三重大学海女研究センター

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アーカイブ資料/画像資料アーカイブ

画像資料アーカイブPhotograph

海女研究センターが「アーカイブ・データベース事業」で構築してきた文献・画像のデータベースから詳細検索ができます。こちらでは鳥羽市立海の博物館が所蔵する海女や漁村に関する画像について、名称や撮影場所、撮影年、写されている内容を閲覧できます。

418 神島ゴクアゲ(御供上げ)6-3
©鳥羽市立海の博物館

5799 志島の海女船4-1-3
©鳥羽市立海の博物館

5434 波切わらじ祭1-4
©鳥羽市立海の博物館

967 菅島(しろんご祭)3-6-3
©鳥羽市立海の博物館

418 神島ゴクアゲ(御供上げ)6-3
©鳥羽市立海の博物館

5799 志島の海女船4-1-3
©鳥羽市立海の博物館

A16390(波切 わらじ)
©鳥羽市立海の博物館

967 菅島(しろんご祭)3-6-3
©鳥羽市立海の博物館

No. 資料の名称(画像タイトル) 内容(キャプション) 撮影場所 撮影年(西暦)
3101 国崎町(海女)28-1-1 金刀比羅宮鳥羽分社の大祭行列である。写真は昭和47年に国崎町が出発地となった時の行在所(旧国崎公民館)前で、祭典が執り行われる迄の待ち時間を寛ぐ国崎青年団の団員達。(画像№2166~№2172/№2925~№2930/№3048~№3075参照) 鳥羽市国崎町 1972.夏
3102 国崎町(海女)28-1-2 金刀比羅宮鳥羽分社の大祭行列である。写真は昭和47年に国崎町が出発地となった時の行在所(旧国崎公民館)前で、祭典が執り行われる迄の待ち時間を寛ぐ国崎青年団の団員達。(画像№2166~№2172/№2925~№2930/№3048~№3075参照) 鳥羽市国崎町 1972.夏
3103 国崎町(海女)28-1-3 金刀比羅宮鳥羽分社の大祭行列である。写真は昭和47年に国崎町が出発地となった時の行在所(旧国崎公民館)前で、祭典が執り行われる迄の待ち時間を寛ぐ国崎青年団の団員達。(画像№2166~№2172/№2925~№2930/№3048~№3075参照) 鳥羽市国崎町 1972.夏
3104 国崎町(海女)28-1-4 金刀比羅宮鳥羽分社の大祭行列である。写真は昭和47年に国崎町が出発地となった時の行在所(旧国崎公民館)前で、祭典が執り行われる迄の待ち時間を寛ぐ国崎青年団の団員達。入り口の門柱には「金刀比羅宮鳥羽分社大宝前」の幟が見て取れる。(画像№2166~№2172/№2925~№2930/№3048~№3075参照) 鳥羽市国崎町 1972.夏
3105 国崎町(海女)28-1-5 金刀比羅宮鳥羽分社の大祭行列である。写真は昭和47年に国崎町が出発地となった時の行在所(旧国崎公民館)前で、祭典が執り行われる迄の待ち時間を寛ぐ国崎青年団の団員達。入り口の門柱には「金刀比羅宮鳥羽分社大宝前」の幟が見て取れる。(画像№2166~№2172/№2925~№2930/№3048~№3075参照) 鳥羽市国崎町 1972.夏
3106 国崎町(海女)28-1-6 金刀比羅宮鳥羽分社の大祭行列である。写真は昭和47年に国崎町が出発地となった時の行在所(旧国崎公民館)前で、祭典が執り行われる迄の待ち時間を寛ぐ国崎青年団の団員達。入り口の門柱には「金刀比羅宮鳥羽分社大宝前」の幟が見て取れる。(画像№2166~№2172/№2925~№2930/№3048~№3075参照) 鳥羽市国崎町 1972.夏
3107 国崎町(海女)28-2-1 金刀比羅宮鳥羽分社の大祭行列である。写真は昭和47年に国崎町が出発地となった時の行在所(旧国崎公民館)前で、祭典が執り行われる迄の待ち時間を寛ぐ国崎青年団の団員達。入り口の門柱には「金刀比羅宮鳥羽分社大宝前」の幟が見て取れる。(画像№2166~№2172/№2925~№2930/№3048~№3075参照) 鳥羽市国崎町 1972.夏
3108 国崎町(海女)28-2-2 金刀比羅宮鳥羽分社の大祭行列である。写真は昭和47年に国崎町が出発地となった時の行在所(旧国崎公民館)前で、祭典が執り行われる迄の待ち時間を寛ぐ国崎青年団の団員達。(画像№2166~№2172/№2925~№2930/№3048~№3075参照) 鳥羽市国崎町 1972.夏
