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アーカイブ資料/画像資料アーカイブ
画像資料アーカイブPhotograph
海女研究センターが「アーカイブ・データベース事業」で構築してきた文献・画像のデータベースから詳細検索ができます。こちらでは鳥羽市立海の博物館が所蔵する海女や漁村に関する画像について、名称や撮影場所、撮影年、写されている内容を閲覧できます。
画像資料
検索方法について
| No. | 資料の名称(画像タイトル) | 内容(キャプション) | 撮影場所 | 撮影年(西暦) |
|---|---|---|---|---|
| 2681 | 国崎町(海女)2-3-2 | 鳥羽市国崎町舟人海女の磯場へと向かう船上風景である。ここ国崎町では舟人海女の事を夫婦で操業する事から「ととかか舟」とも呼ぶ。船上の海女の腰には水中で体が浮き上がるのを防ぐための鉛のベルトと、船頭に引揚げてもらうための命綱が付けられている。(写真は、世古昌生氏の海女船かと思われる。画像№1562~1585参照) | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
| 2682 | 国崎町(海女)2-3-3 | 鳥羽市国崎町舟人海女の磯場へと向かう船上風景である。ここ国崎町では舟人海女の事を夫婦で操業する事から「ととかか舟」とも呼ぶ。船上の海女の腰には水中で体が浮き上がるのを防ぐための鉛のベルトと、船頭に引揚げてもらうための命綱が付けられている。(写真は、世古昌生氏の海女船かと思われる。画像№1562~1585参照) | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
| 2683 | 国崎町(海女)2-3-4 | 鳥羽市国崎町舟人海女の磯場へと向かう船上風景である。ここ国崎町では舟人海女の事を夫婦で操業する事から「ととかか舟」とも呼ぶ。船上の海女の腰には水中で体が浮き上がるのを防ぐための鉛のベルトと、船頭に引揚げてもらうための命綱が付けられている。(写真は、世古昌生氏の海女船かと思われる。画像№1562~1585参照) | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
| 2684 | 国崎町(海女)2-3-5 | 鳥羽市国崎町舟人海女の船上風景である。ここ国崎町では舟人海女の事を夫婦で操業する事から「ととかか舟」とも呼ぶ。磯場へと到着し操業開始の合図を待つ。船上の海女は磯手拭の上から磯メガネをかけ、何時でも海に入れるように準備を終えている。船頭は、船のエンジンを切り、艪で船を操る。船縁には磯グルマが取付けられている。(写真は、世古昌生氏の海女船かと思われる。画像№1562~1585参照) | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
| 2685 | 国崎町(海女)2-3-6 | 鳥羽市国崎町舟人海女の操業風景である。ここ国崎町では舟人海女の事を夫婦で操業する事から「ととかか舟」とも呼ぶ。操業開始の合図が出たのであろう。海女は船縁から海へと入る。船頭は、船のエンジンを切り、艪で船を操る。船縁には磯グルマが取付けられている。(写真は、世古昌生氏の海女船かと思われる。画像№1562~1585参照) | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
| 2686 | 国崎町(海女)3-1-1 | 鳥羽市国崎町舟人海女による船上げ風景である。漁を終え鎧崎の船揚場に戻って来た海女船は、波打際に船を艫から着け、丸太等のコロを船底に敷き、ウインチと人力で陸へと引き揚げる。写真は、磯手拭を被り、黒のウエットスーツを着たまま船底に敷くコロの準備をする海女。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
| 2687 | 国崎町(海女)3-1-2 | 鳥羽市国崎町舟人海女による船上げ風景である。漁を終え鎧崎の船揚場に戻って来た海女船は、波打際に船を艫から着け、丸太等のコロを船底に敷き、ウインチと人力で陸へと引き揚げる。写真は、磯手拭を被り、黒のウエットスーツを着たまま船底に敷くコロの準備をする海女。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
| 2688 | 国崎町(海女)3-1-3 | 鳥羽市国崎町舟人海女による船上げ風景である。漁を終え鎧崎の船揚場に戻って来た海女船は、波打際に船を艫から着け、丸太等のコロを船底に敷き、ウインチと人力で陸へと引き揚げる。写真は、磯手拭を被り、黒のウエットスーツを着たまま、巻き上げ用のロープを調製する海女。履物はゴム草履である。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
| 2689 | 国崎町(海女)3-1-4 | 鳥羽市国崎町舟人海女による船上げ風景である。漁を終え鎧崎の船揚場に戻って来た海女船は、波打際に船を艫から着け、丸太等のコロを船底に敷き、ウインチと人力で陸へと引き揚げる。写真は、磯手拭を被り、黒のウエットスーツを着たまま、巻き上げ用のロープを調製する海女。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
