三重大学海女研究センター

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アーカイブ資料/画像資料アーカイブ

画像資料アーカイブPhotograph

海女研究センターが「アーカイブ・データベース事業」で構築してきた文献・画像のデータベースから詳細検索ができます。こちらでは鳥羽市立海の博物館が所蔵する海女や漁村に関する画像について、名称や撮影場所、撮影年、写されている内容を閲覧できます。

418 神島ゴクアゲ(御供上げ)6-3
©鳥羽市立海の博物館

5799 志島の海女船4-1-3
©鳥羽市立海の博物館

5434 波切わらじ祭1-4
©鳥羽市立海の博物館

967 菅島(しろんご祭)3-6-3
©鳥羽市立海の博物館

418 神島ゴクアゲ(御供上げ)6-3
©鳥羽市立海の博物館

5799 志島の海女船4-1-3
©鳥羽市立海の博物館

A16390(波切 わらじ)
©鳥羽市立海の博物館

967 菅島(しろんご祭)3-6-3
©鳥羽市立海の博物館

No. 資料の名称(画像タイトル) 内容(キャプション) 撮影場所 撮影年(西暦)
2941 国崎町(海女)18-3-3 国崎町の街並み景観である。国崎町はかつて大津波で集落が流されたため、漁港である大津浜から鎧崎の前の浜に至る小高い丘の上に現在(2023年)の集落が築かれたと言われる。斜面を敷地として活用するため、集落の随所にこのような石積みが見られる。石積みの隙間に棒を刺して物干し用の竿が掛けられている。民家への入り口に、篭を前に一人の男性がしゃがみ込んでいる。 鳥羽市国崎町 1972.夏
2942 国崎町(海女)18-3-4 国崎町の街並み景観である。国崎町はかつて大津波で集落が流されたため、漁港である大津浜から鎧崎の前の浜に至る小高い丘の上に現在(2023年)の集落が築かれたと言われる。斜面を敷地として活用するため、集落の随所にこのような石積みが見られる。石積みの隙間に棒を刺して物干し用の竿が掛けられている。民家への入り口に、篭を前に一人の男性がしゃがみ込んでいる。 鳥羽市国崎町 1972.夏
2943 国崎町(海女)18-3-5 国崎町の街並み景観である。国崎町はかつて大津波で集落が流されたため、漁港である大津浜から鎧崎の前の浜に至る小高い丘の上に現在(2023年)の集落が築かれたと言われる。斜面を敷地として活用するため、集落の随所にこのような石積みが見られる。石積みの隙間に棒を刺して物干し用の竿が掛けられている。民家への入り口に、篭を前に一人の男性がしゃがみ込んでいる。 鳥羽市国崎町 1972.夏
2944 国崎町(海女)18-3-6 鳥羽市国崎町舟人海女の磯場へと向かう出漁(船上)風景である。船上の海女は、磯手拭を被り黒のウエットスーツを身に着けている。 鳥羽市国崎町 1972.夏
2945 国崎町(海女)19-1-1 鳥羽市国崎町舟人海女の磯場へと向かう出漁風景である。磯手拭を被り黒のウエットスーツを身に着けた海女を乗せた、数隻の海女船が磯場へと急ぐ。 鳥羽市国崎町 1972.夏
2946 国崎町(海女)19-1-2 鳥羽市国崎町舟人海女の磯場へと向かう出漁風景である。磯手拭を被り黒のウエットスーツを身に着けてた海女を乗せた数隻の海女船が磯場へと急ぐ。 鳥羽市国崎町 1972.夏
2947 国崎町(海女)19-1-3 鳥羽市国崎町舟人海女の磯場へと向かう出漁(船上)風景である。船上の海女は、磯手拭を被り黒のウエットスーツを身に着け、腰には鉛のベルトとスカリを付けている。(写真は、世古昌生氏の海女船かと思われる。画像№1581参照) 鳥羽市国崎町 1972.夏
2948 国崎町(海女)19-1-4 鳥羽市国崎町舟人海女の磯場へと向かう出漁(船上)風景である。船上の海女は、磯手拭を被り黒のウエットスーツを身に着けている。(写真は、世古昌生氏の海女船かと思われる。画像№1581参照) 鳥羽市国崎町 1972.夏
2949 国崎町(海女)19-1-5 鳥羽市国崎町舟人海女の操業風景である。ここ国崎町では舟人海女の事を夫婦で操業する事から「ととかか舟」とも呼ぶ。船頭が命綱を手繰上げ、海面に浮上した海女は、磯笛と呼ばれる独特の呼吸法で息を整えた後、船縁に掴まって体を休め次の潜水へと備える。その間、船頭は目的の磯場から船が移動してしまわないように艪を使って船を操る。イソグルマの下には、海女の採取物を入れるためのイソカゴが吊されている。 鳥羽市国崎町 1972.夏
2950 国崎町(海女)19-1-6 鳥羽市国崎町舟人海女の操業風景である。海底の海女から合図があると、船頭は磯グルマに掛けた命綱を一気に手繰上げる。僅かな気の緩みが大きな事故へとつながってしまう、阿吽の呼吸が必要とされる。ここ国崎町で舟人海女のことを「ととかか舟」と呼ぶ所以でもある。イソグルマの下には、海女の採取物を入れるためのイソカゴが吊されている。 鳥羽市国崎町 1972.夏
