三重大学海女研究センター

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アーカイブ資料/画像資料アーカイブ

画像資料アーカイブPhotograph

海女研究センターが「アーカイブ・データベース事業」で構築してきた文献・画像のデータベースから詳細検索ができます。こちらでは鳥羽市立海の博物館が所蔵する海女や漁村に関する画像について、名称や撮影場所、撮影年、写されている内容を閲覧できます。

418 神島ゴクアゲ(御供上げ)6-3
©鳥羽市立海の博物館

5799 志島の海女船4-1-3
©鳥羽市立海の博物館

5434 波切わらじ祭1-4
©鳥羽市立海の博物館

967 菅島(しろんご祭)3-6-3
©鳥羽市立海の博物館

418 神島ゴクアゲ(御供上げ)6-3
©鳥羽市立海の博物館

5799 志島の海女船4-1-3
©鳥羽市立海の博物館

A16390(波切 わらじ)
©鳥羽市立海の博物館

967 菅島(しろんご祭)3-6-3
©鳥羽市立海の博物館

No. 資料の名称(画像タイトル) 内容(キャプション) 撮影場所 撮影年(西暦)
3761 神島ヤリマショ舟1-18 船に乗せられたヤリマショ舟は、港を出て東の沖へ向かう。スライド枠には「沖で流す」と記される。 鳥羽市神島町 1986.12.08
3762 神島ヤリマショ舟1-19 船に乗せられたヤリマショ舟は、港を出て東の沖へ向かう。沖合約1㎞に達すると右舷から海に下ろされ、しばらくプカプカと波間を漂う。スライド枠には「流す」と記される。 鳥羽市神島町 1986.12.08
3763 神島ヤリマショ舟2-1 家並みを通り抜け浜に着くとヤリマショ舟はリヤカーに乗せられ、待ち受ける人びとの中を、沖へ流しに行くための船へと向かう。その途中でも人びとは最後の供え物をしようと、ヤシマショ舟の周囲に群がる。 鳥羽市神島町 1986.12.08
3764 神島ヤリマショ舟2-2 家々では、洗米・小豆・一文銭を半紙に包んでオヒネリを作る。スライド枠には「オヒネリ」と記される。 鳥羽市神島町 1986.12.08
3765 神島ヤリマショ舟2-3 船に乗せられたヤリマショ舟は、港を出て東の沖へ向かう。沖合約1㎞に達すると右舷から海に下ろされ、しばらくプカプカと波間を漂う。スライド枠には「すぐ転ぷく」と記される。 鳥羽市神島町 1986.12.08
3766 神島ヤリマショ舟2-4 船に乗せられたヤリマショ舟は、港を出て東の沖へ向かう。沖合約1㎞に達すると右舷から海に下ろされ、しばらくプカプカと波間を漂うが、間もなく荒波にのまれて転覆してしまう。スライド枠には「波間に消え」と記される。 鳥羽市神島町 1986.12.08
3767 神島ヤリマショ舟2-5 船に乗せられたヤリマショ舟は、港を出て東の沖へ向かう。スライド枠には「島を離れ」と記される。 鳥羽市神島町 1986.12.08
3768 神島ヤリマショ舟2-6 沖へ流しに行く船に乗せられるヤリマショ舟。スライド枠には「舟のせ」と記される。 鳥羽市神島町 1986.12.08
3769 国崎の熨斗鰒づくり1-1 伊勢神宮の神饌として納められる国崎の熨斗鰒づくりである。熨斗鰒は国崎の神宮御料鰒調製所で大老(たいろう)たちの奉仕によって、大身取・小身取・玉貫の461連が古例のまま製造されている。
写真は、海から撮影した国崎全景。手前がマエの浜で聖なる浜である。かつては当屋祭もこの浜で村中の戸主を招いて行われた。浜の東から鎧崎が続く。スライド枠には「国崎風景」と記される。
参考文献:在中「野村史隆メモ」/「海の博物館 展示用スライドナレーション原紙(祭、その他)」綴/『鳥羽市史』平成3年発行(以下キャプションは同文献を参照)
鳥羽市国崎町 1988.06.10
3770 国崎の熨斗鰒づくり1-2 熨斗鰒が製造される神宮御料鰒調製所、正面。 鳥羽市国崎町 1988.06.10
3771 国崎の熨斗鰒づくり1-3 ノミでアワビの身をはずし、タワシでヌメリをよく洗い流す。その後白木の箱に並べられ、大老に渡される。大老はノシガマで細長く薄く削ぎ、調製所の横にある干し場の竹竿に、身を伸ばしながら干していく。写真は生ムキをしたアワビを干し場に持っていく大老。この作業は国崎にとって大事な行事であり、神宮から支給された白装束で行われる。 鳥羽市国崎町 1988.06.10
3772 国崎の熨斗鰒づくり1-4 干し場でていねいにアワビを干す大老たち。スライド枠には「干し作業 国崎」と記される。 鳥羽市国崎町 1988.06.10
3773 国崎の熨斗鰒づくり1-5 熨斗鰒を作るために必要な用具のすべて。左上からハサミ・キリ・竹輪・右上からノミ・ノシガマ・包丁。スライド枠には「S63 .6.9」と記される。",鳥羽市国崎町" 1988.06.10
3774 国崎の熨斗鰒づくり1-6 まな板の上に並べられた干したアワビ。9寸(約27㎝)の長さに切り、これを半分折りにして身取鰒が作られる。スライド枠には「身取アワビ材」と記される。 鳥羽市国崎町 1988.06.10
3775 国崎の熨斗鰒づくり1-7 9寸のアワビを2つに折り、10枚を重ねて束にしたものを大身取と小身取に仕上げる。キリで穴を開け、ワラの芯(ミゴ)を通して房状に作っていく。キリで穴を開けている大老たち。 鳥羽市国崎町 1988.06.10
3776 国崎の熨斗鰒づくり1-8 キリで穴を開け、ワラの芯(ミゴ)を通して房を作っていく。 鳥羽市国崎町 1988.06.10
3777 国崎の熨斗鰒づくり1-9 仕上がっていく身取鰒。 鳥羽市国崎町 1988.06.10
3778 国崎の熨斗鰒づくり1-10 10枚ずつを重ねてひと房にしたものが大身取(左)、右の枚数の少ない方が小身取である。スライド枠には「大身取 小身取」と記される。 鳥羽市国崎町 1988.06.10
3779 国崎の熨斗鰒づくり1-11 玉貫の材料となる短冊状に切られたアワビ。7㎝半に細く切ったものを12本使ってワラの芯(ミゴ)で編み込んだものが玉貫である。スライド枠には「玉貫材 細切り 24枚」と記される。 鳥羽市国崎町 1988.06.10
3780 国崎の熨斗鰒づくり2-1 玉貫鰒製作の様子。細く切ったアワビをワラの芯(ミゴ)で12段のスダレ状に編み込んでいく。",鳥羽市国崎町" 1988.06.10
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