【活動報告】「現役鳥羽志摩の海女さんと語る!海女の魅力 in海博」第2回を開催しました

鳥羽市立海の博物館と三重大学海女研究センターが主催するイベント「現役鳥羽志摩の海女さんと語る!海女の魅力 in海博」の第2回が11月4日に開催されました。

イベントの概要はこちらから。

今回は志摩市志摩町布施田の海女さんお二人にお越しいただきました。

70代と40代の海女さんで、義母と嫁の関係です。
70代の先輩海女さんは海女歴48年、40代の後輩海女さんは海女歴9年で、現在は二人で出漁しています。

布施田には現在23人ほどの海女・海士さんがいて、最年長は78歳、最年少は40代です。

70代の海女さんは布施田生まれで、はじめは夫と「メオト船」で海女デビューしました。
メオト船は「フナド」とも呼ばれ、妻が重りを持って深い漁場に潜り、合図があると夫が船上から引き上げる形態です。

海女漁を始めたきっかけは「アワビが大好きで、食べたかったから」。
捕ったアワビは基本的に出荷しますが、キズをつけて商品価値が下がってしまったものなどは、船上でも小屋でもたくさん食べたそうです。

生のアワビを丸かじりするのが一番おいしい(先輩海女)

昔から海女小屋の中にアワビを丸かじりするバリバリっていう音が響きわたっていた(笑)(後輩海女)

アワビで手こね寿司や塩辛なども作り、色々な楽しみ方をしているそうで、会場はあまりの美味しそうな話にため息が漏れていました。

40代の海女さんは大阪出身で、先輩海女さんの家に嫁いだのをきっかけに海女漁を始めました。
結婚の挨拶のときに義母が海女だと知り、とても驚いたそうです。
もともとダイビングやサーフィンなどを通して海が好きだったこともあり、この機に海女にチャレンジしたとのこと。
はじめは海中でアワビがなかなか見つけられず苦労したそうです。

布施田は2月末から9月14日までがアワビの漁期ですが、近年の獲物の減少により、今年は12日しか出漁しなかったそうです。
冬は海女漁はなく、イセエビの刺し網漁などに携わります。

海藻は春先のワカメ漁が中心で、ヒジキはもともとあまり生えておらず、アラメやテングサはここ数年ほとんどないため採っていないそうです。

アコヤ貝を採るために使った磯桶を担いでくれました。
布施田は昭和期には真珠養殖がさかんで、町ぐるみでアコヤ貝を採取していたそうです。
組合に出荷したあと、真珠養殖業者が買い上げ、真珠の核入れをしていました。

布施田では磯焼けをはじめ、ここ2〜3年で海の様子が大幅に変化したそうです。

最初にタコがいなくなった。次にワカメがなくなって、アラメが減って怪しいなと思っていたところに、急速に何もなくなった。

現在では海藻がほとんどなく、イソギンチャクやサンゴ、熱帯魚のようなカラフルな魚をよく見るようになりました。

アワビをはじめ、これまで捕っていた獲物がほとんど捕れず、海女さんもどんどん引退するなど苦境が続いています。

一方で先輩海女さんがこんなことを言っていました。

海のものは何でも美味しい。何でも食べられる。

たとえば近年増加して海の厄介者とされているウツボも、布施田では食用にするそうです。
干物にして、骨の多い尾の部分は細かく刻んで唐揚げにし、胴の部分は蒸して食べるとのこと。

「海のものは美味しい」と何度も繰り返す先輩海女さんから、これまで経済的価値のあった資源だけにこだわるのではなく、今ある資源をより柔軟な目で見ていくことの重要性を教えられました。

「龍宮さんに頭を下げなさい」って義母からいつも言われるんです(後輩海女)

この言葉には2つの意味があるそうです。海の恵みをいただくことについて龍宮さんに感謝すること、頭を海底に向ける、つまり海底に向かって潜ること。
龍宮さんに感謝しながらどんどん潜りなさい、という教えだそうです。

磯焼けでつらい状況が続くなか、「海が大好き」「海のものは何でも美味しい」と明るく話す海女さんたちに、たくさんのことを教えていただきました。

布施田の海女さん、ありがとうございました。
トークイベントは12月2日まで続きます。皆さまぜひお越しください。

(吉村真衣)