三重大学海女研究センター

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アーカイブ資料/画像資料アーカイブ

画像資料アーカイブPhotograph

海女研究センターが「アーカイブ・データベース事業」で構築してきた文献・画像のデータベースから詳細検索ができます。こちらでは鳥羽市立海の博物館が所蔵する海女や漁村に関する画像について、名称や撮影場所、撮影年、写されている内容を閲覧できます。地域の方、学生の方、研究者の方、メディアの方々で、画像にご関心がある場合は「資料の問い合わせについて」もあわせてご覧ください。

418 神島ゴクアゲ(御供上げ)6-3
©鳥羽市立海の博物館

5799 志島の海女船4-1-3
©鳥羽市立海の博物館

5434 波切わらじ祭1-4
©鳥羽市立海の博物館

967 菅島(しろんご祭)3-6-3
©鳥羽市立海の博物館

418 神島ゴクアゲ(御供上げ)6-3
©鳥羽市立海の博物館

5799 志島の海女船4-1-3
©鳥羽市立海の博物館

A16390(波切 わらじ)
©鳥羽市立海の博物館

967 菅島(しろんご祭)3-6-3
©鳥羽市立海の博物館

No. 資料の名称(画像タイトル) 内容(キャプション) 撮影場所 撮影年(西暦)
241 菅島しろんご祭3-1 「磯入り」開始。磯場に向かって泳ぎ出す海女達。スライド枠には「川口祐二氏撮」と記される。 鳥羽市菅島町 1993.07.11
242 菅島しろんご祭3-2 鰒は三重県の水産研究所等による長年の研究の末、完全養殖の技術が確立された。「とる漁業」から「つくり育てる漁業」へと、海女達による自主規制と合わせて、稚貝の放流も行われる。スライド枠には「川口祐二氏撮」と記される。 鳥羽市菅島町 1993.07.11
243 菅島しろんご祭3-3 鰒は三重県の水産研究所等による長年の研究の末、完全養殖の技術が確立された。「とる漁業」から「つくり育てる漁業」へと、海女達による自主規制と合わせて、稚貝の放流も行われる。スライド枠に「川口祐二氏撮」と記される。 鳥羽市菅島町 1993.07.11
244 菅島しろんご祭3-4 鰒は三重県の水産研究所等による長年の研究の末、完全養殖の技術が確立された。「とる漁業」から「つくり育てる漁業」へと、海女達による自主規制と合わせて、稚貝の放流も行われる。海藻はアラメ。鰒の主な餌として欠かせない。スライド枠には「川口祐二氏撮」と記される。 鳥羽市菅島町 1993.07.11
245 菅島しろんご祭3-5 波打ち際で、「磯入り」の合図を待つ海女。スライド枠には「川口祐二氏撮」と記される。 鳥羽市菅島町 1993.07.11
246 菅島しろんご祭3-6 祭の開始。海上安全と豊漁を祈願するため菅島神社の宮司による祓いが行われる。祭事に参加する海女達は、砂浜に正座し豊漁と操業の安全を祈願する。スライド枠には「川口祐二氏撮」と記される。 鳥羽市菅島町 1993.07.11
247 菅島しろんご祭3-7 祭の開始。海上安全と豊漁を祈願するため菅島神社の宮司による祓いが行われる。祭事に参加する海女達は、砂浜に正座し豊漁と操業の安全を祈願する。スライド枠には「川口祐二氏撮」と記される。 鳥羽市菅島町 1993.07.11
248 菅島しろんご祭3-8 祭事の前の祓いが終わると、海女達は「磯入り」の合図に備えて、身支度を調え準備を始める。ウエットスーツの上に白の磯着を身に付け、腰には鉛の重りを付けたベルトを着ける。頭に被った磯テヌグイには、魔除印とされる「急々如律令」の文字と、その左右に「ドーマン・セーマン」が記されている。スライド枠に「川口祐二氏撮」と記される。 鳥羽市菅島町 1993.07.11
