TOP
アーカイブ資料/画像資料アーカイブ
画像資料アーカイブPhotograph
海女研究センターが「アーカイブ・データベース事業」で構築してきた文献・画像のデータベースから詳細検索ができます。こちらでは鳥羽市立海の博物館が所蔵する海女や漁村に関する画像について、名称や撮影場所、撮影年、写されている内容を閲覧できます。
画像資料
検索方法について
| No. | 資料の名称(画像タイトル) | 内容(キャプション) | 撮影場所 | 撮影年(西暦) |
|---|---|---|---|---|
| 1721 | 石鏡かづきおり(潜き下り)3-9 | 潜き下りに前浜に来た海女。スライド枠には「2.2.16 (石鏡潜き下り)」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.02.16 |
| 1722 | 石鏡かづきおり(潜き下り)3-10 | 潜き下りに前浜に来た海女。手には赤飯(小豆飯)やタツクリ、小石等を入れた白木の膳が持たれている。スライド枠には「2.2.16 (石鏡潜き下り)」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.02.16 |
| 1723 | 石鏡かづきおり(潜き下り)3-11 | 潜き下りに前浜に来た海女。スライド枠には「2.2.16 (石鏡潜き下り)」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.02.16 |
| 1724 | 石鏡かづきおり(潜き下り)3-12 | 潜き下りに前浜に来た老海女。長年、海女を生業としてきたのであろう、顔は赤銅色に日焼けしているが、石鏡の海女達は屈託無くいつも明るい。スライド枠には「2.2.16 (石鏡潜き下り)」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.02.16 |
| 1725 | 石鏡(潜き下り)4-1 | 八大龍神の掛軸の前に莚を敷いた祭壇が設えられ、膳には赤・黒一対の鮑が載せられる。海女達は、重ね餅や赤飯(小豆飯)等の御供をした後、手を合わせて海上安全と大量満足を祈願する。デジタル化がされていないが、このスライドの前に「石鏡 90.2.16 ④」と記されたタイトルスライド1枚が挟み込まれている。スライド枠には「2.2.16 (石鏡潜き下り)」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.02.16 |
| 1726 | 石鏡(潜き下り)4-2 | 八大龍神の掛軸の前に莚を敷いた祭壇が設えられ、膳には赤・黒一対の鮑が載せられる。海女達は、重ね餅や赤飯(小豆飯)等の御供をした後、手を合わせて海上安全と大漁満足を祈願する。写真の頃は石鏡町内の保育園児が参加していたが、現在(2023年)では少子化のため参加していない。餅まきをして園児が拾うのが楽しみのひとつだった。(「浜の遠声 石鏡の暮らし写真展」報告書より) スライド枠には「2.2.16 石鏡(石鏡潜き下り)」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.02.16 |
| 1727 | 石鏡(潜き下り)4-3 | 八大龍神の掛軸の前に莚を敷いた祭壇が設えられ、膳には赤・黒一対の鮑が載せられる。海女達は、重ね餅や赤飯(小豆飯)、タツクリ等の御供をした後、手を合わせて海上安全と大漁満足を祈願する。スライド枠には「2.2.16 石鏡(石鏡潜き下り)」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.02.16 |
| 1728 | 石鏡(潜き下り)4-4 | 八大龍神の掛軸の前に莚を敷いた祭壇が設えられ、膳には赤・黒一対の鮑が載せられる。海女達は、重ね餅や赤飯(小豆飯)、タツクリ等の御供をした後、手を合わせて海上安全と大量満足を祈願する。スライド枠には「2.2.16 石鏡(石鏡潜き下り)」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.02.16 |
| 1729 | 石鏡(潜き下り)4-5 | 前浜の堤防での御供が終わると、石鏡漁協一階に設えた八大龍神の掛け軸を掛けた祭壇に小石や重ね餅、赤飯(小豆飯)等を供え、膳に載せられた赤・黒一対の鮑をノミで起こす仕草をした後、一升枡の隅を2~3回叩いて手を合わせ、海上安全と大漁満足を祈願する。重ね餅は丸餅だけではなく、四角の重ね餅も見て取れる。このスライドの前段のスライド枠には「潜き下り '10.2.17 ②つづき」と記される。本スライド枠には「 '10.2.17 かずき下り(石鏡潜き下り)」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1998.2.17 |
| 1730 | 石鏡(潜き下り)4-6 | 前浜の堤防での御供が終わると、石鏡漁協一階に設えた八大龍神の掛け軸を掛けた祭壇に小石や重ね餅、赤飯(小豆飯)等を供え、膳に載せられた赤・黒一対の鮑をノミで起こす仕草をした後、一升枡の隅を2~3回叩いて手を合わせ、海上安全と大漁満足を祈願する。重ね餅は丸餅や四角の餅も見て取れる。スライド枠には「 '10.2.17 かずきおり(石鏡潜き下り)」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1998.2.17 |
