代するため、円の周りで待機をする。スライド枠には「波切 61.8.14」の印が捺される。 | 志摩市大王町波切 | 1986.8.14 |
7614 | 波切の大念仏5-9 | 午後3時ころ、傘ぶくを持って会場に集まった新亡者の家族。法名を書いた紙の幟幡を持った子どもたちも従う。「爺爺等(じじら)」と呼ばれる年寄5人衆が鉦を打ち、念仏を唱える。名呼びが新亡者の名を呼び、一霊ごとに打ち役が66回楽(大太鼓)を打つ。楽に合わせてゆっくりと左回りに総碑屋形の周りを回り、内側を幟幡を持った子どもが回る。進行途中で幟幡の打ち合いを始め、破損すると外側に捨てに出て、子どもたちの役が終わる。長時間にわたるので親類、知友が縁のあった新亡者の傘ぶくの持ち番を交代するため、円の周りで待機をする。スライド枠には「波切 61.8.14」の印が捺される。 | 志摩市大王町波切 | 1986.8.14 |
7615 | 波切の大念仏6-1 | 進行途中で幟幡の打ち合いを始め、破損すると外側に捨てに出て、子どもたちの役が終わる。スライド枠には「波切 61.8.14」の印が捺される。 | 志摩市大王町波切 | 1986.8.14 |
7616 | 波切の大念仏6-2 | 進行途中で幟幡の打ち合いを始め、破損すると外側に捨てに出て、子どもたちの役が終わる。スライド枠には「波切 61.8.14」の印が捺される。 | 志摩市大王町波切 | 1986.8.14 |
7617 | 波切の大念仏6-3 | 進行途中で幟幡の打ち合いを始め、破損すると外側に捨てに出て、子どもたちの役が終わる。スライド枠には「波切 61.8.14」の印が捺される。 | 志摩市大王町波切 | 1986.8.14 |
7618 | 波切の大念仏6-4 | 進行途中で幟幡の打ち合いを始め、破損すると外側に捨てに出て、子どもたちの役が終わる。スライド枠には「波切 61.8.14」の印が捺される。 | 志摩市大王町波切 | 1986.8.14 |
7619 | 波切の大念仏6-5 | 進行途中で幟幡の打ち合いを始め、破損すると外側に捨てに出て、子どもたちの役が終わる。スライド枠には「波切 61.8.14」の印が捺される。 | 志摩市大王町波切 | 1986.8.14 |
7620 | 波切の大念仏6-6 | 午後3時ころ、傘ぶくを持って会場に集まった新亡者の家族。法名を書いた紙の幟幡を持った子どもたちも従う。スライド枠には「波切 61.8.14」の印が捺される。 | 志摩市大王町波切 | 1986.8.14 |
7621 | 波切の大念仏6-7 | 午後3時ころ、傘ぶくを持って会場に集まった新亡者の家族。法名を書いた紙の幟幡を持った子どもたちも従う。スライド枠には「波切 61.8.14」の印が捺される。 | 志摩市大王町波切 | 1986.8.14 |
7622 | 波切の大念仏6-8 | 大念仏の会場に祭壇を設け、祭壇には総牌(一年間で死亡した檀徒の名前)、遺影、霊供膳(新亡者の数だけ用意する)、香炉、高杯盛物、素麺、生花等を祀る。三か寺(大慈寺・仙遊寺・桂昌寺)の詠歌衆が鈴を持ち、両側に向かい合って座る。その背後に座っているのは、「警護」と呼ばれる新亡者の家族である。スライド枠には「波切 61.8.14」の印が捺される。 | 志摩市大王町波切 | 1986.8.14 |
7623 | 波切の大念仏6-9 | 大念仏の会場に祭壇を設け、祭壇には総牌(一年間で死亡した檀徒の名前)、遺影(その年に亡くなった年長者の男性)、霊供膳(新亡者の数だけ用意する)、香炉、高杯盛物、素麺、生花等を祀る。三か寺(大慈寺・仙遊寺・桂昌寺)の詠歌衆が鈴を持ち、両側に向かい合って座る。その背後に座っているのは、「警護」と呼ばれる新亡者の家族である。スライド枠には「波切 61.8.14」の印が捺される。 | 志摩市大王町波切 | 1986.8.14 |
7624 | 波切の大念仏6-10 | 傘ぶくの中。小提灯が大きく写る。スライド枠には「波切 61.8.14」の印が捺される。 | 志摩市大王町波切 | 1986.8.14 |
7625 | 波切の墓地6-11 | 夕闇が迫る墓地。白いユリが挿してある。スライド枠には「波切 61.8.14」の印が捺される。 | 志摩市大王町波切 | 1986.8.14 |
7626 | 波切の墓地6-12 | 夕闇が迫る墓地。白いユリが挿してある。スライド枠には「波切 61.8.14」の印が捺される。 | 志摩市大王町波切 | 1986.8.14 |
7627 | 波切の墓地6-13 | 夕闇が迫る墓地。白いユリが挿してある。スライド枠には「波切 61.8.14」の印が捺される。 | 志摩市大王町波切 | 1986.8.14 |
7628 | 波切の墓地6-14 | 夕闇が迫る墓地。白いユリが挿してある。スライド枠には「波切 61.8.14」の印が捺される。 | 志摩市大王町波切 | 1986.8.14 |
7629 | 波切の大念仏6-15 | 午後3時ころ、傘ぶくを持って会場に集まった新亡者の家族。法名を書いた紙の幟幡を持った子どもたちも従う。「爺爺等(じじら)」と呼ばれる年寄5人衆が鉦を打ち、念仏を唱える。名呼びが新亡者の名を呼び、一霊ごとに打ち役が66回楽(大太鼓)を打つ。楽に合わせてゆっくりと左回りに総碑屋形の周りを回り、内側を幟幡を持った子どもが回る。進行途中で幟幡の打ち合いを始め、破損すると外側に捨てに出て、子どもたちの役が終わる。長時間にわたるので親類、知友が縁のあった新亡者の傘ぶくの持ち番を交代するため、円の周りで待機をする。スライド枠には「波切 61.8.14」の印が捺される。 | 志摩市大王町波切 | 1986.8.14 |
7630 | 波切の大念仏6-16 | 午後3時ころ、傘ぶくを持って会場に集まった新亡者の家族。法名を書いた紙の幟幡を持った子どもたちも従う。「爺爺等(じじら)」と呼ばれる年寄5人衆が鉦を打ち、念仏を唱える。名呼びが新亡者の名を呼び、一霊ごとに打ち役が66回楽(大太鼓)を打つ。楽に合わせてゆっくりと左回りに総碑屋形の周りを回り、内側を幟幡を持った子どもが回る。進行途中で幟幡の打ち合いを始め、破損すると外側に捨てに出て、子どもたちの役が終わる。長時間にわたるので親類、知友が縁のあった新亡者の傘ぶくの持ち番を交代するため、円の周りで待機をする。スライド枠には「波切 61.8.14」の印が捺される。 | 志摩市大王町波切 | 1986.8.14 |
7631 | 波切の大念仏6-17 | 午後3時ころ、傘ぶくを持って会場に集まった新亡者の家族。法名を書いた紙の幟幡を持った子どもたちも従う。「爺爺等(じじら)」と呼ばれる年寄5人衆が鉦を打ち、念仏を唱える。名呼びが新亡者の名を呼び、一霊ごとに打ち役が66回楽(大太鼓)を打つ。楽に合わせてゆっくりと左回りに総碑屋形の周りを回り、内側を幟幡を持った子どもが回る。進行途中で幟幡の打ち合いを始め、破損すると外側に捨てに出て、子どもたちの役が終わる。長時間にわたるので親類、知友が縁のあった新亡者の傘ぶくの持ち番を交代するため、円の周りで待機をする。スライド枠には「波切 61.8.14」の印が捺される。 | 志摩市大王町波切 | 1986.8.14 |
7632 | 波切の大念仏6-18 | 午後3時ころ、傘ぶくを持って会場に集まった新亡者の家族。法名を書いた紙の幟幡を持った子どもたちも従う。「爺爺等(じじら)」と呼ばれる年寄5人衆が鉦を打ち、念仏を唱える。名呼びが新亡者の名を呼び、一霊ごとに打ち役が66回楽(大太鼓)を打つ。楽に合わせてゆっくりと左回りに総碑屋形の周りを回り、内側を幟幡を持った子どもが回る。進行途中で幟幡の打ち合いを始め、破損すると外側に捨てに出て、子どもたちの役が終わる。長時間にわたるので親類、知友が縁のあった新亡者の傘ぶくの持ち番を交代するため、円の周りで待機をする。スライド枠には「波切 61.8.14」の印が捺される。 | 志摩市大王町波切 | 1986.8.14 |
7633 | 波切の大念仏7-1 | 午後3時ころ、傘ぶくを持って会場に集まった新亡者の家族。法名を書いた紙の幟幡を持った子どもたちも従う。「爺爺等(じじら)」と呼ばれる年寄5人衆が鉦を打ち、念仏を唱える。名呼びが新亡者の名を呼び、一霊ごとに打ち役が66回楽(大太鼓)を打つ。楽に合わせてゆっくりと左回りに総碑屋形の周りを回り、内側を幟幡を持った子どもが回る。進行途中で幟幡の打ち合いを始め、破損すると外側に捨てに出て、子どもたちの役が終わる。長時間にわたるので親類、知友が縁のあった新亡者の傘ぶくの持ち番を交代するため、円の周りで待機をする。スライド枠には「波切 61.8.14」の印が捺される。 | 志摩市大王町波切 | 1986.8.14 |
7634 | 波切の大念仏7-2 | 午後3時ころ、傘ぶくを持って会場に集まった新亡者の家族。法名を書いた紙の幟幡を持った子どもたちも従う。「爺爺等(じじら)」と呼ばれる年寄5人衆が鉦を打ち、念仏を唱える。名呼びが新亡者の名を呼び、一霊ごとに打ち役が66回楽(大太鼓)を打つ。楽に合わせてゆっくりと左回りに総碑屋形の周りを回り、内側を幟幡を持った子どもが回る。進行途中で幟幡の打ち合いを始め、破損すると外側に捨てに出て、子どもたちの役が終わる。長時間にわたるので親類、知友が縁のあった新亡者の傘ぶくの持ち番を交代するため、円の周りで待機をする。スライド枠には「波切 61.8.14」の印が捺される。 | 志摩市大王町波切 | 1986.8.14 |
7635 | 波切の大念仏7-3 | 午後3時ころ、傘ぶくを持って会場に集まった新亡者の家族。法名を書いた紙の幟幡を持った子どもたちも従う。スライド枠には「波切 61.8.14」の印が捺される。 | 志摩市大王町波切 | 1986.8.14 |
7636 | 波切の大念仏7-4 | 午後3時ころ、傘ぶくを持って会場に集まった新亡者の家族。法名を書いた紙の幟幡を持った子どもたちも従う。スライド枠には「波切 61.8.14」の印が捺される。 | 志摩市大王町波切 | 1986.8.14 |
7637 | 波切の大念仏7-5 | 午後3時ころ、傘ぶくを持って会場に集まった新亡者の家族。法名を書いた紙の幟幡を持った子どもたちも従う。スライド枠には「波切 61.8.14」の印が捺される。 | 志摩市大王町波切 | 1986.8.14 |
7638 | 波切の大念仏7-6 | 午後3時ころ、傘ぶくを持って会場に集まった新亡者の家族。法名を書いた紙の幟幡を持った子どもたちも従う。スライド枠には「波切 61.8.14」の印が捺される。 | 志摩市大王町波切 | 1986.8.14 |
7639 | 波切の大念仏7-7 | 1つの傘ぶくの向こうにたくさんの男性が写る。スライド枠には「波切 61.8.14」の印が捺される。 | 志摩市大王町波切 | 1986.8.14 |
7640 | 波切の大念仏7-8 | 1つの傘ぶくの向こうにたくさんの男性が写る。スライド枠には「波切 61.8.14」の印が捺される。 | 志摩市大王町波切 | 1986.8.14 |
7641 | 波切の大念仏7-9 | 午後3時頃、カサブクを持って会場に集まった新亡者の家族。法名を書いた紙の幟幡を持った子ども達も従う。爺爺等(じじら)と呼ばれる年寄5人衆が鉦を打ち、念仏を唱えた。名呼びが新亡者の名を呼び、一霊ごとに打ち役が 66回楽(大太鼓)を打つ。楽に合わせてゆっくりと左回りに総碑屋形の周りを回り、紙でできた幟幡を持った男児が内側を回る。カサブクを持つのは男性。全ての名を呼び終わるまで長時間回るため、近親者だけでなく親族や知人も集まって順次交代していく。円の周囲で待機するのは彼らである。新亡者が多いときは二重、三重の円になるほどカサブクが出て、猛暑のなか3?4時間も歩くことがあった。後ろでは 女性がうちわで扇いだり飲み物を渡したりして、少しでも暑さを和らげようとする。大念仏はかつて爺爺等が世話していたが、今は三カ寺が引き継いでいる。(「丘端の記憶 波切の暮らし写真展」報告書より) スライド枠には「波切 61.8.14」の印が捺される。 | 志摩市大王町波切 | 1986.8.14 |
7642 | 波切の大念仏7-10 | 午後3時ころ、傘ぶくを持って会場に集まった新亡者の家族。法名を書いた紙の幟幡を持った子どもたちも従う。「爺爺等(じじら)」と呼ばれる年寄5人衆が鉦を打ち、念仏を唱える。名呼びが新亡者の名を呼び、一霊ごとに打ち役が66回楽(大太鼓)を打つ。楽に合わせてゆっくりと左回りに総碑屋形の周りを回り、内側を幟幡を持った子どもが回る。進行途中で幟幡の打ち合いを始め、破損すると外側に捨てに出て、子どもたちの役が終わる。長時間にわたるので親類、知友が縁のあった新亡者の傘ぶくの持ち番を交代するため、円の周りで待機をする。スライド枠には「波切 61.8.14」の印が捺される。 | 志摩市大王町波切 | 1986.8.14 |
7643 | 波切の大念仏7-11 | 午後3時ころ、傘ぶくを持って会場に集まった新亡者の家族。法名を書いた紙の幟幡を持った子どもたちも従う。「爺爺等(じじら)」と呼ばれる年寄5人衆が鉦を打ち、念仏を唱える。名呼びが新亡者の名を呼び、一霊ごとに打ち役が66回楽(大太鼓)を打つ。楽に合わせてゆっくりと左回りに総碑屋形の周りを回り、内側を幟幡を持った子どもが回る。進行途中で幟幡の打ち合いを始め、破損すると外側に捨てに出て、子どもたちの役が終わる。長時間にわたるので親類、知友が縁のあった新亡者の傘ぶくの持ち番を交代するため、円の周りで待機をする。スライド枠には「波切 61.8.14」の印が捺される。 | 志摩市大王町波切 | 1986.8.14 |
7644 | 波切の大念仏7-12 | 午後3時ころ、傘ぶくを持って会場に集まった新亡者の家族。法名を書いた紙の幟幡を持った子どもたちも従う。「爺爺等(じじら)」と呼ばれる年寄5人衆が鉦を打ち、念仏を唱える。名呼びが新亡者の名を呼び、一霊ごとに打ち役が66回楽(大太鼓)を打つ。楽に合わせてゆっくりと左回りに総碑屋形の周りを回り、内側を幟幡を持った子どもが回る。進行途中で幟幡の打ち合いを始め、破損すると外側に捨てに出て、子どもたちの役が終わる。長時間にわたるので親類、知友が縁のあった新亡者の傘ぶくの持ち番を交代するため、円の周りで待機をする。スライド枠には「波切 61.8.14」の印が捺される。 | 志摩市大王町波切 | 1986.8.14 |
7645 | 波切の大念仏7-13 | 午後3時ころ、傘ぶくを持って会場に集まった新亡者の家族。法名を書いた紙の幟幡を持った子どもたちも従う。「爺爺等(じじら)」と呼ばれる年寄5人衆が鉦を打ち、念仏を唱える。名呼びが新亡者の名を呼び、一霊ごとに打ち役が66回楽(大太鼓)を打つ。楽に合わせてゆっくりと左回りに総碑屋形の周りを回り、内側を幟幡を持った子どもが回る。進行途中で幟幡の打ち合いを始め、破損すると外側に捨てに出て、子どもたちの役が終わる。長時間にわたるので親類、知友が縁のあった新亡者の傘ぶくの持ち番を交代するため、円の周りで待機をする。スライド枠には「波切 61.8.14」の印が捺される。 | 志摩市大王町波切 | 1986.8.14 |
7646 | 波切の大念仏7-14 | 午後3時ころ、傘ぶくを持って会場に集まった新亡者の家族。法名を書いた紙の幟幡を持った子どもたちも従う。「爺爺等(じじら)」と呼ばれる年寄5人衆が鉦を打ち、念仏を唱える。名呼びが新亡者の名を呼び、一霊ごとに打ち役が66回楽(大太鼓)を打つ。楽に合わせてゆっくりと左回りに総碑屋形の周りを回り、内側を幟幡を持った子どもが回る。進行途中で幟幡の打ち合いを始め、破損すると外側に捨てに出て、子どもたちの役が終わる。長時間にわたるので親類、知友が縁のあった新亡者の傘ぶくの持ち番を交代するため、円の周りで待機をする。スライド枠には「波切 61.8.14」の印が捺される。 | 志摩市大王町波切 | 1986.8.14 |
7647 | 波切の大念仏7-15 | 午後3時ころ、傘ぶくを持って会場に集まった新亡者の家族。法名を書いた紙の幟幡を持った子どもたちも従う。「爺爺等(じじら)」と呼ばれる年寄5人衆が鉦を打ち、念仏を唱える。名呼びが新亡者の名を呼び、一霊ごとに打ち役が66回楽(大太鼓)を打つ。楽に合わせてゆっくりと左回りに総碑屋形の周りを回り、内側を幟幡を持った子どもが回る。進行途中で幟幡の打ち合いを始め、破損すると外側に捨てに出て、子どもたちの役が終わる。長時間にわたるので親類、知友が縁のあった新亡者の傘ぶくの持ち番を交代するため、円の周りで待機をする。スライド枠には「波切 61.8.14」の印が捺される。 | 志摩市大王町波切 | 1986.8.14 |
7648 | 波切の大念仏8-1 | 午後3時ころ、傘ぶくを持って会場に集まった新亡者の家族。法名を書いた紙の幟幡を持った子どもたちも従う。「爺爺等(じじら)」と呼ばれる年寄5人衆が鉦を打ち、念仏を唱える。名呼びが新亡者の名を呼び、一霊ごとに打ち役が66回楽(大太鼓)を打つ。楽に合わせてゆっくりと左回りに総碑屋形の周りを回り、内側を幟幡を持った子どもが回る。進行途中で幟幡の打ち合いを始め、破損すると外側に捨てに出て、子どもたちの役が終わる。長時間にわたるので親類、知友が縁のあった新亡者の傘ぶくの持ち番を交代するため、円の周りで待機をする。スライド枠には「波切 61.8.14」の印が捺される。 | 志摩市大王町波切 | 1986.8.14 |
7649 | 波切の大念仏8-2 | 午後3時ころ、傘ぶくを持って会場に集まった新亡者の家族。法名を書いた紙の幟幡を持った子どもたちも従う。「爺爺等(じじら)」と呼ばれる年寄5人衆が鉦を打ち、念仏を唱える。名呼びが新亡者の名を呼び、一霊ごとに打ち役が66回楽(大太鼓)を打つ。楽に合わせてゆっくりと左回りに総碑屋形の周りを回り、内側を幟幡を持った子どもが回る。進行途中で幟幡の打ち合いを始め、破損すると外側に捨てに出て、子どもたちの役が終わる。長時間にわたるので親類、知友が縁のあった新亡者の傘ぶくの持ち番を交代するため、円の周りで待機をする。スライド枠には「波切 61.8.14」の印が捺される。 | 志摩市大王町波切 | 1986.8.14 |
7650 | 波切の大念仏8-3 | 午後3時ころ、傘ぶくを持って会場に集まった新亡者の家族。法名を書いた紙の幟幡を持った子どもたちも従う。「爺爺等(じじら)」と呼ばれる年寄5人衆が鉦を打ち、念仏を唱える。名呼びが新亡者の名を呼び、一霊ごとに打ち役が66回楽(大太鼓)を打つ。楽に合わせてゆっくりと左回りに総碑屋形の周りを回り、内側を幟幡を持った子どもが回る。進行途中で幟幡の打ち合いを始め、破損すると外側に捨てに出て、子どもたちの役が終わる。長時間にわたるので親類、知友が縁のあった新亡者の傘ぶくの持ち番を交代するため、円の周りで待機をする。スライド枠には「波切 61.8.14」の印が捺される。 | 志摩市大王町波切 | 1986.8.14 |
7651 | 波切の大念仏8-4 | 傘ぶくの中。くし、かんざし、玉結びひも、毛抜き、小提灯、遺髪、ハサミ、すず袋、茄子、ささげ等が吊り下げられている。スライド枠には「波切 61.8.14」の印が捺される。 | 志摩市大王町波切 | 1986.8.14 |
7652 | 波切の大念仏8-5 | 傘ぶくの中。女性なのか、くし、かんざし、玉結びひも、毛抜き、小提灯、遺髪、ハサミ、すず袋、茄子、ささげ等が吊り下げられている。スライド枠には「波切 61.8.14」の印が捺される。 | 志摩市大王町波切 | 1986.8.14 |
7653 | 波切の大念仏8-6 | 傘ぶくの中。男性なのか、印鑑、角帯、小刀、数珠、煙草入れ、しきみ、毛抜き、爪切り、玉結び腰ひも、小提灯、扇子、茄子、ささげが吊り下げられている。スライド枠には「波切 61.8.14」の印が捺される。 | 志摩市大王町波切 | 1986.8.14 |
7654 | 波切の大念仏8-7 | 傘ぶくの中。男性なのか、印鑑、角帯、小刀、数珠、煙草入れ、しきみ、毛抜き、爪切り、玉結び腰ひも、小提灯、扇子、茄子、ささげが吊り下げられている。スライド枠には「波切 61.8.14」の印が捺される。 | 志摩市大王町波切 | 1986.8.14 |
7655 | 波切の大念仏8-8 | 傘ぶくの中。女性なのか、くし、かんざし、玉結びひも、毛抜き、小提灯、遺髪、ハサミ、すず袋、茄子、ささげ等が吊り下げられている。スライド枠には「波切 61.8.14」の印が捺される。 | 志摩市大王町波切 | 1986.8.14 |
7656 | 波切の大念仏8-9 | 傘ぶくの中。女性なのか、くし、かんざし、玉結びひも、毛抜き、小提灯、遺髪、ハサミ、すず袋、茄子、ささげ等が吊り下げられている。スライド枠には「波切 61.8.14」の印が捺される。 | 志摩市大王町波切 | 1986.8.14 |
7657 | 波切の大念仏8-10 | 午後3時ころ、傘ぶくを持って会場に集まった新亡者の家族。法名を書いた紙の幟幡を持った子どもたちも従う。「爺爺等(じじら)」と呼ばれる年寄5人衆が鉦を打ち、念仏を唱える。名呼びが新亡者の名を呼び、一霊ごとに打ち役が66回楽(大太鼓)を打つ。楽に合わせてゆっくりと左回りに総碑屋形の周りを回り、内側を幟幡を持った子どもが回る。進行途中で幟幡の打ち合いを始め、破損すると外側に捨てに出て、子どもたちの役が終わる。長時間にわたるので親類、知友が縁のあった新亡者の傘ぶくの持ち番を交代するため、円の周りで待機をする。スライド枠には「波切 61.8.14」の印が捺される。 | 志摩市大王町波切 | 1986.8.14 |
7658 | 波切の大念仏8-11 | 午後3時ころ、傘ぶくを持って会場に集まった新亡者の家族。法名を書いた紙の幟幡を持った子どもたちも従う。「爺爺等(じじら)」と呼ばれる年寄5人衆が鉦を打ち、念仏を唱える。名呼びが新亡者の名を呼び、一霊ごとに打ち役が66回楽(大太鼓)を打つ。楽に合わせてゆっくりと左回りに総碑屋形の周りを回り、内側を幟幡を持った子どもが回る。進行途中で幟幡の打ち合いを始め、破損すると外側に捨てに出て、子どもたちの役が終わる。長時間にわたるので親類、知友が縁のあった新亡者の傘ぶくの持ち番を交代するため、円の周りで待機をする。スライド枠には「波切 61.8.14」の印が捺される。 | 志摩市大王町波切 | 1986.8.14 |
7659 | 波切の大念仏8-12 | 午後3時ころ、傘ぶくを持って会場に集まった新亡者の家族。法名を書いた紙の幟幡を持った子どもたちも従う。「爺爺等(じじら)」と呼ばれる年寄5人衆が鉦を打ち、念仏を唱える。名呼びが新亡者の名を呼び、一霊ごとに打ち役が66回楽(大太鼓)を打つ。楽に合わせてゆっくりと左回りに総碑屋形の周りを回り、内側を幟幡を持った子どもが回る。進行途中で幟幡の打ち合いを始め、破損すると外側に捨てに出て、子どもたちの役が終わる。長時間にわたるので親類、知友が縁のあった新亡者の傘ぶくの持ち番を交代するため、円の周りで待機をする。スライド枠には「波切 61.8.14」の印が捺される。 | 志摩市大王町波切 | 1986.8.14 |
7660 | 波切の大念仏8-13 | 午後3時ころ、傘ぶくを持って会場に集まった新亡者の家族。法名を書いた紙の幟幡を持った子どもたちも従う。「爺爺等(じじら)」と呼ばれる年寄5人衆が鉦を打ち、念仏を唱える。名呼びが新亡者の名を呼び、一霊ごとに打ち役が66回楽(大太鼓)を打つ。楽に合わせてゆっくりと左回りに総碑屋形の周りを回り、内側を幟幡を持った子どもが回る。進行途中で幟幡の打ち合いを始め、破損すると外側に捨てに出て、子どもたちの役が終わる。長時間にわたるので親類、知友が縁のあった新亡者の傘ぶくの持ち番を交代するため、円の周りで待機をする。№7607とほぼ同じ画像。スライド枠には「波切 61.8.14」の印が捺される。 | 志摩市大王町波切 | 1986.8.14 |
7661 | 波切の大念仏8-14 | 楽に合わせてゆっくりと左回りに総碑屋形の周りを回る傘ぶく。内側を幟幡を持った子どもが回る。進行途中で幟幡の打ち合いを始め、破損すると外側に捨てに出て、子どもたちの役が終わる。長時間にわたるので親類、知友が縁のあった新亡者の傘ぶくの持ち番を交代するため、円の周りで待機をする。スライド枠には「波切 61.8.14」の印が捺される。 | 志摩市大王町波切 | 1986.8.14 |
7662 | 波切の大念仏8-15 | 楽に合わせてゆっくりと左回りに総碑屋形の周りを回る傘ぶく。内側を幟幡を持った子どもが回る。進行途中で幟幡の打ち合いを始め、破損すると外側に捨てに出て、子どもたちの役が終わる。長時間にわたるので親類、知友が縁のあった新亡者の傘ぶくの持ち番を交代するため、円の周りで待機をする。スライド枠には「波切 61.8.14」の印が捺される。 | 志摩市大王町波切 | 1986.8.14 |
7663 | 波切の大念仏8-16 | 楽に合わせてゆっくりと左回りに総碑屋形の周りを回る傘ぶく。内側を幟幡を持った子どもが回る。進行途中で幟幡の打ち合いを始め、破損すると外側に捨てに出て、子どもたちの役が終わる。長時間にわたるので親類、知友が縁のあった新亡者の傘ぶくの持ち番を交代するため、円の周りで待機をする。スライド枠には「波切 61.8.14」の印が捺される。 | 志摩市大王町波切 | 1986.8.14 |
7664 | 御座の大念仏9-1 | 夕方浜で行われる。新亡者の家から代表の男女2本のカサブクが出され、僧侶の読経と村役の焼香が終わると、鉦と太鼓に合わせて屋台を回りながら、地囃しが「あみだ たのもうヒヤア 人は雨夜の月なるぞ…」ととなえ、他の新亡者,家族全員で合唱する。3周回った後、子どもの唱え手2人が男性の戒名と女性の戒名を読み上げる。スライド枠には「御座 62.8.14」の印が捺される。参考:『志摩町史 改訂版』(平成16年8月発行)/(以下キャプションは同文献に拠る) | 志摩市志摩町御座 | 1987.8.14 |
7665 | 御座の大念仏9-2 | 夕方浜で行われる。新亡者の家から代表の男女2本のカサブクが出され、僧侶の読経と村役の焼香が終わると、鉦と太鼓に合わせて屋台を回りながら、地囃しが「あみだ たのもうヒヤア 人は雨夜の月なるぞ…」ととなえ、他の新亡者、家族全員で合唱する。3周回った後、子どもの唱え手2人が男性の戒名と女性の戒名を読み上げる。スライド枠には「御座 62.8.14」の印が捺される。 | 志摩市志摩町御座 | 1987.8.14 |
7666 | 御座の大念仏9-3 | 3周回った後、僧侶の横で新亡者の戒名を読み上げる男児。スライド枠には「御座 62.8.14」の印が捺される。 | 志摩市志摩町御座 | 1987.8.14 |
7667 | 御座の大念仏9-4 | 3周回った後、僧侶の横で新亡者の戒名を読み上げる男児。最後に勢いよく「タリヤー」といって奉書紙を引き破る。これを念仏をもらうという。スライド枠には「御座 62.8.14」の印が捺される。 | 志摩市志摩町御座 | 1987.8.14 |
7668 | 御座の盆行事9-5 | 高灯籠。十字に縛った葉付きの青竹に戒名を記した灯籠を下げてある。初盆家の印である。スライド枠には「御座 62.8.14」の印が捺される。 | 志摩市志摩町御座 | 1987.8.14 |
7669 | 御座の盆行事9-6 | 高灯籠。十字に縛った葉付きの青竹に戒名を記した灯籠を下げてある。初盆家の印である。スライド枠には「御座 62.8.14」の印が捺される。 | 志摩市志摩町御座 | 1987.8.14 |
7670 | 御座の盆行事9-7 | 高灯籠。十字に縛った葉付きの青竹に戒名を記した灯籠を下げてある。初盆家の印である。スライド枠には「御座 62.8.14」の印が捺される。 | 志摩市志摩町御座 | 1987.8.14 |
7671 | 御座の墓地9-8 | 墓地遠景。盆は村中が一家そろって墓参りをする。自分の家の他、親戚や、知人、新喪の墓や共同墓地をも回る。スライド枠には「御座 62.8.14」の印が捺される。 | 志摩市志摩町御座 | 1987.8.14 |
7672 | 御座の墓地9-9 | 墓地遠景。盆は村中が一家そろって墓参りをする。自分の家の他、親戚や、知人、新喪の墓や共同墓地をも回る。スライド枠には「御座 62.8.14」の印が捺される。 | 志摩市志摩町御座 | 1987.8.14 |
7673 | 御座の墓地9-10 | 墓地遠景。盆は村中が一家そろって墓参りをする。自分の家の他、親戚や、知人、新喪の墓や共同墓地をも回る。スライド枠には「御座 62.8.14」の印が捺される。 | 志摩市志摩町御座 | 1987.8.14 |
7674 | 御座の墓地9-11 | 墓地遠景。盆は村中が一家そろって墓参りをする。自分の家の他、親戚や、知人、新喪の墓や共同墓地をも回る。スライド枠には「御座 62.8.14」の印が捺される。 | 志摩市志摩町御座 | 1987.8.14 |
7675 | 御座の墓地9-12 | 墓地遠景。盆は村中が一家そろって墓参りをする。自分の家の他、親戚や、知人、新喪の墓や共同墓地をも回る。スライド枠には「御座 62.8.14」の印が捺される。 | 志摩市志摩町御座 | 1987.8.14 |
7676 | 御座の墓地9-13 | 墓地遠景。盆は村中が一家そろって墓参りをする。自分の家の他、親戚や、知人、新喪の墓や共同墓地をも回る。スライド枠には「御座 62.8.14」の印が捺される。 | 志摩市志摩町御座 | 1987.8.14 |
7677 | 御座の墓地9-14 | 墓地遠景。盆は村中が一家そろって墓参りをする。自分の家の他、親戚や、知人、新喪の墓や共同墓地をも回る。スライド枠には「御座 62.8.14」の印が捺される。 | 志摩市志摩町御座 | 1987.8.14 |
7678 | 御座の墓地9-15 | 墓地遠景。盆は村中が一家そろって墓参りをする。自分の家の他、親戚や、知人、新喪の墓や共同墓地をも回る。スライド枠には「御座 62.8.14」の印が捺される。 | 志摩市志摩町御座 | 1987.8.14 |
7679 | 御座の大念仏10-1 | 夕方浜で行われる。新亡者の家から代表の男女2本のカサブクが出され、僧侶の読経と村役の焼香が終わると、鉦と太鼓に合わせて屋台を回りながら、地囃しが「あみだ たのもうヒヤア 人は雨夜の月なるぞ…」と唱え、他の新亡者,家族全員で合唱する。スライド枠には「御座 62.8.14」の印が捺される。 | 志摩市志摩町御座 | 1987.8.14 |
7680 | 御座の大念仏10-2 | 女性用のカサブクの中。ピンクの幔幕が張られ、中に切子灯籠と遺品が吊り下げられている。スライド枠には「御座 62.8.14」の印が捺される。 | 志摩市志摩町御座 | 1987.8.14 |
7681 | 御座の大念仏10-3 | 夕方浜で行われる。新亡者の家から代表の男女2本のカサブクが出され、僧侶の読経と村役の焼香が終わると、鉦と太鼓に合わせて屋台を回りながら、地囃しが「あみだ たのもうヒヤア 人は雨夜の月なるぞ…」と唱え、他の新亡者,家族全員で合唱する。スライド枠には「御座 62.8.14」の印が捺される。 | 志摩市志摩町御座 | 1987.8.14 |
7682 | 御座の大念仏10-4 | 夕方浜で行われる。新亡者の家から代表の男女2本のカサブクが出され、僧侶の読経と村役の焼香が終わると、鉦と太鼓に合わせて屋台を回りながら、地囃しが「あみだ たのもうヒヤア 人は雨夜の月なるぞ…」ととなえ、他の新亡者、家族全員で合唱する。3周回った後、子どもの唱え手2人が男性の戒名と女性の戒名を読み上げる。スライド枠には「御座 62.8.14」の印が捺される。 | 志摩市志摩町御座 | 1987.8.14 |
7683 | 御座の大念仏10-5 | 夕方浜で行われる。新亡者の家から代表の男女2本のカサブクが出され、僧侶の読経と村役の焼香が終わると、鉦と太鼓に合わせて屋台を回りながら、地囃しが「あみだ たのもうヒヤア 人は雨夜の月なるぞ…」と唱え、他の新亡者、家族全員で合唱する。3周回った後、子どもの唱え手2人が男性の戒名と女性の戒名を読み上げる。スライド枠には「御座 62.8.14」の印が捺される。 | 志摩市志摩町御座 | 1987.8.14 |
7684 | 御座の大念仏10-6 | 南無阿弥陀仏と書かれた幟を先頭に、女性用のカサブク、香炉持ち、遺族の順に櫓を3周回る。香炉持ちは女性で、ピンクのかざしを垂らした菅笠をかぶり、喪服姿で片袖を抜いている。香炉持ちは、最年長で亡くなった人の妻か、娘が務める。スライド枠には「御座 62.8.14」の印が捺される。 | 志摩市志摩町御座 | 1987.8.14 |
7685 | 御座の大念仏10-7 | 南無阿弥陀仏と書かれた幟を先頭に、女性用のカサブク、香炉持ち、遺族の順に櫓を3周回る。香炉持ちは女性で、ピンクのかざしを垂らした菅笠をかぶり、喪服姿で片袖を抜いている。香炉持ちは、最年長で亡くなった人の妻か、娘が務める。スライド枠には「御座 62.8.14」の印が捺される。 | 志摩市志摩町御座 | 1987.8.14 |
7686 | 御座の大念仏10-8 | 女性用のカサブクの中。ピンクの幔幕が張られ、中に切子灯籠と遺品が吊り下げられている。スライド枠には「御座 62.8.14」の印が捺される。 | 志摩市志摩町御座 | 1987.8.14 |
7687 | 御座の盆行事10-9 | 床の間に設えられた、新亡者の祭壇。南無阿弥陀仏の掛軸の前に遺影、位牌、供養膳、両側に灯籠が置かれている。スライド枠には「御座 62.8.14」の印が捺される。 | 志摩市志摩町御座 | 1987.8.14 |
7688 | 御座の盆行事10-10 | 床の間に設えられた、新亡者の祭壇。南無阿弥陀仏の掛軸の前に遺影、位牌、供養膳、両側に灯籠が置かれている。スライド枠には「御座 62.8.14」の印が捺される。 | 志摩市志摩町御座 | 1987.8.14 |
7689 | 御座の盆行事10-11 | 床の間に設えられた、新亡者の祭壇。南無阿弥陀仏の掛軸の前に遺影、位牌、供養膳、両側に灯籠が置かれている。スライド枠には「御座 62.8.14」の印が捺される。 | 志摩市志摩町御座 | 1987.8.14 |
7690 | 御座の盆行事10-12 | 床の間に設えられた、新亡者の祭壇。南無阿弥陀仏の掛軸の前に遺影、位牌、供養膳、両側に灯籠が置かれている。スライド枠には「御座 62.8.14」の印が捺される。 | 志摩市志摩町御座 | 1987.8.14 |
7691 | 御座の盆行事10-13 | 祭壇の前には、親族等から届けられた多くの供え物が置かれている。スライド枠には「御座 62.8.14」の印が捺される。 | 志摩市志摩町御座 | 1987.8.14 |
7692 | 御座の盆行事10-14 | 高灯籠。十字に縛った葉付きの青竹に戒名を記した灯籠を下げてある。初盆家の印である。スライド枠には「御座 62.8.14」の印が捺される。 | 志摩市志摩町御座 | 1987.8.14 |
7693 | 御座の盆行事10-15 | 高灯籠。十字に縛った葉付きの青竹に戒名を記した灯籠を下げてある。初盆家の印である。スライド枠には「御座 62.8.14」の印が捺される。 | 志摩市志摩町御座 | 1987.8.14 |
7694 | 御座の大念仏11-1 | フェリー乗り場の跡地にカサブクを立て、その横に木枠の正方形の線香立てを地面に置き、周りにゴザを敷いて親族が座っている。一般の人も線香を供えるため、たくさんの線香が立てられている。スライド枠には「御座 62.8.14」の印が捺される | 志摩市志摩町御座 | 1987.8.14 |
7695 | 御座の大念仏11-2 | フェリー乗り場の跡地にカサブクを立て、その横に木枠の正方形の線香立てを地面に置き、周りにゴザを敷いて親族が座っている。一般の人も線香を供えるため、たくさんの線香が立てられている。スライド枠には「御座 62.8.14」の印が捺される | 志摩市志摩町御座 | 1987.8.14 |
7696 | 御座の大念仏11-3 | 女性用のカサブクの中。ピンクの幔幕が張られ、中に切子灯籠と遺品が吊り下げられている。スライド枠には「御座 62.8.14」の印が捺される。 | 志摩市志摩町御座 | 1987.8.14 |
7697 | 御座の大念仏11-4 | 女性用のカサブクの中。ピンクの幔幕が張られ、中に切子灯籠と遺品が吊り下げられている。スライド枠には「御座 62.8.14」の印が捺される。 | 志摩市志摩町御座 | 1987.8.14 |
7698 | 御座の大念仏11-5 | 女性用のカサブクの中。ピンクの幔幕が張られ、中に切子灯籠と遺品が吊り下げられている。カサブクは予め寺に用意されている。スライド枠には「御座 62.8.14」の印が捺される。 | 志摩市志摩町御座 | 1987.8.14 |
7699 | 御座の大念仏11-6 | 男性用のカサブクの中。青い幔幕が張られ、中に切子灯籠と遺品が吊り下げられている。スライド枠には「御座 62.8.14」の印が捺される。 | 志摩市志摩町御座 | 1987.8.14 |
7700 | 御座の大念仏11-7 | フェリー乗り場の跡地にカサブクを立て、その横に木枠の正方形の線香立てを地面に置き、周りにゴザを敷いて親族が座っている。一般の人も線香を供えるため、たくさんの線香が立てられている。スライド枠には「御座 62.8.14」の印が捺される | 志摩市志摩町御座 | 1987.8.14 |
7701 | 御座の大念仏11-8 | フェリー乗り場の跡地にカサブクを立て、その横に木枠の正方形の線香立てを地面に置き、周りにゴザを敷いて親族が座っている。一般の人も線香を供えるため、たくさんの線香が立てられている。スライド枠には「御座 62.8.14」の印が捺される | 志摩市志摩町御座 | 1987.8.14 |
7702 | 御座の大念仏11-9 | フェリー乗り場の跡地にカサブクを立て、その横に木枠の正方形の線香立てを地面に置き、周りにゴザを敷いて親族が座っている。一般の人も線香を供えるため、たくさんの線香が立てられている。広場の中央に櫓が組まれている。スライド枠には「御座 62.8.14」の印が捺される | 志摩市志摩町御座 | 1987.8.14 |
