三重大学海女研究センター

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アーカイブ資料/画像資料アーカイブ

画像資料アーカイブPhotograph

海女研究センターが「アーカイブ・データベース事業」で構築してきた文献・画像のデータベースから詳細検索ができます。こちらでは鳥羽市立海の博物館が所蔵する海女や漁村に関する画像について、名称や撮影場所、撮影年、写されている内容を閲覧できます。

418 神島ゴクアゲ(御供上げ)6-3
©鳥羽市立海の博物館

5799 志島の海女船4-1-3
©鳥羽市立海の博物館

5434 波切わらじ祭1-4
©鳥羽市立海の博物館

967 菅島(しろんご祭)3-6-3
©鳥羽市立海の博物館

418 神島ゴクアゲ(御供上げ)6-3
©鳥羽市立海の博物館

5799 志島の海女船4-1-3
©鳥羽市立海の博物館

A16390(波切 わらじ)
©鳥羽市立海の博物館

967 菅島(しろんご祭)3-6-3
©鳥羽市立海の博物館

No. 資料の名称(画像タイトル) 内容(キャプション) 撮影場所 撮影年(西暦)
3961 磯部の御神田(おみた)4-13 太鼓打ちが乗る田舟。太鼓打ちは、7歳から10歳までの少年(まれに少女)が務める。明治のころは田舟を用いず、直接田に立って太鼓を打っていた。御田植の時には謡に合わせ、また踊り込みの時には警護の踊込み歌に合わせて太鼓を打つ。スライド枠には「61.6.24」と記される。 志摩市磯部町上之郷 1986.06.24
3962 ゴンバウチワ(海の博物館展示)(混入)5-1 (混入)高さが15mほどの忌竹。上下に2個のサシバが付けられ、「ゴンバウチワ」とも呼ばれる。上のサシバは円形で直径2.6m、島台に松竹梅・松の右に太陽・左に三日月・その下に稲穂をくわえた鶴・神酒のそばに亀が描かれている。下のサシバは逆三角形で縦4m、横幅は広い肩の部分で3mあり、五色の帆に千石船が艫を右にして伊雑宮に進むように描かれ、帆には「太一」と大書されている。 海の博物館 不明
3963 磯部の御神田(おみた)5-2 高さが15mほどの忌竹(ゴンバウチワ)が倒される瞬間。2人のエブリサシは御料田に入り、1回で忌竹を取られないように、両側からエブリで支えながらゆっくり倒す。スライド枠には「61.6.24」と記される。 志摩市磯部町上之郷 1986.06.24
3964 磯部の御神田(おみた)5-3 高さが15mほどの忌竹(ゴンバウチワ)が御料田の中に倒された瞬間。裸男たちは忌竹のサシバの絵を奪おうと忌竹に駆け寄る。スライド枠には「61.6.24」と記される。 志摩市磯部町上之郷 1986.06.24
3965 ゴンバウチワ(海の博物館展示)(混入)5-4 高さが15mほどの忌竹。上下に2個のサシバが付けられ、「ゴンバウチワ」とも呼ばれる。上のサシバは円形で直径2.6m、島台に松竹梅・松の右に太陽・左に三日月・その下に稲穂をくわえた鶴・神酒のそばに亀が描かれている。下のサシバは逆三角形で縦4m、横幅は広い肩の部分で3mあり、五色の帆に千石船が艫を右にして伊雑宮に進むように描かれ、帆には「太一」と大書されている。 海の博物館 不明
3966 ゴンバウチワ(海の博物館展示)(混入)5-5 高さが15mほどの忌竹。上下に2個のサシバが付けられ、「ゴンバウチワ」とも呼ばれる。上のサシバは円形で直径2.6m、島台に松竹梅・松の右に太陽・左に三日月・その下に稲穂をくわえた鶴・神酒のそばに亀が描かれている。下のサシバは逆三角形で縦4m、横幅は広い肩の部分で3mあり、五色の帆に千石船が艫を右にして伊雑宮に進むように描かれ、帆には「太一」と大書されている。 海の博物館 不明
3967 磯部の御神田(おみた)5-6 竹取神事。裸男たちは忌竹を3回引き回し、1回これを差し上げて南側の御料田を横切って野川に向かう。野川で泥だらけになった忌竹や体を洗うためである。野川の堤防ではこの竹にあやかるため多くの、特に漁業関係の人たちが集まってこれを求める。忌竹やサシバの和紙は、大漁安全のお守りとして船玉さまに、あるいは五穀豊穣のお守りとして神棚等に祀られる。スライド枠には「61.6.24」と記される。 志摩市磯部町上之郷 1986.06.24
