【フィールドワーク通信】21. 波切の海女漁(2)

【フィールドワーク通信】では、調査などで見かけた漁村の一場面を書き残しています。砕けた内容が多いですが、漁村の暮らしが伝わればうれしいです。
フィールドワークは新型コロナウイルスの感染予防対策のもと、相手の許可をとって実施しています。

2021/5/26

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浜から各自、それぞれ得意とする漁場に泳いでいった海女さんたち。

12時、海から上がります。

「あ~、えら(=疲れた)」一人の海女さんがつぶやきました。
岸から泳いですぐの漁場ですが、浅い漁場は何度も潜水を繰り返すため、体力の消耗も激しいといいます。
深い漁場ほど疲れるものだと思っていたため、浅い漁場ならではの大変さがあることに気がつきました。

「今日は思とたより獲れたけど、アワビの殻が海底に落ちとったよ。こんなこと、今までなかったんやけどなあ」
海女小屋に帰って、サザエとフクダメを仕分けながら情報交換をします。
「アワビの殻が海底に落ちていた」というのは、死んで殻だけ残ったものが転がっていたという意味で、海中がアワビにとって棲みづらい環境になっている可能性があるということです。
今年は貝殻が黒くて、貝の身が縮んでいる、この地域では「ロウガイ」と呼ばれる状態のアワビやフクダメも多いそうです。

遅い昼食を済ませ、2時半までに波切市場へ漁獲物を運びます。

去年は「アラメの茎しか残っていない」という話をよく聞きました。
今年は茎すら残っていない漁場が多いそうです。餌が無いからたまに獲れるアワビやサザエも痩せています。

アカモクも、波切では「タチモ」と呼んで、邪魔なくらい生えていたそうですが、今は全くない、といいます。
志摩の豊かなリアスの海底で何が起こっているのでしょう。今年は波切地区にとって、厳しい漁が続いています。

「また、お邪魔してもいいですか」と浜口さんに尋ねると「今年はヒマやでいつでも来てええよ」とのお答え。
大変なときなのに、感謝しかありません。

昭和30年代から50年代の志摩の風土や暮らし、生業、特に海女を中心に多くの作品を残された、故浦口楠一さん(志摩町布施田出身)は、『写真集 志摩の海女』(株式会社日本カメラ, 昭和56年4月1日発行)の中に
「潜水作業というきびしい労働に精出しているひとたちに、自分の楽しみでカメラを向けることの、ひけ目、気がねは絶えずつきまとう。何ほどかの記録としての価値があるにしても、撮られる側にとっては何の益もないこと、なかには写真を撮られるのが嫌いなひともあろうし、作業の邪魔になることでもあろう」
と記しています。
今後も「邪魔にならないように…」心して「厳しい今」を、撮影させていただこうと思っています。

(﨑川由美子)

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