7703 | 御座の大念仏11-10 | フェリー乗り場の跡地にカサブクを立て、その横に木枠の正方形の線香立てを地面に置き、周りにゴザを敷いて親族が座っている。一般の人も線香を供えるため、たくさんの線香が立てられている。広場の中央に櫓が組まれている。スライド枠には「御座 62.8.14」の印が捺される | 志摩市志摩町御座 | 1987.8.14 |
7704 | 御座の大念仏11-11 | 香炉持ち。ピンクのかざしを垂らした菅笠をかぶり、喪服姿で片袖を抜いている。香炉持ちは、最年長で亡くなった人の妻か、娘が務める。スライド枠には「御座 62.8.14」の印が捺される。 | 志摩市志摩町御座 | 1987.8.14 |
7705 | 御座の大念仏11-12 | 香炉持ち。青いかざしを垂らした菅笠をかぶり、喪服姿で片袖を抜いている。香炉持ちは、最年長で亡くなった人の妻か、娘が務める。スライド枠には「御座 62.8.15」の印が捺される。 | 志摩市志摩町御座 | 1987.8.14 |
7706 | 御座の大念仏11-13 | 南無阿弥陀仏と書かれた幟を先頭に、男性用のカサブク、香炉持ち、遺族の順に櫓を3周回る。香炉持ちは女性で、青いかざしを垂らした菅笠をかぶり、喪服姿で片袖を抜いている。香炉持ちは、最年長で亡くなった人の妻か、娘が務める。スライド枠には「御座 62.8.14」の印が捺される。 | 志摩市志摩町御座 | 1987.8.14 |
7707 | 御座の大念仏11-14 | 南無阿弥陀仏と書かれた幟を先頭に、男性用のカサブク、香炉持ち、遺族の順に櫓を3周回る。香炉持ちは女性で、青いかざしを垂らした菅笠をかぶり、喪服姿で片袖を抜いている。香炉持ちは、最年長で亡くなった人の妻か、娘が務める。スライド枠には「御座 62.8.14」の印が捺される。 | 志摩市志摩町御座 | 1987.8.14 |
7708 | 御座の大念仏12-1 | 夕方浜で行われる。新亡者の家から代表の男女2本のカサブクが出され、僧侶の読経と村役の焼香が終わると、鉦と太鼓に合わせて屋台を回りながら、地囃しが「あみだ たのもうヒヤア 人は雨夜の月なるぞ…」と唱え、他の新亡者、家族全員で合唱する。この後午後8時頃から盆踊りが始まる。スライド枠には「御座 62.8.14」の印が捺される。 | 志摩市志摩町御座 | 1987.8.14 |
7709 | 御座の大念仏12-2 | フェリー乗り場の跡地にカサブクを立て、その横に木枠の正方形の線香立てを地面に置き、周りにゴザを敷いて親族が座っている。一般の人も線香を供えるため、たくさんの線香が立てられている。広場の中央に櫓が組まれている。スライド枠には「御座 62.8.14」の印が捺される | 志摩市志摩町御座 | 1987.8.14 |
7710 | 御座の大念仏12-3 | 3周回った後、僧侶の横で新亡者の戒名を読み上げる男児。スライド枠には「御座 62.8.14」の印が捺される。 | 志摩市志摩町御座 | 1987.8.14 |
7711 | 御座の大念仏12-4 | 3周回った後、僧侶の横で新亡者の戒名を読み上げる男児。スライド枠には「御座 62.8.14」の印が捺される。 | 志摩市志摩町御座 | 1987.8.14 |
7712 | 御座の墓地12-5 | 墓地遠景。盆は村中が一家そろって墓参りをする。自分の家の他、親戚や、知人、新喪の墓や共同墓地をも回る。スライド枠には「御座 62.8.14」の印が捺される。 | 志摩市志摩町御座 | 1987.8.14 |
7713 | 御座の墓地12-6 | 墓地遠景。盆は村中が一家そろって墓参りをする。自分の家の他、親戚や、知人、新喪の墓や共同墓地をも回る。スライド枠には「御座 62.8.14」の印が捺される。 | 志摩市志摩町御座 | 1987.8.14 |
7714 | 御座の大念仏12-7 | フェリー乗り場の跡地にカサブクを立て、その横に木枠の正方形の線香立てを地面に置き、周りにゴザを敷いて親族が座っている。一般の人も線香を供えるため、たくさんの線香が立てられている。広場の中央に櫓が組まれている。スライド枠には「御座 62.8.14」の印が捺される | 志摩市志摩町御座 | 1987.8.14 |
7715 | 御座の大念仏12-8 | 男性用のカサブクの中。青い幔幕が張られ、中に切子灯籠と遺品が吊り下げられている。スライド枠には「御座 62.8.14」の印が捺される。 | 志摩市志摩町御座 | 1987.8.14 |
7716 | 御座の墓地12-9 | 墓地遠景。盆は村中が一家そろって墓参りをする。自分の家の他、親戚や、知人、新喪の墓や共同墓地をも回る。スライド枠には「御座 62.8.14」の印が捺される。 | 志摩市志摩町御座 | 1987.8.14 |
7717 | 御座の大念仏12-10 | 男性用のカサブクの前に焼香する村の人たち。スライド枠には「御座 62.8.14」の印が捺される。 | 志摩市志摩町御座 | 1987.8.14 |
7718 | 御座の大念仏12-11 | 南無阿弥陀仏と書かれた幟を先頭に、男性用のカサブク、香炉持ち、遺族の順に櫓を3周回る。香炉持ちは女性で、青いかざしを垂らした菅笠をかぶり、喪服姿で片袖をぬいでいる。香炉持ちは、最年長で亡くなった人の妻か、娘が務める。スライド枠には「御座 62.8.14」の印が捺される。 | 志摩市志摩町御座 | 1987.8.14 |
7719 | 御座の盆行事12-12 | 床の間に設えられた、新亡者の祭壇。南無阿弥陀仏の掛軸の前に遺影、位牌、供養膳、両側に灯籠が置かれている。スライド枠には「御座 62.8.14」の印が捺される。 | 志摩市志摩町御座 | 1987.8.14 |
7720 | 御座の墓地13-1 | 墓地遠景。盆は村中が一家そろって墓参りをする。自分の家の他、親戚や、知人、新喪の墓や共同墓地をも回る。スライド枠には「御座 62.8.14」の印が捺される。 | 志摩市志摩町御座 | 1987.8.14 |
7721 | 御座の大念仏13-2 | フェリー乗り場の跡地にカサブクを立て、その横に木枠の正方形の線香立てを地面に置き、周りにゴザを敷いて親族が座っている。一般の人も線香を供えるため、たくさんの線香が立てられている。広場の中央に櫓が組まれている。スライド枠には「御座 62.8.14」の印が捺される | 志摩市志摩町御座 | 1987.8.14 |
7722 | 御座の大念仏13-3 | 男性用のカサブクの前に焼香する村の人たち。スライド枠には「御座 62.8.14」の印が捺される。 | 志摩市志摩町御座 | 1987.8.14 |
7723 | 御座の大念仏13-4 | 男性用のカサブクの前に焼香する村の人たち。スライド枠には「御座 62.8.14」の印が捺される。 | 志摩市志摩町御座 | 1987.8.14 |
7724 | 御座の大念仏13-5 | 男性用のカサブクの前に焼香する村の人たち。スライド枠には「御座 62.8.14」の印が捺される。 | 志摩市志摩町御座 | 1987.8.14 |
7725 | 御座の大念仏13-6 | 男性用のカサブクの中。青い幔幕が張られ、中に切子灯籠と遺品が吊り下げられている。スライド枠には「御座 62.8.14」の印が捺される。 | 志摩市志摩町御座 | 1987.8.14 |
7726 | 御座の大念仏13-7 | 男性用のカサブクの中。青い幔幕が張られ、中に切子灯籠と遺品が吊り下げられている。スライド枠には「御座 62.8.14」の印が捺される。 | 志摩市志摩町御座 | 1987.8.14 |
7727 | 御座の大念仏13-8 | 男性用のカサブクの前に焼香する村の人たち。スライド枠には「御座 62.8.14」の印が捺される。 | 志摩市志摩町御座 | 1987.8.14 |
7728 | 御座の大念仏13-9 | 男性用のカサブクの前に焼香する村の人たち。スライド枠には「御座 62.8.14」の印が捺される。 | 志摩市志摩町御座 | 1987.8.14 |
7729 | 御座の大念仏13-10 | 男性用のカサブクの前に焼香する村の人たち。スライド枠には「御座 62.8.14」の印が捺される。 | 志摩市志摩町御座 | 1987.8.14 |
7730 | 御座の大念仏13-11 | フェリー乗り場の跡地にカサブクを立て、その横に木枠の正方形の線香立てを地面に置き、周りにゴザを敷いて親族が座っている。一般の人も線香を供えるため、たくさんの線香が立てられている。広場の中央に櫓が組まれている。スライド枠には「御座 62.8.14」の印が捺される | 志摩市志摩町御座 | 1987.8.14 |
7731 | 御座の大念仏13-12 | フェリー乗り場の跡地にカサブクを立て、その横に木枠の正方形の線香立てを地面に置き、周りにゴザを敷いて親族が座っている。一般の人も線香を供えるため、たくさんの線香が立てられている。広場の中央に櫓が組まれている。スライド枠には「御座 62.8.14」の印が捺される | 志摩市志摩町御座 | 1987.8.14 |
7732 | 御座の大念仏13-13 | フェリー乗り場の跡地にカサブクを立て、その横に木枠の正方形の線香立てを地面に置き、周りにゴザを敷いて親族が座っている。一般の人も線香を供えるため、たくさんの線香が立てられている。広場の中央に櫓が組まれている。スライド枠には「御座 62.8.14」の印が捺される | 志摩市志摩町御座 | 1987.8.14 |
7733 | 御座の大念仏13-14 | フェリー乗り場の跡地にカサブクを立て、その横に木枠の正方形の線香立てを地面に置き、周りにゴザを敷いて親族が座っている。一般の人も線香を供えるため、たくさんの線香が立てられている。広場の中央に櫓が組まれている。スライド枠には「御座 62.8.14」の印が捺される | 志摩市志摩町御座 | 1987.8.14 |
7734 | 御座の大念仏13-15 | フェリー乗り場の跡地にカサブクを立て、その横に木枠の正方形の線香立てを地面に置き、周りにゴザを敷いて親族が座っている。一般の人も線香を供えるため、たくさんの線香が立てられている。女性用のカサブクに焼香する人たち。スライド枠には「御座 62.8.14」の印が捺される | 志摩市志摩町御座 | 1987.8.14 |
7735 | 御座の大念仏13-16 | フェリー乗り場の跡地にカサブクを立て、その横に木枠の正方形の線香立てを地面に置き、周りにゴザを敷いて親族が座っている。一般の人も線香を供えるため、たくさんの線香が立てられている。広場の中央に櫓が組まれている。スライド枠には「御座 62.8.14」の印が捺される | 志摩市志摩町御座 | 1987.8.14 |
7736 | 和具の大念仏14-1 | まず最初に、迎念仏を浜辺で3回巡りながら鉦と読経で行う。次に場所をやぐらの踊り場に移し、浜に小屋掛けをして新亡者の総牌を祀る。その後新亡者の男女代表の家から傘ぶくを2本と香箱を持って踊り場へ行く。僧侶が中央のやぐらの上で、一人一人の新亡者の戒名と氏名、また寺への寄進者の名前を読み上げ、檀家と先祖代々の供養を行った。写真は僧侶の後について踊り場へ向かう、男性代表の傘ぶく。スライド枠には「和具傘ブク」と記され、「3.7.13」の印が捺される。 | 志摩市志摩町和具 | 1991.8.13 |
7737 | 和具の大念仏14-2 | 男女代表の傘ぶく2本。男性の傘ぶくは番傘の周りに青い布、女性の傘ぶくはピンクの布を巻き、布に「南無阿弥陀仏」と墨書きし、中にはそれぞれの遺品を吊るしてある。スライド枠には「和具傘ブク」と記され、「3.7.13」の印が捺される。 | 志摩市志摩町和具 | 1991.8.13 |
7738 | 和具の大念仏14-3 | 男女代表の傘ぶく2本。男性の傘ぶくは番傘の周りに青い布、女性の傘ぶくはピンクの布を巻き、布に「南無阿弥陀仏」と墨書きし、中にはそれぞれの遺品を吊るしてある。スライド枠には「和具傘ブク」と記され、「3.7.13」の印が捺される。 | 志摩市志摩町和具 | 1991.8.13 |
7739 | 和具の大念仏14-4 | 男女代表の傘ぶく2本。男性の傘ぶくは番傘の周りに青い布、女性の傘ぶくはピンクの布を巻き、布に「南無阿弥陀仏」と墨書きし、中にはそれぞれの遺品を吊るしてある。スライド枠には「和具カサブク」と記され、「3.7.13」の印が捺される。 | 志摩市志摩町和具 | 1991.8.13 |
7740 | 和具の盆行事15-1 | 盆踊り。13日から16日まで市場で行われる。踊りの輪の外で線香花火をする浴衣姿の少女2人と母親。スライド枠には「和具浦」の印が捺される。 | 志摩市志摩町和具 | 1991.8.13 |
7741 | 和具の盆行事15-2 | 盆踊り。13日から16日まで市場で行われる。踊りの輪の外で線香花火をする浴衣姿の少女2人と母親。スライド枠には「和具浦」の印が捺される。 | 志摩市志摩町和具 | 1991.8.13 |
7742 | 和具の盆行事15-3 | 盆踊り。13日から16日まで市場で行われる。踊りの輪の外で線香花火をする浴衣姿の少女2人と母親。スライド枠には「和具浦」の印が捺される。 | 志摩市志摩町和具 | 1991.8.13 |
7743 | 和具の盆行事15-4 | 盆踊り。13日から16日まで市場で行われる。踊りの輪の外で線香花火をする浴衣姿の少女2人と母親。スライド枠には「和具浦」の印が捺される。 | 志摩市志摩町和具 | 1991.8.13 |
7744 | 和具の盆行事15-5 | 盆踊り。13日から16日まで市場で行われる。踊りの輪の外で線香花火をする浴衣姿の少女2人と母親。スライド枠には「和具浦」の印が捺される。 | 志摩市志摩町和具 | 1991.8.13 |
7745 | 和具の盆行事15-6 | 盆踊り。踊り場のやぐらの周りに「和具盆踊り保存会」の幕が張られている。やぐらを中心に輪になって踊る高齢の男女。盆踊歌に「大島浦々へしるし(大漁の旗)が見える、よそであるまい和具であろ」という文句があった。(『三重県史』民俗編)スライド枠には「和具浦」の印が捺される。 | 志摩市志摩町和具 | 1991.8.13 |
7746 | 和具の盆行事15-7 | 盆踊り。踊り場のやぐらの周りに「和具盆踊り保存会」の幕が張られている。やぐらを中心に輪になって踊る高齢の男女。スライド枠には「和具浦」の印が捺される。 | 志摩市志摩町和具 | 1991.8.13 |
7747 | 和具の盆行事15-8 | 盆踊り。踊り場のやぐらの周りに「和具盆踊り保存会」の幕が張られている。やぐらを中心に輪になって踊る高齢の男性たち。スライド枠には「和具浦」の印が捺される。 | 志摩市志摩町和具 | 1991.8.13 |
7748 | 和具の盆行事15-9 | 踊り場の入口には、「和具盆踊り会場」の表示があり、「ハワイアンジュース」の出店も見える。浴衣姿の若い女性たちが写る。スライド枠には「和具浦」の印が捺される。 | 志摩市志摩町和具 | 1991.8.13 |
7749 | 和具の盆行事15-10 | 盆踊り。踊り場のやぐらの周りに「和具盆踊り保存会」の幕が張られている。やぐらを中心に輪になって踊る高齢の男女。スライド枠には「和具浦」の印が捺される。 | 志摩市志摩町和具 | 1991.8.13 |
7750 | 和具の盆行事15-11 | 盆踊り。踊り場のやぐらの周りに「和具盆踊り保存会」の幕が張られている。やぐらを中心に輪になって踊る高齢の男性たち。スライド枠には「和具浦」の印が捺される。 | 志摩市志摩町和具 | 1991.8.13 |
7751 | 和具の盆行事15-12 | 盆踊り。踊り場のやぐらの周りに「和具盆踊り保存会」の幕が張られている。やぐらを中心に輪になって踊る高齢の男性たち。スライド枠には「和具浦」の印が捺される。 | 志摩市志摩町和具 | 1991.8.13 |
7752 | 和具の盆行事15-13 | 盆踊り。踊り場のやぐらの周りに「和具盆踊り保存会」の幕が張られている。やぐらを中心に輪になって踊る高齢の男女。スライド枠には「和具浦」の印が捺される。 | 志摩市志摩町和具 | 1991.8.13 |
7753 | 和具の盆行事15-14 | 盆踊り。踊り場のやぐらの周りに「和具盆踊り保存会」の幕が張られている。やぐらを中心に輪になって踊る高齢の男女に混じり、小学生らしき男児らも踊る。スライド枠には「和具浦」の印が捺される。 | 志摩市志摩町和具 | 1991.8.13 |
7754 | 和具の盆行事15-15 | 盆踊り。踊り場のやぐらの周りに「和具盆踊り保存会」の幕が張られている。やぐらを中心に輪になって踊る高齢の男女に混じり、子どもたちも踊る。スライド枠には「和具浦」の印が捺される。 | 志摩市志摩町和具 | 1991.8.13 |
7755 | 和具の盆行事15-16 | 盆踊り。踊り場のやぐらの周りに「和具盆踊り保存会」の幕が張られている。時間が経つにつれて、やぐらを中心に踊りの輪が次第に大きくなる。スライド枠には「和具浦」の印が捺される。 | 志摩市志摩町和具 | 1991.8.13 |
7756 | 和具の盆行事15-17 | 盆踊り。踊り場のやぐらの周りに「和具盆踊り保存会」の幕が張られている。時間が経つにつれて、やぐらを中心に踊りの輪が次第に大きくなる。スライド枠には「和具浦」の印が捺される。 | 志摩市志摩町和具 | 1991.8.13 |
7757 | 和具の盆行事15-18 | 盆踊りが終わり、やぐらの提灯が消え、踊り手たちも次第にばらけていく。スライド枠には「和具浦」の印が捺される。 | 志摩市志摩町和具 | 1991.8.13 |
7758 | 甲賀の大念仏1-1 | 奥の浜で行われる大念仏行事。甲賀では「大念仏」「名乗り」「地ばやし」と「鼓(こ)踊り」が行われる。スライド枠には「3.7.14」の印が捺され、「甲賀」と記される。 | 志摩市阿児町甲賀 | 1991.8.14 |
7759 | 甲賀の大念仏1-2 | 地ばやし。名のりの子ども、高提灯2人、傘ぼこ5人、鼓打ち2人、太鼓打ち2人、笛5~6人、付添い5~6人が列をなして奥の浜に設えた総碑に向かって進む。スライド枠には「3.7.14」の印が捺され、「甲賀」と記される。 | 志摩市阿児町甲賀 | 1991.8.14 |
7760 | 甲賀の大念仏1-3 | 地ばやし。名のりの子ども、高提灯2人、傘ぼこ5人、鼓打ち2人、太鼓打ち2人、笛5~6人、付添い5~6人が列をなして奥の浜に設えた総碑に向かって進む。スライド枠には「3.7.14」の印が捺され、「甲賀」と記される。 | 志摩市阿児町甲賀 | 1991.8.14 |
7761 | 甲賀の大念仏2-1 | 鼓踊りを行う、「棒ふり」と「中打ち」。共に鉋屑で作ったシャグマを足首まで垂らし、角の生えた鬼姿でカンコを腰につける。中打ちは、紙幣(ぬさ)を三か所に付けた2メートルほどの竹棹を背につけている。浴衣姿に菅笠をかぶった「菅笠」と呼ばれる人も写る。スライド枠には「3.7.14」の印が捺され、「甲賀」と記される。 | 志摩市阿児町甲賀 | 1991.8.14 |
7762 | 甲賀の大念仏2-2 | 鼓踊りを行う、「棒ふり」と「中打ち」。共に鉋屑で作ったシャグマを足首まで垂らし、角の生えた鬼姿でカンコを腰につける。中打ちは、紙幣(ぬさ)を三か所に付けた2メートルほどの竹棹を背につけている。浴衣姿に菅笠をかぶった「菅笠」と呼ばれる人も写る。スライド枠には「3.7.14」の印が捺され、「甲賀」と記される。 | 志摩市阿児町甲賀 | 1991.8.14 |
7763 | 甲賀の大念仏2-3 | 鼓踊りを行う、「棒ふり」と「中打ち」。共に鉋屑で作ったシャグマを足首まで垂らし、角の生えた鬼姿でカンコを腰につける。中打ちは、紙幣(ぬさ)を三か所に付けた2メートルほどの竹棹を背につけている。スライド枠には「3.7.14」の印が捺され、「甲賀」と記される。 | 志摩市阿児町甲賀 | 1991.8.14 |
7764 | 甲賀の大念仏2-4 | 鼓踊りを行う、「棒ふり」と「中打ち」。共に鉋屑で作ったシャグマを足首まで垂らし、角の生えた鬼姿でカンコを腰につける。中打ちは、紙幣(ぬさ)を三か所に付けた2メートルほどの竹棹を背につけている。スライド枠には「3.7.14」の印が捺され、「甲賀」と記される。 | 志摩市阿児町甲賀 | 1991.8.14 |
7765 | 甲賀の大念仏2-5 | 地ばやし。名のりの子ども、高提灯2人、傘ぼこ5人、鼓打ち2人、太鼓打ち2人、笛5~6人、付添い5~6人が列をなして奥の浜に設えた総碑に向かって進む。スライド枠には「3.7.14」の印が捺され、「甲賀」と記される。 | 志摩市阿児町甲賀 | 1991.8.14 |
7766 | 甲賀の大念仏2-6 | 地ばやし。名のりの子ども、高提灯2人、傘ぼこ5人、鼓打ち2人、太鼓打ち2人、笛5~6人、付添い5~6人が列をなして奥の浜に設えた総碑に向かって進む。スライド枠には「3.7.14」の印が捺され、「甲賀」と記される。 | 志摩市阿児町甲賀 | 1991.8.14 |
7767 | 甲賀の大念仏2-7 | 総碑の前に列をなし、白袴姿の若い衆3人、棒ふり3人、中打ち2人、菅笠9人、婦人会の順に座る。スライド枠には「3.7.14」の印が捺され、「甲賀」と記される。 | 志摩市阿児町甲賀 | 1991.8.14 |
7768 | 甲賀の大念仏2-8 | 白袴姿の若い衆3人を正面から撮影。スライド枠には「3.7.14」の印が捺され、「甲賀」と記される。 | 志摩市阿児町甲賀 | 1991.8.14 |
7769 | 畔名の大念仏3-1 | 前浜に設えられた櫓の前にゴザを敷き、新亡家の人たちが座り、大念仏を行う。 | 志摩市大王町畔名 | 1991.8.14 |
7770 | 畔名の漁船(混入)4-1 | 畔名の漁船。船外機。 | 志摩市大王町畔名 | 1991.8.14 |
7771 | 畔名の盆行事4-2 | 高灯籠。十字に縛った葉付きの青竹を十字に組んである。初盆家の印である。 | 志摩市大王町畔名 | 1991.8.14 |
7772 | 畔名の盆行事4-3 | 夕方、家の門口で先祖の霊を迎えるため、迎え火をたく男性。 | 志摩市大王町畔名 | 1991.8.14 |
7773 | 畔名の盆行事4-4 | 夕方、家の門口で先祖の霊を迎えるため、迎え火をたく男性。 | 志摩市大王町畔名 | 1991.8.14 |
7774 | 畔名の盆行事4-5 | 夕方、家の門口で先祖の霊を迎えるため、迎え火をたく男性。 | 志摩市大王町畔名 | 1991.8.14 |
7775 | 畔名の盆行事4-6 | 高灯籠。十字に縛った葉付きの青竹を十字に組んである。初盆家の印である。 | 志摩市大王町畔名 | 1991.8.14 |
7776 | 畔名の盆行事4-7 | 夕方、家の門口で先祖の霊を迎えるため、迎え火をたく高齢の女性。 | 志摩市大王町畔名 | 1991.8.14 |
7777 | 名田の大念仏5-1 | 名田の新亡家では8月5日ころ座敷へ祭壇を作り、周囲を切子灯籠や提灯で飾る。7日に僧侶を迎えて読経をしてもらう。14日は午後1時から寺本堂で近隣7カ寺の僧侶を迎えて施餓鬼を行い、その後、施餓鬼旗をもらって墓参する。その後夕方から行われる傘ぶく供養のため、前浜の念仏小屋へ向かう新亡家の人びと。濃い親戚からも傘ぶくを出してくれるため、新亡者の数より多い傘ぶくが前浜を埋める。スライド枠には「名田」の印が捺され、「杉浦氏撮 91.8.14」と記される。 | 志摩市大王町名田 | 1991.8.14 |
7778 | 名田の大念仏5-2 | 傘ぶくの中。提灯、扇子、ハサミ、数珠、印籠が吊り下げられている。スライド枠には「名田」の印が捺され、「杉浦氏撮 91.8.14」と記される。 | 志摩市大王町名田 | 1991.8.14 |
7779 | 名田の大念仏5-3 | 傘ぶくの中。提灯、扇子、ハサミ、数珠、印籠が吊り下げられている。スライド枠には「名田」の印が捺され、「杉浦氏撮 91.8.14」と記される。 | 志摩市大王町名田 | 1991.8.14 |
7780 | 名田の大念仏5-4 | 傘ぶくの中。提灯、扇子、ハサミ、数珠、遺髪が吊り下げられている。スライド枠には「名田」の印が捺され、「杉浦氏撮 91.8.14」と記される。 | 志摩市大王町名田 | 1991.8.14 |
7781 | 名田の大念仏5-5 | 傘ぶくの中。提灯、扇子、ハサミ、数珠、遺髪が吊り下げられている。スライド枠には「名田」の印が捺され、「杉浦氏撮 91.8.14」と記される。 | 志摩市大王町名田 | 1991.8.14 |
7782 | 名田の大念仏5-6 | 傘ぶくを持つ新亡家と親戚の人びと。スライド枠には「名田」の印が捺され、「杉浦氏撮 91.8.14」と記される。 | 志摩市大王町名田 | 1991.8.14 |
7783 | 名田の大念仏5-7 | 傘ぶくを持つ新亡家と親戚の人びと。スライド枠には「名田」の印が捺され、「杉浦氏撮 91.8.14」と記される。 | 志摩市大王町名田 | 1991.8.14 |
7784 | 名田の大念仏5-8 | 亡者の施餓鬼供養が終わると総牌を前浜の念仏小屋へ移し、大念仏法要を行う。法要が終わり、帰る2人の僧侶。スライド枠には「名田」の印が捺され、「杉浦氏撮 91.8.14」と記される。 | 志摩市大王町名田 | 1991.8.14 |
7785 | 名田の大念仏5-9 | 亡者の施餓鬼供養が終わると総牌を前浜の念仏小屋へ移し、大念仏法要を行う。念仏小屋の周りにはお参りに来た人びとが集まっている。スライド枠には「名田」の印が捺され、「杉浦氏撮 91.8.14」と記される。 | 志摩市大王町名田 | 1991.8.14 |
7786 | 名田の大念仏5-10 | 傘ぶくを持ったたまま、お参りに来た人と話す新亡家の人。スライド枠には「名田」の印が捺され、「杉浦氏撮 91.8.14」と記される。 | 志摩市大王町名田 | 1991.8.14 |
7787 | 名田の大念仏5-11 | 傘ぶくを持ったたまま、お参りに来た人と話す新亡家の人。スライド枠には「名田」の印が捺され、「杉浦氏撮 91.8.14」と記される。 | 志摩市大王町名田 | 1991.8.14 |
7788 | 名田の大念仏5-12 | 傘ぶく供養。夕闇の中、傘ぶくを持って集まった新亡家の人びと。年寄衆(現在は自治会長)が戒名を1人ずつ読み上げ、太鼓を打ってホラ貝を吹き鳴らしながら「ヤモレヤサ、サヤサヤサヤ」と3回唱える。戒名が読み上げられるのを待つ、傘ぶくを待つ人びと。スライド枠には「名田」の印が捺され、「杉浦氏撮 91.8.14」と記される。 | 志摩市大王町名田 | 1991.8.14 |
7789 | 名田の大念仏5-13 | 傘ぶく供養。夕闇の中、傘ぶくを持って集まった新亡家の人びと。年寄衆(現在は自治会長)が戒名を1人ずつ読み上げ、太鼓を打ってホラ貝を吹き鳴らしながら「ヤモレヤサ、サヤサヤサヤ」と3回唱える。戒名が読み上げられるのを待つ、傘ぶくを待つ人びと。スライド枠には「名田」の印が捺され、「杉浦氏撮 91.8.14」と記される。 | 志摩市大王町名田 | 1991.8.14 |
7790 | 名田の大念仏5-14 | 傘ぶく供養。夕闇の中、傘ぶくを持って集まった新亡家の人びと。年寄衆(現在は自治会長)が戒名を1人ずつ読み上げ、太鼓を打ってホラ貝を吹き鳴らしながら「ヤモレヤサ、サヤサヤサヤ」と3回唱える。戒名が読み上げられるのを待つ、傘ぶくを待つ人びと。スライド枠には「名田」の印が捺され、「杉浦氏撮 91.8.14」と記される。 | 志摩市大王町名田 | 1991.8.14 |
7791 | 名田の大念仏5-15 | 傘ぶく供養。夕闇の中、傘ぶくを持って集まった新亡家の人びと。年寄衆(現在は自治会長)が戒名を1人ずつ読み上げ、太鼓を打ってホラ貝を吹き鳴らしながら「ヤモレヤサ、サヤサヤサヤ」と3回唱える。戒名が読み上げられるのを待つ、傘ぶくを待つ人びと。スライド枠には「名田」の印が捺され、「杉浦氏撮 91.8.14」と記される。 | 志摩市大王町名田 | 1991.8.14 |
7792 | 名田の大念仏5-16 | 前浜の念仏小屋の前に座り、新亡の霊を供養する人びと。背後に傘ぶくを持った新亡家の人たちが写る。スライド枠には「名田」の印が捺され、「杉浦氏撮 91.8.14」と記される。 | 志摩市大王町名田 | 1991.8.14 |
7793 | 名田の大念仏5-17 | 前浜の念仏小屋の前に座り、新亡の霊を供養する人びと。背後に傘ぶくを持った新亡家の人たちが写る。スライド枠には「名田」の印が捺され、「杉浦氏撮 91.8.14」と記される。 | 志摩市大王町名田 | 1991.8.14 |
7794 | 名田の大念仏5-18 | 前浜の念仏小屋の前に座り、新亡の霊を供養する人びと。背後に傘ぶくを持った新亡家の人たちが写る。スライド枠には「名田」の印が捺され、「杉浦氏撮 91.8.14」と記される。 | 志摩市大王町名田 | 1991.8.14 |
7795 | 名田の大念仏5-19 | 傘ぶくを持った男性。スライド枠には「名田」の印が捺され、「杉浦氏撮 91.8.14」と記される。 | 志摩市大王町名田 | 1991.8.14 |
7796 | 名田の大念仏6-1 | 傘ぶくを持った男性。スライド枠には「名田」の印が捺され、「杉浦氏撮 91.8.14」と記される。 | 志摩市大王町名田 | 1991.8.14 |
7797 | 名田の大念仏6-2 | 前浜の念仏小屋の前に座り、新亡の霊を供養する人びと。背後に傘ぶくを持った新亡家の人たちが写る。スライド枠には「名田」の印が捺され、「杉浦氏撮 91.8.14」と記される。 | 志摩市大王町名田 | 1991.8.14 |
7798 | 名田の大念仏6-3 | 前浜の念仏小屋の前に座り、新亡の霊を供養する人びと。背後に傘ぶくを持った新亡家の人たちが写る。次第に闇に包まれていく。スライド枠には「名田」の印が捺され、「杉浦氏撮 91.8.14」と記される。 | 志摩市大王町名田 | 1991.8.14 |
7799 | 名田の大念仏6-4 | 傘ぶく供養。夕闇の中、傘ぶくを持った集まった新亡家の人びと。年寄衆(現在は自治会長)が戒名を1人ずつ読み上げ、太鼓を打ってホラ貝を吹き鳴らしながら「ヤモレヤサ、サヤサヤサヤ」と3回唱える。戒名が読み上げられるのを待つ、傘ぶくを待つ人びと。スライド枠には「名田」の印が捺され、「杉浦氏撮 91.8.14」と記される。 | 志摩市大王町名田 | 1991.8.14 |
7800 | 名田の大念仏6-5 | 傘ぶく供養。夕闇の中、傘ぶくを持った集まった新亡家の人びと。年寄衆(現在は自治会長)が戒名を1人ずつ読み上げ、太鼓を打ってホラ貝を吹き鳴らしながら「ヤモレヤサ、サヤサヤサヤ」と3回唱える。その後、念仏婆さんたちの念仏をもらい、ご詠歌が始まると傘ぶくを持ったまま座り、故人をしのぶのである。スライド枠には「名田」の印が捺され、「杉浦氏撮 91.8.14」と記される。 | 志摩市大王町名田 | 1991.8.14 |
7801 | 名田の大念仏6-6 | 傘ぶく供養。夕闇の中、傘ぶくを持った集まった新亡家の人びと。年寄衆(現在は自治会長)が戒名を1人ずつ読み上げ、太鼓を打ってホラ貝を吹き鳴らしながら「ヤモレヤサ、サヤサヤサヤ」と3回唱える。その後、念仏婆さんたちの念仏をもらい、ご詠歌が始まると傘ぶくを持ったまま座り、故人をしのぶのである。スライド枠には「名田」の印が捺され、「杉浦氏撮 91.8.14」と記される。 | 志摩市大王町名田 | 1991.8.14 |
7802 | 名田の大念仏6-7 | 暗闇に浮かぶ傘ぶくの中の提灯。スライド枠には「名田」の印が捺され、「杉浦氏撮 91.8.14」と記される。 | 志摩市大王町名田 | 1991.8.14 |
7803 | 名田の大念仏6-8 | 暗闇に浮かぶ傘ぶくの中の提灯。スライド枠には「名田」の印が捺され、「杉浦氏撮 91.8.14」と記される。 | 志摩市大王町名田 | 1991.8.14 |
7804 | 名田の大念仏6-9 | 傘ぶくを持った男性。スライド枠には「名田」の印が捺され、「杉浦氏撮 91.8.14」と記される。 | 志摩市大王町名田 | 1991.8.14 |
7805 | 名田の大念仏6-10 | 暗闇に浮かぶ傘ぶくの中の提灯。スライド枠には「名田」の印が捺され、「杉浦氏撮 91.8.14」と記される。 | 志摩市大王町名田 | 1991.8.14 |
7806 | 名田の大念仏6-11 | 傘ぶくの中。提灯、扇子、ハサミ、数珠、印籠が吊り下げられている。スライド枠には「名田」の印が捺され、「杉浦氏撮 91.8.14」と記される。 | 志摩市大王町名田 | 1991.8.14 |
7807 | 名田の大念仏6-12 | 傘ぶくを持った男性。スライド枠には「名田」の印が捺され、「杉浦氏撮 91.8.14」と記される。 | 志摩市大王町名田 | 1991.8.14 |
7808 | 名田の大念仏6-13 | 前浜の念仏小屋の前に座り、新亡の霊を供養するため念仏を唱える、念仏婆さんと呼ばれる檀家の女性たち。スライド枠には「名田」の印が捺され、「杉浦氏撮 91.8.14」と記される。 | 志摩市大王町名田 | 1991.8.14 |
7809 | 名田の大念仏6-14 | 前浜の念仏小屋の前に座り、新亡の霊を供養するため念仏を唱える、念仏婆さんと呼ばれる檀家の女性たち。スライド枠には「名田」の印が捺され、「杉浦氏撮 91.8.14」と記される。 | 志摩市大王町名田 | 1991.8.14 |
7810 | 名田の大念仏6-15 | 前浜の念仏小屋の前に座り、新亡の霊を供養するため念仏を唱える、念仏婆さんと呼ばれる檀家の女性たち。背後にも多くの人たちが写る。スライド枠には「名田」の印が捺され、「杉浦氏撮 91.8.14」と記される。 | 志摩市大王町名田 | 1991.8.14 |
7811 | 名田の大念仏6-16 | 前浜の念仏小屋の前に座り、新亡の霊を供養するため念仏を唱える、念仏婆さんと呼ばれる檀家の女性たち。背後にも多くの人たちが写る。スライド枠には「名田」の印が捺され、「杉浦氏撮 91.8.14」と記される。 | 志摩市大王町名田 | 1991.8.14 |
7812 | 名田の大念仏6-17 | 前浜の念仏小屋の前に座り、新亡の霊を供養するため念仏を唱える、念仏婆さんと呼ばれる檀家の女性たち。スライド枠には「名田」の印が捺され、「杉浦氏撮 91.8.14」と記される。 | 志摩市大王町名田 | 1991.8.14 |
7813 | 名田の大念仏6-18 | 前浜の念仏小屋の前に座り、新亡の霊を供養するため念仏を唱える、念仏婆さんと呼ばれる檀家の女性たち。スライド枠には「名田」の印が捺され、「杉浦氏撮 91.8.14」と記される。 | 志摩市大王町名田 | 1991.8.14 |
7814 | 名田の大念仏6-19 | 前浜の念仏小屋の前に座り、新亡の霊を供養するため念仏を唱える、念仏婆さんと呼ばれる檀家の女性たちの後ろ姿。スライド枠には「名田」の印が捺され、「杉浦氏撮 91.8.14」と記される。 | 志摩市大王町名田 | 1991.8.14 |
7815 | 名田の大念仏6-20 | 前浜の念仏小屋の前に座り、新亡の霊を供養するため念仏を唱える、念仏婆さんと呼ばれる檀家の女性たちの後ろ姿。№7814とほぼ同じ写真。スライド枠には「名田」の印が捺され、「杉浦氏撮 91.8.14」と記される。 | 志摩市大王町名田 | 1991.8.14 |
7816 | 名田の大念仏7-1 | 前浜の念仏小屋の前に座り、新亡の霊を供養するため念仏を唱える、念仏婆さんと呼ばれる檀家の女性たち。スライド枠には「名田」の印が捺され、「杉浦氏撮 91.8.14」と記される。 | 志摩市大王町名田 | 1991.8.14 |
7817 | 名田の大念仏7-2 | 念仏小屋の中。中央に新亡者6人の戒名が書かれている。スライド枠には「名田」の印が捺され、「杉浦氏撮 91.8.14」と記される。 | 志摩市大王町名田 | 1991.8.14 |
7818 | 名田の大念仏8-1 | 新亡家の印となる軒灯籠。亡くなった人が迷わず家に帰れるようにという意味もあるという。7日に庭先に立てられる。スライド枠には「名田」の印が捺され、「杉浦氏撮 91.8.14」と記される。 | 志摩市大王町名田 | 1991.8.14 |
7819 | 名田の大念仏8-2 | 新亡家の印となる軒灯籠。亡くなった人が迷わず家に帰れるようにという意味もあるという。7日に庭先に立てられる。スライド枠には「名田」の印が捺され、「杉浦氏撮 91.8.14」と記される。 | 志摩市大王町名田 | 1991.8.14 |
7820 | 名田の盆行事8-3 | 新亡家は、7日から20日まで初盆行事に入る。5日頃から座敷へ祭壇を作り、周囲を切子灯籠や提灯で飾り、7日に僧侶を迎えて読経をしてもらう。たくさんの切子灯籠や提灯で飾られた座敷。祭壇の上段には遺影が飾られている。スライド枠には「名田」の印が捺され、「杉浦氏撮 91.8.14」と記される。 | 志摩市大王町名田 | 1991.8.14 |
7821 | 名田の盆行事8-4 | 新亡家は、7日から20日まで初盆行事に入る。5日頃から座敷へ祭壇を作り、周囲を切子灯籠や提灯で飾り、7日に僧侶を迎えて読経をしてもらう。たくさんの切子灯籠や提灯で飾られた座敷。祭壇の上段には遺影が飾られている。スライド枠には「名田」の印が捺され、「杉浦氏撮 91.8.14」と記される。 | 志摩市大王町名田 | 1991.8.14 |
7822 | 名田の盆行事8-5 | 新亡家は、7日から20日まで初盆行事に入る。5日頃から座敷へ祭壇を作り、周囲を切子灯籠や提灯で飾り、7日に僧侶を迎えて読経をしてもらう。たくさんの切子灯籠や提灯で飾られた座敷。祭壇の上段には遺影が飾られて、前に故人の妻が座っている。スライド枠には「名田」の印が捺され、「杉浦氏撮 91.8.14」と記される。 | 志摩市大王町名田 | 1991.8.14 |