3968 ゴンバウチワ(海の博物館展示)(混入)5-7 高さが15mほどの忌竹。上下に2個のサシバが付けられ、「ゴンバウチワ」とも呼ばれる。上のサシバは円形で直径2.6m、島台に松竹梅・松の右に太陽・左に三日月・その下に稲穂をくわえた鶴・神酒のそばに亀が描かれている。下のサシバは逆三角形で縦4m、横幅は広い肩の部分で3mあり、五色の帆に千石船が艫を右にして伊雑宮に進むように描かれ、帆には「太一」と大書されている。 海の博物館 不明
3969 磯部の御神田(おみた)5-8 竹取神事の後、荒れた田をエブリでならし、御田植えの神事が始まる。それぞれ6人の田道人(タチド)と早乙女(サオトメ)が交互に手を取り合って田の中を横一列に東畔に進む。これを「のぼりわか」という。スライド枠には「61.6.24」と記される。 志摩市磯部町上之郷 1986.06.24
3970 磯部の御神田(おみた)5-9 竹取神事の後、荒れた田をエブリでならし、御田植えの神事が始まる。それぞれ6人の田道人(タチド)と早乙女(サオトメ)が交互に手を取り合って田の中を横一列に東畔に進む。これを「のぼりわか」という。スライド枠には「61.6.24」と記される。 志摩市磯部町上之郷 1986.06.24
3971 磯部の御神田(おみた)5-10 竹取神事の後、荒れた田をエブリでならし、御田植えの神事が始まる。それぞれ6人の田道人(タチド)と早乙女(サオトメ)が交互に手を取り合って田の中を横一列に東畔に進む。これを「のぼりわか」という。スライド枠には「61.6.24」と記される。 志摩市磯部町上之郷 1986.06.24
3972 磯部の御神田(おみた)5-11 竹取神事の後、荒れた田をエブリでならし、御田植えの神事が始まる。それぞれ6人の田道人(タチド)と早乙女(サオトメ)が交互に手を取り合って田の中を横一列に東畔に進む。これを「のぼりわか」という。スライド枠には「61.6.24」と記される。 志摩市磯部町上之郷 1986.06.24
3973 磯部の御神田(おみた)5-12 竹取神事の後、荒れた田をエブリでならし、御田植えの神事が始まる。それぞれ6人の田道人(タチド)と早乙女(サオトメ)が交互に手を取り合って田の中を横一列に東畔に進む。これを「のぼりわか」という。スライド枠には「61.6.24」と記される。 志摩市磯部町上之郷 1986.06.24
3974 磯部の御神田(おみた)5-13 御田植神事。太鼓打ちやササラスリ、笛吹きらが奏でる田楽と謡に合わせて、早乙女と田道人が後ずさりで苗を植えていく。「くだりわか」という。スライド枠には「61.6.24」と記される。 志摩市磯部町上之郷 1986.06.24
3975 磯部の御神田(おみた)5-14 御田植神事。太鼓打ちやササラスリ、笛吹きらが奏でる田楽と謡に合わせて、早乙女と田道人が後ずさりで苗を植えていく。「くだりわか」という。スライド枠には「61.6.24」と記される。 志摩市磯部町上之郷 1986.06.24
3976 磯部の御神田(おみた)5-15 御田植神事。太鼓打ちやササラスリ、笛吹きらが奏でる田楽と謡に合わせて、早乙女と田道人が後ずさりで苗を植えていく。「くだりわか」という。スライド枠には「61.6.24」と記される。 志摩市磯部町上之郷 1986.06.24
3977 磯部の御神田(おみた)5-16 御田植神事。太鼓打ちやササラスリ、笛吹きらが奏でる田楽と謡に合わせて、早乙女と田道人が後ずさりで苗を植えていく。「くだりわか」という。スライド枠には「61.6.24」と記される。 志摩市磯部町上之郷 1986.06.24
3978 磯部の御神田(おみた)6-1 早苗取りが終わり、早苗を手に畦道を歩く田道人と早乙女。裸男たちは畦道に座り、竹取神事に備える。スライド枠には「61.6.24」と記される。 志摩市磯部町上之郷 1986.06.24
3979 磯部の御神田(おみた)6-2 早苗取りが終わり、早苗を手に畦道を歩く田道人と早乙女。裸男たちは畦に座り、竹取神事に備える。スライド枠には「61.6.24」と記される。 志摩市磯部町上之郷 1986.06.24
3980 磯部の御神田(おみた)6-3 早苗取りが終わり、早苗を手に畦道を歩く田道人と早乙女。裸男たちは畦に座り、竹取神事に備える。スライド枠には「61.6.24」と記される。 志摩市磯部町上之郷 1986.06.24
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