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アーカイブ資料/画像資料アーカイブ
画像資料アーカイブPhotograph
海女研究センターが「アーカイブ・データベース事業」で構築してきた文献・画像のデータベースから詳細検索ができます。こちらでは鳥羽市立海の博物館が所蔵する海女や漁村に関する画像について、名称や撮影場所、撮影年、写されている内容を閲覧できます。
画像資料
検索方法について
| No. | 資料の名称(画像タイトル) | 内容(キャプション) | 撮影場所 | 撮影年(西暦) |
|---|---|---|---|---|
| 2041 | 神島A-13-3 | スライド枠には「神島 47.8.4」と記される。神島町の町並み。神島は、太平洋に面する東岸・南岸は四季を通じて風波が激しく外海の影響を受けやすい。北側の入り江に密集する集落は、背後の灯明山の山頂に向かって家々が階段状に軒を連ねる。写真は島の東側、ヒガシノハマ近くの村落景観かと思われる。 | 鳥羽市神島町 | 1972.08.04 |
| 2042 | 神島A-13-4 | スライド枠には「神島 47.8.4」と記される。曹洞宗・月照山桂光院側から見た神島町の集落景観である。沖合は伊良湖水道で、四日市港や名古屋港へ出入りする大型船舶が絶えない。 | 鳥羽市神島町 | 1972.08.04 |
| 2043 | 神島A-13-5 | スライド枠には「神島 47.8.4」と記される。神島の街並み景観である。神島漁業協同組合近辺からヒガシノハマの方向を見た風景である。写真左の鉄筋三階建ての建物は民宿だろうか、道路を挟んだ左側は船揚場である。 | 鳥羽市神島町 | 1972.08.04 |
| 2044 | 神島A-13-6 | スライド枠には「神島 47.8.4」と記される。神島漁港の船揚場付近の風景であるが、今にも降り出しそうな空模様の中を、老人が前を急ぐ。 | 鳥羽市神島町 | 1972.08.04 |
| 2045 | 神島A-13-7 | スライド枠には「神島 47.8.4」と記される。蛸壺の掃除をする親子。かつては島内に蛸壺組合と言う組織が有り、タコツボ漁だけで生活ができると言われるほど盛んであった。鮹漁は、年間を通じて行われるが、最盛期は春先から夏にかけての「ノボリダコ」と、秋から冬にかけての「オチダコ」と呼ばれる時期の2回である。タコガメは近年プラスチックのものが多くなってきたが、この頃はまだ素焼きの瓶が使用されている。伊良湖水道の激しい海流の中で生息するタコは身が引き締まり、現在では島の女性達が加工した「潮騒タコ」は隠れた島の特産品として人気が高い。 | 鳥羽市神島町 | 1972.08.04 |
| 2046 | 神島A-13-8 | スライド枠には「神島 47.8.4」と記される。神島の海岸風景である。波打際の岩間に麦藁帽子を被った男性が見て取れる。 | 鳥羽市神島町 | 1972.08.04 |
| 2047 | 神島A-13-9 | スライド枠には「神島 47.8.4」と記される。洗濯物を干す女性。平地の少ない神島では敷地一杯に家が建てられ、家々が軒を連ねて密集する。そのわずかな空間を利用して、物干し用の竿が渡される。 | 鳥羽市神島町 | 1972.08.04 |
| 2048 | 神島A-13-10 | 神島漁港の景観である。神島漁港は、昭和7~8年度に時局匡救事業で50mの突堤と取付護岸を造成。更に9年度以降は県営の修築事業として継続され、また村営事業としても船溜設置工事が行われている。昭和28年度には第2次整備計画漁港の指定を受けると共に、離島振興法の制定に伴う適用も受ける事になった。昭和40年度以降は第3次整備計画~第6次整備計画の適用で南・北防波堤、同消波工、離岸堤、岸壁、物揚場、漁港用地の整備等が進められ、漁港としての基本的な形をつくり上げた。写真は第4次計画の最終年度の頃かと思われる。参考文献:『三重の漁港1971』三重県漁港協会・1971年発行 | 鳥羽市神島町 | 1972.08.04 |
| 2049 | 神島A-13-11 | 神島漁港の景観である。神島漁港は、昭和7~8年度に時局匡救事業で50mの突堤と取付護岸を造成。更に9年度以降は県営の修築事業として継続され、また村営事業としても船溜設置工事が行われている。昭和28年度には第2次整備計画漁港の指定を受けると共に、離島振興法の制定に伴う適用も受ける事になった。昭和40年度以降は第3次整備計画~第6次整備計画の適用で南・北防波堤、同消波工、離岸堤、岸壁、物揚場、漁港用地の整備等が進められ、漁港としての基本的な形をつくり上げた。写真は第4次計画の最終年度の頃かと思われる。参考文献:『三重の漁港1971』三重県漁港協会・1971年発行 | 鳥羽市神島町 | 1972.08.04 |