7823 | 名田の盆行事8-6 | 新亡家は、7日から20日まで初盆行事に入る。5日頃から座敷へ祭壇を作り、周囲を切子灯籠や提灯で飾り、7日に僧侶を迎えて読経をしてもらう。たくさんの切子灯籠や提灯で飾られた座敷。祭壇の上段には遺影が飾られて、前に故人の妻が座っている。スライド枠には「名田」の印が捺され、「杉浦氏撮 91.8.14」と記される。 | 志摩市大王町名田 | 1991.8.14 |
7824 | 名田の盆行事8-7 | 新亡家は、7日から20日まで初盆行事に入る。5日頃から座敷へ祭壇を作り、周囲を切子灯籠や提灯で飾り、7日に僧侶を迎えて読経をしてもらう。たくさんの切子灯籠や提灯で飾られた座敷。祭壇の上段には遺影が飾られて、前に故人の妻が座っている。スライド枠には「名田」の印が捺され、「杉浦氏撮 91.8.14」と記される。 | 志摩市大王町名田 | 1991.8.14 |
7825 | 名田の墓地8-8 | 名田の墓地、全景。スライド枠には「名田」の印が捺され、「杉浦氏撮 91.8.14」と記される。 | 志摩市大王町名田 | 1991.8.14 |
7826 | 名田の墓地8-9 | 名田の墓地、全景。スライド枠には「名田」の印が捺され、「杉浦氏撮 91.8.14」と記される。 | 志摩市大王町名田 | 1991.8.14 |
7827 | 名田の墓地8-10 | 名田の墓、どの墓石にも新しいシキビが供えられている。スライド枠には「名田」の印が捺され、「杉浦氏撮 91.8.14」と記される。 | 志摩市大王町名田 | 1991.8.14 |
7828 | 名田の墓地8-11 | 名田の墓、どの墓石にも新しいシキビが供えられている。№7827の写真とほぼ同じ。スライド枠には「名田」の印が捺され、「杉浦氏撮 91.8.14」と記される。 | 志摩市大王町名田 | 1991.8.14 |
7829 | 名田の墓地8-12 | 新亡家の墓。スライド枠には「名田」の印が捺され、「杉浦氏撮 91.8.14」と記される。 | 志摩市大王町名田 | 1991.8.14 |
7830 | 名田の墓地8-13 | 新亡家の墓。スライド枠には「名田」の印が捺され、「杉浦氏撮 91.8.14」と記される。 | 志摩市大王町名田 | 1991.8.14 |
7831 | 名田の墓地8-14 | 新亡家の墓。スライド枠には「名田」の印が捺され、「杉浦氏撮 91.8.14」と記される。 | 志摩市大王町名田 | 1991.8.14 |
7832 | 名田の墓地8-15 | 墓参りの途中、立ち話をする2組の夫婦。スライド枠には「名田」の印が捺され、「杉浦氏撮 91.8.14」と記される。 | 志摩市大王町名田 | 1991.8.14 |
7833 | 名田の墓地8-16 | 墓参りをする男性。スライド枠には「名田」の印が捺され、「杉浦氏撮 91.8.14」と記される。 | 志摩市大王町名田 | 1991.8.14 |
7834 | 名田の墓地8-17 | 新亡家の墓。スライド枠には「名田」の印が捺され、「杉浦氏撮 91.8.14」と記される。 | 志摩市大王町名田 | 1991.8.14 |
7835 | 名田の墓地8-18 | 墓参りをする男性、新亡家の墓にも線香を供える。スライド枠には「名田」の印が捺され、「杉浦氏撮 91.8.14」と記される。 | 志摩市大王町名田 | 1991.8.14 |
7836 | 名田の墓地8-19 | 墓参りをする男性、新亡家の墓にも線香を供える。スライド枠には「名田」の印が捺され、「杉浦氏撮 91.8.14」と記される。 | 志摩市大王町名田 | 1991.8.14 |
7837 | 名田の墓地9-1 | 新亡家の墓。スライド枠には「名田」の印が捺され、「杉浦氏撮 91.8.14」と記される。 | 志摩市大王町名田 | 1991.8.14 |
7838 | 名田の海女小屋9-2 | 名田の前浜にある海女小屋。スライド枠には「名田」の印が捺され、「杉浦氏撮 91.8.14」と記される。 | 志摩市大王町名田 | 1991.8.14 |
7839 | 立神の盆行事10-1 | 高灯籠。竹か杉棒の先に、全体に杉葉を付けた三角形を取り付け、その下に戒名を記した灯籠をぶら提げたものを、8月7日新亡家の軒先に立てる。スライド枠には「3.8.14」「立神」の印が捺される。 | 志摩市阿児町立神 | 1991.8.14 |
7840 | 立神の大念仏10-2 | 大念仏は薬師堂前の広場で行われる。薬師堂には向かって右側に総碑、左側に三界万霊位牌を据える。総碑の上に傘ぶくを2本吊るし、その左右に切子燈篭を1基ずつ吊るす。総牌にお参りする人びと。スライド枠には「3.8.14」「立神」の印が捺される。 | 志摩市阿児町立神 | 1991.8.14 |
7841 | 立神の盆行事10-3 | 高灯籠。竹か杉棒の先に、全体に杉葉を付けた三角形を取り付け、その下に戒名を記した灯籠をぶら提げたものを、8月7日新亡家の軒先に立てる。スライド枠には「3.8.14」「立神」の印が捺される。 | 志摩市阿児町立神 | 1991.8.14 |
7842 | 立神の盆行事10-4 | 8月13日にショーロさんが来ると言われる。洗米と小さく刻んだ茄子を里芋の葉に乗せて、シキビと水向けの花を挿した水桶と一緒に庭先に設えた盆棚に供える。スライド枠には「3.8.14」「立神」の印が捺される。 | 志摩市阿児町立神 | 1991.8.14 |
7843 | 立神の大念仏10-5 | 大念仏は薬師堂前の広場で行われる。薬師堂には向かって右側に総碑、左側に三界万霊位牌を据える。総碑の上に傘ぶくを2本吊るし、その左右に切子燈篭を1基ずつ吊るす。総牌にお参りする人びと。スライド枠には「3.8.14」「立神」の印が捺される。 | 志摩市阿児町立神 | 1991.8.14 |
7844 | 立神の大念仏10-6 | 大念仏は薬師堂前の広場で行われる。薬師堂には向かって右側に総碑、左側に三界万霊位牌を据える。総碑の上に傘ぶくを2本吊るし、その左右に切子燈篭を1基ずつ吊るす。総牌にお参りする人びと。スライド枠には「3.8.14」「立神」の印が捺される。 | 志摩市阿児町立神 | 1991.8.14 |
7845 | 立神の大念仏10-7 | 傘ぶく(和傘の周囲に黒く卍印を染めた白い幕を垂らしたもの)の中。傘の下には、前年の七日盆から今年の七日盆までに亡くなった人の遺品を吊るす。男性の場合はネクタイなど、女性は櫛やカモジ(付け髪)などである。スライド枠には「3.8.14」「立神」の印が捺される。 | 志摩市阿児町立神 | 1991.8.14 |
7846 | 立神の大念仏10-8 | 吊るされた2本の傘ぶく。スライド枠には「3.8.14」「立神」の印が捺される。 | 志摩市阿児町立神 | 1991.8.14 |
7847 | 立神の盆行事10-9 | 新亡家の高灯籠。スライド枠には「3.8.14」「立神」の印が捺される。 | 志摩市阿児町立神 | 1991.8.14 |
7848 | 立神の大念仏10-10 | 傘ぶく(和傘の周囲に黒く卍印を染めた白い幕を垂らしたもの)の中。傘の下には、前年の七日盆から今年の七日盆までに亡くなった人の遺品を吊るす。男性の場合はネクタイなど、女性は櫛やカモジ(付け髪)などである。スライド枠には「3.8.14」「立神」の印が捺される。 | 志摩市阿児町立神 | 1991.8.14 |
7849 | 立神の大念仏10-11 | 傘ぶく(和傘の周囲に黒く卍印を染めた白い幕を垂らしたもの)の中。傘の下には、前年の七日盆から今年の七日盆までに亡くなった人の遺品を吊るす。男性の場合はネクタイなど、女性は櫛やカモジ(付け髪)などである。スライド枠には「3.8.14」「立神」の印が捺される。 | 志摩市阿児町立神 | 1991.8.14 |
7850 | 立神の大念仏10-12 | 夕方5時から九人役が中心となって準備をし、6時すぎから「九人役念仏」が始まる。スライド枠には「3.8.14」「立神」の印が捺される。 | 志摩市阿児町立神 | 1991.8.14 |
7851 | 立神の大念仏10-13 | 買い念仏の様子。薬師堂の広場に敷いた敷物の上で、2人の自治会役員が太鼓と鉦を叩いて供養する。スライド枠には6:10~「イネンブツ」と記され、「3.8.14」「立神」の印が捺される。 | 志摩市阿児町立神 | 1991.8.14 |
7852 | 立神の大念仏10-14 | 買い念仏の様子。薬師堂の広場に敷いた敷物の上で、2人の自治会役員が太鼓と鉦を叩いて供養する。スライド枠には「3.8.14」「立神」の印が捺される。 | 志摩市阿児町立神 | 1991.8.14 |
7853 | 立神の大念仏10-15 | 買い念仏の様子。薬師堂の広場に敷いた敷物の上で、2人の自治会役員が太鼓と鉦を叩いて供養する。スライド枠には「3.8.14」「立神」の印が捺される。 | 志摩市阿児町立神 | 1991.8.14 |
7854 | 立神の大念仏10-16 | 総牌に参る、2人の住職の後ろ姿。スライド枠には「3.8.14」「立神」の印が捺される。 | 志摩市阿児町立神 | 1991.8.14 |
7855 | 立神の大念仏10-17 | 傘ぶく(和傘の周囲に黒く卍印を染めた白い幕を垂らしたもの)。スライド枠には「ジンバヤシ」と記され、「3.8.14」「立神」の印が捺される。 | 志摩市阿児町立神 | 1991.8.14 |
7856 | 立神の大念仏10-18 | 傘ぶく(和傘の周囲に黒く卍印を染めた白い幕を垂らしたもの)。スライド枠には「ジンバヤシ」と記され、「3.8.14」「立神」の印が捺される。 | 志摩市阿児町立神 | 1991.8.14 |
7857 | 立神の大念仏11-1 | 傘ぶく(和傘の周囲に黒く卍印を染めた白い幕を垂らしたもの)の中。傘の下には、前年の七日盆から今年の七日盆までに亡くなった人の遺品を吊るす。男性の場合はネクタイなど、女性は櫛やカモジ(付け髪)などであるスライド枠には「杉・撮」と記され、「立神」の印が捺される。 | 志摩市阿児町立神 | 1991.8.14 |
7858 | 立神の大念仏11-2 | 傘ぶく(和傘の周囲に黒く卍印を染めた白い幕を垂らしたもの)の中。傘の下には、前年の七日盆から今年の七日盆までに亡くなった人の遺品を吊るす。男性の場合はネクタイなど、女性は櫛やカモジ(付け髪)などであるスライド枠には「杉・撮」と記され、「立神」の印が捺される。 | 志摩市阿児町立神 | 1991.8.14 |
7859 | 立神の大念仏11-3 | 傘ぶく(和傘の周囲に黒く卍印を染めた白い幕を垂らしたもの)の中。傘の下には、前年の七日盆から今年の七日盆までに亡くなった人の遺品を吊るす。男性の場合はネクタイなど、女性は櫛やカモジ(付け髪)などであるスライド枠には「杉・撮」と記され、「立神」の印が捺される。 | 志摩市阿児町立神 | 1991.8.14 |
7860 | 立神の大念仏11-4 | 大念仏は薬師堂前の広場で行われる。薬師堂には向かって右側に総碑、左側に三界万霊位牌を据える。総碑の上に傘ぶくを2本吊るし、その左右に切子燈篭を1基ずつ吊るす。スライド枠には「杉・撮」と記され、「立神」の印が捺される。 | 志摩市阿児町立神 | 1991.8.14 |
7861 | 立神の大念仏11-5 | 大念仏は薬師堂前の広場で行われる。薬師堂には向かって右側に総碑、左側に三界万霊位牌を据える。総碑の上に傘ぶくを2本吊るし、その左右に切子燈篭を1基ずつ吊るす。スライド枠には「杉・撮」と記され、「立神」の印が捺される。 | 志摩市阿児町立神 | 1991.8.14 |
7862 | 立神の大念仏11-6 | 大念仏は薬師堂前の広場で行われる。薬師堂には向かって右側に総碑、左側に三界万霊位牌を据える。総碑の上に傘ぶくを2本吊るし、その左右に切子燈篭を1基ずつ吊るす。スライド枠には「杉・撮」と記され、「立神」の印が捺される。 | 志摩市阿児町立神 | 1991.8.14 |
7863 | 立神の大念仏11-7 | ささら踊り。県指定無形民俗文化財。8月14日・15日の夜、薬師堂前の広場で5年に一度先祖供養、新亡者(しんもうじゃ)の供養のために行われる大念仏行事。「陣(じ)ばやし」・「ささら踊り」・「なむで踊り」の三部構成で行われる。写真は、陣ばやしの様子。提灯を持った保存会会長を先頭に、露払い、音頭取り、大童(おおどう)、太夫とも言われる小童(こどう)、太鼓持ち、太鼓打ち、笛、高張提灯、傘ぶく、長提灯で列をなし、道中歌を唱えながら広場に入り込んだ後、総牌の前で念仏を唱える。スライド枠には「杉・撮」と記され、「立神」の印が捺される。 | 志摩市阿児町立神 | 1991.8.14 |
7864 | 立神の大念仏11-8 | 2人の露払いの後に、大童と小童が続く。スライド枠には「杉・撮」と記され、「立神」の印が捺される。 | 志摩市阿児町立神 | 1991.8.14 |
7865 | 立神の大念仏11-9 | 陣ばやし。提灯を持った保存会会長を先頭に、露払い、音頭取り、大童(おおどう)、太夫とも言われる小童(こどう)、太鼓持ち、太鼓打ち、笛、高張提灯、傘ぶく、長提灯で列をなし、道中歌を唱えながら広場に入り込む様子。スライド枠には「杉・撮」と記され、「立神」の印が捺される。 | 志摩市阿児町立神 | 1991.8.14 |
7866 | 立神の大念仏11-10 | 陣ばやし。提灯を持った保存会会長を先頭に、露払い、音頭取り、大童(おおどう)、太夫とも言われる小童(こどう)、太鼓持ち、太鼓打ち、笛、高張提灯、傘ぶく、長提灯の順に列をなし、道中歌を唱えながら公民館から薬師堂の広場に入り込む様子。スライド枠には「杉・撮」と記され、「立神」の印が捺される。 | 志摩市阿児町立神 | 1991.8.14 |
7867 | 立神の大念仏11-11 | 陣ばやし。提灯を持った保存会会長を先頭に、露払い、音頭取り、大童(おおどう)、太夫とも言われる小童(こどう)、太鼓持ち、太鼓打ち、笛、高張提灯、傘ぶく、長提灯の順に列をなし、道中歌を唱えながら公民館から薬師堂の広場に入り込む様子。スライド枠には「杉・撮」と記され、「立神」の印が捺される。 | 志摩市阿児町立神 | 1991.8.14 |
7868 | 立神の大念仏11-12 | 陣ばやし。提灯を持った保存会会長を先頭に、露払い、音頭取り、大童(おおどう)、太夫とも言われる小童(こどう)、太鼓持ち、太鼓打ち、笛、高張提灯、傘ぶく、長提灯の順に列をなし、道中歌を唱えながら公民館から薬師堂の広場に入り込む様子。スライド枠には「杉・撮」と記され、「立神」の印が捺される。 | 志摩市阿児町立神 | 1991.8.14 |
7869 | 立神の大念仏11-13 | 道中歌を唱えながら広場に入り込んだ後、総牌の前で念仏を唱える保存会会長。スライド枠には「杉・撮」と記され、「立神」の印が捺される。 | 志摩市阿児町立神 | 1991.8.14 |
7870 | 立神の大念仏11-14 | 道中歌を唱えながら広場に入り込んだ後、列をなしたまま総牌の前にしゃがむ。スライド枠には「杉・撮」と記され、「立神」の印が捺される。 | 志摩市阿児町立神 | 1991.8.14 |
7871 | 立神の大念仏11-15 | 道中歌を唱えながら広場に入り込んだ後、列をなしたまま総牌の前にしゃがむ。スライド枠には「杉・撮」と記され、「立神」の印が捺される。 | 志摩市阿児町立神 | 1991.8.14 |
7872 | 立神の大念仏11-16 | 道中歌を唱えながら広場に入り込んだ後、列をなしたまま総牌の前にしゃがむ。スライド枠には「杉・撮」と記され、「立神」の印が捺される。 | 志摩市阿児町立神 | 1991.8.14 |
7873 | 立神の大念仏11-17 | しゃがんだまま総牌に手を合わせる保存会会長。スライド枠には「杉・撮」と記され、「立神」の印が捺される。 | 志摩市阿児町立神 | 1991.8.14 |
7874 | 立神の大念仏11-18 | 道中歌を唱えながら広場に入り込んだ後、列をなしたまま総牌の前にしゃがむ。4本の傘ぶくは真っすぐ立てたままである。背後から撮影。スライド枠には「杉・撮」と記され、「立神」の印が捺される。 | 志摩市阿児町立神 | 1991.8.14 |
7875 | 立神の大念仏11-19 | 道中歌を唱えながら広場に入り込んだ後、列をなしたまま総牌の前にしゃがむ。4本の傘ぶくは真っすぐ立てたままである。背後から撮影。スライド枠には「杉・撮」と記され、「立神」の印が捺される。 | 志摩市阿児町立神 | 1991.8.14 |
7876 | 立神の大念仏12-1 | 道中歌を唱えながら広場に入り込んだ後、列をなしたまま総牌の前にしゃがむ。4本の傘ぶくは真っすぐ立てたままである。背後から撮影。スライド枠には「杉・撮」と記され、「立神」の印が捺される。 | 志摩市阿児町立神 | 1991.8.14 |
7877 | 立神の大念仏12-2 | 道中歌を唱えながら広場に入り込んだ後、列をなしたまま総牌の前にしゃがむ。4本の傘ぶくは真っすぐ立てたままである。背後から撮影。スライド枠には「杉・撮」と記され、「立神」の印が捺される。 | 志摩市阿児町立神 | 1991.8.14 |
7878 | 立神の大念仏12-3 | 傘ぶく(和傘の周囲に黒く卍印を染めた白い幕を垂らしたもの)の中。傘の下には、前年の七日盆から今年の七日盆までに亡くなった人の遺品を吊るす。男性の場合はネクタイなど、女性は櫛やカモジ(付け髪)などである。スライド枠には「杉・撮」と記され、「立神」の印が捺される。 | 志摩市阿児町立神 | 1991.8.14 |
7879 | 立神の大念仏12-4 | 傘ぶく(和傘の周囲に黒く卍印を染めた白い幕を垂らしたもの)の中。傘の下には、前年の七日盆から今年の七日盆までに亡くなった人の遺品を吊るす。男性の場合はネクタイなど、女性は櫛やカモジ(付け髪)などである。スライド枠には「杉・撮」と記され、「立神」の印が捺される。 | 志摩市阿児町立神 | 1991.8.14 |
7880 | 立神の大念仏12-5 | 念仏が終わり退場する、露払い、音頭取り、大童(おおどう)、太夫とも言われる小童(こどう)、太鼓持ち、太鼓打ち、笛、高張提灯、傘ぶく、長提灯。スライド枠には「杉・撮」と記され、「立神」の印が捺される。 | 志摩市阿児町立神 | 1991.8.14 |
7881 | 立神の大念仏12-6 | 傘ぶく(和傘の周囲に黒く卍印を染めた白い幕を垂らしたもの)の中。傘の下には、前年の七日盆から今年の七日盆までに亡くなった人の遺品を吊るす。男性の場合はネクタイなど、女性は櫛やカモジ(付け髪)などである。スライド枠には「杉・撮」と記され、「立神」の印が捺される。 | 志摩市阿児町立神 | 1991.8.14 |
7882 | 立神の大念仏12-7 | 総牌に参る人びと。スライド枠には「杉・撮」と記され、「立神」の印が捺される。 | 志摩市阿児町立神 | 1991.8.14 |
7883 | 立神の大念仏12-8 | 買い念仏の様子。薬師堂の広場に敷いた敷物の上で、2人の自治会役員が太鼓と鉦を叩いて供養する。スライド枠には「杉・撮」と記され、「立神」の印が捺される。 | 志摩市阿児町立神 | 1991.8.14 |
7884 | 立神の大念仏12-9 | 総牌に参る人びと。スライド枠には「杉・撮」と記され、「立神」の印が捺される。 | 志摩市阿児町立神 | 1991.8.14 |
7885 | 立神の大念仏12-10 | 傘ぶく(和傘の周囲に黒く卍印を染めた白い幕を垂らしたもの)の中。傘の下には、前年の七日盆から今年の七日盆までに亡くなった人の遺品を吊るす。男性の場合はネクタイなど、女性は櫛やカモジ(付け髪)などである。スライド枠には「杉・撮」と記され、「立神」の印が捺される。 | 志摩市阿児町立神 | 1991.8.14 |
7886 | 立神の大念仏12-11 | 傘ぶく(和傘の周囲に黒く卍印を染めた白い幕を垂らしたもの)の中。傘の下には、前年の七日盆から今年の七日盆までに亡くなった人の遺品を吊るす。男性の場合はネクタイなど、女性は櫛やカモジ(付け髪)などである。スライド枠には「杉・撮」と記され、「立神」の印が捺される。 | 志摩市阿児町立神 | 1991.8.14 |
7887 | 和具の精霊送り13-1 | 8月6日に迎えた先祖の精霊を15日の夕刻、広野浜から送る。波打ち際には多くの線香が立てられている。スライド枠には「2.8.15」の印が捺される。 | 志摩市志摩町和具 | 1990.8.15 |
7888 | 和具の精霊送り13-2 | 8月6日に迎えた先祖の精霊を15日の夕刻、広野浜から送る。波打ち際には多くの線香が立てられている。沖には小島が写る。スライド枠には「2.8.15」の印が捺される。 | 志摩市志摩町和具 | 1990.8.15 |
7889 | 越賀の夕景14-1 | 阿津里浜から見る「トマン崎」。後方には紀伊半島の山並みが写る。スライド枠には「62.8.15」の印が捺される。 | 志摩市志摩町越賀 | 1987.8.15 |
7890 | 越賀の夕景14-2 | 阿津里浜から見る「トマン崎」。後方には紀伊半島の山並みが写る。スライド枠には「62.8.15」の印が捺される。 | 志摩市志摩町越賀 | 1987.8.15 |
7891 | 越賀の夕景14-3 | 阿津里浜から見る「トマン崎」。後方には紀伊半島の山並みが写る。スライド枠には「62.8.15」の印が捺される。 | 志摩市志摩町越賀 | 1987.8.15 |
7892 | 越賀の夕景14-4 | 阿津里浜から見る「トマン崎」。後方には紀伊半島の山並みが写る。スライド枠には「62.8.15」の印が捺される。 | 志摩市志摩町越賀 | 1987.8.15 |
7893 | 越賀の夕景14-5 | 阿津里浜から見る「トマン崎」。後方には紀伊半島の山並みが写る。スライド枠には「62.8.15」の印が捺される。 | 志摩市志摩町越賀 | 1987.8.15 |
7894 | 越賀の夕景14-6 | 阿津里浜から見る「トマン崎」。後方には紀伊半島の山並みが写る。スライド枠には「62.8.15」の印が捺される。 | 志摩市志摩町越賀 | 1987.8.15 |
7895 | 迫間浦の丸島祭1-1 | 浦祭り、弁天祭ともいう。丸島海津神神社で行われる。迫間浦漁港から海岸沿いにみこし担ぎが行われ、漁協前から船で丸島へ渡り、海上安全祈願のため神社にて神事が行われる。地元では「まるしまさん」と呼ばれている。写真は、丸島海津神神社の鳥居。スライド枠には「03.7.20」「丸島祭り」と記される。/参考:『改訂増補 南勢町誌(下巻) 』平成16年12月発行:迫間浦にて聞き取り調査(2021年9月6日) | 度会郡南伊勢町迫間浦 | 1991.7.20 |
7896 | 迫間浦の丸島祭1-2 | 丸島へ上陸した、宮司と祷屋の人たち。スライド枠には「宮司島に上る」と記される。 | 度会郡南伊勢町迫間浦 | 1991.7.20 |
7897 | 迫間浦の丸島祭1-3 | 大漁旗を立てた漁船に神輿を乗せ、子どもたちも乗船する。スライド枠には「子どもたちの船到着」と記される。 | 度会郡南伊勢町迫間浦 | 1991.7.20 |
7898 | 迫間浦の丸島祭1-4 | 神前に神饌を供え、祝詞を奏上する宮司。スライド枠には「拝礼」「式典」と記される。 | 度会郡南伊勢町迫間浦 | 1991.7.20 |
7899 | 迫間浦の丸島祭1-5 | 神前に集まった子どもたちをお祓いする宮司。スライド枠には「祓い」と記される。 | 度会郡南伊勢町迫間浦 | 1991.7.20 |
7900 | 迫間浦の丸島祭1-6 | 神殿の扉を開ける宮司。宮司の右側に立てかけてある幣を付けた3本の竹は神事終了後、迫間浦の隣村、内瀬と礫浦との領海に当たるそれぞれの小島と弁天島の岩場に立ててくる。スライド枠には「開扉」と記される。 | 度会郡南伊勢町迫間浦 | 1991.7.20 |
7901 | 迫間浦の丸島祭1-7 | 献饌。手前に大きく写る注連縄は、式典終了後に張り替えるためのものである。スライド枠には「献饌」と記される。 | 度会郡南伊勢町迫間浦 | 1991.7.20 |
7902 | 迫間浦の丸島祭1-8 | 宮司の祝詞奏上。スライド枠には「祝詞奏上」と記される。 | 度会郡南伊勢町迫間浦 | 1991.7.20 |
7903 | 迫間浦の丸島祭1-9 | 宮司の祝詞奏上。スライド枠には「祝詞奏上」と記される。 | 度会郡南伊勢町迫間浦 | 1991.7.20 |
7904 | 迫間浦の丸島祭1-10 | 宮司の祝詞奏上。背後に参拝する多くの村びとが写る。スライド枠には「祝詞奏上」と記される。 | 度会郡南伊勢町迫間浦 | 1991.7.20 |
7905 | 迫間浦の丸島祭1-11 | 村びとの玉串奉典。スライド枠には「玉串」と記される。 | 度会郡南伊勢町迫間浦 | 1991.7.20 |
7906 | 迫間浦の丸島祭1-12 | 村びとの玉串奉典。スライド枠には「玉串奉典」と記される。 | 度会郡南伊勢町迫間浦 | 1991.7.20 |
7907 | 迫間浦の丸島祭1-13 | 村びとの玉串奉典。 | 度会郡南伊勢町迫間浦 | 1991.7.20 |
7908 | 迫間浦の丸島祭1-14 | 子どもたちの玉串奉典。スライド枠には「子供玉串」と記される。 | 度会郡南伊勢町迫間浦 | 1991.7.20 |
7909 | 迫間浦の丸島祭1-15 | 玉串奉典後、神前に手を合わせる子どもたち。 | 度会郡南伊勢町迫間浦 | 1991.7.20 |
7910 | 迫間浦の丸島祭1-16 | 丸島海津神神社の境内には、漁船や水産会社から奉納された「奉納 海神津神社」と染め抜いた、たくさんの幟が立てられ参拝客で賑わう。 | 度会郡南伊勢町迫間浦 | 1991.7.20 |
7911 | 迫間浦の丸島祭1-17 | スライド枠には「蚊やり・布でつくる」と記される。 | 度会郡南伊勢町迫間浦 | 1991.7.20 |
7912 | 迫間浦の丸島祭1-18 | 玉串のアップ。スライド枠には「玉串」と記される。 | 度会郡南伊勢町迫間浦 | 1991.7.20 |
7913 | 迫間浦の丸島祭1-19 | 神前で挨拶する祷屋。境内に敷かれた敷物には多くの参拝者が座っている。スライド枠には「総代アイサツ」と記される。 | 度会郡南伊勢町迫間浦 | 1991.7.20 |
7914 | 迫間浦の丸島祭2-1 | 神前で挨拶する祷屋。スライド枠には「総代(岡さん)挨拶」と記される。 | 度会郡南伊勢町迫間浦 | 1991.7.20 |
7915 | 迫間浦の丸島祭2-2 | テントの中で、参拝者に振舞われるソーメンと胡瓜の酢の物を準備する婦人会。スライド枠には「ソーメン仕込み」と記される。 | 度会郡南伊勢町迫間浦 | 1991.7.20 |
7916 | 迫間浦の丸島祭2-3 | テントの中で、参拝者に振舞われるソーメンと胡瓜の酢の物を準備する婦人会。スライド枠には「ソーメン準備」と記される。 | 度会郡南伊勢町迫間浦 | 1991.7.20 |
7917 | 迫間浦の丸島祭2-4 | テントの中で、参拝者に振舞われるソーメンを準備する婦人会。スライド枠には「ソーメン」と記される。 | 度会郡南伊勢町迫間浦 | 1991.7.20 |
7918 | 迫間浦の丸島祭2-5 | 準備が整い、三段に積み上げられた胡瓜の酢の物とソーメン。 | 度会郡南伊勢町迫間浦 | 1991.7.20 |
7919 | 迫間浦の丸島祭2-6 | 境内で行われるもち撒きの様子。スライド枠には「餅マキ」と記される。 | 度会郡南伊勢町迫間浦 | 1991.7.20 |
7920 | 迫間浦の丸島祭2-7 | ソーメンと胡瓜の酢の物で直会が行われる。婦人会の人からお神酒を注いでもらう参拝者。 | 度会郡南伊勢町迫間浦 | 1991.7.20 |
7921 | 迫間浦の丸島祭2-8 | ソーメンと胡瓜の酢の物で直会が行われる。お神酒を注いでもらう参拝者。 | 度会郡南伊勢町迫間浦 | 1991.7.20 |
7922 | 迫間浦の丸島祭2-9 | ソーメンと胡瓜の酢の物で直会が行われる。婦人会の人からお神酒を注いでもらう参拝者。スライド枠には「直合」と記される。 | 度会郡南伊勢町迫間浦 | 1991.7.20 |
7923 | 迫間浦の丸島祭2-10 | ソーメンと胡瓜の酢の物で直会が行われる。 | 度会郡南伊勢町迫間浦 | 1991.7.20 |
7924 | 迫間浦の丸島祭2-11 | ソーメンと胡瓜の酢の物で直会が行われる。スライド枠には「会長 ソーメン食う」と記される。 | 度会郡南伊勢町迫間浦 | 1991.7.20 |
7925 | 迫間浦の丸島祭2-12 | ソーメンと胡瓜の酢の物で直会が行われる。ソーメンを食べる会長。 | 度会郡南伊勢町迫間浦 | 1991.7.20 |
7926 | 迫間浦の丸島祭2-13 | 小島の岩場に幣を立てた後、船首から大麻(オオヌサ)でお祓いをする見並宮司。小島にはお神酒の一升瓶を持った男性が上陸している。 | 度会郡南伊勢町迫間浦 | 1991.7.20 |
7927 | 迫間浦の丸島祭2-14 | お祓いが終わり上陸していた男性が船に乗り込んで次の小島に向かう。 | 度会郡南伊勢町迫間浦 | 1991.7.20 |
7928 | 切原の浅間祭ポスター3-1 | 切原浅間山大祭のポスター。「七月六日 日曜日 志摩半島一望 請願必叶の霊山」 「奉修 無病息災家内安全 水垢離 古式四本 并 餅撒行事 南勢町切原富士講中」と記されている。 スライド枠には「迫間浦浅間さん」と記される。 | 度会郡南伊勢町迫間浦 | 1991.6.28 |
7929 | 迫間浦の浅間祭3-2 | 迫間浦の堤防の様子。 | 度会郡南伊勢町迫間浦 | 1991.6.28 |
7930 | 迫間浦の浅間祭3-3 | 海雲寺の裏山に安置されている、役行者像。スライド枠には「迫間の役行者さん」と記される。 | 度会郡南伊勢町迫間浦 | 1991.6.28 |
7931 | 迫間浦の浅間祭3-4 | 海雲寺の裏山、山頂近くに祠があり、磐座の両脇に大日如来像が安置されている。祠に注連を張り、神前にお神酒を供えて神事の準備をする男性4人。スライド枠には「迫間の浅間さん祠」と記される。 | 度会郡南伊勢町迫間浦 | 1991.6.28 |
7932 | 迫間浦の浅間祭3-5 | 祠の前の広場で笹竹に幣を付ける男性たち。スライド枠には「弊のじゅんび」と記される。 | 度会郡南伊勢町迫間浦 | 1991.6.28 |
7933 | 迫間浦の浅間祭3-6 | 祠の前の広場で笹竹に幣を付ける男性たち。 | 度会郡南伊勢町迫間浦 | 1991.6.28 |
7934 | 迫間浦の浅間祭3-7 | 祠の前の広場で笹竹に幣を付ける男性たち。 | 度会郡南伊勢町迫間浦 | 1991.6.28 |
7935 | 迫間浦の浅間祭3-8 | 短冊のしに奉納金額と個人の名前を書いて、祠前の竹に貼り付ける。後方に五ヶ所湾が写る。 | 度会郡南伊勢町迫間浦 | 1991.6.28 |
7936 | 迫間浦の浅間祭3-9 | 祠前の樹木。 | 度会郡南伊勢町迫間浦 | 1991.6.28 |
7937 | 迫間浦の浅間祭3-10 | 浅間祭に使われるホラ貝2つ。 | 度会郡南伊勢町迫間浦 | 1991.6.28 |
7938 | 迫間浦の浅間祭3-11 | 海雲寺の裏山、山頂近くに祠があり、磐座の両脇に大日如来像が安置されている。祠に注連を張り、神前にお神酒を供えるなど準備が整った。 | 度会郡南伊勢町迫間浦 | 1991.6.28 |
7939 | 迫間浦の浅間祭3-12 | 祠の前に敷いたゴザに正座し、祝詞を読む総代(岡さん)。参拝者もその様子を見守る。後方から撮影。 | 度会郡南伊勢町迫間浦 | 1991.6.28 |
7940 | 迫間浦の浅間祭3-13 | 祠の前に敷いたゴザに正座し、祝詞を読む総代(岡さん)。後方から撮影。 | 度会郡南伊勢町迫間浦 | 1991.6.28 |
7941 | 迫間浦の浅間祭3-14 | 低頭し、祝詞をきく参拝者たち。 | 度会郡南伊勢町迫間浦 | 1991.6.28 |
7942 | 五ヶ所浦の天王祭(灯籠流し)4-1 | 五ヶ所神社で、無病息災・大漁を祈願して神事が行われた後、公民館前で保育園児の天王踊があり、五ヶ所川で灯籠流しが行われる。灯籠には五ヶ所の人たちの自作の絵が描かれ、愛洲橋の上手から川面に下ろされる。写真は、流される前に五ヶ所神社の境内に並べられた灯籠。 | 度会郡南伊勢町五ヶ所浦 | 1991.6.28 |
7943 | 五ヶ所浦の天王祭(灯籠流し)4-2 | 五ヶ所神社の境内に並べられた灯籠。 | 度会郡南伊勢町五ヶ所浦 | 1991.6.28 |
7944 | 五ヶ所浦の天王祭(灯籠流し)4-3 | 五ヶ所神社の境内に並べられた灯籠。 | 度会郡南伊勢町五ヶ所浦 | 1991.6.28 |
7945 | 五ヶ所浦の天王祭(灯籠流し)4-4 | 五ヶ所神社の境内に並べられた灯籠。 | 度会郡南伊勢町五ヶ所浦 | 1991.6.28 |
7946 | 五ヶ所浦の天王祭(灯籠流し)4-5 | 五ヶ所神社の境内に並べられた灯籠。 | 度会郡南伊勢町五ヶ所浦 | 1991.6.28 |
7947 | 五ヶ所浦の天王祭(灯籠流し)4-6 | 五ヶ所神社の境内に並べられた灯籠。 | 度会郡南伊勢町五ヶ所浦 | 1991.6.28 |
7948 | 五ヶ所浦の天王祭(灯籠流し)4-7 | 五ヶ所神社の境内に並べられた灯籠。 | 度会郡南伊勢町五ヶ所浦 | 1991.6.28 |
7949 | 五ヶ所浦の天王祭(灯籠流し)4-8 | 五ヶ所神社の境内に並べられた灯籠。 | 度会郡南伊勢町五ヶ所浦 | 1991.6.28 |
7950 | 五ヶ所浦の天王祭(灯籠流し)4-9 | 五ヶ所神社の境内に並べられた灯籠。 | 度会郡南伊勢町五ヶ所浦 | 1991.6.28 |
7951 | 五ヶ所浦の天王祭(灯籠流し)4-10 | 五ヶ所神社の境内に並べられた灯籠を見て回る人びと。背後に天王踊りの櫓が組まれている。 | 度会郡南伊勢町五ヶ所浦 | 1991.6.28 |
7952 | 五ヶ所浦の天王祭(灯籠流し)4-11 | 五ヶ所神社の境内に並べられた灯籠を見て回る人びと。背後に天王踊りの櫓が組まれている。 | 度会郡南伊勢町五ヶ所浦 | 1991.6.28 |
7953 | 五ヶ所浦の天王祭(灯籠流し)4-12 | 愛洲橋の近くに組まれた仮橋の上に、並べられた灯籠。 | 度会郡南伊勢町五ヶ所浦 | 1991.6.28 |
7954 | 五ヶ所浦の天王祭(灯籠流し)4-13 | 愛洲橋の近くに組まれた仮橋の上に、並べられた灯籠。 | 度会郡南伊勢町五ヶ所浦 | 1991.6.28 |
7955 | 五ヶ所浦の天王祭(灯籠流し)4-14 | 愛洲橋の近くに組まれた仮橋の上に並べられた灯籠に、火をともす人びと。 | 度会郡南伊勢町五ヶ所浦 | 1991.6.28 |
7956 | 五ヶ所浦の天王祭(灯籠流し)4-15 | 愛洲橋の近くに組まれた仮橋の上に並べられた灯籠に、火をともす人びと。その後、一つずつ川面に下ろされる。 | 度会郡南伊勢町五ヶ所浦 | 1991.6.28 |
7957 | 五ヶ所浦の天王祭(灯籠流し)4-16 | 愛洲橋の近くに組まれた仮橋の上に並べられた灯籠に、火をともす人びと。その後、一つずつ川面に下ろされる。 | 度会郡南伊勢町五ヶ所浦 | 1991.6.28 |
7958 | 五ヶ所浦の天王祭(灯籠流し)5-1 | 夕闇の中、五ヶ所川を流れていくたくさんの灯籠。橋の上から多くの人が見守る。 | 度会郡南伊勢町五ヶ所浦 | 1991.6.28 |
7959 | 五ヶ所浦の天王祭(灯籠流し)5-2 | 夕闇の中、五ヶ所川を流れていくたくさんの灯籠。橋の上から多くの人が見守る背後に、浅間山が写る。 | 度会郡南伊勢町五ヶ所浦 | 1991.6.28 |
7960 | 五ヶ所浦の天王祭(灯籠流し)5-3 | 闇が濃くなり、流れる灯籠の灯りが浮かび上がって見える。 | 度会郡南伊勢町五ヶ所浦 | 1991.6.28 |
7961 | 五ヶ所浦の天王祭(灯籠流し)5-4 | 闇が濃くなり、流れる灯籠の灯りが浮かび上がって見える。満月も写る。 | 度会郡南伊勢町五ヶ所浦 | 1991.6.28 |
7962 | 五ヶ所浦の天王祭(灯籠流し)5-5 | 闇が濃くなり、流れる灯籠の灯りが浮かび上がって見える。満月も写る。 | 度会郡南伊勢町五ヶ所浦 | 1991.6.28 |
7963 | 五ヶ所浦の天王祭(灯籠流し)5-6 | 闇が濃くなり、流れる灯籠の灯りが浮かび上がって見える。 | 度会郡南伊勢町五ヶ所浦 | 1991.6.28 |
7964 | 五ヶ所浦の天王祭(灯籠流し)5-7 | 闇が濃くなり、流れる灯籠の灯りが浮かび上がって見える。満月も写る。 | 度会郡南伊勢町五ヶ所浦 | 1991.6.28 |
7965 | 五ヶ所浦の天王祭(灯籠流し)5-8 | 闇が濃くなり、流れる灯籠の灯りが浮かび上がって見える。 | 度会郡南伊勢町五ヶ所浦 | 1991.6.28 |
7966 | 五ヶ所浦の天王祭(灯籠流し)5-9 | 闇が濃くなり、流れる灯籠の灯りが浮かび上がって見える。満月も写る。 | 度会郡南伊勢町五ヶ所浦 | 1991.6.28 |
7967 | 五ヶ所浦の天王祭(灯籠流し)5-10 | 闇が濃くなり、流れる灯籠の灯りが浮かび上がって見える。 | 度会郡南伊勢町五ヶ所浦 | 1991.6.28 |
7968 | 五ヶ所浦の天王祭(灯籠流し)5-11 | 闇が濃くなり、流れる灯籠の灯りが浮かび上がって見える。 | 度会郡南伊勢町五ヶ所浦 | 1991.6.28 |
7969 | 五ヶ所浦の天王祭(灯籠流し)5-12 | 闇が濃くなり、流れる灯籠の灯りが浮かび上がって見える。 | 度会郡南伊勢町五ヶ所浦 | 1991.6.28 |
7970 | 五ヶ所浦の天王祭(灯籠流し)5-13 | 闇が濃くなり、流れる灯籠の灯りが浮かび上がって見える。 | 度会郡南伊勢町五ヶ所浦 | 1991.6.28 |
7971 | 五ヶ所浦の天王祭(灯籠流し)5-14 | 闇が濃くなり、流れる灯籠の灯りが浮かび上がって見える。 | 度会郡南伊勢町五ヶ所浦 | 1991.6.28 |
