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海女の歴史
海女の歴史History
縄文時代から続く海女文化についてご覧いただけます。
海女の歴史について
古くは先史時代の貝塚にその痕跡をとどめ、奈良・平安時代には和歌に詠まれるなど、海女の営みは、日本各地で長い歴史の中、大切に受け継がれてきました。
本年表では、鳥羽・志摩地域を中心に、日本における海女の操業のあり方が、時代とともにどのように変化してきたのかを整理しています。
時代背景や生活環境の変化に応じて、その道具や役割分担などは少しずつ姿を変えてきました。
しかし、こうした変化を重ねながらも、海とともに生き、季節や海況を見極めながら糸まれてきたその仕事は、地域ごとの自然環境や社会のあり方と深く結びついています。
縄文から現代までの
変遷年表
海女漁の形態変化
「徒人(かちど)」と
「船人(ふなど)」
海女の仕事は、自然環境や社会のあり方と深く関わりながら、地域ごとに多様なかたちで営まれてきました。
そうした営みの根底には、素潜りという伝統的な方法を守り、海の資源を枯渇させないという考え方が受け継がれています。
こうした考え方のもとで営まれてきた海女漁は、移動手段や漁場の深さの違いによって、
「徒人(かちど)」と「船人(ふなど)」という大きく二つの操業形態に分けられます。
徒人(かちど / かち)
自力で潜水と浮上を行うため、磯場に近い浅瀬(水深5〜8メートル程度)が主な活動範囲です。
「磯桶(いそおけ)」と呼ばれる木製の桶を浮きとして用い、捕ったアワビやサザエをその中に入れます。
船人(ふなど / ふな)
通常、海女一人に対して、船上で命綱を操る「トマエ」と呼ばれる漕ぎ手がペアを組みます。
海女は重りを使って海底へ潜り、漁獲後は滑車を用いて船上へ引き上げられます。
こうした連携により、10メートル以上の深い海域での操業が可能となります。