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アーカイブ資料/画像資料アーカイブ
画像資料アーカイブPhotograph
海女研究センターが「アーカイブ・データベース事業」で構築してきた文献・画像のデータベースから詳細検索ができます。こちらでは鳥羽市立海の博物館が所蔵する海女や漁村に関する画像について、名称や撮影場所、撮影年、写されている内容を閲覧できます。
画像資料
検索方法について
No. | 資料の名称(画像タイトル) | 内容(キャプション) | 撮影場所 | 撮影年(西暦) |
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4201 | 青峯山(狛犬)4-9 | 本堂に至る石段の左右に一対建立されている。正面に「奉納 豆州安良里(静岡県) 石工大川徳三郎」、裏面に「天保八(1837) 丁酉八月 遠州相良湊(静岡県) 願主 岩工■久七」、そして側面には「願主 三州吉田(愛知県) 運隆丸亀治郎」と刻まれている。スライド枠には「コマ犬」と記される。 | 鳥羽市松尾町 | 1990.09.28 |
4202 | 青峯山(燈明岩)4-10 | 大門を出て磯部道を戻り、東に向かって少し下がった所にある、高さ10メートル以上もの巨石。その下に小さな祠が祀られている。沖を航行する船が時化に合い遭難しかかった時、燈明岩が霊光を発し、航路を導いてくれるといわれた。スライド枠には「燈明岩」と記される。 | 鳥羽市松尾町 | 1990.09.28 |
4203 | 青峯山(護摩岩)4-11 | 松尾道20丁目の丁石の前にある。弘法大師が護摩を焚いたといわれる。岩は8畳ほどの大きさで、4メートルほどの高さがある。スライド枠には「ゴマ岩」「2.9.28」と記される。 | 鳥羽市松尾町 | 1990.09.28 |
4204 | 青峯山(正福寺本堂)4-12 | 正福寺本堂(金堂)正面。境内で最も古い建物であるが建立年は不明。しかし「松尾地下文書」の中に「宝暦2(1752)年 正福寺大破の口上」とされる文書があり、その頃には建立されていたことがわかる。スライド枠には「金堂」と記される。 | 鳥羽市松尾町 | 1990.09.28 |
4205 | 青峯山から見た熊野灘4-13 | 青峯山の眼下に広がる熊野灘。スライド枠には「青峰山から海の風景」と記される。 | 鳥羽市松尾町 | 1990.09.28 |
4206 | 青峯山から見た熊野灘4-14 | 青峯山の眼下に広がる熊野灘。スライド枠には「2.9.28」と記される。 | 鳥羽市松尾町 | 1990.09.28 |
4207 | 青峯山(大門・彫刻)4-15 | 大門は、磯部町的矢の中村九造が棟梁を務めて建てたとも、竹中工務店の先祖が建築にあたったともいわれている。また山門を飾る鶴、亀、菊、松、竹、梅などの縁起物の彫刻は左甚五郎の弟子が彫ったものともいわれる。写真は通路の左上の波間に潜む伊勢海老。見つけにくいことから「隠れ海老」といわれる。スライド枠には「かくれえび」と記される。 | 鳥羽市松尾町 | 1990.09.28 |
4208 | 青峯山(正福寺本堂・内部)4-16 | 中央上部に写る「吊灯籠」には「文政十三(1830)庚寅年十一月 尾州常滑船中 世話人 丹門屋大阪南堀江 桝屋卯兵衛 嶋屋佐右衛門」の銘が刻まれている。中央下の「香炉」には「願主尾州名古屋吉田吉右衛門 同 小ノ浦丸吉丸徳十郎 青峰常香 文政五(1822)年 壬午十二月」とあり世話人9名の名前の他相差村地下中、五知村・沓掛村・山田村・上之郷村・恵利原村・迫間村・築地村・穴川村・下之郷村・坂崎村」と刻まれている。スライド枠には「本堂」と記される。 | 鳥羽市松尾町 | 1990.09.28 |
4209 | 青峯山(竜宮池と鯨岩)4-17 | 正福寺の本尊十一面観世音菩薩を乗せて相差(おうさつ)から上ってきた鯨の化身と伝えられる。 | 鳥羽市松尾町 | 1990.09.28 |
4210 | 青峯山(境内・天跡山の祠)4-18 | 大師堂の左横にある白木造りの小さな祠。戦時中日本軍が天跡山に監視所を建てた時、遷したと伝えられる。スライド枠には「ヤマトヒメ 熊野権現 天跡山よりの堂」と記される。 | 鳥羽市松尾町 | 1990.09.28 |