| 1731 | 石鏡(潜き下り)4-7 | 前浜の堤防での御供が終わると、石鏡漁協一階に設えた八大龍神の祭壇に小石や重ね餅、赤飯(小豆飯)等を供え、膳に載せられた赤・黒一対の鮑をノミで起こす仕草をした後、一升枡の隅を2~3回叩いて手を合わせ、海上安全と大量満足を祈願する。重ね餅は丸餅だけではなく、四角の重ね餅も見て取れる。スライド枠には「 '10.2.17 石鏡かずきおり(石鏡潜き下り)」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1998.2.17 |
| 1732 | 石鏡(潜き下り)4-8 | 前浜の堤防での御供が終わると、石鏡漁協一階に設えた八大龍神の祭壇に小石や重ね餅、赤飯(小豆飯)等を供え、膳に載せられた赤・黒一対の鮑をノミで起こす仕草をした後、一升枡の隅を2~3回叩いて手を合わせ、海上安全と大量満足を祈願する。重ね餅は丸餅だけではなく、四角の重ね餅も見て取れる。スライド枠には「 '10.2.17 かずきおり(石鏡潜き下り)」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1998.2.17 |
| 1733 | 石鏡(潜き下り)4-9 | 前浜の堤防での御供が終わると、石鏡漁協一階に設えた八大龍神の掛け軸を掛けた祭壇に小石や重ね餅、赤飯(小豆飯)等を供え、膳に載せられた赤・黒一対の鮑をノミで起こす仕草をした後、一升枡の隅を2~3回叩いて手を合わせ、海上安全と大漁満足を祈願する。重ね餅は丸餅や四角い餅も見て取れる。スライド枠には「 '10.2.17 石鏡かずき下り(石鏡潜き下り)」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1998.2.17 |
| 1734 | 石鏡(潜き下り)4-10 | 石鏡漁協一階に設えた八大龍神の祭壇に供えられた小石や重ね餅、赤飯(小豆飯)やタツクリ等。膳には黒・赤一対の鮑が載せられている。スライド枠には「 '10.2.17 かずきおり(石鏡潜き下り)」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1998.2.17 |
| 1735 | 石鏡(潜き下り)4-11 | 石鏡漁協一階に設えられた八大龍神の祭壇。柱には「八大龍神」の掛軸が掛けられ、その下には黒・赤一対の鮑が膳に載せられ、神酒を注ぐ陶器の器を置いた祭壇が組まれる。石鏡の海女達は、前浜での御供を終えるとここでも小石や重ね餅、タツクリ等の御供をし、海上安全と大量満足の祈願をする。スライド枠には「90.2.16 潜き下り(石鏡潜き下り)」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1998.2.17 |
| 1736 | 石鏡(潜き下り)4-12 | 石鏡漁協一階に設えた八大龍神の祭壇に供えられた小石や重ね餅、赤飯(小豆飯)やタツクリ等。膳には黒・赤一対の鮑が載せられている。スライド枠には「 '10.2.17 石鏡潜き下り」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1998.2.17 |
| 1737 | 石鏡かずきおり(潜き下り)5-1 | 石鏡では3月からワカメ漁、4月からはヒジキ漁やアワビ漁など、本格的に海女漁が始まる。その前の2月16日(日にちは固定)に、大漁満足、海上安全、無病息災(石鏡では豆息災といわれる)を祈るためかづきおり(潜き下り)が行われる。海藻漁のための年中行事だという。この行事では、海女が一升枡に餅と小石、カミノゼンと呼ばれる白木の膳に小豆飯、生の米と小豆、ナマス、タツクリ、干し柿、神酒を入れ、町内の各所に供えて回る。なおカミノゼンにはイソノミと、供え物をするための箸も置かれる。小石は、自分たちが潜る浜(恵比寿さんがいるとされる特定のエリア)で5個前後拾ってくる。町内放送でかづきおりの開始が知らされると、海女達は家々から白木の膳に赤飯(小豆飯)やタツクリ等、一升枡に小石や餅等を入れて前浜の堤防へと集まってくる。(「浜の遠声 石鏡の暮らし写真展」報告書より) スライド枠には平成2(1990)年2月16日と記される。 | 1990.02.16 | |
| 1738 | 石鏡かずきおり(潜き下り)5-2 | 潜き下りに前浜に来た老海女。手には赤飯(小豆飯)や重ね餅等を入れた白木の膳が持たれている。スライド枠には「2.2.16(石鏡潜き下り)」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.02.16 |
| 1739 | 石鏡かずきおり(潜き下り)5-3 | 潜き下りに前浜に来た老海女。手には赤飯(小豆飯)や重ね餅等を入れた白木の膳が持たれている。スライド枠には「2.2.16(石鏡潜き下り)」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.02.16 |
| 1740 | 石鏡かずきおり(潜き下り)5-4 | 潜き下りに前浜に来た海女。スライド枠には「2.2.16(石鏡潜き下り)」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.02.16 |



