【フィールドワーク通信】40. 波切の汗かき地蔵まつり(2)

【フィールドワーク通信】では、調査などで見かけた漁村の一場面を書き残しています。砕けた内容が多いですが、漁村の暮らしが伝わればうれしいです。
フィールドワークは新型コロナウイルスの感染予防対策のもと、相手の許可をとって実施しています。

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汗かき地蔵まつりが行われた堂の山にある、いくつかのスポットを紹介します。

思案地蔵堂

1830年(天保元年)9月23日夜、御城米船が大王島沖で遭難しました。

船頭等は救助されましたが、多くの米が「濡れ米」となりました。
翌24日、出漁中の村民が漂流中の無人の水船を発見し、積荷の濡れ米を拾得して持ち帰ってしまいます。
船頭たちは後難を恐れ、船は米を積んだまま沈んだと、江戸に虚偽の報告をしました。

翌年1月5日の夜更け、里人は取り調べのために波切村に出張してきた信楽代官所の役人の1人を強盗と間違えて殺してしまいました。
その結果、庄屋以下14人が罪を問われて命を落とし、475人にのぼる村民が罰を受けたといわれます。

この「波切騒動」で亡くなった人々を供養するために造られた、右手を頭にあて、その頭を右に傾けた思案地蔵(石像)が安置されています。台石には14人の法名が刻まれています。

 

堂の山の、名も知らぬ地蔵さん。

 

鐘霊堂 

堂の山にある薬師堂の北側、小高い丘の上にあり、通称「四国八八カ所堂」と呼ばれています。

1812年(文化9)12月、高橋藤兵衛(波切村の豪商)によって建立されましたが、1959年(昭和34)の伊勢湾台風により荒廃、1967年(昭和42)に再建されました。
中央に「弘法大師像」、後方に八八カ所観世音像88体が安置されています。

堂内に掲げられた「鐘霊堂記」と題する扁額には、「波切に在って八八カ所霊場の信仰が出来るように、また村民は魚族の殺生を生業としているからその供養のために」と、高橋藤兵衛の志願が記されています。

縁日は2月18日ですが、汗かき地蔵まつりの日に参詣する人が多いそうです。

今年も汗かき地蔵まつりは新型コロナウイルスの影響で露天商の出店がなく、かつての賑わいはありませんでしたが、多くの方々が参詣されました。

まつりの撮影を快諾してくださった松井自治会長、「寒いのにお参りに来てくれたんかな」と温かく迎えてくださった方や関係者の皆さま、本当にありがとうございました。

残りのスポットは次の記事で紹介します。

(﨑川由美子)

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