三重大学海女研究センター

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アーカイブ資料/画像資料アーカイブ

画像資料アーカイブPhotograph

海女研究センターが「アーカイブ・データベース事業」で構築してきた文献・画像のデータベースから詳細検索ができます。こちらでは鳥羽市立海の博物館が所蔵する海女や漁村に関する画像について、名称や撮影場所、撮影年、写されている内容を閲覧できます。地域の方、学生の方、研究者の方、メディアの方々で、画像にご関心がある場合は「資料の問い合わせについて」もあわせてご覧ください。

418 神島ゴクアゲ(御供上げ)6-3
©鳥羽市立海の博物館

5799 志島の海女船4-1-3
©鳥羽市立海の博物館

5434 波切わらじ祭1-4
©鳥羽市立海の博物館

967 菅島(しろんご祭)3-6-3
©鳥羽市立海の博物館

418 神島ゴクアゲ(御供上げ)6-3
©鳥羽市立海の博物館

5799 志島の海女船4-1-3
©鳥羽市立海の博物館

A16390(波切 わらじ)
©鳥羽市立海の博物館

967 菅島(しろんご祭)3-6-3
©鳥羽市立海の博物館

No. 資料の名称(画像タイトル) 内容(キャプション) 撮影場所 撮影年(西暦)
1061 石鏡海女の出漁12-2-1 石鏡漁港の港内風景。市営定期船が廃止されるのは、パールロードが整備された昭和50年に入ってからである。写真中央左の突堤は、市営定期船の発着場かも知れない。 鳥羽市石鏡町 1973.07.11
1062 石鏡海女の出漁12-2-2 石鏡漁港の港内風景。市営定期船が廃止されるのは、パールロードが整備された昭和50年に入ってからである。写真中央左の突堤は、市営定期船の発着場かも知れない。 鳥羽市石鏡町 1973.07.11
1063 石鏡海女の出漁12-2-3 石鏡漁港の南側に位置する港内風景である。石鏡漁港は昭和9年度に時局匡救事業で船溜を造成し、同13・14両年度で東防波堤と北防波堤の築造と船曳場の造成・浚渫を行い漁港としての形を整え、同26年12月に第1種漁港に指定されている。その後、同31・32年度で東防波堤の延長と船揚場を造成したが、漁船の増加と大型化が進み船揚場が狭くなったことから、同42~47年度に物揚場と船揚場を造成し泊地の浚渫を実施した。また、同48年からは整備計画漁港(第五次計画)の指定を受け、防波堤の築造、物揚場の造成、漁港用地の造成を続け平成5年度に終えた第8次整備計画で、ほぼ現在(2023年)の石鏡漁港が完成した。参考文献:『三重の漁港-第9次漁港整備長期計画』三重県漁港協会・平成7年発行 鳥羽市石鏡町 1973.07.11
1064 石鏡海女の出漁12-2-4 石鏡漁港の南側に位置する港内風景である。海女漁に出漁する準備をしているのであろう。多くの船は波打際まで降ろされているが、一艘の漁船は数人の漁師達によって、斜路の上から降ろされようとしている。何人かの漁師が手にしているのはコロと呼ばれる丸太や板材で、船底を痛めないように船の下に敷いて、その上に船を乗せて移動させていく。 鳥羽市石鏡町 1973.07.11
1065 石鏡海女の出漁12-2-5 石鏡漁港の南側に位置する港内風景である。海女漁に出漁する準備をしているのであろう。多くの船は波打際まで降ろされているが、一艘の漁船は数人の漁師達によって、今、斜路の上から降ろされたところである。 鳥羽市石鏡町 1973.07.11
1066 石鏡海女の出漁12-2-6 石鏡漁港の南側に位置する港内風景である。海女漁に出漁する準備をしているのであろう。多くの船は波打際まで降ろされているが、斜路の上に揚げられている船は、漁師達によって順次降ろされていく。 鳥羽市石鏡町 1973.07.11
