三重大学海女研究センター

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アーカイブ資料/画像資料アーカイブ

画像資料アーカイブPhotograph

海女研究センターが「アーカイブ・データベース事業」で構築してきた文献・画像のデータベースから詳細検索ができます。こちらでは鳥羽市立海の博物館が所蔵する海女や漁村に関する画像について、名称や撮影場所、撮影年、写されている内容を閲覧できます。

418 神島ゴクアゲ(御供上げ)6-3
©鳥羽市立海の博物館

5799 志島の海女船4-1-3
©鳥羽市立海の博物館

5434 波切わらじ祭1-4
©鳥羽市立海の博物館

967 菅島(しろんご祭)3-6-3
©鳥羽市立海の博物館

418 神島ゴクアゲ(御供上げ)6-3
©鳥羽市立海の博物館

5799 志島の海女船4-1-3
©鳥羽市立海の博物館

A16390(波切 わらじ)
©鳥羽市立海の博物館

967 菅島(しろんご祭)3-6-3
©鳥羽市立海の博物館

No. 資料の名称(画像タイトル) 内容(キャプション) 撮影場所 撮影年(西暦)
1841 石鏡木村弁助宅資料6-5-6 木村家に残されてきた史料の内№1839の中身で「今浦本浦のこらずながれたり・・・」と記される。アルバムのデータ記載欄には「64.1.3日 石鏡/木村弁助宅資料/嘉永七年津波記録」と記される。 鳥羽市石鏡町 1989.01.03
1842 石鏡木村弁助宅資料6-6-1 木村家に残されてきた史料の内№1839の中身で「なみたかし六月七月八月廿一日大しけ也・・・・・」と記される。アルバムのデータ記載欄には「64.1.3日 石鏡/木村弁助宅資料/嘉永七年津波記録」と記される。 鳥羽市石鏡町 1989.01.03
1843 石鏡木村弁助宅資料6-6-2 8月16日に新亡の霊や祖先の霊を送る石鏡町の精霊送り「アミダーボ」で大老等年寄衆が太鼓と鉦を打ち鳴らしながら唱える「ミダタノム」の文句である。「ヒトワアワヨノ月ナリヤー クモハレネエド ニシユク アミダーボー・・・・・」の文句が記される。アルバムのデータ記載欄には「64.1.3日 石鏡/木村弁助宅資料」と記される。 鳥羽市石鏡町 1989.01.03
1844 石鏡木村弁助宅資料6-6-3 アルバムのデータ記載欄には「64.1.3日 石鏡/木村弁助宅資料/エビス貝 この変形貝をとった時、6貫のアワビの大漁だった。その後祀っている」と記される。 鳥羽市石鏡町 1989.01.03
1845 石鏡木村弁助宅資料6-6-4 アルバムのデータ記載欄には「64.1.3日 石鏡/木村弁助宅資料/エビス貝 この変形貝をとった時、6貫のアワビの大漁だった。その後祀っている」と記される。 鳥羽市石鏡町 1989.01.03
1846 石鏡木村弁助宅資料6-6-5 辻札である。古来から辻は現世と来世の境界になっているとの説があり、魔物の「辻神」が住みつきやすいと言われる。ここ石鏡町では御堂・山の坂・西口ドラシ・バンタガ坂の四ヶ所には悪霊が集落の中に入り込むのを防ぐために「大般若経宝牘守護」と書かれた紙札と「ダテンコウ札」が「辻の札」として立てられる。アルバムのデータ記載欄には「64.1.3日 石鏡/木村弁助宅資料」と記される。 鳥羽市石鏡町 1989.01.03
