三重大学海女研究センター

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アーカイブ資料/画像資料アーカイブ

画像資料アーカイブPhotograph

海女研究センターが「アーカイブ・データベース事業」で構築してきた文献・画像のデータベースから詳細検索ができます。こちらでは鳥羽市立海の博物館が所蔵する海女や漁村に関する画像について、名称や撮影場所、撮影年、写されている内容を閲覧できます。

418 神島ゴクアゲ(御供上げ)6-3
©鳥羽市立海の博物館

5799 志島の海女船4-1-3
©鳥羽市立海の博物館

5434 波切わらじ祭1-4
©鳥羽市立海の博物館

967 菅島(しろんご祭)3-6-3
©鳥羽市立海の博物館

418 神島ゴクアゲ(御供上げ)6-3
©鳥羽市立海の博物館

5799 志島の海女船4-1-3
©鳥羽市立海の博物館

A16390(波切 わらじ)
©鳥羽市立海の博物館

967 菅島(しろんご祭)3-6-3
©鳥羽市立海の博物館

No. 資料の名称(画像タイトル) 内容(キャプション) 撮影場所 撮影年(西暦)
1641 国崎の油タンカーもれ1-3-1 昭和48年5月3日、伊勢湾口を航行中のタンカー「日聖丸」が西独の大型貨物船と衝突、沈没した事件で、積載していた重油1,865トンが流出。流れ出した重油は同6日になって渥美湾から知多半島へと漂着。9日には鳥羽湾内にも侵入し、ワカメやノリ等にも壊滅的な打撃を与えた。写真は国崎町鎧崎の船揚場横の風景であるが、海女がイソカゴを手にして歩く堤防の下はゴミと共に流れ着いた重油が一面に浮かび、海藻も油にまみれている。アルバムのデータ記載欄には「S48年5月12日 油タンカーもれ」と記される。 鳥羽市国崎町 1973.05.12
1642 国崎の油タンカーもれ1-3-2 昭和48年5月3日、伊勢湾口を航行中のタンカー「日聖丸」が西独の大型貨物船と衝突、沈没した事件で、積載していた重油1,865トンが流出。流れ出した重油は同6日になって渥美湾から知多半島へと漂着。9日には鳥羽湾内にも侵入し、ワカメやノリ等にも壊滅的な打撃を与えた。写真は国崎町鎧崎の海女小屋の下の海岸風景であるが、岩場に張り付いた重油が見て取れる。アルバムのデータ記載欄には「S48年5月12日 油タンカーもれ」と記される。 鳥羽市国崎町 1973.05.12
1643 国崎の油タンカーもれ1-3-3 昭和48年5月3日、伊勢湾口を航行中のタンカー「日聖丸」が西独の大型貨物船と衝突、沈没した事件で、積載していた重油1,865トンが流出。流れ出した重油は同6日になって渥美湾から知多半島へと漂着。9日には鳥羽湾内にも侵入し、ワカメやノリ等にも壊滅的な打撃を与えた。写真は国崎町鎧崎の船揚場横の風景であるが、畜養する為のイソカゴを手にした海女が立つ堤防下の水面は、流れ着いた重油で真っ黒である。アルバムのデータ記載欄には「S48年5月12日 油タンカーもれ/油の中での海女」と記される。 鳥羽市国崎町 1973.05.12
1644 国崎の油タンカーもれ1-3-4 昭和48年5月3日、伊勢湾口を航行中のタンカー「日聖丸」が西独の大型貨物船と衝突、沈没した事件で、積載していた重油1,865トンが流出。流れ出した重油は同6日になって渥美湾から知多半島へと漂着。9日には鳥羽湾内にも侵入し、ワカメやノリ等にも壊滅的な打撃を与えた。写真は国崎町鎧崎の海女小屋の下の海岸風景であるが、岩場一面にに張り付いた重油が見て取れる。アルバムのデータ記載欄には「S48年5月12日 油タンカーもれ」と記される。 鳥羽市国崎町 1973.05.12
1645 国崎の油タンカーもれ1-3-5 昭和48年5月3日に発生したタンカー「日聖丸」の沈没に伴う重油の流出事件で、9日になって鳥羽湾内にも重油が侵入。ここ国崎町にも重油が流れ着いたが、それを防ぐ術はなく、畜養のイソカゴも油の海に入れられたままである。アルバムのデータ記載欄には「S48年5月12日 油タンカーもれ/油の海に生かされたアワビカゴ」と記される。 鳥羽市国崎町 1973.05.12
1646 国崎の油タンカーもれ1-3-6 海岸に置かれた発泡スチロール製のタンポとスカリ。アルバムのデータ記載欄には「S48年5月12日 油タンカーもれ/タンポとスカリ」と記される。 鳥羽市国崎町 1973.05.12