7972 | 五ヶ所浦の天王祭(灯籠流し)5-15 | 闇が濃くなり、流れる灯籠の灯りが浮かび上がって見える。 | 度会郡南伊勢町五ヶ所浦 | 1991.6.28 |
7973 | 五ヶ所浦の天王祭(灯籠流し)5-16 | 闇が濃くなり、流れる灯籠の灯りが浮かび上がって見える。 | 度会郡南伊勢町五ヶ所浦 | 1991.6.28 |
7974 | 五ヶ所浦の天王祭(灯籠流し)5-17 | 闇が濃くなり、流れる灯籠の灯りが浮かび上がって見える。 | 度会郡南伊勢町五ヶ所浦 | 1991.6.28 |
7975 | 五ヶ所浦の天王祭(神社境内)6-1 | 五ヶ所神社の神前には「天王祭」の提灯が下げられ、五ヶ所の人たちの自作の絵が描かれた灯籠が奉納されている。 | 度会郡南伊勢町五ヶ所浦 | 1991.6.28 |
7976 | 五ヶ所浦の天王祭(神社境内)6-2 | 五ヶ所神社の神前には「天王祭」の提灯が下げられ、五ヶ所の人たちの自作の絵が描かれた灯籠が奉納されている。 | 度会郡南伊勢町五ヶ所浦 | 1991.6.28 |
7977 | 五ヶ所浦の天王祭(灯籠流し)6-3 | 闇が濃くなり、流れる灯籠の灯りが遠くに浮かび上がって見える。 | 度会郡南伊勢町五ヶ所浦 | 1991.6.28 |
7978 | 五ヶ所浦の天王踊り6-4 | 神社境内に組まれた櫓を中心に、円になって踊る浴衣姿の保育園児たち。 | 度会郡南伊勢町五ヶ所浦 | 1991.6.28 |
7979 | 五ヶ所浦の天王踊り6-5 | 神社境内に組まれた櫓を中心に、円になって踊る浴衣姿の保育園児たち。 | 度会郡南伊勢町五ヶ所浦 | 1991.6.28 |
7980 | 五ヶ所浦の天王踊り6-6 | 神社境内に組まれた櫓を中心に、円になって踊る浴衣姿の保育園児たち。 | 度会郡南伊勢町五ヶ所浦 | 1991.6.28 |
7981 | 五ヶ所浦の天王踊り6-7 | 神社境内に組まれた櫓を中心に、円になって踊る浴衣姿の保育園児たち。 | 度会郡南伊勢町五ヶ所浦 | 1991.6.28 |
7982 | 五ヶ所浦の天王祭(灯籠流し)6-8 | 夕闇の中、五ヶ所川を流れていくたくさんの灯籠。 | 度会郡南伊勢町五ヶ所浦 | 1991.6.28 |
7983 | 五ヶ所浦の天王祭(灯籠流し)6-9 | 夕闇の中、五ヶ所川を流れていくたくさんの灯籠。 | 度会郡南伊勢町五ヶ所浦 | 1991.6.28 |
7984 | 五ヶ所浦の天王祭(灯籠流し)6-10 | 夕闇の中、五ヶ所川を流れていくたくさんの灯籠。 | 度会郡南伊勢町五ヶ所浦 | 1991.6.28 |
7985 | 五ヶ所浦の天王祭(灯籠流し)6-11 | 夕闇の中、五ヶ所川を流れていくたくさんの灯籠。 | 度会郡南伊勢町五ヶ所浦 | 1991.6.28 |
7986 | 五ヶ所浦の天王祭(灯籠流し)6-12 | 夕闇の中、五ヶ所川を流れていくたくさんの灯籠。 | 度会郡南伊勢町五ヶ所浦 | 1991.6.28 |
7987 | 五ヶ所浦の天王祭(灯籠流し)6-13 | 夕闇の中、五ヶ所川を流れていくたくさんの灯籠。 | 度会郡南伊勢町五ヶ所浦 | 1991.6.28 |
7988 | 五ヶ所浦の天王祭(灯籠流し)6-14 | 夕闇の中、五ヶ所川を流れていくたくさんの灯籠。 | 度会郡南伊勢町五ヶ所浦 | 1991.6.28 |
7989 | 五ヶ所浦の天王祭(灯籠流し)6-15 | 闇が濃くなり、流れる灯籠の灯りが次第に浮かび上がって見える。 | 度会郡南伊勢町五ヶ所浦 | 1991.6.28 |
7990 | 五ヶ所浦の天王祭(灯籠流し)6-16 | 闇が濃くなり、流れる灯籠の灯りが次第に浮かび上がって見える。 | 度会郡南伊勢町五ヶ所浦 | 1991.6.28 |
7991 | 五ヶ所浦の天王祭(灯籠流し)6-17 | 闇が濃くなり、流れる灯籠の灯りが次第に浮かび上がって見える。 | 度会郡南伊勢町五ヶ所浦 | 1991.6.28 |
7992 | 五ヶ所浦の天王祭(灯籠流し)6-18 | 闇が濃くなり、流れる灯籠の灯りが一段と浮かび上がって見える。 | 度会郡南伊勢町五ヶ所浦 | 1991.6.28 |
7993 | 五ヶ所浦の天王祭(灯籠流し)6-19 | 闇が濃くなり、流れる灯籠の灯りが次第に浮かび上がって見える。 | 度会郡南伊勢町五ヶ所浦 | 1991.6.28 |
7994 | 五ヶ所浦の天王祭(灯籠流し)7-1 | 闇が濃くなり、流れる灯籠の灯りが一段と浮かび上がって見える。 | 度会郡南伊勢町五ヶ所浦 | 1991.6.28 |
7995 | 五ヶ所浦の天王祭(灯籠流し)7-2 | 夕闇の中、五ヶ所川を流れていくたくさんの灯籠。橋の上から多くの人が見守っている。 | 度会郡南伊勢町五ヶ所浦 | 1991.6.28 |
7996 | 五ヶ所浦の天王祭(灯籠流し)7-3 | 闇が濃くなり、流れる灯籠の灯りが一段と浮かび上がって見える。 | 度会郡南伊勢町五ヶ所浦 | 1991.6.28 |
7997 | 五ヶ所浦の天王祭(灯籠流し)7-4 | 闇が濃くなり、流れる灯籠の灯りが一段と浮かび上がって見える。 | 度会郡南伊勢町五ヶ所浦 | 1991.6.28 |
7998 | 五ヶ所浦の天王祭(灯籠流し)7-5 | 闇が濃くなり、流れる灯籠の灯りが一段と浮かび上がって見える。 | 度会郡南伊勢町五ヶ所浦 | 1991.6.28 |
7999 | 松尾町の盆行事1-1 | 志摩加茂五郷(船津・河内・岩倉・松尾・白木)で受け継がれてきた盆祭行事。古くは五郷の共通の墓地であった隠田ケ岡で行っていたが、明治時代に墓地が各地区に分散したため、この行事も分散された。昭和62年(1987)12月28日、重要無形民俗文化財に指定されているが、人手不足などから盆行事の中の火柱祭は2013年から休止している。 松尾町には①若者、②中老、③寄老会の年齢区分があり、それぞれに決められた役割を果たす。盆行事は、若者頭に一切の指揮権が任され、頭を頂点に以下笛吹きまでの若者99人が行う。写真は、夜墓参りをする松尾の人びと。初盆の家の墓前には、先祖と共食する弁当や酒が用意されている。弁当や酒は、拍子楽供を務める若者衆や墓参りをしてくれた人たちにも振る舞われる。(参考:「国重要無形民俗文化財 志摩加茂五郷の盆祭行事 調査報告書」2010年3月31日 鳥羽市教育委員会/編集.発行/『鳥羽市史』下巻 1991年3月25日 鳥羽市史編さん室/編さん・発行)※祭礼の内容は野村史隆氏への聞き取りによる。 | 鳥羽市松尾町 | 1986.8.15 |
8000 | 松尾町の盆行事1-2 | 楽供(がく)、鉦(かね)、カンコなど楽器を担いで墓を3周する若者衆。「拍子楽供」は、背中に大きく「若」の文字を染め抜いた平袖襦袢に角帯を締め、白股引・白足袋・わらじを履き、紺脚絆・紺手甲を着けている。「金輪・新筒打」も同様に、平袖襦袢に角帯を締め、浅黄股引、紺足袋、わらじを履き、紺脚絆・紺手甲を着けている。共に化粧をしている。 | 鳥羽市松尾町 | 1986.8.15 |
8001 | 松尾町の盆行事1-3 | 楽供(がく)、鉦(かね)、カンコなど楽器を担いで墓を3周する若者衆。「拍子楽供」は、背中に大きく「若」の文字を染め抜いた平袖襦袢に角帯を締め、白股引・白足袋・わらじを履き、紺脚絆・紺手甲を着けている。「金輪・新筒打」も同様に、平袖襦袢に角帯を締め、浅黄股引、紺足袋、わらじを履き、紺脚絆・紺手甲を着けている。共に化粧をしている。墓前で若者衆を待つ大人に混じり、浴衣姿の子どもたちも写る。 | 鳥羽市松尾町 | 1986.8.15 |
8002 | 松尾町の盆行事1-4 | 楽供(がく)、鉦(かね)、カンコなど楽器を担いで墓を3周する若者衆。「拍子楽供」は、背中に大きく「若」の文字を染め抜いた平袖襦袢に角帯を締め、白股引・白足袋・わらじを履き、紺脚絆・紺手甲を着けている。「金輪・新筒打」も同様に、平袖襦袢に角帯を締め、浅黄股引、紺足袋、わらじを履き、紺脚絆・紺手甲を着けている。共に化粧をしている。後方に「松尾町」と書かれた高張提灯を持った、高張り持ち等が続く。墓前で若者衆を待つ大人に混じり、浴衣姿の子どもたちも写る。 | 鳥羽市松尾町 | 1986.8.15 |
8003 | 松尾町の盆行事1-5 | 初盆の家の墓前は、夕方座敷から移された行灯一対や戒名を記した切子提灯、蓮華等で飾られる。 | 鳥羽市松尾町 | 1986.8.15 |
8004 | 松尾町の盆行事1-6 | 楽供(がく)、鉦(かね)、カンコなど楽器を担いで墓を3周する若者衆。「拍子楽供」は、背中に大きく「若」の文字を染め抜いた平袖襦袢に角帯を締め、白股引・白足袋・わらじを履き、紺脚絆・紺手甲を着けている。「金輪・新筒打」も同様に、平袖襦袢に角帯を締め、浅黄股引、紺足袋、わらじを履き、紺脚絆・紺手甲を着け、化粧をしている。たくさんの人びとがそれを見守る。 | 鳥羽市松尾町 | 1986.8.15 |
8005 | 松尾町の盆行事1-7 | 楽供(がく)、鉦(かね)、カンコなど楽器を担いで墓を3周する若者衆。「拍子楽供」は、背中に大きく「若」の文字を染め抜いた平袖襦袢に角帯を締め、白股引・白足袋・わらじを履き、紺脚絆・紺手甲を着けている。「金輪・新筒打」も同様に、平袖襦袢に角帯を締め、浅黄股引、紺足袋、わらじを履き、紺脚絆・紺手甲を着け、化粧をしている。 | 鳥羽市松尾町 | 1986.8.15 |
8006 | 松尾町の盆行事1-8 | 初盆の家の墓前は、夕方座敷から移された行灯一対や戒名を記した切子提灯、蓮華等で飾られる。 | 鳥羽市松尾町 | 1986.8.15 |
8007 | 松尾町の盆行事1-9 | 夜墓参りをする松尾の人びと。初盆の家の墓前には、先祖と共食する弁当や酒が用意されている。弁当や酒は、拍子楽供を務める若者衆や墓参りをしてくれた人たちにも振る舞われる。 | 鳥羽市松尾町 | 1986.8.15 |
8008 | 松尾町の盆行事1-10 | 初盆の家の墓前は、夕方座敷から移された行灯一対や戒名を記した切子提灯、蓮華等で飾られる。 | 鳥羽市松尾町 | 1986.8.15 |
8009 | 松尾町の盆行事1-11 | 初盆の家の墓前は、夕方座敷から移された行灯一対や戒名を記した切子提灯、蓮華等で飾られる。たくさんの人がお参りしたのだろう、線香の煙が立ち込めている。 | 鳥羽市松尾町 | 1986.8.15 |
8010 | 松尾町の盆行事1-12 | 初盆の家の墓前は、夕方座敷から移された行灯一対や戒名を記した切子提灯、蓮華等で飾られる。お参りする高齢の女性。 | 鳥羽市松尾町 | 1986.8.15 |
8011 | 松尾町の盆行事1-13 | 楽供(がく)、鉦(かね)、カンコなど楽器を担いで墓を下りた若者衆は、これから開始される火祭りに備え、豆絞りの手ぬぐいで鉢巻きをし、娘らからもらった色柄の襷を袈裟がけして再び岡(墓地の広場)に上がってくる。 | 鳥羽市松尾町 | 1986.8.15 |
8012 | 松尾町の盆行事1-14 | 楽供(がく)、鉦(かね)、カンコなど楽器を担いで墓を下りた若者衆は、これから開始される火祭りに備え、豆絞りの手ぬぐいで鉢巻きをし、娘らからもらった色柄の襷を袈裟がけして再び岡(墓地の広場)に上がってくる。 | 鳥羽市松尾町 | 1986.8.15 |
8013 | 松尾町の盆行事1-15 | 楽供(がく)、鉦(かね)、カンコなど楽器を担いで墓を下りた若者衆は、これから開始される火祭りに備え、豆絞りの手ぬぐいで鉢巻きをし、娘らからもらった色柄の襷を袈裟がけして再び岡(墓地の広場)に上がってくる。 | 鳥羽市松尾町 | 1986.8.15 |
8014 | 松尾町の盆行事2-1 | 夕刻に行われる「念仏入れ」。天徳寺の本堂の中央に和尚が座り、その横に初盆家の親族が控え、亡くなった順に盆提灯を掲げる。和尚が一霊ずつ「〇〇のために大念仏を執行する」の発声のあと、本堂前で輪になっている拍子楽供が「へー」と発声し半念仏を行う。 | 鳥羽市松尾町 | 1986.8.15 |
8015 | 松尾町の盆行事2-2 | 貝吹。浴衣に紺足袋、白鼻緒の草履を履き、花染めのタスキを掛ける。中学2年生全員が務める(平成16年は、11名)。 | 鳥羽市松尾町 | 1986.8.15 |
8016 | 松尾町の盆行事2-3 | カンコを持って舞う若者のアップ。 | 鳥羽市松尾町 | 1986.8.15 |
8017 | 松尾町の盆行事2-4 | 松尾町と書かれた提灯を持つ組長。 | 鳥羽市松尾町 | 1986.8.15 |
8018 | 松尾町の盆行事2-5 | 盆祭礼開始前のキリコ。提灯を持った町内会の役員たちも待機する。 | 鳥羽市松尾町 | 1986.8.15 |
8019 | 松尾町の盆行事2-6 | 楽供(がく)、鉦(かね)、カンコなど楽器を担いで墓地を下りる若者衆。 | 鳥羽市松尾町 | 1986.8.15 |
8020 | 松尾町の盆行事2-7 | 盆祭礼開始前のキリコ。キリコは、15日早朝から寺の本堂前で、初盆家の者が共同で、青竹の2.3メートルの高さの位置に、直径1.75メートルの竹を骨組みとした輪を作り、先端に5色の紙を貼った柳を刺して仕上げる。提灯を持った町内会の役員たちも待機する。 | 鳥羽市松尾町 | 1986.8.15 |
8021 | 松尾町の盆行事2-8 | 楽供(がく)、鉦(かね)、カンコなど楽器を担いで墓を下りた若者衆は、これから開始される火祭りに備え、豆絞りの手ぬぐいで鉢巻きをし、娘らからもらった色柄の襷を袈裟がけして再び岡(墓地の広場)に上がってくる。 | 鳥羽市松尾町 | 1986.8.15 |
8022 | 松尾町の盆行事2-9 | 楽供(がく)、鉦(かね)、カンコなど楽器を担いで墓を下りた若者衆は、これから開始される火祭りに備え、豆絞りの手ぬぐいで鉢巻きをし、娘らからもらった色柄の襷を袈裟がけして再び岡(墓地の広場)に上がってくる。 | 鳥羽市松尾町 | 1986.8.15 |
8023 | 松尾町の盆行事2-10 | 楽供(がく)、鉦(かね)、カンコなど楽器を担いで火柱を3周する若者衆。「拍子楽供」は、背中に大きく「若」の文字を染め抜いた平袖襦袢に角帯を締め、白股引・白足袋・わらじを履き、紺脚絆・紺手甲を着けている。「金輪・新筒打」も同様に、平袖襦袢に角帯を締め、浅黄股引、紺足袋、わらじを履き、紺脚絆・紺手甲を着け、化粧をしている。 | 鳥羽市松尾町 | 1986.8.15 |
8024 | 松尾町の盆行事2-11 | 楽供(がく)、鉦(かね)、カンコなど楽器を担いで火柱を3周する若者衆。「拍子楽供」は、背中に大きく「若」の文字を染め抜いた平袖襦袢に角帯を締め、白股引・白足袋・わらじを履き、紺脚絆・紺手甲を着けている。「金輪・新筒打」も同様に、平袖襦袢に角帯を締め、浅黄股引、紺足袋、わらじを履き、紺脚絆・紺手甲を着け、化粧をしている。 | 鳥羽市松尾町 | 1986.8.15 |
8025 | 松尾町の盆行事2-12 | 楽供(がく)、鉦(かね)、カンコなど楽器を担いで火柱を3周する若者衆。「拍子楽供」は、背中に大きく「若」の文字を染め抜いた平袖襦袢に角帯を締め、白股引・白足袋・わらじを履き、紺脚絆・紺手甲を着けている。「金輪・新筒打」も同様に、平袖襦袢に角帯を締め、浅黄股引、紺足袋、わらじを履き、紺脚絆・紺手甲を着け、化粧をしている。 | 鳥羽市松尾町 | 1986.8.15 |
8026 | 松尾町の盆行事2-13 | 初盆の家の墓前は、夕方それぞれの家の座敷から移された行灯一対や戒名を記した切子提灯、蓮華等で飾られる。 | 鳥羽市松尾町 | 1986.8.15 |
8027 | 松尾町の盆行事3-1 | カンコを持って舞う若者たち。後方に貝吹の中学生が写る。 | 鳥羽市松尾町 | 1986.8.15 |
8028 | 松尾町の盆行事3-2 | 楽供(がく)、鉦(かね)、カンコなど楽器を担いで墓地を3周する若者衆。「拍子楽供」は、背中に大きく「若」の文字を染め抜いた平袖襦袢に角帯を締め、白股引・白足袋・わらじを履き、紺脚絆・紺手甲を着けている。「金輪・新筒打」も同様に、平袖襦袢に角帯を締め、浅黄股引、紺足袋、わらじを履き、紺脚絆・紺手甲を着け、化粧をしている。 | 鳥羽市松尾町 | 1986.8.15 |
8029 | 松尾町の盆行事3-3 | 楽供(がく)、鉦(かね)、カンコなど楽器を担いで墓地を下りた若者衆は、これから開始される火祭りに備え、豆絞りの手ぬぐいで鉢巻きをし、娘らからもらった色柄の襷を袈裟がけして再び岡(墓地の広場)に上がってくる。 | 鳥羽市松尾町 | 1986.8.15 |
8030 | 松尾町の盆行事3-4 | 祭礼開始前のキリコと町内会の役員たち。キリコは、15日早朝から寺の本堂前で、初盆家の者が共同で、青竹の2.3メートルの高さの位置に、直径1.75メートルの竹を骨組みとした輪を作り、先端に5色の紙を貼った柳を刺して仕上げる。 | 鳥羽市松尾町 | 1986.8.15 |
8031 | 松尾町の盆行事3-5 | 楽供(がく)、鉦(かね)、カンコなど楽器を担いで墓地を下りた若者衆は、これから開始される火祭りに備え、豆絞りの手ぬぐいで鉢巻きをし、娘らからもらった色柄の襷を袈裟がけして再び岡(墓地の広場)に上がってくる。 | 鳥羽市松尾町 | 1986.8.15 |
8032 | 松尾町の盆行事3-6 | 楽供(がく)、鉦(かね)、カンコなど楽器を担いで墓地を下りた若者衆は、火祭に備えて豆絞りの手拭いで頭を覆い、19才の娘(今は婦人会も手伝う)からもらった色柄の襷を袈裟がけして再び岡(墓地)に上がってくる。ツボキに向かってタイを投げられるのは、カンコ番以上鉦打までで、全員が揃うと若者頭の合図で「タイトリ」(タイの奪い合い)が行われる。同時に火付け用の藁に火が点けられ、その火からタイに点火し、ツボキに向かって投げ入れる。 | 鳥羽市松尾町 | 1986.8.15 |
8033 | 松尾町の盆行事3-7 | 各所で点火した火を種火に、オガラのタイに火を点け、若者衆らがツボキめがけてタイを投げる。しばらくするとツボキの麦わらに点火し、パチパチと音を立てて炎の塊となる。 | 鳥羽市松尾町 | 1986.8.15 |
8034 | 松尾町の盆行事3-8 | 各所で点火した火を種火に、オガラのタイに火を点け、若者衆らがツボキめがけてタイを投げる。しばらくするとツボキの麦わらに点火し、パチパチと音を立てて炎の塊となる。 | 鳥羽市松尾町 | 1986.8.15 |
8035 | 松尾町の盆行事3-9 | ツボキが燃えて火の粉が降り注ぐ頃になると、ムカデ・ウサギ・オウギの3つの旗竹が燃え落ちて垂れ下がる。すかさず楽供の年長者である抜楽供(旗きり)が頭から水をかぶって火の中に飛び込み、旗を切り離して確保する。 | 鳥羽市松尾町 | 1986.8.15 |
8036 | 松尾町の盆行事3-10 | オガラのタイに火を点ける若者衆の後ろ姿。豆絞りの手拭いで頭を覆い、背中に「若」と染め抜かれた浴衣を着て、19才の娘(今は婦人会も手伝う)からもらった色柄の襷を袈裟がけしている。 | 鳥羽市松尾町 | 1986.8.15 |
8037 | 朝熊岳金剛證寺3-11 | 伊勢、鳥羽志摩地方には、葬儀の翌日に朝熊岳へ卒塔婆を建てて故人を供養する「岳参り」という風習がある。奥之院へ続く道の両側に、延々と建立されている2~8メートルの角材でできた卒塔婆。 | 伊勢市朝熊町 | 1986. |
8038 | 朝熊岳金剛證寺3-12 | 奥之院前。水塔婆をまつる地蔵群。「餓鬼飯」と呼ばれる握り飯とタクアンは、ここから投げる。 | 伊勢市朝熊町 | 1986. |
8039 | 朝熊岳金剛證寺3-13 | 伊勢、鳥羽志摩地方には、葬儀の翌日に朝熊岳へ卒塔婆を建てて故人を供養する「岳参り」という風習がある。奥之院へ続く道の両側に、延々と建立されている2~8メートルの角材でできた卒塔婆。 | 伊勢市朝熊町 | 1986. |
8040 | 朝熊岳金剛證寺3-14 | 供養の期間が終わり、裏山に廃棄された卒塔婆。岳参りの時にこの裏山へ「餓鬼飯」と呼ばれる握り飯とタクアンを放り投げる風習がある。 | 伊勢市朝熊町 | 1986. |
8041 | 朝熊岳金剛證寺3-15 | 供養の期間が終わり、裏山に廃棄された卒塔婆。岳参りの時にこの裏山へ「餓鬼飯」と呼ばれる握り飯とタクアンを放り投げる風習がある。 | 伊勢市朝熊町 | 1986. |
8042 | 朝熊岳金剛證寺3-16 | 延々と建立された卒塔婆を見ながら奥之院へと続く道を歩く男女。 | 伊勢市朝熊町 | 1986. |
8043 | 朝熊岳金剛證寺3-17 | 延々と建立された卒塔婆を見ながら奥之院へと続く道を歩く親子。後方に小さく、卒塔婆を見上げるお参りの人びとが写る。 | 伊勢市朝熊町 | 1986. |
8044 | 松尾町の盆行事4-1 | 夕刻、地下蔵前の打ち上げ風景。開始の前に若者頭から若者に「事故ケガのないように云々」という挨拶があり、地下蔵前での本念仏が始まる。手前に大きく鉦打、2人の後姿が写る。 | 鳥羽市松尾町 | 1986.8.15 |
8045 | 松尾町の盆行事4-2 | 夕刻、地下蔵前の打ち上げ風景。開始の前に若者頭から若者に「事故ケガのないように云々」という挨拶があり、地下蔵前での本念仏が始まる。手前に大きく笛吹4人(中学生)の後姿と向かい合う貝吹(中学生)が写る。 | 鳥羽市松尾町 | 1986.8.15 |
8046 | 松尾町の盆行事4-3 | 夕刻、地下蔵前での鉦打と楽供打の対決風景。楽供打が鉦を地面に落とさせようと、鉦打にぶつかる。鉦打は負けじと押し返す。周りでは多くの人たちが見守っている。 | 鳥羽市松尾町 | 1986.8.15 |
8047 | 松尾町の盆行事4-4 | 地下蔵前での打ち上げ風景。カンコ番(若下役の上2人)の衣装がよく分かるように撮影。 | 鳥羽市松尾町 | 1986.8.15 |
8048 | 松尾町の盆行事4-5 | 寺街道を移動する拍子楽供(3人)。バチを振り上げ、楽供を叩く。拍子楽供に合わせて10個の楽供が踊ったり歌ったりする。全体の拍子をとる重要な役割である。 | 鳥羽市松尾町 | 1986.8.15 |
8049 | 松尾町の盆行事4-6 | 岡(墓地の広場)での大念仏。墓地を3周した後、「ノーよりネラッセ ネーラッセ」という掛け声を発しながら火柱の周りを3週する。その後流れて「揃い拍子」「半念仏」の前半を3回行い、4回目に移るとき、拍子楽の「東西」の言葉で終わる。 | 鳥羽市松尾町 | 1986.8.15 |
8050 | 松尾町の盆行事5-1 | 岡(墓地の広場)に立てられた火柱。火柱の下には、4人の子どもたちが写る。 | 鳥羽市松尾町 | 1986.8.15 |
8051 | 松尾町の盆行事5-2 | 岡(墓地の広場)に立てられた火柱。ツボキにはムカデ、ウサギ、オウギの3つの旗が立てられている。 | 鳥羽市松尾町 | 1986.8.15 |
8052 | 松尾町の盆行事5-3 | 子安地蔵前での本念仏。子安地蔵前に入り本念仏を行い、休憩をとる。 | 鳥羽市松尾町 | 1986.8.15 |
8053 | 松尾町の盆行事5-4 | 子安地蔵前での本念仏。子安地蔵前に入り本念仏を行い、休憩をとる。 | 鳥羽市松尾町 | 1986.8.15 |
8054 | 松尾町の盆行事5-5 | 子安地蔵前での本念仏。子安地蔵前に入り本念仏を行い、休憩をとる。 | 鳥羽市松尾町 | 1986.8.15 |
8055 | 松尾町の盆行事5-6 | 子安地蔵前での本念仏。子安地蔵前に入り本念仏を行い、休憩をとる。 | 鳥羽市松尾町 | 1986.8.15 |
8056 | 松尾町の盆行事5-7 | 楽供(がく)、鉦(かね)、カンコなど楽器を担いで墓地を3周する若者衆。「拍子楽供」は、背中に大きく「若」の文字を染め抜いた平袖襦袢に角帯を締め、白股引・白足袋・わらじを履き、紺脚絆・紺手甲を着けている。「金輪・新筒打」も同様に、平袖襦袢に角帯を締め、浅黄股引、紺足袋、わらじを履き、紺脚絆・紺手甲を着け、化粧をしている。たくさんの人びとがそれを見守る。 | 鳥羽市松尾町 | 1986.8.15 |
8057 | 松尾町の盆行事5-8 | №8058と二見町の夫婦岩の画像がオーバーラップしている。 | 鳥羽市松尾町 | 1986.8.15 |
8058 | 松尾町の盆行事5-9 | 長竿(ざお)の先に取り付け、高く掲げられた高張提灯。松尾町と書かれている。 | 鳥羽市松尾町 | 1986.8.15 |
8059 | 松尾町の盆行事5-10 | 子安地蔵前での本念仏。子安地蔵前に入り本念仏を行い、休憩をとる。 | 鳥羽市松尾町 | 1986.8.15 |
8060 | 松尾町の盆行事5-11 | キリコのアップ。キリコに初盆者の戒名を書いた提灯が下げられている。 | 鳥羽市松尾町 | 1986.8.15 |
8061 | 松尾町の盆行事5-12 | キリコのアップ。キリコに初盆者の戒名を書いた提灯が下げられている。 | 鳥羽市松尾町 | 1986.8.15 |
8062 | 松尾町の盆行事5-13 | 夜墓参りをする松尾の人びと。初盆の家の墓前には、先祖と共食する弁当や酒が用意されている。弁当や酒は、拍子楽供を務める若者衆や墓参りをしてくれた人たちにも振る舞われる。 | 鳥羽市松尾町 | 1986.8.15 |
8063 | 朝熊岳金剛證寺6-1 (混入) | 伊勢、鳥羽志摩地方には、葬儀の翌日に朝熊岳へ卒塔婆を建てて故人を供養する「岳参り」という風習がある。奥之院へ続く道の両側に、延々と建立されている2~8メートルの角材でできた卒塔婆。 | 伊勢市朝熊町 | 1986.8.15 |
8064 | 松尾町の盆行事6-2 | 寺街道を移動する拍子楽供(3人)。バチを振り上げ、楽供を叩く。 | 鳥羽市松尾町 | 1986.8.15 |
8065 | 松尾町の盆行事6-3 | 笛吹の2人。浴衣に白足袋、白鼻緒の草履を履く。中学1年生全員が務める(平成16年は9名)。 | 鳥羽市松尾町 | 1986.8.15 |
8066 | 松尾町の盆行事6-4 | 地下蔵前での打ち上げ風景。楽供を叩く若者衆。 | 鳥羽市松尾町 | 1986.8.15 |
8067 | 松尾町の盆行事6-5 | 地下蔵前での打ち上げ風景。楽供を叩く若者衆。 | 鳥羽市松尾町 | 1986.8.15 |
8068 | 松尾町の盆行事6-6 | 若者衆による墓地での本念仏終了すると、キリコも墓地の広場を下りる。 | 鳥羽市松尾町 | 1986.8.15 |
8069 | 松尾町の盆行事6-7 | 「年寄」と書かれた箱提灯を提げた「一老」(寄老会の最年長者)を先頭に、墓地へ向かう寄老会メンバー。寄老会は『公会規定準則第6条』に「祭礼祝典、地蔵堂の管理、葬儀等」、松尾町の重要な役割を担うと記されている。 | 鳥羽市松尾町 | 1986.8.15 |
8070 | 松尾町の盆行事6-8 | キリコのアップ。キリコに初盆者の戒名を書いた提灯が下げられている。 | 鳥羽市松尾町 | 1986.8.15 |
8071 | 松尾町の盆行事6-9 | 墓地で楽供を叩く拍子楽供の若者。 | 鳥羽市松尾町 | 1986.8.15 |
8072 | 松尾町の盆行事6-10 | 鉦打の2人、浴衣に紺足袋、角帯、紺脚絆、ワラジを履いている。 | 鳥羽市松尾町 | 1986.8.15 |
8073 | 松尾町の盆行事7-1 | カンコ打を先頭に、天徳寺の本堂前に整列して念仏入れの時を待つ、貝吹、笛吹など若者衆。 | 鳥羽市松尾町 | 1986.8.15 |
8074 | 松尾町の盆行事7-2 | 夕刻、地下蔵前の打ち上げ風景。鉦打と楽供の対決風景。周りでは多くの人たちが見守っている。 | 鳥羽市松尾町 | 1986.8.15 |
8075 | 松尾町の盆行事7-3 | 鉦打の2人、浴衣に紺足袋、角帯、紺脚絆、ワラジを履いている。 | 鳥羽市松尾町 | 1986.8.15 |
8076 | 松尾町の盆行事7-4 | カンコの後ろで頬を膨らませて一生懸命ほら貝を吹く貝吹。その後ろには笛吹が写る。 | 鳥羽市松尾町 | 1986.8.15 |
8077 | 松尾町の盆行事7-5 | カンコの後ろで頬を膨らませて一生懸命ほら貝を吹く貝吹。その後ろには笛吹が写り、多くの人が見守っている。 | 鳥羽市松尾町 | 1986.8.15 |
8078 | 松尾町の盆行事7-6 | 岡(墓地の広場)での大念仏。墓地を3周した後、「ノーよりネラッセ ネーラッセ」という掛け声を発しながら火柱の周りを3週する。 | 鳥羽市松尾町 | 1986.8.15 |
8079 | 松尾町の盆行事7-7 | 天徳寺の本堂前で夕刻に行われる「念仏入れ」を待つ若者衆。後方に亡くなった順に掲げられた盆提灯が写る。 | 鳥羽市松尾町 | 1986.8.15 |
8080 | 松尾町の盆行事7-8 | 夕刻に行われる「念仏入れ」。天徳寺の本堂の中央に和尚が座り、その横に初盆家の親族が控えている。亡くなった順に掲げられた盆提灯。 | 鳥羽市松尾町 | 1986.8.15 |
8081 | 松尾町の盆行事7-9 | 楽供を打ちながら天徳寺の本堂へ駆け上がる若者。 | 鳥羽市松尾町 | 1986.8.15 |
8082 | 松尾町の盆行事7-10 | 夕刻に行われる「念仏入れ」。天徳寺の本堂の中央に和尚が座り、その横に初盆家の親族が控えている。亡くなった順に掲げられた盆提灯。 | 鳥羽市松尾町 | 1986.8.15 |
8083 | 松尾町の盆行事7-11 | 笛吹の2人。浴衣に白足袋、白鼻緒の草履を履く。中学1年生全員が務める(平成16年は9名)。 | 鳥羽市松尾町 | 1986.8.15 |
8084 | 松尾町の盆行事7-12 | 貝吹。浴衣に紺足袋、白鼻緒の草履を履き、花染めのタスキを掛ける。中学2年生全員が務める(平成16年は、11名)。 | 鳥羽市松尾町 | 1986.8.15 |
8085 | 松尾町の盆行事7-13 | カンコの後ろで頬を膨らませて一生懸命ほら貝を吹く貝吹。その後ろには笛吹が写り、多くの人が見守っている。 | 鳥羽市松尾町 | 1986.8.15 |
8086 | 松尾町の盆行事7-14 | 夕刻に行われる「念仏入れ」。天徳寺の本堂前で楽供を打つ若者衆。その後方には、朱で警護と書かれた弓張提灯を地面に置き、羽織、袴、白足袋、黒鼻緒下駄ばき姿の警護役が立つ。 | 鳥羽市松尾町 | 1986.8.15 |
8087 | 松尾町の盆行事7-15 | 夕刻、地下蔵前での鉦打と楽供打の対決風景。楽供打が鉦を地面に落とさせようと、鉦打にぶつかる。鉦打は負けじと押し返す。周りでは多くの人たちが見守っている。 | 鳥羽市松尾町 | 1986.8.15 |
8088 | 松尾町の盆行事7-16 | 地下蔵前での打ち上げ風景。中央で4人の笛吹が向かい合って笛を吹き、その周りを楽供、鉦打、カンコ打が囲む。 | 鳥羽市松尾町 | 1986.8.15 |
8089 | 松尾町の盆行事7-17 | 夕刻、地下蔵前での鉦打と楽供打の対決風景。楽供打が鉦を地面に落とさせようと、鉦打にぶつかる。鉦打は負けじと押し返す。周りでは多くの人たちが見守っている。 | 鳥羽市松尾町 | 1986.8.15 |
8090 | 松尾町の盆行事8-1 | ウサギ旗。前日、寄老会が貼り直しを行う。スライド枠には「62.8.15」の印が捺される。 | 鳥羽市松尾町 | 1986.8.15 |
8091 | 松尾町の盆行事8-2 | 完成した火柱祭に使うツボキ。ツボキは、直径150センチの円錐形を逆さまにした竹の骨組みの外側にコモを巻き、樒を挿して化粧をしたもので、根本の太さ直径45センチ、長さ13メートルほどの杉の原木の柱に取り付ける。中からウサギ旗と扇旗の旗竹を交差させるように取り付け、ムカデ旗は、柱に縛って取り付ける。その後、ツボキの中に藁を詰め、完成した火柱を30名ほどで、ヒノキのツヅを支柱に岡へ立ち上げる。ツボキの竹は、完全に燃え尽きるように、藤蔓(つる)で縛る。ツボキ造りは、早朝6時から始まる。スライド枠には「62.8.15」の印が捺される。 | 鳥羽市松尾町 | 1986.8.15 |
8092 | 松尾町の盆行事8-3 | ムカデ旗。前日、寄老会が貼り直しを行う。スライド枠には「62.8.15」の印が捺される。 | 鳥羽市松尾町 | 1986.8.15 |
8093 | 松尾町の盆行事8-4 | ムカデ旗。前日、寄老会が貼り直しを行う。スライド枠には「62.8.15」の印が捺される。 | 鳥羽市松尾町 | 1986.8.15 |
8094 | 松尾町の盆行事8-5 | ヒノキのツヅを支柱にして、完成した火柱を岡(墓地の広場)に立ち上げる。スライド枠には「62.8.15」の印が捺される。 | 鳥羽市松尾町 | 1986.8.15 |
8095 | 松尾町の盆行事8-6 | ヒノキのツヅを支柱にして、完成した火柱を岡(墓地の広場)立ち上げる。スライド枠には「62.8.15」の印が捺される。 | 鳥羽市松尾町 | 1986.8.15 |
8096 | 松尾町の盆行事8-7 | ツボキの骨組造り。ツボキの竹は、完全に燃え尽きるように、藤蔓(つる)で縛る。スライド枠には「62.8.15」の印が捺される。 | 鳥羽市松尾町 | 1986.8.15 |
8097 | 松尾町の盆行事8-8 | 初盆の家の墓前は、夕方座敷から移された行灯一対や戒名を記した切子提灯、蓮華等で飾られる。線香に火をつけて墓前にお参りする男性。スライド枠には「62.8.15」の印が捺される。 | 鳥羽市松尾町 | 1986.8.15 |
8098 | 松尾町の盆行事8-9 | ヒノキのツヅを支柱にして、完成した火柱を立ち上げる。ツボキの中央にはムカデ旗、左右にウサギ旗とオオギ旗が立てられている。スライド枠には「62.8.15」の印が捺される。 | 鳥羽市松尾町 | 1986.8.15 |
8099 | 松尾町の盆行事8-10 | 寺街道を移動するキリコ。スライド枠には「62.8.15」の印が捺される。 | 鳥羽市松尾町 | 1986.8.15 |
8100 | 河内町の盆行事(混入)8-11 | 観音さん前の大慣らし。午後7時から観音堂前で15日の本番を前に総練習を行う。練習は若者頭の検分のもと、許可が降りるまで続けられる。スライド枠には「河内大鳴らし」と記され「62.8.15」の印が捺される。 | 鳥羽市松尾町 | 1986.8.15 |
8101 | 松尾町の盆行事8-12 | 地下蔵前での打ち上げ風景。楽供を叩く若者衆。スライド枠には「62.8.15」の印が捺される。 | 鳥羽市松尾町 | 1986.8.15 |
8102 | 松尾町の盆行事8-13 | 地下蔵前での打ち上げ風景。楽供を叩く若者衆。奥には笛吹、鉦打の後ろ姿も写る。スライド枠には「62.8.15」の印が捺される。 | 鳥羽市松尾町 | 1986.8.15 |
8103 | 松尾町の盆行事8-14 | 地下蔵前での打ち上げ風景。カンコ番(若下役の上2人)の衣装がよく分かるように撮影。スライド枠には「62.8.15」の印が捺される。 | 鳥羽市松尾町 | 1986.8.15 |
8104 | 松尾町の盆行事8-15 | 地下蔵前での打ち上げ風景。向かい合って頬を膨らませ、一生懸命ほら貝を吹く2人の貝吹。スライド枠には「62.8.15」の印が捺される。 | 鳥羽市松尾町 | 1986.8.15 |
8105 | 松尾町の盆行事8-16 | 寺街道を移動する鉦打ち。スライド枠には「62.8.15」の印が捺される。 | 鳥羽市松尾町 | 1986.8.15 |
8106 | 松尾町の盆行事8-17 | 初盆家の墓前は、夕方座敷から移された行灯一対や戒名を記した切子提灯、蓮華等で飾られる。墓前にはたくさんの人が参る。スライド枠には「62.8.15」の印が捺される。 | 鳥羽市松尾町 | 1986.8.15 |
8107 | 松尾町の盆行事9-1 | ツボキ造り。午前6時から岡(墓地の広場)で壺桶造りが始まる。根本の太さ直径45センチ、長さ13メートルほどの杉の原木の柱に、直径150センチの円錐形を逆さまにした竹の骨組みを作る。スライド枠には「62.8.15」の印が捺される。 | 鳥羽市松尾町 | 1986.8.15 |
8108 | 松尾町の盆行事9-2 | 真竹でウサギ旗の骨組みを作る。手前に写っているのは、根フジ(藤の木の根)である。根フジを叩いて芯を取り出し、真竹を結束するために使う。スライド枠には「62.8.15」の印が捺される。 | 鳥羽市松尾町 | 1986.8.15 |
8109 | 松尾町の盆行事9-3 | 真竹でウサギ旗の骨組みを作る。手前に写っているのは、根フジ(藤の木の根)である。根フジを叩いて芯を取り出し、真竹を結束するために使う。スライド枠には「62.8.15」の印が捺される。 | 鳥羽市松尾町 | 1986.8.15 |
8110 | 松尾町の盆行事9-4 | 岡(墓地の広場)で火柱を作る。中央には根本の太さ直径45センチ、長さ13メートルほどの杉の原木が写る。この上部に直径150センチの円錐形を逆さまにした竹の骨組を作り、取り付けて、立ち上げる。スライド枠には「62.8.15」の印が捺される。 | 鳥羽市松尾町 | 1986.8.15 |
8111 | 松尾町の盆行事9-5 | 太い藤ヅルを使い、ツボキを支えるクサリド(藤輪)を作る。スライド枠には「62.8.15」の印が捺される。 | 鳥羽市松尾町 | 1986.8.15 |
8112 | 松尾町の盆行事9-6 | 杉の原木の上で藤ヅルを木槌で叩き、皮をむいて芯を取り出す。スライド枠には「62.8.15」の印が捺される。 | 鳥羽市松尾町 | 1986.8.15 |
8113 | 松尾町の盆行事9-7 | 下役が各家から集めてきた藁でコモを作る。コモはツボキに巻いて綺麗に化粧するために使われる。スライド枠には「62.8.15」の印が捺される。 | 鳥羽市松尾町 | 1986.8.15 |
8114 | 松尾町の盆行事9-8 | 太い藤ヅルを使い、ツボキを支えるクサリド(藤輪)を作る。スライド枠には「62.8.15」の印が捺される。 | 鳥羽市松尾町 | 1986.8.15 |
