三重大学海女研究センター

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アーカイブ資料/画像資料アーカイブ

画像資料アーカイブPhotograph

海女研究センターが「アーカイブ・データベース事業」で構築してきた文献・画像のデータベースから詳細検索ができます。こちらでは鳥羽市立海の博物館が所蔵する海女や漁村に関する画像について、名称や撮影場所、撮影年、写されている内容を閲覧できます。

418 神島ゴクアゲ(御供上げ)6-3
©鳥羽市立海の博物館

5799 志島の海女船4-1-3
©鳥羽市立海の博物館

5434 波切わらじ祭1-4
©鳥羽市立海の博物館

967 菅島(しろんご祭)3-6-3
©鳥羽市立海の博物館

418 神島ゴクアゲ(御供上げ)6-3
©鳥羽市立海の博物館

5799 志島の海女船4-1-3
©鳥羽市立海の博物館

A16390(波切 わらじ)
©鳥羽市立海の博物館

967 菅島(しろんご祭)3-6-3
©鳥羽市立海の博物館

No. 資料の名称(画像タイトル) 内容(キャプション) 撮影場所 撮影年(西暦)
1821 石鏡木村弁助宅出土鯨骨5-6-4 写真は、昭和50年に工事が進められた石鏡町・木村弁助氏宅の基礎工事中に土中から発見された鯨の骨。アルバムのデータ記載欄には「S50.5月 石鏡/木村弁助宅出土鯨骨」と記される。 鳥羽市石鏡町 -1975.05
1822 石鏡木村弁助宅出土鯨骨5-6-5 写真は、昭和50年に工事が進められた石鏡町・木村弁助氏宅の基礎工事中に土中から発見された鯨の骨。アルバムのデータ記載欄には「S50.5月 石鏡/木村弁助宅出土鯨骨」と記される。 鳥羽市石鏡町 -1975.05
1823 石鏡木村弁助宅出土鯨骨5-6-6 写真は、昭和50年に工事が進められた石鏡町・木村弁助氏宅の基礎工事中に土中から発見された鯨の骨。アルバムのデータ記載欄には「S50.5月 石鏡/木村弁助宅出土鯨骨」と記される。 鳥羽市石鏡町 -1975.05
1824 石鏡木村弁助宅出土鯨骨6-1-1 写真は、昭和50年に工事が進められた石鏡町・木村弁助氏宅の基礎工事中に土中から発見された鯨の骨。アルバムのデータ記載欄には「S50.5月 石鏡/木村弁助宅出土鯨骨」と記される。 鳥羽市石鏡町 -1975.05
1825 石鏡木村弁助宅出土鯨骨6-1-2 写真は、昭和50年に工事が進められた石鏡町・木村弁助氏宅の基礎工事中に土中から発見された鯨の骨。アルバムのデータ記載欄には「S50.5月 石鏡/木村弁助宅出土鯨骨」と記される。 鳥羽市石鏡町 -1975.05
1826 石鏡木村弁助宅出土鯨骨6-1-3 写真は、昭和50年に工事が進められた石鏡町・木村弁助氏宅の基礎工事中に土中から発見された鯨の骨。アルバムのデータ記載欄には「S50.5月 石鏡/木村弁助宅出土鯨骨」と記される。 鳥羽市石鏡町 -1975.05
1827 石鏡木村弁助宅出土鯨骨6-1-4 写真は、昭和50年に工事が進められた石鏡町・木村弁助氏宅の基礎工事中に土中から鯨の骨と一緒にアワビやニシ等の貝殻類も発見された。アルバムのデータ記載欄には「S50.5月 石鏡/木村弁助宅出土鯨骨」と記される。 鳥羽市石鏡町 -1975.05
1828 石鏡木村弁助宅出土鯨骨6-1-5 写真は、昭和50年に工事が進められた石鏡町・木村弁助氏宅の基礎工事中に土中から鯨の骨と一緒にアワビやニシ等の貝殻類も発見された。アルバムのデータ記載欄には「S50.5月 石鏡/木村弁助宅出土鯨骨」と記される。 鳥羽市石鏡町 -1975.05
1829 石鏡木村弁助宅出土鯨骨6-1-6 アルバムのデータ記載欄には「S50.5月 石鏡/木村弁助宅出土鯨骨」と記される。写真は曹洞宗鳥羽常安寺の末寺である鳥羽市浦村町本浦の生浦山清岩庵である。開山は祖麟和尚とされるが、安政五(1858)年の火災で寺宝、記録、その他の什器に至るまで消失したと言う。参考文献:『鳥羽市史 下巻』平成3年発行。 鳥羽市浦村町本浦 -1975.05
