三重大学海女研究センター

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アーカイブ資料/画像資料アーカイブ

画像資料アーカイブPhotograph

海女研究センターが「アーカイブ・データベース事業」で構築してきた文献・画像のデータベースから詳細検索ができます。こちらでは鳥羽市立海の博物館が所蔵する海女や漁村に関する画像について、名称や撮影場所、撮影年、写されている内容を閲覧できます。地域の方、学生の方、研究者の方、メディアの方々で、画像にご関心がある場合は「資料の問い合わせについて」もあわせてご覧ください。

418 神島ゴクアゲ(御供上げ)6-3
©鳥羽市立海の博物館

5799 志島の海女船4-1-3
©鳥羽市立海の博物館

5434 波切わらじ祭1-4
©鳥羽市立海の博物館

967 菅島(しろんご祭)3-6-3
©鳥羽市立海の博物館

418 神島ゴクアゲ(御供上げ)6-3
©鳥羽市立海の博物館

5799 志島の海女船4-1-3
©鳥羽市立海の博物館

A16390(波切 わらじ)
©鳥羽市立海の博物館

967 菅島(しろんご祭)3-6-3
©鳥羽市立海の博物館

No. 資料の名称(画像タイトル) 内容(キャプション) 撮影場所 撮影年(西暦)
1341 国崎長浜の海士9-2-3 年配の海女か?アルバムのデータ記載欄には「S54.6.11 国崎長浜の海士」と記される。 鳥羽市国崎町 1979.06.11
1342 国崎長浜の海士9-2-4 年配の海女か?アルバムのデータ記載欄には「S54.6.11 国崎長浜の海士」と記される。 鳥羽市国崎町 1979.06.11
1343 国崎長浜の海士9-2-5 アルバムのデータ記載欄には「S54.6.11 国崎長浜の海士/45分の海士」と記される。 鳥羽市国崎町 1979.06.11
1344 国崎長浜の海士9-2-6 アルバムのデータ記載欄には「S54.6.11 国崎長浜の海士」と記される。 鳥羽市国崎町 1979.06.11
1345 国崎長浜の海士9-3-1 カマドで暖をとる若い海女。左端は海士かと思われる。アルバムのデータ記載欄には「S54.6.11 国崎長浜の海士」と記される。 鳥羽市国崎町 1979.06.11
1346 国崎長浜の海士9-3-2 『昭和48年11月1日現在 鳥羽市海女就業者綴り』によれば、国崎町における20歳代の徒人海女は19名と記されている。アルバムのデータ記載欄には「S54.6.11 国崎長浜の海士/ウニのトゲをとってもらう海士。1㎝ほどのトゲが刺さっていた」と記される。 鳥羽市国崎町 1979.06.11
1347 国崎長浜の海士9-3-3 『昭和48年11月1日現在鳥羽市海女就業者綴り』によれば、国崎町における20歳代の徒人海女は19名と記されている。アルバムのデータ記載欄には「S54.6.11 国崎長浜の海士/ウニのトゲをとってもらう海士。1㎝ほどのトゲが刺さっていた」と記される。 鳥羽市国崎町 1979.06.11
1348 国崎(徒人海女)9-4-1 一潜目を終えた徒人海女達であろう。少し遅れて上がってきたのか、ウエットスーツを脱いでいる海女や、すでに磯着に着替えてカマドで暖をとる海女など10人ほどが写される。傍らにはイソカゴやフゴ、担い棒などが置かれている。カマドでは海女達の小腹を満たすための、丸餅やサツマイモと思われるものが焼かれているようである。アルバムのデータ記載欄には「S54.6.20 国崎」と記される。 鳥羽市国崎町 1979.06.20
1349 国崎(徒人海女)9-4-4 アルバムのデータ記載欄には「S54.6.20 国崎」と記される。一潜目を終えた徒人海女だろう。右手にカギノミ、左手で発泡スチロール製のタンポとスカリを肩に掛け浜辺に上がってきたところである。スカリにはアワビらしき物が入れられている。 鳥羽市国崎町 1979.06.20
1350 国崎(徒人海女)9-4-5 一潜目を終えた徒人海女であろう。まだウエットスーツ姿であるが磯メガネを外し、磯着に着替えようとするところである。傍らには、発砲スチロール製のタンポやスカリにイソカゴ、着替えが入っているのか布製の手提袋などが見える。アルバムのデータ記載欄には「S54.6.20 国崎」と記される。 鳥羽市国崎町 1979.06.20
