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アーカイブ資料/画像資料アーカイブ
画像資料アーカイブPhotograph
海女研究センターが「アーカイブ・データベース事業」で構築してきた文献・画像のデータベースから詳細検索ができます。こちらでは鳥羽市立海の博物館が所蔵する海女や漁村に関する画像について、名称や撮影場所、撮影年、写されている内容を閲覧できます。
画像資料
検索方法について
| No. | 資料の名称(画像タイトル) | 内容(キャプション) | 撮影場所 | 撮影年(西暦) |
|---|---|---|---|---|
| 1861 | 石鏡海女の潜き下り7-3-2 | 白木の膳と一升枡を手にした海女達が前浜の堤防で、小石の上に赤飯・タツクリ等を供え終えた後、八大龍神の祭壇に、重ね餅や小石、アズキ飯等を供え、膳に載せられた黒・赤一対のアワビをアワビオコシ(磯ノミ)で起こす仕草をし、手を合わせて操業の安全と大漁を祈願する。アルバムのデータ記載欄には「90.2.16 (石鏡)海女の潜きおり(潜き下り)」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.02.16 |
| 1862 | 石鏡海女の潜き下り7-3-3 | かつては集落前の海浜であったであろう前浜の堤防に供えられた、小石や赤飯・タツクリ、神酒等である。海女達はお供えを終えると、アワビオコシで一升枡の角を二三度叩いてから海に向かって手を合わせて海上安全と大漁満足を祈願する。アルバムのデータ記載欄には「90.2.16 (石鏡)海女の潜きおり(潜き下り)」と記される。 | 鳥羽市石鏡町 | 1990.02.16 |
| 1863 | 志摩町和具(ノリアイ海女)A-1-1 | このスライドの前にはめ込まれるタイトルスライド枠には「和具 A1 栗原達男」と記され、スライド枠には「47.8.28/ウエットスーツへの着替え」と記される。志摩町和具のノリアイ海女の船上風景である。5人の海女が写されるが、全員が黄色のウエットスーツを身に着ける。傍らには磯桶が積まれている。 | 志摩市志摩町和具 | 1973.08.28 |
| 1864 | 志摩町和具(ノリアイ海女)A-1-2 | スライド枠には「47.8.28」と記される。志摩町和具のノリアイ海女の船上風景である。黄色のウエットスーツへと着替えをする海女が写されるが、左前の海女はスーツの綻びを接着剤で補修している。傍らにはイソカゴが置かれ、スカリらしき物も見受けられる。 | 志摩市志摩町和具 | 1973.08.28 |
| 1865 | 志摩町和具(ノリアイ海女)A-1-3 | スライド枠には「47.8.28」と記される。志摩町和具のノリアイ海女の船上風景である。黄色のウエットスーツへと着替え、ゴム製の足袋を履く海女や髪を結ぶ海女達が写される。傍らには磯桶やスカリらしき物が置かれている。 | 志摩市志摩町和具 | 1973.08.28 |
| 1866 | 志摩町和具(ノリアイ海女)A-1-4 | スライド枠には「47.8.28」と記される。志摩町和具のノリアイ海女の船上風景である。黄色のウエットスーツへと着替える海女や、髪を整える海女等5人が写される。傍らにはイソカゴや磯桶やスカリらしき物が置かれている。 | 志摩市志摩町和具 | 1973.08.28 |
| 1867 | 志摩町和具(ノリアイ海女)A-1-5 | スライド枠には「和具 S47/47.8.28/ウエットスーツヒレ」と記される。志摩町和具のノリアイ海女の船上風景である。磯場へと到着し、操業開始の合図が出されたのであろう。艫の後方の海上には4個の磯桶が浮かんでいる。船上では黄色のウエットスーツに磯メガネと黒の足ヒレを付け、桶綱を手にした海女が海へ入る準備を進める。すでに磯桶は海面に浮いている。 | 志摩市志摩町和具 | 1973.08.28 |
| 1868 | 志摩町和具(ノリアイ海女)A-1-6 | スライド枠には「和具 S47/47.8.28/ウエットスーツヒレ」と記される。志摩町和具のノリアイ海女の船上風景である。磯場へと到着し、操業開始の合図が出されたのであろう。艫側の海上には磯桶に掴まる二人の海女が、船上では左手に桶綱を持ち、足から海に飛び込む瞬間の海女や桶綱を腰のベルトに結ぶ海女達が写される。 | 志摩市志摩町和具 | 1973.08.28 |
| 1869 | 志摩町和具(ノリアイ海女)A-1-7 | スライド枠には「和具 47.8.28」と記される。志摩町和具のノリアイ海女達の休憩風景である。場所は和具大島かと思われる。浜辺に柱を立て、白布の様な物で夏の日差しを遮るために作られた簡易な海女小屋である。一潜目が終わると海女達は、海女小屋に戻り磯着に着替えて躰を温め、昼食をとる。写真中央の海女はアルマイト製の弁当箱に白米を入れ、干物をおかずに昼食をとる。和具では海女達が暖をとるために薪を燃やすところをヒドコと呼ぶが、傍らにはイソカゴやフゴが置かれ、外には二潜目に備えてウエットスーツが干されている。 | 志摩市志摩町和具 | 1973.08.28 |
| 1870 | 志摩町和具(ノリアイ海女)A-1-8 | スライド枠には「47.8.28」と記される。志摩町和具のノリアイ海女達の休憩風景である。場所は和具大島かと思われる。浜辺に柱を立て、白布の様な物で夏の日差しを遮るために作られた簡易な海女小屋である。一潜目が終わると海女達は、海女小屋に戻り磯着に着替えて躰を温め、昼食をとる。和具における夏の海女漁の操業時間は、午前9時30分~11時、午後2時~3時30分までと定められている(『海女習俗基礎調査報告書 平成22・23年度調査』)。昼は3時間ほどの休憩時間が取られることから、食事の後ヒドコの回りで一眠りする海女達も少なくない。傍らにはイソカゴやスカリ等が置かれている。 | 志摩市志摩町和具 | 1973.08.28 |