4211 | 青峯山(狛犬)5-1 | 本堂に至る石段の左右に一対建立されている。正面に「奉納 豆州安良里(静岡県) 石工大川徳三郎」、裏面に「天保八(1837) 丁酉八月 遠州相良湊(静岡県) 願主 岩工■久七」、そして側面には「願主 三州吉田(愛知県) 運隆丸亀治郎」と刻まれている。 | 鳥羽市松尾町 | 1973.02.11 |
4212 | 青峯山(奉納された絵馬)5-2 | 本堂(金堂)から聖天堂に渡る回廊に掛けられている。難船絵馬が多く、風雨の中遭難しかかった船に雲に乗った御幣が光を差しのべている構図が多い。しかし境内付近が山のくぼみの谷あいにあることから多湿であるため大半の絵馬の絵具が剥離し、判読が困難である。スライド枠には「絵馬」と記される。 | 鳥羽市松尾町 | 1973.02.11 |
4213 | 青峯山(奉納された絵馬)5-3 | 本堂(金堂)から聖天堂に渡る回廊に掛けられている。難船絵馬が多く、風雨の中遭難しかかった船に雲に乗った御幣が光を差しのべている構図が多い。しかし境内付近が山のくぼみの谷あいにあることから多湿であるため大半の絵馬の絵具が剥離し、判読が困難である。スライド枠には「絵馬」と記される。 | 鳥羽市松尾町 | 1973.02.11 |
4214 | 青峯山(奉納された絵馬)5-4 | 本堂(金堂)から聖天堂に渡る回廊に掛けられている。難船絵馬が多く、風雨の中遭難しかかった船に雲に乗った御幣が光を差しのべている構図が多い。しかし境内付近が山のくぼみの谷あいにあることから多湿であるため大半の絵馬の絵具が剥離し、判読が困難である。スライド枠には「青ノ峰の絵馬」「S48.2.11」と記される。 | 鳥羽市松尾町 | 1973.02.11 |
4215 | 青峯山(奉納された絵馬)5-5 | 本堂(金堂)から聖天堂に渡る回廊に掛けられている。難船絵馬が多く、風雨の中遭難しかかった船に雲に乗った御幣が光を差しのべている構図が多い。しかし境内付近が山のくぼみの谷あいにあることから多湿であるため大半の絵馬の絵具が剥離し、判読が困難である。スライド枠には「青ノ峰絵馬」「S48.2.11」と記される。 | 鳥羽市松尾町 | 1973.02.11 |
4216 | 青峯山(奉納された絵馬)5-6 | 本堂(金堂)から聖天堂に渡る回廊に掛けられている。難船絵馬が多く、風雨の中遭難しかかった船に雲に乗った御幣が光を差しのべている構図が多い。しかし境内付近が山のくぼみの谷あいにあることから多湿であるため大半の絵馬の絵具が剥離し、判読が困難である。スライド枠には「青峰ノ絵馬」と記される。 | 鳥羽市松尾町 | 1973.02.11 |
4217 | 青峯山(奉納された絵馬)5-7 | 本堂(金堂)から聖天堂に渡る回廊に掛けられている。難船絵馬が多く、風雨の中遭難しかかった船に雲に乗った御幣が光を差しのべている構図が多い。しかし境内付近が山のくぼみの谷あいにあることから多湿であるため大半の絵馬の絵具が剥離し、判読が困難である。スライド枠には「S47 8月絵馬」と記される。 | 鳥羽市松尾町 | 1972.08 |
4218 | 青峯山(奉納された絵馬)5-8 | 本堂(金堂)から聖天堂に渡る回廊に掛けられている。難船絵馬が多く、風雨の中遭難しかかった船に雲に乗った御幣が光を差しのべている構図が多い。しかし境内付近が山のくぼみの谷あいにあることから多湿であるため大半の絵馬の絵具が剥離し、判読が困難である。スライド枠には「絵馬堂」「2.9.28」と記される。 | 鳥羽市松尾町 | 1990.09.28 |
4219 | 青峯山(奉納された絵馬)5-9 | 本堂(金堂)から聖天堂に渡る回廊に掛けられている。難船絵馬が多く、風雨の中遭難しかかった船に雲に乗った御幣が光を差しのべている構図が多い。しかし境内付近が山のくぼみの谷あいにあることから多湿であるため大半の絵馬の絵具が剥離し、判読が困難である。スライド枠には「川上紋三郎絵馬」「2.9.28」と記される。 | 鳥羽市松尾町 | 1990.09.28 |
4220 | 青峯山(御船祭)6-1 | 毎年旧正月18日、大会式の「御船祭(おふなまつり)」が行われる。境内に多数の大漁旗がなびき、露天商が参道まで軒を並べ、終日多くの参拝者で賑わう。 | 鳥羽市松尾町 | (不明) |