2951 国崎町(海女)19-2-1 鳥羽市国崎町舟人海女の操業風景である。海底の海女から合図があると、船頭は磯グルマに掛けた命綱を一気に手繰上げる。カギノミを手に海面に浮上した海女は、磯笛と呼ばれる独特の呼吸法で息を整える。僅かな気の緩みが大きな事故へとつながってしまう、阿吽の呼吸が必要とされる。ここ国崎町で舟人海女のことを「ととかか舟」と呼ぶ所以でもある。イソグルマの下には、海女の採取物を入れるためのイソカゴが吊されている。 鳥羽市国崎町 1972.夏
2952 国崎町(海女)19-2-2 鳥羽市国崎町舟人海女の操業風景である。ここ国崎町では舟人海女の事を夫婦で操業する事から「ととかか舟」とも呼ぶ。船頭が命綱を手繰上げ、海面に浮上した海女は、磯笛と呼ばれる独特の呼吸法で息を整えた後、船縁に掴まって体を休め次の潜水へと備える。その間、船頭は目的の磯場から船が移動してしまわないように艪を使って船を操る。イソグルマの下には、海女の採取物を入れるためのイソカゴが吊されている。 鳥羽市国崎町 1972.夏
2953 国崎町(海女)19-2-3 鳥羽市国崎町舟人海女の操業風景である。海底の海女から合図があると、船頭は磯グルマに掛けた命綱を一気に手繰上げる。カギノミを手に海面に浮上した海女は、磯笛と呼ばれる独特の呼吸法で息を整える。僅かな気の緩みが大きな事故へとつながってしまう、阿吽の呼吸が必要とされる。ここ国崎町で舟人海女のことを「ととかか舟」と呼ぶ所以でもある。イソグルマの下には、海女の採取物を入れるためのイソカゴが吊されている。 鳥羽市国崎町 1972.夏
2954 国崎町(海女)19-2-4 鳥羽市国崎町舟人海女の操業風景である。ここ国崎町では舟人海女の事を夫婦で操業する事から「ととかか舟」とも呼ぶ。船頭が命綱を手繰上げ、海面に浮上した海女は、磯笛と呼ばれる独特の呼吸法で息を整えた後、船縁に掴まって体を休め次の潜水へと備える。その間、船頭は目的の磯場から船が移動してしまわないように艪を使って船を操る。イソグルマの下には、海女の採取物を入れるためのイソカゴが吊されている。 鳥羽市国崎町 1972.夏
2955 国崎町(海女)19-2-5 鳥羽市国崎町舟人海女の操業風景である。ここ国崎町では舟人海女の事を夫婦で操業する事から「ととかか舟」とも呼ぶ。船頭が命綱を手繰上げ、海面に浮上した海女は、磯笛と呼ばれる独特の呼吸法で息を整えた後、船縁に掴まって体を休め次の潜水へと備える。その間、船頭は目的の磯場から船が移動してしまわないように艪を使って船を操る。イソグルマの下には、海女の採取物を入れるためのイソカゴが吊されている。 鳥羽市国崎町 1972.夏
2956 国崎町(海女)19-2-6 鳥羽市国崎町舟人海女の操業風景である。ここ国崎町では舟人海女の事を夫婦で操業する事から「ととかか舟」とも呼ぶ。船頭が命綱を手繰上げ、海面に浮上した海女は、磯笛と呼ばれる独特の呼吸法で息を整えた後、船縁に掴まって体を休め次の潜水へと備える。その間、船頭は目的の磯場から船が移動してしまわないように艪を使って船を操る。イソグルマの下には、海女の採取物を入れるためのイソカゴが吊されている。 鳥羽市国崎町 1972.夏
2957 国崎町(海女)19-3-1 鳥羽市国崎町舟人海女の操業風景である。ここ国崎町では舟人海女の事を夫婦で操業する事から「ととかか舟」とも呼ぶ。船頭が命綱を手繰上げ、海面に浮上した海女は、磯笛と呼ばれる独特の呼吸法で息を整えた後、船縁に掴まって体を休め次の潜水へと備える。その間、船頭は目的の磯場から船が移動してしまわないように艪を使って船を操る。イソグルマの下には、海女の採取物を入れるためのイソカゴが吊されている。 鳥羽市国崎町 1972.夏
2958 国崎町(海女)19-3-2 鳥羽市国崎町舟人海女の操業風景である。海底の海女から合図があると、船頭は磯グルマに掛けた命綱を一気に手繰上げる。僅かな気の緩みが大きな事故へとつながってしまう、阿吽の呼吸が必要とされる。ここ国崎町で舟人海女のことを「ととかか舟」と呼ぶ所以でもある。イソグルマの下には、海女の採取物を入れるためのイソカゴが吊されている。 鳥羽市国崎町 1972.夏
2959 国崎町(海女)19-3-3 鳥羽市国崎町舟人海女の操業風景である。海底の海女から合図があると、船頭は磯グルマに掛けた命綱を一気に手繰上げる。カギノミを手に海面に浮上した海女は、磯笛と呼ばれる独特の呼吸法で息を整える。僅かな気の緩みが大きな事故へとつながってしまう、阿吽の呼吸が必要とされる。ここ国崎町で舟人海女のことを「ととかか舟」と呼ぶ所以でもある。イソグルマの下には、海女の採取物を入れるためのイソカゴが吊されている。 鳥羽市国崎町 1972.夏
2960 国崎町(海女)19-3-4 鳥羽市国崎町舟人海女の操業風景である。国崎町では舟人海女の事を夫婦で操業する事から「ととかか舟」とも呼ぶ。命綱を手に、勢いよく腰近くまで海面に浮上した海女は、磯笛と呼ばれる独特の呼吸法で息を整える。 鳥羽市国崎町 1972.夏
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