三重大学海女研究センター

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アーカイブ資料/画像資料アーカイブ

画像資料アーカイブPhotograph

海女研究センターが「アーカイブ・データベース事業」で構築してきた文献・画像のデータベースから詳細検索ができます。こちらでは鳥羽市立海の博物館が所蔵する海女や漁村に関する画像について、名称や撮影場所、撮影年、写されている内容を閲覧できます。

418 神島ゴクアゲ(御供上げ)6-3
©鳥羽市立海の博物館

5799 志島の海女船4-1-3
©鳥羽市立海の博物館

5434 波切わらじ祭1-4
©鳥羽市立海の博物館

967 菅島(しろんご祭)3-6-3
©鳥羽市立海の博物館

418 神島ゴクアゲ(御供上げ)6-3
©鳥羽市立海の博物館

5799 志島の海女船4-1-3
©鳥羽市立海の博物館

A16390(波切 わらじ)
©鳥羽市立海の博物館

967 菅島(しろんご祭)3-6-3
©鳥羽市立海の博物館

No. 資料の名称(画像タイトル) 内容(キャプション) 撮影場所 撮影年(西暦)
3741 古和浦当屋祭2-4 「タイツリの舞」と「弓矢の舞」を奉納する前、集まった氏子たちに向かって挨拶をする一の当と二の当。 度会郡南伊勢町古和浦 1987.12.01
3742 古和浦当屋祭2-5 「湯立て神事」の前、集まった氏子たちを祓う神主。 度会郡南伊勢町古和浦 1987.12.01
3743 古和浦当屋祭2-6 当屋祭の当日は朝から神社で式典が行われる。一の当は太鼓を先頭に、床の間に飾られていた掛の魚、供え物を入れた櫃の順に列を成して神社へ向かう。神社の石段を上る当屋や神主たちの後ろ姿。 度会郡南伊勢町古和浦 1987.12.01
3744 神島ヤリマショ舟1-1 伊勢湾口に浮かぶ周囲4キロほどの神島で12月8日に行われる、「ヤリマショ舟」と呼ばれるカヤの舟を作り、海に流す行事。神島では1年の「事納め」に当たり、翌日から正月の準備に入る。
スライド枠には「カヤ、オヒネリを入れる人々」と記される。参考文献:「海の博物館 展示用スライドナレーション原紙(祭、その他)」綴/『鳥羽市史』平成3年発行(以下キャプションは同文献を参照)
鳥羽市神島町 1986.12.08
3745 神島ヤリマショ舟1-2 当日は、朝から神島の神事を司る「宮持」の経験者が薬師堂に集まってカヤでヤリマショ舟を作る。 鳥羽市神島町 1986.12.08
3746 神島ヤリマショ舟1-3 当日は、朝から神島の神事を司る「宮持」の経験者が薬師堂に集まってカヤでヤリマショ舟を作る。スライド枠には「薬師堂」と記される。 鳥羽市神島町 1986.12.08
3747 神島ヤリマショ舟1-4 当日は、朝から神島の神事を司る「宮持」の経験者が薬師堂に集まってカヤでヤリマショ舟を作る。割った男竹でカヤをしっかりと押さえて仕上げる。スライド枠には「竹で押さえる 11:30」と記される。 鳥羽市神島町 1986.12.08
3748 神島ヤリマショ舟1-5 当日は、朝から神島の神事を司る「宮持」の経験者が薬師堂に集まってカヤでヤリマショ舟を作る。割った男竹でカヤをしっかりと押さえて仕上げる。スライド枠には「仕上げ」と記される。 鳥羽市神島町 1986.12.08
3749 神島ヤリマショ舟1-6 完成した舟の水押に紅白のサガリを付け、艫には牛頭天皇の幟を立てて、7体の人形を乗せる。スライド枠には「安置されている ヤリマショ」と記される。 鳥羽市神島町 1986.12.08
3750 神島ヤリマショ舟1-7 家々では、洗米・小豆・一文銭を半紙に包んでオヒネリを作る。スライド枠には「洗米と金」と記される。 鳥羽市神島町 1986.12.08
3751 神島ヤリマショ舟1-8 オヒネリとカヤで、大黒柱を家族数だけこすり、無病息災を祈る。更に、体の悪い箇所をこすり、回復を祈ることもある。スライド枠には「人の数だけ」と記される。 鳥羽市神島町 1986.12.08
3752 神島ヤリマショ舟1-9 午後になると各家の女性は、エビス貝と呼ぶアワビの貝殻に赤飯・ナマスを入れ、お神酒と共に船玉様にお供えする。スライド枠には「最初は舟玉へ」と記される。 鳥羽市神島町 1986.12.08
3753 神島ヤリマショ舟1-10 その後波打ち際に行き、龍神様へお参りする。スライド枠には「海神へ」と記される。 鳥羽市神島町 1986.12.08
3754 神島ヤリマショ舟1-11 最後に荒神様にお参りして家に帰る。神島の人びとは必ずこの3か所を回る。スライド枠には「コウジンサンお参り」と記される。 鳥羽市神島町 1986.12.08
3755 神島ヤリマショ舟1-12 3時になると、宮持の叩く鐘を合図に、薬師堂に安置されていたヤリマショ舟は、若者に担がれて浜へと向かう。スライド枠には「ミヤモチの若者によりかつがれ出発」と記される。 鳥羽市神島町 1986.12.08
3756 神島ヤリマショ舟1-13 3時になると、宮持の叩く鐘を合図に、薬師堂に安置されていたヤリマショ舟は、若者に担がれて宮持の鐘を先頭に東のセコから出発し、島の中を通って浜へと向かう。スライド枠には「ミヤモチはカネ、太鼓をならす」と記される。 鳥羽市神島町 1986.12.08
3757 神島ヤリマショ舟1-14 ヤリマショ舟が通ると人びとは、「オイヤレ オイヤレ 出雲の国へオイヤレ」とはやし立て、舟にオヒネリとカヤを供える。スライド枠には「家の安全をねがい」と記される。 鳥羽市神島町 1986.12.08
3758 神島ヤリマショ舟1-15 ヤリマショ舟が通ると人びとは、「オイヤレ オイヤレ 出雲の国へオイヤレ」とはやし立て、舟にオヒネリとカヤを供える。スライド枠には「1年の厄払いとて」と記される。 鳥羽市神島町 1986.12.08
3759 神島ヤリマショ舟1-16 家並みを通り抜け浜に着くとヤリマショ舟はリヤカーに乗せられ、待ち受ける人びとの中を、沖へ流しに行くための船へと向かう。スライド枠には「港へ」と記される。 鳥羽市神島町 1986.12.08
3760 神島ヤリマショ舟1-17 家並みを通り抜け浜に着くとヤリマショ舟はリヤカーに乗せられ、待ち受ける人びとの中を、沖へ流しに行くための船へと向かう。その途中でも人びとは最後の供え物をしようと、ヤシマショ舟の周囲に群がる。 鳥羽市神島町 1986.12.08
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