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アーカイブ資料/画像資料アーカイブ
画像資料アーカイブPhotograph
海女研究センターが「アーカイブ・データベース事業」で構築してきた文献・画像のデータベースから詳細検索ができます。こちらでは鳥羽市立海の博物館が所蔵する海女や漁村に関する画像について、名称や撮影場所、撮影年、写されている内容を閲覧できます。
画像資料
検索方法について
No. | 資料の名称(画像タイトル) | 内容(キャプション) | 撮影場所 | 撮影年(西暦) |
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4181 | 青峯山(奉納された護摩札)3-9 | 奉納された護摩札。廻船業及び、船を利用し商売を行った商人が奉納したものである。「渡海安全」「海上無難」「客船繁昌」などの願文が記され、幕末から明治初期のものが多い。 | 鳥羽市松尾町 | 1990.09.20 |
4182 | 青峯山(奉納された護摩札)3-10 | 奉納された護摩札。廻船業及び、船を利用し商売を行った商人が奉納したものである。「渡海安全」「海上無難」「客船繁昌」などの願文が記され、幕末から明治初期のものが多い。 | 鳥羽市松尾町 | 1990.09.20 |
4183 | 青峯山(竜宮池と鯨岩)3-11 | 正福寺の本尊十一面観世音菩薩を乗せて相差(おうさつ)から上ってきた鯨の化身と伝えられる。 | 鳥羽市松尾町 | 1990.09.20 |
4184 | 青峯山(正福寺・境内全景)3-12 | 青峯山 正福寺境内の全景。スライド枠には「青峰山」と記される。 | 鳥羽市松尾町 | 1990.09.20 |
4185 | 青峯山(正福寺本堂)3-13 | 青峯山 正福寺の本堂(金堂)。スライド枠には「青峰山正福寺(鳥羽)」と記される。 | 鳥羽市松尾町 | 1990.09.20 |
4186 | 青峯山(正福寺本堂)3-14 | 青峯山 正福寺の本堂(金堂)。スライド枠には「青峰山正福寺(港湾ファイル)」と記される。 | 鳥羽市松尾町 | 1990.09.20 |
4187 | 青峯山(正福寺・境内全景)3-15 | 青峯山 正福寺境内の全景。スライド枠には「青峰山」と記される。 | 鳥羽市松尾町 | 1990.09.20 |
4188 | 青峯山(大門・彫刻)3-16 | 大門は、磯部町的矢の中村九造が棟梁を務めて建てたとも、竹中工務店の先祖が建築にあたったともいわれている。また山門を飾る鶴、亀、菊、松、竹、梅などの縁起物の彫刻は左甚五郎の弟子が彫ったものともいわれる。写真は通路の左上の波間に潜む伊勢海老。見つけにくいことから「隠れ海老」といわれる。スライド枠には「かくれえび」と記される。 | 鳥羽市松尾町 | 1990.09.20 |
4189 | 青峯山(大門・彫刻)3-17 | 大門は、磯部町的矢の中村九造が棟梁を務めて建てたとも、竹中工務店の先祖が建築にあたったともいわれている。また山門を飾る鶴、亀、菊、松、竹、梅などの縁起物の彫刻は左甚五郎の弟子が彫ったものともいわれる。写真は通路の左上の波間に潜む伊勢海老。見つけにくいことから「隠れ海老」といわれる。 | 鳥羽市松尾町 | 1990.09.20 |
4190 | 青峯山(大門・彫刻)3-18 | 大門は、磯部町的矢の中村九造が棟梁を務めて建てたとも、竹中工務店の先祖が建築にあたったともいわれている。また山門を飾る鶴、亀、菊、松、竹、梅などの縁起物の彫刻は左甚五郎の弟子が彫ったものともいわれる。写真は通路の左上の波間に潜む伊勢海老。見つけにくいことから「隠れ海老」といわれる。 | 鳥羽市松尾町 | 1990.09.20 |
4191 | 青峯山(大門・彫刻)3-19 | 大門は、磯部町的矢の中村九造が棟梁を務めて建てたとも、竹中工務店の先祖が建築にあたったともいわれている。また山門を飾る鶴、亀、菊、松、竹、梅などの縁起物の彫刻は左甚五郎の弟子が彫ったものともいわれる。写真は通路の左上の波間に潜む伊勢海老。見つけにくいことから「隠れ海老」といわれる。 | 鳥羽市松尾町 | 1990.09.20 |