1647 国崎2-1-1 漁具等を入れる小屋だろうか。オートバイの奥にイソカゴや長靴、アルミのタライ等が見て取れる。アルバムのデータ記載欄には「S48.1.18 国崎」と記される。 鳥羽市国崎町 1973.01.18
1648 国崎2-1-2 漁具等を入れる小屋だろうか。「鳥羽212」のナンバープレートを付けたリヤカーの上にイナイボウや竹篭が乗せられ、天井近くの物干し竿には衣類等が干されている。アルバムのデータ記載欄には「S48.1.18 国崎」と記される。 鳥羽市国崎町 1973.01.18
1649 国崎2-2-1 国崎町の街並み景観である。急傾斜の石垣の横に鉄骨の手すりを作り、鉄板を敷いて歩道が作られている。漁村の狭い集落地内を最大限有効に使おうとする工夫が見て取れる。アルバムのデータ記載欄には「S48.1.18 国崎」と記される。 鳥羽市国崎町 1973.01.18
1650 国崎2-2-2 国崎町の街並み景観である。急傾斜の石垣の横に鉄骨の手すりを作り、鉄板を敷いて歩道が作られている。漁村の狭い集落地内を最大限有効に使おうとする工夫が見て取れる。アルバムのデータ記載欄には「S48.1.18 国崎」と記される。 鳥羽市国崎町 1973.01.18
1651 国崎2-2-3 前年の注連縄かと思われる。まだ、紙垂(しで)やウラジロ、ユズリハ、ヒイラギ、松、「久々■■」の紙札等が見て取れる。アルバムのデータ記載欄には「S48.1.18 国崎」と記される。 鳥羽市国崎町 1973.01.18
1652 国崎2-2-4 五輪塔の様であるが不明(要調査)。アルバムのデータ記載欄には「S48.1.18 国崎」と記される。 鳥羽市国崎町 1973.01.18
1653 国崎2-2-5 国崎町の街並み景観である。「コカコーラ」の看板が取付けられた雨に濡れたブロック造りの平屋根の向こう側に、白波の立つ海が見える。アルバムのデータ記載欄には「S48.1.18 国崎」と記される。 鳥羽市国崎町 1973.01.18
1654 国崎2-2-6 井戸枠をレンガで積上げ、4本柱を立てた瓦葺きの屋根を設えた外井戸である。梁に取付けられた滑車にロープが掛けられているところを見ると水のくみ上げは釣瓶のようである。餅でも搗いたのか、傍らに蒸し器、バケツ、ザルなどが置かれている。アルバムのデータ記載欄には「S48.1.18 国崎」と記される。 鳥羽市国崎町 1973.01.18
1655 国崎2-3-1 国崎町鎧崎と船揚場の景観である。写真左端の堤防は集落から鎧崎へと続く海岸道路で、その前のブロック造りの建物は海女小屋、隣の鳥居は山の神、その右手は伊勢神宮の神饌をつくる熨斗鰒調製所である。アルバムのデータ記載欄には「S48.1.18 国崎」と記される。 鳥羽市国崎町 1973.01.18
1656 国崎2-3-2 国崎町鎧崎と船揚場の景観である。写真左端の堤防は集落から鎧崎へと続く海岸道路で、その前のブロック造りの建物は海女小屋、隣の鳥居は山の神、その右手は伊勢神宮の神饌をつくる熨斗鰒調製所である。アルバムのデータ記載欄には「S48.1.18 国崎」と記される。 鳥羽市国崎町 1973.01.18
1657 国崎2-3-3 何処へと続く道路なのか(要調査)。アルバムのデータ記載欄には「S48.1.18 国崎」と記される。 鳥羽市国崎町 1973.01.18
1658 国崎2-3-4 国崎町の集落景観であるが、斜面を宅地として利用するため石垣が多用される。アルバムのデータ記載欄には「S48.1.18 国崎」と記される。 鳥羽市国崎町 1973.01.18
1659 国崎2-3-5 国崎町の集落景観であるが、斜面を宅地として利用するため石垣が多用される。アルバムのデータ記載欄には「S48.1.18 国崎」と記される。 鳥羽市国崎町 1973.01.18
1660 国崎2-3-6 国崎町の集落景観である。海女を生業とする漁家であろうか、軒の下にはハッポースチロール製のタンポとスカリ、イソカゴが吊されている。アルバムのデータ記載欄には「S48.1.18 国崎」と記される。 鳥羽市国崎町 1973.01.18
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