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アーカイブ資料/画像資料アーカイブ
画像資料アーカイブPhotograph
海女研究センターが「アーカイブ・データベース事業」で構築してきた文献・画像のデータベースから詳細検索ができます。こちらでは鳥羽市立海の博物館が所蔵する海女や漁村に関する画像について、名称や撮影場所、撮影年、写されている内容を閲覧できます。
画像資料
検索方法について
| No. | 資料の名称(画像タイトル) | 内容(キャプション) | 撮影場所 | 撮影年(西暦) |
|---|---|---|---|---|
| 2221 | 国崎のトトカカ舟B-9-18 | 磯場に到着し、操業の準備を進める海女船。写真中央左の岩場に十数人の白い磯着姿の人々が写されているが、徒人海女かと思われる。後ろの山腹をパールロードが走る。その下に点在する白い建造物は、「サンレポータウン」の名称で宅地開発された別荘地である。スライド枠には「47.8.17」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.08.17 |
| 2222 | 国崎の海女B-10-1 | 舟人海女の操業風景である。海底の海女から合図があると、船上にいるトマエが、イソグルマに掛けたイキヅナ(イノチヅナ)を一気に手繰上げる。海面に顔を出した海女は磯笛と呼ばれる独特の呼吸法で息を継ぐ。右手にはカギノミが握られている。このスライドの前にはめ込まれた紙製のタイトルスライドには「国崎の海女 栗原達男 B-10 47.8.17」と記され、スライド枠には「国崎 47.8.17」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.08.17 |
| 2223 | 国崎の海女B-10-2 | アワビの出荷風景である。海女漁を終え、採ってきた鮑を出荷する国崎町の海女達。アワビは種類やキズ等の点検が行われた後、計量され、記録されていく。また、スンポと呼ばれる木製の計測器で測り、基準に見たない小さなアワビは海に帰される。スライド枠には「国崎 47.8.17」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.08.17 |
| 2224 | 国崎の海女B-10-3 | 海女漁で採ってきた鮑や栄螺を国崎漁港の堤防に畜養する海女達。その日に出荷しない鮑や栄螺等、イソカゴに入れて堤防から吊し生かしておく。子供や孫達に食べさす自家消費用の物が多いと言う。スライド枠には「国崎 47.8.17」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.08.17 |
| 2225 | 国崎の海女B-10-4 | 海女漁で採ってきた鮑や栄螺を国崎漁港の堤防に畜養する海女達。漁から戻って間もないのか、まだウエットスーツの姿である。その日に出荷しない鮑や栄螺等、イソカゴに入れて堤防から吊し生かしておく。子供や孫達に食べさす自家消費用の物が多いと言う。スライド枠には「国崎 47.8.17」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.08.17 |
| 2226 | 国崎の海女B-10-5 | 刺網を点検する婦人。漁場から揚げられた刺網は、魚をはずした後、海藻やゴミ等を取り除き破れた所は繕って干される。スライド枠には「国崎 47.8.17」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.08.17 |
| 2227 | 国崎の海女B-10-6 | 出荷を終えて帰宅するところなのか、イソカゴを吊したイナイボウ(天秤棒)代わりの木の枝や板を担いで堤防道路を歩く海女達。鳥羽市商工観光課の「昭和48年11月現在 鳥羽市海女就業者綴」によれば、国崎町の海女就業者数は153人(徒人海女:100人/舟人海女:53人)と記されている。スライド枠には「国崎 47.8.17」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.08.17 |
| 2228 | 国崎の海女B-10-7 | 軒先に干された黒のウエットスーツ。海女漁から戻るとウエットスーツは水で洗い乾燥させる。スライド枠には「国崎 47.8.17」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.08.17 |
| 2229 | 国崎の海女B-10-8 | 夕闇に包まれた国崎町の集落景観。夕涼みでもしているのだろうか、軒先の外灯の下には2人の子供の姿が見られる。スライド枠には「国崎 47.8.17」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.08.17 |
| 2230 | 国崎の海女B-10-9 | 舟人海女の操業風景である。海底の海女から合図があると、船上にいるトマエが、イソグルマに掛けたイキヅナ(イノチヅナ)を一気に手繰上げる。海面に顔を出した海女は磯笛と呼ばれる独特の呼吸法で息を継ぐ。右手には、地元の海女がオオザシと呼ぶ「ノミ」が握られ、船縁には海女が採ったアワビやサザエを入れるイソカゴが吊されている。スライド枠には「国崎 47.8.17」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1972.08.17 |
