三重大学海女研究センター

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アーカイブ資料/画像資料アーカイブ

画像資料アーカイブPhotograph

海女研究センターが「アーカイブ・データベース事業」で構築してきた文献・画像のデータベースから詳細検索ができます。こちらでは鳥羽市立海の博物館が所蔵する海女や漁村に関する画像について、名称や撮影場所、撮影年、写されている内容を閲覧できます。

418 神島ゴクアゲ(御供上げ)6-3
©鳥羽市立海の博物館

5799 志島の海女船4-1-3
©鳥羽市立海の博物館

5434 波切わらじ祭1-4
©鳥羽市立海の博物館

967 菅島(しろんご祭)3-6-3
©鳥羽市立海の博物館

418 神島ゴクアゲ(御供上げ)6-3
©鳥羽市立海の博物館

5799 志島の海女船4-1-3
©鳥羽市立海の博物館

A16390(波切 わらじ)
©鳥羽市立海の博物館

967 菅島(しろんご祭)3-6-3
©鳥羽市立海の博物館

No. 資料の名称(画像タイトル) 内容(キャプション) 撮影場所 撮影年(西暦)
7101 安乗人形芝居12-1-1 衣装を着けた頭(かしら)。絵本太功記の光秀。 志摩市阿児町安乗 1979.9.15
7102 安乗神社 対い鳩(むかいばと)12-1-2 現在安乗神社が鎮座している地は、八幡山または的場山とも呼ばれ、旧八幡宮があった山である。鳩はかつて、八幡大菩薩の使いと信じられていた。そのため、安乗神社の幕には「対い鳩」(むかいばと)の神紋が使用されている。 志摩市阿児町安乗 1990.9.15
7103 安乗神社 対い鳩(むかいばと)12-1-3 現在安乗神社が鎮座している地は、八幡山または的場山とも呼ばれ、旧八幡宮があった山である。鳩はかつて、八幡大菩薩の使いと信じられていた。そのため、安乗神社の幕には「対い鳩」(むかいばと)の神紋が使用されている。 志摩市阿児町安乗 1990.9.15
7104 稲荷さん祠12-1-4 道端にある稲荷さんの祠。オミキが供えられている。 志摩市阿児町安乗 1990.9.15
7105 安乗埼灯台12-1-5 安乗崎は的矢湾の入口にある岬で、周囲には暗礁が多く、古くから海の難所として知られていた。初代の灯台は、明治6年4月1日、イギリス人R.Hブラントンの指導により、全国で20番目に完成された灯台である。後に海蝕により地盤が崩れたため、岬の突端から後退させたが、更に地盤が崩れ出し、昭和24年に再度後退させた。その際、現在の四角形鉄筋コンクリ―ト造りとなった。 志摩市阿児町安乗 1990.9.15
7106 安乗埼灯台12-1-6 安乗崎は的矢湾の入口にある岬で、周囲には暗礁が多く、古くから海の難所として知られていた。初代の灯台は、明治6年4月1日、イギリス人R.Hブラントンの指導により、全国で20番目に完成された灯台である。後に海蝕により地盤が崩れたため、岬の突端から後退させたが、更に地盤が崩れ出し、昭和24年に再度後退させた。その際、現在の四角形鉄筋コンクリ―ト造りとなった。 志摩市阿児町安乗 1990.9.15
7107 鉄製砲身(市指定有形文化財)12-2-1 安乗岬にあった日和山台場に設置されていたが、現在は安乗神社の境内に安置されている。幕末、江戸幕府は黒船来航に備えて、鳥羽藩と津藩に伊勢神宮と伊雑宮の防衛を命じた。志摩地域の沿岸部にも点々と台場が整備され、大砲が設置された。全長は171㎝、胴回りは最大部で118㎝、中央部に鳥羽藩主稲垣家の家紋である抱茗荷(だきみょうが)が浮彫されている。(参考:「志摩市の文化財」2018年2月 志摩市教育委員会/編集・発行) 志摩市阿児町安乗 1990.9.15
7108 安乗人形芝居舞台(安乗神社境内)12-2-2 安乗人形芝居舞台。全景。 志摩市阿児町安乗 1990.9.15
7109 安乗人形芝居(木偶人形)12-2-3 衣装を着けた頭(かしら)。絵本太功記の光秀、傾城阿波の鳴門のお弓とおつる等。 志摩市阿児町安乗 1990.9.15
