三重大学海女研究センター

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アーカイブ資料/画像資料アーカイブ

画像資料アーカイブPhotograph

海女研究センターが「アーカイブ・データベース事業」で構築してきた文献・画像のデータベースから詳細検索ができます。こちらでは鳥羽市立海の博物館が所蔵する海女や漁村に関する画像について、名称や撮影場所、撮影年、写されている内容を閲覧できます。

418 神島ゴクアゲ(御供上げ)6-3
©鳥羽市立海の博物館

5799 志島の海女船4-1-3
©鳥羽市立海の博物館

5434 波切わらじ祭1-4
©鳥羽市立海の博物館

967 菅島(しろんご祭)3-6-3
©鳥羽市立海の博物館

418 神島ゴクアゲ(御供上げ)6-3
©鳥羽市立海の博物館

5799 志島の海女船4-1-3
©鳥羽市立海の博物館

A16390(波切 わらじ)
©鳥羽市立海の博物館

967 菅島(しろんご祭)3-6-3
©鳥羽市立海の博物館

No. 資料の名称(画像タイトル) 内容(キャプション) 撮影場所 撮影年(西暦)
1921 和具の海女(舟人)A-5-7 スライド枠には「和具浦 2.3.30」と記される。破れた網を繕うためのアバリと小刀等。アバリは孟宗竹等を割って作られるが、以前は使い勝手がいいように、それぞれの漁師が自作したという。 志摩市志摩町和具 1990.03.30
1922 和具の海女(舟人)A-5-8 スライド枠には「和具浦 2.3.30」と記される。破れた網を繕うためのアバリと小刀等。アバリは孟宗竹等を割って作られるが、以前は使い勝手がいいように、それぞれの漁師が自作したという。 志摩市志摩町和具 1990.03.30
1923 和具の海女(舟人)A-5-9 スライド枠には「和具浦 2.3.30」と記される。志摩町和具の漁港風景かと思われる。刺網が干されている。 志摩市志摩町和具 1990.03.30
1924 和具の海女(舟人)A-5-10 スライド枠には「和具浦 2.3.30」と記される。海女小屋の外観。外壁も屋根もトタンで張られている。志摩町和具における海女漁の口開けは3月中旬とされることから、撮影時にはすでに海女漁が始まっていたと思われる。 志摩市志摩町和具 1990.03.30
1925 和具の海女(舟人)A-5-11 スライド枠には「和具浦 2.3.30」と記される。海女小屋の内部である。火床にはアルミニュウムの洗面器がかぶせられてはいるが、薪か積上げられ、ヤカンや火バサミ、黒のウエットスーツの帽子、サンダルが置かれ、磯着等が干されているのが見て取れる。 志摩市志摩町和具 1990.03.30
1926 和具の海女(舟人)A-5-12 スライド枠には「和具浦 2.3.30」と記される。海女小屋の内部である。火床にはアルミニュウムの洗面器がかぶせられてはいるが、薪か積上げられ、ヤカンや火バサミ、黒のウエットスーツの帽子、サンダルが置かれ、磯着等が干されているのが見て取れる。 志摩市志摩町和具 1990.03.30
1927 和具の海女(舟人)A-5-13 スライド枠には「和具浦 2.3.30」と記される。海女小屋の戸口で、海女漁に用いる木綿の布を縫い合わせた帽子を手に取る海女。後にはイソカゴがぶら下げられている。№1918の女生と同一人物であると思われる。 志摩市志摩町和具 1990.03.30
1928 和具の海女(舟人)A-5-14 スライド枠には「和具浦 2.3.30」と記される。海女漁に用いる木綿の布を縫い合わせた帽子を被る海女。頭の上に来る部分に「南■■■地蔵菩薩」の文字が朱で記されている。 志摩市志摩町和具 1990.03.30
1929 和具の舟人A-6-1 このスライドの前にはめ込まれるタイトルスライドには「和具の舟人 A-6」と記され、スライド枠には「和具 2.4.11」と記される。海女達が頭に被る磯手拭いである。海上安全を祈る「青峯山」、「南■■■地蔵菩薩」、「千手院」、「海上守護■■■■」等の朱印が押され、トモカズキから身を守るとされる呪符(六芒星)が縫い込まれている。 志摩市志摩町和具 1990.04.11
1930 和具の舟人A-6-2 スライド枠には「和具 2.4.11」と記される。海女達が頭に被る磯手拭いである。海上安全を祈る「青峯山」、「南■■■地蔵菩薩」、「信貴山千手院」、「海上守護■■■■」等の朱印が押され、トモカズキから身を守るとされる呪符(六芒星)が黒糸で縫い込まれている。 志摩市志摩町和具 1990.04.11
