三重大学海女研究センター

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アーカイブ資料/画像資料アーカイブ

画像資料アーカイブPhotograph

海女研究センターが「アーカイブ・データベース事業」で構築してきた文献・画像のデータベースから詳細検索ができます。こちらでは鳥羽市立海の博物館が所蔵する海女や漁村に関する画像について、名称や撮影場所、撮影年、写されている内容を閲覧できます。

418 神島ゴクアゲ(御供上げ)6-3
©鳥羽市立海の博物館

5799 志島の海女船4-1-3
©鳥羽市立海の博物館

5434 波切わらじ祭1-4
©鳥羽市立海の博物館

967 菅島(しろんご祭)3-6-3
©鳥羽市立海の博物館

418 神島ゴクアゲ(御供上げ)6-3
©鳥羽市立海の博物館

5799 志島の海女船4-1-3
©鳥羽市立海の博物館

A16390(波切 わらじ)
©鳥羽市立海の博物館

967 菅島(しろんご祭)3-6-3
©鳥羽市立海の博物館

No. 資料の名称(画像タイトル) 内容(キャプション) 撮影場所 撮影年(西暦)
1781 石鏡の門神4-5-2 石鏡神社の敷地内には、古い注連縄や白木の膳(カミノゼン)、家で飾られていた神棚などを捨てる一画がある。年に一度、祈祷して処分される。(「浜の遠声 石鏡の暮らし写真展」報告書より) アルバムのデータ記載欄には「S61.1.2 石鏡の門神/石鏡神社の廃神仏」と記される。 鳥羽市石鏡町 1986.01.02
1782 石鏡の門神4-5-3 全国的には小正月の後に外されることが多いようであるが、鳥羽志摩地域地では一年中飾る所が多く、石鏡町ではその家に不幸事が起こるまで毎年新しい注連縄が重ねられていく。また、最近は、市販されている物を飾る家も多くなったが、ここでは今も家人が思いを込めて作った注連縄を見ることができ、紙垂と共にヒイラギや椎の小枝、ウラジロ、橙などが取付けられ、木札の表には「七福即生 七難即滅 蘇民将来子孫門」、裏には「急々如律令」と「魔除印=ドーマン・セーマン」が記される。アルバムのデータ記載欄には「S61.1.2 石鏡の門神/石鏡の大戸注連縄」と記される。 鳥羽市石鏡町 1986.01.02
1783 石鏡の門神4-5-4 12月13日の三合松札書きが終わると正月の準備が始まる。各家々では日柄の良い日を選んで、玄関口にイマメ(ウバメガシ)とアセビ・椎・松、ヒイラギの枝、ウラジロ等を注連縄で絡げ、庶民将来子孫の門と記した木札とツボキを括り付けた門飾りを飾る。アルバムのデータ記載欄には「S61.1.2 石鏡の門神/門神飾り」と記される。 鳥羽市石鏡町 1986.01.02
1784 石鏡の門神4-5-5 アルバムのデータ記載欄には「S62.1.2日(石鏡の門神)/三ッ足に刺すドノト」と記される。 鳥羽市石鏡町 1987.01.02
1785 石鏡の門神4-5-6 アルバムのデータ記載欄には「S62.1.2日(石鏡の門神)/三ッ足に刺すドノト」と記される。 鳥羽市石鏡町 1987.01.02
1786 石鏡の門神4-6-1 各家々では玄関口の門飾りと合わせて、持ち船にもアセビ・椎・松、ヒイラギの枝、ウラジロ等を注連縄で絡げ、庶民将来子孫■と記された木札とツボキを括り付けた飾りを取付ける。アルバムのデータ記載欄には「S62.1.2日(石鏡の門神)/舟玉飾り」と記される。 鳥羽市石鏡町 1987.01.02
1787 石鏡の門神4-6-2 12月13日の三合松札書きが終わると正月の準備が始まる。各家々では日柄の良い日を選んで、玄関口にイマメ(ウバメガシ)とアセビ・椎・松、ヒイラギの枝、ウラジロ等を注連縄で絡げ、庶民将来子孫の門と記した木札とツボキを括り付けた門飾りを飾る。アルバムのデータ記載欄には「S62.1.2日(石鏡の門神)/ドノトが刺された門飾り」と記される。 鳥羽市石鏡町 1987.01.02
1788 石鏡の門神4-6-3 12月13日の三合松札書きが終わると正月の準備が始まる。各家々では日柄の良い日を選んで、玄関口にイマメ(ウバメガシ)とアセビ・椎・松、ヒイラギの枝、ウラジロ等を注連縄で絡げ、庶民将来子孫の門と記した木札とツボキを括り付けた門飾りを飾る。アルバムのデータ記載欄には「S62.1.2日(石鏡の門神)/ドノトが刺された門飾り」と記される。 鳥羽市石鏡町 1987.01.02
1789 石鏡の門神4-6-4 12月13日の三合松札書きが終わると正月の準備が始まる。各家々では日柄の良い日を選んで、玄関口にイマメ(ウバメガシ)とアセビ・椎・松、ヒイラギの枝、ウラジロ等を注連縄で絡げ、庶民将来子孫の門と記した木札とツボキを括り付けた門飾りを飾る。アルバムのデータ記載欄には「S62.1.2日(石鏡の門神)」と記される。 鳥羽市石鏡町 1987.01.02
1790 石鏡の門神4-6-5 玄関口に飾られる門飾りと共に、半紙など和紙の上に小石、洗米、赤飯(小豆飯)、豆まきに使用した大豆等を供え玄関先に立てかける魔除け札である。アルバムのデータ記載欄には「S62.1.2日(石鏡の門神)/ダテンコー」と記される。 鳥羽市石鏡町 1987.01.02
