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アーカイブ資料/画像資料アーカイブ
画像資料アーカイブPhotograph
海女研究センターが「アーカイブ・データベース事業」で構築してきた文献・画像のデータベースから詳細検索ができます。こちらでは鳥羽市立海の博物館が所蔵する海女や漁村に関する画像について、名称や撮影場所、撮影年、写されている内容を閲覧できます。地域の方、学生の方、研究者の方、メディアの方々で、画像にご関心がある場合は「資料の問い合わせについて」もあわせてご覧ください。
画像資料
検索方法について
No. | 資料の名称(画像タイトル) | 内容(キャプション) | 撮影場所 | 撮影年(西暦) |
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8181 | 松尾町の盆行事13-4 | 墓前。花挿しには樒の花、ほおずきが等が挿してある。スライド枠には「松尾町」と記される。 | 鳥羽市松尾町 | 1990.8.15 |
8182 | 松尾町の盆行事13-5 | 岡(墓地の広場)、遠景。墓参りを終え、帰る家族。スライド枠には「松尾町」と記される。 | 鳥羽市松尾町 | 1990.8.15 |
8183 | 松尾町の盆行事13-6 | 天徳寺に設えられた餓鬼棚。スライド枠には「松尾町」と記される。 | 鳥羽市松尾町 | 1990.8.15 |
8184 | 松尾町の盆行事13-7 | 公民館前で楽供を修理する若者と指導する年配者。スライド枠には「松尾町」と記される。 | 鳥羽市松尾町 | 1990.8.15 |
8185 | 松尾町の盆行事13-8 | 修理し、フドウ(左肩に掛ける藁の部分)のゆるみを締め直した楽供。その前で笑顔を見せる若者2人と小学生2人。スライド枠には「松尾町」と記される。 | 鳥羽市松尾町 | 1990.8.15 |
8186 | 河内町の盆行事(混入)13-9 | 観音さん前の大慣らし。午後7時から観音堂前で15日の本番を前に総練習を行う。練習は若者頭の検分のもと、許可が降りるまで続けられる。スライド枠には「河内町」と記される。 | 鳥羽市松尾町 | 1990.8.15 |
8187 | 河内町の盆行事(混入)13-10 | 観音さん前の大慣らし。午後7時から観音堂前で15日の本番を前に総練習を行う。練習は若者頭の検分のもと、許可が降りるまで続けられる。スライド枠には「河内町」と記される。 | 鳥羽市松尾町 | 1990.8.15 |
8188 | 河内町の盆行事(混入)13-11 | 観音さん前の大慣らし。午後7時から観音堂前で15日の本番を前に総練習を行う。練習は若者頭の検分のもと、許可が降りるまで続けられる。スライド枠には「河内町」と記される。 | 鳥羽市松尾町 | 1990.8.15 |
8189 | 河内町の盆行事(混入)13-12 | 観音さん前の大慣らし。午後7時から観音堂前で15日の本番を前に総練習を行う。練習は若者頭の検分のもと、許可が降りるまで続けられる。スライド枠には「河内町」と記される。 | 鳥羽市松尾町 | 1990.8.15 |
8190 | 松尾町の神祭14-1 | 親取り子取りの元服儀式を受けた若者が、10メートル先の的に向かって2本ずつの矢を3回射る。弓の的の裏には「鬼」と書かれ、悪魔退散を目的とする。スライド枠には「1」「92.1.3」と記される。 | 鳥羽市松尾町 | 1992.1.3 |
8191 | 松尾町の神祭14-2 | 親取り子取りの元服儀式を受けた若者が、10メートル先の的に向かって2本ずつの矢を3回射る。弓の的の裏には「鬼」と書かれ、悪魔退散を目的とする。スライド枠には「3」「92.1.3」と記される。 | 鳥羽市松尾町 | 1992.1.3 |
8192 | 松尾町の神祭14-3 | 10メートル先の的に向かって矢を射る若者。スライド枠には「6」「92.1.3」と記される。 | 鳥羽市松尾町 | 1992.1.3 |
8193 | 松尾町の神祭14-4 | 扇子を持ち、笑顔で話す3人の若者。スライド枠には「8」「92.1.3」と記される。 | 鳥羽市松尾町 | 1992.1.3 |
8194 | 松尾町の神祭14-5 | 10メートル先の的に向かって矢を射る若者。スライド枠には「9」「92.1.3」と記される。 | 鳥羽市松尾町 | 1992.1.3 |
8195 | 松尾町の神祭14-6 | 10メートル先の的に向かって矢を射る若者。スライド枠には「10」「92.1.3」と記される。 | 鳥羽市松尾町 | 1992.1.3 |
8196 | 松尾町の神祭14-7 | 10メートル先の的に向かって順番に矢を射る若者。スライド枠には「14」「92.1.3」と記される。 | 鳥羽市松尾町 | 1992.1.3 |
8197 | 松尾町の神祭14-8 | 薬師堂の内部。戸板に「本堂の由来 往古のことは明らかではないが…」と記されている。寛政8年5月4日(1796年6月9日)の深夜、伊勢古市の遊廓油屋において9人の者が刀で斬られ、そのうち3人が死亡する事件が起きた。この油屋騒動を起こした医師斎(幼名を与吉と言い、鳥羽松尾村の百姓与次右衛門の次男として生れた。その後鳥羽藩に仕える某の養子となって斎と名乗る。)が殺傷事件を起こした後、この薬師堂の中に隠れたという伝承がある。スライド枠には「17」「92.1.3」と記される。 | 鳥羽市松尾町 | 1992.1.3 |
8198 | 松尾町の神祭14-9 | 薬師堂の内部。戸板に「本堂の由来 往古のことは明らかではないが…」と記されている。寛政8年5月4日(1796年6月9日)の深夜、伊勢古市の遊廓油屋において9人の者が刀で斬られ、そのうち3人が死亡する事件が起きた。この油屋騒動を起こした医師斎(幼名を与吉と言い、鳥羽松尾村の百姓与次右衛門の次男として生れた。その後鳥羽藩に仕える某の養子となって斎と名乗る。)が殺傷事件を起こした後、この薬師堂の中に隠れたという伝承がある。スライド枠には「18」「92.1.3」と記される。 | 鳥羽市松尾町 | 1992.1.3 |
8199 | 松尾町の神祭14-10 | 薬師堂の須弥壇。スライド枠には「19」「92.1.3」と記される。 | 鳥羽市松尾町 | 1992.1.3 |
8200 | 松尾町の神祭15-1 | 薬師堂の須弥壇。スライド枠には「20」「92.1.3」と記される。 | 鳥羽市松尾町 | 1992.1.3 |