4192 | 青峯山(大門・彫刻)3-20 | 大門は、磯部町的矢の中村九造が棟梁を務めて建てたとも、竹中工務店の先祖が建築に当たったともいわれている。山門を飾る鶴、亀、菊、松、竹、梅などの縁起物の彫刻は左甚五郎の弟子が彫ったものともいわれる。写真は通路の左上の波間に潜む伊勢海老。見つけにくいことから「隠れ海老」といわれる。 | 鳥羽市松尾町 | 1990.09.20 |
4193 | 青峯山(鐘楼堂)4-1 | 当初は竜宮池の西側に建っていたが、大正12(1923)年2万7千円の費用を要して現在の場所に再建された。鐘は文化14(1817)年、「勢州川崎辻村藤兵衛・当国堅子村為蔵」の世話で「尾州内海・伊勢川崎」その他大阪の廻船業者などが寄進したものである。スライド枠には「鐘楼堂」と記される。 | 鳥羽市松尾町 | 1990.09.28 |
4194 | 青峯山(鐘楼堂寄付者を記した記念碑)4-2 | 鐘楼堂再建のための寄付金者名を刻んだ記念碑。境内の夫婦杉前に建てられ、20円以上の寄付者20名以上もの名前が刻まれている。寄付者は浜島漁協(志摩市)、加茂村(鳥羽市)をはじめ、伊勢市、愛知県、高知県等にまで至る。総寄付金は2万7千円。スライド枠には「鐘楼堂のキフ」と記される。 | 鳥羽市松尾町 | 1990.09.28 |
4195 | 青峯山(夫婦杉・籠り堂)4-3 | 籠り堂の手前にある1本の大きな杉。平清盛が植えた夫婦杉と呼ばれていたが、伊勢湾台風(昭和34(1959)年)で2本の内1本が倒れてしまい、現在の姿になった。倒れた杉の年輪は400年を超えていたという。スライド枠には「夫婦杉とこもり堂」と記される。 | 鳥羽市松尾町 | 1990.09.28 |
4196 | 青峯山(薬医門・庫裡)4-4 | 薬医門は、祈祷札やお守りを受けに行く時にくぐる門で、「青峰山海の家」「青峰山祈祷事務所」の札が掛けられている。以前は「紫金丹」という猪の臓器を乾燥させ、すりつぶして調合した漢方薬を販売していたため、その名がある。庫裡は、薬医門をくぐった奥にあり、寛政4(1792)年に建築された。 | 鳥羽市松尾町 | 1990.09.28 |
4197 | 青峯山(弁天堂)4-5 | 弁財天女を祀る。この像は「武田信玄が安置した」という伝説がある。最初の弁天堂は元和元(1713)年に建立されたといわれ、現在のお堂は昭和27年頃、昭和19年発生の地震で大破した手水舎の瓦を利用して屋根をふき替えたものである。スライド枠には「弁天堂」と記される。 | 鳥羽市松尾町 | 1990.09.28 |
4198 | 青峯山(大師堂)4-6 | 明治15(1882)年6月8日、境内の一番高い場所に再建された。お堂には弘法大師像が祀られ、左側に恵比寿様、右側に大黒様が安置されている。スライド枠には「大師堂」と記される。 | 鳥羽市松尾町 | 1990.09.28 |
4199 | 青峯山(手水舎)4-7 | 「手洗い場」、または「みずや」とも呼ばれる。本堂前に上がる石段の左側にあり、絶えることのない石清水を落としている「蹲(つくばい)」には「享保15(1730)年」の年号が彫られ、献納物としては「本堂わに口」に次いで古い。スライド枠には「手洗い場」「2.9.28」と記される。 | 鳥羽市松尾町 | 1990.09.28 |
4200 | 青峯山(境内・永代電燈石柱7本)4-8 | 電燈式灯台維持費の寄付者と金額を刻んだ7本の石柱。昭和4(1929)年、志摩電気鉄道(鳥羽賢島間)開通に伴い、現在の電燈式灯台が青峰山頂上の天跡山に建てられたことを示す貴重な資料である。度会郡田曽浦(現南伊勢町)、志摩郡浜島町(現志摩市)等の船主の名がみえ、多くは「海上安全、大漁満足」と刻まれている。スライド枠には「2.9.28」と記される。 | 鳥羽市松尾町 | 1990.09.28 |