1847 石鏡木村弁助宅資料6-6-6 辻札である。古来から辻は現世と来世の境界になっているとの説があり、魔物の「辻神」が住みつきやすいと言われる。ここ石鏡町では御堂・山の坂・西口ドラシ・バンタガ坂の四ヶ所には悪霊が集落の中に入り込むのを防ぐために「大般若経宝牘守護」と書かれた紙札と「ダテンコウ札」が「辻の札」として立てられる。アルバムのデータ記載欄には「64.1.3日 石鏡/木村弁助宅資料」と記される。 鳥羽市石鏡町 1989.01.03
1848 石鏡木村弁助宅資料7-1-1 辻札である。古来から辻は現世と来世の境界になっているとの説があり、魔物の「辻神」が住みつきやすいと言われる。ここ石鏡町では御堂・山の坂・西口ドラシ・バンタガ坂の四ヶ所には悪霊が集落の中に入り込むのを防ぐために「大般若経宝牘守護」と書かれた紙札と「ダテンコウ札」が「辻の札」として立てられる。アルバムのデータ記載欄には「64.1.3日 石鏡/木村弁助宅資料」と記される。 鳥羽市石鏡町 1989.01.03
1849 石鏡木村弁助宅資料7-1-2 辻札である。古来から辻は現世と来世の境界になっているとの説があり、魔物の「辻神」が住みつきやすいと言われる。ここ石鏡町では御堂・山の坂・西口ドラシ・バンタガ坂の四ヶ所には悪霊が集落の中に入り込むのを防ぐために「大般若経宝牘守護」と書かれた紙札と「ダテンコウ札」が「辻の札」として立てられる。アルバムのデータ記載欄には「64.1.3日 石鏡/木村弁助宅資料」と記される。 鳥羽市石鏡町 1989.01.03
1850 石鏡木村弁助宅資料7-1-3 辻札である。古来から辻は現世と来世の境界になっているとの説があり、魔物の「辻神」が住みつきやすいと言われる。ここ石鏡町では御堂・山の坂・西口ドラシ・バンタガ坂の四ヶ所には悪霊が集落の中に入り込むのを防ぐために「大般若経宝牘守護」と書かれた紙札と「ダテンコウ札」が「辻の札」として立てられる。アルバムのデータ記載欄には「64.1.3日 石鏡/木村弁助宅資料」と記される。 鳥羽市石鏡町 1989.01.03
1851 石鏡木村弁助宅資料7-1-4 全国的には小正月の後に外されることが多いようであるが、鳥羽志摩地域地では一年中飾る所が多く、石鏡町ではその家に不幸事が起こるまで毎年新しい注連縄が重ねられていく。また、最近は、市販されている物を飾る家も多くなったが、ここでは今も家人が思いを込めて作った注連縄を見ることができ、木札の表には「七福即生 七難即滅 蘇民将来子孫門」、裏には「急々如律令」と「魔除印=ドーマン・セーマン」が記される。アルバムのデータ記載欄には「64.1.3日 石鏡/木村弁助宅資料」と記される。 鳥羽市石鏡町 1989.01.03
1852 石鏡海女の潜き下り7-1-5 毎年、海女漁が始まる前に海上安全と豊漁を祈願して行われる海女の神事である。当日午後「カズキオリを始める」旨の町内放送が流されると、白木の膳と一升枡を手にした海女達がそれぞれ、かつては集落前の海浜であったであろう前浜の堤防で、小石の上に赤飯・タツクリ等を供え神酒を注ぎ、アワビオコシで一升枡の角を二三度叩いてから海に向かって手を合わせて海上安全と大漁満足を祈願する。前浜での御供えが終わると、八大龍神の祭壇に、重ね餅や小石、アズキ飯等を供え、膳に載せられた黒・赤一対のアワビをアワビオコシ(磯ノミ)で起こす仕草をし、手を合わせて操業の安全と大漁を祈願する。その後、集落の入口近くに立つ石柱、三界萬霊塔、六地蔵に供え物を済ませた後、海女船を持つ海女達は自家船にも御供をして回る。写真は、八大龍神の掛軸である。アルバムのデータ記載欄には「90.2.16 (石鏡)海女の潜きおり(潜き下り)」と記される。 鳥羽市石鏡町 1990.02.16