| 2050 | 神島A-13-12 | 神島漁港の景観である。神島漁港は、昭和7~8年度に時局匡救事業で50mの突堤と取付護岸を造成。更に9年度以降は県営の修築事業として継続され、また村営事業としても船溜設置工事が行われている。昭和28年度には第2次整備計画漁港の指定を受けると共に、離島振興法の制定に伴う適用も受ける事になった。昭和40年度以降は第3次整備計画~第6次整備計画の適用で南・北防波堤、同消波工、離岸堤、岸壁、物揚場、漁港用地の整備等が進められ、漁港としての基本的な形をつくり上げた。写真は第4次計画の最終年度の頃かと思われる。参考文献:『三重の漁港1971』三重県漁港協会・1971年発行 | 鳥羽市神島町 | 1972.08.04 |
| 2051 | 神島A-13-13 | 八代神社へと続く階段付近からの撮影かと思われる。神島町の街並みと神島漁港の景観である。集落は北側に面し、海の向こう側は伊勢湾、名古屋港へと続く。 | 鳥羽市神島町 | 1972.08.04 |
| 2052 | 神島A-13-14 | 中ノ郷~佐田浜~神島を就航する市営定期船の船上と神島の集落景観である。本土と神島を結ぶ唯一の公共交通機関である定期船は、旧神島村の村営航路を昭和29年の町村合併に伴って市営航路として引継いだ。かつては神島~鳥羽間を1時間近くかかったものだが、船が新しくなる度に時間も短縮され、現在では1日4便(和具・菅島寄港3便、直通1便)、時間も35分程に短縮されている。写真のほぼ中央、船揚場の後に建つ鉄筋2階建ての建物は右が神島開発センター、左が神島漁協である。その中程に市営定期船の固定桟橋が設けられている。 | 鳥羽市神島町 | 1972.08.04 |
| 2053 | 神島A-14-1 | このスライドの前にはめ込まれるタイトルスライド枠には「神島 A-14 47.8.4」と記され、スライド枠には「47.8.4」と記される。家の軒下には木製の樽や木箱等が置かれている2階の窓から、老婆が一人顔を出し微笑む。 | 鳥羽市神島町 | 1972.08.04 |
| 2054 | 神島A-14-2 | スライド枠には「47.8.4」と記される。家の軒下には木製の樽や木箱等が置かれている2階の窓から、老婆が一人顔を出し微笑む。 | 鳥羽市神島町 | 1972.08.04 |
| 2055 | 神島A-14-3 | スライド枠には「47.8.4」と記される。海上から見た鳥羽港。昭和45年7月21日、佐田浜海岸68,000㎡を埋め立てて造成した用地に鉄筋コンクリート2階建て、延べ床面積2,200㎡の鳥羽港湾センタービルがオープン。田川副知事等を招いてセレモニーが催された。施設には志摩勝浦観光船、名鉄海上観光船、伊勢湾自動車航送船、鳥羽湾めぐり小型観光船、市営定期船等が事務所を開設。新しい鳥羽の海の玄関口としての業務が開始された。なお、鳥羽パールビルも同日オープンした。 | 鳥羽市神島町 | 1972.08.04 |
| 2056 | 神島A-14-4 | スライド枠には「47.8.4」と記される。海上から見た鳥羽港。昭和45年7月21日、佐田浜海岸68,000㎡を埋め立てて造成した用地に鉄筋コンクリート2階建て、延べ床面積2,200㎡の鳥羽港湾センタービルがオープン。田川副知事等を招いてセレモニーが催された。施設には志摩勝浦観光船、名鉄海上観光船、伊勢湾自動車航送船、鳥羽湾めぐり小型観光船、市営定期船等か事務所を開設。新しい鳥羽の海の玄関口としての業務が開始された。なお、鳥羽パールビルも同日オープンした。 | 鳥羽市神島町 | 1972.08.04 |
| 2057 | 神島A-14-5 | スライド枠には「47.8.4」と記される。市営定期船で神島に向かう。写真左下は市営定期船、上部正面の島は神島である。本土と神島を結ぶ唯一の公共交通機関である定期船は、旧神島村の村営航路を昭和29年の町村合併に伴って市営航路として引継ぎ、現在神島~中之郷16.9㎞の定期航路として、1日4便の運航が行われている。 | 鳥羽市神島町 | 1972.08.04 |
| 2058 | 神島A-14-6 | スライド枠には「47.8.4」と記される。神島漁港の景観である。神島漁港は、昭和7~8年度に時局匡救事業で50mの突堤と取付護岸を造成。更に9年度以降は県営の修築事業として継続され、また村営事業としても船溜設置工事が行われている。昭和28年度には第2次整備計画漁港の指定を受けると共に、離島振興法の制定に伴う適用も受ける事になった。昭和40年度以降は第3次整備計画~第6次整備計画の適用で南・北防波堤、同消波工、離岸堤、岸壁、物揚場、漁港用地の整備等が進められ、漁港としての基本的な形をつくり上げた。写真は第4次計画の最終年度の頃かと思われる。参考文献:『三重の漁港1971』三重県漁港協会・1971年発行 | 鳥羽市神島町 | 1972.08.04 |
| 2059 | 神島A-14-7 | スライド枠には「47.8.4」と記される。神島漁港の船揚場近辺の景観である。写真下中央に段ボール箱を背負う女子学生が写される。階段の多い神島では、車は無論、リヤカーや一輪車さえ使えない家屋が多く、このような運搬方法が多く見られる。陸に引揚げられている漁船からは「大漁丸/八代丸/晴栄丸」等の船名が見て取れる。 | 鳥羽市神島町 | 1972.08.04 |
| 2060 | 神島A-14-8 | スライド枠には「47.8.4」と記される。神島漁港の東側の防波堤だろうか。延長工事が進められている。沖合を伊勢湾フェリーが鳥羽港へと向かう。 | 鳥羽市神島町 | 1972.08.04 |