7110 安乗人形芝居(木偶人形)12-2-4 三番叟のレプリカ。 志摩市阿児町安乗 1990.9.15
7111 安乗埼灯台12-3-1 安乗崎は的矢湾の入口にある岬で、周囲には暗礁が多く、古くから海の難所として知られていた。初代の灯台は、明治6年4月1日、イギリス人R.Hブラントンの指導により、全国で20番目に完成された灯台である。後に海蝕により地盤が崩れたため、岬の突端から後退させたが、更に地盤が崩れ出し、昭和24年に再度後退させた。その際、現在の四角形鉄筋コンクリ―ト造りとなった。 志摩市阿児町安乗 1990.9.15
7112 安乗埼灯台12-3-2 安乗崎は的矢湾の入口にある岬で、周囲には暗礁が多く、古くから海の難所として知られていた。初代の灯台は、明治6年4月1日、イギリス人R.Hブラントンの指導により、全国で20番目に完成された灯台である。後に海蝕により地盤が崩れたため、岬の突端から後退させたが、更に地盤が崩れ出し、昭和24年に再度後退させた。その際、現在の四角形鉄筋コンクリ―ト造りとなった。 志摩市阿児町安乗 1990.9.15
7113 安乗埼灯台12-3-3 安乗崎は的矢湾の入口にある岬で、周囲には暗礁が多く、古くから海の難所として知られていた。初代の灯台は、明治6年4月1日、イギリス人R.Hブラントンの指導により、全国で20番目に完成された灯台である。後に海蝕により地盤が崩れたため、岬の突端から後退させたが、更に地盤が崩れ出し、昭和24年に再度後退させた。その際、現在の四角形鉄筋コンクリ―ト造りとなった。 志摩市阿児町安乗 1990.9.15
7114 安乗埼灯台(石柱)12-3-4 安乗埼灯台の近くに立つ石柱。「燈臺局〇」と読める。 志摩市阿児町安乗 1990.9.15
7115 的矢湾12-3-5 安乗岬から的矢湾を見る。帰港する漁船が8隻、背後に朝熊岳がかすかに見える。 志摩市阿児町安乗 1990.9.15
7116 的矢湾12-3-6 安乗岬から的矢湾を見る。帰港する漁船が5隻、背後に朝熊岳がかすかに見える。 志摩市阿児町安乗 1990.9.15
7117 安乗の祷屋行事(スコ祝)24-3-1 スコマキが終わり、帰路に就く人たち。先頭の2人の高齢女性はホッカブリを巻き、大量に拾ったみかんを前掛けで包んでいる。(№6582の画像とほぼ同じである。撮影者の野村氏は、カメラ2台を持ち、同じシーンをカラーとモノクロで撮影することがあった。) 志摩市阿児町安乗 1990.1.4
7118 安乗の祷屋行事(スコ祝)24-3-2 スコ祝を終えて、帰路に就く着物姿の男性。その後ろにホッカブリを巻いて、みかんの箱を重そうに持つ高齢女性が写る。(№6585の画像とほぼ同じである。撮影者の野村氏は、カメラ2台を持ち、同じシーンをカラーとモノクロで撮影することがあった。) 志摩市阿児町安乗 1990.1.4
7119 安乗の御神祭り(大しめ縄)1-1 1月10日に安乗神社で行われる神事。写真は、しめ切り神事に使われる大しめ縄である。この大しめ縄は、10日の朝、前年に切り手を務めた古加用(祷人)が主となって2本作る。大きさは長さ約37m、中心の太さ約1.3mが2ヶ所ある。獲物を飲み込んだ大蛇の姿を表していると言われ、頭になる方には木を差し込む。また胴の上の切り口には「ウワブキ」と呼ぶワラがかぶせられ、中央の細縄にマキの葉が挿してある。スライド枠には「92.1.10」の印が捺され、「1」と記される。
※安乗神社所蔵の古記録の内、江戸時代後期の記録には「御神祭り」、明治20年の記録には「御神祭」と記されているため、神事一連を「御神祭り」と表記した。以下神事の内容は、主に野村史隆氏の調査報告書(1990年1月10日)を参考とした。
志摩市阿児町安乗 1992.1.10
7120 安乗の御神祭り(大しめ縄)1-2 完成した大しめ縄。スライド枠には「92.1.10」の印が捺され、「2」と記される。 志摩市阿児町安乗 1992.1.10
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