8115 | 松尾町の盆行事9-9 | ツボキ造り。午前6時から岡(墓地の広場)で壺桶造りが始まる。根本の太さ直径45センチ、長さ13メートルほどの杉の原木の柱に、直径150センチの円錐形を逆さまにした竹の骨組みを作る。スライド枠には「62.8.15」の印が捺される。 | 鳥羽市松尾町 | 1986.8.15 |
8116 | 松尾町の盆行事9-10 | 完成したオオギ旗。スライド枠には「62.8.15」の印が捺される。 | 鳥羽市松尾町 | 1986.8.15 |
8117 | 松尾町の盆行事9-11 | ツボキ造り。午前6時から岡(墓地の広場)で壺桶造りが始まる。根本の太さ直径45センチ、長さ13メートルほどの杉の原木の柱に、直径150センチの円錐形を逆さまにした竹の骨組みを作る。スライド枠には「62.8.15」の印が捺される。 | 鳥羽市松尾町 | 1986.8.15 |
8118 | 松尾町の盆行事9-12 | ツボキ造り。午前6時から岡(墓地の広場)で壺桶造りが始まる。根本の太さ直径45センチ、長さ13メートルほどの杉の原木の柱に、直径150センチの円錐形を逆さまにした竹の骨組みを作る。スライド枠には「62.8.15」の印が捺される。 | 鳥羽市松尾町 | 1986.8.15 |
8119 | 松尾町の盆行事9-13 | 柱松古絵図。「明治廿七年七月改メ・・・岳盆祭火柱絵図 三枚」と記されている。「寄老会」の「一老」が所持している。「寄老会」は、年によって差があるが、65歳前後の者12名が務める会で、最年長者を「一老」という。その役割は『公会(くがい)規定準則第6条』に「寄老会は祭礼祝典、地蔵堂の管理、葬儀等・・」と記され、松尾町の行事に於ける重要な役割を担っている。6年間所属し、最後に「一老」を務めて無役となり、長い公会の役割から解放される。スライド枠には「62.8.15」の印が捺される。 | 鳥羽市松尾町 | 1986.8.15 |
8120 | 松尾町の盆行事9-14 | 柱松古絵図。「明治廿七年七月改メ・・・岳盆祭火柱絵図 三枚」と記されている。「寄老会」の「一老」が所持している。「寄老会」は、年によって差があるが、65歳前後の者12名が務める会で、最年長者を「一老」という。その役割は『公会(くがい)規定準則第6条』に「寄老会は祭礼祝典、地蔵堂の管理、葬儀等・・」松尾町の行事に於ける重要な役割を担っている。6年間所属し、最後に「一老」を務めて無役となり、長い公会の役割から解放される。スライド枠には「62.8.15」の印が捺される。 | 鳥羽市松尾町 | 1986.8.15 |
8121 | 松尾町の盆行事9-15 | 柱松古絵図。「明治廿七年七月改メ・・・岳盆祭火柱絵図 三枚」と記されている。「寄老会」の「一老」が所持している。「寄老会」は、年によって差があるが、65歳前後の者12名が務める会で、最年長者を「一老」という。その役割は『公会(くがい)規定準則第6条』に「寄老会は祭礼祝典、地蔵堂の管理、葬儀等・・」松尾町の行事に於ける重要な役割を担っている。6年間所属し、最後に「一老」を務めて無役となり、長い公会の役割から解放される。スライド枠には「62.8.15」の印が捺される。 | 鳥羽市松尾町 | 1986.8.15 |
8122 | 松尾町の盆行事9-16 | ツボキの中に詰める藁の束を縄で縛る。背後には完成したツボキにコモを巻く様子が写る。スライド枠には「62.8.15」の印が捺される。 | 鳥羽市松尾町 | 1986.8.15 |
8123 | 松尾町の盆行事9-17 | ツボキの中に藁を詰め、外側からコモで巻き、樒を挿して化粧して完成した火柱。この後30名ほどで、ヒノキのツヅを支柱にして岡(墓地の広場)に立ち上げる。スライド枠には「62.8.15」の印が捺される。 | 鳥羽市松尾町 | 1986.8.15 |
8124 | 松尾町の盆行事10-1 | 藁の束を運ぶ男子中学生、4人。本番の準備が始まる。楽供打ち、鉦打ちなどの練習は休みだが、明日の本番の準備が早朝から始まる。スライド枠には「藁集め(中学生) 8/14朝4時から」と記される。 | 鳥羽市松尾町 | 1988.8.14 |
8125 | 松尾町の盆行事10-2 | 掃除をするために集まった男子中学生,14人。スライド枠には「掃除 8/14 5時」と記される。 | 鳥羽市松尾町 | 1988.8.14 |
8126 | 松尾町の盆行事10-3 | 天徳寺の本堂前に設えられた施餓鬼棚。スライド枠には「施餓鬼棚 8/14 6時」と記される。 | 鳥羽市松尾町 | 1988.8.14 |
8127 | 松尾町の盆行事10-4 | 天徳寺の本堂前に設えられた施餓鬼棚スライド枠には「施餓鬼棚 オンピョウで作った」と記される。 | 鳥羽市松尾町 | 1988.8.14 |
8128 | 松尾町の盆行事10-5 | 天徳寺の本堂前に設えられた施餓鬼棚スライド枠には「施餓鬼棚 オンピョウで作った」と記される。 | 鳥羽市松尾町 | 1988.8.14 |
8129 | 松尾町の盆行事10-6 | それぞれの役割の楽供、鉦の手入れを行う若者衆。スライド枠には「楽器修理 8/14 朝」と記される。 | 鳥羽市松尾町 | 1988.8.14 |
8130 | 松尾町の盆行事10-7 | フドウのゆるみを締め直す若者衆。スライド枠には「楽供修理 8/14 朝」と記される。 | 鳥羽市松尾町 | 1988.8.14 |
8131 | 松尾町の盆行事10-8 | フドウのゆるみを締め直す若者衆。スライド枠には「楽供修理 」と記される。 | 鳥羽市松尾町 | 1988.8.14 |
8132 | 松尾町の盆行事10-9 | 楽供を修理するために藁を綯う若者衆。スライド枠には「楽供修理 」と記される。 | 鳥羽市松尾町 | 1988.8.14 |
8133 | 松尾町の盆行事10-10 | スライド枠には「9日に21の若者によって切られたフジ 14日夜まで浸けておく」と記される。 | 鳥羽市松尾町 | 1988.8.14 |
8134 | 松尾町の盆行事10-11 | 地下蔵前での打ち上げ風景。4人の笛吹が向かい合って笛を吹き、その周りを楽供、鉦打、カンコ打が囲む。スライド枠には「8/14 6時打上げ」と記される。 | 鳥羽市松尾町 | 1988.8.14 |
8135 | 松尾町の盆行事10-12 | 地下蔵前での打ち上げ風景。4人の笛吹が向かい合って笛を吹き、その周りを楽供、鉦打、カンコ打が囲む。スライド枠には「8/14」と記される。 | 鳥羽市松尾町 | 1988.8.14 |
8136 | 松尾町の盆行事10-13 | 3人ずつの役楽供を選出した残り8人の者を4個の平楽供にくじ引きで当てる。拍子楽供に合わせてそれぞれの場所で本念仏、半念仏を行い、供養をしていく。役楽供に比べて一回り小さく、フドウ(左肩に掛ける藁の部分)も1本となる。スライド枠には「平楽供スタイル 8/14」と記される。 | 鳥羽市松尾町 | 1988.8.14 |
8137 | 松尾町の盆行事10-14 | 鉦打は、下鉦(しもがね)と上鉦(かみがね)の2種類があり、各6人ずつが務める。下鉦は60キログラム、上鉦は70キログラムの真鍮製であるスライド枠には「鉦打スタイル 8/14」と記される。 | 鳥羽市松尾町 | 1988.8.14 |
8138 | 松尾町の盆行事10-15 | カンコ番は、若下役(中学卒業者の年少者2人)の上の2人。楽供の輪の中に向かい合って入り、カンコ打ちをする。そのほか火柱綱を火柱立てまでに岡に上げておく役目がある。貝吹は、16才の者で組織する。まだ公会(クガイ)に加入していない中学3年生全員が行ったが、近年は中学2年生が務め、2個のホラガイを向かい合って交代で吹く。スライド枠には「カンコと貝吹 8/14」と記される。 | 鳥羽市松尾町 | 1988.8.14 |
8139 | 松尾町の盆行事10-16 | カンコ番は、若下役(中学卒業者の年少者2人)の上の2人。楽供の輪の中に向かい合って入り、カンコ打ちをする。そのほか火柱綱を火柱立てまでに岡に上げておく役目がある。貝吹は、16才の者で組織する。まだ公会(クガイ)に加入していない中学3年生全員が行ったが、近年は中学2年生が務め、2個のホラガイを向かい合って交代で吹く。スライド枠には「8/14」と記される。 | 鳥羽市松尾町 | 1988.8.14 |
8140 | 松尾町の盆行事10-17 | わらじを履く楽供の足元。激しい動きでわらじが脱げないように、かかとを白いひもでしっかり固定している。スライド枠には「楽供打のゾウリ 8/14」と記される。 | 鳥羽市松尾町 | 1988.8.14 |
8141 | 松尾町の盆行事10-18 | 「下役」と赤書きされた提灯を持つ若者2人。その両側に「若者頭」と赤書きされた提灯を持つ男性が立っている。スライド枠には「若下役 8/14」と記される。 | 鳥羽市松尾町 | 1988.8.14 |
8142 | 松尾町の盆行事11-1 | 楽供打の手元。スライド枠には「楽打用のバチ ホウノキで作る 8/14」と記される。 | 鳥羽市松尾町 | 1988.8.14 |
8143 | 松尾町の盆行事11-2 | 笛吹の後ろ姿。笛吹は中学1年生の男子全員が務める。スライド枠には「笛吹 63.8.14」と記される。 | 鳥羽市松尾町 | 1988.8.14 |
8144 | 松尾町の盆行事11-3 | 楽供打の若者衆。楽供は、直径50~60センチの橦木(くすのき)を刳り貫いた筒の両面に牛革をあて、紐で締め上げて張った太鼓である。原木を刳り貫いているため一定の形はなく、変形しているものも多い。 カラスザンショを轆轤挽きして作った先に円盤を持つ長さ37センチのハチで叩く。総勢19人が務める。スライド枠には「楽打 63.8.14 世古路前」と記される。 | 鳥羽市松尾町 | 1988.8.14 |
8145 | 松尾町の盆行事11-4 | 楽供を持って走る若者衆。後ろ姿。スライド枠には「63.8.14 世古路前の暴れ」と記される。 | 鳥羽市松尾町 | 1988.8.14 |
8146 | 松尾町の盆行事11-5 | 鉦打は、下鉦(しもがね)と上鉦(かみがね)の2種類があり、各6人ずつが務める。下鉦は60キログラム、上鉦は70キログラムの真鍮製である。スライド枠には「上鉦 下鉦 63.8.14」と記される。 | 鳥羽市松尾町 | 1988.8.14 |
8147 | 松尾町の盆行事11-6 | ハチを大きく振り上げ、楽供をたたきながら移動する若者衆。スライド枠には「ナワテ拍子 63.8.14」と記される。 | 鳥羽市松尾町 | 1988.8.14 |
8148 | 松尾町の盆行事11-7 | 貝吹は、16才の者で組織する。まだ公会(クガイ)に加入していない中学3年生全員が行ったが、近年は中学2年生が務め、2個のホラガイを向かい合って交代で吹く。スライド枠には「貝吹 63.8.14」と記される。 | 鳥羽市松尾町 | 1988.8.14 |
8149 | 松尾町の盆行事11-8 | 夕刻、地下蔵前での鉦打と楽供打の対決風景。楽供打が鉦を地面に落とさせようと、鉦打にぶつかる。鉦打は負けじと押し返す。スライド枠には「63.8.14」と記される。 | 鳥羽市松尾町 | 1988.8.14 |
8150 | 松尾町の盆行事11-9 | 貝吹は、16才の者で組織する。まだ公会(クガイ)に加入していない中学3年生全員が行ったが、近年は中学2年生が務め、2個のホラガイを向かい合って交代で吹く。スライド枠には「63.8.14」と記される。 | 鳥羽市松尾町 | 1988.8.14 |
8151 | 松尾町の盆行事11-10 | 貝吹は、16才の者で組織する。まだ公会(クガイ)に加入していない中学3年生全員が行ったが、近年は中学2年生が務め、2個のホラガイを向かい合って交代で吹く。スライド枠には「貝吹 63.8.14」と記される。 | 鳥羽市松尾町 | 1988.8.14 |
8152 | 松尾町の盆行事11-11 | 貝吹は、16才の者で組織する。まだ公会(クガイ)に加入していない中学3年生全員が行ったが、近年は中学2年生が務め、2個のホラガイを向かい合って交代で吹く。スライド枠には「貝吹 63.8.14」と記される。 | 鳥羽市松尾町 | 1988.8.14 |
8153 | 松尾町の盆行事11-12 | 天徳寺の本堂。スライド枠には「本念仏入の本堂 63.8.14」と記される。 | 鳥羽市松尾町 | 1988.8.14 |
8154 | 松尾町の盆行事11-13 | 本堂前の初盆者供養、先祖供養、戦没者供養の大念仏を念仏入という。念仏入が始まる前、準備をする若者衆。スライド枠には「14日の盆祭 63.8.14」と記される。 | 鳥羽市松尾町 | 1988.8.14 |
8155 | 松尾町の盆行事11-14 | 天徳寺の本堂中央に和尚が座り、その横に初盆家の親族が控える。亡くなった順に盆提灯を掲げ、和尚の「○○のために大念仏を執行する」の発声のあと拍子楽供の「へー」で半念仏を行う。念仏入は、初盆者供養、先祖供養、戦没者供養の順に行われる。スライド枠には「念仏入(戦没者)」と記される。 | 鳥羽市松尾町 | 1988.8.14 |
8156 | 松尾町の盆行事11-15 | 天徳寺の本堂中央に和尚が座り、その横に初盆家の親族が控える。亡くなった順に盆提灯を掲げ、和尚の「○○のために大念仏を執行する」の発声のあと拍子楽供の「へー」で半念仏を行う。念仏入は、初盆者供養、先祖供養、戦没者供養の順に行われる。スライド枠には「念仏入(戦没者) 63.8.14」と記される。 | 鳥羽市松尾町 | 1988.8.14 |
8157 | 松尾町の盆行事11-16 | 天徳寺の本堂中央に和尚が座り、その横に初盆家の親族が控える。亡くなった順に盆提灯を掲げ、和尚の「○○のために大念仏を執行する」の発声のあと拍子楽供の「へー」で半念仏を行う。念仏入は、初盆者供養、先祖供養、戦没者供養の順に行われる。後方より撮影。本堂前に集まった若者衆も写る。スライド枠には「念仏入(戦没者) 63.8.14」と記される。 | 鳥羽市松尾町 | 1988.8.14 |
8158 | 松尾町の盆行事11-17 | カンコを先頭に、本堂前に整列した若者衆。スライド枠には「念仏入 整列した若者 8/14」と記される。 | 鳥羽市松尾町 | 1988.8.14 |
8159 | 松尾町の盆行事11-18 | 本堂前で楽供が輪になり、その内側に本堂に向かって左に下鉦、右に上鉦が向かい合いながら立ち、中央は先頭にカンコ、貝吹、笛吹(4人)が並んで念仏入を行う。スライド枠には「念仏入 の拍子楽供」と記される。 | 鳥羽市松尾町 | 1988.8.14 |
8160 | 松尾町の盆行事12-1 | 火柱が勢いよく燃え上がるのを見守る人たち。火柱がおおむね燃えると、若者頭は警護に指示し、火柱を支える西の綱は楽共打、北は上鉦、南は下鉦といった役割で部所に着かせ、若者頭の「倒せ」の合図で西側の楽供綱を引いて倒す。スライド枠には「松尾松明」と記される。 | 鳥羽市松尾町 | 1990.8.15 |
8161 | 松尾町の盆行事12-2 | 楽供(がく)、鉦(かね)、カンコなど楽器を担いで墓地を3周する若者衆。スライド枠には「2.8.15」と記される。 | 鳥羽市松尾町 | 1990.8.15 |
8162 | 松尾町の盆行事12-3 | 楽供(がく)、鉦(かね)、カンコなど楽器を担いで墓地を3周する若者衆。スライド枠には「2.8.15」と記される。 | 鳥羽市松尾町 | 1990.8.15 |
8163 | 松尾町の盆行事12-4 | 初盆の家の墓前に参る人たち。スライド枠には「2.8.15」と記される。 | 鳥羽市松尾町 | 1990.8.15 |
8164 | 松尾町の盆行事12-5 | 楽供(がく)、鉦(かね)、カンコなど楽器を担いで墓地を3周する若者衆。スライド枠には「2.8.15」と記される。 | 鳥羽市松尾町 | 1990.8.15 |
8165 | 松尾町の盆行事12-6 | 楽供(がく)、鉦(かね)、カンコなど楽器を担いで墓地を3周する若者衆。スライド枠には「2.8.15」と記される。 | 鳥羽市松尾町 | 1990.8.15 |
8166 | 松尾町の盆行事12-7 | キリコのアップ。キリコに初盆者の戒名を書いた提灯が下げられている。スライド枠には「2.8.15」と記される。 | 鳥羽市松尾町 | 1990.8.15 |
8167 | 松尾町の盆行事12-8 | 初盆の家の墓前に参る人たち。スライド枠には「2.8.15」と記される。 | 鳥羽市松尾町 | 1990.8.15 |
8168 | 松尾町の盆行事12-9 | 火柱が勢いよく燃え上がるのを見守る人たち。火柱がおおむね燃えると、若者頭は警護に指示し、火柱を支える西の綱は楽共打、北は上鉦、南は下鉦といった役割で部所に着かせ、若者頭の「倒せ」の合図で西側の楽供綱を引いて倒す。スライド枠には「2.8.15」と記される。 | 鳥羽市松尾町 | 1990.8.15 |
8169 | 松尾町の盆行事12-10 | 闇に浮かび上がる火柱の炎。スライド枠には「2.8.15」と記される。 | 鳥羽市松尾町 | 1990.8.15 |
8170 | 松尾町の盆行事12-11 | 闇に浮かび上がる火柱の炎。スライド枠には「2.8.15」と記される。 | 鳥羽市松尾町 | 1990.8.15 |
8171 | 松尾町の盆行事12-12 | 闇に浮かび上がる火柱の炎とそれを見守る多くの人。スライド枠には「2.8.15」と記される。 | 鳥羽市松尾町 | 1990.8.15 |
8172 | 松尾町の盆行事12-13 | 闇に浮かび上がる火柱の炎。スライド枠には「2.8.15」と記される。 | 鳥羽市松尾町 | 1990.8.15 |
8173 | 松尾町の盆行事12-14 | 闇に浮かび上がる火柱の炎。スライド枠には「2.8.15」と記される。 | 鳥羽市松尾町 | 1990.8.15 |
8174 | 松尾町の盆行事12-15 | 闇に浮かび上がる火柱の炎と見守る人たち。スライド枠には「2.8.15」と記される。 | 鳥羽市松尾町 | 1990.8.15 |
8175 | 松尾町の盆行事12-16 | 闇に浮かび上がる火柱の炎。スライド枠には「2.8.15」と記される。 | 鳥羽市松尾町 | 1990.8.15 |
8176 | 松尾町の盆行事12-17 | 闇に浮かび上がる火柱の炎と見守る人たち。スライド枠には「2.8.15」と記される。 | 鳥羽市松尾町 | 1990.8.15 |
8177 | 松尾町の盆行事12-18 | 闇に浮かび上がる火柱の炎と見守る人たち。スライド枠には「2.8.15」と記される。 | 鳥羽市松尾町 | 1990.8.15 |
8178 | 松尾町の盆行事13-1 | 3人の少女。スライド枠には「松尾町」と記される。 | 鳥羽市松尾町 | 1990.8.15 |
8179 | 松尾町の盆行事13-2 | 墓参りをする家族、3人。スライド枠には「松尾町」と記される。 | 鳥羽市松尾町 | 1990.8.15 |
8180 | 松尾町の盆行事13-3 | 墓参りをする家族、4人。スライド枠には「松尾町」と記される。 | 鳥羽市松尾町 | 1990.8.15 |
8181 | 松尾町の盆行事13-4 | 墓前。花挿しには樒の花、ほおずきが等が挿してある。スライド枠には「松尾町」と記される。 | 鳥羽市松尾町 | 1990.8.15 |
8182 | 松尾町の盆行事13-5 | 岡(墓地の広場)、遠景。墓参りを終え、帰る家族。スライド枠には「松尾町」と記される。 | 鳥羽市松尾町 | 1990.8.15 |
8183 | 松尾町の盆行事13-6 | 天徳寺に設えられた餓鬼棚。スライド枠には「松尾町」と記される。 | 鳥羽市松尾町 | 1990.8.15 |
8184 | 松尾町の盆行事13-7 | 公民館前で楽供を修理する若者と指導する年配者。スライド枠には「松尾町」と記される。 | 鳥羽市松尾町 | 1990.8.15 |
8185 | 松尾町の盆行事13-8 | 修理し、フドウ(左肩に掛ける藁の部分)のゆるみを締め直した楽供。その前で笑顔を見せる若者2人と小学生2人。スライド枠には「松尾町」と記される。 | 鳥羽市松尾町 | 1990.8.15 |
8186 | 河内町の盆行事(混入)13-9 | 観音さん前の大慣らし。午後7時から観音堂前で15日の本番を前に総練習を行う。練習は若者頭の検分のもと、許可が降りるまで続けられる。スライド枠には「河内町」と記される。 | 鳥羽市松尾町 | 1990.8.15 |
8187 | 河内町の盆行事(混入)13-10 | 観音さん前の大慣らし。午後7時から観音堂前で15日の本番を前に総練習を行う。練習は若者頭の検分のもと、許可が降りるまで続けられる。スライド枠には「河内町」と記される。 | 鳥羽市松尾町 | 1990.8.15 |
8188 | 河内町の盆行事(混入)13-11 | 観音さん前の大慣らし。午後7時から観音堂前で15日の本番を前に総練習を行う。練習は若者頭の検分のもと、許可が降りるまで続けられる。スライド枠には「河内町」と記される。 | 鳥羽市松尾町 | 1990.8.15 |
8189 | 河内町の盆行事(混入)13-12 | 観音さん前の大慣らし。午後7時から観音堂前で15日の本番を前に総練習を行う。練習は若者頭の検分のもと、許可が降りるまで続けられる。スライド枠には「河内町」と記される。 | 鳥羽市松尾町 | 1990.8.15 |
8190 | 松尾町の神祭14-1 | 親取り子取りの元服儀式を受けた若者が、10メートル先の的に向かって2本ずつの矢を3回射る。弓の的の裏には「鬼」と書かれ、悪魔退散を目的とする。スライド枠には「1」「92.1.3」と記される。 | 鳥羽市松尾町 | 1992.1.3 |
8191 | 松尾町の神祭14-2 | 親取り子取りの元服儀式を受けた若者が、10メートル先の的に向かって2本ずつの矢を3回射る。弓の的の裏には「鬼」と書かれ、悪魔退散を目的とする。スライド枠には「3」「92.1.3」と記される。 | 鳥羽市松尾町 | 1992.1.3 |
8192 | 松尾町の神祭14-3 | 10メートル先の的に向かって矢を射る若者。スライド枠には「6」「92.1.3」と記される。 | 鳥羽市松尾町 | 1992.1.3 |
8193 | 松尾町の神祭14-4 | 扇子を持ち、笑顔で話す3人の若者。スライド枠には「8」「92.1.3」と記される。 | 鳥羽市松尾町 | 1992.1.3 |
8194 | 松尾町の神祭14-5 | 10メートル先の的に向かって矢を射る若者。スライド枠には「9」「92.1.3」と記される。 | 鳥羽市松尾町 | 1992.1.3 |
8195 | 松尾町の神祭14-6 | 10メートル先の的に向かって矢を射る若者。スライド枠には「10」「92.1.3」と記される。 | 鳥羽市松尾町 | 1992.1.3 |
8196 | 松尾町の神祭14-7 | 10メートル先の的に向かって順番に矢を射る若者。スライド枠には「14」「92.1.3」と記される。 | 鳥羽市松尾町 | 1992.1.3 |
8197 | 松尾町の神祭14-8 | 薬師堂の内部。戸板に「本堂の由来 往古のことは明らかではないが…」と記されている。寛政8年5月4日(1796年6月9日)の深夜、伊勢古市の遊廓油屋において9人の者が刀で斬られ、そのうち3人が死亡する事件が起きた。この油屋騒動を起こした医師斎(幼名を与吉と言い、鳥羽松尾村の百姓与次右衛門の次男として生れた。その後鳥羽藩に仕える某の養子となって斎と名乗る。)が殺傷事件を起こした後、この薬師堂の中に隠れたという伝承がある。スライド枠には「17」「92.1.3」と記される。 | 鳥羽市松尾町 | 1992.1.3 |
8198 | 松尾町の神祭14-9 | 薬師堂の内部。戸板に「本堂の由来 往古のことは明らかではないが…」と記されている。寛政8年5月4日(1796年6月9日)の深夜、伊勢古市の遊廓油屋において9人の者が刀で斬られ、そのうち3人が死亡する事件が起きた。この油屋騒動を起こした医師斎(幼名を与吉と言い、鳥羽松尾村の百姓与次右衛門の次男として生れた。その後鳥羽藩に仕える某の養子となって斎と名乗る。)が殺傷事件を起こした後、この薬師堂の中に隠れたという伝承がある。スライド枠には「18」「92.1.3」と記される。 | 鳥羽市松尾町 | 1992.1.3 |
8199 | 松尾町の神祭14-10 | 薬師堂の須弥壇。スライド枠には「19」「92.1.3」と記される。 | 鳥羽市松尾町 | 1992.1.3 |
8200 | 松尾町の神祭15-1 | 薬師堂の須弥壇。スライド枠には「20」「92.1.3」と記される。 | 鳥羽市松尾町 | 1992.1.3 |
8201 | 松尾町の神祭15-2 | 加茂神社で行う獅子舞。ヨボシゴになった青年によって弓引きの後行われるが、獅子舞の正しい所作は失われている。加茂神社には獅子頭3基、天狗面3面が所蔵されている。鳥羽市指定文化財。獅子頭は、もとは白木神社の神宝で、高さ33cm、奥行49cmと他のものに対してやや小振である。スライド枠には「21」「92.1.3」と記される。 | 鳥羽市松尾町 | 1992.1.3 |
8202 | 松尾町の神祭15-3 | 天狗が鈴を鳴らしながら境内を3週し、獅子がその後ろをついていく。スライド枠には「22」「92.1.3」と記される。 | 鳥羽市松尾町 | 1992.1.3 |
8203 | 松尾町の神祭15-4 | 天狗。その後ろで獅子に頭を噛んでもらうために集まった子どもたちが写る。スライド枠には「23」「92.1.3」と記される。 | 鳥羽市松尾町 | 1992.1.3 |
8204 | 松尾町の神祭15-5 | 境内に敷かれた筵に寝そべる獅子。獅子を米俵に見立て、藁縄で縛る所作が含まれている。スライド枠には「24」「92.1.3」と記される。 | 鳥羽市松尾町 | 1992.1.3 |
8205 | 松尾町の神祭15-6 | 境内に敷かれた筵に寝そべる獅子。獅子を米俵に見立て、藁縄で縛る所作が含まれている。スライド枠には「25」「92.1.3」と記される。 | 鳥羽市松尾町 | 1992.1.3 |
8206 | 松尾町の神祭15-7 | 境内に敷かれた筵に寝そべる獅子。獅子を米俵に見立て、藁縄で縛る所作が含まれている。スライド枠には「26」「92.1.3」と記される。 | 鳥羽市松尾町 | 1992.1.3 |
8207 | 松尾町の神祭15-8 | 弓引きのために境内に集まった青年たち。スライド枠には「30」「92.1.3」と記される。 | 鳥羽市松尾町 | 1992.1.3 |
8208 | 松尾町の神祭15-9 | 弓引きを務める青年と祷人。スライド枠には「31」「92.1.3」と記される。 | 鳥羽市松尾町 | 1992.1.3 |
8209 | 松尾町の神祭15-10 | 弓引きの様子を撮影する女性。スライド枠には「32」「92.1.3」と記される。 | 鳥羽市松尾町 | 1992.1.3 |
8210 | 松尾町の神祭15-11 | 弓引きを務める青年と祷人。スライド枠には「33」「92.1.3」と記される。 | 鳥羽市松尾町 | 1992.1.3 |
8211 | 松尾町の神祭15-12 | 弓引きを務める青年たち。スライド枠には「34」「92.1.3」と記される。 | 鳥羽市松尾町 | 1992.1.3 |
8212 | 松尾町の神祭15-13 | 着席し、神事に臨む地下役人と弓引きを務める青年たち。スライド枠には「36」「92.1.3」と記される。 | 鳥羽市松尾町 | 1992.1.3 |
8213 | 玉城町 山の神1-1 | 山神の獅子舞神事の当日、山田寺の座敷に祀られた雌雄の獅子頭と黒面、赤面。獅子頭は1555年(弘治元年)の作である。この神事は、天下泰平、五穀豊穣を願うと共に、疱瘡が流行して多くの人が亡くなったその厄払いのために伝わったものである。スライド枠には「山神の獅子舞 06.1.29」と記される。(参考:『玉城町史』下巻 2005年3月25日 玉城町史下巻編纂委員会/編纂) | 度会郡玉城町山神 | 1994.1.29 |
8214 | 玉城町 山の神1-2 | 見物人が黒面と赤面の悪魔に投げる松かさ。スライド枠には「山神の獅子舞 06.1.29」と記される。 | 度会郡玉城町山神 | 1994.1.29 |
8215 | 玉城町 山の神1-3 | 堂前の広場に筵が三十四枚敷かれ、黒面の悪魔が酒酔いの風体で宰領(介添人)に抱えられて現れ、笛と太鼓の楽で舞いをする。後方では、縁側に並んで座り、横笛を吹く2人の笛吹童子が写る。その様子を多くのカメラマンが撮影している。スライド枠には「山神の獅子舞 06.1.29」と記される。 | 度会郡玉城町山神 | 1994.1.29 |
8216 | 玉城町 山の神1-4 | 酒酔いの風体で宰領(介添人)に抱えられて現れた黒面の悪魔。スライド枠には「山神の獅子舞 06.1.29」と記される。 | 度会郡玉城町山神 | 1994.1.29 |
8217 | 玉城町 山の神1-5 | 黒面の悪魔に松かさを投げる見物人。黒面の悪魔の足元には沢山の松かさが落ちている。スライド枠には「山神の獅子舞 06.1.29」と記される。 | 度会郡玉城町山神 | 1994.1.29 |
8218 | 玉城町 山の神1-6 | 続いて赤面の悪魔が現れ、黒面の悪魔と舞う。それに向かって見物人が松かさを投げる。スライド枠には「山神の獅子舞 06.1.29」と記される。 | 度会郡玉城町山神 | 1994.1.29 |
8219 | 玉城町 山の神1-7 | 扇を手に向かい合って舞う、黒面の悪魔と赤面の悪魔。スライド枠には「山神の獅子舞 06.1.29」と記される。 | 度会郡玉城町山神 | 1994.1.29 |
8220 | 玉城町 山の神1-8 | 黒面と赤面の悪魔は、扇を持って松かさを投げる見物人を追いかける。そこへ雄獅子が現れ、宰領に支えられて舞う。スライド枠には「山神の獅子舞 06.1.29」と記される。 | 度会郡玉城町山神 | 1994.1.29 |
8221 | 玉城町 山の神1-9 | 黒面と赤面の悪魔は、扇を持って松かさを投げる見物人を追いかける。そこへ雄獅子が現れ、宰領に支えられて舞う。スライド枠には「山神の獅子舞 06.1.29」と記される。 | 度会郡玉城町山神 | 1994.1.29 |
8222 | 玉城町 山の神1-10 | 揃って舞う2頭の獅子と黒面と赤面の悪魔。スライド枠には「山神の獅子舞 06.1.29」と記される。 | 度会郡玉城町山神 | 1994.1.29 |
8223 | 玉城町 山の神1-11 | 黒面の悪魔と宰領に支えられて舞う獅子。スライド枠には「山神の獅子舞 06.1.29」と記される。 | 度会郡玉城町山神 | 1994.1.29 |
8224 | 玉城町 山の神1-12 | 揃って舞う2頭の獅子と黒面と赤面の悪魔。スライド枠には「山神の獅子舞 06.1.29」と記される。 | 度会郡玉城町山神 | 1994.1.29 |
8225 | 玉城町 山の神1-13 | 獅子と舞う赤面の悪魔のアップ。スライド枠には「山神の獅子舞 06.1.29」と記される。 | 度会郡玉城町山神 | 1994.1.29 |
8226 | 玉城町 山の神1-14 | 獅子と舞う赤面の悪魔のアップ。スライド枠には「山神の獅子舞 06.1.29」と記される。 | 度会郡玉城町山神 | 1994.1.29 |
8227 | 玉城町 山の神1-15 | 揃って舞う2頭の獅子と黒面と赤面の悪魔。スライド枠には「山神の獅子舞 06.1.29」と記される。 | 度会郡玉城町山神 | 1994.1.29 |
8228 | 斉田 山の神2-1 | 山の神の祠に奉納されたヘノコ(男根に模したねむの木)。斎田の山の神は、元は旧暦1月7日と11月7日の2回行われていた。山の幸と繁栄を祈るものという。近年は、12月8日に近い日曜日の早朝5時ごろから行われる。5時20分ごろ、地元の人々が徐々に集まり、斎田川沿いにある山の神の祠にお参りし、前日に用意された松明に火をつける。地元の参拝者には餅やお神酒が渡され、長さ5mほどの女竹の先端に餅を刺してどんど火で焼く。この餅を「コノライ」という。餅は各家から3合ずつ集められたもち米(妊娠した女性のいる家は普通米を3合出す)で作ったものである。スライド枠には「斎田 1.12.7」と記される。(参考:『南勢町誌』下巻 2004年12月20日発行 南勢町史編纂委員会/編纂) | 度会郡南伊勢町斎田 | 1989.12.7 |
8229 | 斉田 山の神2-2 | 山の神の祠は岩壁の下にある。祠の横に並んで供えられている歴代のねむの木で作られたヘノコ。スライド枠には「斎田 1.12.7」と記される。 | 度会郡南伊勢町斎田 | 1989.12.7 |
8230 | 斉田 山の神2-3 | 山の神の祠。スライド枠には「斎田 1.12.7」と記される。 | 度会郡南伊勢町斎田 | 1989.12.7 |
8231 | 斉田 山の神2-4 | 山の神の祠。スライド枠には「斎田 1.12.7」と記される。 | 度会郡南伊勢町斎田 | 1989.12.7 |
8232 | 斉田 山の神2-5 | 山の神の祠に奉納されたヘノコ(男根に模したねむの木)。横から映す。スライド枠には「斎田 1.12.7」と記される。 | 度会郡南伊勢町斎田 | 1989.12.7 |
8233 | 斉田 山の神2-6 | 大岩に立てかけられた餅を刺す女竹。スライド枠には「斎田 1.12.7」と記される。 | 度会郡南伊勢町斎田 | 1989.12.7 |
8234 | 斉田 山の神2-7 | 山の神の祠に奉納されたヘノコ(男根に模したねむの木)。後ろから映す。スライド枠には「斎田 1.12.7」と記される。 | 度会郡南伊勢町斎田 | 1989.12.7 |
8235 | 斉田 山の神3-1 | 参拝者に配られる丸餅。スライド枠には「斎田山の神祭 配られるモチ 2.12.2」と記される。 | 度会郡南伊勢町斎田 | 1990.12.2 |
8236 | 斉田 山の神3-2 | 参拝者に配られる丸餅とどんど火。スライド枠には「モチとかがり火 2.12.2」と記される。 | 度会郡南伊勢町斎田 | 1990.12.2 |
8237 | 斉田 山の神3-3 | 笹竹と参拝者にお神酒を振る舞う当番。その横でどんど焼きが燃える。スライド枠には「山の神 モチヤキの竹 2.12.2」と記される。 | 度会郡南伊勢町斎田 | 1990.12.2 |
8238 | 斉田 山の神3-4 | どんど火で餅を焼く参拝者。スライド枠には「山の神 モチヤキ 2.12.2」と記される。 | 度会郡南伊勢町斎田 | 1990.12.2 |
8239 | 斉田 山の神3-5 | どんど火で餅を焼く参拝者。スライド枠には「山の神 モチヤキ 2.12.2」と記される。 | 度会郡南伊勢町斎田 | 1990.12.2 |
8240 | 斉田 山の神3-6 | どんど火で餅を焼く参拝者。スライド枠には「斉田山の神祭 2.12.2」と記される。 | 度会郡南伊勢町斎田 | 1990.12.2 |
8241 | 斉田 山の神3-7 | どんど火で餅を焼く参拝者。スライド枠には「斉田山の神祭 2.12.2」と記される。 | 度会郡南伊勢町斎田 | 1990.12.2 |
8242 | 斉田 山の神3-8 | どんど火で餅を焼く参拝者。スライド枠には「斉田山の神祭 2.12.2」と記される。 | 度会郡南伊勢町斎田 | 1990.12.2 |
8243 | 斉田 山の神3-9 | 参拝者に餅を渡す。スライド枠には「山の神祭 2.12.2」と記される。 | 度会郡南伊勢町斎田 | 1990.12.2 |
8244 | 斉田 山の神4-1 | 女竹の先に刺した丸餅をどんど火で焼く参拝者。中学生も写る。スライド枠には「斉田の山の神祭 2.12.2」と記される。 | 度会郡南伊勢町斎田 | 1990.12.2 |
8245 | 斉田 山の神4-2 | 女竹の先に刺した丸餅をどんど火で焼く参拝者。中学生も写る。スライド枠には「斉田の山の神祭 2.12.2」と記される。 | 度会郡南伊勢町斎田 | 1990.12.2 |
8246 | 斉田 山の神4-3 | 女竹の先に刺した丸餅をどんど火で焼く参拝者。中学生も写る。スライド枠には「斉田の山の神祭 2.12.2」と記される。 | 度会郡南伊勢町斎田 | 1990.12.2 |
8247 | 斉田 山の神4-4 | 女竹の先に刺した丸餅をどんど火で焼く参拝者。中学生も写る。スライド枠には「斉田の山の神祭 2.12.2」と記される。 | 度会郡南伊勢町斎田 | 1990.12.2 |
8248 | 斉田 山の神4-5 | 女竹の先に刺した丸餅をどんど火で焼く参拝者。中学生も写る。スライド枠には「斉田の山の神祭 2.12.2」と記される。 | 度会郡南伊勢町斎田 | 1990.12.2 |
8249 | 斉田 山の神4-6 | 女竹の先に刺した丸餅をどんど火で焼く参拝者。中学生も写る。スライド枠には「斉田の山の神祭 2.12.2」と記される。 | 度会郡南伊勢町斎田 | 1990.12.2 |
8250 | 斉田 山の神4-7 | 女竹の先に刺した丸餅をどんど火で焼く参拝者。中学生も写る。スライド枠には「斉田の山の神祭 2.12.2」と記される。 | 度会郡南伊勢町斎田 | 1990.12.2 |
8251 | 斉田 山の神4-8 | 女竹の先に刺した丸餅をどんど火で焼く参拝者。スライド枠には「斉田の山の神祭 2.12.2」と記される。 | 度会郡南伊勢町斎田 | 1990.12.2 |
8252 | 畔蛸1-1-1 | 畔蛸町の海岸沿いに立つ畔蛸神社本殿の右脇には山の神の祠、左脇には恵比寿社がある。この場所で男子だけで行われる「ふくせ」と呼ばれる行事。「ふくせ」が行われるのは毎年11月7日で、子ども達が夜、笹と山の神・大明神と書かれた旗を持って家々を一軒一軒廻り、玄関で笹を振りながら「ふくせ」の唄を歌い、大人から祝儀を貰う。アルバムのデータ記載欄には「61.11.7日夕刻 鳥羽市畔蛸の山の神」と記される。(参考:『鳥羽市史』下巻 2002年3月25日発行 鳥羽市史編さん室/編さん) | 鳥羽市畔蛸町 | 1986.11.7 |