| 2231 | 国崎の海女B-11-1 | これから出漁するのか、操業を終えて帰港した所なのか、国崎の舟人海女である。漁港が十分に整備されていない時代、操業を終えた漁船はその都度陸に引き揚げられた。艫の近くには船の上げ下ろしに使用するコロ(丸太)が見える。スライド枠には「国崎の海女 48.7.31」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1973.07.31 |
| 2232 | 国崎の海女B-11-2 | アワビの出荷風景である。子供を背負い、採ってきた鮑を出荷する国崎町の海女。アワビは種類や大きさ、キズ等の点検が行われた後、計量され記録される。計量器の側面には「組合№2」の文字が見える。スライド枠には「48.7.31」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1973.07.31 |
| 2233 | 国崎の海女B-11-3 | これから出漁するのか、操業を終えて帰港した所なのか、国崎の舟人海女である。漁港が十分に整備されていない時代、操業を終えた漁船はその都度陸に引き揚げられた。艫の近くには船の上げ下ろしに使用するコロ(丸太)が見える。スライド枠には「48.7.31」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1973.07.31 |
| 2234 | 国崎の海女B-11-4 | 網を繕う漁師。海が荒れ出漁できない日などには、網の繕いや漁の準備が行われる。口に咥えているのはアバリと呼ばれる、網を繕うための道具である。アバリは竹を削って作られる物が多いが、網の種類によってその大きさも様々である。スライド枠には「48.7.31」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1973.07.31 |
| 2235 | 国崎の海女B-11-5 | アワビの出荷風景である。海女漁を終え、採ってきた鮑を出荷する国崎町の海女達。アワビは種類や大きさ、キズ等の点検が行われた後、計量され、記録されていく。また、スンポと呼ばれる木製の計測器で測り、基準に見たない小さなアワビは海に帰される。スライド枠には「48.7.31」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1973.07.31 |
| 2236 | 国崎の海女B-11-6 | 畑仕事にでも行くのか、手拭いを被り、肩に篭を掛けた婦人が堤防を歩いて行く。道路には、アラメかカジメが干されている。国崎町の生業は漁業が中心であるが、半農半漁の町である。海女達は、海女漁を終えた後や、休漁日には家事や子育てをしながら畑仕事にも精を出す。スライド枠には「48.7.31」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1973.07.31 |
| 2237 | 安乗(海女)C-1-1 | ニワの浜で、ビニールシートで日陰を作り、ホウサイエビ(クルマエビ)の網の補修をする漁師とその家族。妻も補修に加わることがあった。乳母車には孫らしき子どもが乗せられ、そばに居る女性に話しかけているようだ。テントの日陰では、作業だけでなく昼食をとるなど様々な過ごし方があった。写真の後方には、エビ網を干す十字状のハサが並んでいる。磯で使ったのだろうか、えんじ色のジャージも干されている。現在(2023年)は化学繊維の網に変わったため、ハサで干さずにカゴに入れているが、当時は昼過ぎに乾いた網を取り込み、たたんで収納小屋へ運んでいた。ハサは安乗の各浜にあった。(「岬に響く 安乗の暮らし写真展」報告書より)タイトルスライド枠には「安乗(海女) 栗原達男 C-1 47.8.24」と記され、スライド枠には「47.8.24」と記される。 | 志摩市阿児町安乗 | 1972.08.24 |
| 2238 | 安乗(海女)C-1-2 | スライド枠には「47.8.24」と記される。阿児町安乗の海であろう。 | 志摩市阿児町安乗 | 1972.08.24 |
| 2239 | 安乗(海女)C-1-3 | スライド枠には「47.8.24」と記される。安乗ノリアイ海女の磯場へと向かう出漁風景である。船頭の前には、白の磯手拭と磯着を身に付けた7人の海女達が乗り込んでいる。手元には発泡スチロール製のタンポや、地元でノミと呼ばれるカギノミが見て取れる。ここ安乗地区では、ウエットスーツの着用が禁止されている様である。(参考:『海女習俗基礎調査報告書-平成22.23年度調査』) | 志摩市阿児町安乗 | 1972.08.24 |
| 2240 | 安乗(海女)C-1-4 | スライド枠には「47.8.24」と記される。安乗ノリアイ海女の船上風景である。磯場近くに到着したのであろう、白の磯手拭と磯着を身に着けた海女達が操業開始の合図を待つ。ここ安乗地区では、ウエットスーツの着用が禁止されている様である。(参考:『海女習俗基礎調査報告書-平成22.23年度調査』) | 志摩市阿児町安乗 | 1972.08.24 |