1067 石鏡海女の出漁12-3-1 石鏡漁港の風景。海から潮を汲んで運ぶ様子。担い棒は、かまどで沸かすための水や、畑の肥料用の糞尿を運ぶためにも用いた。畑が遠方にあるため、重い糞尿をかついで長い距離を歩くこともしばしばだった。当時は写真にあるような笠をよく被っていたという。海女漁の前後に畑仕事や家事をしたりと、昔も今も忙しい。(「浜の遠声 石鏡の暮らし写真展」報告書より) 鳥羽市石鏡町 1973.07.11
1068 石鏡海女の出漁12-3-2 石鏡漁港の風景。一斗缶程の丸い缶を二つ、担い棒で運ぶ女性。塩水をくみに来たのであろうか?。(要調査) 鳥羽市石鏡町 1973.07.11
1069 石鏡海女の出漁12-3-3 石鏡漁港の風景。一斗缶程の丸い缶を二つ、担い棒で運ぶ女性。塩水をくみに来たのであろうか?。(要調査) 鳥羽市石鏡町 1973.07.11
1070 石鏡海女の出漁12-3-4 石鏡漁港の風景。一斗缶程の丸い缶を二つ、担い棒で運ぶ女性。塩水をくみに来たのであろうか?。(要調査) 鳥羽市石鏡町 1973.07.11
1071 石鏡海女の出漁12-3-5 石鏡漁港の南側に位置する港内風景である。海女漁に出漁する準備をしているのであろう。多くの船は波打際まで降ろされているが、まだ斜路の上に揚げられていた漁船の一艘が、数人の漁師達によって降ろされたところである。 鳥羽市石鏡町 1973.07.11
1072 石鏡海女の出漁12-3-6 石鏡漁港の南側に位置する港内風景である。 鳥羽市石鏡町 1973.07.11
1073 石鏡海女の出漁12-4-1 石鏡漁港の南側に位置する港内風景である。海女達はウエットスーツに着替え、港で待つ漁船へと急ぐ。 鳥羽市石鏡町 1973.07.11
1074 石鏡海女の出漁12-4-2 石鏡漁港の南側に位置する港内風景である。海女達はウエットスーツに着替え、港で待つ漁船へと急ぐ。手には竹篭やナイロン袋等が握られているが、海女漁に用いる用具類が入れられている物と思われる。 鳥羽市石鏡町 1973.07.11
1075 石鏡海女の出漁12-4-3 石鏡漁港の南側に位置する港内風景である。海女達はウエットスーツに着替え、港で待つ漁船へと急ぐ。手には竹篭やナイロン袋等が握られているが、海女漁に用いる用具類が入れられている物と思われる。 鳥羽市石鏡町 1973.07.11
1076 石鏡海女の出漁12-4-4 石鏡漁港の南側に位置する港内風景である。海女達はウエットスーツに着替え、港で待つ漁船へと急ぐ。手には竹篭やナイロン袋等が握られているが、海女漁に用いる用具類が入れられている物と思われる。 鳥羽市石鏡町 1973.07.11
1077 石鏡海女の出漁12-4-5 石鏡漁港の南側に位置する港内風景である。海女達はウエットスーツに着替え、港で待つ漁船へと急ぐ。写真中央右下の海女の腰にはスカリらしきものも付けられている。 鳥羽市石鏡町 1973.07.11
1078 石鏡海女の出漁12-4-6 石鏡漁港の南側に位置する港内風景である。海女達はウエットスーツに着替え、港で待つ漁船へと急ぐ。写真中央右下の海女の腰にはスカリらしきものも付けられている。 鳥羽市石鏡町 1973.07.11
1079 石鏡海女の出漁12-5-1 石鏡漁港の南側に位置する港内風景である。写真の至るところに海女と船頭がいて、浜の活気が伝わる。石鏡では昭和40年(1965年)代前半にウエットスーツが導入されたという。見た目が当時流行していたダッコちゃん人形に似ていたという理由で、ウエットスーツは「ダッコちゃん」とも呼ばれた。発泡スチロールのタンポではなく、木製の桶を使用している。写真左奥の、長方形の建物はアワビの蓄養施設である。(「浜の遠声 石鏡の暮らし写真展」報告書より) 鳥羽市石鏡町 1973.07.11
1080 石鏡海女の出漁12-5-2 石鏡漁港の南側に位置する港内風景である。海女達はウエットスーツに着替え、磯桶を小脇に抱えて港で待つ漁船へと急ぐ。 鳥羽市石鏡町 1973.07.11
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