8253 | 畔蛸1-1-2 | 赤飯を入れるワラツト(藁苞)を作るために 右手で藁束を持ち、すぐる(選る)高齢の男性。アルバムのデータ記載欄には「ワラツト作り」と記される。 | 鳥羽市畔蛸町 | 1986.11.7 |
8254 | 畔蛸1-1-3 | 赤飯を入れるワラツト(藁苞)を作るために 右手で藁束を持ち、すぐる(選る)高齢の男性。アルバムのデータ記載欄には「先ずわらをすぐる」と記される。 | 鳥羽市畔蛸町 | 1986.11.7 |
8255 | 畔蛸1-1-4 | ワラツト(藁苞)の赤飯を包む部分を作る。アルバムのデータ記載欄には「下より20センチの所をしばる」と記される。 | 鳥羽市畔蛸町 | 1986.11.7 |
8256 | 畔蛸1-1-5 | ワラツト(藁苞)の赤飯を包む部分を作る。アルバムのデータ記載欄には「そこより折りかえす」と記される。 | 鳥羽市畔蛸町 | 1986.11.7 |
8257 | 畔蛸1-2-2 | ワラツト(藁苞)の赤飯を包む部分を作る。アルバムのデータ記載欄には「全部折り返したら再び元をくくる」と記される。 | 鳥羽市畔蛸町 | 1986.11.7 |
8258 | 畔蛸1-2-3 | 完成した2個のワラツト(藁苞)。アルバムのデータ記載欄には「全部折り返したら再び元をくくる」と記される。 | 鳥羽市畔蛸町 | 1986.11.7 |
8259 | 畔蛸1-2-4 | 完成したワラツト(藁苞)の下をハサミで切り、綺麗に整える。アルバムのデータ記載欄には「余分をハサミで切り落とす」と記される。 | 鳥羽市畔蛸町 | 1986.11.7 |
8260 | 畔蛸1-2-5 | 綺麗に整えられたワラツト(藁苞)。アルバムのデータ記載欄には「余分をハサミで切り落とす」と記される。 | 鳥羽市畔蛸町 | 1986.11.7 |
8261 | 畔蛸1-2-6 | 清江山 西明寺の松。アルバムのデータ記載欄には「寺の松」と記される。 | 鳥羽市畔蛸町 | 1986.11.7 |
8262 | 畔蛸1-3-1 | アルバムのデータ記載欄には「ヨウ拝所」と記される。 | 鳥羽市畔蛸町 | 1986.11.7 |
8263 | 畔蛸1-3-2 | アルバムのデータ記載欄には「畔蛸出身河崎のイエキが明治33年に建てた鳥居」と記される。 | 鳥羽市畔蛸町 | 1986.11.7 |
8264 | 畔蛸1-3-3 | 山の神の祠の中のご神体(石)。 | 鳥羽市畔蛸町 | 1986.11.7 |
8265 | 畔蛸1-3-4 | 山の神の祠の中のご神体(石)。 | 鳥羽市畔蛸町 | 1986.11.7 |
8266 | 畔蛸1-3-5 | 山の神の祠の中のご神体(石)。アルバムのデータ記載欄には「山の神の神体」と記される。 | 鳥羽市畔蛸町 | 1986.11.7 |
8267 | 畔蛸1-3-6 | 山の神の祠の中のご神体(石)と天狗の面。アルバムのデータ記載欄には「山の神祠と神体」と記される。 | 鳥羽市畔蛸町 | 1986.11.7 |
8268 | 畔蛸1-4-1 | アルバムのデータ記載欄には「神体の石と天狗の面」と記される。 | 鳥羽市畔蛸町 | 1986.11.7 |
8269 | 畔蛸1-4-2 | 山の神の祠、全景。 | 鳥羽市畔蛸町 | 1986.11.7 |
8270 | 畔蛸1-4-3 | 山の神の祠、全景。 | 鳥羽市畔蛸町 | 1986.11.7 |
8271 | 畔蛸1-4-4 | 山の神に神饌をお供えする高齢の男性。アルバムのデータ記載欄には「山の神に供える住民」と記される。 | 鳥羽市畔蛸町 | 1986.11.7 |
8272 | 畔蛸1-4-5 | 山の神に神饌をお供えする高齢の男性。アルバムのデータ記載欄には「ツト2個と魚2尾」と記される。 | 鳥羽市畔蛸町 | 1986.11.7 |
8273 | 畔蛸1-4-6 | 山の神に神饌(ワラツトで包んだ赤飯と魚2尾)をお供えする高齢の男性。 | 鳥羽市畔蛸町 | 1986.11.7 |
8274 | 畔蛸1-5-1 | 山の神に神饌(ワラツトで包んだ赤飯と魚2尾)をお供えし、手を合わせる高齢の男性。 | 鳥羽市畔蛸町 | 1986.11.7 |
8275 | 畔蛸1-5-2 | 山の神に神饌(ワラツトで包んだ赤飯と魚2尾)をお供えし、手を合わせる高齢の男性。 | 鳥羽市畔蛸町 | 1986.11.7 |
8276 | 畔蛸1-5-3 | ワラツトで包んだ赤飯と魚4尾。 | 鳥羽市畔蛸町 | 1986.11.7 |
8277 | 畔蛸1-5-4 | 山の神に神饌(ワラツトで包んだ赤飯と魚4尾)をお供えし、手を合わせる高齢の男性。 | 鳥羽市畔蛸町 | 1986.11.7 |
8278 | 畔蛸1-5-5 | ワラツトで包んだ赤飯と魚4尾。 | 鳥羽市畔蛸町 | 1986.11.7 |
8279 | 畔蛸1-5-6 | ワラツトで包んだ赤飯と魚4尾。アルバムのデータ記載欄には「供物」と記される。 | 鳥羽市畔蛸町 | 1986.11.7 |
8280 | 畔蛸1-6-1 | 山の神の祠。神饌(ワラツトで包んだ赤飯と魚4尾)が供えられている。 | 鳥羽市畔蛸町 | 1986.11.7 |
8281 | 畔蛸1-6-2 | アルバムのデータ記載欄には「舞台跡」と記される。 | 鳥羽市畔蛸町 | 1986.11.7 |
8282 | 畔蛸1-6-3 | 産屋(オビヤ)。お産は自分の寝間で行い、産後の養生をオビヤで過ごした。昭和初期まで使われており、戦後は教員住宅として利用された。スライド枠には「61.11.7日夕刻 鳥羽市畔蛸の山の神 オビヤ」と記される。 | 鳥羽市畔蛸町 | 1986.11.7 |
8283 | 畔蛸1-6-4 | アルバムのデータ記載欄には「家田家裏に昔祀られていた山の神社跡」と記されている。 | 鳥羽市畔蛸町 | 1986.11.7 |
8284 | 畔蛸1-6-5 | アルバムのデータ記載欄には「家田家裏に昔祀られていた山の神社跡」と記される。 | 鳥羽市畔蛸町 | 1986.11.7 |
8285 | 畔蛸1-6-6 | 赤飯をワラツトで包む女性。 | 鳥羽市畔蛸町 | 1986.11.7 |
8286 | 畔蛸1-7-1 | 赤飯をワラツトで包む女性。アルバムのデータ記載欄には「夕刻あずき飯をツトにつめる主婦」と記される。 | 鳥羽市畔蛸町 | 1986.11.7 |
8287 | 畔蛸1-7-2 | 赤飯をワラツトで包む女性。アルバムのデータ記載欄には「夕刻あずき飯をツトにつめる主婦」と記される。 | 鳥羽市畔蛸町 | 1986.11.7 |
8288 | 畔蛸1-7-3 | ワラツトで包んだ赤飯を2個盆に並べる。アルバムのデータ記載欄には「ツトにつめた赤飯」と記される。 | 鳥羽市畔蛸町 | 1986.11.7 |
8289 | 畔蛸1-7-4 | ワラツトで包んだ赤飯を2個盆に並べる。アルバムのデータ記載欄には「でき上った供物」と記される。 | 鳥羽市畔蛸町 | 1986.11.7 |
8290 | 畔蛸2-1-1 | 神社の周りに集まってきた子どもたち。境内にある山の神社では高学年の子どもたちが祭りの準備をする様子がうかがえる。アルバムのデータ記載欄には「61.11.7 畔蛸の山の神 神社」と記される。 | 鳥羽市畔蛸町 | 1986.11.7 |
8291 | 畔蛸2-1-2 | 山の神社の前にはたくさんの供物(ワラツトで包んだ赤飯)やオヒツが置かれている。アルバムのデータ記載欄には「山の神社」と記される。 | 鳥羽市畔蛸町 | 1986.11.7 |
8292 | 畔蛸2-1-3 | 山の神社の前にはたくさんの供物(ワラツトで包んだ赤飯)やオヒツが置かれている。アルバムのデータ記載欄には「供物が並ぶ山の神社」と記される。 | 鳥羽市畔蛸町 | 1986.11.7 |
8293 | 畔蛸2-1-4 | 山の神社前の地面を四角く掘られた囲炉裏のような場所の土をシャベルで掘り起こし、火を焚く場所を作る高学年の男子。周りではたくさんの子どもたちが見守り、その傍らには焚き木が山積みされている。アルバムのデータ記載欄には「焚火の用意をする子供ら」と記される。 | 鳥羽市畔蛸町 | 1986.11.7 |
8294 | 畔蛸2-1-5 | 山の神社前の地面を四角く掘られた囲炉裏のような場所の土をシャベルで掘り起こし、火を焚く場所を作る高学年の男子。周りではたくさんの子どもたちが見守り、その傍らには焚き木が山積みされている。アルバムのデータ記載欄には「焚火の用意をする子供ら」と記される。 | 鳥羽市畔蛸町 | 1986.11.7 |
8295 | 畔蛸2-2-1 | 山の神社へワラツトを供える女性。アルバムのデータ記載欄には「お供えをする主婦」と記される。 | 鳥羽市畔蛸町 | 1986.11.7 |
8296 | 畔蛸2-2-2 | 赤飯を盛る茶碗と箸を持って写真に納まる3人の男子。小学校の体操服の胸には「弘道」のワッペンが付いているアルバムのデータ記載欄には「茶碗とはしを」と記される。 | 鳥羽市畔蛸町 | 1986.11.7 |
8297 | 畔蛸2-2-3 | ワラツトから赤飯を出す高学年の男子。アルバムのデータ記載欄には「供えられた赤飯をオヒツに移す大将」と記される。 | 鳥羽市畔蛸町 | 1986.11.7 |
8298 | 畔蛸2-2-4 | 高学年の男子の傍らで山の神社に手を合わせる女性。アルバムのデータ記載欄には「供えられた赤飯をオヒツに移す大将」と記される。 | 鳥羽市畔蛸町 | 1986.11.7 |
8299 | 畔蛸2-2-5 | 供えられた赤飯をオヒツに移す大将と供えられた赤飯に手を伸ばす女性。 | 鳥羽市畔蛸町 | 1986.11.7 |
8300 | 畔蛸2-2-6 | アルバムのデータ記載欄には「神社横のエビス様」と記される。祠の前には、恵比寿大黒の置物とアワビの殻が置かれている。 | 鳥羽市畔蛸町 | 1986.11.7 |
8301 | 畔蛸2-3-1 | 夜、山の神社の前に薪を積んで火を焚く。アルバムのデータ記載欄には「暗くなると火がたかれる」と記される。 | 鳥羽市畔蛸町 | 1986.11.7 |
8302 | 畔蛸2-3-2 | 夜、山の神社の前に薪を積んで火を焚く。子どもたちが集まってきた。アルバムのデータ記載欄には「山の神社前に座り火が焚かれる」と記される。 | 鳥羽市畔蛸町 | 1986.11.7 |
8303 | 畔蛸2-3-3 | 各家を回る時に子どもたちが持つ笹竹。アルバムのデータ記載欄には「フクセの竹笹」と記される。 | 鳥羽市畔蛸町 | 1986.11.7 |
8304 | 畔蛸2-3-4 | 夜、焚火の周りに各自段ボールを敷いて座り、メンコをして遊ぶ子どもたち。アルバムのデータ記載欄には「メンコをして遊ぶ子供等」と記される。 | 鳥羽市畔蛸町 | 1986.11.7 |
8305 | 畔蛸2-3-5 | 夜、焚火の周りに各自段ボールを敷いて座り、メンコをして遊ぶ子どもたち。アルバムのデータ記載欄には「メンコをして遊ぶ子供等」と記される。 | 鳥羽市畔蛸町 | 1986.11.7 |
8306 | 畔蛸2-3-6 | 夜、焚火の周りに各自段ボールを敷いて座り、赤飯をいただく子どもたち。 | 鳥羽市畔蛸町 | 1986.11.7 |
8307 | 畔蛸2-4-1 | オヒツに移した赤飯を茶碗に盛る高学年の男子。オヒツには「なおき」と書かれている。 | 鳥羽市畔蛸町 | 1986.11.7 |
8308 | 畔蛸2-4-2 | オヒツに移した赤飯を茶碗に盛る高学年の男子。アルバムのデータ記載欄には「皆が揃うとご飯を盛りつける」と記される。 | 鳥羽市畔蛸町 | 1986.11.7 |
8309 | 畔蛸2-4-3 | 夜、焚火の周りに各自段ボールを敷いて座り、赤飯をいただく子どもたち。 | 鳥羽市畔蛸町 | 1986.11.7 |
8310 | 畔蛸2-4-4 | 夜、焚火の周りに各自段ボールを敷いて座り、赤飯をいただく子どもたち。アルバムのデータ記載欄には「61.11.7 畔蛸の山の神 赤飯をいただく子供ら」と記される。 | 鳥羽市畔蛸町 | 1986.11.7 |
8311 | 畔蛸2-4-5 | 夜、焚火の周りに各自段ボールを敷いて座り、赤飯をいただく子どもたち。アルバムのデータ記載欄には「赤飯をいただく子供ら」と記される。 | 鳥羽市畔蛸町 | 1986.11.7 |
8312 | 畔蛸2-4-6 | 各自気に入った場所で赤飯をほお張る子どもたち。生のちくわをおかずにする子もいる。 | 鳥羽市畔蛸町 | 1986.11.7 |
8313 | 畔蛸2-5-1 | 夜、焚火の周りに各自段ボールを敷いて座り、赤飯をいただく子どもたち。 | 鳥羽市畔蛸町 | 1986.11.7 |
8314 | 畔蛸2-5-2 | 各自気に入った場所で赤飯をほお張る子どもたち。 | 鳥羽市畔蛸町 | 1986.11.7 |
8315 | 畔蛸2-5-3 | 山の神社の供え物。アルバムのデータ記載欄には「夜の山の神社」と記される。 | 鳥羽市畔蛸町 | 1986.11.7 |
8316 | 畔蛸2-5-4 | 山の神社の供え物。アルバムのデータ記載欄には「夜の山の神社」と記される。 | 鳥羽市畔蛸町 | 1986.11.7 |
8317 | 畔蛸2-5-5 | 夜、焚火の周りに各自段ボールを敷いて座り、赤飯をいただく子どもたち。 | 鳥羽市畔蛸町 | 1986.11.7 |
8318 | 畔蛸2-5-6 | 夜、焚火の周りに各自段ボールを敷いて座り、赤飯をいただく子どもたち。アルバムのデータ記載欄には「火を囲み楽しい子供ら」と記される。 | 鳥羽市畔蛸町 | 1986.11.7 |
8319 | 畔蛸2-6-1 | 「ふくせ」に出発する前の子どもたち。2本の幟旗と笹竹を持ち、各家を回り、「ふーくせ、ふくせ、○○家は商売繁盛」と口上を述べる。幟旗には、「大豊漁祈願」「大明神山の神 家内安全 商売繁盛」と書かれている。アルバムのデータ記載欄には「ふくせに出る子供ら一行。神社前で」と記される。 | 鳥羽市畔蛸町 | 1986.11.7 |
8320 | 畔蛸2-6-2 | 幟旗を持った2人の高学年の男子を先頭に、神社を出発する子どもたち。アルバムのデータ記載欄には「ふくせに出る子供ら一行。神社前で」と記される。 | 鳥羽市畔蛸町 | 1986.11.7 |
8321 | 畔蛸2-6-3 | 民宿の玄関先で「ふくせ」の口上を述べる子どもたち。アルバムのデータ記載欄には「玄関でフークセフークセと大声を出す子供と祝儀をもらう子供」と記される。 | 鳥羽市畔蛸町 | 1986.11.7 |
8322 | 畔蛸2-6-4 | 祝儀をもらう子どもたち。アルバムのデータ記載欄には「玄関でフークセフークセと大声を出す子供と祝儀をもらう子供」と記される。 | 鳥羽市畔蛸町 | 1986.11.7 |
8323 | 畔蛸2-6-5 | 各家を回るため、幟旗を先頭に夜道を歩く一行。アルバムのデータ記載欄には「玄関でフークセ、フークセと大声を出す子供と祝儀をもらう子供」と記される。 | 鳥羽市畔蛸町 | 1986.11.7 |
8324 | 畔蛸2-6-6 | 民宿の玄関先で「ふくせ」の口上を述べる子どもたち。 | 鳥羽市畔蛸町 | 1986.11.7 |
8325 | 畔蛸2-7-1 | 民宿の玄関先で「ふくせ」の口上を述べる子どもたちの足もと。 | 鳥羽市畔蛸町 | 1986.11.7 |
8326 | 畔蛸2-7-2 | 民家の玄関先で「ふくせ」の口上を述べる子どもたち。 | 鳥羽市畔蛸町 | 1986.11.7 |
8327 | 畔蛸2-7-3 | 各家を回るため、幟旗を先頭に夜道を歩く子どもたち。 | 鳥羽市畔蛸町 | 1986.11.7 |
8328 | 畔蛸3-1-1 | 各家を回るため、幟旗を先頭に夜道を歩く子どもたち。アルバムのデータ記載欄には「61.11.7 畔蛸の山の神」と記される。 | 鳥羽市畔蛸町 | 1986.11.7 |
8329 | 畔蛸3-1-2 | 各家を回るため、笹竹を先頭に夜道を歩く子どもたち。アルバムのデータ記載欄には「村を歩く一行」と記される。 | 鳥羽市畔蛸町 | 1986.11.7 |
8330 | 畔蛸3-1-3 | 民家の玄関先で「ふくせ」の口上を述べる子どもたち。 | 鳥羽市畔蛸町 | 1986.11.7 |
8331 | 畔蛸3-1-4 | 民家の玄関先で「ふくせ」の口上を述べる子どもたち。 | 鳥羽市畔蛸町 | 1986.11.7 |
8332 | 畔蛸3-1-5 | 各家を回るため薄暗いせこ道を歩く子どもたち。背後から撮影。 | 鳥羽市畔蛸町 | 1986.11.7 |
8333 | 畔蛸3-1-6 | 各家を回るため笹竹を持ってせこ道を歩く子どもたち。正面から撮影。 | 鳥羽市畔蛸町 | 1986.11.7 |
8334 | 畔蛸3-2-1 | 民家の玄関先で「ふくせ」の口上を述べる子どもたち。 | 鳥羽市畔蛸町 | 1986.11.7 |
8335 | 畔蛸3-2-2 | 笹竹を持って民家の玄関に入り込む子どもたち。 | 鳥羽市畔蛸町 | 1986.11.7 |
8336 | 畔蛸3-2-3 | 夜、幟旗2本と笹竹を持ち、堤防添いの道で集合写真を撮る子どもたち。アルバムのデータ記載欄には「子供等一行の全員」と記される。 | 鳥羽市畔蛸町 | 1986.11.7 |
8337 | 畔蛸3-2-4 | 笹竹を持って民家の玄関に入り込む子どもたち。 | 鳥羽市畔蛸町 | 1986.11.7 |
8338 | 畔蛸3-2-5 | 笹竹を持って民家の玄関に入り込む子どもたち。 | 鳥羽市畔蛸町 | 1986.11.7 |
8339 | 畔蛸3-3-1 | 暗闇の中、羽織姿の年配の男性に弓の引き方を教わる4人の青年。アルバムのデータ記載欄には「弓祭1月5日5:00八王子社祭」「62.1.5日5時」と記される。 | 鳥羽市畔蛸町 | 1987.1.5 |
8340 | 畔蛸3-3-2 | 暗闇の中、羽織姿の年配の男性に弓の引き方を教わる4人の青年。アルバムのデータ記載欄には「弓祭1月5日5:00八王子社祭」「62.1.5日5時」と記される。 | 鳥羽市畔蛸町 | 1987.1.5 |
8341 | 畔蛸3-4-1 | 暗闇の中、羽織姿の年配の男性に弓の引き方を教わる4人の青年。アルバムのデータ記載欄には「弓祭1月5日5:00八王子社祭」「62.1.5日5時」と記される。 | 鳥羽市畔蛸町 | 1987.1.5 |
8342 | 畔蛸3-4-2 | アルバムのデータ記載欄には「神器」と記される。詳細は不明。(撮影者に確認) | 鳥羽市畔蛸町 | 1987.1.5 |
8343 | 畔蛸3-4-3 | 暗闇の中、弓と的を持つ青年たち。八王子社祭の様子と思われるが、詳細は不明。(撮影者に確認) | 鳥羽市畔蛸町 | 1987.1.5 |
8344 | 畔蛸3-4-4 | 暗闇の中、弓と的を持つ青年たち。八王子社祭の様子と思われるが、詳細は不明。(撮影者に確認) | 鳥羽市畔蛸町 | 1987.1.5 |
8345 | 畔蛸3-4-5 | アルバムのデータ記載欄には「各戸に配る魔よけのヤナギ」と記される。詳細は不明。(撮影者に確認) | 鳥羽市畔蛸町 | 1987.1.5 |
8346 | 畔蛸3-4-6 | アルバムのデータ記載欄には「各戸に配る魔よけのヤナギ」と記される。詳細は不明。(撮影者に確認) | 鳥羽市畔蛸町 | 1987.1.5 |
8347 | 畔蛸3-5-1 | 産屋(オビヤ)。お産は自分の寝間で行い、産後の養生をオビヤで過ごした。昭和初期まで使われており、戦後は教員住宅として利用された。アルバムのデータ記載欄には「62‐6月・産屋・アダコ」と記される。 | 鳥羽市畔蛸町 | 1987.6 |
8348 | 畔蛸3-6-1 | 家田与作家、正面から撮影。『養蚕業組合名簿』(昭和7年7月発行)には、畔蛸では30件が養蚕を営んでいると記されている。それぞれの地区に、養蚕組合支部があり、畔蛸では家田与作が支部長を務めていた。(『鳥羽市史』下巻) | 鳥羽市畔蛸町 | 1988.1.12 |
8349 | 畔蛸3-7-1 | 家田家の2階。スライド枠には「かいこ部屋」と記される。ムシロや蚕が繭を作るアゲヤマ、ワラくずなどが散乱している。 | 鳥羽市畔蛸町 | 1988.1.12 |
8350 | 畔蛸4-1-1 | 『養蚕業組合名簿』(昭和7年7月発行)には、畔蛸では30件が養蚕を営んでいると記されている。それぞれの地区に、養蚕組合支部があり、畔蛸では家田与作が支部長を務めていた。(『鳥羽市史』下巻)アルバムのデータ記載欄には「63.1.12 モトヤ(家田)」と記される。 | 鳥羽市畔蛸町 | 1988.1.12 |
8351 | 畔蛸4-1-2 | 家田与作家の外観。 | 鳥羽市畔蛸町 | 1988.1.12 |
8352 | 畔蛸4-1-3 | 家田家の台所。瓦製のかまど(くど)、ワラで作った鍋つかみが写る。 | 鳥羽市畔蛸町 | 1988.1.12 |
8353 | 畔蛸4-2-1 | アルバムのデータ記載欄には「アダコのハンコ」と記される。ハンコとは肩口より袖のない防寒着で、動きやすいように冬、山仕事の時に着用することが多かった。 | 鳥羽市畔蛸町 | 1988.1.12 |
8354 | 畔蛸4-2-2 | アルバムのデータ記載欄には「アダコのハンコ」と記される。ハンコとは肩口より袖のない防寒着で、動きやすいように冬、山仕事の時に着用することが多かった。№8348とほぼ同じ写真。 | 鳥羽市畔蛸町 | 1988.1.12 |
8355 | 畔蛸4-3-1 | 家田与作家、正面から撮影。№8348とほぼ同じアングル。 | 鳥羽市畔蛸町 | 1988.1.12 |
8356 | 畔蛸4-4-1 | 家田与作家、正面から撮影。№8348とほぼ同じアングル。 | 鳥羽市畔蛸町 | 1988.1.12 |
8357 | 相差・千賀・堅子1-1-1 | 大晦日に新ワラを潮につけて浄めたワラで注連縄を作る。注連縄には七・五・三の足・シデ・スミフダ・橙・榊の枝2本を付ける。スミフダの中央に大きく「蘇民将来子孫家門」左に「七難即滅」右に「七福即生」と書かれている。アルバムのデータ記載欄には「61.1.2 相差」「大戸の〆縄」と記される。大戸とは、玄関の戸である。 | 鳥羽市相差町 | 1986.1.2 |
8358 | 相差・千賀・堅子1-1-2 | 大晦日に新ワラを潮につけて浄めたワラで注連縄を作る。注連縄には七・五・三の足・シデ・スミフダ・橙・榊の枝2本を付ける。スミフダの裏側には中央に大きく「蘇民将来子孫家門」右に「七難即滅」左に「七福即生」と書かれている。 | 鳥羽市相差町 | 1986.1.2 |
8359 | 相差・千賀・堅子1-1-3 | 玄関の柱に付けられたツボキ様の門飾り。 | 鳥羽市相差町 | 1986.1.2 |
8360 | 相差・千賀・堅子1-1-4 | 大晦日に新ワラを潮につけて浄めたワラで注連縄を作る。注連縄には七・五・三の足・シデ・スミフダ・橙・ウラジロの葉2枚付ける。スミフダのには中央に大きく「蘇民将来子孫家門」右に「七難即滅」左に「七福即生」と書かれている。 | 鳥羽市相差町 | 1986.1.2 |
8361 | 相差・千賀・堅子1-2-1 | 木製のタンポに立てた「海上安全 志摩 青峯山」の旗。タンポのロープにはノミが挿してある。アルバムのデータ記載欄には「正福寺の旗を建てたタンポ」と記される。 | 鳥羽市相差町 | 1986.1.2 |
8362 | 相差・千賀・堅子1-2-2 | 木製のタンポに立てた「海上安全 志摩 青峯山」の旗。タンポのロープにはノミが挿してある。 | 鳥羽市相差町 | 1986.1.2 |
8363 | 相差・千賀・堅子1-3-1 | アルバムのデータ記載欄には「平元1.1写・榊だけがつく・長官の〆縄」と記される。 | 鳥羽市相差町 | 1989.1.13 |
8364 | 相差・千賀・堅子1-3-2 | 民家の門飾り。アルバムのデータ記載欄には「門飾」と記される。 | 鳥羽市相差町 | 1989.1.13 |
8365 | 相差・千賀・堅子1-3-3 | 民家の注連縄飾り。ユズリハ、ウラジロ、シデ、サカキ、オオフダが下げられている。 | 鳥羽市相差町 | 1989.1.13 |
8366 | 相差・千賀・堅子1-3-4 | 民家の注連縄飾り。シデ、ユズリハ、ウラジロ、ダイダイ、オオフダ(七難即生 七難即滅 中央に蘇民将来子孫家 門)が下げられている。 | 鳥羽市相差町 | 1989.1.13 |
8367 | 相差・千賀・堅子1-3-5 | 綴文書。表紙に「延享弐年 大年寄中間(なかま) 御神事諸定覚帳 丑ノ正月六日 時之長官〇ス」と記されている。アルバムのデータ記載欄には「年寄会の延享2年(1745)の御神事諸定覚書帳」と記される。 | 鳥羽市相差町 | 1989.1.13 |
8368 | 相差・千賀・堅子1-3-6 | 「左之通右帳面より書写申候 古帳之儀は 御宮江納置有之候入用之節 為〇書印申者也 先年より御神事まつり御祝儀定之事 一 大晦日之夜大年寄 壱老時之長官御宮江 地下氏子はんじょうのためにこもり 越年可申候 即御みき壱升ニ肴をそへ持参可仕候 若壱老〇合御座候ハバニ老ニても三老ニても可参候ケ様之儀 先年ハ無御座候得共 地下庄屋中以指図相勤申者也」 | 鳥羽市相差町 | 1989.1.13 |
8369 | 相差・千賀・堅子1-4-1 | 「一 正月朔日之日中之頃年始ニ於神前神事 御かぐら出行(執行)可仕候御そなへ物之儀ハ御みき 弐升程壱〇酒壱升参宮〇白壱升三合 掛ケノ魚肴を添神前江差上ケ申大年寄 中茂皆々参詣いたし祝可申候ケ様之義 先年ハ無御座候得 神之下浜ニて御きとう被成候ニ付大年寄 之賄出合かぎり仕諸事相勤申候御事附り御酒見合餅壱重 一 同二日ニ長官へ年頭相勤申候樽代として米弐斗 遣し申候就其宿より大年寄中江振舞被仕候事」 | 鳥羽市相差町 | 1989.1.13 |
8370 | 相差・千賀・堅子1-4-2 | 「一 同日ニ梵潮寺へ年頭相勤申候為樽代米壱斗五升 進之来り申候則御祝儀之振舞御座候事 一同三日ニ梵潮寺へ末寺之出家衆御出被成地下中 富貴はんじょうノ大般若御きとう御座候右ハ大年寄賄ニて御座候其布施梵潮寺へ米壱斗五升此内五升ハ寺造作トいのうニ被成候衆へ五升其外寺方江五升宛長福寺精進店ヘは三升宛御座候〇はん衆ハ時庄屋衆肝煎衆頭百姓賄中其他見合よひ可申候事 一 正月六日ニ青峯より牛玉書ニ法印御越被成候ニ付大年寄中皆々長福寺へ出合相勤申候法印へは壱飯振舞仕則御帰り被成候・・・」 | 鳥羽市相差町 | 1989.1.13 |
8371 | 相差・千賀・堅子1-4-3 | 「一 正月六日ニ青峯より牛玉書ニ法印御越被成候ニ付大年寄中皆々長福寺へ出合相勤申候法印へは壱飯振舞仕則御帰り被成候・・・」アルバムのデータ記載欄には「青峯より法印云々とある」と記される。 | 鳥羽市相差町 | 1989.1.13 |
8372 | 相差・千賀・堅子1-4-4 | 「一 山田御師善太夫殿より年頭御樽承候節其人江壱飯振舞申候事 附り長官〇〇はい被仕候壱老殿」も同断…」 | 鳥羽市相差町 | 1989.1.13 |
8373 | 相差・千賀・堅子1-4-5 | 綴文書。「御神前ヘそなへ祝申候宿ニ而食酒ニ而・・・一正月始而一万度之御祓受ニ時之賄指遣申候 わらし銭ニ壱匁遣し申候御師殿ヘは米壱升分肴持参可申候 御祓請参候節ハ 神子との御はらいをよミ御宮江納申候 其時大年寄も皆々参詣いたし 御みきニ肴をそへ持参仕祝申候御事」 | 鳥羽市相差町 | 1989.1.13 |
8374 | 相差・千賀・堅子1-4-6 | 綴文書。「一正月十四日之夜大年寄中寄合地下中氏子はん〇大漁之御祈祷として御日仕候御事 一同十五日之早朝ニ於御八幡宮神事御神楽執行仕候 其時之御そなへ物壱廣酒壱升程御ほうかい之食見合〇〇〇白壱升三合御へい紙見合弐升程かけ・・・(後略)」 | 鳥羽市相差町 | 1989.1.13 |
8375 | 相差・千賀・堅子1-5-1 | 綴文書。「二ノ田儀程おろし不申候内ニ若火ニ指合出来申候ハバ先ヘ送り可申候ハバ 先へ送り可申候たねおろし申候後火ニ指合御座候共くるしからす候 扨又田を仕付出来候而かり取申時分ハ 年寄中間へ相断可被申候 其節賄壱人其外ハ壱老之指図次第ニ壱人弐人目付ヲ出シかうせ申候 諸事有様ニ可仕候 若ふ埒成儀被致候ハバ…後略」 | 鳥羽市相差町 | 1989.1.13 |
8376 | 相差・千賀・堅子1-5-2 | 綴文書。「一神々様御鳥居そんじ立なをし申時御長官 賄きもをいり立申候入用 祝之儀ハ地下よりいたし来り申候事 一四五月之時分かつうを舟出釣り参 神者上り申候者始を祝可申候 後々ハ見合祝可申候事…後略」 | 鳥羽市相差町 | 1989.1.13 |
8377 | 相差・千賀・堅子1-5-3 | 綴文書。「…之儀ハ有用ニ見合わけ相渡シ可申候わけ仕舞ノ上ニ而御師殿そうめん振舞御座候 大年寄中ヘみやけ物ハせんす壱本うちわ壱本宛もらい申候 右地下中よりあつまり候 のし御師殿へ定り之通相渡シ候而銭御座候得者 大年寄中間ニ而売払正月三日御祈祷入用其外神役入用ニ仕来り申候御事…後略」 | 鳥羽市相差町 | 1989.1.13 |
8378 | 相差・千賀・堅子1-5-4 | 綴文書。「… 一八月十五日ニ八幡宮之御神事御かくし執行可仕候御そなへ物之儀ハ右同前ニ仕候宿ニ而祝申儀も右同然神子とのも同道ニ而祝可申候事 一九月九日ニ氏神様神事…後略」 | 鳥羽市相差町 | 1989.1.13 |
8379 | 相差・千賀・堅子1-5-5 | 綴文書。「…御そなへ物ハ右同前ニ候宿長官ニ而祝申儀も同断ニ候弥々神子殿同道ニ可申入候…後略」 | 鳥羽市相差町 | 1989.1.13 |
8380 | 相差・千賀・堅子1-5-6 | 綴文書。「…米八斗先年より進ミ来り申候 右蘓氏之札書時ハ壱老殿も一はんしょうはん被仕候御事 一青峯より麦出来申候節ハ御札参地下惣中へくばり 麦ノ御初尾心持次第ニあつめ申得者 青峰ヘは麦四斗五升上ケ申候 附り籾〇〇ノ儀も麦と同断ニ候事…後略」 | 鳥羽市相差町 | 1989.1.13 |
8381 | 相差・千賀・堅子1-6-1 | 綴文書。「…其以後毎年正月五日ニ大年寄中寄合 御宮へ参御頭様をもり奉り 為御祈祷ノ村之内 茅原を御出被遊候事…後略」 | 鳥羽市相差町 | 1989.1.13 |
8382 | 相差・千賀・堅子1-6-2 | 綴文書。「一霜月日待仕候うへに長官火さし屋い御座候節先江渡し候共 米弐斗内壱斗右長官へ相渡し申候 併霜月前ニ指合御座候ハバかまひなしニ候事…後略」 | 鳥羽市相差町 | 1989.1.13 |
8383 | 相差・千賀・堅子1-6-3 | 綴文書。「延享弐年 丑ノ正月吉祥日 一神之田普請有之節ハ地下役人衆中奉行被致惣百姓中出合相勤申候事…後略」 | 鳥羽市相差町 | 1989.1.13 |
8384 | 相差・千賀・堅子1-6-4 | 版木には、「牛玉・朝福寺・宝印」と彫られている。相差では大年寄が1月6日(昔は2月6日)にこの版木を使って「牛王(ごおう)の札」を刷り、各戸に配布した。村びとは春、お札を竹に挟んで苗場田の苗代に立てて、虫除けとした。札を刷る墨は、長官(ちょうがん)が12月20日、神社で行う村中に配布する餅つきの時に、釜の煤に酢を混ぜて作る。朝福寺とは、現在の薬師堂のことで、青峰山の末寺であったといわれる。「相差祭祀年中行事定書(元禄7年)」に正月6日法印が、青峰山から牛王を書きに出張してくることが書かれており、その歴史は古い。アルバムのデータ記載欄には「牛玉法印版木」と記される。(参考:『鳥羽市史』下巻) | 鳥羽市相差町 | 1989.1.13 |
8385 | 相差・千賀・堅子1-6-5 | 版木の裏面。アルバムのデータ記載欄には「裏 明治38年 青峰山 蔵版とある」と記される。 | 鳥羽市相差町 | 1989.1.13 |
8386 | 相差の獅子舞2-1-1 | 相差では神明神社の祭典として獅子舞を奉納する。「相差の人々は、獅子舞が終わると正月が終わったと実感をする。この年一度の最大の祭りにかける相差の人々の信仰心はきわめて強く、見学者の忌れもきびしく気にかける」(撮影者:野村氏のメモより)。ササラを持った天狗(12歳~13歳くらいの中学生)と獅子(かぶり・25歳から30歳の青年)が各家や漁業組合、海女小屋などを祓い浄めて舞う。祭りは長官(ちょうがん)の配下で行われ、獅子に付き添うチョーガン(長官)・マンドウ(万度)・潮振りなどの役はすべて年寄連中が行う。最後の宮への練り込みは夜になり、提灯をともしながら荒々しく練り込むことから別名「荒獅子」とも言われている。アルバムのデータ記載には「荒獅子」と記される。写真は相差漁業協同組合での獅子舞が終わり、移動を始める一行。羽織袴を着て入口に立っているのは「御膳箱吊り」役である。 | 鳥羽市相差町 | 1979.1.5 |
8387 | 相差の獅子舞2-1-2 | 大漁旗を立てて係留された2艘の漁船。まつりの日の漁港の風景である。 | 鳥羽市相差町 | 1979.1.5 |
8388 | 相差の獅子舞2-1-3 | 海女小屋にムシロを敷き、車座になって座り、お神酒やナマスをいただきながら獅子舞の一行を待つ、カマド仲間、8人。男児も1人混じっている。壁にスカリが掛けられ、カマド仲間の背後には、焚き木が写る。 | 鳥羽市相差町 | 1979.1.5 |
8389 | 相差の獅子舞2-1-4 | 海女小屋にムシロを敷き、車座になって座り、お神酒やナマスをいただきながら獅子舞い一行を待つ、カマド仲間、8人。男児も1人混じっている。壁にスカリが掛けられ、カマド仲間の背後には、焚き木が写る。 | 鳥羽市相差町 | 1979.1.5 |
8390 | 相差の獅子舞2-2-1 | ササラを持った天狗と獅子が舞う。背後に裃を着て盛装した長官(ちょうがん)、年寄り連中が写る。場所は自動車の整備工場の一角であろうか。壁面に「YOKOHAMAタイヤ」「ブリジストン」の幕が掛けられている。 | 鳥羽市相差町 | 1979.1.5 |
8391 | 相差の獅子舞2-2-2 | ササラを持った天狗と獅子が舞う。背後に裃を着て盛装した長官(ちょうがん)、年寄り連中が写る。場所は自動車の整備工場の一角であろうか。壁面に「YOKOHAMAタイヤ」「ブリジストン」の幕が掛けられている。 | 鳥羽市相差町 | 1979.1.5 |
8392 | 相差の獅子舞2-2-3 | ササラをする天狗と獅子が大きく写る。 | 鳥羽市相差町 | 1979.1.5 |
8393 | 相差の獅子舞2-3-1 | 獅子が舞い終わると、お神酒とナマスが役人(やくびと)に振る舞われる。返杯で長官(ちょうがん)からお神酒を注がれる戸主。 | 鳥羽市相差町 | 1979.1.5 |
8394 | 相差の獅子舞2-3-2 | 獅子が舞い終わると、お神酒とナマスが役人(やくびと)に振る舞われる。返杯で長官(ちょうがん)からお神酒を注がれる戸主。 | 鳥羽市相差町 | 1979.1.5 |
8395 | 相差の獅子舞2-3-3 | 獅子が舞い終わると獅子にもナマスをくわえさせる長官(ちょうがん)。 | 鳥羽市相差町 | 1979.1.5 |
8396 | 相差の獅子舞2-3-4 | 玄関に正座して獅子舞い一行の到着を待つ人たち。民宿の玄関だろうか、大勢の人がいる。米1升、餅一重ね、祝儀、ナマス、お神酒を前にして中央に正座する年配の夫婦に向かってお辞儀をする長官(ちょうがん)の後ろ姿。 | 鳥羽市相差町 | 1979.1.5 |
8397 | 相差の獅子舞2-3-5 | 獅子が舞い終わり、玄関先でお神酒を振る舞う年配の女性。辺りはもう真っ暗だ。 | 鳥羽市相差町 | 1979.1.5 |
8398 | 相差の獅子舞2-3-6 | 暗闇の中で七番組の提灯を持って獅子舞いを見学する人。 | 鳥羽市相差町 | 1979.1.5 |
8399 | 相差の獅子舞2-4-1 | 玄関先に敷かれたムシロの上で獅子が舞う。ムシロの上で寝そべってササラをする天狗、「寝わざ」と呼ばれる。周りには「拾番組」の高張提灯を持った年配の男性や、多くの人が見学している。 | 鳥羽市相差町 | 1979.1.5 |
8400 | 相差の獅子舞2-4-2 | 玄関先に敷かれたムシロの上で獅子が舞う。ムシロの上に寝そべるササラを持つ天狗、「寝わざ」と呼ばれる。 | 鳥羽市相差町 | 1979.1.5 |
8401 | 相差の獅子舞2-4-3 | 笛吹き3人。裃姿で袴を着けている。 | 鳥羽市相差町 | 1979.1.5 |
8402 | 相差の獅子舞2-4-4 | 玄関先に敷かれたムシロの上で獅子が舞う。ムシロの上に寝そべるササラを持つ天狗、「寝わざ」と呼ばれる。 | 鳥羽市相差町 | 1979.1.5 |
8403 | 相差の獅子舞2-4-5 | 獅子は「イヤホーハ」の掛け声に合わせて舞い、笛に合わせて天狗の面を付けた「ササラスリ」に添って追うように舞う。 | 鳥羽市相差町 | 1979.1.5 |
8404 | 相差の獅子舞2-4-6 | 天狗の面を付けた「ササラスリ」の後ろ姿。辺りはもう暗くなっている。 | 鳥羽市相差町 | 1979.1.5 |
8405 | 相差の獅子舞2-5-1 | 拝殿の中で獅子舞の到着を待つ年配の女性。 | 鳥羽市相差町 | 1979.1.5 |
8406 | 相差の獅子舞2-5-2 | 高張提灯を持って獅子が境内に練り込むのを待つ年配の男性。 | 鳥羽市相差町 | 1979.1.5 |
8407 | 相差の獅子舞2-5-3 | 鳥居の前で獅子の練り込みを待つ「潮振り」役。右手に笹の葉を持ち、裃姿で帽子をかぶっている。 | 鳥羽市相差町 | 1979.1.5 |
8408 | 相差の獅子舞2-5-4 | 午後7時半頃、神社に練り込む獅子舞一行。「七番組」と「一番組」の提灯が写る。 | 鳥羽市相差町 | 1979.1.5 |
8409 | 相差の獅子舞2-5-5 | 午後7時半頃、神社に練り込む獅子舞一行。「七番組」と「一番組」の提灯の後ろに多くの見学者が写る。 | 鳥羽市相差町 | 1979.1.5 |
8409 | 相差の獅子舞2-5-6 | 午後7時半頃、神社に練り込む獅子舞一行。「七番組」と「一番組」の提灯の後ろに多くの見学者が写る。 | 鳥羽市相差町 | 1979.1.5 |