1853 石鏡海女の潜き下り7-1-6 八大龍神の掛軸である。重ね餅や小石、赤飯・タツクリ等を供え海上安全と豊漁を祈願する。アルバムのデータ記載欄には「90.2.16 (石鏡)海女の潜きおり(潜き下り)」と記される。 鳥羽市石鏡町 1990.02.16
1854 石鏡海女の潜き下り7-2-1 八大龍神の掛軸を掛け、その下に膳に入れられた黒と赤一対の鮑と、神酒を注ぐための器、アワビを起こす仕草に使うノミ(アワビオコシ)が置かれた祭壇が設えられる。アルバムのデータ記載欄には「90.2.16 (石鏡)海女の潜きおり(潜き下り)」と記される。 鳥羽市石鏡町 1990.02.16
1855 石鏡海女の潜き下り7-2-2 八大龍神の掛軸を掛け、その下に膳に入れられた黒と赤一対の鮑と、神酒を注ぐための器、アワビを起こす仕草に使う磯ノミ(アワビオコシ)が置かれた祭壇が設えられる。アルバムのデータ記載欄には「90.2.16 (石鏡)海女の潜きおり(潜き下り)」と記される。 鳥羽市石鏡町 1990.02.16
1856 石鏡海女の潜き下り7-2-3 八大龍神の掛軸の下に設えられる祭壇である。膳に入れられた黒と赤一対の鮑と、神酒を注ぐための器、アワビを起こす仕草に使う磯ノミ(アワビオコシ)が置かれている。アルバムのデータ記載欄には「90.2.16 (石鏡)海女の潜きおり(潜き下り)」と記される。 鳥羽市石鏡町 1990.02.16
1857 石鏡海女の潜き下り7-2-4 白木の膳と一升枡を手にした海女達が前浜の堤防で、小石の上に赤飯・タツクリ等を供え終えた後、八大龍神の祭壇に、重ね餅や小石、アズキ飯等を供え、膳に載せられた黒・赤一対のアワビをアワビオコシ(磯ノミ)で起こす仕草をし、手を合わせて操業の安全と大漁を祈願する。アルバムのデータ記載欄には「90.2.16 (石鏡)海女の潜きおり(潜き下り)」と記される。 鳥羽市石鏡町 1990.02.16
1858 石鏡海女の潜き下り7-2-5 白木の膳と一升枡を手にした海女達が前浜の堤防で、小石の上に赤飯・タツクリ等を供え終えた後、八大龍神の祭壇に、重ね餅や小石、アズキ飯等を供え、膳に載せられた黒・赤一対のアワビをアワビオコシ(磯ノミ)で起こす仕草をし、手を合わせて操業の安全と大漁を祈願する。アルバムのデータ記載欄には「90.2.16 (石鏡)海女の潜きおり(潜き下り)」と記される。 鳥羽市石鏡町 1990.02.16
1859 石鏡海女の潜き下り7-2-6 八大龍神の祭壇に供えられた重ね餅や小石、赤飯(小豆飯)、タツクリなど。アルバムのデータ記載欄には「90.2.16 (石鏡)海女の潜きおり(潜き下り)」と記される。 鳥羽市石鏡町 1990.02.16
1860 石鏡海女の潜き下り7-3-1 白木の膳と一升枡を手にした海女達が前浜の堤防で、小石の上に赤飯・タツクリ等を供え終えた後、八大龍神の祭壇に、重ね餅や小石、アズキ飯等を供え、膳に載せられた黒・赤一対のアワビをアワビオコシ(磯ノミ)で起こす仕草をし、手を合わせて操業の安全と大漁を祈願する。アルバムのデータ記載欄には「90.2.16 (石鏡)海女の潜きおり(潜き下り)」と記される。 鳥羽市石鏡町 1990.02.16
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