【フィールドワーク通信】74. 浦口楠一さんに魅せられて(2)
こちらの記事で紹介したベルリン在住のキュレーター、ソニア(Sonia Voss)さんと、『写真集 志摩の海女』に写真が収められている林喜美代さん(昭和29年生)にお会いしました。
「小学6年生くらいの時、テングサ採っとた時と思うんやけどな、よう覚えとらんのやわ。浦口さんがいつの間にか撮ってくれとたんやな。」
喜美代さんの海女小屋を訪ねました。
喜美代さんは15歳(1969年)で横浜の会社に就職し、渡米。アメリカ サンディエゴのシ―ワールドで2年間観光海女をしていました。休暇で一時帰国していた時、ご両親に「もう行かんでええって言われ、泣く泣く辞めました。」荷物も全部アメリカに置いてきたので、残念ながら写真も何も残っていない、とのことでした。
帰国後は和歌山県の白浜温泉で「グラスボードの下で潜ってみせる」、観光海女を12年間続けたそうです。「潜るのが好きやったから、楽しかったよ。」と笑って話してくださいました。
29歳で志摩町越賀に帰り、トマエさんを雇って8~10人で漁に出かける、さっぱ船の海女になりました。
「腰に巻くオモリやよ。持ってみて。」
潜る時はこの青峰さんのお守りを首にかけて、青峰さんの方向とお日様に向って手を合わせ、大漁と安全を祈ります。「お守りを忘れると気になって、取りに戻ります。」とのことでした。
今も現役の喜美代さん。「海女は大好きな仕事なのでずっと続けていきたい。でも、5,6年前から海の状態が悪くてとるものがありません。今年は、3月は3日と半日、4月は半日ずつ3回、5月はまだ半日しか潜っていません、と話してくれました。海女さんにとって厳しい日々はまだまだ続いています。
(﨑川由美子)