3109 国崎町(海女)28-2-3 金刀比羅宮鳥羽分社の大祭行列である。写真は昭和47年に国崎町が出発地となった時の行在所(旧国崎公民館)前で、祭典が執り行われる迄の待ち時間を寛ぐ国崎青年団の団員達。(画像№2166~№2172/№2925~№2930/№3048~№3075参照) 鳥羽市国崎町 1972.夏
3110 国崎町(海女)28-2-4 金刀比羅宮鳥羽分社の例大祭である。
写真は昭和47年に国崎町が出発地となった時の行在所(旧国崎公民館)で、金刀比羅宮の神官の一行が到着したようである。(画像№2166~№2172/№2925~№2930/№3048~№3075/№3090参照)
鳥羽市国崎町 1972.夏
3111 国崎町(海女28-2-5 金刀比羅宮鳥羽分社の大祭行列である。写真は昭和47年に国崎町が出発地となった時の行在所(旧国崎公民館)で、金刀比羅宮の神官の一行が到着したようである。(画像№2166~№2172/№2925~№2930/№3048~№3075参照) 鳥羽市国崎町 1972.夏
3112 国崎町(海女)28-2-6 行在所となった旧国崎公民館では、舞台の中央に神輿が置かれ、出発の前の祭典が執り行われた。(画像№2166~№2172/№2925~№2930/№3048~№3075参照) 鳥羽市国崎町 1972.夏
3113 国崎町(海女)28-3-1 行在所となった旧国崎公民館では、舞台の中央に神輿が置かれ、出発の前の祭典が執り行われた。(画像№2166~№2172/№2925~№2930/№3048~№3075参照) 鳥羽市国崎町 1972.夏
3114 国崎町(海女)28-3-2 行在所となった旧国崎公民館では、舞台の中央に神輿が置かれ、出発の前の祭典が執り行われた。(画像№2166~№2172/№2925~№2930/№3048~№3075参照) 鳥羽市国崎町 1972.夏
3115 国崎町(海女)28-3-3 行在所となった旧国崎公民館では、舞台の中央に神輿が置かれ、出発の前の祭典が執り行われた。(画像№2166~№2172/№2925~№2930/№3048~№3075参照) 鳥羽市国崎町 1972.夏
3116 国崎町(海女)28-3-4 行在所となった旧国崎公民館では、出発の前の祭典が執り行われているようである。祭典を見守る国崎町の婦人達。(画像№2166~№2172/№2925~№2930/№3048~№3075参照) 鳥羽市国崎町 1972.夏
3117 国崎町(海女)28-3-5 国崎漁業組合・旅館連合会の連名による「海女さんの由来」案内板である。案内板には「遠く万葉の時代より知られており「垂仁天皇二十六年皇紀六百五十七年」伊勢の五十鈴川上に皇大神宮を鎮座し奉りし後、倭姫命は志摩国崎沖を御巡幸になり鎧崎で弓矢を持って鮑を採ろうとなされた時、おそばにいた蜑婦(海女)の一人が海に潜りてその鮑を差上げると倭姫命は蜑婦のすなどる鮑の美味に打興ぜられ・・・・「悠貴の蜑婦よ変わることなく神宮の御饌に供すべき由を命じ給ふ」この悠貴の蜑婦を祖先とされて居るのです」と記される 鳥羽市国崎町 1972.夏
3118 国崎町(海女)28-3-6 国崎漁業組合・旅館連合会の連名による「海女さんの由来」案内板である。案内板には「遠く万葉の時代より知られており「垂仁天皇二十六年皇紀六百五十七年」伊勢の五十鈴川上に皇大神宮を鎮座し奉りし後、倭姫命は志摩国崎沖を御巡幸になり鎧崎で弓矢を持って鮑を採ろうとなされた時、おそばにいた蜑婦(海女)の一人が海に潜りてその鮑を差上げると倭姫命は蜑婦のすなどる鮑の美味に打興ぜられ・・・・「悠貴の蜑婦よ変わることなく神宮の御饌に供すべき由を命じ給ふ」この悠貴の蜑婦を祖先とされて居るのです」と記される 鳥羽市国崎町 1972.夏
3119 石鏡潜き下り1-1 祭場(漁協前の網小屋)の浜に向う高齢の海女。白木膳には洗米、串柿、ナマス、お神酒、餅、シイバシ、イソノミを乗せている。スライド枠には「2.2.16」と記される。参考文献:在中「野村史隆メモ」/『鳥羽市史』平成3年発行(以下キャプションは同文献を参照) 鳥羽市石鏡町 1990.02.16
3120 石鏡潜き下り1-2 祭場(漁協前の網小屋)に八大竜神の掛軸を掛けて準備をする漁協職員。スライド枠には「2.2.16」と記される。 鳥羽市石鏡町 1990.02.16
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