1351 国崎(徒人海女)9-4-6 一潜目を終えた徒人海女であろう。まだウエットスーツ姿であるが磯メガネを外し、磯着に着替えようとするところである。傍らには、発砲スチロール製のタンポやスカリにイソカゴ、着替えが入っているのか布製の手提袋などが見える。アルバムのデータ記載欄には「S54.6.20 国崎」と記される。 鳥羽市国崎町 1979.06.20
1352 国崎(徒人海女)9-5-1 カマドで暖をとる徒人海女。一潜目を終えたのだろう。濡れたウエットスーツを脱いで磯着に着替え、カマドの火を背に暖をとる。アルバムのデータ記載欄には「S54.6.20 国崎」と記される。 鳥羽市国崎町 1979.06.20
1353 国崎(徒人海女)9-5-2 徒人海女の海女用具である。発泡スチロール製のタンポとスカリ、磯メガネ、カギノミ、手袋(軍手)が確認できる。アルバムのデータ記載欄には「S54.6.20 国崎」と記される。 鳥羽市国崎町 1979.06.20
1354 国崎(徒人海女)9-5-3 一潜目を終え、カマドへと向かう徒人海女だろう。右手に発泡スチロール製のタンポを、左手にスカリと足ヒレを小脇に挟んでいる。スカリにはアワビやサザエらしき物が入れられている。アルバムのデータ記載欄には「S54.6.20 国崎」と記される。 鳥羽市国崎町 1979.06.20
1355 国崎(徒人海女)9-5-4 一潜目を終えた徒人海女達であろう。ウエットスーツを脱ぎ磯着に着替える海女達や、すでに磯着に着替えてカマドで暖をとる海女など7人ほどが写される。傍らにはイソカゴやフゴ、カギノミ、メガネ箱などが置かれている。アルバムのデータ記載欄には「S54.6.20 国崎」と記される。 鳥羽市国崎町 1979.06.20
1356 国崎(徒人海女)9-5-5 一潜目を終えた徒人海女達であろう。ウエットスーツを脱ぎ磯着に着替える海女達や、すでに磯着に着替えてカマドで暖をとる海女など7人ほどが写される。傍らにはイソカゴやフゴ、メガネ箱、カギノミなどが置かれている。アルバムのデータ記載欄には「S54.6.20 国崎」と記される。 鳥羽市国崎町 1979.06.20
1357 国崎(徒人海女)9-5-6 一潜(ひとかづき)目を終え、休息をとる10人ほどの海女。ウエットスーツ姿でカギノミと磯メガネを持つ海女や、ナカネに着替えて暖をとる海女がみられる。周囲にはイソカゴやフゴ、カギノミ、メガネ箱、担い棒などが置かれている。海女小屋が建てられない立地では、このように岩場の陰で火を焚いていた。火場では小腹を満たすための、丸餅やサツマイ モと思われるものが焼かれている。当時は髪の長い海女は珍しかった。(「海辺の毎日 国崎の暮らし写真展」報告書より)アルバムのデータ記載欄には「S54.6.20 国崎」と記される。 鳥羽市国崎町 1979.06.20
1358 磯部のり場1-1-1 アルバムのデータ記載欄には「1~4 磯部のり場」と記される。支柱網張り式のアオサ養殖風景である。アオサはアオサ目アオサ科の緑藻の総称であるが、流通しているアオサの多くはヒトエグサ(ヒトエグサ科)だと言われる。潮の満ち引きのある浅い海で育つため、波の静かな浅瀬に竹ソダを立てて網を張り養殖をする。 志摩市磯部町坂崎(伊雑浦) (不明)
1359 磯部のり場1-1-2 アルバムのデータ記載欄には「1~4 磯部のり場」と記される。支柱網張り式のアオサ養殖風景である。アオサはアオサ目アオサ科の緑藻の総称であるが、流通しているアオサの多くはヒトエグサ(ヒトエグサ科)だと言われる。潮の満ち引きのある浅い海で育つため、波の静かな浅瀬に竹ソダを立てて網を張り養殖をする。 志摩市磯部町坂崎(伊雑浦) (不明)
1360 磯部のり場1-1-3 谷惣瓦店の瓦を焼く釜と思われる。 志摩市磯部町坂崎(伊雑浦) (不明)
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