8411 | 相差の獅子舞2-6-1 | 午後7時半頃神社に練り込み、境内で舞う獅子。「御神燈」と書かれた高張提灯の後ろに多くの見学者が写る。 | 鳥羽市相差町 | 1979.1.5 |
8412 | 相差の獅子舞2-6-2 | 午後7時半頃神社に練り込み、境内で舞う獅子。 | 鳥羽市相差町 | 1979.1.5 |
8413 | 相差の獅子舞2-6-3 | 境内で舞った後、拝殿内に練り込む。 | 鳥羽市相差町 | 1979.1.5 |
8414 | 相差の獅子舞2-6-4 | 境内で舞った後、拝殿内に練り込み、舞う獅子。 | 鳥羽市相差町 | 1979.1.5 |
8415 | 相差の獅子舞2-6-5 | 境内で舞った後、拝殿内に練り込み、舞う獅子。 | 鳥羽市相差町 | 1979.1.5 |
8416 | 相差の獅子舞2-6-6 | 境内で舞った後、拝殿内に練り込み、舞う獅子と天狗。背後に写る時計は午後7時55分を指している。 | 鳥羽市相差町 | 1979.1.5 |
8417 | 相差の獅子舞3-1-1 | 拝殿に敷かれたムシロの上で獅子が舞う。ムシロの上にササラを持って寝そべる天狗、「寝わざ」と呼ばれる。 | 鳥羽市相差町 | 1979.1.5 |
8418 | 相差の獅子舞3-1-2 | 大敷網の事務所前で舞う獅子。 | 鳥羽市相差町 | 1979.1.5 |
8419 | 相差の獅子舞3-1-3 | 大敷網の事務所前で舞う獅子。堤防の上には多くの見学者がいる。 | 鳥羽市相差町 | 1979.1.5 |
8420 | 相差の獅子舞3-1-4 | 大敷網の事務所前で舞う獅子。堤防の上には多くの見学者がいる。 | 鳥羽市相差町 | 1979.1.5 |
8421 | 相差の獅子舞3-1-5 | 大網の浜にマンドを挿した笹を立てて舞う獅子。その周りを多くの見学者が囲む。遠くに大漁旗と日章旗を掲げた漁船が10艘ほど係留されている。 | 鳥羽市相差町 | 1979.1.5 |
8422 | 相差の獅子舞3-1-6 | 大網の浜にマンドを挿した笹を立てて舞う獅子。その周りを多くの見学者が囲む。遠くに大漁旗と日章旗を掲げた漁船が10艘ほど係留されている。 | 鳥羽市相差町 | 1979.1.5 |
8423 | 相差の獅子舞3-2-1 | 大網の浜にマンドを挿した笹を立てて、ササラをする天狗に導かれて舞う獅子。その周りを多くの見学者が囲む。遠くに大漁旗と日章旗を掲げた漁船が10艘ほど係留されている。 | 鳥羽市相差町 | 1979.1.5 |
8424 | 相差の獅子舞3-2-2 | 大網の浜にマンドを挿した笹を立てて、ササラをする天狗に導かれて舞う獅子。その周りを多くの見学者が囲む。遠くに大漁旗と日章旗を掲げた漁船が10艘ほど係留されている。 | 鳥羽市相差町 | 1979.1.5 |
8425 | 相差の獅子舞3-2-3 | 舞い終わり、大網の浜を後にする獅子舞一行。 | 鳥羽市相差町 | 1979.1.5 |
8426 | 相差の獅子舞3-2-4 | 舞い終わり、大網の浜を後にする獅子舞一行。 | 鳥羽市相差町 | 1979.1.5 |
8427 | 相差の獅子舞3-2-5 | 舞い終わり、大網の浜を後にする獅子舞一行。 | 鳥羽市相差町 | 1979.1.5 |
8428 | 相差の獅子舞3-3-1 | 舞い終わり、大網の浜を後にする獅子舞一行。 | 鳥羽市相差町 | 1979.1.5 |
8429 | 相差の獅子舞3-3-2 | 見学者にお神酒を振る舞う大年寄会「賄役」 | 鳥羽市相差町 | 1979.1.5 |
8430 | 相差の獅子舞3-3-3 | 大網の浜でお神酒を交わす大年寄会の「賄役」。足元には大皿に盛ったナマスが置かれている。 | 鳥羽市相差町 | 1979.1.5 |
8431 | 相差の獅子舞3-3-4 | 見学者にお神酒を振る舞う大年寄会「賄役」 | 鳥羽市相差町 | 1979.1.5 |
8432 | 相差の獅子舞3-4-1 | 民宿の庭で舞う獅子。ムシロが5枚敷かれている。 | 鳥羽市相差町 | 1979.1.5 |
8433 | 相差の獅子舞3-4-2 | 民宿の庭で舞う獅子。ムシロが5枚敷かれている。 | 鳥羽市相差町 | 1979.1.5 |
8434 | 相差の獅子舞3-4-3 | 民宿の庭で舞う獅子。玄関前に御膳箱が置かれている。玄関の上り框の上に鏡餅を置き、その奥で着物姿のおばあさんが正座して獅子舞を見ている。 | 鳥羽市相差町 | 1979.1.5 |
8435 | 相差の獅子舞3-4-4 | 民宿の庭で舞う獅子。ササラを摺る天狗に導かれて激しく舞う。 | 鳥羽市相差町 | 1979.1.5 |
8436 | 相差の獅子舞3-4-5 | 太鼓打ち。その奥にチョーガン(長官)が写る。 | 鳥羽市相差町 | 1979.1.5 |
8437 | 相差の獅子舞3-4-6 | 獅子舞が終わり、大年寄会員にお茶を差し出す年配の女性。 | 鳥羽市相差町 | 1979.1.5 |
8438 | 相差の獅子舞3-5-1 | 獅子頭。後方から写す。 | 鳥羽市相差町 | 1979.1.5 |
8439 | 相差の獅子舞3-5-2 | 民家の庭で舞う獅子。ササラを摺る天狗に導かれて激しく舞う。玄関先に御膳箱を置き、その両側に御膳箱吊りが立つ。全体を見るために堤防の上から撮影。 | 鳥羽市相差町 | 1979.1.5 |
8440 | 相差の獅子舞3-5-3 | 民家の庭で舞う獅子。ササラを摺る天狗に導かれて激しく舞う。玄関先に御膳箱を置き、その両側に御膳箱吊りが立つ。 | 鳥羽市相差町 | 1979.1.5 |
8441 | 相差の獅子舞3-5-4 | 民家の庭で舞う獅子。ササラを摺る天狗に導かれて激しく舞う。玄関先に御膳箱を置き、その両側に御膳箱吊りが立つ。 | 鳥羽市相差町 | 1979.1.5 |
8442 | 相差の獅子舞3-5-5 | 民家の庭で舞う獅子。ササラを摺る天狗に導かれて激しく舞う。玄関先に御膳箱を置き、その両側に御膳箱吊りが立つ。 | 鳥羽市相差町 | 1979.1.5 |
8443 | 相差の獅子舞3-6-1 | 海女小屋にムシロを敷き、車座になってお神酒やナマスをいただきながら獅子舞い一行を待つ、カマド仲間、8人。男児も1人混じっている。カマド仲間の背後には、焚き木が写る。 | 鳥羽市相差町 | 1979.1.5 |
8444 | 相差の獅子舞3-6-2 | 海女小屋にムシロを敷き、車座になってお神酒やナマスをいただきながら獅子舞い一行を待つ、カマド仲間、8人。男児も1人混じっている。カマド仲間の背後には、焚き木が写る。 | 鳥羽市相差町 | 1979.1.5 |
8445 | 相差の獅子舞3-6-3 | 海女小屋にムシロを敷き、車座になってお神酒やナマスをいただきながら獅子舞い一行を待つ、カマド仲間。男児も1人混じっている。カマド仲間の背後には、焚き木が写る。 | 鳥羽市相差町 | 1979.1.5 |
8446 | 相差の獅子舞3-6-4 | 海女小屋にムシロを敷き、車座になってお神酒やナマスをいただきながら獅子舞い一行を待つ、カマド仲間。男児も1人混じっている。カマド仲間の背後には、焚き木が写る。 | 鳥羽市相差町 | 1979.1.5 |
8447 | 相差の獅子舞3-6-5 | 海女小屋にムシロを敷き、車座になってお神酒やナマスをいただきながら獅子舞い一行を待つ、カマド仲間。カマド仲間の背後には、焚き木が写る。 | 鳥羽市相差町 | 1979.1.5 |
8448 | 相差の獅子舞3-6-6 | 海女小屋にムシロを敷き、車座になってお神酒やナマスをいただきながら獅子舞い一行を待つ、カマド仲間。カマド仲間の背後には、焚き木が写る。 | 鳥羽市相差町 | 1979.1.5 |
8449 | 相差の獅子舞3-6-7 | 海女小屋にムシロを敷き、車座になってお神酒やナマスをいただきながら獅子舞い一行を待つ、カマド仲間。カマド仲間の背後には、焚き木が写る。 | 鳥羽市相差町 | 1979.1.5 |
8450 | 相差の獅子舞3-6-8 | 海女小屋にムシロを敷き、車座になってお神酒やナマスをいただきながら獅子舞い一行を待つ、カマド仲間。カマド仲間の背後には、焚き木が写る。 | 鳥羽市相差町 | 1979.1.5 |
8451 | 相差の獅子舞4-1-3 | 海女小屋にムシロを敷き、車座になってお神酒やナマスをいただきながら獅子舞い一行を待つ、カマド仲間。カマド仲間の背後には、焚き木が写る。 | 鳥羽市相差町 | 1979.1.5 |
8452 | 相差の獅子舞4-1-4 | 海女小屋にムシロを敷き、車座になってお神酒やナマスをいただきながら獅子舞い一行を待つ、カマド仲間。カマド仲間の背後には、焚き木が写る。 | 鳥羽市相差町 | 1979.1.5 |
8453 | 相差の獅子舞4-1-5 | 大敷網の事務所前の台に鏡餅とお神酒、ナマスを置き、ムシロを5枚敷いて獅子舞一行を待つ。 | 鳥羽市相差町 | 1979.1.5 |
8454 | 相差の獅子舞4-1-6 | 大敷網の事務所前の台に鏡餅とお神酒、ナマスを置き、ムシロを5枚敷いて獅子舞一行を待つ。 | 鳥羽市相差町 | 1979.1.5 |
8455 | 相差の獅子舞4-2-1 | 相差町内を移動する獅子舞一行。 | 鳥羽市相差町 | 1979.1.5 |
8456 | 相差の獅子舞4-2-2 | 相差町内を移動する獅子舞一行。 | 鳥羽市相差町 | 1979.1.5 |
8457 | 相差の獅子舞4-2-3 | 千鳥ヶ浜堤防の上に積み上げられたアラメ。流木や廃材を地面に直接格子に組んで土台にし、乾燥したアラメを足で踏み固めながら積み上げ、雨に濡れないようにワラで作ったボウシをかぶせた。当時組の出合い作業で、一軒に2人ほど出てアラメを刈った。入札で業者が決まると山を崩しながらモッコで運び、棒秤で目方を計った。組の収入となった。 | 鳥羽市相差町 | 1979.1.5 |
8458 | 相差の獅子舞4-2-4 | 民宿での獅子舞の様子。ササラを持った天狗が大きく写る。 | 鳥羽市相差町 | 1979.1.5 |
8459 | 相差の獅子舞4-2-5 | 民宿での獅子舞の様子。ササラを持った天狗に導かれて舞う獅子。 | 鳥羽市相差町 | 1979.1.5 |
8460 | 相差の獅子舞4-2-6 | 民宿での獅子舞の様子。ササラを持った天狗に導かれて舞う獅子。 | 鳥羽市相差町 | 1979.1.5 |
8461 | 相差の獅子舞4-3-1 | 民宿での獅子舞の様子。ササラを持った天狗に導かれて舞う獅子。 | 鳥羽市相差町 | 1979.1.5 |
8462 | 相差の獅子舞4-3-2 | 民宿での獅子舞の様子。ササラを持った天狗に導かれて舞う獅子。 | 鳥羽市相差町 | 1979.1.5 |
8463 | 相差の獅子舞4-3-3 | 民宿での獅子舞の様子。ササラを持った天狗に導かれて舞う獅子。 | 鳥羽市相差町 | 1979.1.5 |
8464 | 相差の獅子舞4-4-1 | 玄関で民宿の主人からお神酒をいただく長官(ちょうがん)。 | 鳥羽市相差町 | 1979.1.5 |
8465 | 相差の獅子舞4-4-2 | 民家での獅子舞の様子。ササラを持った天狗に導かれて舞う獅子。 | 鳥羽市相差町 | 1979.1.5 |
8466 | 相差の獅子舞4-4-3 | 民家での獅子舞の様子。ササラを持った天狗に導かれて舞う獅子。 | 鳥羽市相差町 | 1979.1.5 |
8467 | 相差の獅子舞4-5-1 | 疲れた天狗役の子どもをおぶって歩く男性。 | 鳥羽市相差町 | 1979.1.5 |
8468 | 相差の獅子舞4-5-2 | 民家での獅子舞の様子。ササラを持った天狗に導かれて舞う獅子。 | 鳥羽市相差町 | 1979.1.5 |
8469 | 相差の獅子舞4-5-3 | 民家の正月飾り。 | 鳥羽市相差町 | 1979.1.5 |
8470 | 相差の獅子舞4-6-1 | 相差町内を移動する獅子舞一行。 | 鳥羽市相差町 | 1979.1.5 |
8471 | 相差の獅子舞4-6-2 | 相差町内を移動する獅子舞一行。 | 鳥羽市相差町 | 1979.1.5 |
8472 | 相差の獅子舞4-6-3 | 相差町内を移動する獅子舞一行。 | 鳥羽市相差町 | 1979.1.5 |
8473 | 相差の獅子舞4-6-4 | 相差町内を移動する獅子舞一行。 | 鳥羽市相差町 | 1979.1.5 |
8474 | 相差の獅子舞4-6-5 | 相差町内を移動する獅子舞一行。 | 鳥羽市相差町 | 1979.1.5 |
8475 | 相差の獅子舞4-6-6 | 民宿での獅子舞の様子。ササラを持った天狗に導かれて舞う獅子。 | 鳥羽市相差町 | 1979.1.5 |
8476 | 相差・千賀・堅子5-1-1 | アルバムのデータ記載欄には「63.1.6 相差」「モノミ松遺跡」と記される。 | 鳥羽市相差町 | 1988.1.6 |
8477 | 相差・千賀・堅子5-1-2 | アルバムのデータ記載欄には「63.1.6 相差」「モノミ松遺跡」と記される。 | 鳥羽市相差町 | 1988.1.6 |
8478 | 相差・千賀・堅子5-1-3 | アルバムのデータ記載欄には「63.1.6 相差」「モノミ松遺跡」と記される。 | 鳥羽市相差町 | 1988.1.6 |
8479 | 相差・千賀・堅子5-2-1 | アルバムのデータ記載欄には「63.1.6 相差」「物見松のあった場所を指さす伊藤里美氏」と記される。 | 鳥羽市相差町 | 1988.1.6 |
8480 | 相差・千賀・堅子5-2-2 | №8479の伊藤里美氏。アルバムのデータ記載欄には「63.1.6 相差」「モノミ松のあった場所 8帖敷もあったという」と記される。 | 鳥羽市相差町 | 1988.1.6 |
8481 | 相差・千賀・堅子5-2-3 | №8479の伊藤里美氏。アルバムのデータ記載欄には「63.1.6 相差」と記される。 | 鳥羽市相差町 | 1988.1.6 |
8482 | 相差・千賀・堅子5-2-4 | 出土物。アルバムのデータ記載欄には「63.1.6 相差」「遺跡物」と記される。 | 鳥羽市相差町 | 1988.1.6 |
8483 | 相差・千賀・堅子5-2-5 | №8482と同じ画像。アルバムのデータ記載欄には「63.1.6 相差」と記される。 | 鳥羽市相差町 | 1988.1.6 |
8484 | 相差・千賀・堅子5-2-6 | №8482と同じ画像。アルバムのデータ記載欄には「63.1.6 相差」と記される。 | 鳥羽市相差町 | 1988.1.6 |
8485 | 相差・千賀・堅子5-3-1 | アルバムのデータ記載欄には「63.1.6 相差」「出土物のアワビ貝」と記される。 | 鳥羽市相差町 | 1988.1.6 |
8486 | 相差・千賀・堅子5-3-2 | 千鳥ヶ浜から物見松へ上がっていく途中の道。大田食堂看板が立ち「お食事と冷たいのみもの 中華麺 自家製造直売」と書かれている。アルバムのデータ記載欄には「63.1.6 相差」と記される。 | 鳥羽市相差町 | 1988.1.6 |
8487 | 相差・千賀・堅子5-3-3 | アルバムのデータ記載欄には「63.1.6 相差」「堤防工事の際 壺と古銭、石斧、人骨も出たという→地点」と記される。写真にはその地点を表す→が記される。 | 鳥羽市相差町 | 1988.1.6 |
8488 | 相差・千賀・堅子5-3-4 | 相差の海岸全景。アルバムのデータ記載欄には「63.1.6 相差」と記される。 | 鳥羽市相差町 | 1988.1.6 |
8489 | 相差・千賀・堅子5-3-5 | 相差の海岸全景。アルバムのデータ記載欄には「63.1.6 相差」と記される。 | 鳥羽市相差町 | 1988.1.6 |
8490 | 相差・千賀・堅子5-3-6 | アルバムのデータ記載欄には「63.1.6 相差」「相差の〆縄飾り」と記される。 | 鳥羽市相差町 | 1988.1.6 |
8491 | 相差・千賀・堅子5-4-1 | アルバムのデータ記載欄には「63.1.6 相差」「モノミ松出土の石錘」と記される。 | 鳥羽市相差町 | 1988.1.6 |
8492 | 相差・千賀・堅子5-4-2 | モノミ松出土の石錘。アルバムのデータ記載欄には「63.1.6 相差」と記される。 | 鳥羽市相差町 | 1988.1.6 |
8493 | 相差・千賀・堅子5-4-3 | モノミ松出土の石錘。アルバムのデータ記載欄には「63.1.6 相差」と記される。 | 鳥羽市相差町 | 1988.1.6 |
8494 | 相差・千賀・堅子5-4-4 | モノミ松出土の土器破片。アルバムのデータ記載欄には「63.1.6 相差」「他の出土物」と記される。 | 鳥羽市相差町 | 1988.1.6 |
8495 | 相差・千賀・堅子5-4-5 | モノミ松出土の土器破片。アルバムのデータ記載欄には「63.1.6 相差」と記される。 | 鳥羽市相差町 | 1988.1.6 |
8496 | 相差・千賀・堅子5-4-6 | モノミ松出土の破片。アルバムのデータ記載欄には「63.1.6 相差」「瓦一部(伊藤宅)出土」と記される。 | 鳥羽市相差町 | 1988.1.6 |
8497 | 相差・千賀・堅子5-5-1 | アルバムのデータ記載欄には「63.1.6 相差」「モノミの松の根より作った置物」と記される。 | 鳥羽市相差町 | 1988.1.6 |
8498 | 相差・千賀・堅子5-5-2 | 相差の海岸全景。アルバムのデータ記載欄には「63.1.6 相差」「↓その半島」と記される。 | 鳥羽市相差町 | 1988.1.6 |
8499 | 相差・千賀・堅子5-5-3 | アルバムのデータ記載欄には「63.1.6 相差」「モノミ松がある半島」と記される。 | 鳥羽市相差町 | 1988.1.6 |
8500 | 相差・千賀・堅子5-5-4 | 鯨崎の入り口にある「十一面観音発祥」の碑。昭和52(1977)年、鳥羽市相差老人倶楽部建立。アルバムのデータ記載欄には「63.1.6 相差」「青峰山11面観音が流れついた碑」と記される。 | 鳥羽市相差町 | 1988.1.6 |
8501 | 相差・千賀・堅子5-5-5 | スライド枠には「63.1.6 相差」「横の海難死者の地蔵」と記される。 | 鳥羽市相差町 | 1988.1.6 |
8502 | 相差・千賀・堅子5-5-6 | 鯨崎の入り口にある「十一面観音発祥」の碑。昭和52(1977)年、鳥羽市相差老人倶楽部建立。アルバムのデータ記載欄には「63.1.6 相差」「碑文」と記される。 | 鳥羽市相差町 | 1988.1.6 |
8503 | 相差・千賀・堅子5-6-1 | 鯨崎の入り口にある「十一面観音発祥」の碑。昭和52(1977)年、鳥羽市相差老人倶楽部建立。アルバムのデータ記載欄には「63.1.6 相差」「碑と鯨岩」と記される。 | 鳥羽市相差町 | 1988.1.6 |
8504 | 相差・千賀・堅子5-6-2 | 「十一面観音発祥」の碑の前に広がる海。アルバムのデータ記載欄には「63.1.6 相差」「白い波の所が鯨岩」と記される。 | 鳥羽市相差町 | 1988.1.6 |
8505 | 相差・千賀・堅子5-6-3 | 八幡社の祠。八幡カマドの近くにある。アルバムのデータ記載欄には「63.1.6 相差」「鯨崎突端の金毘羅宮」と記される。 | 鳥羽市相差町 | 1988.1.6 |
8506 | 相差・千賀・堅子5-6-4 | 相差の街並み遠景。アルバムのデータ記載欄には「63.1.6 相差」「相差人家」と記される。 | 鳥羽市相差町 | 1988.1.6 |
8507 | 相差・千賀・堅子5-6-5 | 的矢湾と千鳥ヶ浜の中間に位置する鯨崎。アルバムのデータ記載欄には「63.1.6 相差」「鯨崎」と記される。 | 鳥羽市相差町 | 1988.1.6 |
8508 | 相差・千賀・堅子5-7-1 | 相差の田園風景。アルバムのデータ記載欄には「相差63.6.25」「だんだらぼし」と記載される。 | 鳥羽市相差町 | 1988.6.25 |
8509 | 相差・千賀・堅子5-7-2 | 『三重のむかし話』116ページ(三重県小学校国語教育研究会編、日本標準発行、1978年)によると、相差から波切へダンダラボシがひとまたぎしようとしたという伝承がある。写真には「6/21」と書き込まれる。アルバムのデータ記載欄には「63.1.6 相差」「だんだらほし」と記される。 | 鳥羽市相差町 | 1988.6.25 |
8510 | 相差・千賀・堅子5-7-3 | アルバムのデータ記載欄には「だんだらほし」と記される。 | 鳥羽市相差町 | 1988.6.25 |
8511 | 相差・千賀・堅子5-7-4 | 茅原遺跡遠景。水田に開墾したのは、五桂(多気町)から移住した人たちと伝えられ、開墾した北側の崖に古墳がある。アルバムのデータ記載欄には「相差63.6.25」「カヤハラ」と記される。 | 鳥羽市相差町 | 1988.6.25 |
8512 | 相差・千賀・堅子5-7-5 | 茅原遺跡遠景。水田に開墾したのは、五桂(多気町)から移住した人たちと伝えられ、開墾した北側の崖に古墳がある。アルバムのデータ記載欄には「相差63.6.25」「カヤハラ」と記される。 | 鳥羽市相差町 | 1988.6.25 |
8513 | 相差・千賀・堅子5-7-6 | 茅原遺跡遠景。水田に開墾したのは、五桂(多気町)から移住した人たちと伝えられ、開墾した北側の崖に古墳がある。アルバムのデータ記載欄には「相差63.6.25」「カヤハラ」と記される。 | 鳥羽市相差町 | 1988.6.25 |
8514 | 相差・千賀・堅子6-1-1 | 宝栄丸の大梶。宝栄丸は大西楠松(堅子町)の運送船で、昭和14年に四国沖で遭難した。現在はB棟、廻船コーナーに展示されている。寄贈に至る詳細は展示室キャプションに記載されている。アルバムのデータ記載欄には「63.6.6 堅子」「廻船の梶」と記される。 | 鳥羽市堅子町 | 1988.6.6 |
8515 | 相差・千賀・堅子6-1-2 | №8514と同じ画像。アルバムのデータ記載欄には「63.6.6 堅子」と記される。 | 鳥羽市堅子町 | 1988.6.6 |
8516 | 相差・千賀・堅子6-1-3 | アルバムのデータ記載欄には「63.6.6 堅子」「エビスさんの鬼瓦」と記される。 | 鳥羽市堅子町 | 1988.6.6 |
8517 | 相差・千賀・堅子6-1-4 | アルバムのデータ記載欄には「63.6.6 堅子」「千賀堺 日和見をした高台」と記される。 | 鳥羽市堅子町 | 1988.6.6 |
8518 | 相差・千賀・堅子6-2-1 | 縄文「茅原遺跡」(相差町茅原)。凹石(洗米石)、石錘出土している。(『鳥羽市史』上巻)アルバムのデータ記載欄には「相差 カヤハラ 63.6.21」と記される。 | 鳥羽市相差町 | 1988.6.21 |
8519 | 相差・千賀・堅子6-2-2 | 縄文「茅原遺跡」(相差町茅原)。凹石、石錘出土している。(『鳥羽市史』上巻)アルバムのデータ記載欄には「相差 カヤハラ 63.6.21」と記される。 | 鳥羽市相差町 | 1988.6.21 |
8520 | 相差・千賀・堅子6-2-3 | 相差の田園風景。アルバムのデータ記載欄には「相差 釜入道」と記される。 | 鳥羽市相差町 | 1988.6.21 |
8521 | 相差・千賀・堅子6-2-4 | 相差の田園風景。アルバムのデータ記載欄には「相差 釜入道」と記される。 | 鳥羽市相差町 | 1988.6.21 |
8522 | 相差・千賀・堅子6-3-1 | 鯨崎の入り口にある「十一面観音発祥」の碑。昭和52(1977)年、鳥羽市相差老人倶楽部建立。石碑。 | 鳥羽市相差町 | 1988.6.21 |
8523 | 相差・千賀・堅子6-3-2 | 戦国時代の遺跡、物見松。アルバムのデータ記載欄には「相差 物見松」と記される。 | 鳥羽市相差町 | 1988.6.21 |
8524 | 相差・千賀・堅子6-3-3 | 戦国時代の遺跡、物見松。 | 鳥羽市相差町 | 1988.6.21 |
8525 | 相差・千賀・堅子6-3-4 | 戦国時代の遺跡、物見松。 | 鳥羽市相差町 | 1988.6.21 |
8526 | 相差・千賀・堅子6-3-5 | アルバムのデータ記載欄には「千賀向」と記される。 | 鳥羽市相差町 | 1988.6.21 |
8527 | 相差・千賀・堅子6-3-6 | アルバムのデータ記載欄には「千賀向」と記される。 | 鳥羽市相差町 | 1988.6.21 |
8528 | 相差・千賀・堅子6-4-1 | 千賀向の湾。 | 鳥羽市相差町 | 1988.6.21 |
8529 | 相差・千賀・堅子6-4-2 | 千賀向。 | 鳥羽市相差町 | 1988.6.21 |
8530 | 相差・千賀・堅子6-4-3 | 千賀村の坂道。アルバムのデータ記載欄には「千賀村」と記される。 | 鳥羽市相差町 | 1988.6.21 |
8531 | 相差・千賀・堅子6-4-4 | アルバムのデータ記載欄には「ウシヨリ浜」と記される。 | 鳥羽市相差町 | 1988.6.21 |
8532 | 相差・千賀・堅子6-5-1 | アルバムのデータ記載欄には「63.10.24 堅子 花崎富夫」と記される。 | 鳥羽市堅子町 | 1988.10.24 |
8533 | 相差・千賀・堅子6-5-2 | アルバムのデータ記載欄には「63.10.24 堅子 花崎富夫」と記される。 | 鳥羽市堅子町 | 1988.10.24 |
8534 | 相差・千賀・堅子6-5-3 | アルバムのデータ記載欄には「63.10.24 堅子 花崎富夫」と記される。 | 鳥羽市堅子町 | 1988.10.24 |
8535 | 相差・千賀・堅子7-1-1 | 相差の獅子舞。礼をする長官(ちょうがん)と獅子を背後から撮影。「アルバムのデータ記載欄には「S54.1.5 相差 獅子」と記される。 | 鳥羽市相差町 | 1979.1.5 |
8536 | 相差・千賀・堅子7-1-2 | 獅子舞が終わり、家の主人から祝儀、お神酒等をいただく長官(ちょうがん)の後ろ姿。アルバムのデータ記載欄には「S54.1.5 相差 獅子」と記される。 | 鳥羽市相差町 | 1979.1.5 |
8537 | 相差・千賀・堅子7-1-3 | 長官(ちょうがん)からの返杯を受ける家の主人。アルバムのデータ記載欄には「S54.1.5 相差 獅子」と記される。 | 鳥羽市相差町 | 1979.1.5 |
8538 | 相差・千賀・堅子7-1-4 | 長官(ちょうがん)からの返杯を受ける家の主人。アルバムのデータ記載欄には「S54.1.5 相差 獅子」と記される。 | 鳥羽市相差町 | 1979.1.5 |
8539 | 相差・千賀・堅子7-1-5 | 相差町内を移動する獅子舞一行。アルバムのデータ記載欄には「S54.1.5 相差 獅子」と記される。 | 鳥羽市相差町 | 1979.1.5 |
8540 | 相差・千賀・堅子7-1-6 | 相差町内を移動する獅子舞一行。アルバムのデータ記載欄には「S54.1.5 相差 獅子」と記される。 | 鳥羽市相差町 | 1979.1.5 |
8541 | 相差・千賀・堅子7-2-1 | アルバムのデータ記載欄には「平元1.13 大年寄所蔵の大般若札版木」と記される。 | 鳥羽市相差町 | 1989.1.13 |
8542 | 相差・千賀・堅子7-2-2 | アルバムのデータ記載欄には「平元1.13 大年寄所蔵の大般若札版木」と記される。 | 鳥羽市相差町 | 1989.1.13 |
8543 | 相差・千賀・堅子7-3-1 | アルバムのデータ記載欄には「牛玉宝印版木」と記される。 | 鳥羽市相差町 | 1979.1.5 |
8544 | 相差・千賀・堅子7-3-2 | アルバムのデータ記載欄には「扇子」と記される。 | 鳥羽市相差町 | 1979.1.5 |
8545 | 相差・千賀・堅子7-3-3 | 「正月十四日迄居〇此年大漁凡三百両水揚長官…」アルバムのデータ記載欄には「嘉永七年津波記録文書」と記される。 | 鳥羽市相差町 | 1979.1.5 |
8546 | 相差・千賀・堅子7-3-4 | アルバムのデータ記載欄には「延享2年(1745)(御神事諸事覚帳)」と記される。 | 鳥羽市相差町 | 1979.1.5 |
8547 | 相差・千賀・堅子7-3-5 | アルバムのデータ記載欄には「1/6に配布される午の札」と記される。 | 鳥羽市相差町 | 1979.1.5 |
8548 | 相差・千賀・堅子7-3-6 | アルバムのデータ記載欄には「1/6に配布される午の札」と記される。 | 鳥羽市相差町 | 1979.1.5 |
8549 | 相差・千賀・堅子8-1-1 | アルバムのデータ記載欄には「91.3.24 千賀村」「共同墓地の千賀氏の墓」と記される。 | 鳥羽市千賀町 | 1991.3.24 |
8550 | 相差・千賀・堅子8-1-2 | アルバムのデータ記載欄には「キリシタン高札」と記される。 | 鳥羽市千賀町 | 1991.3.24 |
8551 | 相差・千賀・堅子8-1-3 | シロウオ(ハゼ科)の四ツ手網漁。 | 鳥羽市千賀町 | 1991.3.24 |
8552 | 相差・千賀・堅子8-1-4 | アルバムのデータ記載欄には「シロウオ(ハゼ科)の四ツ手網漁」と記される。 | 鳥羽市千賀町 | 1991.3.24 |
8553 | 相差・千賀・堅子8-1-5 | アルバムのデータ記載欄には「シロウオ(ハゼ科)の四ツ手網漁」と記される。 | 鳥羽市千賀町 | 1991.3.24 |
8554 | 石鏡入り渡しの神事1-1 | 入り渡しの神事とは、石鏡神社の舞台前で行われた祷人の新旧の引継ぎの行事で、この日からが新年とされた。現在は行われていない。写真は石鏡神社鳥居。2旒の日章旗が交差して取り付けられている。スライド枠には「2.1.3」の印が捺される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.1.3 |
8555 | 石鏡入り渡しの神事1-2 | 石鏡神社鳥居。2旒の日章旗が交差して取り付けられている。スライド枠には「2.1.3」の印が捺される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.1.3 |
8556 | 石鏡入り渡しの神事1-3 | 大漁と書かれた高張提灯とかけの魚を手に古祷人の家に向かう新祷人。紺の着物の上に裃を着け、赤色のハチマキを巻いている。古祷人は紺色のハチマキを巻く。スライド枠には「2.1.3」の印が捺される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.1.3 |
8557 | 石鏡入り渡しの神事1-4 | 大漁と書かれた高張提灯とかけの魚を手に古祷人の家に向かう新祷人。紺の着物の上に裃を着け、赤色のハチマキを巻いている。古祷人は紺色のハチマキを巻く。スライド枠には「2.1.3」の印が捺される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.1.3 |
8558 | 石鏡入り渡しの神事1-5 | 大漁と書かれた高張提灯とかけの魚を手に古祷人の家に向かう新祷人の後ろ姿。紺の着物の上に裃を着け、赤色のハチマキを巻いている。スライド枠には「2.1.3」の印が捺される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.1.3 |
8559 | 石鏡入り渡しの神事1-6 | 大漁と書かれた高張提灯とかけの魚を手に古祷人の家に向かう新祷人の後ろ姿。紺の着物の上に裃を着け、赤色のハチマキを巻いている。スライド枠には「2.1.3」の印が捺される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.1.3 |
8560 | 石鏡入り渡しの神事1-7 | 古祷人の家に到着した新祷人。後ろ姿。紺の着物の上に裃を着け、赤色のハチマキを巻いている。スライド枠には「2.1.3」の印が捺される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.1.3 |
8561 | 石鏡入り渡しの神事1-8 | 床の間。大漁と書かれた高張提灯と伊勢エビをのせた鏡もちが供えられている。スライド枠には「2.1.3」の印が捺される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.1.3 |
8562 | 石鏡入り渡しの神事1-9 | 玄関に掛けられた注連縄。「蘇民将来子孫門・七福即生・七難即滅」の木札、紙垂、ヒイラギ、松、ダイダイ、ウラジロ、椎、アセビ、イワシ、串柿が付けられている。スライド枠には「2.1.3」の印が捺される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.1.3 |
8563 | 石鏡入り渡しの神事1-10 | 玄関に掛けられた注連縄。「蘇民将来子孫門・七福即生・七難即滅」の木札、紙垂、ヒイラギ、松、ダイダイ、ウラジロ、椎、アセビ、イワシ、串柿が付けられている。スライド枠には「2.1.3」の印が捺される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.1.3 |
8564 | 石鏡入り渡しの神事1-11 | 床の間に掛けられた注連縄。スライド枠には「2.1.3」の印が捺される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.1.3 |
8565 | 石鏡入り渡しの神事1-12 | 勝手場の柱に貼られた「奉商業繁盛祈願」のお札。その上にワラ縄でくくられたアラクサが掛けられている。鳥羽・志摩地方では、大晦日の夜や節分に豆まきをする。その豆炒りの時、先を削った木にイワシを刺して、パチパチと音を立て火であぶるが、その音と臭気で邪気を払うとされている。これを一般的に「アラクサ」と呼び、魔よけとして玄関に刺しておく風習がある。スライド枠には「2.1.3」の印が捺される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.1.3 |
8566 | 石鏡入り渡しの神事1-13 | 勝手場の柱に貼られた「奉商業繁盛祈願」のお札。その上にワラ縄でくくられたアラクサが掛けられている。鳥羽・志摩地方では、大晦日の夜や節分に豆まきをする。その豆炒りの時、先を削った木にイワシを刺して、パチパチと音を立て火であぶるが、その音と臭気で邪気を払うとされている。これを一般的に「アラクサ」と呼び、魔よけとして玄関に刺しておく風習がある。スライド枠には「2.1.3」の印が捺される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.1.3 |
8567 | 石鏡入り渡しの神事1-14 | 勝手場の柱の釘に掛けられた掛けの魚。その上にスライド枠には「2.1.3」の印が捺される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.1.3 |
8568 | 石鏡入り渡しの神事1-15 | 勝手場の柱の釘に掛けられた腹合わせのボラの掛けの魚。その上にスライド枠には「2.1.3」の印が捺される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.1.3 |
8569 | 石鏡入り渡しの神事1-16 | 勝手場の柱に貼られた「奉商業繁盛祈願」のお札。その上にワラ縄でくくられたアラクサが掛けられている。鳥羽・志摩地方では、大晦日の夜や節分に豆まきをする。その豆炒りの時、先を削った木にイワシを刺して、パチパチと音を立て火であぶるが、その音と臭気で邪気を払うとされている。これを一般的に「アラクサ」と呼び、魔よけとして玄関に刺しておく風習がある。スライド枠には「2.1.3」の印が捺される。№8565とほぼ同じアングル。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.1.3 |
8570 | 石鏡入り渡しの神事1-17 | 裃に着替える新祷人。赤色のハチマキを巻いている。スライド枠には「2.1.3」の印が捺される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.1.3 |
8571 | 石鏡入り渡しの神事2-1 | 奥さんに手伝ってもらいながら裃に着替える満面笑顔の新祷人。スライド枠には「2.1.3」の印が捺される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.1.3 |
8572 | 石鏡入り渡しの神事2-2 | 奥さんに手伝ってもらいながら裃に着替える新祷人と古祷人。スライド枠には「2.1.3」の印が捺される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.1.3 |
8573 | 石鏡入り渡しの神事2-3 | 奥さんに手伝ってもらいながら裃に着替える新祷人と古祷人。スライド枠には「2.1.3」の印が捺される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.1.3 |
8574 | 石鏡入り渡しの神事2-4 | 裃に着替える新祷人。№8571と同一人物。スライド枠には「2.1.3」の印が捺される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.1.3 |
8575 | 石鏡入り渡しの神事2-5 | 裃姿の新祷人と古祷人。後ろ姿。スライド枠には「2.1.3」の印が捺される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.1.3 |
