三重大学海女研究センター

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アーカイブ資料/画像資料アーカイブ

画像資料アーカイブPhotograph

海女研究センターが「アーカイブ・データベース事業」で構築してきた文献・画像のデータベースから詳細検索ができます。こちらでは鳥羽市立海の博物館が所蔵する海女や漁村に関する画像について、名称や撮影場所、撮影年、写されている内容を閲覧できます。地域の方、学生の方、研究者の方、メディアの方々で、画像にご関心がある場合は「資料の問い合わせについて」もあわせてご覧ください。

418 神島ゴクアゲ(御供上げ)6-3
©鳥羽市立海の博物館

5799 志島の海女船4-1-3
©鳥羽市立海の博物館

5434 波切わらじ祭1-4
©鳥羽市立海の博物館

967 菅島(しろんご祭)3-6-3
©鳥羽市立海の博物館

418 神島ゴクアゲ(御供上げ)6-3
©鳥羽市立海の博物館

5799 志島の海女船4-1-3
©鳥羽市立海の博物館

A16390(波切 わらじ)
©鳥羽市立海の博物館

967 菅島(しろんご祭)3-6-3
©鳥羽市立海の博物館

No. 資料の名称(画像タイトル) 内容(キャプション) 撮影場所 撮影年(西暦)
7261 埋葬・儀礼1-4-1 棺を穴に納める様子と見守る参列者。 志摩市磯部町渡鹿野 1989.11.17
7262 埋葬・儀礼1-4-2 棺をワラ製のオダテモッコで持ち上げる親族。 志摩市磯部町渡鹿野 1989.11.17
7263 埋葬・儀礼1-4-3 棺を穴に納める様子と見守る参列者。穴は棺の大きさギリギリに掘られているため、オダテモッコに乗せて慎重に納める。 志摩市磯部町渡鹿野 1989.11.17
7264 埋葬・儀礼1-4-4 棺を穴に納める様子と見守る参列者。穴は棺の大きさギリギリに掘られているため、オダテモッコに乗せて慎重に納める。 志摩市磯部町渡鹿野 1989.11.17
7265 埋葬・儀礼1-4-5 棺を穴に納め、オダテモッコを抜き取る。(先祖の骨がまだ積み上げられたままなので、新仏の棺の上に置かれたと思われる。) 志摩市磯部町渡鹿野 1989.11.17
7266 埋葬・儀礼1-4-6 僧侶の読経の中、近親者が3鍬ずつ土をかける。 志摩市磯部町渡鹿野 1989.11.17
7267 埋葬・儀礼1-5-1 僧侶の読経の中、近親者が3鍬ずつ土をかける。 志摩市磯部町渡鹿野 1989.11.17
7268 埋葬・儀礼1-5-2 僧侶の読経の中、近親者が3鍬ずつ土をかける。 志摩市磯部町渡鹿野 1989.11.17
7269 埋葬・儀礼1-5-3 墓の隅に置かれた、故人の遺影、位牌、膳(故人が生前使用していた茶碗にご飯を山盛りにし、中央に箸を垂直に立てた一膳飯、お茶、梅干し)、ダンゴ、甘露水。 志摩市磯部町渡鹿野 1989.11.17
7270 埋葬・儀礼2-1-1 前海庵本堂の南側にある大日堂。大日如来石像(仏身51㎝)がまつられている。 志摩市磯部町渡鹿野 1990.6.11
7271 埋葬・儀礼2-1-2 渡鹿野の葬送用具調査(あるいは収集か?石原館長の後ろ姿が写る)の様子。現在、葬送用具一式は海の博物館が収蔵している。 志摩市磯部町渡鹿野 1990.6.11
7272 埋葬・儀礼2-1-3 木箱に納められた、葬送用具。手前に木製の棺(座棺)を運ぶ吊台が置かれている。 志摩市磯部町渡鹿野 1990.6.11
7273 埋葬・儀礼2-1-4 天蓋が収納されている木箱のふたを開ける。 志摩市磯部町渡鹿野 1990.6.11
7274 埋葬・儀礼2-1-5 木箱の蓋の裏には「前海庵什物 白霊山現住八〇代 新添」と墨書されている。 志摩市磯部町渡鹿野 1990.6.11
7275 埋葬・儀礼2-1-6 前海庵(曹洞宗 鳥羽常安寺末寺)。寺号は、白雲山前海庵、開基は延宝3年(1675)に常安寺5世祖呑の弟子梅散春教により開山し、その後安永9年(1780)に、天山謙龍が中興した。古くは朝熊岳奥の院の末寺であり、臨済宗に属していたが、慶長年間に鳥羽藩が実施した「志摩の大法改」といわれる政策によって、曹洞宗に改宗し、現在に至っている。無住寺である。(参考:『磯部町史』下巻) 志摩市磯部町渡鹿野 1990.6.11
7276 埋葬・儀礼2-2-1 前海庵境内の大日堂。 志摩市磯部町渡鹿野 1990.6.11
7277 埋葬・儀礼2-2-2 屋根に上げられた鍾馗さん。図像を飾ることで疫病除け、魔除けの効果があるとさる。場所不明 要調査 不明 不明
7278 菅島・景観2-2-3 注連縄 場所不明 要調査 鳥羽市菅島町 不明
7279 菅島・景観2-2-4 シロンゴ祭が行われる白浜。砂浜中央の岩は、祭の時にホラ貝を吹く岩。中央に見える山は、烏帽子山である。 鳥羽市菅島町 不明
7280 菅島・景観2-2-5 菅島の御篝堂(おかがりどう)があった付近に散乱している瓦片。御篝堂は、寛文13(1673)年西回り航路を開拓した河村瑞賢(かわむらずいけん)は、航行する上で、菅島に航路標識が必要であると考え、建設された。 鳥羽市菅島町 不明
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