| 2690 | 国崎町(海女)3-1-5 | 鳥羽市国崎町舟人海女による船上げ風景である。漁を終え鎧崎の船揚場に戻って来た海女船は、波打際に船を艫から着け、丸太等のコロを船底に敷き、ウインチと人力で陸へと引き揚げる。写真は、磯手拭を被り、黒のウエットスーツを着たまま、巻き上げ用のロープを調製する海女。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
| 2691 | 国崎町(海女)3-1-6 | 鳥羽市国崎町舟人海女による船上げ風景である。漁を終え鎧崎の船揚場に戻って来た海女船は、波打際に船を艫から着け、丸太等のコロを船底に敷き、ウインチと人力で陸へと引き揚げる。写真は、磯手拭を被り、黒のウエットスーツを着たまま、巻き上げ用のロープを用意する海女達。波打際には船底に敷くコロが並べられている。船尾には「(佐)栄」の船名が見て取れる。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
| 2692 | 国崎町(海女)3-2-1 | 鳥羽市国崎町舟人海女による船上げ風景である。漁を終え鎧崎の船揚場に戻って来た海女船は、波打際に船を艫から着け、丸太等のコロを船底に敷き、ウインチと人力で陸へと引き揚げる。写真は、磯手拭を被り、黒のウエットスーツを着たまま、巻き上げ用のロープを取付ける海女達。波打際には船底に敷くコロが並べられ、船尾には「佐(栄)」の船名が見て取れる。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
| 2693 | 国崎町(海女)3-2-2 | 鳥羽市国崎町舟人海女による船上げ風景である。漁を終え鎧崎の船揚場に戻って来た海女船は、波打際に船を艫から着け、丸太等のコロを船底に敷き、ウインチと人力で陸へと引き揚げる。写真は、磯手拭を被り、黒のウエットスーツを着たまま、巻き上げ用のロープを取付け、風波で船が横にならないように風下から支え、船底にコロが直角に入り込むよう作業を続ける海女達。波打際には船底に敷くコロが並べられ、船尾には「佐栄」の船名が見て取れる。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
| 2694 | 国崎町(海女)3-2-3 | 鳥羽市国崎町舟人海女による船上げ風景である。漁を終え鎧崎の船揚場に戻って来た海女船は、波打際に船を艫から着け、丸太等のコロを船底に敷き、ウインチと人力で陸へと引き揚げる。写真は、船頭がウインチの操作をしているのであろう。磯手拭を被り、黒のウエットスーツを着たまま、引揚げが開始された船のコロを用意する海女。船尾には「(佐)栄」の船名が見て取れる。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
| 2695 | 国崎町(海女)3-2-4 | 鳥羽市国崎町舟人海女による船上げ風景である。漁を終え鎧崎の船揚場に戻って来た海女船は、波打際に船を艫から着け、丸太等のコロを船底に敷き、ウインチと人力で陸へと引き揚げる。写真は、引揚げ作業をしていた海女の手に、コールタールか油の様な物が付いたのかも知れない。浜辺の小石で刮ぎ落としている。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
| 2696 | 国崎町(海女)3-2-5 | 鳥羽市国崎町舟人海女による船上げ風景である。漁を終え鎧崎の船揚場に戻って来た海女船は、波打際に船を艫から着け、丸太等のコロを船底に敷き、ウインチと人力で陸へと引き揚げる。写真は、引揚げ作業をしていた海女の手に、コールタールか油の様な物が付いたのかも知れない。浜辺の小石で刮ぎ落としている。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
| 2697 | 国崎町(海女)3-2-6 | 鳥羽市国崎町舟人海女による船上げ風景である。漁を終え鎧崎の船揚場に戻って来た海女船は、波打際に船を艫から着け、丸太等のコロを船底に敷き、ウインチと人力で陸へと引き揚げる。写真は、船の引き上げを終えたのであろう。使ったコロは、他船の引揚げの妨げにならないように片付けられる。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
| 2698 | 国崎町(海女)3-3-1 | 鳥羽市国崎町舟人海女による船上げ風景である。漁を終え鎧崎の船揚場に戻って来た海女船は、波打際に船を艫から着け、丸太等のコロを船底に敷き、ウインチと人力で陸へと引き揚げる。写真は、船の引き上げを終えたのであろう。使ったコロは、他船の引揚げの妨げにならないように片付けられる。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
| 2699 | 国崎町(海女)3-3-2 | 鳥羽市国崎町鎧崎の船揚場付近である。漁を終え船の引揚げも終えたのであろう。採取物を入れたイソカゴを手に海女達が帰り支度を始める。大潮の干潮時だろうか、潮は良く引いている。写真には写されていないが、前の岩場の左側が船揚場で、その上に海女小屋が設えられている。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |
| 2700 | 国崎町(海女)3-3-3 | 鳥羽市国崎町の鎧崎である。漁を終え船の引揚げも終えたのであろう。磯手拭を被り、黒のウエットスーツを身に着け、まだ着替えをしていない海女達が、採取物をイソカゴ(イカシカゴとも言う)に入れて、堤防から吊し畜養する。大半は子供や孫など身内のための食材として、自家消費される物が多いと言う。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.夏 |