249 菅島しろんご祭3-9 祭事の前の祓いが終わると、海女達は「磯入り」の合図に備えて、身支度を調え準備を始める。ウエットスーツの上に白の磯着を身に付け、腰には鉛の重りを付けたベルトを着ける。タンポにも神社のお守りが取付けられ、海女達の信仰心の強さが良く見て取れる。スライド枠には「川口祐二氏撮」と記される。 鳥羽市菅島町 1993.07.11
250 菅島しろんご祭3-10 一番鮑(雌雄一対)を供えるために白鬚神社に向かう海女。かつては一番鮑を獲った海女は高々と片手を上げて名乗り出て、舟板に雄貝と雌貝をのせ濡れた磯着のまま鳥居をくぐり、白鬚明神に奉納した。これを「まねきアワビ」と称して、他のアワビをまねき、豊漁が約束されると伝えられている。現在は、青年部の女子が正装をしてお供えに行く。スライド枠には「川口祐二氏撮」と記される。 鳥羽市菅島町 1993.07.11
251 菅島しろんご祭3-11 一番鮑(雌雄一対)を供えるために白鬚神社に向かう海女。かつては一番鮑を獲った海女は高々と片手を上げて名乗り出て、舟板に雄貝と雌貝をのせ濡れた磯着のまま鳥居をくぐり、白鬚明神に奉納した。これを「まねきアワビ」と称して、他のアワビをまねき、豊漁が約束されると伝えられている。現在は、青年部の女子が正装をしてお供えに行く。 鳥羽市菅島町 1993.07.11
252 菅島しろんご祭3-12 雌雄一対の一番鮑だろうか。漁協職員によって計量が行われる。スライド枠に「川口祐二氏撮」と記される。 鳥羽市菅島町 1993.07.11
253 菅島しろんご祭4-1 「89.7.11 しろんご祭」と記された、タイトル・スライド。鳥羽市菅島町に祀られる白髭明神の祭礼として、数百年もの間続けられていると言う「しろんご祭」である。かつては旧暦6月11日に実施されてきたが近年では新暦7月11日に執り行われる。白髭明神社は全国に分布し、「猿田彦」とも言われることから山神・海神的意味が強く、ここ菅島では島の守護神として祀られる。「しろんご」の語源は、白髭(しろひげ)が訛ったものだとされるが、この日は村の海女全員が神域として禁漁区にされている白髭明神下の磯に潜り、一番早く雌雄一対の鮑を採った物を神社にお供えする。そして、その鮑を採った海女は、その年の海女頭として敬われる。参考文献:在中調査メモ「菅島のシロンゴ祭」/『ふるさと菅島』 鳥羽市菅島町
254 菅島しろんご祭4-2 菅島漁港。しろんご祭のために白浜へ向かう漁協の船かと思われる。右端の灯台らしき3階建ての建物は昭和59年に竣工した菅島小学校である。 鳥羽市菅島町 (1989.07.11)
255 菅島しろんご祭4-3 膝上まで海に入り、「磯入り」開始の合図を待つ海女達。 鳥羽市菅島町 (1989.07.11)
256 菅島しろんご祭4-4 膝上まで海に入り、「磯入り」開始の合図を待つ海女達。 鳥羽市菅島町 (1989.07.11)
257 菅島しろんご祭4-5 海女達が暖を取っていた焚火跡。焚火の回りに置かれているフゴは海女達が道具を入れてきたもの。 鳥羽市菅島町 (1989.07.11)
258 菅島しろんご祭4-6 白浜の裾に建てられた白鬚神社の一ノ鳥居。この鳥居の左上、小高い丘の上に社殿が建てられている。「奉納 白鬚大明神」と記された幟の「えびしま」は菅島町で営業をする旅館である。 鳥羽市菅島町 (1989.07.11)
259 菅島しろんご祭4-7 白鬚神社の一ノ鳥居横に置かれた立石には、シロンゴ祭で海女が奉納したという大きな雌雄のアワビの殻が貼り付けられている。 鳥羽市菅島町 (1989.07.11)
260 菅島しろんご祭4-8 白鬚神社の二ノ鳥居。 鳥羽市菅島町 (1989.07.11)
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