1830 石鏡辻札・正月始6-2-1 古来から辻は現世と来世の境界になっているとの説があり、魔物の「辻神」が住みつきやすいと言われる。ここ石鏡町では御堂・山の坂・西口ドラシ・バンタガ坂の四ヶ所には悪霊が集落の中に入り込むのを防ぐために「大般若経宝牘守護」と書かれた紙札と「ダテンコウ札」が「辻の札」として立てられる。アルバムのデータ記載欄には「S63.12.13 (石鏡)/辻札・正月始・札書」/辻札立」と記される。 鳥羽市石鏡町 1988.12.13
1831 石鏡辻札・正月始6-2-2 古来から辻は現世と来世の境界になっているとの説があり、魔物の「辻神」が住みつきやすいと言われる。ここ石鏡町では御堂・山の坂・西口ドラシ・バンタガ坂の四ヶ所には悪霊が集落の中に入り込むのを防ぐために「大般若経宝牘守護」と書かれた紙札と「ダテンコウ札」が「辻の札」として立てられる。アルバムのデータ記載欄には「S63.12.13 (石鏡)/辻札・正月始・札書」/ダテンコウ鬼主 場所ミド」と記される。 鳥羽市石鏡町 1988.12.13
1832 石鏡辻札・正月始6-2-3 古来から辻は現世と来世の境界になっているとの説があり、魔物の「辻神」が住みつきやすいと言われる。ここ石鏡町では御堂・山の坂・西口ドラシ・バンタガ坂の四ヶ所には悪霊が集落の中に入り込むのを防ぐために「大般若経宝牘守護」と書かれた紙札と「ダテンコウ札」が「辻の札」として立てられる。アルバムのデータ記載欄には「S63.12.13 (石鏡)/辻札・正月始・札書」と記される。 鳥羽市石鏡町 1988.12.13
1833 石鏡木村弁助宅資料6-4-1 木村家に残されてきた史料で「仕切状 一、生貝 三百八十七籠・・・」と記され、軸装がされている。アルバムのデータ記載欄には「64.1.3日 石鏡/木村弁助宅資料」と記される。 鳥羽市石鏡町 1989.01.03
1834 石鏡木村弁助宅資料6-4-2 木村家に残されてきた史料で「仕切状 一、生貝 三百八十七籠・・・」と記され、軸装がされている。アルバムのデータ記載欄には「64.1.3日 石鏡/木村弁助宅資料」と記される。 鳥羽市石鏡町 1989.01.03
1835 石鏡木村弁助宅資料6-4-3 用途は不明であるが楕円形に形取られた木表には「安政三丙辰年 石鏡村 木村弁助用」と彫られる。アルバムのデータ記載欄には「64.1.3日 石鏡/木村弁助宅資料」と記される。 鳥羽市石鏡町 1989.01.03
1836 石鏡木村弁助宅資料6-5-1 木村家に残されてきた史料で「文化十三子十一月 往来一札之事 一、鮑四百籠・・・」と記され、軸装がされている。アルバムのデータ記載欄には「64.1.3日 石鏡/木村弁助宅資料」と記される。 鳥羽市石鏡町 1989.01.03
1837 石鏡木村弁助宅資料6-5-2 木村家に残されてきた史料で「文化十三子十一月 往来一札之事 一、鮑四百籠・・・」と記され、軸装がされている。アルバムのデータ記載欄には「64.1.3日 石鏡/木村弁助宅資料」と記される。 鳥羽市石鏡町 1989.01.03
1838 石鏡木村弁助宅資料6-5-3 木村家に残されてきた史料で「大正9年旧6月4日 富士浅間大権現」と記される幟旗である。アルバムのデータ記載欄には「64.1.3日 石鏡/木村弁助宅資料/富士講の旗 大正9年6月4日」と記される。 鳥羽市石鏡町 1989.01.03
1839 石鏡木村弁助宅資料6-5-4 木村家に残されてきた史料で「嘉永七年とら霜月四日 此可心得也」と記される。アルバムのデータ記載欄には「64.1.3日 石鏡/木村弁助宅資料/嘉永七年津波記録」と記される。 鳥羽市石鏡町 1989.01.03
1840 石鏡木村弁助宅資料6-5-5 木村家に残されてきた史料の内№1839の中身で「覚 嘉永七年とら年霜月四日ひる四ツ時大志しんすぐにつなみ・・・・・」と記される。アルバムのデータ記載欄には「64.1.3日 石鏡/木村弁助宅資料/嘉永七年津波記録」と記される。 鳥羽市石鏡町 1989.01.03
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