1791 石鏡の門神4-6-6 玄関口に飾られる門飾りと共に、半紙など和紙の上に小石、洗米、赤飯(小豆飯)、豆まきに使用した大豆等を供え玄関先に立てかける魔除け札である。アルバムのデータ記載欄には「S62.1.2日(石鏡の門神)/ダテンコー」と記される。 鳥羽市石鏡町 1987.01.02
1792 石鏡の門神5-1-1 各家々では玄関口の門飾りと合わせて、持ち船にもアセビ・椎・松、ヒイラギの枝、ウラジロ等を注連縄で絡げ、庶民将来子孫■と記された木札とツボキを括り付けた飾りを取付ける。アルバムのデータ記載欄には「S62.1.2日(石鏡の門神)/舟玉かざり」と記される。 鳥羽市石鏡町 1987.01.02
1793 石鏡の門神5-1-2 各家々では玄関口の門飾りと合わせて、持ち船にもアセビ・椎・松、ヒイラギの枝、ウラジロ等を注連縄で絡げ、庶民将来子孫■と記された木札とツボキを括り付けた飾りを取付ける。アルバムのデータ記載欄には「S62.1.2日(石鏡の門神)/舟玉かざり」と記される。 鳥羽市石鏡町 1987.01.02
1794 石鏡(後産)5-1-5 後産(あとざん・のちざん)の処理の方法は鳥羽市でも集落によって差があり、神島・浦村・国崎・相差・答志の様に決められた浜に埋ける所と加茂地区・石鏡・桃取の様に井戸や専用の瓶が埋めてあってその中に捨てる所があったと言う。参考文献:『鳥羽市史 下巻』平成3年発行。 写真中央の松の背後にある蓋のついた瓶(かめ)は、後産(産後に出た胎盤)を捨てるために使われた。埋め墓下の広場の片隅に置かれていたが、平成初期の墓地の整備工事とともになくなった。後産だけでなく、水子やへその緒も捨てられた。瓶(かめ)の底はなく、地面に接しており、捨てられたものは腐って土に還った。(「浜の遠声 石鏡の暮らし写真展」報告書より) アルバムのデータ記載欄には「S62.6月 石鏡後産/後産を捨てた井戸」と記される。 鳥羽市石鏡町 1987.06
1795 石鏡(後産)5-1-6 後産(あとざん・のちざん)の処理の方法は本市でも集落によって差があり、神島・浦村・国崎・相差・答志の様に決められた浜に埋ける所と加茂地区・石鏡・桃取の様に井戸や専用の瓶が埋めてあってその中に捨てる所があったと言う。参考文献:『鳥羽市史 下巻』平成3年発行。アルバムのデータ記載欄には「S62.6月 石鏡後産/後産を捨てた井戸」と記される。 鳥羽市石鏡町 1987.06
1796 石鏡(民具)5-2-1 一輪車に乗せられた二つのフゴに入れられているのは甘藷である。集落は海へと落ちる急峻な山腹に密集するが、浦村町へと続く県道沿いにわずかながら農地が広がる。栽培される農作物は自家用の物が中心であるが、中でも甘藷は煮て乾燥させたキンコや薄切りにして乾燥させ、芋粉にした物を小麦粉等と混ぜて蒸す芋餅等の保存食の食材としても重宝された。アルバムのデータ記載欄には「S62.11.12(石鏡)」と記される。 鳥羽市石鏡町 1987.11.12
1797 石鏡(民具)5-2-2 背中に背負う竹製の運搬具で、背負子(ショイカゴとも言う)である。昭和50年頃に、石鏡から伊豆への出稼ぎによって導入されたので、鳥羽市内の他の地域には伝わっておらず、画像№1804のようなショイコが用いられることが一般的だった。石鏡には竹製のオンビカゴ(アワビカゴ)を編む人もいたが、この背負いカゴは当時の金額で1万円ほどした。伊豆から送ってもらうには当時の金額で2,000?3,000円ほどしたそうだ。参考文献:『鳥羽市史 下巻 第3章交易・開運・運搬』平成3年発行。(「浜の遠声 石鏡の暮らし写真展」報告書より)。アルバムのデータ記載欄には「S62.11.12(石鏡)」と記される。 鳥羽市石鏡町 1987.11.12
1798 石鏡(民具)5-2-3 写真の女性は木村春枝さん、海女である。海女小屋で手拭いの巻き方を教わった写真。ホッカブリ(ホオカムリ)と地元では呼ばれた。(「浜の遠声 石鏡の暮らし写真展」報告書より) アルバムのデータ記載欄には「S62.11.12(石鏡)/ホッカブリ(冬)」と記される。 鳥羽市石鏡町 1987.11.12
1799 石鏡(民具)5-2-4 写真の女性は木村春枝さん、海女である。海女小屋で手拭いの巻き方を教わった写真。アネサンと地元では呼ばれた。(「浜の遠声 石鏡の暮らし写真展」報告書より) アルバムのデータ記載欄には「S62.11.12(石鏡)/ホッカブリ(冬)」と記される。 鳥羽市石鏡町 1987.11.12
1800 石鏡(民具)5-2-5 写真の女性は木村春枝さん、海女である。海女小屋で手拭いの巻き方を教わった写真。ハチマキと地元では呼ばれた。(「浜の遠声 石鏡の暮らし写真展」報告書より) アルバムのデータ記載欄には「S62.11.12(石鏡)/ホッカブリ(冬)」と記される。 1987.11.12
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