8576 | 石鏡入り渡しの神事2-6 | 神事の前に境内で火に当たりながら談笑する裃姿の新祷人と古祷人。スライド枠には「2.1.3」の印が捺される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.1.3 |
8577 | 石鏡入り渡しの神事2-7 | 神事の前に境内で火に当たりながら談笑する裃姿の新祷人と古祷人。スライド枠には「2.1.3」の印が捺される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.1.3 |
8578 | 石鏡入り渡しの神事2-8 | 老人三献盃の様子。石鏡神社の舞台前で祷人のもてなしを受ける5人年寄の内の2人。スライド枠には「2.1.3」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.1.3 |
8579 | 石鏡入り渡しの神事2-9 | 老人三献盃の様子。石鏡神社の舞台前で祷人のもてなしを受ける5人年寄の内の2人。スライド枠には「2.1.3」「三献盃」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.1.3 |
8580 | 石鏡入り渡しの神事2-10 | 老人三献盃の様子。石鏡神社の舞台前で祷人のもてなしを受ける5人年寄の内の2人。スライド枠には「2.1.3」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.1.3 |
8581 | 石鏡入り渡しの神事2-11 | 若水迎え。掛け合いの声を発しながらひしゃくからひしゃくへ水を入れる5人年寄の内の2人。その様子を正座して見守る3人の古祷人。スライド枠には「2.1.3」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.1.3 |
8582 | 石鏡入り渡しの神事2-12 | 若水迎え。掛け合いの声を発しながらひしゃくからひしゃくへ水を入れる5人年寄の内の2人。その様子を正座して見守る3人の古祷人。スライド枠には「2.1.3」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.1.3 |
8583 | 石鏡入り渡しの神事2-13 | 若水迎え。桶を持って歩く年寄。古祷、新祷、古祷、新祷の順に座ったままの祷人たち一人ずつに、若水を捧げていく。年寄が桶を顔の前に持っていくと、祷人たちは頭を下げて拝み、「天下泰平、村方安全、五穀豊穣、大漁四合せよし」という。スライド枠には「2.1.3」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.1.3 |
8584 | 石鏡入り渡しの神事2-14 | 松葉。松葉を束ねた白包みを取り出し、一人ずつ祷人の前にさし出して拝ませていく。この包みを松葉と呼び、八幡社の松葉を意味しているという。スライド枠には「2.1.3」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.1.3 |
8585 | 石鏡入り渡しの神事3-1 | 新旧の祷人が交互に並んで一斉に矢を射る。スライド枠には「2.1.3」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.1.3 |
8586 | 石鏡入り渡しの神事3-2 | 新旧の祷人が交互に並んで一斉に矢を射る。2本目の矢では「大漁じゃー」という大声が出される。スライド枠には「2.1.3」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.1.3 |
8587 | 石鏡入り渡しの神事3-3 | 新旧の祷人が交互に並んで一斉に矢を射る。2本目の矢では「大漁じゃー」という大声が出される。スライド枠には「2.1.3」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.1.3 |
8588 | 石鏡入り渡しの神事3-4 | 新旧の祷人が交互に並んで一斉に矢を射る。2本目の矢では「大漁じゃー」という大声が出される。スライド枠には「2.1.3」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.1.3 |
8589 | 石鏡入り渡しの神事3-5 | 弓引きの後、新旧の祷人が向かい合って座り、お神酒をいただく。スライド枠には「2.1.3」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.1.3 |
8590 | 石鏡入り渡しの神事3-6 | 弓引きの後、新旧の祷人が向かい合って座り、お神酒をいただく。スライド枠には「2.1.3」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.1.3 |
8591 | 石鏡入り渡しの神事3-7 | 弓引きの後、新旧の祷人が向かい合って座り、お神酒をいただく。スライド枠には「2.1.3」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.1.3 |
8592 | 石鏡入り渡しの神事3-8 | 弓引きの後、新旧の祷人が向かい合って座り、お神酒をいただく。スライド枠には「2.1.3」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.1.3 |
8593 | 石鏡入り渡しの神事3-9 | 弓引きの後、新旧の祷人が向かい合って座り、お神酒をいただく。スライド枠には「2.1.3」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.1.3 |
8594 | 石鏡入り渡しの神事3-10 | 弓引きの後、新旧の祷人が向かい合って座り、お神酒をいただく。スライド枠には「2.1.3」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.1.3 |
8595 | 石鏡入り渡しの神事3-11 | 仰ぎ渡し。その後、新旧の祷人が向かいあったまま、古祷人が着物の襟に手をあて「ホオー」という声とともに扇で扇ぎ出し、新祷人が扇で呼び込む所作をする。スライド枠には「2.1.3」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.1.3 |
8596 | 石鏡入り渡しの神事3-12 | 的の前の矢を集める新祷人。的は藁を燃やした灰とフノリを混ぜた墨で描いた。スライド枠には「2.1.3」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.1.3 |
8597 | 石鏡入り渡しの神事3-13 | 右手に弓張提灯、左手に腹合わせのボラの掛けの魚を持つ新祷人。背後ではほかの新祷人が的を片づけている。スライド枠には「2.1.3」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.1.3 |
8598 | 石鏡入り渡しの神事3-14 | 石の上に置かれた折敷に入れたスイギリ物(生の大根をスライスし、六角形に切ったもの)、10本の矢。スライド枠には「2.1.3」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.1.3 |
8599 | 石鏡入り渡しの神事3-15 | 石の上に置かれた弓張提灯、折敷に入れたスイギリ物(生の大根をスライスし、六角形に切ったもの)、10本の矢。スライド枠には「2.1.3」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.1.3 |
8600 | 石鏡入り渡しの神事4-1 | 石鏡神社の舞台前で的を作る新祷人。祷人は、常に腰に荒縄の注連縄を付けて作業をする。的のソー木(骨組み)に紙を貼る様子。傍らで5人年寄の内の2人が見守る。スライド枠には「石鏡2.1.3 イリワタシ」「2.1.3 石鏡」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.1.3 |
8601 | 石鏡入り渡しの神事4-2 | 石鏡神社の舞台前で的を作る新祷人。祷人は、常に腰に荒縄の注連縄を付けて作業をする。的のソー木(骨組み)に紙を貼る様子。傍らで5人年寄の内の2人が見守る。スライド枠には「石鏡2.1.3 イリワタシ」「2.1.3 石鏡」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.1.3 |
8602 | 石鏡入り渡しの神事4-3 | 石鏡神社の舞台前で的を作る新祷人。祷人は、常に腰に荒縄の注連縄を付けて作業をする。的のソー木(骨組み)に紙を貼る様子。傍らで5人年寄の内の2人が見守る。スライド枠には「石鏡2.1.3 イリワタシ」「2.1.3 石鏡」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.1.3 |
8603 | 石鏡入り渡しの神事4-4 | 石鏡神社の舞台前で的を作る新祷人。祷人は、常に腰に荒縄の注連縄を付けて作業をする。的のソー木(骨組み)に紙を貼る様子。傍らで5人年寄の内の2人が見守る。スライド枠には「石鏡2.1.3 イリワタシ」「2.1.3 石鏡」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.1.3 |
8604 | 石鏡入り渡しの神事4-5 | 石鏡神社の舞台前で的を作る新祷人。祷人は、常に腰に荒縄の注連縄を付けて作業をする。的のソー木(骨組み)に紙を貼る様子。傍らで5人年寄の内の2人が見守る。スライド枠には「石鏡2.1.3 イリワタシ」「2.1.3 石鏡」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.1.3 |
8605 | 石鏡入り渡しの神事4-6 | 的を描く墨に藁を燃やした灰とフノリを混ぜる新祷人、2人の年寄が指導をする。スライド枠には「石鏡2.1.3 イリワタシ」「2.1.3 石鏡」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.1.3 |
8606 | 石鏡入り渡しの神事4-7 | 的の中央に墨で大きな黒丸を描く新祷人。スライド枠には「石鏡2.1.3 イリワタシ」「2.1.3 石鏡」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.1.3 |
8607 | 石鏡入り渡しの神事4-8 | 的の中央に墨で大きな黒丸を描く新祷人。スライド枠には「石鏡2.1.3 イリワタシ」「2.1.3 石鏡」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.1.3 |
8608 | 石鏡入り渡しの神事4-9 | 的の中央に墨で大きな黒丸を描く新祷人。スライド枠には「石鏡2.1.3 イリワタシ」「2.1.3 石鏡」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.1.3 |
8609 | 石鏡入り渡しの神事4-10 | 中央に黒丸を描き、二重の四角で囲む。完成間際の的。スライド枠には「石鏡2.1.3 イリワタシ」「2.1.3 石鏡」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.1.3 |
8610 | 石鏡入り渡しの神事4-11 | 神事の確認をしているのだろうか、古文書を見る年寄の1人。スライド枠には「石鏡2.1.3 イリワタシ」「2.1.3 石鏡」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.1.3 |
8611 | 石鏡入り渡しの神事4-12 | 的が出来上がると、三合松で裏と表からはさみ込み、舞台前に立てかける。スライド枠には「石鏡2.1.3 イリワタシ」「2.1.3 石鏡」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.1.3 |
8612 | 石鏡入り渡しの神事5-1 | 2人の年寄の検分を受けながら、舞台正面に的を立て掛ける。スライド枠には「石鏡 2.1.3」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.1.3 |
8613 | 石鏡入り渡しの神事5-2 | 的の左側に腹合わせのボラの掛けの魚をぶら下げる。スライド枠には「石鏡 2.1.3」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.1.3 |
8614 | 石鏡入り渡しの神事5-3 | 的にぶら下げられた腹合わせのボラの掛けの魚。スライド枠には「石鏡 2.1.3」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.1.3 |
8615 | 石鏡入り渡しの神事5-4 | 完成した的。右側に大漁と書かれた弓張提灯がぶら下げられている。スライド枠には「石鏡 2.1.3」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.1.3 |
8616 | 石鏡入り渡しの神事5-5 | ぶら下げられた掛けの魚のアップ。スライド枠には「石鏡 2.1.3」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.1.3 |
8617 | 石鏡入り渡しの神事5-6 | 地面に置かれた折敷に入れたスイギリ物(生の大根をスライスし、六角形に切ったもの)、ナマス、箸。スライド枠には「石鏡 2.1.3」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.1.3 |
8618 | 石鏡入り渡しの神事5-7 | 弓の準備をする、新祷人。スライド枠には「石鏡 2.1.3」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.1.3 |
8619 | 石鏡入り渡しの神事5-8 | 舞台前に的を立て、1人の年寄の検分を受ける新祷人2人。スライド枠には「石鏡 2.1.3」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.1.3 |
8620 | 石鏡入り渡しの神事5-9 | 弓の準備をする新祷人2人。スライド枠には「2.1.3」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.1.3 |
8621 | 石鏡入り渡しの神事5-10 | 弓の準備をする新祷人2人。スライド枠には「石鏡 2.1.3」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.1.3 |
8622 | 石鏡入り渡しの神事5-11 | 弓の準備をする新祷人2人スライド枠には「2.1.3」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.1.3 |
8623 | 石鏡入り渡しの神事5-12 | 俵と矢を持って神社の石段を上る古祷人。俵の中には12か月分の煙草銭1200円と礼金が入っている。スライド枠には「石鏡 2.1.3」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.1.3 |
8624 | 石鏡入り渡しの神事5-13 | 境内の大木に立てかけられた矢と俵。スライド枠には「2.1.3」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.1.3 |
8625 | 石鏡入り渡しの神事5-14 | 古祷人2人の横顔、アップ。スライド枠には「2.1.3」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.1.3 |
8626 | 石鏡入り渡しの神事5-15 | 奥さんに手伝ってもらいながら裃に着替える新祷人と古祷人。スライド枠には「石鏡 2.1.3」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.1.3 |
8627 | 石鏡入り渡しの神事5-16 | 奥さんに手伝ってもらいながら裃に着替える新祷人と古祷人。スライド枠には「石鏡 2.1.3」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.1.3 |
8628 | 石鏡入り渡しの神事5-17 | 奥さんに手伝ってもらいながら裃に着替える新祷人と古祷人。スライド枠には「石鏡 2.1.3」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.1.3 |
8629 | 石鏡入り渡しの神事6-1 | 境内に敷いた敷物の上に向かい合って座る、新旧の祷人。スライド枠には「石鏡2.1.3 イリワタシ」「2.1.3」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.1.3 |
8630 | 石鏡入り渡しの神事6-2 | 仰ぎ渡し。新旧の祷人が向かいあったまま、古祷人が着物の襟に手をあて「ホオー」という声とともに扇で扇ぎ出し、新祷人が扇で呼び込む所作をする。スライド枠には「石鏡2.1.3 イリワタシ」「2.1.3」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.1.3 |
8631 | 石鏡入り渡しの神事6-3 | 弓引きの後、新旧の祷人が向かい合って座り、お神酒をいただく。スライド枠には「石鏡2.1.3 イリワタシ」「2.1.3」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.1.3 |
8632 | 石鏡入り渡しの神事6-4 | 弓引きの後、新旧の祷人が向かい合って座り、お神酒をいただく。スライド枠には「石鏡2.1.3 イリワタシ」「2.1.3」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.1.3 |
8633 | 石鏡入り渡しの神事6-5 | 弓引きの後、新旧の祷人が向かい合って座り、お神酒をいただく。スライド枠には「石鏡2.1.3 イリワタシ」「2.1.3」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.1.3 |
8634 | 石鏡入り渡しの神事6-6 | 弓引きの後、新旧の祷人が向かい合って座り、お神酒をいただく。スライド枠には「2.1.3」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.1.3 |
8635 | 石鏡入り渡しの神事7-1 | 元屋の祝い膳。仰ぎ渡しが終わると的道具を片付け、年寄2人と新祷3人は元屋に集合する。提灯、俵、矢、掛けの魚を床の間に飾り、年寄の祝詞をもらった後会食する。床の間の前に座る年寄2人。スライド枠には「2.1.3」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.1.3 |
8636 | 石鏡入り渡しの神事7-2 | 元屋の祝い膳。仰ぎ渡しが終わると的道具を片付け、年寄2人と新祷3人は元屋に集合する。提灯、俵、矢、掛けの魚を床の間に飾り、年寄の祝詞をもらった後会食する。膳に付いた年寄2人と3人の新祷人。スライド枠には「2.1.3」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.1.3 |
8637 | 石鏡入り渡しの神事7-3 | 元屋の祝い膳。年寄2人から「とどこおりなく終わり、大漁のありますようお祝いします」と祝いの言葉が申されると、古祷人から紅白のぜんざいが年寄に出される。膳に付いた年寄2人と3人の新祷人。スライド枠には「2.1.3」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.1.3 |
8638 | 石鏡入り渡しの神事7-4 | 年寄の膳。刺身、ナマコ、かまぼこ、紅白の餅が入った吸い物、金時豆。スライド枠には「2.1.3」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.1.3 |
8639 | 石鏡入り渡しの神事7-5 | 吸い物をいただく年寄2人。スライド枠には「2.1.3」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.1.3 |
8640 | 石鏡入り渡しの神事7-6 | 吸い物をいただく年寄2人。スライド枠には「2.1.3」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.1.3 |
8641 | 石鏡入り渡しの神事7-7 | 神棚に手を伸ばす新?人。スライド枠には「2.1.3」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.1.3 |
8642 | 石鏡入り渡しの神事7-8 | 吸い物をいただく年寄2人。スライド枠には「2.1.3」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.1.3 |
8643 | 石鏡入り渡しの神事7-9 | 元屋の祝い膳。談笑する年寄2人と新祷3人。スライド枠には「2.1.3」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.1.3 |
8644 | 石鏡入り渡しの神事7-10 | 元屋の祝い膳。談笑する年寄2人と新祷3人。スライド枠には「2.1.3」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.1.3 |
8645 | 石鏡入り渡しの神事7-11 | 元屋の祝い膳。談笑する年寄2人と新祷3人。スライド枠には「2.1.3」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.1.3 |
8646 | 石鏡入り渡しの神事7-12 | 吸い物をいただく年寄。スライド枠には「2.1.3」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.1.3 |
8647 | 石鏡入り渡しの神事7-13 | 年寄にお神酒を注ぐ新祷人。スライド枠には「2.1.3」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.1.3 |
8648 | 石鏡入り渡しの神事7-14 | 年寄にお神酒を注ぐ新祷人。古祷人も参加して談笑する。スライド枠には「2.1.3」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.1.3 |
8649 | 石鏡入り渡しの神事7-15 | お神酒を酌み交わす新祷人。スライド枠には「2.1.3」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.1.3 |
8650 | 石鏡入り渡しの神事7-16 | 赤いハチマキを巻いた新祷人。スライド枠には「2.1.3」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.1.3 |
8651 | 石鏡入り渡しの神事7-17 | 赤いハチマキを巻いた2人の新祷人。スライド枠には「2.1.3」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.1.3 |
8652 | 石鏡入り渡しの神事7-18 | 2人の年寄のアップ。スライド枠には「2.1.3」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.1.3 |
8653 | 石鏡入り渡しの神事7-19 | 紅白の餅が入った吸い物。スライド枠には「2.1.3」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.1.3 |
8654 | 石鏡入り渡しの神事8-1 | 紅白の餅が入った吸い物。スライド枠には「石鏡 2.1.3」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.1.3 |
8655 | 石鏡入り渡しの神事8-2 | JA向かいの井戸の下にある丸い自然石、2基。注連縄を巻き、信仰の対象となっていると思われるが地元での聞き取りでも名称は不明。スライド枠には「石鏡 2.1.3」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.1.3 |
8656 | 石鏡入り渡しの神事8-3 | 舗装される前の石鏡漁港の様子。スライド枠には「石鏡 2.1.3」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.1.3 |
8657 | 石鏡入り渡しの神事9-1 | 的作りの様子。腰に荒縄の注連縄を付け、縦13枚、横7枚をザル目編みにしたソー木(骨組み)に紙を貼る新祷人。スライド枠には「90.1.3 入渡し神事 石鏡」「2.1.3」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.1.3 |
8658 | 石鏡入り渡しの神事9-2 | 的作りの様子。腰に荒縄の注連縄を付け、縦13枚、横7枚をザル目編みにしたソー木(骨組み)に紙を貼る新祷人。スライド枠には「90.1.3 入渡し神事 石鏡」「2.1.3」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.1.3 |
8659 | 石鏡入り渡しの神事9-3 | 的作りの様子。腰に荒縄の注連縄を付け、縦13枚、横7枚をザル目編みにしたソー木(骨組み)に紙を貼る新祷人。スライド枠には「90.1.3 入渡し神事 石鏡」「2.1.3」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.1.3 |
8660 | 石鏡入り渡しの神事9-4 | 的のソー木(骨組み)のアップ。スライド枠には「90.1.3 入渡し神事 石鏡」「2.1.3」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.1.3 |
8661 | 石鏡入り渡しの神事9-5 | 的の中央に墨で大きな黒丸を描く新祷人。スライド枠には「90.1.3 入渡し神事 石鏡」「2.1.3」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.1.3 |
8662 | 石鏡入り渡しの神事9-6 | 的の中央に墨で大きな黒丸を描き、横に縦線を入れる新祷人。スライド枠には「90.1.3 入渡し神事 石鏡」「2.1.3」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.1.3 |
8663 | 石鏡入り渡しの神事9-7 | 四角い石の上に置かれた腹合わせのボラの掛けの魚。スライド枠には「90.1.3 入渡し神事 石鏡」「2.1.3」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.1.3 |
8664 | 石鏡入り渡しの神事9-8 | 「大漁」の文字が大きく書かれた弓張提灯。スライド枠には「90.1.3 入渡し神事 石鏡」「2.1.3」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.1.3 |
8665 | 石鏡入り渡しの神事9-9 | 的に描く文様が記された絵図。スライド枠には「90.1.3 入渡し神事 石鏡」「2.1.3」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.1.3 |
8666 | 石鏡入り渡しの神事9-10 | 的に描く文様が記された絵図。「縦4尺、横6尺」と的の大きさも記されている。スライド枠には「90.1.3 入渡し神事 石鏡」「2.1.3」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.1.3 |
8667 | 石鏡入り渡しの神事9-11 | 的が出来上がると、三合松で裏と表からはさみ込む。スライド枠には「90.1.3 入渡し神事 石鏡」「2.1.3」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.1.3 |
8668 | 石鏡入り渡しの神事9-12 | 的が出来上がると、三合松で裏と表からはさみ込む。スライド枠には「90.1.3 入渡し神事 石鏡」「2.1.3」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.1.3 |
8669 | 石鏡入り渡しの神事9-13 | 境内の大木に立てかけられた矢と俵。スライド枠には「90.1.3 入渡し神事 石鏡」「2.1.3」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.1.3 |
8670 | 石鏡入り渡しの神事9-14 | 俵の中には、12か月分の煙草銭1200円と祝儀が入っている。スライド枠には「90.1.3 入渡し神事 石鏡」「2.1.3」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.1.3 |
8671 | 石鏡入り渡しの神事9-15 | 俵の中に手を入れる年寄。スライド枠には「90.1.3 入渡し神事 石鏡」「2.1.3」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.1.3 |
8672 | 石鏡入り渡しの神事9-16 | 境内の大木に立てかけられた矢と俵。スライド枠には「90.1.3 入渡し神事 石鏡」「2.1.3」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.1.3 |
8673 | 石鏡入り渡しの神事9-17 | 完成した的を運ぶ3人の新祷人。スライド枠には「石鏡2.1.3 イリワタシ」「2.1.3 石鏡」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.1.3 |
8674 | 石鏡入り渡しの神事9-18 | 完成した的を運ぶ3人の新祷人。スライド枠には「石鏡2.1.3 イリワタシ」「2.1.3 石鏡」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.1.3 |
8675 | 石鏡入り渡しの神事9-19 | その後、年寄の検分を受ける。スライド枠には「90.1.3 入渡し神事 石鏡」「2.1.3」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.1.3 |
8676 | 石鏡入り渡しの神事10-1 | その後、年寄の検分を受ける。スライド枠には「2.1.3」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.1.3 |
8677 | 石鏡入り渡しの神事10-2 | 舞台前に立てかけた的に、腹合わせの掛けの魚をぶら下げようとする新祷人。スライド枠には「2.1.3」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.1.3 |
8678 | 石鏡入り渡しの神事10-3 | 向かって左側に大漁の弓張提灯、右側に腹合わせの掛けの魚をぶら下げた的。スライド枠には「2.1.3」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.1.3 |
8679 | 石鏡入り渡しの神事10-4 | 的が立つと、的の左右にスイギリモン、大根なます、お神酒を供える。スライド枠には「2.1.3」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.1.3 |
8680 | 石鏡入り渡しの神事10-5 | 的が立つと、的の左右にスイギリモン、大根なます、お神酒を供える。スライド枠には「2.1.3」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.1.3 |
8681 | 石鏡入り渡しの神事10-6 | 敷物の上に並べられた、お神酒・刺身・魚の煮つけ・風呂敷包み。スライド枠には「2.1.3」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.1.3 |
8682 | 石鏡入り渡しの神事10-7 | 魚の煮つけのアップ。スライド枠には「2.1.3」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.1.3 |
8683 | 石鏡入り渡しの神事10-8 | 刺身のアップ。スライド枠には「2.1.3」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.1.3 |
8684 | 石鏡入り渡しの神事10-9 | 神事の前に境内で火に当たりながら談笑する年寄2人、裃姿の新祷人と古祷人。スライド枠には「2.1.3」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.1.3 |
8685 | 石鏡入り渡しの神事10-10 | 神事の前に境内で火に当たりながら談笑する年寄2人、裃姿の新祷人と古祷人。スライド枠には「2.1.3」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.1.3 |
8686 | 石鏡入り渡しの神事10-11 | 老人三献盃の様子。石鏡神社の舞台前で祷人のもてなしを受ける5人年寄の内の2人。スライド枠には「2.1.3」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.1.3 |
8687 | 石鏡入り渡しの神事10-12 | 老人三献盃の様子。石鏡神社の舞台前で祷人のもてなしを受ける5人年寄の内の2人。スライド枠には「2.1.3」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.1.3 |
8688 | 石鏡入り渡しの神事10-13 | 老人三献盃の様子。石鏡神社の舞台前で祷人のもてなしを受ける5人年寄の内の2人。スライド枠には「2.1.3」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.1.3 |
8689 | 石鏡入り渡しの神事10-14 | 仰ぎ渡しの前に向かい合って座り、談笑する新祷人と古祷人。スライド枠には「2.1.3」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.1.3 |
8690 | 石鏡入り渡しの神事10-15 | 弓引きが終わり、腹合わせのボラの掛けの魚、弓張提灯を持った新祷人を先頭に元屋に向かう年寄2人。スライド枠には「2.1.3」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.1.3 |
8691 | 石鏡入り渡しの神事10-16 | 元屋に向かう、年寄2人。スライド枠には「2.1.3」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.1.3 |
8692 | 石鏡入り渡しの神事10-17 | 勝手場の柱の釘に掛けられた腹合わせのボラの掛けの魚。スライド枠には「2.1.3」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.1.3 |
8693 | 石鏡入り渡しの神事10-18 | 勝手場の柱に貼られた「奉商業繁盛祈願」のお札。その上にワラ縄でくくられたアラクサが掛けられている。鳥羽・志摩地方では、大晦日の夜や節分に豆まきをする。その豆炒りの時、先を削った木にイワシを刺して、パチパチと音を立て火であぶるが、その音と臭気で邪気を払うとされている。これを一般的に「アラクサ」と呼び、魔よけとして玄関に刺しておく風習がある。スライド枠には「2.1.3」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.1.3 |
8694 | 石鏡入り渡しの神事10-19 | 元屋の祝い膳。仰ぎ渡しが終わると的道具を片付け、年寄2人と新祷3人は元屋に集合する。提灯、俵、矢、掛けの魚を床の間に飾り、年寄の祝詞をもらった後会食する。床の間の前に座る年寄2人。スライド枠には「2.1.3」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.1.3 |
8695 | 石鏡入り渡しの神事11-1 | 吸い物をいただく年寄2人。スライド枠には「2.1.3」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.1.3 |
8696 | 石鏡入り渡しの神事11-2 | 元屋の祝い膳。談笑する年寄2人と新祷3人。スライド枠には「2.1.3」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.1.3 |