| 1871 | 志摩町和具(ノリアイ海女)A-1-9 | スライド枠には「47.8.28」と記される。志摩町和具のノリアイ海女達の休憩風景である。場所は和具大島かと思われる。浜辺に柱を立て、白布の様な物で夏の日差しを遮るために作られた簡易な海女小屋である。一潜目が終わると海女達は、海女小屋に戻り磯着に着替えて躰を温め、昼食をとる。写真中央の海女はアルマイト製の弁当箱に白米を入れ、干物をおかずに昼食をとる。和具では海女達が暖をとるために薪を燃やすところをヒドコと呼ぶが、傍らにはイソカゴやフゴが置かれ、外には二潜目に備えてウエットスーツが干されている。 | 志摩市志摩町和具 | 1973.08.28 |
| 1872 | 志摩町和具(ノリアイ海女)A-1-10 | スライド枠には「47.8.28」と記される。志摩町和具のノリアイ海女達の休憩風景である。場所は和具大島かと思われる。浜辺に柱を立て、白布の様な物で夏の日差しを遮るために作られた簡易な海女小屋である。一潜目が終わると海女達は、海女小屋に戻り磯着に着替えて躰を温め、昼食をとる。和具における夏の海女漁の操業時間は、午前9時30分~11時、午後2時~3時30分までと定められている(『海女習俗基礎調査報告書 平成22・23年度調査』)。昼は3時間ほどの休憩時間が取られることから、食事の後ヒドコの回りで一眠りする海女達も少なくない。傍らにはイソカゴやスカリ等が置かれている。 | 志摩市志摩町和具 | 1973.08.28 |
| 1873 | 志摩町和具(ノリアイ海女)A-1-11 | スライド枠には「和具 47.8.28」と記される。刺網の修繕風景である。岩礁域に仕掛ける刺網は岩や貝殻等で破れる事も多い。漁師達は漁の合間をぬってアバリと呼ばれる修理道具で破れた部分を一目一目修繕していく。写真はアバリを口にくわえ、刺網を修繕する漁師。 | 志摩市志摩町和具 | 1973.08.28 |
| 1874 | 志摩町和具(ノリアイ海女)A-1-12 | スライド枠には「和具 47.8.28」と記される。刺網の修繕風景である。岩礁域に仕掛ける刺網は岩や貝殻等で破れる事も多い。漁師達は漁の合間をぬってアバリと呼ばれる修理道具で破れた部分を一目一目修繕していく。 | 志摩市志摩町和具 | 1973.08.28 |
| 1875 | (国崎町の舟人海女)A-2-1 | 国崎漁港は昭和28年に漁港指定を受け、昭和38年度以降、整備計画漁港として修築事業を進めてきた。この撮影年次は、第4次計画が終了し、翌48年度から第5次計画に基づく漁港整備が始まる年であるが、まだ漁船を直接係留する程の漁港整備はされておらず、漁船は丸太のコロを使って陸へ引揚げられた。写真は、漁を終え帰港した海女船を陸へと引揚げる作業風景であろう。左上の建物は熨斗鮑調製所で、写されてはいないがその左側には海女小屋が建てられている。スライド枠には「47.8.17」と記される。国崎町鎧崎の船揚場風景である。 | 鳥羽市国崎町 | 1973.08.17 |
| 1876 | (国崎町の舟人海女)A-2-2 | 国崎町では舟人海女の事を夫婦で操業をする事から「ととかか舟」とも呼ぶが、海底の海女から合図があったのであろう、船上の船頭はイソグルマにかけた命綱を一気に手繰上げる。スライド枠には「47.8.17」と記される。国崎町舟人海女の操業風景である。 | 鳥羽市国崎町 | 1973.08.17 |
| 1877 | (国崎町の舟人海女)A-2-3 | 漁を終え帰港した国崎町の舟人海女達。鎧崎の船揚場、前の浜であろう。黒のウエットスーツを着け、磯手拭いを被り、左手にスカリ、右手でイソカゴを肩に掛けた海女が波打際から陸へと向かう。波打際で艫綱を持つ海女は、これから船の引揚げ作業かも知れない。スライド枠には「47.8.17」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1973.08.17 |
| 1878 | (国崎町の舟人海女)A-2-4 | 漁を終え帰港した国崎町の舟人海女達。鎧崎の船揚場、前の浜であろう。磯黒のウエットスーツを着け、磯手拭いを被り、イソカゴを手にする海女が波打際から陸へと向かう。スライド枠には「47.8.17/ウエットスーツ」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1973.08.17 |
| 1879 | (国崎町の舟人海女)A-2-5 | 国崎町舟人海女が磯場へと向かう船上風景である。黒のウエットスーツを身につけ、鉛のベルトと命綱を腰に巻き磯場へと向かう。傍らには、イカシカゴやメガネ箱に入った磯メガネ、軍手等が置かれている。スライド枠には「47.8.17/頭かぶりつきウエットスーツ」と記される。 | 鳥羽市国崎町 | 1973.08.17 |
| 1880 | (国崎町の舟人海女)A-2-6 | 漁を終え帰港した海女達は、採ってきた鮑を漁業協同組合に出荷する。アワビは種類や大きさ、キズ等の点検が行われた後、職員によって計量され、記録されていく。海女が頭に被る磯手拭いからは「国崎町」の文字が読み取れる。スライド枠には「47.8.17」と記される。国崎町の海女の出荷風景である。 | 鳥羽市国崎町 | 1973.08.17 |