1931 和具の舟人A-6-3 スライド枠には「和具 2.4.11」と記される。干されているのは海女達が頭に被る磯手拭いである。海上安全を祈る「青峯山」、「南■■■地蔵菩薩」、「信貴山千手院」、「海上守護■■■■」等の朱印が押され、トモカズキから身を守るとされる呪符(六芒星)が黒糸で縫い込まれている。 志摩市志摩町和具 1990.04.11
1932 和具の舟人A-6-4 スライド枠には「和具 2.4.11」と記される。志摩町和具の舟人海女の船上風景である。黒のウエットスーツの上から白の磯着を身に付け、磯手拭いを被った老海女が、操業の合図を待つ。磯手拭いには、海上安全を祈る青峯山の朱印が押され、トモカズキから身を守るとされる呪符(六芒星)が黒糸で縫い込まれている。 志摩市志摩町和具 1990.04.11
1933 和具の舟人A-6-5 スライド枠には「和具 2.4.11」と記される。志摩町和具の舟人海女の船上風景である。黒のウエットスーツの上から白の磯着を身に付け、磯手拭いを被った老海女が、操業の合図を待つ。磯手拭いには、海上安全を祈る青峯山の朱印が押され、トモカズキから身を守るとされる呪符(六芒星)が黒糸で縫い込まれている。 志摩市志摩町和具 1990.04.11
1934 和具の舟人A-6-6 スライド枠には「和具 2.4.11」と記される。志摩町和具の舟人海女の船上風景である。黒のウエットスーツの上から白の磯着を身に付け、磯手拭いを被った老海女が、操業の合図を待つ。磯手拭いには、海上安全を祈る青峯山の朱印が押され、トモカズキから身を守るとされる呪符(六芒星)が黒糸で縫い込まれている。 志摩市志摩町和具 1990.04.11
1935 和具の舟人A-6-7 スライド枠には「和具 2.4.11」と記される。操業を終え、漁業協同組合の市場に出荷する海女達。この日はテレビ取材があったのか、写真右上にカメラやマイクを持った人々も写り込んでいる。 志摩市志摩町和具 1990.04.11
1936 和具の舟人A-6-8 スライド枠には「和具 2.4.11」と記される。操業を終え、漁業協同組合の市場に出荷する海女達。鮑は、種類や傷の有無など一個一個の検品と計量が行われていく。出荷する海女も、それを受け取る組合員も真剣である。 志摩市志摩町和具 1990.04.11
1937 和具の舟人A-6-9 スライド枠には「和具 2.4.11」と記される。海女小屋の火床で薪を焚き、普段着姿の海女が体を温める。小屋の隅には薪が積上げられ、傍らには海女の用具を入れたフゴやヤカン、火バサミ等が見て取れる。 志摩市志摩町和具 1990.04.11
1938 神島A-7-1 このスライドの前にはめ込まれるタイトルスライド枠には「神島 A-7 栗原ネガ 47.8.4」と記され、スライド枠には「神島」と記される。神島では「ノセノセ」とも呼ばれるノリアイ海女の船上風景である。一艘の船に何人かの海女を乗せ、磯場まで行き操業をする海女達であるが白の磯着が濡れているとこるからすると、操業を終え帰港する所かも知れない。撮影は昭和47年であるが、まだ櫓漕ぎの木造船で、船上にはハッポースチロール製のタンポが見て取れる。 鳥羽市神島町 1972.08.04
1939 神島A-7-2 市営定期船の神島発着桟橋の風景である。右端の船は「中ノ郷~佐田浜~神島」を就航する鳥羽市営定期船第十六鳥羽丸である。当時の桟橋はまだ固定式の桟橋で、潮の干満によっては甲板と桟橋に2m近い段差ができ、荷物の積み下ろしや人々の乗降には大層苦労したものである。桟橋にはビールやミエライスと書かれて米袋が積上げられているが、島の日常生活に必要な物資の大半はこの定期船で運び込まれる。 鳥羽市神島町 1972.08.04
1940 神島A-7-3 市営定期船の神島発着桟橋の風景である。右端の船は「中ノ郷~佐田浜~神島」を就航する鳥羽市営定期船第十六鳥羽丸である。当時の桟橋はまだ固定式の桟橋で、潮の干満によっては甲板と桟橋に2m近い段差ができ、荷物の積み下ろしや人々の乗降には大層苦労したものである。桟橋にはビールやミエライスと書かれて米袋が積上げられているが、島の日常生活に必要な物資の大半はこの定期船で運び込まれる。 鳥羽市神島町 1972.08.04
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