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アーカイブ資料/画像資料アーカイブ
画像資料アーカイブPhotograph
海女研究センターが「アーカイブ・データベース事業」で構築してきた文献・画像のデータベースから詳細検索ができます。こちらでは鳥羽市立海の博物館が所蔵する海女や漁村に関する画像について、名称や撮影場所、撮影年、写されている内容を閲覧できます。地域の方、学生の方、研究者の方、メディアの方々で、画像にご関心がある場合は「資料の問い合わせについて」もあわせてご覧ください。
画像資料
検索方法について
No. | 資料の名称(画像タイトル) | 内容(キャプション) | 撮影場所 | 撮影年(西暦) |
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501 | 神島ゴクアゲ(御供上げ)12-7 | 弁天さんに供えられた鮑。スライド枠に「62.6.11」と記される。 | 鳥羽市神島町 | 1987.06.11 |
502 | 神島ゴクアゲ(御供上げ)12-8 | 弁天さんに供えられた鮑。スライド枠に「62.6.11」と記される。 | 鳥羽市神島町 | 1987.06.11 |
503 | 神島ゴクアゲ(御供上げ)12-9 | 弁天さんに供えられた鮑。スライド枠に「62.6.11」と記される。 | 鳥羽市神島町 | 1987.06.11 |
504 | 神島ゴクアゲ(御供上げ)12-10 | 神様磯と弁天さんへの御供を済ませ、神島漁協横に祀られるコウシンさんにアワビとアライヤネと神酒を供える宮持夫妻と祭船に乗った三人の海女達。スライド枠に「62.6.11」と記される。 | 鳥羽市神島町 | 1987.06.11 |
505 | 神島ゲーター祭1-1 | スキャニングされていないがタイトルスライドには「ゲーター祭 神島 1月1日」と記され、スライド枠には「3」と記される。ゲーター祭を含めた神島の正月行事は12月8日の「事納め(ヤリマショブネ)」に始まり、11日の「神渡し(祷渡し)」、13日の「正月始め(正月の準備)」、31日の「モローモ配り・輪(アワ)作り」、1月1日の「波切不動掛け軸開帳・ゲーター祭・サバ取り・日向の祭」、2日の「船祭・磯祭・チョンナ始め」、4日の「獅子舞・年祝い」、6日の「八幡祭(六日祭)」と続き、ここで一区切りとされる。この内、ゲーター祭は、12月31日夕刻の豆まき、宮持のモローモ配り、輪(アワ)とサバ作りから、元旦の日の出前に東の浜で島中の男達が直径2m程のグミの輪を青竹で突き上げるアワツキまで、大晦日から元旦までの一連の行事をさす。祭の持つ意味は、悪を払う「祓い」の行為とする説、太陽を迎える太陽信仰と言う説、海の神の女神としての象徴に男の持つ竹を突き刺し豊穣と大漁を祈る性的儀礼とする説等諸説有るが不明とされる。祭が終わった後の輪(アワ)は八代神社に運ばれ、1年間境内で保管される。参考文献:鳥羽市教育委員会編・発行『ゲーター祭調査報告書』平成10年発行。写真は洋上から見た神島の集落景観である。 | 鳥羽市神島町 | (不明) |
506 | 神島ゲーター祭1-2 | スライド枠には「神島 4」と記される。正月の注連縄は「門松迎え」と言って12月28日に掛け替えられる。宮持の玄関に張られる注連縄はとりわけ大きく太い。シメウチと言って12月20日に作り、床の間に供えていたものをこの日に飾り、白紙で巻いた炭・ヨメゴジと呼ばれる人形・橙・ウラジロ・シメノ札・シデが取付けられる。シメノ札には、表に「蘇民将来子孫門」と書き、その左右に小さく「七難即滅/七福即生」、と記す。また裏には、中央に「急々如立令」と書き左右に魔除けの「ドーマン/セーマン」が描かれる。 | 鳥羽市神島町 | (不明) |
507 | 神島ゲーター祭1-3 | スライド枠には「神島 5」と記される。宮持の床の間に置かれた「輪(アワ)」。口米の爺と宮持と輪を担ぐ若い衆が、宮持の家で出発を待つ。 | 鳥羽市神島町 | (不明) |
508 | 神島ゲーター祭1-4 | スライド枠には「神島 6」と記される。元旦の午前5時過ぎ、若い衆に担がれて「輪(アワ)」は宮持の家から運び出される。 | 鳥羽市神島町 | (不明) |
509 | 神島ゲーター祭1-5 | スライド枠には「7」と記される。若い衆達によって宮持の家から運び出された「輪(アワ)」は、八代神社下の鳥居前へと向かう。 | 鳥羽市神島町 | (不明) |
510 | 神島ゲーター祭1-6 | スライド枠には「8」と記される。若い衆達によって宮持の家から運び出された「輪(アワ)」は、八代神社下の鳥居前へと向かう。 | 鳥羽市神島町 | (不明) |
511 | 神島ゲーター祭1-7 | スライド枠には「9」と記される。5~6m程の女竹の先に剣と呼ぶ御幣を取付けたゲーロー竹。その家の男の数だけ作られ、東の浜に行く午前5時頃まで玄関口に立てかけておく。 | 鳥羽市神島町 | (不明) |
512 | 神島ゲーター祭1-8 | スライド枠には「10」と記される。「輪(アワ)」が宮持の家を出発する前になると、5~6m程の女竹を用いたゲーロー竹の先に剣と呼ばれる御幣を取付け、東の浜でのアワツキに供える。 | 鳥羽市神島町 | (不明) |
513 | 神島ゲーター祭1-9 | スライド枠には「11」と記される。午前5時頃、「輪(アワ)」が宮持の家を出発すると、各家々からもゲーロー竹を持って東の浜へと向かう。 | 鳥羽市神島町 | (不明) |
514 | 神島ゲーター祭2-1 | スキャニングはされていないが、シート1枚目のタイトルスライドには「神島 神島ゲーター祭」と記される。「輪(アワ)」が宮持の家を出発する前になると、5~6m程の女竹を用いたゲーロー竹の先に剣と呼ばれる御幣を取付け、東の浜でのアワツキに供える。 | 鳥羽市神島町 | (不明) |
515 | 神島ゲーター祭2-2 | 元旦の午前5時過ぎ、若い衆に担がれて「輪(アワ)」は宮持の家から運び出される。 | 鳥羽市神島町 | (不明) |
516 | 神島ゲーター祭2-3 | と記される。元旦の午前5時過ぎ、若い衆に担がれて「輪(アワ)」は宮持の家から運び出される。 | 鳥羽市神島町 | (不明) |
517 | 神島ゲーター祭2-4 | 若い衆達によって宮持の家から運び出された「輪(アワ)」は、八代神社下の鳥居前へと向かう。 | 鳥羽市神島町 | (不明) |
518 | 神島ゲーター祭2-5 | 午前5時頃、「輪(アワ)」が宮持の家を出発すると、各家々からもゲーロー竹を持って東の浜へと向かう。 | 鳥羽市神島町 | (不明) |
519 | 神島ゲーター祭2-6 | 若い衆達によって宮持の家から運び出された「輪(アワ)」は、八代神社下の鳥居前へと向かう。 | 鳥羽市神島町 | (不明) |
520 | 神島ゲーター祭3-1 | スキャニングはされていないが、シート1枚目のタイトルスライドには「神島 48.1.30」と記される。洋上から見た神島の景観。ゲーター祭を調査するため神島に向かう市営定期船からの撮影かと思われる。 | 鳥羽市神島町 | (1973.01.30) |